※お知らせ。
『えんぴつで憲法練習帳 日本国憲法前文 日本国憲法第九条』
増刷となりました
↑弊社の新刊本『えんぴつで憲法練習帳 日本国憲法前文日本国憲法第九条』
19日発売予定。最寄りの書店でも御注文可能です。
*自己責任健康診査・負け組保険指導*(2007.12.22)
「気分さえよければ真実かどうかなど気にしないというのは、金さえ手に入れば汚い金でもかまわないというのと同じくらい倫理的にたちが悪い。」
〜エドマンド=ウェイ=ティール 〜
「この原則は、不誠実で、卑怯なものだが、利点もある---われわれの目の前で起きている現実を理解するなどという危険を冒さずにすむようにしてくれるのである。」
〜ノーム=チョムスキー〜
いわゆるサッカーファンのひとたちの一部が、高揚したナショナリズムとその場のノリに身を任せながら、特定の民族、特定の文化、特定のチームを侮蔑し、
あげくに私に同意を求める
ということがあった。
私が同意しないと、特定の民族、特定の文化、特定のチームが「実際に」劣等&下等な存在であることを、自らの体験を「事実」として列挙しつつ、熱心に語ってくれる(もちろん、私が自分の意見をはっきり言わないから、という面もあるのだが)。
特定の民族のモラルのなさ、特定の文化の非人間性についてもっと知識を深めなくては、あなたの身に危険が及ぶ可能性がある、という内容を彼らは私に伝えようとした。
忠告、ありがとう。
実は、自分の実体験やそこから得た教訓こそが確たる証拠なのだとして、それを議論の中心にすえ、例えばアラビア人が劣等であるという話、黒人が劣等であるという話、それに大和民族が劣等であるという話だって、よりどりみどりで展開することが可能なのだけれど(やってみせましょうか?)、私がそこで議論をしないのは、不毛な議論というものが嫌いだからだ。それに、それらが実体験から得た教訓であるがゆえに、彼らにとっての揺るぎない真実でありえるというのは、理解できる。
ただ個人的に、劣等民族などというような明白な科学的間違いを、間違いと知っていながら支持することができない、というわけなのだ。劣等民族どころか、劣等生物というものですら、この地球上ではいまだかって発見されていないのだから。
だけど、議論はしないと言っても、正直、不快な気分を味わってはいる。
彼らが、オシム前代表監督を誉めそやすのを聞くと、勝手なのだとは思うけれど、私の不快感は倍増する。サッカー競技場という限定的な場面とはいえ、(民族の)宥和、(他文化の)共存、つまり
失われたユーゴスラビアの理想を再現しようとチャレンジし続けた
ひと、それがイビツァ=オシム監督だ。
「サポーターには、勝利だけを求めるようにはなって欲しくない」
と彼が言うとき、その言葉が指し示している意味を、きっちりと受け止めきってみせる。話はそれからだと私は思う。
そして、彼の言葉の真意を受け止めたなら、少なくとも他民族、他文化に順列をつけたり、リスペクトを欠いたりなど、とうていできないはずだ。
……私がこんなことを書いたからって、メールを送らないでね。
(^_^;)
議論をしたってしかたがないから。
私は誰も説得したくないよ。誰かを説得できるとも思っていない。
「サッカーの未来を見通せ」
とオシム監督は言っていた。
きたぜSF!
未来の、フィクションとしてのサッカー。
フィクションというものだけが提示できる可能性というものがあって、だから彼の作ったチームは、もっとも本質的なところで、いつだってフィクションだった。
オシム監督は、ブレヒトやバルトークやチャップリンやチェーホフらと肩を並べるべき芸術家、そして天才だったから、真意のすべてを私などが理解できるはずもないけれど、本質は掴むことができる。
そうやって本質をおおざっぱに掴んだうえで、さらになんとか、彼と同じ目線で世界を見ようと努力してみるのだ。
で!
話題が変わって、視線は変えずに。
日本政府のお偉方たちは、国民も寝耳に水の「ミサイル迎撃実験」に成功して、アメリカ合衆国に次ぐ偉業だと喜んだそうだ。
制空権を飛んでいってそれっきりとなったミサイルは、ぜんぶわしらの税金なんだが、政府のおえらさんがたが耳を傾けるのはいつも「勝者の声」だけなので、なんの問題もない。
小学校校区によってはストーブ用の灯油を買うどころか、給食の配食もストップし、
トイレットペーパーを買う予算もなくなっているというのに、
ミサイル一発で学校が何件も建つような実験を行う素敵な内閣だ。
私の収めたチビた税金は、少なくとも子どもたちのストーブの灯油用には活用されなかった。
このミサイル迎撃実験は、新テロ特措法案成立のためのデモンストレーションなんだろうけれども、
「これで北朝鮮の核攻撃もミサイル防衛で大丈夫!」
って、ほんと、救えないほどバカなんだなあ。
今度のミサイル実験によって、アジア全土の軍事的緊張は急激に高まった。
目を疑うほどに膨大な軍事予算と多国籍企業の持つハイテクノロジーによってささえられた圧倒的な軍備をみせつけ、ちらつかせ、タイミングを見計らって他国を挑発もする。そうした日本国の動きに軍事的に対抗するとするなら、アジア各国が選択しうる唯一の手段は「核兵器の装備」の宣言だ。
そんなことをすれば国際世論から糾弾されることは火を見るよりも明らかだが、
日本の「国際貢献」から自国を防衛するためには、背に腹はかえられない、顔面受けの綱渡りの外交に望みを託すしかない。
いま、アジアは、連帯しなければならない。
一国では、軍事的にも国際社会における影響力という意味においても、とても日本にかなわない。
核兵器を保持して牽制しようも、結局、アメリカ合衆国の介入の口実を与えるだけだ。
ならば、アジア全体が連帯するしかないはずだ。
アメリカ合衆国に対する南米諸国のように、だ。
日本が逆説的な形で、アジアの連帯を促進するかもしれない……。
……やな役回りだなあ。
(~ ~)
いっぽう、天木直人さんのブログでも話題になっておりますが、
厚生労働省が「メタボ退治」と称して、ウエスト、血圧、中性脂肪値、空腹時血糖値などの基準を定めた上で、
適正値をオーバーした者には「自己責任」として最大10%の医療費アップ
を検討中なのだそうだ。
2008年度からスタートするのだそうで、
オレ、来年から医者に通えないじゃん!!
(;^-^ゞ
マスゾエさん曰く、
『特定健康診査・特定保険指導』!!
これぞまさしく、
「狼は生きろ、豚は死ね!」
というやつ。
血圧や血糖値のあたいに問題を抱えているひとたちが医療費の増大で医療を受けに来なくなり、それをもって「メタボ退治」と宣言し、どこまでも清潔で美しくなっていく日本という国。
さあ、もうすぐクリスマスだ。
見通しは暗いが、前を向いていこう。
マイケル=ムーアのサイトから、こちらの動画をどうぞ。
『戦争は終わった もしあなたがそれを望むなら』
ハッピー・クリスマス!(←まだだっつーの)
*21世紀は『ブレードランナー』の夢を見るか?*(2007.12.17)
「恐怖の連続だろう。それが奴隷の一生だ」
〜映画『ブレードランナー』 〜
「電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも」
〜P=K=ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 〜
「悲しみは自分自身を解き放つことができるの。自分の窮屈な皮膚の外に踏み出すのよ」
〜P=K=ディック『流れよ我が涙、と警官は言った』 〜
※この日記は、映画『ブレードランナー』のネタバレが含まれております。
某テレビタレント弁護士が大阪知事選挙の出馬を表明した翌日の新聞のテレビ欄は、上から下までびっしりと某テレビタレント弁護士の名前で埋め尽くされていた。
「橋下」「橋下」「橋下」「東国原」「橋下」「橋下」「橋下」「橋下」
これがぜんぶテレビ広告だと考えみ?メディアの圧倒的な物量と説得力のすさまじさがわかる。
某テレビタレント弁護士がどのような人物なのかは江川紹子さんのこちらの記事を参照していただくとして。
知事選における彼のキーフレーズは
「大阪のセールスマンになる!」
ぎゃあああああ〜!!!
またまた内容のないイメージ言葉だ!
醒めない悪夢にのけ反ってしまった私。ここは『ユービック』か? 『1984』か? 『ブレードランナー』か?
「なんか変なものが落っこちてるぜ?」というセリフがどこからか聞こえてきそうだ。
「ふたつでじゅうぶんですよ」
(^_^;) 『ブレードランナー』オタッキーにしかわからんネタです、すみません。
てなわけで、今年も残り二週間を切っても、世相はP=K=ディック的な渾沌と暗さにどっぷりと浸り込んでゆき、いつもお世話になっている『暗いニュース』さんにあたらしい記事がアップされた。
『選挙不正大国アメリカ』
「2000年の選挙トラブルで批判を浴びたキャサリン・ハリス州務長官は、投票集計騒動を逆手にとって、パンチカード式投票システムを廃止し、代わりにタッチパネル式電子投票システムをフロリダ州に導入するよう熱心に活動していた。その最新鋭の電子投票システムは、投票記録を紙に印字しないので、有権者の票が実際には誰に加算されたのか確認することもできず、投票機の票集計結果を検証する手段も持たない。つまり投票トラブルが発生した場合、票集計のやり直しを求める有権者の要求を容易に斥けることができるというわけだ。」
「現実」と「メディアの説得術」がイコールで結ばれてしまった世界。
それが、いま、私の立っている場所らしい。
--☆---
アメリカ人が作ったとは思えないほど首尾一貫した、魅力的な世界を提示して、また、アメリカ合衆国における「真の文豪」原作者フィリップ=K=ディックのテーマを見事に映画化し、
パート2・3・4……と続編ビジネスで儲けることが出来なくなるほどに完成された出来栄えとなった
偉大なSF映画に『ブレードランナー』という作品がある(実は監督はイギリス人のリドリー=スコットなんだけど)。
ロシア人の作った『惑星ソラリス』や『ストーカー』には及ばないかもしれないが、『E.T』『スターウォーズ』などとは比べ物にならない傑作だし、個人的には『2001年宇宙の旅』よりも高く評価しております。
(;^-^ゞ
物語の舞台は2019年。西洋と東洋の文化が入り乱れ、絶えず酸性雨が降り注ぐロサンゼルスに、過酷な開拓地である地球外基地から、男3人・女3人のレプリカント(強い肉体、開発者と同等の知能を持ち、人間とほとんど変わらない外見の人造人間)が脱走してきた。彼らの『解任』を依頼されたブレードランナー(レプリカントを見抜く事の出来る技術を身に着けた特殊捜査員)デッカード(ハリソン・フォード)は、社会に紛れ込んだ人間そっくりのレプリカントたちを追う……というのが、「Wikipedia」でのあらすじだ。
完成度の高さゆえに続編が作れないとなると、編集をいじり倒した『ディレクターズカット版』『最終版』『ファイナルカット版』というものが次々とリリースされることになった。
それらをDVDボックスにして、究極という触れ込みでばか高い値段で売りさばく。
そんな、『ブレードランナー』アルディメットコレクターズエディションDVDボックスを購入した本当に馬鹿な私。
……いや、それはよかったのだ。が、特典映像の中で、監督のリドリー=スコットが
「主人公デッカードは本当はレプリカント(←アンドロイド・偽人間)」
などという爆弾発言をしていたことが、我が家で大きな波紋を呼んだ。
なぜなら、デッカードがレプリカントだという、監督の発言は、
完ぺきに間違っている
からだ。……と、監督の制作意図さえ否定する批判精神旺盛な私。
しかし、誰が何といおうと、監督は間違っている。私が正しい。
(^_^;)
だって、レプリカント( アンドロイド)を処分する役回りのデッカードもレプリカントだとすると、「人間とは何か?」という作品のテーマが、「人間はレプリカントか?」にすりかわってしまうじゃないか!
微妙だけど、ぜんぜん違う。
デッカードがアンドロイドを“処分”していく過程で人間性を失い、自分を疑い、「人間の定義」がゆらぎ、やがてレプリカント・バティと人間・デッカードの立場が完全に逆転したときに起きる小さくも重い奇跡……これが『ブレードランナー』という物語のはずだ。
デッカードがレプリカント(偽人間)だったならば、失う人間性も、人間とアンドロイドの立場の逆転の構図も、根本から存在していなかったことになってしまう!
相手が映画監督だろうが、絶対に譲れんぞ、ここは!!
「俺はおまえたち人間が想像も出来ないものを見てきた」
というレプリカントのセリフも、ルドガー=ハウアーの怪演も、無価値なものになってしまった……どころか、さまざまな矛盾を生み出してしまうことになる。
映画の制作過程で監督が思いつき、脚本と設定を変えたんだろうが、繰り返すけれど、
間違ってる、間違ってる、間違ってる!
主演のハリソン=フォードは、「デッカードはレプリカントである」とするリドリー・スコット監督とデッカードの正体について揉めたこともあった、と「Wikipedia」にある。ハリソン=フォードは正しい。
本当の話をすれば、デッカードがレプリカントであるとかないとかよりも、「人間とは何か?」という物語のテーマに忠実であるかどうかが大切で、私は、相手が映画監督だろうと反旗をひるがえす。
リドリースコットは
「この映画を観て、デッカードがレプリカントだと気がつかない人はどうかしている」
と言っていたけれど、それは逆だ。
デッカードがレプリカントだという情報を正直に受け止めると肝心の物語が破壊されてしまうので、観客たちは別の解釈をしようと脳みそを働かした結果なのだ。
けなげだろ、観客って。
「人間とは何か?」と「人間とニセ人間の区別がつかない“だけ”の世界」は、似ているようでまったく違う。これではもう『ブレードランナー』ではなく、『遊星からの物体X』か『エンジェルハート』になってしまう(『遊星からの物体X』は名作ホラーで、大事なのは作品のテーマに忠実であるかどうか)。
つーか、ほんと、失望したし、頭にも来るな。
私の弟は、怒り狂って罵詈雑言を吐き散らしております。
さもありなん。
ディックのように、「人間とは何か?」というテーマを徹底的に掘り下げるには、仏教的な、否定的なアプローチでせまるのが正しい。
「あれも人間じゃない」「これも人間じゃない」と、タマネギの皮を向くようにそぎ落としていく。そして、すべての虚構がそぎ落とされたとき、あなたの手元には何も残っていない!
じゃあ、じゃあ、
人間とはなんなんだあ〜!!
答えを求めて、ディックの作中人物&作中“非”人物たちは、「幻想虚構現実世界」をのたうちまわる。
「デッカードはレプリカントか?」ではなく、「人間とは何か」だ。耳にタコができても言うぞ。
……というか、ディックがアメリカに生まれたのは悲劇だった。
ロシアの大地におぎゃあと産声を上げていれば、偉大な文豪たちの仲間入りをしていたと思う。
せめて、フランス辺りで作家になっていれば、彼の小説は理解されたろう。
「人間とは何か?」
そして、
「人間とはとても呼べないこの私たちとは、いったい、何者なのか?」
これが正しい『ブレードランナー』だ。
……私は完全に正しい。
*琵琶湖・スウェーデン、中国、SF*(2007.12.12)
「人類はどう死ぬか、いつ死ぬか選択できない。
どう生きるか、これだけは決められる。さあ、決めるのです!」
〜ジョーン=バエズ 〜
「ひとりひとりの個人の運命を改善することなくしては、よりよき社会の建設は不可能です。
ですから、各人が自分の運命を切り開いていこうと努力しながら、しかも同時に全人類にたいして責任をわけ持たねばならないのです。
なぜなら、自分が一番役にたってあげられる人々を助けることは、私たちひとりひとりの義務だからです」
〜キューリー夫人〜
「人のためにしていることが、実はとても自分のためになっているということがあるのよ」
〜オノ=ヨーコ〜
琵琶湖に潜水ロボットを潜航させて、お魚の写真を撮ったところ、
58匹中42匹に異常
が見つかったのだそうで。
琵琶湖の魚はどうなってしまうのだろう。
魚だけでなくエビなどにも異常がみられたのだそうだ。原因は調査中だ。
湖のなかが酸欠状態になっているという報告もある。もしそれが異常の原因のひとつだとして、この酸欠は、地球温暖化が引き起こしたものらしい。
くわしくは、琵琶湖環境化学研究センターのサイトからどうぞ。
風が吹いたら桶屋が儲かる。
地球の気温が上がったら琵琶湖のお魚に異常をきたす。
(^_^;)
ドイツの環境保護団体『ジャーマンウオッチ』が、地球温暖化対策の実績と取り組み世界番付を発表した。
なんでも、CO2の排出量や温暖化防止対策を調査し、数値化したものだそうで、調査対象は主要56カ国なのだそうだ。
ベスト3は
スウェーデン、ドイツ、アイスランド。
ネクラなくらい生真面目な地域が、地球温暖化防止にもっとも熱心なのだった。
アジアでは5位にインドが入っている。
イギリスは7位だ。
日本のメディアが
環境破壊の天守閣に鎮座します悪玉だとして連日攻撃を加えている中国
はというと、56カ国中、40位だ。
確かに、「適切な気候保護政策を採用していない」としか思えない順位だ。
で、われらが日本。
42位。
ぎゃああ〜!!
中国よりふたつも順位が低いよ!
いや〜。スウェーデンやドイツやアイスランドでは、昨日も今日もそして明日も、日本が地球を傷つけてると報道されてるんだろうな。
日本における中国の報道みたいに。
他人の立ち小便を厳しく攻撃しながら、自分は平気で煙草のぽい捨てをしていたことを暴れたような、はたまた、ズボンのチャックあけたままで外出しているひとをあざ笑っていたら、自分はパンツも履いていなかった、というような塩梅で、本当に恥ずかしい。
ちなみに、資本主義システムのボス、アメリカ合衆国はというと、56カ国中、
55位!
栄えある最下位はサウジアラビアだった。
しかし、順位が示す以上に日本の状況がまずいのは、環境破壊という地球規模の大問題に取り組む姿勢が、ぐだぐたのダランダランな点だ。
はっきり言って、解決にむかって取り組む気が無いんだな。
(^_^;)
いっちゃあなんだけど、中国だって、国を挙げての対策にのりだしたんだぜ?
この日本は、公共の財産をなんでもかんでも民営化したら、魔法の言葉☆企業努力☆でぜんぶ解決、なんてことを考えているおめでたい国民性だからなあ。
地球温暖化解決に取り組むなんてめんどいことよりも、企業が
私たちは商品の開発段階から地球環境保全に取り組んでいます・というイメージをばらまき
どうか私たちのブランドをあなたのライフスタイルに取り込んで下さい、と消費者を説得する。その説得の技術ばかりが発達して、私たちの国では、これが、環境対策だ。
(^_^;)
消費者たちはそうした手軽でハッピーなイメージごと、さまざまな商品を飲み込んでいく。企業のロゴをみると、あなたは思う、
「地球環境が守られているんだ!」
……。
本当に尊い活動は、テレビには映らんのです。
しかし、それにしてもだ。
単なるイメージ言葉としての「環境対策」にすぎないとしても、それだって無ではないし、地道な市民運動と啓蒙活動の確かな成果なのだ。
地道な市民運動というものがなければ、きっとそれすら
この日本という地域の内部では存在しなかったろう。
ひとびとが本当に望む未来を、架空の人格・法人ごときが、退けることなどできるわけがない。
人類よ、もっとSFを。
f(^^;)
---☆--
例のタレントもどきの弁護士が、大阪府知事選に自民党から出馬するのだそうです。
またテレビタレントか。
(´▽`;)
テレビをつけると、気分がめっきりと暗くなる情報しか入ってこないな。
「パティ・キーンはわざと頭を鈍くしていたが、これはミッドランド・シティのたいていの女にあてはまることだった。
女は大きな動物だから大きな脳を持っているが、つぎのような理由であまりそれを使おうとしない。
人並みはずれた考えは敵を作るおそれがあり、女は、もしいくらかでも安全と心の慰めを求めるならありったけの友人が必要だからである。
そこで、生存のために、彼女たちは自分自身を訓練して、思考機械ではなく同意機械になろうとする。
彼女たちの頭がする仕事は、他人がなにを考えているかを発見し、それから自分もそれを考えるだけになる。」
偉大なカート=ヴォネガット先生の『チャンピオンたちの朝食』からの引用だが、もちろん、ヴォネガット先生は女性差別主義者などではない。
先生は、「私たち」について話しているのだ。
というわけで。
大阪府民よ、どうか、SFを。
*映画・買い物・ヘレン=トーマスの話*(2007.12.9)
「年に2、3回以上考える人はほとんどいない。
私は週に1、2回ほど考えるという国際的な評価を得た」
〜ジョージ=バーナード=ショー 〜
「恐がってはいけないよ。大切なのは勇気、想像力」
〜映画『ライムライト』〜
このたび、奈良県学園前某所で映画『夕凪の街 桜の国』を鑑賞した。原爆被爆者、そして被爆者三世の日常を繊細に、そして鋭く描いた大ヒット漫画の映画化作品だ。
で、観終った感想としては、非情に残念な出来栄えだった、と、原作を好もしく読んだ身としては、そう言わざるを得ない。
小説でも映画でも“否定的に描写して本質に迫る”と呼ぶしかないようなスタイルがあって、例えば、イラクで行われた戦争やヒロシマ、ナガサキなどは、肯定的に観察するよりも否定的に観察したほうが、より本質に近くなる、ということは、あるはずだ。
ところがいまの邦画は、一部の例外を除いて、
“気持ちよく泣けるように描写して感動に迫る”
ことを目的とした、ぺなっぺなの「感動のドーピングもの」作品であるかどうかが、善し悪しの基準になってしまっている。だから、どんな原作も「ただ泣けるそれだけの映画」にしか仕上がらない……ということがあるのではないか。
くわしいあらすじはネタバレを自粛するとして、
原作漫画の“否定的に描写して本質に迫った”部分、
「 十年経った(映画は13年)けれど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった! またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?」
という独白を、映画では、被害者意識にどっぷりと染まったセンチな泣き言にまで落とし込んでしまっていて、これにはまいった。
「自分は生き残るべきではなかったのではないか?」という強烈な罪悪感にさいなまれて生きる一人の女性の、ぎりぎりのどたんばでの
「やった! またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?」
という、逆転した自己の存在意義の発見という、目も眩むような絶望が、映画ではすっぽり抜け落ちて、すっぽり抜け落ちているからこそ、
周囲の観客は気持ちよくシクシクと泣きだすという……。
とはいえ、私も一緒に涙を浮かべて鑑賞していたのも事実だ。しかし、これは、ただの感動のドーピング効果でしかなく、そのことを自覚している私は、ぶるっと寒けがして、『ドーン・オブ・ザ・デッド』か『デモンズ』のようなホラー映画に紛れ込んだような気分に陥った。
第二部の、「被爆者が被爆者を差別する」という腰がぬけてしまうほどの悲しみも、衝撃も、なんら否定的にとらえきれず、だから本質に届かない。
泣ける映画、などというものを作ろうとするから、するりと本質から逃げられてしまう、ということではないでしょうか?
あと、文句ばっかり言うつもりはないんだけど、漫画のコマよりも映画のカメラが作る構図のほうが凡庸になってしまっているのはどういう……。いっそ、漫画のコマどおりに構図を切ったらよかったんじゃあ……。
ps・翌日、もう一度鑑賞してみたのだが、私が言っていることって、原作ファンのないものねだりなのでしょうか? 皆実が
「私は幸せじゃった」
などと言い出すシークエンスは、物語をただの難病物におとしめて、どうしてこうまでして「お涙頂戴」でなければならないのかと思う。あえて「幸せ」「不幸せ」と言うにしても、皆実は「これっぽっちも幸せになりえなかった女性」でなければならない。皆実が「幸せ」だったのなら、それは『夕凪の街』ではなく、別の物語だ。
しかし、世の中には本当にどうしようもない映画がはびこっているわけで、私基準ではなく2007年公開の邦画を見渡したなかで採点すれば、上位に食い込む内容だとも思う。
そこんところは、付け足して言っておこう。
『恋空』観るなら、こっちを観て下さい。そう書いておかないと、良心が痛んで仕方がない。
--☆---
こちらのページから、TBSのラジオ番組『ストリーム・コラムの花道』の11/27(火)放送ぶんがポッドキャストで聞けるんだけど、映画評論家の町山智浩さんが、
「おまえら買い物ヤメロ!」
と説いて回る牧師さん(偽物牧師で本当は劇団員)を紹介して下さっていて、これが、私のハートをぶち抜いた。
まあ、聞いてみて下さい。
私は、町山智浩さんとは考え方も価値観もずいぶん違うのだが、これは感動した。
「みんな聞け! 無駄な買い物は罪だ! 今すぐ買い物をヤメロ!!」
最高だよ、ニセ牧師、ビリー!!
ヽ( ̄▽ ̄)ノ
おれが劇団員だったら、このパフォーマンス、日本でやりたいよ!!
命がけだけど。
「アメリカ人が去年、買い物に使った額はいくらだ!!」(ビリー・ニセ牧師)
「4550億ドルです!!」(信者たち)
「アメリカのクレジットカードの負債はいくらだ!!」(ビリー・ニセ牧師)
「4兆5000億ドルです!!」(信者たち)
「主イエス・キリストが生涯一度だけ激怒して暴力を振るったときがある、それはいつだ!!」(ビリー・ニセ牧師)
「欲に目を血走らせた商人どもを蹴散らしたとき、そのときだけです!!」(信者たち)
「主が一番憎んでいることはなんだ!!」(ビリー・ニセ牧師)
「買い物です!!」(信者たち)
"o(^▽^)o
ほんとうにすごいよ、これは。
オレは、思わず小さなお悟りを開いてしまいそうだ。
---☆--
『暗いニュース』さんのところに、ホワイトハウス番記者、ヘレン=トーマスとディナ=ベイリー大統領報道官とのやりとりの翻訳がアップされていた。
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2007/12/87_2191.html
「アメリカ国民がそれに投票したとでも?」
「なぜ将軍次第なの?」
「じゃ、私達はあとどれくらいの人間を殺すつもりなの?」
「イラク戦争が始まってから現在までに、我が国が(一般市民を)何人殺したかわかってるの?」
「遺憾って?!そんなことしても命は戻ってきませんよ!」
うわあ。
87歳とは思えない。
鋼鉄のジャーナリスト魂、いまだ健在!!
アメリカから学ぶべきは、こういう個人の気骨だと思う。
*アンチ『流行語大賞』*(2007.12.6)
「見えるものを見なさんな」
〜美輪明宏 〜
「未来を予測する最良の方法は、それを発明すること」
〜アラン=ケイ〜
「軽薄短小、クリスタル族、ノーパン喫茶、金ブーム、談合、ぶりっ子」
〜1981年流行語〜
「ファジー、オヤジギャル、バブル経済、アッシーくん」
〜1990年流行語〜
「人の命を守るよりすばらしいことはない。私はその組織の一員として、必要とされるとき、お世話をしてきた。脈をとったり、血圧を測り……。しかし一度も(患者さんの)クレジットカードをチェックしたことはない」
〜2007年“アンチ”流行語大賞
受賞者・NHS救急隊員アンドレア=ギブスさん〜
このたび、めでたくも、かの元お笑い芸人・某県知事オリジナルの
「(宮崎県)をどげんかせんといかん」
という発言が、今年の流行語大賞に選ばれたのだそうだ。
うわあ。
おれら、どんだけ天下泰平なんだろうな!
ものの本質とか、自分たちの未来とか、そうしたこといっさいがっさいに対して、どうしてこうチャランポランかつ無関心でいられるのだろうか? どんだけ?
あ、「どんだけ〜」という言葉も、今年の流行語なんだそうだ(私の周囲では「どんだけ〜」なんて言葉を使う人はまったくいないんだけど、テレビでは流行ってるんですかね?)。
(;^_^ A
流行語大賞ねえ。
メディアを通じ三百ウン日かけて消費された言葉をかき集め、ふるいに掛け、つけようもない順位を付ける。大量生産されうるイメージ言葉だけがまるで工業製品のように消費されていく世界における、一年のどんづまりの行事のひとつだ。
選考においては、インパクトや、しゃれっけ、最近では「ひっきりなしに、はしゃいでいたい」といったような心のありようの表現が高く評価される。
そうやって、これこそ今年1年の流行語の最高峰だ、という言葉を無理を承知で強引に決めてしまえば、今度はそれをメディアがとりあげ、すでに少しくたびれつつある流行語に最後の光があたる。
どんだけ〜!!
「どんだけ〜」の用法、間違ってないよね?
(^_^;)
ネットで調べると、流行語のトップテンのなかには、「食品偽装」という言葉も入っている。
そういえば、先日もローソンが消費期限切れのおでんを販売していたことがばれたのだった。
ミートホープ、石屋製菓・白い恋人、船場吉兆、博多っ子本舗の博多明太子、赤福、マクドナルド、その他もろもろ。偽装食品はあらゆるジャンルを超えて、すでにひとつのメニューになりつつある。まさに、
不正と詐欺のグローバリゼーション!
偽装、証拠隠滅、暴言失言、カメダのズル(これは食品ではありません間違い)、それらの後に続くのは、謝罪、謝罪のオンパレード。
国民の健康と生活の糧となるべき食品をめぐる詐欺行為がつぎつぎと明るみに出るたびに、その事実の重さに見合うだけの衝撃を、テレビや新聞を通じて視聴者や新聞購読者は確認する。
それらの衝撃は「不安」「義憤」といったようなレッテルをぺたぺたと貼られたのちに、手際よく商品化されて、テレビは、どこぞの社長、それから会長、問題のあった部署の責任者の謝罪会見を繰り返し放送し続ける。日本のどこかで連日行われている謝罪会見を放送し続けるなかで、「識者」たちがそれぞれの会見を分類わけし、ディティールを比較し、評価点を付け、
謝罪の善し悪しなどというところに注目し、
どこにたどり着くわけでもない見識とやらを披露していく。識者の見解を受けて、さらに今度はテレビタレントや番組のゲストと呼ばれているひとたちがああでもない、こうでもないと感心したり憤ってみたりする。
かくして、そこまでやるのか!と、あきれるほど徹底的に喉ゴシよく加工された情報は、音をたてて消費されて、ぺなぺなと漂いながら、どこかへと消えていく。
今の日本では、「世間の空気」としか呼びようのないものが世論のすべてであり、そしてその「世間の空気」とやらは、テレビ局が朝から深夜までみっちりと私たちに届けている雑多な番組の内容と、完全なイコールで結ばれている……ということになっているらしい。
「空気」を形成するために「喉ごしのよさ」をじゅうぶんに意識しつつ、制作されていく報道番組。制作された番組は、食品偽造問題全体を俯瞰しながら、会長の頭の下げ方がどうの、社長がテーブルに手をついていたかいなかったかがどうのと、最終的にはなんら建設的ではない
「謝罪のあり方」などといううわっつらの形式に無理矢理集約してしまう。
どんだけ……。(←ちょっと気に入って、乱用してみたりして)
謝罪したとか、しなかったとか、本当にくだらない。会見に挑む際のネクタイの色だとか、頭を何度さげたのかだとかは、さらにくだらない。
続発する食品偽装事件がどこからやってくるのか、なぜ後を絶たないのか、それをしっかり見通さないかぎり、なにも始まらない。
私、何か間違ったことを言っているでしょうか?
では、続発する食品偽装事件がどこからやってくるか、腐敗の原因はどこにあるのか、個々の事件の原因をひとつに絞ることはできないけれど、一番の問題、それは、もちろん
「規制緩和」
マジ、これです。
理不尽極まる何らかの理由により、いままで規制されていた「おいしいもの」や「新鮮なもの」が、どーっと我が家の食卓になだれ込んでくるのが、いわゆる規制緩和だと、私の周囲の人々の多くは信じている。
しかし、な。
実際は、「表示義務」や「報告義務」、それ以前の「モラルの維持」といった事柄に関する規制を「効率化」という名の暴風の元に緩和する、それが「規制緩和」の本質だったわけだ。
(^_^;)
そもそも最初から、そうなのだ。
偽装行為の安定的な実現を目的に、表示義務や報告義務を「規制緩和」したのだから、当然、食品偽装事件という今があってしかるべきなのだ。
私たちはそれを容認した。規制緩和を認めた。
未来は過去からやって来る。
実態は単純なのものだ。
知る意欲さえあれば、簡単にたどり着ける真実だろ?
無知の闇に光をともすのは簡単だ。電灯のスイッチを付ければいい(笑)。
ぽちっとな。
……しかし、私たちはそれを恐れる。
だってさ、
電灯がついたら何が出てくるかわからんし
さらに、知ってしまった者の責任とやらが背中にのしかかってくるんだからな!
おーこわ。
つーことで、謝罪について議論を続けますか?
(^_^;)
そんなの関係ねえ。そんなの関係ねえ。
うん?
いや、そんなの関係ねえ、という言葉が、今年の流行語のひとつなんだそうな。ああそうですか。
ホー。
……こうなったら、「流行語大賞」に対抗して、ワシがひとりで
2007年アンチ流行語大賞
を立ち上げ、大賞を決めてやるわ。
さっそく行きます。
パンパカパーン!
2007年アンチ流行語大賞!発表!!
「人の命を守るよりすばらしいことはない。私はその組織の一員として、必要とされるとき、お世話をしてきた。脈をとったり、血圧を測り……。しかし一度も(患者さんの)クレジットカードをチェックしたことはない」
受賞者はNHS救急隊員アンドレア=ギブスさん!!(イギリス人)
わーお!!
ブラヴォー!!
拍手、拍手!!
流行なんて地獄に落ちろ!!
NHS救急隊に栄光あれ。
全世界の救急隊、消防隊に栄光あれ!!
丼茸〜。
鈍駄毛〜。
*ホラー番組『エンタの神様』*(2007.12.4)
「この知性を必要としない娯楽の場合は、単に人々を体制に順応させ、ほとんど感情と衝動で支配されるようにするだけです。その衝動とは、もっと消費し良い消費者になることです。」
〜ノーム=チョムスキー 〜
「私は、平和の扇動者でありたい。」
〜チャーリー=チャップリン『独裁者』〜
「握り拳と握手はできない。」
〜ガンジー〜>
「徴兵制度は人間を腐らせる。」
〜盧=武鉉〜
「アムロいきまーす」
〜『機動戦士ガンダム』〜
「救急戦隊ゴーゴーファイブ!」
〜『救急戦隊』は実在する……〜
私は普段はテレビに近づきもしないのだけれども、先日、オシム監督の病状を知ろうとテレビをつけたら、大人気番組だとうわさに聞く『エンタの神様』という番組が流れていた。
で、好奇心から鑑賞したわけだが……こういうことを書いても益することは何もないとわかっているんだけど……あまりといえばあまりの無残さに、大げさでも冗談でも皮肉でもなんでもなく、心の底から度肝を抜かれた。
どんなホラー映画を観るよりも恐ろしい。ショックだ。
それがテレビである、ということ以外に、何もない。無価値という言葉すら当てはまらない。音声としてスピーカーから流れてくる笑い声というものを除けば、笑いも痛快さも滑稽さもなにもない。娯楽ですらない。『1984』のようなプロパガンダや誘導もない。宇宙空間に放り出されたボーマン船長のごとく、まったくの無だ。
内容もなければ器もないといったような「テレビジョン」という巨大なシステムを、それが「テレビジョン」というだけでまるごと受け止め、いったいどういう精神の仕組みなのか、番組を鑑賞するそのひとそのひとの感受性のなにかしらを共鳴させもし、何もないものを消費し続ける。内容すらないものを、ひたすら消費し続ける社会の奇妙さと恐怖。
オシム監督、助けて〜!!
私が見たかったのは、テレビのスポーツ報道だ。オシム監督の病状だ。
私はテレビをあきらめ、ネットでニュースサイトをあさることにした。
すると、元お笑い芸人の某宮崎県知事が、知事公舎での懇親会で、
「徴兵制はあってしかるべきだ。若者は1年か2年くらい自衛隊などに入らなくてはならないと思う」
と発言したという見出しが。
へー。
都知事であろうが県知事であろうが、私はこういう発言に出くわすたびにいつも感じるのだが、
どうして身も知らぬ赤の他人に強制する前に自らが入隊しないのだろう?
現役の宮崎県知事が自衛隊に入隊すれば、持論の説得力が増しまくりだし、「規則正しいルールにのっとった生活」という価値観全体に対する、大PRになるし。
宮崎県知事が入隊しなさいよ。だったらワシも入隊してやるからさ。
(*`ε´*)
この某宮崎県知事、私の周囲の平和運動家さんのなかにも支持する人が多くて、正直なところ私はそっちのほうにショックを受けていたわけなんだけど、この「徴兵制必要」発言を受けて、今ごろどう思っているかなあ、支持派のひとたち。
「(宮崎県)をどげんかせんといかん」
と発言したのが素晴らしい、と、私の周囲の幾人かの方々はおっしゃったのだが……。
「どげんとせんといかん」とは言っても具体的に「どげんする」というのか、テレビはまったく注目せんし、テレビを観ている皆さんも注目せんのよね……。
ただ、「徴兵制の何が悪い!」と言うなら、話は別だろう。
そして、むろん、「反戦&平和」を希求することと「徴兵制の是非」はまったく別の問題だと考えることも可能だ。
「平和を守るための軍隊」「平和と秩序を維持するための徴兵制」という発想から、もしかしたらあのひとたちは某宮崎県知事を支持しているのかもしれない。
自衛隊もしくは国軍が(名前はどうでもいいんだけど)、日本国国民の平和な生活を維持し保障していくわけであり、したがって日本国国民は、国家の徴兵の要請に応えていく義務と責任があるのだ、という平和論だ。
実にけっこうですね。
……平和の定義が根本から違っているわけなんだろうな。
いったいどの時代のどの国の軍隊が、ほんの一時期でも、自国の国民の権利なり幸福なり自由なり
しけた財産なりをいやいやながらでも守ったり維持しようとしたりしたのだろうか?と、むなしく問い掛けては小首をかしげる
アウトサイダーな私。
こんな日記を書いて、また友だちと仕事を減らすわけだ。
(T△T)
そんな私と平和と徴兵制の問題。
もしも神様が日本国首相の枕元に立って、
「日本国民よ! 徴兵制じゃあ! 徴兵制を敷くのじゃあ〜。でないと銀河系宇宙の平和が乱れに乱れて乱れ髪。徴兵制を敷かぬと3日後にノストラ大魔王が降臨して、世界は破滅するじゃろう〜。ですてに〜」
と言い放ったのだと言うのなら、これはしかたがないだろう。選択の余地はない。その場合は、自衛隊や軍隊にではなく、規模を拡大した
消防救急隊への徴兵制
を施行すればいい。
すごい! われながら素晴らしいアイデア! このアイデアを聞いたら、神様は喜びすぎて、きっと心臓が止まってしまうぜ!
(^_^;)
ウ〜ウ〜、カンカン。
消防車が通りま〜す!
24時間365日、世界市民の命と財産を守るため、自らの命すら投げうって、今この瞬間も世界のどこかで働いているひとびと。
火事や地震や台風、強力な敵が地球を襲う! しかし、通報があれば燃え盛る石油化学コンビナートだろうが放射能が吹き出る原子力発電所だろうが、彼らはなんの躊躇もなくかけつける! モチを咽に詰まらせたお年寄り、下水にはまった小猫だって! 勝ち組負け組関係なしで共同体の利益のために今日も出動!
その名も『救命戦隊☆消防レンジャー!!!』
徴兵制を施行しなければ世界が終わるというのなら、そうだ、自衛隊を廃止して、消防レンジャーを立ち上げればいい。
言っとくけど、マジですから、ワシ。
日本国民のすべてが、消防隊員、もしくは消防隊経験者になる。
♪地球の平和を守るため
♪輝く、はしご車
♪いまだそれゆけ、ポンプ車
♪けが人運んで、救急車
♪正確無比な放水、守るぞ地球〜
♪担架を運ぶ、百人力
♪けむりひとつも見逃さない
♪ゴーゴーレッツゴー 救命戦隊☆消防レンジャー!!!
繰り返すけれど、24時間365日、“世界共同体市民”の命と財産を守るため、自らの命すら投げうって戦っているひとびと、それが救急隊員&消防隊員だ。
軍隊というところは、似ているようでいて実はまったく違う組織だ。
24時間365日、“国家”の利益と財産を守るため、自らの命すら投げうって戦っているひとびと、それが兵隊さん。
無私の英雄という部分では一緒でも、目的違えば結果も違う、ゴールは遠く明後日の方向に!
軍隊という組織が、「問題が発生」するたびに自国の国民に銃口を向け、ときには引き金を引くのは、彼らが国民ではなく国家のために存在している組織だから。
そして、地球人が築いた(先進諸国人という注釈をつけたほうがいいのだろうか)巨大な資本主義経済・利益追及型投機システム社会の内部では、国家と国民はけっしてイコールではない、本当に残念なことだけど。
ここ、テストにでるぞ〜、覚えておきましょう!
d(-_-)
個人的な感想を書くと、21世紀にもなって、国家などというものに忠誠を誓うひとびとを私は信用できない。理解もできない。私はSFを読む人間で、つまり、私たちはどこから来て、どこへ向かっているのか、人間とは何なのか、私たちはこれからどんなふうに生きていくべきなのか、そんなことを真剣に考えているひとたちの書いた文章を黙々と読んできた。
義務感半分で。(;^-^ゞ
だけど、何を信用し何が理解できるかはひとざまざまだ、と言うこともできる。
SFマガジンのヴォネガット追悼号では、編集長が、「(ヴォネガットは)ぜんぜんわからない」と書いているくらいで、きっと、地球人が平和を語るのには百万年早いんだろうな。
ともかく、『エンタの神様』は、私の心を恐怖で激しく揺さぶった。
批判精神というものがきれいさっぱり除かれた、大量消費社会。
「平和」ですら、消費を喚起するためのスローガンにすぎなくて……。
幸福とはそのときそのときの気分を満たすことであり、そのときそのときの気分を満たすのは、消費によって成し遂げられる……とまあ、テレビが私たちに吹き込む。
「眼鏡も着替える時代です」
(^_^;)
しかし、気分は絶えずうつろうものだから、満たすそばからあなたの心は空っぽになる。
焼けるような孤独にさいなまれながら、色あせた平和の看板になんの御利益があるのかと考える……。むしろ「平和」というものは、そのときそのときの都合によって柔軟に解釈し、運用し、利益の最大化をめざすべく……。
某宮崎県知事、ばんざーい!!
つまるところ、歓楽きわまって哀切深し。極上の酒をかっくらい、翌日はぐでんぐでんの二日酔い。それが私たちの一生だ。
「♪地球の平和を守るため……
♪輝く、はしご車
♪いまだそれゆけ、ポンプ車
♪ゴーゴーレッツゴー……
*生きる悲しみカラスヤサトシ*(2007.11.29)
「主よ、人の望みの喜びを」
〜バッハ 〜
「ユーモアの源泉は歓びにあるのではなく、悲しみにある。
天国にユーモアはない」
〜マーク=トウェイン著 『赤道を巡って』 〜
「デスラー総統バンザーイ!」
〜『宇宙戦艦ヤマト』 〜
月刊漫画雑誌『アフタヌーン』の読者投稿欄の片隅に掲載されている4コマ漫画の作者、カラスヤサトシせんせのサイン会に行ってきた。
サイン会などというものに並ぶのは、生まれて初めてのことだ。
梅田にある某ビル30階、某コミック店に到着すると、整理券を受け取り、階段でおとなしく順番を待っていろと女性店員に指示される。
行ってみるとすでに
最後尾は遥か下の27階だった。
(^_^;)
しかもしっぽはさらに後方に向かって伸びてゆく一方。これじゃあディズニーランド並みだ(行ったことないけど)。
女性店員が階段を何度も上り下りして、
「トイレ行きたいかたはおっしゃってください〜!」
と触れ回っていた。
肉体労働です、実に。
27階と28階の真ん中で、女性店員に渡されたアンケート用紙の
「カラスヤサトシ先生へのメッセージを」
に、私は「生きる悲しみ!」と書いた。
すると、それを読んだ担当編集者の“T田さん”がやたらに感心なさって、
「生きる悲しみ! いいですね〜、これ」
なんて言うのだった。カラスヤサトシせんせの作中では“T田さん”はずいぶんなイケズとして描かれているので、ちょっと驚いた。
感心した“T田さん”は私に向かって
「なにかプレゼントを」
つって得体のしれない紙袋をガサガサ漁っていらしたんだけど、
「……あ、やっぱり、ないです」
悪党!!!
(^_^;)
このアンケート用紙には
「カラスヤサトシを殺す方法を考えて下さい」
という設問もあり、私は、
「言っていいことと悪いことがある」
と書いた。もちろん、設問した側は、設問されたこちら側に「ウケ」てほしかっただけなのだろう。それはわかる。だけど、軽いふざけ心で「カラスヤサトシを殺す方法を考えてみてくれ」と言い、言われた側はその場その場のノリのようなものに自らを駆り立て、どこか無理気味にはしゃいだり面白がってみせる、というような状態にカラスヤサトシせんせを落とし込む理由が、私にはわからない。
人生の極意はたったふたつの言葉に要約することができると私は考えていて、それは
「スポコン」と「生きる悲しみ」
だ。
「スポコン」と「生きる悲しみ」
『巨人の星』X『老人と海』
『宇宙戦艦ヤマト』X『寅さんシリーズ』
『三百六十五歩のマーチ』X『昭和枯れススキ』
『イビツァ=オシム』X『ユーゴスラビア代表チーム』
その他もろもろ。
それは、カラスヤサトシせんせの作品の魅力、そのものだ。
私は、カラスヤせんせの漫画作品の単行本化など夢のまた夢だったころから(雑誌の目次にも名前が載らないようなあつかいだったのだ!)、毎月毎月彼の漫画を切り抜いてはスクラップにし、機会があるごとに回覧してその魅力を伝道してきた。
私の作ったスクラップを読み終った後、
「なんなのですか、これは」
「どこをどう面白いと感じればよいのですか」
と首をかしげる方々が大量に生まれた。
「スポコンと生きる悲しみじゃあ〜!!」
(;^_^ A
カラスヤサトシせんせの作品の魅力は、普遍的ではあるけれども、とてつもなくローカルなものなのだ。
……生きる悲しみに向き合うことなしに人は優しくはなれない、と思うのは、私が生きる悲しみ愛好家だからかもしれない。優しくなどなくても何も困らない、という意見だってあるかもしれない。優しさは生きる悲しみよりはまだ貨幣化することができるけれど、貨幣化された時点でもはやそれは優しさでもなんでもない。
……なんかえらいクサイこと書いてるなあ、我ながら。
というわけで、私は、「悲しみは知識である」というパスカルの言葉に全面的に同意する。結局、
知識や人生ですらこの社会の内部ではほとんどなんの役にも立たないシロモノで、
私たちはとことんお馬鹿さんなのだ。
そしてやっと、私は、笑う能力を獲得する。
……。
……な。
徹底的にローカルじゃろ?
アンケートには、カラスヤサトシせんせとアッバス=キアロスタミ&ケン=ローチの対談を希望しておいた。
腕のいいイタコにお願いするという条件付きで、
ドストエフスキーとの対談も
希望しておいた。
リクエストを書いておいてなんだが、ぜんぶ無理だと思う。
トイレ待ちの身代わり人形を写真に撮ってきました。
*最新オシム語録・11.13東京*(2007.11.26)
「テロは至るところで起きている。宗教とは無関係だよ。テロは、万人万物を支配して利益をもくろむ黒幕たちが産み出している産物だ。
だがそうした考え方に劣らず危険なのが、テロに対する反応だと思う。文化圏はひとつの文化だけで成り立っているわけではないのに、それがいつも無視されている」
〜シュテファン=シェンナッハ著
エルンスト=ドラクスル著『オシムが語る』 〜
「こうした恐ろしい事件は、何度も言うようだが、貧富の対立がひとつの形をとったものだ。ところがそれを認めたがらず、新しい安全対策ばかりを人々は要求する」
〜シュテファン=シェンナッハ著
エルンスト=ドラクスル著『オシムが語る』 〜
以前の日記で、サッカー日本代表のイビチャ=オシム監督の生れ故郷が舞台となる映画『サラエボの花』の紹介をさせていただいた。そのときはまったく気がつかなかったのだが、弟に指摘されて映画の公式サイトを再度確認すると、トップページの右端に小さく、
「オシム監督からのメッセージ
一日も早いご回復をおいのりしています。」
だああ〜!! オシム監督、この映画もう観てる〜!!
最新のオシム語録にリンクを張っておくので、読んでいただきたい。
「グルバヴィッツァとそこに生き続ける精神はそう生易しくかき消されることはない。」
……。
オシム監督、あなたが倒れる4日前の言葉ですね。
(i々i) ハゥ〜
グルバヴィッァの精神がそう生易しくかき消されることはないというのは、今の南米で起きている新しいさまざまな出来事を見てもよくわかるよ。
南米においては、チリのアジェンデの残した何かがあった、ということだろう?
そして、グルバヴィッァは、あなたというひとを生んだ。アナレスがシェヴェックという英雄を生んだように!
それは国境や血とは何の関係もなくて、あるのは、背景と教育だ。
だけどオシム監督、ワシはまだこの映画を鑑賞していないんだよ。
私は、あなたがこのような発言をしようがしまいが、この映画を観るつもりでいたけれど、
「できるだけ多くの人に観ていただきたい」
とあなたが言い、そう言うことで本当に多くの日本人が映画を鑑賞できるよう、多忙のなか、公開に先だって映画を鑑賞し終っていたと知って、
私は悶絶してしまったのである。
だから、なんつーか、はやく目を覚まして、今度はエミール=クストリッツァの『アンダーグラウンド』あたりの話もぜひ聞かせてほしいデス。
*サラエボの星*(2007.11.18)
「国境は宗教より危険なものだ。恣意的なうえに、いつも危険な緊張感と暴力の火種がくすぶっている。だから、民族国境なんかとっぱらって、新しいものに価値を見つけるほうがいい。」
〜イビチャ=オシム 〜
「現役時代のサラエボについてはいい思い出しか僕にはないんだ。この地が成しえていた他民族共存の素晴らしい思い出がね。それがあの馬鹿げた戦争、短い間に起こった愚劣な戦争で崩れてしまった」
〜ドラガン=ストイコビッチ〜
排他的ナショナリストと土着的民族主義者たちがことあるごとにチームだ祖国だ民族だと愛を連呼しつつ、「勝ち・負け」だけでサッカーを語る、そんな現実に正面から向き合い、しかし、かたときも高き理想を失わなかったねじれたペシミストが、倒れた。
サッカー日本代表のイビチャ=オシム監督。
病名は急性脳梗塞。
16日。
午前2時すぎのことだという。
今は集中治療室で治療中という段階だ。
だああ〜!!
「この人を失いたくない」
私の個人的なわがままだ。だけど、多くのサッカー関係者、多くのサッカー無関係者、旧ユーゴスラビアのすべての国民が、彼の回復を祈っているはずだ。
元気な姿で、故郷サラエボの土を踏んでほしい。今はただそれだけ。
サラエボのどんづまりの夜空に輝くあのひとつの星が消えてしまわぬように。
希望と書けばただのふたことだけど、ばらばらに分裂した祖国をもういちどひとつにするという夢は、あまりにも遠く、非現実的すぎて、文字通り夢物語のように感じられる。しかし、それでも、イビチャ=オシムというひとりの人間は、確実に実在するのだから。
長束恭行さんの『クロアチア・サッカーニュース』に新しい記事が出た。
『NE
DAJ SE SVABO!』
民族主義や国境の壁を遠く置き去りにしつつ、互いに支えあい融和しあう形で機能する地域文化を見通したという点で、私は、
オシムはバルトークと非常に似た人だと思う。
本人は現役時代、その華麗なプレイスタイルから「シュトラウス」と呼ばれていたようだけど。
彼はサッカーを語るときでさえ、
「サッカーの未来を見ろ」
と言う……。
12月1日から岩波ホールで『サラエボの花』という映画が公開される。物語の舞台となるボスニアの首都サラエボの住宅地区グルバビツァは、オシムの生まれ故郷だ。
映画の内容は、オシム監督とその家族が体験し、今も体験し続けているあること、らしい。
オシムフリーク、オシムファンは必見! と、この日記に書こうとした矢先だった。
……。
私は基本的に無神論者だけど、願わずにはいられない。
幸運の星でもなんでもいい。
頼みます。お願いします。命だけは救って下さい。
「あ、オシムって言っちゃったね」
などという会長をいただく日本のサッカー協会のために命を削って……もう、ほんと、残念でしかたがない。
*英語の発音は大切なのです*(2007.11.16)
「知識を量産することはできない。知識は、ひとりひとりの人間がそれぞれの経験から、無関係なものと意味のあるものを分離し、価値判断をすることによって作りだされているからである」
〜セオドア=ローザック 〜
「あらゆる真実は一度発見されれば理解するのは容易だ。肝心なのは真実を発見することだ」
〜ガリレオ=ガリレイ〜
町山さんの情報によると、アメリカ合衆国のテレビリポーターたちが、日本の新しい首相の名前の発音に大苦戦しているという話で、
「フクダ」
ときっちり発音して原稿が読めないと、ヘタすりゃメンタマ飛び出るくらいの罰金を食らうのだそうだ。英語がさっぱりな私には意味わかんないんだけど、あなた、わかりますか?
原稿が、四文字言葉の後ろに「her」つけて書いてあるように読めちゃうらしいんだな〜
「ファ※※※クゥ ハ〜!」
(´▽`;)
「かんべんしてください、ゆるしてください〜!」
と向こうの女子アナさんが泣いたという噂もあるらしいが、ワシ英語できないからわかんないんですよ。
読み違えはいけませんよ、みなさん。
フクダーな。
いいかフクダーだよ。
あ、そういえば、空転続きの国会で、ようやくあの法案が衆議院を通過したらしい。
あの法案とは、もちろん、よその国に行って、牛で田んぼ耕しているような人々に銃を突きつけ、力づくで民主化したりうむを言わせず国際援助したりする法律
新テロ特措法!
しかも、自民公明による
強行採決で。
「FU※※DAさ〜ん!!!」
俺は、首相の名を叫ばずにはいられない。
美しい英語の発音を意識して。
「FU※※DAさ〜ん!!!」
アヴェさん以降、あの法案もこの法案もみんな強行採決。おかげさまで日本の国会はすでに何年ものあいだ実質機能停止状態に陥ってしまって、議会制度は臨死状態。お花畑の上をルンルン駆け回ってる。
でもって、新テロ特措法が衆議院で強行採決された翌日に、自民党野党部・民主党が法案の骨子を了承しちまった。
ここでまたまたきっちり機能してみせる「二大政党制」
あなたにあるのは投票する権利、選ぶ自由“だけ”ですよ〜っと。
そのほかのことはぜんぶ、多国籍企業が決める、それが私たちの言う「民主主義」だ。
OH!
「戦争でぼろ儲け法案(←あがりは勝ち組ひとりじめします)」の衆議院通過。
テレビをつければ
「バレーボール・ワールドカップ! めざせ五輪!」
なんつってるけど、いや、もう、日本はもうおしまいかもしれんな。
しかし、戦争というやつは信じられんようなお金を産むんですよ。
いつもお世話になっている『暗いニュース』さんところから抜粋。
「ブッシュ政権が要求する2008年度イラク戦争関連予算額は1,555億ドル(約17兆594億円)で、イラク侵攻以来の戦争費用は直接費だけでもおよそ6,115億ドル(約67兆1,211億円)に昇ることになるという。
6,115億ドルとはどれくらい凄い金額なのか?それだけの金があれば何が可能になったのか?」」
ジャーン!
*マサチューセッツ州で最も建設費が高い高校(ニュートン・ノース高校、建設費1億5,460万ドル:約169億8,399万円)を
4,000校建設できた。
*全米の公共事業で現在もっとも高額といわれるボストン中央幹線道路建設プロジェクトの費用が150億ドル。イラク戦争費用はこれの
40倍を超える。
*米国民全体で1日あたりおよそ3億8,470万ガロンのガソリンを消費している。11月初旬の時点でガソリンの平均小売価格は1ガロンあたり3ドル。イラク戦争費用分のお金があれば、
全ての米国民におよそ530日分のガソリンを無料提供できた。
*イラク戦争費用6,115億ドルは、ハーバード大学なら1,400万人分
マサチューセッツ・ボストン大学なら
5,300万人分以上の授業料にあたる。
*ブッシュ大統領は、議会が承認した貧困家庭の児童向け医療保険予算案(費用350億ドル)に対して大統領拒否権を行使したが、イラク戦争費用はその
17倍以上の金額。
*ボストン・レッドソックスが松坂大輔と交わした契約額は6年で5,200万ドル(約57億1,812万円)。イラク戦争費用分の金があれば、松坂大輔マニア(Dice-K
mania)を
7万年ほど維持することができる。
*世銀の報告によれば、1年あたり540億ドル費やせば、2015年までに地球全体の飢餓・栄養失調を撲滅することが可能で、さらに全世界の児童に1年間の初等教育を施すために必要な費用は300億ドルであるという。これら費用を鑑みると、イラク戦争費用分のお金があれば、
世界中の貧困層に7年分の食料支援と教育支援を提供できた。」
世界中の貧困層に7年分の食料支援と教育支援を提供できた。提供できた、提供できたワンワワンワワンワワンワ……。
そんな目も眩むようなお金が架空の人格「法人」さまのぽっぽに流れ込んでくるのだ。
どんな犠牲を払ってでも戦争始めちゃる!
「法人」さまはそうお考えなのだ。
(^_^;)
そして私は世界の中心で、じゃなかった、英語の発音で日本の首相の名前を叫ぶ。
*日本一やさしいニュース解説・続*(2007.11.10)
「つまりぼくたちはいま、大和小学校国に住む 大和小学校国民なのです。
だからいっこくもはやく、総理大臣をみんなの投票で決めるのです。
そうしないと、とうぜん こんどみたいに 分裂さわぎがおきます。 」
「でもあの人は、あまりに き、き、き、きけんすぎます。思いやりが欠けるからです。きっとこれから、今よりもっと はげしい 恐こうが おきると思います。」
〜楳図かずお『漂流教室』〜
「普段の自己鍛錬をわが国の現代の思想家のある者は、「これまではあまりにも押しつけの要素が強すぎた。必要なのは自由である」と言って排斥する。ところがこの自由なるものは圧倒的大多数の人間を他人の思想の前にヘイコラするだけの人間に仕立てあげてしまう。なぜならば人間というものは、お膳立てして与えられるものならなんでもものすごく好きだからである。」
〜ドストエフスキー 〜
民主党のオザワさんが、代表を降りるのをやめたって。
(´▽`;) スキにせえよ、もう。
結局、いま辞めて自民党に戻るより、自民党の“野党部”の代表を続けたほうがウマインダヨ。新党をでっちあげるっても、そういう空気じゃないし。そのことに、辞任を発表した翌日の新聞読んで、オザワさんも気がついたわけだ。
おせえよ。
民主党幹事長のハトヤマさんによると、次の選挙で自民党、民主党両党がもし議席を減らすことになった場合、
「(連立の話が)また復活する可能性というのは、国民のために当然出てくる」
だそうでして。
またまた〜。
国民のためじゃないでしょ、財界のお偉いさんがたのためでしょ。
(^_^;)
ナベツネさんが
「一分でもはやく大連立じゃあ〜」
と叫んでますよ。日本プロ野球界ごとジャイアンツを腐敗させたのに飽き足らず、今度は、美しい日本作りですかい。
首相のフクダさんがメールマガジン『福田内閣メールマガジン』で、
「『ねじれ』国会において、一ヶ月以上経った今でも、一つの法案も成立していない異常な状態」
をお嘆きの今日このごろ。
確かに衆参両院で可決された法案はないけれども、どちらかで可決された法案は
※中国残留孤児の帰国推進と帰国後の自立支援法案
※被災者生活再建支援法案
※身体障害者補助犬法改正
※温泉法改正
※年金保険料流用禁止法案
などなど色々あるわけだけど、まあ、フクダさんにしてみればこういう法案はどうでもいいんだよね。
フクダ、ナベツネ、オザワ、アメリカ合衆国にとって重要なただひとつの法案、それは
「よその国に行って、牛で田んぼ耕しているような人々に銃を突きつけ、民主化したり国際援助したりする法律」
これだ。
一つの法案も成立していない、んじゃなくて、この一つの法案だけが重要なんだよな、ハトヤマさんによると日本国民にとって(笑)。
新テロ特措法!
国会なんか、聞いちゃおれんぜ、見ちゃおれんぜ。
民主党のナガシマさんが衆院テロ特別委員会で何を言うか。
「野党も国連決議がなかったら何もできないというニュアンスにとられる説明をしないようにしないといけない」
すると、特別委員会ご出席の皆さん、
満場拍手なんだぜ!
独裁ではなくてもファシズム国家ではあるわな!
信じられますか?
(~ж~) ムスッ
国連決議を骨抜きにしてしまうようにしないといけない、なんつってるわけだ。
色んな国の人々が集まって、話し合いでなんとか解決の糸口を見つける場所、それが国連なわけだけど、そういう民主主義は効率が悪いし、何より
金にならんからな!
見返り期待し、今日も(日本式)民主主義。
骨までしゃぶれ国際貢献。
(^_^;)
日本国民の期待に応えるために! 今日も国会は自民、民主で拍手拍手、また拍手。
わーお!
チェケダウ!
*日本一やさしいニュース解説*(2007.11.7)
「世界の文化の交歓が妨害されたら何が残る? 武器の交換か? 」
〜アキ=カウリスマキ〜
「幸福の根本は、何をするか、何を愛するか、何を望むか、の3つである」
〜カプロー 〜
みんな聞いた?
首相のフクダさんが野党第1党代表オザワさんに密室で打診していたという
「自民党と民主党の大連立!」
という話な。
オザワさんは受ける気まんまんだったようだけど、民主党の内部で意見が統一できず、とりあえず、お流れになった。あくまでもとりあえず、だ。
もちろん、私は最初からわかっていたよ。
民主党というパッケージ。自民党というパッケージ。リボンをほどいて包装を解いて、さておたちあい。夏の参議院選挙のさい、
「アヴェとオザワの一騎打ち!」
といくらメディアがあおっても、ふたを開ければアラ不思議、どちらにも
一卵性の絶望が詰まってます……。
名前は違っても中身は一緒、国民にあるのは投票する自由、政権のキャッチボールを外から眺める権利、許されるのはそれだけ---これが二大政党制度をメディアが国民にPRしつづけた本当の理由だった。
だが、連立と来た日には、もう、形だけの民意、ですらないのな。
自民と民主の連立って、つまり、大政翼賛会そのまんま。
すげえよ、ほんと。
財界が連立にGOを出したかどうかまではワシは知らん。
財界と政界が協力しあって作りだした国家型☆朝三暮四システム、「二大政党制度」を、自民党の都合だけで手放せるものなのかどうか。
財界のおえらさんがたは、どう考えている?
今のところは、民主党党内の意見統一に失敗したオザワが
「じゃあ俺代表を辞める」
と言いだして、上を下への大騒ぎ、というところ。このあとは、おそらく民主党が分裂して、その一部が自民党に合流し、いつもの
「政治改革」
ということになるんじゃないのかなあ〜(棒読み)。
(^_^;)
今年の夏の参議院選挙の直前には、地球のシステムの根幹がぶっ壊れてしまったのではないかというような猛暑の中で、
「自民VS民主の一騎打ち!」
「二大政党制で、国民の審判を!」
「レッドソックス松阪とヤンキース松井、夢の対決!(アヴェさんとオザワさんも対決するんですよ〜っと)」
という見出しが踊った、日本の新聞。それからテレビ報道。
多くの日本国民は新聞テレビにそう吹き込まれて、ばか正直に自民党に「ノー」を突きつけようとせっせと民主党に投票したわけだが……。
11月の新聞・テレビは、わしらにこう言うのだ。
「滞っている政策をスムーズに協議し実行していくために、連立の決断を」
(´▽`;) ……。
かろうじて選挙投票が実行されているという一点がクリアされていれば、それをもって民主主義と言うつもりなのかねえ。
なんにせよ、一部メディアが動き出したということは、財界主導、とういうことも考えられる。
二大政党制度の「効率良く民意を反映しない議会制度」というメリットを捨てても、連立に動く理由は何だろう。
実は、今回の党首会談では、連立の打診のほかに、もうひとつの議題があった。
「自衛隊の海外派兵を恒久的に認める法案作り」
だ。
日本の企業が世界各国に出向いてゆき、その地域を「復興支援」するためにどうしても必要な国内の手続き。つまり、憲法改正、もしくは、憲法を骨抜きにする法の成立にむけての具体的な作業を、党首会談でふたりは話しあった。
「憲法改正、もしくは憲法を骨抜きにするための法の成立を急がねばならない」という提案を、自民党も民主党も財界から等しく受けている。だから、話しあった。国際援助で労働賃金はただ同然、その地域に住むひとびとの財産であるはずのさまざまな資源の原価を日本側の都合で上げたり下げたり……、というような「健全な市場経済システムの確立」という「復興支援」に、かなりの規模の武力は欠かせないのだ。支援が必要と認められる世界各国へむけてしゅくしゅくと日本軍を展開する、そのための法の整備。二大政党が実現しなければならないさしあたっての任務は、これだ。
今までは、
地元警察への強力な治安維持援助
で何とかやりくりしてきたわけだが、結局は地元民なんだよね。
連日のデモ。
ときにはテロもあるかもしれない。
「地域の復興」「民主化」の実現のためには、ある一定以上の規模の軍隊が復興を目的とする企業体グループに同行する必要がある。
復興される地域に暮らすひとびとの意見などどうでもいい。彼らの家をつぶし、そこに工場を建て、すべては誘致ということで出費なしだ。次に、工場の周りに道を数本作る。その道路は、湾岸、もしくはもよりの空港への一本道だ。
日本の財界、もしくは政府にとって問題なのは、「復興支援」が本格化すればするほど地域住民の反発が強まることだ。
なぜでしょうね?
(^_^;)
なぜ、を問うてもしかたがない。
そこに、莫大な利益を生みだす何かがある、というだけでじゅうぶんだし、数字とは利益そのものだ、という世界で私たちは生きている。つまりどういうことかというと、
テロの撲滅は突きつけられる銃口によって実現されなければならない。絶対に!
以上、日本一やさしいニュース解説だ。
(;^-^ゞ
じつに多くの人々が、自民党にノーを言うために民主党に投票したあの夏。
あいかわらず防衛省や厚労省の腐生、じゃなかった不正が次から次へと明るみに出まくり、一騎打ちに破れたアウ゛ェさんは、貧困の定着という業績だけを残して、不自然なまでに突然のご病気で退任、フクダさんにバトンタッチしたあとも国会は空転、そういいつつ税制調査会は来年度の消費税大幅アップの方向で意見が一致。この夏の参議院選挙でわかったのは
とりあえず二大政党制は有効に機能した
ということだけだった。
何も変わらず、幻想は続く。
*芸術の秋*(2007.11.1)
「イアラ〜〜〜〜〜! 」
〜楳図かずお『イアラ』〜
「マイケル=ムーアお薦めの映画
『時計仕掛けのオレンジ』、
『タクシー・ドライバー』、
『狼たちの午後』」
〜マイケル=ムーア 〜
映画評論家・町山智浩さんが出演しているTBSラジオの番組がネットでダウンロードできるようになっていて、ポッドキャストというらしい。またひとつかしこくなった。
さて、私は、申し訳ないことに町山さんのファンというわけではないのだけれど、アメリカの最新情報が聞けるということで、このラジオ番組をときおりダウンロードして拝聴させていただいている。
マイケル=ムーアの最新情報などが聞けるので、私にとっては実にありがたい番組なのだ(出演するコラムニストは曜日によって違うらしい。町山さんの出演する曜日は火曜日だ。間違っても水曜日のぶんは聞かないようにな。理由は書かない。俺は悪を憎む、それだけだ)。
今回の町山さんは、『ファスト・フード・ネイション』というアメリカ映画、『いのちの食べかた』というオーストリア映画、『キッド・ネイション』というNBCのテレビ番組について話してくださっている。
ラジオ番組のページはこちら。
「肉にとんでもないもの(異常型プリオン蛋白質とかな!)が混じっていてもしょうがないという世の中」がどこからやって来たのか、そういうお話が聞けます。
私は、この3本の映画はまったくの未見なので、何も語ることはないのだけれど、町山さんのお話を聞いて、いま映画業界が向かっている方向というか、ベクトルというか、そういうものをひしひしと感じたわけだ。
本来は文学界が果たすべき役割まで、映画がになっている
というような感触が、私の中には確実にある。
それは、言葉にすれば「社会を前進させていく何らかのきっかけ、もしくは発見」となり、なんとも堅苦しい。
堅苦しいと感じさせるほどに強靱なお説教、というものは本来は文学の持つ価値そのもののはずなんだけれども
言えば言うほど、うんざりされるので、ここは一歩引いて「芸術のもつ力」くらいに言い直しておこう。
文学というものが、「いかに広く受け止められるか」つまり「気晴らしとしての機能を満たしうるか」という方向に流れて弱体化して行くなかで、今まさに、ある種の映画と価値性がクロスオーバーしつつあるのではないか。
いや、もちろん、映像の持つ圧倒的な記録性が観るものをかたっぱしから説得してしまう、ということもあるだろうし、映画界がマイケル=ムーアの
『ボウリング・フォー・コロンバイン』を経験したということも大きいとは思う。
映画が、私たちが私たちの世界を発見したり、新しく理解し直したりするための大きな力になりつつある。
映画『ザ・コーポレーション』は、こうした流れの中で作られた、現時点での最高の成果だろう。
『ファスト・フード・ネイション』や、『いのちの食べかた』がマイケル=ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』や、『ザ・コーポレーション』ほどの映画史上に残るような傑作かどうかはわからない。ただ、個々の作品の出来栄えは別にしても、この新しい流れは、かなりの急流だ。
一部の敏感なひとたちは、映画に乗って、すでに海まで達しているかもしれない。
--☆---
これまでのコミック未収録分181ページを含んだ『漂流教室』完全版が出版されることになったらしい。
『漂流教室』は、天才漫画家・楳図かずおセンセイが1972年に連載を開始した、日本“文学”史上に燦然と輝く傑作だ。日本文学史上に残るということは、森鴎外の『高瀬舟』とか、夏目漱石の『坊ちゃん』などと肩を並べる……
どころじゃないよなあ『漂流教室』
正直、『坊ちゃん』あたりよりもはるかに上のレベルではないでしょか。
物議を醸すようなことを言うようだけど。
人間は、何人目から人類なのか?
楳図かずおセンセが発した巨大な問いかけに名前を付けたものそれが『漂流教室』であるからにして。
ちなみに、日本漫画史上、天才と呼べるのは手塚治虫大御大と、楳図かずおセンセのふたりだけだと思う。
だから、よく聞きなさい、
グワシとサバラの変なおっさん、というあなたの認識は根本から間違っている(びしっ!)。
コミック一冊につき1800円という、思わず青ざめるような値段がついているのだが、スルーするわけにはいかないだろう。
というか、未収録分181ページって初めて聞いた。
(^_^;)
繰り返しになるけれど、楳図かずおセンセの
『漂流教室』それから、
『イアラ』
『おろち』
『わたしは真悟』
『猫目小僧』シリーズ所収の短編『手』
は、死ぬまでに一度は読んでおくべき、不朽の名作です。
*すべてのイベントは体にいい*(2007.10.30)
「わたしはこの婦人のことを忘れない。神のお気にいりは、モーターボートに乗る人たちよりもヨットに乗る人たちのほうだ、と彼女は信じていた。彼女は這う虫を非常に嫌った。見かけようものなら悲鳴をあげた。
」
〜カート=ヴォネガット『猫のゆりかご』〜
「新聞の中では広告が信頼に足る唯一の真実を含んでいる」
〜マーク=トウェイン 〜
28日に東京は亀戸中央公園で『ストップ改憲・なくせ貧困・雇用を守れ』の集会があったそうで、4万2千人が集まったのだそうだけれど、いや〜、連日カメダ、カメダでちっとも報道がなかったから、ぜんぜん知らなかったよ。
カメダの反則なんて、デビューしたときからずっと指摘され続けてきたことなのに、ここにきてとつぜん、誰もが朝から上を下への大騒ぎで、テレビにかじりつき。
「トップブリーダーも推奨のカメダ関連ニュースで、視聴者の食いつきが違います!」
(^_^;)
……ここでまた、毎度おなじことを書くわけだけど、すべての人間的価値を貨幣の排泄物とみなす社会システムの内部では、どの道も結局カメダに通じているのよ。
確かに今回のカメダは、全国ネットのテレビ生中継で、みなさまのお茶の間にとびきりでっかいウンコが放送されたのかもしれん。しかしな、私たちはそれを
イベント
と呼んできたんだよ。イベントでなければ、
フェスティバル?
いや〜。書いている私自身が思わず傷ついてしまうくらいにイヤミだな。
(^_^;)
いいがかりでもなんでもないところが、実にイヤミ!
(^_^;)
「しゃー、なんやこらー!」
なんつって、個人的にはなんと無残な、と思ってきたわけだけど、そういう個人的な感想は別にすると、結局、カメダは、巨大資本が土手の向こうにしゃがんでこっそりとヒリ出したなにかでしかない、という現実しか残らない。私たちの社会ではこれを、建設的で健全な市場形体と呼ぶことになっとるわけだ。
ともあれ、いまさらショックを受けてるなんて、なんてナイーヴなんでしょ。
と、ウンコで思い出したんだけど、外崎則夫氏のサイト
『N.TONOSAKI's
Personal Station』の大人気コラム
『がんばれ!!ゲイツくん』最新号でも話題にふれられている
富士スピードウェイでの阿鼻叫喚・野外脱糞騒動
が、どのスポーツ報道でもまったく取り上げられていないのはどういうことなんだろうか。
「
1.駐車場や道路が未舗装で、雨でぬかるみ、道路陥没で立ち往生する車が続出
2.帰りのバスが雨の中最長6時間待ち。病人続出。が休憩所は早々と閉鎖。
3.トイレも無く、雨+冷気で野外での脱糞が続出。当然のようの暴動発生。
4.しかしバイトに謝らせただけで責任者は全く姿を見せず。
5.そんな中トヨタ関係者やVIPだけ優先的にスムーズに退出。
6.一部観客席からレースが全く見えず(こんなことがなんで当日分かる?)
7.他社や観客には横断幕を禁止させ、自社の巨大横断幕だけは堂々と掲示。
8.それを指摘されると、禁止したのが間違いでしたと開き直り。
9.現地飲食のぼったくり価格。中には一万円弁当も、」
(^_^;)
(^_^;)
(^_^;)
だそうです。
私は過激な人間なので、健全な市場経済システムなんて文字通りクソ食らえ! と思うようになった。
お金というものをこの世からなくせ!
と思っとるわけだ。
しかもマジで!
……少なくとも、貨幣経済システムに根本的な批判のメスを入れないと、どうにもならないと思う。
なにがどう、どうにもならないのかって?
暗いニュースさんとこのこのコラムでも読んでみてよ。
『地球温暖化はカラダにイイ!』
ぎゃあああ!!!
自然環境を破壊しているのは、不法移民だってさ!
地球を破壊しているのは在日中国人♪
地球を破壊しているのは在米メキシコ人♪
地球を破壊しているのは在日朝鮮人♪
地球を破壊しているのは在独逸ブラジル人♪
地球を破壊しているのは在仏蘭西エチオピア人♪
だから、選挙権などの権利を与えるなどトンでもない!
うほほーい。……だったら、ワシらが民族的かつ国境的身内だけで立候補して投票して選ばれたえらいひとたちは、
さぞかし地球に優しかったはずだよねえ。
うっ、これまた、書いた自分自身が傷ついちゃうくらいイヤミだね。
言いがかりでもなんでもないところが、ホント、イヤミ。
「Yeah!!! ホワイトハウスの言うとおりだ!地球温暖化なんてたいしたことじゃないさ!南極の氷の上で震えながら整列してるペンギンだって、地球が暖かくなって氷が溶け出せば、自前の燕尾服を水着に着替えて、砂浜でサンバを踊りだすかもね!」
吉田戦車センセの漫画で、「海埋め立て団」というのが出てきて、連中は海を埋め立ててハワイに歩いていこうと画策していたけれど、健全な市場経済システムって、作動の仕方が海埋め立て団的だよな。
地球温暖化で、アラスカもハワイだぜ!
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