CMコーナー
(株)ルックさんから、トレヴァー=マーフィ・著の児童書
『ハンセン病の療養所を作ったお坊さん』
が発売されました。表紙の絵を私が描いてます。挿絵も描いてます。
↓こんな表紙。
*フォースの暗黒面にひたりきった架空の人格「法人」*(2006.4.15)
「企業の最終目的は 利益と市場シェアの最大化です。
世界中をターゲットにしているのです。
何でも欲しいと消費者に思わせなくてはなりません。
“消費意欲”を開発することが求められるのです。
また“無用の哲学”も人に押しつける必要がある。流行など、生活に無用なものを作らなくてはならないのです。
それがビジネスの典型なのです。
究極的には、ろくに人付き合いもせずに、ひたすら買い物をする人間を作り上げること。消費することに、価値観を置く人々が理想です。」
(ノーム=チョムスキー)
ここに小さなパンフレットがある。
映画
『ザ・コーポレーション』
のパンフレットだ。
人類共同体の吹けば飛ぶような短い歴史の中で、もっとも意味のある、あった映画を3本あげろと言われれば、
1.『独裁者』
2.『華氏911』
そしてただいまホソボソ上映中の
『ザ・コーポレーション』
の三作品になるはずだ。
『独裁者』や『華氏911』よりも面白い映画、できの良い映画はあるのかもしれないけれど、そんなことは問題じゃない。
この三作品は、人類が直面している「死よりも悪い運命」について語りかけているのだから。
それも、できうるかぎりの大声で。
「みんなあ、えらいこっちゃ、火事だ〜!!」
『独裁者』や『華氏911』は、チャップリンやマイケル=ムーアのゴーストダンスなのだ、という言い方も、もしかしたら可能かもしれない。
もっとも重要な映画のうちの一本、
『ザ・コーポレーション』
を、なるべく多くの地球人に観て欲しい、という欲求が私にはある。
なぜなら、地球上の全生命体が火事ですっかり焼き尽くされたら、
ワシも生きていられないから。
(^-^;A 火事やネン、丸焼けになりそうやネン。
しかし、映画の感想を書く前に上映が終わっちゃいそうだ。
うちの玲子にお勧めすると、彼女はこのようにお答えになった。
「映画を観てる時間がない」
(;^_^ A
♪都会では 自殺する 若者が 増えている
♪今朝きた 新聞の片隅に 書いていた
♪だけども問題は今日の雨 傘がない
♪行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ
♪君の町に行かなくちゃ
♪雨に濡れ
♪冷たい雨が 今日は心にしみる
♪君のこと以外は 考えられなくなる
♪それはいいことだろう? ♪
悪いこととは言わんけど、かわいそうなくらい精神的ド近眼ですね(母親に何という……、いえ、関西のつっこみはこれくらいがフツーなんですよ〜)。
映画を観る時間もないかわいそうな玲子さん、傘がない玲子さんに、
『ザ・コーポレーション』
見事に要約して見せましょう。
「コーポレーション(企業)は暴れ回る狂気の男。
病院に連れて行くべきところなのに、それどころか私たちは盲目的にビジネスリーダーを賛美するのだ。」
……いや、これは実は私の言葉じゃなくて、サフィア=ミニーさんのお言葉なんだけれどね。
(^-^;A
サフィア=ミニーさんは続けて、
「私の12歳の子どもでさえ、彼らの暴虐から世界を守るために、みんなが『ザ・コーポレーション』を観るべきだと言っている」
「企業は暴れ回る狂気の男、って、言い過ぎちゃうん! オイラもオイラの家族も会社勤めやけど、全部否定されてしまうん?」
とおっしゃる向きもいらっしゃるだろう。
ここから先は、やっぱり映画を観ていただくしかないなあ。
でもさ。
「消費することに価値観を置く人間を作り上げること」を目的としたシステムなんて、それだけで人間共同体にとって脅威だと思う。
そして企業は、この世のありとあらゆるものを商品化していく過程で、地球上の資源を独占する。
“自殺種子”は、私も驚いたし、みなさんも驚くと思うよ。
アサガオからはアサガオの種がとれるし、トウモロコシからはトウモロコシの種がとれるよね。
企業はそれを、けしからん、と思ったんだな。
アサガオを販売したのが仮にA社だとするなら、そこからとれた種にかんするあらゆる権利はA社にあり、A社をさしおいてアサガオを2世代、3世代と育てていくのは、
違法コピー
なのだと企業は主張した。
一世代のみで死滅する植物が、有名大学の研究室で開発された。
スポンサーは、企業だ。
企業によって完全にコントロールされた、商品としての命。
2世代以降は必ず死産する牛、豚も、もうすぐ開発されるのだろう。
ほら、ウインドウズを買っても、一台のパソコンにだけしかインストールできなくする、あれの農業版ですよ。
インストール制限、生命編!
(^_^;)
企業は人間ではないから、主張する権利などそもそも持たないはずだが、そこで生み出されたのが、架空の人格、
「法人」
だ。
「“法人”は法が生み出した特別な存在であり、株主の一時の利益ばかりを気にしているのです」
(ノーム=チョムスキー)
命をコントロールし、商品化する「権利」を主張する幽霊。
利益追求の名の元に、地球上の資源を徹底的に食い散らす、心をもたない超人。
企業A、企業B、企業C、企業D……。
根性腐りきった黒い魔ソフトが悪の帝国であり、したがって黒い魔ソフトを フォースの力で打倒すると世の中が平和になる、というわけにはいかないんだよね、悲しいことに。
こっち向いてもあっち向いても黒い魔ソフトと大差ないという現実。
……企業の暴走をくいとめようとするとき、本当に大きな障害が立ちふさがる。
それはわしらの、今日の生活だよ。
生きていくには金がいる。金を稼ぐには、働かなくちゃならん。働くためには……、
「ああ、企業様、会社様、お仕事ください〜、何でもやります、もくもくと!」
(;^_^ A 会社のデスクには運動図パソコンが……。
ぶるっちゃうよな。
「会社に勤める我々は、いつもおびえている。
唯一の収入減を失うのが恐くて、仕事上の悪事すら常に合理化する。
その結果を鏡に映して見せるのがこの映画だ。
事実に目を閉ざすのもいい。しかしその途端、未来も消えるのだ」
(田中優氏)
でもなあ。
相手は比喩でも何でもなく、世界を支配しているからなあ。
やっぱり企業にはかなわないよ、とほほ、と思っちゃうよな。
もうだめだ、もうおしまいだ。
私は
ペシミズムが趣味
なので、すぐにそう思ってしまう。
しかし、ムーアやチョムスキーやナオミ=クラインやシヴァ博士たちは、根性の座った楽天性を心の底に持っていらっしゃる。
そこが、すごいよ。
厳しい「リアル」を正面から見据え、全身で受け止めたうえでの、勇気と楽天性。
「この世の終末も近いと人は思うかもしれません。その考えにすっかり洗脳されているのです。」
(ナオミ=クライン)
「少数の企業がどう望もうと、私たちは自分の力でよりよい生活を営みたい。
そのシステムこそが全世界のコミュニティの大黒柱となるでしょう。未来はそこにあります」
(シヴァ博士)
「ドキュメンタリー映画を作って嫌われたが、世の中に衝撃は与えられた。
だから作り続ける」
(マイケル=ムーア)
映画館で思わず立ち上がり、スタンディング・オベーションだ。
「企業は永久的ではなく、
解散が可能です(!)」
(ノーム=チョムスキー)
ウワオ!
あなたたち、本当に過激だな!
*映画『ザ・コーポレーション』をバルトークに捧げよう*(2006.4.12)
日記を読んだお友だちから、私の体調を気づかうメールをいただきまして、ご心配をおかけしちゃったなあと反省しております。
というか、こんな論点を笑わせた過激な日記を読んでいるひともいるのね。
(;^-^ゞ アリガトウ。
体調のほうは、お医者さまに行って、頭痛・発熱・悪寒・鼻水・咳・下痢・腰痛・腹痛・花粉症・口内炎・吹き出物用のお薬をいただいたので、ちょっと持ち直しております。
……ワシのこれまでの人生で支払ったお薬代を合計すると、
億まで行くかもな。
家が一件建つヨナ。
(;^-^ゞ
映画
『ザ・コーポレーション』
行って来た。
時間が出来たら、ぜひ感想文を書いてみたいと思う。
立ち見はいやだと上映2時間前に映画館に到着したら、なんと、1番乗り。
2番乗りは弟。
ええ〜、何を捨てても観なきゃいかん映画だろ、なにやってんだみんな。
今ここにある危機、についての映画だぞう? 家が火事だっていってんのに、ぐーぐーいびきをかいて眠りこけているようなもんだ。
えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。
仕事なんてしてる場合か、仕事さぼって観ろよ(←だめです。つーか、クライアントさん、この日記読んでないよね……。さ、さぼってませんからね、いや、ほんと)。
出演キャストも、すんごい。
マイケル=ムーア。
ノーム=チョムスキー。
ナオミ=クライン。
ヴァンダナ=シヴァ博士
etc.etc.
『キャノンボール』を鼻でけ散らす、業火、じゃない豪華キャスト!!
びっくりしたなあ、もう!
世の中がもう少しまともなら、ノーベル平和賞を10回ずつ受賞しているべき人間がぞろりぞろり。
映画の感想をひとことだけ書くと、
「ワシが日記でだらだらと書きなぐり続けた内容は、けっこういい線いっているらしい」
という自信を得ることが出来ました。
☆--
私は、Jリーグのサッカーチーム、「ジェフユナイテッド市原・千葉」の監督、イヴィツァ=オシムさんのファンだ。
サッカー監督にしておくにはもったいない(失礼!)明晰な頭脳、洞察力、そして勇気。
試合後の監督インタビューは、
「オシム語録」
と言われ、空前の評判を呼んでいる。
……と、そんなことはみなさん、とうにご存知だよね。
「私は真実を語らない」
という短い言葉の、なんと深くて、そしてウイットにとんでいることか。
そして。
私は本日、オシム監督のこのような発言を発見した。
一読して、ふるえが走った。
全身の毛が逆立つような錯覚さえ覚えた。
心のざわつきがおさまらない。
オシム監督のお言葉、いきます。
「今の日本は人の部分がおかしくなっている。
子供がおかしいと言われているが、大人がおかしい」
ああ、目まいがする。
こういうときは、バルトークを聴くしかない。
バルトークの管弦四重奏曲だ。
時代を鋭く見通したバルトークの音楽に身をゆだねないと。
悲しみというものが持つ特有の甘さ、は、バルトークの音楽からはいっさい感じることが出来ない。
悲しみは、どこまでも透明で、鋭利な刃物のように鋭角にとがっている。
砂糖もミルクもなしだ。
ときおり、バルトークが笑う!
この笑いは、時代というものから目を背けなかった、あるいは背けることが最後まで出来なかった偉大な芸術家の、心の底からの絶望と、ある種の“あざけり”だ。
「今の日本は人の部分がおかしくなっている。
子供がおかしいと言われているが、大人がおかしい」
スピーカーから聞こえる独特のヴァイオリンの音色。
バルトークの音色だ。
幽鬼のようにやせ細ったバルトークが、人類のありさまを、狂った生き様を笑っている。
当時ヨーロッパを席巻した、ナチスを始めとするファシズムの暴風に、徒手で立ち向かったドン=キホーテ。
このとき、この瞬間、バルトークには、あざけるしか手段が残されていなかったのだ。
この世のありとあらゆるものをまっすぐに突き通すような音楽から、ときおりに聞こえる、あざけりの笑い声。
しかし、どこまでも透明な……。
音符も読めない私の言うことはまったくの見当違いかもしれないが、私にはバルトークの声が聞こえる気がするのだ。
「ぐるぐるぐるぐる目がまわる。目が回る。目が回る。目が回る……」
そしてオシム監督は、サッカーを通じて、日本の今をあっさりと突き通した。
*郡山総一郎さんの講演にも行かずに*(2006.4.10)
昨日は、奈良県やまと郡山城ホールに郡山総一郎さんがいらっしゃってたんですが、うちで寝ていたという……。
(;^-^ゞ
最近体調が悪くてねえ。
頭痛・発熱・悪寒・鼻水・咳・下痢・腰痛・腹痛・花粉症・口内炎・吹き出物・いびき・歯ぎしり・うすぼんやりという症状がスクラム組んで襲ってきて、もう死にそう。
(;^-^ゞ
あとから聞いたのですが、郡山総一郎さんは発熱にもめげず講演をなさっていたそうで、やっぱり行くべきだったよなあ、と、ちょっと反省しております。
目と鼻だけじゃなく、顔全体が爆発したみたいに熱をもって、これ、本当に花粉症なのかなあ……。
あ、そうそう、郡山つながりでご報告が。
(;^_^ A
ローカルな話題で恐縮ですが、奈良県大和郡山にも日本国憲法『九条の会』が発足することになりました。郡山在住の私もチラシ作りに一役買いましたよ。
ボツになった
「9条金魚のアイコン」
をここに貼っておきます。大和郡山は金魚の名産地(?)なんですよね。
このアイコン、シンプルですが、私はけっこう気に入っておりますよ。
ある事情によりボツりましたけど。
*海兵隊の引っ越し代金捻出のため消費税15%*(2006.4.6)
外崎則夫氏のサイト『N.TONOSAKI's
Personal Station』
の大人気コラム
『がんばれ!!ゲイツくん』
最新号がアップされております。
今回は、民主党の支持率暴落のニュース、海兵隊引っ越しニュースが話題になっておりまして、最近の私の日記と内容がかぶりまくりですが、いちおう私の方が早く書いたので、外崎さんの記事を私がパクったとは言われなくてすむのでほっとしております。
(;^-^ゞ
「今度もアメリカの海兵隊の異動に税金を9000億円もつぎ込むようですが、こんなこと世界的にも事例が無くヨーロッパなどでもかなり驚かれているようですね。私もこれ最初ちょっと早いエイプリルフールネタかと思っていたのですがどうもコイズミ君は本気のようで、それで金が無いからと言って消費税を15%にするなんて話が出るのだから凄いです」
(^_^;)スゴイですよねえ……。
海兵隊のお引っ越しですが、外崎さんのソースでは、引っ越し代金は9000億円のようですね。私が聞いた金額は1兆1800億円だったのだけれど。
アメリカ軍もその場その場で適当なこと言ってんじゃなかろうか。
(^_^;)
もちろん、いつもの黒い魔ソフトの話題もございまして、IEの仕様変更のニュースは正直、かなり驚きました。
運動図ユーザーって、結局、黒い魔ソフトの奴隷ということなのね。
なんか、納得しちゃった。
(^_^;)
かといって、林檎社も旗だけ残して反逆精神をすっかり失った状態だし、Linuxも期待はしてるけど、どうにも暗中模索。
Linuxは船頭多くて船が山を登る、とはいわないけれど、目指すべき目的がはっきりしていないという気がするよ。開発者はそこがたまらんのだろうけれど。「ウインドウズユーザーでも簡単に乗り換えられるインターフェイス」、なんてものがウリになることじだい、ユーザーインターフェイスを軽視していることに他ならならいと思う。だって、それって、ウインドウズと大差ないってことじゃん?
もうひとつ話題に上っているボーダフォンの買収問題も実に怖い。
私がボーダフォンのユーザーだったら、大パニックになるだろうな。
こういうことを心配して、私は携帯電話を持たないのよ。
「おまえの個人情報はもう死んでいる。アタタタタタ、アチャ〜!」
なんつって。
(^_^;)
☆--
映画観たいなあ。
いま、すっごく観たい。
『ある子供』も『ジャーヘッド』も『ロード・オブ・ウォー』も結局観なかったし、ただいま上映中の『シリアナ』も『マンダレイ』も『ヒストリー・オブ・バイオレンス』も結局、観ないような、そのような。
なにがなんでも『コーポレーション』だけは観るけんども。
映画館に足を運ぶどころか、それどころか。
買ったまま封も切ってないDVDが、机の上に山になってる。
『遥かなるクルディスタン』
イランとイラクの国境の山岳地帯に住むクルド人たちの物語なのだそうだ。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』
「地球の皆さん、こんにちは。銀河バイパス建設のため、今から地球を取り壊します」〜宇宙人より。んぎゃあ!!
『やさしくキスして』
ケン=ローチ監督だよ、観ないでどーする。
『ジャマイカ楽園の真実』
ボブ=マーリィだ、ムタバルーカだ、そして、ジャマイカの誰も知らない真実。
『リトルバーズ〜イラク戦火の家族たち〜』
正直、観るのは根性いります。
『シルミド』
うちの玲子の好みが痛いほどわかる! 知って観るど? (^_^;)
『ライフ・イズ・ミラクル』
『アンダーグラウンド』のエミール=クストリッツァ監督だあ。
『少女へジャル』
各方面から大絶賛の嵐。はよ観たいねえ。
『サイドウェイ』
タイトルが、もうほっとけないという気にさせる。
(;^-^ゞ
以上です。
未見のDVD、たまったなあ。
なんでも、井上ひさし氏は、
1日1本かならず映画を観るそうな。
ふええ、すごい。
いや、井上ひさし氏は、映画を観るからすごいんじゃないですけれどね。
(;^-^ゞ
それでも、時間の合間を縫って
『Mr.インクレディブル』
は観た。ピクサーの3Dアニメ。
いや、これは面白かった。
アメリカ人は何をやるにも徹底的に本気で、とことんやっちまう。金と時間と人員と才能をガンガンつぎこんで、いわば映画作りの余裕の桁が違う。そういう点は、日本が世界に誇るスタジオジブリですら、とてもかなわない。
畳みかけてくるように連続する映画的みどころを、心から楽しんで楽しんで楽しみ尽くせる映画。
ジェット機と迎撃ミサイルの空中戦は、ひさしぶりに手に汗握るという体験をしました。
もちろん、お話も面白いよ。
弟に言わせれば、
「アメリカの正義って、とことん悪者に依存してるんだなあ!」
という洞察も得られる、見ごたえたっぷりの映画だ。
『タクシードライバー』とセットで観賞すれば面白さ100倍増しの、お薦め作品でございます。
そだ。
まだ日記に感想文を書いてないぶんで、個人的にお薦めの映画DVDをご紹介しておこ。
『1票のラブレター』★★★★★★
監督変われど、イラン映画に外れなし。この映画のラストシーンを「甘く切ない」などというひとは、正直、アホだ(言っちゃった)。苦く、悲しく、どっぷりと重たい皮肉のメッセージを曇りなきマナコで見定めるべし(byアシタカ)。
『広島国際アニメーション 2〜6』★★★★★★
世界の短編アニメーション傑作集。作品によって出来のばらつきはあるが、すごいものは、腰が抜けるほどすごい。すごい、すごい、ひごい、まごい(by牧村美樹)。1は未見。……もうちっと安くならないかなあ。
(;^-^ゞ
『アマロ神父の罪』★★★★☆☆
メキシコ映画。松本清張氏の政治ものをメキシコ映画で観るという感じ。
批判精神の痛烈さに、頭からチリソースをかけてタバスコをまぶしたような☆超痛烈☆映画。
(;^-^ゞ
最近の反逆者は、映画を撮るようだね。
今よりも少し前の反逆者たちはロックバンドを組んだりしていた。それよりも前は、アングラ演劇に走っていた。
『ランド・オブ・ザ・デッド』★★★★☆☆
B級ホラー映画じゃねえのかよ! はいそうです。……けっこう誤解なさっている方が多いのですが、私は、猛烈な悪食です。
B級ホラー映画は大好物です。
(;^-^ゞ
ことあるごとに私は、コイズミさんらグローバリズム構造改革推進派の内側のひとたちを「ゾンビ」と揶揄してきましたが、ゾンビ映画の御大ジョージ=A=ロメロも似たようなことを考えているのが、この映画でわかりました。
(^_^;)
この映画では、コイズミさんやブッシュさんたちがテレビを使う変わりに、花火を使います。
花火にぽーと見とれるゾンビたちが、あわれです。花火が盛大に打ち上がるそのあいまに、
本当のゾンビたちは泥棒に励みます。
面白いです。
*時代が生き方を決める「がんばれ」*(2006.4.5)
「実力」と「成果」がものを言う新しい時代において、とび抜けて、独創的に、自分らしく、能力を示し、がんばりぬく、ということをいっさいしない私は、社会的にも文化的にもはっきりと負け組だ。
もちろん、自分で自分のことを「負け組」などと考えるのは気分の良いものではないし、他人から
「あなた、このままでは負け組ですよ、どうするんですか?」
などと問われると、
「どうしよう」
とも思う。
(^_^;)
しかし、それでも勝ち組などには死んでもなりたくないから、負けるしかないのである。
「おまえは現実を甘く見過ぎだ」
と、その他人は言う。きっとそのとおりだろう。
私に向かって、
「あなたは負け組ですよ、どうするんですか?」
と問いかける(問い詰める?)そのひとの言葉は、国家という後ろ盾に支えられて実に力強い。
「どうするんですか? がんばらなくてどうするんですか? 自分らしくなくてどうするんですか? このままでは、どうしようもなくなりますよ、どうするんですか?」
ひとの生き方、人間としてのあり方を、国家が規定してゆく。気がつけば、日本という国はずっと、そういうあり方を続けてきたのではないか?と、他人事のようにふと思う。
国家が規定した生き方の範囲内で、ひとびとはYES、NOを選択する。
私の場合は、「消極的NO」ということだ。
少し古いニュースになるけれど、奈良県警が『奈良県少年補導に関する条例案』なる書類を議会に提出した。
そこには、子どもたちの「正当な理由がなく、学校を欠席、早退、若しくは遅刻する行為」についても記されている。
実に、すごいことが書いてある。
奈良県警の知りうるところで、県下の子どもたちが無断欠席、早退、遅刻した場合は
「不良行為」とみなし、警察権力が積極的に介入
する、とのことだ。
子どもが学校を欠席、早退、遅刻したら、お巡りさんのご指導が入るわけだ。
まるで、
恐怖政治についての風刺漫画のような
話だが、見事に実話である。
私の子ども時代は、欠席、早退、遅刻の雨あられだった。
私なら、きっと千と一回しょっぴかれるな。
(^_^;)
回数は別にして、子どもたちが学校を無断欠席するという「不良行為」に及んだとしても、それはけっして違法行為ではない。万引きしたわけでも誰かにケガさせたわけでもない。
学校に遅刻した子どもを警察がしょっぴけば、これは明らかな憲法違反であろう。しかし、奈良県警によればそれも、
「子どもの指導教育は大人の責任」
なのだそうだ(警察がその子らの人生に責任を持つとは思えないけどね)。
モラルの問題。
道徳の問題。
社会通念上の“良し悪し”というものを、国家が横から割り込む形で決定し、法によって管理していく。
今までも。
これからも。
国家が決定したものを、国民は黙って受け止め続ける。受け止め続けるしかない、というのが国家、そして庶民、両者の一致した意見だ。
日本国内においては「庶民」は「無力」「無抵抗」なものであるのが「モラル上の常識」だから、道徳に関するすべては、「庶民」にとってまったくの「よそごと」となる。
『奈良県少年補導に関する条例案』議会提出に対する奈良県民の不気味なほどの無関心も、そう考えればじゅうぶん理解できる。
ひとのあり方というものに関して、私たちは決定権も、
そして責任も、いっさい持ちあわせていない。
決定権も責任もないのであれば、それはよそごとだ。ふと気がつけば、いつか誰かが決めている(べき)こと。知らないうちに施行された決定が気に入れば、にこにこと上機嫌で讚えよう。気に入らなければ「庶民の感覚からかけ離れた」などという言い回しで文句を言う。
しかし、今のところは、
「もうしばらく状況を見てみましょう」
……。
ひとりひとりが意識するしないにかかわらず、日本国民の生き方を決定するのは国家であったし、これからもおそらくそうあり続けるのだろう。
……なんとも不気味な結論。
あの時代だったら、この時代に、前の時代には、新しい時代、古い時代、不況の時代、バブルの時代、大変な時代、時代の幕開け、時代の要請、時代の寵児、不透明な時代、……時代時代時代時代。
国民の期待や不安を十派ひとからげに「時代」という言葉に託して、なんとはなしに決まっていく、ひととしての生き方。
そう、私の
生き方を決めるのは「私」ではなく、「時代」なのだ。
そして、“ただそれだけ”のこと。
ほかには、本当に何もない。
すっからかんになって、何も残らない。
「時代」という言葉を着飾った国家が、国民のひととしてのあり方を決定するのであれば、では「私」とは何なのか。
「私」は、何が決定できるのか。
日本国内において、個人が決定し選択してゆく、ゆける、ただひとつのこと。それは、「私」自身についてだ。
「とび抜けて、独創的に、自分らしく、能力を示し、がんばりぬく」という私を選択する自由。しない自由。
ただそれだけ。
自意識ばかりをどこまでも肥大化させ……。
あなたもあなたもあなたも、時代の要請する個性的で創造的な「私」になれ。
テレビが言う、「明るい社会」
隣人が言う、「がんばれ」
*煮詰まってショスタコーヴィッチ*(2006.4.1)
旧Macをこよなく愛している私の頭も、旧Macと同じようにマルチタスク機能がありません。
よって、二つ以上の課題を処理することができず、ただいま、
ぐつぐつ煮詰まり状態。
そろそろ、まぶたの裏に爆弾の絵が出て、
脳みそフリーズ
するかもしれませんが、もとから不安定ですからね、私の脳みそ。
(;^-^ゞ
ふい〜っと(熱暴走を防ぐためのため息)。
あ、民主党の大政翼賛会メンバーのかたがたが辞職するそうですね。
そうですか、やっぱりそうなりましたか。
コイズミさんが
「消費税の税率を10パーセントに引き上げる」
と言うと、ナニクソ
「民主党は税率15パーセント……いや、20パーセントに引き上げることを約束します」
とやりかえしてもおりました。
なにかにつけて与党と
国民そっちのけを激しく競った
あの代表さんもいなくなりますか。
名前だけの野党はうんざりしておりますので、どうとでもなってください。
(;^-^ゞ
つーか、こういうのが野党ヅラしていると、まぎらわしいのでやめて欲しいんだよね。
“同じ増税、政府案とどこが違う。過激さが違う”
がウリの野党なんて、いらない。
今度戦争するときには、絶対に負けないという誓いうんぬんという発言するようなひとが出てくる党だから。(この発言をしたひと、弁護士法の違反で逮捕されたはずだけど、議員辞職したんでしたっけね?)。
「絶対に負けない誓い」なんて、アホっぽさ全開。
高校野球の選手だって、「絶対負けない誓い」なんてアホなことは言わないよ(高校生がアホだと言ってるんじゃないよ、わかるよね)。彼らは、スポーツマンシップにのっとり正々堂々と試合することを誓うのだ。
「絶対に負けない」なんて誓ってどーする。
ふと思ったんだけど、高校野球の開会式の選手宣誓で、
「絶対に負けないことを誓います!」
なんて言ったら、
甲子園球場の観客は全員、笑い死にするだろうな!
つーか、「日本は神の国で紙カゼじゃない神風が吹いて……」という次元のお話は、そろそろおやめになってもよろしいのではないでしょうか?
神話もけっこうだけど、お月さまではウサギが餅をついていたりはしませんし、地球はまるいんすよ。ヨタはもうたくさん!
ともかく、おやめになったお歴々は、政府よりも過激な増税案をぶちあげ、財界の覚えも良かったわけですが、ちょっとドジをふんでしまいました。
私は今日という日に、ショスタコーヴィッチの交響曲をエンドレスで流しながらパソコン作業しております。
……日記を書いているだけだったりして。
(;^-^ゞ
最近、ショスタコーヴィッチの音楽がやたら胸に響いてくるのな。
今日のような日は、とくにな。
「理想」「改革」「社会正義」という言葉が、ことごとく
為政者のための詐欺用語、ペテン師の甘言
となりさがった時代に、人間というものに真摯に向き合った結果が、あのにが〜い、こわ〜い、おも〜い、そしてやっぱりにが〜い音楽になったのだろうと。
ショスタコーヴィッチにとっての革命は、祖国ソ連でのあの血で血を洗う大がかりでバカげた実験のことじゃない。
彼の交響曲5番、とくに最終楽章をなんども聴くうちに、そう思うようになった。
息が詰まるような苦さ、重さ、そこにのしかかってくるような更なる苦さ、の奥底に潜む、人間の持つ良心の光、というもの。
それは、「良心の光」とよべるようなものではなくて、かろうじて、可能性ということなのかもしれないけれど。
その人間の良心の可能性は、戦争、大量殺戮、人間が人間を家畜化していく時代の重さに押しつぶされ、圧縮されて、音楽的な密度の圧倒的な厚みとなってゆく。
本当に、息が詰まるね。
バルトークが、不気味なほどまっすぐな視線で時代を見通したのとはまたちょっと違う、偉大な芸術家の仕事を感じたのでございます。
ショスタコーヴィッチとバルトークは、“クラシック”ではないと思う。
*お引っ越しするなら火星がお薦め*(2006.3.27)
私が日記を書くのをさぼっているあいだに、沖縄の米軍が基地のお引っ越しをしたいと言い出しております。
「引っ越し? すればいいじゃん。
つーか、出ていってください、お願いします」
と沖縄のひとは思ってるよ。
しかし、アメリカ軍基地のお引っ越しの費用は、日本国民の税金で賄うことになっている。
さてハウマッチ。
じゃじゃじゃじゃーん!
1兆1800億円!
ぎゃおうおうおうおうー!!!(ギャートルズの石の悲鳴が丸い地球の上にドドンと飛びだす!)
ゴンゴンゴンゴン……どてち〜ん、ひげもぐら〜、まんも〜、がいこつ〜……。
いちいちはち0000000000……ゼロがいくつじゃあ!
ぎゃおうおうおうおうー!!!
(T△T)ギャ〜!
世界の平和を守るため、積極的に軍備拡張じゃあ!とブッシュさんもコイズミさんもおおはりきり。
世界の平和を守るため、悪いやつを戦争でやっつけるんじゃあ!
↓
悪者退治の戦争には、いろいろと準備がいるんじゃあ!
↓
戦争の準備には、お金がたんまりこといるんじゃあ!
↓
で、基地を引っ越します。費用は1兆1800億円です。
準備して戦争して、戦争して準備して、リフレインが叫んでいる。
莫大な費用を国民が負担して、んで質問。
国際貢献っていつになったら始まるんですか?
それから
悪者退治はいつ始まるんですか?(ビン=ラディン、あまりに古い話で、みんなもう忘れちゃったよ)。
ブッシュさんもコイズミさんも、平和のための“お金の計算”にものすごくドンヨクでらっしゃいますが、私は、そろそろ出血する血もなくなってまいりました。
( ̄_ ̄|||)
ピンポンパーン みんなの歌の時間です。
♪ま〜ず〜しさに〜〜〜負けた〜
イイエ、平和の看板を掲げた戦争の準備に負けた〜
この街も追われた
いっそ きれいに死のうか
力の限り 生きたけど
稼ぎは勝ち組がごっそり持ち逃げだから未練おおあり
草さえもはえぬ 構造改革グローバル枯れすすき
踏まれても耐えた(痛みに耐えて)
そう 傷つきながら(他人は敵だ)
淋しさをかみしめ(私も誰かの他人だった)
夢を持とうと話した(勝ち組になりたくて)
幸せなんて 望まぬが(幸せは消費のつづり間違い)
人並みでいたい(携帯電話で写真を撮ろう)
テレビニュース見つめ 構造改革グローバル枯れすすき
世間の風に 冷たさに(改革、なんだな!)
こみあげる涙(自由化とは、独占の自由という意味)
苦しみに耐える 構造改革グローバル枯れすすき♪
歌=☆ジュンイチロウ&引っ越し米子
作詞=☆劇通妙子
作曲=☆公共の利益なんて尻間専太郎
編曲=☆右風向夫
(;^-^ゞ
沖縄米軍基地は、いっそのこと、火星にでも引っ越ししていただきたい。
タコ型宇宙人の急襲に備えて、クレーターに身を潜めていればいい。ずっと。
そうすれば少なくとも「沖縄県民貢献」にはなる。
戦争の準備がなくなって、だから戦争もなくなって、あれ、
ドウいうわけか平和じゃん!
めでたし、めでたし。
昔の人が、良いこと言ってますよ。
『現代の偽善的な政治のあらゆる教条のうちで、 「平和を望むがゆえに戦争の準備をしなければならぬ」という教条ほど、
多くの災禍を引き起こしたものはない。』
by カール=マルクス
カール!
ヽ( ̄▽ ̄)ノ
マルクスさんのお話は、当時から誰も耳を傾けなくてな。
マルクスさんのお話を聞いてくれるのは、ゆいいつ
エンゲルスさん
だけというありさま。
今じゃ、話を聞かないどころか、名前を出すのもはばかられているというありさま。
おかけで、マルクスさんは今もって知られないまま、スターリンや下手をすればクメールルージュとごちゃにされてる。
『現代の偽善的な政治のあらゆる教条のうちで、 「平和を望むがゆえに戦争の準備をしなければならぬ」という教条ほど、
多くの災禍を引き起こしたものはない。』
この道は、いつか来たみ〜ち。
ああ、そうだ
来た道どころか今ちょうど歩いている道だ〜よ
日本構造大改革が引き起こす、
両手いっぱいの災禍!
たいへん、お待たせしました。
もうすぐです。
ちゃんとマルクスさんのお話を聞いていれば、こんな連中に騙されずにすんだのにね。
ワシらは、
ヒットラーの演説
(とか毛沢東の話とかフランコの話とかムッソリーニの話とかコ○ズ○の話とか)には注目するのに、マルクスさんのようなおひとのお話を聞かないのは、なぜなんでしょうね。
きっと、アホなんだろう。
みんな、ユートピアなんてどうでもよいし、人間が人間として生きる世界なんて、どうでもいいんだ。
ただ、ただ、生きるのがおっかなくて淋しいから、誰かに
「おれにまかせろ! ついてこい!」
と言って欲しいんだな。
道連れを求めているだけなんだニャー……。
*規制緩和のドーナツ型大改革*(2006.3.21)
財界による強い要望によりまして、またまた新しい規制緩和が行われようとしております。
その名も
★サービス残業させ放題・構造改革案★
きゃーステキ。
「勝ち組を目指すやる気のある労働者が、残業費を気にして仕事に打ち込めない現状をかんがみ、彼らが心置きなく長時間働き抜けるようにしたい」
と、財界の偉いかたがたはおっしゃってます。
(^_^;) えーと。
こういうことですか?
↓
熱血労働者Aは、とにかく仕事がしたい。
三度のごはんよりも仕事がスキ。
でも、仕事をしすぎると、会社さまに残業費を負担させることになってしまう。
ああ〜どうしよう。
そうだ、賃金なしで働けばいいんだあ!
わーい、わーい、名案だあ!
解決のハッピーエンド!
……。
私らは、企業さまに働かせていただいている身。
お手当てを要求するなど、ブルブル! とんでもない!
お給金を目当てに仕事をするようなふらちな人間は、もう負け組!
それか、アカ!
どっちにしても、とんでもない連中です。
勝ち組を目指す健全な労働者は、体を壊すまで仕事をやらかして、体を壊したら潔くテント暮らしに入ります。
欲しがりません勝つまでは!
……で、勝ち組の「勝ち」って、いつどうなったら勝ちなんでしょうか。
勝利とは、なんぞや?
財界からの要望の次は、アメリカ合衆国さまからの要望が、日本政府に届いております。
★日本の労働者の9割をパートとアルバイトにする構造改革案★
アメリカの企業が日本の原住民を働かせようとしたとき、福利厚生だの失業保険だのなんだのという労働者保護のルールがあると、ほら、なにかとお金かかるじゃないですか。
アメリカの企業は、お金もうけにきてるんですからね! 健康保険の負担なんてしてたら、もうからないじゃないか!
アフリカでも西アジアでも、アメリカの会社に企業としての責任を果たせだなんて要求しませんよ。
7歳の子どもが23時間労働制で文句も言わずに働いてますぅ。
体を壊して働けなくなった子どもは、ポリバケツに捨てます(←本当)。
だからこそナイキは、世界ナンバーワンの靴会社になったのよ。
お次は日本でナンバーワン!
日本のみなさまは、今まで軟弱すぎたんですよ。
これからの時代は、ちがいます。
会社の無限の成長、競争力アップのために身を粉にして働く、やる気のある勝ち組だけが生き残れる世界。
能動的な、労働者。
賢い労働者。
つまり、
面倒なことはすべて、労働者の自己責任でお願いします。
♪ローレンローレンローレン♪
♪ローハーイド♪
やー!! ばしっ!!(ムチがしばかれる音)。
ひひ〜ん(労働者、もとい、馬のいななき)。
あ、若い人は、『ローハイド』を知らないか。
(;^-^ゞ
『ローハイド』の主題歌は、わきにおいて。
最近の日本は、規制緩和で実にいい感じ。
どんどん儲けてますからね。
大企業が。
それと
金貸し企業が。
トヨタは一兆円の黒字だっけ?
ありがたや、ありがたや。
週40時間労働制だとか、労働者が残業費を要求するだとか、ありえない! 福利厚生? けっ!
企業あってのわたしらでございます。
企業のアガリがアップすることこそ、私たち労働者の真の歓び。
勝利の道はパートタイムから。
アルバイトで大勝利。
自己主張は、勝ってからにしましょうね。権利は勝者の戦利品。
ああ、素晴らしい構造改革さま〜。
では一句。
ゆるやかに〜 回復したと日本の景気〜
ただし儲けているのは サラ金ばかりぞ〜
お粗末。
♪ららら 無人君♪
♪ららら 無人君♪
♪人が消え去り 経済的ドーナツ現象♪
♪昔は、国滅びて 山河アリ と言ったけれど〜♪
♪いまは、人が滅びて 海外に日本企業の工場アリ〜♪
♪トイチの利子で 景気回復♪
せりふ(おっかさん、私らの勤めていた工場をつぶして建てた、あれが東ティモールの《週150時間労働制☆時給83円新型工場》よ)。
♪ららら 無人君♪
♪ららら 無人君♪
♪景気回復 本当の本当に 無人君♪
♪ららら 無人君♪
♪ららら 無人君……♪
-☆--
関東方面在住のかたがたに、情報をば。
人形アニメーション監督・川本喜八郎氏最新作が東京の岩波ホールで公開中だそうだ。
……知らんかった。
(;^-^ゞ
作品名は『死者の書』
川本喜八郎氏といえば、NHKの人形アニメーションで有名だよね。
『三国志』とか『平家物語』とか。
私にとってのNHK人形アニメーションは
『プリンセス・プリンプリン物語』だけど。
今回の『死者の書』では、なんと、ユーリ=ノルシュテインが「友情アニメーション」として参加しているらしい。
「友情アニメーション」って、どのようなものなのでしょーか?!
人形アニメに、ノルシュテインのアニメがかぶさるのかな? ええ〜、ちょっと想像つかない。
見たいねえ〜。これって、関西でも公開するのかな? しないんだろうな。
そういえば、ノルシュテインのライフワーク『外套』の第一部が、今年ようやく完成するといううわさはどうなったんだろう?
*『子ぎつねヘレンがのこしたもの』読書感想文*(2006.3.17)
竹田津実・著
『子ぎつねヘレンがのこしたもの』
という児童書を読んだ。奈良映画センターのYさん大推薦の本で、お言葉に甘えてお借りしたのだ。
「森の獣医さんの動物日記」
というサブタイトルが付いている。
本の袖の部分には、この本を手に取る子どもたちのために、簡単なあらすじが紹介されている。
「キタキツネの子ヘレンは、道路わきにうずくまっているところを保護されて、獣医の竹田津先生のところへつれてこられました。ヘレンはどうやら目が見えず、耳も聞こえないようです。ミルクをあたえても、見向きもしません。でも、先生夫妻の懸命な介護で、ヘレンはやがて…」
サブタイトルにある「森の獣医さん」とは、著者の竹田津実さん自身だ。
北海道在住の竹田津実さんのもとには、傷ついた様々な野生動物たちが運び込まれてくる。農薬によって翼の骨を持たずに生まれてきたトビ、交通事故に遭ったエゾシカ、自傷癖(!)のために、後ろ足と尻尾を失ったキツネ。自らの存在価値を貨幣に変換することを知らない野生動物である彼らのケアは、
完全なボランティアだ。
そんなある日、子ぎつねが連れられてくる。ヘレンと名づけられることになるこの子ぎつねは、目が見えず、耳も聞こえず、声も出せないことが診断の結果わかってくる。
目が見えず、耳も聞こえず、声も出せないという障害が先天的なものなのか、それとも、交通事故などによる後天的なものなのかはわからない。ともかく、専門家の獣医さんですら途方に暮れてしまうほどの状態で、子ぎつねはやってきた。
目が見えず、耳も聞こえず、声も出せない子ぎつねを前にして、まずは安楽死の問題が浮かび上がってくる。
ひとりでは水を飲むことも、食事をとることもままならない子ぎつねをケアするという決断は、やはり、そうやすやすとできるものではない。ヘレンの命を維持するために費やされる労力や、経済的な出費も、現実世界に生きていく身である以上、やはり考慮に入れなければならない。
子ぎつねヘレンの障害が回復する見込みは、おそらく絶望的だ。だが、皆無というわけでもない。脳にさまざまな刺激を与えることで、一部でも回復するかもしれない。
だったら、安楽死の決断はいつでもできるのだから、とりあえずケアする方向で動き出してみよう。それが、竹田津実さんの判断だった。
私は、この本を読んで初めて知ったのだが、キツネは他人の子どもでも--あかんぼでも成人間近の少年少女でも--それが子ぎつねであるかぎり、育てようとするらしい。
自傷癖のために後ろ足と尻尾を失ったキツネが、ヘレンの育ての母親役を買って出た。
「私が育てます!」
と宣言したわけではない。身振りや鳴き声で、「ごはん食べさせたいよう」「子ぎつねと遊びたいよう」「なでなでしたいよう」と訴えるのである。
しかし、ヘレンは視覚も聴覚も失っている状態だから、何の反応も示さない。差し出したごはんも食べない。人間が無理矢理のどに押し込まないかぎり、ごはんを食べさせることが出来ないのだ。
しょぼくれて、悲しんで、自らもごはんを食べなくなってしまう自傷癖のキツネ。私は、このエピソードを続けて二度読んだ。
私たちが生きてゆく意味、生きてゆく理由がここにはある。
「愛」などと言うとあまりに下品すぎるから、ここは、「親切」としておこう。
重度の自傷癖のあるキツネですら、「親切」の機会を求めている。でも、障害を持つヘレンが必要とするほどの「親切」は、やはり人間でしか行えない。
親切はあくまでも親切だから、義務でも責任でもない。それはいつだって決断だ。
義務も責任も、決断のすぐあとにくっついてくる。
そして、地球上の他のどの生命体よりもはるかに抜きんでて、人間の親切の能力は絶大だ。……だからこそ、人間は、地球上の全生命体に対する重い責任を、背中にしょわなくてはならないはずなのだが。
ならないはず、というのは言い過ぎかもしれないが、少なくてもそのほうが幸福だし生きているのが楽しいのではないだろうか。
笑ってしまうほどに脆すぎる肉体という乗り物に乗って、この地球で生きるのは実にキビシク、日常はシビアだ。「親切」の機会の希望があるかぎり、それでも何とか生きていける。明日には誰かに親切ができるかもしれないじゃないか!
……話が脱線した。
この本のタイトルは『子ぎつねヘレンがのこしたもの』だ。
ヘレンは何を残したのか。
それはやはり、「親切」ではなかろうか。
目も見えず、耳も聞こえず、声も出ず、両手の中にすっぽりおさまってしまうほど小さな子ぎつねは、懸命に生きて、親切を受け取るに足る存在であった!
この本は児童書(小学生中級向き)ということだけど、子どもだけに読ませるのはもったいないので、みなさまも、どぞ。
*映画『パッチギ!』と近畿ろうきんのポスター*(2006.3.11)
奈良県やまと郡山城ホールでの映画上映、井筒和幸監督作品『パッチギ!』、無事終了いたしました。
私も見事、チケットもぎりの任務を完遂いたしましたですよ。
p( ´∇` )q
チケットもぎりのあとは、
映画鑑賞。
『パッチギ!』の感想は以前この日記で書いた(かな?)からよすとして、この映画のテーマは、
「この世界に落ちてきた仲間やから みんな兄弟みたいなもんや
肉親だけやて限定したない
うれしいコトあったら 楽しみつくそやないか
ご近所さんをよぼうや
酒はいっぱい準備しヨ……」
BY陶淵明
というものです(↑桃白歩実『関西弁で愉しむ漢詩』寺小屋新書・引用)。
いや、本当の本当なのよ。
バスひっくり返したり、鉄ゲタで殴ったり、コンクリ詰めにしたり、その他、上映時間ほとんどずっとケンカしている映画ですが、本当にそうなんです。
(;^_^ A
ワシ、この映画観るのもう6回目(もしかしたら7回)よ。
しかし何度観ても、チェドキがボコにされたあと、すぐにああなって、こうなったシーンは泣けちまう(映画未観賞の方のためネタバレ自粛)。
おーいおいおい、おろろんと泣けてしまう。
上映後、目を真っ赤に泣きはらした映写室のTさんと
「涙腺ゆるすぎかなあ」
「いや、私も泣きましたよ」
なんて会話をかわしました。
……仕事なのか、道楽なのか……。
奈良県映画センターのみなさまって、なんか、映画の中の登場人物みたい。
f ^ ^ *)
そうだ。
上映会場の奈良県やまと郡山城ホールで、ものすごいポスターを発見したので、特別にご紹介いたしましょう。
「近畿ろうきん」という金融機関のポスターだ。
これだ↓
雲の上でマーク=トウェインが大喜びすること間違いなしのどコピー
「金儲けだけの人生なんて、実にくだらん!」
すげー!!
金融機関のコピーじゃないよ、これは!
ファニーすぎる!
この写真じゃわかりづらいだろうけれど、ポスターの下のところには思わず悟りをひらいてしまいそうなこんなメッセージが!
「 儲けない金融機関
近畿ろうきん」
うおおおおお!
すげええええええええええええ!
キャーヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノ うわーい
しびれました、ロックでした、
不思議の国のアリスでした。
生きてりゃ、こんなものごっついモノと出くわすこともあるんだなあ。
ムリをお願いして、
この革命的なポスター
を一枚もらってきました。
宝物にしようと思います。
*昔の人は言った「金があれば馬鹿も旦那」と*(2006.3.9)
せんで〜ん。
奈良県在住の皆さんにせんで〜ん。
3月10日(金)に、奈良県大和郡山市・やまと郡山城ホールにて映画上映があります。
明日だね。
上映作品は、井筒和幸監督の
『パッチギ!』
じゃあ!
(*'へ'*)ノ うおお名画じゃ!
まだ観ていないひとは、ものすごく面白いから、ぜひぜひご来場を。
☆午後2時と
☆4時30分と
☆7時の
合計三回の上映。
前売り券はまだ間に合うと思う。
問い合わせ先:奈良県映画センター
電話0742-23-1147
でございまする。
当日は、たぶん私、入り口でチケットのもぎりやってると思います。
(;^-^ゞ
--☆-
驚くことにこのたび、本にサインを頼まれました。
自慢とか喜んでいるとかそういうことではけっしてなく、本当にサインを求められるとは思っていなかったので、瞬間、恐怖を感じてしまいました。
(;^-^ゞ
実は、お友だちに中学校の先生をしてらっしゃるかたがいるのですが、なんと、生徒さん全員30数名ぶんの名前入りサインを所望とのこと。
ほええ〜。
いや〜、私の名前なんか書いちゃったら、本の価値が下落して古本屋さんにも持っていけなくなると思ったんですが(笑)。
(;^_^ A
とびきりに字が汚いし。
生徒のみなさんの名前を間違わないようにしないといけないし(←当然です)。
どうしよう。
生徒のみなさま、それに中学教師のお友だちを失望させてしまうのが恐ろしく、かといって、急に字がうまくなるわけもない。ここは、一冊一冊になにか気の利いた名ぜりふでも書いて、お茶を濁そうと考えました。
もちろん、名ぜりふと言っても、他人に語れるような人生経験も教養も何もないワタクシですから、古いノートを漁って、いかにもかしこそうな、利口そうな、それっぽい、あれっぽい言葉を探してみました。
すると、いろいろ出てくる。
日本の古いことわざにも、実にキレキレの名言があります。
「金があれば馬鹿も旦那」
(;^-^ゞ
なんか、
今の日本の状況、このことわざでぜんぶ説明がついてしまうような。
でも、サインに
「金があれば馬鹿も旦那」
なんて書くわけにもいかないよね。
(;^_^ A
「必ず何かによって生きているあいだにせめて一人でも、といって実際に、つまり真実にだな、幸福にしてやること、わしはこれをあらゆる知識人たちの戒律にしたいと思う」
古いノートをめくっていたら、こういうセリフもでてまいりました。
いやあ、なんと素晴らしい!
テレビに出演している御用学者に、この戒律を適用したい
ものでございます。
でも、このありがたいお言葉は私のオリジナルではなくて、えーと、たぶんドストエフスキーかなにかからの引用だと、……思われます。
ノートに引用もと、書いてないの。
(;^-^ゞ
でも、おいらね、思うんだよ。
どうして、
「生きているあいだにせめて一人でも、誰かを真実に幸福にしてやる」
という目的で、ワシらは生きれないのかね、って。
幸福、なんて大それたことはドストエフスキーにまかせるとしても、ちょっとした親切、小さな親切を、生きる目的にすればいいじゃないか。
ヴォネガットが言っておりました。
「質問――その当時われわれがいたるところに見聞きしていた悪の根源は、この精巧すぎる神経系をべつにすると、いったいなんだったのだろうか?
答え――ほかにどんな根源もない。お化けじみた巨大脳をべつにすれば、この惑星はとても純粋無垢だった」
これも名言だけれど、中学生に贈る言葉になりませんね。
(;^_^ A
やっぱり、自分で考えます。言葉。
たぶんヘンテコリンかつ個人的なことを書くと思いますが、中学生のみなさん、先に謝っておきます、ちゃい。
(^人^)
最後に茨木のり子さんの詩から
「ひとりでいるとき淋しいやつが
ふたり寄ったら なお淋しい
(略)
恋人よ
まだどこにいるかもわからない 君
ひとりでいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ」
いやあ、かっこういいなあ。
私は、かっこういい女性崇拝主義者なので、もうメロメロです。
(;^-^ゞ
こういうかっこいい詩、多くの子どもたちに教えてあげたいと思ったりする。
*「ブ」のつく作曲家と指揮者ヴァント*(2006.3.7)
どういうわけか私は、名前の頭に「ブ」のつく音楽家の作品が苦手だ。
具体的にはブルックナー、ブラームス、ブルッフ、このあたりがどうもよくわからない。
じゃあ「ブ組」以外の音楽家の作品の、何を理解して聴いているのか、というと、何も理解していないんだけれど。
結局、音楽を理解して聴いているというわけでもなくて、単なる好き嫌い。苦手な音楽家の名前に、たまたま「ブ」がついているというだけのことなのだ。
しかし、たまたまだろうが、「ブ組」が苦手なことには変わりがない。
ブラームスの交響曲なんて、正直、聴き続けるのも苦痛だったりする。
(;^-^ゞ
だいたいブラームスって、シューマンにさんざんお世話になっておきながらシューマンの奥さんと恋仲になって、もちろんお互い大人なのだからそれがいけないとは言わないけれど、シューマンの死後もお付き合いしておきながら結婚するわけでもなく、かといって関係を清算するでもなく、そーゆーところが……以下略。
(;^-^ゞ
シューマンがちょっとかわいそうで……。
「ブルックナーって、淡水魚になったマーラーみたいやんな」
と発言して、ずいぶんバカにされたのは中学生のころ。
しゃーないやん、それが正直な感想やってんから!(笑)。
(;^-^ゞ
というわけで。
中古CDショップでブルックナーの交響曲7番をお安く購入してきた。
指揮はギュンター=ヴァントだ。
ワシもこりないやつですね。再度「ブ」にチャレンジだ。
(^_^;)
実はね、指揮者のヴァントさんが、私は好きなのだ。
ヴァントさんはすでに故人なんだけれど、強烈に偏屈なおじさんだったらしく、しかもオニのように厳しかったらしい。
楽団員に対するあまりといえばあまりのしごきに、ケンカになることもあったとか。だけど厳しいぶん、演奏はぴかいち。
話す言葉も厳しく、しかし深い。
なんか、
某Jリーグの某チームの某オシム監督みたいでしょ?
(^_^;)
「歳をとるということは、不思議なことです。同じことをやっているのに、三十年前は真剣に聞いてもらえなかった。頑張って、闘って、ようやく聞いてもらったことが、今は、すっと通るのはどうしてか。ありがたいことだが、不思議です」
「八十からの人生は、やはり違うんです。私も若かったことはあるんですよ、しかし若い人は、八十だったことはない。それは酷いほどの事実です」
(どこかのサイトの記事からの引用なんだけれど、肝心のサイトがわからないので、無断引用。ごめんね)。
(;^-^ゞ
なんか、かっこいいでしょ?
サッカーがオシム語録なら、クラシック音楽はさしずめヴァント語録という塩梅。
「あと50年もすれば、我々が住んでいる今の時代はドイツの歴史の中でも最も馬鹿げた時代として考えられるのではないでしょうか。
何ひとつまともなものがないからです。
一人残らず絶えず移り変わる流行を追いかけて、王様の新しい着物に目を奪われている。
王様が裸だということに誰も気が付かない。
これは政治の世界だけでなく文化についてもそうです。
そしてこれは常に真実でないとわかっているものに大騒ぎをする偽りの態度に結びついています。」
ヴァントさん、それでもドイツは、日本と比較すればましですよ。
何ひとつまともなものがないどころか、ひとの心に有害なものであふれかえっておるんですよ、わしらの国では。
(;-_-ゞ
****************************************
♪勝ち組の 街の明かりが♪
♪とてもきれいね構造改革〜♪
♪ブルーマンデー 構造改革〜♪
♪常に真実でないと♪
♪わかっているものに大騒ぎをする♪
♪偽りの態度に結びついて♪
♪ブルーマンデー 構造改革〜♪
♪歩いても 歩いても 小舟のよおおにぃ♪
♪暮らしぃは〜 揺れええて♪
♪揺れて階級序列の下の下〜♪
♪ぼろを着て〜 家もなく〜♪
♪勝ち組の 街の明かりが♪
♪とてもまぶしい構造改革〜♪
♪ブルーマンデー 構造改革〜♪
♪よりよい明日を あの人に託して♪
♪内容のないイメージ言葉を♪
♪イメージ言葉を 聞かせて もういちどお♪
****************************************
芸術は爆発だ〜!(by岡本太郎先生)。
d(-_-)ヴァント、イイ
昔は指揮者といえば、大学教授のように尊敬される職業だったけれど、今ではスターだのマエストロだの、ばっからしい! とかも言ってたな、ヴァントさん。
異端だな、反逆者だな、芸術家だな!
というわけで、ブルックナーの7番を聴いている。
これが不思議といい!
もしかしたら、これは名演なのではあるまいか(自信なし)。
その証拠に、私が
「ブ」のつく作曲家の作った交響曲を通しで聴くなんて、実に珍しい
ことなのだ!
(;^-^ゞ
ともあれ。
真の芸術家、かくあるべしというおひとなのだ、ヴァントは。
「わたしはときおり芸術はなんの役に立つのかと疑問をもつことがあります。わたしに思いつけるいちばんましな答えは、みずから『坑内カナリア理論』と名づけたものです。
---この理論にしたがえば、芸術家が社会にとって有用なのは、彼らがきわめて敏感であるためです---彼らは敏感すぎるほど敏感である。そのために、もっとも強壮なタイプの人間がまだなんの危険にも気づかない前から、彼らは有毒ガスの発生した炭坑の中のカナリアのように、目をまわしてぶっ倒れるのです」
カート=ヴォネガット……
*『カート・ヴォネガット非公式ページ』の話*(2006.3.6)
こちらのサイト、みなさまは、すでにご存知だろうか?
『カート・ヴォネガット非公式ページ』
管理人は、四井志郎さま。
読んで字のごとく、カート=ヴォネガットの非公式ファンサイトだ。
ネットサーフィン(←死語)をほとんどしない私なので、このような肝心かなめのサイトになかなかたどり着かない。
(;^-^ゞ
こちらのサイトから、[拡大家族プロジェクト]が現実に動いていることを私ははじめて知った。
拡大家族プロジェクトキャンペーンバッジ
[拡大家族プロジェクト]をもっとも簡潔に説明すると、「本気で人類みな兄弟」とでもなるだろうか?
スローガンは、
「もう孤独じゃない!」
……ヴォネガットが「もう孤独じゃない!」と言うとき、いつも私は涙ぐんでしまう。
もしかして恋かしら?ぜんぜんちがうわね。
(;^-^ゞ
ヴォネガットが素晴らしいのは、人類は兄弟なのだ、とはけっして言わないところだと思う。「人類みな兄弟」という嘘でみんなが幸せになるなら、それでいいじゃないか、と言う。
ちなみに、大多数の人間に「負け組」「他人」というレッテルを貼っておいて、彼らは負けたのだからどうなってもしかたがない、どのような目に会おうと関係がない、というような世界の眺め方を「コイズミ日本構造大改革」という。
市場競争の勝利者は、これまで以上の戦利品を受け取るべきだから、これからの社会は負け組という下層階級がどうしても必要になる、という考え方を私たちは熱烈に支持した。
ダーウィンの進化論を故意にミスリードし、この世の原理はすべて適者生存、不適応者は押さえつけられて、しゃぶりつくされて、勝利者を下から支えつつ感謝さえしなくてはならない、という世界観だ。この世は競争だ。社会の不健全さとは競争がないことであり、成長が見込めない状態のことだ。
日本の市場は、「自由競争」と「競争力の強化」というお題目により、すっかり無法地帯と成り下がった。
モラルもルールも存在しない中で、日本国という地域共同体の内部の、ありとあらゆる資源も資産も彼らの戦利品だ。
つーか、彼らにとって世界とは、
畜産業により近いのではないだろうか?
お肉を食べたきゃ、こいつらにもちっとは餌やったり、世話したりしなくちゃな。めんどくせー。
と……。
( ̄_ ̄|||)
少年サッカーで民族融和のユーゴスラビア主義を再建しようとしているオシム監督の、さらに夢想的ロマン主義的なもの、それが拡大家族だと思う。
こちらのサイトには、世にも珍しい、ヴォネガットのインターネット配信絵本がある。
一部画像がリンク切れをおこしているようだけれど、テキストはちゃんと読める。
ぜひ、ご一読してみてください。
*こまつ座『兄おとうと』観賞*(2006.3.2)
頭痛、発熱、ぐうたらにより、報告のみ。
昨日、井上ひさし氏の演劇作品
『兄おとうと』
を鑑賞。
劇団は、こまつ座さん。
「民本主義を唱えた吉野作造の評伝劇」ということなのだが、かたくるしいところのない、歌って踊ってのコミカルなお芝居。
もちろん、井上ひさし氏のお説教も健在だ。今回のお題は、
「憲法をわかりやすく考える」
私たちはこれまで、世界的にも極めて評価の高い日本国憲法を、まったくといっていいほど活用してこなかった。活用されなかった憲法は、単なる絵に描いた餅と成り下がり、私たちはそのことのツケを払わなければならなくなるであろう。……とは、私の個人的な意見。
「憲法をわかりやすく考える」とは、「私たちはどのように生きたいのか」を考えるのと同義だ。
考えた末で、冗談社クラブの社訓・「見返り期待し今日も親切。骨までしゃぶれどこまでも」を地で行くコイズミ日本大改革を支持するというなら、そういう生き方もアリだろう。
……。
勉強したい子が中学へ上がれないのは「なぜ」。病気の弟が医者にかかれないのは「なぜ」。自分が作った甘露煮を自分で食べられないのは「なぜ」……。
劇中歌を受け止め、理想論を貫き通す人間の強さに心熱くなった夜でございました。
*『ハンセン病の療養所を作ったお坊さん』の話*(2006.2.27)
トレヴァー=マーフィ氏・著『ハンセン病の療養所を作ったお坊さん』の表紙絵、挿絵など描きました。
この本は、日本で始めてハンセン病の療養所を作った、綱脇龍妙さんのお話。
ハンセン病のことは、私自身、映画『住井すゑ 百歳の人間宣言』や、これまた映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』で得た知識しかなかったもので、お話をいただいてから大慌てでネットで調べたりという状態でございました。
トレヴァー=マーフィ氏のお原稿を読んで、私もいろいろと学ぶこと多かったわけでございます。
綱脇龍妙さんというお坊さんがハンセン病の療養所を作ったのは、100年ほども前のことなのですが、作者のトレヴァー=マーフィ氏は、100年前の出来事をいま現在の日本の状況とシンクロさせて綱脇龍妙さんの半生を取り上げておられまして、そこのところが読みどころかな、と、私などは個人的に感じた次第でございます。
ワシのサインが 欲しいという奇特な方がいたら、申し出てください。
送料負担になりますが、ミミズがのたくったようなサインをします。
もちろん、おまえのサインなんていらんのじゃ、作者のトレヴァー=マーフィ氏のサインをおくれ、とおっしゃるのもごもっとも。
かくなるうえは、私がマーフィ氏のかわりに、
トレジャー=マーフィ、かしこ
φ(°ρ°*)
とサイン……したら怒られるので、トレヴァー=マーフィ氏のサインが欲しいというかたは、申し訳ございませんが、ご当人にアタックしてくださいませ。
f ^ ^ *)
ま、冗談はほどほどにして(本当に怒られる)、この『ハンセン病の療養所を作ったお坊さん』は26日発売ということですから、もう書店に並び始めていると思います。
どぞ、手にとってご覧になってくださいませ。
私は、コダーイの『ハーリ=ヤーノシュ』を聴きながら、読みましたよ。
お値段は税込み1260円です。
*「噂のアレはどうなった」シリーズ*(2006.2.26)
突然ですが今日の日記は、「噂のアレはどうなった」シリーズ。
個人的に気になる国際ニュースから連載休載の漫画のその後まで、いろとりどり。
アレがどうなったか気になってトリノオリンピックどころではない、というシリーズだ。
はじまり、はじまり〜。
その1
(* ‘∇‘)/°・:*【AREHADO〜NATTA】*:・°\(‘∇‘
*)
「ドミニカに上陸したというアメリカ軍はその後どーなったのでしょーか」
ジャーン。
ドミニカ共和国の隣に、ハイチ共和国という国がある。
そのハイチで大統領選がおこなわれることになったんだけど、どうもこの大統領選挙、親米派の立候補者の支持率が激低いらしいんだよな。
とはいっても、アメリカという図体ばかりでっかい田舎国が、ちかぢか大崩壊をきたすのはあきらかだから、極東の某国などの例外を除いて、たいていの国はアメリカと距離を置こうとしてるんだけど、ま、それはそれとして。
この親米派の支持率が低いハイチでの大統領選挙で、だ。民衆の理由なき暴動とか、根拠のない不正選挙とか、そーゆーイケナイことが行われるんじゃないかと、アメリカ合衆国政府は急に心配になった。
それはもう、不自然なまでに唐突な心配なわけだが、不安神経症患者とはえてしてそういうものだ。
ともかく。
ハイチ共和国の民主主義と治安に、発作的不安を抱いたアメリカ合衆国。
ハイチが混乱したさいには、いつでも軍隊が突入できる体制
を整えたという。突撃部隊は、沖縄米軍基地とマリファナで鍛え上げたホンマモンの米軍だ。
ハイチのひとびとは、ビックリ仰天。フツーに投票用紙に名前を書く選挙を楽しみにしておったのだが、自国の大統領選挙にアメリカ合衆国が介入してくるかもしれないと知って、恐怖と怒りに震えているという。
うわあ、私も急に心配になってきた。
民衆の暴動と、介入による不正選挙が、不自然なまでに心配だ!!
私も不安神経症なんでしょうか、どうでしょうか?
この大統領選挙、どうなったのか、ぜんぜん続報が入ってこない。
気になる、気になる。
次。
その2
(* ‘∇‘)/°・:*【AREHADO〜NATTA】*:・°\(‘∇‘
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「佐藤秀峰センセの漫画『ブラックジャックによろしく』は、完結したのでしょーか!」
最新刊13巻目を読んだわけですが……。
皆さん、読みました?
ああ、そう……。
で、ね。
あの、いかにも圧力がかかって連載続けられなくなりました的な精神科編のラストはなんだ〜!!!!
(` 曲 ´)ぎー
しかも、『ブラックジャックによろしく』が完結したのやら、そうでないのやら、さっぱり情報が入ってこない不思議。
『ブラックジャックによろしく』、終ったんですか、続くんですか?
どーなったんでしょーか。
その3
(* ‘∇‘)/°・:*【AREHADO〜NATTA】*:・°\(‘∇‘
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「中古家電は、4月から買えなくなるのでしょーか」
なんでも、PSE表示というものがない中古家電は、4月から販売・購入が出来なくなるんだと。
これまた、不自然なまでに唐突な話。
大量生産社会を支えるため、われら市民はせっせと大量消費しなくてはならんのな。
♪物持ちが良いのはアンモラル♪
♪買ったら捨てろ。捨てたら拾うな♪
♪もち、それは法律で定められております♪
必要・不必要関係なし。
(^_^;)
リサイクルなんてもってのほか。
(^_^;)
だって、中古を買わなくても、新製品がありますから。
勝ち組をめざす立派な方々にお奨めの、最高品質の新製品を御紹介しま〜す!
デジタル地上波映らない薄型テレビ、
急速冷凍消費電力表示ごまかし冷蔵庫、
ノート型個人情報だだもれPC、
ウイルス混入CD用ラジカセ、
30時間録音ユーザー泥棒扱いコピーガード機能付きハードディスクレコーダー、
見たくも見せたくもない顔が映るテレビ電話、
その他、新機能満載の新製品を購入して、廃棄して、そしてまた購入だ〜。
(;^-^ゞ
市民よ、あなたには権利がある。消費する権利が。新型テレビがそう訴えかける。
人生の物語は消費の中にこそある、と。
あなたも、あなたも、そしてあなたも、
限度いっぱいまで幸せにな〜れ!
♪テレビは映らなくてもけっこうです♪
の廃品回収車のおっちゃんも、廃業なのかな。
どーなんでしょーか?
その4
(* ‘∇‘)/°・:*【AREHADO〜NATTA】*:・°\(‘∇‘
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イラクでの対テロ戦争はその後どーなったのでしょーか?
デロデロデロ……。
かの民主主義のとりで……もとい資本主義のとりで、アメリカでは、遠いイラクの民間人を殺して殺して殺しすぎて、精神に異常をきたしてしまう兵隊さんが続出してるんだと。
llllll(-_-;)llllll
あっちこっちで殺してるらしいんだけれど、やっぱり、一番多く殺すのは検問所やね、と米兵。ひとを呼び止めてダダダ。車止めてダダダ。
しかし、精神に異常をきたしているかたがたの証言は信じられないということなのか、テレビ報道ナッシング。
さて、われらが自衛隊のみなさまは、イラクでなにやってるん?
どーなったんでしょーか、コイズミさん?
その5
(* ‘∇‘)/°・:*【AREHADO〜NATTA】*:・°\(‘∇‘
*)
漫画雑誌『月刊アフタヌーン』の、カラスヤサトシせんせの欄外漫画は単行本になるのでしょーか!
カラスヤサトシせんせ。彼は、実に偉大な漫画家さんだ、でも、おっそろしく地味だ。
貨幣経済システムのレールの上で、ここまで地味でありつづけることは、
もうすでにひとつの業績だと思う。
いや、マジで。
私は、カラスヤせんせの漫画を毎月ちょきちょきハサミで切り抜いてる。彼の作品の価値を、きっちりと理解しているからだ。
単行本化への厳しい道のり、というものも、ちゃーんと理解してるから。
(;^-^ゞ
カラスヤせんせのフィギアが出ても買うよ、私。
つーか、ほしい。
私は真剣だ。
ベルダンディのフィギアには興味ないっすけどね。そういうのは、げんしけんの連中に任せますわ。
誰か作ってくれませんか、辰木桂ちゃんとカラスヤせんせのフィギア。
偶像崇拝主義者な私には、ぴったりだと思うの。
☆--
話が変わるけれど、漫画ついでに。
あふたぬんの
『ヨコハマ買い出し紀行』
が最終回になった。
木村紺センセの
『神戸在住』
も次号で最終回。主人公の桂ちゃんは、どうやら就職先が見つかったみたいだ。
よかった、でも、さみしいなあ。
ひぐちアサせんせの
『大きく振りかぶって』
は、まだまだ続く。
野球の試合が終って、むしろ読みごたえたっぷりの今連載。ひぐちアサせんせは細かい部分に力を発揮する作家さんで、でも、木村紺センセともちょっと違うタイプなんだよね。
木村紺センセの『神戸在住』の魅力が、対人関係の距離感の絶妙さにあるとすれば、ひぐちアサせんせ作品の魅力は、人間関係の角度のつけかた、というか。
ひぐちアサせんせは、人間を立体的な存在だと考えてるんだと思うんです、ヤサシげなワタシは。
今月号で言えば、
「こいつが誰かを嫌うことって全然ないんだよ」
ちゅう何気ないセリフ。読者の誰もが考えていないような場面と角度からずばっと切り込んでくるのね。これはなかなか書けないよ、ふつー。
角度、そしてタイミングが独特なんだひぐちアサせんせは。このときの、はっとさせられる快感と満足度の高さときたら、……やめられません。
ごめん、読んでないとわかんないよね。
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