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玲子の新刊案内
(2005.2.3)




珍しいことに今年は、新年があけてすぐに神社に行って、おみくじをひいた。

ネット上のサイバー神社だけど(笑)。
だって、めんどいんだもん。
くじの中身は
「あい」
でした。
なんだ?「あい」って? 大吉とか、末吉とか、そういうのじゃないのね。
でも、今年は愛にめぐまれるかもしれません、というテキストを読んで、ひとり鼻息を荒くする。
ぜんぜんイメージわかないけど。
(;^_^ A
というか、愛ってナンだろう?
(;^_^ A

話変わって、さておたちあい。
ニュースだよ〜。
本の泉社さんから、玲子の新刊
『芳紀66さい 自動車学校てんやわんやのてんまつ記』
が発売されました。
私が表紙作ってます。
挿し絵も描いてます。
宣伝ポスターも作ってみました。この日記にアップしてるのは背景・青空バージョンです。
もしよろしければ、書店で手に取ってみていただけると、とってもしあわせだったりします。
また、お近くの書店にない場合は、お取り寄せすると買わなくちゃいけなくなるので(買っていただければものすごく嬉しいです)、図書館などで取り寄せていただけると、これまた幸せだったりします。

それから、もひとつ宣伝。イトーヨーカドー奈良店のヨークカルチャー奈良にて、うちの玲子が
「童話・絵本作家養成講座」
の2005年度生徒募集中です。
これも、宣伝ポスター画像をアップしておきます。
こちらも、3月に体験入学などもやるようですので、これまたご興味のあるかたは、気軽にご参加いただければ、とっても嬉しかったりします。
以上、お仕事ニュースでした。




ヘソ曲がり
(2005.2.1)


うちの母親が『人間の条件』のDVD(全6巻)を購入。
時間を見つけて、ちびちびと観賞してるところなのだが、仲代達矢さんって、こんなに若いときがあったのねえ!と驚嘆。
60年前の日本が、「アジア解放」の名において、中国や、朝鮮や、フィリピンや、その他のアジア諸国を「統治」し、それぞれの国のひとたちを家畜以下として扱っておったという、なんともやりきれないお話が第一部。
名作は名作なんだが、どうにも辛い。
原作小説を読んだときもそうだったけど、主人公の悩める日本人・梶より、虐げられても痛めつけられても、けっして人間であることを放棄しない中国人捕虜たちのほうに、感情移入してしまう。
つーか、国籍や民族を超えて、「足蹴にされてもけっしてくじけない人間に肩入れしたくなるのが人情」じゃない?

梶の板挟み的苦悩よりも、捕虜たちの反骨精神のほうがわかりやすいし、彼らの自由への戦いは、ハリウッド映画的説得力がある。ラストは捕虜たちが、不屈の闘志と機知で見事日本側をとっちめて、自由と勝利の大脱走!って映画のほうが、スカッとするとはず……だが、もちろんそんなことにはならない。
それじゃあ別の物語になってしまうからね。
ともかく、私が産まれるずっと以前の話とはいえ、周囲の国々の皆さまには、つくづく申し訳ないことをしたと、心から謝りたいと思います。
ごめんなさい。
これが、古い過去の悲劇というだけなら、戦後生まれの私は、まだ気も楽なのだが。
きょうび、2005年。
イラクに派兵された陸上自衛隊が、旧日本軍の中国統治を教訓とし、また、日本国民を対象にした世論誘導の情報戦を展開していたことが、ニュースによって明るみになった今日このごろ。
どひ。
60年前のアジア侵略のノウハウから多くを学び、我々はイラクで何をしようというのでありましょうか。
つーか、私たちの軍隊がイラクで何をやらかし、これから何をしでかそうとしているか、古い教訓から簡単に推し量ることができるのね。
しっかし。これ、将来の危惧でもSFでもなくて、いま現在のお話っすよ。
中国統治を教訓にしたイラクでの国際援助。あわわ。
「人間の条件リターンズ・デジタルリマスター版」は、ひとつひとつ身をもって体験できるという素敵な時代。
は〜。教訓ねえ。
漫画の主人公の勇午が、教訓について、いいこと言ってるよ。
「悲しみから学ぶことだ 悲劇をくり返さぬ方法を!」
しかし、今日を生きているだけで、みんな精いっぱいなんだよなあ。
正直、自国の軍隊がよそんちで何をやっているかなんて、かまっちゃいられないよね?
厚生労働省の調べによりますと、国民年金保険の保険料を払えずに、滞納している世帯が約
4610000世帯
になっていることが判明したそうだ。
もちろん、過去最高。
この4年間に、3倍増だって。
痛みに耐えて構造改革、この4年間の大戦果!
一時期は8割を超える国民がアノカタを支持してたけど、いま振り返ってみて、なんとも、むなしい結果だよね。
まあ、支持したひとたちの気持ちはわかるんだ。
2、3年“痛み”を我慢すれば、その後はおいしい思いができると、ちょっと欲かいたんだよね? テレビもそう言ってたし。
痛みに耐える側は、
死ぬまで痛いまんまって、誰も教えてくれなかった
もんな。
でも、アノカタの言う構造改革によって、「自分は良い目を見れるのだ」と信じちゃったのも、どうかと思うよ。
「うまい話はないか」、「よい目を見れるんじゃないか」、と欲をかくから、目が曇るんだよ、厳しいことを言うけど。
とにかくまあ、おいしい思いをするために数年我慢するつもりが、その期間じゅうたっぷりと痛めつけられて、今となっては、騙されたと不満を言う元気もありゃしない。
スタインベックの
『怒りの葡萄』
そのまんま。
文句言いません、駄々こねません、仕事恵んで、と言う以外、どうしようもない。死ぬ日までは生きなくちゃいけないもんね〜。
私たちはこれから、約60年周期の地獄を繰り返すことになるようだけど、私はこの地獄を生き残れない自信だけはたっぷりとあるので、感じたことを最後まで正直に書き続けることにします。
これでも本人は、悲壮感たっぷりだったりするんですよ、ハイ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

気を取り直して。
個人的なお奨め本リスト、映画編。
う〜ん、しかし、よくよく考えると、
映画って、読むもんじゃないんだよね。
(;^-^ゞ
それでも、以下の4冊を。

『そして映画はつづく』アッバス=キアロスタミ著
『イラン映画をみに行こう』
『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではなく恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』モフセン=マフマルバフ著
『アホの壁in USA』マイケル=ムーア著

『そして映画はつづく』は、天才キアロスタミ監督についての本である。
タランティーノは
「キアロスタミは10年に一度の作家!」
とおっしゃっているらしいが、これほどの天才が10年に一度などという頻度で出現するはずがない。どう謙遜しても、50年に一度現れるかどうかという天才だろう。
竹中直人監督は、
「彼の作品を観て、真剣に自殺を考えた」
とおっしゃっているが、どうしてだろう? ありとあらゆる次元で自分の能力を凌駕している人物の存在は、喜びではないだろうか?
まあとにかく、キアロスタミは、同業者から見てもちょっと飛び抜けた存在らしいのだ。
この本では彼の映画術や、映画撮影の裏話について、あれやこれやの解説やレポートが報告されている。
面白いのは撮影の裏話で、出演者やスタッフの心理をたくみに操作し、方向づけるやり口は、感心するやら恐ろしいやら、という感じだ。
『友だちのうちはどこ?』の例のシーンは、あんな心理操作のテクニックを使って撮影されていたのか……(ネタバレ自粛)。
キアロスタミ監督ファンには、お奨めの本だと思う。

『イラン映画をみに行こう』は、タイトルどおり、さまざまなイラン映画を紹介する目的で出版された本だ。
装丁は可愛らしい作りになっているし、美しいスチール写真もふんだんに使われていて、小さな写真集のようにも読める。
映画の宣伝用などに使われたスチール写真をページの上に並べて、それがどれも美しいというのだから、イランの映画監督たちの“絵”を作る能力、色彩感覚の鋭さに、感嘆するしかない。

『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではなく恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』とは、またまた長いタイトルの本だ。イランの映画監督、モフセン=マフマルバフが著者だ。
この本は、
『カンダハール』
という作品がフェデリコ=フェリーニ賞を受賞したときの監督のスピーチから始まる。
一部、どうぞ。

「もしも過去の25年間、
権力がひとびとの頭上に降らせていたのが
ミサイルでなく書物であったら、
無知や
部族主義や
テロリズムが
この地にはびこる余地はなかったでしょう。
もしもひとびとの足もとに埋められたのが
地雷ではなく小麦の種であったなら、
数百万のアフガン人が
死と難民への道を辿らずにすんだでしょう。」

「この賞に与えられるものがパンであったなら
飢えたアフガニスタンのひとびとに
分け与えることができたでしょう。
もしこの賞が雨であったなら
アフガニスタンの乾いた地に
降らせることができたでしょう。
もし自由の嵐であったなら
アフガン女性のブルガに向けて
吹かせることができたでしょう。」

……。
この授賞式の声明、まるで詩じゃん。
すげえよ。ただ映画を撮るのがうまいってだけじゃないよ、イランの映画監督たちは。

『アホの影in USA』は、マイケル=ムーアの傑作ドキュメンタリー映画『華氏911』とあわせて読むと良い、ということで、映画のリストに。
彼の映画作品は、チャップリンの『独裁者』と同等の歴史的価値を持つが、著作も負けず劣らず素晴らしい。テレビを観る時間を削っても、読む価値のある本だ。

さてと。
せっかくだから、映画そのものも一本だけ。やっぱり、本だけじゃね。
この日記で過去にご紹介していない(と思うんだけど)中から、


『トーク・トウ・ハー』ペドロ=アルモドバル監督

を。
これ、ものごっつ、ヘソ曲がりな映画。
(;^_^ A
映画を観た観客が、感情移入できないよ〜に作ってある
という、
ふつーはありえないほどのヘソの曲がりかた
なのだ。
よりにもよってこれをお奨めするワシも、当然へそ曲がり。
(;^_^ A
この映画は、公開時の宣伝でも
「孤独を知るすべてのひとびとに贈る 21世紀の愛の賛歌」
ということになっていて、実際、映画を観た多くの若い女性たちも、究極の愛の姿に涙したそうだ。
……それ、あかんて。
まずいって。
感動なんかしたら、最悪やって。
監督が、観客をエンターテインする気がさらさらない映画、つーか、観客が映画に没入したり、登場人物に感情移入したりすることを
徹底的に拒んだ映画
それが『トーク・ツウ・ハー』なのであるからして。
この作品に涙したりしたら、この映画監督、自分の映画作家としての力量に絶望して、自殺してしまうかもよ。
「感動しました!」という観客の反応を聞くたびに、この監督、マジで落ち込んでいったろうなあ。
(;^_^ A
わしら人間は目を開けたままスヤスヤと眠りこけており、それぞれの眠りの孤独な夢の中で、
ぽわわ〜ん、愛〜、
といつまでも呆けているのだ……というのが、この映画の主張であり、この監督はそういうポワワンなワシらを、ゆすぶり目覚めさせるのを目的として映画を作っている。……らしい。
「オイラの映画で、ぜったい、気持ちのいい夢は見させませんぜ
という監督の気概にみちみちた、感情移入全面否定の物語なのだ。
賛否は別にしても、その異常さに私、腰が抜けました。スペイン映画って、どうしてこうもヘンテコなんだろう?
(^_^;)
感動・涙・ロマンを、物語から取り除く作業に対する監督の情熱は、これはすさまじい!どんなに小さな感動も、しらみつぶしに消してゆく。
偏執的なまでのこだわりようだ。
こりゃ、きわめつけの変態だな。
(;^-^ゞ
しかし、それでも、この映画のテーマは愛だったりするから、面白いんだなあ。ニセモノをドラスチックに否定しきってしまうことで、見えてくるものがあるのな。P=K=ディックの『流れよ我が涙と警官は言った』的手法とも言える。
映画を撮るのも、観るのも、けっこう難しいものだと思わずうめく、映画オタクのための映画っす。
この映画を観て、みなさんも
「なんじゃあ、こりゃあ!!」
と正しく反応し、落ち込んだ監督さんを一刻も早く喜ばせてあげてください。
d(-_-)

ごめん、もう一本。

『ショー・ミー・ラブ』ルーカス=ムーディソン監督

も。
ひとことで言うと、スウェーデンのふたりの女子中学生どうしが、恋愛感情を基礎としたパートナーシップを結ぶという青春物語。
はっきり言うと、レズビアン恋愛映画だ。
気になる相手は、同性だった。さあ、どうするか? 自分の想いや気質に忠実に、どこまでもつっ走るべきか、それとも、ブレーキをかけるべきなのか?
同性である相手を性的なパートナーとして受け入れるかどうかという決断の重大さは、地域社会における彼女たちの立場を考慮にいれた場合、それが異性であるときよりも格段に重い。
そうした、恋愛の当事者が女性同士であるというしかけが、くだらない“現実”や、どうでもいい既成概念を遠く置き去りにする方向へ、主人公たちをなかば強制的に追いやっていく。
とまあ、そういう難しい理屈を考えなくても、ひたすら爽快で、
最高にクールな
青春映画だと思う。
青春映画なので、具体的なシーンなどはなく、明るくまじめな作品だから、同性愛に偏見を持ったりせずに、観てみてはいかがか。

さて。話題はお奨め映画と大きくずれるのだが、人気映画『マトリックス』の監督のウォシャスキー兄弟のかたいっぽうが、
性転換して女性になったそうだ。
思いきったねえ!

正直言って、『マトリックス』は観たことない(←!)のだが、名前は何度も聞いたことがあるので、へえ、と。
ちょっといい話(?)かなと。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

次はデザインですね〜。

『The Non-Designer's Design Book』Robin Williams 著
『ビバ!おりがみ』前川淳 作・笠原邦彦 編/著
『Macintosh Museum』柴田文彦著・Mac power編集部 編
『Swedish Style』

『The Non-Designer's Design Book』は、デザイナーでない人たちがデザインを行なうためのマニュアル本だ。
自宅のプリンターで名刺を作るとか、会社の社内報を作るとか、ウエブサイトを立ち上げるとか、そういったときにこの本は重宝するだろう。奇をてらったとこはまったく触れもせず、とにかく基本をきっちりわかりやすく教えてくれる。こういうマニュアル本を作らせたら、やっぱりアメリカ人は本当にうまい。

『ビバ!おりがみ』は折り紙の本。
う〜ん、ジャンルとしては、デザインというよりもアートのほうだったかねえ。
「求められる造形上の各要素を満足させてくれるのは、「図形の原子」という考えかた。そして、それをみごとに構成してゆくゆるぎない基本形。
まるでデッサンするように正確に、さまざまな形が創造されてゆきます。」
なのだそうだ。
ハサミも糊も使わずに、正方形の紙を折ったり、広げたり、押し込んだり、潰したりすることによって、これほどまでに精妙な造形を作り出すことができるという「純粋な驚きを、ぜひ。

『Macintosh Museum』は、1984年のMac誕生以後の、歴代マシン50種類、写真150点以上を掲載した、いわばMacのカタログだ。
写真画像だけでなく、
ジェフ=ラスキン、ビル=アトキンソン、アンディー=ハーツフェルドらのインタビューも掲載されている。
Macの中古はなかなか値下がりしない。機能の面では最新のものより数段落ちても、そのスピリットが、素晴らしいからだ。
古ければ古いほど、素晴らしいのがMacだ。
不思議な話だが、本当だ。
私がじかに見た中で、もっとも美しい夢、それがMacintoshだった。
いつかどこかで、あの美しい理想が、なんらかの形(Macでもパソコンでもない、別の何かかもしれない)で蘇る日が来ると、私は信じている。

『Swedish Style』これは本当は、弟の本。
カタカナで書いて「スウェーデン=スタイル」と読む。スウェーデンのデザイン文化とファッションについての軽い読み物だ。
「インテリアからアウトドアまで生き方をデザインする」という副題がついている。
スウェーデンでは何もかもが素晴らしいに違いないという弟のモウソウ、もとい、ユートピアを求めてやまない気持ちを、より強化するための情報源として、この本は機能しているらしい。
スウェーデンで暮らしているひとたちの日常の一部をかいま見て、弟は自分自身の理想に一歩近づく。
それは、現実のスウェーデンの地域共同体とは別物……とまでは言わないけれど、やはり、彼の頭の中の世界なのだ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

最後は音楽でしたっけ。
しかし、リストわけしておいてなんなのですが、音楽の本なんて一冊も持ってません。
(;^-^ゞ
つーわけで、去年購入したCDから、好きになったアルバムというよりも、もっとも衝撃を受けた一枚を。

『チャイコフスキー交響曲4、5、6』エフゲニ=ムラヴィンスキー指揮/レニングラード=フィル

猟奇的
なんて書くと、聴いたことがないひとはきっと誤解するんだろうな。
つーか、誤解されるような書き方が私は好きみたい(笑)。
(;^_^ A
とにもかくにも、腰が抜けたのひとこと。
正直たまげた。
本格的かつ“すげコワ”な演奏なのだ。
気持ち良く歌う部分がまったくない! 音楽の中から、徹底的に歌う部分をこそげ落としたような、そんな感じ。
であるにもかかわらず、これが
チャイコフスキーの決定版!
と思わせるような、由緒正しさのようなもの、有無を言わさぬ説得力がある。
コエエです。
けっこう、ムラヴィンスキーさんの主観に彩られた演奏なのだと思うのだが、主観もここまで極めると立派な王道、というよい見本。
私のような音楽音痴がこれだけたまげるのだから、クラッシックを聴かないひとでも、じゅうぶん楽しめると思う。
あなたも、腰を抜かしてください。
(;^-^ゞ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

以上、お奨め本リスト終わり! 楽しかった〜。
こういうのは、書いてる本人だけ楽しかったりするんですよね。
(;^-^ゞ
書いている途中で思いだしたり、押し入れから見つかったお奨め本もあったけど、これは、別の機会ということで。




「突撃漫画月間」
(2005.1.31)


今月は、「突撃漫画月間」とも呼ぶべき、怒濤の新刊漫画ラッシュで明け暮れた月あった。
『バルバラ異界』萩尾望都/著
『のだめカンタービレ』二ノ宮知子/著
『ぼのぼの26巻』いがらしみきお/著
『おおきく振りかぶって3巻』ひぐちアサ/著
『フルーツバスケット16巻』高屋奈月/著
『ガラスの仮面42巻』美内すずえ/著
『村上かつら短編集2巻』村上かつら/著
『CUE2巻』村上かつら/著
『ピュー!と吹くジャガー8巻』うすた京介/著
新刊だけで、こんだけも。
(;^-^ゞ
『ヘルタースケルター』岡崎京子/著
『名たんていガゲマン』やまねあおおに/著
『踊る島と昼と夜』深谷陽/著
『汚れた弾丸〜劣化ウラン弾に苦しむイラクの人々〜三枝義浩/著
『カバチタレ!16巻』田島隆・原作/東風孝広・絵/著
『夕凪の街 桜の国』こうの史代/著
『ぱじ』村上たかし/著

も買ってしまって、漫画地獄。
(;^-^ゞ
しかし、数もすごけりゃ、内容も濃い〜。
買うばかりでまだほとんど読んでいないんだけど、楽しみです。
何年も待ったかいがありました、『村上かつら短編集2巻』
しかし、帯のあおり文句の、
「伝説っぽく語られてきた
短編たちがついに一冊に!!」
“ぽく”ってなんすか(苦笑)。
ちなみに、短編集所収短編『いごこちのいい場所』の物語の枠組みは、編集の入れ知恵だろうなあと雑誌掲載時に推測しておりましたが、当たりでした。
編集者と作家との力量がまったくつり合っていないことからくるさまざまなゴニョゴニョゴニョ……(自己検閲)。
(;^_^ A
「そ、そんな設定はいやだ!!」
という作り手側の気持ち、よっくわかりゴニョゴニョ。
そして、この漫画は、後書きがいいのである。後書きが読ませる! つくづく不思議な漫画家さんだ。
『ヘルタースケルター』の作者の岡崎京子センセの作品は、初めて手にするんだけど、楳図かずおセンセの『私は真悟』に強い影響をお受けになったと発言なさっているのを耳にしまして、購入。
一見、楳図かずおセンセと似ても似つかぬように見えて、実は……。
「みんな何でもどんどん忘れてゆき/ただ欲望だけが変わらずあり、そこを通りすぎる/名前だけが変わっていった」
という一文がむちゃくちゃに怖い、ホラー。
『汚れた弾丸〜劣化ウラン弾に苦しむイラクの人々〜』は、タイトルどおりの、告発漫画。少年マガジンは昔から、こういう地味だけどいい仕事をしてるんですよね。
『おおきく振りかぶって3巻』は書き下ろしたっぷりで、もう、しあわせ〜。村上かつらセンセの作品もそうなんだけど、作り手の心の清さが行間(コマ間?)にあふれていて、ワシのような人間にはひたすら眩しいです。ハイ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

漫画ばっかり読んでいないで、仕事せい、仕事。(;^-^ゞ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

個人的なお奨め本リスト、絵本編。
絵本……。
商売柄、言いづらいなあ(笑)。
品切れもしくは絶版になってしまった作品から、個人的なお奨めをさらさら〜と(笑)3冊ご紹介しよう。

『おてがみ』文なかがわりえこ・絵なかがわそうや著
『ながいおはなのハンス』スタシス=エイドリゲビシウス著
『ギャンブル好きのおばあちゃん』ダイヤル=コー=カルサ著

『おてがみ』は私にとっての、最高の猫絵本。
誰が何と言おうと(笑)。
この絵本は私が幼少時に読んで、そのまま忘れ去っていたのを、弟が大切に保管しておいてくれたために、今も手に取ることができる。
なんと素晴らしい弟か
ひたすら兄思いの、三国一の弟だ。これからも、その調子で頼む。
とにかく、弟のお手柄により、私はこの猫絵本を今も観賞することができる。描かれた猫の素晴らしさは、言葉では言い表せない。
ベスト、な絵本だ。
ちなみに、収集家というほど熱心ではないけれど、私は猫絵本を集めているが、他のありとあらゆる猫絵本は、この『おてがみ』を基準に監査されることになっておる。
去年買った猫絵本の中で、いちばんのお気に入りは、
Meilo Soの
『Gobble,Gobble,Slip,Slop』
であった。
どうでもいいけど、フィリップ=K=ディックの『火星のタイムスリップ』を連想させるタイトルだ。
ガブラーがガビッシュして、ガブル、ガブルしてしまうあの小説だ。

『ながいおはなのハンス』も絶版絵本。スタシス=エイドリゲビシウスの描く絵が私は大好きで、この絶版絵本は、定価の倍ほどもかけて古本屋で購入した。
定価よりも高い古本を買うとは。
痛恨の出費である。
画風は、ひとことで言うと、不気味な絵だ。
画家がもう一歩踏み込んでしまえば、絵本としてそれは悪趣味だろうし、一歩後退すれば今度は、薄っぺらでこけ威しな絵になるだろう。なんとも微妙なバランスの上になりたっている絵である。
絵描きさんとしてのきわどい力量に、いつも感心させられる。
発音することすら難儀な名前とあわせて、忘れ難い絵本作家さんだ。この絵本作家さんに最初に注目したのも実は弟だ。
どうやら、弟は私の数倍センスがいいらしい。うらやましいことである。

『ギャンブル好きのおばあちゃん』は、
『ゆきのねこ』
と並ぶ、ダイヤル=コー=カルサの傑作絵本だ。
こういう絵本には、なかなか出会えるものではない。
ただ、『ギャンブル好きのおばあちゃん』というタイトルが悪いわな。
なんとももったいないことです。
さて。
「絶版絵本ばかりを紹介されても、読めないじゃん」
と言われるむきのために。変わった絵本を一冊ご紹介。

『COSTUMES for your CAT』リン=チャン著

カタカナで書くと『コスチューム=フォー=ユア=キャット』となる。
直訳すると、『あなたの猫のためのコスチューム』という絵本だ。
古い靴下や、ムースや、ドライヤーを使って、猫をドレスアップしたり、変装させたりし、それを眺めて楽しむ本、というと、猫虐待じゃねえか、と思われるかもしれないが、ぜんぶシャレですから。
リン=チャンの描く猫が、独特で、愛らしい。
見ようによっては、猫というよりも、小鳥か何かのようでもある。
そんな猫たちが、「強盗猫」や「後ずさりする猫」や「スター=トレック猫」や「ハイウェイ=パトロール猫」に変身して“魅せる”。
これらの変装は、実行するのではなくて、あくまでもリン=チャンの絵本の世界を楽しむためのものだ。
持っているだけで、ちょっと自慢したくなる絵本である。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

絵本は終わり。
次のファッションは、これはパスしよう。ファッションなんて関心ゼロだもん。
『禅寺のナンたら』(タイトルを忘れた)というようなタイトルの
禅坊主の写真集を持っていたりするが、どこにかたづけたのか、探しても見つからない。
つーか、『禅寺のナンたら』で、ファッションを語る気か、ワシ!
(;^-^ゞ

『ブラの本』青山まり著
『ハワイアン・ロコガール流手作りビーチウェア』

の2冊くらいかなあ……。これでファッションと言えるのかなあ。

『ブラの本』は、色鉛筆でいろいろなブラジャーの挿し絵が描いてあって、その絵に魅かれて購入した。
私には身に付けるためのブラジャーは必要でないから、それらの挿し絵を眺めて楽しんでいる。
色鉛筆で描かれたブラジャーは、現物の生々しさがなくて、いつまで眺めても、飽きないのだ。
下着としてのブラジャーが果たすべきさまざまな機能と、見た目に細やかでカラフルな美しさが、私の心をとらえる。
と、書けば書くほど変態扱いされそうで、ちょっとコワイ。
(;^-^ゞ
も、もういいっすよね。
今日は、これまで。




*ビタミンの歌*
(2005.1.29)


傑作映画を観た。アトム=エゴヤン監督の
『アララトの聖母』
である。
トルコ政府によるアルメニア人の大殺戮という、歴史事実を描いた映画だ。
と言っても、「アルメニア人の大殺戮」という歴史の事実を知っている日本人は、実際のところ、ほとんどいないだろう。
虐殺の加害者側であるトルコ政府が、今だ、虐殺の事実を認めていないからだ。
……どこかで聞いた話だよなあ(笑)。
つーか、世界中でうんざりするほどありふれた話なんだよね。
恥ずかしい話だけれども。
以前、韓国のひとたちが戦後の賠償を日本政府に求めてデモしているニュースをテレビで見ていたとき、当時の職場の同僚の女の子が、
「昔の出来事をいつまでも根に持って、韓国人って執念深くてヤ
と言ったことがあった。不思議なことを言うものだと驚いたので、よく覚えている。
彼女は、例えば今まさに大問題になっている北朝鮮の拉致問題について日本側が抗議したとき、
「昔の話をいつまでも根に持って、日本人って執念深くてヤ
という返答が返ってきたとしても、平気なのだろうか?
「平気です」
とは、おそらく彼女は答えないだろう。
私たちはこちら側の人間で、相手はあちら側の人間だ、というような対立軸のみによってしか世界を評価できないというのなら、人間が人間を抑圧し、弾圧し、虐殺するという事態は永遠に続く。
日本(トルコでもドイツでもアメリカ合衆国でも何でも)は民主と自由の国であり、それを世界に“指導する側”であり、いっぽう、あちら側は野蛮で封建的で“未熟”な国々であるから、我々は彼らに民主と自由を教えてやらねば“ならない”のだ、という大前提。
あくまでも我々は彼らを“導く”のであり、彼らはそれを受け入れなくては“ならない”のだという無意識の前提だ。
その前提があくまでも
無意識であるが故の、傲慢さ、破廉恥さ
は、正直筆舌に尽くしがたいレベルだ。
我々の言う、日本人としての大いなる誇りは、かくして守られる。
話を戻して。
この映画は、深読みにつぐ深読みのできる、いい意味で難解な映画である。むずかしいぞ〜。
主人公の義理の妹を、たんなる引っかき回しと観ていては、この映画はちっとも面白くない。彼女は、地域社会ごと文字通り絶滅させられたまま、その事実を告げる声さえ奪われたひとたちの絶望と怒りの体現者なのだ。……というほど単純でなかったりして、めちゃくちゃ難解だ。
(;^-^ゞ
いっぽう、主人公の母親は、アルメニア人の数少ない生き残りの末裔であるが、その苦しみを学術的にしか理解していないため、映画の中で断罪されるのである。
……というだけでも、これまたなかったりする。
これだけ深読みできる作品は、タルコフスキーの諸作品や、
『エイリアン』
以来だ。
……いま、ぷっと、笑ったでしょ?
まじ、『エイリアン』って、けっこう深読みできるんだって!
例えば、エイリアンって頭でっかいでしょう? あの頭の形状では、脳がたくさん詰まっている知的生物になってしまうから、飛び出すアゴを収納することにして解決した(んだろう)とかさあ。
エイリアン短命説とか、特有の生殖方法(エイリアン2でだいなし)の考察とか。
鼻で笑わないで〜。
『エイリアン』なんか持ち出すから、発言に説得力が無くなるんだよなあ。わかってるんだけど、ウケ狙うのが関西人の“血”でして。
(;^-^ゞ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

個人的なお奨め本リストを、アート・写真/文学/人文/コミック/絵本/ファッション/映画/デザイン/音楽のジャンルわけで作成している途中。
次は、コミックだったっけ。
これも、好きな作品をダラダラと並べても面白くない。つーか、ダラダラ書きだしたら、リストだけでスクロールするのがやんなるくらいに長くなってしまう。
で、品切れもしくは絶版になってしまった作品から、個人的なお奨めを6冊あげてみよう。

『デビルマン(初回発行原典版に限る)』永井豪著
『オフィス北極星』作:真刈信二 画:中山昌亮著
『流浪青年シシオ』加藤伸吉著
『わたしは真悟』楳図かずお著
『アキオ紀行ベトナム』深谷陽著
『ヤサシイワタシ』(特別枠)・ひぐちアサ著
『海猿』(特別枠)・佐藤秀峰著
『マイホームみらの』(21世紀枠)桜木雪弥著

えーと、8冊になってるよ。しかも『ヤサシイワタシ』と『海猿』は、絶版になってないし。
(;^-^ゞ

『デビルマン』については、さすがに皆さんご存知だとは思うけど、一応念を押しておくと、テレビアニメ版とはまったく別の作品だし、最近上映された映画版とも違う作品。
『鉄腕アトム』や『ドラえもん』とはまったく別の意味で、古典となっている、
奇跡の名作。
作品の内容はもちろん素晴らしい(というかすさまじい)が、そのカットワリと構図の前衛的なこと! 正直『アキラ』よりも素晴らしいと思う。とくに、“牧村家の惨劇”の前後のコマとページの運びは、尋常ならざるレベルだ。
ただこの作品、改定につぐ改定を重ねて、そのたびに内容が悪くなっていくという悲しい状態になっている。初回発行原典版に限るとは、そういう意味だ。古本屋さんで見かけたら、少々高かろうがゲットしてみてください。

『オフィス北極星』も絶版である。
ニューヨークでリスクコンサルト業を営む“ゴー”が、アメリカの慣習に無知な日本企業のためにさまざまな問題を解決していく、というのが簡単なあらすじ。
アメリカ合衆国は“理念”というもので国家が成立している、という、日本人にしてみればその出発点からして理解しがたい大前提が、読んでいて非常に興味深い。
アメリカという巨大で複雑な国家の内部で、日々沸き起こるありとあらゆる社会的な問題。そのひとつひとつに、きっちりと真面目に正面から向き合うことで、アメリカの理念と理想を維持してゆくのだ、というのが、彼らアメリカ市民の「たてまえ」だ。
アメリカ合衆国は、本音とたてまえの、たてまえを極めて重要視する、ある意味、抽象的な国家である。
いっぽう、「さらに効率よく儲けること」という企業目的自体が、共同体を支える唯一の土台となってしまっているような日本の社会がある。
そうしたぺらんぺらんな本音ばかりをむき出しにする、貧困きわまりない社会システムの内側から、一歩たりとも踏み出さないような日本企業側と、アメリカの理念は、作品の中で猛烈に反発しあう。
いわゆる、貿易摩擦、と言われた現象の、その実態だ。
もちろん、アメリカの理想と理念は、アメリカの内部にしか向かうことがない、身内にっとってだけのご都合主義な理想だ、という批判ももっともだ。
たしかに、ある意味手前勝手な「たてまえ」なのだけれど、それはそれとして、アメリカ合衆国の良き部分、もっとも注目すべき部分というのは、たてまえをあくまでも貫き通そうとする姿勢、ここだと思う。
マイケル=ムーア監督のような人物を、その内部から産みだす力を、アメリカの“理念”は持っている。
そもそも、社会正義という概念すら、日本人には目新しいのではないだろうか。

『流浪青年シシオ』は、漫画版
寅さんである。
って書くと、みんな誤解するだろな。(←じゃあなぜ書く)。
主人公があっちこっちで失恋して歩くという話じゃないので、念のため。
現実を飛び越えていくことの爽快さ、想像力を働かせることの内面的な豊かさを、なんの気負いもなく描くことは、簡単そうでいて、これが実に難しい。曲がりなりにも絵本の仕事などしてると、つくづく感じるわけです、ハイ。
寅さんは、現実の向こう側のひとだ。だからこそ、すべての恋は破局に終わるし、けっして妻をめとることもない(できない)。
寅さんの映画では、寅さんが文化的落後者で居続けることで、かろうじて彼が、現実を飛び越えていくことができるという仕掛けがある。
……アウトサイダーは、幸せになれんのな。
(。-_-。)
漫画『流浪青年シシオ』は、さらに奔放に、痛快なまでに現実の制約を後にして、想像力が自由に羽根を広げる。どこまでものびやかだ。
こういう物語は、描こうったって、なかなか描けるものではない。才能の違い、というやつなのだろう。
それと。
最近の娯楽作品は、映画でも漫画でも音楽でも、「さあ感動してください」「さあ盛り上がってください」というふうにやたら押しつけがましく、だんだん
ドーピングでもやっている
ような気になってきてしまうのだが、この漫画は、読み終わってからじっくりと感動が沸き上がる、
ナチュラルハイな傑作
だ。

『わたしは真悟』は、単行本版は確かに絶版であるが、文庫本が出回っているらしい。まったくないよりは、まだいいだろう。
しかし、文庫本は、ちまちまして読みにくいんだよな。なんとかしてもらいたい。
楳図かずおセンセは、日本漫画界きっての天才である。手塚治虫センセがいなければ、「きって」を「最高」に置き換えてもよいだろう。
そのセンセの傑作長編を絶版とは……。
愛を描かせて右に出る者のいない作家、シオドア・スタージョンの右に出てしまった作品、それが、『わたしは真悟』だ。
しかし、この漫画は、楳図かずおセンセの作品群の中でも、ずいぶん低い評価を下されがちな作品だ。
低い評価の中で、もっとも多いのが、
「何を言いたいのかわからない。何を描いているのかわからない」
というものだろう。
世界の中心で「好き」だの「愛してる」だの言って、そう言っている自分にひたって酔いしれる楽しさが、私たちの言う愛なのだから、皮肉でも何でもなく、いつまでたってもこの作品は私たちにとって、「なんなのですか?これは?」であり、「ちょっと奇妙なホラー(!)作品」のままであろう。

『アキオ紀行ベトナム』も絶版。
どうなってんだろ。
少し前のベトナムブームの火付け役とも一部で言われている紀行漫画であるが、ちゃらちゃらしたところのない、極めてまじめな傑作。
巻末に、続編の『アキオ無宿中華』が予告されていたはずだが、今だ実現していない。
グローバリズムにゆれる現在の世界情勢をふまえて、もう一度アキオの旅を追いかけてみたいものである。

『ヤサシイワタシ』は、版を重ねて大人気発売中。
えっ?絶版じゃないじゃねえか、とお思いですか? ごもっともです。
私は、『ヤサシイワタシ』の大ファンで、この作品を特別扱いするのであります。
昨日の晩、またまた読み返してみたんだけど、なんつーか、もう、
メロメロ。
映画化するんだったら主題歌は椎名林檎さんだなー、とか、一晩中モウソウに励んでいたりして(苦笑)。
ラストの“例のシーン(ネタバレ自粛)”は、マーラー交響曲3番の最終楽章を使ったらいいんじゃないかとか。
最終楽章の冒頭から、12分め(バーンスタイン指揮・ニューヨークフィル比)のあたりは、こうして……。
(;^-^ゞ
あのモノローグのところで、最後の7分間あたりを……こう……。
モーソー大爆発。
(;^-^ゞ
生きて今ここに存在することを、“理由”を超えて全肯定しようとする姿勢……それでいて、勝利や歓喜をストレートに歌いあげるわけでもないという一筋縄ではいかないあたりが、シンクロするんじゃないかと。
いやあ、書いてて涙がこぼれてきたよ(笑)。
う、美しい。
………………。
……なんの話だっけ?
(;^-^ゞ

『海猿』も好評発売中の作品である。いや、(特別枠)ということで。
一応、連載は終了した完結作品だし、連載継続中の
『ブラックジャックによろしく』
を推薦しないだけ、良心的(←?)じゃないですか? え、だめ?
まあ、きっと、皆さん読破ずみでしょうけどね。
……え、読んでない?
素晴らしい! &、うらやましい!
『海猿』という素晴らしいエンターテイメント作品にこれから出会う余地が、あなたの人生にはまだ残されているのだから。
アーサー=ヘイリーよりも10000倍面白い漫画、とだけ言っておきマス。

『マイホームみらの』は、確かに絶版本だけど、おすすめというよりは、まったく個人的な理由により忘れられない作品なので……。21世紀枠(←?)ということで。
『マイホームみらの』は、コスプレメイドさんが活躍するお話。
連載当初はまだ、コスプレという言葉が存在していなかったから、この漫画はある意味パイオニアだったのだけれど、そういう理由で名を連ねたわけでもない。
実は、ヤングジャンプで『みらのちゃん』が連載中だったころ、当時の職場のお友だちと、『マイホームみらの』に登場する女性たちのなかで、誰が好みか?という話になったことがあったのだ。
そのとき私は、主人公のみらのちゃんではなく、引っかき回し役のおてんば娘、山本奈央美ちゃんの名前をあげた。ところが。
それを聞いたお友だちは、暗い顔をしてこう申したのだ。
「あなたは、女性で幸せになることはできませんね、けっして
その言い草が、どういうわけか、ものすご、説得力があってのう。
今から思えば、ノストラダムスの予言のようでもあり、
魔法使いのバアさんの呪いのようでもあり。
……せつない話じゃろう?
えー、本題に戻して。
『マイホームみらの』は、特に3巻くらいまでは、人間が人間をくったくなく好きでいることの楽しさ、嬉しさ、喜ばしさみたいなものがストーリーの底辺にあって、こういう世界の眺めかたは、作り話の中でさえ、最近は貴重なものになりつつある。
気づかぬうちに世界は、私たちの内部から外側に向けて、どんどんせちがらいものに変質している。
みらのちゃんが歌う、ビタミンの歌。これが、いいのよ。
思いつくまま口にする歌詞を適当な節にのせて歌うあの鼻歌は、生きることは素晴らしいと、そう言いたがっているんだよね。




*耳年増*
(2005.1.28)


某国営放送のニュース番組ですが、なんでも、ある特定の政党の質問部分だけをカットして放送したそうな。
首相のお答えだけが、とうとうと流れる放送。
すげえよ、NHK。
ある意味、
さすが国営放送。
(;^-^ゞ
いっぽう、今国会で民主党某代表は、
消費税増税を政府に強く要望
したんだって。
がはは。
野党が聞いてあきれら。
有権者をバカにしきったこういう政治家を、マスコミは持ち上げたりするので注意が必要だ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

先日の日記に続いて、お奨めの書籍を個人的にリストアップしようという企画。
今回は文学の巻だ。かと言って、好きな作品をダラダラと並べても面白くない。素晴らしい作品なのに、絶版になってしまった作品から、個人的なお奨めを4冊あげてみよう。

『大陸漂流』ラッセル=バンクス著
『所有せざる人々』アーシュラ=K=ル=グイン著
『コズミックレイプ』シオドア=スタージョン著
『夜の終わり』ジョン=D=マクドナルド著

の4冊でどないだ?

『大陸漂流』はアメリカ文学史上の最高峰の作品群と並べてもなんら遜色のない、ラッセル=バンクスの最高傑作。小説作家としての技量はスティーブン=キングに肩を並べるし、テーマ展開の見事さ、崇高さは、さらに上をゆく。これほどの高みに達した作品には、そうそう出会えるものではない。
少なくても、西洋世界の文脈においては、普遍的古典となるべき傑作だ。古本屋さんでみかけたら、いちもにもなく買っておいて間違いはない。チョーお奨め。

『所有せざる人々』は、
『闇の左手』
『ゲド戦記』
などで有名な、アーシュラ=K=ル=グインの最高傑作である。この小説はすごい。とてつもない作品だ。ドストエフスキーの
『カラマーゾフの兄弟』
などと同列に扱うべき、人類の文化遺産と言ってもいい。
この最高傑作が、絶版とは……。日本国民にとっての文化的大損失と言わねばなるまい。
『所有せざる人々』とは、タイトルからして素晴らしい。マルクスの言葉のようでもあるし、キリストの言葉からの文脈的引用のようでもある。
ラストは、ほとんど宗教体験と言ってもよいほどの深い感銘に胸を打たれる。

『コズミックレイプ』も、絶版である。スタージョンの作品が絶版とは! 悪の秘密組織の陰謀か!とトンデモ発言したくなるくらいの衝撃だ。信じられない。
テレビをつけても雑誌を開いても、愛だの恋だの騒いでいるのに、愛を描かせて右に出る者のいないスタージョンの作品が絶版という非常識。
結局、我々の愛とは消費・所有・快楽の別名でしかなく、本当の意味での愛については私を含め誰も関心がないのだという悲しい結論にたどり着く。

『夜の終わり』は、スリラー。日本ではミステリーの範疇に入れられることもあるジャンルの小説だ。
犯罪小説、と言えば、いちばん通りがいいのかな?
そう、私だって、ミステリーや犯罪小説を読むこともあるのである。ジョン=D=マクドナルドは、日本では笑っちゃうくらい人気がないのであるが、実力はピカイチである。
古い作家さんだが、古本屋さんで見つけたら買って読んでみると、新鮮な驚きを感じていただけること請け合いである。
そのほかにも、絶版本のなかからSF、ミステリー、普通小説取り混ぜて、

『ファミリーダンシング』デイヴィッド=レーヴィット著
『内死』ロバート=シルヴァーバーグ著
『疫病犬と呼ばれて』リチャード=アダムス著
『センチュリアン』ジョゼフ=ウォンボー著
『これよりさき怪物領域』マーガレット=ミラー著
『ここがホームシック・レストラン』アン=タイラー著

あたりもお奨めしときましょ。
え、絶版本なんて紹介されても、読めんじゃないかって?
あ、えーと、じゃあ、まだ絶版になっていなくて(当社調べ)、しかもそれほど知られていない一品から、

『あの夏の終わり』リサ=グリュンワルド著

を。
ものすごく上品で、せつなくて、女性の皆さまには特にイチオシの小説になっております。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ふ〜。
人文系のお話もしときましょうか。
これは、最近読んだものの中から。

『アホでマヌケなアメリカ白人』マイケル=ムーア著
『メディア・コントロール』ノーム=チョムスキー著
『アメリカ国家犯罪全書』ウィリアム=ブルム著
『図解セックスセラピーマニュアル』ヘレン=シンガー=カプラン著

の4冊でどないだ?
世間では、ネグリの
『帝国』
なんかも極めて評判高いけど、ごっつ分厚いし、難解で、専門用語がびしばし飛び交って、ワシみたいなアホウは頭痛いっちゅうねん。
というわけで、読んで楽しく、わかりやすい3冊を厳選してみた。

マイケル=ムーアの『アホでマヌケなアメリカ白人』は、そんじょそこらの漫画雑誌やミステリー小説よりも面白いぞ〜。
ただ、ひとつだけ欠点がある。表紙が、恥ずかしくなるほどバカっぽいのだ。
レジに持ってゆくとき激しく躊躇すること請け合いだが、内容は、今あなたが想像している1000倍も素晴らしい。ホント、約束します。

『メディア・コントロール』もそうだ。知的なひとは、文章書かせても一流なんだなあ。あいまいなところがひとつもないしな。報道機関がなんのために存在するのか、この本を読んで、私ははっきり知ることができた。

『アメリカ国家犯罪全書』も、おすすめ。タイトルのとおり、アメリカ合衆国の犯してきた国際犯罪についての本だ。辞書のように分厚い本だが、その1ページ1ページがアメリカの犯罪歴なのである。
アメリカ合衆国の、国際法を無視した犯罪行為の被害者名を列挙すると
ギリシャ、イラン、ドイツ、ベトナム、サンフランシスコ、ボリビア、ウルグアイ、ブラジル、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ワシントンDC、パナマ、キューバ、エジプト、南アフリカ、フロリダ、イラク、フランス、マーシャル諸島、イタリア、フィリピン、シカゴ、朝鮮、アルバニア、ニューヨーク、コスタリカ、リビア、インドネシア、ハイチ、ソ連、カンボジア、タイ、ペルー、南イエメン、ドミニカ共和国、東ティモール、アンゴラ、ジャマイカ、韓国、日本、チリ、ロシア、ボスニア、モンゴル、コロンビア、ユーゴスラビア……etc.etc.って、
書ききれるかあ!
( ̄□ ̄;)
ブラジルの『高等戦争学校』のくだりなんて、脱力していいやら、笑っていいのやら。
こういう本を読んでいると、周囲から反米主義者だとか言われてしまうんだけど、反米って、どういう理屈なんだか、私、よくわからんのよね。
犯罪は犯罪じゃん?
それとも、アメリカの行うテロだけが許されるってことなのかな?
アメリカのテロは良いテロ、その他のテロは悪いテロ……、んなわけあるかい!
テロはテロだろうよ。反米と親米なんて基準で態度決定しなくちゃいけない理由がそもそもわからん。

『図解セックスセラピーマニュアル』は、読んで字のごとしの本。
これ、人文にくくるのはおかしいかな〜。
ま、そこらへんは適当ということで。
いやあ、みんな興味あるネタかなあと思ってさ〜。
(;^-^ゞ
ワシもそうなんよ。
(;^-^ゞ
お恥ずかしい過去話ですが、最初のころ、ワシ、あれがぜんぜん良くなくてですね、
「なんで世間はこんなのでギャーギャー騒いでるんだろ?」
てな調子だった。
いや、もしかしたら、私の身体にどこか欠陥があるんじゃないかと不安になりまして、アドラー心理学の先生のところへ行って、なんか、お勉強になるそういう本ないですか?とお訊ねしたところ、お教えいただいたのが、この『図解セックスセラピーマニュアル』だったという話。
内容は、すっごくまじめな、いい本です。ヘレン=シンガー=カプラン先生、いい仕事してらっしゃる。
挿し絵が、またいいのよ。
こういう本の挿し絵って、読むひとを興奮させるためにエロっぽく描かれているか、教育目的が前面に出てやたら、
生物学的
か、どちらかなっていることが多いのよね。
教育はわかるんだけど、オシベとメシベがちーぱっぱ、てな調子で、これはこれで人間味がないような。
この本の挿し絵は、エロでも生物学でもなく、奇麗なのが、すごくいいのだ。
ちなみに、この本の原書があるんだけど、そっちの挿し絵も、とても奇麗。
挿し絵に魅かれて原書も持っていたりする私であった。
え? 肝心のあっちのほうはどうなったって?
ガハハ。
(;^-^ゞ
……豚に真珠?(ボソッ)。
誰かと比較したことも、ないしなー。
耳年増(死語)
になっただけかもしれんね。
ともかく、具体的な問題の解決方法を具体的に紹介して、なかなか有用な本だと思うよ。




「クリエイティブ・ほじゃほじゃ」
(2005.1.27)


先日映画を観た帰りに、日本橋のMac売り場でMacのキーボードを触ってきたのだが、なかなか触り心地がいいので少し驚いた。と思っていたら、リンクさせていただいているサイト
N.TONOSAKI's Personal Station
の大人気コラム、
がんばれ!!ゲイツ君
の最新号でも、アップルのキーボードに好評価が下されておりました。
あー、感じることはみんな一緒なんだなあ。
ただ、このキーボードは新型OSにしか対応していないから、うちの環境では使えない。なんだよ、旧型を使っているとはいえ、長年のMacユーザーじゃんか、見捨てるのかよお。
(*`ε´*)
ウインドウズユーザーも乗り換えやすい最新Mac、というのが最近のアップルの販売戦略だけど、よそのOSからの乗り換えユーザーへの心配りをする前に、
既存のMacユーザーを大切にして欲しいデスヨ!
いや、ほんと、長時間使用しても疲れにくいキーボードが欲しい。
気を取り直して、同じく『がんばれ!!ゲイツ君』からのニュースですが、例のゲイツ先生のアカ発言が物議をかもし、なんと、
「クリエイティブ・コミュニストTシャツ」
なるものが発売されたもよう。
がはは!
ガッツがあるうえに、しゃれっ気があって、いい感じ。
ワシも、オリジナルでこういうの作ろうかな。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

去年の暮れに発売された月刊漫画雑誌
『アフタヌーン2月号』
をようやく購入。すでに3月号が発売されているというのにな。
発売日の午後に本屋という本屋を探してたのだが、どういうわけかどこも売り切れで、最後の手段のネット書店で注文し、本日宅配と相成った。
(;^-^ゞアブナカッタ
約ひと月遅れだが、ひぐちアサせんせの作品をライブで読む(←?)ことが何とか今月もかなった。
ちなみに連載2回目の
『すずめすずなり』
の作者さんは、ずっと以前、姉弟が家出する短編で四季賞デビューしたひとですよね? 自信ないけど。
今回は緊急事態なのでやむを得なかったのだが、ネットで雑誌を買ったのははじめてだった。これといって理由も思いつかないが、どういうわけかちょっと堕落してしまったような、不思議な面持ち。どうせ送料を取られるならってんで、同時に
『STUDIOVOICE』
という雑誌の1月号も購入。
いわゆるサブカルチャー雑誌で、1月号の特集は
「最終ブックリスト320・今手にするべき書籍、完全カタログ!」
となっている。
アート/文学・思想/コミック/写真/ファッション/映画/デザイン/音楽、という各ジャンルから、『STUDIOVOICE』のお奨め書籍をリストにしてご紹介してくれるという企画だ。
実は私、けっこうこの手の企画に弱かったりする。
「この作品が選ばれているのにどうしてあの作品が選ばれていないのだ」
とか、
「この選考はおかしい」
とか、こういう議論じたいそもそも不毛極まりないと知りつつ、つい夢中になったりする。
精神的に子どもなんだな、子ども。
(^_^;)
のせられた勢いで、この機会に私も私の個人的リストを作ってみよう。最近読んだ書籍から、アート・写真/文学/人文/コミック/絵本/ファッション/映画/デザイン/音楽、のジャンルわけで短いリストを作ってみよう。
こんなリストを作成しても、楽しいのは結局私だけだろうが、ま、公開しているとはいえ日記つうことで。
(;^-^ゞ
で、最初はアートになるわけだが、いきなりピンチだ。芸術作品の話をしなくちゃいけないのか。
うーむ。
『A ROOM OF HER OWN』Jennifer leve写真
『幻のロシア絵本1920-30年代』
『Apple Human Interface Guidelines:the Apple Desktop Interface』(日本語版)

の3冊でどないだ?
『A ROOM OF HER OWN』はこの2年間で私が買った唯一の写真集。なんたること、お奨めアート本リストどころじゃないですね、実際。
(;^-^ゞ
直訳すると、「彼女自身の部屋」。いかにも私好みのタイトルで、私を知るひとは、ああ、らしいね、と言ってくださるだろう。

『幻のロシア絵本1920-30年代』は、同名の美術展のカタログだが、これはものすごい! 一時期とはいえ、アメリカと肩を並べるほどの超大国だった旧ソ連が、子どもの教育のために国力を注いで作り上げた絵本の数々。すさまじい、という表現がぴったりだ。難波のジュンク堂の美術コーナーではおそらくまだ販売されているのではないか。これは、本当にお奨めの本だ。

『Apple Human Interface Guidelines:the Apple Desktop Interface』(日本語版)は、コンピューターの本じゃねえか!どこがアートじゃ! と皆さんいっせいに突っ込まれたことでしょう。
いえ、アートです(きっぱり)。
この本の内容は以下のようなものだ。聞いて納得してください。

・Apple Desktop Interfaceの設計思想および開発背景。
ひととコンピューターとの接点。
・インターフェイス設計の基礎となるデザインおよび比喩表現に関する原則。
・ウインドウ、メニュー、ダイアログボックス、コントロールなど、個々のインターフェイス構成要素の詳しい仕様。
・インターフェイスでのカラーおよびサウンド機能の活用。
・各国市場への対応および
ハンディキャップを持つユーザーに対するデザイン上のガイドライン。

これぞ、まさしく、芸術。
細かいことだが、タイトルが「アップルインターフェイスガイドラインで」はなく、「ヒューマン」となっているところに注目。アップルコンピューターを使っているひとのためのガイドライン、アップルのコンピューター上で動くアプリ開発者のためのガイドラインではなくて、「人間」のためのインターフェイスガイドラインなのだ。
人間に奉仕するデザインの、正しいガイドライン。
すげえ、すげえよ、あんたら!

眠くなってきたので、続きは次回。




『ハウルの動く城』感想など(少しだけネタバレ注意)
(2005.1.24)


宮崎駿監督の最新作、
『ハウルの動く城』
をようやく観てきた。
お友だちも声優として出演しているから、観に行けてほっとしている。エンドロールにちゃんとお友だちの名前を見つけることも出来た。
まだ上映中の映画だから、ネタバレは言うまい。……でも、ちょっとだけネタバレしてますから、映画を観ていないひとは、以下の文章を読むときは気をつけるようにお願いします。
(;^_^ A
まあ、しかし、あれだ、この映画は難しいですよ。
世間の評価がいまいちなのは、よく理解できる。
なにせ、
ひきこもり
のお話ですから。
これを知ったら、大衆が支持するわけないわな。そこは監督さんもわかってらして、確信犯的に説明不足だから、これはこれで難解。
(;^-^ゞ
しかし、ストーリーがよくわからないように見えて実はこの映画は、極端に右傾化し、すっかり発狂した社会のただ中で、現実の暴風にほんろうされながらも、なんとか自分の内側にとじこもることで自分を守ろうとするハンサムな魔法使いハウルと少女ソフィー(悪い魔法でおばあちゃんにされているけど)のお話なのだ。
自分自身の命を守るために、魔法使いハウルとその家族は、社会とのかかわりをストイックなまでに限定する。必要最小限の経済活動は行なうものの、あとは動くお城に逃避したままだ。
外界から駆け戻り、扉の前の魔法のダイヤルを回すと、一瞬にして部屋そのものが別空間に移動する。再度、扉を開ければ天国かと見まがうような人里離れた花畑。もしかしたらここは、実在しない頭の中の理想の世界なのかもしれない。実在するとかしないとかは、どちらでもかまわない。現実も現実世界の側の人間も、ここまで追ってこれないという安心。
少女ソフィーが魔法でおばあさんになったのはいいとして、理由も前触れもなく、また少女に戻ったり、またばあさんになったり、腰が曲がったり、また背筋が伸びたりするのも、それがハウルの頭の中の世界、目に見えない何かだからだ(空想とはまたちょっと違うと思うんだけど、ネタバレせずに話すのが難しいので、またの機会に)。
となると、ある疑問がいよいよ大きくなりはじめる。ハウルたちは本気で、甲羅にひきこもった亀のように一生を過ごすつもりなのか? イエス、というのが答えだ。今よりもっと社交的になり、積極的に社会活動もし、積極的かつ健康的に前向きな社会変革を推し進めていく、なんてのは、ハウルに言わせれば
この緊急事態には絵空事
だ。
ハウルのひきこもりの決断は最終手段としての自己防衛である。
ハウル(とその家族)は、家という安全な場所に逃げ込み、頭の中というさらに奥深い安全地帯に逃げ込む。現実社会などという巨大でびくともしない不吉な壁と戦っても勝ち目はないし、そもそも彼らは、戦いを拒否するために現実から逃避しているのだ。戦いたくなければ、逃げるしかない。
それは、決断というよりも、一種の社会的結末と言えるかもしれない。
話が少しだけそれるけれど、例えば、この劣悪な社会環境から
子どもを守るには、子どもを産まないという決断
を選択せざるをえない、と結論したカップルがいたとして、誰が責められようか?
“現実”は醜悪で、下劣で、奇妙なほど徹底的に弱者に容赦がない。“現実”は明白だ。こんな世界に子どもを送りだすのは、「結局は子どもに地獄を体験させる」ことになる、だから、「子どもを愛するがゆえに子どもを産むことはできない」と考えている男女は、無意識的なものを含めれば極めて多いのではないか。というか、
出生率の低下の本当の理由
は、実はここにあると私は確信している。
社会……現実と言い換えてもいいけれど……、社会があなたに要請するありとあらゆる責任を魔法使いハウルは引き受けることが出来ない。
“勝ち組”という名の実質上の犯罪者でありたいとも思わないし、他者を傷つけたくもないし、何よりも自分自身が傷つきたくない。
よって、彼らは頭の中に引きこもる。もちろん、“現実”社会は彼らを放免してくれない。この現実世界では、人間は利用されるか、利用価値がなければ踏みにじられるかのどちらかだ。引きこもりが引きこもりであることを、容認するような社会であれば、彼らは引きこもりになどなる必要はなかったろう。
現実世界が彼らの家を取り囲み、頭の中を外側から締め上げる。
多大な損害を出しながらも、自分の身を守るために、彼らはひたすら引きこもりの戦いを続ける。
目的はただひとつ、
助かること。
これまで私が見たアニメの中でも、もっともなさけなく、もっともちっぽけな、そしてもっとも凄絶な戦いだ。
『千と千尋の神隠し』
から3年。そのわずか3年の月日の流れの中で、社会情勢はさらに手ひどく悪化し、とうとうあのスタジオジブリが、ひきこもり映画を作るような事態にまでなってしまった。
「立て〜ウサギ王国〜♪ 地球がシャレにならないぞい♪(by放浪青年シシオ)」
などと歌っている場合ではない。
現実社会に迎合できず、かといって反社会的に生きることも出来ず、
非社会的に
ひきこもることで存在しようとするひとびとの物語を、
『となりのトトロ』

『魔女の宅急便』
の宮崎駿監督が制作した意味を、ワシらもちい〜と考えなくてはいかんのではないか?
登場人物が逃げ回ったりするのを嫌がる宮崎監督のアニメの主人公が、なりふり構わず引きこもるんだからな。
そこんとこ、ほんと、考えなくちゃ。
とにかく。
この映画のキモは、ソフィーの何気ないこのひとことに要約することができるだろう。
「ハウルは弱虫でいいの!」
このセリフがわからないと、この映画は最初から最後まで、なんのことだがさっぱりわからない。
それと。
宮崎監督、アーシュラ=K=ル=グイン愛読してませんか。
(^_^;)そんな気がする。




『夕凪の街 桜の国』という傑作に出会った日
(2005.1.21)


今日、私の身に、文学的大事件が起こった。
ことは、漫画本を買ったことからはじまる。高屋奈月せんせの
『フルーツバスケット16巻』
二ノ宮知子せんせの
『のだめカンタービレ11巻』
そして、
こうの史代せんせの
『夕凪の街 桜の国』
の3冊だ。
『フルーツバスケット16巻』も『のだめカンタービレ11巻』も、有無を言わせず面白かった。
だが、この2冊については今日は触れまい。
『夕凪の街 桜の国』
私は、女性作家の文学&漫画作品を物は試しで買っていく癖があって、『夕凪の街 桜の国』も、こうの“史代”のお名前で手に取った。
女性作家の作品というだけでなんの予備知識もなく物語を読み始め、それが実は素晴らしい傑作であったという
これ以上ないハッピーエンドな読書体験
をいくどもしてきたからである。あれは、何とも言えない快感なのだ。
だが、正直言おう。私の予想は覆された。『夕凪の街 桜の国』は、傑作なんてものじゃない。傑作の上にいくつもの“大”がつく、とてつもない大傑作だったのだ。
本を閉じて、しばらくはなにもせず、感動の余韻に浸っていたい。女性作家らしい、細かい部分に力のある名作だから、30分ほどたってから、再度読み直す。すると、一度目に読んだときには気がつかなかったさまざまな仕掛けや、作者のメッセージにあらためて気づく。
奥付を見ると、2004年10月20日第1刷発行とある。
こんな素晴らしい大傑作が、3ヶ月前、私に知らされないまま日本じゅうの書店で発売されていたのか。
喜ばしいことだが、3ヶ月のおくれをとった自分の不勉強を恥じ入る次第だ。早ければいいというものでもないけれど。
さて。この漫画作品を読むおつもりがある方は、以下の文章は読まないように。
ネタバレは基本的にしないつもりだけれど、この作品については、なるたけ先入観を持たずに読んだほうがだんぜんいい。
もちろん、あらすじは、書かないでおいたほうがいいだろう。
昭和30年、原爆投下から10年後の広島が舞台の物語だ。と、それだけを言っておこうか。
作品全体にゆきわたる、ある種の覚悟を伴った優しさ、と言葉にしてしまうとそれきりになってしまうが、そうとしか言い様がない。
“ある種の覚悟”は焼け尽くされたヒロシマに生き残ったひとたちの日常のなかで蒸留され、
せつなくきらきらと輝いてる。
この『夕凪の街 桜の国』という単行本は、『夕凪の街』、『桜の国(一)』、『桜の国(二)』という三本の短編で構成されている。それぞれまったく関係のないのように思えた三本の短編作品がひとつにつながったとき、圧倒的かつ静かな感銘が胸を打つ。
私たちは過去・現在・未来のすべてのひとびと、そして、過去・現在・未来のすべての出来事とつながっている。……というこの作品の声無き主張に、私は賛同する。例えばそれは、美しい夕焼けを見たというようなひとりの人間としての小さな喜びもそうだし、原爆という人間が人間に体験させうる、もっとも強大な大量破壊兵器の傷跡もまた、負は負のままに、しっかりと我々を結びつけているはずだ。
原爆の地獄絵図から生きのびたひとびとを掴まえてはなさない、放射能障害と突然の死。
いつまでもぬぐうことの出来ない差別意識。
同じ被爆体験者を、いずれ発狂して死ぬのだという目でしか見れない、極めて過酷な被爆体験を持つおばあちゃんの存在。
原爆という途方もない兵器を開発し、入念な計画のもと投下した側と、それによって破壊され尽くした街のひとびととの、ある種の究極的な対立軸もまた、ひととひととの関係なのだ。
しかし、それでも私たちは、人間としての小さな喜び、善意、親しさのようなものでも、確かに結ばれている。……確かに結ばれていると言い切ってしまえるほどに、この作品はせつない説得力にあふれている。
さりげなくて、過酷で、優しい、
そんな物語だ。
主人公の23歳の女の子が、ひとときの幸福感に月を眺めて、そっと歌っている。

「♪もう
 きょうかぎり
 あえぬとも♪

♪おもいではすてずに
 きみとちかった
 なみきみち♪

♪ふたりきりで
 さーかえろう♪」

このシーンの重さは、読んだものにしかわからない。
ともかく、またもや漫画作品から、日本文学史上に残るような傑作が現れた。

 



重視された活力
(2005.1.19)


今年4月から新しい制度が施行されて、以降、金融機関の経営が破綻した場合、預金者の預金やその利息が
全額返ってくるかどうかわからなく
なる。
皆さん知ってました?
「安定」から「活力重視」への転換を図るための、『ペイオフ解禁』なのだそうだ。
ハハハ。……ハハハ。
(゜ー、゜) ショックヨダレ
『解禁』という響きも手伝って、どんどん元気が出てくる制度であるかのように聞こえるが、言っておくけど、わしらの暮らしはちっとも活力でませんから。
出るわけない。
つまりは、“預金者”の「安定」を切り崩して、“銀行さま”の「活力を重視」するというわけなんだもんな。
(゜ー、゜) ヘノツッパリハイランデスヨ
あなた構造改革するひと、わしら痛みに耐えるひと。あなたから見たら『ペイオフ解禁』も、わしらから見たら、
『ペイオフ・ノストラ大魔王降臨』
でしかない。
市民にはなにかにつけて自己責任、自己責任と言うくせに、銀行の預金者に対する責任は言及しないのかね?
銀行が企業などに見境なしにどちゃどちゃとお金を貸し、あげくにバブル崩壊、窮地に追い込まれた銀行に今度は政府がどちゃどちゃと税金をつぎ込み……という真っ暗な歴史。
最新の日本の歴史だよ。それでどうよ? こういうの、みんなあんたらの責任ちゃうんけ。
「ゼンゼン」とか、かたこと日本語で首振るのかなあ。昔日の缶コーヒーのコマーシャルみたいだな。
日銀の福井俊彦総裁のおっしゃるには、
「大きな認識の転換が必要だ」
なのだそうだ。
「大きな認識の転換が必要だ」なんて、なんちゅう厚かましさ。バカにするにも程があるぜ。もはや、屈辱的。
まあ、あれだ。
政治をバカにする国民は、政治からバカにされる
運命なのよね。どうしてこういうことになったのかを有権者のひとりとしてつらつらと考えると、結論はそこにいき着く。
政治をバカにし続けたことのしっぺがえしが、この惨憺たる現状であるというのなら、その点は有権者の個々人がしっかり反省すべきかもしれんなあ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

英国のヘンリー王子が仮装パーティーで鉤十字の腕章とナチスの制服を着用している姿が報道されて、ヨーロッパじゅうで大騒ぎになっているもよう。
まあ、某N元首相が
「愛読書はアドルフ=ヒトラーの『我が闘争』」
などと発言しても平気の平左な日本国民には、ピンと来ない話かもね。
フランスのシラク大統領は、
「(ナチの犯罪を)記憶にとどめるという不可欠の義務」
があると強調。フランスはネオナチなどの極右勢力の台頭が著しく、こうした発言にも重みが感じられるよね。だからこそ、ここでナチスをきっちり断罪しなおしておくことは、意義があるはず。
マルクス=セーダーというドイツの保守政党の政治家さんは、
「ドイツ政府は欧州の友人である英国政府に歴史の授業でナチス時代からのドイツの歴史に重点を置くように求めるべきだ」
と発言。
過去の日本のアジア諸国に対する犯罪行為を
“自虐的日本史観”
などと言って、なかったことにする日本の歴史教科書運動と、これまたドえらい違い。
自虐的とか自虐的でないとか、そんな論点で歴史を語るのがそもそもどうかと思うよ。そういう日本の内側だけでしか通用しない価値観をもちこんで、どのような発展性がみこめるというのか。
誤解してもらっては困るけど、某N首相が個人的に『我が闘争』を愛読しても、そりゃかまわないと私は思ってるよ。
ここ日本は、
民主主義と自由
の国だから。
いまいましくたって、恐ろしくたって、某N首相がどんな価値基準でどんな本を読もうが基本的に自由。
ただ、そうした発言に対して「批判する自由」もまた保証されているわけですが。自由は無責任であることとは違うし、ましてや某N首相は公人なのだから、その責任も私ら一般市民とは重さが違う。なにしろ国を背負ってるんだからな。そのぶん、さまざまな特権もゆるされているのだし。
まあ、価値と価値観についても、いろいろ思うことはあるけどね。
これは私の私見だけれど、どれほど価値観が多様化し、相対化しても、価値そのものは変わらずにそこに存在するのだと思ってる。価値を相対化してはならないとも、ね。
えーと、ドストエフスキーみたいにうまく言えないな……。
(;^-^ゞ
例えば、ラスコールニコフが強盗殺人をいかに巧みに自己正当化しようと、その行為が人間共同体に対して破壊的であるがゆえに、法うんぬん以前にそれは悪なのである。
……って、どうもうまく書けないみたい。
(;^-^ゞ
くさいことを言えば、この宇宙に貢献しているかどうかという価値基準の必要性を、私はここに主張したいわけです。
いや、ほんと、くさい。
(;^-^ゞ
話はどんどん脱線するけれど、ナチスの主義主張を信奉する自由も、実は、民主主義国家に所属する国民ひとりひとりに許されている。他人に迷惑をかけたり、法律を違反しないかぎりはね(くどいようだけど、ナチスの主義主張を批判する自由も存在する)。
それが民主主義というもので、日本国は神の国だと思おうが、南京大虐殺はなかったと主張しようが、大東亜戦争はアジア解放の戦争だったと考えようが、女性は主婦業と子育てに専念すべきだと吹聴しようが、それを禁止する方法はないし、また、禁止すべきではないと私は個人的には考えているよ(本当にくどいけど、こうした主義主張を批判する自由も許される)。
何を書こうと、何を言おうと自由。
自由は、
“自らの意思で自由を手放す自由”
を、自身の内部に含んでいる。
だって間接的にせよ、選挙投票という民主主義的手続きによって、わしらの“あの”内閣は存在しているんだよ。よおく考えると、なんという皮肉! 民主主義の民主主義による自殺。
民主主義って、じつにあやうい制度なんだよね。
制度として安定しているのは、民主主義よりもだんぜん封建制度だし。300年も続いたりするからな! 船長が選挙でコロコロ変わったりしないし、基本的に農民はいつまでたっても農民だし、商人の子は商人だし。安定という側面から見れば、めちゃくちゃ安定する。そして、死んだらおしまいの浮世において、
安定を求めるのはひとの人情
だから、ナチやそれに類する団体にいれこむやからが今になってもあとをたたない。
そう考えると、彼らの気持ちも部分的にはわからんでもないよ。
「生きるのがおっかなくてさびしいから(byオーケン)」というその気持ちはね。
もちろん、ファシストの政治思想なんてどれも土着的民族主義に彩られた他愛ない代物だが、とにかく安定は約束してくれるから(ただの約束だけど)、政情が不安定になればなるほど、ひとびとは
自由を手放す自由を行使
し、ひたすら安定だけを求める……ということが往々にしてみられるのよね。
心理学だよ。
「ゲームで脳が痴呆化する」だの「キレル子どもたち」だの「オタクは犯罪予備軍」だの、毎日ひとびとの心が不安的になるようなニュースにはことかかない。
オタクが犯罪予備軍だったら、ブッシュアメリカ大統領はなんだってんだよなあ。現実の大犯罪に目を向けず、オタクをいじめたってなんにも出てこないよ。いや、ほんと。つくづく、どうかしてるよ。
アメリカ政府の言う市民潜伏テロリストと同じで、オタクなんて漠然とした基準じゃあ、けっきょく全市民がその対象になるだろう。
ひとびとが安定を求めれば求めるほど、テレビは、
「激動の時代」「不安定な状況」を強調し、私らは踊りに踊る。
自分たちで不安定な状況を作りだしておいて、そのあとさんざんビビらせれば票が集まるんだから、楽な商売だよね。
淡泊な私は、すでに踊り疲れ。
最後に、さきほどのマルクス=セーダーというドイツの政治家さんの別の発言を引用。

「平和と自由を基礎とする欧州にナチスのシンボルが存在する余地はない」

本音ばかりでたてまえの存在しない日本国の一市民としては、たてまえのまぶしさに目もくらむ思いだ。
たてまえはたてまえでしかない、という考え方もあるだろう。
ただ、欧州の人びとは歴史の事実から多くを学び、過去の過ちに関しては厳しく批判し続けるだろう、という声明には、普遍的な価値をひとびとの心によびさますための、たてまえとしての“活力”がある。




マイケル=ムーアのウエブサイトの日本語版が閉鎖
(2005.1.18)

マイケル=ムーアのウエブサイトの日本語版が閉鎖された。
おいおいおい〜、あきっぽいのもほどがあるな〜。
アメリカ大統領選も終わり、映画『華氏911』のブームも落ち着きを見せ始めたので、商売にならんと踏んだのかもしれないけど。
「マイケル=ムーア監督の作品はどれも素晴らしいのだけれども、日本での扱いかたが、どうもファッションというか、はやりもの的な扱いで、少し気になります。」
と日記に書いた途端に、これかい。
ホント、わかりやすすぎ。
今年、大もめにもめた日本プロ野球の1リーグ騒動もそうだけど、いいかげん、
利用と消費
という価値観から離れられんものかね。
話変わって。
以前日記に紹介させていただいたアメリカ合衆国発の英語サイト
Sorry Everybody
のサイトの内容が、とうとう一冊の本になるようだ。
世界に対するアメリカ市民のごめんなさいの気持ちが、一冊の本になる。
「ブッシュ氏を大統領に当選させてしまってごめんなさい」
「世界中にテロをまき散らしてごめんなさい」
というメッセージ集である。内容はサイトに掲載されているものと重複しているようだが、本になった、ということが重要なのだろう。
彼らの想いが、アメリカ国内の世論の大きな流れになることを祈っております。
そして。
アメリカの国家テロに加担して、イラクや世界にひとびとに迷惑をかけている当事国の一市民としても、ここで再度、
「ごめんなさあい!!」
と申しておきます。
いや、もう、心の底からごめんなさい。

さて。
NHKの番組に政治家が介入し、内容を改ざんしてしまった事件で、今や日本は世界中の大注目。
まがりなりにも民主国家を標榜している国家でこのようなことが行われること自体、普通はあり得ないですから。
安倍さんは

「放送法は、議論がある問題は多角的に論じなくてはならないとしている。意見を求められて『公正公平に』と放送法にのっとったことを言うのは当然だ」

なんて言っているが、「議論がある問題は多角的に論じなくてはならない」のでNHKの番組を検閲し、干渉してもよい、という論理すか? もしかして。
二転三転する言いわけや、同じくあたふたと言いわけするNHK側と口裏があっていなかったりと、慌てぶりばかりが目について、むちゃくちゃ。
公正公平って、そもそも意味わかって言ってるのかどうか、心配にもなろうというもの。
いっぽう、産経新聞は、一面トップで
「番組の検閲をせよ」
なんて言っているようだ。
どっひ〜!
リンクさせていただいている
N.TONOSAKI's Personal Station
さまの大人気コラム、
がんばれ!!ゲイツ君
の最新号で知ったのですが(産経新聞で読んでないもんで)新聞社ともあろうものが、まーどうどうと、憲法違反を声だかに。
(^_^;)
ジャーナリズムも地に落ちた、……を通り越して、地の底までまっさかさま状態。
安倍さんと産経新聞さんのために、憲法を引用しておきましょ。我が国のルールの基本中の基本ですから、覚えておくように。

憲法21条 
(1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

(2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない

ああ、近々、憲法は改正されるんでしたっけ?
どういう憲法に変わるか、想像するのも恐ろしい。


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