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読んだ本、読んだ漫画など(2008.3.9)

「私は大学院の修士論文を書くために、建築基準法の改正についてインターネットでいろいろ調べているときに偶然それを見つけたのだ。なるほどアメリカという国は堂々と構えているものだ。内政干渉の事実を隠そうともしない。伏せようと努力しているのは、干渉している側ではなく、もしかしたらされている側の方なのかもしれない」
   〜関岡英之『拒否できない日本』〜

「「私たちは初め、これは人種差別だとして声を上げようと考えました。でも、そのうちに、どうもそうではない気がし始めました。人種や宗教などを超えた何かもっと別の……巨大な力が働いているように思えるのです」バージニアの直感はおそらく当たっているだろう」
   〜堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』〜


「アメリカにとって日本の核武装ほど美味しい話はそうあるもんじゃない。
軍事予算が軽減できる。
核で外国を威嚇しても日本に責任の半分は負わせることができる。」
   〜漫画『勇午』横浜・横須賀編〜


「「今は国家という概念さえ有効ではない。安全保障を考える上でね。丸の内計画の本当の狙いはそこにある。民間有志の核(兵器)でなければ対応は不可能だ」(中略)
「坊条先生、それではあなた自身が国家だと言っているに等しい」」
   〜漫画『勇午』横浜・横須賀編〜


「そうした人々はすべて---エクアドルだけで数百万人、全世界では数十億人にものぼる---テロリストと化す可能性を秘めている。それは彼らが共産主義や無政府主義を信奉しているからでも本質的に悪人であるからでもなく、ひたすら現状に絶望しているからである」
   〜ジョン=パーキンス『エコノミック・ヒットマン』〜



漫画『勇午』横浜・横須賀編が完結した。
今回の『勇午』横浜・横須賀編は、

「日本が極秘裏に核武装する」

というお話だ。
極秘裏だろうがなんだろうが、日本政府には許されるはずのない、核ミサイル開発。
しかし、それが政府主導ではなく

民間(企業)の研究開発だとするならば、規制緩和のひとことで許される。

という、

実にリアリティーのあるストーリー。

(^_^;)
日本、アメリカ合衆国、中国の三カ国の思惑が入り乱れる謀略陰謀スリラーの、かなりはったりの利いた傑作なので、お薦めしておきます。
ハッタリ度は、
『ブラジルから来た少年』
なみでっせ〜。
(^_^;)
他に読んだ本で面白かったのは、

●リチャード=ストールマン『フリーソフトウェアと自由な社会』
●ジョン=パーキンス『エコノミック・ヒットマン』
●堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』
●関岡英之『拒否できない日本』
●勝又清和『最新戦法の話』
漫画本で
●『特上カバチ!!』11巻
●『神戸在住』最終巻

連載が終了して2年経ってようやく『神戸在住』の最終巻が出た。

高野文子センセのようなスローペースですね。

鈴木タカ美ちゃんは、大学の卒業式でチマチョゴリを着ていた。在日の友人のものを借りての行動だが、政治的な意図があるわけではなく、彼女の美意識と自己主張の強さがそうさせたよう。
これでもう少しネが暗くなれば、タカ美ちゃん、きっといい漫画家さんになると思います。
さて。
『マガジン9条』さんのブックレビューのページで、ネグリの新刊が紹介されていた。
この本は、私はまだ読んでいない。つーか、ネグリの本は私には難しいんだよなあ。


「ネグリたちは、グローバルな権力の再編制の下では、従来の近代国家はいずれにせよ、やがて衰退するとみる。しかし国家の衰退とは、すなわち国民主権の衰退を意味するのではないか。然り。国家の主権は国民にあるからだ。国家権力が、衰退どころか強化され暴走しているように見えるのだとすれば、それは、主権者たる国民の政治的力こそが衰退しているからにほかならない。暴力機関たる国家が、より暴力的になるのは利に適った話だ。だから、さらなる民主主義的な主権の強化によって、それに歯止めをかけなければならない。 」


と、『マガジン9条』さんの

ブックレビューを読んでようやく理解できるような頭のレベル。

(;^-^ゞ
ただ、


「主権は、君主制、貴族制、民主制へと移行してきた。しかし彼らによれば、代表制による議会制民主主義は戦争や貧困をくい止められず、世界的に瀕死の状態といってよい。議会制民主主義、国民主権による代表制というシステムが、<帝国>との関係において根本的な矛盾を抱え込み機能不全を引き起こしている。一刻も早く民主主義を、国民国家を超えるグローバルな民主主義という壮大なプロジェクトの方へと差し向けなければならない。」


ということらしいですが、“グローバルな民主主義”というものが具体的にどういうものなのか、読んでもわからないので、意見は保留しておきます。
……よくわからないことを話すときって、自然とですます調になりますですね。
(;^-^ゞ
現行の議会制民主主義が、大きな問題を抱えていることだけは、私にだってわかるけれど。

腐ってもテレビ陰謀論者だかんね、私。

(^_^;)
現行の議会制民主主義の問題、それは、

「民主主義というシステム全体をごっそり金で買えてしまうこと」だ。

民主主義が多数決とイコールだと勘違いするようなやからが続出するのも問題だな。
とかなんとか。
ネグリの主張を理解することが難しい私は、何を読むかというと漫画を読むのである。



--☆---


実は、今年に入っていきなり、パソコンは2台も壊れるわ、23インチのモニターは壊れるわ、プリンターは壊れるわ、スーパードライブ(DVD-RとCD-Rの機能をもったもの)トレイが壊れるわ、テレビは音が出なくなるわで、我が家は悲惨なことになっている。

パソコンは、たいてい新品買うよりも修理費のほうが高くつくものだが

悪いことに、私は旧Mac武闘派なので、新型Macなどに我が家の敷居をまたがすわけにはいかないから、何とか修理費を捻出しなくてはならない。

……捻出できねえ!

(T△T)
Amazonで予約していた映画DVDがどんどん届く。
プレイヤーがいかれているから、ぜんぶ未鑑賞だ。

●モフセン=マフマルバフ(きたー!)の『セックスと哲学』
●アキ=カウリスマキ『街のあかり』
●クストリッツア他『それでも生きる子どもたちへ』
●ビクトル=エリセ他『テンミニッツオールダー』
●アニメ『おおきく振りかぶって』(最終巻)

今月末には『パンズ・ラビリンス』も届く。
来月早々には『シッコ』。
いっそのこと、レンタル・ビデオ店でも始めようかな。

 


規制緩和でコピー禁止(2008.3.7)

「現在の著作権法は、産業規制ではありません。一般人に対する過酷な規制になっています。以前の著作権は、作者のために出版社に課せられた制約でした。現在は、実質的に、出版社のための国民に課せられた制約になっています」
「この制度【著作権】は、著作活動の活性化に貢献し、科学やその他の分野の著作を増やして、社会に学習の機会を与えるはずだと考えられています。著作権が奉仕すべき目的はここにあるのです」
 〜リチャード=ストールマン『フリーソフトウェアと自由な社会』〜


「“AT&Tによって管理・所有されています”」
 〜「AT&Tプラザ」“公共”スペース〜


「ロビー活動、政治献金、手の込んだ広報キャンペーンなどを通じて、企業とその経営陣は、政治制度や世論を規制反対へと転換してきた。(中略)歴史上もっとも怪奇な瞬間は、大物銀行家や企業経営者たちがフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領を失脚させ、ファシストの独裁者を後釜に据えようとしたときだった」
 〜ジョエル=ベイカン『ザ・コーポレーション』〜


「本文に一切の変更を加えず、この著作権表示を残すかぎり、この文章全体のいかなる媒体における複製および頒布も許可する」
 〜リチャード=ストールマン『フリーソフトウェアと自由な社会』〜



日経新聞だったかと思うんだけど(忘れました、すみません)、以前、著作権関係でかなり興味深い記事を見かけたことがある。

本をコピー機にかける行為を感知する新しいマイクロ技術が開発された

という内容の記事だ。
その技術を書籍のページに埋め込む(埋め込むのか張り付けるのかは知らないが)ことによって、著作権法の違反者を一網打尽に取り締まることが技術的に可能になった、ということだ。
著作権保護の見地から、いわゆる「複製」という行為をかたっぱしから禁止していかなくてはならない。
かたっぱしから禁止すると言っても、本のページをコピー機によって複製する行為をどうやって取り締まればいいのか、この世のすべてのコピー機の前に監視カメラを設置するわけにはいかず、現実的には不可能な話だった。

今までは。

これからは、新しいマイクロ技術によって、書籍のページをコピー機で複製することを物理的に禁じることが可能だ。
物理的に禁止できるということは、有無を言わさず、ということだ。
別の言い方をすれば、映画会社、出版社、テレビ局、新聞社、レコード会社、黒い魔ソフトが所有権を持つ知的財産を一般の人々からひきはがし、取りあげ、管理し、独占していくために、このような精妙かつ不便きわまりない性能が開発された。
新・自由主義って、

かなり不自由。

(^_^;)
お気に入りの曲をコピーしてに好きな子にプレゼントしたり、書籍のページをコピー機を使って複製して友人たちと回し読みしたりする行為は、これは泥棒と同義である、というような考えかたが、いま世界で急速に広まりつつある。
で。
そうした認識をふまえたうえで、映画評論家の町山智浩さんのブログからこちらの記事をどうぞ。


「mixi利用規約 制定日 平成20年4月1日 制定
第18条 日記等の情報の使用許諾等

1. 本サービスを利用して、ユーザーが日記等の情報を投稿する場合には、ユーザーは弊社に対して、当該日記等の情報を日本の国内外において無償かつ非独占的に使用する権利(複製、上映、公衆送信、展示、頒布、翻訳、改変等を行うこと)を許諾するものとします。
2. ユーザーは、弊社に対して著作者人格権を行使しないものとします 」


ゲゲ〜!!

どっちが泥棒なんじゃこらあ!

これを世間では、

規制緩和と呼ぶ。

ちなみに、後日譚はこちら


かーっ、ぺっ。
(;^-^ゞ
町山さんのブログ記事を受けて、ギッチョさんの『破壊屋』でも話題に。
……ひとびとが今まで手にしていた知的財産、歓びを再配布する分かちあいの楽しさ、模倣から始まる工夫へのチャレンジ、そうしたいっさいがっさいを多国籍企業が独占してしまう自由を認めること、それが、いわゆる規制緩和。
思い起こせば、国民が国家を規制するはずの憲法を、国家が国民を規制する憲法に逆立ち改正しようという

憲法改正論議とまったく同じ文脈、まったく同じ図式。

所変われど品変わらず、だって、目的が同じなんだもの。
わしらはいっぺん、「自由」の定義を、もういっかい見つめ直したほうがいい。


人命を金額に換算する「創造性」(2008.3.5)

「グローバリゼーションとは、経済的効率性とかいわゆる自由貿易条約の名のもとに進められている政策のことですが、実際には法律や政策に対する企業の影響力を強めようという動きです。本当は、自由貿易の問題ではなく、権力の移行(政府から企業へ)の問題です。
それぞれの利益を追求してよいはずのすべての国の国民から立法権を奪い、それらを国民の利益を考慮しない企業に権力を与えようとしているのです」
 〜リチャード=ストールマン『フリーソフトウェアと自由な社会』〜


「エンロンが醜聞にまみれて崩壊したはるか昔から、株式会社という生まれたての機関は、不正と欺瞞にまみれていた。(中略)1696年、英国の通商委員会は、株式会社という形体は「まったく腐敗している」と報告したが、それは「繁盛しているとの偽りの風評を故意に撒き散らして事情に疎いひとびとを引きつけ、一枚噛みたいという熱意を煽り立てて株を売りつける」からだった」
 〜ジョエル=ベイカン『ザ・コーポレーション』〜


「物事によっては、あまりにももろく、貴重で、大切であるため、企業による搾取の対象にはできないことがあると信じている」
 〜ジョエル=ベイカン『ザ・コーポレーション』〜


「我々は病気だった。でももうすっかりよくなって、今はやらなくちゃいけない仕事がある」
 〜カート=ヴォネガット『タイムクエイク』〜



朝が来て、花粉舞い散り、熱も出て、テレビつけても、めでたくもなし。
(^_^;)
いや。
めでたくないのは、もしかしたら私だけか。
またまたお決まりの強行採決(どんな民主主義国家なんだろう)によってこのたび衆院を通過した

予算案の恐ろしい中身をほとんど誰も知らない

今日も平和な日本のテレビジョン。
「三浦氏☆ロス疑惑騒動」なんてものにかぶりついて。
今年の四月から導入される予定の後期高齢者医療制度、みんな知ってる? これ、比喩でも何でもなく、

21世紀の姥捨山だろ!


「はい、今日からあなたは後期高齢者という別枠に入りますので、今日から後期高齢者医療保険を徴集します。ご家族も保険料を負担してもらうよ。ちなみに医療内容は定額制になるので、痛かろうが苦しかろうが、金額を超える治療はできかねますのであしからず

って、あわあわあわ!

こんな悪質な詐欺は空前絶後だよ!!

 ( ̄ロ ̄lll)
それでも日本は平和なまま。今日はどうなるロス疑惑の新情報〜♪
テレビによりますと、どこぞのアイドル歌手が
「(女性の年齢が)35歳以上になると羊水が腐る」
などという暴言を吐いたとかで、日本の津々浦々で非難の嵐が吹き荒れているのだそうだ。
……いや、そりゃ暴言も暴言、大暴言であるのはわかるんだけど、その前に

「出産の機能を失った女性がそれ以後も生き続けるのは社会の無駄だ」などとほざいた某都知事はバッシングされないんですかね?

正直言って、発言者の立場も発言の内容も、某都知事のほうが何倍も悪質だろ!
(`×´)
さて。
日本のメディアが叩きやすいところを叩き、時代を憂い、人々の不安を煽って視聴率を稼いでいるちょうどそのころ。
日本のテレビの向こう側では、世界の経済人やら財界人、独占資本家やらがスイスに集まって、暗い顔して会議をしていた。
サププライムローンから中国産餃子まで、ピンからキリまでなんでも規制緩和で世の中バラ色になるはずが、かなり無残なことになってきた世界経済。そんな現状を受けての世界経済フォーラム年次総会がスイスでおこなわれたのだ。
そりゃ暗くもなるわな。
こうなるのはわかってたけど。
(^_^;)
ねずみ講じゃあるまいし、なんでもかんでも証券化し続けたり、永遠に成長し続けるなんて、そんなわけあるはずないのになあ。
バカだよなあ。
馬鹿というか、はがゆいというか、

だから言っただろ、だめだって。

世界的な金融市場の大混乱を受けて、いま世界では、資本主義システムに対する根本的な懐疑論まで出ているそうでして、それも当然
「本来の資本主義は自由な競争によって永遠に成長し栄えていくシステムなんじゃあ!」つーことで市場任せの放任資本主義を全世界でグローバルに導入した途端に、

金融市場全体が地獄に真っ逆さま

の恐ろしさをまざまざと見せつけられたわけ。
投機マネーでぼろ儲けし、ぼろ儲けすることで、つい先日まで神のようにあがめられていたジョージ=ソロスあたりも、

全世界の新聞をつうじ、24時間ぶっつづけで叩かれまくりの状態。

投機家や資本家を批判する声は今では日が沈むことを知らず、ある時期の大英帝国みたいなもんだ。
おめでとう。(←いやみです)。
頭からガソリンをぶっかけられているようなありさまとなった

ビル=ゲイツ氏

は、世界へのいいわけとして世界経済フォーラム年次総会において、自由という名の独占資本主義☆犯罪やりたい放題状態を抜け出すために、「創造的資本主義」なるものを提唱したそうだ。

「資本主義は富裕層だけでなく貧しいひとのためにも寄与しなければならない」

だそうです。
ぶっ!
混乱を招いた張本人が何を言うかと思ったら。
この世の素敵なものはぜんぶ自分たちか自分たちの先祖のものだけど、独占するのはよくないことだから、慈悲の心で貧乏人にもわけてさしあげましょう、ってさ!

「銃弾を撃ち込んでから病院に担ぎ込む、汚いやり方だ」
(by『地獄の黙示録』)

どうでもいいけど、マーク=トウェインかカート=ヴォネガットの小説からとびだしてきたひとみたいだね、ビルって。
言いも言ったり、

創造的資本主義!

……なめくさりやがってからに。
私、こういう言い草だけは、がまんできないんだわ。

話かわって。

いつもお世話になっている『暗いニュースリンク』さんのところに、マイク=グラベルの最新記事がアップされていた。
マイク=グラベルの記事なんて、他じゃあなかなか読めないので、実にありがたいサイトです、暗いニュースリンクさんは。


「私のトシになるとキツイよ。もう77歳だからな。もしも私が日本で立候補したなら、もっと善戦できると思うよ。日本とか中国とかアジアでは、知識と経験のある人間は尊敬されるだろう? ところがアメリカ合衆国じゃ、尊敬を集めるのはブリトニー・スピアーズやパリス・ヒルトンみたいな有名人ばかりだ。文化の違いもあるだろうが、あなたの国の文化のほうがちょっとマシかもしれんよ。」


……マイク=グラベルさん。

お買いかぶりありがとうございます。

日本は、周囲のアジア諸国から「バナナ」と揶揄されておりまして(黄色人種の皮をむけば白人気取りな人々という意味)、政治状況はアメリカとどっこいどっこいですよ。

宮崎県知事と大阪府知事がテレビの前でやらかしていることを観てみてください。

政治を馬鹿にすることによって政治から馬鹿にされる国民の姿に、きっと絶句なされることでありましょう。
(^_^;)

 


旧Mac武闘派の悲劇(2008.2.29)

「われわれは、Apple IIが教育用のデバイスとして使われるようにしたかった。Apple IIの最初の目標は、人々が問題を解決できるようにすることだった。ところがその後、人々が優れたアプリケーションをたくさん書いたため、多くのユーザーはプログラミングをすることなど考えもせず、プログラムを購入するようになった。
人々はコンピュータの主人になる代わりに、ユーザーになった」
   〜スティーヴ=ウォズニアック〜


「下層階級が存在するかぎり、わたしはそれに属する。犯罪分子が存在するかぎり、わたしはそれに属する。刑務所に囚人が存在するかぎり、わたしは自由ではない」
   〜アメリカ社会党・ユージン=デブス〜


「もし、あなたが船を造りたいのなら、
木材を集めるために人を集めたり、
彼らに作業や仕事を割り当ててはいけない。
むしろ、海の無限の広大さを切望するように教えなさい」
    〜サン・テグジュペリ〜



今日も精神的苦痛を、運動図2000と市多ロウにシャワーのように浴びせ倒されております(笑)。
(^_^;)
まあ、なんでも勉強だ。
Macというコンピュータは、「仕事をこなす為の道具」である以前に、「親切であること」と「論理的であること」を体系的に学ぶための教育システムであるということが、運動図と(不本意ながら)向き合うという行為を通して、逆説的に私に教えてくれる。
Macの操作体系全体が、きわめて論理的であるだけでなく、ユーザーに対して教育的なので、運動図や運動図上で動作する未知のアプリケーションに対してさえ、

運動図2000の持ち主よりも操作がわかってしまうという局面が何度も出てくる。

「このアプリのこの作業には、シカジカの機能が備わっていなければならないはずだ。メニューはどこだ?」
「運動図にカクカクシカジカの機能が備わっているというなら、どこかに○○というメニューも隠されていなければおかしい。さあ、どこだ」
というふうに、

作業の全体像や目的から逆算して回答を導き出したり、あるはずの機能を予測するクセ

が、Mac(旧)ユーザには身に染みついている。
Mac(旧)に出会えてよかった。
ただ、市多ロウというソフトを使っていて、あるメニューを呼びだすのに、escapeキーが割り当てられていたのは、さすがに衝撃でしたけどね。
(^_^;)
メニューを呼びだすのに、こともあろうにescapeキーを割り当てるなんて、Macユーザーとて、予測によって回答にたどり着くのは絶対に無理!
Mac(旧)なら、コマンドキーかオプション使うところだろうけど、よりによってescapeキーとは……。理由があるなら、教えて欲しいナ。
escapeの意味、辞書で引いてご覧なさいよって。
(^_^;)
運動図がデタラメなら、動作するアプリもデタラメで……デタラメというか、ユーザーに苦痛と混乱を与えるために、色んな工夫が凝らしてありますね。
(^_^;)
運動図のデスクトップ画面に向かって、私がブツブツ悪態をつくので、運動図2000の持ち主のかたは、
「使いかたが、だいぶ違うみたいだねえ」
と気づかって下さった。
いやもう、本当に違いますよ。
操作がどうとかいう以前に、なんというか、

「ナチの将校と友だちづきあいしなくてはならないような感じ?」

(T△T)
キッツイなあ。
で、youtubeで見つけた、初期のMacの3分ショートアニメをどうぞ。
Photoshopすら存在しなかったころのアニメです。すげえ!





スタッフロールにジョン=ラセターの名前がある。
おお。
言われてみれば、『トイ・ストーリー』の原形みたいなアニメだ。
それから、できれば、投げ縄ツールや選択ツールなどのメニューアイコンに注目して欲しい。

Photoshop、マックペイントまんまパクってるだろ!

いや、パクるのはかまわない。こういうアイコンは、世界共通であることが望ましいのだから。公共の財産として、認めよう。ただ、

パクったぶんは、ちゃんと還元せーよ、Macユーザーに!

パーソナルコンピュータのパーソナルとはいったいなになのか?
最近のパソコンのコマーシャル(携帯電話もかな)を観ていれば、どうやら、パソコンのパソとは、
「情動を消費するために存在する自分」
という意味らしい。
youtubeの動画をあげてもいいんだけど、観ても暗くなるばかりだから、やめておきましょう。
(^_^;)
自分の情動を攻撃的に消費していくための装置として、パーソナルコンピュータやその他の商品は必要なのですよ、というメッセージを全身にあびて、あとは、○○でいくらお得、キャンペーンでまたお得、という話。
他には、冗談ともギャグともつかぬ非日常的な設定の枠の中で、困惑したり愉快がったりしてみせる大衆の陳腐な姿がメッセージとなっているCMもよく見かける(犬がお父さんで水族館のジュゴンがおじさんな携帯電話のCMとかな)。未来も過去もなく、今この瞬間の情動だけがすべてなんですよ、というメッセージだけを伝えて、あとは商品名をぶちまけてぶつっと終る、そんなCMだ。
えー。

本気ですか?

と叫ぶ私は、つらくせつなく、旧Mac武闘派として生きていく。



--☆---


いつもお世話になっている『暗いニュースリンク』さんの最新記事、
「大統領選挙とロビイスト:金で買えるアメリカ外交」
がアップされていたので、リンクしておきます。
経済システムの根本に鋭い批判の目をむけなければ、どこにも行きつきようがない、というお話だ。

 


最近になって困っている(2008.2.26)

「HyperCardを使ったことがある人でも、それが何であるかと聞かれると答えに窮するのではないか。それは決してHyperCardを使うことが難しいからでも、特別な知識を必要とするからでもない。むしろHyperCardは、操作が易しいという定評をすでに築いてきたMacを、さらに容易に活用できるようにしようという意図を持って開発されたソフトウェアだった。易しくて難しい、この奥深さがHyperCardの重要性を示唆している」
   〜柴田文彦『MacOS進化の系譜』〜


「そこには非デジタルデータの電子化にともなう多くの苦労があったに違いない。しかし、アイディアを容易に現実化することに優れたHyperCardによって、それが可能になった。これは先に挙げたアプリケーションのプロトタイピングに重要性では勝るとも劣らない、データ電子化のプロトタイプ性能である。これが社会的にどれほど貢献したかについては、もはや指摘するまでもないだろう」
   〜柴田文彦『MacOS進化の系譜』〜


「Macintoshのアプリケーションは、使うのも学ぶのも簡単でなければならない。人々がアプリケーションに親しみを感じるためには、新しく学ぶのではなく、すでに身につけている技能によって使いこなせる必要がある。ユーザーがコンピュータをコントロールしているという感覚を持つべきであって、その逆であってはならない」
   〜Macintosh・『応答性』『寛容性』『一貫性』〜


「人生と、関係したい」
    〜アップル社〜



HyperCard、かむばっく。ぷりーず。
私は、アップル社の極初期のテレビコマーシャルが大好きだ。
もちろん、テレビコマーシャルはテレビコマーシャルでしかなく、どれほど良くできていたとしても、結局は、

アップル社のマーケティング分野での立ち回りのうまさ、イメージ戦略のそつのなさ、というものを裏付けるだけだということはちゃんと理解しているつもりだ。

Macintosh(旧)&lisa開発プロジェクトチームが実現しようとし、部分的には実現させた高い理想は会社にあるわけでもましてやコマーシャルのなかにあるわけでもなく、Mac(旧)とユーザーとの関係の中にある。
……、とはいえ、今の私は、ひときわ感傷的になっている。
というのも、事情により、他人様の運動図機(運動図2000プロフェッショナル)を使って仕事するハメに陥ったからだ。
ユーザーを「泥棒予備軍」扱いする黒い魔ソフトという土壌から採れたお化けスイカ、運動図が、わたしの皿の前に置かれたのだ。
世の中はすでに、運動図がシェアを独占してひさしく、

♪いつかは 今日という日が来ると 知っていた〜♪

(T△T)
そして、数日が過ぎ。
運動図が

伝統的に仕掛けてくるユーザーへのいやがらせに、すでに私の繊細な神経はズタズタだ。

(T△T)
外崎則夫氏のサイト『N.TONOSAKI's Personal Station』の大人気コラム『がんばれ!!ゲイツくん』最新号がアップされていたわけだけれど、以下引用。


「ゲイツ君が現在、実質的にMSの経営から離れてゲイツ・メリンダ財団なる団体の活動に専念しているのは実は裏があり、今度はパソコンの代わりに食料を使って人間を支配しようとしているのだ、というものです。(略)
ま、食料だけでなくて、IT方面もそうで、いつのまにか毒餃子ならぬ毒OSを仕込まれて日本中大騒ぎなんてことになっても知りませんからね。ってそれはとっくの昔からそうでしたか(^^;。 」

引用終わり。
「人を支配したがる人は、人を支配したがっているというその事実によって、人を支配するのにふさわしくない人である」
って言ったのは誰だっけ?
私は、youtubeにひたって、MacのCMを観ることにするが、みなさんもよろしければどうぞ。
Macのコマーシャルのなかで、私が2番目に好きなCM。一瞬をのぞいて、サイレントです。
ちなみに、一番好きなCMはyoutubeにあがってませんでした。




Mac伝説のCM『レミング』。
会社としてのアップルは、わずか2年にも満たない期間のうちに、内部から腐敗してしまったけれど、ここで描かれているような世界への強烈な危機感からMacintoshは産まれたのだった。




伝説を通り越して、今では物悲しくもなってくるCM『1984』
このときの強烈なイメージを衣服のように着飾って、アップル社の今のブランドイメージはある。
llllll(-_-;)llllll





カリスマ詐欺師CEO復帰以降のMacはこうなってしまいました。





いや、言いたくはないけど運動図、もう、本当にひどいよ。
なんでもかんでもゴネているわけでも難癖つけているわけでもなくて、本当にひどい。
耐えられません。
何が問題かって、とにかく、操作体系に一貫性がないのがいけない。
一貫性がないから、クリックするたびに親切ぶったダイアログが、こうなります、こうなりません、これでよろしいですかとユーザーにペチャクチャ語りかけなければいけなくなる。運動図におけるこれが「応答性」なんだろうなあ。
初歩的な話をすると、上書き保存を何度繰り返してもファイルメニューの項目がアクティブなまま(ユーザーに対する嫌がらせ目的でないとしたら、なんなのこれ!)だし、コンピュータの終了を実行したらたっぷり30秒待たせた揚げ句に、モニター画面に「コンピュータの電源を切ることができます」って、これにはつくづくあきれた!

車のキー抜いてから「エンジンを切って下さい」って言うのかオマエは!!

「終了」を実行してるんだから、グダグダ言わずに電源落とせよ!運動図!
ちなみに
「これって、どうやって終了するんですか?」
って、運動図の持ち主さんに訊ねたら

「わからんね〜」

って(電源ボタンを押したらいいみたいだね)。
(^_^;)
これがMac(旧)なら、「1に触れて10を知る」といった塩梅で、system7のユーザーがいきなりOS9を操作しても、操作に困るというほどのトラブルはまず起きないはずだ。
……。
もういやだ。



--☆---


映画評論家の町山智浩さんがネットラジオで、アカデミー賞の予想から関連して、

最近のハリウッド映画がどうして愚作ばかりなのか

についてお話なさってます。

http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/2008/02/219_125b.html

胸にすとんと落ちるお話で。
「答えが欲しかったら教会へ行け!」って、ドストエフスキーが同じ意味のことを言ってましたなあ。
「尼寺へ行け!」はシェークスピア。
(;^-^ゞ
町山さんのお話は、映画だけじゃなくて、小説でも、絵本でも通じる話なんよ。
アーシュラ=K=ル=グウィンが言うように、答えを求めるんじゃなくて

「深い謎に思考を寄せる」

ことが大切だと。
サン=テグジュペリの言うように
「大切なことは目には見えない」
からさ。
……。
町山さんと私が違うのは、『プライベート・ライアン』も、子どもだましのくだらない作品だと思っているところかな。
(^_^;)
……言わんでもいいこと言ってしまうなァ。ワシ。

 


さらにオフサイド(2008.2.21)

「イランでは、法律で許可されていることと禁止されていることの境界線がいつも明確ではないという問題があります。法律を取り締まる側にも自分たちに都合の良い解釈を持ち込む人間がいるのです。警察は人々に法を守らせなくてはなりませんが、恣意的な解釈で法律を適用するのは逆効果です。」
  〜ジャファル=パナピ監督『オフサイド・ガールズ』を語る〜


「私だったら、人のすごい作品を見る。本にしても映画にしても、演劇でも」
  〜雨宮処凛『雨宮処凛のオールニートニッポン』



イラン映画『オフサイド・ガールズ』の先日の感想文が、例によって牽強付会とのご批判を受けましたのですが、弟がネット上から監督のインタビュー記事を発見してくれた。
上のウグイス色の引用文がそれ。

みんな、ちょっと、聞いた〜?

監督のインタビュー記事は、なんと、公式サイトにあった!
公式サイトの存在は知っていたんだけど、普段、古いMacの古いブラウザ使ってるんで、観れなかったんだよなあ。
(T△T)
ま、とにかく。

あいまいな社会的境界線を、たえず動き続けるサッカー競技のオフサイドラインに重ねて、一皮むけばかなりガチッとしたカタイ映画なんですよ。

いや、私じゃなくて監督が言ってるんだからね。
f ^ ^ *)
しかし、

「法律を取り締まる側にも自分たちに都合の良い解釈を持ち込む人間がいるのです。警察は人々に法を守らせなくてはなりませんが、恣意的な解釈で法律を適用するのは逆効果です」

って、かなり身に覚えのある話。日本の古きよき伝統らしいけど。
(^_^;)
この映画を観て一部の観客が感じたという不快な「うるささ」「けたたましさ」というものは、実は、「知性」「豊かな感受性」「そのひとがそのひと自身であること」と完全なイコールで結びついている。
そして、どんな小さな声にも耳を傾けるのが民主主義だというなら、私たちは、その「うるささ」「けたたましさ」と正面から向きあわなくてはならないはずだ。
少なくとも私は民主主義という制度を高く評価しているから、この映画の「うるささ」「けたたましさ」を好もしく感じている。
本当にくどいけど、もういっぺん書きます。

どんな小さな声にも耳を傾けるのが民主主義だというなら、私たちは、その「うるささ」「けたたましさ」と正面から向きあわなくてはならないはず。

民主主義はつくづく面倒くさい。
子どもは大人の思い通りにならず、妻は夫にみつゆびつかず、それどころか、ひとの数だけ名前があり、みながペチャペチャといろんなことを話す。
「知性」「豊かな感受性」「そのひとがそのひと自身であること」
フィンランドの小学校は、だから毎日が大変で、そして生き生きと輝いているわけです。
ハレルヤ。



--☆---


えー。
やぶからぼうな話ですみません。
私の身近に、若者の兄貴分をやりたがっているひとがいるんですよ。
たぶん、雨宮処凛さんのような位置に立ちたいと、そんなふうに思っているんじゃないかと。
それはそれでけっこうなことなんだろうけれど---だから余計なくちばしを挟む必要もないんだけど---、若い子の兄貴分を気取りたいのなら、新聞や雑誌記事の切り抜きみたいな説教をする前に、目の前に立っている若い子の意見に(先入観なしに)耳を傾けるとか、少なくとも、

『タクシードライバー』くらい、観ておいたほうがいいんじゃないかなあ。

いや、本当に余計なお世話ですが。
というわけで、youtubeから、ベスト・オブ・タクシードライバー(笑)。
バイオレンスシーンがあるから、観るなら気をつけよう。





肌の黒い(苦笑)チンピラや、夜の女たちを見つめるトラヴィスの眼。
大和民族の血をホコリに感じている今の日本の若者も、こういう眼をしてるんだろうなあ。
いえ、私は、若者の兄貴分などしたくもないので、よく知らないんだけどね。
(^_^;)
私も、余計なお世話を言った手前、『タクシードライバー』を観なおしてみた。
日本という国は、いつのまにか、『タクシードライバー』の舞台そのものになっていたんだなあと思った。
自分の胸元を指さして

「You Talkin' me?」つって、ああ、やたらにリアルで、恐い。

バーナード=ハーマンの名曲が、頭の中で鳴り続ける。

 


『オフサイド・ガールズ』感想文(2008.2.18)

「学校は歴史を通して常に、支配と強制という体系のなかで、自力でものを考える人間を作り上げるどころか、それとは逆の制度的役割を果たしてきました。(中略)。
ハーバードを例にとってみましょう。ハーバードでは数学を学ぶだけではありません。さらに行動に関してハーバード卒業生として要求されることや、けっして尋ねてはならない質問の類も学ぶことになるのです」
  〜ノーム=チョムスキー『教育論』〜


「第二次大戦後、私はこの国で最も思い上がった大学、シカゴ大学人類学部の大学院課程に籍を置きました。復員軍人雇用訓練で私たちのうちの半数、およそ8人があるセミナーに参加していたのですが、その時、好ましく思っていた教授で、実際、私の論文アドバイザーを引き受けていただいた方がこんなソクラテス式の問いを投げかけました。
----------「芸術家は何を為すのか?」」
  〜カート=ヴォネガット〜



東京で昨年公開されたイラン映画『オフサイド・ガールズ』が、奈良では今ごろ(会員制映画会の内部で)上映されたのだが、これがかなり評判が悪かった。
私が個人的に聞いたネガティブな評価は、

「うるさい」
「イランの女の子の無秩序ぶりにあきれた」
「ガールズムービーになりきれていない」

というようなものだった。
「うるさい」
という評価については、確かにコミカルな作品ではあるけれども、多くの方々に評価の高い『フラガール』のほうが物理的には何倍も騒がしい作品なわけで、彼らは「うるさい」という言葉を使って、別の何かを言いたがっていることは明白だ。
たぶん、それは「イランの女の子の無秩序ぶりにあきれた」という言葉と対になっている評価なのだ。
迷ったときは真実を語れ、と、マーク=トウェインも言っているから言っちゃいましょう。
映画を観ているある種のひとたちにとっては、自分で考えて行動する女性たち、子どもたち、隣人たちという存在は、かなり耳にうるさく、ときに好戦的に見え、とにもかくにも批判精神が旺盛、つまるところあなたの気分をかき乱す

やっかいな存在であるという事実と向き合うのが、感覚的に不快なんだろうと思う。

しかし、知性とは、考えるとは、私たちにとって不都合な社会的問題を日常的に掘り起こす、実にやっかいなシロモノなんだ。
私、何か間違ってます?
(;^_^ A
政治家、上司、教師、親、夫、妻、社会人、学生、さまざまなレッテル。
誰もが地域社会の土台を支える歯車としての役割をこなしてギシギシとかみ合いながら、いっぽうで、知性や感受性や小さな疑問の声、というものを、

整然とした日常の中にぶちまけられた騒音のようなものと捉えてしまう。

知性や感受性や小さな疑問の声というものを、じゅっぱひとからげに「騒音」みなすことによって、ある種の効率性が社会的に保たれる。
消費者と呼ばれる幸福な私たちの、ほとんど無価値なまでに多様な暮らし。それから、大量生産社会を支えるのっぺりとした歯車としてのヒト。それらの機能を同時に果たしていくうえで、この種の「異端な感受性」は、私たちにとってかなり面倒な何かだ。
面倒だ、と考えることすら、かなり危険で、あなたをさらに面倒な立場に追いやる可能性がある。

そして、私たちは、この映画の騒音に耐えられないと感じ始める……。

非人間的で無慈悲なスマートさや、過剰なスピード化を際限なく希求しつつ、巨大な市場経済システムをどこまでも効率良く前進させていかなければ一日たりとも成立しない社会のこちら側から眺めて、けたたましく騒がしい、かなり手を焼かされるあちら側のひとたち。
イラン、そしてこの日本というフィールドにおける、

オフサイド・ポジションなひとたちだ。

「ガールズ・ムービーになり切れていない」という評価については、これはもう、なんとも言いようがない、なぜなら、この映画『オフサイド・ガールズ』は、ガールズ・ムービーなどではまったくないのだから。
ではでは。映画『オフサイド・ガールズ』がガールズ・ムービーでないとしたら、なんなのか。
お答えしましょう。

「壁」についての映画なのです。

人間が作り出した目に見える壁。
そして、人間が作り出した、目には見えない壁について。
映画を観ている私たちにとって、より重要なのは、もちろん、目に見えない壁のほうだ。目には見えない壁、それを

「オフサイドライン」と呼ぶ。

私たちの世界に存在する、さまざまなオフサイドライン。
サリバン先生に頭から水をかけられた途端、私たちの世界には名前がある、と気がついたヘレン・ケラーのように、映画を観ている私たちは、見えないオフサイドラインに気がつかなくてはならない。それが映画を観る、ということだから。
さあさあ、だんだん明らかになってきたぞ〜っと。
(*'‐'*)
……えーと。
えらそうなことを言うようだけど、映画を観るということは、映像を目で追いながら、目に見えないものを観る作業なんですよ。
本当にえらそうだけど。
というか、言葉にして説明したら、硬くてちっとも面白くないヨナ〜。
( ̄_ ̄|||)
なんか、こう、言わずにおれないんですよ……。
youtubeの予告編で、目を凝らし、「オフサイドライン」を確認して下さい。





ちなみに、この映画の内容は、イラン社会においてあまりにやっかいだったので、

イラン国内上映禁止になってます。



--☆---


イラン初めての漫画作品(と聞いている)マルジャン=サトラピせんせの『ペルセポリス』が映画化されて昨年日本でも公開されていたんだけど、予告編を見つけた。
ハスキーで音痴な『The eye of the tiger』が、しびれるほどクールな予告編をどうぞ。
(^_^;)





女性崇拝主義者のワシには、たまんないっす。
カッコイイ。

 


普通の日本女性のこれから(2008.2.16)

「人生を過ごすには最悪の五百万年を通りぬけたところだ。やっと何人かの男が、女性にとっては状況が芳しくないのかもしれないと気がついた」
  〜カート=ヴォネガット『失恋者更生会』〜


「私が恐れているものは、ただひとつ。お金です」
  〜マザー=テレサ〜


「真実を語り、嘘を暴くことが知識人の責任である」
  〜ノーム=チョムスキー〜



「交付金の続きが欲しけりゃ、言うこと聞けや」
と、米軍機受け入れ拒否する市民を日本政府が脅すような形で決着した岩国の市長選が終ったわけだけど、まあ、金と力がものを言う、これが日本の民主主義制度なんだからしかたがない。
※多数決イコール民主主義と勘違いしている私たちの「ニッポン」です。
岩国市長選挙が終った途端、沖縄ではアメリカ兵による中学生の女の子へのレイプ事件が起きた。

38歳の二等軍曹、極東の島国の女子中学生に乱暴!!

わが日本の愛国的民族主義者のみなさんは、この事件に、どれほどにお怒りになられているだろうか。
軍艦マーチも勇ましく、米軍基地を街宣車で取り囲んでいる……かと思えばさにあらず、こちらにでばっていたようで。

「DV(ドメスティック・バイオレンス = 夫婦や恋人間での暴力行為)を防ごうという趣旨の講演会が、ある団体からの抗議を受けて中止となった、という事件がありました。
 1月20日に茨城県つくばみらい市で予定されていた、DV防止講演会のことです。
 朝日新聞(2月8日)によると「普通の夫婦間に軽度・単純・単発的な『暴力』はあって当たり前。『夫からの暴力根絶』論は、過激フェミニズム」などと書かれた要請書が市に届き、それを受けて市が講演会中止を決定したという」
(『マガジン9条』さんより)

……。

普通の夫婦間に軽度・単純・単発的な『暴力』はあって当たり前って、ホー!そうだったのか。

私は物心ついてからこっち、他人を殴ったことがなく、たぶん一生体験することはないと思うけど、やっぱ、すげえ特殊な人間だったんだな。
“普通の”夫婦には、暴力があって当たり前なんだもんな。
であるならば、アメリカ兵による少女レイプ事件“ごとき”で怒ったりできないよね。
なにせ、沖縄の本土復帰からこっち、

アメリカ兵による婦女暴行事件は125件だ!

フツー! フツー!
日常! 日常!
ちなみに、アメリカ兵が起こした事件の数をぜんぶあわせると、約5500件だ!
ワーオ! 
まさしく、

普通の日本国民と普通の米兵の間に軽度・単純・単発的な『暴力』はあって当たり前ちゅう感じですな!!

うむうむ!
って、そんなふうに思えるかっての!

♪まいにち まいにち〜
♪ぼくらは米兵の〜
♪姿にビクビク いやになっちゃうよ〜
♪ある朝〜 少女が……

あ〜、もう、日本国が美しくなればなるほど、女性のみなさまに顔向けができなくなるよ、普通でないワシとしては。
ちゅうかさ、日本の普通の女性、それから普通でない女性は、普通の男と普通のアメリカ兵に出くわす可能性のあるときはかならず、肌身離さすバット持ち歩いたらいいねん。
ほんで、フツーに、日本の男どもとアメリカ兵をボコボコにしてやればいいねん。
クールだろ?
d(ー.ー )
普通の男どもと普通の女の人たちでは、パワーも体格も決定的に違うのだから、腕力にものを言わせ、力づくで押し通してゆく「普通の暮らし」のただ中では、女性にバットの所持くらいは許されるべきだろう。

日本の普通の男女の間にだって、スポーツマンシップは尊重されるべきだ!

男性が女性をどつくのなら、イニングが変わって今度は女性の攻撃の番だ。スリーアウトになるまで、軽度・単純・単発的に

バットを振り抜くんだ、日本の普通の女性たち!

それが清く正しいルールだ。

♪かっとばせ〜、女性〜♪
♪おっとこ、倒せ〜 オー♪

女性を力づくで屈服させることが目的でないと言うなら、フェアにいこうや。

後攻は女性がバッターボックスさ。
……。
日本の普通の女性たち。過激なフェミニズムなんてクソくらえ!が日本民族のホコリだそうだから、日本女性として、日本男性&アメリカ兵とバットでコミュニケーション!
~(≧◇≦)/ フレー、フレー、お、ん、な
繰り返しになるけれど、私個人は、女性を殴ったことなど一度もない。そういう意味では普通でないわけですけど、そんな私も日本国籍の性別は男性ですんで、女性のみなさん、気にくわないことがあったら、どーぞ、

バットでどついてくださいね。
(↑女性限定)

そのとき、おいらたち男は、普通の男ども、普通の米兵につらい目にあってきた女性たちの痛みの、ほんのきれっぱしを味わうんだろう。
……しゃれにならんくらい痛いんだろうな。



--☆---


『マガジン9条』さんをぶらぶらしていて気づいたんだけど、雨宮処凛さんの『雨宮処凛がゆく!』が連載になっておった。
新右翼団体「一水会」の鈴木邦男氏と「愛国心」について対談なさっている。
日本共産党の志位和夫氏と対談したと思ったら、「一水会」の鈴木邦男氏と対談。
そこがまず、素敵。
かなり読みごたえがあったので、リンクしておきます。

 


*餃子と音楽の話*(2008.2.14)

「東京のスーパーの店棚に並んでいるバナナにしても、肉にしても、世界各地から輸入されていて、調べてみれば同じような話があるはずだ。私は、たまたまナイルパーチを取り上げ、それをもとにこの愚かな構造を描いた。生命にとって最も危険なことは人間の無知だから、無知で覆い隠されているグローバリゼーションの仮面を剥がすのが私の使命だから」
  〜ザウパー監督、自作『ダーウィンの悪夢』を語る〜


「人類から愛国心を叩き出してしまわないかぎり、あなたがたは決して平穏な世界を持たないだろう」
  〜バーナード=ショウ『オーフラハーティー』〜



世界のみなさん、オハコンバンチワ。
某店での牛丼メニュー再開のときはもちろん、国民をなめ腐った食の不祥事を起こした「不二家」、「白い恋人」、「吉兆」、「赤福」、その他もろもろが営業を再開しても、不買運動どころか

“マスコミで話題の食品”に我先にと押し掛ける日本国民

の一員であるワタクシが、国を挙げての思考停止状態の国内から日本語でおおくりしております、この日記。
さっそくですが、世界のみなさん。
いま、我が国では、中華料理発祥の地、中国から輸入した

冷凍食品の餃子に殺虫剤が混入

していたということで、テレビも新聞も上を下への大騒ぎになっているわけなんですけれど、世界のみなさん、膨大な問題食材の山の中から、餃子だけとりだして今さら何騒いでるんでしょうか、私たちは。
今さらと言いますのも、例えば、餃子と同じ冷凍食品の白身魚フライが、どこからどんなふうにやって来ているのか、その他、豚肉、鳥肉、ミカンにバナナ、これらがどうなっているのか、ちらっとでも考えたほうがいいと私などは思うわけです。
……と、こういうことを書くと、我が国では「食品問題に関して不まじめな態度すぎる」なーんてお叱りをうけたりもするんだけど、いや、もう、

どっちがって話しでして。

ことは中国一国、餃子一食品だけの問題ではないと、あなたは気づくことになるかもしれない〜、ヒュードロドロ〜。
世界のみなさん。
わがサイトにときおり足を運んで下さっているスウェーデン、ベルギー、フィンランド、アルゼンチン、台湾、ルーマニア、チェコ、アメリカ、某国諜報機関(←まあぜんぶクルーラーだろうな)のみなさん。
なんたることか我が国では、夜の11時に会社から帰宅し、ネクタイを肩からぶら下げ、レンジでチンした食品をもそもそ食べながら観るテレビニュースで得た情報が世界のすべてですので、テレビでいきなり
「餃子に殺虫剤が入っていた!」
と言われてようやくギョヘ〜!とひっくりかえってみせる、楽しい国民が大多数です。
(^_^;)
フィンランドのみなさんのような

16時には仕事を終え、そのあとは家族や恋人と街の図書館でデートするのが日課という、優雅で知的な暮らしからは100万光年遠い場所で

会社に浸るようにして過ごす日々が、私たちの共有する現実なのであります。
つーか、今回の餃子騒動で、我が国の餃子の売り上げはぐんと伸びたのだそうで。
メディアが報じればそれがなんであれ条件反射的に飛びつく、わしら、

ジョージ=A=ロメロの『ゾンビ』の世界、そのまんま。

ある種の楽園と、言えなくもありますまい。
こんな塩梅ですので、「洗脳」という言葉の意味や定義を自分自身に向けて照らしてみることすらできないまま、よそんちの国民をギャーギャー「洗脳」「洗脳」と声高に非難してみせるのも、これまた、仕方のないことなのであります。

フィンランドのみなさんとは逆ベクトルではありますが、日本ほど国民ひとりひとりに「教育」の行き届いた国は、そうはありますまい。

「洗脳」の代名詞である朝鮮人民共和国の教育システムは、日本の戦前&戦中の教育システムをまるまる導入したものであることは、(日本国民以外の)世界の誰もが知っていることですが、比較するとやはり、

本家のほうが何倍もスマートです。

疑問を感じさせないように統治するわけです。ですので、幻想としての「自由」の海を私たちは今日も漂いながら、無理を極めたような日常を這うようにして生きていくのです。
食品の話に話題を戻すと、事態を引き起こした元凶は、中国産の餃子からアメリカ産の牛肉までぜんぶおんなじ

規制緩和

なんですよね。
世界のみなさんにとっては、釈迦に説法でしょうけど。
国民に
「安いが一番!」
などと吹き込んで、食ったらおっ死ぬようなモンあてがって、騒動が起こったらいっしょになって騒いでみせる。日本という国における、これがメディアのお仕事なわけですが、「テレビ」を乗り越えつつあるアルゼンチンのみなさまにとっては、すでに過去となった問題でしょうか。
(^_^;)
輸入食品の検査をほっぽりだすと(わーい、コスト削減だーい!)、人件費は浮く、あちこちから賄賂は届く、アメリカ大統領と友達づきあいできる、いいことづくめ。……と、日本国民の上から下まで考えるんですよ。
我が国の朝の名物、ぎゅう詰めミートトレイン☆民営化国鉄列車に乗って、サラリーマンの会話に耳をすませてご覧なさい。

自分こそは狼だと信じ込んでいる(そう教育されている)豚さんや鶏さんの不思議世相会話でいっぱいですよ。

なんせ、この国では、労働組合が会社に
「我が社も数千人のリストラを断行して、国際競争力をつけるべきだ!」
なーんて交渉をするんです、信じられますか? スウェーデンのみなさま! 自分で自分のクビをキレって、わしらはごねるんですわ!
(^_^;)
他には、
「我が社も軍需産業にいっちょ参加して、がりがりデカクなるべきだー! ヨソはみなやってる(←常套句)」
なーんて、会社に圧力をかけたりします。
(^_^;)

信じられますか!?

実は、我が国の労働組合の幹部の多くは、デーモン族……もとい会社に心をのっとられているというか、のっとるというと語弊があるんですが、早い話、はした金で買収されておりまして、労働運動どころか、組合員のことすら、なーんも考えておらんのです。
世界のみなさま。
ごらんのとおり、すべての人間的価値を貨幣の排泄物としかみなさない社会の内部では、『不思議の国のアリス』のように、すべてがあべこべで、醜悪で、こっけいなのです。
幸福が金で買えると思っていて、しかも、自分が心からそう信じていることすら納得したがらない国民性。
そもそも、金で買える買えない以前に

「人間には、幸福よりも大切なものがある」

という大前提にまず気づくべきだ、と、世界のみなさまならおっしゃるかもしれませんね。
いちいち、ごもっともです。



--☆---


『暗いニュースリンク』さんのところから、音楽の話題を。

『ニール・ヤングの悲痛なメッセージ:「音楽で世界は変えられない」』

いま、世界を買える……じゃネエ、変える力があると考えられているのは映画で、しかし、おそらくそれも、まもなく私たちの手から奪われることになるだろう。
でも、映画が奪われても演劇があるじゃないか。……いや、そのとおりなのだが、演劇は、お金を生み出さないという実に馬鹿げた理由で、少なくとも日本の社会の内部においては、どんどんスミに追いやられつつある。
インターネットは期待されながら、どこまでいっても単なる可能性のまま、たいていの話題は効率的な権利の独占と、

山師の戯言的なもうけ話ばかりだ。

笑っていいのかなんなのか、どこかの有名な評論家が、
「ブログは民主主義的に使いやすい」
なんてことを言っていたけれど、フィンランドでは小学生だってこんなトンチンカンなこと言わないだろうな。
別の人は、

「「公共性の工学科」は可能か」

などというタイトルでなにかしゃべっていたし、あーあ、もう、言葉を玩びすぎてマインドが腐る、といういい見本……グフン、コフン。
文学界は、芸術世界をリードすべき本来の仕事をすっかり忘れている。というか、芸術家と呼べる文章書きが、かなり少なくなってしまった。
作家は本来
「先生」
と呼ばれるべき人物でなければならないはずなのだ、ねえ、漱石先生。
そんなわけで、……そんなわけでと言うより、よその庭もこんな有り様なんだから、ニール=ヤングさん、悲観することはないよ。
頑張ったじゃないですか。

もいっこ、今度は町山さんとこのサイトから、
『シェリル・クロウの「ラブ・イズ・フリー」とニューオリンズ』

何かが変わるのかは別にして、やることはやっておかなくちゃね。
そして、シェリル=クロウは「愛はタダ」と言うけれど、実際のところ、貨幣のあるところに愛は訪れることができない。
人間が殺虫剤入りの餃子を食べられないのと一緒。

タダどころか、マイナスでもだめなんだ。

貨幣経済制度のモノサシから、完全に開放されること。
だから、厳密には、「ラブ・イズ・フリー」という言葉ですら、愛には窮屈だ。「自由」という言葉すら、「不自由」を含んでいるから……。
とはいえ、シェリル=クロウのおっしゃりたいこともよくわかるよ。
まずは、第一歩を踏み出すこと。
1の数がなければ、10にはたどり着けない。
それから、これも確かなことなんだけれども、愛はワシの脳と口がやらかしているような、硬い屁理屈とも無縁なんだよな。実際。
(^_^;)
私個人は、愛は重すぎると思っているよ。
ヴォネガットの言うように、親切でいい。
これだって、自分自身に真剣に問いかけると、かなり難しいハードルだ。

 


ぜんぶ、コンスタンチンのせい!(2008.2.12)

「取り引きや貸借勘定もみんなこえて、その先にこそ自由があるんだと思う」
 〜アーシュラ=K=ル=グウィン『ゲド戦記・帰還』〜


「映画はアートで一人の人間の表現であると考える。これがフランスとアメリカの違いで、この数年、アメリカは映画イコール商品になりつつある。アートでもまず商品として見る。これが拡大している」
 〜コンスタンチン=コスタ=ガブラス〜



映画界の巨匠、コンスタンチン=コスタ=ガブラスの娘さん、ジュリー=ガブラスが映画を撮った。
『ぜんぶ、フィデルのせい』。フィデルとは、フィデル=カストロのことだ。

ぜんぶカストロのせい、うーむ、いいタイトルだ。

ジャンルわけをすると、『エヴァとステファンと素敵な家族』系の映画だ。
『ウィキペディア』でひろったあらすじ、ならびに概要
この映画については、ギッチョさんの映画評サイト、いつもお世話になっている『破壊屋』の批評が素晴らしいので、こちらをご紹介させていただきます。
ギッチョさんは、

どうしてラストシーンが俯瞰なのか? どうして娘の親友はベトナム人の料理が食べられないのか? どうして狐の足が千切れていたのか? どうして娘は嫌いなスペイン人の従姉妹と仲良くなったのか? 映画の各シーンの意味が理解できると、映画は益々面白くなる。だけども映画ってのは中々わかりにくい。わかりにくいけど「ラストシーンが俯瞰なのは、束縛のない新しい社会に溶け込む様子を描きたかったらです」ってナレーションで解説するわけにはいかない。映画を観るプロたちはそのために存在する。」

とおっしゃっている。
いや、もう、本当にその通りだと。
映画は、娯楽産業という枠を大きく超えているジャンルなのだからして、感動を消費してそれでハイ終わり、というのは、あまりにも悲しい。
大多数の日本人、それからアメリカ人が考えているよりも、映画はかなりわかりにくいシロモノだと私も強く思う。

そして

知識に裏打ちされた想像力を跳躍のバネにして

ソ連のコミンテルンからも、アメリカ式の「独占する自由」主義からも解放された新しい未来像を示し、映画はいま、かなり面白い。

ギッチョさんが言及した、ラストの俯瞰シーン、別の映画だけど『パンズ・ラビリンス』の、すべてが終った後、ひっそりと咲いていた花の意味。
いやあ、素晴らしい。
『youtube』にあった、『ぜんぶ、フィデルのせい』の予告編




youtubeって、ほんと、便利。

 


*ゲドも空を飛ぶ*(2008.2.9)

「「アンサルでは、女や女の子も市民であって、犬でも奴隷ではないからです」とわたしは言った」
   〜アーシュラ=K=ル=グウィン『ヴォイス』〜


「この映画では、自分の子どもをいつも背負っているアグリンが登場します。ヘンゴウもまた、両腕がないという宿命を背負って生きています。実際、彼の泳ぐ姿は亀のそれと似ています。彼らを救うのは、アグリンのように空を飛んでしまうことなのかもしれません」
   〜バフマン=ゴバティ自作映画を語る〜



アーシュラ=K=ル=グウィンの『ゲド戦記』シリーズの映画化作品は、

スタジオジブリのあのアニメではなく、バフマン=ゴバティの『亀も空を飛ぶ』だ

と、誰に聞かれたわけでもないのに、私は今日まで訴え続けてきた。
これからも訴え続けるであろう。
そんなことをして何になるのか、と問われると、えー、なんにもならないんだけども(苦笑)、まあ、言わずにおれないんだろうな。
(^_^;)

『ゲド戦記』のテルーは、
 ♪夕闇せ〜まる♪
と歌っていたあの娘ではなくて、
『亀も空を飛ぶ』のアグリンなのだと、ワシは今日まで語り継いできたのであります。
で。
『youtube』に『亀も空を飛ぶ』の予告編その1



それっぽいでしょ?
(;^-^ゞ
しかし、本編はこの予告編よりもヘヴィーだったりする。
本編の雰囲気通りの予告編その2



小さな画面で予告編を観ただけでもわかっていただけると思うけれど、

かなりすごい映画だ。

最近、わらわらと増えてきた感動ファシストたちが持ち上げている、感動ドーピング系のブツとはモノも桁も違うのが、予告編からだけでも感じていただけるのではないでしょうか。
(この文章を書いたあと弟に聞いたのだが、なんでも香山リカさんが「情緒ファシスト」という表現で、私の主張と同じ文脈でお話をしているそうなのです。ちょ! 私のオリジナルなのに、くやし〜!)
最後にかなりネタバレ予告編。
本編をまだ観たことのないひとは、観ないほうがいいです。



『ゲド戦記』のファンは、一度は本編を観てください。
驚くどー。


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