*最後のマフマルバフ*(2009.5.8)
誰かが何とかしてくれるなどと思えなかっただろう。そんな世の中だったとしたら、どうして今まで自分にはそれが訪れなかったのか、説明できないからだ。つまり、誰も何もしてくれない世の中なのだ……そう結論づけているように見えた。その結果が「自分は今のままでいいんスよ」という言葉である。典型的な自分自身からの排除だった」
〜湯浅誠『反貧困』 〜
「彼女がわたしにむかってしたことといえば、こちらがつんぼになるほど、この手の出世物語を聞かせることだけだった。このすばらしい新世界で出世したと彼女が思っている人々とは、つまり強制労働や破壊や殺人の術にたけた者ばかりだった。わたしはそのような分野で働くことが出世したことになるとは思わない」
〜カート=ヴォネガット『母なる夜』 〜
連休期間中に
マフマルバフ家最後の監督(笑)
であるハナ=マフマルバフ監督作品、『子どもの情景』を鑑賞してきた。
マフマルバフ一家が制作したものに限らず、イランの映画監督たちは、クリエイティヴィティというものの実体について、かなり自覚的だ。
ここで言うクリエイティヴィティとは、評判の取れる映画を作る側にとってのクリエイティヴィティではなく、映画を観る側の頭の中でわき上がる、大きくて決定的な悟性のひらめきのことだ。
目に見えない大きな変化。
これだからイラン映画は危険なのだ。
あなたは生きて帰ってこれないかもしれないぃ〜。
(^_^;)
映画を観ている、もしくは見終わった後、その内容についてあれやこれやと自問し、自問することで内省的になっている観客の頭の中で起きていること。
とてつもない創造性の引きだし方、その発揮のされ方というもののノウハウを、きっちりと理解している。
19歳という若さで。
こういうのを文化的伝統というんだなあと。
(^_^;)
この映画の原題は、『ブッタは恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』となっている。
、『ブッタは恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』というようなタイトルでは、日本の観客は映画館まで足を運ぶまい。だから、邦題は『子どもの情景』に変更された。
しかし、『子どもの情景』という邦題では、ラストシーンの意味がとおりずらい。
分かるものしか分かろうとしない、口当たりのよいものしか口にしない人びとを相手にした映画ではもともとないのだから、原題を押し通したほうがよかったのではないか。
『ブッタは恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』というタイトルをふまえて、あのラストシーンを自分の内面に問い直したとき、静かな戦慄が走り、私の心の一部は物語世界のなかを今も彷徨い続け、抜け出せなくなる。
イラン映画、おそるべし。
「映画を作ることはそこに世界を作ることですから」
世界を変えることができると本気で信じてる!
*清志郎*(2009.5.5)
「人間は、同意するも拒否するもおのれの自由であることを知っている。そして何よりもこの自由の意識の中にこそ、人間の魂の霊性は顕れているのだ」
〜ルソー〜
「皆さんはバクーニンの写真を見たことがおありかな? 巨漢で、丸い頭に小さな灰色の帽子をかぶっている。もじゃもじゃのあご髭を生やし表情は凶暴だ。歯はまるでなかった---監獄の食事のせいで壊血病にかかったのだ。この世の生き物には見えなかった。想像の世界に生きているように見えた。金には無頓着だった。金を持っていれば人にやってしまった。金がないときは、返す当てもなく借りまくった。家というものを持たなかった。というか、全世界が彼の家だった」
〜ハワード=ジン『ソーホーのマルクス』〜
「無実の人間を監禁しないと存続できないようなら、そんな体制はこわれてしまえばいい」
〜フィリップ・K・ディック『少数報告』〜
忌野清志郎さんがお亡くなりになりました。
『LOVE ME TENDER』
『総理大臣』
『あこがれの北朝鮮』
--☆---
『デモクラシー・ナウ』から
「反アパ
ルトヘイトの詩人ブレイテンバッハ」インタビュー。
=======================
反アパルトヘイト闘争の勝利が、どのようにしてその後の「失敗」を許してしまったのか?
解放後の課題は、人種間の和解に基づく新たな国民国家の形成という第一段階を経て、抜本的な政治権力と経済体制の変革(社会主義革命)という第二段階に移るはずでしたが、現実には解放運動の中核を担った少数の人々が権力を握り、南アフリカに引き続き有利な投資を続けたい多国籍企業や欧米政府とのあいだに「取締役会」になぞらえられる親密な関係を築いて、彼らの利益にかなった政策を進めるようになっています。過酷な解放運動の中で政治的な姿勢を鍛え上げてきたはずの彼らが、なぜこのようなわなにはまってしまうのか、ブレイテンバッハは問い続けています。
=======================
そう。まったくそう。
これまでのどのような革命も、結局は資本主義が裏で糸を引くことになる。
そして、内部から腐敗して崩れさる、と。
みなして、ようよう考えないといかん問題だ。
というわけで、最後に『イマジン』聴いて下さい。
*猿の頭が割れる*(2009.5.2)
「「この海の向こうでは、人びとが喧嘩をして殺し合いをしているのよ」母は海の向こうに漠然と手を向けながらそう言った。私は目をこらしてそちらを見た。
「うん、知ってる。ぼく、見えるよ」と私は答えた。
「いいえ、見えないわ」母はきっぱりとそう言った。「遠すぎるもの」そして台所に戻って行った(略)
誰かの言うことが単なる想像かどうかなど、どうやったらわかるだろう。その晩私は、手を洗って夕食にしなさいと呼ばれるまで、灰色の海のかなたを見つめ続けていた」」
〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』〜
「これは最終戦争でもなければ、戦争をなくすための戦争でもなかった。彼らはこれを〈アメリカの夢〉を守る戦争と読んだ。カーペンター将軍がこの音調を見つけ、ことあるごとにかき鳴らした」
〜アルフレッド=ベスター『消失トリック』〜
お釈迦様の手のひらの上をくるくると飛んでいたのは文学史に名を残すほどに頭の悪い猿だったけれど、結局、わしらも、大きな手のひらの上でくるくる回っているだけだったという。
お釈迦様ならぬ、財界の手の上で。
「なんじ、おのれの選択の自由を信じよ!」
「コイズミ・チルドレン」がだめだったから今度は「ハシモト・チルドレン」て、看板すげ替えただけで、中味がいっしょ。同じことをくるくると。
で、あの猿はどうなったか。
頭をしめつけるわっかをはめられて、背中に山ひとつしょいこんだのだった。
無限地獄ほどたちの悪いものはないわな。
しかし、自分たちが誰かの手のひらの上でくるくる回っているという事実を意識できなければ、何にも変わらない。
……変える必要なんてあるの? という向きもあるだろう。
「いや、変えなくてもいいんじゃない?」
(^_^;)
山ひとつしょいこんで、それが自己責任だと言うなら、それもよかろう。
--☆---
南京虐殺事件を描いて「愛国日本人」の怒りを買い、日本の兵隊が戦争に巻き込まれるなかなんとか人間性を取り戻そうとする姿を描いて「愛国中国人」の怒りを買った映画、
映画『南京 南京』予告編。
これ、日本で上映すると思う? 監督は日本人にこそ観てもらいたいといっているらしいけど、
かなり厳しいだろうなあ。
あちら側の視線でこちら側を眺め直してみるということができない、というかやる気がないので、自分たちの内側ではいつでも気持ち良くいられる、という姿勢が病みつきになってしまっているからなあ。
“いつも”美しい日本の伝統。の一例。
ぴぎゃあ!
なんだよこりゃ。
『タクシードライバー』のトラヴィスにデジャブ!
わし、ほんっきで思うんだけど、このシーン、日本の現状と不気味なくらい重なるよな。
孤独で、ひとりよがりで、“正しく”て、何かがくすぶっていて、鏡に向かって銃を抜く練習をする!
おまえはもう死んだ!とか言って。
今度ソマリアまで出っ張って海賊どもを退治してきます。
……とんでもない悲劇が起きるぞ。
きっと。
おじゃぞぞ〜。
*歌おう感電するほどの喜びを*(2009.4.29)
「歌は砂漠を越え、白い峰々を越え、いくつもの海を越えてひとつに結ばれている。これらの経路を発見し研究することは、どんなに重要なことだろう! 単に学問上の問題だけではなく、諸民族の友愛にどれほど役だつことか!歌を通して遠い民族との絆が証明されれば、人々は戦いにとりつかれた心を取り戻すだろう」
〜ひのまどか『バルトーク』〜
「歌に関して言えば、私たちはみんな死ぬまで学生なのよ」
〜マリア=カラス〜
「未来という無限の王国に向けて、できるだけ遠く槍を投げろ」
〜フランツ=リスト〜
『ねこねこ』さんのところで知ったのだが、トスカニーニって、今では忘れられた存在になっているって、本当なんですかね?
『僕の好きな指揮者トスカニーニ「スケーターズ・ワルツ」「Beethoven:
The 9 Symphonies」。ナチスに運命を狂わされた指揮者』
ショックだよ。
私は音楽の素人だから、勝手な感想を感じたままに書き連ねることしかできないが、トスカニーニが指揮する音楽は、歌がある。
音楽なんだから歌があるのは当たり前じゃないかと言われればそうなのだが、
音楽が音楽し始める、というのは、当たり前どころか、ものすごいことだ。
物は試しに、聴いてみて。
第二次世界大戦のどんづまり1944年。
うわあ!
おまけ。
47歳。スーザン=ボイルさん。
「歌は心!」動画アドレス。
http://www.youtube.com/watch?v=1t8m7CkpIK0
どこまでやらせなのかは知らないけれども、自然と涙が出た。
人間は素晴らしい。
*左利きのすっぽんぽん祝辞*(2009.4.27)
「デューイいわく、生産の「究極的目標」とは、商品の生産ではなく「平等な関係でお互いが結びつきあう自由な人間」の生産であるという信念である。ラッセルいわく、教育の目標とは、自由と「個人の創造性」が開花し、働く人びとが生産の道具ではなく、自分の人生の主人公になるような「自由なコミュニティの賢明な市民」の創造を促すために「支配以外の価値観を与える」ことである」
〜『チョムスキーの「アナキズム論」』〜
「いやだ。おれは民衆を信じている。おれは虎になり果てるまでは、民衆の一員だった」
〜アルフレッド=ベスター『虎よ、虎よ!』〜
「ここは男性の世界です。ですから世界は男性の言葉を話すのです。言葉はすべて権力の言葉です。みなさんもずいぶん頑張りましたね。でも道のりはまだまだ遠いのです。自分の魂を売ったところでゴールに到達することはできません。なぜなら、そこにあるのは彼らの世界であって、みなさんの世界ではないのですから」
〜アーシュラ=K=ル=グウィン『左ききの卒業式祝辞』〜
スイスのジュネーブで20日から開催された『国連 世界人種差別撤廃会議 再検討会議』は、不参加国が続出。
アメリカ、イスラエル、オーストラリア、ドイツ、イタリア、オランダ、ニュージーランド、その他もろもろ。
国連事務総長が、「深く失望した」と嘆く以前に、
こいつら、人種差別撤廃会議に出席する気すらありゃしねえのな。
度肝をぬかれました。
だって、出席すらしないんだぜ? 曲がりなりにも国民の代表を気取る連中が! 国民は国民でも、勝ち組を気取るあの連中『所有せざる人々』の描くところのプロバダリアンの代表なんだろうな。まったく。
……こいつはクールだ!と言えとでも?
しかし、クールさという点で言えば、
すっぽんぽんで官憲と鋭く対立した某クサなぎ氏のほうが、何倍もクールだったけど!
さらに付け加えて、総務大臣から最低人間呼ばわりされるにいたって、さらにクール!
目からうろこ、全世界の革命家は、脱帽して注目せよ!だよ。
(^_^;)
キリストからマルクスまで、この世の革命家はみんなフーテンだったわけだが、彼はすっぽんぽんだったんだかんね!
というわけで、いきなりですが、『コリアン・ザ・サード』さん、転身して復活のニュース。
復活までのいきさつ。
自己紹介。
私の口から申し上げることはこれ以上は何もございません。
すべての人間は平等だっ! 『ミルク』予告編。
おまけ。
『村野瀬玲奈の秘書課広報室』さんから、国民の代表であることを自ら否定する某国与党議員たちのお話。
もう落ちるところまで落ちたよな。
*はだしのデビルマン*(2009.4.25)
「非国民め 非国民め」
〜中沢啓治『はだしのゲン』〜
「E=D=コープは血が混ざりあうことが天国への道を妨げるであろうと心配し、黒人はみなアフリカへ帰るよう次のように主張した「毎年、受け入れ、吸収するように求められるヨーロッパの貧農という重荷を、すでに我々は背負っているではないか。我々の活気あふれる有機体のこの中心に、800万もの生命をもたない物質を背負い込んで、我々自身の人種が安全といえるほど十分高い水準にあるのだろうか」
〜スティーヴィン=J=グールド『人間の測りまちがい』〜
「強者の言い分は正しく、弱者の主張は誤っている。いかなる敗北も当然の結果であり、ひとえに劣った主体の自ら招いた弱さのせいにされる。ネオリベラリズムの根本原理---利潤最大化、無制限かつ無規制の競争、商品交換の普遍化、土着文化の根絶---」
〜ジャン=ジグレール『私物化される世界』〜
『dr.stoneflyの戯れ言』さんより
「犯罪外国人を追い出せデモをした清潔な市民たちの図」
===================
実際には権力ピラミッドの頂点に近づくにつれこの「法治国家であるための正しさ」は放置されるのだが、底辺あたりでは厳しく実行される。それでもニポンは放置国家、あいや法治国家。
そんななか埼玉県蕨市で、デモが行なわれたと聞く。
「犯罪外国人・犯罪助長メディアを許さない国民大行進 in 蕨」というデモである。デモ行為は法律で認められている。さらに憲法で表現、集会の自由も認められている。だから「法律にとって正しい」デモだな。このデモを取材した
薔薇さん紹介の志葉玲さんによると、「法律にとっての正しさ」によって日本に一人残されたのりこさんの中学校近くにきて
>「ここがA子の通う中学校です〜」「犯罪外国人を許すな〜」と大音響で、気勢を上げていました。
<
と報告されている。
また、同薔薇さんの紹介の日刊リベラによると
>「犯罪フィリピン人カルデロン一家を日本から叩き出せ!」と一家を名指ししたシュプレヒコールをあげながらデモ行進
<
と報道されたとある。
===================
げげえ!
「犯罪フィリピン人カルデロン一家を日本からたたき出せ!」って、『デビルマン』をドキュメンタリー映画化できるな!
女子中学生を100人がかりでリンチ状態。
血も涙もない階級序列の伝統があり、民族の血は不遜なまでに高潔、地域共同体の結びつきは美的に完成された監視社会、ありったけの傲慢さゆえに、自らの主張のキモである排外思想を意識すらできない日本という国での小さな出来事。
『とむ丸の夢』さんから、『「日本からたたき出せ!」のおぞましさ』
(T△T)
『はだしのゲン』の町内会長が再び跋扈し始めたこの国。
「清潔な地域作り」に精を出して、あいつもこいつも日本から叩きだせ。しかし「非国民」は明日の我が身なのだった。
なんだって〜!
国家と自分自身を同一視したために、社会全体に深刻な欺瞞と腐敗がもたらされて……。
挙句の果てに国際的視野というものを完全に見失った日本の現状、を金沢市出身で今は台湾在住のむじなさんがしこたま批判しております。
日本の未来は、実に暗い。
*スローターハウス交点*(2009.4.22)
「宇宙はどこから来たのだろうか。ある日時間が逆向きに流れだし、結果が原因に先立ったりしないだろうか。人類が知りうることは、いつか限界に突き当たることがあるだろうか……。私の出会った子どもたちのなかには、こんなことを知りたがる子もいた。ブラックホールはどんなふうに見えるの? 物質をどんどん小さく割っていったら最後はどうなるの? 過去は思い出せるのにどうして未来は思い出せないの? どうして宇宙はあるの?」
〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』 〜
「最近は、きみらの書くものしか読まない。きみらだけだよ、いま現実にどんなものすごい変化が起こっているかを語ってくれるのは。きみらのようなキじるしでなくては、人生は宇宙の旅、それも短い旅じゃなく、何十億年もつづく旅だ、なんてことはわからない。きみらのように度胸のいい連中でなければ、未来をほんとうに気にかけたり、機械が人間をどう変えるか、戦争が人間をどう変えるか、大都市が人間をどう変えるか、でっかく単純な思想が人間をどう変えるか、とてつもない誤解や失敗や事故や災害が人間をどう変えるか、なんてことに注目したりはしない」
〜カート=ヴォネガット
『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』 〜
私は、
小中学校の教科にSFを加えるべきだと半ば本気で考えるような人間
で、私が本気になって主張すればするほど、誰も本気にしない。
(^_^;)
なぜだろう?
一冊のSF小説とは、架空の未来と現在との間に引いた一本の線だ。
読書のための時間を割くに足るSF小説は無数にある(クズも多い)から、架空の未来と現在との間に引かれた線もまた、無数にある。
一冊のSF小説を手に取り、架空の未来と現在との間に引かれた線の上を、読書という行為を通して、探索する。そこに展開される、架空の未来へ踏み出す。五年後の近未来の世界もあれば、百万光年の旅になるかもしれない。ロボットかもしれないし、宇宙人かもしれないし、恐竜かもしれないし、タイムマシンかもしれない。なんにせよ、それは、現在と一本の線でつながっている限り、「今」を理解するためのかなり強力な手段になりうる。
私はどこから来て、どこへ向かっているのか。その問いを問い掛ける私は、いつも「今」という場所にいる。
「今」を問いかけること。「現実」に対応していくこと。それがSFだ。
マジそうなんだって!
※現実と虚構未来の交点。『デモクラシー ナウ』から
『「貧者の銀行」のムハマド・ユヌス、ソーシャルビジネスと資本主義の未来を語る』
……これがどういうことかわかるかね?未来少年。
SFといっても、グレッグ=イーガンやテッド=チャンに手を出す必要なんてないし、サイバーパンクなんて意味すら知らなくても、義務教育の範囲では、それでじゅうぶんと思う。
『ドラえもん』やブラッドべリを入門として、子供のうちから、SFに触れておく。その程度でいい。テストも必要ないし、作文なんて、書かなくてもいい。
P=K=ディックやスタニスワフ=レムなどとは言わない。
子どもたちにSFを知ってもらいたい。
ちょぴっと魂の叫び。
(;^-^ゞ
このような日々に忸怩たる思いが積み重なっていたためか、本マニアの女の子たちの漫画『今日の早川さん』の主人公、SFマニアの早川量子さんの物語に、はまってしまった。
はまる、というか、腹が立つくらい共感してしまう(腹を立てんでもいいに)。
腹を立てるかどうかは別にして、書店で平積みになっているテッド=チャンの『あなたの人生の物語』を手に取ったカップルの片割れが
「あなたの人生の物語だってさー。素敵なタイトルだよねー」
などと発言するのを小耳に聞き及び、
それ、精神世界でも自己啓発でもチャネリングでもなくて、SFだぞ、わかってんの?
とひとり舌打ちした経験、私にもあります。
(^_^;)
==================
グレッグ=イーガンはおろかテッド=チャンですらその名が一般に浸透し始めたため、他者とのいっそうの差別化をはかり、マニアックな作家名で埋めようとサイトの更新作業始めることに。しかし国書刊行会のせいでディッシュやディレイニーですら若いSFマニアに読まれる昨今、バラードやレムの名を出すだけで悦に入ることのできた時代はすでに終わっているのです。
だからって今さら御三家(アシモフ、クラーク、ハインライン)なんて初心者みたいだし、ディックやオールディスはスピルバーグなんかにいじられているし、スタージョンは奇想コレクションのせいでミーハー化しちゃったし、シマック好きというと田舎者と思われそうだし、サイバーパンクは個人的にキライだし……と悩んでいるうちに夜は更けてゆくのでした。これがSF者の典型的なパラノイア。そんなところ誰も気にしちゃいないのに。
==================
とかなんとか。
ディープだなあ。(^_^;)
シオドア=スタージョンがミーハー化するほど読まれている、などと複雑な表情を浮かべる漫画の主人公という存在に出会えるとは、本当に幸せなことです。
おまけSF情報。
カート=ヴォネガット原作『スローターハウス5』のDVDが発売になるみたい。ジョージ=ロイ=ヒル監督、音楽はグレン=グールド。
YouTubeで見つけた、SF『スローターハウス5』予告編。
時空を超えて、若者たちはいつだってヴォネガットが大好きだ。
YouTubeには、若い子たちの手作り『スローターハウス5』予告編がいっぱい。
(^_^;)
こんなんとか。
こんなんとか。
みんな、楽しそうに作ってるね。
SF万歳。
*驚愕の佐藤秀峰*(2009.4.19)
「本当の暴露行為とは、物事を説明するのに既存のものとは別のモデルがあるのではないかとさがすことから行われるものであって、ニヒリズムを行使することではない。別の説明モデルとは合理性そのものであり、道徳的な品位とかたく結びついている」
〜マイクル=シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』〜
「だいたいね、何か発明が生まれたとき、その発明は、資金やツール、環境を提供した人のものだと考えられることが多いんだ。もし君が若い発明家で、世界を変えたいと望んでいるなら、企業なんてところにいちゃダメだ」」
〜スティーヴ=ウォズニアック『アップルを創った怪物』〜
「あたしはいつも、そんな物語に怒ってる。片っ端から消化されて、1年やそこらで忘れられてく……使い捨ての快楽でもさ」
〜『とらいあんぐるハート2』〜
「マスコミの取材には応じるな……さもなくば永大にいられなくしてやるぞ」
〜佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』〜
驚!愕! の二文字。
ザ・ボーン・反逆者、もしくは、
アニメ『一休さん』に出てくる“どちて坊や”の生まれ変わり
漫画家の佐藤秀峰センセが、またとんでもないことを言いはじめちゃった。
『Macお宝鑑定団』のMacニュースリンク経由で、知ったのだが、
『「出版社に頼らない漫画制作を」――「新ブラックジャックによろしく」作者自らWeb配信』
いや、もちろん、今どき「漫画をウエッブ配信」などと言われても「ああ、そうですか、それがなにか?」と珍しくもなんともないわけだが、その内容がすごかった。
佐藤秀峰センセのサイトのトップページをまずご紹介しよう。
『佐藤秀峰
on Web』
(フラッシュでできてるんだが、これがやたらに重いので、しばししんぼう)。
……。
表示しましたか? そしたら、まず、〈プロフィール〉をクリックしてみよう。
(注意:フルスクリーンモードで漫画がはじまるよ。終了したいときは、エスケープキー〈Esc〉を押したら、元に戻るからね)
「ぎゃあああ! 佐藤さん、こんなこと描いて、あなた、これから漫画家続けていけるんですか!」
その反逆魂に敬服するわ。
(。;_;。) ガンバレッ
業界では当然のことながら猛反発が起こっている模様。
同業者からこのようなことも言われて。
『いい加減にしろ佐藤秀峰』
しかし、佐藤秀峰センセは、漫画家が儲かるとか儲からないとか、そういう話をしたいわけじゃない(そりゃお金も重要だけどな)、勝手に弁護するけど。
このプロフィール漫画のポイントをひと言に要約すると、マイケル=シャーマーの言う「道徳的な品位」というような言葉になるはずだ。
ま、それはおいておいて。
日々の暮しの中から、問題を掘り起こさずにはおれない性分、「どちて、どちて?」と問いかけずにはおれない気質、いち読者として、まずはそれをたたえたい!
ブラボー!
そして、日々の暮しの中からたえず問題を掘り起こし、それを社会全体で議論していていくことが民主主義なのだとしたら、民主主義万歳。漫画万歳。
しかし、労多くて幸少ないというか、全方位的に反発する性質の佐藤センセは、実に大変だろうなあ。悪食でいやらしいくせに、根が真面目で、まっすぐだから、どうしても大変になってしまうんではないだろうか。
おまけ。
『いい加減にしろ佐藤秀峰』と訴える漫画家さんに素朴な疑問。
「450pなんかスタッフ6人もいらねえんだ。人減らせ」
とか
「要するに、佐藤秀峰先生の雇ってるアシスタントさんはですね、一ヶ月に十日働いてません!」
とか、正直、何様かと。
仕事なんて、親方の目を盗んで、だらだらやらかすくらいでちょうどいいんだよ。
(;^-^ゞ
それが資本主義☆搾取社会の正しい労働者の姿です、いや、これ、かなり深い話。
真面目に働いても病気になったり、失敗したり、需要がなくなったり、工場が海外に進出したり、上司に嫌われたりしたとたん自己責任でぽいなんて、やってられるかって! なめんなよ? こちとら、生身なんだ。
「色んな人に育てて貰って今があるんだよ。天狗になってるとロクなことねえぞ。
バトン貰った人は、ちゃんと次に回す義務がある。
ワガママばっか言ってンじゃねえよ。
金が欲しいならもっともっと働け。寝っ転がって飯が食いたいなら株屋にでもなれ。そっちもギャンブルだけどな。
雑誌で書くのはブラよろが最後?結構結構。吐いた唾飲むんじゃねえぞ」
……脅し?
(^_^;)
どういうたぐいのクリエイターなのか、よくわかる文面ですね、と。
体を張った問題提起を「ワガママばっか言ってンじゃねえ」と切り捨てたり、「金が欲しいならもっと働け」と他人に言う、その醜悪さ。
*「ひったくり注意」の背信*(2009.4.17)
「ある意味ではわれわれは穴居人だ――恐ろしいものと言えば、幽霊や吸血鬼しか思い浮かばんのだ。ところが因果関係の原則がくずれるほうがはるかに恐ろしいのだ。幽霊を全部束にし……怪物を全部集めたよりもだ」
〜A&B=ストルガツキー『ストーカー』〜
「背信は、信仰のうちにあるわけでも、不信仰のうちにあるわけでもない。それは、信じてもいないものを信じていると言明することにあるのだ。それが道徳に及ぼす悪影響は計り知れない。というのも、頭のなかで嘘をつく習慣が社会のなかに生まれるからである。信じてもいないものに対して、専門家として信じているなどと公言するまでに腐敗し、心の貞操を売り渡してしまうならば、人はすぐにも他のあらゆる罪を犯すようになるだろう」
〜トマス=ペイン『理性の時代』〜
「ベイリーはのちにこう書いている。
「その身分に甘んじる奴隷を作るためには思慮のない奴隷を作らなければならない。道徳観や心の目を曇らせ、理性の力をできるかぎり押しつぶすことが必要なのだ」
だからこそ奴隷所有者は、奴隷が見たり聞いたり、考えたりすることを取り締まったのである。不公正な社会では、本を読んだり、批判的な考え方をすることは、社会を転覆さえしかねない危険なこととされるが、その理由はここにある」
〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』〜
何かが道をやって来た。
「ひったくり注意」の看板とともに。
連日、ミサイル、海賊、不正献金、泥棒、詐欺、置き引き、カツアゲ、猫ばば、やけくそ、ふてくされ等々の犯罪報道のオンパレード。
他人が恐ろしい時代になりましたな……とテレビに説得されているそんなおり。
その名も『日本国憲法を真に受ける』さんから、このような警告。
『ひったくりに注意!』
あれ?
これよく読むと、「ひったくりに注意」じゃなくて、「「ひったくりに注意」に注意しよう!」という話だ。
確かに、
「ひったくりに注意!」は、ひったくりそのものよりも危険な場合がある。
オマケ。
鬼畜ブログ『坑外のカナリアもさっき死にました』さんから、
『こういうのを、ちゃんとした言論封殺ってんだよ(嘲)』
(^_^;)
==================
「こーいうのをガチな言論封殺ってんだよ。ノーム・チョムスキーも言ってるだろ。
その後にどんな攻撃に晒されようとも、出版停止やスポンサー撤退の憂き目を見ようとも、とりあえず一回は何か社会に向かって発信できてる状態がある限り、言論は封殺されてるとはいえない。
田母神さんの発言への反応なんて、いったいどこが言論封殺なんだよ?」
==================
↓
==================
「でもな、正しくないことを主張することも認められないような社会は最低なんだよ。
テメエらが反応するのは『これは正しい』って確信できるときだけだろ。とりあえず誰かが『正しい』つってるとか(嘲)
人類の高等な脳みそ持ってんだったら、『正しい』だけで慢心してんじゃねーーーーーっての」
==================
鬼畜ですが、鋭い指摘です。
ただ、気になるな。
え?
いや、北野誠が何を言ったのか、さ。
うが、うぐ。
*最近買った本・マンガ・DVD*(2009.4.14)
「文明、進歩、文化と呼ばれている階段をどんどんのぼって行きなさい。心からお勧めしますよ。でも、どこへ行くのかって? 本当のところ、わかりませんが、しかしその階段のためだけにでも、生きている値打ちはありますよ」
〜チェーホフ『手帳』 〜
「「私は「芸術というものはいつも予言してくれるのだ」と思えてなりません。しかし本当の芸術家が語ることを、多くの人は今、耳を傾けません。これは皮肉です。芸術は様々な事や事の本質を、私達の目の前に切り開いて見せてくれるんです」
〜『芸術家がこの混迷の時代にものをつくるということ』
ユーリ=ノルシュテイン〜
「誰かの言うことが単なる想像かどうかなど、どうやったらわかるだろう。その晩私は、手を洗って夕食にしなさいと呼ばれるまで、灰色の海のかなたを見つめ続けていた」
〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』 〜
「「自由人だけが教育を受けるべきだ」と多くの人は言うが、そういう人たちを信用してはならない。むしろわれわれが信用すべきは、「教育のある人びとだけが自由だ」と言う哲学者たちなのである」
〜エピクテートス『語録』〜
「信じられないくらい巨大な地上の富を人類のために使うことをこそ話題にしようではないか。民衆に必要なものを与えよう。食料、医療、清浄な空気、澄んだ水、木々や草、快適な住まい、数時間の労働、それよりも多いレジャーのための時間、それに値する者がいるかどうかなど問うてはならない。人類はだれでもそういうものを受ける権利を持っているのだ」
〜ハワード=ジン『ソーホーのマルクス』〜
朝から晩まで本を読む。読書に飽きたら、書店をうろつく。
ひたすらそんなふうに一生を過ごせたら、と夢想する私が
最近買った本。
(;^-^ゞ
ある漫画本を手に取った。漫画本の表紙に描かれた女性の、シャツの胸元に書かれた
「DON'T PANIC」
の文字。
SF小説『銀河ヒッチハイクガイド』のあの標語だ。
SF小説が大好きな早川さんという女性が、純文学好きの岩波さん、ライトノヴェルファンの富士見さんら、楽しい女友達たちと繰り広げる読書三昧の日常を描いた『今日の早川さん』というタイトルの漫画本ということだ。購入。
どのページをめくっても、読書する女性たちの物語が続いていく。彼女たちは彼女たちなりに、切実に異性の恋人を欲していたりもするけれど、ひたすら読書に明け暮れる、という行為の範囲内で、たとえばSFというジャンルに没頭していく彼女たちは、隠しようもなく自己完結して、解放されていて、だから世界には彼女たちだけで回っていく。読書する女性たち以外にはほとんど何者も存在しない世界だ。
……パラダイスだよ!
他には。
トマス=M=ディッシュ追悼号の『SFマガジン』と、チャンドラー&村上春樹特集の『ミステリマガジン』を購入。
作家としての村上春樹にはなんの関心もないのだが、チャンドラーのファンなので。
(^_^;)
それから、『チョムスキーの「アナキズム論」』と『ソーホーのマルクス』という、宝物のような二冊の書籍に遭遇。
いま、アメリカや日本など一部の田舎国(図体だけはでかいのがさらに厄介だ)を除いた世界各国は、来たるべき「プロレタリア執政」の、その内部に抱える危険性と課題に真剣に取り組んでいるところで(マジかよ!)、えれえ気が早いという感じが日本で暮している私などはするわけだが、北中米の動向を見てみると、
いや、このへんできっちりナシをつけておいたほうがいいんだろうな、と。
映画『パンズ・ラビリンス』の裏テーマによるところの「革命のための三つの課題」をいかに乗り越えていくか、という、実に過激かつ空想ロマン主義的な本です。
(;^-^ゞ
まあ、ついこないだまで、ワープ航法とかタイムマシンとかと同レベルの空想ホラ話の域を出なかったわけだけどな、「プロレタリア執政」なんつっても。
ほんと、展開急で、だからこそ、ここらできっちり議論をしておいたほうがいい。
なんつっても、暗い過去があるからなあ。
「プロレタリア独裁じゃあ!」とロシアでドンパチやらかしたあげく、気がつけばスターリンら赤い官僚よる独裁恐怖政治に国ごとどっぷり漬かって、げんなりして、「やっぱ自己検証、自己批判、学習が大事だな」反省して再度チャレンジしたら、今度は毛沢東の「自白強要型自己批判」による文化大革命どっぷりはまりこんだりしてな。
だんだん理論的にわけわかんなくなって、もう、連合赤軍みたいな、ネズミの巣のなかで権力闘争を繰り返す破滅型反動主義みたいなのが赤い旗を振り回すようになったりして。
社会主義システム(ひと言に要約すると、「もっとみんな仲良く暮そうよ。そのほうがきっと楽しいよ」というシステム)の建設、なんて、関係なくなってるじゃん。
(^_^;)
スペインじゃあ、ソ連に指導されたスペイン共産党が、あろうことかファシストのフランコと手を結んで、市民運動を弾圧したりな。
暗い過去だよ、真っ暗だよ。
(^_^;)
最近購入した本リスト。
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・『チョムスキーの「アナキズム論」』
・『ソーホーのマルクス』
・『くらやみの速さはどれくらい 』(SF)
・『ヘミングウェイごっこ』(SF)
・『SFが読みたい 2009年度』
・『パームサンデー』ヴォネガットのエッセイ
・雑誌『SFマガジン』
・雑誌『ミステリマガジン』
・雑誌『ナンバー』(オシム監督のロングインタビュー!)
・雑誌『MacFan』
・絵本『コドモザウルス』
・漫画『今日の早川さん』
・漫画『特上カバチ! 16巻』
・漫画『チャンネルはそのまま!』
最近購入したDVD。
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・『チョムスキー=イラク後の世界を語る』
・『敵こそ、我が友 〜戦犯クラウス・バルビーの3つの人生〜』
・『アフターウェディング』
・『リダクテッド』
・『フランスアニメ傑作選』
・『この自由な世界で』
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*日本帝国の傲慢*(2009.4.12)
「男たちが暴力的な熱に浮かされると、自分でも気づかないうちに古い言葉をしゃべっていることがある」
〜ハーマン=メルヴィル『白鯨』 〜
「現代の偽善的な政治のあらゆる教条のうちで、「平和を望むがゆえに、戦争の準備をしなければならぬ」という教条ほど、多くの災禍を引き起こしたものはない」
〜カール=マルクス〜
「さてさて人間の心というものは、どこまで思い上がるものか。その厚顔無恥には際限がない」
〜エウリピデス『ヒッポリュトス』〜
体調が悪いので、ひとことだけ。
某大阪府知事が、「飛翔体」を使った踏み絵を提案します。
ぎゃあああああ!!!
ガリー=バルディンの伝説の傑作アニメ『アダージョ』!!
すごい……。衝撃のラスト!
あ、大阪府知事は観ないでいいよ、どうせわからんだろから。
(;^-^ゞ
そう言えば、「飛翔体」に対抗して、日本は核武装する計画らしいですね!
国連を脱退してまで!
♪この道は いつか来たみ〜ち♪
♪あ〜あそうだよ、うんざりするような♪
♪関東軍がたどったみち〜♪
『村野瀬玲奈の秘書課広報室』さんから『「国民の生命・財産を守る」という言葉の意味を考える。』
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「国民の生命財産を守る」という言葉を軍事的文脈から解き放つことが必要です。
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なぜ必要なのか。
ガリー=バルディンの傑作アニメ『コンフリクト』で学習。
おまけ。
「飛翔体」は「ミサイル」に格上げになったそーです。
『非国民通信』さんのところから、『ミサイルをミサイルと呼ぶことにした、我々がミサイルと断定したので』
わしら、なんのために新聞を読むんじゃろう……。
この度を越した幼稚さはどこからくるんだ?
自らを支配者、もしくは教導者と位置づける、その思い上がりからだろうな。
*二度目の支配者たち*(2009.4.10)
「一度は支配者になったやつのことだ、二度目だってありうるさ。きみは人間が完全無比な正義の化身だと思い込むあまり、そこに長い歴史があったのを忘れてしまっているんだ」
〜A=E=ヴァン=ヴォクト『宇宙船ビーグル号の冒険』〜
「あのころ焼き殺された人びとの大半は黒人でした。私の幼いころに比べて、この国に起きたもっともいちじるしい変化は、人種差別の衰退です。ただ、断っておきますが、それは扇動者の手であっさりぶりかえしかねません。とにかく、現在の我々は、自分や自分の身内に似ているかどうかではなく、人間をその中味で判断することが上手になりました(略)
このりっぱな変化を我々の態度にもたらしたのはだれか? それは抑圧され、侮辱されていた少数民族の人びとです」
〜カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』〜
「英国で最後に行われた魔女裁判では、一人の女と、九歳になるその娘とが絞首刑に処された。この二人が問われた罪は、靴下を脱ぐことによって嵐を起こしたというものだった」
〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』 〜
「飛翔体」が頭の上をとびすさっただけで、日本国民が突然、恐怖にとりつかれ、魔女狩り気分まんまんになってしまったんですが、あの「飛翔体」から、なんかヘンなもんがもれてたんですかね?
(^_^;)
論点を笑わせた過激な映画評でおなじみの『破壊屋』さんのことろから『日本のちょっと長い日』
無知と偏見にしっかりと支えられ、非人間的なまでの差別意識を我も我もとふりかざすこの下品さ。
「さあ、疑ってください、隣の人が日本人なのかどうかを!」って、デビルマンじゃねーんだ。
(^_^;)
いや、実は最近、小林よしりんの『戦争論』をテキストにして、ある若い方からたっぷりとお説教を食らったんだけど、わし、どうしたらいいんだろね?
日本の未来に絶望して自殺でもしたらよかったのかな。
(^_^;)
第二次世界大戦時、アメリカ在住の日系人たちが合衆国政府から受けたさまざまな仕打ちを「ひどい」と感じるくせに、「在日」と呼ばれる人たちに対する、自分たちのあからさまに差別的で冷酷な態度は当然視するのな!
「事実」と「差別」は違う、とか言って。はっきり言って、差別以前の問題だよ。
この蒙昧さ。この凶暴さ。このおためごかし! アジアを解放してさしあげたんだとさ!
あのさー。
真実はいつも、小さき者たち、弱き立場、虐げられたひとびと、持たぬ者たちの側にあって、私が知るかぎりは、それは普遍の法則のようだ。
ほんと、ここ日本からは、百万光年ほど遠い場所だ。
(^_^;)
ここ日本では、あまりに自由すぎてある種の映画も上映できません。
事実上、上映禁止になった、ドイツ映画『ジョン・ラーベ』
民族の誇りを守るのって、ほんと、大変っすね。
日本の「自由」って、そういうたぐいの「自由」なんですな。
おまけ。
dj19さんのところから、『「教育再生
地方議員百人と市民の会」の事務局長・増木重夫と、会員の遠藤健太郎が逮捕される。』
うわあ……。
どこの全体主義者コフン、エフン! もとい、日本民族の誇りを守るのって、ほんっとうに、大変っすね!
*『仮面天使』と反逆*(2009.4.5)
「自由とは常に、思想を異にする者たちへの自由である」
〜ローザ=ルクセンブルグ〜
「デューイいわく、生産の「究極的目標」とは、商品の生産ではなく「平等な関係でお互いが結びつきあう自由な人間」の生産であるという信念である。ラッセルいわく、教育の目標とは、自由と「個人の創造性」が開花し、働く人びとが生産の道具ではなく、自分の人生の主人公になるような「自由なコミュニティの賢明な市民」の創造を促すために「支配以外の価値観を与える」ことである」
〜『チョムスキーの「アナキズム論」』〜
「「いや違う」と彼は言った。「民衆は旧秩序を破棄して、ただちに自由の中に」
〜ハワード=ジン『ソーホーのマルクス』〜
ぎゃああ! 女子高生革命勃発か!
(///∇///)
t.A.T.uの『show me love』
熱があるので、以前、古本屋で購入しておいたマンガ『仮面天使』の全巻を読む。
月刊アフタヌーンに掲載されていたときには、正直あまり注目していなかったのだけれども、最近はこういう作品が本当に少なくなった。
実に懐かしい。
デビューしたての漫画家さんなりに、賢明に、手探りで、「批判精神」☆「反逆精神」というものをつきつめようというそんな気概を、この作品からは感じる……今になって。
手塚治虫大先生が子ども漫画のなかでキスシーンを描いて、教育関係者から徹底的にぶったたかれたことがあったらしいんだが、漫画というものはもともと
権威に対して反抗的な、反逆者のための文学形式だったわけで、
いや、それはいくらなんでも牽強付会だという意見もあるだろうが、なんにせよ、漫画は権威から叩かれて輝きが増すという部分はあるのではなかろうか。
え、それも違う?
(;^_^ A
『仮面天使』は、小学校六年生の男の子と、小学校四年生の女の子が主人公なのだけれど、ディープキスをするわ、教室でペッティングをはじめるわ、挿○以外はぜんぶやっちゃうというふしだらさ、みたいなものがウリの漫画ということで始まったのだが、そういう子どもだましのセンセーショナルさが2巻あたりから薄まり、批判精神の質がぐっと高まってくる。
手当たり次第の、青臭い、子どもっぽい反逆でも、主人公たちの内面に、そして作者に、批判精神というものを醸成していく過程が、単行本を読み進めていく中で、はっきりと感じることができる。
批判精神を持っているものだけが、「美」の本質に近づくことができる。近づくだけじゃまだ足りないのかもしれないけれど、例えば元アヴェ首相の「美しい日本」などという内容のないイメージ言葉に躍らされるような寂しいことは少なくとも回避できる。
(;^-^ゞ
親や教師にたて突く子どもたち。目的はひたすら反逆の反逆だ。
いま、子ども革命が始まる!
大人たちが白旗をあげるまで、反逆は続く。
まー、いいんじゃないの、それで。
オーケー、オーケー! 子ども革命、オーケー!
スウェーデンはもっとすごいことになってるぞ!
ルーカス=ムーディソンの『Show Me Love』
この地球で、最後に残る支配は、おそらく、大人たちによる子どもたちへの支配だろな、ぶっちゃけ。
しかし、いつの日にか必ず、子ども革命が大人どもを打ち負かすだろう。
……しかし、加利奈ちゃん(ヒロイン)もつくづく、
檻の中の自由に満足できない子だなあ。
ほんで、悪党ときたもんだ。
(^_^;)
子どもたちには、こういう漫画作品に触れて、立派な革命家に育ってほしいものなのデス。
漫画万歳!
芸術、万歳!
*風邪をひいてます*(2009.4.3)
「真実が靴を履こうとしているあいだに、嘘はすでに世界の半分に広まっている」
〜マーク=トウェイン〜
「かれらはグローバル秩序の巨大かつ広大な支配権を手に入れると同時に、説明責任をまったく果たさなくなり、一般民衆の口出しや公的な査察をますます免れるようになっている。このヒエラルキー的な指令体制の内側にいる者は上意から命令を下され、下位へと命令を発する。外側にいる者はわが身を権力システムに差し出す以外のつながりをほぼ持たない(商品を購入できるのなら話は別だが)」
〜『チョムスキーの「アナキズム論」』〜
「が、そのうち私は資本主義が糸を引き、革命をコントロールし始めていることに気づいた。これらの作品が描いているのは、この点だ。資本主義と、それが私たちの社会に及ぼす影響についての映画なのだ」
〜『闇からの光芒』マフマルバフ、半生を語る〜
「気がつきなさい子どもたち、目を覚ますんだ。君らが見ているのは幻想だということに。これは、多国籍企業という名のモンスターが作りだしたニセのおとぎ話だ……ハレルヤ!」
〜ビリー牧師の演説〜
38度の熱があって、気が短くなっております。
早い話、怒ってんだよ。
「民主党であるなら、オザワであるなら企業献金も無問題! とにかく政権交代を!」と主張する人が、こんなに多いとはびっくりだ。
「オザワと民主党を批判する者は、自動的に、民主主義改革の驚異である」みたいな。
(;^_^ A
ええ〜? ドウイウこと?
「自民党による専制政治を容認し続ける」か、もしくは、それを打破するために「民主党にはある種の特権を認め、その権力にたえず根拠を与えつつ、政権交代のため支持を集中させる」かのふたつの選択肢から選べ、……って、なんだその構想は!
肝心なのは、注目すべきなのは、私たちにとって深刻なのは、自民党と民主党が、
政策という一点において、質的にほぼ同じ
であるということだ。ぶっちゃけ看板入れ替えただけ。権威、特権、秩序、富の構造はまったく変わらない、つまり、
どっちを選んでも専制政治じゃねーか!
ぎゃああああ! きみらの「改革」の構想って、オザワと民主党を(自民党と同等の)特権階層に祭り上げることなのか! そうして祭り上げられたオザワと民主党による専制政治が、君たちに救いの手を差し伸べると!
なんちゅう不道徳な!
つーか、
日本の民主主義の価値の衰退は底がないな、と。
「衰退」という表現は妥当ではないかな。……より正確には「衰退」ではなく、民主主義の価値の「堕落」だな。
(^_^;)
はっきり言ったる。
私たちは、支配のメカニズムに、もっともっと懐疑的でないといかんよ。
君らともあろう者たちが、「政権交代の機会」に夢中になりすぎて、数年ごとに政権のキャッチボールをする二大政党の独裁と利権の構造に、こうも簡単にまるめこまれるとは!
人間としての最低限の誠実さ、というものに思いをはせてみるべきじゃないか?
曲がりなりにも、国民、有権者の代表を気取るなら、公共の利益を第一に考え、国民の代表として誠実にふるまうべきだっつってんだよ。
話は思いっきりそれるが、小さな政府、民営化というやつは、二大政党制度に守られた政府権力よりもさらに悪いけどな。
まず考慮に入れるべきは、私企業の活動には、国民はタッチできないということだ。企業は、(オザワみたいに)国民の代表を格好だけでも気取る必要すらない。繰り返すが、わしら市民は国を相手にするときのように、私企業の活動に参加することも口出しすることもできんのだ!
サービスを利用したり、商品を買うとき以外は!
わお!
『気まぐれな日々』さんから
『小沢一郎論に思う−「官僚政治の打破」と「反新自由主義」』
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いったいいつから、「小沢さんじゃなきゃ官僚支配から脱却できない」という信仰が広まったのか、私にはよくわからないのだが、「政官業癒着構造の解体」はもちろん大事だけれども(というか、政権交代が必要な理由はそこにあると思うけれども)、官僚を諸悪の根源としてこれを攻撃するのは、橋下徹好みでもあるが、それ以上に「郵政総選挙」に勝ったコイズミと同じ行き方というべきだろう。
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看板をすげ替えても、中味はコイズミ。げげえ。
(^_^;)
……ワシは思わないんだよ。
……なにを?
「スターリンを打倒するために、ヒトラーを支持するべきだ」
というふうには、な。
いや、映画の話よ、詳しくは、コスタ=ガブラスの『ホロコースト』をご鑑賞下さい。
(^_^;)
まー、財界の手のひらの上で改革踊りを踊っている自分の姿に気がついていないんだから、どうしようもないわな。
しかし、言っちゃあなんだけど、よりにもよってオザワみたいなのを盲信するなんて、政権が交代しさえすればなんでもいいんだな。どれだけココロザシが低いんだと……。
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そのころ、中東では。
モフセン=マフマルバフの末娘も映画監督になりました。
ハナ=マフマルバフ『子どもの情景』
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