純の◆姫林檎◆日記(不定期でふ)


 エッセイ……というか、実家で病気療養中男の、ただの出不精Mac日記です。
 いちばん上のものが新しいです。
 思いつきで作ったコンテンツですので、ユーザーヴィリティがはちゃめちゃです。
 すみません、そのうちなにか良い方法を考えますです。(^-^;A

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謹賀新年&『小出裕章 原発と憲法9条』*(2012.1.1)

「化学は社会や政治の悪影響を受けない客観的知識であるという伝統的威信が、決定論者によってしばしば使われた。決定論者は自分たちを、無慈悲な真実の提供者であり、自分たちに反対する者は感傷主義者、空想家、希望にすがる思想家であると表現した」
  〜スティーヴィン=J=グールド『人間の測りまちがい』 〜


「しばらく前、人生とは何だろう、とマークにたずねたことがあります。わたしはまったく手がかりをつかんでいなかった。マークはこう答えました。「父さん、われわれが生きているのは、おたがいを助けあって、目の前の問題を乗りきるためさ。それがなんであろうとね」」
  〜カート=ヴォネガット『追憶のハルマゲドン』 〜



明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

長らくお待たせいたしました。
小出裕章・著『小出裕章 原発と憲法9条』、一月21日発売(ほぼ)決定しました。
なぜこんなに遅くなったかというと、原因は私のノロくささにありまして、

どーもすみません。

m(;∇;)m


宣伝の画像をば。

1400円+税となります。

 

--☆---

新年ということで、ちょっとでもえんぎのよさげなものを。
aliquis ex vobisさんが翻訳してくれた、チョムスキー講演。

翻訳:ノーム・チョムスキー - 未来を占拠せよ
http://beneverba.exblog.jp/17098631/

「 人類の歴史において初めて、人類という種の生存に対して二つの現実的な脅威が存在しています。一九四五年以来私たち人類は核兵器を保有しています。私たちがそれにより絶滅しなかったのは、奇跡であるかのようです。しかし、オバマ政権とその同盟国はその政策を推し進めるよう推奨しているのです。

 もう一つの脅威は、もちろん環境的な破滅です。実際的には、世界中のあらゆる国家がそれに対する何らかの停止措置を講じなければなりません。しかし、アメリカはそれに逆行する措置を取っているのです。実業界では広く知られたプロパガンダのシステムが、気候変動はリベラルの作り話だと宣言しています。何で科学者連中に注意を向ける必要があるんだ?と。

 もしこの非妥協的態度が、この最も豊かで最も権力を持った国家において続くのならば、破滅は避けられないでしょう。

 規律があり、持続的な何かがなされなければなりません。それもすぐにです。それを進めていくのは簡単なことではありません。いくつもの困難や失敗が私たちを待ち受けているでしょう。それは仕方がないことです。しかし、この場所で、そしてアメリカ中で、世界中で繰り広げられているプロセスが、成長し続け、社会と政治の領域における主流とならない限り、まともな社会を築く機会は暗いままであり続けるでしょう。」


まずは脱原発。
いくつもの困難や失敗が私たちを私たちを待ち受けているでしょう。
それは仕方がないことです。……ま、腹をくくりますか。



 

 



*低線量被爆の脅威そして配管破断*(2011.12.31)


「さまざまな驚異に対処しながら生き残れるかどうかは、われわれの集団生活の能力にかかっているのだが、集団の団結を保とうとすれば、現実や常識を見過ごさなければならない場合もある。そして、多数意見に逆らったり、悪い知らせを伝えたりするのに躊躇しがちになる。だから、各個人は、他の人とも相談してから、入手した知恵をできるだけ選り分け、保持する価値のあるものを決定する責任を負うことになる。この作業には、ガリレオのような勇気と、ダーウィンやフロイトのような因習打破と、殺人課の刑事のような入念さが必要である」
 〜バーバラ=エーレンライク『ポジティブ病の国、アメリカ』〜


「私たちがみな狂っていることを思い出せば、神秘は消え失せ人生は説明がつく」
 〜マーク=トウェイン〜



みなさん、もうテレビで観たかもしれませんが、私の家にはテレビがないので、ネットで観た。
低線量被爆の危険性を扱った地上波番組は、おそらくはじめてではないか。
『追跡!真相ファイル 「低線量被ばく 揺らぐ国際基準」』


トンデル博士がテレビに出演。
科学でありさえすれば、経済が国民の健康を支えられないというのが事実でありさえすれば、何百万人もの市民を見殺しにしてもかまわないなどど、絶対にありえない。



これもテレビでみなさんすでに観ているかもしれないが。
後藤政志さん、田中三彦さんが三月から言っていた、福島第一原発の

「地震による配管破断説」

が、ここに来て地上波テレビで紹介。

『2011/12/28 メルトダウン5日間の真実』その1。



『2011/12/28 メルトダウン5日間の真実』その2。


最後のところが切れてます。



みなさま。
よいお年をお迎えください。

 




日本がもっとも危なかった87時間*(2011.12.27)

「孤独以上に恐ろしいことが発見されたのである。誤りと残虐の連続だ。
 安定した成長と平和が数千万年続いたのちの、新たな激動にわれわれは失望した。
 いかに学習して進歩したのであろうと、必死になったり、発展の過程においてある段階がくれば、社会/精神もまた個人に分かれていた古代の社会が犯した誤りに相当する行為を演じるようになる。ほかの社会/精神を殺したり、自己の内部の支族の多くの活動を断ち切ったりすることがあった。ほかの精神の充足を阻害することもあった。怒りのようなものを経験することもあったが、肉体の地熱条からは切り離されていた。怒りは冷たく、精緻で、長続きし、恐ろしいほどの説得力をもち、その結果もおぞましいものだった。さらに悪いことに、無関心をも経験することができたのである。」
 〜グレッグ=ベア『ジャッジメント・エンジン』〜


「みなさんは、なにが最終的にこの星を滅ぼすか知っていますか?
真剣さがまったくないことです。実際になにが起こりつつあるか、つぎになにが起ころうとしているか、そもそもわれわれはどうしてこんな泥沼にのめりこんだのか、そういうことにだれもまったく無関心なのです。 」
   〜カート=ヴォネガット『ジェイルバード』〜



「3月14日、福島第一原発の事故対応にあたっていた内閣総理大臣補佐官・細野豪志(当時)が、傍らにいる男に報告する。

「総理……もうダメかもしれません」……

菅直人首相(当時)は天を仰いだ。日本は終わってしまうのか…!?
報道局原発班と政治部が入手した
スクープ証言から『日本の一番長い日』を
完全再現」

ドキュメンタリードラマ 日本がもっとも危なかった87時間


これ、本当は過去形じゃあないのよ。日本がずっと危ない

「300年」くらいかな。

いや、まじでそうなんだよ。
今、イラクの病院で起きていること。
〔アルジャジーラ動画〕ファルージャの先天性異常の子供たち。

US invasion leaves lasting Iraq scars

アルジャジーラによるファルージャの病院の現状の動画リポートだ。




 

 



必聴!!「除染」のまやかし*(2011.12.24)

「科学が政治を征服することは絶対にありませんが、政治はいつも科学を征服しています」
 〜海野十三『十八時の音楽浴』〜


「国連の世界人権宣言第十九条にはこう定められている---「すべての人は、意志及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見を持つ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報および思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」
 〜マルセル=ローゼンバッハ ホルガー=シュタルク『全貌ウィキリークス』〜


「そして、この人類の一細片を運びながら、宇宙船スペース・ビーグル号はいやますスピードで突進していくのだった。 終りなき夜、そして始まりなき夜のまっただなかを」
 〜A=E=ヴァン=ヴォクト『宇宙船ビーグル号の冒険』〜



ラジオ放送たね蒔きジャーナル、22日は『放射能スペシャル』だった。
神戸大学教授の山内知也先生と京都大学助教の小出先生のお話。

小出裕章×山内知也・反骨学者達の放射能談議

たね蒔きジャーナルから。


「今夜は、「国帆放射能の除染に『効果はない』と主張する「反骨の学者」、神戸大学教授の山内友也さんにスタジオに生出演していただきます。山内さんは、9月の(種蒔き)に出演していただいた際にも、「高圧洗浄機の除染は役に立たない」と、知らなかった事実を指摘。リスナー共々スタップの私たちもびっくり仰天させられました。」


「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也


「高圧洗浄機の除染は役に立たない」

放射能はなにをやっても退治できない、エイリアンより始末の悪いやつだ。
メリークリスマスどころじゃねーよ!








 



*あれと同じことが私たち全員に起きている*(2011.12.19)


「いまや自分の役割は明白だった。ストーニイの知的なアキレスの踵を見つけだし、それを世間にさらすのだ。」
 〜グレッグ=イーガン『オクラル』〜


「背信は、信仰のうちにあるわけでも、不信仰のうちにあるわけでもない。それは、信じてもいないものを信じていると言明することにあるのだ。それが道徳に及ぼす悪影響は計り知れない。というのも、頭のなかで嘘をつく習慣が社会のなかに生まれるからである。信じてもいないものに対して、専門家として信じているなどと公言するまでに腐敗し、心の貞操を売り渡してしまうならば、人はすぐにも他のあらゆる罪を犯すようになるだろう」
 〜トマス=ペイン『理性の時代』〜



小出裕章先生の発行予定の本、制作情報。

『原発と憲法9条』

は、初稿を先生にチェックしてもらっているところ。
お返事待ち。
お忙しいのもあるでしょうが、もしかしたら、手直しが山のようにあるかもしれない。
想像して戦々恐々としております。



--☆---

『原子力資料情報室』に、久しぶりの後藤さん登場。
12/15 後藤政志 解説


健全な怒り、または社会正義、というものを、私は後藤政志さんの発言、それから、その発言をするさいの挙動の中に見ている。
「人道的見地に立つ」という前提を消去して科学や事実を語ることに対する、後藤さんの怒り、やるせなさ、納得いきがたいという気持ち、焦燥、恐怖というものが、解説する言動の中に、はっきりと感じることができる。そして、そのような解説のありようは、私の中にある怒りの正当性の証明として機能する。
あれと同じことが私たち全員に起きている、そのことを、私も、そして後藤さんも知っているのだ。
……。
あれとは何か。
あれはあれだ。
歴史を振り返れば、数え切れないほどにある、あれのことだ。
例えば、水俣病のときにその場にいた全員に起きたこと、だ。

一日一回は後藤さんの声を聞かないとちゃんと眠れない体なので、これからもよろしくお願いします(笑)。







 

 



必読『酪農家の慟哭 飯舘村』*(2011.12.14)

「ニックが一家そろって地球を離れることになったわけ、よその星に移り住むことに決めたわけは、ニックにもよくわかっています。それは、ニックと猫のホレースのためでした。だってホレースを飼うなんて地球では許されないことでしたから。猫にかぎりません。1992年からこっちというもの、どんな動物でも飼ってはならないと決められているのです。だからって、ホレースが野良猫ならよかったなんていうはずはありません。猫が生きているだけでも法律に触れるのです」
 〜フィリップ=K=ディック『ニックとグリマング』〜


「テラーはまた、アラスカや南アフリカをはじめ世界各地で核兵器を爆発させ、港や運河を作ったり、邪魔な山をきれいに吹き飛ばしたり、大量の土砂を片づけたりしてはどうかと提案している。テラーがこの案をギリシャのフレデリカ王妃にもちかけたところ、王妃はこう答えたという。「ご提案ありがとうございます、テラー博士。しかしギリシャには、廃虚はもう十分にありますので」」
  〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』〜



必読。
福島県飯舘村の前田地区で、酪農を営み、区長を努めてきた長谷川健一さんの講演。

酪農家の慟哭 飯舘村


***********
 「いま、放射能が、とんでもねえことになっている。明日、緊急集会、やっから。みんな集めろ」。
***********


***********
 雨どいの下の線量、1ミリシーベルト、1000マイクロシーベルト。
 これ、とんでもないこどだべ。
 だけど、外見ると、子どもが外で遊んでいる。洗濯物は外に干してある。大人たちも、外で、仕事している。
「なんたるこっちゃ」
 すぐその足で、役場の対策本部に行った。
「村長、いっか?」
 いなかった。議長と副議長がいた。彼らに言った。
「いま長泥に行って来た。とんでもねえことになっている。
 外でも子どもが遊んでんだぞ。なんでおめえら避難させねんえだ。
***********


***********
 私ら以上の人は帰っても、若い人は帰えんない。私も、息子と4人の孫がいる。戻そうとは思わない。そんな若い人が帰って、子育て・子作りなんかできるような環境じゃない。そりゃ、だめだ。
 だとすれば、われわれが飯舘に戻って、われわれが生涯を閉じれば、そこで飯舘村は終わり。そういうことになる。
 だから、やっぱり飯舘村民は、これから何年か後には、そういう決断を迫られるであろうなって、そういう思いがする。
**********

今ここにある危機。







 



*虚構や嘘だけでも本当らしくなってしまう*(2011.12.8)


「いまやアダム・スミスやカール・マルクスあるいはジョン・メイナード・ケインズの、ただの一ページも読んだことのない人たちが経済学者だと自称している。
これはマリノフスキーを知らない人類学者、ダーウィンを知らない進化生物学者と同じく語義矛盾だろう。」
 〜ディアドラ=N=マクロスキー『ノーベル賞経済学者の大罪』〜


「「ぜんぶ嘘なの。その嘘が私の歌になってて、みんなが共感し、信じてくれて。そのおかげで私が生きていける。つらいのよ。ステージでこのつらさをぶちまけ、聴いている人たち全員の許しをこう夢をよく見るわ」
「小説家が、きっとそうよ」
「小説は、嘘や虚構だけでは、もたないの。でも、歌は、嘘だけでもほんとらしくなってしまう」」
 〜片岡義男『アマンダはここに生きている』〜



錯誤と蒙昧の果てに。
『たかしズム』さんのところから。
正論

***********
佐々木憲昭議員:「民主党の政党助成金依存度は、82.7パーセント、自民党67.4%。8割以上依存しているとなると、事実上”国営政党”と言われても仕方ない。総理、この事実をどのように受け止めますか?」

野田首相:「改めてこうやって数字でお示しいただくと”国営政党”と言うか、ほんとに国民の皆様に支えられている”国民政党”としての自覚を持っていかなければならないと思います。」
***********

ばっかでえ!

(;゚ ロ ゚)
自分たちが見たいものしか見ない市民と、見せたいものしか見せないマスメディア、または政府というものが手に手をとって、閉じられた日本の内部で繰り広げる、楽観論や明るい未来論への激しい傾斜。


--☆---

『破壊屋』さんのところで、2011年度の「この映画はいったい誰が観に行くんだ!?大賞」の投票受付が始まった。
この映画はいったい誰が観に行くんだ!? 投票開始です


「この映画はいったい誰が観に行くんだ!?大賞」の投票受付の呼び込み文が素晴らしいのでご紹介したい。

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 * 嫌いな政治家が当選する
 * 自分が投票した政治家が役立たず
 * 本当に投票で決めて欲しことは、投票自体が行われない
 * 投票用紙がCD付きで販売されている上に、その収入がオッサンどもの懐に入る

そんなことでお悩みの民主主義ニッポンの皆様。お待たせしました。比較的民意が反映された投票結果が特徴である「この映画はいったい誰が観に行くんだ!?大賞」を今年も開催します!
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だっはっはっはっは! ……はあ。










 

 



強さを求めるなんてまっぴらだと小出先生は言った*(2011.12.3)

「かってはささやかながらも一定の尊厳と支えを与えてくれた集団的制度が破壊された後で、フレキシブルな労働市場と短期契約、慢性的な不安敵雇用、社会的保護の喪失、健康を破壊する労働という世界において、使い捨て労働---とりわけ女性---は、いったいどうやって社会的にも精神的にも生きていくことができるだろうか? たしかに労働市場におけるフレキシビリティの増大が利益になった人もいる。それが物質的な利益につながらない場合であっても、比較的容易に、そして家父長制や家族という伝統的な社会的束縛から自由に仕事を変えることができるという権利だけでも、無形の利益をもたらす。労働市場をうまく切り抜けていくことができる人々にとっては、資本主義的消費文化の世界の中に一見豊富な見返りが存在するように見える。だが不幸なことに、その文化がいかに壮麗で華やかで魅惑的であろうとも、それはいたずらに欲望をもてあそぶだけで、ショッピングモールで得られる貧しいアイデンティティや、美貌(女性の場合)と物の所有者がもたらすステータスの渇望以上の満足をけっして与えることはない「われ買う、ゆえにわれあり」という信条と所有者的個人主義とが一体になって、表面上は刺激的だが奥底では空虚な、偽りの満足の世界をつくり出している」
 〜デヴィッド=ハーヴェイ『新自由主義』〜


「コーポラティズムは、膨大な公共資産の民間への移転、とてつもない富裕層と見捨てられた貧困層という二極格差の拡大、そして安全保障への際限ない出費を正当化する好戦的なナショナリズムをおもな特徴とする。このようにして生み出された巨大な富のバブルの内側にいる者にとっては、これほど収益性の高い社会構造はほかにない。だが、バブルの外側にいる大多数の人々は明らかに不利な立場に置かれるため、コーポラティズム国家は露骨な監視活動、大量の人々の監禁、市民的自由の制限、さらには多くの場合、拷問という特徴を持つことになる」
 〜 ナオミ=クライン『ショック・ドクトリン』〜



政治が嫌いな小出先生が、しぶしぶではありながら、橋下大阪市長について少し語っておられます。
11/28たね撒きジャーナル 小出裕章


小出裕章先生の書籍、鋭意製作中。
徹夜してがんがん働く、という人間ではないので、各方面に迷惑をかけつつ、がんばっております。
タイトルは

『小出裕章 原発と憲法9条』

となる予定。
タイトル聞いただけで、いい本になりそうだろ?

ぜひ買ってください。


--☆---

『Afternoon Cafe』さんのところでも、ナオミ=クラインの『ショック・ドクトリン』が紹介されている。

東北大震災の「復興」によせて〜ショックドクトリン(その1)


東北大震災の「復興」によせて〜ショックドクトリン(その2)

 

『ショック・ドクトリン』これは本当にすごい本だ。
一日くらい飯を抜いても、買って、読むべきだ。





 

 



ヒューマンエラー*(2011.11.28)

「頂点、権力が位置する場所には、盲人が腰を下ろしている。自分の目を少しずつ曇らせてゆくことによってのみ仲間の上に立つことができる、そんなふうに世の中ができているからだ」
  〜シオドア=スタージョン『たとえ世界を失っても』〜


「シリル=コーンプルース、シオドア=スタージョン、コードウェイナー=スミスといった人々を通じて、SFは少しずつ単純な種族差別主義から抜け出す方向へ進んできました。(略)
自由、平等、同胞愛といったラディカルで未来的な奥深い概念に対する、少し真摯な考察がなされるようになってほしいものです」
 〜アーシュラ=K=ル=グウィン『アメリカSFと他者』〜



大坂ダブル選挙については、言及しない。
市民自身が、気分としての独裁を求めているのだから、「独裁」と「民主主義」どちらを選ぶか?などと言っても市民の多くは橋下に投票することになる。
じゃあ、選挙戦略が悪かったのか、というと、そういうことでもないだろう。
つまり、

独裁者を求める市民などというものを生産し続けた社会の問題、市民運動の問題を真剣に考え直すべきだ。

明るい未来を建設する、などと言っていたら、そりゃあこういう市民を育成することになるわな。
感動主義、楽観主義の成れの果てだ。
ナチスがどのようなスローガンを掲げて台頭していったか、日本の市民運動家は知らんということなのか。
感動主義、楽観主義を、あろうことか左翼陣営が何十年と掲げてきたわけだから、この結果は予定されていたものだったと言える。

はい、やめ! 死にたくなるからな!!

これは必聴。

humanERROR


テレパシーなんて、本気にする必要はないだろう。
ただ、私たちが「時」や「想像力」奪われたことも事実だ。
芸術に触れることが必要なんですよ。
この世に超能力と呼べるものがあるとすれば、芸術を解する能力だろう。
人はなぜもっとSFを読まないのか。
「ファンタジーに興味のない人」が作った現実が、目の前に繰り広げられている。




 

 

 



弁は閉じられた鷲は舞い上がった*(2011.11.25)

「大人は子どもたちの、延々とつながる思考を邪魔し続けていることについて、何も考えていない」
 〜ガブリエル=ウォーカー『大気の海 なぜ風は吹き、生命が地球に満ちたのか』〜


「「願わくは、あなたがたの探検の動機が、たんに貯蔵槽として使える他の宇宙を探すことだけではなく、知識への要求、宇宙の息吹からなにが生まれるかを知りたいという切望であってほしい。なぜなら、たとえ宇宙の寿命が有限であっても、その中で育まれる生命の多様性には限りがないからだ。われわれが建てた建築物、われわれが送った人生---どれひとつとして、前もって予測することはできなかったはずだ。なぜなら、そのどれひとつとして、必然の結果ではないからだ。われわれの宇宙は、静かなしゅっという音だけを残して平衡状態に達したかもしれない。しかし、この宇宙がこれだけ豊富なものを生み出したという事実こそが奇蹟だ。それに匹敵するものがあるとしたら、あなたがたの宇宙があなたがたを生み出したという奇蹟くらいのものだろう。
 探検家よ、あなたがこれを読んでいるいま、わたしはとうの昔に死んでいるが、それでもわたしは、あなたに別れの言葉を贈ろう。存在するという奇蹟についてじっくりと考え、自分がそうできることを喜びたまえ。わたしにはそう伝える権利があると思う。なぜなら、いまこの言葉を刻みながら、わたし自身がおなじことをしているからだ」
 〜テッド=チャン『息吹』〜



これはかなり衝撃的。
福島第一原子力発電所1号機の非常用復水器に「決定的な設計の欠陥」があった。

後藤政志氏 ストレステスト解説他動画。


電源を失い、隔離弁が自動的に閉じる。設計上は正常だが、

弁が閉じた状態でどうやって冷却材を注入するか、という問題が!

ぎゃああああ。
これはもう、致命的欠陥というべきで、すべての原発を即刻停止する必要がある。



 

 

 



クリスタルの夜*(2011.11.22)

「南アが明白にサッチャリズムへと舵を切ってから十年以上が経過した時点で、トリクルダウン理論の実験の結果は、次のとおり目に余るものだった。
・ANCが政権が就いた1994年から2006年までの間に、一日一ドル未満で暮らす人の数は200万人から400万人へと倍増した。
・1991年から2002年までの間に南アの黒人の失業率は23パーセントから48パーセントへと、二倍以上に増加した。
・南アの黒人人口3500万人のうち、年間6万ドル机上の収入があるのはわずか5000人にすぎない。白人ではその数は20倍となり、それよりはるかに高収入を得ている白人も少なくない。
・ANC政権は180万軒の住宅を建設したが、その間に200万人が家を失った。
・民主化から10年間に農場から立ち退かれた人は100万人近くに上る。
・こうした立ち退きの結果、掘っ立て小屋に住む人の数は50パーセント増加した。2006年には南アの人工の四人に一人以上はスラム街の掘っ立て小屋に住み、かなりの数の人は水道も電気もない暮らしを強いられている。」
 〜 ナオミ=クライン『ショック・ドクトリン』


「現在は南アの人権基金の理事長の座にあるスーカは、こう指摘する。真実和解委員会の聴聞は「拷問や虐待、誘拐などアパルトヘイト体制の外面に現れたさまざまな事態」の解明には取り組んだものの、そうした人権侵害によって利益を得た経済システムについては「完全に不問に付した」のだ、と。このことは、三十年前にオルランド・レテリエルが指摘した「人権活動家」の盲点と重なる。もしもう一度やり直すことができるのなら、「まったく違うやり方で対応すると思う」とスーカは言う。「アパルトヘイトを支えた“システム”に注目して、土地の問題、そして多国籍企業や鉱業の果たした役割について念入りに調査したい。なぜならそれこそが南アの病理の根源だからです。(中略)アパルトヘイト政策が及ぼした組織的影響こそを追求したい。拷問については一回の聴聞だけで十分。なぜなら拷問そのものだけに注目して、それが誰を利していたのかを見過ごせば、真実の歴史を歪めてしまうことになるからです」
〜 ナオミ=クライン『ショック・ドクトリン』〜



今週の愛川欽也。
今週は非常に良い内容だった。
今週もまた彼は、同じことを叫んでいる。
なぜこの国は、過去の歴史から学ばないのか。


愛川欽也 パックイン・ジャーナルその1

愛川欽也 パックイン・ジャーナルその2

愛川欽也 パックイン・ジャーナルその3

愛川欽也 パックイン・ジャーナルその4

愛川欽也 パックイン・ジャーナルその5

愛川欽也 パックイン・ジャーナルその6

愛川欽也 パックイン・ジャーナルその7

愛川欽也 パックイン・ジャーナルその8


SF小説から。

「きみがこの件を、道徳的に問題が大きいと思っているのはわかっているよ」とダニエルはいった。「それはすばらしいことだと思う。そんなのは取るに足らない問題だと考える人間を雇うなんてことは、夢にも思わないよ。しかし、わたしがやらなくても、他の誰かが同じことをするだろう」
 〜グレッグ=イーガン『クリスタルの夜』〜

道徳的に問題が大きいと思っているのは“わかっている”ひとたちによる改革というもの。

彼らがわかっているのは、道徳的に問題が大きいと「私が思っている」ということなのだ。
このあと、ダニエルは、きみに対して、こう言う。

「それに、わたしたちにはそいつらの性質を決められるのを忘れちゃいけない。そいつらは生きていることを幸せに思い、自分たちの創造主に感謝するだろう。わたしたちはそういう特質を選択できる」

すると、きみは、こう答えたのだ。

「つまり、耳のうしろを掻かれて尻尾を振る超人が目標なのね」

早川書房の『プランク・ダイブ』というSF短編集に所収されている。
気が向いたら、読んでください。



 

 

 



お前はあまりに多くを当然だと考えすぎる*(2011.11.19)

「さまざまな理由で、対人関係における道徳的振るまいについてあらゆる種類の規範を提案する人がいるが、その後で、その道徳的規範を世界市場における商品交換の世界に拡張すべきかどうか、またいかにして拡張するのか、というジレンマに直面することになる。「よい」対人関係を主張して自分の隣人を助けることはまことに結構であるが、われわれが知らないし知ることもできないが、われわれに日々のパンを供給するにあたって不可欠な役割を果たしているすべての人々に対して完全に無関心であるならば、その場合の主要な論点は何だろうか? これらの問題は時おりわれわれの注意を引きつけている。たとえば、商品交換の世界の道徳的基準をはっきりさせようとする「フェアトレード」運動や、遠くの他者のための慈善的貢献を動員しようとする反貧困運動によってである。しかし、れらのものでさえ、グローバルな不平等という諸条件---すなわち慈悲深い寄付者にとっての富とその他全員にとっての貧困---を生産し維持する社会的諸関係に異議申し立てをすることにたいてい失敗している」
 〜デヴィッド=ハーヴェイ『資本論入門』〜


「このほかならぬナンバー200のラットは、人間についてのある理論を持ってた。このラットのいうところでは、人間はあきらかに頭が大きく、手先や言語を驚くほど器用に操り、無生物から複雑な巣や飾りたてた建造物を組みたて、全般的な行動様式は宇宙に対するきわめて高いレベルの好奇心を示唆してるにもかわわらず、自分たちがなにをやらかしているかにまったく気づいていない。人間はラットが“生き物ある”ことにすら気づいていないし、意識を持っていることなどなおさらだ。」
 〜グレッグ=イーガン『悪魔の移住』〜



あえて説明抜きだ。
ぜひ、見てもらいたい動画。

『水俣の教訓を福島へ〜馬奈木弁護士』その1



『水俣の教訓を福島へ〜馬奈木弁護士』その2



今回の福島の原発事故は、どこからやってきたのか。
歴史からまったく学ぼうとしない日本の風土、価値観、そうだ、いつものあの道を通って、そしてやってきたのだ。
太陽が東の空から登るように、当然のこととしてあらわれたのだ。
もうわかりきっていると私たちが思っている、ゆえに、なにひとつ確かめずにすませているもの、そのなかから……。

 

 

 



あなたは訓練するだろう*(2011.11.16)


「それでいちおうの説明がつく。われわれ人民は、その病気について無知だったため、その病気の患者である人びとへ、それとは知らずに、何度も何度も権力をあずけたのだ」
 〜カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』〜


「「彼らには彼らの物語があり、彼らがそれを語っているのよ! あたしたちはその物語の中でどんな役を演じるのか、あたしには分からない」」
 〜 アーシュラ=K=ル=グィン『踊ってガナムへ』〜



『デモクラシーナウ!』から、非常に面白かったインタビュー動画。

『陽だまりの時』ジョン・セイルズ監督に聞く


自由競争というシステムが生み出す「失敗と成功の劇的な差」というものに引き裂かつつあるこの世界の、「失敗」とされる側に位置する場所でたたずむ側の身として、今、私の身の内からわき出てくる基本的な問いは、「人間の能力とは何か」というものだ。
そもそも、

「人の能力は製品にすぎないのか?」

書いていてふと思い出したのだが、どこぞのコンビニエンスストアの社長だか誰だかが、
「過労死する人間は、甘えているのだ」
と発言したと、最近、何かの記事で読んだ覚えがある。
死に至る甘え、とは何か。
自由競争の社会システムの内部では、個人個人が、「人の能力」というものを、自らの責任によって開発し、向上させ、発揮していかなければならない、とされている。それは、生きるための大前提なのだそうだ。大前提なのだから、この世に生まれ落ちた個人は、その人が持っている「人としての能力」を、生き残るために製品として磨き上げ、生き残るためにフルに機能させていかなければならない。
しかし、その過程において手抜きや妥協や弱さがあったとしたら、不幸かつ自然の結末としての過労死という事態が起こりえる……、というような主張を、傲慢かつ粗雑な言葉に言い直したなら、
「過労死する人間は、甘えているのだ」
「過労死とは甘えである」
となる。
この世に生まれ落ちた彼、もしくは彼女は、これまでの社会のありかたとは一線を画した、格段に高い能力というものを要求する自由な社会においても、その価値を示し続けなければならない。
そうした努力を怠れば、淘汰されるのは自然の摂理である。……と、「この世の仕組みを説く」という点に置いては、彼らの話はこれで終わりだろう。……だけれども、彼らは親切心から、こう付け加えたくなるらしいのだ。
「それは自然の摂理であるけれども、私は歯がゆい、君らは、なぜ、自らを磨き上げて成功をつかもうとしないのか? 生きようとしないのか?」
彼または彼女が、なぜ過労死などという無残な人生を選択するのかまったく理解できない、というわけだ。
私たちの世界における真の能力と呼ばれるものは、引き裂かれた世界の一方に位置するある種の人々の、こうした、いらだたしげに小首をかしげるような仕草の中にある。
あなたは、あなた自身を改変していかなくてはいけない。
独創的でなければならない。
潜在的なものも含めた労働力というものを、私企業が、自分たちのその場その場の都合だけで、使い捨ての電池か何かのように消費していく、というような構造を維持するためだ。
「自分のことは、自分でしてください」
そうした言葉を胸に刻み、あなたは自分自身を訓練するだろう。





 

 



*巨神兵はさみうち*(2011.11.12)



「20世紀になって、倫理リベラリズムはベラミーが言う経済リベラリズムに置き換えられた。それまで権威の正当化に際しては、神学や神への信仰を土台とする道徳的真実を用いてきた。ところが20世紀になると資本主義は自律的になり、資本主義の外にあるいかなる道徳的真実に触れることなく、資本主義自体の語句で己を正当化している。19世紀までのリベラル派にとって、経済活動の究極目的は利潤ではなく道徳的向上にあった。実際、古典的なリベラル経済学者の理論によると、理想的な市場はほとんど、あるいはまったく利潤を生まない。小企業家で構成される完全に競争的な市場の場合、利潤は新しい生産者を市場に誘い込む。供給が増大すると、価格と利潤は低下する。その状態は低利潤がために新しい生産者が市場に参入しないという新しい平衡状態に達するまで続く。継続的に大きな利潤が可能なのは、市場への参入が制限されている場合に限る。換言すれば、利潤が可能なのは市場が自由でないとき、リベラルでないときである。したがって倫理リベラル派は、市場の目的は利潤ではなく道徳的向上にあると主張してきた。しかし20世紀になるとリベラル派は、市場は道徳的目的に奉仕できるという信念を喪失した。経済的交換の目的は、単にいっそう多くの経済的交換になってきた。」
 〜エド=デーンジェロ『公立図書館の玄関に怪獣がいる』〜


「欧米のめぼしい新聞や雑誌はどれをとってみても、この巨大化した終末論的な語彙をさらに強調するような論説であふれている。それらの言葉の使い方ひとつひとつが、読者を啓発するというよりも、「西洋」の一員としての義務に火をつけ、何をなすべきかとたきつけるだけの意図に満ちている」
 〜E=W=サイード『戦争とプロパガンダ』〜



これだけは書いておこう。
私たちの生存基盤は、いま、二方向からの攻撃にさらされている。
ひとつは、日本中に拡散した膨大な放射性物質。
もうひとつは、すべてを破壊しつつ進撃する機能しか持たない、利権企業連合体と呼ぶべきようなシステムだ。

どちらも私たちが生み出し、私たちが運用した。

今週のアーサー・ビナードさん。

『吉田照美ソコダイジナトコ アーサービナード』その1


『吉田照美ソコダイジナトコ アーサービナード』その2



 



*いま世界でもっとも重要なこと*(2011.11.8)



「1950年代にミルトン・フリードマンが着手した運動をひとことで言えば、膨大な利益を生む無法状態のフロンティア---今日の真自由主義の父祖アダム・スミスがきわめて高く評価していた---を奪回しようとする多国籍資本の目論見、となるが、事はもう少し複雑だ。スミスの言うような西洋の法律が存在しない「未開で野蛮な国」をあさり回るのではなく、既存の法や規制を組織的に取り除いて、はるか昔の無法状態を再現しようというのである。スミスの時代の入職者は、彼の言う「未開拓の地」を「ごくわずかな金」で手に入れ莫大な利益を得たが、今日の多国籍資本は政府プログラムや公共資産など、売りに出されていないあらゆるもの---郵便局から公立公園、学校、社会保障、災害救済など公的な管理のもとにあるものすべて---を征服し奪い取る対象とみなす」」
 〜ナオミ=クライン『ショック・ドクトリン』〜


「ノルウェーの元外務大臣で歴史学者のハルブダン・コートは、かってこう語った。
「我が国の建設は、階級的愛国心が国レベルの愛国心へ変化していく長いプロセスを経てきた。新しい階級が、社会における権利と権力を要求するたびに、まるで憎しみが社会全体を滅ぼす種をまいているかのようだった。しかしながら、下層階級が彼らの目標を達したときには、社会は新しい次元に到達し、以前よりもずっと豊かになったように思われた」」
 〜ニルス=クリスティ『人が人を裁くとき』〜



10月6日。
ナオミ=クラインがウォール街のデモ&座り込みに登場。
ありがたいことに、日本語字幕つきだ。

『ナオミ=クライン - ウォール街を占拠せよ:今世界で最も重要なこと』その1


『ナオミ=クライン - ウォール街を占拠せよ:今世界で最も重要なこと』その2


『ナオミ=クライン - ウォール街を占拠せよ:今世界で最も重要なこと』その3


「昨日、労働者のデモで講演者の一人がこう言いました。「我々はお互いを見つけたのだ」と。この感想は、今まさにここで形成されているものの美しさを捉えています。より良い世界を望むすべての人々が、お互いを見つけるために、大きく開かれた空間を。同様に、どの空間も収容することができないほど、大きなアイディアを。私たちは大きな嬉しさに包まれています。」

水平的かつ、深く民主的であることは素晴らしいことです。とは、なんと詩的な表現か。



10月9日にはスラヴォイ=ジジェクも現れた。

『スラヴォイ・ジジェク - 民主主義と資本主義の結婚は終わった』その1


『スラヴォイ・ジジェク - 民主主義と資本主義の結婚は終わった』その2



「2011年の4月中旬に、中国政府があることを禁止しました。全てのTVや映画や小説において、別の現実やタイム・トラベルを含む内容を扱うことを。これは中国にとって良い兆候です。つまり、人々が未だオルタナティブを夢見るためには、そうした夢を見ることを禁止するべきだ、ということです。ここでは、そのような禁止は必要ありません。なぜなら、支配体制は私たちの夢見る能力を抑圧すらしないからです。私たちがいつも観ている映画を思い浮かべてください。世界の終わりを想像することは容易です。小惑星が全ての生命体を絶滅させるとか、そういったたぐいのものです。しかし、資本主義の終焉を想像することはできません。」

SFを。そして、資本主義の終焉を。