*サムライタレント知事ジャパン*(2009.3.31)
「現実には、かれらが容赦ない民衆搾取の蔓延を正当化すると、ただちに民主主義は否定され、もっと悪意に満ちた暴力が、契約という形式を通じて圧倒的多数の人々を蹂躙する」
〜『チョムスキーの「アナキズム論」』〜
「さてここからは、みなさんが見てはいけないことになっていたニュース」
〜グレッグ=パラスト『金で買えるアメリカ民主主義』〜
金権政治でぐだぐだな自民党にも民主党にも投票したくない、とくればどうするか。最終的にはタレント議員に投票するわしらサムライジャパン。
すげえな、この国は。
私、あきれかえっているので、これ以上はもう何も言いません。
『非国民通信』さんから、
『支持率の低下と、支持者の質の低下』!
===================
ちなみに対抗馬と目された民主と愉快な仲間達推薦の吉田平氏はどう見てもカルト教団の幹部で、その教義は「森田健作の主張−猛々しさ」という感じです。よくわからない宗教団体よりは多少なりとも内実の知れた公明党系の候補の方がマシかと思いきや、その人は橋下に応援メッセージをもらって浮かれているような有様、また一方は例によって「ホワイトカラーの正規職員」限定の公務員給与と「職種問わず、パートタイム含む」民間企業従業員の給与を並べては公務員の給与削減を訴えるばかりの自民党県議ですから、もう救いようがありません。
===================
もう救いようがありません〜!!っと。
千葉県に誕生した新しいタレント知事がだるまに目を入れているころ、世界はこんなあんばいに。
かたや。
無残な会社大国日本の現状は……気持ちが鬱いで死にたくなるといけないので、楽しいアニメでご確認下さい。テレビ、陰謀、ミドリ亀。
(^_^;)
さらに続き。
(^_^;) (^_^;) (^_^;) プロレタリア独裁ならぬ、秘密結社独裁……。
*人類が見えなくなる*(2009.3.29)
「アメリカの主張するところでは、「公共財」は存在しえない。市場だけが、分配、価格、食料、住居、学校建設、医薬品等々の決定を下す。20億以上の人間が極端な貧困状態にあるって? この状態を除去できるのは経済成長のほかにはなく、これは、貿易と市場を最大限に自由化することによってのみ達成される。それまでは貧しい者たちが自助努力するだろう(!)」
〜ジャン=ジグレール『私物化される世界』 〜
「ぼくは今さらながら疑問を抱いた。彼女たちはみな、逃亡奴隷なのだろうか? 全員がここに来ることを希望したのだろうか?」
〜アーシュラ=K=ル=グウィン『パワー』 〜
「われわれにはひとつの義務があると思う---われわれを生みだした種族に対して、また、われわれがいまから生みだせるかもしれない子どもたちに対して。つまり、最後まであきらめずに努力を続ける義務だ。
諸君の大部分にとっては、生きつづけること、正気をたもちつづけること、それだけでいい。それでさえ、人間がこれまでに企てた中で最も困難な仕事だということは、わたしにもよくわかる」
〜ポール=アンダースン『タウ・ゼロ』〜
私はどのような社会に属しているか。
そんな小さな問いひとつだって、なまやさしい事じゃない。というか、
核心に迫る
そう考えようとしただけで、恐ろしくてクラクラくる。
(^_^;)
しかし、座して死を待つわけにもいかない……。
結局のところ、これは、ロシア文学のようにきまじめな……私とあなたの生存をかけた問いなのだ。
びゅー、ばったん。強風に突然ドアが閉まって人類が見えなくなる。まだ生きてもしないうちから!
ワタシの人生。その要約。
ワタシたちの暮し。その要約。
おまけ。
『過ぎ去ろうとしない過去』さんから、『もうダメだ』
*またヘンな知事候補が*(2009.3.27)
「必要なだけの宗教的な指導者が現れるより前に、私たちは敬虔であらねばならない。しかし、私たちにとっては、敬虔さでさえ自己増長の一種なのだ」
〜『闇からの光芒』マフマルバフ、半生を語る〜
「民衆には、感動を誘う極めて単純な物語を投げ与えておけばよい」
〜ラインホルト=ニーバー (´д`; )〜
「自由は責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる」
〜バーナード=ショウ『革命主義者のための格言』〜
体調が悪いので、しばらくペースを落とそうとは思っているのだが、簡単にひと言だけ。
タレント知事はもういいかげんやめたほうがいいよ。
『dj19』さんのところから、
『森田健作先生のマニフェストがひどい』
「ジェンダーフリー(性差否定)教育や過激な性教育を見直し、男女の生まれ持った違いや良さを尊重し、家族や家庭を大切にする明るく元気で生き生きとした子どもたちを育てます」
ひどいなんてもんじゃないな、こりゃあ。
「心」だの「モラル」だの言う人に限って、モラルのかけらもない発言を平気で吐き散らすのはどういうことなのだろう? たぶん、モラルの定義が私とは百万光年かけ離れているんだろうな。
さあ、最後に、「正論原理主義」という言葉の用法について。
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私自身は「正論」への侮蔑が蔓延していることをこの社会の問題点の一つだと考えていたので、「正論原理主義」なる語を(否定的な意味あいで)村上春樹が用いたと知った時には感じ悪いな〜と思ったものです。
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いや、まったく!
正論主義と正義振りかざし主義とは天と地ほども違うんだと。
その後の議論の行方を読ませていただいて、私、つくづく思ったんだけど、なにゆえに人間は、自ら進んで我先に奴隷に志願するんですかね。
へ理屈と陰謀論をこき混ぜて、自由からの逃走。
今日は考えるところあって、ショスタコーヴィッチの交響曲を聴きながら寝ますわ。
ひどい夢見そう。 (^_^;)
*鞭打たれるWeb2.0のうめき*(2009.3.25)
「ざっくりと基本的なことを言えば、金持ちや権力者が社会の機軸をコントロールし、何を生産し、消費するのかを、そしてどの役立たずどもを自分たちの対象者から振り落とすかを決定するため、かれらが満足しないかぎり誰もが苦しめられる」
〜『チョムスキーの「アナキズム論」』〜
「私たちは、私たちの自由以外になにも持っておりません。あなたがたにさしあげられるものとしてはあなたがたご自身の自由以外になにもありません。私たちには、人と人との間の相互扶助というただひとつの原理がある以外、なにも法律がありません」
〜アーシュラ=K=ル=グウィン『所有せざる人々』〜
「地デジ」や「Web2.0」や「デジタル書籍」を含む、およそありとあらゆる「デジタル革命」を私は、頑強に否定してきた。
極論かもしれないが、「相互扶助」の精神が注意深く削除された技術革新は、それがどのようなものであったとしても無価値……なだけでなく、人が人を鞭打つ道具に成り果ててしまいかねない。
例えばデジタル書籍は---これまた何度も語ってきたが---、私たちから読書を取り上げてしまうだろう。
同じように、「地デジ」は私たちからテレビを観るという行為を奪うだろうし、「Web2.0」にいたっては、内実というものをまったく持たない、消費文化に対する単なる景気づけでしかない。
「Web2.0」、
かってない便利な日常が、レガシーフリーの向こう側に、デジタル共同体の網の目の中に、どこまでも広がっているという。
いわゆる業界なりメーカーなりが、私たち人間を「ユーザー」と規定しなおしたうえで、その「ユーザー」の読書するという行為をコントロールする。そのコントロールの内部において、なんでも可能だ。この商品を買えば、あなたはここまで許される。コピーは1回こっきりまで。バージョンアップするかしないかはあなたの自由。だが、
新型製品を購入しないと読書は続けられなくなりますよ、そう、地デジのようにね。
そのような、業界なり市場なりの都合で「ユーザー」をコントロールする技術を、私たちは「技術の革命」だとありがたがっているにすぎない。そして、革命どころか、新たな疎外構造を生み出していく。
(^_^;)
私の周囲は、誰も本気にしないか、大袈裟だと一蹴するが……。
『V=サーフ氏が語るインターネットその課題と未来』から『ビット腐敗問題への対処』
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「想像してみてほしい。今は西暦3000年で、Google検索を実行したところ『PowerPoint
97』ファイルを発掘したとしよう。あなたが今使用しているのは『Windows 3000』だ。問題は、Windows
3000がこのPowerPointファイルを解釈する方法を知っているかどうかだ。答えはおそらくノーだろう」(Cerf氏)
Cerf氏によれば、この情報を維持保存するためには、アプリケーションソフトウェアやOSはおろか、アプリケーションが認識できるようにハードウェアのエミュレーションまで保存する方法を見つけ出す必要があるという
===================
「OSはおろか、アプリケーションが認識できるようにハードウェアのエミュレーションまで保存する方法を見つけ出す必要がある」というのはかなり深刻な問題提起のようだが、技術的には可能だろう。だが、そんなことをすれば、
資本主義の社会システムが砂のように瓦解しちゃう!
したがって、この種の「ユーザー」の権利は、“思想的に”統制されなければならない。
例えば、あなたは文無しで、友達といえば、パトラッシュという名の老犬だけかもしれない。そんなあなただが、それでもルーベンスの絵が見たい。どうしたらいい?
デジタルでコピーすればいい! クリックひとつでコピーし、光ファイバー経由で即座に共有可能だ!
あー、だけどダメだ! この世界じゃあ、これは違法コピーという犯罪なんだ!
私たちはデジタル革命がもたらす(だろう)恩恵を、絶えず形式的に扱わなくてならない! 「共有」などという思想はご法度だ!
いわゆる「Google」革命なんて、怖気が走る。
インターネットに接続されたすべての人々の金玉(女性の場合→自粛)を握ったうえで、こう宣言するつもりなのだ。
「めんどうなことはすべてGoogleにお任せを。みなさんは、創造の友愛の改革の前進の発展の名声の冨の成功の勝利の快楽の自由の空想を思う存分消費して下さい。ご予算に応じて!」
しかし、その奇蹟は、社会を崩壊させてしまう……。
おまけ。
↓
外崎則夫氏のサイト『N.TONOSAKI's
Personal Station』の大人気コラム
『がんばれ!!ゲイツくん』最新号から。
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いわゆる脳とWindowsを直結する脳内コンピュータの話で、噂には出ていたのですがMSのCRSOから直接話があったのは始めてじゃないかと思います。
しかしこれ、Windowsがフリーズしたら死ぬということはないんでしょうかね
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(^_^;) 無残。
*TV残虐ガイド*(2009.3.22)
「殺人が靴のひもを結ぶように日常的な行動だとわれわれに信じ込ませるのに、だれがヨゼフ・ゲッペルスを必要とするだろう? 独立経営で、巨大な視聴者をつかまらなければ生き残れないテレビ産業があれば充分だ。
わたしはあの説教壇からこういうべきだった。われわれは地獄へ落ちようとしているのではない。すでに地獄にいる。そうなった元凶は、ほかの道ではなく、この道をとれとわれわれに教えるテクノロジーのせいだ。テレビだけではない」
〜カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』〜
「遊び人の中では、特に銀行が非常に多額の賭をしている。きわめて小口の相場師も数多くいる。アドバイスを売っている予想屋も、騙されやすい一般投資家をねらうセールスマンもいる。この世界的な金融カジノの元締めが大銀行と大ブローカーである。彼らは、いわば、「会社のために」プレーしている。しかし、長期的には、最もよい生活をするのは彼らである」
〜スーザン=ストレンジ『カジノ資本主義』〜
注目すべき人々との出会い。
ハワード=ジン『戦争と社会正義』動画。
☆☆☆☆☆
d(-_-)
『暗いニュースリンク』さんから「アメリカ史上もっとも従業員(※幹部社員限定)を大切にする企業AIGについてのご報告」だ。
オバマも地金が出てきたな。
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公的支援を受けて経営破綻を免れている保険大手AIGが、今月に入ってから幹部社員に1億6,500万ドル(約161億7,092万円)をボーナスとして支払っていた件で、全米に怒りの声が拡がっている。
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↓↓↓
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一方で、バラク・オバマ率いるホワイトハウスは自らの失敗隠しに奔走しているらしい。
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しかし、これらは全てオバマ政権が批判の矛先を逸らすために施す「演出」にすぎない。実のところ、公的支援を受け取る企業に対して、強化されるはずだったボーナス制限事項をコッソリ“規制緩和”したのは、ホワイトハウスの面々であった。
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( ̄_ ̄|||)
♪おっ、おっ、オザワも大爆笑♪
世界情勢も金融市場の動向も、好景気も不景気もいっさい関係がなく、自由市場の恩恵は一部の「業界」の懐に収まるような仕掛けになっているつーわけ! 見返り期待し、今日も親切! 明日もかわらず大繁盛!
イヤッホウ!
♪回してちょうだい天下り♪
♪ゆず〜り受けたり、贈ったり♪
おまけ。
ご存知のとおり、私はテレビ陰謀論者であるが、その私をして、いわゆる「9.11陰謀論」はガセ、ナンセンスだと思っている。。
論理的に考えて、そんなリスクばかり大きい(ばれたら一巻の終わりにしては、あまりにも大掛かりすぎる)陰謀を実行に移す必要が、アメリカ政府にはなかったからだ。
真剣に、真面目な話として、アメリカ国内に向けては、
すでにテレビがあるんだもん、ビルにこそっと爆弾しかける必要なんかないだろ。
だが、あの事件は、徹底的に利用された。
その利用の仕方について。
「感動」「癒し」「娯楽」が、私たちをどこに連れていくかについて。
*それは非常に悪いことだ*(2009.3.19)
「わたしはこう考えずにいられなくなった。悲しいことに、戦争の準備がおもしろくて病みつきになった人びとが、われわれのなかにいる、と。戦争が近づいた、その準備をなくしてはならないといいふらすと、この人たちはほんのしばらくだがいい気分になれる」
〜カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』〜
「それは非常に悪いことだ、われわれは兄弟なのだから戦うべきではないと言ったのだが、士官はそれに答えて、そんなことは問題ではない、アメリカ人は同じ母親から生まれた者を相手にまわしても戦うのだと言った」
〜『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』〜
『花・髪切と思考の浮游空間』さんのところから、自民党と民主党の“西松建設の違法献金問題を理詰めで追及できない現実”のお話。
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つい先日まで企業献金のどこが悪いと強弁していたのに、一転、その禁止を言い出したのは、劇的な変化を導いた契機が存在し、それが国民に理解されないといけないだろう。
秘書の拘留期限が迫るなかでの、小沢にそういわしめたのは何か。
政権交代をめざす同党にとって、全面禁止を形式上、打ち出すことによってのみしか、自民党とのちがいを印象づける手法が他に見出せないという理由以外に見当たらない.
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企業献金と政治腐敗の相関関係とその本質は、実際のところ拍子抜けするくらい単純で、修正も今すぐ可能なのだが、だからこそ、けっしてその全容をあきらかにすることはないだろう。
つまり、本当の支配者は誰なのか、という問題。私たちには選択する権利“以外の”どのような権利もすでに奪い去られている問題。公的財産を勝者が“独占する自由”以外のどのような自由も認められない社会システムの問題。そもそも勝者と敗者を決めるゲームがいかさまであるという問題。数百万人にのぼる敗者の存在によって維持され、機能していく経済システムの問題。
これらの問題にはいっさい手を触れないままに、誰かが何かを利用する、機会をとらえて方向づける、政治的に操作する、つまり人間の心に毒を吹き込みながら、私たちの「改革」は進行する。
まるで、
たちの悪い冗談のような世界
のただ中で、生き残りをかけた日常を、「これが現実なのだ」と互いに言い聞かせながら、「幸福」という戦利品を信じて生きていく。
私たちの「改革」とは何か?
めざすべき「よりよい明日」とはどのような明日か?
……いわゆる先進諸国のお歴々に食い物にされ続けたあげく、とうとう海賊以外の就職先が存在しなくなってしまったソマリアで、わが平和自衛隊が、
海賊どもと銃撃戦を繰り広げることさ!
だが、
ソマリアってどこだっけ?
しかし、どれだけ殺しても逮捕しても海賊を根絶することはおそらく不可能だ。彼らは、海賊をやる以外に生きていくすべがないのだから。がっちりと武装された自衛隊との戦闘というリスクを犯し続ける以外に道はない。
そんなありさまだからこそ、今回の自衛隊派遣は、「国家の本気度」が試される。試されるのは、どんな悲惨な事態になっても、けっしてくじけず最後までやり遂げるという国民の決意、だ。
日本の内側も外側も掛け値なしの非常事態だ、と、私たちは私たちに向かって言う。
この大いなる危機のさなかで、「よりよい明日」などというものは、どこかへふっとんでしまう。
明日は---果たされるべき約束は---今日のこの危機を乗り越え時代に勝利して、そのあとにやってくるのだから!
ねじふせろ、乗り越えろ、たえろ、ふんばれ、君にならできる、起こったことはすべて正しい、欲しがりません勝つまでは、旦暮受くる国の恩、見ろ見ろ時代の少国民を、月月火水木金金!
人間が人間を所有するために、膨大なイメージ言葉が消費され、ふわふわとただよっては、かたっぱしから消えていく。バンドラの箱の中から最後に出てくる言葉は、
「いたしかたない」だ。
こうして、歴史は繰り返す。……歴史を繰り返すとはどういうことか。
この堪え難いまでの苦痛が、実は無限地獄で、世界が終わるその日まで私たちを焼き続けるということだ。
……さらにここが肝心なところだが、この地獄は、人間が人間のために用意したという事実だ。
まったく信じられない冗談だと思わないか? だが、現実に人間は、悪意の塊としか言い様のない、
ウインドウズOSと、この無限地獄を作り出しだのだ……。
つらい、苦しい。これが生きるということなのか?
アニメ『リボルバー』
「いたしかたない」の国の、すべてが「いたしかたない」に帰結する風景。
*ユニコーンの凱旋*(2009.3.17)
「想像できますか、アメリカで最も信頼されている人間に、アメリカ人でありながら、猫がくわえてきたなにかのように扱われるところが!」
〜カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』 〜
「人の笑い声を聞くと腹が立ちました。何がそんなに嬉しいのよと腹を立てながら、大粒の涙がぼろぼろ出てきて本当に困りました」
〜雨宮処凛『生きさせろ!』〜
「ローズウォーター財団です。なにかお力になれることは?」
〜カート=ヴォネガット
『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』 〜
鬼畜ブログ(苦笑)『郊外のカナリアもさっき死にました』さんの言う『愛国ノイローゼ』のただ中で、「世論」の残虐さに濡れ鼠になって過ごすユニコーンの日常。
カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』から……。
「わたしを哀れんでくれるな。もし、クラウン・ビル共同墓地にあるわたしのささやかな墓石におそまきの墓碑銘を掘りつけたいのなら、こう書いてくれ---【ユニコーンになれただけでじゅうぶん】」
ユニコーンになれただけでじゅうぶん!
短編アニメ『idiots and angels』クリップ。
ユニコーンになれただけでじゅうぶん!
ユニコーンたちよ。グッドラック!
↓
猫、アニメ、マンガ、本が好きで、SF、クラシック音楽が好きで、しかし病気で職を失い、極貧生活を余儀なくされ、
「僕は生活が苦しくて、このまま自民党政治が続くと社会保障が受けられず、死んでしまう可能性がかなりある為、政権交代が起きるかどうかは死活問題です」
という状態にある『ねこねこブログ』さんの、それでも二大政党論になびかない
SF者としての悲壮な決意。
『ニコニコ動画とニコニコ大百科(仮)について。日本共産党は初音ミクをサイエンスの女神として応援しています。』
なんという誠実さ。彼のような誠実な人間が、幸福にならないまでも(←(;^-^) )、生きていけないというのは、間違っている。
自己責任なんか、しるかっ!
そして、
誠実さの部分をのぞけば、私もまったくひとごとではない!
アニメが好きだというねこねこさんのために、いくつかの短編アニメを。
短編アニメ『Rain Down From Above』
ユニコーンになれただけでじゅうぶん……。
だが、しかし。
短編アニメ『When the Day Breaks』
ユニコーンになれただけでじゅうぶん……。
だが、しかし。
短編アニメ『L'homme sans ombre』
だが、しかし。
*チーム☆ブランドの栄光*(2009.3.14)
「広告業界の重鎮、サム・I・ヒル、ジャンク・マクグレイス、サンディープ・デイヤルの3人は、雑誌に書いたエッセイ「砂をブランド化するには」で、企業は正しいマーケティング計画さえあれば、売り物の中味は気にしなくてもよいと説いている。「膨大な調査の結果、砂だけでなく、小麦、牛肉、レンガ、金属、コンクリート、化学薬品、コーン粉末など、いままではブランド化することなど考えもしなかったものでも、ブランド化できることがわかった」
〜ナオミ=クライン『ブランドなんかいらない』〜
「メーカーや小売業者は、伝統ある場所や、人々に愛されているイベントを求め、ブランドに意味を吹き込むために利用しようとする。彼らは一見、純粋にその対象を称賛しているようでもあり、また資金もじゅうぶんに出す。しかし、つねに拡大する性質を持つブランドは、多くの場合、そのイベントに勝とうとして、イベントそのものを私たちから奪ってしまう。そして、私たちは大好きだったものに疎外感をおぼえるだけでなく、スポンサーがほしがっていた「親しみ」の感覚を失ってしまう」
〜ナオミ=クライン『ブランドなんかいらない』〜
ぎゃあああ!
山田太一氏の連続ドラマ『ありふれた奇蹟』を録画し忘れた〜!!
(;д;)
短編『Guide Dog』クリップ。今日の番犬。車と「大切なもの」
そんなふうに、泣き叫んでいる間のできごと。
『スタジオジブリ・トヨタ本社に新スタジオ建設』
というニュースが流れてきた(毎日新聞)。
……? 車の会社の中に、アニメスタジオ?
一瞬、何のことだかわからなかったが、
「自動車とアニメという異業種の交流に、両社とも「ものづくりへの刺激になれば」と期待を寄せている」
のだそうだ。
ああ、私は、また何かを失うのか。
選択の余地はまったくない、それはわかっているのだが。
ブランドを着飾った影を追いかける日々が始まるのかと思うと、かなり憂鬱。
………………ん?
まったく共通性のない車作りとアニメ作りを結びつける魔法の言葉、
「物作りへの刺激」!
「素晴らしいじゃないですか」とあなた、おっしゃる?
なら、よし!
私、これ以上は言いません!
企業は“ブランド・イメージ”を通して、その存在意義を世間に示すことができる、というわけでしょ。
そりゃそうだ!
意外性があって、戦略的で、実にけっこうだと思います。
( ̄个 ̄)
……あっちょんぶりけ。「物作りへの刺激」なんて、おそらく本人たちも信じていないだろうに。
どうしていつもこうなってしまうのか。
学習。
*クロスオーバー*(2009.3.12)
「私がもはや歌えなくなったなら そのとき私はもう一度眠り込む いったい春つーのは 私にとって何の役にたつのかぁぁぁ」
〜マーラー『大地の歌』 〜
「起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し 覚めよ我が同胞 暁は来ぬ 暴虐の鎖断つ日 旗は血に燃えてドンドコドーン!」
〜『インターナショナル』〜
「規律ある者ではなく、ただ抑えつけられた意気地なし。そして、からきし真実がない。ひとり残らず嘘つきだ、魂の髄まで嘘つきだ」
〜バーナード=ショウ『人と超人』〜
ジョナサン=アミティ監督の『Oh Me!』(←私の人生を鏡に映したよう!)という短編アニメにおいて、
マーラーの『大地の歌』と『インターナショナル』がクロスオーバー
するという、もー涙ちょちょ切れな演出についてひと言書いたのだが、いや〜。
『インターナショナル』、知らんひと、いっぱいいるのね。
(^_^;)
つーことで、『インターナショナル』の各国語メドレーをどうぞ。
これが何の歌かというと、まあ、あれだ、
左翼の軍歌みたいなもんかな!
(^_^;)
こういうこと言うから、右手からも左手からもボコボコにされるんだよな、わし。
私が火だるまのリリーフ投手なら、世界はスイッチヒッターみたいなもんだよ。
(;^-^ゞ
まあ、個人的には、『インターナショナル』も『君が代』もどっちもいらねえと思ってる。赤旗も日の丸もどっちもいらねえと思ってる。
国歌も国旗も政府も国家も廃止!
たぶん、わし、共産主義と無政府主義のはざまのどこかに立っている人間なんだろうな、思想的には。
人間的には、超保守派だけど。つーか、おっかなびっくり引き篭もり派?
(^_^;)
ついでに、クレンペラーの指揮でマーラーの『大地の歌』もどうぞ。
作曲家のマーラーが、
「この曲を聴いた人が人生に絶望して、自殺したらどうしよう」
と心配したという伝説がある、陰気な交響曲です。歌詞は、中国の詩人・李太白、孟浩然、王維ら作品のドイツ語訳らしい。
つーか、絵本を販売するサイトで、社会主義だ無政府主義だと告白する精神的露出狂ぶり! ナイーブすぎるわ。
ナイーブついでに、もういっちょう。
映画『レッズ』から、インターナショナル。
社会主義の理想に燃えて、しかし、その理想の何ひとつ実現しないままに内部から腐敗してゆく革命の、「赤い官僚の恐怖政治」を描いた、アメリカ映画としてはかなりの出来栄えです。
*知識の哄笑*(2009.3.9)
「「ただ質問するのでなく、まずそれを考えてみなければいけません。でないと、しまいには、自分が信用できなくなって、ほかの人に考えてもらわなければならなくなります」
「わあ……そんなのいやだ」」
〜ジェイムズ=P=ホーガン『断絶への航海』〜
「もはや、戦後ではない。……戦前だ」
〜ケラリーノ=サンドロヴィッチ『東京のSF』 〜
「知識人は権力の中枢に接近するか、さもなければ、少なくとも意思決定の構造に完全に取り込まれる。こうしたことは先に述べたような反革命への服従現象によってある程度裏付けられる。すなわち、権力に接近するにつれ、社会の不公正に目が届かなくなり、現状があまり欠陥のないものに思えるようになり、そして秩序維持が並外れて重要なことになる」
〜『チョムスキーの「アナキズム論」』〜
ぶはっ!ヒィ〜!おかしい〜! ヒィ〜!ヒィ〜!笑い死する〜! ヒィ〜!
わっはっは!神さま助けて〜!いひっひ!
ここ日本における、
最新の「知的成果」のご報告
だよ。こりゃおかしい、どひゃひゃ!
尊皇派で、護憲派で、キリスト教徒で、排外主義者で、格差社会を憂いつつ人種差別を公言する“ソフト・ファシスト”のサトウさんが
『蟹工船』やマルクスを語ったあげく、しかもこれが、右派メディアのみならず、左派メディアも上を下への持ち上げようときたもんだ!
こらこら( ^∇^)σ)゜ー゜)ぐい
↓↓↓
『このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している』
(^_^;)
『佐藤優現象について(1):「この現象は変だ」という感覚の重要性』
ウシャシャシャ! おかしい〜! ヒィ〜!ヒィ〜!
あー。しんど。
(ρ∇;)笑いすぎで涙が出てきた!
思想的無節操さは日本という国の一大特徴
だけど、わしら、場合によっては、「無節操さ」と「中立」が同じものだと信じていたりするしな。……信じているというか、
都合よく使い分けてるんだけどな。
(^_^;)
いや〜、ひとしきり笑って、その後、いきどおったわ。
「顧客のニーズに応える」とか「市場の動向に敏感になる」などと国を挙げてはしゃいでいるあいだに、気がついたら井戸端会議から新聞社説まで、「みせかけ」と「へつらい」と「わかりやすさ」のごった煮みたいなものしか出てこなくなってしまったんだな、この国では。
テレビ的におぜん立てされて、私たちの前に差し出される無残3点セット。
「みせかけ」……。
「へつらい」……。
「わかりやすさ」……。
最後のトドメに、「ぜんぶ無自覚」、「あざとさに無頓着」、「知識人に無警戒」ときたもんだ。それをわしらは、流行と呼ぶ。どひゃひゃ。
(^_^;)
審美眼と批判精神はコインの裏表なんだなあ、と、遠い空を見上げ、ひとり感慨にふける。
ワシもひとのことはぜんぜん言えんが、自分の意見というものがないから--それを支える美的基準がないから---、権威にものっそ弱くなる。
やれ「コイズミ劇場」だ、やれ「美しい日本の伝統の復古」だ、やれ「『おくりびと』」だ。
わかりやす〜くて、あざとくて、挑発的なまでに受け手の私たちをアホ扱いしている、感動と癒しの劇場空間。
……「てめえ何様だ、あまりにも傲慢だ」と言うなら、言うてください。
ほんっとうの話、もっと芸術作品に触れたほうがいいよ、わしらは。
わしらの言う「現実」以上の虚構はない。それに比べて、芸術は実用的だよ。
少なくとも、洞察と倫理の面でな。
=============
彼らは意識を持つようにならない限り決して反逆しないであろうし、また、反逆した後でなければ意識は持てないのである。
=============
↑
ジョージ=オーウェルの言葉が胸におちてくる、そんな日々だ。
*出し惜しみをするひと*(2009.3.7)
「人生のドラマというものはいつも重さというメタファーで表現できる。われわれはある人間が重荷を負わされたという。その人間はその重荷に耐えられるか、それとも耐えられずにその下敷きになるか、それと争い、負けるか勝つかする。しかしいったい何がサビナに起こったのであろうか?」
〜ミラン=クンデラ『存在の耐えられない軽さ』〜
「善人になる? そうさ、なりたくないやつなんかいるかね?
だけど残念ながらこの星じゃ資産は少ないし人間は残酷だ。
穏やかに和やかに暮らしたくないやつがいるかよ?
だがこの世の仕組みがそうさせてくれないだろ?」
〜ブレヒト『三文オペラ』〜
ジョナサン=アミティ『Oh Me!』抜粋
まるで私の人生を外側から見せつけられているような気分になる短編アニメ。
このアニメのラストは、陰々滅々としたマーラーの『大地の歌』と『インターナショナル』がクロスオーバーするという、すさまじい展開になります。うわあ……。
☆☆☆
先日、うちの母の出版記念会に出席して下さった恩師(詳しくは弊社発行『ドウガネブイブイ』をお読み下さい)に
「あなたは、こんな小さなころから、能力の出し惜しみをするひと」
と明るい声で言われて、はっとなった。
……当たってる。 (;^_^ A
私は私なりに、
自分を守るのに精一杯なのだが
それを別の角度から眺めれば、それは、「出し惜しみ」と見えるのかもしれない。
(;^-^ゞ
謙遜でも卑屈になっているのでもなんでもなく、私は決定的に「意欲が欠落」している人間だ。
サボテンなみに植物的。全身にたっぷりと養分を蓄えているのは、出し惜しみをしているのではなくて、砂漠の真ん中でただじっと、次の雨を待つためだ。
意欲を内側から沸き立たせようとはするのだ。意欲的にふるまおうともする。でも無理だ。もうだめだ。これ以上は耐えられない。
ともかく、まずは体を休めなくてはならない。ひとりっきりにもなるべきだ。
出し惜しみも何もない。
ひとりになって、机の上のコーヒーを眺めている私、窓の外の雨を見つめている私、子どもの頃から能力を出し惜しみする私。
そんな私とは、いったい誰なのか。
結局、誰でもない私、何でもない私、でしかありえないのだろう。そういう「何でもない私」を、可能なかぎりせいいっぱい肯定的に受けとめた結果、恩師は「いつも出し惜しみをしているあなた」という像を私に見たのではないか。
いや、わかんないですけど。
(;^-^ゞ
申し訳ない、私が私であることが、私自身にも恩師に対しても、申し訳なく思う。
(;-_-ゞ
ガブラーにガビッシュされてしまう。
だから、このような宣言に出会うと、ちょっとほっとしたりもするのだ。
↓あるニートの宣言。
『ニートは自治労働もしません』
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まもろうとすればするほど、いやなしごとがふえていきます。そんなのはごめんです。
20世紀のニートは言いました。革命がじぶんをまもれないとしたら、なんのいみもないだろうと。
なんと偉大なことばでしょう。そうです。それを目指しましょう。
もしぜんぶがパーになってしまったら、またニート宣言をすればいいのです。なにもうしなうものはありません。
ただひたすら、ダラダラしましょう。
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おまけ。
マイケル=ムーアのぼんくら『大爆発』
*探求の逸脱*(2009.3.4)
「本当の暴露行為とは、ものごとを説明するのに既存のものとは別のモデルがあるのではないかとさがすことから行われるものであって、ニヒリズムを行使することではない。別のモデルとは合理性そのものであり、道徳的な品位とかたく結びついている」
〜マイケル=シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』〜
「人々が判断の道具を持つことを学ばずに、希望を追うことだけを学んだとき、政治的な操作の種が蒔かれたことになる」
〜スティーブン=J=グールド 〜
「世の中には地位を崇拝する人間もいるし、英雄を崇拝する人間もいる。
また、権力を崇拝する人間もいるし、神を崇拝する人間もいる。
そしてこうした架空のものをめぐって、彼らは議論をたたかわせている。
しかし彼らの誰もが一様に崇拝しているのは---金だ」
〜マーク=トウェイン〜
西松建設“裏金”献金事件に関連して、民主党代表☆オザワ氏の公設秘書が逮捕されたと聞いて、がらにもなくテレビニュースをハシゴしてみたのだが、民主党筋からの話として、各テレビ報道番組から「国策捜査」「民主党代表失脚をねらった罠」うんぬんという、いわゆる
「国家謀略説」
が飛び出すのにはちょっと驚いた(3月4日朝現在)。
今回の逮捕劇は、民主党をはめるための、政府からの陰謀だというのだ。
あっちのチャンネル、こっちの番組でも陰謀論が紹介された。
アチャー。
(^_^;)
テレビ陰謀論者の私が言うのもなんだけれど、いつのまにかアメリカ人並に陰謀論が大好きになりましたよねえ日本人。
(^_^;)
……まあ、なんつーか、「隠された真実を突き止めたい」という気持ちはよくわかるんだ。
「目に見えない重要な真実を掴みたい」と。
だけど、「反対意見」と「正当性」は別のものなのだということ、自分がいま何を“信じたがっているのか”を懐疑する心、そういう自己正当化を許さない厳しい批判精神が決定的に欠けているから、「隠された真実」に辿り着くはずが、
陰謀詐欺
に引っ掛かるようなハメにおちいってしまう。
(;^_^ A
……。
私個人としては、「自民党☆野党部」の民主党代表秘書がお金にまつわる問題で逮捕されても何も驚かないが、その絶妙すぎるタイミングというのは確かにあるだろう、と思う。
しかし、どっちにしても些細な問題だ。
ことの本質、それは、『花・髪切と思考の浮遊空間』さんの言う通り、
「こうした(政治と)金にまつわる話題にことかかない一人が小沢一郎」
という事実。オザワ氏の、政治家としての日々の振る舞い、ではないだろうか?
以下、抜粋。
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カネと政治の問題が公にされるとき、しばしば小沢の名前があがるのは、政治というものがすなわち税金の分配とそのとり方に深くかかわっているにもかかわらず、それにたいする頓着がなく、したがってそこにゆがみをかける外からの圧力に小沢がまったく無頓着であることを示している。
それは、ある意味で従来の保守政治家、つまり自民党議員に通底するものを小沢が引き継いでいることを意味していると思う。
すなわち小沢が根っからの保守政治家であるにもかかわらず、それを党首として崇めなけばならないところに、非自民を強調する一方で、その枠組みから抜け出しえない宿命を引きずっているところに、民主党あるいは小沢の限界を正直、私は感じる。
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まあ、ハトヤマさん(民主党の幹事長!)までが、「陰謀があるという感じはある」なんつってるらしいから。
ンだよ、感じって。
(^_^;)
「陰謀がある感じ」のたったひとことによって、立ち位置を被害者であるかのように装えてしまえるというその事実に、日本という国のモラルの低下をひしひしと感じてしまう今日この頃。
真実と、そうでないもの。
P=K=ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
真実というやつは、刻一刻と変質するからな。
だから、危険なんだ。
おまけ。
「合衆国司令官」から「ホワイトハウス相談員」に転職した米国・オバマ大統領の怪しい動向。
『暗いニュースリンク』さんから、
『反戦派がオバマ政権のイラク撤退(?)計画に反発』
コイズミ劇場のアメリカ版にならなければいいが……。
いや、もうなってるよ!
ニ大政党制の欺瞞。
*山田太一インタビュー抜粋*(2009.3.2)
「私が物を書く出発点は常に不正を告発したいという党派的感情にある。机に座って一冊の本を書こうとする時、私は「これから芸術作品を創ろう」とは考えない。暴露したい嘘があるから、読者に注意を促したい事実があるから書くのであって、最大の関心は耳を貸してもらうことにある。が、一冊の本はおろか長めの雑誌記事を書く場合でさえ、それが同時に審美的体験でなければ私には書けないだろう」
〜ジョージ=オーウェル〜
「「癒し系」という言葉はいつごろ誕生したのだろう? この言葉自体が世界の、或いは人類の絶望的状況の深刻さを逆説する」
〜宮下誠『カラヤンがクラシックを殺した』 〜
「1940年代の前半、わたしたち子どもたちはサイエンス・フィクションを読んだものだ---(略)たいていわたしたちが待ち受けてきたのは、三流の雑誌だった。わたしたちは、三流の作品が好きだったからだ。『はじめに鳥ありき』で始まる話をわたしは覚えている。わたしたちは本当にその鳥を探したものだった」
〜アーシュラ=K=ル=グウィン『夜の言葉』〜
「何かを好きになる訓練をしなくちゃいけない」
「細かな魅力がわかるようにならなければいけない」
『早春スケッチブック』
本当に久しぶりに、☆脚本を学ぶ人のクリエイティブマガジン『ドラマ』三月号☆という雑誌を購入してみた。
御大・山田太一センセのインタビュー記事が載っていたからだ。
期待して購入したわけだが、期待以上に素晴らしい脚本論、ドラマ論、テレビ論になっていた。
以下抜粋。
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はっきり言えば、マンガふうな造りっていうのかな、わかりのいい演技。曖昧さ、主軸を停滞させる余分な描写の排除。(略)
必要なことはなんでも説明してしまう。表情は分かりやすく、悲しいときは悲しそうにやる。そういうなかで、僕のドラマは、(視聴者にとって)非常に奇妙なドラマを見る気がするんじゃないかな
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アメリカで自殺する人も3万人だそうです。人口比からしたら、日本のほうが断然多いわけですね。そういう人たちを書けないかな、という思いがありました。但し、貧困であるとか病気であるとか、そういうことで死ぬというのはわりあい分かりがいい。その上、誰もが納得しやすい切実さに満ちているから、ドラマにすると、貧困や病気の話を書くみたいになってしまう。(略)
他ならないその人だからこその理由がある。
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私のような作品で次へ引くというのをあまりに露骨にすると、見てる人を馬鹿にしているような感じになるでしょう。
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いや、もう、おっしゃるとおりで。
(;^_^ A
『闇の子どもたち』や『おくりびと』は、素材としては本当に素晴らしいと思う。しかし、観ていて、段々腹が立ってくるのだ。観客をまるで
赤ん坊をあやすように扱うそのやり方
に。
どうしても挑発されているように感じてしまう。
観客を、映画ひとつまともに解釈もできないアホであるかのように扱うこと、テレビドラマを単なる気晴らしとしか考えていない人間であるかのように扱うことが、本当に、「ニーズに応える」なんですか、と。
つーか、こんなものばっかり観ているから、コイズミ劇場などという内容のないイメージ言葉ひとつで簡単に踊る人間ができあがってしまうんじゃないかと、私は、“マ☆ジ”でそう仮説を立てている。
猛烈な危機感だ。
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悲しいときは悲しい顔して、驚いたときには驚いた顔してくれというから、マンガに似てきちゃう。マンガを脚色しているからマンガに近づくのかもしれないけど。それは中間表情をじゅうぶん表現できる役者さんを、とりこぼしてしまう。(略)
無駄だけで成り立つドラマがあっていい。それこそが無駄じゃないと、と僕は思うけれどね。出会って、誰か反対するやつがいたり、恋敵がいたりして、最後に結婚しました、という話のほうが無駄だと(!)
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10年後(1987年)の岸辺のアルバム
おまけ。
町山智浩氏が語る、アカデミー賞の内実。
ポッドキャストでお楽しみ下さい。
こういう事情で、あの映画がアカデミー賞外国映画賞をとりました。
*女子高生は動物農場を乗り越える*(2009.2.28)
「男は争いあうのが生きがいでしょうけど、私たちは戦場の一部なのよ」
〜ジェイムズ=ティプトリー=ジュニア『男達の知らない女』 〜
「異なるのは性かもしれない、年収かもしれない。話し方、着こなし、物腰、肌の色や、頭や脚の数かもしれない。つまり、性のエイリアンがあり、社会の、文化のエイリアンがあり、その究極に種族としてのエイリアンがくるわけです。
SFにおいて、社会的エイリアンはどう扱われているでしょうか。マルクス主義用語で言うところの“プロレタリアート”なる人々。彼らはどこにいるのでしょう」
〜アーシュラ=K=ル=グウィン『アメリカSFと他者』〜
「あのころ焼き殺された人びとの大半は黒人でした。私の幼いころに比べて、この国に起きたもっともいちじるしい変化は、人種差別の衰退です。ただ、断っておきますが、それは扇動者の手であっさりぶりかえしかねません。とにかく、現在の我々は、自分や自分の身内に似ているかどうかではなく、人間をその中味で判断することが上手になりました(略)
このりっぱな変化を我々の態度にもたらしたのはだれか? それは抑圧され、侮辱されていた少数民族の人びとです」
〜カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』〜
「束縛がゆるんでも、それを被る者がゆるんだとは感じないのであれば、自由が与えられたとは呼べない。そのことだけははっきりしている。しかし---どんなに生まれつきなおざりにされていようとも、どんなに貶められた状況にあろうとも---圧迫を与えるすべての抑圧はこの世の誰の真実でもないのである。人の心に自由の感情が呼び起こされるのにあわせて、束縛をひとつひとつゆるめていこうではないか」
〜ヴィルヘルム=フォン=フンボルト 〜
『性暴力被害を賠償請求起訴していた女性自衛官が任用継続拒否』
というニュースにうんざりしていたら……。
『女子高生のスカートの長さをめぐり、新潟県で本格的な指導が始まる』
どひぇ〜!!! キモー!
どこのイスラム教原理主義国家ですか?つー感じ〜?
女子高生のスカートの長短まで支配したいひとたちの国、ニッポン!
女子学生のスカートの長さまで、ねちねち弾圧する根の暗さが、いわゆる「日本の美しい伝統」だよな。
以下、記事より。
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県立新潟中央高等学校の眞島智宣部長は「スカート丈を短くすることは、一切禁止という指導をしました」と話した。
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短くしにくいスカートを開発したメーカーも登場した。
従来のスカートだと、ウエストの部分を折り曲げてスカートを短くすることができるが、開発された巻き上げ防止制服は、ウエスト部分を折り曲げても、プリーツ部分がくしゃくしゃになって、スカートを短くすることができない。
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短くしにくいスカートを開発してまで女子高生をコントロールしたい、というドぐされた情熱はどこからやってくるんだろう。
いや、まあ、おっさんたちは女性、とくに若い女性が怖くて仕方がない、という気持ちはわかるよ。
彼女たちは男どもよりも人間に近くて、自由をこよなく愛しているからな。自分自身をちやほやすることにも何のためらいもないし。ブラボー。
会社大国ニッポンにおいては、由々しき事態と言えるだろう。
しかし、「女子高生の冷え症防止」とか「性犯罪防止」とか、
おためごかしもほどほどにしろよ!
映画『動物農場』予告編
これまでは確かに失敗続きだった。だが
女子高生たちならきっと『動物農場』も乗り越えてくれる!
日本国内の女子高生たちは、すでに多くのものを獲得している。
「正直さ」や「自由」や社会的「常識」などなど。
彼女たちが「非常識」だというのは、少なくとも私には納得できないね。
しかし、それでも、彼女たちの前に立ちはだかる壁は、決して低くはない。
「誠実さの共有」……本当にたどりつけるのか?
女子高生たちをもってしても、かなりの難題だ。
*夢見る娯楽*(2009.2.26)
「その知的水準は、宣伝が目指すべきものの中で最低級のものがわかる程度に調整するべきである。それゆえ獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、純粋の知的高度はますます低くしなければならない。
大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい」
〜アドルフ=ヒトラー『わが闘争』〜
「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」
〜サン=テグジュペリ〜
「が、そのうち私は資本主義が糸を引き、革命をコントロールし始めていることに気づいた。これらの作品が描いているのは、この点だ。資本主義と、それが私たちの社会に及ぼす影響についての映画なのだ」
〜『闇からの光芒』マフマルバフ、半生を語る〜
「ボルシェビキの支持者たちは、独裁は反革命の攻撃からいわゆるプロレタリアの利益を守るために、そして社会主義への道を切り開くために、独裁は絶対必要なものだということを、20年にわたり大衆の頭にたたき込んできた。かれらはこうしたプロパガンダによって社会主義の大義を前進させなかったばかりでなく、数百万の人々に、独裁が究極の専制であり、決して社会解放はもたらさないということを忘れさせたことで、イタリアやドイツ、オーストリアのファシズムの地ならしをしたのである」
〜『チョムスキーの「アナキズム論」』〜
ある映画が、日本の映画賞を総なめにしただけでなく、アカデミー賞外国映画賞も受賞したそうだ。おめでとう。
じっさい、良い映画だ。
「感動のしどころ」ではしっかり感動もしたし、泣かせどころでは、たっぷりと泣いた。しかし、このニュースを受け止めたときの個人的な衝撃を言葉にすればそれは、
「絶望の予感」
となるだろう。
なんて不幸な人間なのだろうか、私は。
アメリカ合衆国と日本という国は、「世界の動き、目指している方向」というものから逸脱し、また大きく遅れをとっており、なお悪いことに、その自覚もない。
映画を観るたび、そのことを痛感する。
見えない。聞こえない。感じることができない。だから理解できない。……世界の底が抜けたような恐怖を感じる。
あれこれ語る気力もないが、日本の外側における、映画界の最大の関心事(誤解を恐れず単純化して言葉にすれば)は、きたるべき
『プロレタリアート執政☆以後』
の問題だ。
おいおい、突っ走りまくりだろ、世界。
(^_^;)
つまり、権力というものは、『指輪物語』のように火山に捨ててハイ終わりというものではないし、そもそもあのとき、
可哀想なゴグリがフロドの指を噛み千切らなかったとしたら、あの物語はどうなっていたろうか?
これはあまりにも巨大な取り組みで、目指す理想は星空ほどの高みにあり、啓蒙と教育という地道で気の長い話でもあり、すべてを数行で説明できるものではない。
映画界の人々が集まって、世界会議を開き、投票をし、取り組みを確認しあったということでもない。
ただ、芸術はいつも、私たちの前方を走ってる。
「観客のニーズ」、「感動」、「消費」の遥か前方をだ。
絵本『スイミー』のスイミーのように、彼らこそが、私たちの目だ。
私たちはどこから来て、どこへ行くのか。どう生きたいのか。
人間とはなんなのか。
……。
書けば書くほど、言えば言うほど、反感を買うばかりなので、このへんでやめときますけどね。
(;^-^ゞ
--☆---
と言いながら、反感を買うついでに。
巨大掲示板某2ちゃんねる(良い子は覗いちゃ駄目! 私も普段は寄りつかないよ!)に『左翼の見るべき映画』というスレッドがある。
映画を鑑賞するのに、ことさらに左翼だリベラルだ右翼だと政治思想を持ち込むつもりはないけれど、これスレッドが、結果的に「かなり高確率な傑作映画の紹介スレ」となっていて、左翼うんぬんを抜きにして、ちょっと面白い。
良い映画は良い娯楽以上のものだ
という基準で映画タイトルを並べていけば、ここで紹介されている映画リストとかなり近くなってくるね、という感じ。
『灰とダイヤモンド』
『ザ・コーポレーション』
『人間の条件』
『シッコ』
『レッズ』
『グッバイ、レーニン!』
などの、モロそれ系から、
『ゆきゆきて、神軍』
『実録・連合赤軍』
などのゲッ倒錯してる系、
『リリア 4-ever』
『ドッグヴィル』
『ミッシング』
『ロゼッタ』
などの警策しばき系、
と、けっこうみんな映画観てるなあ、と。
いや、『Z』、『自転車泥棒』などの古典や『麦の穂を揺らす風』などのド直球だけじゃなくて、『リリア 4-ever』みたいなのをさらりとリストアップしてるんだよ。
この映画を観た、というだけで、賞賛の拍手ものだ。すげえわ。
この2ちゃんねるが挙げたリストからこぼれ落ちている作品の中から、傑作中の傑作であり、さらに、想像力と批判精神をフルに発揮しないと「なんなのですか、これは?」となってしまいかねない、
上級☆左翼が観るべき映画(当社比)
を私なりに作ってみよう。
いや、右翼の人が観てもいいのよ。誰が観ても、すっごいいい映画なのはかわらんから。
(;^-^ゞ
(*難しい度合いを星印で視覚化しておきます。が、難しい度合いと映画の作品としてのデキとは別ですからね)
○ポール=グリモー『王と鳥』☆☆
○ノルシュテイン『話の話』☆☆☆☆☆(ドむずかし)
○タルコフスキー『惑星ソラリス』☆☆☆
○タルコフスキー『ストーカー』☆☆☆☆
○ギレルモ=デルトロ『パンズ・ラビリンス』☆
○アトム=エゴヤン『アララトの聖母』☆☆☆☆
○モフセン=マフマルバフ『パンと植木鉢』☆
○サミラ=マフマルバフ『りんご』☆
○アッバス=キアロスタミ『クローズアップ』☆
○ババク=バヤミ『一票のラブレター』☆☆☆
○ジャファール=パナヒ『白い風船』☆☆☆
いや、『パンズ・ラビリンス』あたりはとりたてて想像力とか言う必要もないと思うんだけど、この映画が「革命の三つの課題」を描いた映画だっつうことをきちっと理解している人間が、私の周りには弟しかいないんだよ。
(^_^;)
まあ、あとは、彼らの、ディティールにこだわりまくった映像をご堪能下さい。
アンドレイ=タルコフスキー『鏡』
ユーリ=ノルシュテイン『外套』
モフセン=マフマルバフの奇蹟の傑作『パンと植木鉢』予告編。
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