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※お知らせ。
『えんぴつで憲法練習帳 日本国憲法前文 日本国憲法第九条』



弊社の新刊本『えんぴつで憲法練習帳 日本国憲法前文日本国憲法第九条』
19日発売予定。最寄りの書店でも御注文可能です。




『えんぴつで憲法練習帳』
(2007.5.3)


『えんぴつで憲法練習帳 日本国憲法前文・日本国憲法第九条』5月18日発売予定です。




表紙はこんなんなる予定です。
実物はイメージ画像とものすごーく異なる場合があります。

お値段は600円+税。……えー、込みで630円ですか。
大久保哲夫氏、
鈴木良氏、
チャールズ=ワード氏、
西谷文和氏、
鳥越信氏、
岩佐ダン吉氏、
上殿紀久子女史、
河角勝子女史、
篠原秀子女史、
園部勝章氏、
野田淳子女史、
藤元百代女史、
松本千鶴子女史、
矢野宏氏、
湯沢和子女史、
吉兼和子女史、
というそうそうたるメンバーから原稿をいただいておりますよ。
遊絲社としては、実にがんばった!
d(-_-)
溝江玲子もちゃっかりなんか書いてます。
あとはワシと弟の仕事こなし次第だ〜よ。
本当のところを言うと、はかどっていないのだ。

「順調に遅れております」って、スタジオジブリみたいなこと言ったりして。

(´▽`;)
話変わりますが、ドキュメンタリー映画『チョムスキーとメディア』が、いつのまにかひっそりと書籍扱いでDVD化されてました。

関西でいつ上映されるだろうとジーと待っていたら、これだよ。

ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭グランプリをはじめ、世界中で22の映画賞を受賞したこの映画。カナダ人たちは映画館におしかけへしあい観たらしいんだけど、大阪じゃあ上映すらされないとは。
とはいえ、DVDには『ノーム=チョムスキー最新インタビュー28分つき!』らしいので、結局DVD買ってたろうけれど。
……らしいというのは、まだ観ていないからなのだ。

「現代の民主主義国家におけるプロパガンダは、政府による検閲や悪意による報道のわい曲ではなく、マスメディアが持つシステムそのものによってごく自然に行われている。」

だそうです。

 


拳法練習帳もとい憲法練習帳(仮)
(2007.4.24)

軍備増強の重要性を痛感しつつ、いっぽうで公務員の給与が高すぎるとお怒りのあるかたから、充実した軍備がどうして必要か、はたまた公務員の給与がいかに社会を腐敗させているかを、とうとうと教えていただいたのですが、
「なるほど! そういう考え方もあるんですね」
と答えると、どういうわけか突然死、じゃない、とつぜんしこたま怒られてしまいました。私の態度が原因らしいのですが、他人様を立腹させるというのはなんとも後味の悪いもので、あまりに申し訳ないので今日はデスマス文体でお送りします。
(;-_-ゞ
言いわけするわけじゃないんですが、私ってなんでもすぐ顔に出てしまって、ウソがつけない体質なんですよね(人見知りと共に、この体質は一生なおらんだろうな)。
んなもんですから、
「公務員が社会を腐敗させている!公務員は税金泥棒だっ!って、ハテ、


兵隊さんも公務員ちゃうん?」


って、私の顔に書いてあったんだと思うんです。
私はそのとき確かに
「なるほど、公務員にもいろいろあるけど、人殺しの練習のためにつぎ込む税金は無駄の極地だよな!」と、心から同意していたのですよ。
いや、怒らんといてください、怒らんといてください。

さて、このたび弊社で、ある本を緊急出版することになりました。
『憲法練習帳 日本国憲法前文 日本国憲法第九条
       〜書いて覚える平和の願い・国民主権〜(仮)』

というタイトルになる予定です。
どういう本かというと、まあ、読んでそのまんま書いて字のごとしです。
(^_^;)
ただいま、チャーリー=ワードさんに電話取材を試みているところでございますが、なかなか連絡がとれないでごんす。
本当は5月3日の憲法の日に間に合わせたかったんですが、いま思いついたばかりのホヤホヤ企画なので、ちょっと無理みたいです。憲法の映画『日本の青空』の奈良での完成披露試写会のある19日には何としても完成させようと考えてます。
というか、

絶対指令でございます。

ショスタコーヴィチの交響曲10番とバルトークのオケコンと『火の鳥』のサントラ(ストラヴィンスキーじゃなくて手塚先生のアニメのほうね)をチャンポン&エンドレスで聴きながら作業中です。
死よりも悪い運命から逃れられないのだとしても、やるだけやって。なるべくなら楽しく。もっと欲を言えば、美しく。
美しくは私には無理かな。
(;^-^ゞ



NHKBS2 で映画『スモーク・シグナルズ』『ウイスキー』『ジョニーは戦場に行った』をやるらしいです。
映画といえば、 『ブラック・ブック』行きそこねたなあ。観たかったのに……。

 


アニメ『おおきく振りかぶって』の録画忘れ
(2007.4.24)

♪この道はいつかきたミ〜チ、ああそうだよ、ちょうど国際連盟を脱退した1933年ごろ歩いていた道だ〜よ♪

ちゅうことで、いまや世界ひとりぼっち状態で孤立しまくりの日本国でありますが、この国のメディアは、ほとんどそういう日本の外側の事実を報道しないので、かわりにきっこさんのブログでも読んでみてください。
しかし毎日テレビニュースを観ている人でさえ、ニューヨークタイムスやワシントンポストのアヴェさん批判なんて寝耳に水なんだよね。
なんなんですか、それは。ということになる。
もうね、一部の例外を除いて、テレビ新聞を含む日本のメディアは、国民の知る権利の敵だと思う。
はっきり言っちゃうけど。
反戦デモや座り込みなんかを国会議事堂前でやるひとたちがいるけど、アレ、

テレビ局や新聞社の玄関前でやるべきだよな。

ンHKの表玄関に5万人集合して、
「税金の値上げはんた〜い」
「自衛隊の海外派兵はんた〜い!」
ってやるっての。
どう?
ほんでもって、夕方のニュースで報道するまで粘るの。
でも、それでも番組でニュースは流れないだろうな。
ほぼ絶対に。
……しかし、きっこさんのブログなんだけれど、コノヒト、激しいねえ……。
(^_^;)
ちょっと毒気抜かれました。


などと書いていてふと気がついたんだけど。


ぎやぁ〜〜〜あああ!!
アニメ『おおきく振りかぶって』をビデオ録画するの忘れたああああ!!
首を振る投手は大嫌いなんだ〜

あああぁぁぁぁぁぁ

ひぐちアサせんせの漫画は雑に見えて、実は細かいディティールに力を発揮するタイプだから、アニメ化するに当たってはそこんところをどれだけ拾い上げられるかだと私は注目しておりましたが、

見そこねたらなんにもならない。

つーか、第一回は見たんだけどな。
……。
エンディング曲はよかった……。
しかし、ひぐちセンセの漫画が、とうとうアニメ化。

『カラスヤサトシ』の2巻発行と並ぶ、これは快挙ですよねえ。

この勢いで、『ヤサシイワタシ』の劇場映画化もお願いします。
くどいようだが、監督はサミラ=マフマルバフで。
わかるやつにしかわからん映画で結構でございます。
間違っても

『海猿』のような悲惨な映画には……ゴニョゴニョ。

本来ひぐち漫画は超弩級にローカルなのだから。
神のごとき巨大なビジョンが明らかにされるあのラストシーンを、サミラ監督の手でぜひ、ぜひ。

 


ビリー=ピルグリムがあのとき観た映画を
(2007.4.18)

●カート=ヴォネガット先生が創造した架空の人間、ビリー=ピルグリムという男が、映画を逆廻しにして観ている。
フィルムはラストシーンからオープニングめがけて規則正しく消費されていく。映しだされるのは奇妙な戦争映画だ。
フランス上空では、ドイツの戦闘機がうしろむきに近づいて、傷ついた爆撃機と搭乗員から銃弾や金属の破片を素早く吸いとっていく。ドイツ戦闘機に救われた米軍機は空港に後ろ向きに着陸していく。
巨大な炎に包まれたドイツの都市の上空では、これまた逆向きに爆撃機が飛んでくる。

「編隊はうしろむきのまま、弾倉のドアがあき、世にもふしぎな磁力が地上に放射される。火炎はみるみる小さくなり、何個所かにまとめられて、円筒形のスチール容器に密封される。容器は空にのぼり、爆撃機の腹に呑みこまれて、きちんと止め金におさまる。地上のドイツ軍もまた、世にもふしぎな装置を保有している。それは、たくさんの長いスチールのチューブである。ドイツ軍はそれを用いて、爆撃機や搭乗員から破片を吸いとってゆく。しかしアメリカ軍のほうには、まだ数人の負傷者が残っており、爆撃機のなかにも修理を必要とするものが何機か見える。ところがフランスまで来ると、ドイツの戦闘機がふたたび現われ、人も機体も新品同様に修復してしまう。」
「編隊が基地へ帰ると、スチールの円筒は止金からはずされ、アメリカ合衆国へ船で運ばれる。そこでは工場が昼夜をわかたず操業しており、円筒を解体し、危険な中身を各種の鉱物に分離してしまう。感動的なのは、その作業にたずさわる人びとの大半が女性であることだ。鉱物はそれぞれ遠隔地にいる専門家のところへ輸送される。彼らの仕事は、それらが二度とふたたび人びとを傷つけないように、だれにも見つからない地中深く埋めてしまうことである。」


(クリックするとビリーが観た映画を鑑賞できます!)


そしてアメリカ人の飛行士たちは、戦闘服を脱いで高校の生徒となる……。


●おお!
 おお!

●反戦平和を訴えていた長崎市長が今日、何者かに撃たれて、意識不明の重体---日本もとうとうそんな国になってしまった。金のためなら無法者がやってきて市長を殺そうとする、そういう国だ。
そして私はなすすべもなく、ビリーピルグリムが観たフィルムと同じものを眺める。


●私はこの『スローターハウス5』という小説を十代の後半に読んだ。
暗い部屋で逆回しの映画を繰り返し観ているビリー=ピルグリムのひとりぼっちの後ろ姿を、私は確かに見た記憶があるのだけれど、もちろんそんなはずはない。ビリー=ピルグリムは実在しないのだから。

●恐る恐る訪ねてみたヴォネガット先生の公式サイトのトップページ
ヴォネガット先生が地球を訪れていた84年間という期間が、先生にとってどのような時間だったのか、私なりに想像していたけれど……。

youtubeで見つけた、先生のお姿
So It Goes. (Kurt Vonnegut 1922 - 2007)

●……。

「最近は、きみらの書くものしか読まない。きみらだけだよ、いま現実にどんなものすごい変化が起こっているかを語ってくれるのは。きみらのようなキじるしでなくては、人生は宇宙の旅、それも短い旅じゃなく、何十億年もつづく旅だ、なんてことはわからない。きみらのように度胸のいい連中でなければ、未来をほんとうに気にかけたり、機械が人間をどう変えるか、戦争が人間をどう変えるか、大都市が人間をどう変えるか、でっかく単純な思想が人間をどう変えるか、とてつもない誤解や失敗や事故や災害が人間をどう変えるか、なんてことに注目したりはしない。きみらのようにおっちょこちょいな連中でなければ、無限の時間と距離、決して死に絶えることのない神秘、いまわれわれはこのさき何十億年かの旅が天国行きになるか地獄行きになるのか分かれ道にいるという事実。こういうことに心をすりへらしたりはしない」 
 ★カート=ヴォネガット『ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを』より


youtubeで見つけた、先生のテレビインタビュー

youtubeで見つけた、手作り(?)のSlaughterhouse Five



●映画監督マイケル=ムーアの次回作『Sicko』の詳細がようやく聞こえてくるようになった。今年5月のカンヌ映画祭での初公開を目指しているらしい。『暗いニュース』さんから、以下抜粋。


「以前から報道されている通り、新たにムーアが取り組む課題はアメリカ医療システム危機問題、特に巨大製薬企業の問題が標的となるとみられている。」
「米保守派タブロイド紙NYポストによれば、ムーアは911テロ事件現場で救急活動や瓦礫の撤去に携わり、有害な塵を吸い込んで呼吸器官に深刻な障害を負いながら合衆国政府の支援を受けられなかった人々の一部をキューバに連れて行き、キューバ政府が国民向けに無料で提供している医療サービスを受けさせ、その一部始終をフィルムに収めたらしい。ポスト紙上では、ムーア監督からの誘いを断った人や、誘いに応じたものの結局キューバに行けなかった当事者達の怒りの言葉を紹介している。」 


「キューバ政府が国民向けに無料で提供している医療サービスを受けさせ、その一部始終をフィルムに収めた」

って、ヴォネガット先生の小説の登場人物に負けないイカレっぷり!
先生、だから、さよならは言いませんよ?


 


*ヴォネガット先生を失った日*
(2007.4.13)

「神よ願わくばわたしに
 変えることのできない物事を
 受け入れる落ち着きと
 変えることのできる物事を
 変える勇気と
 その違いを常に見分ける知恵とを
 さずけたまえ」
  ★カート=ヴォネガット『スローターハウス5』より


●2007年04月12日13時21分をもって、私たちはカート=ヴォネガット先生を永遠に失ってしまいました。

●カート=ヴォネガット先生が地球をおとずれてくださっていた期間は、たったの84年間でした。

●その日は、その時その時の都合でいつでも戦争ができるようにするための改憲手続法案が、極東の小さな島国の衆院憲法調査委員会特別委員会で採決されたのとちょうど同じ日でした。
ヴォネガット先生は、未来を知っていたかのように、

「神よ願わくばわたしに
 変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと
 変えることのできる物事を変える勇気と
 その違いを常に見分ける知恵とを
 さずけたまえ」

と、主人公のビリー=ピルグリムに願わせたあと、作家の声としてこう付け加えるのを忘れませんでした。


「ビリー・ピルグリムが変えることのできないもののなかには、過去と、現在と、そして未来がある」
  ★カート=ヴォネガット『スローターハウス5』より


ヴォネガット先生のご趣味は、ペシミズムでした。

そしてそれは、度外れたヒューマニズムゆえでした。
人類の未来について本気で気をもんでいる、そういうひとでした。
だから、ヴォネガット先生の小説に出てくるお金持ちは、まず真っ先にこう宣言するのです。


「ローズウォーター財団です。なにかお力になれることは?」 
 ★カート=ヴォネガット『ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを』より


うおおおおおおおおっ!
……
うおおおおおおおおっ!


先生〜! ヴォネ先生〜!


「こんにちは、赤ちゃん。地球へようこそ。
この星は夏は暑くて、冬は寒い。
この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。
なあ、赤ちゃん、きみたちがこの星で暮らせるのは、長く見積もっても、せいぜい百年ぐらいさ。
ただ、ぼくの知っている規則が一つだけあるんだ、いいかい---

なんてったって、親切じゃなきゃいけないよ」
 ★カート=ヴォネガット『ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを』より


ヴォネガット先生の最後の小説では、頭のおかしいSF作家キルゴア=トラウトが登場し、人類に向けて高らかにこう宣言していました。


「あなたはひどい病気だったが、
 もう元気になって、
 これからやる仕事がある」
  ★カート=ヴォネガット『タイムクエイク』より


●ヴォネ先生にとっては、長い長い84年間だったと思います。
ヴォネ先生ほどの人が、なんとまあ、地球みたいなところで84年間も!
論点を笑わせた過激な小説を書いてばかりの変に気難しいお笑い作家、としかみられないまま、一生の大半を過ごしたという点では、マーク=トウェインとどっこいどっこいでした。


「読み書きが出来たり、いくらか計算ができる者がいるというだけでは、 人間が宇宙を征服するにふさわしいという理由にはならない。 」
 ★カート=ヴォネガット『ホーカス・ポーカス』より


●危険人物、と目されていたという点でもマーク=トウェインとどっこいどっこいでした。だって、人間は何のために生まれてきたのかと問われて、先生は
「そこら辺をぶらぶらするために生まれて来たのであって、それ以外の何かのためだなんて事はない」
などと返答したのですから!
では今度は、「生きるとは何なのか?」という問いかけをしてみましょう。
ヴォネ先生のお答えはこのようなものでした。


「われわれが人間である以上、タンパク質や炭水化物や脂肪やビタミンや必須ミネラルが必要なのとおなじように、拡大家族が必要なのは明らかだ」
「もちろん、わたしだって知っている。
“共産主義”という単語が、いまなお、そしておそらく永久に、広範囲におよぶ嫌悪感をひきおこすのは、ソ連の独裁者たちの残酷さと愚劣さへの反応だ。


独裁者たちは、意外や意外、”共産主義者”と自称した。


ちょうどヒトラーが、意外や意外、”キリスト教徒”と自称したように。


しかし、大不況のさなかで子供時代を送った人間にとっては、圧政者たちの犯罪を理由にその言葉を上品な思考から追放するというのが、どうにもうなずけない。
そもそもの最初、その単語は、
ウォール街のサイコロ賭博に代わるべき、おそらくより理性的な選択肢を表現したものでしかなかったからだ 」
 ★カート=ヴォネガット『スラップスティック』より


●……このような調子でしたので、晩年の過ごしかたという点でも、マーク=トウェインとどっこいどっこいでした……。

●最後に、先生が愛し続けたお姉さんが、ガン病棟のベッドの上で看護婦さんに語った言葉を引用して、終わりにします。


「わたしはどうやら世渡りがうまくなかったみたいね。
 ……けど、ローレルとハーディもそうだった」


●先生、ごめんなさい。
私が暮らしている国では、病気がどんどんひどくなって、未曾有の金儲けができるというそんな理由で、人間の頭に爆弾をふらせるための法的手続きの整備に政府全体が夢中になっている有り様です。
「そういうものだ」
と先生ならおっしゃるでしょう。
本当に、ごめんなさい。

 


*ワイドショーの壁*
(2007.4.11)

「民主主義制度は民主主義的手続きをもって自殺することができる」と言ったのはハンス=ケルゼンさんでしたっけ? Wikipediaで調べても書いてないし、間違っていたらごめんなさい。

石原慎太郎     281万票
浅野史郎      169万票
吉田万三       63万票
黒川紀章       16万票
ドクター中松  8万6000票
桜金造     6万9000票
内川久美子   2万1000票
外山恒一    1万5000票
高橋満       5000票
雄上統       4000票
山口節生      3500票
高島龍峰      3200票
佐々木崇徳     2800票
鞠子公一郎     1300票

あえてもう何も言いません。

東京都民じゃないし。

それに、ここで何か書いたところで、得られるのは「断絶」のみ、だろ?
誰もが、何らかの理由でもって投票用紙に名前を書いたんだもの。
世界はこれからもどんどん二極化していくだろうけれど。
しかし私自身、

誰かに説得されるのも誰かを説得するのも大嫌いなくせに、変化だけは望んでいる

というような人間だしな。
「死よりも悪い運命」から抜け出すための正しい手段、というものが本当にあるのだとしたら、それはもう、行動で示していくしかないんだなあ。
示すって、何を?
正しい解を導き出すための方程式はこれだ!というものを。
「本当にあるのだとしたら」と書いたけれど、ボリビアで起きていること、フィンランドで起きていること、そういった新しい風に多くの人々が注目し始めている。
日本の内側では、どうも反応ニブイけど。
(^_^;)
ペペロンチーノを食べたことのない人間にその味を説明するのはものごっつ難しいのと同じように、第3の道は、まだ誰も歩いたことのない道だから。
ちょっと先を歩いている人たちがいるだけだ……。
ただ、おっかなびっくり進んでいるのだとしても、その顔が向いている方向、ベクトルが、日本国民の私には、そりゃもう、うらやましくてしかたがないんだけれど……。
(^_^;)

外崎則夫氏のサイト
『N.TONOSAKI's Personal Station』
の大人気コラム
『がんばれ!!ゲイツくん』最新号がアップされていたので、またまたご紹介。


「先日めずらしく新聞を見ていたら「東京都知事選は候補者が多士済々でうらやましい、地方に住む我々にもぜひ選挙権を」とかいう投書が乗っていましたが、なんかテレビのワイドショーとかの見過ぎですかねこれ。だいたい、政治家なんて政策本位のはずなのに、小説家とか建築家とか発明家とかお笑い芸人とか路上ミュージシャンとか、素人が知名度だけで平気なツラして出てきて馬鹿じゃないかと思いますね(まぁ最後の人は知名度はアレですけれど(^^;)、ま、そういうのを面白がって取り上げるマスコミが一番悪いんですが。 」


ワイドショーというか、バラエティー番組というか。

『バカの壁』ならぬ『ワイドショーの壁』だよ、いや、これ、まじめな話。

テレビ&新聞の外側、日本語の向こう側。
……アニメを見ていた子どもが集団腹痛を起すような、そんなシロモノに毎日向き合うということ。

 


春のあとの日記
(2007.4.6)

●フルハシ隊員
 「これで地球の防衛は完璧だ。地球を侵略しようとする惑星なんか、ボタンひとつで木っ端微塵だ」
●アンヌ隊員
 「それよりも地球に超兵器があることを知らせるのよ。使わなくても、超兵器があるだけで平和が守れるんだわ」
●ウルトラセブン
 「地球を守るためなら、何をしてもよいと言うのですかっ!」 
  ★『ウルトラセブン』より


「ツバメが飛んでいますね、桜が見ごろですね」
今は選挙期間中なので、選挙に関するなんやかやをネット上で書くことは出来ない。そういう決まりがあるのだそうだ。私も、あなたも、誰もが、今日の桜の開花状況などを語ったり、ジャイアンツやタイガースの勝敗を語ったりする。選挙期間とは、そういう期間だ。
なので、私たち有権者は食パンをコーヒーで流し込みながら読む新聞か、深夜11時に帰宅してレンジでチンしたおかずを食べながら観る報道番組から情報を得て、投票すべき人物を選ぶ。

私たちが自分たちの意見をネット上で自由に語ることができるのは、選挙後だ。

選挙に関する私たちのさまざまな意見というやつは、新聞・テレビを通じて発信されていく「有権者の動向」という形でのみ、私たちに返ってくる。私たちが私たち自身の立ち姿に責任を持とうと考えたとき、手にすることができる手鏡は、商業新聞、そしてテレビだ。
しかしそれは、もうすでに「私たち」ではなくなっているだろう。メディアから私たちに向けて繰り返し発信される「あなたたち」にすぎない。
「私らしさ」という幻想をどこまでも受動的に受け止め続ける「あなたたち」が、下から支える清潔で明るい社会。まばゆく、そして、無理を極めきったような日常。
テレビCMが約束する「あなたのライフスタイル」という商品によってしか意味を持てない、「私らしさ」「選択可能な人生」「生きざま」というもの。
「私」が巧妙に「あなた」に変換されて行く世界。
誰も悪くない。

鏡の存在なくして、自分の顔に責任が持てますか?



「社会風俗改良のために作家を罰するのは、鏡がなくなれば醜い顔がなくなる、という考えに似ている」
  バイロン


つまり、そういうことだ。

SFだねえ。アンチユートピアの。

つねづね感じてきたことだが、ツバメは本当に素晴らしい生き物だ。黒くて、小さくて、優雅で、素早い!
桜だって、素晴らしい。一年のうちほんのいっとき、ぼってりとした小さな花を咲かせるだけでなく、無数の毛虫たちの生命維持装置としてずっしりと存在している。
人間は、本当に度し難い生き物だ! 生きることをおっかながって、巨大すぎる脳を持ち、200年ぶっ続けの熱力学の祭典のために地球上の何もかもを破壊しつくそうとしている!
地球の骸骨! 人間に食い散らされて。
前触れなく突然おとずれる砂漠の夜空のように、悪魔のハンマーが打ち降ろされ、電気が消える。そうやって終末のときがやって来るのだとしても。すべての影とひとつのビョーキが太陽系からかき消えるとしても。
選挙については選挙後に。
“あった”は“ある”を追い越し禁止。
すべてはミルクを床にぶちまけてからの話なのだ……。
それでも、だ。
私は新聞も読まず、テレビも観ない人間だから、この選挙期間中ひたすら鼻水を流し続ける。「チキチキ」言うツバメをぼうと眺める。そして、Mac雑誌を読む。
紀藤弁護士のMac魂爆裂コラムから以下引用。


「資本主義の前提にヒューマニズムがある国と、日本のように資本主義の金儲けの部分だけが導入されてしまった国では、社会的弱者に対する見方とか、社会で子どもをどう育てるかということが、根本的に異なっているようにも思える。」


今月号の『MacFan』には、

『のだめ』の二ノ宮知子センセのインタビュー記事

が見開き2ページで掲載されているから、Macユーザーではない『のだめ』ファンの多くが購入したみたいだけど、パソコン雑誌とは思えない内容に驚かれたのではないだろうか。しかし、パソコンの「パソ」の意味を追求する、これがMac☆SF魂である。


「最近の犯罪の多発の原因を、「人権教育が行き過ぎた」と発想する人たちがいるが、それは間違いである。なぜなら我が国は、そもそも学校の授業などで、人権を規定している憲法をきっちり教えて来なかったからである。」

「最近の憲法改正の議論を見ると、憲法は国と国民の契約であって、国家権力を規制するものだということ自体が、政治家でさえわからなくなっているのには驚きを禁じ得ない。」

「国民の義務ばかりを定めるような憲法を発想すること自体が異常である。」


ヒトクチかじられた七色の林檎のマークは、今もまだ自由と“親切”の旗印足りえているのか……。

 


公務員の鑑です!
(2007.4.4)

この日記は絵本販売サイトのいちコンテンツであるにも係わらず、
「世界中の軍人さんは、人殺しの練習してお給料をもらって大変だなあ」
などというようなだいそれたことを皮肉たっぷりに書きなぐったりしてきたわけですが、このたび、

上田清司埼玉県知事

さまが、新規採用職員就任式の式辞で、同様なことをお話になられたと聞き及び、しかも、私のように皮肉でも何でもなく本気の本気というのですから、さすがの私も

尻子玉をぬかれたような気分です。


「上田清司埼玉県知事は2日、新規採用職員就任式の式辞で、使命を全うしようとする公務員の例として「自衛官は大変だ。分かりやすく言えば平和を守るために人殺しの練習をしている。国民の命、財産を守るためだから偉いと褒めたたえなければいけない」と述べた。」

どひ。

「使命を全うしようとする公務員の例」
 ↓
「(自衛官は)平和を守るために人殺しの練習をしている」
 ↓
「国民の命、財産を守るためだから偉いと褒めたたえなければいけない」
 ↓

対立しあう国家、民族や文化の違いを超えて、

日本のこちら側では埼玉県知事、あちら側ではキム=ジョンイルさん、言うこと一緒、内容的にお友だち。(こないだ首をくくられた故フセインさんともお友だち)
いや、自衛官は「人殺しの練習をしている」というのは明々白々の真実だから良いんです。軍隊って、そういうところだもんね。ただ「偉いと褒めたたえなければならない」というところが---しかも、「ならない」というところが---『はだしのゲン』の町内会長さんくらいすごい!
すべての埼玉県民の皆様に、敬礼っ!!
(*`ε´*)ゞ

 


*無害なエイプリルフール*
(2007.4.2)

ウソをつく相手もウソをつく理由も気の利いたウソも思いつかない

ままに、一年に1度だけウソをついてもいい日、エイプリルフールは過ぎ去っていった。消えていく時間を意識するのが苦手な私は、こんなことですらちょっと感傷的になってしまう。
今日は書店で立ち読みをし(レイモンド=チャンドラーの『長い別れ』が村上春樹氏の新訳で出ていた!)、そのうちの数冊を購入し、バイトの女の子に本物の紙幣を渡した。
そして、あっけなく4月の2日だ。
だから、もう、ウソをつくことはできない。少なくとも、つい先ほどまであちらこちらで交わされていた罪のないウソは、来年の4月1日まで店じまいだ。
ウソをつきそこねた、などと思っているわけではない、わけではないけれど。エイプリルフールのウソに引っ掛かっても誰も文句は言えないことになっているし、どんなウソをついても構わないのだが、ウソをつかれたほうも笑いだすような、もしくは気が利いていると膝を叩くような、そういうウソじゃないと面白くないし、趣向を凝らしたウソというと変だけれどウソの中に何かピリリとした芸を見せなくてはと考えているうちに、24時間が過ぎていったのだった。
だから私は、ウソをつく代わりにヴォネガットの小説を一冊手に取ることにした。カート=ヴォネガットの小説に出てくる例えば“無害な非真実”のようなウソ。私にとってもっとも大切なウソは、文庫用の書棚にある。私が私のためだけに贈るウソだ。
ページが茶色く変色した『ジェイル・バード』の文庫。少し拾い読みしてみる。
冒頭、作家カート=ヴォネガットは高校生ジョン=フィグラーから手紙を受け取る。


「フィグラー少年の手紙によると、彼は私の書いたものをほとんど読みつくしたので、いまや私の半生の著作の核心にあるただ一つの思想を指摘できるまでになったという。彼の言葉を借りれば、それはこうだ---

「愛は負けても、親切は勝つ」

言い得て妙だと私は思う---しかも過不足がない。というわけで、五十六歳の誕生日を五日も過ぎたいま、わたしは忸怩たる心境におちいった。なにもあんなにたくさんの本を書く必要はなかった。たった十四字の電文で、ことは足りたのだ。
いや、まじめな話。」


「愛は負けても、親切は勝つ」
この言葉が掛け値なしの真実だったらどんなに素晴らしいかと思うけれど、残念ながら無害な非真実にすぎない。---ウソとまでは言えないが、ただの意見だ。
と、ここまで書いて、ふと、エイプリルフールにはジョン=レノンの『イマジン』を世界の街中でエンドレスに流したら面白いのではないか、などというアイデアを思いついた。クリスマスの『諸人こぞりて』のような調子で『イマジン』を街中に流すのだ。


「想像してごらん。
国なんてなくて、
平和を求めて今日を力の限り生きている人々がいるだけなんだと。
国や宗教の違いのために、死んだり殺しあったりすることをなくすのは、
考えるほど難しくはないはず。
みんなが、この世界で協力しあって仲よく生きていきたいと、
夢みていることがわかれば」


私は生きる悲しみ愛好家だから、「痛みに耐えて構造改革」だとか「美しい日本民族の復活」だとか「閉経後の女性がいつまでもだらだら生きているのはよろしいことではない」だとか、この手の非真実にすっかりうんざりしてしまって、ことさらエイプリルフールという心境になれないのだ。
レイモンド=チャンドラーが作り出した私立探偵フィリップ=マーロウのあの名ぜりふを、村上春樹氏はどう訳してらっしゃるだろうか?


「タフでなくては生きてはいけない
しかし、優しくなくては生きている資格がない」


今の日本という国の内部で誰もが等しく共有しているウソには、探偵マーロウの「しかし優しくなくては……」以降の非真実がすっぽり抜け落ちていて、これでは本当に

「生きている資格がない」ということになりはしないか。

日本という国ではエイプリルフールはすでに失われて、むしろ、364日間という暗闇からまばゆい当日へとウソが引っぱりだされ、居心地悪そうに道化を気取る、というような一日になっている……とは私の感想だ。
つまり、アリが一匹もいない丘の上で見えないアヒルの生意気なくちばしから虹が架かるとき、ひとつの大きな希望を感じていたければ、それは4月1日以外の日付であるべきだ。



*PRステッカーの宣伝日記その後*
(2007.3.29)

「九条の会・やまと郡山」のPRステッカーの値段が決定しました、200円です。
「戦争はやんない、んだもんだから軍隊はいらね」
という、日本国憲法第九条の宣言をもっと活用しよう!というステッカーです。
まあ、個人的な心境は、マイケル=ムーアの

『ボンクラ大爆発!!』

ですけどね。

「北朝鮮を核攻撃してみごと焦土としてみせる!」

なんて言われて、さすがのボンクラ人間のワシも怒髪天に来たわけ。
税金の無駄遣いどころじゃない、ボンクラだからってなめんなよ?
(^_^;)
某国某首相アヴェさんの劇場型ファッショ・ショーに比べて、こちらはネクラなまでに地道な活動だけど、ま、メディアに出てくるのは御用学者ばかりだし、文学界の先生方もおおむね及び腰で、頑張っているのは映画界くらい。徒歩でとぼとぼやっている人間を空から見下ろせば、どうしてもネクラに見えるのはこれは仕方ないと思う。
アヴェさんはメディアの翼でひとっ飛び、こっちはステッカーあたりでちびちびと行こうと思います。
核戦争なんておっぱじめられたらかなわんし。
でも本当は、憲法九条は戦争の抑止のためにあるんではなくて、「ケンカではなく話し合いで問題を解決する生き方をワシらは始めます」という宣言なわけだから、もっともっと能動的で活動的な雰囲気が必要だと思うんだけどね。
そのためには、まず、想像力が必要なんだ。

♪みんなみんな 生きているんだ 友だちなんだ〜♪

北朝鮮の地域でお暮らしのミミズやアメンボやオケラのことも考えろって、アヴェさん。
※町山さんのところでムーアの面白い記事を見つけたので、リンクしておきます。



メートル法で測ってみようオシムの涙
(2007.3.26)

他国他民族をおとしめることで相対的に日本民族の価値を高めようとする★某国★某都知事の★某イシハラさんだけど、このたびとうとう、フランス語を侮辱する発言をしたとして、フランス語学校長マリック=ベルカンヌさんら計74人に謝罪広告と慰謝料を求める起訴を起こされたという……。
某イシハラさんはなんでも、


「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする」
「都立大はフランス語の講師が8人いて、受講者は1人もいない」


などと述べたのだそうで、しかし、フランス語は数を勘定できないって言うけれども、わしらが普段使ってる

メートル法はどこから来たと思ってるんだろう?

ヽ( ̄▽ ̄)ノ アン、ドウ、トロワ〜♪ どっせーい
わけしりで民族的優位性などという妄想を国際社会にさらして、迷惑千万、もとい、ごくろうさまです。
大和郡山市在住のいち日本国民のワタクシとしては、国際的大羞恥心でいっぱいいっぱいになりながらも、某都民ではないことにわずかな慰めをみいだしている今日このごろ。選挙で投票したのは某都都民だもん。なんにせよ、イシハラさんは鼻高々でらっしゃるんだろうなあ……。
ともあれ。
某都知事が口にするたびに、どんどん安っぽくなっていく日本民族の誇りをかけて、フランス語学校ベルカンヌさんとイシハラさんの戦いの火ぶたは切られた。

フランス語学校ベルカンヌさんは、排他的民族主義に打ち勝ち、東京都民しいては日本国民の心に「古きよき日本民族の誇り」を取り戻させることができるのかっ!!

……あれえ?

(^_^;)
日本もすごいことになってきたよね……。
国籍、肌の色、民族や宗教の違いってなんだろう? 国籍だの肌の色だの民族だの宗教だのと理由は何でもいいんだけど、その時の都合に合わせつつ人間同士に壁を作って、さまざまな陣営が対立しあうことのメリットは、勿論

大規模犯罪の正当化

これにつきる。
地球市民が巨大に対立しあったまま、その犯罪がこちら側からあちら側に向けられたものであるかぎり、その大規模犯罪をこちら側の内部で徹底的に正当化するための道具でしかなくなってるんだよね。

違いが生みだす途方もない豊かさ

という側面に誰も目を向けようとしないのは、テレビや新聞が対立をあおるからだけど……。その結果についてメディアも誰も責任は取らないんだぜ〜。ということで、悲しい歴史の証人でありわれらが英雄イビツァ=オシムのDVD
『引き裂かれたイレブン~オシムの涙~』
が我が家に届いた。
Amazonで予約していたものだ。
youtubeで予告編を見つけたので、興味のある方はどうぞ
ライター木村元彦氏のユーゴ三部作(『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』『オシムが語る』)の内容を映像で補足しつつ理解する、というような使い方を、観賞した私はひとまずお薦めしてみたい。
というか、旧ユーゴの民族紛争の顛末と当時のサッカーシーンの両面を、ざっとでも予習しておかないと、理解しずらい部分があるかもしれない(もっとも、木村元彦氏による各シーンのテキスト解説が付されているので、それほど苦労はしないかもしれない)と思うのがひとつ。
もうひとつは、木村元彦氏の著作の内容を映像で確認する、もしくは検証をしてみる、というような観賞の仕方をするということは、本ドキュメンタリーと私との間に、ある一定の距離があったということでもある。映画『ノーマンズ・ランド』じゃないけれど、ユーゴ民族紛争の本質的な問題はドキュメンタリー映像には捉えられない、テレビ画面の向こう側にあるのだから、どうしたって木村元彦氏のユーゴ三部作の補完映像作品という位置づけになる、という結論だ。
それでも私は、憎悪をひとつひとつ積み重ねて今にも崩れ落ちそうになった激烈な対立感情で殺気だつスタジアムのただ中で、ユーゴとクロアチアにわかれて闘うヨーロッパ選手権の最終戦の、シュケルとミハイロビッチが笑顔でハイタッチする一瞬に、思わず息を飲んだ。映像というものの持つ記録性は、人間の持つ最後の勇気--もしくは希望を抱かずにはいられないことへのやりきれなさ--をも見事にフィルムに焼き付けてみせた。
センセーショナルなまでに感動的で、映画的ですらあって、殺し合いを正当化する道具として徹底的に機能しきった偉大なヒーローたちは、

こうあるべきだったという理想のサッカーチームと民族融和の思い出

から絶えず責めさいなまれる孤独な亡霊のようだ。
そう見えるのは、それは映像の記録性ゆえだ。時間が経てば経つほど、映像の中の彼らは亡霊化していくだろう。
さきほど紹介した予告編でどうかご確認あれ。
対立と犯罪の風だけがいつも新しく、今日も新しい分裂がはじまり、だから映像の中の亡霊たちはどんどんやるせなくなってゆく。
「またかよ、かんべんしろよ」
日本のテレビ番組でイビツァ=オシム監督が言っていた「戦争したがる馬鹿はいつでもいる」
彼もまた、サッカーの監督をしているときだけ体が透けない亡霊のようで、だから24時間サッカー漬けなのかもしれないな、などと突拍子もないことをふと思ったりする。
最後にこちらの動画で亡霊たちのサッカーを……。『Serbia's Soccer Legends』



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