*お姉ちゃんがいたときの話*(2002.4.16)
純の小さい頃、父は登社拒否していて、母は仕事を三件かけ持ちしていました。
経済的には、極めて貧乏でした。
てなわけで、もちろんおっかさんは家にほとんどいませんし、登社拒否をしているはずの父ちゃんも家をあけ、純の生活は、鍵っ子を絵に描いたようでした。
38度の熱を出して、ひとり天井を見上げ、「お母ちゃん、お母ちゃん」と泣いていたのを思いだすなあ。
あれはいくつくらいの時だったろうか?
4っつ?それとも5つ?
さすがにこれじゃあマズイと両親も思ったらしく、純は、ほんのしばらくのあいだ、団地住まいしている母のお友達のところへ預けられることになりました。
しかし、
まず純が感じたのは、自分は捨てられちゃうんだという恐怖でした。
いつも病気ばかりしてるし、おねしょは止まんないし、なにかといえば泣いてるし、そんな子はいらないという話になってるんじゃないか。出来の悪い子は、邪魔だから捨てられちゃうんじゃないか。
そして、ポイされた子は、こわい鬼婆の住む家で、シンデレラか、ヘンゼルとグレーテルか、家なき子みたいに、しごかれ、いじめられることになるのだ……。
( iдi ) うぎゃ〜ん!!!
団地住まいしている母のお友達の部屋に連れられて行くときの純の脳裏には、ある曲がくりかえし流れていました。
♪ドナドナド〜ナド〜ナ〜 子牛を乗〜せ〜て〜♪(笑)
(^-^;A
きっと顔面蒼白だったと思います、マジで。
ところが、そのお宅に着いてみますと、奥さんも旦那さんもとてもいいひとでした。
純にシュークリームを食べさせてくれました。
シュークリームの中にはカスタードクリームが入っていて、世の中にこんなに美味しいものがあるのかと純は驚きました。
トイレは水洗で、部屋にはピンクの絨毯がひいてあって……。
これは、どこかのお姫さまが住む場所じゃあるまいか(笑)。
その家には娘さんがいて、純の記憶では、確か中学生くらいだったと思う。
純のことをすごく可愛がってくれて、純が絨毯にほっぺたをすりすりしてると、頭をなでなでしてくれたのがすごく嬉しかったなあ。
そんでもって、純が絵本を読んでとせがむと、何度でもおんなじ話を読んでくれるの。(*'‐'*)
勉強とか宿題とか、きっとあるのにね。(^-^;A
純がお気に入りだったのは、「ウルトラ大作戦」(笑)という本。レッドキングとタッコングがどっちが強いかとか、何度も何度も読んでくれた。
夕焼けが、ピンク色の絨毯を赤く染めて、ふたりでベットに腰掛けて、お姉ちゃんがいるってこんなに素敵なことなんだって純は思ってた。
純が実の弟じゃなかったから、お客さんだから、あれだけ可愛がってくれたんだと思うけれど。
純が女性崇拝主義者になったのはこのときからです(笑)。
シンデレラみたく、捨てられた純はいじめぬかれると思っていたのに。
実は今までの暮らしがシンデレラの灰かぶり時代で、こっちのお姉ちゃんの部屋が舞踏会を催してる宮殿だったんじゃ……(爆笑)。
そんなわけでして、母がお迎えに来たときには、純はすっかりこの幸福に味をしめてしまっており、「ワシはこのお家の子になる!」と決心しておりました。
幼少ながら、実の親を見捨てるとは!
なんちゅうおそろしい子供なんだ。
しかし、何とでも言え、どうとでも言え。q( ̄3 ̄)p
なだめようがおどかそうが、柱にしがみついて泣くわ叫ぶわで断固抵抗しました。
「ねえ、今日一日、泊めてあげたら?」
泣いている純をかわいそうに思った奥さんが、最後に助けてくれるわけです。
しめしめ、作戦成功(笑)。
そうして次の日も、純はそこの家の子になりすますのです。
来る日も来る日もお迎えを拒否しては、お姉ちゃんと遊ぶことに成功するといった塩梅でした。
そんな調子だったのに、どうして純はお家に帰ったのだろう?
実は、徹底抗戦の純にほとほと手を焼いた母が、一計を案じおったのです。
純の誕生祝いに、パーティーの用意をしている。
お友達もたくさん遊びに来ている。
どうだい、帰らないかい。
そう誘ってきたんですな。
う?パーティー?
お友達?
純は、そのパーティーという響きにもろくも負けて、家路に着いてしまったのでした。
なんちゅう即物的な(苦笑)。
しかも家に帰ったら、友だちなんてひとりもいないじゃん!(--メ)
騙された〜!!!
それ以来、そのお宅には一度も行きませんでした。
お姉ちゃんにも、会っていません。
「レッドキングとタッコングどっちが強いの?」と、壊れたレコードみたいに、一日中訊ねていました。
「ねえ、それはね」
と答えが返ってくるたび、気持が華やぎました。
同じ口調で同じ答えが辛抱強く返ってくるのが、そしてそれを確認するのが、夢のように楽しかったなあ。
最近、このときの話を母の方から持ち出してきまして、当時の純の抵抗を母は
「私(母自身)がちゃんと振り向いてやっていないことへの怒り、もっと愛して欲しいというサインだったんだ」
と、自己流に解釈していることが判明しました。
あのね、サインとか、言外に含むところなんかまったく無くて、私はあっちのお家の方が良かったの(笑)。
……ま、いいや。
とにかく。
「誰かが別の誰かに、何かを与えるのは、本当に素晴らしいことだ」と、思い出の中で、純は考えます。
この物語の中では、純は受け取った側です。
「何を与えてもらったのか」は、純のなかに何が残っているかで知ることが出来ます。
純は純なりに、多くのものを得てきたんですね。
ここで書物からの引用を。
「おれの仲間はどこ行った?」
かわいそうな男がそう言った
おれはこっそり教えてやった
「みんな遠くに行っちゃった」*
それでも純はまだ、一文無しになってしまったわけじゃない。
つまり……そういうことなのだ。
どうも、ありがとね。
* カート=ヴォネガット先生作「猫のゆりかご」伊藤典夫氏訳でした。
*日本のコンビニエンス・ストアーの画集*(2002.4.8)
別冊宝島の「図解:名画の見方」なる本を買ってきました。
なぜか?
どうも純は、絵を理解する能力が欠如しているようなのです。
そのことに、ちょっと焦りまして……。
ピカソを観ても、ゴッホを観ても、広重を観ても、はたまたモネを観ても、「フーン」としか思わない。
「ああ、みんなが良いって言うから、良いんだろうなあ」
てな感じ。
こりゃいかん、教養を身につけないと!と思いたったわけであります。
で、読んでみての感想。
「絵なんて、名画の見方なんてものを頭にたたき込んでまで、鑑賞するもんじゃないや(爆笑)」
ごめんなさい、おそろしく無教養なもので。
しかし。
実は、純にも好きな絵描きさんはいて、エドワード=ホッパーは、珍しく画集までもっています。
500えんの画集ですけど(笑)。(//∇//)
あと、リチャード=エステスとか、アンドリュー=ワイエスとかが好きです。
なんて言うと、純の友だちは
「わかりやすいのが好きなんだなあ」とバカにします。
へーん、わかりやすくて何が悪いんだ。(`×´)
それはともかく。
純は、エドワード=ホッパーやリチャード=エステスが描いた日本のコンビニエンス・ストアーの絵を観てみたい、と密かに夢見ております。
おかしいですか?
絵の題材として、日本のコンビニほど興味のそそられる素材はない、と、私的には思ってるのだけど。
「日本のコンビニエンス・ストア」というタイトルの連作画集があればいいのに。
日本在住の絵書きさんや、イラストレーターさんは、どうしてコンビニの絵を描かないんだろう?(それとも純が知らないだけで、いっぱいあるのですか?)
あちこちの町の、あちこちの幹線道路沿い、あちこちのビルの一階部分に、コンビニエンス・ストアーは存在しているというのに。
本当に多くの人々が、毎日のように、コンビニエンス・ストアーを利用しているというのに。
日本のコンビニの画集があれば、純は買いたい。
……5千円以下だったらね(苦笑)。(^-^;A
ちょっと分厚めのコンビニの連作を、1ページ1ページじっくり眺めてみたいなあ。
すると、ある瞬間から、何とも言えずズシリと重い、不可思議な満足感を覚えるのではないかと、純は睨んでいたりします。
どこか、不吉で、どこか、せつない。
コンビニ・シリーズはそういう画集に、なるのではないでしょうか?
*夢の合コン魔法編*(2002.4.3)
またまたおかしな夢を見ました。
夢の中で純は、可愛い女の子たちと合コンをすることになりました。
ここでひとくち解説いたしますと、純は、いわゆる合コンなるものを経験したことがないという、オクテ村の極北に生息する人間なのです。
ですから、合コンと聞いただけで、もうドキドキしています。
わーい、女性とお友達になれる、お酒飲んだりして遊べるぞーい。
Ψ(`∀´)Ψ
夢とはいえ、当日を迎える(?)までの純の喜びようは、皆さまにはわかりますまいて。
すっかり、ときめいちゃっております。
さてさて。
などと言っているあいだにも、肝心の合コン日であります。
実は、参加メンバーの誰かが自主映画を撮っていて、昼間、その映画の上映会にみんなで顔を出してから、どーっと夜の街に繰り出そうと、そういうスケジュールでした。
正直、シロート映画なんぞに興味のなかった純でありましたが、女のひとたちと早くお友達になりたくて仕方のない純(苦笑)は、いそいそとその映画を観に行ったのです。
映画の上映は、どこぞの公民館か、はたまた小さな体育館みたいな場所で行われました。
靴は脱いでビニール袋に詰めて、折畳み椅子の下においての観劇でした。
いやもう、純ときたら、映画なんか観ちゃいない。
わーい、女のひとだー、右を見ても左を見ても女のひとだー、などと心の中でほくそ笑むばかり。(^-^;A
友だちになりたいなあ、どんな話をしたら良いのかなあ、と、そればかり考えておりました。
ところが。
そんなよこしまな心もちが天の怒りを買ったのか、映画が終わって、さてお外に出ようとすると、靴がないのです!
あれ〜?
一生懸命に探すのですが、どこにもない。
女の子達は出口の前にかたまって、じっと待ってくれています。
「ごめんなさい、ちょっと待っててね」
と謝るのですが、気持は焦る。
やろーどもは、しらけた顔で、何やら話し合っています。
ま、ねー。
椅子の下に置いてあった物がないということは、こりゃ出てこないということですよ。
はだしで、ご帰宅ということですよ。
なんだかしょんぼりしてきちゃった純は、合コンメンバーの皆さまに謝って、私抜きで遊んでいただくようお願いしたのでありました。
だって、靴なしの私がしょんぼりついてきたりしたら、しらけちゃうだろうし。
私は私で、いらいらカッカしていて、楽しい気持でなくなってしまってるし。
純くんお得意の、いじけモードに入ってしまったのです。
さて。
女の子たちも去り、荒々しい悪態をつきながら、ひとり靴を探し続ける純でありました。
そして、とうとう、本当に頭にきてしまいました。
「おいら、何やってるんだ?だって、これ夢じゃん、なのに、なんで靴なんかをイライラ探してるんだ?」
そう思いました。
「夢なら夢らしく、もっと違う何かが起きなくちゃいけないんじゃないの?」
それは、なんとも素敵な思いつきでした!
「まず、靴は私の手の中にあるだろう。だってこれは夢なんだから!」
すると突然、純の両手は、一足のナイキのバッシュを掴んでいました。
まだまだ。
「窓からは気持いい光が入ってきて、私を照らすだろう。これは夢なのだから」
とたんに、輝ける光が窓から差し込んできました。
眩しいけれど、やわらかい陽射しに、純は目を細めて恍惚となりました。
「玄関から一陣の風が吹き抜けるだろう、だってこれは夢なのだから」
扉が押し開かれて、風が純の身体を心地良くなぶってゆきました。
女の子たちはどうしたかな?と純は思いました。
でも、夢の中とはいえ、女の子たちを呼び戻したりするのは、良くないことだと純は思いとどまりました。
彼女たちは、他者なのですから、純の思い通りにしてよいはずはないのです。
夢の中ではどんな魔法も可能だからこそ、倫理とか、想像力が必要になる。
それに、もう純は、先程までのふさぎはどこへやら、十分に満足していました。
夢はかくあるべし、と心に決めて願ったシチュエーションは、すべてかなえてしまったのですから。
思いつき、心に決めた、その一瞬ののちに。
と、ここで目が覚めました。
おー(感嘆のため息)。
これは夢だってわかっていて、なおかつ夢を見続けるのって、ちょっと変わってる、と自分で思う。
これって、すごくおもしろいなあ。
とにかく、楽しい夢でした。
しかし、純って……なんつーか……きっとお友達が欲しいんだろなあ。
恥ずかしいやつです。 (f*^_^)
*「お月さま絵本収集中」感想文*(2002.4.2)
「お月さまの絵本を集めたい」と、らくがきマンガのあとがきで以前書きましたところ、あるひとから「月亮忘記了」なる絵本を紹介いただきました。
作者名は、幾米。台北に住む人だそうです。
Sさん、わざわざメールでお知らせくださって、ありがとうございました。
「ヨーロッパやアメリカの絵本じゃないから、翻訳されてないだろうなあ」と、思ってましたところ、これがあったんですな。
日本って、たいていのものが読めちゃう、いい国だナー(笑)。
しかし、本屋で最初に手に取ったときは、まったくそれと気づかなかったんですよ。
だって、タイトルが、「君といたとき、いないとき」なんだもん。原題「月亮忘記了」と、まったく似ても似つかなすぎだ〜ね。
作者名も、翻訳版は、「ジミー」などと、アメリカンな名前だし。「幾米」って書いて、ジミーって読むんですか?……本当に?
私、この人の絵本、読んだことがあるですよ。
「君のいる場所」てなタイトルだったかな。
しかし、私も、絵本を読む人間になったなあ。
つい最近まで、正直なところ、絵本なんてものは子供の読むもので、いい大人がそんなものを集めているなんて、ちょっとおかしいと思ってた。
まったく不徳のいたすところです。(^-^;A
絵本は、奥が深いです。
最近になって、そのことに気づきました。
絵が載っていること、基本的に子供が読むものであること、適当なサイズで、適当なページ数であること、場合によっては何らかの仕掛けを施すこともあること(飛び出す絵本とかそういうの)、などの制約が、絵本を作る側のイマジネーションに極めて有効に働いているのではないか、とふと純は思ったりします。
春の夜に、弟とそうしたとりとめのない絵本談義をしているうちに、話題はマンガ雑誌へと移行していきました。
「いわゆる少年誌とか青年誌とか呼ばれているマンガ雑誌って、いったい誰を対象に描かれているのかな?」
と弟は言います。
「そりゃ、少年や青年が相手でしょう」と私は答えます。
すると、
「そうかなあ……。実はオレねえ、ああいう雑誌が、誰を対象にして描かれているのか、読んでも読んでもよくわかんないんだなあ」
「じゃあ、大人を対象にしているんじゃないの?」
「そうかなあ。大人を対象にしてる……というか、大人の鑑賞に堪えるとは思えないなあ」
そんなことないよ、と言おうとして、言葉に詰まりました。
ああいうマンガ雑誌って、確かに、誰のために発行されているんだろ?
どういった人々を、どんなふうに楽しませ、どんなふうに感心させようとしてるのかな?
問われると、簡単に返答できない。そして、考えれば考えるほど、少し気色の悪い気がしてくる、不思議な問題提起です。
「大人を対象にしたマンガってのもあると思うよ、「オフィイス北極星」とか。でも、巷にあふれているいわゆるマンガ雑誌って、いったい誰が読むものなんだろね。子供とも思えないし、大人とも、思えない。いったい誰を相手に商売しているのでしょうねえ?」
弟は訪ねます。
私にもわからん。というか、私にはわからん。
ちょっと怖い話だと、直感的に感じてはいるのですけれどね。
*「ヤサシイワタシ」感想文*(2002.3.29)
最近少し、忙しくしている純です。
というわけで、日記がすっかり歯抜け気味です。(^-^;A
しかし、じっと家に閉じこもりきりでは体に悪いので、ちょっと近所の本屋に出かけてみたら、いつの間にか「ヤサシイワタシ」の2巻がでていました。
「Macpepleビギナーズ」と「ヨコハマ買い出し紀行」の9巻と、月刊アフタヌーン、あわせて2千円を超えるお買い物。
うーん、予定外の出費をしてしまいました。
忙しいとか言っておきながら、ひぐちアサ先生の「ヤサシイワタシ」の最終巻を読みふける私。
いいわー、これ、ホントいいわー。
何度読み返しても……というか、読み返せば読み返すほど、感銘が大きくなってゆく。
読み返すたびに、セリフのひとつひとつが、重みをまして迫ってくるの。
ラスト間際、
「願いって
かなわなかったら
だめなのか?」
という言葉のあまりの重さに、純は本を閉じ、数十秒間、浸らずにはおれなくなるのです。
ノックアウトされる悦びって言うんですか?
作品重み、深みに、自分自身のすべてをゆだねきってしまえることの快感。
私たちの人生そのものが、実は極めて暗示的なのだと気づかせてくれる。
このマンガ、純の宝物。(*^▽^*)
本編が終わり、あとがきを読んでみますと、製作過程について少し書いてありました。 これがもう、想像していたとおりの裏話なので、嬉しくなりました。我ながら、自分のヨミの深さに極めて深い満足感を覚えたデス。
さすが私(笑)。
基本的に実話がベースになっているらしいこと、物語の後半が先にあって、前半部分がのちに加えられたらしいこと、などなど。
うむ、これほどリアルな話、何らかの形で実話がからんでいないと、さすがに描けないわな。
(´ー`)
ちなみに、現実の作者の立場は、ヒロインのお友だち役の弓為みゆきさんじゃないかと思っているのですが、どうだろう?
これはちょっと自信ない。
もちろん何もかもが実話ではないでしょうけれど。
えー、読んでないひとにはなんのこっちゃですね。
しかし、ネタばれしてはこれから読むひとに悪いので、ストーリーはあえて黙っておきます。
読んでいないひとは、ぜひ読んでみてください。
すごいから。
でもね。
こんな傑作中の傑作マンガ描いちゃったら、あとが大変じゃないかと、いらぬ心配を純はしています。
本当にいらぬ心配だ。(^-^;A
とにかく。
世界は広いです。
マンガ雑誌を何誌もバリバリ買っておいて読んで思うのは、どれもこれも本当に無残な代物だなあ、という感想なのですが、しかし、こういう傑作もあるのよね。
ありがとう、ありがとう、お天道さまよ、ありがとう。
そしてあの言葉に、もう一度耳を傾けよう。
「あんた
死にたいんじゃ
なくて
願う姿で
生きたかったん
だろ
願いって
かなわなかったら
だめなのか?」
………すごいわ。
*ピョンロー*(2002.3.20)
シーズン最後の鍋をしました。
「神戸在住」で知った、扁炉(ピョンロー)なる、いっぷう変わった鍋料理。
最近では、我が家で鍋と言ったらこればっかりになってます。
しかし、我ながら感心、感心。
もー、何でもかんでも「神戸在住」だもんね。
女の子が、ボーイフレンドの好きなモノや大切にしているモノを知りたがるのに似て、私ってほんと、かわいい(自分で言う)。
桂っちが鍋を食べるなら、鍋、カレーを食べるならカレーだ。
これがファン心理つーものであろう。
ただし、小さな桂っちの五倍くらいの量を食うけれど。(^-^;A
でも、扁炉(ピョンロー)おいしいよ。
*パソコンにおける制御感覚の大切さ*(2002.3.13)
純がインターネットを利用するさいのメインブラウザソフトは、インターネットエクスプローラー5.0のMac版です。
いわずと知れた、マイクロソフト製品です。
Macユーザーのはしくれとして、まったく、遺憾でございます。(^-^;A
言いわけするようですが、ネットスケープ・ナビゲーターをほんの一時期、使っていたときもあったのです。
ところがそんなある日。
ネットスケープ・ナビゲーターを4.5jから4.7jにバージョンアップしようとして、雑誌の付録CDからインストールして再起動をかけると……。
ん?
メニューバーに、なんか、見たことのないアイコンが!
!Σ( ̄口 ̄;;
見たことのないアイコンが、常駐してるうううう!!!
そのアイコンというのがまた、持ち場を離れて走っているトイレの人型マークか、はたまた新手の道路標識みたいな、目障りを絵に描いたようなアイコンなのです。
「な、なんじゃあああああ!!!」
まったく得体がしれないし、ウイルスじゃないか、ハッキングじゃないかと、本気で心配しました。
こんなものをインストールした覚えない……いったい、これは何をするものなのだろう?
慌てふためいてヘルプを立ち上げると、英語でモジャモジャ書いてある。
どしー!
オイオイオーイ、日本語版じゃなかったのかよ。
(−_−”)
やる気あるのかよ〜、ネットスケープうううう。(--メ)
愛しの蛙コンピューターが壊れちゃったんじゃないかと、純はおろおろするばかり。
書いてある英語をヒーヒー眺め、あれこれ推察するに、どうやらこのアイコンの正体は、「AOLインスタントメッセンジャー」という、チャットソフトらしいということがわかってきました。
私、正直、ブチ切れましたね。
私はインターネットブラウザをインストールしたかっただけで、チャットなんて、まったくするつもりないんです。
しかるに、なんのことわりもなく、あまつさえ、大事な大事なメニューバーに常駐しやがるとは。
危険なくらい血圧が上がり(測ったわけじゃないですが)、目の前が真っ赤になりました(マジ)。
ファイル検索で「AOL」を検索して、出てきたファイルを片っ端からごみ箱にポイしちゃいました。
フーフー言いながら。
しかし、それでもAOL、そしてネットスケープに対する怒りは収まらず、最終的には、ネットスケープ・ナビゲーターもコミニュケーターも、みんな捨てちゃいました。
そして、純は、エキスプローラー暮らしとなったのでした。
人に歴史あり(笑)。
しかし、エキスプローラー5のMac版は、くやしいことに(?)インターフェイス周りが、非常に良く出来ています。
もしやと思って、WIN版エキスプローラーも覗いてみましたが、不思議なことにWIN版エキスプローラーは、アイコンがちゃかちゃかうるさい例のマイクロソフト仕様のままなんですな。
エキスプローラーは、WIN版よりMac版の方が、ユーザーインターフェイスの出来が良いです。正直びっくりしました。
マイクロソフトも、おかしな会社だよ。
WIN機を使っておられる方は、一度Mac版を見てみてくださいね。
……しかし。
そうは言っても、エキスプローラー生活に満足しているわけでもないんですよ。
不満点を具体的に上げましょう。
アイコンをクリックしてエキスプローラーを立ち上げるたびに、アプリが勝手にインプットメソッドを日本語から英語に切り替えやがるでしょう。
確かに、ブラウザにアドレスを打ち込むときには、日本語の2バイト文字じゃなくて、半角英数ですよ。
例えば、http://www……てなぐあい。
しかしね、こういう自動化ってね、いらん世話だと思うのね、純は。
自動化されて便利でしょう?と言われれば、むろん便利ではあるんでしょうが。
純は、自動化よりも、制御感を第一義に考える人間なのね。
マイクロソフトの製品って、どうしていちいちこうなのかなあ。
触っていて、深い角度で首をひねってしまう部分、すごく多いんです。
とにかく、OSなり、アプリケーションなり、使い方をあれこれと強要してくる。
最近、テクノストレスとかよく聞くけど、この制御感の喪失がストレスの原因じゃないかと純は睨んでるですが。
断っておきますけど、カスタマイズできるのは素晴らしいと思うの。
カスタマイズって、自分が何を望んでいるのかをユーザーがちゃんと理解してからやるものだから。
しかし、目に見えないところでの自動化は、制御しているという感覚をユーザーから喪失させてしまいます。
う〜ん。純はときどき考えるのよ。
私たちは、だらだら仕事をやらかすために、生まれてきたのでしょうか?
そして、来る日も来る日もだらだら仕事をやらかすのは大変だから、その仕事の一部を機械が肩代わりする。それが……、そ・れ・だ・け・が人間を解放するということなのでしょうか?
後ろ向きという感は否めんです。
結局、働き過ぎで病気になる、その病気の種類が増えただけのような気がする(極論?)。
我々が仕事と呼ぶものは、本来はとってもエキサイティングで、人間的で、悦びに満ちたものであるはず……そういう過激な主張を、黎明期のアップルは声高に述べておりました。
クイックタイム・ムービーで昔のCMなぞをみると、深く感動したりします。
たかがコマーシャルではあるけれど。
仕事、社会、個人、その概念を大きく覆そう!大きく前進させよう!という当時のアップルのメッセージの復活をこそ、純は望んでおります。
……。
ここで、書物からの引用をば。
『 アラカヒ バク ビラ、
ムーミ ア フェラ ナム、
セラニ アッスー ティラ、
トゥーリ セリン ア サム
「あのキじるしめ、機械にしゃべってるぞ」リンが囁いた。』*
*カート=ヴォネガット大先生の処女長編小説「プレイヤー・ピアノ」朝倉久志氏訳でした。
*「頑張れないひと」という夢*(2002.3.10)
前回の日記で、夢のお話をしたら、もしかしたら実話では、というお問い合わせをいくつかいただきました。
お答えいたしましょう、夢の中のフィクションです。
純は、どういうわけか、比較的すじのしっかりした夢を見ることが多い。
そして、ラストにはちゃんとオチが用意させれているのを特徴としております。
というわけで。
昨晩に見たばかりの夢のお話をいたしましょう。
夢の中で純は、売れない漫画家です。
売れないどころか、漫画家と自称しているというだけに過ぎないという惨憺たる状態です。
あちこちの商業雑誌に原稿を投稿しては、ボツられて返ってくるという惨状。
もちろん経済的には、究極的な極貧生活を強いられています。
夢の中の純には、彼女さんがいるのですが、彼女は一転してきちっとした堅い職についています。だから、お金に困っている純は、いつも御飯を食べさせもらっています。
悪いなあ、格好も悪いなあ、申しわけないなあ、と思いながら、レストランでむしゃむしゃハンバーグなぞを食べながら、代金を支払ってもらいます。
彼女は、純が御飯をモリモリ食べるのを、ほおづえ突いて眺めていたりします。
このひとは、ふたりの将来をどんなふうに考えているのかなあ、と純はふと思ったりするのですが、それはむしろ彼女の言い分だろう、と考えたりもします。
純の方から何かを提案できる状態ではないので、とにかく純は黙っています。
そんなある日。
彼女と、純と、ふたりの共通の友達たち数人とで、ヨーロッパ旅行に出かける計画が持ち上がります。
純の旅費は、彼女が負担してくれることになりました(すごい!)。
だけど、ちょうどその頃、純が狙っていた漫画懸賞募集の締め切り日が迫っていたのです。
賞金も高く、純が描きたがっているテーマで漫画が描ける。その懸賞からデビューした漫画家たちも多い。
チャレンジしたい、どうしても原稿を描き上げたい、と純は思っていました。
てなわけで、彼女と友人達は先行してヨーロッパを回り、純は原稿を描きあげてから後を追う、というスケジュールになりました。
普段はだらだらテレビ観たり、他人の描いた漫画本を読んですごしている純でしたが、珍しく頑張って漫画を描きました。
だけど、夜になると、どうしても眠くてたまらなくなります。
徹夜徹夜でガンガンやるよりも、少し寝てまた頑張るほうが効率的だと思い、そうしたのですが、そのわずかの睡眠時間のぶんが足りなかったのか、とうとう締め切りに間に合わせることが出来ませんでした。
あ〜あ。
けっこう落ち込んだ純ですが、ヨーロッパではお友達たちが待っています。
純はしょんぼりしながらも、みんなに合流すべく、イタリアに向かいました。
そこで純は、みんなと合流する前に、取材もかねて、イタリアにある美術館にひとり向かいました。
じかに見てみたい絵があったのです。
そしてその絵は「人生これまで色々あったけれど、こうして生きてきて良かった」と心から思えるほど素晴らしかったのです。
私の人生に意味はあるのか?「ある」と、その瞬間には答えられる気がしました。
この絵をこうして眺めるために、今日まで生きてきたのだ、そう言いきったとしても、なんの疑問も不満もありませんでした。
ルーベンスの絵を眺めたネロとパトラッシュの気持かな?
落ち込みが嘘のように消えて、生きる力がむくむくと沸き上がってきました。
彼女にお金を出してもらってまで、旅行にきて良かった。
感謝しなくちゃ。
あって、お礼を言おう。
早く会いたい。
純はほくほくした気持で彼女と合流しました。他の友達たちは、夜まで別行動していました。
純は彼女に夢中で例の美術館の話をしました。
とりあえず話を聞いた彼女は、純に訊ねました。
「漫画の原稿はどうしたの?」
……あ、すっかり忘れてた……。
(^-^;A
「う〜ん結局、間に合わなかった」
純は、歯切れ悪く答えました。
すると彼女は 言いました。
「あなたは頑張れないひとだから」
……アリ?
私は、頑張れないひと、だったのか?
そんなふうに思われていたのか?
純は、しょんぼりすると同時に、ひどく不当な扱いを受けたような、悔しい気持になってしまいました。
夜になり、友達たちとも会いました。
「オイ、漫画どうなった?」
友達たちも訊いてきました。
「う〜ん結局、間に合わなかったヨ」
純は、やっぱり歯切れ悪く答えました。すると、
「おまえは頑張れないヤツだからナ」
と、同じことを言われてしまいました。
う〜ん。
友達たちはもしかしたら軽口のつもりだったのかも知れません。
しかし、当の純は、疎外感でいっぱいのいじけモードになってしまい、日本のお友達のところへ長距離電話して愚痴ってしまいました。
そうしたら
「しかし、実際のところおまえ、頑張れないやつじゃないか」と、また諭すように言われてしまいました。
……翌日。
友達たちみんなで、ベニスの運河で手ごきの水上バスに分乗乗車して観光しました。
純と彼女は同じ小舟に乗りました。
手ごきの船はゆったり進みます。
昨日からすっかりすねてしまった純は、ふと彼女に言います。
「この船を漕いでいるおじさんは、頑張るひとなのかなあ」
「訊いてみましょうか?」
なんと、彼女さんはイタリア語が出来るらしく、通訳してくれました。
ウニョウニョ……なんとかニーリョ、かんとかナーチェ……。
「『私、頑張る人です』って」
彼女は私に教えてくれました。
おじさんは、船を漕ぎながら笑っています。
陽の光が水面に反射して、ひどく眩しい。
町並みの壁という壁が白い。
どうして何もかもがこんなにも眩しいのだろう、目を細めながら純は、水の上で揺らめく光を見つめ続けていたのでした。
*もちろんこのお話しも、すべて夢です。海外旅行どころか、パスポートも持っていませんぜ(自慢にならない)(^-^;A
*夢で読んだ絵本*(2002.3.3)
夢を見ました。
なかなかの長編作(?)だったので、ご紹介したいと思います。
(-.-)Zzz
夢の中で、純は、ある女性(A子さん)と結婚するのですが、悲しいかな甲斐性がなく、あえなく実家に帰られてしまいます。
なんか、夢のない夢の出だしだなあ(笑)。(^-^;A
純は、その女性A子さんに腹を立てて、半分当てつけの気持で別の女性B子さんと付き合いだします。
ところが、そのB子さんが、純に本気になりまして(夢の中では、もてまくる純)、こんど両親に会って欲しいと言ってきました。
甲斐性のないのはあいかわらずの純は、彼女の親御さんからあれこれ質問されるのは乗り気になれないのでしたが、やはりここは、会うのが礼儀だと思い、承諾しました。
……前フリが長くて、すみません、少し我慢してくださいね(笑)。
えーなんだっけ(笑)。
そうそう。
B子さんの両親は、文京区の水道橋駅を降りて徒歩15分の住宅街に住んでいるので、当日、近くで待ち合わせをすることになりました。
(えらく具体的だ)。(^-^;A
ところが、実家に帰ってしまったA子さんから今更の手紙が舞い込んできて、もう一度純に会いたいというのです。
オイオイ本当にもてもてじゃないか。(* ̄ー ̄)>"
しかし、間が悪い。A子さん、もっとはやく手紙書いてよ。
私は悩んだ末、B子さんの両親と会う少し前の時間に、A子さんと会う約束をしました。
それは純が、A子さんに未練があるということだったのでしょうか?
自分でもよくわかりませんでした。
その答えを知りたい、と、当の純は思っていました。
当日は、雨降りでした。
私は、傘を持たずに家を出て来ていて、あえなくどこぞの家の軒下で雨宿り。
後楽園近辺のざわついた場所を抜け、本当に人通りの少ない、落ち着いた住宅街の片隅。
勢いよく降る雨の音だけが聞こえます。
純は、電車のなかで読むつもりで持ってきた絵本を、雨宿りしつつ読むことにします。
ぺらり、と、最初のページをめくります。
☆むかしむかし。
小雨そぼ降るなか、のんびりやの猟師が、今日は鴨でも捕ろうと、山奥へ出かけたその道中。
三毛の小猫が、田のなかに飛び込んで、一匹の鯉をもてあそんでいます。
いえ、よく見るとその魚は、七色の鱗を持ち、人間のような、よく動く黒い眼を持っていて、とても鯉なんてモノじゃありません。
猟師は(そして純は)、そのお魚を助けてあげます。
だって、そのお魚は、小猫の獲物には大きすぎて、お魚の身体を爪でひっかいて弱らせるだけでしたから。
「ありがとうございました」
お魚は日本語を喋りました。
このお魚の言うことには、お魚は人魚姫のお使いで、七つの海を渡っているうちに迷いに迷ってこんなところに来てしまったというのでした。
オイオイ、迷いすぎだよそりゃ……。ヾ(^-^;)
猟師は(純は)お魚を海に帰してやりたいと思いましたが、海なんて生まれてこのかた見たことがないという、生粋の山暮らしでした。
ちょうど通りかかった村人に相談すると、こいつがいい加減なやつで、
「どんな水路も海へつながってるもんなんだや。どんぶりに乗って、ゆらゆら漕がれて行けば、どうにかたどり着くじゃろ」
などと言います。
猟師は、荷物から、漆塗りの大切な椀をとりだし、それに水を満たしてから魚を入れてやりました。
「すまん、私は今から、日の生活の糧を稼がなならんでな。これに乗って、海に帰ってくんなあ」
猟師は(純は)謝りました。
それでも魚は感謝しつつ、椀に乗って、どんぶらどんぶら、流れてゆきました。
絵本の中で、雨足が強くなりはじめました。
水彩絵の具の雨が、霧となって、山の景色をぼやかせていました。
川がうまく増水すれば、それだけ早くに海へ帰れるだろう……。☆
そこまで読み進んだとき、A子さんが純の前に現れました。
純は絵本を閉じました。
A子さんは純に言います。
「素敵なボーイフレンドができたから、お知らせしようと思って。とても優しくて、甲斐性があるひとで、両親も喜んでいるの」
ええええ!そんなこと言うためにわざわざ呼びだしたのお!ヾ(ーー )
しかも、彼女の心底嬉しそうな表情といったら!
その幸福そうな顔つきを見て純は、ひどい、納得いかない、釈然としない、と強く思いました(なぜ?)。
そのときB子さんがあらわれました。
黄色い傘をさして、小走りに駆けてきます。
まずいなあ、と思いながら、B子さんにA子さんを紹介しました。
B子さんは、状況が飲み込めず少しけげんな顔をしていますが、
「はじめまして、B子ともうします」
とA子さんに挨拶してます。
そのとき純は、さっきまで読んでいた絵本の続きが急に気になってきていました。
あと数ページが、心残りで、早く続きが知りたくて、ひとりきりになりたくなりました。
もはや純は、純自身の幸福にしか興味を持てない心境でしたが、同時にそれは、ひどくおっくうで、やり切れないことでもありました。
逆に、A子さんとB子さんの幸福は、純にとって気の重い、退屈な話でしかありませんでした。
人魚姫のお使いの内容は、いったい何だったんだろう?
お使いにだされたお魚は、ちゃんと海へ帰れるのだろうか?
椀はちゃんと、海へとむかっているのだろうか?
夢の中の純は、文京区の住宅街で傘を差しながら、なによりもまず、絵本の続きを読みたいなと思いました。
何もかもが、急速に遠くなっていきました。
A子さんとB子さんの言葉をうわの空に聞きながら、お魚はいったいあれからどうなったのかと、もどかしく思っていたのでした。
*遊ばないゲームでゴー2*(2002.2.22)
純の弟は、パソコンゲームもプレステもまったく遊ばない人です。
かく言う純も、たまに思いだしたようにサッカーゲームをやるくらいなのですが、弟は、まったく興味を示さない。
あ、ひとつだけ、弟が遊ぶゲームがあった。
「AI将棋3」!( ̄ー+ ̄)
将棋は奥が深いですからね。それに、「AI将棋」はコンピューターの分際(?)で、メタメタ強いんですよ。
しっかり純もはまってます。 (f*^_^)
はまってるで、思いだした。
純が東京にいたころ、お友達の何人かは、いわゆるアダルトゲームにはまって、ピコピコと遊んでいました。
こういうの、美少女ゲームとか恋愛シュミレーションゲームとか言うんですか?
わたし達の間では、エロゲーなどと呼ばれていましたが。
書店のパソコンコーナーの片隅には、その美少女ゲームの攻略本がいくつも平積みにしてありますよね。
何でも、パソコン用の新作ゲームの8割は、そういうたぐいのものだそうです。
純も、興味を引かれて、数少ないMac用のそういうゲームのなかからひとつ選び、挑戦してみました。
で、感想ですけれど。
いやあ……。
色々考えることはあったんですが、一応ここは、絵本屋のホームページですから(苦笑)。
だったら日記に書くな、ということかな。(;^_^ A
うーん、ひとことで言えば、未来の男と女がこれからどうなっていくかについて、みんなあまりにも不真面目だなあ、という感じでしょうか。
ここで言うみんなとは、ゲームを作るひと、売るひと、買うひと、を指してます。
出荷されるゲームの80%が、こういうジャンルのゲームだというのが、さらに苦いですよね。
こんなものがどんどんはびこるようでは、男はますます悲しい存在になるのでは、と心配になります。
あ、また、男性蔑視主義者の顔が……(笑)。(^-^;A
う〜ん。
男がどうなろうと、女性が元気ならそれでいい、という考え方もあるか。
心が欲しがるものをどん欲に求めること、そしてそれを臆面もないやりかたで手に入れることで成り立っている世界では、奇妙な刹那主義がまん延している、というのが純の印象です。
というのも、物を買わせるには、動機が必要だから。
気持ち良くなろう、楽しくなろう、幸福になろう、周りのひとは、際限なく求めているのだから、とテレビは言う。
この世界は、ビジネスなのか?
純は、そうじゃないと思う。
「いまをいきる」とか「あるがまま」とか、耳に吹き込んでくるのは心地良いことばかりだけど。
「刹那主義」、「快楽主義」に別のレッテル貼っているだけじゃないの?と純は思っちゃう。
何もかもがシャレで済まされてしまうのも、なんか不吉だし。
それに。
みんなが思っている以上に、人間は、物語に影響されるものなのではないでしょうか?
人間、18歳になろうが、20歳を超えようが、自分で思っているほど空想と現実の区別がついていないですよ。
みんな、物語に教育され、自分自身の物語の中を生きつつ、折り合いながら他者との関係を築いてゆくのではないでしょうか?
もっと、物語をまじめに考えるべきだ、というのが純の意見です。
ともかく。
純の性別は、逃げも隠れもできない男ですので、見るも無残なほど落ち込んでしまいました。
むろん、ゲームは途中で放り出しちゃいました。
すんません、根性たりませんわ、私。
やっぱりゲームは、パッケージを楽しむものですよ。(´ー`)
*遊ばないゲームでゴー*(2002.2.21)
純が東京で暮らしていたころ、駅前に中古ゲームソフト店がありまして、よく通っていました。
といっても、純の部屋にはプレステはあってもテレビがなく、ただパッケージの値札と引き文句を眺めているだけだったのですが。
あのころが懐かしいなあ……(なにが)。
実は純は、本やまんがの引き文句だけを立ち読みして楽しむという、変わった趣味を持っています。
最近では、おかざき真里女史の「やわらかい殻」という少女まんがの引き文句が楽しめました。
『好きなもので部屋を埋めつくしたら、部屋から出られなくなってしまったシオリ。そんな彼女の所へ彼氏に会いに戻ってきたという、その部屋の前の住人が現れ…!?』
うー!こういう引き文句が飛びだすから、少女まんがは素晴らしい〔笑)。
こういう引き文句に出会うと、純はもう一人でにこにこしてしまいます。
本を買わずに喫茶店でコーヒーを飲みながら、好きなもので埋めつくされた部屋を純は想像してみます。
それから今度は、好きなものに囲まれて身動きのとれなくなった女の子、もしくは自分自身を想像してみる。
そこに突然、別の物語をしょって、誰かが訪ねてくるという展開……。
うわあ、物語の発端として、極めて興味深くはないでしょうか?
ほくほく。(*'‐'*)
三日ほどしてから、そのまんがを購入して、実際に読んでみます。
やはり、というべきか、純があれこれ想像していたものとはまったく違うお話で、予想を覆され軽く失望するのですが、それがまた快感なんだな(笑)。
いま我が家にはテレビがあって、東京在住中に買ったゲームソフトは「アンリアル」、「クッキーズバッスル」、「ズンビーニ」、「バイオハザード3」、「ウイニングイレブン4」、「ルフトヴァッフェ」、「弟切草」とあります。
それらのゲームは、攻略本を片手にエンディングを迎えたのですが、どうも失敗したな。
パッケージの引き文句を楽しみつつ、棚に飾ったままにしておいたほうが、ぜんぜん良かった。
というわけで、パソコン用なぞ解きゲーム「MIST」は、冒頭部分だけプレイして、あとは棚に飾ってあります。
これは我ながら、素晴らしいグットアイデアでした。!
実際プレイしないことで、一本のゲームソフトからこんなにも深い満足感を得られるとは、思ってもみなかった。
今度、「MIST/エグザイル」というゲームを買ってきて、冒頭部分だけプレイして、棚に飾るようにしよう!
*「ハリーポッター・賢者の石」映画版感想文*(2002.2.15)
先日、公約(?)どおり「ハリーポッター・賢者の石」なる映画を観てきました。
で、感想を書こうかと思ったんですが。
いやあ……。
本編である「ハリーポッター・賢者の石」の前に流れた、「ロード・オブ・リング(指輪物語の映画化作品)」の予告編が良かったなあ(爆笑)。
(^-^;A
金髪巻き毛のフロドの旦那が男前なのに驚いたし、ちゃんとガンタルフも白いヒゲ引きずっていてた。
いやあ、みんな、いい男だったのね(笑)。
「ゴクリ、ゴクリ」のゴクリコールでおなじみのゴクリらしき姿が見えなかったのが気がかりだったけれど。
私は、ゴグリのファンなんだ……と言っても知らない人にはわかんないよね、知ってる人は「えー」って顔をしかめるだろし。
ともかく。
短い予告編のなかで、ものすごい数の兵隊さんたちがわらわらと戦争してたり、山は火を噴くわ、怪物は襲ってくるわ、「指輪物語」って、こんなスペクタクルドラマでしたっけ?
えと、いちおー、原作読んだ覚えはあるんだけれど……。(^-^;A
ほんとに読んだのかな?
えーと、なんの話だっけ?
そうそう。
かんじんの「ハリーポッター・賢者の石」ですが、非常に原作に忠実に作られていました。
したがって、原作を読んだときに私が感じていた様々な疑問点は、モロそのままでありました。
疑問だー、疑問だよー。
“魔法使いは血筋が何よりも大切”という設定かどうかはわかんないけれど、それにしたって、魔法学校では校長以下、ほとんどの先生がハリー・ポッターのことをひいきするのね。
原作を読んだ感想を書いた時にも私、指摘したけど、映像で観るのはまた格別で、ほんと、呆然。
他の子たちが、よく文句言わないと思って。
学校の仕組みが、何かにつけてクラス対抗形式になっているのですが、ハリー・ポッターが先生方にひいきされているということは、ハリー・ポッターの在籍するクラスも当然ひいきされまくることになっております。
きったね〜(笑)。
なかには別のクラスをひいきしている先生もいるんだけれど、いかんせん少数派だし、そもそも、そういう学校運営のあり方って、問題じゃないですかあ?
ラストシーン、校長先生があることをするのですが(ネタばれしそう、苦しい)、私、ハリー・ポッターが在籍していないほうのクラスの子供たちの気持になって、あまりの悲しさに唖然としてしまいました。
あほらしいなあ、バカくさいなあ、こんな調子じゃあ、何やったってハリー・ポッターの在籍するクラスが優勝するんだもん。
だから、子供たちも先生方の機嫌をとって、顔色を伺って、グリフィンドールが50点だのスリザリンが60点だの、こすっからく喜んでるよりも、大切なことあるんじゃないかなあ。
自分たちが闘うべきは、発展性も生産性も何もない他のクラスとの点数稼ぎ合戦じゃなくて、実は校長以下魔法学校運営人だということに、早く気づいたほうがいいと思う。
クラス対抗で一喜一憂するだけの青春なんて、悲しいよ。
ハーマイオニーも言ってるじゃない、友情や勇気が大切だって。
あとは、もーちっとの想像力だ、と、これは純からの提言です。
闘うべきは学校だ!……何度でも言うぞ(笑)。
この子たちがこのまま卒業して、いったい何を学んだことになるのか、純は非常に心配です。
……う?
気づくと、けっこう言ってしまった(汗)。
あわわわわ、日記なんだから、かまわんよね? (;^_^ A
楽しく映画を観たあとは、ジュンク堂で絵本の大人買い(まとめ買い)をして、楽しくすごしました。
小さな女の子が、絵本をガッポガポと買っていく純をうらやましそうに見てたです。
ママは、一度にこんなにたくさん絵本買ってはくれないだろうな。
「どれかひとつにしなさい!」と言われて。
あー……。
おとなって、し・あ・わ・せ。
心底、思いました。
お嬢ちゃん、おとなは楽しーよ。
*バレンタイン・ストーリーズ*(2002.2.12)
気がついたら、もうすぐバレンタインデーですね。
……クリスマスが終わったと思ったら、今度はバレンタインデーか……。
気持、ふさぐなあ(笑)。(;-_-ゞ
うー。
こういう華やかでお盛んなイベントが過ぎ去るのをじっと耐えているうち、純のひがみ根性がMAXに達してしまうんです。
(f*^_^)
しかし、せっかくですから、バレンタインデーの話。
実は純は密かに、チョコをプレゼントする側に回ってみたい、と空想していたりします。
え、変ですか? (^-^;A
純は小さい頃から、サンタクロースのプレゼントとか、言うことを何でも聞いてくれるランプの精とかに、あんまり興味なかったの。
純は、むしろ、自分が誰かのプレゼントになりたかった子供だったのね。
純自身が、例えば魔法の絨毯になって、誰かを背中に乗せて、その誰かの行きたいところへ行くの。
そして、その誰かがうっとり眺める景色を、純もいっしょに眺めるの。
小さいころは、そういうのに、あこがれてた。
いじめられっこだったので(でへへ)、頭の中でそんな空想をして、遊んでいました。
行きたいところへ飛んでゆける絨毯は、その誰かにとって、とっても大切な絨毯になるでしょう。
だから、純はその人を背中に乗せて、猛スピードで飛んでみたり、高く飛んだり、低く飛んでみたりして、そのひとがかキャッキャッとよろこぶ声を、たくさん聞きたくなることでしょう。
で。
そういう子供っぽい空想を、純は今もやっているのです(苦笑)。(^-^;A
空想の中で、純は……、とりあえず女子大生になってみます。
☆恋人もいず、取り立てて恋人が欲しいとも思っていない女子大生の純は、学校の異性の友だちに、チョコを配ります。
同性の友だちにも、同じくチョコを配って回ります。
友達たちはそれそれ、いろいろな反応をみせます。
はしゃいでみせる者、茶化す者、同性からのプレゼントを予期せず、お返しを持っていないのを軽く謝る者。
でも、全員、喜んでくれます。
皆に配り終わった純は、家に帰り、最後に残った一枚のチョコをとりだします。
ふ〜ん、とため息をついて、にこっと笑いながら、そのチョコを純は食べるのです。
あ、素敵だ(笑)。
空想に、うっとり(苦笑)。
空想、女子高生編もいってみますか?
☆女子高生の純には、あこがれの男の子がいます。
バレンタインデーの今日、告白のチョコレートを何とか彼に渡したいと思っているのですが、さて、じっさい渡すとなると、勇気がありません。
げた箱に入れておく?
ちょっと不衛生だし、第三者が見つけてしまうということもあり得ますし、第一、あまりに古典的すぎて、オリジナリティーに欠けるやり方ですよね。
さて、どうしたものでしょう。
意識しすぎて、チョコを渡すどころか、声をかけることも、顔を見ることもできません。
うー。
時間がどんどん過ぎてゆきます。
ひとりでドキドキしながら、女子高生の純は焦ります。
このチョコは、今日彼に食べてもらわないと、意味がないチョコなのよ、と自分に言い聞かせます。
……もちろん、彼が、受け取ってくれたらだけど。
夕暮れが迫り、世界が、上質のウイスキーの色に染まります。
純は、短いスカートからのびた、自分の膝に手を置いて、ウイスキー色の陽に染まるその脚が、小刻みに震えているのを感じます。
さてさて、どうなることでしょう。
我ながら、初々しいなあ(爆笑)。
空想、幼稚園児編は?
☆幼稚園児の純は、モモ組のナントカくんに、チョコを渡しました。
ところが、仕事から帰ってきたパパが、自分にはチョコが無いと知って、しょんぼりしてしまいます。
純は、パパをなぐさめようとして、
「ママのチョコがあるでしょ」と言っても、しょんぼり。
「パパはいつも、いっしょにゴハン食べてるでしょ」と言っても、しょんぼり。
幼稚園児の純は、パパに悪いことしちゃったなあ、と、だんだん後悔しだします。
大人なんだから、チョコなんて、毎日食べられるのにね。
でも。
幼稚園児の純が、チョコを買うときにパパのことを忘れて、それがパパにはショックだったんだなあ。
どうしたらパパにわかってもらえるだろう?
パパのこと、すっかり忘れているときがあっても、それは、パパのことが大切じゃあないというわけではないことを。
どうしたらわかってもらえるだろう?
パパがしょんぼりしても、しなくても、パパのこと大切に思っていることを。
どうしたらわかってもらえるだろう?
パパがしょんぼりしても、しなくても、パパのことをすっかり忘れてすごす時間もあるということを……。
以上、バレンタインデーにまつわる、ショート三点でした。
*ナナミを埋葬する*(2002.2.8)
家で飼っていた黒猫が死んでしまいました。(ρ_;)
名前はナナミといいます。
先日の夜、突然いなくなったと思ったら、よそんちの花壇でのたれ死んでいるのが発見されました。
その家のかたにお礼を言い、遺体(?)を引き取りました。
ついこないだまで、にゃんにゃん膝の上にのってきたのに、今では、いかにも死体という風情であります。
う〜ん。
行方知れずになる寸前まで、ぴんぴんしていたので、もしかしたらミニバイクか自転車に轢かれてしまったのかも知れません。
でも、これといって外傷がないので、本当のところはわかりません。
純の弟は、子供みたいにポロポロ泣き出すので、ちょっとびっくりしました。
いい大人が、猫の死体を見て、ポロポロ泣いていいんだろうか、と、ふと心配になりました。
しかし、それは純が、ただ鈍感になってしまっただけなのかも知れません。
それくらいナイーブなほうが、人間的なのかも知れないなあ。
少なくとも、流した涙に見合うほど猫のナナミのことを愛していたのなら、その方が、愛していなかったよりも素敵だと、確かに思うけど。
弟よ、どうですか?
まあ、正直なところ、猫とはいえ、死体となると、それなりのインパクトはあります。
新聞の三面記事で読む、殺人事件や、事故のニュースよりは、いっしょに暮らしていた猫の死の方が、気持がふさぎます。
でも、それだって、女の子に振られたときの方が、断然こたえたもんね。
おっかしな順列だなあ、と自分で思います。
純の想像力って、この程度、ということなのかな……。
見知らぬひとびとの不幸よりも、家の飼い猫の死の方が、悲しいのよ。
ほんでもって、家の飼い猫よりも、自分自身の悲しみの方が大事なのね。
ただ、「人間、そんなもんよ」と言って、終わりにしてよいものなのかどうか、そこんとこがよくわかんない純です。
とにかく。
庭に穴掘って、石灰をまいて、猫御飯といっしょに埋葬して、まあ、純にできることって、それくらいですよね。
やれること、やりました。
手を洗って、コーヒー飲んで、しばらくぼーっとして、それから仕事を再開しました。
夕御飯もちゃんと食べました。
それからまた仕事しました。
おなか空いてきて、お菓子まで食べました。
猫一匹生きていようが死んでいようが、世の中何にも変わんないもんだなあ、とそう思うと、何だか変な気持です。
弟は、めそめそ泣いたけど。(^-^;A
このひと大丈夫かなあ、……弱々しすぎるなあ、とやっぱり思っちゃう。
生きるのって、厳しいもんよ、タフでなかったら、やってられないよ。
……って、ひたすら煙たい中学校の教師みたいなセリフだなあ、これ(笑)。
う〜ん、純のなかで、どうもすっきりしないことが多いのよね。
あの猫は、昨日まで、ふすまをガリガリ引っ掻いて、おなか空かして身体をすり付けていた。
今じゃあ土の中で、微生物に分解されるのを待つ身。
ただの死んだ肉切れ。
私らは、猫がいなくなっても、生活はなにも変わんない。
……まあ、ね。
もし純が死んで、それで家族がいつまでもメソメソするよりは、元気に仕事していてくれていたほうが気が楽だし、これで良いという気もするけど。
おぎゃーと生まれて、最終的には死んで、結局何もなしじゃあ、理不尽な気がするのよ、神さんよ。
いったいぜんたい、なんですか、この一部始終は?
あ、子供っぽいですか? (^-^;A
まあ、いちおうこれは日記という体裁になっていますので、空理空論に終始していても、許してね。 (;-人-;)
猫ちゃん、バイバイ。
……最後に、書物からの引用でしめましょう。
生後七日のときに、ピーターは人間の世界から抜け出してしまったからです。
窓から逃げて、ケンジントン公園へ舞いもどってしまったのです。*
*J=M=バリー氏作、高橋迪・高橋康也氏訳「ピーターパン」でした。
*カット&ペースト*(2002.2.7)
純は、3年前、iMacの緑色のやつが欲しいという不純(?)な動機でMacユーザーになった人間です。
というわけですので、iMacライム(緑色)と、MacOSエバンジェリストの弟の存在が無ければ、Winユーザーになった公算が高い。
いや、弟には内緒なんだけど〔笑)。(;^_^ A
だって、Windowsのインターフェイスって、ディスクトップ上にいっぱい小さいアイコンが散らばっていて、そのぶん多機能のような気がしたんですもん。
ハードのCMでも、
「インターネットボタンが四つもです!」
って、言ってたしい。
ソフトウェアも、色とりどりあるし。
ゲームなんかも、出来るし(結局、ミストというゲームを買ってそのまま放り出している純です)。
デスクトップ上でぐるぐる渦を巻くスクリーンセーバーを、秋葉原で最初に見たときは、感動したし。
でも、あのおにぎりの形をしたキャンディカラーのパソコンが、どうしてもほしー、と思ちゃったんです。
それがたまたま、Macだったわけ。
ごめんね、弟よ。
いまは、(クラッシック)Macユーザーであることに幸せを感じておりますので、どうか大目にみておくれ(笑)。
そんな私ですので、大好きなMacですが、パワーユーザーになりきれていない。
……というか、今だによくわかってない。ヾ(´▽`;)ゝ
エディターソフトを使っているとき、弟が、一生懸命「カット&ペースト」としきりに言うのですが、それってなんだろ?
私がカット&ペーストを知らないとわかったとき、弟は絶句してました。
純がMacユーザーになってから、一年を過ぎたあたりのエピソ−ドです。
いまでは、カット&ペーストの意味は完全に理解してますけど、さすがに。
WINの世界では、「切り取り&貼り付け」って言うんですよね?
そう日本語で言ってくれたらわかったのに、日本人なんだから(爆笑)。
ちなみに、最近のMacOSは、例えば「ドキュメント」を「Documents」とアルファベット表記にしたりして、絶対に日本人なめてる。(ー","
ともかく。
母親には、散々笑われた。
くそお。(`×´)
しかし、だね。
かく笑う母親も、WINユーザーの友達に、自分の名前でネット検索をかけさせようとして、
「シャーロック、シャーロック」と連呼していた。
Macユーザー以外には、意味が通じないって、お母様。
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