*姫林檎日記-細腕出張スペシャル*
純の『絵本』大学での勉強ぶりをやんやとスペシャルでお届けした絵本大学エピソードシリーズの番外編を、玲子に代わりお送りいたしま〜す。(*^▽^*)


『絵本大学』の同窓会の巻

先日、『絵本大学』の同窓会に行ってきました。

*絵本大学在学中の私の活躍ぶり(?)は、こちらのバックナンバーから確認していただけます*

絵本大学エピソード(1) / (2) / (3) / (4-1) / (4-2) / (5) / (6) / (7) / (8)

同窓会などというものは、基本的に当事者以外には関心の抱けない行事であるから、「行ってきました」という以上のことをここで話したりする気はないけれど、忙しいさなかの高山智津子先生にも参加していただけ、本当に素晴しい同窓会になりました。

“小さいひとたち”に花束を贈呈してもらって、心から嬉しそうな高山智津子先生。一番右の子は、お母さんのところ(カメラの手前側にいる)に戻ろうかどうしようか悩んでるの、かわい〜!

同窓会の前日に私は、絵本大学に在学中の自分自身を振り返ろうと、当時無目的にシャッターを押したデジカメ画像を整理してみた。
講師をつとめられた高山智津子先生、絵本大学第一秘書のT=Mさんらのお姿が、やはり一番多く撮影されている。
過去となればどれも大切な写真で、一枚たりとも捨てられないナ。
2002年4月から2003年3月までの一年間の自分自身を、ひとことの言葉に要約するとすれば、それは「出会い」となるだろうな、と思う。
絵本大学にかかわったすべてのお友だちたちとの、出会いの思い出、だ。
私が絵本大学に在学中のころは、T=Mさんの周囲をうろうろしてばかりいたつもり。
忙しくパタパタ走り回って働いているT=Mさんのうしろを子犬のように(でっかい子犬……)つきしたがい、彼女はさぞかし迷惑したことであろう。
今だから言うけれども、私は、T=Mさんのファンで、お話を聞くのが大好きだった(今じゃなくて、そのとき本人に言ってあげなよ)。
T=Mさんは、子どもたちのことを、
「小さいひとたち」
と呼んでおられた。
私もまた、子どもたちのことを「小さいひとたち」と呼ぶのがもっとも自分の気持ちに正直ではないかと思っていたから、そんな彼女に共感したということは、きっとあると思う。
世間一般には子どもは子どもで、小さいひととは、例えば身長の低いひとなどを指していると誤解される可能性があり、だから使う場所が限られてはいるけれども、話が通じあうのならば、やはり私にとって(そしておそらくT=Mさんにとっても)、子どもたちは「小さいひとたち」と、そう呼んであげたい存在なのであります。
デジカメ画像の次は、本棚からマリー=ホール=エッツの絵本を二冊抜きだしてくる。
『モーモーまきばのおきゃくさま』と『わたしと あそんで』だ。
『モーモーまきばのおきゃくさま』は、私の大好きな絵本、『わたしと あそんで』は、T=Mさんの大のお気に入りの絵本。
『モーモーまきばのおきゃくさま』は本当に素晴しい、傑作絵本だけれども、今はT=Mさんご推薦の『わたしと あそんで』のお話をしよう。
『わたしと あそんで』の、「あそんで」と語りかける「わたし」は、小さな少女だ。
ひとりきりで原っぱに遊びに出かける。
少女は、その原っぱで出会った一匹のばったに「あそびましょう」と声をかける。しかし、バッタは驚いて跳んでいってしまう。
次に彼女は、一匹のかえるに出会い、かえるにも「あそびましょう」と声をかけるのだが、やはり、逃げていってしまう。
かめ、りす、かけす、うさぎにへび……と、少女は片っ端から遊びましょうと声をかけていくのだが、すべて、すげなく逃げられてしまう。
少女は独りぼっちになり、池のそばの石に腰掛ける。
ところが、そうしてしばらくすると、さっきは驚いて逃げていったばったや、かえるや、かめや、りすたちが、様子をうかがうように、そろそろと戻ってくる。
彼らを驚かせないように、少女はじっとしている。彼らに、少女がけっして危険な存在ではないこと、彼らと仲良しになりたがっていることを理解してもらうためだ。
とうとう、鹿の赤ちゃんまで、姿をあらわす。
鹿の赤ちゃんは、親愛の情を込めて少女の頬をなめてくれたりもする。
「そのページを開いたとたんに」
とT=Mさんはおっしゃった。
「火がついたように、泣きだした男の子がいたんですよう」
……ん? しかし私には、T=Mさんのおっしゃることが、最初さっぱりわからなかったの。
だって、くだんの見開きページは、鹿の赤ちゃんと少女がお友だちになった瞬間のシーンが描かれており、お友だちを求める少女の物語の喜ばしさの頂点でありこそすれ、怖がったり、驚いたりするような場面はなにひとつないように思えたから。
私は、そのとき、T=Mさんの言葉の意味が理解できず、不可解な表情をしていたに違いない。
「(絵本を読んでいて急に泣きだした)その小さなひとは」
とT=Mさんは続けた。
「鹿の赤ちゃんのような大きな動物を今まで見たこともなければ、ましてや、顔をなめられたことなんてなかったんですって。だから、びっくりして、泣きだしちゃったんですよお」
そのT=Mさんの言葉を聞いたときの電撃のようなショックを、はたしてご理解いただけるだろうか?
絵本の中で少女が、鹿の赤ちゃんに顔をなめあげられるシーンを、自分自身と完全に同一視していなければ、泣きだすことなど不可能なはずだ。
何という鋭さ! 現実にうつつを抜かしてばかりいる大人たちには、もはや想像することさえ不可能なほどの深み!
私は仰天し、おおげさでなく、数秒間ことばを失ってしまったほどであります。
「彼ら(小さいひとたち)には、何が見えているんですか?」
と私は、ようやくT=Mさんに問うた。
その問いに、T=Mさんは、苦笑ともつかぬ笑みをうかべるばかり。
「私は、彼らの……小さいひとたちの目線で、世界を見てみたいんですう」
と、T=Mさんは、確かに言った。
「見たい!」
と私も強く同意した。
見たい!見たい!見てみたい!それほどの感情移入が本当に可能だというのならば!
この日以来、「小さいひとたちの目線で世界を眺める」のは、私の永遠の欲求となったように思う。
……私にとっての絵本大学は、こうした素晴しい思い出たちの宝箱なのね。
記憶の中からときおり取りだしては、そのたびに心から満足でき、喜べる思い出ばかりなのが、本当にうれしい。
これらのエピソードたちは、数ヶ月の時の経過をへて、すでにそれ自体が別世界のファンタジーのようだ。
同窓会で久しぶりにお会いした高山先生、お友だちたち、ぱふのY=Tさんと過ごした時間は、思い出と現実の鋭角な交点なのかもしれないね。
やがてこの日も思い出となる。

同窓会では、受付、会計からお茶くみまでさせてしまいました、左からY=TさんとS=Iさん(ピンボケごめん)。リチャード=アダムスの『ウオーターシップダウンのうさぎたち』は、面白いので是非読んでみてね。



2003年7月23日  溝江純


玲子のプロフィール

溝江玲子 山羊座で12月27日と暮れも押し詰まった大変忙しい時期に生まれました。
昭和12年、旧満州国奉天に生まれて、上海に育ち、終戦後に大連から引き揚げてきました。もう、戦争はこりごりです。
職業はと聞かれると、答えがいく通りもでてきます。一番格好よく答えると、作家かな。それから、7年前立ち上げた遊絲社(ゆうししゃ)という出版社の代表です。
趣味は読書とお絵描き、素材のページのキャラクターの原画も描いています。
へこんだときに呟く言葉は「人間 万事 塞翁が馬」。これで、幾多の試練を乗りきってきたのです。

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