純の◆姫林檎◆日記(不定期でふ)


 エッセイ……というか、実家で病気療養中男の、ただの出不精Mac日記です。
 いちばん上のものが新しいです。
 思いつきで作ったコンテンツですので、ユーザーヴィリティがはちゃめちゃです。
 すみません、そのうちなにか良い方法を考えますです。(^-^;A

 前の日記1 / 前の日記2 / 前の日記3 / 前の日記4 / 前の日記5 / 前の日記6

 / 前の日記7 / 前の日記8 / 前の日記9 / 前の日記10 / 前の日記11

 / 前の日記12 / 前の日記13 / 前の日記14 / 前の日記15 / 前の日記16

 / 前の日記17 / 前の日記18 / 前の日記19 / 前の日記20 / 前の日記21

 / 前の日記22 / 前の日記23 / 前の日記24 / 前の日記25 / 前の日記26

 / 前の日記27 / 前の日記28 / 前の日記29 / 前の日記30 / 前の日記31

 / 前の日記32 / 前の日記33 / 前の日記34 / 前の日記35 / 前の日記36

 / 前の日記37 / 前の日記38 / 前の日記39 / 前の日記40 / 前の日記41

 / 前の日記42 / 前の日記43 / 前の日記44 / 前の日記45 / 前の日記46

 / 前の日記47 / 前の日記48 / 前の日記49 / 前の日記50 / 前の日記51

 / 前の日記52 / 前の日記53 / 前の日記54 / 前の日記55 / 前の日記56

 / 前の日記57 / 前の日記58 / 前の日記59 / 前の日記60 / 前の日記61

 / 前の日記62 / 前の日記63 / 前の日記64 / 前の日記65 / 前の日記66

 / 前の日記67 / 前の日記68 / 前の日記69 / 前の日記70 / 前の日記71

 / 前の日記72 / 前の日記73 / 前の日記74 / 前の日記75 / 前の日記76

 / 前の日記77 / 前の日記78 / 前の日記79 / 前の日記80 / 前の日記81

 / 前の日記82 / 前の日記83 / 最新の日記



ポエムマンガに戻る / ホームに戻る




*対談・小出裕章氏X溝江玲子Xぽぽんぷぐにゃん*(2012.4.7)


「人類が築き上げてきた文明の度合いとその豊かさの程度は、最も弱い立場にある人たちをどのように遇してきたかによって判断されると私は思う。ここで扱う問題に則して言えば、放射線をあびせられたヒバクシャの被害や、将来の時代を担う赤ん坊や子どもたちへの放射線の影響をどのように考えてきたかで測られると思う。その子どもたちの安全を守るという場合、放射線の人体への影響という科学的な判断とともに、安全をどのように考えるかという社会的な判断が絡むことになる。その判断は、情報と社会的な権力を握る人たちが、自分たちに都合のよいように行ってきた。その結果、原子力産業と原発を推進する人びとは、子どもたちを放射線の被害から守るという問題においてすら、経済的な利益を市場とする原理や、人の生命すら貨幣価値に換算する仕組みを作り上げたのである。
 本書のめざすところは、この原理や仕組みが、いかにして「科学」とされていったのかを解き明かし、闇に消され、切り捨てられた被害を新しい見いだされた証拠とともに示すことにある」
  〜中川保雄『放射線被曝の歴史』〜


「ある人はいう。これはマスメディアがわれわれの生活をすっぽり包み込んでしまった結果、民衆の中から、ひとりでにおこった反応だ」
 〜サミュエル=R=ディレイニー『時は準宝石の螺旋のように』〜


「溝江さんはこうやって、本を出してくださった」
 〜小出裕章〜



はい、おたちあい!
うちの玲子がまた京都原子炉実験所の小出裕章先生のところにインタビューに行っていました。
今度は、ぽぽんぷぐにゃんさんとごいっしょ。

「スペシャルゲスト対談・小出裕章氏と溝江玲子氏とぽぽんぷぐにゃん」

でございます。

瓦礫処理問題、憲法9条について、など、ぽぽんぷぐにゃんさんが色々と聞きにく〜い質問をしております。
玲子とぽぽんぷぐにゃんさんのあつかま……いえ、もとい、コフン、オフン。
小出先生が、普段よりリラックスなさっていて、それがラジオから伝わってきます。

そのぶん、小出先生のより本音の部分が、聞けている感じです、これは、真面目な話、かなり貴重。

話題もみんなが聞きたいことばかりではないでしょうか?
私は神経が細いから、こういうこと、よー聞けなかったかも……。
それだけに、必聴だと思います。


--☆---

対談前日のぽぽんぷぐにゃんさん。

『ついに小出さんとお会いする事に!とか。(2012.04.04)』


ぽぽんぷぐにゃんさんの天にも昇る気持ちが伝わってきます。

ヽ( ̄▽ ̄)ノ



追記。
対談収録語のオフレコ音源を公開!!

『対談・小出裕章X溝江玲子Xぽぽんぷぐにゃん おまけ編』


 

『小出裕章 原発と憲法九条』にサインをねだるところから始まります。

「『ドウガネブイブイ』いい本ですね〜。小出先生も読んでらっしゃる?」とぽぽんぷぐにゃんにたずねられて、小出先生が

「もちろんです」

とおっしゃったところが、嬉しい(笑)。
お忙しい小出先生に、読んでいただけていること自体がそもそも恐縮です。はい。

 

 

 



最近買った本・マンガ・DVD*(2012.4.6)

「ペインは大英帝国の暴政について、真実を指摘した。私たちの国家は、生命と自由と幸福の追求の原則に捧げられたものだと、ジェファーソンは宣言した。そしてリヴィアは、夜をついて馬を走らせながら、植民地中の男女がそうした言葉に力づけられるだろうと理解していた。彼らはよりよい世界のために、立ち上がって戦うだろう」
 〜ジョン=パーキンス『エコノミック・ヒットマン』〜


「文字通り額に汗して働いて稼いだ金額では、思いどおりの消費もままならない。このような状況では、人間と社会は深刻な問題に直面する」
 〜ニルス=クリスティ『人が人を裁くとき』〜 


体調が優れないので、最近「購入」した本を並べて、お茶を濁す(「読んだ」でないところに注目!)。
(;^_^ A
あ、ラース=フォン=トリアーの『アンチ・クライスト』、今ごろ観た。
これは、アンドレイタルコフスキーのオマージュとして撮られた映画だというのは、すぐにわかった。そしてそれを、「私の解釈」として日記にアップしようと思っていたところ、

エンドタイトルでばらしてやんの!

タルコフスキーのオマージュが、トリアーにかかると、こうなってしまう、という映画だった。



最近購入した本リスト。
==================

『超ヤバい経済学』
・『放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響 チェルノブイリ原発事故被曝の病理データ』
・『日本人の知らない日本語3』

・漫画『特攻の島4』
・漫画『ちはやふる16』
・漫画『野田と申します4』
・漫画『ムショ医4』

・DVD『夜空に星のあるように』
・DVD『アンチ・クライスト』
・DVD『ロゼッタ』
・DVD『ヒロシマ・ナガサキ』

==================




 

 

 



グレッグ=パラストinウォール街*(2012.4.2)

「私は以前、どうやら母親が死んだらしい子どもと電話で話すのに30分費やした交換手に関する話を読んだことがある。その交換手はタイムスケジュールを守らなかったとして解雇された。これは、資本主義的労働過程全般をよく特徴づけている。資本家は時間を欲し、利得の要素であるその刻々を欲する。これは、価値の実体が社会的労働“時間”であるという事実の必然的帰結である。」
 〜デヴィッド=ハーヴェイ『資本論入門』〜


「フリードマンが支持する経済政策は、多くの途上国に危機的な状況を生み出してきました。最近の四半世紀をみれば、彼の政策を取り入れた国の経済成長率が急激に低下したことがわかるでしょう。非常に良好な成果を上げている国々(中国、韓国、台湾)は、フリードマンが擁護するルールを破ることで、それを成し遂げてきたのです。(略)一方、新自由主義のルールを厳格に守った国は、経済成長率が急激に低下して、他のマクロ経済の指標もことごとく悪化してしまいました」
 〜ノーム=チョムスキー『チョムスキー、アメリカを叱る』〜



『デモクラシーナウ!』に、ひさしぶりにグレッグ=パラストが登場。

ゴールドマン・サックス VS ウォール街占拠 グレッグ=パラストが調査


「ウォール街きっての有力銀行ゴールドマン・サックスが、ニューヨークの零細信用組合の募金イベントに脅しをかけたという事件。その裏には、受け取った公的救済資金を悪用して零細金融機関に圧力をかけようとするゴールドマンの悪巧みが・・・」

という内容だが、

グレッグ=パラストがミルトン=フリードマンの弟子筋に当たるとは!

これって、スターウォーズ的な因縁。

 

 

 

 



肥田舜太郎先生のお話*(2012.3.28)

「ガン、白血病への影響を含め、死の灰の危険性に対する不安が拡大することに恐怖を感じたアメリカの原子力推進派は、議会の場を利用してその沈静化をはかろうとした。上下両院の原子力推進派は、原子力問題で合同の委員会を設立して政府その他へ圧力をかけてきたが、この委員会でフォールアウト問題の公聴会を開いて、その「安全性」を全国民に宣伝しようとしたのである。その証言台には、NCRP委員会のテイラーをはjめ原子力委員会側の人物が続々と立った。彼らは口を揃えて、許容量千両以下の放射線被曝なら安全である、と主張した。これに対し、公聴会に呼ばれた反対派の科学者はごく少数であった」
 〜中川保雄『放射線被曝の歴史』〜


「孤独以上に恐ろしいことが発見されたのである。誤りと残虐の連続だ。
 安定した成長と平和が数千万年続いたのちの、新たな激動にわれわれは失望した。
 いかに学習して進歩したのであろうと、必死になったり、発展の過程においてある段階がくれば、社会/精神もまた個人に分かれていた古代の社会が犯した誤りに相当する行為を演じるようになる。ほかの社会/精神を殺したり、自己の内部の支族の多くの活動を断ち切ったりすることがあった。ほかの精神の充足を阻害することもあった。怒りのようなものを経験することもあったが、肉体の地熱条からは切り離されていた。怒りは冷たく、精緻で、長続きし、恐ろしいほどの説得力をもち、その結果もおぞましいものだった。さらに悪いことに、無関心をも経験することができたのである」
 〜グレッグ=ベア『ジャッジメント・エンジン』〜



自らも被爆しながらも、広島で被爆者の治療にあたった肥田舜太郎先生の、3月24日の講演の動画。

人体に与える内部被曝の脅威・肥田医師・講演その1


人体に与える内部被曝の脅威・肥田医師・講演その2


人体に与える内部被曝の脅威・肥田医師・講演その3


人体に与える内部被曝の脅威・肥田医師・講演その4


95歳になられて、何も怖いものがない、という境地なのかもしれないが、すべて正直に、何も恐れることなくお話くださっている。
必見。
小さなお子さんをお持ちのお母さん(お父さん、おじいさん、おばあちゃん、おじさん、おばさんその他みなのしゅう)は、特に必見。


 

 

 



ドイツのテレビ番組「フクシマのうそ」*(2012.3.25)

「原爆が投下された直後の広島・長崎を調査したのは日本では「日米合同調査団」とされている。しかしアメリカの公式文章では、それは「アメリカ軍合同調査委員会」と称される。この一例が示すように、調査を行った主体についてすら日本で正しく理解されているとは言えないのである。このことは、放射線被曝の危険性に関する調査内容にもあてはまる。じつは、アメリカ軍による原爆被害の隠蔽や過小評価に、日本の代表的研究者たちも同意を与え続けてきたのである。その結果、多くの被爆者たちが、その急性死や急性障害を放射線のせいではないとされたり、ガンや白血病などの晩発的な影響についての評価を歪められてきたのである。
 なぜそのようなことがまかり通ってきたのか。それを明らかにするのもこの書の目的のひとつである。広島・長崎の原爆被害を調査した日本人の主立った研究者たちが、日本の侵略戦争に協力していたということが、そのことを証明してくれる。」
 〜中川保雄『放射線被曝の歴史』〜


「エンロンみたいなインチキ企業があれだけ関心を集めるのに、知的犯罪の実態は学術的にはほとんどわかっていない。なんでかって?いいデーターがないからだ。知的犯罪についてひとつ重要なのは、私たちの耳に入るのがインチキして“つかまった”ほんの一部の連中のことだけだという点である。横領を働く連中のほとんどは平穏無事に、また理論的には幸せに、生きている---従業員が会社の財産を盗んでもめったに捕まらない。
 一方、路上での犯罪では事情がまったく違う。強盗や窃盗や殺人は犯人が捕ま
っても捕まらなくても、普通は件数が集計されている。路上犯罪には犠牲者がいて、その犠牲者が警察に通報し、その警察がデータを作り、そのデータを使って犯罪学者や社会学者、そして経済学者がたくさん学術論文を書いている。でも、知的犯罪にははっきりした被害者がいないことが多い。エンロンの首謀者たちは厳密に言うと誰からお金を盗んだんだろう?」
 〜スティーブン=D=レヴィット&スティーブン=J=ダブナー『ヤバい経済学』〜



ドイツのテレビ番組から。日本語字幕入り。


ドイツZDF フクシマのうそ(Part1)

ドイツZDF フクシマのうそ(Part2)


原発事故に限らず、日本の国内で起きている重大問題、または看過できない社会的プロセス(感染症のように拡大しつつある非民主的過程など)を日本の報道を通じて知ることは、ほとんど不可能だ。
したがって、ドイツのテレビ番組を見ることになる。
ドイツの取材クルーが取材を通じて知りえた事実を整理し、番組を作りあげれば、そこにあるのは「うそ」だけだったという……。

嘘に嘘を重ね、虚構を土台に虚構を構築し、それでこれだけのことが可能になるという“現実”に、ある種の感慨のようなものを私は感じた。

ドイツのテレビクルーも感じたのではないだろうか。
非民主的プロセスの自覚、というものを、この期に及んでなお共有しきれない日本の社会共同体の現状を、ドイツの別のテレビ番組では、

「S I K A T A G A N A I (しかたがない)」

と揶揄していた。
日本の「仕方がない民主主義」は、国際語になるのだろうか。



--☆---


今週のアーサー・ビナードさん。

唐橋ユミ ソコダイジナトコ アーサー=ビナードその1

唐橋ユミ ソコダイジナトコ アーサー=ビナードその2

 

 

 

 



ガレキの広域処理問題の勉強会に行ってきた*(2012.3.22)

「「彼らは何を学習したいのだろう?」
「「成長と発展だけで、競争と破壊を含まない進化と変化の例が一つでも見つかれば〈証明〉の誤りが立証できるのだ」」
 〜グレッグ=ベア『ジャッジメント・エンジン』〜


「エンロンみたいなインチキ企業があれだけ関心を集めるのに、知的犯罪の実態は学術的にはほとんどわかっていない。なんでかって?いいデーターがないからだ。知的犯罪についてひとつ重要なのは、私たちの耳に入るのがインチキして“つかまった”ほんの一部の連中のことだけだという点である。横領を働く連中のほとんどは平穏無事に、また理論的には幸せに、生きている---従業員が会社の財産を盗んでもめったに捕まらない。
 一方、路上での犯罪では事情がまったく違う。強盗や窃盗や殺人は犯人が捕ま
っても捕まらなくても、普通は件数が集計されている。路上犯罪には犠牲者がいて、その犠牲者が警察に通報し、その警察がデータを作り、そのデータを使って犯罪学者や社会学者、そして経済学者がたくさん学術論文を書いている。でも、知的犯罪にははっきりした被害者がいないことが多い。エンロンの首謀者たちは厳密に言うと誰からお金を盗んだんだろう?」
 〜スティーブン=D=レヴィット&スティーブン=J=ダブナー『ヤバい経済学』〜



昨日、ガレキの広域処理問題の勉強会に行ってきた、そのつながりで。

2012年3月21日 京都大学原子炉実験所 小出裕章・たね蒔きジャーナル(音声動画)



大竹まことさんのお話 (3月16日)(音声動画)


私の意見は、瓦礫の広域処理には何の利点もない、というものだ。「放射性物質の拡散」もそうだし、経済的にも、被災地の復興という論点においても。
そんなことは基本的に自明だと思っていたが、周囲を見ていると少なくても「自明」ではないようなので、これから、勉強をします。


--☆---

ガレキの広域処理問題の勉強会でも話題に出ていた。

バンダジェフスキー氏医療関係者向け講演会 3月18日


>「既存の放射能汚染が86年の事故後で大幅に増強。ベラルーシはヨーロッパ諸国のどこよりも被害が大きかった。過去20年で死亡率は2倍に増加。90-99年の10年間で死亡率は、32.7%増加し、男性40.2%、女性24.3%の増加。」


>「ベラルーシでの死亡率と出生率は1992年を境に逆転し、人口は減少に転じた。ベラルーシでの最大の死因の心血管疾患52.7%。患者数は1991年→2004年で約12万人→約24万人に倍増。」


>「大人にみられる白内障が子供に発症。これを発表して圧力を受けた。知事は黙れと言ったが、健康を守るために闘うことが医師の使命だ(と彼は熱弁を振るっていた)。日本にあれほど熱意のある医師がどれだけいるのだろう?」


>「体内にどれだけ蓄積しているか客観的に知らずして何ができるというんですか?(またしても熱い!)」


>「ウクライナのイワンコフ地区(チェルノブイリから約50km)では、公式発表でも子どもの30%が先天性異常。発達異常29%、神経系異常19%、内分泌系異常16%。」


>「ベラルーシの議会でプレゼンの際、「腎臓のことは話すな」と言われた。しかし、それは国中に進行していることであり、話さないと大きな影響に目をつぶることになると思い、話した(そして逮捕された?)。」


>「奇形児は、本来健康で生まれる権利と可能性を持っているにもかかわらず生まれてきた。日本ではそれは避けてほしい。悲劇です。」


>「(汚染されていない)きれいな食品を食べることが必要。ペクチンは意味がない。できるだけ食事からの蓄積を防ぐ。一番難しいけど一番大事(何度も言っていた)。」


「ベラルーシでの死亡率と出生率は1992年を境に逆転し、人口は減少に転じた。」

ええ〜!!!
普通に空気を吸って飯を食っている場合じゃない。

 

 

 



『ぽぽんぷぐにゃんラジオ』に出演*(2012.3.19)

「民主的形態を打ち固める方法は唯一です。それは表現の自由の貨幣の権力からの解放です。情報の複数性がそれ自身を資本化するための手段を代表的に表現することなど、あってはならないことなのです」
  〜トニ=ネグリ『チュニジアの友への手紙』〜


「それでいちおうの説明がつく。われわれ人民は、その病気について無知だったため、その病気の患者である人びとへ、それとは知らずに、何度も何度も権力をあずけたのだ。
 だが、いまになって彼らをあざけるのはやめよう。それは。梅毒や、天然痘や、ハンゼン病や、イチゴ腫や、チフス熱や、そのほか、肉体を侵すもろもろの病気にかかった人たちをあざけってはならないのとおなじである。われわれがなすべきなのは、彼らを権力の座から隔離することだと思う。
 それからどうなるか?
 西欧文明がしらふにもどる、長く苦しい道のりがはじまるだろう」
 〜カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』〜



個人ネットラジオ放送『ぽぽんぷぐにゃんラジオ』をみなさんは知っているか?
自分の身のまわりで目にすることができる事象への批判的な視点が、やがて、その外側の世界にむけて大きく拡大していくプロセスというものを、一市民が、ゆる〜い調子で、あくまでも自分の言葉で語る、というおもむきのネットラジオ放送。
私はずっと愛聴しております。
その個人ネットラジオ放送『ぽぽんぷぐにゃんラジオ』に、溝江玲子が出演しました。

「小出裕章 原発と憲法9条」スペシャル:ゲスト溝江玲子さん。(2012.03.18)


電話取材の玲子の声が小さいですが、辛抱してお聞きください。
本のプレゼント企画もあるよ。

--☆---

 

ノリつながりで。
『経産省前 脱原発アルゴリズムデモ行進(4回目)』


 

 

 



リスベット=サランデルその後の戦い*(2012.3.16)

「インドネシアの女性は、生理中に2日間無給の休暇を取ることができるという成文化された権利を持っている。工場ではトイレをする機会が限られている上、大半の女性は、衛生用品や鎮痛剤を買う金を持っていないからである。しかしこのような休暇を取ると、工場で制裁を受ける恐れがあるため、こうした権利を要求する者などほとんどいない。」
 〜クラウス=ベルナー/ハンス=バイス『世界ブランド企業黒書』〜


「もう少しで現実になったかもしれないこと、なるべきだったことにこそ、真実は宿るものである。私の人生の半分は改訂作業に明け暮れる。そのまた半分以上は小さい変更にかまけている。作家であるということは、見えるものへの細心の観察力と、見逃した真実へのやはり細心の想像力が、ごり押しにでも合体していることである。そうなったら、あとはもう頑固一徹に言葉を鍛えるしかない」
 〜ジョン=アーヴィング『ピギー・スニードを救う話』〜



作者スティーグ=ラーソンの経歴に興味を持ったことから、世界的ベストセラー『ミレニアム』の第一部『ドラゴン・タトゥーの女』を読んだ、という話は、以前に日記に書いた。
「私の許容範囲から少しだけ逸脱する形で漫画的に過ぎる」という欠点を感じはするけれども、「女性への暴力への怒り」、それから、「主人公・リスベット=サランデルのキャラクターの魅力で読ませるといったミステリー」として第一部を読んだ上で、それへの共感を私は表明した。
第一部を読んで感じたのは、主人公リスベット=サランデルの「爆発的な才気」、「直感力」、「妥協をしらない意志の強さ」への作者からの肯定、賞賛だ。
「なにごとも“ほどの良さ”の範囲で」というような妥協的な価値観など検討するまでもなく拒絶する、そうした女性の、戦闘的なまでにくっきりと確立された自我を、肯定的に描かれる価値があるものとして作者は考え、読者の私は、読むべき価値があるものとして、共感した。
一方で、ミステリーとしての凡庸さや、漫画的な展開といったものへの残念な気持ち、意外なほど紋切り型の登場人物の言動(とくに政治的な面で)、というものを、第一部を読んだ時点で、感じもした。
しかしそもそも、作者の経歴に興味を持ったという経緯から第一部を読んだのだから、第二部、第三部もとうぜん読んでおこうか、ということになり、『ミレニアム2 火と戯れる女』、『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』を続けて読んだ。
続けて読んだ『ミレニアム』第二部、第三部は、

続きが気になって、本を読み終わるまで眠ることができない、だから一晩眠らずに本を読んでしまった、という体験に結実した。

本を読むという作業は、私にとっては、実はかなりの苦労をともなうものだったりするのだけれど、じゅうぶん以上に報われた読書体験だったわけだ。
読むことへの快感の深さや、感銘の強さゆえに眠れない、というよりも、とにかく続きが気になって仕方がない、というおもしろさだ。
つまりは、おもしろかった、第一部よりも第二部、第二部よりも第三部が、さらにおもしろかった、と、そういうことなのだけれど、これは、ちょっと奇妙な読書体験でもあった。
私の個人的な読書体験の範囲内では、第一部というものがもっともスリリングで、完成度が高く、読みごたえがある作品で、話数を重ねるに従って、読みごたえは下降線をたどる(その下降線の角度はまちまちだが)、という経緯をたどることになっているからだ。

この作品は、第三部の構想がまず最初にあったのではないか?

全三部作を読み終わったいま、私はそんなふうに感じる。
もちろん、第三部のプロットができて、そのつぎに……、というように、順序だったものだっというわけではなくて、同時進行的にアイデアが少しずつ形になっていったのだろうし、執筆の順番も刊行番号順であったろうけれど。
ともかく、あまりにもくっきりとした「自分」であるがゆえに、実にやっかいで危険な人である主人公リスベット=サランデルが、第一部、第二部、第三部と話数が進むにつれて、さらに真実の自分を発見する、そうした物語をぜひとも書きたい、と作者が考えていたのは間違いないだろう。
一方で、第三部のアイデアがまず真っ先にあったのではないか。
ぜんぶで10部作となる構想だった『ミレニアム』は、作者の急死によって、第三部にて執筆は途絶した。
したがって、全構想の内容は誰にもわからない。
私の感想は、刊行されている三部作を読んだ上での感想に過ぎない。
というわけで、この未完のシリーズの、三分の一弱を読んだ範囲のことではある。
このあたりは勝手な印象、を勝手に言ってみた、ということだ。
とにかく、リスベット=サランデルは、三部作を通じて、彼女の個人的自由のために戦っている。
しかし、彼女にふさわしい自由とは、どのような自由なのか。
「個人としての彼女にふさわしい自由」とは、実は、公的な議論と無関係ではいられない。そして---驚くべきことだが---自由の価値は、階級闘争の歴史やその結果としての文化水準というものと固く結びついて存在する。
この三部作が意味するところを、勝手な印象論を省いて要約すると、こういうことになる。
現代の市場システムを理念的に支えている「法的個人主義」の基盤のかたすみで、主人公リスベット=サランデルは、かなりの資産を所有している。
この資産が、彼女の自由を保証している。
しかし、こうした「法的個人主義」を作者がインチキとみなしているのは、第一部ですでにあきらかであり、第四部以降、真の自分らしさというものをリスベットがどのように発見し、発展させていくのか。
死んでしまった作者に、聞けるものなら聞いてみたい気がする。

 

 

 

 



歌う小出先生*(2012.3.13)

「エンロンみたいなインチキ企業があれだけ関心を集めるのに、知的犯罪の実態は学術的にはほとんどわかっていない。なんでかって?いいデーターがないからだ。知的犯罪についてひとつ重要なのは、私たちの耳に入るのがインチキして“つかまった”ほんの一部の連中のことだけだという点である。横領を働く連中のほとんどは平穏無事に、また理論的には幸せに、生きている---従業員が会社の財産を盗んでもめったに捕まらない。
 一方、路上での犯罪では事情がまったく違う。強盗や窃盗や殺人は犯人が捕ま
っても捕まらなくても、普通は件数が集計されている。路上犯罪には犠牲者がいて、その犠牲者が警察に通報し、その警察がデータを作り、そのデータを使って犯罪学者や社会学者、そして経済学者がたくさん学術論文を書いている。でも、知的犯罪にははっきりした被害者がいないことが多い。エンロンの首謀者たちは厳密に言うと誰からお金を盗んだんだろう?」
 〜スティーブン=D=レヴィット&スティーブン=J=ダブナー『ヤバい経済学』〜


「さらに彼は、会社での地位が高い人のほうが低い人より支払いをごまかすことが多いと考えるようになった。そう思うようになったのは、フロア三つ---一番上が役員フロア、下二つが営業、サービス、管理に携わる従業員のフロア---にわかれた会社に何年も配達を続けてからのことだった(役員たちの特権意識がいきすぎてそうういことになったのかもとフェルドマンは考えている。彼が考えていないのは、そもそもそういう連中はインチキ“したからこそ”役員になれたのかもってことだ」
 〜スティーブン=D=レヴィット&スティーブン=J=ダブナー『ヤバい経済学』〜



『ばいばい原発 3月10日、きょうと』での小出先生。
小出先生が歌います。
ほろりと涙も流します。




--☆---

今週の愛川欽也。
愛川欽也さんの言葉がすばらしい。
「少なくても人道的ではありたい」ただそれだけのことが、利害が絡むゆえにできない、という立ち位置から彼が無縁だからだろう。

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120218その1

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120218その2

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120218その3

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120218その4

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120218その5

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120218その6

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120218その7

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120218その8

 

 

 

 

 



BBCが報道したメルトダウン*(2012.3.9)

『「これはどう?現実?」
「きみにゃわからんのだ。今まではなにもかもが妄想……幻覚……全部そんなたぐいのものだったんだ。おれは自分を再調整しなくては……再編成しなくては……新しい方向を見つけなくては……手遅れになる前に……手遅れに……」
 〜アルフレッド=ベスター『分解された男』〜


「女が英語にきりかえる。「あの男わかってなきゃいけないわよ。じぶんの花のことなんだから」彼女はわたしが理解できるただひとつの言語でそういうのだが、それに対する答はかえってはこない。どうせはじめからなにがどうあれ、何も変わらないのだから。
 わたしはつぎのように記すために生まれてきた、つまり---わたしはこの人たちを知らないし、花もわたしのものではない、と」
  〜リチャード=ブローティガン『芝生の復讐』〜



地震、津波、人為的ミス、きっかけはなんでもありうるが、なんらかの事故により原子力発電所がコントロール不能になるとする。
原発がコントロール不能になるということは、そのなかに閉じこめられている放射能のコントロールを失うことをとうぜん意味する。
コントロールを失えば、原子炉は勝手に暴走をはじめる。その性質上、他の経緯はありえない。
勝手に、自然に、暴走していた原子炉が停止しました、などということはありえない。
かならず、破局に向かって暴走する。
放射能を無効化する手段など、地球人類は持ち合わせていない。放射能が自然界に漏れ出したが最後、地球人類は、根本的な手だてはすっかり失ってしまう。
そして放射能は---放射能と一口にいってもさまざまだが---、人類の存亡という観点から見て、他に比較するものがないと言えるほどに危険な「毒」だ。
したがって、原発事故の帰結として考えうる「破局」の規模は、原子炉の暴走のプロセスが突き進むに従って、限定的な地域の破局のリスクから、国家的破局、全人類、地球生命史的危機レベルへと、みるみるうちに増大していく。
生命に対する放射能の深刻な危険性、という前提すら日本政府は国民に伏せようとするけれども、伏せようが隠そうが小さく見せようが、放射能、とくに人工放射能は、笑ってしまうほどに危険なものだ。
原子力発電所のコントロールを失うことは、人類の存亡に関わる問題となる。
人類史に終止符を打つ、その引き金は原発事故が引く、という予測は、人類が原発事故によって実際に滅びるまでは、単なる予測だけれども、いまその破滅の過程が始まっても、なんら不思議ではない。きわめて現実的な危機だ。


では、福島第一原発事故とは、実際のところは、どのような事故だったのか。
『上を向いてアンコウ(仮)』さんから。

【必見!拡散希望!】英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」日本語字幕版作成しました


※字幕を見るには、画面右下の「CC」というボタンをクリックするのだそうです。

「メルトダウンの内側」日本語字幕付き』その1

「メルトダウンの内側」日本語字幕付き』その2

「メルトダウンの内側」日本語字幕付き』その3

「メルトダウンの内側」日本語字幕付き』その4



「実際に現場で撮影された緊迫した映像。作業に携わった人たちの生の証言。BBCの作り方に気に入らないところは正直いくつかありますが、この映像と証言を見るだけでも価値があると思います。それと、わたしのように震災当初すっかり混乱して何がなんだかわからなくなっていた方にとっては、何がどういう順番でどう起きたのかを改めて確認するのに適しています。」

と『上を向いてアンコウ(仮)』さんはおっしゃっている。
いやそれにしても、字幕製作、ご苦労様です。
原発事故に限らないことだけれども、海外の報道に触れないと、日本で何が起きているか、本当のことがわからない、という状態がずっと続いている。
とくに、

国民の不利益に関する問題は、ほとんどなにもわからない。

国民の健康、生活、安全などが危機に直面しているとして、それらに関する重要な情報が恣意的に伏せられ、場合によってはねじ曲げられている、という状態が日常化している。

日本の内側で生活している人間には、日本で起きていること、起きようとしていることがさっぱりわからない、

だから、BBC放送の字幕版を見るのだ。
BBC放送が真実の放送をしている、というのではないけれど、日本で流れる情報の、そのニュアンスの格差、というものは、少なくてもはっきりと感じることができるはずだ。
……。




 

 



『ドラゴン・タトゥーの女』を読んだ*(2012.3.4)

「事件の核心は結局のところ、スパイとか国の秘密組織とかじゃなくて、よくある女性への暴行と、それを可能にする男どもなんだ」
 〜スティーグ=ラーソン 『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』〜


「人類が築き上げてきた文明の度合いとその豊かさの程度は、最も弱い立場にある人たちをどのように遇してきたかによって判断されると私は思う。ここで扱う問題に則して言えば、放射線をあびせられたヒバクシャの被害や、将来の時代を担う赤ん坊や子どもたちへの放射線の影響をどのように考えてきたかで測られると思う。その子どもたちの安全を守るという場合、放射線の人体への影響という科学的な判断とともに、安全をどのように考えるかという社会的な判断が絡むことになる。その判断は、情報と社会的な権力を握る人たちが、自分たちに都合のよいように行ってきた。その結果、原子力産業と原発を推進する人びとは、子どもたちを放射線の被害から守るという問題においてすら、経済的な利益を市場とする原理や、人の生命すら貨幣価値に換算する仕組みを作り上げたのである」
  〜中川保雄『放射線被曝の歴史』〜



「記録的な売り上げを誇った」「賞という賞をそうなめにした」という触れ込みの小説を読んで失望をしなかったためしがない、という経験則を無視して、「読む必要はないだろう」という判断をくだしてそれっきりになっていた『ドラゴン・タトゥーの女』というスウェーデンのミステリー小説を読んだ。
『ドラゴン・タトゥーの女』は『ミレニアム』という三部作の第一作目にあたる小説で、三部作合計、6000万部以上が全世界で売れているのだそうだ。
売れている本というものを売れているからという理由で読むということをしない……まあ、しないわけでもなくて。きっとがっかりするだろうな、と思って読んで本当にがっかりし、「どうしてこの本が日本で、または世界でこれほどまでに評判をとったのか」というその現象について興味深く考察する、という楽しみに走るということはときおりある。
それもある種、刺激的な読書体験と言えなくもないが、まあ、今回はパスさせていただこうと思っていたのだ。
ところが、この小説が映画化され、さらにはハリウッドでも映画化され(ハリウッドのこういう、後出しのくせに本家ぶるところはどうにかならないかと思う)そのハリウッド映画版のオープニングで、私が好きな『移民の歌』という曲が使われているという、どうでもいいようなところで関心が芽生え、インターネットをうろちょろするうちに、この小説が、

「女性への暴力をテーマ」

にしているといううわさにたどりついた。

「女性への共感力」というものを前提とした「辛い女性の物語」というものに目がない私は、ここでがぜん、強い興味を抱かされることになったのだった。

女性への暴力がテーマになっているからといって、そこに「強い共感力」または、「適切な洞察」があるかどうかはわからないのだが、興味は持った。
作品のなかの「女性への暴力」が、どのような扱われ方をしているのか、を知るためには作品自体を読むしかないのだろうが、読む前にもう少しある程度のことをたしかめておきたい。辛い側の女性への誠実さに欠けたり、誠実ではあるけれども問題意識が政治的にとんちんかん、というような小説を読むのは最悪の読書経験になるからだ。
そうしてさらにインターネットの情報をさぐっていくと、『すぐいじける女の子のブログ』さんのこのエントリーにいきついた。

ミレニアム3部作 (2)スティグ・ラーソンという作家

すぐいじける女の子さんによると、スティグ=ラーソンは小説作家ではなくジャーナリストで
1「スウェーデン社会党の活動家」、
2「人種差別や民族主義などのファシズムと正面から向かったため、一生、右翼やファシストから脅迫を受けてきた」、
3「彼が亡くなったあとの莫大な印税は事実婚関係だった彼女のエヴァには支払われず、彼とは絶縁関係だったという父と兄が受け取ることになり、この件を巡ってはまだ裁判が続いている。ラーソンは小説の中で女性が受ける不当な暴力を告発しており、エヴァを守るために結婚しないという道を選んだのに、事実婚関係は法的に認めてもらえないという現状はアイロニーそのものだ。」
ということが紹介されていた。

さっそく読ませていただきます。


第一部を読み終わっての感想は、「ミステリー小説としてはかなり平凡だな」というものだ。
それでなぜ、六千万部の売り上げを誇ることになったのか。
それは、この小説は、純粋な意味でミステリーとして読まれているわけではない、ということだろう。
まずはそのことを、実際の作品を通じて私は確認することができた。
ミステリーとしての出来栄えとは別の理由で人々に読まれているミステリー小説、またはサスペンス小説、というものを私は読んだ。
ではミリオンセラーとなっている理由は、どこにあるのか。
ふたつあると思う。
まずは、登場人物「ドラゴンタトゥーの女」、リスベット=サランデルのキャラクターの造形に負うところがかなり大きいはずだ。
実際のところ、人物像としてはかなり漫画的で、陳腐さにおちいるぎりぎりのところでふんばっている、というような気もしないでもない。であるが、漫画的な意味であるにしても、強烈に魅力的な人物像であるのは確かだ。
個人的には、主人公リスベットが、もうひとりの主人公ミカエル(男性)に恋などしないなら、フィクションのなかの彼女はちょっと近寄りがたいまでの、強力な魅力が生まれるのではないか、と思ってもいる。ただ、私は女性崇拝主義者であり、さらなる魅力云々という意見はかなり特異なものなのかもしれない。
ともかく、主人公リスベットは、

女性であることで理不尽極まりない暴力を受けざるをえない立場にあり、しかしその暴力に対して徹底的にあらがう意志を持ち、またその力も持つ者だ。

この小説の女性読者たちがリスベットにどこまで共感し、またはカタルシスを感じるのかは私には不明だけれども、この小説を読んだなら、彼女の人物像になんらかの意見を持たずにはおれないはずだ。
この小説が世界中で読まれている理由のもうひとつは、この作品がかなりあからさまに表明している社会を眺める視座、政治的姿勢が、大多数の市民に好意的に受け止められ、さらに好意的に受け止めるぞ、という読者側の姿勢だ。
政治、経済に対する作者の社会的立ち位置というものがかなり明確になっている小説があり、そうした立ち位置に市民が首を縦に振る、という現象として、六千万部という数字がある。
なんにせよ、

個人的には、もっと踏み込んだ、挑発的なものが好みだが、

あとは、女性の方々がこの本をどう読むのか、それを知りたいとは思う。

『The Girl With the Dragon Tattoo』予告編。






 

 



愛川欽也、小出裕章、ブレヒト*(2012.2.29)

「日本あるいは私たち一人ひとりの日本人が、「不忘階級苦」の思想で許されるためには、私たちがまず排外主義的な思想を捨て去ることが最低限の条件である」
 〜小出裕章『放射能汚染の現実を超えて』〜


「〈アーサー〉 「こうやりたい」と思ったとき、気をつけて熟考しないとマズイです。なにしろ支配階級とマスコミはそこらにも目をつけているんですから。何をしたいかというのを、向こうから巧みに差し出されるA、B、Cがあってこの中から選びなさいと。できあがった無難な選択肢から選ばせようとします」
 〜小森陽一×アーサー・ビナード『泥沼はどこだ』〜


「あのころ焼き殺された人びとの大半は黒人でした。私の幼いころに比べて、この国に起きたもっともいちじるしい変化は、人種差別の衰退です。ただ、断っておきますが、それは扇動者の手であっさりぶりかえしかねません。とにかく、現在の我々は、自分や自分の身内に似ているかどうかではなく、人間をその中味で判断することが上手になりました(略)
このりっぱな変化を我々の態度にもたらしたのはだれか? それは抑圧され、侮辱されていた少数民族の人びとです」
 〜カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』〜



『愛川欽也パックイン・ジャーナル』に、テレビ嫌いの小出裕章先生が出演。
番組打ち切りの報を聞いて、出演を決めたという噂だ。
後藤さんに対しては、話をさえぎってまで自分の持論を語りまくるコメンテーターたちも、緊張して、なかなか口が挟めない。
小出先生も緊張しているらしかったけれども。
特段、新しい話はありはしないが、小出先生がテレビスタジオに足を運んだ、ということがちょっとしたトピックなので、小出先生が出演した部分の動画をご紹介しておこう。

原発問題のすべてを小出さんに聞くその1


原発問題のすべてを小出さんに聞くその2


この『愛川欽也パックイン・ジャーナル』は、日本のテレビ報道番組のなかでは、おそらくいちばん観る価値のある番組だろう。
だからこそ、小出先生は出演を決めたはずだ。

ところが、今回、小出先生の出演時間が終わったあとが問題だった。
露見することになる、コメンテーターの物知らず、または、中途半端な認識不足、さらには、なさけない腰のひけっぷりはなんなんだろうか。

ノーカット版。

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120225その1

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120225その2

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120225その3

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120225その4

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120225その5

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120225その6

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120225その7

愛川欽也 パックイン・ジャーナル 20120225その8

私は猛烈に頭にきてしまった。
理由。
その1。
「原発」と「消費税」には優先順位があり、どちらかを選ばなければなならないという前提を視聴者に押しつける早川さん(原発も、この国が運用する消費税も、問題の底流にあるのは差別であり、あれが駄目ならこれも駄目、という問題だ)。
その2。
「南京虐殺なかった論」の名古屋市長を擁護する“反原発”知識人マエキタさん(南京市に名古屋の企業が進出させるために歴史学の積み重ねをねじ曲げろというのか)。

その3。
自分が橋下を持ち上げていたことをすっかり消去して話をする今井一さん(選挙の前にそれを言えや)。

この国の惨状の、これは典型例ではなかろうか。この番組に出ているコメンテーターには恐らく悪意はないだろう。それがよけいにやっかいだ。

「脱原発のためには、AではなくBを選択しなければならない」と知識人が提示するその選択肢の圧倒的視野の狭さ、科学的&学問的いかがわしさというものに、彼ら自身が無自覚

なのだと、私はとりあえず“善意”で解釈しておこう。
しかし、善意ならゆるされるのか?
激しく右傾化した世界を憂いながら知識人は言う。
「私は中道に位置している」


愛川さんは番組の中でベルトルト=ブレヒトの話をしていた。
ブレヒトの代表作のひとつ第三帝国の恐怖と悲惨について番組内で触れていたのだ。
私たちは、ブレヒトの演劇の世界のなかを生きている。







 

 

 



日本沈没*(2012.2.25)


「無茶な考え方は昔からあって、だいたいは無茶な行動にたどり着く。こんな昔話もあるくらいだ。むかしむかし、あるところに王様がいました。あるとき王様は、国中で疫病が一番よく起きる地方にはお医者さんも一番たくさんいると聞きました。王様はどうしたかって? すぐさま医者をみんな撃ち殺せとお触れを出しましたとさ」
 〜スティーブン=D=レヴィット&スティーブン=J=ダブナー『ヤバい経済学』〜


「社会生活を理解することは、大部分は、社会現象の持つ意味と理由を発見しようという試みである。王になるのは、神の子どもたちか、あるいは際だって成功した犯罪者の子孫なのか? ビジネス界やエンターテイメント業界のトップの座に君臨する上流界の人間は、そのライフスタイルに匹敵するほどの美徳があったおかげでトップに登り詰めたのだろうか? 貧しい人々は、怠け者の酔っ払いなのか、役に立たない人間なのか、あるいは自分ではどうすることもできない社会環境の犠牲者としてみなされるべきなのだろうか? 都心部というのは、どんな希望も持たない人間が集まってくるところなのだろうか、あるいは、現代社会の恩恵に与れない者たちを捨てるゴミ捨場なのだろうか?」
 〜ニルス=クリスティ『人が人を裁くとき』〜 



ワタミに入社してわずか二ヶ月の社員が自殺をしたことがようやく労災認定された。
『村野瀬玲奈の秘書課広報室』さんから
労災死亡者を出した企業経営者の責任を裁判で問うべきではないかと思った。 (ワタミ社員の自殺の件)

月に140時間も残業させることが、社員「教育」、社会「教育」であると開き直って、それを社会が認める。
認めるどころか、賞賛の声が上がる。
ワタミの渡邊美樹社長のような実業家が、その不法性もさることながら、彼、もしくは彼の運営する会社があまりにも冷酷で、残酷で、血も涙もないがゆえに、

「有能」な実業家という枠を超えて「教育者」、「社会的指導者」としての資質が社会から認められる

というこの国の構造が、私にはさっぱりわからない。
自ら望んで奴隷となるような人間を我々の社会の仕組みは欲している。
しかし、自ら望んで奴隷になる人間というものは、社会が必要とするほどには供給されないので、

自ら望んで奴隷となるような人間を力づくで育成する才能を持つ教育者

をこの社会は欲する。
そうした教育者の一人が、このワタミの社長だったりするわけだ。
「あきらめるな」「がんばれ」「ネバーギブアップ!」「やればできる」教育、教育。
落後者が出ようが、死人が出ようが、ひるまず、妥協せず、「社会教育」を断固としてやり遂げる。
そうした冷酷さを社会に示すことのできる者だけが、人の上に立つことができると、少なくともこの国では信じられている。
社会的惨劇としか言いようがない。


--☆---

私が『小出裕章 原発と憲法9条』のなかで小出先生に質問させていただいた(質問というよりも心情を吐露した)ある疑問、危惧が、もっともおぞましい形で現実の主張となった。

【県民の健康調査】日本、人類への貢献
(2月1日 福島民報)


「いずれどうせまた世界のどこかで起こるであろう放射能被害に備えて、健康被害の有無を含めた情報を蓄積しておくことは、人類への貢献なのだ」(引用おわり)

つまり、日本全市民が「明るい未来」の礎となれ、というわけだ。
我々にとっての「明るい未来」とは「体制護持」とイコールであり、全市民の健康とひきかえにしてもかまわないものなのだ。



 


 



怒っている後藤さん*(2012.2.22)


「二十世紀は、ほかのいくつかの世紀に比べて、あまり名言に恵まれていません。それは、人間のおかれた状況について、はじめて信頼できる情報をつかんだ時代であったからでしょう。この世界にはどれぐらいの数の人間がいるか、人間はどれぐらいの食料を育てたり集めたりすることができるか、人間はどれぐらいのスピードでふえているか、なにが人間を病気にするのか、大部分の生き物が依存している大気や水や表土に人間はどれほどの損害を与えているか、自然はどれほど暴威をふるい、無情になれるのか、などなど。それほどの凶報がつぎつぎに流れ込むなかで、だれに知ったかぶりできます?」
 〜カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』〜


「道徳は世の中がどうあってほしいかを表すと言えるだろう。一方、経済学は世の中が実際にはどうなのかを表している」
 〜スティーブン=D=レヴィット&スティーブン=J=ダブナー『ヤバい経済学』〜



原子炉格納容器の元設計者の後藤政志さんが今日も怒っている。
これは何度も書いてきたけれども、私は、怒っている後藤さんのお姿のなかに、いかがわしさのないすっきりとした合理性や社会倫理、社会を見つめるまなざしの健全さというものを見る。
これは弊社刊『小出裕章 原発と憲法9条』で少し書いておいたことでもあるけれど、小出先生や後藤さんが発信する情報の科学、技術の客観的正しさ、考え方の由緒正しさ、というものは当然重要なのだとして、それ以外の、

彼らの熱くなりっぷり、怒りっぷり

を、私はなにかとても重要なもののように捉えている。

後藤政志さんが語るストレステストの問題点

実際のところ、後藤さんはもっと怒っていい。



原発輸出と外為法 後藤政志氏

これほどの事故を起こしながら、原発を海外に輸出するとか言う国。
狂っているだけにあきたらず、よその国にめいわくをかけるなと。





 

 



*原子力戦隊スイシンジャー予告編集*(2012.2.17)



「その結果、原子力産業と原発を推進する人びとは、子どもたちを放射線の被害から守るという問題においてすら、 経済的な利益を至上とする原理や、人の生命すら貨幣価値に換算する仕組みを作り上げたのである」
  〜中川保雄『放射線被曝の歴史』〜


「政府の腐敗ぶりや無能さ加減を知るのはつらいことだ。では、知らない方がよかったのだろうか? われわれがそれを知らずにいれば、いったい誰が得をするのだろう?」
  〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』〜


「あなたがたはみんな、ひねくれたニヒリストのようなふりをしてるけど、実はとっても道徳人の高い人たちで、あなたがたのモラルだけがこの雑誌を支えてる。しかもそのモラルがかなり特別なものであることは何度も実感させてもらったわ」
 〜スティーグ=ラーソン『 ミレニアム2 火と戯れる女』〜




『絶対原子力戦隊スイシンジャー』うそんこDVD特典映像『次回予告集』がYouTubeにアップされた。
お腹を抱えて笑いましょう。

『スイシンジャー 次回予告集』


せっかくだから、これまでの傑作動画も再度、ご紹介しておこう。

絶対原子力戦隊スイシンジャー(オープニング)


スイシンジャー 次回予告


怪人の唄(エンディング)


政治を風刺するなら、ここまで腰を入れて演出しなければいけないということか。
勉強をさせていただいた次第。




 

 



*ドラゴン・タトゥーの動物農場*(2012.2.14)



『宇宙だ』ダニエルはしあわせな気分で考えた。『もうすぐわたしは、自分自身の宇宙を手に入れるだろう。
 だが、そこでは労働者が必要になる。戦いのときの味方も、ふだんの仲間も。わたしひとりですべてはできない。だれかにせっせと働いてもらう必要があるぞ』」
 〜グレッグ=イーガン『クリスタルの夜』〜


「社会がより自由で多様になるとともに、服従を促す作業はますます複雑になり、そして教化のメカニズムが解体することで、ますますその手腕が問われるようになった。学術的な関心はさておこう。自由社会の場合には、自分たちのことについて語り合い、学んだことに従って決定できるのだから、より偉大な人間的優位性がある。そうであるからこそ、〈社会において〉支配的な文化は、常に人間の関心を形式的に扱うよう務め、自分以外の人間をののしるように仕向けるのである」
  〜『チョムスキーの「アナキズム論」』〜


「それは非常に悪いことだ、われわれは兄弟なのだから戦うべきではないと言ったのだが、士官はそれに答えて、そんなことは問題ではない、アメリカ人は同じ母親から生まれた者を相手にまわしても戦うのだと言った」
 〜『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』〜



レッド=ツェペリンの『移民の歌』という曲があって、大阪市長選で橋下が勝利を収めてからというもの、頭の中で、ずっとこの曲が流れている。

『移民の歌 日本語歌詞つき』



♪我々はおまえたちの支配者であるぞ〜♪

だもんな。
(TT; )( ;TT) オロオロ
アアアーアー!という阿鼻叫喚のフレーズが、風呂の栓を抜いたようにすべてを巻き込む大崩壊の予感と重なって、あの日以来、私の中ではこの名曲が、

「橋下トオルと大阪市民の歌」

となってしまったのだ。

そういえばこの曲は、世界的ベストセラーの映画化『ドラゴン・タトゥーの女』(ハリウッド版)でも流れているという。
私は辛い女性の物語というものをどうしても無視できない人間で、そういう意味で、この映画には興味がある。
ただいっぽうで、女性や子どもが痛い目にあう、という映像がまったく耐えられないという人間でもあるし、監督のデビッド=フィンチャーは好きじゃないから、どうかな、と思ってる。

『The Girl With Dragon Tattoo Titles (Official)』



ありゃま、悪い、こっちも「橋下トオルと大阪市民の歌」に聞えるよ!

橋下改革の犠牲になるのは社会的弱者だ。
こんな綺麗なイメージ映像ではすまないぞ。
人間はこれほどまでの辛さに耐え得るのか、というほどの途方もない辛さが、社会的弱者、

とりわけ女性と子どもたちを襲うのだ。

それはもう、すでにはじまっている。