*姫林檎日記-細腕出張スペシャル*
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一年間皆勤を通された方々には、高山智津子先生の直筆のサイン入り卒業文集が手渡されました。代表して、S.Iさんと高山先生とのツーショット写真をば。 |
絵本大学に通っているうちに出会ったシリーズ絵本に『がまくんとかえるくんシリーズ』というのがあります。
アーノルド=ローベルという人が描きました。
絵本大学でお友だちになったN.Iさんと、お子さまが大好きなシリーズ絵本だそうです。
私もカエルがけっこう好きなので(N.Iさん親子がカエル好きかどうかは実は訊いていないんですが、少なくてもカエル絵本好きなのは間違いないですね)、お気持ちわかる気がします。
(*^▽^*)
カルサの絵本を夢中で読んでらっしゃるN.Iさん。どうでしょうか?面白かったですか? |
数あるカエル絵本の中でも、『がまくんとかえるくんシリーズ』は、古典中の古典、名作の傑作と世間の評価も高いです。
で。
そのシリーズのひとつに、がまくんとかえるくんが、訪れるはずの春を探し求めるお話があります。
『ふたりはいつも』所収の『そこの かどまで』というタイトルだったかな。
ある日、かえるくんがお父さんに
「むすこや きょうは さむくって くもっているが、いま はるは そこの かどまで きているんだよ」
と言われるのです。
なに、そこのかどに、春が来ているだって、と、色めき立つかえるくん。
外にとびだし、あちこちの角を曲がって、春を探して歩くという話。
N.Iさんとお話しているうちに惹かれて、この絵本を最初に読んだときに、純は、これはカエルの物語であると同時に、道、道路、曲がり角の物語だとも思いました。
そして、ふと、自分の過去を振り返ってしまいました。
絵本大学の思い出から少しだけはなれますが、ちょっと辛抱してくださいね。
自慢気に吹聴するようなことではないとはわかっているのですけれど、エピソード1から読んでいただいている人ならご存知だろうから言うのですが、私は数年間、ある女性と駆け落ちをして東京で暮らしていたことがあります。
その駆け落ち物語も面白いのですが、ここでは割愛させていただいて(笑)。
ひとことで申しますと、ある日、駆け落ち暮らしにも転機が訪れたのであります。
自分の力で絵本を読み始める年代の子どもたちとまったく同じように、ひとりで寝る訓練をもう一度するときが来たのね。
(;^-^ゞ
ははは……。
差し向いで、N.Iさんと絵本大学秘書T.Mさん。お顔を見合わせ、別れを惜しんでらっしゃいました。 |
まあ、私の人生も、それなりに色々ありましたのです。
それから、それから。
東京では、おもに交通誘導員の仕事をしておりました。
一般に、ガードマンとか、警備員とか、そう呼ばれている職業です。
ガス工事などでアスファルトに穴を開けると、勿論その通りは全面通行止めや、片側通行になる。
そのさいの交通の誘導や事情説明を行い、全てとどこおりのないように、通行中の皆様からの様々な苦情を一手に引き受けるという仕事であります。
(;-_-ゞ
「もうしわけございません〜!」
と言いながら、心の中で、
「しがない警備員に文句言ったって、道路に穴があいてんだもん、どうしようもないでしょうが」
と泣きべそをかくのである。
東京じゅうの道路に立ったものです。千葉や埼玉、茨城の筑波にも出向いたことがあった。
筑波では、栗やカブトムシをお土産に持って帰ったこともありました。
道路、道路、道路。
五又道路、坂道、一方通行、国道に、私道。
国道を大渋滞によるパニックに陥れてパトカーがやって来たこともあれば、車も人通りもなく、一日ぼんやりと立っているだけの道路もありました。
一日中、道路を眺めている職業(こう言うと、なんとなく、ファンタジーっぽいでしょ)。
(;^-^ゞ
あらゆる道から道へと続いているはずの、その日その日の道路に縛りつけられて、毎日何を考えていたか?
眠気や給料計算に心を痛めつつ、私は実は、不可解な孤独感と、大切な何かから見捨てられたような焦燥感を感じておったのでありました。
工事中の看板に描かれた矢印のとおりにお進みください。
これを声に出して読んでみる。みなさんも是非どうぞ。
「工事中の看板に描かれた矢印のとおりにお進みください」
どうです?
ちょっと不吉な感じがしてきませんか?
道じたい、道路じたいは、あらゆる人々の生活へと結びついていっているはずなのに、私は道路とは関係していても、道が続いている先の人間の生活とは隔離されてしまっている気が、どうしてもしてしまって。
私もまた、赤くて巨大な矢印でしかないのではないかという疑問。
通行止めをするその日の現場にやってきてはまた去ってゆく、単なる記号、亡霊になってしまったような錯覚を覚えていたのでした。
だからこそ私は、自分自身が生きていくための物語に飢えているところがありまして、当時、物語の必要性はひっ迫していたように思います。
道路、仕事、孤独、劣等感などの材料を使って、こねくりだした物語。
それが、私の道路亡霊物語ガードマン編です。
(;^-^ゞ。
花束を贈呈してらっしゃるY.Mさんと高山先生のツーショット写真。うれしそ〜。 |
そう。そして。
これもまた、道の話です。
『がまくんとかえるくん』の『そこの かどまで』が道の話だと、仮にも呼ぶのだとしてですが。
『がまくんとかえるくん』を、道の物語としてクロスオーバーさせるとは、ちょっと無茶かな。
(;^-^ゞ
ま、とにかく。
『そこの かどまで』のお話の中で、かえるくんは友だちのがまくんと一緒に、春を探して、家を出てすぐそこの角を曲がる。
しかし、もしかしたら、仲良しのがまくんとかえるくんが走り抜けた道のどこかに、私は、ぼう、と亡霊のように立っていたかも知れません。
いや、きっと立っていたはずだ、と、私は思います。
それは、現実ではなくても、実感としてはそうなのです。
そのとき私は、すぐそこの角を曲がるがまくんとかえるくんをじっと見送ることでしょう。
がまくんとかえるくんの後ろ姿。
角を曲がって、見えなくなる。
さて、がまくんとかえるくんは行く先に春を見つけたでしょうか?
きっと、見つけたはずだ、と、亡霊の私は直感します。
そして、たたずむ。
道の角を形成するブロック塀だけを残して。
何もかもが殺風景なわけではないと自分に言い聞かせながら、誰が私を制御しているのかと自問し、最後には、どこをどう歩いたところで、などと悲しいことを言う。
巡る季節の中で、春を探して角を曲がるがまくんとかえるくんを永遠に見送り続ける亡霊の私。
エンドマーク、と。
ようやく、道路亡霊物語ガードマン編はここに来て完結することができました。
宇治の絵本大学で。
N.Iさんとお子さまたちが心から楽しんだ、あったかくて、思いやりにあふれたアーノルド=ローベルの絵本に出会ったことをきっかけにして。
(;^-^ゞ
ん?
どうでもいいけれど、この物語、えらく暗いなあ……。
(^_^;)
玲子まで花束をもらっちゃって。Y.Mさんと、はいチーズ。 |
しかし、これもまた、それなりの価値(少なくても私個人にとっては)がある物語と思っています。
とにかく。
ひとつの物語がいちおうの完結をみて、また別の個人的な新しい物語が、私が生きてゆくために必要になるでしょう。
今、即興で考えたのですが、通行止めの看板を通り越して、その先に行ってみるというのはどうでしょう。
勿論ありだよね。ずんずん行って、穴を降りて、のぼって、泥だらけになるかな。
(;^_^ A
まだまだ、ずんずん行く。
角を曲がれば、そこはまた道路でしょう。どこかの道に続いている。
少なくとも、絵本と出会って、という、新しい道を歩く。
がまくんとかえるくんに、いつの日か追いつくことだってあるかも知れない!
そうやって、私は、子ども時代のときと同じに、もう一度、絵本の世界をくぐり抜ける。
そして、きっと、帰ってくる。
どうやって帰ってくるのかは、わからない。
だって、まだ、角を曲がって、みせた、ばかりだから。
……どう?
ちょっと、クサイ?
f ^ ^ *)
まあ、卒業という門出だから。
明るくしめないと。
(;^_^ A
物語と言っても私にとっては自分の人生だし、あんまり暗いのも元気でないしなあ。
ちいと甘いけど、このあたりで勘弁してね。
……。
もう言っても、だいじょうぶ。
言い切ってしまおう。
私は、歩ける。
夜も、眠れる。
高山智津子先生、花束を手に。一年間、ありがとうございました。気がつけば春は、すぐそこの角まで……来ているんですね、先生。 |
2003年3月19日 溝江純
玲子のプロフィール
溝江玲子 山羊座で12月27日と暮れも押し詰まった大変忙しい時期に生まれました。
昭和12年、旧満州国奉天に生まれて、上海に育ち、終戦後に大連から引き揚げてきました。もう、戦争はこりごりです。
職業はと聞かれると、答えがいく通りもでてきます。一番格好よく答えると、作家かな。それから、7年前立ち上げた遊絲社(ゆうししゃ)という出版社の代表です。
趣味は読書とお絵描き、素材のページのキャラクターの原画も描いています。
へこんだときに呟く言葉は「人間 万事 塞翁が馬」。これで、幾多の試練を乗りきってきたのです。
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