奈良のおのぼりさん玲子の東京見物の巻(1)
出版社巡りのハードな日程の合間を縫って美術館へ


奈良のおのぼりさん玲子の東京見物の巻(1) /(2)


東京に行ってまいりました。
私のようなフリーランスの出版業界人たちが集まって、『ネッツ』という組合を作っておるのですが(私も、加入しています)、このたび大会が東京であったのです。
その大会に参加して、せっかくだからと、出版社さんに売り込みをいたしまして、東京見物までしてまいりました。
今回は、その東京見物記といたしましょう。
今回の東京見物には、地元のお友だちが案内をしてくれました。お友だちと言っても、今回が初顔合わせ。
ネッツの会員は全国に散らばっていますので、メーリングリストで交流を図っています。記者さんがいたり、イラストレーターさんがいたり、写真家さんに、漫画家さんと、さまざまな仕事があります。私は、文章書きではあっても、記事ではなくてもっぱら創作のほう。ネッツの中には創作系のひとが余りいらっしゃいません。
東京の藤原りんさんは、数少ない創作系のひとで、メーリングリストで知り合った仲です。
個人メールのやり取りは1年以上あるのですが、お顔を知らないままだったのです。それが、今回、東京の『ネッツ』の大会で、お顔を見れることになりました。
まあ、お着物姿できりっとしたりんさん。初めてお会いして、「きゃい、きゃい!」と、はしゃいでしまいました o(^▽^)o
さて、その翌朝。かねてから、東京へ出たら、弥生美術館と竹久夢二美術館に行きましょうと、メールで1年間言い暮していた約束を果たすために、二人は、根津駅で10時半の待ち合わせ。
朝から小雨模様だったのですが、地下鉄千代田線の「根津」についたころには、その雨も止んでいました。たらたらと坂道をあがって左に曲がったところに、弥生美術館、夢二美術館があります。

夢二大好きの藤原りんさん、夢二では「黒船屋」が一番お好きだとか!

弥生美術館、夢二美術館は、静かなたたずまいの中にありました。大阪では、街中は、ただ喧噪の渦という感じですが、東京は、まだまだ閑静なところが残っているのですね。東京はそれだけ余裕があるということでしょうか。ある統計によると、大阪の方が緑が多いというのですが、本当なのでしょうか? どうも、実感が伴いません。
まず弥生美術館に入ります。館内は静かで、おっとりとした大正時代を思わせる雰囲気です。
いよいよ高畠華宵の絵とご対面。なんとなくポスターのような大きさの絵を想像していた私ですが、絵葉書より少し大きいかなというくらいの絵です。一瞬、えっと思いましたが、挿し絵ですから、と自分を納得させます。
高畠華宵は、大正から昭和にかけて少年雑誌の挿絵で活躍。
華宵が、作品発表の場を「少年倶楽部」講談社から「日本少年」実業之日本社に移るとともに、読者も移ってしまったという「華宵事件」は、いかに当時の華宵の人気が高かったかを語る逸話です。
[さらば故郷(ふるさと)]いいですね。幼さの残る少年が故郷に心を残しながら旅立つ姿。寂しさを堪えている少年。凛とした気高さが漂っています。
[馬賊の唄]の少年には危険な匂いがつきまとう。女は危険なものにも惹きよせられるのかもしれません。この世のものとは思えない美しさという言葉がぴったりで、馬賊の唄というような題名でなければ良かったのに、と惜しまれます。
[鞍馬の秋]の牛若丸の妖しさ。美と力の微妙なバランスの上に成り立っている絵だと思いました。身震いが出てしまいます。この挿し絵に私は恋してしまいそうです。
華宵の絵を見て感じるのは、素足の足指の丹念な描写です。人間の顔もですが、足に魅力を感じるのは、華宵と、他は伊藤彦造です。
華宵が女を描いたのには、妖しい美しさはなくてただ美しいだけ。辛うじて[情炎]の八百屋お七に情感を感じただけでした。
「華宵ごのみの君もゆく」の君は、果たして男だったのでしょうか?女だったのでしょうか?
通俗的な性を感じさせない美に到達した作家だと思っています。
装丁用の絵が素晴らしく、手に入れたいと思いながら、荷物の関係で断念しました。いま思えば発送してもらう方法もあったのに……。しかし良かったのです。欲しいものが手に入らないから、かえって思いもつのるというじゃありませんか。

弥生美術館玄関前で、いよいよ華宵に会えると胸をときめかしている玲子です。

変わっていることに、弥生美術館と竹久夢二美術館は階段でつながっています。階段を上がると、もうそこは夢二の世界です。楚々たるたおやかな美しさ、儚さの裏には崩れた美をも合わせもっている不思議な夢二です。
[立田姫]思わず立ち尽くしてしまう美しさです。支えてやらないと崩れてしまうような線の細い体。つむっている瞳の奥を覗き込みたくなります。
[星まつり]笹の葉に提灯を取り付けようとしている女の少し仰向いた顎と瞳。水色の着物から抜けている白いうなじ。それに対して、ろうそくの炎が消えないように手をかざしている少女の仕種と、炎を見ている俯いたうなじ。夢二は、うなじを描かせると日本一ではないでしょうか。
ふと、思いました。夢二のような儚さを描いた画家は、外国にもいたのでしょうか?
最後に夢二便箋とハンカチーフ、華宵の画集を買って、現実の世界へ戻ったのでした。

今もって人気の衰えない夢二。美術館の前に夢二の美人画の石塔(なの?)が……。

美術館を出て、大正っぽい感じのカフェレストラン「港や」へ。「夢二弁当」は売り切れていて、オムライスを頼みました。やはり、今のオムライスとちょっと違う味にしてあります。それに飲み物もついていました。

2に続く。

(註)1『伊藤彦造』
その今にも動きだしそうな絵は、絵自身が物語を持って、見る者に迫ってくるようです。この人の妖しさは、裂帛の気合いを込めた中に篭っていると思います。
「水牢から出た鞍馬天狗、敵の一撃をかわして」を、小学5年のころの長男の純が模写していたのを思い出します。

(註)2『華宵ごのみの君もゆく』
『銀座行進曲』一九二八(昭和三)年の流行歌の一節。
 さても銀座はプランタン並木
 夏の葉隠れあの人ゆけば
 白いパラソル花が散る
 国貞描くの乙女もゆけば
 華宵好みの君もゆく
『銀座行進曲』の中にある「華宵ごのみの君もゆく」。
国貞とは、文化文政期に美人画や役者絵で知られた歌川国貞。



2003年7月16日  溝江玲子


玲子のプロフィール

溝江玲子 山羊座で12月27日と暮れも押し詰まった大変忙しい時期に生まれました。
昭和12年、旧満州国奉天に生まれて、上海に育ち、終戦後に大連から引き揚げてきました。もう、戦争はこりごりです。
職業はと聞かれると、答えがいく通りもでてきます。一番格好よく答えると、作家かな。それから、7年前立ち上げた遊絲社(ゆうししゃ)という出版社の代表です。
趣味は読書とお絵描き、素材のページのキャラクターの原画も描いています。
へこんだときに呟く言葉は「人間 万事 塞翁が馬」。これで、幾多の試練を乗りきってきたのです。

細腕のトップに戻る / ホームに戻る