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現実的排他主義(2006.7.28)



トンデモ陰謀論者と言われてもいい。
物価が上がるのも戦争が起きるのも豪雨で死者が出るのもみんな

テレビが悪い

と言い張り続けることを私はやめることができない。(包丁で右手の指を刻んだのは私が悪いです)。
(;^-^ゞ
私が個人的に感じている恐怖心、危機意識が、私の口からトンデモ陰謀論を吐き出させる。
民族、国境、性別、文化、宗教、肌の色や目の色、学歴、職業……その他

千とひとつの方法で人間どうしが対立しあう

ように教育する機関、それがテレビだ(←いいきり)。
逆に言うと、人間同士が対立しあっていれば、なんでもいいのだ。

「違い」というものを「敵意」に変換することの重要性

を、経済システムは理解している。
「違い」を利用して、あらゆる価値を独占し、支配し、貨幣化しなくてはならないからだ。
あなたの日常生活におけるさまざまな体験に、テレビが一定の方向性を持った解釈をティーチインする。
お金、お金のためだ。
経済ネットワークは世界中に張り巡らされているから、全ての国家、全ての民族、全ての宗派、全ての男女、全ての人間同士が対立しあわなくてはならないし、実際、そうなっている。
私たちは経済の奴隷なのだ。
……。
インドのある地域では、男性が女性を強姦することが許されている。
なぜなら男性は、またぐらにぶら下げているふたつのシワクチャ袋に「たまってくるモノ」を定期的に放出しなくてはならないからだ。
そのさい、女性の意思というものを考慮に入れる必要はない。
男性が「もよおした」ときに、近くの手ごろな「たまってくるモノ」放出器官が同意するかどうかなど気にしていたら、「たまってくるモノ」が臨界点を超えて袋が破裂するじゃないか、と彼らは言う(←本当に言うのだ)。
すべての女性がいついかなる場面においても、男性のシワクチャ袋に「たまってくるモノ」の放出先としてのみ存在する、というわけではないのだろうが(例えば、特権階級の娘は対象外だろうし、息子が母親をそのように活用したり、というようなことはさすがにタブー視されているのではないでしょうか)、そうした機会があった場合には女性に拒否権はないし、誰からも保護されないし、ことのすべてを彼女ひとりが受け止めなくてはならないのも事実だろう。
女性が神から授かったその「立派な機能」なり「役割」なりを、法によって規制するのは「不自然」だ、と、この社会は考えている。
そして私たちは、そのような社会の内部において、女性たちが「母性的かつ献身的」な役割を「率先して果たさなくてはならない」理由を、日々の暮らしの中で簡単に見いだすことができるのだ。
男性の「たまってくるモノ」の放出先として見いだされる女性、という世界観に、私は政治的にも生理的にも同意することができない。
だが、私やあなたの意見や世界観がどうしたというのか。
強姦が「自然」なことであり、「自然」であるからこそ、女性たちはみな「活き活きと輝いて」いるという「現実」を否定するような、どのような政治的プロパガンダも教育プログラムも彼らは受つけない。この地域において、私たちは、「男性の生理現象が必要とする排泄器官」という役割を進んで引き受ける(ように見える)女性の姿や、それが自然の摂理に添っているというような証拠を、いくらでも発見することができるだろう。

「現実」が「強姦」という行為を正当化する。

むしろ、この社会の内部では、「てごめ」を禁止しなくてはならない理由や証拠を見いだすほうが困難かもしれない。
驚くことはない。
私たちの知っている現実の、いつもの日常だ。
韓国や中国やイランなどのアジア諸国のひとびとが「劣等民族」であるにとどまらず、野蛮で危険な「民族性」をその「遺伝子」のなかに産まれながらに潜ませている証拠も、私たちは容易に見つけ出してゆく。
村の娘は強姦を受け入れているし、うちの子は体罰によるしつけに感謝しているし、静岡の違法滞在中のブラジル人たちは日本語の読み書きができないほどに「非文化的」で、鶴橋の朝鮮人グループは敵がい心むきだしの上に粗野で「キムチくさい」のだ。
それらはすべて、

個人的体験にもとづく確信であり、議論の余地のない「現実」だ。

「経済」が、これらの「現実」を必要とするのだ。
そうして、そのような個人的体験を、

テレビがある一定方向にまとめあげ一瞬にして共有化し、一般化する。

私は、新宿の駅前で違法テレフォンカードを売っていたイラン人(もっと違法なものも売っていたかもしれん)と話したことがあるし、いっぽう、雨が降るたびにコンビニの傘立てから傘をかっぱらう大和民族とも友達だった。
日本文化の内部で教育を受けた「クリアーな大和民族の血」を全身に循環させている日本国籍の彼は、さまざまな事情の積み重ねののちに極貧生活を余儀なくされていた。
雨が降っても傘を買う金もなく、

住居は公園や駅のベンチだった。

トイレはデパートやファミリーレストランを使用すると言っていた(公園のトイレと違ってトイレットペーパーが装備されているのがミソだ)。
風邪をひいたときに、トイレ(デパート)まで歩くのが実に辛かったと、彼が言っていたのが忘れられない。
彼は雨が降れば傘を盗み、腹が空けばパンを万引きし、私に金を借りては踏み倒した。
そのとき私たちは問う、

彼の体に流れているのは何民族の血か?

赤い血の成分について、私たちはこれまで以上に注意深くあるべきだとテレビは言う。
しかし、正直に言って、私は彼が嫌いだった。
血の成分の話ではない。
貸した金を返さないからだ。
返せるわけがないのだ。文字通り文無しなのだから。
なのに、私は、彼を突っぱねることができなかった。
「三日間、水しか飲んでない」と言われて、ほっとけますか?
どうすればよかったのか、と、いまでもふとした拍子に思うことがある。
そして、私は悟ったのだ。

「私が嫌いな彼」を作ったのは、民族ではなく、性別でも国籍でも学歴でも年齢でもなく、経済なのだと。

もう一度言おう、経験から来る確信ほど説得力のあるものはない。
(^_^;)
「違い」が、さまざまな問題の発生源であるのは認めよう。テレビがどうであれ、確かに一筋縄ではいかないことが多いし、関係の作りにくさ、維持しにくさというものが、問題解決をより難しくする。
問題が問題を呼んで、解決策の糸口も見いだせないまま、という事態だって、ざらだ。
だが、だからこそ

恋愛は面白いんじゃないですか?

(;^-^ゞ
もちろん「この世に女性が存在しなければ、男はずっと平和な人生を過ごすことができる」という意見も、(一部の男性にとっては)ものすごい説得力があるのかもしれないが。
(^_^;)
私は、民族の中にも性別の中にも「格」「差」を見いだすことができない。
黒いネコも白いネコもネコはネコだ。
しかし、そこに経済が入り込むと、ネコの性生活は管理され、遺伝子は注意深く操作され、

血統書や毛並みや目の色が問題になってくる。

差別なくしては我々は一円たりとも生み出せない。だから私たちは、ネコの抱える問題を歓迎する。
私たちの運営する社会、経済システムの求めるままに……。
……ここで断っておくけれど、私が狂っていることをメールなどで教えてくれなくても大丈夫だよ。ちゃんと自覚してます。
(^_^;)
私に言わせれば、サッカー日本代表がワールドカップのグループリーグで敗退したのも勿論、テレビが悪いのである。
最近、このようなコラム記事を見つけた。「責任と義務を放棄したマスコミ各社」


「メディアの果たす責任と役割が如何に大きいかという事が判るし、今回の日本のメディアは自殺行為に当たるというわけだ。
 近い将来、東アジア情勢の激変に伴い、わが国で《愛国主義》《国粋主義的傾向》が強まり、国家によってマスコミ各社の言論統制が行なわれるような事態になった時に、抗議や反対の声を上げて《弾圧されても自業自得》である。貴方達はマスコミとしての、そのような権利や義務を放棄したと同様の愚行を今回行なったのだ。」

と申されている。
……。
21世紀は、ロボットの人権を認めるか認めないかで鉄腕アトムが苦悩する世紀のはずだった。
それがどうだ。経済システムの求めるまま、テレビに教育されるがまま、民族だ宗教だといがみあい、殺し合ってる。
血統書なんて、ケツもふけないのに!


♪未だ絶えることなく 流れゆく血潮
我等が自由は 示されるのか
神や王や英雄でなく 我等の力で
永久なる自由へと いざ駆け出さん!


十万馬力だ〜 鉄腕アトム〜……



--☆-


包丁で指を刻んで2日しかたっていないのに、すでに治癒し始めている我が肉体に少しだけ感動。
血も止まったし、痛みも和らいでる。
命ってすごい。
しかし、いくらなんでも、これではあまりに治りが早すぎはしまいか。
ケガを理由に当分だらだら過ごそうとたくらんでいたのに、

これじゃあ青筋五郎になってしまう。(←ネタ元・うすた京介センセの漫画)。
「早くも仕事に復帰してしまうのか!? ゴローの額に青筋が走る!!」
だったっけ?
(;^_^ A
というわけで、いまは左手でキー入力しつつ、右手で、漫画雑誌『月刊アフタヌーン』のページをめくっている。
結局だらだらするのだな、ワシ。
(;^_^ A
カラスヤサトシせんせの欄外漫画を楽しむ。
私は以前、カラスヤサトシせんせの作風を

生きる悲しみ

と書いたことがあったが、今回、カラスヤせんせ自ら「生きる哀しみ(←カナシミの漢字が違うね)」について言及なさっているエピソードがあって、ちょっと感慨深かった。
つーか、ワシって、実にいい線ついてるのな(←と自分で言う)。
カラスヤサトシせんせの作品の本質を「生きる悲しみ」と看破する我が眼力に、今さらながらほれぼれしちゃったよ。
ちょっと自慢したくなったので、ここに記す(笑)。

 


*ゴーヤ人さし指チャンプルー(2006.7.25)



四日間滞在した韓国の女子高生さんのことを書こうと思っていたんだけど、その矢先、

右手の人さし指を包丁で刻んでしまいました。

(T△T)
活きの良いゴーヤでねえ、まな板の上ではねたんですよ。(んなわけない)。
病院で3針縫ってもらってきました。
私は左利きだから、包丁を左手に持って、右手の人さし指を刻んじゃったんだけど、鉛筆持つほうは右手なんですよ。
新婦人新聞の連載小説の挿絵をどーするか、ただいま思案中。
左手で描くかなあ。
キーボードは、片手で大丈夫なんだけどね。
指をケガしてわかる、MacOSの素晴らしさ……なんて、苦しいな、とほほ。
あ、そうそう、韓国の女子高生さんは、ゴーヤが苦くて駄目だと申しておりました。


私信
奈良映画センターのTさん、いつもお世話になっております。
映画『ザ・コーポレーション』のDVDきてます。
めっちゃいい映画です。
近くをお通りのさいには、お立ち寄り下さい。




韓国の女子高生さんがやって来る*(2006.7.21)



急いで部屋を掃除しなくてはならないので、日記など書いている場合ではない。
しかし、掃除は大の苦手だから、何かに逃避したい。
という流れで、いま日記を書いている。
(;^-^ゞ
玲子が旅行先の韓国で知りあったお友だちが、国境を越えてウチに遊びに来るという。
詳しい話を聞くと、向こうで玲子の通訳を買って出て下さった日本語ぺらぺらの女子高生さんなのだそうだ。
花も恥じらう16歳。

ぶっ!

少年マガジンじゃないんだ、どうすんだよ、カアチャン!
まあ、もちろん、私がからむと少年マガジンではなくて、自然とベクトルがカラスヤサトシせんせになるんだけどね。
ウチみたいに本と漫画でどっちらかった部屋に、どうやって入室してもらうんだよ。
するとカアチャンは、本を捨てろという。
頭に来たので、本屋に出かけて、

新たに本を数冊買ってきました。

どーなる、韓国の女子高生さん、本のうえに布団を敷いて寝るはめになるのか、彼女の運命はいかに!
(^_^;)
やっぱ、本を捨てるのは難しいよ。
つーか、ワシって、本があれば他になーんも興味をしめさん人間なのかね。
急に不安になってきた。
( ̄_ ̄|||)
果たして我が家は、韓国と日本両国の友好の虹の掛け橋となることができるのか!
……たぶん無理だわな。
韓国の女子高生さん、絵本やアニメのDVDがごろごろ転がっているので、なんとかそれで楽しんでいただけないでしょうか?
(;^-^ゞ
本当に申し訳ないなあ、という気持ちになってきた。


本屋さんで購入した本は、まずは新右翼の鈴木邦男氏・著
『愛国者は信用できるか』
だ。
こう見えて私は柔軟な人間なのだ。右翼のひとの書いた本だって、お金を払って購入しちゃうのだ。
この鈴木邦男氏、天皇を敬愛し、学生時代は朝晩国旗を掲げ(信じられん!)、君が代を歌った回数は五千回以上というバリバリの右翼さんだ。
そんな彼だから、「誰よりも愛国心を語る資格がある」という自負をお持ちだ。
彼は、最近世間で台頭しているニセ愛国論に義憤を感じている。
世間の尺度で観る、もっとも愛国的な人物とはどのような人間か。鈴木氏は

「声が大きくて」「皆に嫌われる奴」だ、なんとなれば「マルクス・レーニン主義を勉強しなくては」なれない左翼と違って愛国者は愛国心があると自己申告すればいいからだ。

と言う。
なるほど。
(^_^;)
さらに、鈴木邦男氏は、

「愛国心」という言葉は愛といいながら、対立・憎悪をあおるとき、他者を糾弾し排撃するときに使用される

と、「愛国心の用法」についても言及していたりして。

新右翼、地球の裏側から愛国心を語る。

(^_^;)
掃除もしないで、勝手にあおり文句を考えてうしゃうしゃと喜ぶとんでもない男、それがワシ。
他には、写真家の藤原信也氏の
『空から恥が降る』
も購入。

「ユニクロの同一アイテムが何千何万単位で売れているという。
近頃これほどぞっとしたニュースはない」

というような文章を読むと、理屈抜きにほっとしてしまう私の趣味は、

ニヒリズムとペシミズムです。

(´▽`;)
もう少しだけかっこよく言い直すと、批判精神、となる。
中学時代からよく言われるのは

「どうしてそんなにマイナス思考なんですか?」

という問いかけだった。
(^_^;) 妙に傷つくんだよなあ……。
しかし、こんな世知辛くも腐敗した世界のただ中で、にこにこと元気よく、プラス思考で前向きに、明るくワクワクしながら幸せに……なれるかあ!
新興宗教にはまらないほどには自分を確立してるんですよ。
藤原氏は、イラクでの戦争についても言及している。

「ビン=ラーディンの自白ビデオ、俺はそれが発表された先週の金曜日は朝の5時から翌朝の3時まで渋谷の一気撮影に挑んでいたので、残念ながら翌日サワリの部分しか観ていないのだが、アメリカがあの程度の子どもだましのテープしか作りえなかったことにむしろがっかりしている。」

「湾岸戦争のとき、CIAは収集したフセインの音声をコンピューター合成し、演説の電波ジャックをおこない、画像をそのままに言葉だけを変えるという、なかなか楽しいことをやった」


やた、テレビ陰謀論!

なんか、藤原信也氏にはものすご、シンパシー感じるよ(笑)。
(;^-^ゞ
日本人がふたことめには口にする「現実」こそが、最大の幻想だと思う。
その幻想を支えているのが、巨大メディアだ。

「笑うんじゃない。
俺はネコより幸福だ、なんてぶち上げることのできる人間がいったい何人このズブズブの泥沼の地球にいる?」

ねえ。
と、ここまで書いて

「なに掃除さぼっとんのじゃあ!」
と家族からお叱りを受けました。
乱筆乱文誤字脱字はそのままにアップします、ごめんちゃ。
他には『月刊プレイボーイ』日本版を買った。
金髪のお姉ちゃんの裸なんてどうでもよくて、『アメリカがイランを爆撃する日』という記事と、木村元彦氏のセルビア・モンテネグロ分裂の記事を読もうと思った。
まだ読んでいません、ごめん、掃除します、ごめんなさい、悪かった。
最後! 最後だから!

「昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し」

コイズミさんは、天皇陛下のこのお言葉をどう聞く?
愛国的民族主義者ともあろう者が、陛下のご意思をまっこうから否定してなんとする!
なんか、ワシも新右翼っぽくなってきちゃったかも。
あ、家族が怒って、口聞いてくれなくなった(笑)。




*忘れて恥める、もとい始めないためのYouTube*(2006.7.19)



TONOSAKI氏のサイト『N.TONOSAKI's Personal Station』の大人気コラム『がんばれ!!ゲイツくん』

最新号

がアップされております。
TONOSAKIさんのこのコラムが大好きなもので、新コラムのたびについつい紹介してしまっている私。
f ^ ^ *)
TONOSAKIさん、インテルMacをご購入なさったそうで、こういうところが私のようなMac武闘派と一線を画しているところであります。


「例の北朝鮮のミサイル発射の件は国連安保理で全会一致で非難決議を採択したようで、とりあえず各国の足並みが揃って一息ついたといった所ですが、それにしてもテポドンの発射の準備の報道がさんざんされているのにもかかわらず「発射は無いでしょ」なんて言ってブッシュとプレスリーの家に遊びに行って、サングラスをかけてプレスリーの物まねして歌まて歌ったコイズミ君はまた凄かったですね。」


「そういえばアソー君とかは、「(ミサイルを撃ってくれて)金正日には感謝しなければならないだろう」なんてつい本音を漏らしてしまい中ロなどから一斉に反発くらっていましたが、もし漁船とか飛行機に当たっていたらどうなるんだ」

……ねえ。
(^_^;)
戦争ほど金になる商売はないわけで、そういう意味では、よその国と仲が険悪になればなるほど、こういうひとたちは嬉しくなっちゃうんだな。

「(ミサイルを撃ってくれて)金正日には感謝しなければならないだろう」
などと、ついホクホクしちゃいながら、わしら国民には愛国心を強要する、アソーさんは実にすごいひと。

(^_^;) バイコクド……ボソッ。
責めるわけじゃないですけれど、こういうかたがたに選挙で票を入れるひとたちの気持ちが私にはわからないですよ。



-☆--


YouTubeでこういう動画を見つけました。
『オシムの半生』←(クリックすると別ウインドウが開いて、勝手に動画が始まります。お気をつけください)。
内戦で荒廃したボスニアを再訪したときのオシム監督の姿を観れます。
……墓地と化したオリンピック競技場。
妙に若々しい墓標に取り囲まれつつ、降り積もった雪の上を歩くオシム監督は、全てが場違いだと知りつつ彷徨う亡霊のようじゃないか。
映像の持つ圧倒的な記録性に、思わず目を背けてしまいました。
オシム氏はこうおしゃっております。


「これほどの憎悪 これほどの出来事がここで起こってしまったのです。
決して忘れてはいけないのです。
この過ちを忘れることは危険すぎる。
忘れることができる人はまた始めることができるのです。
それが一番怖いことなのです。」



(。;_;。) ……

聞いたかコイズミさん、アソーさん。
そして、誰よりも選挙で投票するわしら国民が、オシム監督の言葉に耳を傾けなくちゃいけないと思うよ。
真剣に。
「ぱっぱと忘れて、強い日本、競争力のある日本、勝利する日本、お金持ちがさらにお金持ちになるシステム作りをさっさと始めよう!」
とテレビが言っている。
新聞も言っている。
満員電車で、サラリーマンも学生も同じことを言う。
ほんまか?
ほんまにそれでええのか?
関西弁丸出しのモノローグが、私の頭のなかをぐるぐる駆け巡るのでありました。
……もいっぺん聞くけど、ほんまにええのん?




戦争で産業の活性化を!(2006.7.17)


*ただいま非常に動転しておりますので、いつにも増して文章があわあわ状態です。ミミズの這ったような文体ではございますが、ご了承の上、お読み下さい。*

おんどりゃあ〜〜!!!

(^_^;)
テポドン騒動が終らない間に、また始めやがったよ。
世界でもっとも美しい都市のひとつと言われているレバノンに、イスラエルが空爆開始。
今度は日本海にミサイルが落っこちたどころじゃない、日常生活を営んでいる一般市民の頭の上だ。
なんで爆弾が落っこちてきたかというと、例によって対テロ戦争。
テロリストに拉致されたイスラエル人を救出するんだと。
どういう理屈だよ。
そんな奇妙な理屈があってたまるか。
日本の警察は某テロ新興宗教団体を解体するために、罪のない世田谷区民もろとも

世田谷区一帯を空爆するのかね?

ちったあ考えろ。 (^_^;)
実際、国連の事務次長さんが
「いくらなんでも今度の軍事行動は大規模すぎだろ、不釣り合いだろ?!」
とおっしゃってる。
あれだ、ドラえもんがネズミ一匹退治するのに地球破壊爆弾を四次元ポケットから取りだしたようなもんなんだな。

「ひーひっひひひ!」
「ドラえもんが狂った!」

(T△T)
今回のイスラエル軍による空爆により、レバノンの民兵組織「ヒズボラ」が怒髪天。
「侵略者どもがあ!」
と、不釣り合いな対地ミサイルで反撃。
このレバノン側の反撃により、今度はイスラエルの一般市民が犠牲に。
ドタマにきたイスラエル政府は、
「テロリストが正体をあわらした! デーモン狩りじゃあ!(←参考文献『デビルマン』)
とさらに猛爆。
またまた今度はレバノン市民に莫大な被害が……。
( ̄_ ̄|||)
国連は必死でこの戦争を止めようとしているけど、アメリカ政府が例によって拒否!
だはは。
もう、うんざり。
あれだ、

戦争が産業になっちまうと、後戻りできない

ということだな。
ひとの頭の上に爆弾落としてまでカネカネカネカネって、バッカじゃねえか畜生。
世界中のありとあらゆるものを支配独占して金に替えようなんて、

そもそも正気じゃないんだよ!

あ〜あ、宇宙はこんなに広いというのに、どういうわけで地球人なんかに産まれちゃったんだろワシ。
正直言って、勘弁しろよ。



-☆--


イビチャ=オシム氏が、サッカー日本代表チームの監督に就任することが決定的だそうで。
ニュースちゅうのは、たいてい暗くて不吉でおぞましいものと相場が決まっているわけだが、

やっぱり、ホント、そうだった。

人生って、つくづく、真っ暗だ。
(^_^;)
時の人オシム監督を商品化しようと群がる記者たちが
「これからどのようなチーム作りをしていきますか?」
と問うたとき、オシム監督は、
「いまでは、誰であろうと、メディアに勝利することは不可能だ」
と答えたという。
えーと、

オシムせんせ、対話になってないですよ。

(^_^;)
でも、オシム監督が言わんとすること、なんとなくわかる気がする。
つーか、マジで、テレビにはかなわないよ。とほほ。
つーことで、木村元彦さんから、商業化されていないオシム監督のご様子が報告されております。
(;^-^ゞ
たかがサッカーとはいえ、一事が万事。
いまの日本がどういう国なのか、サッカー協会を見ているだけで、よおくわかるよ。
なー。
(´▽`;)
日本のサッカー界がフィリップ=トルシエ氏とともに歩んだ革命の日々すら、次の4年間で、あっというまに貨幣のひりだすウンコとなりさがってしまった。
あの4年間を胸ときめかせて過ごした私としては、ウンコの山に囲まれて、呆然とするしかない。古くてカサカサにミイラ化したうんこもあれば、ひりたての湯気の出ているウンコもある。新旧さまざまでも、とにもかくにも

臭くてかなわんよ。

ひりたてと言えば、ワールドカップ後の中田英寿選手の引退騒動なんて、ほんと、

絵に描いたようなウンコぶり。


小田嶋隆さんが、この一連の出来事を作家の村上龍氏もろともぶったたいている


「引退の決意について、監督やチームメート、友人、家族が、直前にその情報を知らされたと言っているのに対して、広告代理店やインタビュー記事を掲載する雑誌の編集者は、「半年前から知っていた」と言っている。
これが、キミの優先順位なのか?
ってことは、「引退」は彼にとってサッカー界のマターではなくて、ビジネスのカテゴリーで処理すべき事柄だったということになる。
結局、ヒデにとって、「穴をあけてはいけない」世界。「スジを通さねばならない相手」、「相談すべきパートナー」が、サッカーではなく、広告屋や事務所だった、と。」


でも、正直、選手には責任ないと思うのよ。
問題はシステムなんだと思うよ。
それも、資本主義とか社会主義とかいう以前の、貨幣経済システムという問題な。
よう考えてみ?
タダの紙切れにすぎないものを巡って、強盗殺人から、戦争まで、地球人たちはいつでもどこでも殺し合ってるんだ、

やっぱ問題だろ、どう考えたって。

いまでは、あの美しかったMacintosh革命も、革命の旗印だった林檎のブランドイメージを着飾る単なる大量生産品だ。
「人間をモノとして扱う時代に終止符を打とう!」
というMacintosh革命が、奥さん、あーた
「iPODで手軽に音楽を!」
ですぜ!
それってもはや、Mac ですらないよ!
あの美しい反逆精神が、実質2年ちょいしか維持できず、あとは内側から腐敗していった現実を思い起こしてみよう。
な、人生って暗いだろ?
(^_^;)
だのに、サッカー監督に何を期待するってんだ、ワシは。
どうかしてるぜ、ワシ。
……Macの話になると、あまりの怒りに指先がぶるぶる奮えてキーボード、打ち間違えまくり。
(^_^;)
しゃーないから、

このくらいにしといたる。

(^_^;)
「卵からプロテインが生まれるように、悩みの暗から真理は生まれるんじゃ!」
とオーケンは言ったけれど、テレビジョンはワシらから、悩みさえ奪ってしまったよ。
革命はもはや別の惑星の問題で、私たちの素晴らしい英雄でさえも、メディアには白旗を振る。



ミサイル外交テポドンの日(2006.7.11)


「みんなで、もう一度、革命を探しに行こう!」と威勢よく日記に書いた数時間後に、

テポドンが降ってきまして。

不自然なまでにタイミング激ワル!
(^_^;)
ロシアにも中国にも事前連絡もないままミサイル発射。そのさまは、近所づきあいをせずに陰々滅々と内にこもってきた男が、とつぜん気が触れてはしゃぎだしたかのようでもあり(※朝鮮人民共和国の国民のことじゃありませんよ、あの国の政府のことね)
メンタマ飛び出るほどの値段のミサイルを盛大に海に大盤振る舞い、まったく、ミサイルはうちあげ花火じゃねえっての! つーか、花火もミサイルもひとにむけてはいけません! ハワイ近くに落とすはずが日本海にぽっちゃんって、誰かにあたったらどーすんの。

(^_^;) 唖然。
テポドンのほかにも、スカッドとかノドンなど、さまざまなミサイルがぼとぼと日本海に落っこちて、あまり語られていないことですが、海の生き物たちはさぞかし大迷惑。
このミサイル一発ずつに、貧しい北朝鮮の民の税金がいくらつぎ込まれているのかを考えると、

このお金でじゃがいも畑でも作ればよかったのに

と思わずにいられない。
じゃがいも畑で英雄になれるんだから、安いもんだろ。
まあ、ことの発端は、先日、アメリカのどこぞのえらいひとが、
「北朝鮮みたいな恐怖暗黒政府は、アメリカを初めとするワシラ正義の同盟軍が先制防衛戦争をふっかけて民主主義のなんたるかを指導しちゃるぞ」
と発言して、それにびびった北朝鮮政府が
「先制防衛戦争に一歩だけ先んじて、先制威嚇ミサイル発射じゃあ〜」
ということになっているわけなんだけれど。
そんなことをやっているまに、

今度はインドが大陸弾道ミサイル発射実験をはじめちゃった。

この実験は失敗に終ったようだが、このミサイルには核兵器を詰め込めるし、隣のパキスタンをはじめ、世界じゅうの軍事的な緊張が高まってしまったわけです。
アメリカも相手方にやられて初めてわかる、

ミサイル外交の恐ろしさ。

「おい、我が国の言うことを聞かなければ、国連無視して我が国を防衛しちゃるぞ、コノヤロウ!」
「なんだと、コノヤロウ。こっちだって、黙ってると思うなよ。今度、寝首をかいて我が国を防衛すんぞ。そこんとこよおく考えろ」
「てめえら勝手なことを言い合いしやがって。こっちだって、スリの早業のように我が国を防衛すんぞ、いいのか防衛しちゃっても!」
「本当に防衛すんぞ!」
「おどしぬきで防衛すんぞ!」
イランの「防衛核兵器」、北朝鮮の「防衛テポドン」、インドの「防衛大陸弾道ミサイル」、アメリカの「防衛兵器ありすぎで足の踏み場もない状態」、これらが、発射ボタンに指をかけつつ、つばき吐き散らして

「防衛、防衛!」を連呼する。

外交は、ミサイルの質と量で決まる! つー世の中。
日本でも、「敵防衛ミサイルに対抗する防衛ミサイル配備」計画が進行中。
……。
こういうのって、どうよ、と、ワシはいっつも思うのよ。
正直言って、ミサイル外交には先がない。互いに「防衛」を連呼する以外に、身動きがとれなくなってしまっているからだ。
そしてあるとき、誰かの指がすべったら……。

♪ミサイルの上に 子ミサイルのせて〜♪
♪子ミサイルの上に 孫ミサイルのせて〜♪
♪孫ミサイルの上に ひ孫ミサイルのせて〜♪
♪ミサイルこけたら みなこけた〜♪
♪アダム〜とイブ〜が 林檎を食べてから〜♪
♪ふり、ふり、ふり、ふり、ふりふり〜……♪

テポドンが落っこちて、民団と総連の和解もおじゃん。
韓国政府の北朝鮮に対する対話政策も、生ぬるいとの批判の雨あられ。
日本の政府は、このおぞましくも恐ろしいミサイル事件を「防衛」戦争準備に利用。
私のメールボックスには、

「今どき革命などと口にするのはテロリストと北朝鮮とおまえくらいじゃ!」

という内容のお叱りメールが数通。
恐怖心と危機感と排他的なムードが盛り上がりまくり。
ミサイル外交の問題その2--めっちゃ高くつく。
(;^_^ A
「今どき革命などと口にするのはテロリストと北朝鮮とおまえくらいじゃ!」と言われると、なんか、ちょっとさびしい。
しかし、いやあ、そうでもないですよ、と反論したりして。
じっさい、このところの南米なんかは、革命のない日がない、というくらいの革命つづき。しかも武力革命じゃなくて、選挙で投票して決めたり、街中のひとたちが集まって話しあって決めたり、手続きがちくいち“民主主義的な革命が横行”していて、それも南米全体にいきわたっているから、アメリカ合衆国も“介入の口実”がなかなかつかめないようです。
この日本でも、さまざまな革命が。
例えば、

ギャル革命とか。

(;^_^ A
確かに北朝鮮は社会主義の看板を掲げているかもしれないが、大仏さんはパンチパーマをかけているわけだし、大切なのは外見ではなく中味なのさ。
あのコイズミさんですら、羞恥心のかけらもなく「革命」を口にする。看板は結局、看板でしかなく、その精神をこそ見定めなくちゃね。

……などと強がってみても、世界を眺め回せば、総体的にわしらは敗北し続けている。
ぶっちゃけたところ。
この世のありとあらゆるものを人間が独占して、この世のありとあらゆるものを商品化し、売ってお金に替える……。人間の社会システムがそんなふうになってしまったのは、ここわずか40年のことなのだそうだけれど、そうしたシステムが地球環境をものすごい勢いで荒廃させ、人間の暮らしを台無しにしてしまったという事実に、なかなかワシラは気がつかないのな。
「消費しなさい、あなたらしくありなさい、この厳しい生存競争のただ中で、人間として限度いっぱいまで幸福になりなさい」
テレビが言えば、もっともだと思っちゃうんだよね……。
……正直、地球人には無理なのかもしれないけれど、そう言っちゃったら終わりだから、なんとか革命をさがしてみましょうや。
国境や民族や性別などで人間共同体に線を引き、互いに排斥しあい憎しみ合うシステムは、地球全生命体にとって極めて危険な、人類の文化全体に破壊的な結果しか生みだしてこなかった。
これは、イデオロギーの話ではなく、明白な事実ではないでしょうか?
他者とは実に危険で、面倒な存在だけれど、他者が存在しなければ一秒たりとも生きていけないっぺ? これって、科学的事実だよね?
黒い猫が白い猫を虐殺し、毛の長い猫が短い猫を牢屋に収容し、黄色い目の猫が青い目の猫の小猫をこの世から抹殺しようとする……さて、どの猫が悪い猫か。
……どの猫もタダの猫だよ、頭がどうしようもなく混乱しているだけで。

私たちが変えていかなくてはいけないのは、システムだと思う。

……と、こんなことを日記に書いたら、また地球のどこかに、何かおっそろしいものが落っこちてきたりして!
(;^-^ゞ
渋谷のギャル革命に期待しよっと。

 


鞭打たれる犬たちのうめき(buハーラン=エリスン)(2006.7.5)


私は筋金入りのテレビ陰謀論者だが、最近、新日本代表監督騒動に巻き込まれた

多くのジェフ千葉サポーターたちもメディアに対する猜疑心を抱き始めているご様子。

ジェフ千葉のサポーターたちは、連日のオシム監督・日本代表監督就任報道の当事者として、メディアの作りだす「現実」というものを目の当たりにした。
このコラムとか、どうだろう。
突然振って湧いたような、非現実感。どうみても事実に反する報道のただなかに立ち尽くす居心地の悪さ。どこにも届かない憤り。やり場のない悲しみ。
何を信じていいのか、誰の言葉を受け止めればいいのか、それすらわからず、パニックになって右往左往するジェフ千葉のサポーターたちの姿を、

メディアではなくネット上でなら簡単に見つけ出すことができる。

いわゆるテレビ・新聞報道と、ネット上での議論や事実報告との格差、乖離は、騒動の渦中にあるジェフ千葉サポーターのとまどいの大きさ、そのままだ。
いっぽう、オシム氏は、ジェフ千葉との契約途上にあるにもかかわらず、日本代表監督に就任するのは確定的のようだ。
しかし、オシム氏が代表監督に就任することそのものを問題視しているひとはほとんどいない。彼らが問題にしているのは、「どうして、いまなのか」ということだ。
オシム監督はJリーグのジェフ千葉と一年契約を交わしている。だから、オシム氏の日本代表監督就任は、ジェフ千葉とオシム氏の契約満了ののちになされるべきだ、というのが、この騒動を受けてのジェフ千葉側の主張であり、正論でもあろう。
しかし、日本サッカー協会は契約満了を待てない事情があった。
日本代表チームは、今回のワールドカップのグループリーグを勝ち抜くことができず、試合の内容的にも無惨きわまりないものだったから、日本代表チームの商品力は激烈に低下した。
しかし、代表人気が作りだした100億円もの利益は、これからも維持され続けなくてはならない。なによりも利益が優先されなくてはならないし、保護されなくてはならない。
急速に低下した代表チームの商品力を回復するためには、今までのイメージをいったん破棄し、商品をきれいに包装し直し、営業戦略を練り直し、新手のサービスをひねり出し、消費者の購買欲をあおり立てることが必要だ。
日本代表チームのサポーターたちが、この4年間の代表チームの虚飾に気がつき、幻滅し、興味を失ったというのなら、いっそ好都合だ。
今までの代表チームという商品に消費者が飽きたというのなら、それは、新手の商品を売りつける機会、新手のサービスにひとびとをいざなうチャンスが来たことを意味している。
流行にとびつき、つぎの瞬間にはあっさり冷めてしまうこと、それは、日本の市場経済システムを支える上での極めて重要なキーワードだ。
そして、日本のメディアと広告代理店は、

イビチャ=オシムという名前には想像していた以上の商品力がある、

ということを今さらながらに気づいたようだ。
強力な商品力のある情報は、ものすごい勢いで流通され、垂れ流されるそばから“一般化”されていった。なすすべもないジェフ千葉サポーターたちを尻目に、一般化された情報は、共有され了解され普遍化され、世論というひとつの流れを形成した。
日本サッカー協会の会長は、オシム氏に代表監督就任要請をした理由として、

「ベッケンバウアーが良いと言ったから」
「『オシムの言葉』を読んで感銘を受けたから」

という二点をあげた。
絶句。
サッカー監督としての判断能力や指導力といったものではなく、オシム監督を扱った書籍に感銘を受けたから、という想像を絶するような理由で、協会はオシム氏にオファーしたというのか……。
誰もサッカーのことなど最初から考えていないし、きっとそんなものはどうでもいいのだ。 この場合の書籍に感銘を受けた、とは、その商品力に感銘を受けた、ということでしかない。
ジェフ千葉ゼネラルマネージャー祖母井氏は

「監督の強い要望と言っていたが、そうではなく協会の強い要望があったから。そこだけははっきりしておきたい」

とおっしゃっているし、

木村元彦さんは

「有無を言わせないやり方」

とコメントしている。
テレビ新聞を通じて伝えられるオシム監督の談話は、飲み下しやすいように平均化され無毒化され、それはいつものオシム節を

10倍の水で薄めたみたいだ。

オシムの言葉の内容をしっかりと支えている説得力---つまり、行間からにじみ出てくる人間性や言葉の力というようなものが、決定的に欠落してしまっている。
人間が貨幣のウンコとしてあつかわれるとき、人間の栄誉は胡散霧消する。個人的には、ある意味で、実に感慨深い事態であった。
多くのジェフ千葉サポーターたちが感じている、産業化されたオシムへの奇妙な違和感。それは、今まで大切にしてきたものが一瞬に貨幣の排泄物と化したことへの違和感にほかならない。
この3年半ずっと大切にしてきたもの、あれほど親しかったものが、掘ったばかりの墓穴のようなよそよそしさへと変貌してしまったのはなぜか。
これらは何を意味しているのか。
……さあいよいよ、私のオハコ、いつもの

テレビ陰謀論ですよ!

(;^-^ゞ

テレビが悪い!テレビが悪い!

(^_^;)
一事が万事、という言葉がある。
メディアの役割、目的というものはいつも一貫して、私たちに現実というレッテルを貼られた幻想を植え付けることだった。
そしてそのことに、ジェフ千葉のサポーターの少なくとも一部は気づき始めている。
オシム監督は、
「この世にはサッカーよりも大切なものがある」
と何度かおっしゃっていた。
その「サッカーよりも大切なこと」に対して、メディアがどのような役割を果たしているか……。
気がつけば、この世のありとあらゆるものが商品となってしまった。
空間や、雨水や、

DNAまで値段がつき、

値段がついたうえで、企業が独占する!
人間の男性のふたりにひとり、そして女性の3人にひとりがガンで死亡している現実を私たちが知ることがないのは、環境汚染を規制することと企業の利益追求が鋭く対立しているからであり、メディアはけっしてこの手の事実を報道しない。

「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある」

オシム監督が何を言いたがっていたのか、私たちはようやく気がつき始めている。


1998〜2002年の日本代表チーム監督フィリップ=トルシエ氏の通訳をなさっていたダバディさんの6月29日のブログ。

「同じ葉巻、同じひげ、目線に同じ魂…ゲバラと僕…情熱と革命、正義と理念へのナイーブさ…」

ダバディさん、こゆひとだったのね。
(;^_^ A
「同じ葉巻に同じひげ」って、いやあ、すごいなあ、と。
(;^_^ A
よし、応援させていただきまっせ!
「情熱と革命、正義と理念へのナイーブさ」と、
自分で言ってしまうナイーブさが実に気に入った!
いや、茶化しているんじゃない。
みんなで、もう一度、革命を探しに行こう!
遠くからインターナショナルのメロディが聞こえてくるぜ。



高山先生のお別れ会*(2006.7.2)


高山先生のお別れの会に行ってきた。
「純君〜、どんな本読んでるの〜?」
高山先生のお声が耳にこびりついてしまっていて、正直、ご冥福をお祈りしようにもお亡くなりになったことが信じられないのだが、お別れ会から帰宅したいまもやはり信じられない。
先生に、どんな本を読んでいるかを問われたら、最近出会った良書をかばんからぞくぞくと取りだす。先生が興味を示すのはやはり絵本であることが多く、
「いや〜、かわい〜。いや〜かわい〜」
と声を出しながらページをおめくりになる。
本を購入するのはもちろん自分自身のためだが、それと同時に、先生が喜びそうだな、と思った本も購入しておく。それを、今度お会いするときに持参するのだ。
部屋には、先生にお見せすることができなくなったままになってしまった本が、ダンボール箱のなかに詰め込んだままになっている。
会場は、ひとひとひとで埋め尽くされていた。そこで、お友だちたちやお世話になっている方々と再開することができた。
テーブルの上に、ずいぶんな冊数の古本が陳列されていた。
先生のお部屋に残されていた本だ。
「お好きな本をお好きなだけお持ち帰り下さい」
とのことだ。
ちょっとアメリカインディアンの風習にも似て、実にらしい、と感じた。
私の『ドウガネブイブイ』発見したときは、赤面した。
f ^ ^ *)
児童書、絵本が当然多かったけれど、ベアテ=シロタ=ゴードンの
『1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』
のような本もあった。
というか、この本を膨大な数の絵本の中に発見したとき、胸に熱いものが込み上げてきてしまった。
あまりにも先生らしすぎるのだ。
現実を飛び越えてよりよい明日を築いていく力を、絵本の中に見いだしてきた先生が『1945年のクリスマス』をどのようにお読みになったのか、だいたい想像はつく。
想像はつくけれど、先生からじかにお話を聞くことはもはやかなわない。
私は、先生の蔵書の中から
『こたんこるかむい』『わたしのおへやりょうこう』『JOUR DE FETE』(ジャック=タチだ!)『ぼくがつ ぼくにち ぼくようび』という絵本と、『中島潔の世界』という画集と、『ブループリント』という児童書と、その他いくつかを貰ってきた。

もらいすぎだろ!
(;-_-ゞ

ただ、ひらきなおるわけじゃないけれど、私にはその資格がある、と勝手に思っている。
『ブループリント』は最近書店で見つけて、買おうかどうしようかと悩んでいた本だ。SFものらしい。
繰り返すけれど、私は、先生からこの本を受け取る資格があると思う。



個人情報のこと*(2006.7.1)


大手プロパイダさんのDIONさんから、突然、お手紙がやってきた。
また何かの広告だろうと封を開けると、こういうことだった(口調をなるたけフランクに変更してあります)。


「ますますご清栄のこととお慶び申し上げちゃうよ。
で、お知らせなんですが、おたくの個人情報がもれちゃいました〜!
名前とか住所とかメールアドレスとか、あれやこれやが世界中にばらまかれたみたい。ごめん、すまん。
こういうことあったけど、ま、これからもDIONをご贔屓に」


……。
手紙をたたみ、麦茶を一口すすった。
えーと。
まず確認させていただきたい。
とても重要なことだ。
個人情報が漏れたという前に、


私、いまはもう、DIONさんと契約してないはずですけれど。

(´▽`;)
確かに、パソコンを購入した当初は、契約していた。
でも、1年ほどお世話になったあと、すっきりくっきり解約したはずだ。
なのに、なして?
なして私の個人情報をオタクが握ってますのん?
どのような手違いかと、もう一度、手紙の文面を読み直す。
住所、氏名、年齢……バッチリ私のものだ。
確かに漏れてる。
こういう情報、は契約が解除された時点で、プロパイダさんのほうがきっちり破棄してくれてるもんだ、と私は思い込んでおったのですが。……そうではないということが、個人情報が漏れてはじめてわかったよ。
※今回漏れたのは私個人の情報で、絵本工房のお客様情報は漏れておりませんし、厳重に管理されております。
ちなみに、ウチはとうぜん、お客様の個人情報が漏洩などしたことないし、どうしたらそういうことになるのかホント、不思議。
(^_^;)
「切手を貼るように簡単にインターネット」
という初期型Macのコマーシャルにのせられてパソコンを購入したころの私は、

アメリカ人って普段、こんなに苦労して切手を貼っているのかなあ

と考えるくらいウブだった。
……うそです、電源入れて10分で誇大広告だと悟った。
(;^_^ A
さて。皆さんご存知の通り、インターネットに接続するには、まずプロパイダさんと契約しなくてはならない。電源を入れたら、はい接続、というわけにはいかない。
「ウェッブブラウザを使って(切手を貼るように簡単に)プロパイダと契約できる」
と、購入先のお店のひとにも言われたのですが、当時の私は「プロパイダってなんかおっかなそうな字面だな」と思っただけで、ぶっちゃけ、ちゃんとお話を聞いておらんかった(どう考えても私が悪い)。
(;^-^ゞ
しかし、私にも言い分がある。「ウェッブブラウザを」起動して、クリックしたりスクロールしたりキーボードで必要事項を打ち込んだりして「プロパイダと契約できる」ひとは、すでに

インターネット初心者とちゃうわけですよ。

サーカス団のひとは、たゆまぬ訓練ののちに、切手を貼るように簡単にぶらんこの上で逆立ちできるのかもなあ……。
(^_^;)
などなど悪態をつきながら、当時、四苦八苦して契約を交わしたのがDIONさんだったわけ。
こんなに大変な目にあうくらいなら、高いお金を支払ってパソコンなんか買うんじゃなかったと深く後悔したものでありましたよ。
で、だ。

いまも後悔してる。

(^_^;)
個人情報保護法案などという不便きわまりないだけで実効性のとぼしい法案など施行してみても、

個人の情報が商品として成り立つ消費社会システム

を改善しないかぎり、個人情報は各方面からだだもれ。
しかも、「お金になりさえすればなにをしてもいい」というコイズミ大改革のおかげで、企業が率先して犯罪行為に手を染めるようになってしまった。
そう言えば、N.TONOSAKIさんのサイト『N.TONOSAKI's Personal Station』の人気コラム『がんばれ!!ゲイツ君』の最新号でもすんごいニュースが報告されておった。
タイトルが
『OFFICEを正しく使う法〜脆弱性より怖い機能 』
(^_^;)

「エクセルの表から貼り付けたいセルだけをコピーペーストして、それをワードやパワーポイントに貼り付けるという作業をした経験のある方も多いと思いますが、確かに見かけ上はその対象のセルだけ貼り付けられたように見えても、実際はエクセルデータが丸ごとコピーされているんですね。で、そのエクセルデータをダブルクリックすると、ワードの中でエクセルが立ち上がって、スクロールすると他の隠されたセルの中のデータが読めてしまう、というわけで。
コピーした所だけコピーすれば良いのに、よけいなものまで貼り付けてしまうなんて一体なんでこんな安易な仕様になっているのかさっぱり解りませんが、これって多分今でも見えない所で絶対被害が起きていますよね。私も、同じ会社の違う部からパワーポイントの見積を貰ったときエクセルが貼り付けられていて、ダブルクリックするとその裏に隠されていた原価やら何やらが全部出てきて腰を抜かしたことがありますし」

そりゃ、腰抜けますわね。
(´▽`;)
また、ひとつ前の号の『がんばれ!!ゲイツ君』のタイトルは、
『続・Windows流家庭生活』
内容は、
「本当は恐ろしい運動図インストール・家電」もしくは「買ってはいけない! 運動図インストール・家電」という報告。
(^_^;)

「とうとうムラカミ君も逮捕されてしまいましたが、自民党も民主党もムラカミ君からしれっと献金を受け取っていたっていうから腐っていますね。そもそも政治献金なんて金を出す方は見返りを期待していないわけはないから賄賂と同じなわけなのですが、自民党に至っては与謝野金融財政担当大臣まで金をもらっていたというんだから凄いです。しかも全く返すつもりも無いようなのですが、いやはやそんな腐った金を資金にして国の法律決められたんじゃたまったもんじゃありません」


こりゃ、革命でもやらかすか。
いまのところ選挙制度はかろうじて生きているので、革命も民主的手続きによって可能なのが、いまの日本の唯一の救い。
つーか希望。



イビツァ=オシム監督を消費する(追記アリ)*(2006.6.27)


ワールドカップ期間中ということで、またまたサッカーのお話。
日本サッカー協会が、日本代表チームの次期監督としてイビツァ=オシム氏にオファーしたそうだ。

ぎゃー!!!

!Σ( ̄□ ̄;)
日本代表チームがワールドカップで敗退したその瞬間から、オシム監督を新しい「金のなる木」とするシステムが動き出した。
詳細については、宇都宮徹壱氏こちらのコラムの下の方を読んでいただきたい。
メディア報道において、ジーコ前監督は早くも過去の人になりつつある。
「もうはじまっている」
「次です、4年後、南アフリカの大会に向けて」
というわけだ。
すでに、サッカー協会会長自らによる、

失言という体裁をとったリークによって、

オシム監督は我々にとって消費の対象でしかなくなった。
それが何よりも憂鬱だ。
すでにさまざまなメディア関係者や野次馬が、ヨーロッパで休暇中のオシム氏のところに群がっているさまをテレビで確認するたびに、

現状のあまりの無残さ

に眩暈が起きそう。
(^_^;)
まずもって、テレビのニュースキャスターが、ふたことめにはお金の話を持ちだすのがとてつもなく失礼だ。

貴方たちも知っているだろうが、私の人生において金銭が物事を決める際に影響したことは決してない。」

オシム監督はこうおっしゃるが、この日本では、全ての人間的価値を貨幣の排泄物とみなした上で、それを消費したり独占したりすることが“常態化”してしまっている。
「お金を積めば言うことを聞いてくれるだろう」
「首を縦に振らないということは、さらなる金銭を要求しているのだろう」
というような憶測を、テレビを通じて茶の間に垂れ流すひとびとに、悪意はない。
ただ、私たちが日本の内側で共有する倫理観が、反映しているにすぎない。
これまでの4年間、さんざん言い尽くされてきた「自主性を重んじるサッカー」「選手の創造性を主体とするサッカー」とはなんだったのか?
答えは「なんでもなかった」という結論になる。
チーム戦術でも育成方針でも代表チームの強化でもなかったし、コンセプトですらなかった。
広告、キャッチフレーズ、ただそれだけにすぎなかった。

この世のありとあらゆる価値がお金のために存在している日本という国

ならではの、無惨きわまりない代表チームは、相手チームによって容赦なくイメージをはぎ取られ、「自主性」「個の力」は吹き飛び、選手たちの悔し涙だけが残った。

サムライブルーとは、日本国民の憂鬱

という意味だったのか。
自らを貨幣の排泄物とみなすシステムの内部で、今日という日をサバイバルする私たちは、ウンコ特有の悪臭を放っている。
私たちがまず始めなくてはならないのは、ウンコであることをやめることだ。
そして、どうしてオシム監督がマドリードやパリではなくてここ日本にいるのか、少しだけ想像力を働かせてみればいい。

追記

『オシムの言葉』の著者、木村元彦さんのコメントが来た。
http://mobile-emu.goo.ne.jp/cgi-bin/imode2.cgi?SY=2&MD=2&FM=1&TP=http%3A%2F%2Fmobile.skyperfectv.co.jp
%2Fimode%2Fsport%2Fsoccer%2Fcolumn%2Fk_20060627.html


どうよ、これ?

日本サッカー協会、そして、いまの日本という国家が、とことん腐れ切っていることがよくわかる。


「これからオシムの取材がサッカー協会管理下に置かれて、監督の発言や原稿内容を事前チェックされるような事態にならば、私は一切仕事を拒否する。そんな協会の「広告塔」はジャーナリストの仕事ではない。」

この気骨!
「広告塔」はジャーナリストの仕事ではない、よくおっしゃった!!

「どこの広告代理店か存じませんが、世論誘導に加担する気は断じてありません。
今回の川淵キャプテンの責任問題と、オシム代表監督就任問題は分けて論じられるべきである。私には『終わらぬ民族浄化』という著書があることをお忘れなく。」


『オシムの言葉』の著者が木村元彦さんで、本当によかった。



サッカーの話・猫の病気(2006.6.23)


ワールドカップ期間中ということで、サッカーのお話。
今回のワールドカップ、日本代表チームの側から眺めれば、スケジュールどおりにみっつの試合が消化され、結果ふたつの敗北とひとつのひきわけが残った、ただそれだけの大会となりました。
テレビを通じて私たちが知ったことは、そういうことです。
それから、テレビに映っていない話というものもあって、私にとって重要なのはむしろそちらのほうでした。
例えば、日本サッカー代表チーム前監督の通訳だったダバディさんのお話。
もちろん、今になってダバディさんにお話を聞くまでもなく、4年前から私にはわかっておりましたよ。
かなりはっきりとわかっておりました。
日本サッカー協会の内部で何が起きているか、2006年のドイツでどういうことになるかを、です。
だから、朝の4時に目覚ましかけて、FIFA WOLD CUP 2006「日本代表チーム対ブラジル代表チーム」の試合を観たのは、応援のためではなく、結果が「正しいもの」であるかどうかの確認のためだった。
(^_^;)
そして結果は、冷徹なまでに正しくそして論理的なものとなりました。
今の代表チームは、単なる金の成る木でしかなく、自らの価値を貨幣の排泄物とみなすことで、巨大市場として機能してきたわけですが、普通、そういう現象を

組織の腐敗

と呼ぶのではないでしょうか?
今の日本社会では、うんざりしてしまうくらいありふれた光景ですね。
(;^-^ゞ
前代表監督のトルシエ氏は、日本代表チームを「商品」にするのを断固として拒否しておられました。
顔を真っ赤にして、「闘っていた」と言ってもいいかも。
そういう彼が、私は大好きでした。

「当時は「トルシエはうるさい!」とか「日本の文化が分かってない!」とか、「ビジネスとメディアの 邪魔をするな!」といろいろ批難されて批判されましたが、少なくともポリシーを曲げず、日本代表のいい環境を作ることができました。」

「サムライブルー」「負けられない戦いがある」などなどというイメージ言葉の、あきれるばかりの薄っぺらさ!
私たちはただ、ユニフォームを購入し、プレミアチケットに列を作り、テレビの前に釘付けになっていればいい「消費者」でしかなかったのであります。そして、それらを大量に消費するためには、「サムライブルー」などという無残なイメージ言葉がお似合いだったのであります。
しかし、スポーツの内容は金で買えるものじゃないんだよね(結果の方はお金で買えたりするんだよね、恐ろしいことに)。
と、まあ、こういうこと書けば書くほど各方面から非難を受けるわけでして、もうこれくらいにしておきます(苦笑)。
(;^_^ A
以前の日記で、応援するチームは
「スウェーデンとチェコとパラグアイとメキシコ」
と書いたら、幾人かの方から
「どうして日本を応援しない!」
「どうして日本を応援しないのですか?」
と厳しい口調で叱られてしまいました。
(;^-^ゞ
いや、選手の皆さんはよく頑張ってらっしゃると思うんですよ、私は。
個人的に、巻選手を応援してましたし。
ただ、どうして応援しない、と申されましても……。
「どうして応援しないか」、よりも、

「どうして応援しなくてはいけないのか」が問題

なのじゃないかと私は思ったりするんですが。
(;^-^ゞ
こんなことを書けば書くほど余計に叱られるわけだろうし、私けっきょく、生まれてくる場所を間違えたんだと思います、ええ。
さて。
私たちがサッカーの勝った負けたで大騒ぎしているまに、

米国産牛肉の輸入再開が決定した

そうでして、
「サッカー代表チームを応援しないやつは日本人じゃない」
「スタジアムで起立して国歌を斉唱しないやつは国賊だ!」
などと呑気なことを言っている場合じゃないんですよね、本当は。
(^_^;)
アメリカ合衆国では、脳みそがスカスカになって死んでいくひとが、あとをたちません。
原因は、もちろん牛のお肉です。
でも、そんな米国産牛肉を輸入しないと、米国からきっつい経済制裁を受けるのだそうでして、

それを回避するために条件付きで輸入再開をするのだとか。

……いやあ。
開いた口がふさがらないのは、既に私の脳がBSEに犯されているからでしょうか?
(;^_^ A
とりかえしのつかない病気を日本中に蔓延させる危険のあるものを輸入することを決定したその理由が、“アメリカ合衆国のご機嫌を取るため”とは、つくづくすごい。
“国賊”って実に嫌な言葉だけれど、あえて使うとすれば、

こういうこと決めてきたひとが国賊なんじゃないでしょうか?

自分のポッケにお金が入りさえすれば、国民の命&日本の未来がどうなってもかまわない、というひとびと……。

売国奴

という言葉も実に嫌な言葉ですね、はい。
(;^-^ゞ
それとも
「米国産牛肉を大量消費しないと日本の国益を損なうので、

牛肉を食べないやつが国賊だ!」

なーんて言われるんでしょうか? 
話題をサッカーに戻して。
今日、 日本代表サポーターが喪失するべきものなど何もなく、サポーターが味わっている喪失感は、4年前の過去からタイムマシンに乗ってやってきたものでしかありません。
日本代表チームも、この日本という国も、財産と呼べるものはすべて消費しきって、残ったのは借金と、内容のないイメージ言葉、そして、無知から来る楽観主義……。
私たちがいまもって喪失できるものなど、それほど多く残っておりません。これが現実です。


--☆-

ここに書いてあった病気の猫の記述は事情により削除しました。
まあ、絵本を販売しているサイトとして、内容的にふさわしいかどうかという議論がありまして……。
(;^_^ A
といってもこの日記すでに、絵本販売サイトにふさわしくない内容がてんこもりなので、今さら感もあるわけですが、それも含めて、すべて私の非でございます。
みなさまにはご迷惑をおかけいたしました。


訃報*(2006.6.19)


絵本研究家、高山智津子先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

先生の性格ではきっと、こゆこと騒がれたくないだろうと思うのだけれど。
「純君。ないしょ」
と、少しだけ困ったような顔をなさっているような、そんな気がいたします。
先生、すんません。


フィンランドの日本国教育基本法*(2006.6.16)


FIFA WOLD CUP 2006の「日本代表チーム対オーストラリア代表チーム」の試合を録画で観ました。

実に劇的な試合内容

についてはノーコメントとさせていただいて(苦笑)、試合前の国歌斉唱、柳沢選手のくちが動いていませんでしたね。
テレビで観戦したかぎりですが(そんなところばっかり観ているワシはひねくれもん)。
(^_^;)
今、日本全国の小学校のうち、じつに190校が、

「愛国心・通信簿」を採用している

このご時世、文部省はさぞかし柳沢選手に苦虫をかみつぶしていることでしょう。
実際、子どもたちは、“愛国心の度合い”を教育機関によって精査され、その“愛”の“度合い”を教育機関によって採点され、上下にふるい分けられていきます。

毎日大きな声で国家を歌いますか? 建国記念日には手作りの日の丸を元気に振りますか? 大和民族の歴史を正しく理解していますか?

柳沢選手のような子は、通信簿に、

「もっとよくがんばりましょう」

のハンコがばしばしと押されていることでしょう。
いまは、なにかにつけて教育が問題にされていて、武部幹事長は、耐震偽装疑惑は日本の精神の退廃をあらわしている→教育を見直さなくてはならない、とおっしゃっているし、阿倍官房長官は、ライブドア事件も佐世保の小学生の同級生刺殺事件も教育が悪いから→教育を見直さなくてはならない、とおっしゃっております。
「教育が悪いから、よい教育を始めよう」ってのが、「愛国心・通信簿」だったりするわけですが、えーと、
耐震偽装疑惑事件もライブドア事件も、「勝ち組負け組」「競争力アップ」「競争は社会の健全さのバロメーター」という、ようは、お金が儲かりゃなにをやってもいいんだという、コイズミさんの構造改革が原因ですよね?
コイズミさんは、
「なんでもかんでも私のせいだと言われる」
とご立腹なのだそうですが、そう申されても、これ、みんな、あなたがしたことじゃないですか?
(^_^;)
まあ、広告代理店を使って、
「痛みに耐えて構造改革」
「改革を止めるな!」
と、お金もうけ第一主義を支えるために中流以下の人間たちが痛みに耐えたのちに、なにか素敵なことがあるかのようにプロパガンダふきまくったのを教育だというなら、

確かに教育が悪い、教育が腐ってます

けれど。
(^_^;)
今度のエレベーター事故問題も、いろいろわかってくるにしがたって、お金もうけ競争第一主義の弊害という側面が浮き彫りになってきて、どうにも申し訳ないんですが、

またまたコイズミ改革のせいでしょう、残念ながら。

いや、腹をたてられても、本当に本当のことなんだからしゃーないですよねえ。
というか、今の日本の内閣って、一部の人間の

私利私欲の利害調整機関

でしかないんだなあと。
f ^ ^ *)
ところが、政府連立与党のみなさんは、《個性を育てる格差教育》、《ゆとりある競争学習》、《思いやりを育てる排他的民族主義》、実現が、よい教育なのだとおっしゃっておられます。
今の教育のどこが悪い、教育基本法が悪い。
彼らのいいぶんは、教育基本法の改正に集約されていっております。
教育基本法には、

「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」

まさしく真理でございまして、だからこそ、政府与党は

教育が悪い、教育基本法が特に悪い、

と強く主張するのであります。
世界の平和と人類の福祉に貢献なんてしていたら、お金もうけにとってめちゃくちゃ効率悪いじゃないすか。
民主的で文化的な国家なんて、一円にもならないっす。
(^_^;)
というわけで、新聞読んでもテレビをつけても、教育基本法が悪い、教育基本法を改正すべきだ大キャンペーンが張られているわけですが、しかし、不思議なことに、一部ヨーロッパの国では、日本の教育基本法の理念を自国の教育システムに採用して成功をおさめております。
不思議なことに、というか、皮肉なことに、というか。
(^_^;)
もっとも有名な例はフィンランドでありましょう。
フィンランドは以前、幼いうちから子どもをコース別に振り分ける能力格差教育を行っていたのだそうです(これから日本に導入予定の教育システム)。
ところがちっともうまくいかない。
どうしたらいいのかなあ、と途方に暮れていたところ、日本の教育基本法に出会い、その理念を全面的に採入れたうえで、理念を具体化する教育システムを作ったのだそうです。競争や順位づけを廃止、世界の平和と人類の福祉に貢献する社会を支える人材作り、などなど、実際にはなかなか大変でしたでしょうが、今や、フィンランドは

「学力世界一」

フィンランドのひとたちは、日本の教育基本法は素晴らしい、あなたたたち日本人は、こういう教育基本法を持っていて、

実に文化的だ!

と、大称賛してくれるそーです。
(;^-^ゞ
政府連立与党は、その教育基本法を諸悪の根源のようにもうしておるわけですが……。
つーか、日本国憲法もそうなんだけれど、教育基本法も、せっかくすばらしい理想を掲げなら、

ちーとも活用しないままに、

世の中悪くなったのは憲法が古くなったから、教育基本法が古くなったから、って、その前に、フィンランドみたいに、

ちゃんと活用してみようよ、いっぺん。

日本国憲法も、教育基本法も、世界中から
「この地球上で存在するなかでは、もっとも先進的で文化的なモノだ」
と大絶賛されているわけですから、ほんと、もったいない。
それが、「愛国心を教育」って、そもそも愛は強制できません。
さらに申せば、点数をつけることも比べることも、“する”ことも“しない”こともできないのであります。
常識というか、これ以上明白なことはないと言ってもいいくらいですが、文部省は愛なんてどうでもいいと考えているのでしょうか?
『ロミオとジュリエット』も知らないのでしょうか?
もちろん、違います。
彼らは、

「子どもたちからどのようにして愛をとりあげるか」

について、あれこれ腐心しているのであります。
私たちがやらなくちゃならない改革は、コイズミさのんゾンビ日本大改革ではなくて、

愛の定義のやりなおしだと思う。

日本国憲法の精神にのっとった、実に教育的な改革ではございませんでしょうか。



何を見ても何かを期待してワールドカップ2(2006.6.14)


FIFA WOLD CUP 2006が開幕して、連日試合が消化されていっております。
私が応援しているチームは、スウェーデン代表チームだったのですが、1試合目のなさけな〜い試合運びに、正直ショック。
なにをかくそう、ワタクシ、スウェーデン代表チームのフォワード、ラーション選手のファンでして、今日は何点取るかなあ、などとうきうきしてテレビを観ていたのですが、ぜんぜんだめでした。
(。;_;。)
次はがんばって欲しいものであります。
ちなみに、日本代表チームについては、勝っても負けても、選手の皆さんが力を出し切ってフェアに試合できることをお祈りすることと、あと、彼らの試合が

日本国内の極右国粋主義者に利用されなければいいがなあ、

という思いを残すのみであります。
私は大阪生まれなのですが、大阪のあの、

阪神タイガースを応援しなくては関西人にアラズ

という風潮が、どうにもイヤで、つらくて。恐くて。
大阪って、タイガースが勝利した日は、朝の7時からラジオのDJが、六甲おろしを熱唱するんですぜ!
(;∇;) こわいよう
このような大阪的日常は、善し悪しは置いておくとして、私のなかに、土着的無思考熱狂状態に対するアレルギー体質を形成してしまったのです。
通天閣の下のどや街で産まれたからって、タイガースの勝敗に一喜一憂しなくてはならないと誰が決めたんですか、と。
そう言えば、高校時代の教師が、巨人ファンの生徒に、巨人ファンということで無期限腕立て伏せを強制したことがあったなあ。
思いだした。

私、そのがっこ、10日で辞めました。

まったく、

何を教育されるかわかったもんじゃない。

ということですから、私は、スウェーデンとあとチェコとパラグアイとメキシコを応援します。
まあ、どこの国の代表チームを応援するにしても、テレビの前で
「そこだ、いけ! がんばれ! シュートお! あああ!」
なんて、無残な消費者ぶりというか、気楽で楽しい時間をすごしているわけで、平和ってなんてありがたいことかと今さらながらに感謝してしまいます。
先人のたゆまぬ努力のおかげで、この平和があるのであります。
ありがとう、先輩。
(*'‐'*)
例えば、ワールドカップ出場国のコートジボワールは今、内戦の真っ最中で、正直、サッカーどころではないでしょう。
また、セルビア・モンテネグロの選手の皆さんが、国歌が流れても誰ひとり斉唱しないのを映像で見て、彼らが心のうちにかかえている苦悩というものに、思いを馳せないではおれませんでした。
極限まで肥大化させられた民族間の対立が生みだした国家の分裂。
それも、一部の人間がお金もうけのため「勝ち組&負け組・痛みに耐えて格差社会」を作りだしたのが原因、というんだから、泣くに泣けないわけです。
が、今回はそれでも、内戦ではなく国民投票の結果ですから、民主主義の手続きを尊重しなくてはなりません。
みんなで決めたことなら、それを受け止めるべき。もしもうまくいかないことが出てきたら、修正したり、元に戻したりすればいいこと。民主主義システムの利点は、

やり直しがきくこと

ですからね。
殺したり破壊したりしちゃったら、もう、二度と元には戻らない。
イヴィチャ=オシムさんは、このように言い切っております。

「セルビア・モンテネグロという国には実際にいくつかの国が分かれていった過去がありますし、いろんなことがあるわけですけれど、それは問題にならないはずです。なぜなら選手たちは政治家たちより賢い」

もう、このひとにかかると……。
(^_^;)
ユーゴスラビアが複数の民族間での内戦でしっちゃかめっちゃかになっていたとき、オシム監督は、ユーゴスラビアの代表監督だった。
オーストリアで出版されているオシム自伝が『サッカーJプラス』というサッカー雑誌に連載されていて、連載第4回目では、ちょうど内戦勃発の章にさしかかっている。



「私はユーゴ代表監督辞任を決心した。ヨーロッパ選手権の夢、政治とはまったく無関係に存在すべきサッカーの世界への夢は終った」


「私の辞任する時期が遅すぎた、とあとから言うひとびとがいた。
(略)。
このとき、私はボスニアへの思いとサッカーへの思いのあいだで揺らいでいた。選手達はスウェーデンでのヨーロッパ選手権でプレーしたかっただろう。そして私は頭の隅にユーゴスラビアの理想を掲げていた。みなが共に暮らし、友人同士であり続けることを。」


「私は政治的理由から自分のポリシーを曲げることはしない。そのようなことをした昔の友人達を私はもはや友とは呼ばない。自分の信念を曲げなかったひともたくさんいるし、真の友情は戦争をも生き延びた。サラエボには他民族間で友情が築かれる好例がいくらでもあるのに、それがメディアで報道されることは一切ない」



近所の本屋さんでは、このサッカー雑誌を扱っていない

ので、連載の存在もつい最近までまったく知りませんでした。
ネットさまさま。
Googleさまさま。
(^_^;)
あわててバックナンバーともども取り寄せた次第。
連載第3回では、サラエボでの彼の子ども時代が語られておりました。



「私が住んでいた所は皆が同じくらいの生活レベルだったから、何でも分け合った。今でも覚えているのは、自分の誕生日に母親がケーキを焼いてくれたこと。それを友達のところに持っていったら、皆が少しずつ切り取っていって、自分には一切れも残らなかった。母には、
「いい勉強になったでしょ」と言われたよ。」


らしいエピソードだなと、繰り返して読みましたとさ。
人間が人間であることのおかしさ、いとおしさ、そして栄誉。けっしてメディアが語ることのない……。



何を見ても何かを期待してワールドカップ1*(2006.6.13)


FIFA WOLD CUP 2006がはじまりました。
開幕が近づくにつれて、いやがおうにも心が浮き立ってきてしまう自分がいて、メディアに躍らされている自身の姿がせつのうございました。
メディアにたいする警戒心がMAXの、テレビ陰謀論者としては、ワールドカップとはいえ、無邪気にきゃっきゃっと喜んでいるわけにはいかないのであります。
実にひねこびている。
「テレビが悪い、テレビが悪いと、それってただのトンデモなんじゃあ……」
と、いちおう自分でつっこんでおきましょう。
(^_^;)
さて、肝心の試合ですが、テレビで「イングランド対パラグアイ」の試合をテレビで観ました。
しっかし、イングランドの後半の戦い方は、なんなんでしょうかね。
将棋で言う、 穴熊戦法 まんまの、リスクをけっしておかさないガチガチ戦術。
(^_^;)

残り10分とかじゃなくて、後半始まっていきなりですもん。
あれで逃げ切っちゃうというものすごいといえばすごいんだろうけれど、なんかこう、サッカーを消費する側とすれば、どうにもすっきりしないものが残ったわけです。
イングランドほどじゃなかったけれど、アルゼンチンもそういう戦い方をしていて、優勝候補がこういう試合をしていていいのかと。
いや、私みたいなド素人が、したり顔で口をはさむことではないんですが。
(;^-^ゞ
期待のオランダは、攻撃はみんなロッベン(反則的に足が速いうえに反則的にうまい、いわば反則的選手)におまかせで、いやもう、ストレスがたまるたまる。
結果がすべて、というリアリズムが、どうにも好きになれんのよ。
結果がすべてなら、将棋の羽生大先生のおっしゃるとおり、じゃんけんでいいわけじゃない?
まあ、なんですね。
自分で言うのも何ですが、

ワシって、かなり重度なこごとじじいですね。

(^_^;)
何を見ても何かに期待せずにはおれない、ワシって、けっこう欲張りさんなのかもしれません。
ま、こんな私でさえ歪んだ盛り上がりをみせているワールドカップの開催地、ドイツですが、イラン対メキシコ戦の開催地ニュルンベルクでは、ある抗議集会がおこなわれたそうです。
なんでも、イランのアハマディネジャド大統領が、

「ナチスドイツのユダヤ人大虐殺はなかった」

ちゅう発言をしたので、それに抗議したのだそうです。
日本の南京虐殺事件の件もそうだけれど、虐殺の客観的証拠は当事国の外側にわんさか残っているわけで、こういうの、

議論の余地のないことじゃない?

お日さまが昇ればそれは朝だった、というふうに、目には見えないけれど、動かしがたい事実ってあるわけじゃない?
まあるい地球はぐるぐると自転していて、ぐるぐる自転しながら、太陽の周りを回っている、とか。
私ら人間は、あまりにも小さくて、地上にべったりと張り付いているから、それを見ることができないけれど。
今、ここで目に見ることができなくても、それが、ない、ということじゃないんですよ。
ま、日本政府の言い草もイラン大統領のこの発言もそうだけれど、「あった、なかった」を問題にしてるんじゃないんだけれどね、彼らは。

強盗殺人犯が自分自身や自分の同業者の犯罪を認めるわけがない

こゆこと。
ひとを殺して泥棒して、見ていたひともみんな殺して、証拠を埋めて、
「なかった」
と言うの。
『強盗殺人事件はなかった!』という本が出版されて、ベストセラーになるの。
ということで、ワールドカップの開催場所で抗議集会が行われたそうなのですが、抗議行動を起こしたひとたちは、
「イラン大統領の発言には抗議するけれど、イラン代表チームやイラン国民に抗議する集会ではない」
とも明言していたそうな。
ちゃんと線引きができていて、実に偉いなあと感心しました。
『強盗殺人事件はなかった!』というような本がどうしてベストセラーになるかというと、民族や国家というくくりのなかで、わしらは、自分たちの家族の長が、銀行強盗犯だと認めたくないんだな。
わしらも共犯者ということになっちゃうでしょ?
でも、イランの大統領とイランチームの選手たちは別だし、イラン国民とも別なんですよね。
国籍や民族や男や女やお年寄りや赤ん坊、そゆこと関係なく、事実は事実だし、誰が犯しても犯罪は犯罪なんす。
とは言っても、誰もがその点をごっちゃにしているから、
「イラン代表チームやイラン国民に抗議する集会ではない」
とちゃんと言っておくのは、実にわかりやすくて、よいことだと思った。



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