前の日記1 / 前の日記2 / 前の日記3 / 前の日記4 / 前の日記5 / 前の日記6

 / 前の日記7 / 前の日記8 / 前の日記9 / 前の日記10 / 前の日記11

 / 前の日記12 / 前の日記13 / 前の日記14 / 前の日記15 / 前の日記16

 / 前の日記17 / 前の日記18 / 前の日記19 / 前の日記20 / 前の日記21

 / 前の日記22 / 前の日記23 / 前の日記24 / 前の日記25 / 前の日記26

 / 前の日記27 / 前の日記28 / 前の日記29 / 前の日記30 / 前の日記31

 / 前の日記32 / 前の日記33 / 前の日記34 / 前の日記35 / 前の日記36

 / 前の日記37 / 前の日記38 / 前の日記39 / 前の日記40 / 前の日記41

 / 前の日記42 / 前の日記43 / 前の日記44 / 前の日記45 / 前の日記46

 / 前の日記47 / 前の日記48 / 前の日記49 / 前の日記50 / 前の日記51

 / 前の日記52 / 前の日記53 / 前の日記54 / 前の日記55 / 前の日記56

 / 前の日記57 / 前の日記58 / 前の日記59 / 前の日記60 / 前の日記61

 / 前の日記62 / 前の日記63 / 前の日記64 / 前の日記65 / 前の日記66

 / 前の日記67 / 前の日記68 / 前の日記69 / 前の日記70 / 前の日記71

 / 前の日記72 / 前の日記73 / 前の日記74 / 前の日記75 / 前の日記76

 / 前の日記77 / 前の日記78 / 前の日記79 / 前の日記80 / 前の日記81

 / 前の日記82 / 前の日記83 / 最新の日記



ポエムマンガに戻る / ホームに戻る




*薬膳(2005.11.20)

先日、心斎橋大学というところで児童文学作家養成教室の講師をしておる玲子大先生と教室の生徒のみなさまが、校外授業をしたのですな。
奈良は大宇陀町というところに

薬膳を食しにでかけてまいるという授業。

身体によくて、しかもおいしい食べ物を食べるという授業だったんじゃ。
それにちゃっかりついていった息子が

私というわけ。

中国ではうんまい上海ガニを食い、韓国ではこれまたうんまいキムチ食べた玲子。
「これ以上、うんまいものひとりじめはさせるものか〜!」
という固い決意で行ってまいりました。
大宇陀町というところは、ひなびた風情がなんとも私好みで。実に楽しい日帰り旅行、もとい、課外授業でございました。
つーわけで、日記を読んでいるみなさまには、うんまいお料理のお写真などをお見せしておこう。



 




*憲法9条のはがき制作(採用編)(2005.11.17)


「出版フリーランサー九条の会」

に所属する有志クリエイターのかたがたが、「憲法九条を世界中の子どもたちに手渡しましょう」を合言葉に制作した“憲法9条を守れ”はがきセット。
私の作品も採用されましたので、画像をアップしておきます。
原爆投下と黒い雨を描いてみた。
ちいとこわいじゃろ。
もくもくキノコ雲の絵葉書を誰に送るべきかのう?
(;^-^ゞ
しかし、戦争はおっそろしいものだかんな。絵葉書とはいえ、そこのところはきっと押さえとかないとな。
この世界から戦争をなくす、そのために

日本国憲法第九条を海外に輸出する。

グッドアイデアだろ?
伝説のサッカー選手、マラドーナも「ブッシュ・ノー」と描かれたTシャツ着たりして、驚いたよ。
太り過ぎで入院したと聞いたけど、大丈夫ですか、マラドーナさん?
(;^-^ゞ
とにかく、反戦の機運は世界中で高まっている模様。南米も、日本を除くアジア各国も、アメリカとは距離を置き始めている。
みんな、戦争なんてヤなんだよ。
お金持ち連中は別だけどな。
あのひとたちは、石森章太郎センセの漫画
『サイボーグ009』
に出てくる悪役、「ブラックゴースト」そのもの。
なんとかしなくちゃいけません。

 




西谷文和さんの『イラクの子どもたちと9条』(2005.11.6)


終戦直後の日本各都市の廃虚のごとく、はたまた、デビルマン軍団対デーモン族のハルマゲドン戦争のごとく、瓦礫の山となったイラクの大地に、

無傷で建っている石油省のビル。

テロとは無関係とアメリカ政府が認めた、唯一の存在“石油”だけが、破壊されずに残っている……。
病院では、劣化ウラン弾による放射能汚染で、いわゆる原爆症に苦しむ子どもたちの姿。
私が観たこれらの映像は、西谷文和さんがホームビデオカメラで映した、“テレビが放映しないイラクの実態”だ。
そう。
ワタクシこのたび、西谷文和さんの講演を開いてまいりました。
主催は、出版業界で働くフリーランサーのメンバーで構成された「出版フリーランサー九条の会」
講演のタイトルは、
『イラクの子どもたちと憲法9条』。
打ち上げの親睦会にも参加して、ビール飲んで寿司食って、今はハラホレヒレヒレ状態。
文章もいつにもましてハラホラヒレヒレになっておりますので、ご容赦。
(;^-^ゞ
イラクの子どもたちはこうしている間にも殺されているというのに、申し訳ないやら、平和がありがたいやら。
コイズミ大改革で、日本のこの平和も風前のともしびだけどな。
(^_^;)
西谷さんはコイズミさんたちの言う国益を無視して(笑)何度もイラクに入り、テレビの伝えない本当のイラクの現状を見、感じてこられているわけで、そのお話は実に貴重でございます。
私個人は、西谷さんのお話を聞いてさらに、2極化が進む世界のありさまを痛感した。
それはまさに、ふたつの現実と言っていいほどの、分裂しきった世界だ。
高遠さんら日本人3名がイラクで拉致されたとき、テレビは、国益を損ねる事態を引き起こした非国民3名に、怒りをむき出しにする国民の姿を報道した。「自己責任論」という名のバッシング。帰国した高遠さんたちを迎えたのは、「シネ」と書かれた横断幕だった。日本の新聞の社説では、日本の国益のために、不屈の対テロ魂のために、3名は犠牲になっても致し方ないとされた。
しかしそのとき西谷文和さんは、バクダットのテレビで、もうひとつの日本の現実に触れていた。
それは、「自衛隊撤退」、「平和憲法を守れ」のスローガンを掲げてデモ行進する、大勢の日本の市民の姿。アルジャジーラ・テレビの生放送番組だった。
日本の市民によるデモ行進は、現実を変えてゆく。
高遠さんたちを拉致した犯行グループの声明をそのまま真に受けるとするならば、彼らは、イラクの平和を大勢の日本市民が望み、そのために行動していることに心を動かされ、3名の釈放を決定した。

平和な世界を実現させるためにひとびとがとった行動が、現実にひとの命を救う、

その一部始終を、アルジャジーラ・テレビは放送し続けた。
民主主義の本質が「主権在民」であるとする建前を、建前としてきっちり機能させていこうとする市民の意思とその結果を目の当たりにする感動。
少なくとも、西谷文和さんが当時の状況で知りえたイラク日本人拉致事件は、そのようなものだった。
そしてそれは、日本のマスメディアが報道するイラク日本人拉致事件に日本の内側から接してきた私の実感とは、あまりにもかけ離れている。
日本の内側でのイラク日本人拉致事件とは、
「政府の言うことを聞かないひとは、非国民としてバッシングしますけど、それは自己責任ですからね」
という文脈による、「国家無責任論」の横行であった。
日本国政府には責任はない。むしろ、拉致されることによって国益を損ねる結果を招いた3名は、国家に対して重大なる責任を感じるべきなのだ、という論理だ。
当時の日本国内における

責任とは、国民ひとりひとりが「国家」に対して感じるべきものであって、

国家が個人などというちっぽけなものに責任を感じたり、果たさなくてはならなかったり、というようなことは、あってはならないのだ。……というような論理が、自明の理というような論調で、ごーごーとテレビを席巻した。
この日本には、今、ふたつの現実が存在する。
いや、日本だけではないかもしれない。
今度のイラク戦争では、世界中の多くの市民が、

開戦前から反戦運動を開始していた。

これは、平和運動の歴史上から眺めても、実に画期的な出来事だったと思う。しかし、それでも開戦は止められなかった。西谷さんの言葉を引用すれば、

「アメリカの国会議員は、与党も野党も含めて、すべて企業に買い占められているからだ」

ホワイトハウスの外でデモを行っている数十万人にも及ぶ反戦の市民のために、彼らは働らかない。国会議員に膨大な金額の企業献金をしてくれるのは、市民ではなく、企業なのだから。
日本もそうだよね。
(^_^;)
企業は、だてや酔狂で献金しているわけではない。
「戦争で大もうけしたいんですよ。ひとつよろしくお願いしますね」
と献金しているのだ。
『金で買えるアメリカ民主主義』
を書いたのはグレッグ=パラストだが、この言葉、真理だなあ。
(^_^;)
主権在民、なんて、アメリカ市民も日本市民もぜんぜん実感できていない。そんなものはどこにもない。
あるのは、国家に対する義務としての自己責任だけ。
……しかし、アルジャジーラ・テレビは確かに、あるはずのない主権在民の理想が機能している様を、生放送番組として実況した。
高遠さんたちを助けるために、反戦の思いのために市民ひとりひとりが行動し、その結果少なくても、高遠さんたち3名は釈放されたのだ!
考えてみれば、実に奇妙な話だ。
実現させた日本の市民たち自身が気づいていない奇跡を、バクダットのひとびとはテレビ報道の中で確認し、
「某極東国首相は狂ってるけど、みなさんは本当に素晴らしい」
と西谷さんと感動をわかちあっていた……。

ミステリアス・ニッポン(笑)。

(^_^;)
テレビ番組が私たちに届ける「現実」という名の情報。「現実」は「現実」でしかないのだから、検証する必要はないし、しても無意味だ、……のはずだ。
だから、猛烈な勢いで絶え間なくながれこむ現実を、ひとびとは咀嚼することもなく片っ端から飲み込んでいく。
その情報に首までひたって、私たちは私たち自身の姿を確認することができなくなっていく。

と、以上が西谷さんのお話を聞いての私の個人的な感想。
親睦会でもいろいろお話が聞けたんだけど、その話はここでは書けないから口コミでね。
エッチすぎるので……というのは冗談な。
(;^-^ゞ
やっぱり、自分の目で見た人の話は、当然なんだけど違いますね。

 




宇宙道路の建設許可(2005.11.2)


映画館で観たかったなあ、この映画
ぜひ、DVDに……。
私が観たがっているのは、
『銀河ヒッチハイクガイド』
というSF映画だ。
ある日地球に、銀河系超空間・開発審議会--ジェルツ大尉なる宇宙人からメッセージが送られてくる。
内容は、こうだ。

「地球の皆さん、こんにちは。
銀河バイパス建設のため
今から地球を取り壊します。
では、良い1日を……かしこ」



どひ! (;゚;Д;゚;)


宇宙道路公団が銀河道路を造るのに、地球が邪魔だったのね。
沖縄米軍基地建設や長良川河口堰建設で抹殺される珊瑚やムツゴロウ、シオマネキたちの立場に、地球人は立たされる。
でどうなるかというと、

道路建設のために地球はとりこわされる。

先進国も後進国もアングロサクソンもゲルマンも日本民族も蒙古人も男も女も子どもも年よりも、人間以外の生命体も岩や砂といった非生命体もみーんな塵となる。

♪海は死〜にますか 山は死〜にますか♪
♪……宇宙道路建設のために、死〜にました♪
♪みんな死んでしまいま〜した♪

ところが、ひとり生き残ったイギリス人がおりまして、その彼が大冒険・宇宙ヒッチハイクを行う、と、そういうストーリーらしい。
あ、映画で思い出したんだけれど、
『ホテル・ルワンダ』
日本公開が決定した模様! 
よーし!
観たいなあ、これも。


--☆

ネット書店amazonに立ち寄ると、面白いタイトルの本が売り上げベスト1にあがっていた。

『小泉純一郎と日本の病理』

藤原肇著。光文社刊。
出版社/著者からの内容紹介が実に面白いのでご紹介。

国民は貧しくなればなるほど強いリーダーを求める
たとえ、彼が「ニセ改革者」であろうと
そして、「独裁者」であろうと」


■国民を地獄へ導く「ゾンビ政治」と「賤民資本主義」

今の日本はゾンビが支配する国ではないのか? 財政破綻による「国家崩壊」が放置され、病状は日ごとに悪化している。そして、日本経済には「賤民資本主義」が蔓延し、倫理なき利潤追求ばかりが行われ、社会は階層化している。
(略)
 ゾンビ政治と賤民資本主義が日本を崩壊に導いており、この流れを加速させているのが小泉政権である。このままでは、あなたは確実に地獄に導かれる。そして、気がついたときには、すでに手遅れとなる日が迫っている。

私の日記と、基本的におんなじ主張のようで、ゾンビになぞらえているところまでいっしょ。
やっぱ、おんなじこと感じてるんだよな、多くの人が。
ともかく、こういう本が売れるのは、頼もしいことです。
私はどうしようかなあ。
いやね、自分とまったく同じ主張の本を買ってもしゃーないかなあ、とも思うのよね。
(;^_^ A
売り上げ貢献ということで、一冊、購入するかな!


--☆

マウスの調子がおかしいので、新しいのを買おうとしたんだけど、いつの間にかMacのマウスが2ボタンの上、ご丁寧にスクロールボタンつきになっていた。
実にしゃらくさい話だ。
ここで、私の立場を明らかにしておきたい。
私は、Mac武闘派だ。Mac原理主義者だ。

Macひいきの引き倒し派だ。

Mac誕生時の理想、過激なまでの革命精神、つまり
「人間社会に思いやりを実現させる」
から逸脱した、いかなる行為も私は認めない所存である。
マウスボタンが2つでも5つでもいい。個々のユーザーが気に入ったマウスを使用すればいい。ただ、初心者の存在を考慮に入れるなら、デフォルト状態でのマウスボタンは1つである“べき”であろう。
まるで、
「車のハンドルがふたつになって、前輪後輪同時に操作できます! 便利でしょう!」
と言われている気分だ。
便利かもしれないが、とてつもなく煩わしい。オイラ左利きだから、よけいに面倒だ。初期設定を変えればいいじゃん、などと言われると、私はさらに立腹する。ほっとけ!
運動図のような、マウスのボタンが2つないとまともに操作もできないというOSだというなら、まだ納得できるのだが。
Mac雑誌は、「これでゲームが楽しめる」などと喜んでいる始末。
Macの理想を啓蒙する立場にアリながら、なんという堕落。
Macでゲームをするなとは言わん。
しかし、「雑誌に書くな」と言いたい。
確かに、Macの存在自体が遊びの気分で満たされている。それは認める。Macは、私たちの知る「仕事」とは遠いところで美しく輝いている。
Macはユーザーに、

「人生とは笑いだ」

と伝えたがっている。
Macは笑っているのだ。
最新のMacは、笑いがない。笑う機能がない。Macという名前をつけられた、ただの機械だ。
しかし、誕生したときのMacにおける重要なコンセプトに、「笑い」はあった。むしろ、MacがMacであるためのもっとも大切な要素だったかもしれない。
そうしたMac全体を貫く心棒としての遊び心と、ゲームをするためにマウスのボタンを2つにせよと主張するのとでは、同じ遊びでも次元がまったく違う。
最初期のMac開発チームのオフィスは、いつもオモチャや楽器であふれていたそうだ。社員はギターを弾き、歌を歌って、ゲームに興じていた。
開発チームのリーダー、ラスキンはこう述べている。

「Macの開発チームのメンバーは、芸術家であるべきなのです」

ラスキンは、オペラの指揮者でもあったから、オフィスは突然コンサート会場にもなった。
笑うこと、歌うこと、それがMacであるべきだ。

 



『紙屋町さくらホテル』観劇(2005.11.1)


漫画『神戸在住』の主人公・桂ちゃんが、小劇団の大道具&小道具製作係としてただいま奮闘中だ。
だからというわけではないけれど、私も劇団息吹の公演
『紙屋町さくらホテル』
を鑑賞。
井上ひさし氏作、演出は坂手日登美氏。

ときは1945年5月。「移動演劇隊さくら隊」の新劇俳優・丸山定夫と園井恵子が、軍などからの要請により、広島で「無法松の一生」上演することになる。
素人団員の募集に、さまざまなひとびとがさまざまな事情で、紙屋町さくらホテルに集まってくる。
言語学者、女子挺身隊員、日系二世のホテルの女主人、特高刑事、陸軍大佐、天皇の密使の海軍大将、etc.etc。
そう。
太平洋戦争まっただなかの1945年5月に、特高刑事、陸軍大佐、海軍大将といった面々が、

素人芝居「無法松の一生」に出演するというのだ。

もちろん、彼らにはそれぞれの事情があるにはあるのだが、それにしても特高刑事、陸軍大佐、天皇の密使の海軍大将が「無法松の一生」とは!
実に実に、ファンタスティックだ! カート=ヴォネガットの『青ひげ』のラストシーンを彷彿とさせるほどに、ステキにファンタスティック。

「音楽ならば、音楽だからこそ可能なのです!」(映画『アマデウス』のモーツァルトの叫び。「音楽」を「演劇」と変換してお読み下さい)。

映画でも、小説でもない、舞台だからこそ、何の説明もいらない。舞台の中で起きている「現実」を、私は自分の内側で「補完」し「創造」していく。
舞台劇が舞台劇であるがゆえのさまざまな制約は、蒸留され結晶化された「ここではないどこか」へと飛び立つための滑走路だ。幕が上がれば、現実にべったり張り付いたように生きるだけのコイズミ劇場などとうに置き去りにし、現実は抽象化され結晶化されずしりと重くなる。
この重みが、演劇の魔力だ。
「移動演劇隊さくら隊」は、このご時世に芝居「無法松の一生」の稽古に励む。
特高刑事が言う。
「役者が何を生産している? 魚が捕れるか服が作れるか、山から木が伐りだせるか、その木で家が建てられるか? 役者なんてものはの世の中の役に立つモノをなにひとつ作り出せない怠け者じゃないか」
陸軍大佐も同意する。
「モノを運ぶ、モノを売る、世の乱れを防ぐ、国を守る、そういうこともしませんな」
特高刑事はさらに言う。
「役者は、まっとうに働いている世間様のお情けにすがって生きている屑、

役者は人間の屑だ!」

それまで黙って聞いていた新劇俳優が反論する。
「俳優はそのかわりに、

いま言ったものすべてになることができる。

俳優は百姓になる、漁師になる、きこりになる、大工になる。鉄道員にも商人にも巡査にも……。

この世に生を受けたありとあらゆる人間を創りだせるんです」

海軍大将がなるほどと膝を打つ。
新劇俳優はなおも言う。
「人間の中でも宝石のようなひとたちが俳優になるんです」
あー、それ、私も心当たりあるな。(^-^)
と、さんざん役者をこきおろした特高刑事もいっしょに、芝居の稽古は始まる。
新劇俳優の丸山定夫と元宝塚スターの園井恵子以外のメンバーは、全員素人だから、台本の字面を追うだけで手がいっぱいだ。
このあたりのドタバタぶり、たどたどしいせりふまわし、大仰なあわてぶりなどはかなり笑わせる。
しかし、練習を積み重ねるうち、あの特高刑事すら、下手は下手なりの上達を見せる。そして、芝居の上達とともに、周囲の演劇団員ともうちとけていく。劇団員は、練習を重ねながら、ひとつのチームに急速にまとまってゆく。
しかし、そのなかで、陸軍大佐だけが、いっこうに芝居がうまくならない。それはなぜか?
演じるとは、他者を知るということだからだ。芝居上の架空のものであれ、創られたものであれ、彼が演じるのは人間であるはずだ。
その人間とは、自分とは違う、別の誰かだ。自分とはまったく違う人間なのだから、演じるためにはこちらから歩み寄るしかない。演じるべきその人を理解し、見当をつけ、その行動の理由を読み解く。
「あなたは、これこれこういうつもりで生きていたのですか?」
と訊ねても、答えてくれるひとはいない。存在しない人間なのだから。答えられるとしたら、せいぜい作者だけであろう。
他人の心を知ろうとする。他人の考え方を知ろうとする。

自分とは違う考え方、生き方をしている他者の存在を受け入れる。

それができないと、俳優はなにも表現することができないはずだ。
そして、特高刑事は、芝居の稽古を通じて、“違い”のもつ途方もない豊かさに気づいていく。
海軍大将の気づきは、また別のところにある。海軍大将は、芝居の稽古をとおして、責任というものにいきあたる。

戦争に国民を巻き込んだ、海軍大将としての責任だ。

国民という単語にわけいれば、そこに存在するのは個人だ。個人というものの、なんという確かな手触り。国家は、個人個人の権利をあづかって、国家を運営してる。ならば、国家は、個人ひとりひとりの人生に、責任を感じていなくてはいけないはずだ。
……とまあ、そのようなことを海軍大将は感じたのではないか。
しかし、陸軍大佐にとっての人間とは、台本に書かれたどこまでもダラダラと続くセリフでしかない。
セリフの向こう側にいる、そのときそう語らずにいられなかった人間を、彼は理解することができない。
だから、陸軍大佐の演技は、いつまでたっても棒読みセリフを繰り返すのみになる。

劇団員が、何度も『スミレの花咲くころ』を歌っている。
舞台の上で、合唱するのだ。
「いつか、また、芝居がしたいわ!」
スミレの花が咲くころに。
彼らは、3月後に原爆の猛火の中で死ぬことになる。
丸山定夫と園井恵子は、実在の人物だ。
「移動演劇隊さくら隊」も実在したようだ。

原爆投下750メートル地点の宿舎で被爆。

隊員の9人中、5人が即死したが、丸山定夫と園井恵子は無傷だった。
しかし放射能で、丸山定夫は8月16日に死去。
園井恵子は、21日死去。
園井恵子の短い闘病記録は、原爆症のすさまじさを今に伝える。

これからの日本は、このままでは再び「自由に芝居ができなくなる」国へとなっていくだろう。
そんなバカな、と皆が言う。
1945年5月当時の市民ですら、日本が「自由に芝居ができない」国だとは気づいていなかった。とうの俳優たちは別として(笑)。
そんなバカな、と言う皆さんの気持ちも、よくわかるのだ。
メディアが発達しきった現代、「自由」とは、国民に大量消費を促す気持ちのいいイメージ言葉でしかない。

♪スミレの花が咲くころ♪
♪いまも心ふるう♪
♪哀れな君 われらの恋♪

それぞれの役者が演じるべきセリフが書かれた台本があって、そこから舞台が生まれる。
演出があって、稽古があって、大道具小道具、照明があって、丸山定夫と園井恵子がもう一度私たちの前に姿を現す。
コイズミ劇場のこちら側から、あちら側の丸山定夫と園井恵子を私は眺めている。
「お客様の目の前にあらゆる人間を創りだして見せる、人間の屑にそんな神様のようなことができますか」
「こころが宝石のようにきれいで、ピカピカ輝いている者でないかぎり、すなおにひとの心に入ってはいけないからです」
幽霊ではない生身の丸山定夫と園井恵子を、ピカピカ輝いている何かが悲しく切望している。

♪スミレの花が咲くころ♪




*ベネズエラの大改革(2005.10.28)


南米の民主化が着々と進んでいるとのニュースに、地球市民として心強いやら、うらやましいやらの日々。
ベネズエラなんか、

医療費タダ

という、国民全員が大喜びの大改革が行われたそうな。
……医療費タダなのかあ。
今から、ベネズエラに亡命しようか……。
(;^-^ゞ
ともかく、日本の大改革とベネズエラのそれとは、改革のベクトルがぜ〜んぜん違うのな。
日本では、医療費の個人負担をどんどん増やすのが「改革」なんだもん。
しかも、保障は切り捨てなのに「財源確保」で増税つーんだから。
フツーはコレ、「改悪」と言うわな。
医療費の個人負担をどんどん増やすのがどうして「改革」なのか。
なんでも、
「医療費を安くすると、病気でもないひとが病院に行ってしまう。それを防ぐために、医療費の個人負担をなるべく高くしたほうがいい!
「病気でもないひとが病院に行ってしまわないための財源を確保→増税」
とのことだ。
……。

あほか。

医療費が安くなったら、みなさん、毎日病院に通います? ……通うかよ。
つーか、そんなやついるかよ。
病気でないなら、恋人とお茶しばいたり、仕事したり、ディズニーランドに行ったり、山寺で座禅くんだり(←?)するべよ。なあ?
まあいいよ、1億歩ゆずって、医療費が安いと病気でもないのに毎日病院へ通うひとびとが出てくるとしよう。

だから?

そういうひとたちは、病院で精密検査してもらって、
「あなたは頭のてっぺんから足の指先まで、全面的に健康体でございます」
宣告されるだけだろう?
365日、健康体だ!
検診に熱心なひとたちだということで、けっこうじゃないか。
なにがいかんの?
医療費を高くすれば、病気でないひとたちが病院にやって来なくなる(はじめからそんな奴いないと思うけど)かもしれないが、肝心の病人たちも、

お財布の中身の加減で通院できなくなる

こっちの方が大問題でしょうに。

私、なにかおかしなこと言っているでしょうか?

結局、日本流不思議改革を叫ぶひとたちは、国民の健康なんて本当はどうでもいいのだ。
政府のお役人の仕事は、国民の税金をぱちる、ぱちる、ぱちること。
ぱちった税金は、いったん財界に流す。
そうしておいて、今度は財界から、献金という名目のお金をたっぷりいただく。
こうして、財界&政府のお役人、みーんな幸せ。

痛みに耐えて(←怪我人&病人〜♪)☆構造改革(の恩恵受けるお金持ち〜♪)

丸がっこで囲ってあるちっこい文字の部分は、テレビや新聞報道では伏せ字になっております。
(^_^;)
ベネズエラに亡命したくなる私の気持ち、わかるだろ?
少なくとも、ここ日本から見たら、天国だよな。減税にはなるわ、医療費はタダになるわ。
ところが、アメリカ合衆国は、このベネズエラの減税&医療費タダ改革にご立腹。
ベネズエラのちかくの小さな島に、

海兵隊を集結させている模様。

なんでも、海兵隊のバカンスなのだそうな。
おいおい。
(^_^;) ひとんちの玄関先で銃やらミサイルをもちこんで、
「キャンプファイヤーを楽しんでいるんですよ」
とのたまう米軍。

世界第9位の石油産出国の目の前で、突撃部隊を集結させるアメリカ合衆国。

ものすっげえ、きなくさい。
本当にバカンスなんだとしても、きわめて迷惑なのな。
これが、バカンスでないとしたら……。
またチリの二の舞いはいやだよ〜。
南米諸国は連携を密にして、国家転覆テロを阻止しなくてはいけません。
アメリカ合衆国はいっぽう、日本国の大増税&民営化改革にこぶしをあげて大喜び。
はやくも、民営化された後の

郵政省を食い荒らすための順番争い

で、アメリカの保険会社どうしがギャーギャーもめております。
ハイエナ……とよべば、ハイエナさんたちに失礼か。
(;^-^ゞ
民営化のあかつきには、500億円の赤字が出るとタケナカさんも国会で認めておりますが、それは国民の税金で補填しますからね。

民間企業は何も考えず、改革赤字を増やしていけばいいわけ。

海外の企業(アメリカ企業)は、日本国民に対する罪悪感なんていっさい感じなくて良いわけだから、もう、やりたい放題になるでありましょう。
ハナシ変わって。
そう言えば、日本のプロ野球界もモウケ主義者どもが荒らし回って、ちょっとした騒ぎになっているね。
株がどうしたの、一部上場がどうなったの。
どこまで騒いだところで、野球界の未来も、球団経営の長期的展望もなにもありはしない。
まんじゅうはひとつだ。食うのはワタシだ。先手必勝、ルール無視。食ってから、ルールのことで周囲と一緒に騒いでいればいい。とにかく、ワタシが食うことが大切だ。
ワタシの腹の中に収まった後は、空虚な皿だけが残る。
皿には興味はない、あれはゴミだ。国民がみなして両手いっぱいに抱えておればいい。
……そう。

未来を食っちまう、それが彼らの流儀だ。

それが医療制度の未来でも日本プロ野球界の未来でも、なにも違いはない。
この日本で起きている

たったひとつのできごと。

すべてを支配しているつもりになっている連中が競い合って、奪い合って、空っぽな皿だけを残してゆく。
日本改革絶望劇場。




*憲法9条のはがき制作(ボツ編)(2005.10.25)


関西の出版業界で働くフリーランサーのメンバーで構成された

出版フリーランサー九条の会」

が、
「憲法九条を世界中の子どもたちに手渡しましょう」
を合言葉に、11月5日(土)pm1:30〜4:30(開場1:00)西谷文和さんの講演会を開きます。


「憲法を変えて」戦争する国」をつくる動きが強まっています。憲法九条を守る世論を大きくひろめることが今とても大切になっている中で、「出版フリーランサ九条の会は」は、講師に西谷文和さんをお招きして講演会を開催します。
平和憲法を世界中の子どもたちに手渡していくために、

学びあいパワー満開

の講演会にしていきたいと思っています。みなさまのご参加を心よりお待ちしています。」


ということでございます。
場所は、大阪市天王寺区悲田院町8-11・国労南近畿会館
詳しくは、こちらのPDFファイルにて。
また、コラボ企画として有志による“憲法9条を守れ”はがきセットも販売されます。
私も作品を投稿しましたよ。
ボツにならなければ、販売されるでありましょう。
(;^-^ゞ
3作品ほど作ったのですが、ここには、自己審査でボツになった絵をアップしておきます。自らボツにした絵だから、アレだけど、見てやって下さい。
東京大空襲をイメージしてみました。
ちいとこわいじゃろ。
投稿した2作品は、

もっとホラー仕立てなんじゃよ。

(;^-^ゞ
オイラの個人的な意見だけど、みんな、もちっとビビッたほうが良いよ。そういう思いを込めて、制作したよ。
本当の戦争は、アニメや映画とはわけがちがう。
どう違うかというと、私にもわかんない。体験したことないからな。
想像しようにも想像することすらできない地獄。
それが戦争だと思う。
つっても、ピンと来ないよな。
先週、Jリーグの試合で、デフェンスの選手が相手フォワードにスライディングタックルして、相手の足を骨折させてしまった。
相手のフォワードの選手は、今期絶望の重傷。
デフェンスの選手のスライディングが故意だったのか、事故だったのかはわかんないけど、デフェンスの選手はケガをさせた申し訳なさから、ショックを受けて、練習にも出てこれなくなってしまったのだ。
骨折させてごめんね。
あんなスライディングをしなくちゃよかった。
他人の痛みは、わからない。ちょっと頭痛がするとか、人さし指を突き指した、程度のことでも自分の痛みとして感じることは不可能だ。
人間の共感力なんて、その程度よ。
でも、わからないなりに想像してみて、相手の苦しみに手が届かないことを知り、だからこそ、ケガさせたことを悔やむ。
それで、正常な人間だと思うよ。
戦争体験の実態なんて、外側からはわかりようもない。
ただ、

スライディングで骨折した、骨折させてしまった、というような事態と戦争では、深刻さの桁がちがうことだけは確かだ。

わかってるよ、戦争は最大の不景気対策だと言うんだろ?
ナチスドイツだって、ナチ台頭前の不景気はどこへやら、戦争中の失業率はほとんど0パーセントだったもんな。
最高の金もうけ手段、戦争。
金持ちたちをもっと金持ちにするために、行われる戦争。
「国際貢献」だとか「テロ撲滅」とか、看板には書いてある。
昔は「大東和共栄圏」とかいう看板をかかげておった。
まさか、そんな看板を真に受けるおめでたいひとはいない……と思いきや、けっこうみんな信じてたりするから、びっくりだよなあ。
(;^-^ゞ




それはいつも明日(2005.10.20)


この時期に、しなくてもいい靖国参拝をわざわざ行うコイズミさん。
アジア各国はもちろん、アメリカはニューヨークタイムスまでが、

「ばかげた挑発行為」

とおおあきれ。
(;^_^ A
ところが日本のマスコミに言わせれば、このような挑発行為も

「コイズミ改革☆あっぱれロック魂」

ということになってしまう。
報道の受け取り手の我々にとって、コイズミさんが何をしたかは問題ではない。
コイズミさんがしたことで、国民が幻想としての希望なり安心を共有することが大切なのだ。
テレビを観る観衆は、同じ時刻に、全く同じ内容の放送を、何百万人の人々とともに共有する。
今の日本のマスメディアは、コイズミさんがやることなすことすべてを肯定的に報道するので、当然、あらゆることが肯定的な意味しか持ちえない。
それでいいのだ。
テレビ報道を観た多くの国民は、
「わーい。恐れを知らぬ改革魂〜! ロックんロール!!」
と大喜びしていればいい。
日本という国が、現在、国際的にすっかり孤立してしまっている現実も、私たちにはどうでもいいことだ。
「改革」という言葉の持つ肯定的なイメージを、テレビによって皆と共有できていればいい。
それは、「明るい明日」だ。
もちろん、彼の「改革」に明日などありはしない。
明日などなくても、なんら問題ない。
決してこない明日だからこそ、ひとびとはいつまでも未来を信じることができるのだから。
実現しない希望だから、日本経済や福祉システムがずったずったに破壊された現実を前にしても、私たちは失望することすらできない。
それどころか破壊され、機能不全に陥れば陥るほど、「明るい明日」、「改革」を我々は支持する。
「明日にはきっと、彼が良くしてくれる」

「改革」という言葉は永遠に機能し続ける。

ベケットの
『ゴドーを待ちながら』
という前衛劇さながらに。
もちろん、私が日記でこんなことを書いたからといって、何が変わるわけでもないだろう。
テレビにはかなわないよ、とほほ。
テレビは、一瞬にして国民をひとつにすることができる。
「ねえ、昨日のあのアニメ見た〜?」
「見た見た。すごかったね〜」
「え〜、私見なかった〜。どうなった、どうなった?」
「え〜、おもしろくなかったよ〜」
「なんで、最高だったじゃん」
あの日あの時刻のテレビ番組を、みなと共有していたのだという確かさ、安心感、そして“正しさ”。
テレビが笛吹いて、私たちをどこへでも連れていく。




ロック・スター(2005.10.18)


雑誌『AERA』
の記事、みなさん読んだ?
まあ、なんというか……。

「大観衆を酔わせた小泉劇場のクライマックス。(略)
(コイズミさんは)毛沢東かミック=ジャガーか、はたまた(高倉)健さんか--。」
「甦った政界最強の“ロック・スター”。」

「コイズミ純一郎の「文化大革命」」

「郵政完勝でサティスファクション」

……。
無理して読まんでいいよ。たまたま読んでしまった私は、おかげで、あたまヘンになりそう。
なになに?

政界最強の“ロック・スター”。」

ぶはははは!
ロック魂って

「金をもらって何が悪い!」

といなおったり、

「軍備こそ最大の福祉」

などとのたまわったりすることだったのか! ねえ

忌野清志郎せんせい!

♪爆破された街で ネコがないてる〜♪
♪何やってんだ人類〜♪
♪どうしたんだ未来〜♪

フランク=ザッパは、かくかたりき。

戦争はやめさせるべきだ。ありゃ貪欲な戦争だ。
すべての戦争がそうなんだろうけど。十字軍だって、おんなじだよ。
でも、あんなやり方じゃ、うまくいかない。戦争をやめさせることができるのは、大統領だけだ。
もし、自分の理想どおり、だれかにこの国を治めてもらいたいと思っているなら、そして、あんたが反戦運動家で、平和を実現したいと思うなら、実際に力となってくれる人物を、あそこに送り込め


フランク=ザッパは、かくもかたりき。

「問題は、システムを粉砕することじゃなく、改良することだ。忍耐が肝心だよ。(略)
ちっともロマンチックじゃないし、バリケードの英雄もいない。だから、若者はそんなことにちっとも関心をもたない」


フランク=ザッパは、さらにかたりき。

「民主主義の誕生時に打ち立てられた諸原理は、今日、適用されていない。教育を受けた人々とともに、民主主義は機能する。
だから、俺たちに必要なものは、教育のありようを変えてくれる何かなのだ」


日本のマスメディアや教育の在りかたは、劇的に変わった、

ザッパの望んだ方向とは全く逆の方向で。

日本の内側で暮らす私たちにとっては、この世のすべてが娯楽であり、また、娯楽でなければならない。
コイズミ劇場は、あなたの気分を良くしてくれるか?
巨大メディアが勢力を上げて、娯楽作品としてのコイズミ劇場をつくりあげる。内容なんかありはしない、あなたはどこまでも受動的に、その場その場の気分を満たしていればそれでいい。
「郵政民営化とは、なんなのか」
も、
「ロックとは何なのか?」
も、いっさい考える必要はない。
あなたがたえず注意しなければならないのは、

あなた自身の気分だけだ。

気分というものは移ろうものだから、あなたは永遠に満たされることなく、新たな消費、最新の娯楽へと漂い流れ続ける。
私たちは、何のために生まれてきたのか?
日本の巨大資本主義システムはこう答える。

「勝つため、消費するため」

……。
若い子たちが、大人に向かって、
「産んでくれって頼んだわけじゃねえや!」
と言い放つ気持ちも良くわかる。
「勝つため、消費するため」に産まれてきたなんて言われて、未来に希望を持ったりできんわな。
子どもたちよ。
絶望するな。
大人たちは、本当のことを言っているわけではない。
つーか、なんにもわかちゃいない。
彼らは、狂った教育を受けたために、すっかり狂ってしまっているだけなのだ。
それはそれで、ずいぶんひどい話だが、これが実際のところ。
そもそも私ら大人は、自分たちがいったいなにをやっているのか、自分たちの行動が何を呼び起こすことになるのかさえ、なーんもわかっていない。
居眠り運転中のジャンボジェット・パイロットのようなもんだ。
という塩梅だから、今度のフライトも大惨事だろう。




(2005.10.15)


日刊スポーツのウエブサイトでこのような記事を見つけた。
http://www.nikkansports.com/ns/general/p-so-tp0-051014-0010.html

「自民党の新人議員らが13日、党のPR作戦に駆り出された。
 片山さつき氏(46)佐藤ゆかり氏(44)猪口邦子氏(53)のマドンナ3人は、日本外国特派員協会で外国人記者相手にオール英語のスピーチで小泉純一郎首相(63)を礼賛。
なかでも、外国暮らしの長い“ゆかりタン”の流ちょうな英語には、外国人記者も萌え〜。(以下略)」

……。
萌え〜だって。
自分自身を客観視することがまったくできなくなった国、もしくはマスメディアのありさまを、痛いほど実感できる記事だなあ。
外国人記者のみなさまは、おなかを抱えて笑い転げていることであろう。
いまの日本の大手マスメディアにとっては、

基本的に他者は存在しないも同然だ。

相手がどう感じたか、何を考えているか、そんなことは、はなからどうでもいい。
だから、「外国人記者も萌え〜」などという、内輪でしか通用しっこない勝手な解釈を放り投げで、それっきり。
自民党の新人議員らは、党のPRのため、外国人記者を相手に英語で首相を礼賛したかった。したかったから、そうした。“ゆかりタン”は流ちょうに英語を話した。
相手の外国人記者は? この記事によると、
「萌え〜」
だ。
そんな知性のカケラもない海外特派員では(普通の)新聞社は困るわけだが、日本ではこのような記事が、すでに常態化している。
そもそも「萌えた」かどうかなどは、自民党の新人議員らが海外に向けてPRしようとしたこと、そして、外国の記者のみなさんが知りたがったことと、

まったく、ぜんぜん、無関係だ。

無関係でかまわない。
むしろそのほうが都合がいい。
これは海外に向けたPRではなくて、実際は、

日本の内側に向けた、幻想としての政党PRなのだから。

海外のひとたちが何をどう感じたかなど、報道する予定もない。
日本の国内にむけて、
「外国人記者も萌え〜」
という、相手ではなくこちら側のイメージ言葉を放りだして、それを読んだ日本の国民が、少しでも好印象を持てば、記事の目的は果たされた。
いまの私たちは、メディアによって完璧にコントロールされている。
徹底的に利用されているという意味においては、この記事における外国人記者でさえ、メディアによってコントロールされた、ある種の幻想だ。
幻想だからこそ、実態とかけ離れた記者たちが、記事文面の中で、英語をはなす女性議員に対していっせいに「萌え」ることも可能だ。
ヨーロッパを中心とした海外のマスメディアは、あちこちで
「日本は発狂した」
と書き立ててる。
しかし、私たちには、海外マスコミのこうした主張が理解できない。どうして狂人呼ばわりするのだろう?と首をかしげるしかない。
私たちには、彼らの顔が見えないのだ。
他者を理解できない人間は、結局、自分自身を理解することもできない。
鏡がなければ、自分の顔つきを知ることができないように。
だから、私たちは、日本の外側の国々のひとびとの目に現在の私たちの生き方がどれほど奇妙で醜悪で支離滅裂なものとして映っているかを、まったく理解することができない。
「みっともない」とは、これは私の個人的な意見だ。




『パッチギ!』でイムジン川をバッチぎれ(2005.10.10)


先日、奈良映画センターの職員のかたにアドバイスを求められた。
「○○高校の試験あとに、映画を上映する予定なんだけど、何かおすすめはありますか?」

*溝江純、奈良映画センターのアドバイザー・スタッフになる!*

という事実はまったくないのであるが……。
(;^_^ A
試験のあとだから、気持ちすっきり爽快、娯楽映画が良いとのこと。
う〜ん、高校生にお奨めの娯楽映画か。
そりゃあもう、井筒和幸監督の映画
『パッチギ!』
で決まりですな。
この映画を、高校生諸君にひとことでお奨めするとすれば、こうなる。

在日朝鮮の高校生と日本の高校生が、京都を舞台にケンカしてケンカしてまたケンカしつつおおくりする

ロミオとジュリエットだ!


いや、本当にそういう映画なんだよ。
(;^_^ A
みんな好きだろ? ロミオとジュリエット。
私の高校生時分は、毎日がロミオとジュリエットだった(←意味不明)。
この映画、在日朝鮮人たちを描いていることから、反日映画だとかなんだとか一部の映画評論家がさかんに文句をたれていたので、これはもしかして面白いんじゃないかと最初からにらんでいたのだが、

想像していたそれより100倍おもしろかった。

これほどの日本映画を観たのは、
『東京物語』
以来かもしれん(また古いなあ)。
マスメディアがけなす映画って、どうしてこうも面白いんだろう。
つーかね、落語と娯楽映画は、社会的弱者にスポットライトを当ててなんぼ。
基本でしょうが、基本。
まあ、いいや。
でも、高校ではこの『パッチギ!』、上映できないんだって。
ケンカのシーンがあるから。
ええ〜。
ガンダムなんか、主人公がものすごい数の人間を殺しているシーンの連続なのに、子どもたち平気で観てるよ?
犯罪もある一定以上の規模になると、それを実行する者は、

犯罪者から英雄に切り替わるんだよな。

まあ、しかたがない。
この『パッチギ!』は、絶えず、「乗り越えろ」と叫んでいる。
韓国と朝鮮人民共和国を分断しているイムジン川を。
日本人と在日朝鮮人を分断している鴨川を。
モンタギュー家とキュピレット家の対立を。
でも、どうしたら乗り越えられるんだろう? そこが問題だ。
映画の中で、毛沢東主義にかぶれた高校教師が出てきて(これがいい味だしてるんだよ)。
「戦争をなくすために、戦争するんだよ!」
なんて、生徒たちに吹き込んでる。それを聞いていた生徒が、ぼそっとつぶやく。

「なんだ結局、戦争じゃん」

……ナイス、つっこみ。
d(-_-)
本当はね、“戦争で戦争を止める”ことはできないし、もちろんテロも撲滅できないし、ケンカでケンカを終わらすことはできない。
本当に解決したければ、めんどうでも、相手のことを理解するしかないんだと思うよ。相手がどうしてそんなに怒っているのか、悲しんでいるのか、ケンカをふっかけてくるのか。良い悪いはまた別として、やはりそこには、何かしらの事情というものがあるはずなんだ。
しかし、相手の話に耳を傾けるのは、実に難しい。
とくに、反目しあっていたり、馬鹿にしている相手に対しては。
だから、映画の中で朝鮮学校の子どもたちと日本の子どもたちは、ケンカしてケンカして、ずっとケンカしている。
メソメソなんてしない。彼らなりに何かをブチ破ろうとして、突き抜けようとして、彼らはケンカし続ける(不毛といえば不毛だけど)。
そんなあるとき、日本の男の子が在日朝鮮人の女の子に恋をする。
男の子は心底、女の子が好きだから、もっと相手のことが知りたくなる。理解したくなる。
鴨川を泳いで渡って、でも乗り越えられない壁がある。

「こうちゃん、朝鮮人になれる?」

そう女の子に問われて、男の子は返答できない。
反目しあう国家と、過去の歴史という巨大な壁を前に、男の子はあまりに無力だ。なにもできない。一歩も進めない。橋の上で慟哭する男の子。
しかし、変わっていくものも確実にある。
ケンカすることしか知らなかった朝鮮学校の男の子たちも、別の方法があることに気づき始める。でもケンカするけどね。
(;^_^ A
日本にも、話のわかるやつはいる。俺らと友だちになれるやつがいる。
話してみりゃあ、朝鮮も日本もそんなに変わんないのよ。悪いやつもいれば、気の良いやつもいる。
白い猫も黒い猫も、毛の長い猫も短い猫も、人間から見たらほとんど変わらんでしょ?
日本の男の子と、朝鮮の女の子が恋をして、少しずつ、一歩ずつ、乗り越えていければ。
そんなふうにして、いつの日が、ケンカのない日がくれば。
映画のラストで、男の子と女の子がドライブしようとする。でも、ほとんど走らないままに、車はエンコしてしまう。
それは、ふたりの前に立ちふさがる障害の多さ、深さ、乗り越えがたさを暗示している。
でも、ふたりは笑顔だ。
もしも、ふたりのあいだに赤ちゃんが産まれたら、その子は、朝鮮人民共和国人なのか、日本人なのか?
誰でもないよ、

その子自身だ。

映画の中で、登場人物が痛快娯楽的にこう宣言する。
「京都で南北統一じゃあ!」
南北と言わず、東も西も、上も下もみんな統一じゃあ。
世界はひとつの地球村じゃあ。
高校生諸君。
ぜひ、観んしゃい。




水底都市(2005.10.8)


ドイツでも与党が「お金持ち優遇大改革案」をぶち上げていたようですが、こちらさまは日本と違い選挙で惨敗。
「お金持ちをさらにお金持ちにするために、毎日働いとんのと違うわ!」
ということだそうです。
日本は、「コイズミ・チェリー隊」だの、新人議員が「初ヤジ」をとばしたのという話題がテレビを賑わしているという……。
幸せといえば、実に幸せだ。
コイズミさん大改革で、庶民の1年間の増税額はあわせて

3兆5000億円

でございます。
まあ、最近は庶民という言葉を使わずに、負け組、と呼びなわらすそうですが。
「庶民」という言葉を「負け組」に変えただけで、もはやよそごと、他人の話。だって、負けた覚えないもん。したがって、今日もみんな幸せ。
大丈夫、そのぶん、大企業の減税は大いにさせていただきますということで、合計

2兆2000億円。

勝ち組のみなさんは、読んで字のごとし、勝ったのでありますから、当然、2兆円ほどの見返りがあってもいいだろうと。
そんなこんなで、日本中が幸せを満喫しているいっぽう、地球温暖化で、北極の氷がどんどん融けておるそうです。
「今世紀末を迎えるよりもずいぶん早い段階で、

北極の氷はなくなっちゃうだろう」

とは、NASAの発表。
理科の実験、氷が溶けたらどうなるでしょう?
答え。水になります。
陸地という陸地が水浸し。
風が吹くと桶屋が儲かるけど、

北極が常夏のハワイになると、日本は水没すんの。

だわわ。

『ヨコハマ買い出し紀行』
の世界ですな。
でも、あんなふうに、ゆるやかで平和な終焉を迎えるというわけにはいかんのだろうね。
どん詰まり状態の人類が、成長も成功も勝利も手放したときにおとずれる、平穏な日々。それが『ヨコハマ買い出し紀行』の世界だけれど、現実のわしらは、終末がそこまで来ているのに、ぜーんぜん自覚ないもん。
たぶん、
『風の谷のナウシカ』
までもいかんだろうな。
このままじゃあ、きっと、
『デビルマン』
的、阿鼻叫喚地獄絵図といったあんばいで、わしらは見苦しく右往左往するのでありましょう。
暗いなあ、真っ暗だぜ。
『ドラえもんの「育て力」』
と言うタイトルの本が、本屋さんに置いてありましてね、この本の宣伝文句が何とも言えず、真っ暗なんだよ。

「ドラえもんは、なぜ「負け組」ののび太を「勝ち組」にできたのか? それは彼の卓越した「育て力」によるものだった!」

……。
砂漠化したり、水没したりしようといているこの地球上で、勝ったの負けたの。
18世紀じゃあるまいし。
育て力で勝ち組になって、だからどーした。
こりゃあ、『デビルマン』というよりも、
『カムイ伝』
かなあ。
正直、みなさんにお伺いしたいんだけど、本当に自分の子どもに勝ち組になって欲しいと思うの?

♪犯罪者になれ〜 いつも不幸でいろ できる範囲で、かまわないから〜♪

勝ち組の育て力って、ぶっちゃけ、こういうことでしょ?
子どもの一生、めちゃくちゃじゃん。
え、ちがう?
違わないって。

♪おまえに言っておきたいことがある お金で買えない話もあるが、俺の本音は、世界一の消費者♪
♪俺より先に 幸せになるな♪
♪俺より別の 価値感で生きてもいけない〜♪
私が幸せだと信じていられるように、ミンナみじめでいろ♪
忘れて〜くれるな
♪私が愛するのは、お金〜 おまえたちはそれをあがめていろ〜(ここ重要)♪
♪ラーラ ラーラ ラ〜ララ〜ラララ、ラーラ ラララララ……♪

いや〜、宇宙ひろしと言えども、こうも狂った生物は、地球人類だけだと思うのよ。
いっぺんためにしにでも、
「成長も成功も勝利もいらないから、みんな、仲良く暮らそう」
と、そういうふうに生きてみようと思わんのかなあ。
勝ち組だ、成長だ、成功だ!つったって、もう地球が悲鳴あげてるんだよな。
癌細胞たちが、我先に健康細胞をくいつぶして勝利を叫んでも、もうすぐ臨終ですよ、地球。
生命って、ものごっつ、不思議な現象だし、わしらが知っている範囲では、生命はこの地球上にしか存在しないのだから、仲良く、優しく、暮らしてみてもよいのではないでしょうか?




*ホワイトハウスが包囲された!(2005.10.2)


アメリカのホワイトハウスが、30万の群衆に包囲された〜!

30万のひとびとは、戦争反対を口々にとなえております。
戦争始めちゃったけど、ここにきてアメリカの国民もようやく気がつき始めたんだな。
なーんか、おかしいぞ、と。
テレビで株の動きを見ながら高笑いしている一部のお金持ち連中のために、自分たちに課せられる

重税と死体袋。

「これが愛国」
とテレビは言う。しかしな。
さすがのテレビの影響力をもってしても、騙しきれなくなってきたということだよ。大量破壊兵器はなかったし。
昔、フセインが使っていた毒ガス兵器は、あれはアメリカ政府のプレゼントだったしな!
国民が、遅まきながらチョムスキーの著作やマイケル=ムーアの映画を観て、自分たちがはなっから騙されていたことに気がつく瞬間。
ようこそ、30万の同朋よ!
ホワイトハウスに向かって、いちにのさん、でいきますよ〜。
いちにのさん、ハイ!

「戦争したないんじゃあ! 聞いてるか、オトワぁ〜!」
(金八先生に出てくる、荒谷二中のそり込み兄ちゃんのおたけび)
……オトワじゃなくて、ブッシュでしたね。
♪シュプレヒコールの〜波〜
とおりす〜ぎて〜ゆく♪

ロンドンとソウルでも大規模反戦運動が起きているようで、ええどええど。
……。
さて、この日本はというと。
某都知事のイシハラさんが
「国連憲章なんてまともに信じている馬鹿はいませんよ」
なんて発言して、またまた

国際社会から大ブーイング。

国際秩序というものを真っ向から否定し、国連の仕事を頭ごなしにバカ呼ばわりするお見事さ。世界に対して、お尻ペンペンあっかんべーときたもんだ。
……我が国の某都知事って、すっげえ、お利口さんだなあ。
海外からこてんぱんに非難されている今回の発言も、どういうわけか日本のマスメディアは沈黙のだんまり。
「国連憲章なんてまともに信じている馬鹿はいませんよ」
って、マスメディアのひとたちも考えているってことですかね、これって?
どっちを向いてもお利口さんばかりの国なんだなあ、日本は。
私は物心ついたときから今日まで、自他共に認めるお馬鹿さんだったし、これからもお馬鹿さんとして生きることに決めた。
いま決めた。
世界よ、もっとバカになーれ!


☆--
先月は夢の漫画月間新刊ラッシュだった。
『のだめカンタービレ』13巻
『フルーツバスケット』18巻
『バルバラ異界』4巻
『チーズ スイートホーム』2巻
『ブラックジャックによろしく』12巻
『二十面相の娘』5巻

『ブラックジャックによろしく』の精神科編も、いよいよ佳境に。
精神病という病を抱え、社会のどこにも居場所のないひとびと。コイズミ日本大改革が、彼らの背中に「負け組」というレッテルを容赦なく貼り付けていく。
私たちは、彼らに笑顔でこう告げるのだ。
「まず病気を治してください。そうすればあなたは病人ではなくなるでしょう」
それは、

「ユダヤ人をやめれば今すぐドイツ市民と認めますよ」

と言うのと同じ種類の、残酷さの表明だ。我々はこの種の冷淡さを「選択の自由」と呼ぶ。
仕事も住居もなく、友だちさえおらず、彼らの行き場所はどこにもない。社会の“自由の暴風”のただ中で、彼らは、自分たちの心の奥深くに小さく灯っている“善良さ”さえ失うのではないかと、それを恐れつつ今日を生きのびる。
他者は危険だと、テレビは言う。危険な他者としての代表的な存在として、いわゆる精神病患者のひとたち、そして子どもたちが、マスメディアの話題に上がる。
そのこと自体、極めて異様なことなはずだが、ほとんどのひとが気がつかない。
(自分の子ども以外の)子どもたちは危険だ。精神病患者は危険だ。警戒しろ。人々はテレビの言うままに、自分たちの身の危険に対処しようとする。
危険な存在としての精神病患者、という視点は、「彼らがどうなってもかまわない」という結論へと、一直線に結びついている。
そのときそのときの地域共同体の都合や効率次第で、どうにでも扱えるひとびと。国民の批判が政府に向けられそうになったら、矛先を変える役目も彼らにひきうけてもらおう。
彼らは危険で、迷惑な存在だ、という雰囲気づくりを丁寧に作り上げることで、非言語的で、だからこそあらがいがたい、新しい階級制度が敷かれていく。人間が人間を利用し、消費することで成り立っている社会には、彼らのような便利な存在がどうしても必要なのだ。
大量消費社会の持つ残酷さ、冷酷さの、最終的な落とし込み先としての弱者の存在だ。彼らの堪え難い苦悩、痛みによって支えられる、無理を極めきったような社会システム。


「意味なんてないんですか……? 小沢さんが生きていることに」

主人公、研修医・斉藤先生の重い問いかけ。
看護婦の赤城さんは、斉藤先生の問いかけに問いかけで答える。

「彼は本当に死にたがっていたの?」

ちょっとひぐちアサせんせの『ヤサシイワタシ』が入ってきてますな。
私はもう、泣けて泣けて。
佐藤秀峰センセ、素晴らしい作家さんや。日本の文学者が一部を除いてすっかり腰抜けなのに、漫画で、これだけがんばってはる(感極まって関西弁)。
しかし、『ブラックジャックによろしく』のこの精神科編は、他のエピソードに比べて、人気がないと聞いた。
わかるよ、その理由。
今回のエピソードは、

私たちが加害者なんだから。

誰も、自分の無知と罪を認めたくないんだよ。
でも、知ることからはじめないと、何も変わらないことは、事実だ。
精神病を患っている小沢さんが言う。

「ぼくには居場所がないみたいです」

彼は“ここ”にはいられない。彼が、最後に残された宝物である善良さを守ろうとするならば……。
私は、小沢さんに“ここ”にいてほしい。私の側で、笑っていてほしい。
レイモンド=チャンドラーの小説に出てくる探偵のフィリップ=マーロウも言ってるじゃろ。

「タフでなくては生きてはいけない。
しかし、優しくなくては生きている資格がない」

小沢さんが“ここ”にいられないような社会に、どれほどの価値がある? そう私は思うのだ。




レクイエム(2005.9.26)


中古CD屋さんでバルトークの『オケコン』を購入。
ケーゲルという指揮者名前は初めて聞いたんだけど、安いからいいやで買ったら、これがじつに良かった。
ケーゲル指揮で他の曲も聴きたくなり、AmazonでCDを1枚買ってみた。
収録曲は

『ブリデン/戦争レクイエム』
『ペンデレッキ/広島の犠牲者に捧げる哀歌』
『ベルク/ヴァイオリン協奏曲 ある天使の思い出のために』

だ。
9.11の選挙結果をふまえて、心ある日本国民が今こそ耳を傾けるべき、3大名曲じゃよ。

♪おれたちは笑った、知っていた、
もっとましな男たちが来るだろうと
そして、もっと大きな戦争が来るだろうと♪

改革の旗印男コイズミさん、おおはりきり。
憲法改正のために必要な国民投票案を審議する衆院憲法特別委員会が、衆院本会議に設置された。
さー、憲法改正で戦争できるぞ〜。
(´▽`;)
「もっとましな男のあと」は、いつも「もっと大きな戦争がやって」くる。
そういうものなのだ。
「もっとましな男の」日本大改革により、国の借金は

月5兆円ずつ増えている

勘定なのだそうで、ただいま借金額795兆円なり。
国がどうなっても、例の改革者たちは平気なんだ。
国を骨まで食いつぶして、お金持ちはさらにお金持ちに。日本大改革。
戦争になれば、国民のお金で国が兵器を購入し放題。
戦争するのも、戦争するための兵器を買うのも、国民の義務。

税金を払って、あとは死ぬなり殺されるなり自己責任でどうぞ。

♪爆撃された道が裂けているところでは、いつも誰かが首を吊っている。
この戦争において神もまた身体の一部を失った。♪

昨日、私は夢を見た。
私は夢の中で、高野文子センセの新作を読んでいた。私の夢の中でだけ読むことができる、架空の新作だ。
……。
読んでいるうちに、この作品の視点は死者、それもおそらく自殺者のものであることに、私は気がついた。
描かれているのは、自殺者から眺めた、軽やかで、ユーモラスで、おしゃれな日常の風景だ。作品は、とてつもないと言っても良いほどの解放感に彩られていた。
私は、とまどった。自殺を扱っていて、この軽やかさはなんだ?
私たちが暮らす土台としての社会や、「現実」や、日常というものから全面的に解放された者が眺める至福の世界。これはいったい、どういう種類の物語なのだろう?
答えが提示されないままに、私の夢は、終わった。
目覚めて新聞を読むと、六十歳代の男性が借金苦で自殺とのベタ記事が目に入った。
「ああ、そう」
私たちには、この男性の苦しみも、絶望も、なにもわからない。知っているのは、借金して、やがてどうにもならなくなって、ひとりの男が死んだという事実だけだ。
日本の自殺者の数は、年に3万人以上。

その3万人という数に、この男性の死もすっかりまぎれて、今日も日本大改革はつづく。

負け組という名の目に見えないゲットー、と、以前の日記で私は言った。
今日死なないために生きるという生活をくりひろげたのち、最終的には目に見えないガス室へと送られるひとびとを、我々は「負け組」と呼んで切り捨てることに決めた。
悪いのは、人生に負けたひとびとだ。
負けた者には、負けにふさわしい人生が用意される「べき」だ。
しかし国民は、かんじんの「勝ち」と「負け」の判定を誰が決めるのか、そのことに思い至らない。
判定するのは、決まって「勝ち組」の連中なのだ。私たちがどんなに努力しても、懸命に働いても、彼らは「負け!」とコールするだろう。
彼らは、自分たちが地球のあらゆる資源を独占することを正当化するために勝ちだの負けだの言っているだけで、あなたに勝って欲しいわけではないのだ。
勝者は、あなたを丸裸にする権利がある。
勝者の権利だ。

♪すべての人間について記録する者は
国家への服従を繰り返し叫ぶ♪

まるで『銀河鉄道999』の機械帝国のように、今のあなたは、国家という巨大なシステムを支えるひとつのちいさなネジでしかない。あなたは、ちいさなネジとして今日を懸命に生きのびながら、自分の人生にはまだ、「勝ち」の選択肢が残っているのだと信じている。
すべて、自分次第なのだと……。
それでいいのだ、それが素晴らしいのだ、自分を信じろ、とテレビが言う。
この六十歳代の男性が、

最後に残されたわずかな人間としての尊厳を勝者たちから守ろうと考えたとき、自殺という選択がなされうる。

♪おれは戦いから逃れて、
深く暗いトンネルに入ったようだった。それはずっと前、
大きな戦争によって花崗岩が彫られたものだった。
しかし、そこでも苦しめられている者が眠りながらうめいていた♪

日本大改革。
……正直、私も生きてるのが辛くなってきたよ。
自分がまだ正気なのか? 正気だとしたら、この冷酷残酷政府の改革の暴風のなかで、どうして発狂してしまわないのか?
私に心というものがあるなら、今の日本で暮らしていて、正気を保っていていいはずはないだろう?

おれの涙から何かが残ったが、
それも死ぬほかない。
おれは言葉にされない真実を
言っているのだ。
戦争の哀れさ。戦争が生んだ哀れさを。
さあ、
人々はおれたちがダメにしたもので満足するのだ。♪

ケーゲルさんの指揮は立派であった。
指揮者のケーゲルさんは、この録音終了後、自殺した。

♪おれはおまえが殺した敵だよ、友人よ。
おれはこの暗やみの中でおまえを見分けた。
おまえは昨日眉をひそめた。
俺を突いて殺したときに。
おれはかわそうとしたが、
冷たくて、思うようにならなかった……♪

訳詩、許光俊氏。
以上。




*めざせ日本のキング牧師……のはずが(2005.9.22)


民主党の新代表がマエハラ氏になりました。その件について、ア○ヒ新聞の社説が面白いこと言ってましたね。

「めざせ日本のブレア」

げぶげぶ。
(´▽`;)
アメリカ合衆国ブッシュ大統領らと共謀して、イラク戦争をはじめた英国首相ブレアさんをめざせと。
モラルってなんだろうと自分にむなしく問いかける秋の夜。
大新聞の社説は、やっぱりすごいですね〜。
例えば、神学者をめざしているAさんというかたがいたとして、そのかたに、

「めざせラスプーチン」

と言うようなものかね。
しがないイチ市民のワタクシなどは、日本の政治家さんには例えば、日本のキング牧師あたりをめざして欲しいと思っているのですが、そうですか、ブレアですか。
まあ、マエハラさんも、新聞に言われるまでもなくめざす路線はだいたいそっち方向のようで、テレビでものすごいこと言ってましたね。

自民党よりも、素早く改革を実行して見せま〜す!

具体的には、例えば、自民党が消費税を15パーセントにあげたいと言うとすると、民主党は20パーセントにすべし、と言うのだ。

同じ増税、政府案とどこが違う。過激さが違う。

これが民主党の売りだ。
財界のみなさん、大企業のみなさん、日本大改革なら、自民よりも民主をよろしく!!
改革断行を、さらに強力におこないま〜す!
それを聞いた櫻井○○子さんは、

「健全なご意見ですね」

……。
あんたら、国民のほうをむいては、ひとことたりともしゃべらんのな。
すげえよ、あんたら。
あなたたちの大活躍のおかげで、来年の日本における自殺者は年間

5万人台に突入する

だろうという予測もでる始末。
これって、新手の虐殺ですか。
憲法改正も素早く徹底的におこないま〜す、とマエハラさんはおっしゃってる。
憲法九条改正に挑戦! なんつって、目をらんらんと輝かせてらっしゃいますよ。
……。
「改革」という名の「ファシズム」、「自由」という名の「破壊」。
「負け組」という名の目に見えない「ゲットー」。
保守党も野党も手に手をとって、勝ち組お金持ち天国だ〜い!


--☆--

外崎則夫氏のサイトN.TONOSAKI's Personal Stationの大人気コラムがんばれ!!ゲイツくんの最新記事がアップされておりました。
日本のお役所の仕事
です。

与野党の得票率だけ見ると51%と49%でとても自民党の圧勝とは言えないのですが、これが小選挙区制の怖いところです。」

って、まったくそのとおりですよね。
小選挙区制度の怖さ、まざまざと感じた日本の9.11。

選挙後のアンケート等を見ると相変わらず自分で何も考えようともせず「コイズミ君なら何かやってくれるんじゃないか」と雰囲気だけで投票する人が多くて困った物です。」

えー。
選挙前にも言いましたが、わかることの大切さ、なんとか広めていきたいものでございます。



ポエムマンガに戻る / ホームに戻る