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チマ・チョゴリを着て
8月25日9月3日まで、韓国に取材旅行にきていた溝江玲子ですが、ハードな日程と食べ過ぎが祟った?のか、寝込んでしまいました。
それを聞いたフードジャーナリストの高ヒョンミさんが、またまたお忙しいお仕事の合間をぬって飛んできてくれたのです。しかも、胃と腸に効く薬を買い込んでです。なんと親切な人なのでしょう。旅の空で病気ほど心細いものはありません。ヒョンミさん、感激です。そして、その薬は劇的に効く薬なんだそうです。
その通りで、その薬のおかげか、頭痛と吐き気でたまらなかったのが、翌日、ふらふらしながらも起き上がり、お昼にはお粥も食べられるようになりました。『剛(つよし)の家』の奥様に、ヒョンミさんが、「お粥を作ってあげて!」とわざわざお願いをしてくれたからなのです。
鶏のささ身とか、何かの木の実、あとニンニクも入っていました。ありがたいことです。食べて、また直ぐベッドへ。ぐっすりと眠った私は、夕方近くには、もうずいぶん治ってきていました。やれやれです。奥様ありがとうございます。奥様はとっても働き者で、くるくると働いて、いつもニコニコ、バイタリティに富んだ素敵な方。
私がベッドで寝ている間に、新しい泊まり客のSさんがやってきました。
この剛の家では、いろんな体験学習もしており、その中に、「チマ・チョゴリなどを着て写真撮影をする」というのがあります。
Sさんは、そこでさっそく、チマ・チョゴリを着る体験をすることになったのです。チマ・チョゴリのことを韓国ではハンボクと言います。
剛の家の奥さんが、ベッドの私に、、
「Sさんと一緒に、写真を撮りましょうよ」
と誘いにきました。
「あなたの買ってきたハンボクを着たら良いですよ」
というのは、私は、ヒョンミさんにお願いして、東大門市場(トンデムンシジャン)で素敵なハンボクを買ってきていたからでした。
剛の家の奥様に、ハンボクを着せて貰い写真を撮って貰いました。
病気がすっきりとしていなかった私は、あまりSさんとお話もせずに、また部屋に戻って寝てしまいました。
翌朝は早く、私は、『冬のソナタ』のロケ地で知られた南恰島(ナミサムド)と春川(チュンチョン)へ出かけたので、結局、お話できずじまいだったのですが、約束をしていた通りにSさんからメールがきて、メールでのお付き合いがはじまりました。メールとは便利なものですね。
Sさんは、剛の家の近くにある、お風呂屋さんに行ったんですって。マッサージもしてくれて、とっても良かったらしいです。私もヒョンミさんに薦められていたのですが、指の骨折もありで、とうとう行かなかったのが残念。次の楽しみに取っておきましょう。
Sさんは公民館の講座で韓国語も勉強されているということです。
2005年12月10日 溝江玲子
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玲子のプロフィール
溝江玲子 山羊座で12月27日と暮れも押し詰まった大変忙しい時期に生まれました。
昭和12年、旧満州国奉天に生まれて、上海に育ち、終戦後に大連から引き揚げてきました。もう、戦争はこりごりです。
職業はと聞かれると、答えがいく通りもでてきます。一番格好よく答えると、作家かな。それから、7年前立ち上げた遊絲社(ゆうししゃ)という出版社の代表です。
趣味は読書とお絵描き、素材のページのキャラクターの原画も描いています。
へこんだときに呟く言葉は「人間 万事 塞翁が馬」。これで、幾多の試練を乗りきってきたのです。
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