※お知らせ。
『あなたにとどけるものがたり3』
発売になりました
↑新作の児童文学の短編集です。私も『幸運なあめんぼ』という短編を書いてます。
最寄りの書店でも御注文可能です。
*日本の「致し方なかった」という時代*(2008.4.19)
「日本政治にとっての国際法の意味は、憲法の制約を逃れるための法的根拠とすることにあったと言って良い」
〜河辺一郎『日本の外交は国民に何を隠しているのか』〜
「昨日生まれたタコの子が
タマにあたって名誉の戦死
タコの遺骨はいつ帰る
骨がないから帰れない
タコの母ちゃん悲しかろ」
〜外交なき戦争のどんづまりで庶民が歌った替え歌〜
「人を支配したがる人は、人を支配したがっているというその事実によって、人を支配するのにふさわしくない人である」
〜ダグラス=アダムス『宇宙の果てのレストラン』〜
「バグダード飛行場は民間機が離着陸しているから非戦闘地帯なんですよ。したがって、イラクに派遣された自衛隊は戦争協力してるんじゃなくて、国際貢献してるんよ」
と、町村官房長官が力説しているにもかかわらず、名古屋高裁で
「航空自衛隊の(イラクでの)空輸活動は憲法違反」
という判決がでた。
ちなみに、同様の起訴は全国で起きているものの、違憲判断は初とのことだ。
「空自の空輸活動は、イラク特措法を合憲としても、武力行使を禁止した同法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し、憲法9条1項に違反する活動を含んでいる。」
あたりまえというか、当然というか、わざわざ裁判所にお伺いをたてなくてはならないような話ではないよな。
つーか、我が国の官房長官に聞きたいんだけれど、バグダード空港に民間機が離着陸してるから、どうだってんですかね。
(^_^;)
バグダード空港に何を空輸してるかが問われておるんですよ。
もうな、ここ10年ばかりの日本の外交政策には、失策とか判断ミスとかいう以前に、
政策の合理性、というものがこれっぱかしも見当たらない。
自国の国民にも、諸外国にも、合理的な説明がまったくなされないまま、見通しのつかない泥沼の方針を各方面にごり押しするために世論誘導を行う。
しかし、ごまかしはどこまでいってもごまかしでしかなく、少なくとも日本という国の国際評価は落ちるところまで落ち、アジア周辺諸国との関係も劇的に悪化した。
そんなこんなの成れの果てに、今回の判決がある。
(^_^;)
あげくに、と言うべきか、苦し紛れと言うべきか、評価や分析や批判、かなり厳しい責任追及というものから逃れるために、
合理的思考そのものを国を挙げて軽視してしまおう
という判断が、日本のどこかでなされた。
合理的思考を軽視するのは世界中のどこの民族主義でも似たりよったりだけれど、なにせ、古きよき日本の民族主義者にかかったら、
敵空母も神風が吹いて沈没するそうだからな!
この盲目性(ある視点に立てば“有用性”)は、もう「合理的思考の排斥」というレベル!
この細長い島国で、最近、かなり極端な民族主義が幅を利かせることになったのは、こういうわけなのです。
国歌!
国旗!
富士山!
腹切り!
指つめ!
五人組!
村八分!
かくして、国内から一歩も外にでない、世界の「今」を見つめようとしない日本式ファシズム独特の世界観が---少なくとも空気としては---復活し、何事も「致し方ない」ですまされる時代がやってきたわけだ。
「致し方ない」
「致し方なかった」
21世紀の日本という国の方針、可能性、成功、失敗、実現したもの、実現されなかったもの、教育、雑多な日常、その他もろもろをひとことに要約すると、
「致し方ない」
でしかないようだ。
*ひいおばあちゃんからの電話のように*(2008.4.16)
「私たちに必要なものは、信じようとする意志ではなく、真実を見い出そうとする意志」
〜バートランド=ラッセル〜
「かんじんなことは、目には見えないんだよ」
〜サンテグジュペリ『星の王子様』〜
「彼らは美しくはない---飾り立てているだけのこと
彼らは清潔じゃない---ただ、髭を剃り、服に糊をつけているだけのこと
彼らは教育ある者じゃない---大学の合格者に過ぎぬ
彼らは宗教的ではない---教会に座りに行くだけのものだ
彼らは道徳的ではない---ただ、慣習を墨守しているだけのこと
彼らは徳ある者ではない---単なる臆病者だ
彼らは悪人ですらない---ただの「弱き者」
彼らは芸術的ではない---ただの好色漢に過ぎぬ
彼らは繁栄する者ではない---金持ちだというだけのもの」
〜バーナード=ショー『人と超人』〜
最近、落ち込みがひどくて困ってる。
落ち込んでいても問題解決のやくにはまったくたたないのだけれど、やくにたたなくたって、落ち込むんだよなあ。
(^_^;)
good2ndさんのところで、『表現の自由を脅かすもの』と題し、「立川テント村事件」
について触れられておりました。
以下引用。
============================
しかし問題は、このビラがイラク戦争に反対するものでなく、例えば単なるピザ屋のビラであったら、逮捕・起訴に至っただろうか、ということです。さらに言えば、別件を使ってまで75日間も代用監獄に拘禁し、しかも弁護士以外と会うことすら許されない、などということが起きたでしょうか。
ありえないでしょう?
============================
ありえないでしょうね。
『1984』とか、『動物農場』とか、『未来世紀ブラジル』とか、そういうアン・ユートピア系の物語世界でしか知らなかった警察国家が忽然とたちあらわれて、さてその実態は「美しい日本の伝統の復活」、
富国強兵と恐怖政治、23時間労働の1889年にバック・ツゥ・ザ・フューチャー!
おんぎゃあ!
ひいばあちゃんの産声が聞こえる。
(^_^;)
・「これがどういう意味かわかるかね、未来少年……。
日本の国民は過去の無惨な歴史から、なにも学んでいなかったということだ!」
・「ドグ! ぼくは本当に未来から来たんだよ!」
・「携帯ポータブルテレビ局か、なるほど。テレビタレントが府知事や県知事になるわけだ。おっと、ひいおばあちゃんから電話だ! おんぎゃあ、おんぎゃあ!」
この国では、言論弾圧なんてどこ吹く風。それが韓国や北朝鮮、中国、イラクで起きているのでなければな!
ドキュメンタリー映画にいちゃもんをつけ、出演者にまで圧力をかける。
わーお!
ひいばあちゃんが生きていた時代には、携帯電話なんてものは影も形もなかったけれど、時代の空気は共有できる。普通に会話できるよ。
おんぎゃあ、おんぎゃあ!
……。
『へんな改憲手続き法の歌』でも聴いて、元気出そう。
みなさんもどうぞ。
---☆--
アリ=カリウスマキ監督の『街のあかり』を今ごろになってDVDで観た。
敗者三部作の第三話だ。
DVDのパッケージには、「アキ・カリウスマキから、みなさまへのお知らせ」として、以下のような記述がある。
==========================
主人公にとって幸いだったのは、この映画の監督が心優しい老人であったということです。
==========================
こういうセリフは、なかなか吐けるもんじゃない。
山村浩二氏が絶賛するだけはあるわな。
シオドア=スタージョンを映画化できる、そういう実力を持った監督だ。
『きみの血を』あたりを映画化したら……。
『タクシードライバー』と『ドッグヴィル』と『エレファントマン』と『白い風船』を鍋の底に沈めて、かきまぜて、アクを取って、24時間こつこつと煮込んで、スープ皿にさっとよそったような、圧倒的な作品になりますよ、きっと。
「敗者」で三本も映画を撮るようなひとだ。
並みじゃない。
あ、ちなみに、スタージョンという作家は、読めばかならず胸が引き裂かれそうになる、そういう作風だ。
*ブライト・ライツ・ビック・カントリー*(2008.4.11)
「こんな、こんな、苦しい思いをしたことは、レチアは生まれてはじめてだった!
彼女は助けを求めたのに、見放されたのだ! あのひとはわたしたちを見すてた! ウィリアム・ブラッドショー卿は親切なひとじゃない」
〜ヴァージニア=ウルフ『ダロウェイ夫人』〜
「皆さんよ、この結末をよく考えてくれ、
知識は国境を越えて亡命した。
知識に飢えているわれわれ、彼も私も含めたわれわれは取り残された」
〜ブレヒト『ガリレイの生涯』
75歳以上のすべての日本国民から高額保険料を徴収するいっぽう、「“先の長くない”年寄りに使う医療費がもったいねえや」と、実際に受けられる医療は制限だらけな姥捨山医療制度「後期高齢者医療制度」が国民に大不評なもんで、厚生労働省は変更をおこなうようだ、
制度の名前だけ。
! ( ̄□ ̄;)
新装(はしないけど看板は付け替えました〜っと)開店、これからは「後期高齢者医療制度」をあらため
「長寿医療制度」でおねがいしま〜す!
ブッ!
“病気がちで” “認知症が多く” “いずれは死ぬ”ひとびと。……少なくとも厚生省の社会保障審議会のエライひとたちは、75歳以上の高齢者たちをそのように定義した。
人間を便宜的にとりあえず「75歳以上」と「75歳以下」にわけ、「75歳以上」は“病気がちで” “認知症が多く” “(治療の甲斐なく)いずれは死ぬ”確率が高いとしたうえで、書類を作成し、制度を整え、あとは効率良く運用する。
それは、豊かな老後の暮らしのためでもなく、病気の治癒のためでもなく、老齢者特有のやっかいな病や慢性的痛みに医療制度全体で対処するためでもなく、もちろん医学的研究のためでもない。
永遠の成長と発展という地球的規模のプロジェクトに投資するための莫大な資金をかき集めるためだ。
多国籍企業主導による巨大なプロジェクトはいったいなにか? それは実に様々だ。ただ
「利潤の効率的追求と最大化」
という株主との鉄の約束さえ守っているのなら、あとはまったくの自由だ。
結局のところ、この日本という国の内部における「平和」の定義が、「ゆるやかで安定したドル安・円高状態」というような程度のことでしかなかったように、私たちが望んだ理想の社会とは、このように人間的実態に著しく欠けているものだった。
さらに悪いのは、株主と呼ばれるひとびとは、結果にまったく責任を負わないことだ。
株主にとって結果とは、株のあがりさがり、売り時と買い時、それだけだ!
人類共同体にも、世界市場にも、国家にも、政府にも、公共システムにも、業界にも、会社にも、従業員にも責任を負わないし、そもそも負いようもない。彼らが扱っているのは「株」でしかないのだから。
……。
本当に恐ろしい事実だと思う。だが、チビるくらいおびえて騒いでいるのは私くらいなものだ。なぜだろう?
ともかく、「利潤の効率的追求」というテーマで永遠に走り続けなければならない無理を極めたシステムのただ中で、「高齢者医療福祉制度」の経済的負担は、社会全体の先行きの大きな障害として「私たち」の前に立ちはだかった。
障害物は取り除かなければならない、と私たちはしぶしぶ感じた。しぶしぶなのは、
年をとらない人間など、この世にはひとりもおらず
どんな若者ですら、潜在的な社会のお荷物になってしまうからだ。しかし、犠牲を払っても、システムは維持されなければならない。それは前提条件だ。
人間の年齢、性別、国籍、病歴、どこで線をひいて、整理し、切り捨ててゆくか。なんにせよ、この国家的なプロジェクトを実施するにあたり、国民を説得できうるもっとも親しみのもてる家族的なイメージをふりまく言葉として
「長寿」
が持ちだされた。
政府が私たちに約束する、もしくは私たちが国家に望む、清潔で明るい社会、平和な暮らしというものがひとつひとつ実現してゆき、しかし、その実現には犠牲がつきまとうものだ、と私たちは納得してみせる。
あなたは75歳以下だろうか?
75歳以上だろうか?
あと何年、生きられるだろうか?
病気だろうか?
必要な薬を買えるだろうか?
……どれほど苦しむのだろう?
……痛いだろうか?
それは誰にもわからない。
極めて重要だが、一番大切だというわけでもない。
もっとも恐ろしい事実、それは
あなたも私も無視され、独りぼっちで死ぬことになる
これだ。
国家が定めた老人医療福祉制度の理念そのものを言葉にすれば、他にはあり得ない。
しかしそれでも、私たちはこの制度を「長寿」のためと呼ぶ。でなければ、社会の効率化など図れない。
なお、テリー伊藤氏は、「長寿」もやめて、もっとも元気いっぱいのイメージを喚起する言葉として
「ハッスル医療制度」
なる名称を提言していた。
あっはっは。
あっはっは。
なんて明るい、巨大な国なのだろう。
ハッスル!ハッスル!
パン屋に行けば焼きたてのパンが買える!
粉をふいて香ばしい! オレがこんなに喜んでいることを、パンをこねたひとと焼いたひとに教えてやれたらなあ。
*夢見る感触*(2008.4.8)
「……物語でさ
こんな時にはこうあってほしい、とか……
こうだったら、みんなうまくいくのに、とか……
……思うでしょ?」
「あたしは……いつも、そんな物語に怒ってる
…片っ端から消化されて、1年やそこらで忘れられてく……
使い捨ての快楽でもさ」
〜『とらいあんぐるハート2』〜
「頼むから黙って、ただ愛させてくれ」
〜ジョン=ダン
カラスヤサトシせんせの新刊漫画『萌道』を読む。
カラスヤサトシせんせが、秋葉原などのメイドカフェや妹カフェなど
「萌えスポット」に巡礼する
という、ルポ漫画ものだ。
「生きる悲しみ」にまつわる、細かいニュアンスの描写に力を発揮する漫画家さんなのだから、いちファンの私としては、メイドカフェなどという冷やかし半分で消費してそれっきりというような題材に手を染めるよりも、山田太一氏の
『永らえば』
あたりのセンをどこかに保持していてもらいたいと思ってるんだけど、これってどうですかね。
(^_^;)
まじめな話をすると、私は「萌えスポット」などという場所にはよりついたこともないし、一生しらぬままだろう。
メイドや妹の格好をした若い女性たち(もしくは王子様や執事姿の男の子たち)のいる店でコーヒーなど飲みながら、
「ご主人様」
とか
「お兄ちゃん」
と呼ばれてみる、という状況を店内のごっこ遊びの一種としてどれだけ巧みに演出したところで、結局、
頭の中でやることにはかなわないよ
と私は思うのだけれど、こう発言すると、どういうわけか私が気持ち悪いと言われる。
なんで?
(^_^;)
個人的な趣味の領域なのだから、「気持ち悪い」のもありなのだろうか。頭の中、というもの自体が「気持ち悪い」ということならそれはそうだろうし、エロチックな想像が気持ち悪いと言っているのなら、それもそうかもしれない。
頭の中で、メイド服を着た生身の女性に
「ご主人様」
と声をかけられる自分の姿を想像する。きっとその生々しさに私は耐えられないだろう、と思う。私という人間の個人的な限界だ。
メイド喫茶店にすらりと入って、一時間ほどを過ごした後、もどってきて、そのサービスの内容や、店内の様子などをディティールたっぷりに語ってみせる、という人物はいるだろうか。もしそういうひとがいて、そのひとが女性なら、私はいちもにもなく惚れてしまうはずだ。
(;^_^ A
優秀な語り部がいたなら、そちらのほうが私には「萌えスポット」よりも、「萌え」る心の状態に耽溺するよりも、断然いい。
---☆--
ネット上で見つけた興味深いお話。
まずは、『暗いニュースリンク』さんの記事から、
「聖火が照らす北京の闇」
を。
お次は、『good2nd』 さんが、
「左翼、右翼、保守主義者」というタイトルでかなり面白いアナロジーを紹介されていたので、紹介の紹介を。
次は、素敵なお買い物情報。
シオドア=スタージョンの『海を失った男』が文庫本になって発売されるようです。
バフマン=ゴバディの『亀も空を飛ぶ』も、ようやく単品になって発売。
さらっと書いてるけど、すごいニュースですよ、これは。
映画『サラエボの花』、『オフサイドガール』もDVDになるぞ。
チョムスキーの新刊も出ているみたいだ。
*Mac・生きる悲しみ・それから映画*(2008.4.6)
「声のでかさとかじゃなくて もっとこう…… 根本的なトコで 通じていない気がする」
〜ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』〜
「しかし平和というものをまだ人間はよく知らない、なれていないんだ。平和が何かということがわかるには百年の平和が必要だ。いまのところ芸術家にしかわからないようだ」
〜高畠勲『映画を作りながら考えたこと』より
ユーリ=ノルシュテインの凄いインタビュー〜
去年の暮れから続けざまに2台のMacとプリンターとそれからモニターとテレビと
電子レンジ
がお釈迦になっていたのだが、今度は、メインで使っているMacが異常終了してそのまま起動しなくなった。ぎゃおぎゃお。
『鉄腕アトム』の青騎士か、はたまたマハトマ=ガンジーがうちの電化製品にゼネストをあおっているんじゃないか、などと軽口を叩いている場合じゃない。
施川ユウキせんせの
『サナギさん』最新5巻の帯の推薦文をカラスヤサトシせんせが書いていて
びっくりした……などと感慨にふけっている場合でもない。
施川ユウキせんせの『サナギさん』は、安全地帯の内側で思考する「生きる悲しみ」についての漫画だから、「生きる悲しみ」漫画家☆カラスヤサトシ氏が推薦文を書くのは、完全に正しい……って、だから、Macを蘇生させなきゃってば。
(^_^;)
ディレクトリ修復ソフトの『ディスク ウォーリア』を使ってシステムを修復しようとすると、
「こらアカン。手の施しようがおまへんで」
という意味のダイアログが出て、修復作業を放棄してしまった。
さて、ここからはどの本にも載っていないプロのMacユーザー隠し芸なのだが、まずディレクトリ修復ソフト『ノートン・ユーティリティー』を使用する。『ノートン・ユーティリティー』はかなり大ざっぱなソフトなので、壊れたシステムに適当なパッチをあてて
「うまく最後まで修復できました!」
などと報告してくる。そうしたら、今度は再び『ディスク ウォーリア』を使ってみる。『ディスク ウォーリア』が最後まで修復作業を実行したら、今度は『ディスク ウォーリア』を二度がけする。
ノミだらけの猫を二度洗いする要領だ。
「カタログBツリーがもうしゃれならんことになってます」
とソフトが言わなくなるまで、何度でも『ディスク ウォーリア』でシステムを洗う。
再起動する。
以下の手順で、見事メインMacは甦ったのだった。
しかも、どういうわけか
物理的に壊れていたDVDスーパードライブも治ってしまった。
……。
ええ?
ええ〜?
自分で書いていて信じられないが、100パーセント真実です。
気合いと愛情で自然治癒するのが旧Macの特徴とはいえ、これはオカルトじゃあ……ゴフン、クフン、神秘だ。
体調がウソみたいに悪いので、買いだめしたDVDを観ております。
予約していた『シッコ』も今日、届いたしな。
--☆---
『パンズ・ラビリンス』を観終わったところ。
監督はメキシコ人のギレルモ=デルトロ。
何度も書いたけど、もう一度書く。多くの日本の映画ファン、映画評論家たちはこの映画を「スペイン内乱を舞台にした『千と千尋の神隠し』」だと思っているようだけれども、実は違う。
日本という国の絶望的な見通しの暗さをふまえつつ、やがて訪れるノストラ大混乱の直接的な犠牲者になる子どもたちに向かって、宮崎駿監督が「グットラック」と言うために(そして大人たちには、できるだけ子どもたちに小さな親切を示して欲しい、とも言うために)作られたのが『千と千尋の神隠し』だ。
物語が終わって、千尋が帰ってゆく現実の世界。
残酷で、暴力的で、淋しくて、おっかなくて、契約を順守せずルールを守らず(湯婆って傑出した人物だよなあ、こちら側の世界では)、子どもたちは生きていく。
千尋に残されたのは、髪留めに託された過去の記憶の残骸、それだけだ。
エンドロール後も、千尋の人生は続く。
それは『千と千尋の神隠し』の物語の流れに乗っかって、やがて、スペイン内乱を舞台にした『パンズ・ラビリンス』とどこかでクロスオーバーし、奈落の暗闇へと落ちていく。
握ったハクの手を放す瞬間から、ラスト、千尋の横顔のアップまで、日本映画史上もっともやるせなく、悲しい名シーンだ。
私の周囲の人たちは、『千と千尋の神隠し』を観て心温められたりしているようだけれど、本当は
『千と千尋の神隠し』はこんな映画です。キッパリ真実を語ってます私。
いっぽう『パンズ・ラビリンス』は、「革命の三つの課題」が真のテーマとなっている。
牽強付会でも何でもなく、映画を観たのなら他には解釈のしようがないのだけれど、なんか、気がついたら
『パンズ・ラビリンス』真テーマ・エバンジェリスト
みたいになってきたなあ、ワタシ。
フランス人のダバディさん(もとサッカー日本代表監督トルシエ氏の通訳だったひと)はきっちり把握できているのは、これは、日本とヨーロッパの市民運動の歴史の違いが大きいのかもしれない。
内戦時のスペイン、それから南米全域(監督は中米メキシコ出身だ)に暗い影を落とした恐怖と悲劇の歴史のまっただ中で、堪え難い痛みへの深い共感と、ある種の聡明さ、謙虚さ、洞察力を地域全体で育んでゆく……、少なくともそのような角度から眺めて全体像を把握する、そんなダークファンタジーなのだ。
……本当です。
ちなみに、三つの課題とは、
第1の課題が「独占資本家との対決」
第2の課題が「変節への誘惑」(大抵の市民運動はここで買収されて、ジ・エンド)
第3の課題が「ニセ指導者が要求する服従と血の犠牲」(スターリン、毛沢東、ポル=ポト、その他もろもろ)
人類は、この三つの課題を乗り越えることができるのか?
答は、まだ出ていない。
人類はまだ、三つ目の課題を乗り越えたことがないから「答はNOだ」と言うことも出来るかも知れない。
なんにせよ、このような問いかけが映画の内部のどこかで発せられているかぎり、……うまく言えないけれど、『パンズ・ラビリンス』は仮定としての希望についての物語ということにはなるはずだ。
内戦時のスペインの人々、それから南米の人々(監督は中米メキシコ出身だ)の激痛と悲しみの記憶は、巨木の年輪のように彼等の皮膚の内側に刻まれていて、タイトルを付けるとするならばそれは、
『鞭打たれる犬達の呻き』(byハーラン=エリスン)
としか呼びようがないのかもしれないけれど、ベクトルとして眺めなおすなら、むしろ『千と千尋の神隠し』のサブタイトルにでも使用するのが正しい。
こちらの映画のサブタイトルは
『俺には口がない、それでも俺は叫ぶ』(byハーラン=エリスン)
の方だ。
ともかく。
宮崎駿監督の千尋とギレルモ=デルトロ監督のオフィーリアがそれぞれに歩む歴史の闇の一本道は、未来のどこかの地点で必ず交差する。
それを思うと、私はもう、涙が止らなくなる。
*エイプリルフールに書く日記*(2008.4.1)
「情報は民主主義の貨幣である」
〜トーマス=ジェファーソン〜
「つまり人生にクソみたいなことが起こっても、絶対に絶望するなってこと」
〜マイケル=ムーア〜
小麦から牛乳から紙から何でもかんでも値上がりして、「資源が枯渇しているから」などと説明するテレビ、新聞は年がら年中エイプリルフール状態。
何でもかんでも投機の対象にするからこんなことになるんです。
ああ、エイプリルフールだというのに本当のことを書いてしまった。
テレビをつけたら、後期高齢者医療制度導入開始でお年寄りの医療が崩壊してしまう〜などと危機感をあおりまくりで、それはその通りだと思うけれど、今日はエイプリルフールだ。「コイズミ日本構造改革で世の中バラ色」と喧伝した「何でもない日」は、なんだったんだ。
後期高齢者医療制度の導入を決定したのは、年寄りは痛みに耐えてろのコイズミさんですよ、あ、また本当のことを書いてる。
(^_^;)
なんか、うそんこばなしないかなあ。
映画批評でおせわになっている『まどぎわ通信』 さんのところに、
『「靖国
YASUKUNI」上映中止に思う』というエイプリルフールのネタが。
え?
これ、ぜんぶ本当の実話なの?
どひい!
いやさあ、こんなんで、北朝鮮の国民洗脳がどうの、イランの原理主義がどうのって言えるのかなあ、この美しい国。
(^_^;)
ジャイアン恐くていつもびくびく、モノ言うときも顔色を窺う、まずいと思ったら自粛ととうつむき、いじめはびこる居心地悪い学級みたいな国になったよね、日本って。
最後に、今日だけ限定の、『eiga.com』さんところのエイプリルフールネタを。
今度は確かにうそんこだぞ。
『ムノーカントリー』
この無能な総理に、ラジー賞を差し上げたい
だそうです。
『靖国 YASUKUNI』
映画は上映中止みたいですね。花見は盛り上っています
も笑った。
ニホン然国津々浦々、ウソンコ祭り開催中だ。
わー。
*三賢人が一堂に会す*(2008.3.31)
「フィクションは可能性を固持する義務がある。真実にはない」
〜マーク=トウェイン〜
「最近は、きみらの書くものしか読まない。きみらだけだよ、いま現実にどんなものすごい変化が起こっているかを語ってくれるのは。きみらのようなキじるしでなくては、人生は宇宙の旅、それも短い旅じゃなく、何十億年もつづく旅だ、なんてことはわからない。きみらのように度胸のいい連中でなければ、未来をほんとうに気にかけたり、機械が人間をどう変えるか、戦争が人間をどう変えるか、大都市が人間をどう変えるか、でっかく単純な思想が人間をどう変えるか、とてつもない誤解や失敗や事故や災害が人間をどう変えるか、なんてことに注目したりはしない」
〜カート=ヴォネガット『ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを』〜
赤字と称して誰かのぽっぽに税金を流し込むために新銀行東京への増資を決定した某東京都知事イシハラさんが、
「世論気にして政治できぬ」
と言い、はたまた、公共施設をことごとく切り捨てようとしている某大阪府知事ハシモトさんが、
「府民を敵に回して」
ガンバル、と宣言したらしいのだけれども……。
いや、もう、実際問題、大企業からの献金目当てに政治家やってらっしゃるとはいえ、本当に正直な方々だなあと。
ウソつくことさえしないのな。
この圧倒的な正直さに感銘を受けましたので、その発言を赤文字で、でっかく記しておきます。
子どもが産めない女性が生きているのは社会の無駄、とぬかす都知事に握手を求めるおばちゃんたち。
大阪の“金持ちたち”を笑顔にするためにワシらを敵に回すような府知事の眼鏡がかっこいいとかはしゃぐ法学生。
……ほんと、ワシら世界中の笑いものだよな。
話は変わるんだけど、good2ndさんが、
『ネグリが来られなかったシンポジウムに行ってみた』そうなんで、リンクしておきます。
ネグリが来なかったシンポジウムに個人的に興味はなかったんだけど、
「なんかものすごーく囲いこまれてるよねって感じがしちゃう。会場で配布されてたプログラムの中には情報学環の紹介リーフレットがはさまってて、そこには卒業生の就職先が「これはほんの一部です」とかいって書かれてるわけ。有名な大企業とかの名前が。マルチチュードの抵抗について話を聞きにきた場所で」
という報告と感想は、ああ、そういう感じだったんだろうなあ、わかるなあと。
日本という国の外側に出るのって、本当にむずかしくなったよね(物理的な意味じゃないよ)。
とはいえ、私も、ネグリの本はほとんど読んだことがない。
(;^_^ A
何冊か買ってはあるんだけれど、書棚の肥やし状態になっている。
本を読まない言いわけをすれば、最近なんだか、全身がだるくて、息をするのもおっくうだったりする。
本人は、先も長くないかもしれないなあ、などとけっこう不安になっていたりするのだけれど、こういうこと言っているあいだは大丈夫なものだよね。
(^_^;)
うーん。
長生したいです。
(^_^;)
まあ、それはそれとして。
youtubeで、偉大な映画監督のエルマンノ=オルミと、アッバス=キアロスタミと、ケン=ローチが一堂に会している映像を見つけたので、ご紹介します。
111年の映画の歴史を振り返っても、ベスト15の中に入る映画監督たちだ(全世界の映画監督たちに投票させれば、ベスト1はキアロスタミで決まりだろう)。
これは『明日へのチケット』の撮影シーンだ。
奥に座っているのが、オルミ。一番手前がキアロスタミ。真ん中のちっこいひとがいなくなって、かわりにやってきた漂白されたように白いひとがケン=ローチだ。
ありがたや、ありがたや。
ミケランジェロとダ=ヴィンチとラファエロが集まってしゃべくっているようなもんだ。
なんまいだぶ、なんまいだぶ。
(;^-^ゞ
先日、ベルトルト=ブレヒトの後継者として、アッバス=キアロスタミの名前を出したわけだが、このたび、「メディア・デザイン研究所」さんのサイト『SITE
ZERO/ZERO SITE 』でのインタビュー記事を見つけた。
「無断で転載、複製、引用することは、著作権侵害となりますのでご注意下さい」
とサイトポリシーにあるので、引用は控えるけれど(引用が著作権侵害になるというのは無理があると個人的には思うけれど)、ここでキアロスタミは、ブレヒトよりもタジエの演出法に影響を受けている、と、インタビュアーに答えている。
まあ、キアロスタミがブレヒトに影響を受けたと答えようが答えまいが、ブレヒトの名前すら知らなかったとしても、
彼が「異化効果」の人類史上最高の使い手であることにはなんらかわりはない。
つーか、キアロスタミにとっては、「映画」すら、単なる手段にすぎんのよな。
目的は、「覚醒」だ。
……。
体がだるいと、言葉ひとつひとつに迫力を込めることができないね。
言葉に力がないと、こう、説得力というやつも出てこない。
あー。
最後に、ケン=ローチの10分の短編ドキュメンタリーをどうぞ。
世界を揺るがせたもうひとつの9.11テロ事件。
『1973年の9.11』だ。
『セプテンバー・イレブン』というDVDに収録されているので、みんな、買うように。
このDVDには、ショーン=ペンの強烈な短編映画も収録されているぞ。
多くのアメリカ人は意味をきっちりくみ取れなかったようだが、バレたらきっと八つ裂きにされていたと思うぞ。
(;^_^ A
*ブレヒトとその後継者たち*(2008.3.26)
「下にいるひとは下の方に留めておかれるでしょう
上にいるひとが上の方に留まっていられるように」
〜ベルトルト=ブレヒト『屠場の聖ヨハンナ』〜
「目に裏切られたのではない。違う。通常「習慣」と呼んでいる、僕らの耳をふさぎ、盲目にする、悪しき霊の仕業だったのだ」
〜アッバス=キアロスタミ〜
「もしも地雷のかわりにそこに麦を埋めていたならば、もし爆弾のかわりに本を降らせていたならば」
〜モフセン=マフマルバフ〜
「小説のなかのあるエピソードがヒントになりました。それは『カラマーゾフの兄弟』で、スタレーという人物が、彼の兄弟であるマルセルの死について語る場面です。16歳のマルセルは、死ぬ直前に母親に、自分はすべての人間、すべての事に対して罪があると言います。
母親は、殺人者や大泥棒ではないのだから、別にお前に罪があるわけではないと答えます。しかしマルセルは、いやそうではない、われわれ人間はすべての人間、すべての事に対して罪を犯していると言うのです」
〜ダルデンヌ兄弟インタビュー『キネマ旬報』〜
「だから、目をさましていなさい。
あなたがたは、その日、その時を知らないからです」
〜マタイの福音書 より〜
天才ベルトルト=ブレヒトが提唱した有名な演劇論に【異化効果】というのがある。
資本主義が急速に発達し、ヨーロッパでナチスが台頭し始めたころ、ヒットラーの演説を目の当たりにしたブレヒトが、ワーグナー式の「カタルシスたっぷり豪華絢爛楽劇」に対抗すべく作り上げた演劇論だ。
ヒットラーの演説に熱狂する大衆を目の当たりにしたブレヒトは、ドーピング系叙情的感動空間とやらが、観客を、人間を盲目にすると感じたのだ。
感動という受動的な心理作用が引き起こす無批判&思考停止状態が支える、ファシズム体制への強烈な危機感、もしくは、ひとりの演劇作家としての自己批判。
「陶酔的感動などマインドコントロールの道具にすぎない!」
それがブレヒトの結論だった。
ブレヒトに言わせれば、感動空間なんてものは、排他的民族主義者や極右のための従順な国民製造機でしかなかったろう。
そんなわけだから、彼の演劇作品は、お客さんが作品にのめり込んだり、感動したり、観客が主人公の運命に同化したりすることを徹底的に阻止する工夫がてんこ盛りだ。
「真理だろうが感動だろうが歓びだろうが、他人ではなくあなた自身がそれを発見しろ! 生きるのがおっかなくて淋しいからって、ワーグナーやヒットラー(やコイズミさんや某宮崎県知事などなど)らの、得体のしれない約束に無思考で飛びつくな」
と、かなり乱暴にわかりやすく説明すると、このようになる。
いやいや、わかりやすく説明する、という行為自体、ブレヒトは否定するだろうけれど。
(;^-^ゞ
「知ったつもりになるな! 知ったつもりになっていることこそ、表面をなぞっているだけで、実はほとんどなにもわかってはいないのだゾ」
ブレヒトの作品群は、私たちにこう言っているのだからして。
(;^-^ゞ
こういうふうに書くと、なにやら小難しそうだけど、『三文オペラ』や『ガリレオ・ガリレイの生涯』など、実際に鑑賞すれば、ブレヒトはかなり面白い。
結局のところ、ワーグナー・エンターテイメント系とブレヒト・なんだろう系では感動の質が違うのだ。
砂漠の民がラクダとともに何千キロを走破したのちに、生まれて初めて海を見たときの感動と、ヒットラーやコイズミさんらが言葉巧みに説明してみせる「海のイメージ」から受ける印象とは、
質が違う、次元も違う。
そして、天才ブレヒトには、後継者がいる。
映画の世界で、異化効果理論をさらに洗練させ目的化させていった
イランの映画監督たち---アッバス=キアロスタミやモフセン=マフマルバフ
たちだ。
キアロスタミの『オリーブの林を抜けて』『桜桃の味』『クローズアップ』。
マフマルバフの『パンと植木鉢』『ギャベ』……。
ブレヒトはあの世で、驚き、喜んでいるに違いない。
ブレヒトの演劇理論、人間教育理論はけっして断絶することなく、古典という牢獄に押し込められることもなく、脈々と受け継がれ、更なる高みへと昇っていったのだ。
(。;_;。) 感動なんかするもんか、コンチクショー。
youtubeでキアロスタミの短編作品を見つけた。
『3分間のロミオ』だ。
長編作品と比べると、手慰みのようなものかもしれないけれど、どうぞ、ご鑑賞下さい。
youtubeを彷徨っていると、ダルデンヌ兄弟の短編映画『暗闇』も見つけた。
ダルデンヌ兄弟は、ベルギーの映画監督さんだ。西側の映画界でほとんど唯一、イラン映画監督たちに対抗できる作品を撮っている。
素晴らしい出来栄えの3分間なので、ぜひご紹介しようと思ったのだが、
違法アップロードがばれたらしく、削除されてしまいました。
しかたがないので、私が特別に、浜村淳もまっさおの全編ネタバレ解説をいたしましょう。
*ネタバレ解説*
暗闇の中を誰かが四つんばいで這っている。リノリュームの床に、並べられた赤い椅子。かなり暗いが、場所はどうやら、映画館だ。光の動きから、映画を上映中なのかもしれない、という推測が成り立つ。
這っているのは、少年だ。少年は、注意深く頭を低くし、左右を確認しながら、四つんばいの姿勢で前進していく。
ガラガラの映画館を少年が進んでいくと、ひとりの女性が座席に座っている。若い女性だ。安全な暗闇の中で、女性は、映画の内容に夢中になっている。いっぽう少年は、今や、座席の女性のすぐそばにうずくまっている。女性は気がつかない。少年の手が、ゆっくりと前方に差し出される。やがて少年の手は、女性の右脇に置かれているコートに触れる。コートの下にはハンドバックがある。女性の所有するハンドバックなのは明らかだ。少年は時間をかけて、バッグの留め金を外し、財布に手を伸ばそうとする。
映画のストーリーが佳境に入り、女性が身じろぎする。少年は手を引っ込める。女性は映画の内容に身につまされて、涙が止まらない。女性は、脇に置いたバッグの中から、涙を拭くためのハンカチを取りだそうとする。
ちなみに、女性が夢中で鑑賞している映画の内容は、おそらく、かなり厳しい境遇に産まれ育ち、やむにやまれぬ事情で犯罪に手を染めつつも、懸命に生きている悲しい少年の物語ではないか。何の確証もないけれど、私はそう直感する。
「なんてかわいそうな少年なのだろう」
と、彼女は鼻を真っ赤にして、泣いている。涙でスクリーンが見えないほどだ。彼女はスクリーンから目を離さずに、ハンカチを手探りしつづける。
手探りでハンカチを探しているうちに、彼女の手は、財布を盗もうとしていた少年の手に触れる。少年の全身に緊張が走る。しかし、何も起こらない。
映画に没頭し、主人公に共感し、物語に浸りきった女性は、自分の側に少年の手を引っ張る。そして、少年の手で涙を拭く。少年がまるでハンカチであるかのように。
エンドロール。
……以上!
なぬ?
わからんとな。
つまり、
少年の人生は、映画鑑賞者の涙をぬぐうためのハンカチじゃない!
と、この短編映画は、私たちに叫んでおるのです。
オンギャー!
すげえ! すげえよ、ダルデンヌ兄弟!!
ぶるぶる!
(;∇;) 感動なんかするもんか、うおおい。
ブレヒトの素晴らしい子どもたち。
とにかくすごいのは、ブレヒトとブレヒトの後継者たちは、自分たちのやることに、
ファンタスティックなまでに自覚的だ。
ファンタスティックなほどに自覚的、うむ、いい表現じゃないか。
いっぽう。
ブレヒトの異化効果をコイズミ劇場と同列に評価するひともいるようだけど、
ブレヒトなめすぎでしょうよ、いくらなんでも!
広告代理店とメディアの力を背景にしたワーグナー型イメージばらまきコイズミ戦略。
資本主義制度による産業の発達と貧富の格差の増大、および、ナチの台頭という歴史をふまえてヨーロッパに根づいた演劇論と、「勝ち組・負け組構造改革」論などとは、
ベクトルも次元も違うんですよ!
あ、わかった。
事実を無視したこういう妙ちきりんな意見を言うことで、
コイズミ劇場そのものを異化しようとしてるんだな!
……んなわけないか。
*幼年期はまだ終らない中国編*(2008.3.23)
「宗教上の不幸は、一つには現世の不幸の表現であり、一つには現実の不幸に対する抗議である。宗教は、悩めるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である」
〜カール=マルクス〜
「できごとが、私たちの中に存在するまったく知らない他人を呼び覚ます」
〜サン=テグジュペリ〜
SF作家、アーサー=C=クラークが死去した。
『2001年宇宙の旅』や、傑作『幼年期の終わり』を書いた作家さんだ。
またひとり、偉大なSF作家が地球を去った。
『幼年期の終わり』、タイトルを聞いただけでも本当に良いと、そう思いませんか?
幼年期の“終わり”というところが、特に素晴らしい。
周囲に誰もいない静かな部屋で、
「幼年期の終わり、の終わりと言うところが、なんともいえず素晴らしい」
なんて口に出して言うと、これはもう、じわりと効いてくる感銘のようなものに包まれて、数分のあいだ、その感銘に浸っていたくなるほどだ。
……え、キモイって?
(;^-^ゞ
では。
私たちが大好きな現実の、終わりが見えない幼年期の話をしよう。
中国政府のチベット人弾圧の状況をアムネスティの報告から。
〉警察と軍は催涙ガスを群集に向けて発砲し、抗議行動参加者を殴打し、群集を散会させるために実弾を発射したと報道されている。金曜日にはラサでの抗議行動が激化し、一部の抗議行動参加者が警察車両に火を放ち、特に中華系企業を対象に焼き討ちするなど暴徒化した。中国の当局筋によれば10人が死亡し、その大半がラサの実業家であると伝えている。より多くの犠牲者がいるとの未確認情報もある。
大国主義つーのか、支配者側の行動パターンというのか、アメリカだろうが中国だろうが旧ソ連だろうが、体制変われどやることはウンザリするくらいにいっしょ。
♪我々は 支配者な〜のぉ〜か〜
♪船を漕いだ〜 ♪オールを漕いだ〜
♪目指すは西の大陸だっ ホイ♪
今さらながらの話だけど、結局、キリスト教右派がキリストの言葉をまったく理解していないように、中国政府はマルクスの言葉をまったく理解していないつーことだわなー。
キリストもマルクスも
史上空前の大ベストセラー作家なわけだけども、
政府や企業と手を組んで人民を支配しろ、などとはひとことも言っていないわけで、むしろ、
所有するな、フーテンであれ!それから親切であれ!
と、このように申し上げられておったわけです。
♪野に咲く〜 花のよう〜ぉにぃ〜♪
マルクスは、宗教は民衆のアヘンである、と言ったかもしれないが、それは弾圧の対象を意味するものではないわけ。
むしろ、
「生きるのがおっかなくて、さびしくて、残酷で、冷酷で、辛くて苦しくて悲しくて切なくて頬ぬらしてエブリナイな日常のただ中で、人は、宗教なしに一日たりとも生きていけるもんか」
とこう言っているわけで、いいかげん、「辛くて苦しくて悲しくて切なくて頬ぬらしてエブリナイな日常をみんなで知恵を出しあって変えていこうよ」と、そういう結論なわけですよ。
アヘンを例えに出したのが誤解の元なのは、確かにそうだけど。
(^_^;)
しかし、誤解するほうが悪いでしょ、どう考えてもさ。
誤解というか、正しくは曲解かな?
*Jリーグが開幕*(2008.3.18)
「今はあまり餓死者がいませんから。来月、もっと寒くなれば、ずっと沢山の死者が出ます。来月に行くことをお勧めしますよ。あなたの映画がもっと興味深くなるでしょう」
〜“映画監督モフセン=マフマルバフへ国連スタッフの返答”
『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない
恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』より〜
「こんにちは、赤ちゃん。地球へようこそ。この星は夏は暑くて、冬は寒い。この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。なあ、赤ちゃん、きみたちがこの星で暮らせるのは長く見積もっても、せいぜい百年ぐらいさ。ただ僕の知っている規則が一つだけあるんだ。いいかい---なんてったって、親切でなきゃいけないよ」
〜カート=ヴォネガット〜
「ここは軍隊じゃない。命令など出しません」
〜イビツァ=オシム〜
脳溢血で倒れたサッカー元日本代表監督・イビツァ=オシムさんは、いまでは杖をつきながら歩行できるほどまでに健康が回復なさっているのだそうだ。
『good2nd』さんのところの『新しい姥捨』という記事を読むまでもなく、日本という国はお年寄りに冷酷な国家になりさがったので、オシム監督の今後が心配でならない。
「働かざるもの食うべからずで、ムダ飯食いの年寄りは効率良く社会から抹殺されて下さい」
政府から私たち国民への通達だ。
そんなバカな。
しかし、信じようが信じまいが、これが日本の現実だ。
読んで字のごとくの姥捨山政策をとることになった日本という国で過ごすのは、オシム監督のリハビリ生活において、よいこととは思えない。
お金に困ることはオシム監督はないにしても、
社会主義の国で生まれ育った彼には、この種の人間切り捨て型福祉政策を目の当たりにするのは、精神衛生上、ごっつ悪いと思うの。
オシム監督のサッカーを理解できない、異文化共存の思想を理解することはもっとできない、そんな連中のためにこれ以上身を粉にして働いて、またオシム監督が倒れたら……。
旧ユーゴの全国民に申し訳がたたないです。
オシム監督が病に倒れて以降、私は、サッカーの試合を観れなくなってしまったのだけれど、個人的には、日本代表チームやジェフ千葉がどうなろうが知ったことじゃないし(特にジェフ千葉は自業自得)、サッカーの試合を観なくたって何も困らない。
ひとつ残念なのは、オシム監督がこつこつと積み上げ作り上げてきたものが、わずか数ヶ月で胡散霧消してしまったというその事実だ。
大量生産社会を支えるためには、商品もサービスもコンテンツも長続きしてはならないから、サッカーにまつわる話題もサッカーチーム自体も単なる一過性の商品としてきれいさっぱりと切り捨てられていく。
オシム監督の名前はまだ商品として価値があるから、彼の名前だけはもうしばらく利用されるだろう。
だが、彼の作り上げてきたサッカーは、日本のサッカー界に流れる時間というものからぶったぎったように断絶され、ただもうそれっきり、というあつかいとなった。
オシム監督は口には出さなくとも、心の中ではひどく落胆なさっているのではないか。
オシム監督の落胆を思うと、辛い。
辛いから、サッカーの試合など、観たくもない。
サッカーの試合は辛いから、かわりに、みなさんはyoutubeにアップされている、2007年ヨーロッパ短編映画賞受賞作をどうぞ。
タイトルは『10分間』。
監督はアーメッド=イマモヴィック。
ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の監督さんだ。
タイトルのとおり、こちら側のローマとあちら側のサラエボで同時刻に起る10分間の物語。
描かれる時代は、
西暦1994年。
オシム監督が再建しようとしている目に見えない何かに思いを馳せながら、どうぞ、ご覧になって下さい。
何事もなく写真屋を出て、加工された映像情報の幸福な日常にひたりながら、こちら側の10分間は過ぎていく。そんな控えめな皮肉を最後にピリリと利かせた映画だ。
*日本はどうなってしまったのか*(2008.3.14)
「現行教育基本法第十条に規定する「教育は不当な支配に服することなく」を削除する。」
〜イナダ議員と『伝統と創造の会』の楽しい提案〜
「世界についての真実を教えていないからこそ、頭上に民主主義の宣伝を掲げつつ、学校は学生を鞭打たなければならないのです。もし学校が実際に民主主義的であったなら、民主主義についての決まり文句で学生を責め立てる必要はなかったでしょう」
〜ノーム=チョムスキー『教育論』〜
「支配体制に奉仕し、事実を歪曲し誤った情報を伝える手段としての、客観性という見せかけは鋭く非難されるべきです。そのような立場は社会科学においては更に容易に維持できるものです」
〜ノーム=チョムスキー『教育論』〜
「祖国のために国民が命を捧げる姿が見たい!」で有名な……または、
「若者を農村で強制労働させて美しい日本の文化と伝統を復活させよう!」
でも有名な、自民党若手議員勉強会『伝統と創造の会』会長のイナダ衆議院議員の最近の行いをネット上で見つけた。
good2ndさんの記事、
『いい加減愚かさに気付きたまえよ、稲田議員』
どひー。
阿倍親衛隊と呼ばれて、軍歌を歌ってたと思ったら、映画にいちゃもんですか。
『パッチギ!』の反日映画騒動でもうんざりしたんだけど、どうもこのひとたち、「表現の自由」「言論の自由」とはいったいぜんたいなんなのか、ということがまったくわかっていないし、それ以前に、
映画の観る能力が完全に欠落してるよね。
(^_^;)
とてつもなく貧相な発想を土台に、映画作品を検閲する……まあ、日本の伝統と言えば、言えなくもないのかな。
いっぽう、配給会社もびびっちゃって、この映画には、
「イデオロギーや政治色はない」
なんて言っちゃって、だめだなあ。
ひよったって、つけこまれるだけなんだよ。
だいたい
いつだって、落語と映画はお上に睨まれながらも、庶民の声をあの手この手ですくいあげていくもんだろ!
イナダ議員とその他の若手議員が検閲にやってきたところをフィルムに収めて、特典映像にして映画館でつけたし上映すればいいんだよ。
ムーア監督みたいに、さ。
しかし、映画に「反日」うんぬんといちゃもんをつけるのはけっこうだけど、イナダ会長と『伝統と創造の会』の親衛隊メンバーのみなさんは、自分たちが率先して祖国のために血を流したり、農村で強制労働する覚悟はちゃんとできているんですかね。
日本の伝統を築き、守ってきた日本のお年寄りも、ものすご怒ってますよ、イナダさん。
激昂老人のぶろぐ、から
『愛国者が威張った時代』
を、どうぞ。
続けざまに、祖国のために命を捧げた結果についての報告を、暗いニュースリンクさんから、
『イラク戦争:数字で見る最新情勢』
だ。
--☆---
ネット書店(書店というか百貨店?)Amazonで本を購入した。ネットで本を買うときは、BK1を利用することが多いのだけれど、BK1では雑誌を扱っていないので、そのときはAmazonを利用することになる。
購入したのは『ユリイカ』の「モフセン=マフマルバフ特集号」だ。
すると、しばらくしてAmazonからメールが来た。
「お客様がこれまでに購入された、またはお持ちの商品を参考に、おすすめ商品を紹介させていただきます。」
と書いてあった。
Amazonからお勧めされた商品は、以下の作品群だ。
====================
「今回のおすすめ内容:
* Mac Fan (マックファン) 2008年 04月号 [雑誌]
* ルポ貧困大国アメリカ (岩波新書 新赤版 1112)
* Mac People (マックピープル) 2008年 04月号 [雑誌]
* 超・格差社会アメリカの真実
* ペンと剣 (ちくま学芸文庫)
* 王と鳥―スタジオジブリの原点
* 図説 バルカンの歴史 〔改訂新版〕 (ふくろうの本)
* プリンセス・アンド・ウォリアー」
====================
『プリンセス・&・ウォーリアー』というDVD以外、
もうぜんぶ持ってるよ。
げげえ!
私の読書傾向は、かなりの制度でAmazonに把握されているらしい。
ちょっとおそろしい。
しかし、『プリンセス・&・ウォーリアー』という映画は、どのような理由でお薦めされているのか、さっぱりわからないから、完璧に把握している、というわけでもないらしい。
ちなみに、映画『プリンセス・&・ウォーリアー』のストーリーは、Amazonによると、
【ストーリー】
病院に勤めるシャイな若い女シシーは交通事故に遭う。
シシーが横たわっていたタンクローリーの下に、交通事故を引き起こした張本人ボドが逃げ込んで来た。
血が喉につまって呼吸困難に陥っていたシシーの命を、ボドは間一髪で助けるが、彼女の命を救ったボドは何の痕跡も残さず姿を消す。
シシーはその出会いが運命なのかどうかを確かめるために男を捜しはじめる。
少ない手がかりを元にシシーはボドをやっとのことで見つけ出し、再会を果たすが、ボドは銀行強盗を計画中だった。
ふたりの奇跡的な出会いは、互いの運命を大きく変えていく・・・。」
だそうです。
あ、肝心のマフマルバフ特集ですが、いろいろな著名人がよってたかってマフマルバフを象徴化するばかりで……。
あなたの世界観を聞きたいんじゃないんだよ、マフマルバフを知りたいんだよ、というような。
(^_^;)
やっぱり、インタビューが読ませます。
西谷修さんというかたがインタビューしております。
=======================
「西谷 ブルカってなかなか立派なものなんですね」
「マフマルバフ 外から見ればね。二つの目で見なければならないと思います」
=======================
おんぎゃあああ!!!
イラン映画の伝統と創造は、会なんてなくても、親衛隊なんかどこにもいなくても、ものすごいな!
私の弟は、
「おれが映画を観るのは、目のお掃除のためだよ」
などと言うのですが、
イナダさ〜ん、
「二つの目で見なければならない」のですよ。
……。
二つの目で見る?あたりまえじゃん、とか言い出しそうだなあ。
*土砂降りミステリーゾーンの怪*(2008.3.12)
「「オレは泳げないんだ!」
「ウァハッハッハ!」
〜『明日に向かって撃て』〜
「子ども時代は二度と戻らない。でもバカは一生だ」
〜『スタンド・バイ・ミー』〜
映画好きの知り合いのかたが、デジタルテレビを購入したさいに、スカパーに入った。
「映画を観るなら、スカパーの「シネフィル・イマジカ」が一番ですよ」
と私にそそのかされたからだ。
ちなみに「シネフィル・イマジカ」は、
キアロスタミの『ABCアフリカ』や、ルーカス=ムーディソンの『リリア・4・エヴァー』や、ジャファル=
パナヒの『クリムゾン・ゴールド』や、バフマン=ゴバティ の『半月』『亀も空を飛ぶ』や、タルコフスキーの『鏡』や、ジョシュア=マーストンの『そして、ひと粒のひかり』や、ポール=シュレイダーの『白い刻印』や、アトム=エゴヤンの『アララトの聖母』や、クストリッツァの『アンダーグラウンド』や、デルトロの『デビルズ・バックボーン』や、チャップリン特集をやっている
日本でもっとも素晴らしい映画専門チャンネルだ。
私自身はアンテナを買う金をけちっておいて、他人のふんどしで映画を観たいので、それはそれは熱心にお薦めした。
そのかたは、私の熱心な勧誘のかいあって、スカパーに入会した。
先日、スカパーに入会して映画を観放題となったそのかたから電話があった。
電話の向こうで、知り合いは言った。
「観たがっていた『半月』、今日放送するけど、観に来ますか?」
ハイ、行きます、車で!
その方のご自宅は、車で10分少々の距離だ。
土砂降りの雨の中を、私は弟を連れて車を走らせた。
道に迷った。
車を停めて、住宅地図で確認しなおすのだが、どうしてもたどり着かない。
『ミステリーゾーン』ほわほわ、ほわほわ、ほわ〜ほわ〜、ほわ〜♪
諦めて帰ろうにも帰り道もわからない。曲がり角のたびに車を停め、いよいよ進退窮まった私は、どうしようもないので、人に道を訊くことにした。
土砂降りの夜、誰も外を歩いてはいなかった。
チャイムでご近所の奥さんを呼びだし道を訊ねた。その奥さんは、私を家の中に招き入れてくれて、懇切丁寧に道を教えてくれた。
そんなこんなで、ようやく目的地に到着した。
出発から2時間後のことだった。
チャイムを鳴らすと、私を誘ってくださった知り合いは
「映画は終わって、もう寝てます」
と言われた。
知りあいに帰り道を聞いて、それでも帰りは30分かかった。
すべて「実話」である。
えーと。
実話とウタえばなんでもありの形体、じゃない
携帯小説にしたら売れるかな?
くどいようだが、本当の本当に実話である。
子どもの頃に病院のベッドで過ごしすぎて、おそらく、道を覚える脳の機能が腐り果てているのだと思う。
(^_^;)
あ。
ゴバティの傑作、『亀も空を飛ぶ』が、ようやく単品でDVD発売されるようです。
よかった、よかった。
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