純の◆姫林檎◆日記(不定期でふ)


 エッセイ……というか、実家で病気療養中男の、ただの出不精Mac日記です。
 いちばん上のものが新しいです。
 思いつきで作ったコンテンツですので、ユーザーヴィリティがはちゃめちゃです。
 すみません、そのうちなにか良い方法を考えますです。(^-^;A

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パパラギの心、レプリカントの心*(2011.8.30)


「ひとりの人間が、他の人たちよりずっとたくさんの物を持つとか、ひとりがうんとたくさん持っていて、他の人々は無一物というようなことを私たちは許さない。そのならわしを大切にしよう。そうすれば私たちは、隣の兄弟が不幸を嘆いているのに、それでも幸せでほがらかにしていられるあのパパラギのような心にならずにすむ」

 〜『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』〜


「日本あるいは私たち一人ひとりの日本人が、「不忘階級苦」の思想で許されるためには、私たちがまず排外主義的な思想を捨て去ることが最低限の条件である」
  〜小出裕章『放射能汚染の現実を超えて』〜



体調が悪いです。
原発労働の問題を38年追いかけ続けている樋口健二氏の最新講演会の模様がUSTREAMに上がっていたのでご紹介。
ヒグチ節全開の講演会だ。

110824 樋口健二氏講演会

こうして樋口さんのお話を聞いていると、

原発労働の問題は「国内植民地」における労働搾取の問題

だということが実感としてわかってくる。
逆の言い方をすれば、原発は、“そこに従事する労働者”という差別問題を不可避的に作るのである、ということだ。
私たちが直視し、敵視すべきは、この差別構造なのだ。
つまり反原発運動は反差別運動とならざるをえない……はずだ。

ここで突然問うわけだが、あなたは、『ブレードランナー』というSF映画を観たことがあるだろうか。
……もしも観たことがあるというなら、さらに問います。
露骨で直接的な問いだ。
私たちは原発を動かすために、レプリカント(人間ではない労働者)という階級を必要とするか?
つまり、

原発はレプリカントの夢を見るか?



ピラミッド型のタイレル社のビルディング。
多国籍企業がビラミッドの頂点に座る、この映画が公開されたとき、そうしたシステムはまだSFだった。






 

 

 



未来をめざす市民集会*(2011.8.28)

「無実の人間を監禁しないと存続できないようなら、そんな体制はこわれてしまえばいい」

 〜フィリップ=K=ディック『少数報告』〜


「好むと好まざるにかかわらず、我々人間は世界中の人間と密接に関係しあっている。そればかりではない、すべての植物や動物とも係わり合っているのだ。我々の生命は互いに絡み合っている」
  〜カール=セーガン『百億の星と千億の生命』〜



体調が悪いです。
サイエンスライターの田中三彦氏、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク 代表の中手聖一氏、京大原子炉実験所の小出裕章氏というめんたま飛び出すほどの豪華メンバーで行われた市民集会の動画のご紹介。
この豪華メンバーにプラスされる形で、

客席から後藤政志さんが飛び入り発言します。

なんだよ、後藤さん、田中三彦さんのおっかけをしてるの?
(^_^;)

第2回核・原子力のない未来をめざす市民集会』その1


第2回核・原子力のない未来をめざす市民集会』その2


第2回核・原子力のない未来をめざす市民集会』その3


第2回核・原子力のない未来をめざす市民集会』その4


第2回核・原子力のない未来をめざす市民集会』その5



 

 

 



小出先生四角四面*(2011.8.23)

「あなたに辛い思いをさせることは、私のためとはいえ、できはせぬ。このブタどもには、自分たちのしたいことを、私に対してだけ、するようにさせておくがよい!」
 〜マーク=トウェイン『王子と乞食』〜


「ひとりの人間が、他の人たちよりずっとたくさんの物を持つとか、ひとりがうんとたくさん持っていて、他の人々は無一物というようなことを私たちは許さない。そのならわしを大切にしよう。そうすれば私たちは、隣の兄弟が不幸を嘆いているのに、それでも幸せでほがらかにしていられるあのパパラギのような心にならずにすむ」
 〜『パパラギ---はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』〜



体調が悪いです。
放射能障害ではあるまいか。
(^_^;)
アンドレイ=タルコフスキーの傑作SF映画『ソラリス』から。



京大原子炉実験所の小出先生が文化放送「吉田照美のソコダイジナトコ」という番組で語った。
耳を傾けるべき内容だと思うので、御紹介。
You Tube動画です。
8月22日 平和利用という言葉だけで原子力を進められないと覚悟を決めてきたのか


「小出「私のところに世界の方々メディアがきますけれども。なんで日本のメディアはこんな駄目かと言って大抵の方は首をかしげながら」

吉田「それに関して小出先生は何とおっしゃってるんですか」」

何とおっしゃっているのですか、という吉田照美さんの問いかけに対する先生の返答は、ご確認下さい。

内容とは少しずれるかもしれないけれども。
小出先生は、誰に対しても、どこであっても、話す内容をけっして変えない、ということを自分に課しているのではないか。
内容、もしくは語調ですら、変えない。
相手が国会議員だろうが、近所のおばちゃんだろうが、小出先生は一貫して○○さん、だ。

どのような階級格差をも決して認めない、という一人の学者の、まったく四角四面の、学者らしいふるまいだ。

そして、事実と客観性の側に自らを立たせながら、その事実から一歩だけ踏み込むことを自分に許す、もしくは課しているのではないか。
一歩だけ踏み込む、といっても、どこからが二歩で、どこまでが立ち尽くす状態なのか。
その判断は最終的には自己判断、主観に頼ることになるから、科学、事実というものと自分の主観を絶えず照らし合わせつつ、自分を厳しく律するという形で、小出先生は一歩だけ踏み込むことを自分に許しているのではないか。
もしくは、「一歩だけ」を自身に課しているのではないか。


 

 

 



後藤さんに倫理を説く者たち*(2011.8.20)

「科学を活用したければ、高度な知識を持つ一握りの専門家を育成するだけではだめだ。それどころか、それはむしろ危険でさえある。できるだけ多くの人びとに、科学の発見や、科学的な考え方の基本を理解してもらうことが大切なのだ」

  〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』〜


「遠い昔には、公務員とは二つのインク壜を、ひとつは公務用で、もうひとつは私用のインク壜を」机の上に置いているものだと、親しみを込めてからかっていた。そのような日々は過ぎ去ったが、完全に過去の話になったわけではない。それは例えば、旅行用の請求書を二度提出したとたぐいの犯罪で、公務員が有罪とされるような場合に見て取れる。そうした不正行為は、普通の私人が犯した場合よりも、重大な問題だと大抵はみなされている。公務員は自分自身を代表しているにとどまらず、共同体を、つまり共同体の一員である私を代表している。すなわち、国家に仕える者は、民間企業に仕える者より、はるかに重い責任を負い、強い統制下にあるのである」
 〜ニルス=クリスティ『人が人を裁くとき』〜


「それをやりおおせたことがうれしいの、それを投げすてたことが、みなは生きているのに。時計が鳴っている。鉛の輪が空に溶ける、そのひとはわたしにうつくしさを感じさせてくれる、おもしろさを感じさせてくれる。でも、わたしは行かなければなかない。みなといっしょにならなくちゃ」
 〜ヴァージニア=ウルフ『ダロウェイ夫人』〜



体調が悪いのです。
まあそれはおいておいて。
朝日ニュースターの討論番組に後藤政志さんが出演していた。
お題は、「原発は是か、非か」

You Tube動画です。
原発は是か非か 核・原子力とどう向き合うのかその1

原発は是か非か 核・原子力とどう向き合うのかその2

原発は是か非か 核・原子力とどう向き合うのかその3

原発は是か非か 核・原子力とどう向き合うのかその4

原発は是か非か 核・原子力とどう向き合うのかその5

原発は是か非か 核・原子力とどう向き合うのかその6



推進派の奈良林と脱原発派の後藤さんの言っていることは同じで、使っている言葉が違うだけだなととムリクリに決めつけることで事故の責任者どもを免罪しようとする評論家、事ここに至って原子炉は制御できるのだと言い張る専門家、

放射性廃棄物は宇宙にほうり出せばいい

というロシア・ノーボスチ通信東京支局長。
そういう人々が、今回の未曾有の大惨事も科学の発展の一つのステップ台だ、科学はこのような惨事を乗り越えることによって発展するのだなどと胸を張って見せ、揚げ句の果てに、
「後藤さんは技術者としての倫理観が足りない」
などとほざくにいたる、このあたりが番組の見どころだ。
私は、後藤さんの人柄は非常にマイルドではあるけれども、社会倫理、社会道徳の体現者だと高く評価している。
その後藤さんに対して、奈良林のような面の皮の厚い人間が、「後藤さんは倫理がない」「今回の事故は後藤さんの倫理観のなさが生んだのだ」と責任転嫁をしてみせる、そうした議論の有り様を、あきれかえりながら確認してもらいたい。
しかし、この奈良林以下、日本の知識人どもは、なんなのだ。

自分自身の誠意のなさにあぐらをかく、

ことで、まるで当然とでも言うように公共空間の上に自分を置きながら、他者の誠実さというものを頭から否定していく。
ほんとうにこの国はアリスの不思議な世界のように、なにもかもがひっくり返っている


 

 

 



優しくなければ生きている資格がない*(2011.8.16)


「強くなくては生きてはいけない。優しくなくては生きている資格がない」

 〜レイモンド=チャンドラー『プレイバック』〜


「1990年初め、キース・マクヘンリーという若い活動家が繰り返し逮捕された。ほかにも数百人が、同じように逮捕されていた。彼らはいったいどんな罪を犯したとされたのだろう? この活動家たちは、貧しい人々に無料で食料を配っていたのだ。ただ、人に食料を配ってもよいという許可を、当局から受けていなかったのである」
 〜ハワード=ジン『学校では教えてくれないアメリカの歴史』〜



体調が悪いです。
京大原子炉実験所の小出先生が『たね蒔きジャーナル』で語ったお話を紹介しよう。
レイモンド=チャンドラーを引用して、生きる価値とは何かについてご意見を述べられている。
You Tube動画です。
20110815 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章



「彼の遺作にプレイバックという小説があるのですけれども。そのプレイバックにチャンドラーが、『強くなければ生きていられない。優しくなれないなら生きている価値がない』と書いているんですね。
 みんな今、私も生きてるし、水野さんも平野さんも生きているのでそれなりに強いんだと思いますけれども、チャンドラーは、強くても生きている価値がないという人がいるということを言ってるわけですね。生きてる価値というのは何なのかというなら、優しくなるということだと、言っているわけで。いったい優しいってどういうことなのかなあと、わたしはいつも思います。それは、私の今の思っていることは、強いものに付き従うことではないと、思っていて。
 日本の政府というのは米国に付き従うのが国益だというようなことを言うわけですけども。全く優しくない政府だなと思うのです。でもそういう生き方というのはチャンドラーからすれば、生きる価値がないと言ってるわけで。本当にどういう生き方をするのが生きる価値があるといえるのかと、私自身が毎日、自問しながら生きている」

弱者の犠牲のもとに成り立っている幸福を私たちは拒絶することができるのか。
つあmり、『オメラスから歩み去る人々』であることができるのか。
小出先生の言う優しさとは、そういうことだろう。


 

 

 



後藤さん*(2011.8.13)


「新たな状況に出会って、自分の判断と原則のあいだを行きつ戻りつし、たがいを参照しつつ判断や原則を修正する。この心の動き、つまり行動の世界から理性の領域へ移り、そしてまた戻る動きのなかにこそ道徳についての考察が存在するのだ」

 〜マイケル=サンデル『これからの「正義」の話をしよう』〜


「高度な精神にはみずからを疑う能力が不可欠なのだ。さもないと創造性が失われてしまう」
 〜デイビッドブリン『温かい宇宙』〜



体調が悪いです。
7月17日に『さよなら島根原発ネットワーク』主催で行われた後藤政志さんの講演を紹介して、お茶を濁します。
You Tube動画です。


20110717後藤政志さん講演(鳥取県米子市で)1/6

20110717後藤政志さん講演(鳥取県米子市で)2/6

20110717後藤政志さん講演(鳥取県米子市で)3/6

20110717後藤政志さん講演(鳥取県米子市で)4/6

20110717後藤政志さん講演(鳥取県米子市で)5/6


20110717後藤政志さん講演(鳥取県米子市で)6/6


最初は冷静に話をしている後藤さんが、倫理的な問題に話題が進むにつれて、徐々にヒートアップしていく様子を確認するたびに、私は、後藤さんのことが好きになっていく。

 

 

 



ドクター・ストレンジ・ラブ*(2011.8.9)


「公教育の必要性は投票での多数派が人々の最善の利益と一致するように保証することにある」

 〜エド=デーンジェロ『公立図書館の玄関に怪獣がいる』〜


「ネオリベラリズムな体制が不正であることを言うのに、哲学的議論で説得しようとしても誰も納得はしないだろう。しかしこの権利の体制が目標としているのは極めて単純なことで、この体制を受け入れるとは、社会、環境、政治にどれほど負荷をかけることであっても、終わりのない資本蓄積と経済成長の体制の下で生きる以外の選択肢はないことを認めることだ。同様に、果てなき資本蓄積は、権利のネオリベ体制が地球上をおおって拡張せねばならないことを意味している。それが暴力によってであれ(チリやイラクにおけるように)、帝国主義的手段によってであれ(WTO、IMF、世界銀行が行っているように)、あるいは必要ならば原始的蓄積によってであれ(中国やロシアにおけるように)。あらゆる手段を使って、私有財産と利得にたいする絶対の権利は普遍的に守られねばならず、これこそブッシュが、アメリカ合衆国は自由と解放の空間を地球上に広げるために献身する、と言ったことの意味なのだ」
 〜デヴィッド=ハーヴェイ『ネオリベラリズムとは何か』〜


「あなたがだめなのに、どうしてあたしがいいわけ? そりゃゴミ溜めだってことは知ってるけど、なぜあなたにだけはそれがよくないの? あたしだって、ここで生きてるのよ」
 〜ジェームズ=ティプトリー=ジュニア『ビームしておくれ、ふるさとへ』〜



『Dr. Strangelove Final Scene 』

『村野瀬玲奈の秘書課広報室』さんのところで、「小出裕章先生の、「子どもを守るために放射能の含まれた食品を大人は食べてください」という趣旨の発言を批判したmedia debuggerさんの記事」が紹介されていた。
紹介の紹介をしておこう。

小出裕章氏「子どもを守るために大人は食べてください」への抗議


☆☆☆☆☆
 小出氏の「どんなに放射能で汚染されていても」「大人はあきらめて食べてください」という主張は、小出氏の意図はどうあれ、畢竟、東電や政府の責任逃れを追認し、命の格差の固定化を容認する言説として利用されるだろうし、実際に利用されていると思う。
☆☆☆☆☆

利用される、されない以前に、小出先生の提案は、これは机上の議論以上のものにはならないだろうな、というのが、小出先生のぶれない主張への私の一貫した感想だ。
小出先生の提案は、ひとつには、どうにもこうにもならないほど深刻に汚染された日本国内の環境と、それからもうひとつ---これが物議を醸す原因になっているのだが---、

現在の私たちが共有しているものとは次元の違う公共概念というものを前提としており、

こんなものは実現どころか、言葉の切れ端を都合よく解釈していくというような姑息なありかた以外には、利用することすら難しいだろう。
小出先生の提案の内容を私が勝手にざっくりとした形で言い直すとすれば、
「子どもたちだけでも被曝から守る、ということすら厳密には不可能な事態となったが、それでもなんとか、可能な限り、でき得る限りにおいて、子どもたちだけでも守るすべはないものか」という

深い苦悩と専門家としての責任感を出発点とした退却戦の構想、

というようなものだろう。
退却戦といっても、退却する場所など世界のどこにもない。
ではどうするのか。
食べるという行為においては、これは、放射能まみれの食品を食べるしかない。
では、誰が食べるのか。
今の日本という国を支配しているロジック、価値観においては、引き受けるのは最終的には「負け組」と言われる貧困層だろう。
誰かが声高に
「放射能に汚染された食品は、貧乏人に押し付ければいい」
などと宣言することなどはけっしてありはしないだろうが、システムとして、無言のままに、そういうところに落ち着くだろう。
今日の食費の工面に頭を悩ます、というようなひとびとが、男が、女が、子どもが、お年寄りが、日本人が、外国人が、引き受けることになるだろう。
しかし、小出先生は、そうしたシステムと、そのシステムを支える価値観というものを根本から否定したいと強く考えている、はずだ、と思う。
ひとことで「差別」といわれる構造への激烈な拒絶反応、というものが、小出先生の提案の中心を貫いている。
そうした小出先生の立ち位置、に、彼の「自分自身に最後まで忠実でありたい」という気質が加味され、あのような提案がなされることとなった、ということだと私は考えている。
しかし、やはり、小出先生の主張は、少なくても現状の日本においては、危険な絵空事だ。
そして、「危険な」という部分が、これが生半可な危険ではなく、これが大問題だ。
そもそもこの国には、小出先生の特殊(?)な公共概念を受け止めた上で議論をする土台となるような、社会全体に広くいきわたった公共空間、というものすら存在しない。
そうした現実の内部で小出先生の提案をフツーに受け止めれば、市民の素直な印象としては、

自爆攻撃を国家に強要された「神風特攻隊」

の過去をすら連想する人だっているのではないか。
もちろん、あたりまえの大前提として念を押しておくと、小出先生は「国家」イコール「公共」などとはみじんにも考えていない。
また、それが国家であろうが別の何かであろうが、神風特攻隊的な何かを強要するつもりもまったくないはずだ。
しかし、では、「公共」とは、なんなのか。
あれがそうだ、これがそうだ、と言っても始まらない。小出先生がその過激な提案の前提としている公共空間など、この国の現実においては、まったくの絵空事だ。
小出先生の今回の提案は、誰しもがしり込みするほどに危険であるものの、そうであるがゆえに悪用したり商品化したりには不向きだ、という点で救われる、というある意味もっとも情けない状態に胸をなで下ろす。
しかし、絵空事でも何でも、子どもたちだけでも守らなければならない。
……。
しかし、真面目な話、子どもたちを守るということすら、今では、絵空事だ。
私たちはまさに、大惨事のさなかにいる。

しかも、大惨事のさなかにいながら、自分たちが今まさに未曾有の大惨事に見舞われているという自覚が多くの人に見られない、という二重の大惨事だ。

日本タイタニック状態。
タイタニック号は沈むのだ。
避難ボートに乗れるものは限られている。
誰が、載るのか。
そうした状況にあって、あくまでも絵空事を出発点にする小出先生なのだった。


 

 

 

 



七たび戒しめん、人を殺めるなかれと*(2011.8.5)


「このほかならぬナンバー200のラットは、人間についてのある理論を持ってた。このラットのいうところでは、人間はあきらかに頭が大きく、手先や言語を驚くほど器用に操り、無生物から複雑な巣や飾りたてた建造物を組みたて、全般的な行動様式は宇宙に対するきわめて高いレベルの好奇心を示唆してるにもかわわらず、自分たちがなにをやらかしているかにまったく気づいていない。人間はラットが“生き物である”ことにすら気づいていないし、意識を持っていることなどなおさらだ。」

 〜グレッグ=イーガン『悪魔の移住』〜


「想像できますか、アメリカで最も信頼されている人間に、アメリカ人でありながら、猫がくわえてきたなにかのように扱われるところが!」
 〜カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』〜



インターネット動画からいくつか。

○まずは、日本中が騒然となった7月27日の衆議院厚生労働委員会の児玉龍彦参考人の発言。
H23.7.27 衆院厚労委員会 児玉龍彦参考人 3.21の雨

「七万人の人々が自宅を離れて彷徨っているときに、国会はいったい何をやっているのですか!!」

この動画は、英語字幕版、フランス語字幕版がでまわっている。

○オランダのメディアが福島を現地取材。
海外メディアの福島原発事故の報道。
オランダメディアの福島取材:小出裕章氏へのインタビューも

あちら側の目を通して知る原発事故というもの。
そして、私たちの運命というもの。


○日本のテレビが肥田舜太郎先生をとりあげた。
被爆66年ヒロシマ 94歳 被爆医師 肥田舜太郎




--☆-


町山智浩さんがTBSラジオ「キラキラ」でご紹介下さったドキュメンタリー映画、『プロジェクト・ニム』という映画だが、これはすごい。
日本での劇場公開はないのか。
ブログ『ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記』での紹介記事。
猿の惑星創世記とプロジェクト・ニムとアルジャーノンに花束を

インターネットで、録音されたものが聞けます。
こちら。↓

TBSラジオ「キラキラ」のポッドキャスト。

「「3時台 キラ☆キラ」をポッドキャストで聴く!」というところをクリックすると放送が聞けます。

 

 

 

 



バンダナ=シバ、原発について語る*(2011.7.28)


「消費者の要求と人びとの民主的な意志を同一視するのは誤りである。なぜなら民主主義は1人1票の原則で動いているが、市場は1ドル1「票」の原則で動いており、貧者よりも富者を優遇しているからである。それに消費市場は理性的にして公開の熟議を許さないが、大多数の民主的な理論家が信じるように、そうした熟議が民主主義に欠かせない」

 〜エド=デーンジェロ『公立図書館の玄関に怪獣がいる』〜


「彼女がわたしにむかってしたことといえば、こちらがつんぼになるほど、この手の出世物語を聞かせることだけだった。このすばらしい新世界で出世したと彼女が思っている人々とは、つまり強制労働や破壊や殺人の術にたけた者ばかりだった。わたしはそのような分野で働くことが出世したことになるとは思わない」
 〜カート=ヴォネガット『母なる夜』〜



久しぶりに、『デモクラシーナウ!ジャパン』から。
30分に1人が自殺:借金と新自由主義改革に苦しむインドの農民たち

驚くべき数字です。インドでは過去16年間で25万人もの農民たちが自殺しました。これは30分に1人の計算です。なぜ、こんなことが?

まあ、某極東国では、ここずっと、年間の自殺者が3万人を超えているわけで、計算すると、

日本国内で48万人もの人々が自殺

していることになるわな。
この規模はもはや、「見えない内戦」と呼ぶべきだろう。
アースデイ特別番組に出演したバンダナ=シバさんの動画も一緒にご紹介しておこう。
バンダナ=シバさんとモード=バーロウさんが、福島の原発事故に言及している。

バンダナ・シバとモード・バーロウ 母なる大地の権利を語る



☆☆☆☆☆
「日本の原発から漏れた放射能による魚の汚染に関する報告書に書かれた「人体に影響はなく心配は無用」という言葉に、カナダ出身の水の活動家バーロウさんは、「地球の他の生物を考えない この人間中心的な考え方こそが問題」だと嘆きます。そして、「2030年までに世界の水需要は供給を4割上回る」「これがどんなに恐ろしい数字かどんな苦しみが起きるのかわかってない」と「すべての命をはぐくむ源」で「生態系の基本」である「水」の貴重さへの無関心を憂います。一方、物理学者でもあるバンダナ・シバさんは、原子力発電について、「原発とはお湯をわかすために核分裂を起こし、その過程で危険な放射能が大量に出す愚行」と明快に切り捨てます。」
☆☆☆☆☆

ぶらぼー。
モード=バーロウさんのお顔を見るのは、久しぶりだ。
映画『ブルー・ゴールド 狙われた水の真実』以来かな。


『ブルー・ゴールド 狙われた水の真実』予告編





 

 



地デジ難民となりました*(2011.7.25)


「パブの客たちはどうだ? 自分たちのしていることを、理解しているのだろうか? 音楽、気が置けない仲間、アルコール、セックス……境界線はどこにある? 幸福感の理由づけが、この男のような空虚で病的なものに変わってしまう、その境界線は? 」

 〜グレッグ=イーガン『しあわせの理由』〜


「不自由な私の生活も、さまざまな点で美の世界とつながっていることをおわかりいただけたと思う。全ては驚きに満ちている。暗闇と沈黙の世界も例外ではない。だから、私はどんな境遇にあっても、満足することを学んだのだ」
 〜ヘレン=ケラー『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝 』〜



24日正午から、地デジ難民となった。
私は、「“脱”テレビ」 派などではなく、「“反”テレビ」主義者だ。
正気を失わないというただそれだけのために、厳しい戦いがこれからも続く。

『人食い地デジとの戦い』



『地デジの黙示録』



『地デジ仕掛けのオレンジ』


どーん。


 

 

 



最近買った本・マンガ・DVD*(2011.7.22)


「もうわかりきったもの、わかりきっていると思っているもの、それを自分の目でもう一度たしかめ、とらえなおし、たえず疑問にぶつかりつつ歩くこと」
 〜本多勝一『日本語の作文技術』〜


「思うのだが、僕らを噛んだり刺したりする本だけを、僕らは読むべきなんだ。本というのは、僕らの内なる凍った海に対する斧でなくてはならない」
  〜 村上春樹『村上春樹 雑文集』〜



『気まぐれな日々』さんじゃないけれども、3月11日以降、原発関係の本しか読めなくなってしまっていたのだが、自分に課すようにして、その他のものも読み始めている。
20日に、石橋克彦先生編集の『原発を終わらせる』が岩波書店から発売された。
執筆陣が田中三彦、後藤政志、上澤千尋、井野博満、今中哲二、伊藤久雄、飯田哲也、その他、というものすごい顔触れのようだ。
ネット書店bk1で注文しておいたから、数日中に届く予定。

一方で、原発本以外の本を読むことも少しずつ再開し始めている。
SF小説を読むことはある種の仕事だと思っているから、月に一冊のペースで読んでいけたらな、とはいちおう思っているのだ。
とにかく購入だけはしておいて、また読み始めようと思う。



最近購入した本リスト。
==================

『福島原発事故はなぜ起きたか』
・『闇に消される原発被曝者 増補新版』
・『原発事故……その時、あなたは!』
・『公共哲学』
『イシャーの武器店』(SF)
『ひとりっ子』(SF)

・漫画『ちはやふる13』
・漫画『大奥7』
・漫画『星守る犬』
・漫画『勇午 台湾編1』
・漫画『水蜻蛉の庭』

・DVD『エリックをさがして』


==================


 

 

 



ニュースの時間です*(2011.7.19)


「学者たちが判断を間違ったために、われわれは何も知らないうちに望みもしなかったのに、一生涯消すことのできない原子病という焼印を押されてしまった。この事実に対して目をつぶったり、わざと耳を閉じ、口をつぐんでいるならば、次の犠牲者はあなた方だ。そして私は自分の苦しみから得た教訓を深く掘りさげて、人々にいかに考えるべきかを知るように、できるかぎりのことをするつもりだ」

 〜大石又七『死の灰を背負って 私の人生を変えた第五福竜丸』〜


「原子炉スタッフと消防士31人の死者の他、多くの急性障害者がでた。その夜宿直に当たっていたミルジェンコは、原子炉から300メートル離れた守衛室から、事故の恐ろしいさまを朝まで見ていた。そして嘔吐の発作に襲われた。400メートル離れたところで作業をしていた、コンクリートミキサー部運転員ツェチェリスカヤは、朝まで毎時十数レントゲンのところで働き続けた。冷却池の近くで朝まで魚を獲り続けていた二人の釣り人は4シーベルトも被曝し、朝になって皮膚が黒ずみ、強烈な嘔吐の発作に見舞われた」
 〜瀬尾健『原発事故……その時、あなたは!』〜


「その晩は、全く即物的な意味で、私たちの生涯の最も苦痛に満ちた晩となった」
  〜 佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』〜



衝撃的、といえば、衝撃的なニュース。
『るいネット』から、
低線量被曝とガン発症の因果関係が立証された!


「低線量被曝とガン発症の因果関係は認められないとする見解を覆す、画期的な遺伝子マーカーの発見です!
これで将来政府は言い逃れが出来なくなりました。
問題は日本に導入されるかどうかにかかっています。」


とのことだ。
放射線は、どれだけ浴びれば人体に危険なのか。
逆に言えば、

被曝量をどの数値にまでおさえることができれば、健康を害さずにすむのか。

大破局の1歩手前という極めて深刻な原発事故のただなかにいる日本国民の最大関心事は、その点にある、と言ってもいいはずだ。
しかし、どれほど少量の被曝でも、実は、健康を害する可能性がある。学問的には立証はされていないのかもしれないけれども、それはチェルノブイリや、原発実験所付近の村々や、医療機関の現場で、現実に起きていることだった。
目を背けず、ただ現実を確認すれば、低線量被曝もまた危険である、という回答しかあり得ない。
それは現場の声だった。
だが、これまで、「低線量被爆の危険性の実感」にすぎなかったものが、とうとう、学問的に立証された。
もちろん、これにて一巻の終わり。とはならずに、「いやその主張はおかしい」という説なり実験結果なりが出てくることは間違いないだろうけれども、現場で起きている動かしようもない事実を考えれば、「低線量被曝は安全だ」という主張は、もはやむなしい努力となるだろう。
ただ、立証されようが立証されまいが、何の違いがあるのか、と私は思う。立証されていようがされていまが、「低線量被曝でもかなり深刻な形で健康を害する危険性がある」という事実にかわりはないはずだ
。膨大な数の健康を害した人々、命を失った人々が、「立証はまだだけれども、何かただならぬことが起きた」ことを教えてくれている。教えてくれているのだから、私は、今回の「立証のニュース」自体には、さほど心動かされたというわけではなかった。

「立証されてさえいなければ“それ”は存在しないのと同じことだ」とまでは言わないけれども、「“それ”が存在していないかのように振舞うべきだ」と主張するなど、人命がかかっているこの現状では、馬鹿げているだけでなく、おぞましい。
学問的に立証されなかろうが、東大の学者が法廷で因果関係を否定しようが、現実問題、回復不能なほどにはげしく健康を損なったり、命を失ったりする人たちがいる、という事実こそが問題なはずだ。
水俣病でも、イタイイタイ病でも、原発事故による放射線被曝でも、それは同じだ。
「立証されていない」の一言で、学術的な到達点(まだ不十分、不完全であったとしても)と、人間の尊厳の両方を踏みにじっているのだ、という自覚が私たちにはあるか。



 

 



ブライト・ライト・ビック・シティ*(2011.7.16)



「持参した作業衣などを、福島から来た東京電力の関係者がガイガーカウンターで検査したが、『異常なし』と事故時の決まり文句が返ってきた。コミュニティーセンター工場周辺の人たち避難しており、そこで「私は『何もなくてよかった』と言いますと、『とんでもない中性子線を浴びている』と言われたんです。私はわかりませんでした。そのまま午後11時半ごろ、自宅に帰ると、家内の健康状態がすぐれなくなり始めたんです」

 〜樋口健二『闇に消される原発被爆者』〜


「葬式の時、会社から何の連絡もありませんでした。最後に勤めていた江川工業で、おとうちゃんも団体生命保険に入っていたんです。だから、保険の150万円は当然受け取れるはずなんだけど、社長の江川輝男さんがそのうちの100万円を会社が苦しいので貸してほしいと使い込んでしまい、私どもの手元には50万円しか入ってきませんでした」
 〜樋口健二『闇に消される原発被爆者』〜


「現実に原発内で働かぬエリート社員にとって、被曝は他人事なのであろうか」
 〜樋口健二『闇に消される原発被爆者』〜



他人の苦しみや悲しみに関心を持たない、ということで成り立つ社会を機能させてきたこの小さな島国で、その明るい成果の象徴として原子力発電所が54基建設され、ごうごうと稼働し、そのうちの4基が何の前触れもなく、突然に、とてつもなく深刻な事故を起こした。
深刻さの度合いでいえば、レベル7ということだ。
事故の評価基準の度合いで事態を評価すれば、深刻さのどんづまりにとうにたどりついてしまったということになっている。
いや、一口にレベル7と言っても、軽いほうのレベル7なのだ、とか、レベル7のカテゴリーの事態は中の下なのだとか、強がりなのか言いわけなのかそういう言説が飛びかったものの、はっきり言って、何往生際が悪いのか、ということでしかなかった。
レベル7の事態におちいった原発が4基ある。
レベルいくつかなどは実は何の意味も持たない、というほどの深刻さのさなかで、しかし私の脳裏をよぎるのは、レベル7のかける4で

合わせ技でレベル28

というごく初歩的な算数だ。
はっはっは、はっはっは、と腹を抱えて笑うことすらできそうな、数字ではないか。
他人の悲しみに関心を持たない、という生きかたを国を挙げて突き詰めようとしていたやさきに、日本在住の人間の大多数がどうなってもかわまない側となる事故が起きた、その苦さを数字に表すとすれば、レベル28となる、と、寂しくひとりごちてのなかばやけっぱちの笑いだ。
国や経済界は、
「電気が無くなったら、あなたも、みんなも、困るでしょう。電気さえ作れれば、この日本はまだまだ大丈夫」
と私たちに語りかけているけれども、ことここにいたっては、私たちの生き方の破綻はあきらかだ。
電気が無くなったら困るだろう、逆に、原発で電気を作り続けることができれば大丈夫、などと、なんとばからしい。
数万にのぼる自殺者や、全国各地で餓死者まで生み出すこの社会機構の、こうこうと明るい光の恩恵を、誰もが受けているわけではない。
明るい光を全身に浴びるようにして消費し、または所有する人々が、青くなったり赤くなったりしながら停電の心配などを私たちに語りかける。
しかし、この暗闇は、清潔で明るい光の作り出す影なのだ。
3月11日、誰もがその影の中にすっぽりと収まってしまった。
電気を消さない限り、この影も消えない。
私たちはその勇気を持つことができるか。
そもそも、影を消すには、電気を消さなければならないということに気がつけるか。
それとも、私たちは墓穴のような影の中で、どうなってもかわまない新しい他人を見つけようとするか。
影の中の他人映画。↓


影に蔽われたこの国に残ったのは、舞台中央のスポットライトのみだ。
そのスポットライトの光の中で、「まだこんなに明るいではないか。何も問題などありはしない」と言いはる者たち、また一方で、国民に向かって安心安全を語りかけなければならないという立場の者たちが、影の中の人々に向かって裸踊りを繰り広げている。
それが裸踊りと知りながら。
我が国の首相である菅直人氏が、記者会見で、脱“原発依存症”からの脱却を発表したそうだ。
「原発」ではなく原発「依存症」から脱却するのだという言い回しに、なんともいえない小賢しさ、涙ぐましさ、小心さ、というものを感じざるをえないわけだけれども、ことここに至っては「原発推進」というこれまでの態度を維持することなど到底不可能だし、かといって原発からきっぱりと足を洗うとも言えないという政府の立場がよく現れているとは言える。
この国の政府は、多国籍企業による一種の傀儡政府でしかなく、このどんづまりの状況にあってすら、財界が首を縦に振らない以上、脱原発とは言えない。
この脱「原発依存」発言を受けて、『kojitakenの日記』さんが、

「それじゃ「シャブやめます」じゃなくて「シャブ中やめます」だよな」

と指摘なさっているのには笑ったが、本当は笑ってなどいられないことではある。
シャブを売っている側の顔色をうかがいながら
「シャブではなく、シャブの中毒状態を辞めるのです」
というようなとてつもなく歯切れの悪い物言いをしなくてはならないこの国の惨憺たる状態をこそ、問題にしなければならない。
実際、首相の発言の翌日には、官房長官が
「(首相の発言内容は)内閣の目標ではない」
と、火消しに回らなければならない事態となってしまったわけだ。

産業界、財界からこってり叱られてのであろう。

まあ、そう言いつつも、この国の首相が、脱“原発依存症”を口にしたことは、これは大きいことではあると思う。
「そんなことをありがたがらなくてはいけないのか」
という思いもあるが、この発言は、首相の公式発言として、やはりある一定以上の重みはあるはずだ。


おまけ。

スポットライトを浴びて裸踊り。
『情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)』さんから、某官房長官ハダカ踊りの図。
枝野官房長官に抗議の内容証明を送りませんか?〜あまりに非科学的な安全デマに唖然!


☆☆☆☆☆☆☆
「被爆した放射線量が100mSv未満では放射線が癌を引き起こすという科学的な証拠はない、ということでございます。100mSvを超えても、100mSv〜200mSvの場合の癌になるリスクは喫煙や大量飲食・食事などの生活習慣を原因とする癌のリスクよりはるかに低い値であるとされているいます。したがって、年間20mSvを超えても健康に与える影響を過度にご心配される必要はないと考えています。なお、妊娠中の方、幼児へは特別な注意を払う必要があると勧告されているので、留意したい」
☆☆☆☆☆☆☆

科学的な証拠はない、と、官房長官が国民に向けてつるんとした顔で言う。
これがこの国の品質だ。

 

 

 

 



直進ゾンビと命令と私*(2011.7.8)



「正当な怒りを抱いた人々がなぜ極右に動員されてしまうのか、私の子どもの頃、産業別労働組合(CIO)をはじめ建設的な活動があった時代に人々を集めたような勢力になぜ結集しないのか、その理由を自らに問いかけてみることが大切です」

 〜ノーム=チョムスキー『アメリカ国民の怒りはどこへ向かっているか』〜


「私たちの文化には、騙したり嘘をついたりする傾向があり、それは人々の時の権力者への恐怖に根差している」
 〜『闇からの光芒』マフマルバフ、半生を語る〜


「地獄がいっぱいになると、死者が地上を歩き始めるんだ……」
 〜ジョージ=A=ロメロ『ゾンビ』〜



村野瀬玲奈の秘書課広報室さんのところで知った名曲。

フェラ=クティの『ゾンビ』

Zombie(←フル・ヴァージョン)


歌詞も転用させてもらいます。

☆☆☆☆☆☆

♪ゾンビ、おお、ゾンビ (ゾンビ、おお、ゾンビ)
♪ゾンビ、おお、ゾンビ (ゾンビ、おお、ゾンビ)

♪ゾンビとは、進めと言われないかぎり進まないもの (ゾンビ)
♪ゾンビとは、止まれと言われないかぎり止まらないもの (ゾンビ)
♪ゾンビとは、向きを変えよと言われないかぎり向きを変えないもの (ゾンビ)
♪ゾンビとは、考えよと言われないかぎり考えないもの (ゾンビ)

♪直進とゾンビに命令せよ
♪A joro, jara, joro
♪休みなし、仕事なし、感覚なし
♪A joro, jara, joro
♪殺しをゾンビに命令せよ
♪A joro, jara, joro
♪休みなし、仕事なし、感覚なし
♪A joro, jara, joro
♪敵を討てとゾンビに命令せよ
♪A joro, jara, joro
♪休みなし、仕事なし、感覚なし
♪A joro, jara, joro

♪殺せ! (Joro, jaro, joro)
♪死ね! (Joro, jaro, joro)
♪敵を討て! (Joro, jaro, joro)
♪退却させよ! (Joro, jaro, joro)

♪Joro, jara, joro, ゾンビは一方向に進むだけ
♪Joro, jara, joro, ゾンビは一方向に進むだけ
♪Joro, jara, joro, ゾンビは一方向に進むだけ

♪Joro, jara, joro

♪注意! (ゾンビ)
早足で行進!
♪ゆっくり行進! (ゾンビ)
♪左に曲がれ!
♪右に曲がれ! (ゾンビ)
♪後ろを向け!
♪駆け足! (ゾンビ)
♪敬礼!
♪帽子を取れ! (ゾンビ)
♪立て、やすめ!
♪整列! (ゾンビ)
♪列を離れよ!
♪伏せ! (ゾンビ)
♪用意!

♪止まれ!

♪命令だ!

♪解散!

☆☆☆☆☆☆


あなたがゾンビではなく人間だったとして、ひとつだけ問いかけたいことがある。
『地球最後の男』を読んだことがあるか。


映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』予告編


 

 

 



京都大学原子炉実験所に行ってきた*(2011.7.5)


「1.原則なき政治

 2.道徳なき商業
 3.労働なき富
 4.人格なき学識
 5.人間性なき科学
 6.良心なき快楽
  7.献身なき信仰」
 〜マハトマ=ガンジー『資本主義7つの大罪』〜


「孤独以上に恐ろしいことが発見されたのである。誤りと残虐の連続だ。
 安定した成長と平和が数千万年続いたのちの、新たな激動にわれわれは失望した。
 いかに学習して進歩したのであろうと、必死になったり、発展の過程においてある段階がくれば、社会/精神もまた個人に分かれていた古代の社会が犯した誤りに相当する行為を演じるようになる。ほかの社会/精神を殺したり、自己の内部の支族の多くの活動を断ち切ったりすることがあった。ほかの精神の充足を阻害することもあった。怒りのようなものを経験することもあったが、肉体の地熱条からは切り離されていた。怒りは冷たく、精緻で、長続きし、恐ろしいほどの説得力をもち、その結果もおぞましいものだった。さらに悪いことに、無関心をも経験することができたのである。」
 〜グレッグ=ベア『ジャッジメント・エンジン』〜



熊取の京都大学原子炉実験所に行ってきた。
月一回の見学会に参加するためだ。
私を含めて、参加者は約100名ほどか。
放射性廃棄物のお守りの仕事に従事中の

小出先生にもお会いできた。

参加者のほどんど全員が、おそらく、小出先生にお会いし、お話を聞くことを目的に見学会に参加していたのではないか。
十人ずつの単位で諸施設を見学してめぐっている見学者を、小出先生は廃棄物処理施設の入り口に立ちん坊で待ち受け、放射性廃棄物の危険性についてレクチャーをした。
この時間のために、見学者たちは熊取までやってきたのではないか。
私も、そうだろう。
京大の実験炉のてっぺんにも立っった。
小さな丸い窓から覗き込むようにして、原子炉内部のチェレンコフ光を確認した。
暗闇の中にぼんやりと見えるかどうか、という青白い光だった。
東海村の臨界事故で、残酷極まりない悲惨な死を遂げた大内さんが見た光と同じ光だ。
決してみてはいけないものを何かの拍子にのぞき見してしまった、という思いを抱くことになるのではないか、と、のぞく前に感じたのだが、のぞいた後は、やはりそういうことになった。
罪悪感やら、恐怖やら、畏怖の念が入り交じった、そうした思いだ。

6月14日の小出先生。
『小出裕章 TBS dig 「発生から3ヶ月。終の見えない福島原発事故」』