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※お知らせ。
『学級づくりアイデア情報事典1年生』
『学級づくりアイデア情報事典3年生』



ルック出版さんの新刊本『学級づくり アイデア情報事典 1年生』
『学級づくり アイデア情報事典 3年生』の装幀などいたしました。
これはシリーズで、いまのところ1.3.4年生が刊行されております。
他の学年の本も随時出る予定。
小学校の先生をなさっているかたは、いちど手に取ってみてはいかが? 学級作りのお役にたつこと請け合いでございます。



※お知らせ。
『えんぴつで憲法練習帳 日本国憲法前文 日本国憲法第九条』



弊社の新刊本『えんぴつで憲法練習帳 日本国憲法前文日本国憲法第九条』
19日発売予定。最寄りの書店でも御注文可能です。




いつまでも三文オペラ
(2007.6.26)

「私有化された空間を開放することも始めなければならないでしょう。通りは、かっては商業の場であると同時に市民が憩う空間でもあったことをひとびとに思い出させようと……」
〜「シャドー・コンベンション2000.8」ロサンゼルス ナオミ=クライン〜


「善人になる? そうさ、なりたくないやつなんかいるかね?
だけど残念ながらこの星じゃ資産は少ないし人間は残酷だ。
穏やかに和やかに暮らしたくないやつがいるかよ?
だがこの世の仕組みがそうさせてくれないだろ?」
  〜ブレヒト『三文オペラ』〜



この六月からの大増税だけで青息吐息だというのに、郵政民営化された郵便貯金の一部手数料は

現在の約8倍

になることがほぼ決定。しかも値上げはしておいて、集配業務の一部地域廃止、ATM撤去などなど効率的サービス低下がもりだくさん。
日本人の多くはメディア情報に騙されて、民営化で世の中バラ色になると今日まで信じていたけれど、たぶん、これからも信じ続けるだろう。
……日本人の企業に対する盲信は、どこぞの独裁国家の独裁者に対するそれか、はたまた、くだんの殺人教団の教祖様へのそれなみで、これは皮肉でも何でもなく、無理なダイヤを組んで列車が脱線事故を起しても、血友病患者にエイズを撒き散らしても、車のタイヤが脱輪する事故を何度も繰り返しても、豚肉ミンチを牛肉ミンチと偽っても、パソコンからユーザー情報を勝手に盗みだしても、民族虐殺を行っている政府に“治安維持装備品”を売って儲けても、それでも「ブランド」を信じてるのな。
企業体の永遠の成長と、社会がよりよい明日へむかって前進していくことを、何の疑いもなくイコールで結びつけていくように、小さいころから教育されてきた成果だ。
「株主を笑顔にするためには、どんな犯罪もためらわない、それが大企業だ」……なんてここに書いたら、多くの人が、私のことを危険かつ滑稽な、頭のおかしい人間だと思うだろうし、残りのひとが、くだらん冗談だと決めつけるだろう。

冗談だったらどんなに素晴らしいことか。

さらにさらに。
国会の会期が12日間延長されることが自公民の賛成多数で決定されて、我々負け組の生活も、日本の未来も、私のお財布の中身も、もれなくそろって墨を流したような夜へと猫まっしぐら。
延長された12日間でアヴェさんは、
「談合根絶、天下り一掃という国民の声に応える」ために、


規制撤廃して天下り自由化法案!


「国民の不安を解消するために」

国民健康保険料の徴集を厳しく強化しておいて、自分たちはそのお金を流用しまくってよい法案

を強行採決なさるのだそうだ。
(^_^;)
もう、
「談合根絶、天下り一掃という国民の声に応える」
とテレビに向かって言ってさえいれば、国民はだましおおせると思ってるのまるだしで、しかし、実際のところ、みんなテレビ画面でアヴェさんのコメントは確認しても、実際の法案に目を通すほど奇特かつヒマじゃないし、面倒くさいと感じているので、アヴェさんはその場しのぎのコメントをその場その場の都合に合わせて話していればそれで事足りる。
(^_^;)
ウィンストン=チャーチルというノーベル文学賞受賞歴のある重犯罪者は、葉巻をくわえ、でっぷりとした腹をゆすりゆすり

「若いうちに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。大人になっても左翼に傾倒している者は知能が足りない」

という名言を残したが、物心ついたころから今日まで情熱も知能も欠けている私には、同じ名言でも

「タフでなくては生きてはいけない。優しくなくては生きている資格がない」

という、シリーズ物のミステリー小説に出てくる私立探偵の言葉のほうが胸にしみてくる。
私はリアリストでなく、しかも、いくつになっても年齢にふさわしいだけの知能が発達してこないので、この六月からの大増税に不平と不満をぶちまけることになんら矛盾を感じないですんでいる。
というかこの私をして、

「リアリストって、言うほど知能が高いですかね?」なんて、急造リアリストみたいなことを言ってみたくなったりする今日このごろ。

毒くわば皿まで、と言ったって、それは言葉の綾というか諺にすぎず、実際に皿を食べる奴はいないと思っていたけれど、いわゆるリアリストのお説教に耳をかたむけていると、結局は

底のない迎合主義にすぎないじゃん

という感想しか抱けないんだよね。
いや、ごめんなさい。
もちろん、勉強したり、自分で考えたり、批判精神を身に付けたり、読解力を養ったりするのは面倒くさいのというのは、よくわかる。だから、ひたすら日常の作りだすデコボコに張り付いたようにして生きながら、なにもかもを現実に責任を転嫁して生きるのも、少なくともこの日本の内部では「現実的」なんだろう。
リアリストたちは、現実にたえず不満を唱え続けているのはおまえのほうだ、と言うだろう。だけどそれは、正直、間違いだ。
だいたい、「現実」の中から小さな問題ひとつも掘り起こすことのできないリアリストたちに、未来についてどんな責任を果たせるというのかね?
それに、バーナード=ショーも言ってるだろ、

「正確に観察する能力は、それを有していない人間から皮肉と呼ばれる」

って。
つまり何が言いたいかというと、

リアリストばかりで、ニヒリストがいやしねえ!!

だから、私のような植物的な人間が、ニヒリストの真似事をしなくちゃなんなくなっているんだよな。



-☆---


いつもお世話になっているブログ『暗いニュース』さんに、マイケル=ムーア監督の新作『シッコ』の最新情報が載っていたので、リンクしておきます。

「現在、アメリカ合衆国にはマイクという名の要注意人物が3人いる。マイク・グラベル、マイク・ブルームバーグ、そして、日本にもお馴染みの“野球帽を被ったむさ苦しい男”マイケル・ムーアだ。」

これには笑ったが、マイク=グラベルというひとも、面白いね! 大統領候補だそうだけど、

「まあ、まず第一に理解しなきゃならんのは、ジョージ・ブッシュが詐欺的な基準に基づいてイラクに侵攻した時点でこの戦争は敗北していたということですな。それを理解しないといけません。議会で進行中の件については、実に嘆かわしい事態ですな。表決は下され、メディアは半狂乱だ。どんな表決だ?ジョージ・ブッシュは1年以上前から、大統領任期中はイラクから撤退させないと言い続けてる。信じられんだろう?

別の方策が必要だ。ペロシやリードと同じ席について、他の議員にも集中して話し合うよう望むが、どうやって撤退するつもりかね?決議案じゃなくて、法律を制定すべきだよ。撤退しなきゃ重罪になるという法律を作るんだ。その条文は私が用意する。

フィリバスター(発言による議事妨害)が心配なら、戦術をさずけよう。下院は通過できるだろうな。すでに多数派だから。上院では、フィリバスターをやらせればいいさ。それで、リード院内総務は毎日12時に討論終結動議を出すんだ。そしてアメリカ国民に、誰が戦争を長引かせているのかハッキリと見せてやれ!」

だってさ!
面白いから、もう、このまま大統領になっちまえよ!


http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2007/06/post_e874.html

 


呪詛する文庫本
(2007.6.20)

「君が取材するのはみんな、この国で「弱者」と呼ばれるひとたちだ。
貧しくてふみつけられて、搾取されてる。
そう、アメリカ人のほとんどは無知なんだ。
テレビニュースで観たものを疑いもなく信じている」
  〜堤未果 著『アメリカ弱者革命』〜


「何か抗議の言葉ぐらいは出てきそうな成り行きとなった。しかし、ちょうどそのとき、まるで合図を受けたみたいに、羊たちが、みんなそろって、いきなり---「四本脚はよい。二本脚はもっとよい! 四本脚はよい。二本脚はもっとよい!」
  〜ジョージ=オーウェル『動物農場』〜


電車に乗っている間に読むための本を探していたら、本棚から文庫本が転げ落ちてきて、手に取るとそれはジョージ=オーウェルの『1984』だった。
うわ! 将棋の対局で二歩を打ってしまったかのように手が震えた。
深い絶望のマントラを唱えながら文庫本が意思をもって私の足の甲めがけて落下してきたような居心地の悪さ。
もしも私が、パレスチナに派兵されているイスラエル兵なら、足の甲に落ちてくるのは文庫本どころではなく『アンネの日記』と『ブリタニカ百科事典』全巻だったかもしれない! だが、私の足の甲にあたったのは、文庫本だった。
文庫本だって、居心地の悪さには変わりはない。落ちてきたのがジョージ=オーウェルでは、タイミングが良すぎて、気味が悪い。
ニュースを知ったのは別のところからだけど、きっこさんのブログを紹介しますので、『1984』を読んだことのあるひとは、私と一緒に気味悪がってください。

竹村健一は200万円ですか。

テレビ陰謀論者の私としては、さして驚くような話ではないのだけれども、具体的な数字が書かれているところが、なんとも生々しいところだ。
(^_^;)
これがぜんぶ、私たちの税金でまかなわれているそうだ。もちろんそうだろう。
しかし、なんというか、

どうしてお金を払ってまでウソをついてもらいたがるのか。

日本国民の、奇妙なところだ。……アメリカ合衆国も変わらんけれどな。


-☆---



ガソリン車などを走らせると排気ガスが出て、地球環境によろしくないのはわかっているのだが、自動車教習所に通うことになった。
網の目のように張り巡らされた車道上をあっち行ったりこっち行ったりしながら、近い将来、地球全体をサハラ砂漠のようにするために自動車免許が必要なのである。
今日は、教習所内の道路をぐるぐる走ってみた。素晴らしかった! 何が素晴らしいかと言うと、一時間走ったうちの半分はひたすら

反対車線を走っていた!

(^_^;)
「なにしてるの!」
「線をはみ出ているよ!」
揚げ句の果ては、
「何がしたいの?」
と先生にあきれられてしまった。
何がしたいって言われても、自分でも何してるのか、さっぱりわかんねくなっちまったのよ。

『ブルースブラザース』みたく、スーパーマーケットの廊下でパトカーとカーチェイスする日も近いな、こりゃ。


いやむしろ、『激突!』か『クリスティーン』な!


……笑い事じゃない。

 


今月からガクブルの大増税!
(2007.6.8)

罪もない避難民の気の毒な様を見に、みな遊山みたいに出かけるのです。
同じ運命が、すぐとは言わないまでも、いずれは自分の身の上を見舞うことを考える者とてありません。
   〜ゲーテ『へルマンとドロテーア』〜


ストライキとデモのない民主主義はありません
   〜池澤夏樹〜


今さら日数なんて数えて何になりますか
   〜ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』〜



本当に頭が痛い。いっそこのまま死んでしまったほうが楽だと思えるくらいに痛い。
6月に突入して、にっちもさっちもどうにもブルドックで、バファリン買う金もないときたもんだ。
というのも、今月からすんげい大増税なんですよ。
あなたの月給が16万円だったとして、住民税だけで約6万円持っていかれるんだからな。マジかよ。
(^_^;)
そんなキッツイ年貢をとりたてて、社会保障は切り捨てるつうんだから、ほとんどカムイ伝状態だよな。

ワーキングプアなんてカタカナで言うとちょっとかっこいい

きっと、狂牛病がいつのまにかBSEになったようなもんだよね。麻布や青山の奥様方は、
「BSEって、韓国のアイドルユニットみたい!」
なんて言ってるらしいよ。……うそだよ、かっこいいわけないだろ。クは ょうこりもなく レクトした病、の略じゃないぞ、気をつけろ。ワーキングプアたって、実は、「キング」の文字があっても王様とは何の関係もないらしいよ。結局、かせいだ金はぜんぶむしり取られてしまうっていう話だ。
かと思えば、ひとが苦労して収めた年金を紛失した社会保険庁は勝手に解体、民営化してさらにネコババ、という計画だそうです。今日の新聞では不明金がさらに1430万件……って、ナニコレ?
(^_^;)

なめとんか。

そんなこんなで、この期に及んで庶民の不満がふくれあがりつつあるわけだけど、今度は、自衛隊による国民監視の情報を詳細に記録した内部文書がリークされ、陸上自衛隊「情報保全隊」による“国民監視活動”が発覚。
どひー!
えーと、なになに?
「自衛隊イラク派兵反対」などなどの活動に参加した個人・団体はもちろん、

年金改悪反対、消費税増税反対というひとたちの個人資料も作成

しているということだから、つまりは、

国のやることに不満を感じている国民のブラックリスト

というわけなんだ。
資料では、共産党系市民運動に参加した者、社民党系運動に参加した者、民主党系の運動に参加した者、その他の市民運動に参加した者、突飛な変わり者、というふうに細かく分類されているそうだ。

なかなか実用的な書類のようですね。

クーデーターでも起きたときに、不満分子を早急にしょっぴいて競技場に集めて、そこを集団墓地してしまうときなんか、役に立ちそうだ。
(^_^;)
そうなれば、もうほとんど『キリングフィールド』、 むしろ『戒厳令下チリ潜入紀』かな。
防衛事務次官の屋武さんは、
「任務を遂行するための調査活動は認められており、このこと自体に問題はない」
っておっしゃているけど、

戦前の憲兵かおまえは!


任務遂行と言う前に、

憲法違反だっつーの。

どこの国でも似たりよったかもしれないけど、自国民に銃口を向ける軍隊はいらん! しかし、その銃に装填する銃弾の支払いも、「任務遂行のための調査活動」も、わしらの税金でまかなわれているんだもんな〜。
(^_^;)
「美しい日本」でどんどん酷くなるよ、この国は。
情報収集と言えば、アメリカ合衆国の某情報捜査局からこの日記へのアクセスが最近なかったんですが、無事(?)先月あたりから復活しました。

もしかしてテロリストのブラックリストに載ってたりして。

(;^-^ゞ
スカッドミサイルが脳天に直撃したらどうしよう。
税金の無駄遣いには定評のあるブッシュ大統領だから、やりかねんと思うの。
ビン=ラディンは元気にお誕生日パーティーしてるし、対テロ戦争がどういう種類の戦争なのか、よおくわかってしまうよね。
(^_^;)



--☆---



「わからない。どんな手段があるのか、わからない。だが、ともかく選挙をやるんだ
   〜ウーゴ=チャベス〜

「ぼくらはいつのまにかなれっこになっている。事実は虚構で、テレビこそが現実となる
   〜U2〜『Sunday bloody Sunday』

「神よ、我に、変えることのできることを変えてゆく勇気と、変えることのできないことを受け入れる落ち着きと、その二つを見極める知恵を与えたまえ
   〜カート=ヴォネガット『スローターハウス5』〜


アメリカの平和運動家シンディ=シーハーンさんが、運動からの引退を表明したというニュースを、ネット上のさまざまなニュースにより知った。
どすのメッキーさんのブログで、彼女の引退宣言文が翻訳されアップしてあったので、リンクします。


「ジョークですが、世界の人達は、私達アメリカ人をこう見ています。あまりに広い殺人の裁量権を政治指導者に与えているので、腐敗した「2」大政党制に替わるシステムを私達が見つけなければ、代表民主制は死に絶え、チェックも均衡も決してはたらかない社会、ファシストが統治する荒野へと急速に転落していくだろう、と。人を見るとき、政党に加入しているかどうかとか、国籍がどこかとかを気にせずその人の心と向き合おうとするので、私は悪魔にしたてられています。共和党員のようにものを見、飾り立て、行動し、話し、投票している人が、自分自身を民主党員だと名乗るだけで支持を受けるに値するでしょうか。

ところが、日本のマスメディアは、しぶきを飛ばしながら二大政党制を国民に押しつけようとしている。
「二大政党制度によって、政権交代が可能になる」
と言うのだが、それじゃあ

目的と手段が逆になってしまってるということがわかってない。

いや、本当はわかってて言ってんだけどな。“チェックも均衡も決して働かない社会”の実現、が、彼らの本当の目標なんだ。
民主主義制度は多数決とイコールなのだと、テレビの前でわざと間違えてみせて、それでお金をもらっているというわけだ(さあ、これでまたまた、自衛隊のブラックリスト入り)。


「10年、20年たって私達の子どもの子ども達は愛する人々が何の意味もなく死んでいくのを見ることになるでしょう。彼らの祖父母達がこの腐敗したシステムを受け入れた結果として。ジョージ・ブッシュが弾劾されることはないでしょう。なぜなら、民主党が彼を深く追求しすぎると自ら墓穴を掘ることになりかねないからです。こうして、このシステムは自ら永遠に存続し続けるでしょう。


我々地球人類に、果たして「他者を利用せずに生きる」ことは可能なのか?
シーハーンさんの人気を政治的に利用する、テレビショーとして徹底的に消費する、権力闘争の渦中に爆弾のように投下する---ぞろ目が出ると、チンチンジャラジャラと音をたてて硬貨が落ちてくる。○○○円になります。
シーハーンさんは、あまりにも融通の利かないぎくしゃくした機械で、ひとびとは、まるで壊れたスロットマシンを相手にするように小突いたり蹴ったり悪態をついたりして、それでとうとうシーハーンさんの中身は空っぽになってしまったのだ。
「平和活動」ですら、“値踏み”され、「誰がトクするのか」が重要視される。で、私は問いたい、

なぜなのか?


「幸福はわれわれのところにはないし、ときどきあることもない。われわれはただそれを望むだけです
   〜チェーホフ〜


シーハーンさん、お疲れさまでした。

 


*アンビバレンツ*
(2007.6.2)

5月19日にならまちセンターで行われた『日本の青空』完成披露試写会の感想を今ごろになって書こうと思う。試写会が終わってから既に10日間以上が過ぎた。気づけばもう6月だ。『日本の青空』の感想文を書くことに、ある種の気の重たさのようなものを感じていたこともあって、だから今日までのびた。
どうして気が重たくなるのか。ひとつには、当日わたしは、ならまちセンターで上映のお手伝いをしていたのだけれども、器材の不調からハプニングが起きてしまい、当事者として問答無用に気落ちした。それから、ハプニングを何とか乗り越え上映された『日本の青空』を、満席の観客席ごと上から見下ろす形で観賞し終ったときの、アンビバレンツな心境というものがあった。映画を観終った感想を率直に書くことはためらわれる、もしくは気がすすまないから複雑な気持ちになる、ということだ。
映画のテーマや目的は大変すばらしい。ということは、演出や脚本に問題があるということである。演出や脚本に問題があると言っても、すべてではなく、あるシークエンスでおかしいことになる。そして、テーマや目的、映画を制作する趣旨は本当に素晴らしいのだから、おしい、残念、という思いが残る。
この映画は、戦前・戦後を生き抜いた実在の憲法学者・鈴木安蔵の半生の物語を軸に、日本国憲法誕生のいきさつを描いた作品である。
ストーリーを簡単に要約すると、ある雑誌社の編集部で派遣社員として働いている若い女性が、その雑誌の「日本国憲法特集」の企画に参加し、在野の憲法学者・鈴木安蔵の業績の調査取材を進めることになる。その取材の過程で、鈴木安蔵という人物と日本国憲法誕生の過程が明らかにされていく、というのがおおまかなあらすじだ。
「実在の憲法学者・鈴木安蔵」とは誰か?と問われて、何も知らないし、今の今まで知ろうとしたこともない、という私のような観客が大多数であることは容易に予想できるから、日本国憲法誕生の具体的ないきさつ、もしくは鈴木安蔵の人生の物語の案内役として、小さな雑誌社で働く派遣社員の若い女性と、その彼氏が登場している。雑誌で憲法特集をするから、何も知らない憲法について勉強をする、といった役回りの若者たちだ。ふたりとも素直で天真らんまんではあるけれど、天真らんまんなままこれまで基本的なことすら勉強してこず、決定的に勉強が足りないから時代を的確にとらえることが出来ずに現実に流されるまま、半ば自動的に弱者という立場に落ち込んでいき、知らず知らずのうちに苦境に立っている、という現代人の典型としての役回りでもある。
戦後を総括する言葉として「勉強不足」ほどぴったりくるものはない。勉強不足の戦後60年。
第二次世界大戦はもちろんのこと、朝鮮戦争、オイルショック、高度経済成長、バブルとバブルの崩壊、というような大きな時代の変化を経験してきたが、結局は過去のことは過去のこととして、きちんと分析や内省をしないままに、今の時代の流れに身を任せる。特にそれは自国の、他国に対する加害体験の無知にあらわれている。最近テレビなどでよく耳にするようになった、朝鮮半島には文化が無く、第二次世界大戦時に日本が教えたなどという論などはその典型例と言えるだろう。
皮肉たっぷりな別の言い方をすれば、勉強不足に支えられて存在する国、という表現もありうるほどだ。
勉強不足だからわからない。わからないからテレビ映りや人柄の善し悪しというものでなんとなくひとびとは判断していくしかない。その判断自体、根拠というものがまったく存在しない。
勉強が不足しているのなら、最初から勉強を始めるしかない。だから、いちから勉強をはじめるひとたちの代表として、若いふたりは登場している。
それはいい。映画を鑑賞している私たちも同様に勉強不足なひとたちなのだから、導入部としても機能させやすいという意味もある。そうした効果や、演出上の理由はわかる。……にしても、この映画の現代劇のパートは、リアリティーもなければ主張も奇妙きてれつで、もう少しなんとかならないものか、という気が私はする。
こんなふうに書くのは本当に気が重いが、この描き方では映画の論旨に賛同しているようなひとたちにですら、とても納得はしてもらえないし、反感すら抱きかねない、というありさまだ。
映画の核心部分である「憲法誕生の秘話」の部分は、圧倒的な迫力と説得力で息をつかせぬ出来栄えだというのに、本当にもったいない。どうしたことか。
売り上げ部数が低迷を続ける雑誌社の編集会議で、編集長が「日本国憲法特集は部数復活をかけた企画である。キミもアイデアを出せ」と派遣社員に迫る冒頭場面から、悪い予感はした。編集長と派遣社員の会話とはとうてい信じられないし、字面ではわからないが、眩暈が起きるほど会話が子どもっぽいのだ。
駄々をこねる駄々っ子のような編集長に迫られた派遣社員の女性は、家族のふとした情報から鈴木安蔵の存在を知り、母親の古い記憶を頼りに、住宅地を一件一件探し歩く。戦後すぐ、といった時期のことだから、今となっては付近の様相も大きく変わっている。主人公の女性は、母親に携帯電話をかけて愛嬌たっぷりに不平を言う。これは笑うところなのか。

鈴木安蔵の娘の家はなかなか見つからない(当たり前だ)。だからその家探しを、女性の彼氏も手伝う。玄関の向こうのひそんでいた犬に吠えられて、彼は「あわわわ」などと言いながら、奇妙に誇張された動作で尻餅をつく。ふた昔前の連続ドラマにこういうシーンがよくあったなあ、と、私はなごめばよかったのか。
鈴木安蔵の娘の家を発見し、話を聞きだすことに成功した派遣社員の女性は、本格的に鈴木安蔵の業績を調べる作業に入っていく。具体的には、鈴木安蔵の娘の家を発見したときと同じ徒歩での聞きまわりらしい。「俺もバイトがあるんだよ」と、協力を求められた彼氏が難色を示す。バイトなんていいじゃん、と派遣編集員の女性は口をとがらせて言う。腹を立てた彼氏は自転車で一気に坂を駆け降り去っていく。その背中に向かって、女性は
「もっと鈴木安蔵のことを知りたいんだよ!」
と叫ぶ。このシーンはいったい全体なんなのか。女性のひた向きさということなのか。現代の若者はとにかく幼稚だと言いたいのか。今にも改正されようとする憲法について関心すら持とうとしない彼、ということなのか。しかし、彼女自身、自分の身勝手さをまったく気がつこうともせず、自分一人でやるべきことをせず(国会図書館で鈴木安蔵の著作物を調べることすら思いつかない!)、これはいったいなんなのか。
別のシーン。憲法についても他のことについても正面きって議論することもなく、憲法なんて面倒くさい、面倒くさいから私には関係がない、という態度を露骨に示す若い友人が、そうした態度から最後まで一歩もでないまま、憲法の大切さを訴える派遣編集員の女性に対して
「さやか、すごく勉強したじゃん」かもしくは、「頑張ったじゃん」というような珍妙な言葉で理解を示そうとする。なんだこれは。
現代の若者に対する気がねというか、媚のようなものがあって、それでこのようなシークエンスを挿入しているのがミエミエで、それでこのありさまなのだから、いよいよ救えない、と私は思う。どうしてこういうことになってしまったのか。
映画を観終って途方に暮れた私は、公式サイトにアクセスした。

「 映画の成否の80%は脚本の良し悪しで決まると言われますがその脚本については、これまで皆様から寄せられたご意見を真摯に受けとめ、手を入れてもらいました。特に現代部分の若者に生命を吹き込み、生き生きとした若者像になったと思います。」

という記述を見つけた。
ここで言う「皆様」とは、映画制作を支援してくれた一般のひとびとを多く含んだ「皆様」ということらしい。そうした「皆様」が、とくに若者が出てくる現代劇のパートの脚本作りに大きく関与したというのが真相だった。
映画制作に協力した複数の若者が脚本を手がけることで、「活き活きとした若者像」を作りだす、などというのは、ちょっと信じがたい。毒舌でも何でもなく、そんなバカな、としか言い様がないと思う。
『Sweet Sixteen』の脚本は、ケン=ローチよりも実在の若者が書いたほうが活き活きしただろうか?
ともかく、説得力も実在感も映画としての方向性すら感じることの難しい「若者像」がどこから生まれてきたのか、公式サイトから納得できる理由を発見することが出来た。
しかし、と言えばいいのか、ところがと言えばいいのか、映画の核心、鈴木安蔵の活動と憲法誕生とい部分は、エンターテイメントとしても歴史の真実を描くという意味においても、一転して素晴らしい完成度だった。
映画的な誇張などなにひとつなくても、手に汗握る緊迫感がある。
1945年、日本は戦争に負けた。見渡すかぎり焼け野原の日本に、進駐軍として米軍がやってきた。
タイトルの『日本の青空』とは、1945年8月15日の敗戦の日に、鈴木安蔵の妻が仰ぎ見た「戦後のはじまり」の日本の空だ。完膚無き迄にたたきのめされて、日本という国は何もない、ゼロの状態となった。そのとき、多くの日本人が仰ぎ見た空。
その空の下で、新生日本というものが、とにもかくにも発足した。占領国であるアメリカは、自由と民主主義という改革を行うことが発足した新生日本には必要なのだと、かなり強く主張した。新生日本がどうあるべきかについては、国内で、実にさまざまな考えや意見があった。国家を運営する立場の人間は、自由と民主主義よりも明治憲法制度の保持によって、日本という国を復興させていこう……というよりは、このままで大丈夫だろう、真剣な議論というものを回避したまま、なし崩し的に現状維持としていけばいい、というような発想だったようだ。
新生日本はどうあるべきか。人の数だけ意見はあったにせよ、国家を運営する立場の人間が「庶民」と呼ぶひとたちは、自由と民主主義を選択したい、と強く望んだ。
敗戦というゼロの地点から、一歩ずつ踏みしめるにして明日を生きていくあたって、もっとも好もしい生き方は、自由と民主主義という生き方なのだと、何となくわかったような気になるということではなくて、かなりリアルに切望した。
であるならば、平和と民主主義という生き方を宣言し、自由や平等を犯すような国家の活動を国民が監視し、目に余るようなら禁止したり制限したりするための、新しい憲法が国民の側に必要になってくる。平和と民主、という庶民の願いを実現するためには、自由と民主主義の理想を掲げた憲法を是非とも作るべきだ、と、多くのひとがひとまず結論づけた。そうした経緯の中で、憲法学者たちの自発的な活動が活発に行われた。もちろん鈴木安蔵もそのひとりだ。
自由と民主主義という生き方への、大多数のひとびとの期待感、二度と戦争はしたくないという平和への切望、人間の可能性を大きく広げる男女平等の社会実現の夢、そうした当時の熱気を映画はかなり見事に再現していると思う。……思うと言っても、その時代を体験してはいないのだが、その他の資料に当たっても、そのときはそのようであったらしい、と書いておく。
自由と民主主義という社会のあり方を導入したい、実践するのだ、と決意した「庶民」は、非現実的で実行不可能になるギリギリ一歩手前まで理想を追求した憲法草案をおのおのが作り、国家の運営者であるひとたちに提出した。しかし、彼らはこの草の根憲法草案を、ほとんどまったく相手にしなかった。それは、新生日本の第一歩目が踏み出される以前から、自由や民主主義を面倒で非効率なものととらえている国家の姿を如実に示すことになった。
国家の運営者の態度に強い猜疑心を持った憲法草案製作者たちは、今度はその草案をGHQに提出した、という歴史の流れを、映画はキッチリと、そしてスリル満点に伝えている。
そして、1946年3月4日。
日本の歴史、いや、世界の歴史において、まさに奇跡のような一日。詳しいことは、映画をこれから観るひとのために秘密にしておくけれども、チケット代金を払って時間を作って観る価値は絶対にある、と私が保証しよう。
感動という言葉は、今はどこでもかしこでも大安売りされている。しかし、本当はこういうシーンのために大切にとっておくべき言葉だ。
自由と民主という社会のあり方は国家に対する国民の側からの規制が多くて国家の運営者はやりづらくてしょうがない、だから国家としては最初から乗り気ではなかった。
戦後60年目にして、いよいよ念願の憲法改正にふみきる、という決定は、政府内部ではすでに合意をされていて、形だけの手続きに過ぎないような討論を一定期間やりとりしたのち、すんなり憲法は改正される。という予測は、私でなくてもすぐに立てられるだろう。
今は予想に過ぎないけれど。
それでも、1946年3月4日が奇跡のように美しく輝いていることに変わりはない。アヴェさんですら、タイムマシンに乗ってあの一日を無効にすることは出来ない。
国家を運営する立場にいる人間の「勉強不足」は、60年前から今日まで変わらず、慄然とさせられるほどの状態であり、そういうこともしっかりと確認できる映画だ。

 


ヴォネガットの追悼特集を探して
(2007.5.29)

某映画センターさんで導入した某メーカーのブルーレイ・プレイヤーが上映本番中に誤動作するという事件があった。設置とチケットのもぎりのお手伝いをしていた私は、どっぷりと冷や汗をかいた。具体的に何が起きたかというと、

頭だしの操作がわからず

右往左往したこと(誤動作とは言えませんっ)と、それから、不規則に音跳び現象が起きるという二点だ。
音跳び現象には再現性がなく、ディスクにほこりがついていたのではないか、とか、熱暴走ではないか、などさまざまな原因が考えられるけれど、真相究明は難しいかもしれない。
個人的には、こういう新製品は、もう少しこなれてから導入するほうが安全だと思っているのだけれど(最近の電化製品、特にデジタル関係製品は“なんか問題があってもぜーんぶ自己責任でやってちょ”と言われてしまうからなおさらだ)、手伝いのぶんざいでホント、余計なお世話だと思います。ごめんなさい。
で、原因をネットで調べていたら、まったく関係のないこのような記事を見つけた。
私は、ソニー元役員の天外伺朗氏が寄稿したという文藝春秋2007年1月号の『成果主義がソニーを破壊した』という記事は読んでいなかったけれど、さもありなん、と、驚きはしなかった。ただ、私のような人間が感情的にギャーギャーとネット上に書き散らしているのではなく、ソニーの役員の内部告発ということで、成果主義の弊害についての説得力というものがケタ違いではあるだろう。


「「いまのソニー社員は,大切な内発的動機を失ってしまったように見える。それはなぜなのか。私は成果主義が導入されたからだと思っている」

「成果主義が導入されるにつれ,社員は次第にやる気を失っていった。」

「そもそも成果主義とは人間のパフォーマンスを数値化して,客観的で公正な評価をくだそうというものだ。しかし『客観的で公正』な評価など可能だろうか。私は無理だと思う」

「成果主義の弊害の最たるものは,社内の雰囲気が悪化することである」

「『人のやらないことをやる』と独自技術を追い求める姿勢は,いまの収益一辺倒のMBA的な視点からすると失格だろう」

「いま日本中の企業でうつ病などメンタルの問題を抱えた社員が増えている。それはダメ上司の導入した無責任な合理主義経営が,社員を痛めつけているからだ


だから言っただろう駄目だって。

(^_^;)
すべての人間的価値を貨幣の排泄物とみなす人事システムを導入すれば、当然、内部の人間は排泄物として腐敗臭を放ちながら、便器の真ん中でどろんと力なく座り込んだままになる。
「成果主義が悪いのではない。アメリカではうまくいっている」
という人もいる。
ところが残念、成果主義は

アメリカでもうまくいっていませんよ、言っとくけど。

確かに某ゲイツ氏は世界一のお金持ちかもしれないけれど、黒井魔ソフトの製品のひどさはもはや伝説的なレベルだろう。
実に多くの人々が、
「うわあ、これはひどい!」
と叫びながら、黒井魔ソフト製品を今日も使用している(……誰か、旧MacOS用のfirefoxを開発してはくれないものか)。業界のマーケットを支配しているのは黒井魔ソフトであり、ユーザーの選択肢は極めて限られている。いきなりLinuxに手を出せるユーザーなどいやしない。さして必要とも思えない新機能を登載した新製品が市場に投入され、そのたんびにユーザーは顔をしかめる。

あちこちの裁判所で有罪判決を受けつつ、わけのわからんビジネス書を出しているような、例えばジャック=ウ○ルチの出世物語

にしたって、成果と業績というものをどのようにとらえるかで評価は変わってくる。
不法な環境汚染、強制労働、組合つぶし、経済犯罪、談合、収賄、過剰広告、そして成功。これがもたらされた成果だ。こんなことのために我々は地上に生まれてきた……と信じている人は意外に多い。
まあ、世界の解釈の仕方としてそれもありなんだろうけれど……。
純利益の上昇、株価のアップ、事業拡大、権利の独占、そのあとに続く“それをもたらした人間の価値”というもの。


♪お金 お金 お金をかせ〜ぐと〜♪
♪偉人 偉人 偉人〜 偉人の仲間入り〜♪
♪お金はぼく〜らを〜♪
♪待っている〜♪


恐ろしく他愛ない反面、恐ろしく危険でもあると思う。この思想は。
「お金」というものは、もともと、人間的価値やさまざまな能力というものを社会全体が極めて抽象的な形で共有しあったり、これ以上ないほどに具体的な形で交換可能にしたり、文化間でこまやかな相互依存がおこなわれるように、私たち自身が発明したものだ。
人間共同体をさらに高い次元に押し上げ、日常の暮らしの中で機能させて行くに当たって、人間同士がもっと協力しあえるように、そのひとがそのひとであるというかげがえのない価値をもっともっと社会全体が共有できるように方向づけていくこと。大切なのはそのスピリットであって、お金そのものはただのうすっぺらい紙切れだ。
なんか、間違ってます?


「おじさん、わたしがいちばん頭にくるのは、この人たちがどんなに物知らずかということでもなく、どんなに大酒飲みかということでもないんです。それよりも、この世の中のすてきなものはぜんぶ、自分たちか自分たちの先祖が貧乏人にくれてやったものだとする、この人たちの考え方が気にくわないんです
   〜カート=ヴォネガット〜


--☆



テレビや、あえて不潔にしてある公立学校のため、誰もが無知なままなのです」
   〜カート=ヴォネガット〜


まあ聞いてほしい---我々はぶらぶらひまをつぶすために、この地上に生まれてきたのだ。誰かがそれとはちがうことをいっても、信じないように!
   〜カート=ヴォネガット〜


今月の『SFマガジン』で大々的に行われると信じていた「ヴォネガット追悼特集」がない。
今月の特集は、「ワールドコン特集」なのだそうだ。
なんだ、ワールドコンって?
(^_^;)
『ユリイカ』でも、いまのところ特集号がでていない。『ダ・ヴィンチ』はハナから期待の埒外だ。
ちなみに、『ダ・ヴィンチ』の最新号の特集は、「読めば言いふらしたくなる・よみがえる都市伝説」だった。
(^_^;)

世間におけるヴォネガットの評価って、どうなっているんだろう?

不安になってしまった。
まあ、新しい流行を消費をさせることにせいいっぱいで、他のことに手が回らないというのが実情なんだろうけど。
しかし。
「キリスト教右翼の父」ジェリー=ファ○ウェルだって追悼特集してもらっているんだぜ?(町山さんところのブログ)。

こっちは追悼というよりも解放記念日という塩梅だけど。

(^_^;)
しかたがないので、ぶらぶらとネット情報を漁り、『暗いニュース』さんのところにカート=ヴォネガットのラストインタビューが和訳されているのを発見した。
『暗いニュース』さん、いつも重宝させていただいております。
YouTubeの動画で、「So It Goes」という追悼ヴィデオも発見した。
ネット上で、ぜんぶただ。
そういうものだ。



今月の映画情報
(2007.5.25)

個人としての人間は天才である。
しかし、集団としての人間は、突かれるがままに進む、巨大で、野蛮な、頭のない怪物だ
   〜チャーリー=チャップリン〜


人生に必要なのは、愛と勇気とほんの少しのお金
   〜映画『ライムライト』〜


今日は映画のお話。
「お母さん。まだ最高裁があるんだ! まだ最高裁があるんだ!」
これは映画『真昼の暗黒』の名台詞だが、私の周囲の人間は誰もこの映画を知らないと言う。
えっ。
トシがばれる。

(;^-^ゞ

八海事件って知ってる?

あ、しりませんか、ごめんなさい。
しかし、いちるの望みの最高裁の逆転判決も裁判があったればこそで、現実は映画よりもずっとずっとキビシく、たとえば、法も人情もナッシングなこのニュース
いつまでたっても沖縄の戦争は終らないのな。

沖縄戦から21世紀の今日まで、沖縄県民を守るどころか、銃口を突きつけつづける日本の軍隊。あ、自衛隊は「まだ」軍隊じゃなかったっけ。ま、名前はどうあれやっていることはいっしょで、本当にクソッ○レです。
あ、映画の話をするんだった。
映画『ボラット』、ならびに『チョムスキーとメディア〜マニュファクチャリング・コンセント〜』がいよいよ26日から関西でも上映されるようだ。
今年最大の目玉作品と一部映画ファン絶賛の『ボラット』の詳しい内容は、こちらのウサギ主演30秒映画サイトで御確認ください。
(^_^;)
うそうそ(というか、これじゃわからないよね)、こちらをご覧ください。
この2作品、カンヌ映画祭に出品されていない模様。……なんでだろ。

今回のカンヌでは、マイケル=ムーアの『シッコ』が特別招待作品。
エミール=クストリッツァが出品している。
個人的には大注目だ。
あと、イラン最初の漫画作品

『ペルセポリス』が映画になっていた!

イランとフランスの合作映画だそうだ。
原作の漫画は見事な作品だった。こちらも期待して待つことにしよう(関西で上映するかなあ)。
今回のカンヌは、キアロスタミもマフマルバフ一家(でた!笑)もパナヒもゴバディもローチもダルデンヌ兄弟もエゴヤンもトリアー(あひい!)もムーディソンもコスタ=ガブラスもいない映画祭だ。
イサベル=コイシェ監督の『あなたになら言える秘密のこと』は出品してないのかなあと思ったら、主演のサラ=ポーリーが審査員をしていた。
(^_^;)

〜〜〜〜〜☆
最後に、映画こぼれ話ニュース。
イラン国籍だという理由でキアロスタミの入国を拒否した米国。それに対して、アキ=カウリスマキが大激怒し、ニューヨーク映画祭をボイコットしたらしいです。
「キアロスタミがイラン人という理由でいらないと言われるのなら、フィンランド人(←アキさんの国籍)もいらないだろうヨ!」
だって。
(;^_^ A
もいっこ、ニュース。
東京の渋谷シネ・アミューズと、大阪のテアトル梅田では、ひげをつけて(はやして)映画『ボラット』を観にいくと、千円にしてくれるそうです。

花中島マサルのあれだ!

クリナップクリンミセスだ。
ヒゲつけていけ、ヒゲ。
もいっこだけ、ニュース。

『グッバイ レーニン』のDVDが絶版になっていた〜!!


( ̄_ ̄|||)


--☆---


今月の主な購入書籍。

●『くらべてわかる世界地図』1.2.3.4..8
 (あなたは知っていますか?世界の子どもの7人に1人は学校に行っていないことを←2巻の帯より)
●『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命―なぜあの国にまだ希望があるのか』
 堤 未果 ・著
●『私物化される世界』
 ジャン=クレール・著
●『報道されなかったイラク戦争』
 西谷文和・著(サイン本!!)
●『フェッセンデンの宇宙』(SF)
 エドモンド=ハミルトン・著
●『東欧SF傑作選』上下(SF)
 作者いろいろ
●『薄灰色に汚れた罪』(サスペンス小説)
 ジョン=D=マクドナルド(トラヴィス=マッギーきました〜!)
●『地獄の悪魔 アスモデウス』(絵本)
 ウルフ=スタルク・著
●『おばけのブルブル』(絵本)
 荒井良二・著
●『いぬばか』10(漫画)
 桜木雪弥・著
●『おおきく振りかぶって』8(漫画)
 ひぐちアサ・著
●『ゲバラちえ子の革命的日常』(漫画)
 しりあがり寿・著
●『カラスヤサトシ』2(漫画)
 カラスヤサトシ・著
●『大山康晴の晩節』(将棋)
 河口俊彦 ・著

金がないくせに、よく買うよなあ。
お勉強の本からサスペンス小説に絵本、漫画まで、脈略なさ過ぎ。
(^_^;)
しかも、購入するばかりで、

絵本以外、ぜんぜん読んでない

ときたもんだ。
本棚の飾りだ……いや違う違う。
ちびちび読んでいこう。



ヘーゲルさんはドイツの哲学者です
(2007.5.22)

人間は歴史から何も学ばないということを歴史から学んだ
   〜ヘーゲル〜


私もヘーゲルさんが正しいということを歴史から身をもって学びつつあります。
(^_^;)
……歴史って、なんのためにあるんだろうな……。
ふと気がつけば、アニメ『おおきく振りかぶって』をビデオ録画するのをまたまた忘れていた。
ぎいやあああ……。

ヘーゲルさんの歴史観(人間観?)は涙チョチョ切れるほどに正しいっ。

(T△T)

numashさんのブログ『想像力はベッドルームと路上から』
「「分断」を促進したのは誰か」
というお話を発見。

彼らの世代の中には、未だに「フリーター」などの非正規雇用、あるいは「ワーキングプア」の問題を、「計画性の無さ」や「甘え」などの「自己責任」として語る人間は少なくない(それは正しい場合もあるのだが)。

だがしかし、彼らは今現在保障されている自身の社会的保障や資産、地位は「少なくない下の世代の犠牲」によって保障されたものだという事実にあまりに無自覚なのではないだろうか。


ということなんだけれど、

宮崎駿監督が『千と千尋の神隠し』で描こうとしたテーマのひとつがこれだったよな、

てなことを思った。思ったというか、思いだした。千尋の両親を、宮崎監督は悪意たっぷりに豚の姿にしてみせた。両親の飽食のツケは、すべて千尋が背負わなくてはならない……。
以上のような内容の感想文を、数年前にこの日記に書いたはずだ。
まあ、そういう古い話はおいておいて、numashさんの主張で私がもっとも共感したのは、


とまあここまで書いてきたけど、これ自体「分断化が進んでいる証左」であることは間違いない。(略)

僕は、もし「分断化」という権力の戦術に対抗する方法があるとしたら、「自分に向けられた悪意への真摯さ」が重要になってくると考えている。

というところ。
「これ自体」が進行する分断化の証左だという理解の仕方は、ハッとさせられる。一方で、マーク=トウェインのこの言葉を思いだしもする。


自分が多数派であることがわかったときは、改心するときである。
 〜マーク=トウェイン〜


ハハッ。
イヤ、断っておくけれど、むろん、numashさんの主張とトウェインの主張が対立しあっているというわけではないよ。私の節操のない脳みそが、記憶の引き出しを開けてトウェインの言葉を引っ張り出してきただけ。
numashさんは、人類が患っている病気の病名と症状について話しているのだろうし、トウェインは、人類が患っている病気に対するもっとも有効な処方せんである“笑い”を用いながら、自らの革命精神を宣言しているのだ。
革命精神と言って悪ければ、断固たる批判精神ね。
私たちは分断化された世界を逆に動かさなくてはならない、と、両者は語っている。なぜなら分断化は、心臓病や肝炎や癌よりも深刻な病気だから。
「他人は敵だ」
という思想は、人間を殺す重大な病気だ。我々は、内側から腐敗し窒息しつつある。
「痛みに耐えて構造改革」
なんてとんでもない! 死ぬか、犯罪者になるか、それとも犯罪者として死ぬかのサンタクなんだぜ? こんな人生はごめんこうむる。だって、


自分を元気づける一番の方法は、周囲の誰かを元気づけること
 〜マーク=トウェイン〜


なのだから。
Be kind!
それでも人間は歴史から学ばないし、『千と千尋の神隠し』からもトウェインのSF

『アーサー王宮廷のヤンキー』からも学ばない。


私はビデオ録画を失敗し続ける。



今度は男女共学廃止で美しく
(2007.5.19)

あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。
それをしなくてはならないのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。
   〜ガンジー〜


というわけで、私は、この日記を書いているのだった。
(^_^;)
おかげさまで私自身は変わってはいないんだけど、世界は変わる変わるどんどん変わっていく。
例えば。
女性が男性にかしずくことで「男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしい」美しい社会実現をめざしている日本政府は、男女共学を廃止することを検討しているとのことです。

いや〜。
男らしさ、女らしさを国家が決定する社会。そういう国家像を具体的に思い浮かべると、イランとかサウジアラビアあたりになるわけだけど、そうかあ、アヴェさんは、ああいうのが美しいという感性なんだなあ……。
いや、冗談抜きに、女性がチャドル(女性の頭髪や肌を隠すためのショール)を身に付けずに外出することを禁止したり、男性の前で歌を歌ったりするのを禁止したりしている

イスラム原理主義と何がちがうん?

もちろん、男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしくなるでしょう。間違いない。だって、男らしさ女らしさなんて、“自分らしさと同様”言葉が作りだしたもの、社会が作り出したものだもの。
だものだもの人間だもの。
(^_^;)
しかし、個人的な感想で申し訳ないけれど、

日本ってつくづくゲヒンな国になったよなあ。

きっこさんのブログ経由で知った、カナダで日本語を教えるdesperateな女教師のブログ『カナダde日本語』で、

「14日に可決、成立してしまった国民投票法について、海外ではどのように報じられているのだろうか。」

というお話を発見。
詳しくは読んでいただくとして、もうな、朝鮮人民共和国や中国を「民主的でない」なんて、とやかく言えるような国じゃなくなっているということだ。
……ほんと、ひどいよ。『おでんくん』でもつまみながら愚痴りたくもなる。


「ワシントンの上層部から発せられてきた見解を見ると、「民主主義」が、「選挙」および「市民的自由」と等値されるのがせいぜいということがはっきりわかる。仕事や食料、住む場所すら、ワシントン式民主主義には含まれていないのである。
それゆえお腹を空かせ、家を失い、病気で治療も受けられず、読み書きもほとんどできず、仕事がなく、拷問の標的となる人々が大勢いて、その家族や友人たちが国家の黙認の元で失踪し殺害されるような国でも、「民主主義」であるということが可能になる。
 〜ウィリアム=ブルム著『アメリカの国家犯罪全書』〜


ホント、これでもまだ日本は、民主主義国家なんだぜ!!

ぶっはは!!

たちの悪い冗談ですこと。



ギリシャ語における「民主主義(デモクラシー)」という言葉の原義は「人民の統治」である。つまり、こうした生活を、人々が実際に望んでいるということを含意している。
2年おきか4年おきに投票所を訪れ、人々の資産状況を救済すると約束しながら実際は何もしない候補者の名前にマークをつける権利を人々が持っている限りにおいて、そしてまた、権力や社会の仕組みに関する見解を、それを表明することが現状に何らかの影響を与えうるかどうかにかかわらず、処罰される恐れなしに表明することができるような最低限の自由が少なくとも存在する限りにおいて---その影響力は、おおむね、どれだけのお金を持っているかによって決まるのだが---それを米国は「民主主義」と呼ぶのである。
 〜ウィリアム=ブルム著『アメリカの国家犯罪全書』〜


その米国に尻を蹴り上げられて、「キャン!」と泣くのが日本だと。ですてに〜。
「米国企業がぼろ儲けできるように郵便局を民営化しろ!」(ボカッ!)
「キャン!だもの」
「米国の軍事行動に日本も参加できるように憲法を改正しろ!」(ボカッ!)
「キャン!だもの」

……勘弁してほしい、なにもかも。



ポール=グリモー氏がいたのだ
(2007.5.15)

先日夜遅くにテレビをつけたら、『NHK特集・手塚治虫 創作の秘密』という番組の再放送が流れていた。1986年1月10日放送ということだから、私が第一回放送を観たのは、もう20年以上前の話になる。
トシとったよね……。
広島国際アニメーションフェスティバル第一回の模様も、映像に収められている。実に懐かしい。
国際名誉会長のポール=グリモー氏と手塚先生が握手しながら、通訳を通じてお話している場面に、おっとなる(このシーン、宮崎駿監督はうらやましいがっただろうなあ)。

ポール=グリモーと親しげに歓談できる手塚先生がすごいのか、その逆なのか。

勿論、どちらも凄いのだ。
もっとも、当時はポール=グリモーと言われても誰なのかさっぱりわかなかったし、作品も観たことがなかった。手塚先生のグランプリ受賞作『おんぼろフィルム』だって、観たのは最近だ。
DVDで発売されて、広島まで出かけなくても手軽に観ることができるようになったことが大きい。
スタジオジブリ・プロデュースで劇場公開され、DVD化もされた『王と鳥』の、一見ハッピーエンドにみえるラストシーンにおける奇妙なアンニュイさの意味を、私はモニター画面を通して体験し、理解した。そうして、ポール=グリモー氏の作品を鑑賞すれば、広島国際アニメーションフェスティバルの第一回目の主賓がポール=グリモー氏以外の誰でもあり得ない、ということがわかる。それがわかったうえで、手塚先生と語らうポール=グリモー氏の姿を20年後にもう一度確認する。フィルムの記録性、という魔法だ。
「平和」という大風呂敷に掲げた理想の、そのとらえどころのなさ、維持のしにくさ、掲げた理想の利用されやすさといったものを冷徹に見詰めつつ、名もない小さなものたちへ注ぐ優しさといったものにもあふれている。
『王と鳥』という長編アニメーション作品が劇場公開されたときの煽り文句は、

「気をつけたまえ。
  この国は今、罠だらけだからな。」

だった。
高畑勲先生、さすがだなあ。

「覆面投手の投じたど真ん中の豪速球」

になってますよ、このあおり。(この国の「この」の部分に具体的な国名を入れてみましょう)。
(^_^;)
『王と鳥』のラストシーンもいよいよどん詰まりとなり、最後にひとつの小さなエピソードがある。
それは、ポール=グリモーから私たちへのちょっとした謎かけだ。
その謎かけを解くこと自体は、私にはそう難しいことではなかったけれど、答えを言葉にしてしまえばただ“なんだそれしきのこと”になってしまうのが心配だ。

Be Kind.

---あとは、アニメを見てください。


他人を受け入れ、信頼することを覚え、自由を得るけれども、同時に、自由の重さも知ることになる。自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、しかもその選択は、必ずしも容易なものではないのだ。坂道を登った先に光があることはわかっていても、重い荷を負った旅人は、ついにその坂道をのぼりきれずに終わるかもしれない。
 〜アーシュラ=K=ル=グウィン『ゲド戦記・こわれた腕環』〜



-☆--


先月25日に発売の『月刊アフタヌーン6月号』を今ごろ読んでいます。
『ガガガガ』山下ユタカせんせの欄外コメント、久しぶりに来てましたので、紹介しておきましょう。


大丈夫か東京都民。慎太郎の本質に気づいてなお、この結果なのか?……保守ってそんなにいいのかい? 当選した途端にあの豹変。なんて底の浅い(笑)。わかっちゃいるのに280万票。そりゃナメられますよ連中に」


恐れを知らぬホンネぶり、すごいなあ。
(;^-^ゞ
個人的に応援してますよ。単行本も買ってますよ。




国家が強制する子守歌
(2007.5.12)

【「どうしてみんな(←注・行進中の兵隊)大きな声を出すと、あんなふうに歩くのかなあ。なぜだかわかる、クロムウェル?」
「なぜだか考えてみましたか?」クロムウェルが反問した。
「ううん、まだ」
「ただ質問するのでなく、まずそれを考えてみなければいけません。でないと、しまいには、自分が信用できなくなって、ほかの人に考えてもらわなければならなくなります」
「わあ……そんなのいやだ」】
 〜ジェイムズ=P=ホーガン『断絶への航海』ロボットと少女の会話〜】


国家が日本国民と認めたすべての母親には、生後五ヶ月の赤ちゃんの定期検診のとき我が子に“日本伝統の子守歌”を歌うことを義務づける。
アヴェ政権が推し進めている新憲法の条文の内容のひとつがこれらしい。
すげえよな、ほんと。
クラシックも駄目、よその国の子守歌でも駄目、

“日本の子守歌”を赤ちゃんに歌わない母親は、憲法違反を犯したことになる世界!!

マジかよ!!
『ドラえもん』のもしもボックスだってこんなネタないっ!
(^_^;)
むか〜し、ギリシャで軍部がクーデターを起したとき、女性はズボンをはいては駄目とか、髪をショートにしては駄目などという法律が出来て、日本人の私は爆笑していたんだけど、いやもう、時代や地域や民族の違いを超えて、ファシストってやることいっしょなんだなあとしみじみ理解する2007年の日本の春。
周囲のお母様がたには
「子守歌! いいですね〜!」
とおっしゃるかたもいて、まあ、だったらよかったですね……。
……はは。
「イラク」とか「中国」とか「北朝鮮」とか「銃の国、じゃない自由の国アメリカ」とか、そういうレッテルだけで判断するではなく、

全体主義というものの正体について、

質問する前にまず考えなくてはいけません。でないと自分が信用できなくなって、テレビや新聞やアヴェさんに考えてもらわなくてはならなくなりますよ。わあ、そんなのいやだ。(←棒読み)。
(^_^;)
バラの名前がバラでなくてもそのかぐわしい芳香が変わらないように、あのかたがヒットラーやスターリンという名前でなくても“彼が彼である”ことには変わりがない……とは考えたりしませんか、バルコニーのジュリエットさん。
(^_^;)
胸に『あおひげ』と書かれた巨大な名札をつけて、あなたを卒倒させる人物など歴史上ひとりもいなかったし、歴史上どころか物語の中にもいなかったし、これからもいないだろう。

……………うん?

いま、日本の内側という舞台の上で絶賛上映中の出し物は、イヨネスコの『犀』だ。



-☆--


この日記で何度も書いているように、私はMac武闘派なので、関係ないといえば関係ないんだけど、ちょっと気になる記事を見つけた。

『98/Meは使うな、どうしても使うならネットワークにつなぐな』



「情報処理推進機構(IPA)は5月2日、2007年4月のコンピュータウイルス/不正アクセスの動向をまとめ、公開した。
併せて、Windows 98/Meのように、ベンダーによるサポートが終了したプラットフォームがいまだに一部で利用されている事実を指摘。こうしたOSはセキュリティ上の危険性が極めて高いことから、できる限り使用を止めるよう呼び掛けている。」


私んちにはひとから譲り受けた中古のMeマシンが一台あるが、自分自身の身を守るために

当然、ネットには接続したことがない。

……接続したことはないけれど、「サポート打ち切ったんだから、ネットにつなぐな」という言い草はちょっと気になる。


「このようなPCをインターネットに接続することは他の人にも迷惑をかけることを認識してほしい」


それはユーザーにではなくて、黒い魔ソフトにおっしゃるべきではないでしょうか、情報処理推進機構様?
(^_^;)
サポートを打ち切ったことを含めて、ユーザーには何の責任もないことだと思う。

 


スタージョンを読んで知った
(2007.5.11)

「所有が孤独の穴埋めになるかどうかの実験は、人類の歴史を通じて最も豊かなこの国で行われてきました。物を所有すれば、少しは助けになりますが、宣伝文句ほどではありません。それに、今わたしたちは、そういう生産物の一部が製造過程においてこの惑星をどれほど恒久的に痛めつけているかを知っています」
       〜カート=ヴォネガット〜『パームサンデー』


「ある意味ではわれわれは穴居人だ---恐ろしいものと言えば、幽霊や吸血鬼しか思い浮かばんのだ」
       〜ストルガツキー兄弟『ストーカー』〜


私はミステリー小説も読まないし、いわゆる事件報道にもほとんど興味を示さない人間で、それは、たいていのミステリー小説や事件報道というものが、人間の真相というものをほとんど軽視してしまっているか、まったく無視してしまっているかのどちらかであることが多いからだ。完全犯罪の手口だとか、とある事件の猟奇性だとか、確かに衝撃度はあるかもしれないけれど、フィクションであれ実際の事件であれ“その犯罪はどこから来たのか?”という問題以外に、私の心を動かすものはない。
つまり私は、

『タクシー・ドライバー』は20ぺんも観るが、『羊たちの沈黙』は、いちど観てげっぷが出るタイプの人間なのだ。

それと、もうひとつ。事件の当事者ではない私にとって結局すべては他人事に過ぎなくなってしまうのだから、興味本位で騒ぎ立てることの無残さということについて、少なくとも自覚的でありたい、ということもある。
まあ、前置きはこれくらいにして。
そんな私が、ひょんないきさつから「下山事件」のことを調べていて、日本犯罪史をまとめたboroさんの『無限回廊』というサイトを発見した。……んだけど、読んでいて止まらなくなってしまったんですよ、これが。
(^_^;)

まずもって1979年の、『ロボトミー殺人事件』ってなんですか?
↑トップページ以外にはリンクしちゃだめなんだそうで、「main contents」の「事件」をクリックして、事件一覧から『ロボトミー殺人事件』をクリックしてください)


……『ロボトミー殺人事件』をみなさんが読み終るまで、ワシはちょっと休憩。
旦_(‥ ) 一服どうぞ

……な、びっくりしたろ?
こんな私でも、「阿部定事件」「津山事件」「帝銀事件」「光クラブ事件」「連合赤軍あさま山荘事件」あたりはなんとか概要くらいは知っている。
しかし、1969年の『永山則夫連続射殺魔事件』という事件はまったく知らなかった。
これも凄い事件だ。有名な事件らしい。さきほどの『ロボトミー殺人事件』といい、

カート=ヴォネガットとシオドア=スタージョンがフュージョンしたような異様な事件。


幼少の頃から想像を絶するような孤独を味わったのち、盗んだピストルで殺人を重ねた男を、一部左翼グループが“救援”と称して徹底的に利用するという、とことんまで胸クソが悪くなるような事件だ。
このサイトの事件報告には、“その事件はどこから来たのか?”が詳細に書かれている。
私が目を離せなくなってしまった理由は、これだ。
『新宿駅西口バス放火事件』がどこからやって来たのか? 私は、このサイトではじめて知った。
人間が人間に向かって行う犯罪は、どこから来るのか? 誰からも理解されず、それどころか誰からも知られず、であるにもかかわらず周囲の全ての人間が敵であるという奇妙な孤独。
私は、中学生の時に読んだスタージョンの『コズミックレイプ』で、それを理解した。
あれは本当に偉大な書物だった。なぜなら、解決方法までちゃんと記載されていたから
しかし『コズミックレイプ』は絶版になってしまい、また同じ犯罪事件がワイドショーを賑わす。『所有せざる人びと』も『大陸漂流』も絶版だ。
結局のところ、私を含めたみんなが、

自分の所有欲を満たすことを優先してしまい、自分たちの未来なんてどうでもいいんだな。


確かに、消費と幸福はイコールだとテレビは言ってるけれどね。
ひどいもんです。


「いかなる人の死もわれを傷つける。われもまた人類の一員なれば」
       〜ジョン=ダン〜



PS.『無限回廊』さんの事件一覧に「昭和天皇パチンコ狙撃事件」発見。
奥崎謙三のこの事件も別のベクトルでヴォネガットだよなあ。いや、肯定してるんじゃないからね。
(^_^;)

 


*『シュビドウ』と『ジハード』*
(2007.5.9)

ゴールデンウイーク中にネットサーフィン(←死語。というか色んな意味でそんなことしてる場合じゃないんだけど)していて偶然見つけたinumashさんというかたのブログ『想像力はベッドルームと路上から』に、ものすごく面白い記事を見つけた。
「デモをやる元気があるならその分努力しろ!!」
というタイトルなんだけど、inumashさんは「デモをやる元気があるならその分努力しろ!!」という一部の論調に対して反論というか、別の視点からのアプローチをしていらっしゃる。
私はずいぶん考えさせられた。よかったら皆さんも読んでみてください。


「でも、絶対に忘れて欲しくないのが、ああやって路上に出て大騒ぎしている「プレカリアート」の何倍、何十倍という数の「名乗らない人々」がいるということだ。」(←!!!)

「そして彼らは、路上に出るわけでもなく、声を挙げるわけでもなく、請負会社から与えられた狭い部屋で、ネットカフェの個室で、深夜のマックで、バラバラに分断されて孤独と不安に苛まれている。」

「「楽しいこと」に夢中になるのはいい。でも、「今なぜ悪ふざけが必要なのか」ということと、「いったい誰を巻き込み、笑わせたいのか」ということは絶対に忘れてはいけないと思う。」
(←個人的に要注目!)

「僕らは単に「悪ふざけ」がしたいだけではないのだから。」(←腑に落ちまくり!)

「そして、「デモを眺める側」の人達にもお願をしたい。
もしできるならば、ほんの少し想像力を働かせて、あの「悪ふざけ」には理由があり、そしてその背後には、物言わぬ人達の列が連なっていることを考えて欲しい。
(←大注目!)



うずまくものはもののけれですよ!(BY『ぼのぼの』のシマリス君より)

僕らは単に悪ふざけがしたいのではない。それは、本当に、そうだ。


-☆--

最近、ウチのサイトに『シュビドウ』という検索キーワードで来訪なさるかたが急増するという怪奇現象が起きているんだけど、ワシが『シュビドウ』というふざけたタイトルのポエムをアップしているからキーワードでひっかかるわけで、そこは不思議でも何でもない。奇っ怪なのは、実際のところ、


シュビドウってなんだ?

電子手帳の同義語変換で探してみたら「手微動」と出た。どこが同義語なんだよ、このっ。
もしかして、ワシのポエムをピンポイントで探していらしゃるファンのかたが急増しているとか、そういうわけでは決してあるまい。
で、自分でも『シュビドウ』というキーワードで検索してみた。一発でわかった。KinKi Kidsというひとたちが新曲で ♪シュビドウ〜♪ って歌っているそうです。
……へ〜。
KinKi Kidsというひとたちの情報を探し求めて、ワシのひねたポエム読まされたひとたち。
ごめん、すまん、ごめん、すまん。
(;^-^ゞ
今日、KinKi Kidsの情報を探し求めてこちらにいらっしゃったかた。KinKi Kidsは、


音楽活動の他、バラエティ番組の司会でも活躍。特に『LOVE LOVEあいしてる』では、吉田拓郎や坂崎幸之助(THE ALFEE)の指導でギター演奏に取り組み、また、多くのミュージシャンとの親交を深めるなどその後の自身の音楽活動に大きな影響を与え、シングル『好きになってく 愛してく』では日本のアイドルグループとしては初めて自らの作詞・作曲による楽曲でのオリコンランキング1位を獲得した。」(Wikipedia)


というひとたちなんだそうです。


--☆--

外崎則夫氏のサイト
『N.TONOSAKI's Personal Station』
の大人気コラム『がんばれ!!ゲイツくん』最新号でがアップされておりました。


5/3は憲法記念日でしたが、なんか今年は憲法改正だの国民投票だのでいきなり大変な盛り上がりですね。なにやらシンゾー君がやたら国民投票法案を通そうと張り切っていますが、新聞などで彼の主張を読んでみると「60年前に出来た憲法だから、最近では情勢が変わってそぐわない面もあるので任期中に必ず憲法は変える。」のだそうで。いや、別に必要なら憲法も変えても良いと思うのですが、何がどう情勢が変わったのでどう変えるんだというのがさっぱり分からないんですよね。


「何事も自国のことばかり考えて他国をおろそかにしてはいけない」なんていう話も言っているようなのですが、ひょっとしてあれですかね、アメリカがイランとかにまたいちゃもんつけて爆撃しに行こうとするのを、自衛隊が体を張って止めに行くから憲法九条がじゃまだ、ということですかね。いや、その先陣を切ってシンゾー君が行ってくれるのなら諸手をあげて賛成しますよ私も(笑)。ま、所詮例の戦争犯罪人のじいさんに取り付かれた二世議員のボンクラですから仕方がないのでしょう。 」



もうあれだ、アメリカがイラクを爆撃したら、イラクはアメリカに報復するんじゃなくて一件無関係の日本に爆撃し、日本がアメリカを攻撃するっていうふうにしたらどうだろう?
「日本の伝統☆大岡裁き・三方一両損」システムだ。

これぞ、聖戦・ジハードだっ!!

これからの戦争は、利害関係のない第三国をまじえて交戦することにすればいい。
アホらしなって、誰も戦争しなくなると思うよ。
……ちゅうか、素に返ってふと思うんだけど、これが悪ふざけなんだよねえ。
ちいと反省。




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