*姫林檎日記-細腕出張スペシャル*
買ったばかりのデジカメ画像などを使って、純の『絵本』大学(!?)での勉強ぶりをスペシャルでお届けいたします。やんや、やんや、パフパフパフ!!(*^▽^*)

たどりにくいリンクを少しでも改善するため、絵本大学エピソードシリーズをまとめてみました。

エピーソード(1) / (2) / (3) / (4-1) / (4-2) / (5) / (6) / (7) / (8)


絵本工房in絵本大学inぱふ エピソード6

2002年4月から京都宇治にある、絵本とヨーロッパの木のおもちゃの店“KID'Sいわき ぱふ”さんにて高山智津子先生の絵本の講義を受けていた純ですが、3月9日を持ちまして、無事卒業。
エピソード6では、その卒業式の模様を画像で振り返るとともに、楽しく充実した1年間を振り返って、純が感じたこと、考えたことをお話してみたいと思います。

なんと、このお歳で大学卒業のおふたり。スゴイ。お母さんに抱かれて満足そう(?)

何とか皆様にお許ししていただけた『絵本大学・卒業論文集』ですが、この文集には、アンケート企画による非常に興味深いコラム記事が載っております(と自分で言う)。
題して、
「決定版!わたしたちの選んだ絵本ベスト5」
つまり
「あなたの大好きな絵本を五冊教えてくださいな」
という問いかけへの皆様のお返事を、ずらりと掲載しておるのであります。
この見事な企画は、ぱふのY.Tさんのアイディア。絵本のベストの五冊となれば、誰のものであっても、非常に気になるもの。かくして、このアンケートは、文集の裏の目玉企画と相成ったのであります。
Y.Tさん、すばらしい。
私にもあなたの企画能力があったらなあ、とないものねだり。

絵本を紹介しているY.Tさんと、耳を傾ける高山智津子先生。素敵なシーンですね。ちなみに、彼女は、佐々木マキ氏の絵本を紹介中。

そのコラム記事を読み返していたとき、卒業論文の編集会議と称して大阪の喫茶店で一度、高山智津子先生、絵本大学秘書T.Mさん、編集委員のT.Kさんとお話をしたことがあったのを、ふと思い出しました。
確か、時をさかのぼって去年の暮れのころでした。
編集会議と銘打っても、ちゃらんぽらんな純。ついつい話を絵本の話題へと横すべりさせ、会議は会議でも単なる井戸端会議へと、お三人をいざなってしまうのであった。
(;^-^ゞ

卒業の記念撮影の一枚。後列左から、H.Hさん、F.Tさん、N.Iさん。前列左から、秘書T.Mさん、S.Iさん、J.Oさん、T.Kさん、そして講師の高山智津子先生。美女に囲まれるH.Hさんのお顔がこれまたりりしい。

だって、高山智津子先生と絵本大学秘書T.Mさんを、あーた、ひとり占め(T.Kさんとでふたりじめ?)にできるなんて、そうあることじゃございませんぜ。
(^_^;)
おふたりから絵本の話を聞きだそうと、もう、根掘り、葉掘り。
正直なところ、純の口が八つくらいあって、その八つの口で、のべつまくなし機関銃のように質問をしたかったくらいでありました。
……口が八つなんて、『食わず女房』も顔負けですね。
f ^ ^ *)
で。
その時、レオ=レオニという有名な絵本作家の話になりまして(純が誘導したのでありますが)、T.Mさんが
「実はレオ=レオニは、本当のところあんまり好きではないんですよぉ」
とおっしゃったのを、今になってふと思い出しました。
というのも、ちょっと意外な気がしたのです。
レオ=レオニって、みなさん、知っています?
小さな、すばしっこい黒い魚が主人公の『スイミー』の作者さんと言えば、「あー」とおっしゃる方も多いのではないでしょうか?
実は、純も、T.Mさんとおんなじ理由かどうかはわかんないんですけれど、子どものころレオ=レオニが苦手だったんです。
そうしたら、高山先生が、
「レオ=レオニは、ちょっと、お説教があからさまに鼻につく感じで、だめな方も多いわね」
とおっしゃいました。

卒業式の日に、J.Oさんが披露してくださった『桃太郎ばやし』。各面にそれぞれの絵が描かれた箱を組み合わせて、桃太郎のストーリーを進行していきます。我々の「は〜、そ〜れから!」のあいのてに合わせて、くるくると絵が入れ替わっていくのです。おもしろいぞ〜!

みなさんは、どういうふうに、レオ=レオニを読んでらっしゃいます?
純は、自分の選んだ絵本ベスト5に、レオ=レオニの作品をひとつも選ばなかったんです。
でも、次世代に残したい絵本ベスト5というタイトルだったら、きっと、レオ=レオニの作品を一冊は選んだろうな、とも思う。
純が、“次世代を担う子どもたちに伝えたいこと”とは?
さあ、なんなのでしょう。
それは、レオ=レオニを読んでください(笑)。
(;^-^ゞ
レオ=レオニの絵本には、生きることの意味と意義にあふれていて、そこが素晴らしいと思うのですよ。
「我々はどうしてこの世に生まれてきたのか」
という問いかけに、彼の作品は見事に返答していると思うのです。
「我々はどうして、この世に生まれてきたのか」
実は、どういう返答もありなのですよね。生きることに意味なんてない、という返答もありです。だって、証明できないもん。
それはいつも、固定的な答えとしてそこにあるのではなくて、私たちが私たちのやり方で社会に応えること、動くこと、挑戦すること、実現することなのだと、レオ=レオニの絵本は教えてくれていると思います。そして、根底に、社会正義への思いが作品の中にあふれている。

J.Oさんのルービック桃太郎ばやし(仮)が佳境に入る。それを真剣な表情で、興味深げに見つめてらっしゃる高山先生。

うーん。例えば、ある若者がお金もうけをしたいと思うとします。そういう目的を持つことはいいでしょう。ただ、銀行強盗しても、詐欺を働いても、ひとを踏みつけても、とにかくお金もうけができればよいのだ、と、この若者が思ったとしたらどうでしょう。
楽してもうけようとすれば、犯罪に走るのが一番手っ取り早いとも言えるのです。
そして、残念がら、それを否定することは誰にもできない。
この若者の主張は、れっきとした事実を含んでいるのですから。
それを否定することができるのは、社会正義と民主主義という観点からものを見るときだけです。
だから、犯罪だろうが人に迷惑かけようが、それとも、地道にみんなと力を合わせてお金を稼ごうが、結果としては同じじゃないかと、そううそぶく人もいるかも知れません。どうしてそうなるかというと、より良い明日を作ろうという社会正義の観点が抜け落ちているからだと純は思うのです。
最近テレビを見ていましたら、
「不況を抜けだすために、アメリカとイラクの戦争から派生する経済効果を期待したい」
という意味の発言をしている人がいました。
確かに、戦争はもうかります。だけど、効率よくもうけるためには罪のない人々が死んでも、何万人、何十万人という人々が殺されても、それは仕方がないのだとこのコメンテーターは言っているのと、おんなじなのではないでしょうか?
そしてなによりも、戦争行為は人類、そして地球上の全生命体への重大な犯罪行為なのではないでしょうか?
そうした情勢のなかで、レオ=レオニの絵本は倫理とモラルにあふれていて、素晴らしいし、次世代に伝えたい絵本だと、そう思いもするのです。
ええ確かに、正義という言葉は非常に危険ですよね。そのご指摘は、わかります。歴史上のすべての戦争は、いつだって正義の名のもとに行われてきましたから。でしょ?
自分が完全に正しいと思い込むことは、共同体に対して破壊的になってしまう可能性が高い。
でも。そもそも社会正義とは、自分の主張のみを正当化し、ごり押しすることとはまったく違うはずです。
我々の生きてゆく場所は、他でもないこの社会でしかないのだし、そこではやはり「正しい行ないとは何か」という自己への問いかけ抜きには、共同体としてもその一員としても、うまく機能しないのではないかと思うのです。
例えば、純はサッカー観戦が好きなのですが、サッカーというスポーツは、トトくじという賭事以上のものではないでしょうか?フェアプレーの精神は、勝敗の結果以上のものではないでしょうか?
結果がすべてなら、もう、じゃんけんでいいわけです。だけど、じゃんけんで何が悪い、とも言える。本当に、言える。
つまり、私たちが歩いたあとにしか道はできないのだと、レオ=レオニの絵本は、そう純に語りかけてくるのです。

文集を読みながら談笑中のK.UさんとT.Kさん。私にとって、一も二もなく嬉しいシーンなので、思わずパシャ!

レオ=レオニでこんなお堅い話をブツのも私くらいかも知れないな、と、ふと素にかえる純。
四人でこんなおしゃべりをいつまでもいつまでも続け、我に返れば、卒業論文集については何も決まっていないことに気がつく大坂冬の陣in絵本大学なのであった。
ちゃんちゃん。
……『ちびまるこちゃん』のナレーションみたいなオチだな……。

おどけたT.Mさんと、きりっとしたY.Mさん。表情が素晴らしい写真(私の腕ではない)なのですが、残念、JPG圧縮で潰れてわかりづらい。
にしてもT.Mさん、その手つきはなんですか?(笑)

でも、時間が経つのが早いのは、幸福だった証拠。
どこまでもどこまでも、絵本の話をしていたかった、名残惜しい幸福な時間でありました。
でも、粘着質な性格の私としては、せめてあと三時間、レオ=レオニについてお聞きしたかったなあ。無念。
秘書のT.Mさん、どうしてシカゴに行っちゃったの。
(ρ_;)
(……イヤ、ちゃんと日本にいらっしゃるのですが。シカゴと言ったほうが雰囲気出るかなと。ごめ〜ん)。
(;^_^ A

高山先生とT.Mさんが差しむかいで何やらお話してらっしゃるシーン。……写真という魔法を使い、消えていこうとする時間を何とかつなぎとめようとする純であった(カッコイイ!)。

……7につづく。



2003年3月15日  溝江純

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