*「ヤサシイワタシ」*(2001.12.25)
漫画雑誌、月刊アフタヌーンに掲載されていた、ひぐちアサ先生の「ヤサシイワタシ」、今月号で連載終了となってしまいました。
まったく、無念です。
長々と連載が続けばそれで良いというものではないでしょうが、しかし、最後の方、展開が急だったなあ。
まさか、人気がなくて、うち切りになったということはないでしょうね?
うう、ファンレターを書けばよかったのかな。
先生への励ましのお便り、ってヤツですか。
どんなベテラン作家でもなかなか描けない、というか、百戦錬磨のベテラン作家でもこういう作品をいつかものにしたいと願っているだろうな、という傑作だと思っていたのに。
終わっちゃうなんて。( iдi )
ラストがこれまた、本当に素晴らしかった。
雑誌を閉じて、しばらく余韻を噛みしめてからでないと、他の連載漫画を読み進めなくなるほどに。
何がどうなったら、こういうお話が描けるのだろう?
こういうネームを作るひとは、果たして純と同じ、人間の脳みそを持っているのだろうか?(笑)
主要人物ふたりの恋愛関係を中心にして、そのまわりを何人もの友人が出てくるのですが、基本的に、対話で延々と引っ張るという非漫画的な展開にまず惚れました。
物語上大切な場面は、いつも、誰かと誰かが、ふたりきりの状態にセッテングされているんです。
これ、とても大事。
人間関係の基本は、AとBの二人の関係である、と、最近の純はつくづく思う。
AとBが、XとYだったりもします。
大事なのは当事者のふたりが、当事者ふたりの問題をとうとうと語りあうこと。
語り合ったあとは、自分自身に自問すること。
このくりかえし。
実人生を生きるうえで、勉強になるなあ(笑)。(*'‐'*)
それはともかく。
くどいようですけれど、「ヤサシイワタシ」、つくづく非漫画的だと思いませんか?
いや、純は、心底感心してるんです。
木尾志目先生の「陽炎日記」「四年生」を読んでも思ったんですが、こういうお話しは、つい最近まで小説が書いていたんじゃないでしょうか?
「まんが」は、今や雲を突き破ってそびえ立つほどの超巨大産業ですから、才能のある若い文学者は、みんな小説じゃなくて漫画を描くようになった……とか、そんなふうにも考えたりします。
昔は演劇を志していたような若者が、今ではバンドをやってたりするのと似ているのかな。
あー……。
気づけば、ちょっと喋りすぎ。
漫画雑誌を読んで、思い浮かぶままの印象を無思慮にべらべらと喋って、純って、ほんと、軽はずみ〔苦笑〕。
知りもしないのにね。(^-^;A
「ヤサシイワタシ」本当に大好きでした、と言いたかった。
しかし。
「アフタヌーン」には、まだ、木村紺先生の「神戸在住」という傑作が健在です。
これほどの作品に運よく出会えた純は、本当に幸せ。
生きててよかった、と心から思える……。
あ、涙が出てきた(笑)。
半分は、「ヤサシイワタシ」のラストシーンに。
もう半分はこれからの「神戸在住」のために。
何年かぶりに気分のいい、クリスマスだなあ。(*'‐'*)
*国語の教科書のなかの絵本*(2001.12.23)
最近純が、絵本に凝っているのを知って、弟の航志が、小学二年生時に使用していた国語の教科書を持ってきました。
「こくご 二下 赤とんぼ」と表紙に書いてあります。
裏表紙をみると、昭和五十五年六月一日印刷、となってます。
よくもまあ、こんなモノとってあるよなあ。(^-^;A
その国語の教科書に、アーノルド=ローベル氏の「お手紙」が載ってありました。
ちゃんと、あの、擬人化された蛙たちの挿し絵も載っています。
……。登場人物は、がまくんとかえるくんのふたり。
がまくんは、玄関の前に座って、お手紙が来るのを待っています。
しかし、だれひとり、がまくんへお手紙を書いてくれないので、しょんぼりしています。
それを見たかえるくんは、お家に帰り、がまくん宛に、親愛の情をしたためた手紙を書いて、カタツムリくんに届けてもらうように頼みます。
しかし、カタツムリくんの脚は、とってもゆっくりなので、なかなか、がまくんの家までたどり着きません。
さて、どうなるか?というお話しです。
「国語の教科書って、低学年の時は面白いのに、高学年になればなるほど退屈になって、高校の時の教科書の内容なんか、モーまったく覚えていないよ」
と、弟は言います。
しんらつ〜。(^-^;A
純は、小学全期間を通じての教科書の内容、ほとんど覚えていないです。
(^-^;A
もしかしたら、純の二年生の教科書にも、「お手紙」載ってたのかな……?
栗山先生、どうでしたっけ?(笑)。
弟の国語の教科書では、
『ふたりが とても なかよしだなと いう ことは、どんな ところで わかりますか。』
と訊ねています。
う〜む、けっこう、むずかしい質問だ(笑)。
「ふたりが仲良しだって、どんなところでわかる?どう言えば正解なの?」
と、純は弟に訊いてみました。
すると弟は、フヒー!とため息をつきました。
ε= (- . - )
「そんなふうに訊ねてしまえば、それは『ただそれだけ』のことになってしまうんだよ。ぺなぺなのからっからん。
だけど、こういうたぐいの授業でもっとも大切なのは、自分の考え、もしくは、自分の感じたことを、言葉を使って正確に他者に伝える訓練なんだよね。ようは、授業の持っていきようだと思う」
……はあ。
どうもごめんなさい(笑)。
純は、立派な教師にはなれないでしょう(あたりまえだ)。(^-^;A
まあ、たしかに。
絵本を読んで、何を感じるかは、ひとそれぞれ。
だけど、感じたことを感じたとおりに相手に伝える技術の習得は、とても大切なんだ、と、あらためて思った純でした。
*大昔に見た夢*(2001.12.20)
大昔に見た夢をふと思いだしました。
きっと、クリスマスが近くなってきたからだと思います。
そのころは、二谷友里恵さんの「愛される理由」という本がベストセラーになっていた時期なのですが、その本について、女性記者が私に意見を聞きに来る、という夢でした。
いったい、何考えているんだか……(^-^;A
どこの記者が、純の意見を聞きたがるんじゃ、ちゅうの!
と、一応突っ込んでおきまして。
「そもそも、愛に理由なんてあるのでありましょうか」などと、純はその記者に答えていたのであります。
「『あなたのかわいいお眼々が好き』?じゃあ、そのお眼々がなくなったら?『あなたのたくましい背中が好き』?じゃあ、病気になったら?」
等々、純は夢の中で、子供っぽい理屈をこねつづけます。(*^-^*;)ゞ
とうぜん、そういう立場に立てば、結論はひとつ。
純は、もったいつけた後、おもむろに言い放ちます。
「愛される理由とは、実は、愛の不在を数え上げているだけなのではないでしょうか?」
ドシー!
夢の中じゃあ、これ、決めゼリフのつもりなんだなあ。
恐ろしくハズイ夢ですねー。(;^_^ A
当時の純には、愛に理由があるなんて、そんな下品なこと、許せなかったんだと思います。
なんてイヤラシイ!と心の底の方で、憤慨していたんですね。
若い、若い。
今の純は、そのときほど純じゃないので(うまい、座布団一枚!)こんなふうには考えていませんよ。
「愛には理由が必要である、と考えてさしつかえなし」
てなポジションです。
キリストさんとかは、また違う意見がおありだと思います。
すみません、この羊は、自分が何やっているのか、何を言っているのか、愛とは何ナノか、さっぱりわかってないんです。(;^_^
A
そんな純ですから、愛するにも理由くらいあるでしょうよ。
それどころか、よこしまだったり、下心あったり、勝手だったりもするでしょう。
禅寺で修業してるわけでなし。
やーい、ざまあみろ(苦笑)。
自分が幸福になりたいんですよ、ワタシャ。
愛について、書物から、それらしいのを引用してみましょう。
生きるべきか死すべきかそれが問題だ*
……ちょっとちがうぞ。
「思ったより足がはやいやつだ。」ダンディライアンがあえぎながらいった**
……ぜんぜんちがう。
ぼくは最初、まったく間違った結論をくだしていた。こいつはワトソン君、不十分なデータによる推理がいかに危険なものかを示すいい例だよ***……止まんなくなってきた。
まあ、とにかく。
純にできることなんて、たかが知れてます。
気持がつらいとき、喧嘩しているとき、優しくするのが途方もなくむずかしく思える状況のときって、ありますよね。
それでもどうにかこうにか、かっこうだけでも親切にできているか。
そんな小さなことで、もう、純には手いっぱいです。
その親切が、口先だけのものだったとシテモ。
その親切が、見返りを期待した、見えすいた行動だったとシテモ。
OK、と自分にむかって言ってあげるしかない、今は、そんな気持です。
うーむ……。
「フラオ、大きなとげがささっているよ。」と、ヘイズルはいった。「走れなかったのもあたりまえだよ。抜きとらなくちゃならないね。」****
*シェイクスピア「ハムレット」の名ぜりふ。「尼寺へ行け!」という別の至言もある。
**&****リチャード=アダムス「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」より。翻訳、神宮輝男氏の名訳。
***コナン=ドイル「まだらの紐」より。翻訳、小池滋氏。……以上でした。
*「ハリー・ポッター」*(2001.12.17)
皆さん、「ハリー・ポッター」シリーズという子供向けのファンタジー小説、知ってますか?
今冬、映画も公開ということで、テレビでも連日報道されていますね。
J・K・ローリングさんというイギリス人作家が書いた超ミリオンセラー小説です。
全世界で、1億冊以上売れているそうな。
純は、母親に読め読めと言われてはじめて知りました。
世事に疎いのにもほどがありますなあ。(;^_^ A
で、読んだ感想ですが、とまどった、というのが正直なところです。
ハリー・ポッターは、実は魔法使いの子供で、魔法使いの学校で寮生活をおくるのです。
この魔法学校が、クラス対抗式の猛烈な競争原理的ルールで運営されていて、まずド肝を抜かれました。
イギリス人、もとい、魔法使いって、こんな教育を受けているの?
このままじゃあ、他人を出し抜くことばかり考える人間、じゃなかった、魔法使いになってしまわないかなあ。(ー'`ー;)ムー
それに、成績の評価の仕方が、クラスごとの連帯責任制なのがどうにも納得できない。
クラスのひとりが規則を破ったりすると、全員が点数を引かれるの。
江戸時代の五人組そっくりだよ。
てな理由により、先生の顔色を窺ったり、逆に先生の目を盗んだり、そんなことばっかりやっているハリーら魔法使いの卵たちを見ていて、ちょっと、気まずい気持になった純なのです。
基本的に、純は、つむじが曲がっているので、変な読み方ばかりしているのかも。
でもね。
これで、一億冊売れるというのは、どうにも合点がいかないんです。
その理由が知りたい……って、これ、純粋な好奇心なんですが。
「ハリー・ポッター」シリーズが1億冊売れるなら、「指輪物語」は2億冊、「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」は8億冊売れてないとおかしい、と純は思う。
えー、……こういう一方的かつ独断的な言い草は、まさしく日記という感じですな(笑)。(^-^;A
だが、しかし。
おかしい、という、純の感じた感想を、そのまま押し通すようにして考えていきますと、この未曾有のもてはやされぶりというのは、結局、情報の流れにうまくのったのだ、という結論に達するのです。
誤解のないように付け加えておきますが、別にハリー・ポッターにケチをつけているわけじゃないのですよ。(^-^;A
ハリー・ポッターものは、ごっつい辞書のような厚さの本で全7冊、いまのところそのうち3冊が出版されています。
児童書と思えない、圧倒的な物量。(^-^;A
子供用の本だからこのくらい書けば良いだろう、という妥協がいっさい感じられないところに好感もてますよね。
子供は長いお話を読みこなせない、と、誰が決めたのか。
世界中の子供たちが、我先にと読んでるじゃん。
子供は、退屈なお話を最後まで読んでいるような暇が無い、だけなんだと純は思います。
今度、母親といっしょに、「ハリー・ポッター」の 映画を観てきますね。
*「うさぎをつくろう」と「スイミー」*(2001.12.15)
またまた大阪の大型書店で、絵本を買ってきた純です。
しかし、のんきというか何というか、もうやけくそって感じですかね。(^-^;A
レオ=レオニの「うさぎをつくろう」と「スイミー」。
「うさぎをつくろう」は、まず、はさみと鉛筆がでてきて、何やらお話しています。
「おはよう、きょうは なにを しようか?」
「うさぎを つくろうよ」
というわけで、鋏は折り紙を切って、うさぎの切り絵を作ります。
えんぴつのほうは、画用紙にうさぎの絵を描きます。
こうして、二匹のうさぎの出来上がり。
うさぎ達がおなかを空かすので、はさみとえんぴつはそれぞれ、うさぎのためにニンジンを切ったり描いたりします。
うああ、子供って、こんなものを読んでいるのか!!Σ( ̄口 ̄;;
なんつー、シュールさ。唖然とするばかりの、のびやかさ。
この歳になって、つくづく思う、書店の絵本のコーナーのチェックを怠ってはならじ〔笑)。
おなじくレオ=レオニの「スイミー」は、小学校の教科書で、読んだ方も多いのではないでしょうか?
赤い小魚たちのなかで、一匹黒く生まれたスイミー。
兄弟である赤い小魚たちは、大きな魚にどんどん食べられてしまいます。
そこで、スイミーは考えました。
小魚たちが固まって泳ぐことで、一匹の大きな魚のふりをしよう!そうすれば、もう食べられちゃうこともないぞ!
身体の黒いスイミーは、眼の役を買って出ます。
スイミーがいることで、小魚の集団はよりリアルな大魚を演じることができ、もうコソコソと逃げ回る必要はなくなったのでした……。
おおお。
自分らしくあることの、肯定的な価値。
スイミーがスイミーであることの幸福。
積極的な社会参加、共同体に対しての建設的かつ健全なアプローチ。
自分が自分として生まれたことの、意味の実感。
さまざまな事柄をこの絵本は子供に教えようとしております。
でもね、純が子供の時、この「スイミー」という絵本のこと、大嫌いでした。
なんかね、「人の役に立て、人の気に入られることをしろ」って、絵本に言われている気がしたの。
ひどく勇気のくじけた子供だった純は、
「もういいよ。誰にも期待されない一匹の猫になりたいよ。猫のお母さんになって、段ボールの中で小猫の体をなめていたいよ」
などと思っていました。(^-^;A
勇気と自己愛は、社会参加の基本ですぞ、純くん〔笑)。(;^_^ A
まあね。
日本でいう社会とは、あれこれ規則の一点張りで、理不尽で、ときに非人間的で、こちらとしてはうまい具合に目を盗むものでしかないので、こういう絵本は、場合によっては危険かもしれません。
社会に貢献することと、社会に対する批判精神を勇気を持って発揮することは、共に大切です。
より良い社会を築くために努力すること、人間どうしが協力しあうこと、となりにいる誰かの生き方を尊重すること、それが、社会に貢献するということなのだと、純は思うのでした。
(*^▽^*)
*HAPPY
BIRTHDAY,MOON(原題)*(2001.12.11)
仕事がお休みの弟を連れて、大阪は難波の大型書店「ジュンク堂」に遊びに行きました。
どうして弟を連れて行くかというと、純はお金がないので、弟に支払いをさせようという魂胆です。
ひでえ兄だ。( ̄ω ̄;)
大人向きの本もたくさん買いましたが(変な意味じゃないですよ)、絵本もたくさん買いました。
フランク=アッシュ氏の「ぼく、お月さまとはなしたよ」、レオ=レオーニ氏の「あおくんときいろちゃん」、デイヴィッド=ウィーズナー氏の「1999年6月29日」と「かようびのよる」、エリック=カール氏作「ごちゃまぜカメレオン」。
独身男が自分のために、これだけの絵本を買うのって、ちょっと変わってる?(そうでもない?)
闘病日記とか言いながら、プラプラ本屋で遊んでるし。
だって、最近、体調がいいんだもん(笑)。
ほんと、親不孝だよね、具合の悪いフリだけでもしろっての。
(^-^;A
話がそれた。
絵本の話。
今回は、フランク=アッシュ氏の「ぼく、お月さまとはなしたよ」について、純が思ったこと。
子グマが、ある夜、お月さまの誕生日に贈り物をあげたいなと思っています。
さて、子グマは考えます。
お月さまへ、何をプレゼントすればいいのだろう?……そもそも、お月さまの誕生日って、いつなんだろう?
それは、本人である、お月さまに訊くしかない。
子グマは川を渡り、森を抜け、山の頂上にたどり着きます。
子グマは、お月さまに、誕生日の日付、プレゼントには何を贈ればよいのかを訪ねます。
山の頂上で大声を出せば、当然やまびこが返ってきます。
やまびこをお月さまの問いかけだと思った子グマは、自分の誕生日を「あした」と答えます。
お月さまも「あした」と答えます。
子グマは、自分とお月さまの誕生日がいっしょなので、感激します。
子グマが誕生日に欲しいのは、帽子です。
そして、お月さまが誕生日に欲しいのも帽子でした。
……以上が物語の導入部ですけれど、私、本屋で立ち読みして、心底感心しました。
というか、心底感心できる自分に、心底感心しました(笑)。
子供の読むものだから、と言ってしまえば、それきりになってしまうわけですし、実際のところ、東京であくせくしていたころは、絵本なんて見向きもしない生活をしていたわけですから。
なにも、うちが絵本屋をやってるから、こんなこと言うわけじゃないですよ。
ただ、上質の絵本というものは、純度の高い空想力によってささえられていて、いい大人になった純は、とても喜ばしい気持とともに、それを再度(大人の視点から)確認したというわけなんです。
絵本に出会った子供の頭の中で、ファンタジーの魔法が展開されている様を思うとき、純は、なんというか、一種の満足感と感慨を覚えるのです。
*SCSI続報*(2001.12.6)
クリスマスが近づいてきて、気持がふさいでいる純です。(^-^;
だって、だって、クリスマス&クリスマスイブって、世界中で自分だけが独りぼっちのような気がしてくるんだもん。
あ、ぐちっちゃった。(^-^;A
みなさん、クリスマス用オリジナルブック、残りわずかですので、ご注文はお早めにね〔営業をしておこう〕。
そー、そー。
昨日のSCSIの件ですが、よくわかんないので、値の張るイーサネット接続器具にしました〔笑)。
SCSIは、スカジーと発音します(みんなしってるよね?)。(;^_^ A
スカジーって、アンリアルっていうパソコンゲームで出てくる怪物に、確かそういうのがいたなあ。
関係ないですね……。(;^_^ A
などと言っている間に。
いま世間では、アウトルックエキスプレスとインターネットエクスプローラーを介したウイルスで大騒ぎになっている様子。
Macではまったく感染しないウイルスとのことなので、うちのウイルス用ノートン先生もおねむなままですが、何やら知らないところから、添付メールがドンコもり送られてきます。
プレヴューしただけで感染するとのことなので、気を使うデス(Macでは感染しないとわかってても用心に越したことはないよね〕。
しかし、ちょい前のラブレター・ウイルスさわぎのときでも、こんな頻繁に送られてこなかったのに。
今度のは、どうやら半端じゃない流行ぶりみたいです。
WIN機をお使いの方々は、シャレにならないことになっていらっしゃるのでは?
感染すると、キーボード操作が筒抜けになってしまうそうなので、マジ、気をつけましょう。
*SCSIのオスとメス*(2001.12.4)
アルプス電気の「MD-5500」というプリンターが我が家にやって来ました。
これで、我が家には、合計4台のプリンターがあります。
まさに、プリンター天国という有り様なのですが、どれも仕事のための出費なので、ちいとも嬉しくない。
きれいなおべべとか、おしゃれなノートパソコンとか、本当はそういうのが買いたいのにい〜。
高速のタッチタイピングを覚えて、iBOOK(ノート型のMac)を小わきに新幹線に乗ったりしたいなあ。
となりに座ったかわいこちゃんが、
「かわいいパソコンですねえ」とか話しかけてきたりして。
「かわいいと言ってもあなたほどじゃあありません」とか私も言ったりして。
( ̄ー+ ̄)キラーン
ウシャウシャ!!(*^▽^*)
あ、また妄想に走ってしまった。
プリンターの話だった……。
うちの仕事用パソコンは、「MT266」という名前のMacで、USBポートがありません。
ところが、最近のプリンターは、ほとんどUSB接続なので、我が家では、イーサネットカードなる部品を購入して、どのプリンターとも接続しております。
で、「MD-5500」のイーサネット接続器具なのですが、これが2万9千円(消費税別途)で別売り扱いになっているのです。
はっきり言って高い!
うう、プレステ2もスカパー加入も、ぐっとこらえて我慢しているのに、これじゃあ、かいがないよう。
( iдi ) ハウー
何とかならんか、と色々探していると、SCSIという、これまた別の規格のケーブル用の部品が、6千円台であることが判明。
おー、こりゃえらく安いじゃないか!
SCSIなら、「MT266」でそのまま(安く)使えるぞ。
さっそくネットで注文しようとしました。
「なになに?Tコネクタ形状は、フル50pinアンフェノールです。U」
??????????? えっ?
さっぱしわかんなあい。ヽ(。_゜)ノ
ちなみに、うちのMac側のSCSIは、25ピンDサブ(メス)となってます。
SCSIって、オスとメスがあるって、なんだそりゃ。
もしかして、卵を産むほうがメスですか(笑)。
ちゃんと、互換性あるのかなあ?( ̄□ ̄;)
しかも、インターネットで調べると、ケーブルはハイインピーダンスのものを使用する事をおすすめ、となってる。
フラダンスの体験会なら一度行ったことあるけど、ハイインピーダンスって、なにをどうするものなのだ?
(;^_^ A
うう、これは大苦戦必死。
続報を待て……。
*おとうと航志の生態日記(2)*(2001.11.28)
うちの母は、今も昔もなんだかんだと忙しい人でしたが、小さい純が寝るときに、よく子守歌を歌ってくれました。
しかし、昔の歌って、なぜああも、不吉なまでに意味不明で、やたら不気味なんでしょうね?
「かごめ、かごめ、かーごのなーかのトリは、いついつ出やる、夜明けの晩に、ツルとカーメが滑った、後ろの正面だーれ?」
って、何をどう想像したら良いの?
いや、想像したら、おしっこ行けなくなるう〔笑)。(T△T)
そもそも、かごめかごめの、かごめって、誰なんです?
滑った鶴と亀って、何かの結界が破られたみたいな、ヤバ〜イ感じがしませんか?
うう、涙が出てきそー。
母親は疲れているのに、私にいっしょうけんめい歌ってくれているわけですから、やめろとは言えないし……。
子供なりに、気を使ってたんですよお。
けなげな私〔笑)。
そーそー。
「赤いクツ履いてたーおんなーのーこー、異人さんにつーれられーて行っちゃったー」
って歌、皆さん知ってます?
純は、あれ、最近までずっと、
『異人さん』じゃなくて『ひいじいさん』だと思っていました。
「横浜の、波止場から、ふーねに乗って、ひいじいさんにつーれられーて行っちゃったー」
ウワア、なんちゅう不気味なひいじいさんでしょうか?
この話をまたもや弟にしますと、
「最近は、なんでもEコマース、とか、Eソリューションとか、頭にEをつけるのがはやっているけど、斬新なアイデアがあるわけでも、内容があるってわけでもないんだよね。そうした意味で、今では、Eじいさんが一番不吉な感じがするね」
がははははは!
「一番不吉な感じだ」、という言明が深いゾ!
座布団を一枚だナ。(= ̄▽ ̄=)
*純のお・も・ひ・で*(2001.11.25)
純は、小学一年生の二学期から、腎臓を悪くしまして、3年間入院生活をしていたことがあります。
同じ年ごろの友だちが、同じ腎臓の病気で死んじゃったときのこと、恩師栗山〔杉本〕先生との出会い、など当時いろいろなことがありました。
詩を書くようになったのもそのころからで、純の性格形成に、大きな光〔影?〕を落としている時代だと言えるでありましょう。
〔詳しい闘病生活については、本社の「ドウガネブイブイ」を読んでみてください、と、さりげなく宣伝〕。
まあ、実は、自分の幼少時の寝小便写真みたいな本の宣伝が本題じゃないんです。
純の母親が、病院のベットで退屈している息子〔当時6歳〕のために、ある日、漫画本を持ってきたんです。
タイトルは「はだしのゲン」
知ってますよね?
広島に投下された原爆で、父親と、お姉さんと、弟を失ってしまう男の子のお話です。
生き残ったゲンとお母さん、赤ん坊も、放射能による体調不良や、異常発生するガンに、苦しみつづけます。
ページを開くのもつらいけれど、作者の中沢啓治氏の被爆体験とあって、後世に伝えなければという作者の熱い思いを受け止めよう、と子供心に思い、読み通しました。
しかし……。
慢性病で入院している6歳の子供に、読ませる漫画か、おふくろさん!(TεT;)
B29から投下された原爆が、ピカッ!!っと光った途端、ひとも家々も、何もかもが無差別にどろどろと溶けてしまう描写が、あまりに衝撃的だった。
漫画の中で、さっきまでゲンとおしゃべりしていたおばさんが、次の瞬間、使用済みのロウソクのカスみたいになってるの!
う、うわああああ!<(T◇T)>
子供の純は考えました。
もし誰か、悪い人が、原爆を落としに来たらどうしよう……。
いや、笑い事じゃない、ほんと。
llllll(-_-;)llllll
何とか助かる方法はないものか……。
漫画の中のゲン少年は〔そして中沢少年も〕、爆発の瞬間に塀を背にしていたので、偶然原爆の熱光線を免れたのを、純は、しっかり見逃しませんでした。
「窓の近くに行ったら、アブナイっ!熱光線を浴びたら、アブナイっ!」
青ざめた純は、真剣にそう思いました。
誰だって思うでしょ?
それ以来、トイレに行くにも、ねずみ小僧次郎吉か、はたまた台所に身を潜めるゴキブリのように、コソコソーと塀づたいに移動するようになった純でした。
でも、まだ、まずいことがひとつ……。(^-^;A
「お父さんとお母さんと、弟の航志は、原爆がどんなに怖いか知らないっ!」
ひーん、このままじゃ、大切なみんなが、原爆でどろどろになっちゃうよお。
( p_q) シクシク
純は必死になって、お母さんとお父さんに、塀づたいに歩くようにと何度も訴えました。
「何言ってるのこの子は?」
両親ときたら、突然、奇怪な行動をとるように息子の純が頑固に言うので、その理由を知りたがりました。
う〜ん。
純はどうしても、はだしのゲンと原爆のことを、両親に言い出せませんでした。
言葉にしてしまえば、それが本当になってしまうような気がして、怖かったんです。
神様、神様、どうか、原爆なんか来ませんように、原爆とか、火炎放射器〔はだしのゲンで出て来た〕とか、そういう怖いのが、みんなのところに来ませんように。
ものわかりの悪い両親を説得できず、純は、毎日病院のベットでお祈りをするようになったのでした。
*おとうと航志の生態日記*(2001.11.22)
純の弟は、トイレに本を持ち込む人で、しかも、よくそのまま置き忘れてばかりおります。
純がトイレに入ると、放置されている書物たちにかなりの頻度で出くわします。
「動物のお医者さん」、「美味しんぼ」、「イティハーサ」、「うちのママの言うことには」、「ジョジョの奇妙な冒険」、「ぼのぼの」、「はだしのゲン」などコミックから、
「羽生の頭脳」、「一休道歌〔上〕」、「もののけ姫を読み解く」、「所有せざる人々」、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」、「87分署シリーズ」、「検証カンボジア大虐殺」まで。
それらが、かたづけるシリから、山と置かれるのです。
まさに、モズのはやにえ状態。!Σ( ̄ロ ̄lll)
今朝、風呂場で顔を洗っていると、タオル置き場の脇に、「ちびまる子ちゃん〔2〕」の姿が……。
弟のはやにえのテリトリーが、風呂場周辺まで広がっていることを、この瞬間に知った純でした〔笑)。
*おとうと航志の、今日の名言2*(2001.11.20)
純はMacユーザーなんですが、東京にいたころは、周りのWindowsユーザーの友達たちから、散々馬鹿にされました(元来、からかわれやすく、いじめられやすいタチなんです)。
「いまどき、Macでなければならない理由なんてない」
「iMacなんて、女と子供の使うものだ」
などなど。
なかでも
「Macには、テレビチューナーがついていない!」という不満の声が一番多かった。
他には、
「Macは、OSを起動しないとCDが聴けない」
というのもありました(Win機では、OSを起動せずCDを聴くのですか?〕。
うーん。
私が欲しいものと違うなあ。(-_-;)(;-_-)
つうか、どうして好きにしておいてくれないのかなあ。
……、もうおわかりですね?
純はとっても根に持つタイプなのだ。(^-^;A
マア、純は、秋葉原〔当時東京在住)で最初にMacとWin機を見比べたとき、
「マウスにボタンが一個しかないなんて、そのぶん機能が少ないのだろう」と思い込んでしまった、とんでもないヤツだったので、何も言えんのですが……。(^-^;A
この話を弟にしますと、
「パソコンに限らず、女性と子供が使いたがっているものこそに注目すべきではないだろうか?その人の差別的発言はまた別の話として」
という答えでした。
じゃあ、弟にとっての、最良のパソコンとはどんなパソコンなのでしょうか?
「それは、MacOSが搭載されているパソコン」
と、弟は普通の声で言った。
Macユーザーは、Macユーザのこだわりがありまして、それが非常に可笑しかったです。ハイ。(*^^*)
*絵本が面白い今日この頃*(2001.11.16)
先日、本棚から「はらぺこあおむし」という絵本を見つけた純は、近所に一軒きりの本屋に出かけまして、エリック=カール氏の他の絵本を探すことにしました。
あった、あった、たくさんありますねえ。
いやあ、しかも、どれも面白い!
金欠病の純は、立ち読みだけして帰る予定だったのですが〔内緒ですよ!〕、あんまりすばらしいので、「ごきげんななめのてんとうむし」とマリサビーナ=ルッソ女史の「ぎょうれつ ぎょうれつ」を買ってしまいました。
特に「ぎょうれつ ぎょうれつ」という絵本は、とても気に入りました。
主人公の男の子が、部屋で遊んでいると、お母さんが台所で呼んでいます。
「おひるごはんですよ。サム、いらっしゃい」
サムはそこで、何を思ったのか、台所を目指して積み木を並べはじめます。
積み木の次は、本。
本の次はおもちゃ、おもちゃの次は……、と、ぎょうれつはどんどん、台所目指して長くなっていきます。
これ、純が子供の頃に読んだら、めちゃくちゃ面白く思っただろうなあ。
しかし、ここで自問。
子供の頃の純は、このお話の何がそんなに面白いと感じるのだろう?
む?……およ?
面白さについて、あれこれ考察するもまた楽し。(^-^)
ともかく、台所のお母さん目指して、積み木やおもちゃでぎょうれつを作ってゆくという思いつきを、純は心底グットアイデアだと思う。
一も二もなく夢中になってしまう、相当な面白さだと、絵本の主人公に共感しちゃいます。 (*^▽^*)
この種の面白さに比べれば、大人は本当にどうでも良いことに血道をあげてたりして、
かく言う純も、東京であくせく働いていたころは、絵本を買うどころか、絵本コーナーに寄りつくことさえしない有り様で、ちょっと、ぞくっとしたりして。
いや、病気になったのを良いことに、実家でプラプラして幸福がっていてはマズイよね、やっぱり〔苦笑〕。(;^_^ A
あ、話がそれちゃった……。
それとはまた別の感想ですけれど、お母さんが呼んだら子供はさっさと席について、好き嫌いなく御飯を食べて、等、「とにかく手をかけさせないで欲しい」という大人の思惑などいっさい抜きで、お話がすすむのも気に入りました。
「なにしてるの!はやくしなさい!」とか、「ぐずぐずしてたら間に合わないでしょ!」とか、そういうの、お母さんは言わないの。
これって、ものすごくうれしくないですか?
子供の空想力のとっぴさ、大人が思わず目を見張るような想像力の豊かさ、絵本というものが基本的に持っているシュールさ、そうしたものを、大人になった純は楽しんでおるわけです、ハイ〔ひま人)。 (*^▽^*)ゞ
*はらぺこあおむしに恐怖した過去*(2001.11.15)
昼寝に飽きた純が、「面白いまんが本でもないかな」と本棚をほじっていると、エリック=カール氏さくの「はらぺこあおむし」という有名な絵本がでてきました。
おー、なつかしい。
きっと、読んだことがあるひと、多いと思います。
どういうお話かといいますと、
おなかを空かせたあおむしがいまして、月曜日に林檎を一個食べる。
しかし、空腹がおさまらない。
火曜日に梨をふたつ食べる。
それでも空腹はおさまらない。
スモモをみっつ、苺を四つと食べてゆき、しまいには、チョコレート、ピクルス、チーズにサラミ、ソーセージと、手当たり次第食べてゆきます。
食べ物の絵の部分には、あおむしが食べてあけた穴がまるくくりぬいてあるという工夫が、この絵本にはしてあります。
ページをめくりますと、紙の二次元を突きぬける穴を通って、はらぺこあおむしが出てくる様子が描かれていて、純の弟なんかは、小さい頃、よろこんで読んでいました。
純はちいともよろこばなかったけれど。
というか、子供の純は、このあおむしが怖くてならなかった。
だって、そうでしょう?
林檎や、梨や、苺はまだいい。
チョコレートに、チーズやサラミ、ソーセージを食べるあおむしなんているかっ!
絶対、この世の生物じゃない、みんな騙されてるよ〔笑)。
うつろな瞳、背中に生えたニコ毛も、とても怖く思えました。
何より、子供の純が怖かったのは、いくら食べても食べても、あおむしが腹ぺこのままだったからです。
……もしも……。
月曜日にお母さんがいなくなりました。
火曜日にお父さんがいなくなりました。
水曜日に弟がいなくなりました。
夜寝ていると、足もとでコリコリ、コリコリと音がします。
何だろうと思って、電灯をつけると、
「み、みたなあ〜〜〜〜〜!!!!!!!」
「う、うわああ〜」<(T◇T)>
……ほんと、あれこれ心配しては、怖がってばかりの子供でした。
誰か、子供の頃「はらぺこあおむし」が怖かったっていうひと、います?
それとも、そんなふうに感じたの、純だけなのかなあ……。
*おとうと航志の、今日の名言1*(2001.11.14)
純が朝ごはんを食べながら新聞を読んでいましたら、お花の受粉の顕微鏡写真がカラーで載っていました。
小学校の理科で、植物の仕組みとして勉強する、あれですね。
さて、その植物の仕組みですが、何やら新しい事実が、観察により発見されたとのこと。
なになに?
記事によりますと、めしべに受粉した花粉は、にょろにょろと長い管を延ばしはじめまして、めしべの奥にある胚のうというところに二次受粉というのをするらしいんです。
知らなかった。
で、その仕組みの不思議もさることながら、にょろにょろ延びる管と胚のうの映像が、
”限りなく透明に近いブルー”〔BY村上龍〕で、めちゃんこ美しいのです。
新聞は、テレビ欄とスポーツ欄以外にも目を通しておくものだ、と思い 、弟にもその写真を見せてみました。
弟の感想は
「花粉たちも、幸福に向かって進んでゆくのだね」
というものでした。
ふむ?どういう意味?
訊ねますと、
「つまり、生きものたちは、幸福の方向へ、生きる喜びを歌う方向へ、自ら進んでいこうとするのだよ」
と、こう説明してくれました。
そして、一息ついたあと、
「そのゆくてを阻止し、邪魔するのが神様なんだな」
OH〜!
私、大受けに受けちゃいました。(((≧∇≦)))
納得。
|