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来年こそは(2004.12.30)

インドネシア・スマトラ島沖の地震とそれに伴う津波の被害は、とんでもないことになっているようですね。
いまニュースサイトを確認すると、犠牲者の数は6万8千人を超えたとのこと。
被災者は数百万人にものぼるようで、こういう大惨事を数字ではかるのはナンセンスだとはいえ、その被害の規模にがく然とします。
亡くなったかたたちのご冥福と、一日もはやい地域の復興をお祈りいたします。

☆☆☆☆☆☆
今年は最後の最後まで、戦争と災害に明け暮れた年でした。来年はよい年になればいいのですが。
ちなみに、私が夢想する2005年は、

(1) ('-'*)
日本国民がとつぜん
赤化
して、なんと日本が社会主義国になる。ドヒー!

(2) ('-'*)
週120時間のサービス残業で苦しんでいるひとたちを救出するために、仕事を失い
公園で野宿を余儀なくされているひとたち
が立ち上がる。勝ち組・負け組などというイカレたことを言うのをやめて、みなが協力しあって仕事するのだ。

(3) ('-'*)
身も知らぬおっさんが子どもたちを次々殺害したり、小学生が小学生を殺したりする事件解決のために、
ひとびとが本気
になって取り組む。これらの事件の本質は、「おまえは孤独だ」「あなたは人生を限度いっぱいまで楽しまなくてはならない」という大量消費社会のプロパガンダにあることをひとびとはつきとめる。

(4) ('-'*)
世界中のひとびとが、「私は孤独だ」という病気をとうとう克服する。
また、SF作家・故シオドア=スタージョンとカート=ヴォネガットが、「孤独」という病からひとびとを目覚めさせた功績で
ノーベル“医学賞”を共同受賞
する。

(6) ('-'*)
「孤独」という病を克服した人類は、
本当に取り組まなくてはならない仕事
に取り組みだす。
戦争をやめ、環境破壊をやめ、貨幣経済制度を見直し、無政府主義社会の実現への困難な道のりがつづいているのだ。

とまあ、こういう2005年だったらいいなあ。
たぶん、ないけどな。
(;^-^ゞ
ユートピアは、遠いですね。

 



ウエブサイト『DON'T FLY EAGLE』から(2004.12.27)

絵本工房がリンクさせていただいているウエブサイト『DON'T FLY EAGLE』(管理人・どすのメッキーさま)は、イラク侵略・占領に反対するサイトだ。
「武力ではない選択肢が きっとある」
という力強い声明が、このサイトのタグラインだ。
『DON'T FLY EAGLE』というサイトの存在意義&運営方針を短く的確に言い表して、素晴らしいタグラインだと思う。
その、『DON'T FLY EAGLE』に、ものすんごいビデオクリップがリンクされていた。
本当は、『DON'T FLY EAGLE』さんから、リンク先に飛んでいただければよいのだが、せっかくなので、私の日記からもリンクしたい。
だが、その前に。
このビデオクリップを皆さんが観る前に、ふたつの重要な点を、ご注意申し上げておかなくてはならない。
ひとつ。
*全文英語であります。
ふたつ。
*かな〜り辛い映像が連続します。覚悟が必要です。お子様や覚悟のないかたは、お奨めできません。

このビデオクリップのおかげで、私は今夜はきっと眠れないだろう。
そのつもりで、どうぞ。
(。-_-。)
【LIBERATION】
は、ブッシュが主張する「イラク解放」の実態。

【POISONOUSLEGACY】
は、劣化ウラン弾の汚染の実態だ。

さあ、とことん衝撃を受けてくだされ。
映し出されている映像のすべての責任は我々の側にある。
先日、自衛隊イラク派兵延長が決まった。
「あー、そうなんですか」
なんてのんきに言っている場合じゃない! ……そう思わないか?
いっさいがっさいが、空前絶後の大犯罪だ。神様が実在するなら、わしらはとうに
塩の柱だろう。
地獄の炎に永遠に焼かれ続けたとしても、この大罪を償うことはできないはずだ。




今年の映画鑑賞ラスト(2004.12.26)

ひがみ根性に彩られた私のクリスマスも何事もなく過ぎていった。
クリスマスは、イエス=キリストの降誕を祝う日、ということになっているらしいのだが、もちっと宗教儀式らしくおごそかにしていようよ、なんてことではなくて、私の場合は本当に単なるひがみだ。
そう言えば、今年はキリストの最後を忠実に再現したというふれこみの映画『パッション』が上映された年でもあった。
これがふたをあけてみると、原理主義カソリックの主観に満ちた史実の再現で、ユダヤ人差別の主張が前面に押し出されていた映画であったよな。
「キリスト殺害の罪はユダヤ人の血が負う」
って、マジかよ。
新約聖書にそう書いてあると言ったって、 もともと聖書の成立にはいろいろありまして、ようはローマ帝国内で書かれた本だということなんだよね。神の子であるキリスト殺害の罪を、ローマ人自ら背負うわけがない。でも、キリストは処刑されてる。どうしようか。そうだ、
「ユダヤ人がみんな悪かったということにしとこうぜ」
つーことがあったらしいのだ。くわしくは私も知らないけど、専門家の先生方はそう言ってらっしゃる。
もちろん、キリスト教の専門家の先生方は、こぞって映画批判をしたのだが、大資本の繰り出す映画宣伝の前にはかすんでしまい、とうとうキリスト教右派に支えられたブッシュ氏がアメリカ合衆国大統領に再選!という思わぬ事態も起きてしまった。
なんとも悲しい、今年のクリスマスである。

まあ、そういう映画も上映されていたわけだが、基本的に今年は名作、傑作映画の大豊作であった。
今年最後に私がご紹介する映画はDVDで観た『グッバイ・レーニン』
ドイツ映画だ。
結論から言うと、素晴らしい映画であった。本国ドイツで大ヒットし、
2003年度ベルリン国際映画祭最優秀ヨーロッパ映画賞《嘆きの天使賞》受賞
2003年度ドイツ・アカデミー賞9部門受賞
2003年度ヨーロピアン・フィルム・アワード6部門受賞
2004年度アカデミー賞最優秀外国語映画賞ドイツ代表作品
2004年度ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞ノミネート
なのだそうである。
ヴォルフガング=ベッカー監督の作品だ。
物語は、1980年代末。今はなき東ドイツに在住する、青年アレックスが主人公だ。
彼の父親は家族を捨てて10年前に西ドイツに亡命。母親は、その反動からますます東ドイツの愛国心を強めていった、というような概要が映画の冒頭で説明される。
そんなある日、母親が心臓発作を起こし、昏睡状態に陥ってしまう。反社会主義デモに参加している息子を目撃したショックが、心臓発作の原因だ。
母親の昏睡状態が続くなか、ベルリンの壁が崩壊。地域の社会観、人間観は激変する。そして8ヶ月後、母親は奇跡的に目覚める。が、医師は
「今度強いショックを与えたら、命取りになる」と家族に宣告したのであった。
息子アレックスは、母親を守るため、東ドイツの崩壊を隠そうと決意する。
西側の資本主義文化が、東側のひとびとの日常にごうごうと音を立てて流れ込んでくる。缶ジュース、ハンバーガー、スポーツカー、エトセトラエトセトラが街に溢れる。豊かできらびやかな消費世界を謳歌する若者たち、いっぽうで、職場や所属する地域社会を失った人々。
その事実のすべてを、アレックスは母親から隠し通さなくてはならない。
アレックスは、母親が楽しみにしている国営放送の報道番組まで自作する! 力技で無理矢理に母親をだまし続ける息子のドタバタぶりが、歴史に翻弄される個人という物語の重さを感じさせず、淡々とコミカルに描かれている。
心臓を病んだ母親の狭い行動範囲内とはいえ、母親の目の届くすべての環境は、母親が心臓発作で倒れる前の、母親が愛し続ける東ドイツのままでなくてはならない。それがアレックスの使命だ。機転と、途方もないエネルギーと、創意工夫を総動員して、彼は母親のためだけの社会主義国を作り出す。
時間は立ち止まることなく流れていくから、アレックスのウソも休むことなく日々刻々と刷新されていく。休息は許されない。24時間、母親の周囲を、東ドイツの社会主義体制のままにしておかなければならない。
架空の東ドイツ。それはアレックスが日々創作し、その尽きることなく続くウソによって母親が信じ続けることのできる
虚構の社会主義国家
だ。
このあたりから、映画はがぜん面白くなる。
母親の心臓にショックを与えないがために創作され続ける東ドイツは、アレックスの頭の中の東ドイツでしかない。かって実在し、いまは影も形もない東ドイツでもなければ、統合された資本主義国家としてのドイツでも、ソ連でも、北朝鮮でもない。
アレックスの頭の中の東ドイツは、ただの一度も
実現されないままに消えていった社会主義の理想
とイコールで結ばれていく。何と言う皮肉だろう! 誰もが背をそむけた社会主義思想の肯定的な側面、それは、虚構の社会主義国を創作するアレックスと、それを信じる母親のためだけの理想世界なのだ。
映画のラスト間際、ホーネッカーの後継者が語る台詞が、とてつもなく感動的だ。
「無意味な拝金主義や競争を逃れて資本主義国から今日も大勢の難民が押しよせてきています。
社会主義とは門を閉ざすことではなく、手を差し伸べることです。そこで我々は、こうした西からの難民を受け入れる決断をしました」
実際には、東ドイツという国家はとうに解体してしまっているわけで、ホーネッカーの後継者などいるはずがない。架空の報道番組に出演する単なる素人役者だ。東ドイツ初の宇宙飛行士だった男で、今はタクシー運転手をしている。それをアレックスが連れてきて、彼に、架空の理想世界のリーダーになってもらったのだ。
ホーネッカーに代わる新しいリーダーに、宇宙飛行士を連れてくるところが素晴らしい。
先人たちが夢見た、実際には実現しなかった理想の未来。それは、どこまで行ってもSF……サイエンスフィクションのままだったというわけだ。
しかし、理想は絵に描いた餅ではない。我々が現実と呼んだものは、すべて虚構だった。アレックスの頭の中の理想もやはり虚構だ。大切なのは、私たちがどんなふうに生きていきたいと望んでいるかだ。
宇宙飛行士の語った声明の、なんと美しいことか! むき出しの競争よりも、皆で仲良く暮したい、と考えているひとびとの、すべての思いが凝縮している。
「いつか、どこかで。いつか、どこかで」
ヴォネガットの小説を映画化したような映画だった。本当に素晴らしい。
ヴォルフガング=ベッカー監督は、きっと、ヴォネガット作品を映画化できる!
『タイムクェイク』を映画化してくれないかなあ。

☆☆☆☆☆☆
大阪のお友だちから、『ビッグイシュー日本語版』という雑誌をまとめて送っていただいた。
「ホームレスの仕事をつくり自立を応援する」という趣旨の雑誌だそうで、私が興味を持ちそうだと、わざわざ送っていただいたのだ。
ありがとうございます。
「仕事」&「自立」かあ。
来年は本当に頑張らんとな。
(;^-^ゞ




ひぐちアサせんせのネーム(ジュンク堂書店にて(2004.12.23)

12月23日。明日になれば、いよいよクリスマス・イブのまっただなかだ。
ぐっと息を詰めて、過ぎ去るのを待つしかない。
街中を流れるクリスマスソング、きらきらした飾り付け。なんという不吉な、ぞっとしないイベントだろう。
ここ日本におけるクリスマスとは、大量生産を支える大量消費者のための「浮かれ騒ぎ、消耗しつくして哀切深いお祭り期間」なので、文化的落後者の私には、地獄のような日々でしかない。
陰々滅々たる気分を利用して、読書でもしよう。本屋さんにレッツゴーだ。
やってきたのは、ジュンク堂書店。
ここで、ずっと探していた
『月おとこ』
という絵本を見つけた。作者はトミー=ウンゲラーだ。
私は、猫の絵本と月の絵本を集めている。夢中になってかき集める、という集め方ではないけれども、猫の絵本、月の絵本、という二本のアンテナを、普段から頭のてっぺんにつきたてて、気にかけるようにしている。
この絵本は、『月おとこ』というタイトルがいい。不気味で、得体がしれなくて、少しだけ悲しい気分にもなる。私のコレクション(というほどのものではないけれど)に加えたくなるタイトルだ。
『かぜひいちゃった日』
という絵本も購入。作者はキム=ドンスというひとだ。
内容は、小さな女の子の、頭の中の世界。風邪をひいてうとうとしていた女の子が見た、夢の話だ。
子どもの想像力、……言葉にすると、ただそれっきりのことになってしまうが、私は、こういう、頭の中の世界を描いた絵本が大好きなのである。
センダックの
『あなはほるもの おっこちるとこ』
とか、クロケット=ジョンソンの
『はろるどとむらさきのくれよん』
エッツの
『もりのなかへ』
などが、私の言う「頭のなか絵本」になる。ああ、忘れるところだった、ゴフスタインの
『作家』
もあった! これらの絵本たちは、読み手の私を連れて、現実をいともたやすく飛び越えていく。絵空事の世界だけが指し示すことのできる素敵な生き方のアイデアを私は堪能する。

さて。
ジュンク堂は、絵本コーナーの隣が漫画コーナーになっている。
突然だが、私は、漫画家・ひぐちアサせんせの大ファンである。
センセが出版なされた単行本はすべて数冊ずつ購入しているし、どの本屋に入っても、ひぐちアサ作品がどのような扱いになっているか、必ずチェックするほどのファンだ。ジュンク堂では、ひぐちアサせんせの全単行本がずらりと棚差しになっていた。
漫画史上……いや、日本文学史上の大傑作
『ヤサシイワタシ』
が棚差しになっている。嬉しい。ファンとして、心から嬉しい。
棚差しになっている映像をデジカメで写真に撮りたいくらい嬉しかったが、作品の内容を盗み撮りしていると書店に勘違いされても困るので、口頭で報告しておく。
その漫画コーナーで、発見したのが季刊
『エス』
という雑誌である。
『エス』は、「アネモネ1月号増刊・漫画・イラスト・アニメ・ゲーム《ストーリー&キャラクター》表現の総合誌」なのだそうだ。読んでみてもなんのことかよくわからなかったりするのは、それは私がアホなせいだろう。
アニメチックでアダルトな表紙。雑誌全体が醸し出すゴスロリ系な雰囲気。私の苦手な世界観だ。
だが、どういうわけかふらふらと手に取って、ぺらぺらとめくって驚いた。
漫画家、
ひぐちアサせんせのインタビュー
が4ページにわたって掲載されていたのである。
いやああああああああああほううううう!!!!!!
ヽ(´▽`)/
この雑誌を手に取ったのは、偶然か必然か。私の「ひぐちアサせんせへの愛」が、この雑誌を手に取らせたとしか思えない(ファンによくあるモーソー)。
……ちょっと落ち着こう。
雑誌全体のエロ・グロ・ゴスなムードとはまったく異質なインタビューの人選だが、そんなことは、ひぐちアサせんせファンとしては無問題だ。
しかも、だ。
記事中には、作中人物の設定資料、
センセのネーム(初期の下書きのことを業界用語でネームという)、
プロット原稿(漫画のあらすじ原稿のことね)
も掲載。
どひ〜ん。ひぐちアサせんせのネームだあ〜。
おらあ、もう、食っちまいたいくらいだよ。
( ̄〜; ̄)ムシャムシャ
プロット原稿やネームは、いわば、センセの頭の中身だ。
原稿完成前の、普段ならけっして読者の目に触れることのないアイデアの発端や、ストーリー作りの試行錯誤を、雑誌記事という形で私は確認することができた。
ひぐちアサせんせの頭の中身を、素晴らしい傑作絵本を読むときのように、没頭して楽しむ。
ひぐちアサせんせのような、才能あふれるクリエイターの頭の中身なのだから、その面白さ、興味深さは、傑作絵本にも引けを取らない。私が身も世もなく読みふけるのもいたしかたないだろう。
ああ。
好きだ。大好きだ。
ひぐちアサせんせ作品をこれほどまでに好きになれる自分が大好きだ(笑)。
あ。ひぐちアサせんせは女性であることがインタビューにより判明。やっぱり。あの言葉の鋭さ、日常から物語を抽出する手際、立体的な人間洞察は、女性作家のものだよなあ。

まだ本を買う。
シオドア=スタージョンの
『時間のかかる彫刻』
はSF 小説だ。サンリオSF文庫在りしころ、
『スタージョンは健在なり』
というタイトルで発行されていた本の改題版である。旧版の『スタージョンは健在なり』を私はすでに持っているのだが、スタージョンのファンたるもの、版が変わればそれは新刊なのである。
『海を失った男』
や、
『河出書房・20世紀SF』(全6巻)
あたりから、スタージョンの再評価の気運が高まってきて、嬉しいかぎりだ。
コンピューター・コーナーに出向くと、DVDやCDの違法コピーの実際的手段について網羅した書籍やムック雑誌が、どうどうと売られていた。
映像作品や音楽作品・ソフトウェアなどの著作権が、違法コピーにより侵害されていると言われだして久しい。
なのに、これはなんだ?
コピーコントロールだ、ソフトウェアをインストールできるハードディスクをいっこだけに限定するだとか、あれやこれやと
ユーザーに不便を強要
しておいて、いっぽう、違法コピーのマニュアルは種類も豊富に書店で売られているのである。
違法コピーをして下さいと言わんばかりの状況だ。
どの本にも必ず、
「何があっても、ウチは責任と取りませんよ!」
なんて書いてあるけど、ふざけてるよなあ。本を出版したからには、責任あるだろうって。
怪しいだよね、どうも。
マッチポンプくさいというか、「企業がユーザーを監視するシステム」を正当化するための陰謀じゃないの?(例・マイク○ソフト社がユーザー情報に勝手にアクセスするためと疑われている秘密ショートカットキー。マイク○ソフト社はノーコメントを貫いている)
業界ぐるみなんじゃないか、と私は疑っているのだが、陰謀説をとなえるとトンデモさんと思われてしまうので、これくらいにしておこう。
ジュンク堂を出て、道具屋筋を通り、日本橋の電気街で、フィギアを数点買う。
永井豪センセの
『キューティーハニー』
のフィギア。ようは、アニメのヒロインの小さなお人形である。
♪お尻の小さな女の子〜♪
の永井豪センセのキャラクターは、変な意味じゃなくて、私のあこがれなのである。
あと、猫のフィギアと
『ドラえもん』
フィギアも購入。
この世界を神様がお作りになったのかどうかは私は知らないが、6日間の突貫手抜き作業だけあって、その仕事はひどいものである。
手抜きじゃなかったら、入念な悪意の塊のような仕事ぶりだ。
神様を見かけたら、マジで、うしろから棒っ切れでぶったたいてやる。
しかし、神様の悪意たっぷりの仕事の中で、昆虫と猫と人間の女性の造形だけは、これは認めなくてはならないだろう。
昆虫と猫と人間の女性の造形は、神様(実在するかどうかそうとうに怪しいが)の大傑作だ。
だから私は、キューティーハニーと猫とドラえもん(ドラえもんも猫なのである)のフィギアを机に並べて、神様の仕事にもかすかながら肯定できる側面があることを心に刻もうと思うのである。




CD『触発』を聴いて感想(2004.12.22)

マイケル=ムーア監督がお仕事するときにかけていたという曲を集めたオムニバズCD
『触発』
を傾聴。
ぜんぶ、マイケル=ムーア監督が、映画『華氏911』を作っているときに聴いていた曲だそうだ。
英語の歌ばっかりなので、聴くのにめちゃくちゃ苦労する。

誰かがドアの外でわめいている
憎しみは愛で、虚構が真実で
誠実さは欺瞞にすぎず
沈黙は安全を意味し、そして戦争こそ平和なのだと

『ウイー・ウォント・イット・オール』(訳・新谷洋子氏)
ドアの外でわめいている誰か? ブッシュさんとか、小泉さんとかね。
あ、固有名詞出しちゃった。

諸君には言論の自由がある
本当に、試してみるほど馬鹿でなければ、だが……

『権利主義』(訳・岡田英明氏)
というわけで、誰もがお利口さんだ。マイケル=ムーア監督のように正論を貫き通すには、ただひたすら、ど根性がいるのである。

そして、聴け。スティーヴ=アールのこの名曲を。

そうさ、革命が
今始まろうとしている
きみの家の裏庭で
きみの故郷の町で
なのに、そこに突っ立って
いったい何をしているのさ?
ただ自分の心に従えばいいんだ
革命が
今始まろうとしてるんだから

『ザ・レヴォリューション・スターツ・ナウ』(訳・新谷洋子氏)
ワオ!
フラワー・チルドレンの運動が失敗に終わったとき、ジョン=レノンはこう言った。
「そうか、失敗だったか。じゃあ
また、はじめなきゃな」
……。
ジョン=レノンは、やっぱ、すごい。
くじける理由なんてないよ、笑い、愛し、肩を組み、一歩ずつ進んでいけばいいって、そう言ってるんだよね。

ただ自分の心に従えばいいんだ
革命が
今始まろうとしてるんだから
信じよう。この歌を。
Year the revoiution
starts now
In your own backyard
In your own hometown
Sowanto you doin'
standin'around?
Just follow your heart
The revolution
starts now

日本では、現実にそぐわなくなったという理由で、憲法九条を葬り去ろうという動きがある。
テレビや新聞で、えらい人たちが「改憲、改憲」言ってるよね。
今は、国民の権利を極端に限定してしまう大チャンスなので、まー、毎日毎日、連呼しまくって、ほんとハシタナイ。
改憲における本当のねらいは、国民ひとりひとりの権利の範囲を、そのときそのときの国の都合で自由に変えられるようにすることである。……これは、誰もが気づいていながら、口には出せないナイショ話だ。
国の都合で、国民の権利項目が増えたり減ったりするようになったなら、必然、国の権限は増えて、国民の権利は減る一方になるわな。
適用例1・「なぬ? 戦争に協力せんだと? 牢屋行きじゃあ〜!」
適用例2・「なぬ? 消費税アップに反対デモだと? テロリストの疑いで逮捕じゃあ!」
わっしょい、わっしょい、改憲、わっしょい。
改憲をぶち上げてる彼らに言わせると、平和も、自由も、個人の権利も、みーんな現実にそぐわんのよ。
まあ、確かにな。
「戦争してるんだから、平和は現実にそぐわない」
「不自由な世の中だから、自由も現実にそぐわない」
「ぶっそうな世の中だから、国民の権利は限定して、きびしく取り締まる警察国家にするのが現実的だ」
エトセトラ・エトセトラ。
テレビを観ていると、本当に、こういうこと言ってる。
中身的に、ナチの宣伝省とそっくりなこと言ってるのな。びっくりだ。
しかし、SF小説を読んでいない人間は、こういうたわ言にコロリと騙されやすい。
そう。はっきり言っておきますよ。
ワシらは騙されてる
んだよ。
我々の前に立ちはだかる、不吉で、押しても引いてもびくともしない巨大な黒い壁、それが、我々が知っているたったひとつの現実だ。
私たちが、新しい生き方を始めたいと言うと、いつも決まって、
「助さん、こらしめておやりなさい」
「ひかえおろう! この紋所が目に入らぬか! 先の副将軍、現実候であられるぞ!! ええい、頭がタカ〜イ!」
ひえええ〜、ごめんちゃ〜い!
そして、「正義」と「現実」がいつも勝利を収めるのである。しかし、私は、この「現実」の勝利に異を唱える者だ。
もちろん、我々が現実と呼んでいるあくせくした日常の、それも表面上のデコボコに、ぺったりと貼りついたように生きることだって、それは可能だろう。
しかし、そもそも、そんな生き方にどれほどの価値がある?
現実、現実……、そんなに現実が好きなら、電話帳でも読んどれ! と私は言いたくなるのである。
実際に自衛隊は存在するのだから、憲法を変えよう。憲法を変えてしまうことによって、中東で、アジアで、誰はばかることなくばりばり戦車を走らせようぜ。
ん? ……違うだろ? 美しい理想に、現実のほうが近づいていかなくちゃいかんのだろ?
日本国の憲法九条は、国連の皆さまも注目するような、すんばらしい条文なんだよね。それを「現実」にしてしまうことこそ、わしらの仕事さ。
現実にそぐわない? 改憲?
あーもう、
「黙れ、小僧!
(ここ、『もののけ姫』に出てくるおっちい狼さんの恫喝ふうにお読み下さい)」
日本語は正しく使おう。改憲論者の言う現実が、理想にそぐわない、というのが正しいものいいだろう。違いますか?
まあ、本当のことを言うと、彼らは彼らなりに、「中産階級の奴隷化」という理想を持っているのだよね。
彼らは彼らの理想を「現実」と呼び、「平和にのんびりやろうや」というわしらの理想を、あんなの夢想だ、とけなしているだけのこと。
現実こそが、最大のフィクションだ。
SF小説で描かれていることこそが真実だ。
びっくりするようなことを書いているようだが、マジ、そうなんだって。

☆☆☆☆☆
ストラヴィンスキー『春の祭典』のCDも聴く。指揮はブーレーズ。
どういうわけか私は、絵本でもクラッシック音楽でも、ロシア&旧ソ連ものが好きなようだ。どういうわけなのだろう?
ストラヴィンスキーもロシアのひとだ。
例によって印象を印象のままに書きなぐることになるけれど、ストラヴィンスキーの音楽には、なんというか、宇宙をひとたらししたような感触がある。
その宇宙というのが、無機質で退屈な宇宙ではなくて、何と言うか、
ぎゃー! エイリア〜ン!!!!
な宇宙なのである。
……。
えー、肝心なところでついつい茶化してしまうくせがあるなあ、私。
(^-^;A
でも、『春の祭典』を聴いたことがあるひとは、私の言わんとするところ、わかるよね?
(#^_^#)
ブーレーズの指揮が、また、
ヤゴみたいに顎が飛びだすぞ、エイリア〜ン!!!!
な作りになっていて……。
でも、言っておくけど、名演だよ、これ(いや、本当なんだって!)。
何度も何度も繰り返し聴くCDが、またひとつ増えた。
嬉しいかぎりである。




『東西女流顔見世落語会』(2004.12.20)

女流落語家の露の都さまから、うちの玲子に『東西女流顔見世落語会』のご招待チケットをプレゼントしていただいた。夫といっしょにご鑑賞してみてください、ということで、ペアチケットである。いたれりつくせりだ。
しかし、玲子は相変わらずバタバタと駆けずり回っており、残念なことに、当日はどうしても都合がつかないのであった。忙しい、忙しいと年がら年中騒いでいる玲子さんであるが、もしかしたら、忙しいと止めどなく言い続けることに忙しいのかもしれぬ。なんにせよ、忙しいらしいのだ。
玲子の「忙しい」の連呼の影で、ペアチケットが泣いている。泣きの涙のチケット2枚を、お救いせねばならぬ。という事情で、まことに失礼ながら、玲子とその夫の代役として、私と弟がご招待されることになった。
落語好きの女の子を誘ってデート、とはあいならず、せつない年末だが、それは弟も同じであろう。……と思いきや、
「クリスマス、デート、山下達郎……クリスマス、デート、シンデレラ・エクスプレス……(ネタが古いなあ)」
とぶつぶつ唱える私に対して、弟はどういうわけか始終ほくほくしている。
弟は落語が大好きなのである。
落語はクラッシック音楽にも似て、噺家さんの物語の解釈や、リズムの取りかたが見どころだったりする。もちろん、噺家さんの側の物語解釈が具体的であればあるほど、観客の心にわき上がるイメージも具体的なものになってゆく。落語は、言葉とちょっとした所作のみでたちまわる独り芝居なのだから、とっぴょうしもない笑い話の世界を聞く者の心にリアルに喚起させることができれば、それが芸ということになるのだろう。
観客が
「そんな馬鹿な」
と言いながらも腹を抱えて笑い転げるとき、想像力はひとの心にどのような作用をしているのか。
落語の面白さとは、人間の心の動きかた、感じかたの面白さであり、興味深さなのだと、まあ、そんなふうに思ったりもする。

☆☆☆☆☆
実は、金曜日の晩にルーターが壊れて、原因究明に手間取ったこともあり、まる2日ネットにアクセスできなくなっていた。
たけきものもついには滅びぬ、電気機器もいつかは壊れぬ。
痛い出費だが、買わないわけにはいかんもんなあ。
くやしいので、日本橋をうろうろしたついでに、CDをいくつか購入。
まずは、マイケル=ムーア監督がお仕事するときにかけていたという曲のオムニバズ
『触発』
マイケル=ムーア監督関連のものはとりあえず、すべて取りそろえる気概でやっております。
他にはクラッシックの
ストラヴィンスキー『春の祭典』ブーレーズ指揮、
マーラー『交響曲3番』バーンスタイン指揮、
マーラー『交響曲9番』バルビローリ指揮、
ベートーベン『ピアノソナタ27/28/30/31』ギレリス・ピアノ、
メンデルスゾーン『交響曲4番/5番』トスカニーニ指揮を購入。
ただいまマーラー傾聴ちゅう。
マーラーというひとは、生と死のすべての要素を音楽のなかにぶち込むことによって、自分が生まれ死んでいくという一連の事象の答えを見つけ出そうとしている、という印象が私にはある。

「生きるとは なんなのか?
花の散るように
星々の流れるがごとく
教えてくれるかコックリさ〜ん!
(byオーケン)」

マーラーの音楽が、私にはこう聴こえるのな。
*(マーラーファン並びに、オーケンファンのみなさま、すみません)。
(;^-^ゞ
人間が生まれ、生きて、やがて死ぬ。そのひとが存命中に体験した苦しみも、喜びも、過ぎゆく時間の前では儚い幻のようなものだ。
生きた。そして死んだ。それがいったいなんなのか。それとも全部なんでもないのか。生きて死ぬことに意味はあるのか、ないのか。
宗教が約束する永遠を鵜呑みにしないだけの分別がマーラーにはあるし、かといって、独力で答えを見つけ出すには、人生は本当に短い。
ひとの一生という厳しい時間的制約のなかで、あるのやら、ないのやら、それすらわからない答えを探し求めるのだから、マーラーの曲はどこか饒舌で、ごった煮的で、気むずかしく、酔っ払いの愚痴のように あきらめの悪いところがある。……というふうに聴こえるのね、私には。
(;^-^ゞ
生きて死ぬことのすべてに、マーラーが、まったく肯定的な答えを見いだせなかったとしたら? そうなったらもう、自殺するか、禅坊主にでもなるしかないだろう。しかしそれでは、音楽を作っていく理由がなくなる。マーラーが作曲を続けるかぎりは、その音楽は、何かしらの形で人生や生命を肯定し、賛美しなくてはいけないのだろう。
しなくてはいけないと言っても、肯定も否定も、マーラーは実感としての答えを得ていない(はずだ)。だからマーラーの音楽は、ムリムリに人生を肯定し、つらそうに生命を賛美しているところがあって、その、音楽を作っている側が少しずつ無理をしている感触が、聴いていて面白かったりするのだ。平気そうな顔をしていても、つま先立ちしているふくらはぎの気張り具合が見えてくる気がするのよ。単なる印象を印象のままに書いているだけだけど。
(;^-^ゞ
マーラーも『大地の歌』『交響曲9番』といった後期の作品になると、人生そのものに対するムリ気味の賛歌・賛美が、音楽家としての顕示欲のようなものとともに漂白していって、これはこれでものすごいことになるのだが、マーラーというひとも大変だったんだろうなあ……なんて、余計なお世話ながら、少しだけかわいそうな気にもなった。
ともかく、マーラーの交響曲3番の最終楽章は、第9番の最終楽章と並んで、とてつもなく美しい。
あの第9番のラスト……消えていく大切なものを最後まで惜しんでいるような、生・そして死ですら宇宙の彼方に融けていくような終わりかたとは、3番はまた違った美しさだけど。
つーか、私もマーラーを喜んで聴く歳になったのかなあ。

夜中にヘッドフォンで聴いていると、宇宙のまっただ中に放り出されてしまったような、はたまた、自分が何者であるのかさえ見失いそうな、安堵感とも悲しみとも恐怖ともつかない、不思議で圧倒的な感銘を受ける。
全曲を通して聴くと、めちゃくちゃに長い交響曲ではあるが。
(;^_^ A なにせ、生と死のなにもかもをぶち込んであるからな。

ほかのCDは、これからおいおい聴いていこうと思う。




映画チケットのもぎりをしてきました(2004.12.18)

先日、と言っても2週間以上も前の話なのだが、奈良映画センターの映画上映のお手伝いをしてきた。
遊絲社が、ウエブサイトをお作りしたご縁である。
映画センターとはどのような事業をしているのかというと、山田洋次監督の『虹を架ける男』を想像していただけると、ぴったりだ。映画上映・自主映画の窓口として、学校や子供会、自治会、イベントなどで映画の出張上映をするというのが、主な事業内容。情熱と意義にあふれたお仕事である。
奈良映画センターは奈良の映画センターだから、奈良県内での映画上映・出張上映を行なっている。
また、出張上映・自主上映以外に、奈良県下のホールや公民館などで一般上映も行なっているので、映画が大好きなかたは、ときどきチェックしていると、面白い映画が上映されているかもしれませんぞ。一日だけの上映の場合が多いので、なかなか気が置けないのだ。
さて、お手伝いである。
映画上映のお手伝いと言っても、銀幕をはって、あとはチケットのもぎりをするだけ。しかも、切符のもぎりが終わると、
映画をただで観れるという特典つき!!!!!!!
こんなお手伝いがあるだろうか? お手伝いというより、ほとんど道楽である。
今回の上映作品は、黒木和雄監督『父と暮らせば』だ。主演は、宮沢りえさん。篠山紀信氏の写真集が押し入れのどこかにあった気がする。
お客さまが座席に座りきったところで、本当にいいのだろうかと思いながら私も入館。映画は、始まってすぐに、舞台劇の映画化らしいことがわかってくる。登場人物のせりふまわしが、演劇のそれなのだ。観終わったあとで知ったのだが、井上ひさし氏の舞台劇が原作なのだそうだ。
「人類史上初の原爆が投下されてから3年後の広島。図書館に勤める美津江は、愛する者たちを一瞬の閃光で失い、自分が生き残ったことへの負い目に苦しみながらひっそりと暮らしている。そんな彼女の前に、ある日、ひとりの青年が現れた。青年に魅かれ、恋心に戸惑う美津江と、幽霊となって娘を励ます父親の物語」
というのが、おおまかなあらすじだ。
広島・長崎の被爆から生き残った人たちの多くは、どういうわけか、深い罪悪感を抱いていることが多いようだ。原爆体験者だけでなく、例えばユーゴスラビアの民族虐殺などを生きのびたひとたちもまた、自分が生きのびてしまったことを取り返しのつかない罪悪のように感じていることが多い。愛する配偶者、子ども、お父さん、お母さんを目の前で殺され、自分だけがむざむざと生きているのが許せないのだ。
この映画は、泣けた。映画の出来不出来を超えて、ひたすら泣けるのである。いやもう、
泣かしどころで素直に泣いてしまう自分がちょっと悔しい
のだが、どうにも涙が止まらない。
原爆の閃光で顔に大やけどを負ったうえ、爆風でつぶれた家の下敷きになった父親を救いだそうと必死になる娘。火の手がどんどん迫ってくる。
「助けてつかあさ〜い。誰か、お父ちゃんを助けてつかあさ〜い」
ぐあ〜。
2週間たって、まだ泣ける。涙、どっぷ、どっぷ。
お父ちゃんの体に火がつく。娘が消し止める。髪がちりちりと焦げる。
「逃げろ」
と、父親が娘に言う。イヤだと娘が言う。しばらく押し問答。
「じゃあ、じゃんけんで決めよう。じゃんけんで負けたほうが、勝ったほうの言うことを聞く約束な。お父ちゃんは負けんぞ〜。お父ちゃんは最初にグーを出すからな
あっか〜ん! ぼろ泣きや〜!!!
お〜い、おい。オロロ〜ン、シクシク。
でも、これは過去の物語じゃない。他人事であっても、けっして過去ではない。今まさに、イラクの子どもたちが、こんなふうに苦しんでるんだ。
信じられないことに、私たちは加害者の側。
NOW! 今、まさに、この瞬間に、瓦礫の下敷きになったお父ちゃんを掘り出そうと爪から血を流してるイラクの娘さんがいるはずだ。
あああ、罪悪感を感じるべきは、被害者である生き残ったひとびとではないっ!
むおー。
本当にごめんなさいっ!

 



人類の未来を考える連盟(2004.12.17)

おれおれ詐欺の犯人を捕まえてみれば、高校生だったというニュース。
犯人は
「年寄りどもがタンス貯金でため込むから、経済が悪化するのだ。悪い年寄りどもを懲らしめるために、おれおれ詐欺をやったのだ」
なんてことを言っているそうだ。
ばっかだなあ。テレビや新聞の言うことを真に受けたりして。
お年寄りがタンスにため込むへそくりごときで国の経済が悪化するというのなら、そんな貧弱な国家はどのみち破綻してるよ。
そもそも、タンス貯金でためこんでるお年寄りなんて、私は出会ったことがない。そりゃ、そういうひともなかにはいるだろう。チャールストン=ヘストンとかな(日本人の名前をあげないのは思いやり)。
しかしそれは、チャールストン=へストンというお金持ちがお歳を召しているというだけで、その逆ではないだろう。
若いころ死に物狂いで働いて、歳とって引退して、手元にはわずかな老後の蓄えが残る。それのどこがいけないのか。「タンス貯金」などと言って揶揄するわしらはいったい何者?
別名・
姥捨山国家
とまで呼ばれる日本国で、ほそぼそとでも老後を暮らすには、なにがしかの蓄えがないと無理だっちゅうことよ。楢山節考の世界は脈々と受け継がれていたのね。
老人は、ものを作らない。老人は(貧乏なので)消費しない。つまるところ、資本主義社会の足かせでしかない。足かせでしかないのなら、とにかく難癖をつけて、彼らを悪者に仕立て上げ、切り捨ててしまおうという発想だ。
いじめ、かっこわるい!(ふっる!)
高校生にもなって、新聞やテレビ報道なんて目を通していたら、ほんと、アホになんで。タンス貯金が経済を停滞させるというたぐいのごたくは、耳を塞ごうが目をそらそうが、いやでも入ってくるんだから、わざわざこちらから出向かんでもよいのだ。
立派な社会人になるためには、SF小説を数多く読まなくてはならない、と私は信じている。人類がどうなるかについて、本気で考えているひとたちの言葉に、真剣に耳を傾けなくてはならない。
ちなみに私の現状は、立派な社会人にはほど遠い。もっとSFを読まなくては。というわけで、この年末の忙しいときに、アルフレッド=ベスターの『願い星、叶い星』を読んだ。
短編集だ。
素晴らしい一文を見つけたので、書きつけておこう。

「あなたに欠けているのは安心ではありません。欠けているのは勇気です。」

SFという文学ジャンルが、人類に投げかける真理の気づきだ。
読んだ私は、平手打ちを食らった気分。




アメリカ合衆国から逃げだすひとびと(2004.12.16)

くしゃみが止まらない今日このごろ。保湿ティッシュにチンしているあいだにも、世界は動いているのであります。
新聞によりますと、ブッシュ現政権に愛想を尽かしたアメリカ市民たちのあいだで、カナダ移民希望者が激増しているそうです。
私が思うに、マイケル=ムーアのドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』を観たアメリカ人には、カナダが天国に見えたのでしょう。映画観ていて、カナダっていい国だなあって、わしも思ったもん。
銃で撃ちあわなくてもいいし、失業者にはちゃんと失業手当があるし、病気になっても病院に行けるしで、まさに夢の世界。生活手段が確保できるなら、そりゃアメリカ合衆国よりもカナダに住んでいるほうが幸せでしょうね。フーテンやるにしたって、カナダでフーテンやってるほうが幸せでしょう。
世界中から憎まれなくなるしな。
アフリカや南米を中心に、世界中でテロ行為をしまくっているアメリカ合衆国は、いったん国力を落としてしまえば、これは世界中から袋だたきに遭うのは目に見えているわけで、そのとき国連を頼っても、さて、どうなりますやら……。
ともかく、アメリカはこれから、未曾有の経済大崩壊を経験するはずですから、沈没する船に乗っている手はありません。
と、他人事のように申しておりますが、アメリカ大崩壊より一歩だけはやく、日本が大崩壊するはずなので、のんびりもしておれません。
荷車に家財道具を積んで、さて、どこに逃げるべきか。アメリカ市民にはカナダという夢の国がすぐお隣にあるわけで、その点でも日本人は不利なのであります。
私の弟は、市民として日常を過ごしている日本国の右傾化に恐れをなして、スウェーデン亡命をたくらんでいるようです。しかし、スウェーデン亡命は、アメリカ人がカナダに移民するほど簡単ではなく、実現はなかなか難しいだろうなあと兄としては考えております。
あ、鼻がたれてきた。
新聞をさらに読み進めますと、なんと、小春日和のこの天気に、
スギ花粉
が空気中を舞っているのだそうです。
かー! 鼻水だらだら、眼がクシャクシャは、花粉症だったか〜!!
今年の冬は温かくていいね〜。……てなこと言っていられない。地球温暖化もここに極まれり、冬が来ないうちに春が来ちゃったよ!
人間の体温が42度もあったら、体に何かまずいことがおこっているのは誰の目にも明らかなわけで、12月のなかばにスギ花粉が舞い散ったら、地球全体に非常に深刻な何かが起きている証拠だ。
カナダに逃げてもスウェーデンに逃げても、この地球大崩壊からは、逃げ切れんかもな。




気がつけばこんな国(2004.12.10)

また増税だそうです。
度重なる増税のいっぽうでは、義務教育費を数千万円カットするのだともお上は申しております。とにかく財源確保なのだそうです。
定率減税廃止などとぶち上げるにいたっては、海外からいっせいに失笑がわきおこっているそうです。
「自国の経済を破壊してる不思議な内閣だね〜」
って、あちこちの国から笑われてる。
まあ、よそんちから見たら、さぞかしおかしな振る舞いなんだろうなあとは思います。
「将来、景気後退は始まっていたと判断される可能性は否定できない」

なんて言いながら、
「断固とした決意」
を持って、定率減税を廃止しようというのですからね。お上は例によって回りくどい言い方をしてますが、つまるところ、増税して景気は(おそらく)後退し、国力が弱体化するとわかっている政策を、強い意思をもって断行するぞ、と、こう申しておられるわけです。
ヨーロッパの新聞などが、
「物忘れのひどい小泉内閣も、今度ばっかりは過去の悲惨な事例を振り返り、なにがなんでも思いとどまるべきだ」
なーんて、くすくす笑いながら助言してくれている始末。
しかし、しがない、いち市民のワシらは、とてもじゃないけど笑ってなどいられないのですけどね。ちなみに、国民の負担増は3.3兆円ほど。
ほげえええ! 心が受付けないような金額だっ。
しかも、国民は絞り取られるだけ絞り取られているというのに、いつまでたっても国の大赤字はふくらばかり。……心底疑問なのですが、いったいぜんたい、わしらの収めた年貢はどこに消えて、何に使われているのでしょうか?
義務教育費を減らされて、税金はどっちゃり払って、痛みに耐える国民はどこまでもつらいなあ。構造改革してるひとたちは痛くもつらくもないんだろうけどな。
国は破産しそうなほど借金を抱えてるから、国民は辛抱、辛抱。
あなた変えるひと、わたし(たち)耐えるひと。耐えて、耐え忍んで、最後はいき「絶える」のな。
イソップ物語みたいな、から〜い含蓄にとんだストーリー展開で、お話を外から眺めている海外のひとたちは、ここしばらく日本の迷走ぶりを魚に、楽しく笑って過ごせそうですね。

☆☆☆

こんなコラムを見つけてしまいました。
http://www.liberal-shirakawa.net/idea/policestate.html

サイト管理者の白川勝彦さんについては、不勉強な私は、元衆議院議員・元自治大臣・国家公安委員長というお肩書きしか知らなかったりするのですが、このコラムの内容は恐ろしいです。
警察権力による、
人権を無視した職務質問
が、白昼堂々行われているという話。いや、マジ、怖い内容。
ただ歩いているというだけで、
「怪しいものをもっていないのならば、ズボンのポケットの中のものも見せなさい。なぜ、見せられないのですか。見せなさい。財布を出しなさい」
って、体をむりやり探られたそうです。
そんな職務質問が許されているというのが信じられない。
怪しいものを持っていなければ財布の中身を公開できるはずだ、って、人権無視も甚だしい、恐ろしい理屈ですね。
今回のお巡りさんたちは運悪く「元衆議院議員・元自治大臣・国家公安委員長」相手に、いつもの人権無視職質をしてしまったために、逆にお説教をされる羽目になったわけですが、これが私のような、歩いてるだけでうさんくさい、しかも胸を張れる肩書きなんてひとつも持ってない人間だったら、どういうことになっていたでしょうか?
数名の警官に取り囲まれ、勝手にポケットを探られるわ、財布の中身はぜんぶ見られるわ、さからったら公務執行妨害にされてしまうわ、といったところでしょうか?
道ゆくひとたちも、警察に詰問されているという時点で、私が何か悪いことをしたんだろうと思って助けてはくれないだろうし。
しかし、こうした警察の動きは、いかにもイシハラ都知事のご趣味といった塩梅でヘンに納得もしてしまう今日このごろ。
気がつかないうちに、日本はこんな国になっていたのですね。
座して死を待つばかりといのもくやしいので、いっそ、一向一揆でも起こしちゃいますか? ねえ?




トスカニーニの戦い(2004.12.6)

いわゆる大手新聞社が発行している古新聞の切り抜き作業をしたのだが、これは、命をかけた危険な作業である。
新聞は、激烈なまでに健康に悪いのだ。
不愉快な見出しのオンパレード。
なんじゃ、こりゃああああ!
「平和ぼけ」
「安保ただ乗り」
「血を流す国際貢献」
ああ〜、目がつぶれる〜!
見出しだけで、血圧が異常に上がって極めて危険な状態(笑)。記事をつぶさに読んだりすれば、吐き気と頭痛でアスピリンのお世話にならないと正気が保てない。
だいだい、新聞は非難するように言ってるけれど、「平和ぼけ」って、ごっつ、いいじゃないか。
何が気に入らないんだ。
朝ご飯の、みそ汁の匂いで目が覚める。目玉焼きの匂いもしたりしてな。子どもたちの笑い声。窓の結露に指で文字を描く。「歯を磨きなさ〜い」とお母さんor妻が言う。爆弾を恐れて防空壕に隠れなくてもいいし、子どもたちはけっして地雷を踏んだりしない。びくびく暮らさなくていいんだ。びくびく暮らしたり、他国の兵士を憎悪したりする生き方をまったく知らずに、おぎゃーと産まれて、死ぬまでそのまま平和にどっぷりつかって生きるんだよ。
平和でいいのだ! 問題、なっしんぐ。
この平和が、明日も、あさっても、しあさっても続けばいいじゃないか。
ナニ? 与えられた平和? 嘘こけって。この平和を手に入れるために、先人たちが、どれだけ頑張ってきたと思ってるんだ。
先人たちが頑張ってきたのは、平和の問題だけじゃないよ。
集会の自由だって、婦人参政権だって、8時間労働制だってそうだ。与えられたものなんてひとつもない。
「血を流す国際貢献」って、なんじゃらほい。なにゆえそうまでして血を流したいんだ、キミたちは? 国連に背いてまで、血を流したがるのはなぜに? 血なんて流れんほうがいいにきまってるだろ、どうかしてるよ。
「♪きみは ゆく〜の〜か〜♪ そんな〜に して〜まで〜♪」
だのに、なぜ?って、誰か小泉さんに聞いてあげてください。
「血を流さない国際貢献」こそが本当の国際貢献じゃ、正義の裁きを受けよ!

血圧を下げるために、話はぜんぜん変わって、クラッシック音楽の話。
私が中学生のころは、ベートーベンの交響曲のレコードはカラヤンの指揮で決まり!と言われていた。
少なくとも、私の周りではそういう風潮だった。
ところが、最近はどういうわけか、世間のカラヤン版ベートーベンの評判は極めて低くいようだ。今では、ベートーベンの交響曲を聴くならフルトヴェングラーで決まり!ということになっている。
ちょっと驚き。
今も昔もレコードの録音は変わらないのに、この評判の違いはなんなのだろう? それとも、当時の私が、世間の評判というものをちゃんと把握していなかったのだろうか?
まあ、世間の評判で聴く音楽を決めるわけじゃないので、どうでもよいといえば、どうでもよい。
かく言う私も、カラヤンはまったく聴かなくなってしまった。
彼が、ナチス党員だったという理由で、だ。
カラヤンは、戦後も、自分がナチス党員であったことについて、反省や後悔をくちにすることはなかったそうだ。そうと知れば、そういうひとの音楽を、聴くわけにはいかない。
芸術と政治は無関係だ、と私は思わない。芸術もまた、特殊なやり方での社会活動だから。悲しいことだが、政治と生活は切っても切り離せない。だから、私は、カラヤンという人が指揮棒を振った音楽を、好んで聴こうという気をなくしてしまった。

フルトヴェングラーは、カラヤンと違ってナチ党員ではなかったけれど、ナチスと正面切って戦うこともしなかったひとだ。フルトヴェングラーは、世界に名を成す有名指揮者だったから、ナチスはなんのかんのとフルトヴェングラーを宣伝に利用した。
フルトヴェングラーにまつわる面白いお話がある。
同時期にイタリア人のトスカニーニという指揮者がいたんだけれど、彼は、ムッソリーニとケンカして、ナチスドイツともケンカして、アメリカに亡命してしまった。
そのトスカニーニは、当時のドイツのファシズム国家に利用されまくっていたフルトヴェングラーに、
「おまえ、ナチに利用されているぞ! なにやってんだ! ナチと戦わんかい」
とけしかけた。
フルトヴェングラーは、
「芸術は政治に支配されない。ナチが政権を握っているからと言って、そのドイツで演奏すれば、それはナチスを意味するのか?」
と反論した。
それに対する、トスカニーニの返答がすごい。
「ドイツで演奏すれば、みんなナチなんじゃあ〜!!!」
(笑)。いやあ、さすがにそんなことはないと思うけど。
(^_^;) すげえ、啖呵。
でも、フルトヴェングラーの戦争協力に関する戦後の裁判などを見ると、善悪は別にして、トスカニーニの行き過ぎとも思える啖呵は正しかったことになるだろう。
政治に無関係でいることなど不可能なのだ、という意味において。
フルトヴェングラーはナチス党を軽べつしていたけど、軽視しすぎてもいた。
21世紀を生きる我々が、某合衆国の某大統領や、某極東国の某首相を軽べつしつつ、その軽べつがゆえに、彼らの危険行動を軽視しているのと同じように。
我々自身の軽率さによって我々がやがて受けることになるしっぺがえしは、フルトヴェングラーが受けた罰とは比較にならないだろう。
世界中を巻き込んでの大崩壊は目の前だ。




戦場からの手紙(2004.12.3)

アメリカ軍兵士たちの手紙によって構成された、マイケル=ムーアの新刊、『マイケル・ムーアへ 〜戦場から届いた107通の手紙』からの引用。

まずは、エドワード=ダルトンさん。

親愛なるミスター=ムーア
当方、第101空挺師団に所属し、11ヶ月間の勤務を終えてイラクから帰還したばかりです。
ブッシュ「大統領」に送りだされた人間としては、ぼくみたいなのがいちばん多かったはず。労働者階級で、奨学金の返済のために軍隊に入り、そこへ9・11がドカンときて、ある日目が覚めたらそこはアフガニスタン。一年後にはイラクにいて、おれたちここで何やってるんだ状態。
(中略)まだあの男に投票しようとする連中。ああ、マスコミの威力、マスコミがすり込んだ恐怖の偉大さよ。ぼくとしては、中東やそこの指導者より、自分の国のほうが恐ろしい。(後略)

日本国に住んでいる私どもも、まったく同じ恐怖を自国の政府に感じておりますよ。ハイ。

次は、マシュー=バーンズさん。

親愛なる、ミスター=ムーア。
現在、アラスカ州フェアバンクスで勤務している兵士です。特技士官で、マシュー=バーンズといいます。今この破壊的状況をぼくら兵士のせいにしないでくれてありがとう。もうぼくらの肩の荷は充分重くって、やっと、本当に責めを負うべき人間が責められるのを見てうれしい限りです。ぼくは、アメリカが必要とするならば、どこにでも行き、なんでもするつもりです。それが兵士の務めだからです。もはや政府のお偉方が正しい決断をしてくれるとは信じていません。もうこの戦争、僕らには限界なんです!(後略)

これ以上無理はやめよう。な? 戦争なんてロクなもんじゃないよ。

次は、匿名の女性兵士さん。

マイケル=ムーアさま。
(略)今度の勤務地はイラクだということです。あたしは設営隊員なので、学校を建てたり、電気や水道の設備を整えることになりそうです。あまり楽しい話しではなさそうです。だって、イラク人の手助けをしようと赴いていた設営隊員7名が、すでに命を落としているからです。あたしはまだあなたの新しい映画を観ていませんが、夫は観ないほうがいいよと言います。あれを観たら、ミスター=ジョージ=Wにますます腹が立つからです。
(中略)間違っていると思う戦争で戦うために、1歳になった娘を8ヶ月以上もほっとくなんて、楽しみにできます? イラク人はあたしたちの助けなんか要らないんです。要るのなら、あたしたちを殺そうとしたりしないはずです。(後略)

イラクに派遣された某国某自衛隊にそっくり置き換えても読める手紙だ。

最後に、ブラッド=ヘイスティングスさん。

バクダッドに駐留しているブラッドといいます。まず正直に告白すると、あなたの映画を海賊版で観ました。ごめんなさい。国に帰って、DVD化されていたら、あれほどすばらしい作品に対してあなたが当然受け取るべき15ドルをお支払いします。
ぼくはずっと共和党員でしたが、今度はブッシュには投票しません。これは確実です。父が亡くなる数カ月前に言った言葉なんですが、アメリカ国民は歴史上有数の腐った野蛮な大統領の誕生をみることになるというんです。
(中略)再志願するつもりはありません。 (いつ国に戻れるかわかりませんが)この地獄に呼び戻されないのを切に願うばかりです。ともかく、すばらしい映画をありがとう。みんながあの映画を観て、ブッシュをホワイトハウスから永遠に追い出せますように。

神さま神さま、ブッシュをホワイトハウスから“永遠に”追い出せますように……。アメリカ大統領選の結果は、みなさんご存知のとおり。……あの映画、『華氏911』、みんなちゃんと観たか〜!!!!

2004年12月3日。
イラクでの戦争はまだ続いている。




本を買う日(2004.12.2)

あるかたから図書券をいただいたので、ここぞとばかりに大量の本を購入した。
買うばかりではと思い、読んだ。泣いた。ポプラ社のマイケル=ムーア本2冊、
『マイケル・ムーアへ 〜戦場から届いた107通の手紙』

『華氏911の真実』である。
『マイケル・ムーアへ』では、アメリカ兵士たちがムーアに宛てたさまざまな本音の手紙に涙し、『華氏911の真実』では、バッシングを受けつつも良心にしたがって行動する人々の勇気にまた涙した。
もう、涙が止まらない。
特に、映画『華氏911』に感激したグループが、お金を出しあってプロペラ機をレンタル、上空にメッセージバナーを流した写真つきエピソードには泣けた。
小さなプロペラ機に、金魚の糞のようにくっついているひょろひょろと細長い吹き流しという牧歌的シーン。
彼らのメッセージは、こうだ。
「GET YOUR HEAD OUT OF THE SAND--SEE FAHRENHEIT 9/11」

「真実から目を背けないで--『華氏911』を観に行こう」
陽気で、楽天的で、かわいらしくさえある、こうした行動が、なぜか涙を誘うんだ。
愛・笑い・勇気。ムーア作品の三大メッセージに影響を受けた人々が、良心に従い、バッシングにくじけず勇気を奮い起こして、思わず笑ってしまうような、そして泣いてしまうような、かわいらしい行動を起こす。
ものすご、ええはなし。
この2冊はポプラ社さんの発行となっている。
ポプラ社さんは子どもの本で有名なので、そのポプラ社さんが政治色の強いマイケル=ムーアの著書を発行するなんてと、戸惑うかたもおられるかもしれない。
しかし、良き市民というだけでは何かがたりないように、子どもの未来を守るためには、真実から目を背けていてはだめなのだ。
そう! ムーアの愛・笑い・勇気は感染する!
読んだのはここまでだが、買った本はまだまだある。
バリー=グラスナーの『アメリカは恐怖に踊る』は、ムーア監督の『ボウリング・フォー・コロンバイン』でも紹介されていた名著だ。いま読書中。
『Macintosh Museum』はパソコン関係の本。パーソナルコンピューターを開発することによって、愛とは何か、思いやりとは何かを突き詰めようとした人々の歴史をまとめたものだ。愛の、もっとも具体的な形が、ここにある。愛に関心のあるひとには、いちもにもなく、おすすめの本だ。
荒井良二さんの絵本『そのつもり』は、絵本とおもちゃの店『KID'Sぱふ』さんの読み聞かせ講座で出会った傑作絵本。こういう絵本にはなかなか出会えない。
もちろん、漫画雑誌『月刊アフタヌーン』もしっかり購入。
『クラッシックジャーナル003』は、マーラー特集。
先日、マーラーが好きだとお友だちにうちあけましたところ、「マーラー好きな人って男のひとが多い」と言われまして、それでなぜかパニック。
(TT; )( ;TT) オロオロ
男性的と言われて、それを非難されているかのように感じてしまう私の深層心理は果たしていかなる構造なのか。
ともかく、そのときの私のマーラー評は、
「生きるとは なんなのか 教えてくれるかコックリさ〜ん!!!(by・オーケン)と叫んでいる人」
というもの。
(;^-^ゞ
恥ずかしいので、ちょっと勉強してみようと思って、購入。

☆☆☆
最後に、今日の世界の出来事。
インドネシアでは、市民が幹線道路にあふれ出し、
「イラク戦争反対」
「アメリカいい加減にせー」
と怒りだしたそうだ。
カナダ市民も怒髪天で、アメリカ大統領ブッシュ氏のカナダ訪問に大抗議行動が勃発中。
いやー、怒ってる。
アメリカの属国とまで揶揄されている国に住む、しがないいち市民の私は、胸のどきどきが止まらないのであります。




アメリカ市民個人個人の謝罪サイトを発見(2004.11.28)

先日、アメリカ大統領のブッシュ氏が、南米はチリを訪問したわけですが、彼をお出迎えしたのはなんと、「ブッシュ・ノー」のデモ隊でありました。ブッシュさん、嫌われたもんだなあ……。
「世界中で次々と戦争始めやがって、いいかげんにせー」
とか、
「ひとごろしー!」
とか書かれたプラカード持って写真に写っているデモ隊の皆さまは、なぜかにこにこと陽気で、さすが南米であります。
しかし、にこにこ陽気なチリのひとたちでも、アメリカ合衆国大統領なんぞに自国の土地を踏みしめてもらいたくはないんでしょうね。
チリの国民にしてみれば、忘れようったって忘れられない、暗い過去もありますから。
1970年に生まれたアジェンデ政権によって、ようやく民主化の道を歩みだした矢先の1973年、CIAがしくんだクーデターによって政権転覆。その後はピノチェト独裁恐怖政治の
暗殺・拷問・誘拐・
公共事業の
民営化政策による経済崩壊(我が国は今まさに体験ちゅうですね)
などを味わってきたチリ国民にしては、アメリカ合衆国と聞いただけで、デフォルト表情の笑顔もさすがに曇ってしまうのでしょう。
むしろ、このようなつらい過去をくぐり抜けてもなお、笑顔を失っていないのがすごい。
ともかく、彼らは、断固として「ブッシュ、やだ」らしいです。
ごもっともです。
万事こんな調子で、今や世界中の憎まれ者&嫌われ者になりさがったアメリカ合衆国ですが、今日、こういうサイトを見つけました。Sorry Everybody
英語で書かれたサイトです。
タイトルを日本語読みすると『みんな、ごめんよ〜』です。英語はさっぱりですが、これくらいの英語は何とか読めます(間違ってたらどうしよう)。
本文になるとホジャホジャと読めない単語だらけで、自信がないのですが、どうやら、アメリカ合衆国在住の心ある市民の皆さまが、世界のひとびとに
「わしらの政府が、皆さまの国でご迷惑をおかけしてます〜! ごめんなさい〜!」

「わしら有権者は、先の大統領選挙で、あろうことか、ブッシュ氏を再選させてしまいました〜!! ごめんなさあい!」
と謝っているサイトのようです。
アメリカ人はテコでも謝らん、と聞いたことがあるんですが、ちゃんと謝れるひとたちもいるんですね。ブッシュ氏みたいなひとたちばかりではないと。当然といえば当然ですが。
たくさんの若いひとたちが、ごめんなさい、ごめんなさいって、一生懸命に謝っています。
若い男の子が「SO SO SORRY!!」と書かれた紙を持って、写真に写っています。
ノートに地球の絵を描いて「SORRY WORLD」とメッセージしている男の子もいます。
小さな女の子が、釘文字で「My MOMMy AND dADDy VoteD KERRy(私のママとパパはケリーに投票したの)」と書いてます。この子は、力及ばずブッシュが再選してしまいました、ごめんなさい、って言っているのですね。
すみません! 申し訳ございません! という気持ちがひしひしと伝わってきます。
人類史上もっとも危険な存在である現アメリカ合衆国にも、個人個人を見てみると、常識をふまえた、立派な市民がたくさんいるんですよね。
なのに、謝罪大国日本がここでゴメンのひとつも言えないようでは、大和魂の名折れ、先人に申し訳がたちません。
いやもう、世界のひとたち、日本のことすんごい怒ってますもん。
プチアメリカ、日本。
アメリカの威を借る日本。
世界からバナナ野郎と揶揄される日本(黄色いくせして中身は白人気取り、の意味だそうです)。
国際援助と言いながら発展途上国に乗り込み、住民を立ち退かせて住宅破壊、そこに大企業の工場を建てては現地のひとたちをタダ同然で働かせる日本。
アメリカほどじゃないけど、憎まれている日本。
アメリカほどじゃないけど、嫌われている日本。
アメリカほどじゃないけど、アメリカと同類と思われている日本。
おお。
おー! おー! おー!
いま、漫画『フルーツ・バスケット』に登場する謝罪キャラクター、利津ちゃんの生き霊が私に降りてきました。
……いきます。
「ごめんなさい〜!
世界の皆さま、ごめんなさい〜!
特にイラクの皆さま、ごめんなさい〜!
多大なご迷惑をおかけしながら、復興援助などと恥知らずなことを申してごめんなさい〜!
ご〜め〜ん〜な〜さ〜い〜」
さあ、日本国の心ある市民を代表して、皆さんもご一緒に!
声を合わせて、いきますよ。
さん、し。
「世界の皆さま、わしらが悪うございます。ご〜め〜ん〜な〜さ〜い〜」
ごめんで済むなら、警察いらんのじゃ! って言われるかな。
謝るだけじゃいけないだよね、ほんとは。
より良い生き方を、はじめなくちゃ。

*『Sorry Everybody』に、日本女性からのごめんなさいもありました。このページ
「I'm so sooo sorry from Japan too You don't have to Sorry 日本からもごめんなさい」
だそうです。
いやもう、世界の皆さま、ごめんなさい。




マイケル=ムーア特報(2004.11.26)

特報〜!!
レイバーフェスタという労働者のお祭りがあるんだけど、そこで、
マイケル=ムーア監督の初期映画作品が上映
されるとの情報を得た。
ワオウ!
もう1回言うよ。注目〜!
マイケル=ムーア監督の映画作品が、東京と大阪で上映される。
東京は12月4日。
大阪は12月5日だ。
東京と大阪で上映する映画が違っている模様。東京は『ロジャー&ミー』、大阪は『ザ・ビッグ・ワン』だそうだ。

東京と大阪それぞれの、フェスタの告知サイトをみつけたので、はっておきます。
まずは東京。ここ

http://www.labornetjp.org/festa/tokyofesta

大阪はここ。

http://www.labornetjp.org/festa/osaka

ワシみたいにムーア監督の大ファンで、何が何でも観るんじゃあ、チケット手に入れる方法を教えんかー、というむきには、連絡先を。

■主催:レイバーフェスタ実行委員会
実行委員長 伊藤彰信(レイバーネット日本代表)
〒173-0036 東京都板橋区向原2-22-17-403
電話03-3530-8590/FAX03-3530-8578

当日は、ムーアの映画ほか、さまざまな労働者のためのプログラムが用意されているそうだ。
前売りを買うと1000円、当日券でも1200円の格安。
失業者は割引料金1000円の記述も泣かせる。




エクアドルでパソコン強奪事件があったわけですが(2004.11.25)

外崎氏のサイト『N.TONOSAKI's Personal Station』のコラム『がんばれゲイツ君!!』で、エクアドルでのパソコン強奪事件の続報が報告されてました。
該当コラムはこちら
仕事に必要なすべてのデーターが入った、いっさいがっさいのパソコンを奪われた会社は、大損害を出したとか。
悪いことするやつもいるもんですね。
誰じゃ、犯人は?
犯行はマイク○ソフト社
でした。
ゲヒー!!
いえいえ、私のタイピングミスではありません、マイク○ソフト社“が”加害者です。
いや、私だって最初は信じられませんでしたよ。でも、本当でした。
マイク○ソフト社が武装警備団をやとって、ノンライセンスのOSを使用している業者の事務所に突如押し入り、そこにあった全パソコンを押収してしまったというのが事件の全貌のようです。
……。さすがに、ぞっとせずにはおれません。
仮に、押し入られた会社が違法コピーのOSを使っていたのが事実だったとしても、法の手続きもなにもなく没収では、もはや企業体力にものを言わせた制裁ですよ。
いち民間企業が正義を振りかざして、よその会社の事務所やら家庭やらに押し入り、あれやこれやを押収するようなことが許されるとは……。
スティーブン=キングの『図書館警察』の世界ですな、すでに。
正直、私は、マイク○ソフト社の諸製品の使用感が大嫌いだし、
セキュリティー面が激烈に弱い
という部分も気になって、これまでもなるたけ近寄らずに生きてきたわけですが、ことはそんな生易しい次元ではなかったのだと、今さらながらに驚愕いたしました。
これは、我が身の
安全保障の問題
であります。
「おまえが使ってるウチの製品、ユーザー登録しとるんかー!!」
とか叫びながら、MS防衛隊が私の部屋に押し入ってきたら。
こわいよー。
いやもう、夢に出てくるんですよ、MS防衛隊が。『デビルマン』の悪魔特捜隊のようなヘルメットかぶって、私を取り囲むんですよ。
「ユーザー登録しとるんかー!! ユーザー登録しとるんかー!! しとるんかー!! るんかるんかるんかー!!」
どひぃ〜!
( iдi )ビックブラザー、こわい
うちの弟などは、『がんばれゲイツ君!!』の該当コラムを読み終わるや否や、自分のMacからMS製品を完全排除!
決断、はやい!
違法コピーソフトなんてMS製品に限らずひとつも使ってないけど、どんな難癖をつけられるかわかったもんじゃないからね。
なにごとも、命あっての物種だからな。



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