※お知らせ。
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*『ダイヤモンド・ノーベル平和賞』授賞式*(2007.10.23)
「気にするな、評論家の銅像が立てられたことがあったかね?」
〜ジャン=シベリウス 〜
「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域だ!」
〜某コイズミさん(爆笑) 〜
多国間の友好、軍備の廃絶・削減、平和交渉の進行のいずれかに大きな貢献のあったとされる人物・団体に与えられる、とさ・れ・る・ノーベル平和賞の受賞者がいつのまにやら決定していた。
今回の平和賞の受賞者は、地球温暖化問題に積極的に取り組んだ
ゴア元アメリカ合衆国副大統領!
ぶっ!
「ノルウェーのノーベル賞委員会はゴア氏らへの授賞理由について「人為的な気候変動について、その問題点を広く知らしめ、この問題への対応に必要な基盤を築くために努力した」と地球温暖化に対する問題提起の姿勢や、解決に向けた努力を評価した。温暖化防止対策に消極的なブッシュ米政権への間接的な批判とも受け止められる。」
http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200710120029.html
だそうです。
ははあ。
ブッシュが火をつけてゴアが消して回ると。
いや、皮肉でも何でもなく、実際問題、過去には
キッシンジャーや佐藤栄作のような戦争犯罪者
がノーベル平和賞を受賞してきているわけで、むしろ、最近のノーベル平和賞は良くも悪くも小粒かもな。
いや、小粒だよ。
これなら、オレがノーベル平和賞を受賞してもかまわんのじゃないか?
いや、少なくともワシは、ひとの頭の上に爆弾を落としたことはないし、それどころか、人をひっぱたいたことさえ生まれてから今日まで一度もないんだ。ひっぱたかれたことは山のようにあるけど。
右の頬も左の頬もぶたれまくり。
とにかく、私は世界平和に積極的に貢献はしてないかもしれないけれども、平和的かつ植物的人生を送っていますぜ。
でも、平和ってそういうもんじゃないか?
未来のノーベル平和賞には、ふたつの道が残されていると思う。
大量破壊兵器を探し出すために、なんとイラクで無差別に白リン弾を使用! 全世界に白リン弾の恐ろしさを知らしめて下さったという多大な平和への業績が燦然と輝く
ジョージ=ブッシュのインパクトの強さを採用するか
ワシの植物性を採用するか、だ。
どちらにせよ、ゴアじゃあどっちつかずでいけない。今、ノーベル平和賞は岐路に立たされていると言えるだろう。
ノーベル平和賞の明日はどっちだ?
さて、話は変わるけれど、ここで、こんにちまでのノーベル平和賞を超える真の平和賞を私が独断で決定したいと思う。
政治的配慮につぐ配慮で、まったく骨も中身もなくなったノーベル平和賞に精神を注入すべく、その名も
ダイヤモンド・ノーベル平和賞
を私はここに創設することにした。
受賞者を発表します。
平和に対するとびっきりの貢献を評価して、まずは、現行日本国憲法を制作したとされる
「GHQ」(連合軍最高司令官総司令部)
わー!
ど〜!
やんや!やんや!
しばしのスタンディングオベーションののち。
「受賞理由!
日本国にこの憲法が施行されて以降、少なくとも日本国民は国家の名において他国の国民を一人たりとも殺していないという偉大な業績。さらに、2007年現在、全世界からもっとも平和的な憲法として高く評価されているのが日本国憲法であります! また最近の研究により、この憲法が「GHQ」が作ったものではなく、日本国民自らの手による草案をもとに作られていることが判明しております。が、「現行憲法は占領国アメリカのお仕着せ憲法だ」という日本国内の一部右翼団体、ならびに民族主義団体の主張を百歩譲って全面的に取り入れ、国連憲章に取り入れることさえ検討され始めているこの素晴らしい平和憲法を作ったのが日本国民ではなく「GHQ」であるとし、ここに慎んで、あえてGHQにダイヤモンドノーベル平和賞を贈ります」
ど〜!
「繰り返しますが、現行の日本国憲法が占領国アメリカのお仕着せであるという日本国内の民族主義者のみなさまの強い主張を全面的に受け入れた結果でございます。とまれ、日本国憲法を作ったのがGHQなのか、日本国国民なのか、パプアニューギニアの人々か、はたまたクワガタムシの手によるものであったとしても、掲げた理想の崇高さと平和への貢献という二点において、高い評価はなんら揺るがされるものではございません」
わー!
やんや、やんや!
満場総立ち。
皆さん、ご静粛に。
平和にもっとも貢献した団体、もしくは個人に贈られるのがダイヤモンド・ノーベル平和賞でございますが、団体の受賞が「GHQ」とすると、ここで個人の受賞者の発表を行いたいと思います。
ダイヤモンド・ノーベル平和賞、個人部門!
「元ロシア潜水艦士官、ワシーリ=アルキポフ!」
どー!
おおー!
スタンディングオベーション。
「受賞理由!
昔々と言ってもそれほど昔ではない、いわゆるキューバ危機のさい、アメリカの駆逐艦に攻撃された旧ソ連の潜水艦に、ある重大な命令が下ったのであります。“核兵器を使用せよ!”アルキポフ氏の眼前にせり上がってくるミサイル発射のボタン。
ぽちっとボタンを押せば、全面核戦争を誘発し、地球は今ごろ虚空に浮かぶ巨大な石の玉になるはずだったのでございます。ところがなんと、
アルキポフ氏は軍上層部からの命令を拒否。
おかげで核戦争にはならず、今も私たち地球人は天下泰平に、地球を汚染し続けているのでございます。
しかしこのとき、この瞬間、地球全生命体の存続の行方は、ただひたすら潜水艦乗りアルキポフ氏個人の指先ひとつにかかっていたわけであり、彼の勇気によって、地球崩壊の運命は奇跡的に回避されたのであります。
奇跡も奇跡、海が真っ二つに割れて以降、最大の奇跡でございます。
しかも、アルキポフ氏は現人神でも神様の息子でもお悟りを開いているわけでもなく、平々凡々としたタダの人間だったのであります。
しかるに、この功績! この決断!
彼が受賞せずして、なんの平和賞でありましょうか!
皆さん、けっして、アルキポフさんの家に足を向けて寝ることはなりませんぞ。……で、アルキポフ氏の家はどっちの方角なんでありましょうか?」
ど〜!
ど〜!
うおお〜!
拍手拍手!
*『パンズ・ラビリンス』は革命についての映画だった*(2007.10.17)
「善人になる? そうさ、なりたくないやつなんかいるかね?
だけど残念ながらこの星じゃ資産は少ないし人間は残酷だ。
穏やかに和やかに暮らしたくないやつがいるかよ?」
〜ブレヒト『三文オペラ』〜
「正確に観察する能力は、それを有していない人間から皮肉と呼ばれる」
〜バーナード=ショー〜
*映画の内容についていろいろネタバレがありますので、そのつもりでお読み下さい。
ではどうぞ。
ファシズム吹き荒れるフランコ政権下のスペインを舞台にした映画『パンズ・ラビリンス』を観てきた。
いたいけな12歳の少女の精神が過酷な現実世界を拒絶するために作りだしたダークなファンタジーの世界
というような内容を期待してのことだ。
少女が少女自身の生命を守るために発揮される空想力、想像力、というようなお話を、私はけっこう好んでいる。けっこう、というよりも、かなり、と言ったほうがたぶん正しい。映画『ミツバチのささやき』、絵本『はっぴぃさん』、小説『タイタンの妖女』、漫画『二十面相の娘』どれも大好きだ。
本来、空想力は、人間が現実と向き合いそれを乗り越えていくために必要な精神の作用なのだけれども、堪え難い過酷な現実から当人の生命を守り抜くために機能する想像力、空想力というものもある。その場合、空想力ができうる救命のための究極の選択は発狂、ということになるのだが、それは別の話。
で、観終った感想だが、
映画『パンズ・ラビリンス』は革命における3つの試練についての映画だった!
いや、牽強付会でも曲解でもなんでもなく、本当にそういう映画なんだって。
(^_^;)
ときは1944年。内戦ののち、フランコ将軍が一党独裁制を確立してから5年後のスペインが舞台だ。
父を亡くした少女オフェリアは、母カルメンの再婚相手である残虐なファシスト、ヴィダル大尉が駐屯している山岳地方に到着する。大尉の子供を宿した母はそこで、日に日に衰弱し、義父は残忍な本性をちらつかせる。一方、山岳部では人民戦線残党のパルチザンが絶望的な抵抗を続けていた。
オフェリアは孤独と不安に苛まれ、恐ろしい現実から逃れようと大好きな童話にのめり込むうち、妖精に誘われるまま牧神(パン)の住む迷宮に足を踏み入れる。パンは彼女に「あなたは魔法の国のプリンセスかもしれない」と告げる。空想好きなオフェリアは、その言葉を真実だと思った。少なくとも、自分が暮らしている現実の世界よりリアルに思えたのだ……。
そこで、オフェリアは牧神パンから魔法の国のプリンセスになるためのみっつの試練を与えられるのだが。
……というのが簡単なあらすじだ。
ギリギリ最後の瞬間まで彼女を救おうと機能し続ける彼女自身の空想力の、身震いがおきるほどのいたましさ、哀しさ、それから、
ひとの心が元来持っている想像力の強靱さというもの……。
映画を観ているひとたちは、その表現に圧倒されて、この映画のもうひとつのテーマになかなか気づかないでいる……と思うのは、この映画の評論をざっとネットで調べてみたうえでの私の感想だ。
もうひとつのテーマとは、「革命の試練」ね。
いや、本当に本当なのよ。
(^_^;)
革命と言って悪ければ、いま世界で吹いている新しい風についての映画なのだと言い換えてもいい。
だけど、「新しい風」なんて言ってもそれはそれでわかりにくいじゃろ?
ともかく、芸術家たちは、時代の風の流れに誰よりも敏感なひとたちで、だからこの映画は1944年のスペインを舞台にした未来についての映画なのだ。
*以下、ものすごネタバレあり。
この映画が本当に逃避のためのファンタジーでしかないというのなら、最愛の母が弟を出産するとともに亡くなったとき、その逃避行動はより深まらなくてはいけないはずだ。しかし、映画ではむしろ、彼女の空想世界はいったん後方へとひき下がってしまう。
少女オフェリアが牧神パンから魔法の国のプリンセスになるためのみっつの試練。
1つめの試練は、腐りかけた大木の地下に眠っている大ヒキガエルを退治して魔法の鍵を手に入れることだ。この大ヒキガエルが大木の栄養分をぜんぶ吸い取ってしまって、だから木は今にも朽ち果てようとしてる。魔法の鍵を手に入れることに加え、この醜悪なカエルを退治することがオフェリアの試練だ。と言葉にすれば一目瞭然、これは、
搾取構造との対決
を意味している。
2つめの試練は、ハードルが高くなる。子どもを食い殺す怪物の眠る部屋に侵入し、テーブルに置かれている豪華な食事にはいっさい手をつけないまま、魔法の鍵を使って短剣を手に入れること。
……変節への誘惑
だ。
出世と引き換えに仲間の組合員を裏切ったり、マンション立ち退き反対運動のまっただ中で自治会長が買収されたり、実によく聞く話(笑)。
そして、牧神パンがにオフェリアに要求する最後の革命のための試練。それは
血の代償だ。
革命の実現のためには、無垢な者の血が必要なのだとパンは言う。ためらうな、考えるな、とパンはオフェリアをせかす。後方からは、銃をかまえたファシストがせまる!
「疑問を持たずにただ従うだけならもはや人間ではない」
という言葉を残し殺されたフェレイロ医師の姿と、牧神パンのおぞましい要求とが鏡のように対比しあう。
革命には本当に血の代償が不可欠なのか?
そうとうなネタバレになるけれど、この映画を撮ったギレルモ=デル=トロ監督は
「ノー!」
と言っている。
3つめの試練に対してノーと答えるために、この映画は作られたと言ってもいい。
物語は終わり、あとはエンドタイトルを待つばかりだ。最後の最後に、森の奥で一輪の花がひっそりと咲く。一番目の試練でオフェリアが大ヒキガエルを退治したあの巨木の枝に、その花は咲いている。
……。
そうだ。
ファシズムの暴風の中で、すべてが根絶やしになったように思えても。
「みんなもっと仲良く暮らそうよ。そのほうがきっと楽しいよ」
オフォリアの業績を消すことは誰にも出来ない。
じめじめとして、暗くて、醜い虫たちがぞろぞろと這い回っている、そんなオフェリアの魔法の国。
その魔法の国よりもさらに醜悪な現実の世界。
どちらにせよ、最後に残ったのは、オフェリアが世界に対して示した小さな勇気、開いて見せた偉大な何かだ。
瞳を閉じるように、そっと映画が終わる。
ここから先は、また違った新しい物語が必要となるだろう。花が咲いたなら、タネも蒔かれていくはずだ。いや、蒔かれなくてはいけない。
と、こんなふうに箇条書きに並べ立てれば、ファンタジー映画のみずみずしさもなにも吹っ飛んで、妙に教条的かつ乾物的になってしまうなあ。
……。
……。
……本当に本当に本当にそういう映画なんだかんね!
ところで、話はがらりと変わるけど、この映画のテーマが「革命の試練」だと正しく捉えてるひとはどれくらいいるんでしょうかね?
ざっとだけどネット上を見回ったところ、この点に言及をなさっているのは、
もとサッカー日本代表監督トルシエさんの通訳をやっておられたダバディーさんくらいだったんだけど。
余計なお世話かもしれないけれど、すっごい不安。
ダバディーさんは日本在住のフランス人なわけで、こういうテーマに敏感に反応できるのは、ヨーロッパの市民運動のなっがい歴史があるからなんだろうか? なんてふと思ったりした。
*映画『殺人の追憶』を観ました*(2007.10.12)
「セリフは必要ないわ。私たちには顔があったから」
〜映画『サンセット大通り』〜
「盲人の願いは目の見えることだけです」
〜映画『ベンガルの槍騎兵』〜
「いま笑おうか? それとも面白くなるまで待とうか?」
〜映画『深夜の告白』〜
雑誌『Cut』の編集者が
「『踊る大捜査線』の五万倍おもしろい」
と断定し(*踊る〜の映画と呼ぶことも出来ないヒドさ、もとい面白さについては、破壊屋・ギッチョさんところのこのコラムがくわしいです)、
井筒和幸監督が
「ニッポンの薄っぺらな刑事映画ばかりを眺めてきた観客たちも、この大問題作には腰を抜かすことだろう」
と絶賛した韓国映画ボン=ジェノ監督の『殺人の追憶』を観た。今ごろになって劇場公開は確か2003年だから、4年越しでようやく観賞となったわけだ。
自分で言うのも何だけれど、これまでの人生で私は良い映画ばかりを厳選して観てきたので、さすがに腰を抜かすことはなかったが、『踊る大捜査線』の5万倍は面白い、というのはウソでもはったりでもなく、まさしくそのとおりだった。これほど完成度の高い脚本に出くわすことはなかなかない、というくらい、脚本がしっかりしている。どれくらいしっかりしているかというと、10代のころに観た『タクシードライバー』をほうふつとさせるくらい、しっかりしていた。これは思わぬ収穫だった。私はなによりもまず脚本を重視して映画を観るタイプの人間で、これまで観てきた韓流ドラマも韓国映画も脚本の雑さがどうしても気になってしかたがなく、そんなこんなで、この映画も4年間ぽっぽらかしになっていたのだ。
映画館でテレビ局の番宣ばかり観ているキョウビの若者なら、きっと大喜びで腰を抜かしたに違いない。
世の中には「映画」というジャンルがあるのだ。
話ついでに書いておくと、脚本の大切さを私に教えてくれたのは(というかすり込んだのは)、『タクシードライバー』で、この世には脚本の出来うんぬんを超えた所に存在する映画もあるのだと最初に教えてくれたのはアンドレイ=タルコフスキーの諸作品だった。どちらも10代に出会えたことは幸運だった。
……。何の話をしていたかというと、そうそう、『殺人の追憶』だった。
映画は、韓国で実際に起きた未解決連続殺人事件を題材にしたフィクションだ。1986年、韓国のとある農村で手足を縛られた若い女性の変死体が発見される。その後、同じ手口の連続殺人事件が相次いで起きる。現地には特別捜査本部が設置され、空前の捜査体制が敷かれるが、懸命な捜査も空しく、有力な手掛かりが掴めない。苛立ちを募らせた捜査陣は容疑者を拷問したり証拠写真を捏造したりしてなんとか犯人を仕立て上げようとするが、捜査は行き詰まり、犠牲者だけが増えていく。その上地元警察のパク刑事と、ソウル市警から派遣されたソ=テユン刑事は性格も捜査手法もことごとく対称的で、ことあるごとに衝突する。そんなとき、ある有力な容疑者が浮かび上がってくるのだが……。
とまあ、ネタバレせずにあらすじを書くとこんな感じだ。
実際の事件は80年代韓国軍事政権下で発生した。この事件は、当時の韓国国内の軍事政権に対する民主化要求がやがて全国的な広がりをみせ、最終的に直接選挙によるノ=テウ政権が誕生するまでの時期とぴたりと一致しているのだという。
そうした史実をふまえて映画を鑑賞すると、面白さもぐっと深くなる。
この映画で、容疑者を軍靴でけり飛ばして自白を迫る刑事が出てくる。拷問の跡が残ってはいけないので、靴下を軍靴の上から履いて、それで容疑者を蹴るのだけれど、韓国映画特有の体当たりぶちかまし演出がハマって、観ていて、
いたい!いたい!
(;^_^ A マジで蹴ってるでしょ?という感じ。
ところがこの刑事が、学生たちとのケンカの際に受けた傷がもとで、片足を切り落とすことになる。彼のデスクのしたに、ぽつんと残った靴下を履いた軍靴。これは、犯人探しのヒントというようなものではまったくなく、学生運動の高まりと治安部隊との衝突、そして軍事政権の終わりを意味しているシーンなんだけれど、この映画は連続殺人事件という物語をレール代わりにして、軍政時代のゆがみ、暗さ、見通しの悪さ、陰湿さ、目に見えない異様さ、押しつぶされた人々のありさま、そういうなんやかやを描こうとしている……つまり、ある意味
韓国版『砂の器』なんだ
と、言葉にしてしまうとただそれっきりのことになってしまう。これといった説明もセリフもないのは、わかりやすくないからこそ生まれてくる作品の重さ、深さ、というものもあるからだ。いやいや、軍靴うんぬんのシークエンスは、わかりにくい、というほどのものではないかもしれないけれど、最近続けざまに
「『第三の男』のラストシーンは、これはいったいなんなのですか?」
「『タクシードライバー』のトラヴィスは結局いいひと?悪いひと?」
「『亀も空を飛ぶ』は暗い」
などという話を聞かされ、
映画鑑賞初級講座をば、ぶちたくなりまして……。
完成された脚本と演出力によって、実に見応えのある出来栄えになっている「わかりにくさ」。映画監督はスクリーンに映しだされる作品の中で、せいっぱい芸をしてみせてくれているのだから、少なくても私としては、監督たちが何か芸をしてくれているということだけでもわかっていたいと思うし、できうることならば、この掌の上で監督の芸を見下ろすことが出来れば……それが理想だ。
映画のラストで、もと刑事が、側溝の下をのぞき込む。そのとき、もと刑事が見たものについて、映画としては何の説明もないから、いろいろな解釈が可能だ。解釈などせず、スクリーンが映しだしているものを観て、役者のセリフを聞いて、ただそれをわかる、という映画の鑑賞の仕方もあるかもしれない。
ネタバレは言うまい。名状しがたい奇妙な余韻を残す映画だ。
ラストに名状しがたい余韻を残す映画と書いて、突然、イサベル・コイシェ監督の『あなたになら言える秘密のこと』をいま思い出した。
……ごめん、脈略なくて。ワシの頭の中では観賞初級講座というジャンルで繋がってんの。
(;^-^ゞ
『あなたになら言える秘密のこと』というタイトル通りのストーリーを経て、映画はラストにさしかかり、主人公のハンナには、実は
「“あなたにも言えない”秘密」があることが判明する。
あなたにも言えない秘密は、彼女が死ぬまで誰にも明かすことのない永遠の秘密なのだから、映画を鑑賞している私たちにもけっして明かされはしない。明かされはしないけれど、ヒントはある。映画の中でちりばめられてきた伏線、それから、ラストのモノローグといったものに正しく向き合ったなら、あるひとつの答えが導き出されるはずだ。その答えに気づいたとき、静かな戦慄が背筋を走り、スクリーンにはエンドロールが優しく流れていく。
『あなたにも言えない秘密のこと』だって『殺人の追憶』だって、難解な映画などでは決してなく、むしろ明快な映画だと思うけど、それにしたって、映画はいつだって、このように、特殊な言語で私たちに語りかけてくる。
絵画がそうであるように。
音楽がそうであるように。
私たちが知っている退屈きわまりないいつもの風景の向こう側に息づいている世界の真実について、モーツァルトが、レンブラントが、キアロスタミが、私たちに伝えようとしていること。
芸術なのか、はたまた娯楽作品なのか、そんなことはどうでもいいことだけど。
*日本改革☆今月号*(2007.10.10)
「2年おきか4年おきに投票所を訪れ、人々の資産状況を救済すると約束しながら実際は何もしない候補者の名前にマークをつける権利を人々が持っている限りにおいて、そしてまた、権力や社会の仕組みに関する見解を、それを表明することが現状に何らかの影響を与えうるかどうかにかかわらず、処罰される恐れなしに表明することができるような最低限の自由が少なくとも存在する限りにおいて---その影響力は、おおむね、どれだけのお金を持っているかによって決まるのだが---それを米国は「民主主義」と呼ぶのである。」
〜ウィリアム=ブルム『アメリカ国家犯罪全書』〜
「フィクションは可能性を固持する義務がある。真実にはない」
〜マーク=トウェイン……すげえ〜
マーク=トウェインは、
「自分を元気づける一番の方法は、誰でもいいから他人を元気づけることだ」
と言った。
素敵な考え方だと思う。
で。最近すっかり元気を無くしている私も、ここで一発、他人を元気づけることにした。
ワシが元気になるために、みなさんに、この情報をお送りするじゃあ〜!
「Democracy
Now! JAPAN 連続イベント〜マイケル・ムーアの『シッコ』は何を問いかけているのか?〜」
どーん。
10月11日の18:30分から、中野でやるんだと。ムーアのロング・インタビュー映像ありだそうな。
ほんのちょっとだけ、元気になったな。
よかったな、みんな。
よかったな、ワシ。
さてさて。
私は死刑廃止論者だし、我が家のぽんこつ車(しゃれならんくらいにぽんこつだ)はホンダだし、F1に何の興味も持ったことはないけれど、
日本の美の伝統には最近ものすっご興味があるので
きっこさんとこの、このコラムにリンクをば。
はー、今年、鈴鹿でなかったのは、そういうことがあったのね。
(^_^;)
軍部の暴走を政府も国民も止められず、日本全国つつうらうら焼け野原になっちまったのは60年くらい前のことだ。今度は多国籍企業の暴走を政府も国民も止められなくなってしまって、まあなんだ、こういうのが脈々と受け継がれている伝統というものなんだろうと……。
というわけで、飛び出せ驚けジャジャジャジャ〜ン! 今月の構造改革発表!
ぱふぱふ!
●「郵政民営化」
日本郵政公社が日本郵政、郵便事業、郵便局窓口、貯金、簡易保険の4っつの民間企業にわかれ、だからどうなんだというと、効率化を図る企業努力で利用者の負担ばかりが増えました、と。小為替なんて、利用できへんで、これじゃあ。
●「雇用対策法改定」
雇用対策基本計画をぽい。つまり、雇用問題なんて国は知らんぷりしますよ、と。いっぽう、外国人労働者の雇用状況は国への報告の義務が。マイノリティーには徹底的に厳しく。
●「雇用保険法改定」
国庫負担の5割削減。自己都合離職の受給資格を6ヶ月から12ヶ月にひきのば〜し! 季節労働者への特例一時金削減。……企業努力(企業献金のばらまき)のかいがあったのだ。
●「厚生年金保険料引き上げ」
今月の給料明細を楽しみに。 日本企業の国際競争力をアップするために、なんかもう、いっぱい天引きされてるから。
●「そして値上げ」
食用油。冷凍食品。小麦粉。電気料金。ガス料金もだ。
だ〜れか〜と〜め〜て〜。
(T△T)
なんかさあ、イギリスでは今、
原則無料の国民医療サービス制度
を
さらに拡充しようと
与党と野党がわんわん議論している真っ最中なんだそうだが、サッチャーの「痛みに耐えて民営化構造改革」で医療費バカ高になってしまった反省と修正をきちっとしているみたいですわ。
マイケル=ムーアの映画でもちょこっとやってたけど。
かたや、今の日本が目指しているのは
「はらったお金の額で医療の内容が違う格差医療」
お財布具合でお好きな医療プランが組めますよ、と。
わーい、ランチメニューに150円プラスでコーヒーがつくよう! 200円プラスでドリンクバーだーい!
……ってよう、介護保険の導入の時も喜んだよな、わしら。
結果はつうと、老人介護なんて金にならんとわかった企業がのきなみ手を引いて、介護保険料ばかりが値上げされる始末。
ようよう考えてみれば、
国民の老後を政府が企業に金で売っぱらうってことだろ、これって?
わー、伝統のちから〜(棒読み)。
自民党に莫大な政治献金をし、民社党にはというと、同じ額の政治献金をする。それで企業のリスク回避はオッケー! 2大政党制度で、みなさん、投票日にはかならず投票しましょう! となる。簡単だな〜。
土砂降りの雨の中、迎えのバスを待って立ちん坊。
あと5時間バスを待つのか、それとも数キロの道のりを歩くのか、どちらにしても自己責任でお願いします。
♪ギンギンギラギラ 夕日が沈む♪
♪ギンギンギラギラ 陽が沈む♪
声に出して歌うと、今のワシの心境になぜかぴったり。
(^_^;)
マジな話すると、グローバリゼーションなんてありがたがっている場合じゃないよ。
地球人類は、その他の地球全生命体に対して重い責任を背負っているわけだし、企業の暴走を何らかの形で食い止めなくちゃいけんと思う。
暗いニュースさんとこの『ミャンマー:軍政とビジネス』という記事を読むまでもなく。
人類がギンギンギラギラしていられる時間は、実はあとわずかだ。
信じられないかもしれないが本当です。
電気が消えたら影まで消えた。
このままじゃあ、いずれ、そうなる。
*数少ない友好国がですね*(2007.10.4)
「軍事政権を支援し、そのために自ら約束した民主化の実現が先延ばしになっていることに対して、怒りが高まりつつある」
〜『ファー・イースタン・エコノミック・レビュー』〜
「カナダでさえ遠ざけてしまうとは」
〜ノーム=チョムスキー〜
「見る値打ちのある物を、と言ったろうに。わたしはあんたにあんた自身の姿を見せてやったのさ」
〜アーシュラ=K=ル=グウィン『こわれた腕環』
ミャンマーで毎日のように起きているいつもの「偶発的殺人事件」に、なんと日本人が巻き込まれて、テレビを観ている私たちも
「へえ〜、ミャンマーって軍事政権だったのか」
などと驚いてみたり、
「許せない!」
と怒りを覚えてみたりしているわけだけど、実はミャンマーって日本の友好国なんだよね。
外務省は頭抱えてるんだろうな。
在日ビルマ市民労働組合のティン・ウィン会長のご報告。
「最高実力者のタン・シュエ議長は愛国主義者のふりをしているが、実際は力を求めるテロリストでしかない。カメラマンの長井さんらを無差別に殺害している」
愛国主義者のふりをしているが、実際は力を求めるテロリストでしかない……って、思いがけず、
デジャブ!
(^_^;)
しかし、なんかこう、
日本の友好国ってこんなのばっかりになってきた。
国際的にどんどん孤立してさ。もと共産圏から分離独立したちょっといかがわしい国とか、東ティモールとか。ミャンマーとか。
アメリカ合衆国とか。
いや、無理して毒吐いているつもりはないんだけど、ホントのことだから。
そういえば、映画『ランボー』シリーズの最新作『ランボー4』では、スタローンさんがミャンマーに乗り込んで、ミャンマー人どもを皆殺しにしてくれるらしいんですが、スタローンさんって、こっちのドキモを抜くくらいアメリカを体現していて、素晴らしいなあ。
「(敵役を)アルカイダにしようか考えたが、最終的に、みんなが大嫌いなミャンマーにした」
と言うスタローンさん。
いや、意地悪でもイヤミでも嫌がらせでも何でもなく、みんなが大嫌いな国はどこか全世界でアンケートをとったら、結果はダントツにアメリカ合衆国でしょう。
理由は、アメリカという国全体が乱暴だから。 ランボーなだけに……、あ、急に寒くなりましたね(苦笑)。
ともかくこの映画、タイミングがあまりにも絶妙すぎて、日本じゃあ公開できんかも?
(^_^;)
別に公開せんでも個人的にはかまわんけどね。
ランボーは結局、新しい憎悪を生みだしているだけだ。
(^_^;)
とつぜん話が変わるようだけれど、私はサッカーが好きで(観るほうな)、Jリーグでもっとも良いサッカーをしているボンカレー……じゃないヴァンフォーレ甲府の情報をネット上で探していて、どういうわけか、こういうページを見つけた。
『フランコさんのイタリア通信』
「「ぼくらは2002年のW杯のときに仙台へ行って、
ベガルタ仙台のファンになったんだ。
ぼくらは、ベガルタという名前の由来を
日本人たちに聞いたのだけど、
その説明ときたら、詩のようだった。
ほんとうかどうか確かめていないけど、
その説明には詩情があふれていて、
ぼくらはすっかりファンになってしまった。
だって、その名前はヴェーガとアルタイルという
ふたつの星の結びつきからつけたって言うじゃないか。
恋し合うふたつの星の名前をつなげてあげて
サッカーチームの名前にするなんて、
日本でなければ、ありえないよ」」
日本でなければありえない、かどうかはわからないけれど、詩のように美しいというのは、その通りだと思う。
美しさは国境で縛られたりしないし、民族なんてものも関係ない。だけど、この小さな地域に暮らしている人間に特有の文化的美質というものがあるのだとすれば、例えば仙台にあるサッカーチームの名前の由来のなかに見いだせる。
まあ、いっぽうでは、国技とその伝統というレッテルの裏側で、
親方と兄弟子が17歳の序の口力士を金属バットでけいこをつけて殺してしまう
という事件が明るみになったばかりだ。
排他主義や禅思想の悪用(日本の軍部が悪用の限りを尽くして、狂気と言っていいほどの暴力の暴風を軍の内部と外部にもたらした)、全体の空気に流されることをよしとする風潮……これらも確かに伝統ではあるかもしれないが、美しいと言うには、あまりにも無理があるよな。無理でも何でも押し通すのが愛国なのだ、ということなのかもしれないが。
「狼は生きろ、豚は死ね」というスローガン、
限度いっぱいの幸福、飽くなき消費……、これらは比較的新しい価値観で、この地域に急速に広まり定着した。
最近、
「労働者とか、そういうことをあまり言わないほうが良いですよ、気を悪くする人がいると思わないんですか?」
とある人から注意されたことがあって、私はぶったまげた。
労働者って言葉は、差別用語か何かなのかね?
私たちのめざしている「美しい」とは、こういうことだったのか。
確かによう考えれば、よほどの変人を別にすれば、労働者呼ばわりされて喜ぶ人はいないのかもな。
だけどワシは変人なのだ。
ナイトライダー、夜空を見上げれば思いだせ……違う違う、思い出すのはベガルタ仙台という名前の由来だ。
ワシはそう考える。
*コンビニ弁当ミッドナイトゴーストトレイン*(2007.10.2)
「私たちがみな狂っていることを思い出せば、神秘は消え失せ人生は説明がつく」
〜マーク=トウェイン〜
「地獄への道は善意で敷き詰められている 」
〜カール=マルクス〜
「アップルはハードウェア屋ではなく、問題解決の手法を提供している会社だと私が考えいる……。
今残っているのは、私がつけたMacintoshという名前と、私の論文から勝手にとられたQuickDrawという名前だけです。」
〜『マッキントッシュ誕生の真実』ジェフ=ラスキン インタビュー〜
「夢の中で、なにか巨大な、形の定かでない妖怪に追われて、はてしない雪原を逃げまわり、そこからさらに……」
〜『シャイニング』スティーブン=キング〜
『コンビニ弁当16万キロの旅』という本を買った。
子どもむけの本だ。こういう本があれば、私はどうしても買ってしまう。深夜たまたまつけたテレビで見た出来栄えのよいホラー映画のように、目が背けられなくなってしまうのだ。私にとって「コンビニ」はそういう存在で、コンビニエンスストアにまつわる本、例えば、コンビニエンスストアばかりを撮った写真集があれば、私はきっと購入してしまうだろう。
コンビニエンスストアが持つ、ぬぐいがたい不吉さ、という話に、同意してくれるひとがどれだけいるのかはわからないけれど、私にとってはそうだ。
東京で暮らしていたころは、コンビニエンスストアにずいぶんとお世話になった。
煌々と明るく清潔な光。
24時間営業。
店内に流れる音楽。当店だけのお得な情報。
おでん。サンドイッチ。ぱりぱり海苔のおにぎり。新聞。雑誌。CD。DVD。
そして無残な暮らし。
ハア、とため息をついて、思わず
「無残だなあ」
とつぶやけば、私の脳裏に浮かぶのは、いつもコンビニエンスストアの眩しい灯だ。
買ってきた本を家で開いてみる。まずは目次からだ。
「コンビニ食品は日常の味」
「コンビニ弁当の売れ行きと仕入れ数」
「売れなかったお弁当のゆくえ」
……うわっ!
まさしくホラーだ。ホラーの王道だ。
そして、なんと無残な。
「お弁当の注文をしてみよう」
「お弁当工場の全体図」
「工場内では「食材あともどり禁止」」
「食材はどこからやって来る?」
こわいこわい。
本当に恐ろしい。
「日本の食料自給率は最低」
「フード・マイレージからみえてくるもの」
「水が少ない地域で争いが少ないのは……」
「牛はなにを食べている?」
目次の最後はあとがきにかえて、となっている。
「「便利さ」の光と影」
……つらい。コンビニとは、なんとつらいものなのか、と思う。
本文を読み始める。
最初はこの本を読むだろう子どもたちにむけた、気軽なクイズだ。
コンビニでもっとも売れるものは?
学校がある日にコンビニを利用する回数。
コンビニ食品は美味しいか。
それぞれ、グラフによって回答が示されている。
回答は、どれも、日本における人々の暮らしそのものだ。
本から顔を上げ、目を閉じると、コンビニエンスストアの灯の前で若い女性がなきじゃくりながら呆然と立っている。土砂降りの雨でも降っているとなおいい。化粧がぐしゃぐしゃになって、でも彼女自身、どうして自分がこんなに傷ついているのかわからない、というような場面を私は想像する。我ながら
陰湿だなあ。
(^_^;)
だけど、、自分の頭の中の絵にひとりうなずきもするのだ。日本の風景を描いたという意味では、
トトロのバス停前のシーン以上の名場面ではないか、と。
彼女は傘をさしているか? その傘は、コンビニのビニール傘だったりするのか? 想像上の場面はどんどん具体的になっていく。
そして、つらい。
Mac誕生にまつわる書籍を読むときも確かに辛い。あれは、失われた理想についての辛さ。だけど、コンビニの辛さは、きっかけというほどのことがなくてもアッというまに崩れ去る暮らしと、崩れ去った自分自身に途方に暮れてどこにも行き場のない、という悪夢の辛さだ。
「希望とは世界の状態ではなく、心の状態である」
と言ったのは、誰だったか?
「希望とは、価値があるという理由で行動できる能力である」だったっけか?
ごめん、うろ覚えだ。
コンビニエンスストアの灯だけが眩しく光っている。
近づくと、自動ドアが左右に開く。
--☆---
ぶらぶらネットで時間つぶし。
「アジア諸国の劣等な民族どもから美しいヤマト民族を守らねばならん」とおっしゃる日本の指導者の皆さんが、日本の未来をになう子どもたちに何をしているかというと、某所によると、まあ、こんな感じ。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1007862.html
この手の残酷さは、人を選ばないし、
限度というものも知らない。
(^_^;)
宮崎駿監督が『千と千尋……』でほのめかした、子どもたちがこれから体験するだろう地獄絵図が、着実に現実のものとなりつつある。
千尋が帰っていく場所、千尋がこれから味わうだろう想像を絶する苦渋、映画監督の宮崎監督は子どもたちに
「グッドラック」
としか言い様がなく、だからそのように映画を締括った。
もう少しぶらぶらしてみよう。
町山さんのブログでは、民営化された軍隊の腐ったありさまについて教えてくれる。
まあ、こんな感じ。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20070925
最後に、暗いニュースさんところから映画情報を。
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2007/09/post_02f6.html
デ=パルマの新作はよそでも好評価だったし、観たいですね。
*『シッコ』*(2007.9.25)
「おじさん、わたしがいちばん頭にくるのは、この人たちがどんなに物知らずかということでもなく、どんなに大酒飲みかということでもないんです。それよりも、この世の中のすてきなものはぜんぶ、自分たちか自分たちの先祖が貧乏人にくれてやったものだとする、この人たちの考え方が気にくわないんです。」
〜カート=ヴォネガット『ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを』〜
「もし私が人間や天使のことばを語ったとしても、金がないなら、私は鳴り響く真鍮、騒がしいシンバルに過ぎないでしょう」
〜ジョージ=オーウェル〜
「拝啓カート=ヴォネガットさま。
笑いだけではもう間に合いません」
〜溝江純〜
「私はシュワルツネッガー知事に『若いころを過ごしたオーストリアと同じような世界基準の保険制度をカリフォルニア州に導入する!!』と宣言してほしいだけだ。彼の健康的な体を作ったオーストリアの保険制度をね」
〜マイケル=ムーア〜
マイケル=ムーア監督の最新作『シッコ』を観てきた。
くわしいことは、ここでは書かん。
映画館に足を運んで自分で観にいけ、今すぐ観にいけ。
生き延びるために、親切とは何かを学ぶために、夕飯抜いて会社をさぼってデートをすっぽかして観にいけ。
民営化をありがたがって医療保険制度で利益を得ようとした結果、アメリカの医療がどないなことになったかの物語でもあるし、
近未来の日本の姿を予告したノストラダムスSF映画
でもあるし、『シリアナ』とならんで最低の邦題の映画でもある。
……『ビョーキ』でよかったんではなかろうか。
(^_^;)
ネット上を色々彷徨ってみると、日本のお医者さんの『シッコ』評を見つけた。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iyatsue/sicko.htm
「マイケル・ムーアは「他国の良いところ」だけをあえて例示しているように僕には思えました。逆に言えば、切り口しだいで「最先端の医療技術で小さな子どもの命を救える、素晴らしいアメリカ医療」というドキュメンタリーを「画一化された日本の医療」と比較して作ることだってできるはずです。」
「マイケル・ムーアの主張に強く頷く一方で、僕のなかでは、「でも、もし今のアメリカに『国民皆保険』が導入されたら、アメリカの財政は崩壊してしまうのではないか?」という気持ちもあるのです。人々はもっと「薬漬け」になり、行き場の無い人たちは病院に住むことを要求し、医者は診察室よりも被告席にいる時間の方が長くなり……」
私はあえて何も申しません。
自分の言葉の残忍さに、自分自身が気がつかなくちゃどうしようもないと思う、いや、余計なお世話だけど。ただ、例えば、ナチの人体実験は医療を格段に進歩させたけど、だからナチの人体実験を肯定するのかね? とは思うけど。
「みんなが「キツイから風邪くらいでも救急車で病院に行く」ようになれば、日本の救急体制なんて、一晩でおしまいです。「呼ばれたら断らない」という救急車のシステムがなんとか維持されるためには、「利用者側の節度」が絶対必要なんですよね。もう、これも破綻寸前なわけなのですが。」
いや、実際のところ、風邪くらいでも救急車を呼ぶなんてやつは、自分が世界を支配していると錯覚している億万長者か、
人権とは独占する権利のことであり、人間的営みとはつきることのない消費と快楽のことなのだという教育を真に受けて育った日本人くらいだろ。
あ、また毒を吐いてしまった。
つか、「イラクで戦争してたら財政が破綻する」とは誰もいわないのに、「風邪こじらせて救急車呼ぶやつがいる」から国が崩壊するなんて心配はするんだよな、人間って不思議だよ。
誰だって、追い剥ぎにバックごと財布を盗まれたら、「ひどい」と思うだろ? なのに、お年寄りや病人から金を巻き上げるのは「保険業界の利益に繋がるからヨシ」「国の財政が潤うからヨシ」って、どうしてそこまで冷酷になれるのか、ぜひとも教えてほしい。
ぜひともだ。
私は、個人的に、親切とは何かを学ぶために今日までだらだら生きながらえてきたと思ってる。
保険会社も利益をあげなくちゃいけないとか、国の財政が崩壊するとか(経済封鎖されているキューバでラクラク出来ていることが世界一の大国アメリカ合衆国で実現させようとすると財政が崩壊するのか!)、そんなこと知らんよ。
親切とは何かを学ぶこと、他人に親切にする喜びを体験すること、我々地球人類にとって、それ以上に重要なことがありますでしょうか?
映画が終わり、エンドテロップが流れて、「ありがとう、カート=ヴォネガット」という文字が突然ドカンと目に飛び込んできた。
ああ、ムーアもヴォネガットの息子だったんだ。
……。
まあ、とにかくだ。
賛否両論けっこう、とにかく観てくれ。
今日まで生きてきてよかった! と思えること、うけあいだ。
*百鬼丸とさしむかい*(2007.9.20)
「女は産む機械」
〜柳澤伯夫元厚生労働大臣〜
「女性は視野が狭い」
〜森喜朗元首相〜
「原爆投下はしょうがない」
〜久間章生元防衛大臣〜
「(農水大臣の自殺は)ベストの選択だった」
〜柳沢伯夫元厚生労働大臣〜
「(ホワイトカラー・エグゼンプション制度の)名前を『家庭だんらん法』にしろと言ってある」(←無制限のサービス残業が家庭だんらん法! ふつうサービス残業のほうを禁止するもんだろ! 残業した社員が残業費を受け取ることを取り締まるって、すっげえ!)」
〜舛添要一厚生労働大臣〜
「権力の頂点に立つ私」
〜アヴェさん♪〜
子どものころから繰り返しねぶねぶと読んできた手塚治虫大先生の傑作漫画『どろろ』もついにボロボロになってしまった。なので、新しく買い直してみたところ、一部セリフが初期のものと変わってしまっていた。
いわゆる差別的内容、もしくは表現というやつを削除し、修正した結果らしい。
階級意識むきだしのサムライが、主人公百鬼丸に向かって、侮蔑の意味を込めて差別的な言葉を投げつける。こうしたシーンにおけるサムライ側のセリフが、のきなみ修正されている。
新しい改訂版の『どろろ』では、敵側のサムライは百鬼丸に敵意こそ抱いていても、差別的な意識は持っていないことになってしまっているのだ。
「人類共同体の内部から、差別を根絶する」とは、果たしてこういうことなのか。「もちろん、こういうことなのだ」という意見もあるだろう。
いっぽうで、例えば某国某都知事の「三国人発言」などは、差別ではなく区別だ、という解釈で一応の落ち着きをみせ、なんら訂正されないままだ。
某国某都知事のあの発言を支える背景、文脈から、しっかりと正しく意図を受け止めるとするなら、発言の本質は「さげずみ」と「悪意」でしかないだろうし、もっとはっきりと言えば、
三国人と分類されるようなひとたちは私たちとは違って危険きわまりないのだから、私たちは初めからそのつもりで対応するべきだ
となる。
さらにさらに、
「三国人たちというレッテルを貼られた人々はどうなってもかまわない、どんなにひどいことになっても関係ない。なぜならば……」という枕詞を付け加えれば、解釈としては百点満点のはずだ。
問題とされた発言は客観的事実にもとづいたうえで、公共社会に必要と考えられる「区別」を意図したものなのであり、差別とは言えない、とまあ、結局そういう主張がなしくずし的に採用されて、私たちは「事実」を「事実」として淡々と受け止め、現実として消化し、日常を過ごすこととなった。自分たちとはモラル意識も違うから、ひょんな拍子で反社会的行為に走ってしまう危険な人々が存在している……だから、区別するのだ、と。
これが、
私たちが社会的に共有する、最新のストーリーだ。
では、アウシュビッツも区別だったのか。
子どもたちが面白半分に浮浪者(←差別的表現!)に火をつけて回るのも区別なのか。
それも区別なのだ、と、少なくとも私たちは私たちの子どもたちに積極的に教育しているし、これからもしていく。
「ユダヤ人がどうなってもかまわない」
「公園で寝泊まりしている人々がどうなってもかまわない、なぜならば……」
○○と分類されるようなひとたちは私たちとは違って危険きわまりないのだから、私たちは初めからそのつもりで……以下略。
いや、まじめな話。
その場その場の都合やノリのようなもので「差別」と「区別」を使いわけ、使いわけることによって、犯罪行為の自己正当化だったり刹那的な気晴らしだったり物質的利益だったりを得ることに成功している。
かくして、日本という国、地域社会は、どこまでも清潔で美しくなっていく。『どろろ』という作品のコンテクストも手塚センセが意図したものとは大きくずれていき、最終的には存在してはならないものがきれいさっぱり省かれた。
残されたのは「事実」と「区別」と、かたときも信用してはならない階級である「弱者」だ。
もし、いま、私たちの目の前に百鬼丸が姿を現したとしたら、私たちはきっと彼を殺すのだろう。
*生き延びて*(2007.9.19)
「「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようがないんだ。私は絶対に許さん!」」
〜自民党・野中ナニガシ〜
「クリントンのウソでは誰も死ななかった」
〜最新のアメリカンジョークだそう。味わい深い〜
結局「貧困の定着」が唯一の業績になってしまった
アヴェさんの後継者がフクダさんかアソウさんか、まあ、そんなことで世の中もりあがっているらしいけれど、差別発言連発で世界中から叩かれまくりのアソウさんか、年金の未納が発覚して官房長官を辞任したフクダさんか、どちらが次の総裁に選ばれるにしても
日本の未来はオウオウオウオウ♪
あのアメリカ合衆国ですら2006年度の世帯収入は上昇気味、貧困率も減少しているというのに、日本で上昇したのは労働時間、自殺者の数、ネットカフェ難民で、いっぽう減少したのは福祉支援、労働者の実質賃金(あはは)、ときたもんだ!
日本は目に見えない内戦状態に突入していて、戦死者は、自殺者だけで年間4万人にもう一息というところだ。
韓国のサラリーマンの皆さんは、16時半には仕事を切り上げて、そのあと家族と待ち合わせしてレストランでうまいもの食っているというのに、日本のサラリーマンは、砂漠の蜃気楼のような見えない戦争で、終ることのないドンパチをやらかしてる。
敗者、弱者はどうなってもかまわない、という思想を土台として、あえぐようにして生きる日常の先にあるはずの「幸福」というもの。
そうした日常に張り付いたようにして暮らしながら、私たちが育むのは、日本の伝統でも民族の美しさなどでもなく、ただの残忍さだ。
で、今のところ総裁選をリードしているのは年金未納のフクダさんだそうです。
……。
お昼に、マクドナルドに列を作っている日本のお父さんたち、ご苦労様としか言いようがない。
幸せになるためじゃなく明日死なないために、明るい未来のためではなく企業の競争力をつけるために。
あああ〜。せめてモスバーガーで列に並びたいものだが、それすらままならないのか……。
とはいえ、だ。
みんな、生き延びような。
たったひとつの命、落とさないようにしよう。
落ちるのは例のひとたちが、選挙投票日に。
ねえ?
*韓国へ行ってきました*(2007.9.12)
「人生、自分自身、我々を取り巻く世界について、どれだけ理解していないかに気づいた時に、我々一人一人に英知が宿る」
〜ソクラテス〜
「なんてったって親切でなくちゃいけないよ!」
〜カート=ヴォネガット〜
韓国へ行ってきました。
ごはんがうんまかった。屋台で売っているちょっとした食べ物もうんまかった。屋台のおじさん、おばさんに話しかけると、「ンギー!」と手を振り回し怒鳴るので、あらあ怒られた、と思ってると、あり得ないくらい親切にしてくれるのでびっくりもした。自分のお店ほっぽいて道を教えてくれたりな。
こういうこともあった。空港でもらったサービス券でお菓子を買おうとしたんだけど、店員のおばちゃんが怒りだしたので、このサービス券は使えないと言ってるのかな、と思ったら、さにあらず、
「もっと沢山買えるから、買いなさい!」
と言ってるようなのよ。じゃあ、もういっこお菓子を、と買い足したら、今度は「んぐ〜!」と言って、どんどん自分でお菓子を詰めてくれちゃいました。面倒くさそうな顔をして、
「アンニョン ハセヨ〜」
だって。
おばちゃん、すんげえ、かっこいい。
その他色々と楽しかったですが、詳細は、玲子がそのうち書くと思います。
ただ、韓国のタクシーの運ちゃんにこれだけは言っておきたい。
60キロ制限の道路を110キロでとばすのも、車線変更禁止の標識を無視して豪快に三車線ぶち抜きの車線変更を敢行することも我慢します、郷には入れば郷に従えとも申しますから。
ただ、バスの運転手と道を奪いあって映画『激突!』ごっこするのは、やめて下さい。
携帯電話に夢中になって赤信号の交差点をブッコするのも、どうか、どうか、やめて下さい。
大阪でこんな運転すると、恐いおじちゃんにピストルで撃たれますからね。
(^_^;)
ソウルの車道は無理な割り込み、むちゃな路上駐車のオンパレードで、教習所のマッドマックスと呼ばれた私など、韓国交通事情から見ればいかに小さいか。
しかし、世界にはさらに上があるからな。
ベトナム・バイク曲芸暴走団!
これが世界最強らしいです。
(^_^;)
さて。
韓国の話に戻って。
韓国のお母さんたちは、日本みたいに「人様に迷惑をかけないように」というふうにはしつけないらしいんですが、そのかわり、「困っている人がいたら、なんてったって親切でなければいけないよ」と子どもに教えるんだそうです。
バスならびにタクシーの運ちゃんたちの暴走運転ぶりと、屋台のおじさん、おばさん、道で出くわす子どもたちの親切さの理由がわかった気がしましたよ。
ワシは、「人様に迷惑をかけないように」という日本の古い教えは素晴らしいと思うけれど、今の日本の「他人は敵だ」という世界観、学校教育は、ものごっつ危険なものだと思う。
このまま行けば、日本という国を形作っている人間共同体は、内側から跡形もなく瓦解してしまうと私はそんなふうに思うよ。
まあ、そういう難しい話は今日は置いておくとして、繰り返すけれど、食いもんはめっさうまかった。
水キムチなるものも食した。韓国人は水までキムチなのか!
これまた繰り返しだけど、韓国にいるあいだじゅう、本当に、会うひと会うひとに親切にしてもらいまくりだった。これから、袋いっぱいのお菓子食べます。ありがとう、本当にありがとうね! カムサハムニダ!
*音楽の話など*(2007.9.8)
「貧しい民衆の子どもたちの間には、多くの才能が埋もれている。
彼らは知られないままで、しかも学び知る機会を得ないままに、完全に葬り去られている」
〜バルトーク〜
「「あんた方の耳はみんなおかしいって言ったんだ。そら、あれが聞こえないのかい?」
私たちはできるだけ耳をすませてみたが、首を左右に振るばかりだった。
「今でも私には聞こえてる。一度鳴くたびに、休息が要るように、規則正しく間を置いて聞こえるよ」」
〜在りし日のバルトークを回想するお友だち〜
「モーツァルトの音楽を聴くと、まるで私自身が良い事をしたような気がする」
〜チャイコフスキー〜
ベネズエラから、若手天才指揮者があらわれたのだそうである。名前は、グスターボ=ドゥダメル。
この日本では、リアル千秋(漫画『のだめ』の主人公の名前)みたいな言われ方をしているようだけど、わかりやすく言うとそういう感じかな。漫画と比べたらかわいそうだけど。
日本人のほとんど誰も知らないだろうが、ベネズエラは音楽の先進国で、青年オケが130、子どもオケも60存在しているという。何より凄いのは、
2歳半以上の子どもは希望しさえすれば誰でも国から楽器を無料貸与される
という事実だ。
地球は丸い、世界は広い、重度の肝硬変患者に生活保護打ち切りの辞退届を無理強いして書かせて、餓死させてしまう国に住んでいる私たちには、ひたすらびっくりだ。
生活保護者や国民年金を支払うことが出来なくて困っているひとたちに、地方自治体が救いの手を差し伸べるのはけしからんと言って政府自らがそのような自治体にペナルティーを課す「自由と権利」だけが認められているような国で、楽器の無料貸し出しなんてやらかしたら、マジで縛りクビになるかもしれんからな。
医療費の支払い能力のない人に医療を受けさせたり、楽器に興味を持った子どもに無制限に楽器を与えたりしたら、
「独占する権利」「獲得する自由」「永遠の成長」「競争社会」「結果主義」
つまりは残忍さの自己肯定というシステムを維持できなくなるから。
国際競争力をつけるための構造改革。時代を生き残るために、痛みに耐えて。エトセトラエトセトラ。しかし、肝硬変の患者が「おにぎり食べたい」と言い残して餓死しなければ維持できないような社会システムは、とうに破綻しているのよ! つーか、くだけちってしまえ。
(^_^;)
とにかく。ドゥダメルは「自由」と「権利」の解釈が私たちとはまったく違う国から現れた、全世界が注目の天才だ。
私が知っているかぎりでは、CDも2枚出している。ベートーベンの交響曲5番、7番。それからマーラーの交響曲5番だ。
指揮はもちろんドゥダメルで、演奏は2枚ともシモン・ボリバル・ユース・オーケストラというベネズエラの青年楽団が行っている。
調べてみてわかったんだけど、このシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ、
元強盗犯や殺人犯の子供も含む団員で組織されたオーケストラ
だそうで。
……本当に進歩した社会とは、どのようなものか。
ひとつのことをなしとげる、とは、こういうことを言うのだと私は思う。
そして、これらのCDは、芸術が社会に対して、人間共同体に対して何をなしうるかについての、ひとつの偉大な成功例ではないでしょうか?
まあ、ベネズエラの内部の事情についてほとんど何も知らないのだから、「成功例」などと断定することはできないはずだろうけれども、私は、その方向性がうらやましいのだ。「弱者から身ぐるみはがして経済大国」「周囲のアジア諸国を侮蔑することで美しい国の実現」……こんな道をどこまで歩いても、お先真っ暗だ。
私にとっては、だけれども。
「音楽とは、知恵よりも哲学よりも、更に高度の啓示である」
ベートーベンは言ったそうだ。
私はベートーベンの良い聞き手ではないけれど、彼の言うことはわかる気がするのだ。
--☆---
今度はヒップホップというジャンルの話。
エミネムといういけすかない差別主義者やろうがいるんだけど、それはそれとして(それはそれとしてはいけんのよ、本当は)こんなミュージッククリップをYou
Tubeにて見つけたので、リンクしておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=tD5WlQ54Sg0
♪ビン=ラディンはあの計画を破裂させへんかった♪
真実を見さらせ。*ピー♪
ブッシュがタワーを崩壊させんたんや♪
真実を言うてみ。*ピー♪
ブッシュがタワーを崩壊させんたんや♪
真実を言うてみ。*ピー♪
こういう感じかと。
(^_^;)
あと、ブッシュさんが歌う、U2の『sunday bloody sunday』をどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=d_vv12NSSZ4
公民権運動のデモを行っていたカトリックの人たち(アイルランドでは少数派)にイギリス軍が発砲し、多数の死者を出したアイルランドの『血の日曜日事件』に材をとった曲でありますが、それをブッシュさんが熱唱しております!
*痛みに耐えて構造改革(またかよ)*(2007.9.6)
「愛国心をモチベーションにすることはあるだろうが、行きすぎてしまっては醜いだけだ。
選手たちは自国のユニフォームに袖を通した時に、自ずと自分の中にモチベーションが湧き上がることは分かっている。けれども、愛国心を誇張したり、あるいは、逆方向に選手たちが誘導されてしまったりしては、プレーそのものができなくなってしまう。『負けてしまったならば、もう日本人でもなければ愛国者でもない』
なんて後々考えてしまう状況に選手たちを導いたら、それはもう悲劇なのだよ」
〜サッカー日本代表イビツァ=オシム監督〜
「「景気が悪くても社会保障費負担は増える。安定的に財源を確保することが基本だ」と述べ、2009年度の基礎年金国庫負担増に伴って消費税増税は不可避になるとの考えを表明した」
〜額賀福志郎財務相〜
アジアカップで優勝できなかったうえに、三位決定戦で韓国に負けたということで、サッカー日本代表のイビツァ=オシム監督を更迭せよ、などという意見がネットを中心に巻き起こっているみたいだけど、つまり、なんだ、サッカーの試合に負けたのでオシム監督をクビにしてしまえ、ということだ。たしかに、オシム監督は日本代表の監督にはもったいないし、
クビにしたけりゃすれば?
ワシとしては、アヴェ内閣のピンからキリまでをクビにするほうが先決だと思うんだけど、先日、あるおばちゃんに
「いじめちゃアウ゛ェさんがかわいそうだよ。がんばってるんだから」
と言われてぶっとんだ。
「国民の切実な課題に応えることが必要だと思うので、消費税あげるしかないです」
なんて言うておられましたよ。
すんげえ頑張ってるわな。
そう言えば、国民健康保険料を支払えないお年寄りも最低限の医療を受けられるように、あの手この手を尽くしている地方自治体を、政府が罰することも決めたみたい。
「健康保険料を支払っていないやつに、薬を渡すなどけしからん!」
というわけ。これまた、ギリギリまで追い込んでる! 頑張ってますね。
だけど、
かわいそうなのはこっちだっての!
あ、そうそう。
民営化直前の郵政省だけど、もうすでに、郵便が届かない田舎町が出てきてるみたい。
だはは!
郵便局民営化記念 値上げ負担増一覧!
普通為替 100円→420円
通常払い込み(窓口) 100円→120円
普通為替(ATM) 100円→420円
通常現金払い 60円→400円
定額小為替 10円→100円
なんだ、これ? 実は、合理化の成果なんだって!
(^_^;)
聞いて驚け、見て笑え〜!
「建物は残っても、機能は残らない!」
……自慢すること?
オシム監督も、こんな国にぐずぐず残ってると、ろくなことないよ。
辞めたほうがいい。
ところで、週刊のサッカー雑誌の記事で知ったんだけど、サラエヴォ・フットボール・プロジェクトの一貫として群馬県昭和村でイベントが行われたそうだ。ちなみにこのプロジェクトは、ボスニアとサラエヴォの子どもたちがサッカーを通じて、もう一度、民族間の信頼を取り戻そうという遠大な計画だ。
雑誌には、子どもたちに囲まれて小さくなっているオシム御大の写真が掲載されている。かわいい。別の写真では、さくらんぼかなんかに手を出してる。
排他的民族主義者を指導者に頂くイメージ的に美しい我が国の片隅で、真実に美しいこんなプロジェクトが続いているのね。
政府が腐りきっていても、ひとの心は腐ってない、日本という国の現状です。
--☆---
映画『ブラックブック』をDVDにて今ごろ観賞した。
ケン=ローチの『麦の穂を揺らす風』のようなテイストを期待して観賞しはじめたのでずいぶんと面食らったが、それでは期待値というか理想が高すぎるのだろう。
悪い映画というわけではありません。
『麦の穂を揺らす風』はいい映画だったねえ。
振り返ってつくづく思う。
『ブラックブック』でも、それなりに苦いラストも用意されている。実際、どれほどの人がこの苦味を理解できたかはわからんけど。
(^_^;)
ヒントは、ラストシーンの年代が1956年というところ。第二次中東戦争勃発の年と重なっているよ。被害者が加害者になり、新たな復讐の連鎖が生まれていく。多くの人間が、ビルに旅客機が突っ込んでくるまで何も気がつかない。
人間は糞をたれて、さて、地球は苦いかしょっぱいか。
*イラクで四つ数えろ*(2007.8.26)
「国民は戦争を望みませんよ。しかし結局は国の指導者が政策を決定する。そして人々をその政策に引きずりこむのは、実に簡単なことだ。それは民主政治だろうが、ファシズム独裁政治だろうが、議会政治だろうが、共産主義独裁政治だろうが、変わりはない。反対の声があろうがなかろうが、人々が政治指導者の望むようになる簡単な方法とは……。
国が攻撃された、と彼らに告げればいいだけだ!」
〜ゲッベルス〜
「人間には善悪の別がわかるってこと、そりゃたしかに他の動物たちよりも、知能の点じゃ上だってことを証明しているかもしれんな。だが、それでいて悪をなしうるっていうこの事実、これは逆に、それのできん動物たちよりも、道徳的には下だってことの証明なんじゃないかな。これはもう否定できん事実だと思うな」
〜マーク=トウェイン『人間とは何か』〜
「腹が立つときは、四つ数えろ。やたらと腹が立つときは、ののしれ---」
〜マーク=トウェイン『まぬけのウィルソン』〜
どすのメッキーさんのサイト『DON'T FLY!! EAGLE』のブログ版でめっけたびっくり仰天記事なんだけど……。
「 新しく参議院議員になった人の中に、イラク派兵の現場のシンボル的存在だった佐藤正久元隊長がいます。彼の発言が今問題になっています。
彼は、10日のTBSの報道番組で、オランダ軍を助けるため、あえて戦闘に巻き込まれるような状態を意図的に作り出そう考えていたことを吐露しました。自衛隊法はもちろん、イラク特措法でも、自衛隊はシビリアン・コントロール下で「非戦闘地域」で「人道支援」活動を主任務とすることが前提とされ、武力行動に出るのは、隊員の安全が脅かされた際の正当防衛範囲に制限されています。一応は。こんな理屈に縛られていたのでは、いつまでたっても本来の派兵目的である軍事行動の既成事実化がはかれないと思ったのか、現在集団的自衛権「有識者」会議で検討している「駆けつけ警護」を先取りして、必要もないのに、言い換えれば相手の要請もないのに、わざと攻撃されに出て行こうとしていた、ということになります。」
ははあ〜、なるほど、
第二の蘆溝橋事件ですか(未遂)
戦争をおっぱしめるのにはきっかけが必要なんだよね。
絵で描くと、河を挟んでドンパチ状態のさなかに、部下にサーフィンやらせたキルゴア大佐の図ね。そんで、テロリストの銃弾が我が軍の兵隊さんにみごと命中しますようにとお祈りすんの。
こっちから鉄砲撃つわけにはいかんことになってるからな。
最初はやっぱり、こっちがやられるところから物語がはじまらんといかんわけ。
いや、もう、これって、国民はもとより、愛国者の皆様が愛してやまない国家に対する重大な背任行為じゃないのかね? ……政府からの指示だっつうなら、違うけどね! がはは!
つーか、イラクの復興☆支援☆治安維持☆隊って、すでに、
やること関東軍とクリソツなんすけど!(未遂)
これって、日本の伝統なのかしら?
(^_^;)
日本の美しい歴史を振り返ると、関東軍、色々ありましたねえ。
張作霖爆殺事件
満州事変
へそで茶がわくノモンハン事件
「東京の大本営は、関東軍の楽観的な報告により、8月26、27日まで戦闘が有利に進んでいると認識していた。が、急激な事態の悪化を知り、日本軍が引くことで事態を収拾することを決め、9月3日にノモンハンでの攻勢作戦を中止し係争地から兵力を離すように命じた。
南方のハンダガヤ付近では、増援に来着した歩兵2個連隊を基幹とした片山支隊が8月末から攻撃に出た。この地区で日本軍に対したのはモンゴル軍の騎兵部隊で、9月8日と9日に夜襲を受けて敗走した。9月16日の停戦時に、ハルハ川右岸の係争地のうち主戦場となったノモンハン付近はソ連側が占めたが、ハンダガヤ付近は日本軍が占めていた。
ソ連軍の猛攻の過程で、日本軍の連隊長級の前線指揮官の多くが戦死し、生き残った連隊長の多くも、戦闘終了後に敗戦の責任を負わされて自殺に追い込まれ、自殺を拒否した須見第26連隊長は予備役に編入されるなど、敗戦後の処理も陰惨であった。その一方で独断専行を主導して惨敗を招いた辻政信・服部卓四郎ら関東軍の参謀は、一時的に左遷されたのみで、わずか2年後の太平洋戦争開戦時には陸軍の中央に返り咲いた。」
これ、ウィキペディアに載っている「ノモンハン事件」からの一部抜粋だけど、日本の美しい伝統化だよなあ、やっぱり。
実際のところ、大マジで
「1990年代以降、ソ連軍の損害が明らかになると、一部の論者の中に日本の大勝利という説を唱える者も現れた。その中には、ソ連側の物的損害を航空機1600機以上、戦車約800台とする極端な主張も一部に見られるが、これは日本側の主張する「戦果」をつなぎ合わせたものに過ぎず、ソ連軍がこの戦いに投入した兵力は航空機約550機、戦車約5-600台と推定されていることからみて、あり得ない数字である。一方、日本軍大勝利説ほど極端ではないが、互いの損害が拮抗している(ただし日本側の公式発表数字が事実だとして)ことと、一部日本側が占領地を奪回した場面もあることから、両軍の引き分けと見る向きもある。」
という新解釈で、自虐史観を乗り越えるんだそうだから。
ノモンハン事件が日本の大勝利なら、関ヶ原の合戦を豊臣側の大勝利つったほうがありだよな!
南京大虐殺がなかったことになり、従軍慰安婦どころか同じ日本人の沖縄の集団自決もなかったことになり、ノモンハン事件は日本の大勝利だったというやからもあらわれ、特攻が讃美され、イラクで「あのころの民族の輝きをもう一度」と。
……。
「▲明夫 「この三点目の歩兵十六連隊全滅って、親父はその目で見たの」
●石坂 「ああ、しかと見たよ。ソ連軍の戦車が数百台単位で十六連隊に襲いかかってね、ひどい光景だった。目の前が火の海でさ、こっちの三十連隊は助けようにも助けられなかった。
もともとね、十六連隊が突出したのは命令違反なんだ。当時の連隊長宮崎繁三郎大佐の判断なのか分からないけど、はっきり言って自業自得だよ。関東軍の独断専行はある種の伝統とはいえ、陸軍中枢の命令を無視したんだからね。
不思議と宮崎中将の評伝に『ノモンハン唯一の勝利者』なんて言葉が躍っているけど、現場を目撃している人間から言わせれば、どこが勝利者なんだと首を捻ってしまう。戦車の下敷きになって悲鳴を上げている日本兵を何人も見ている俺は、
『日本軍はノモンハンで大負けしたんだ。誰も彼もが』
と、絶叫したいくらいだよ。高田三十連隊と同郷の新発田十六連隊はノモンハンで壊滅したんだ、間違いなく」」
大量破壊兵器のなかったイラクで、もういっぺん! もういっぺん!
わしはすでに、四つ数える行為を四回繰り返した。
で、さすがに訊ねてみたくなるわけだ。
ののしっても、い〜い?
*今日のサルコジさん*(2007.8.24)
「お母さん、泣かないでよ。人生は楽園なんです。」
〜ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』〜
極右でフランス大統領のサルコジさんですが、再犯の可能性のある性犯罪者を去勢する法案を11月までにまとめるのだそうで、ジノリフスキーとかもそうだけど、こういうひとたちって、考えることが実にわかりやすいよね!
このわかりやすさが、人気の秘密なんだろうなあ。
でもね。性犯罪者を去勢、なんつっても、今どき誰も驚かない。インパクトがないんだよ。いっそ
地球上の男性はみんな去勢!
くらい言ってほしかった。
全国民の投票で選ばれているわけだし、そこまで思いきったデタラメやるからこその、それを期待されての、極右でしょうに。マジな話。
いや、性犯罪を撲滅するなら、性犯罪者を去勢してもだめなんだよね。すでに犯罪犯しちゃってるわけで、去勢したって再犯防止にしかならないもの。人に噛みついたイヌだけ狂犬病の注射をうってもしかたない。いや、もう、
ワシの言ってること、完全に正しいだろ?
つうわけで。
いまどき、精子さえあれば赤ちゃんは産まれるんだし、男、いらんでしょ。
……やってみなくちゃわからないけど、ま、性犯罪、なくなりますよ。
ついでに立ち小便も禁止だ。便器をちゃんと狙って小便しない男どもが多すぎる! 性犯罪を犯す、便器の外に小便を撒き散らす、本当にとんでもないよな、女性のみなさん! 小便は便座に座ってしろっての。そして、終ったら、ちゃんと流す!
ユダヤ人や黒人や朝鮮人や中国人や女性や子どもや体もしくは心に何らかのハンデキャップがあるひとたちや考えかたが違うひとたちを見下して、それで極右を名乗れるなんて思うなよ。
科学の力で男撲滅!
便器をきれいに使おう!
これだ!
♪何と! あのよそもんの軍勢が
♪我らの故郷で好き勝手に振る舞うだと!
♪何と! あの金目当ての軍隊が
♪我らの名うての戦士たちを打ちのめすだとぉ!
♪我らの名うての戦士たちを打ちのめすだとぉ!
♪ああ!鎖で手を繋がれ
♪くびきを繋がれた我らの首が屈するだとぉ!
♪卑しい暴君どもが
♪運命の支配者になるだとぉ!
♪フランス人よ、寛容な戦士として、
♪打撃を与えるか控えるかせよ!
……こんなさあ、
『北斗の拳』みたいな国歌うたってたらアカンよ、フランス人も。
余計な世話かもしれないけど。
あと、まじめな話、選挙のときは、しらふでな。
--☆---
突然ですが、映画の話。
SF映画のド傑作、『ブレードランナー』のファイナルカット・バージョンが5枚組のDVDで発売されるというニュース。
えーと。
「完全版」「ディレクターズカット版」ときて、「ファイナルカット」って、
もうなにがなんだかわかんない渾沌のディック・ワールド
だけど、買うんだろうなあ、このDVD。
SF映画の傑作を三本挙げろと言われれば、『ストーカー』、『惑星ソラリス』、『ブレードランナー』だよな。
ワシは、原作者のP=K=ディックのことを、ずっと、現代のドストエフスキーのようなひとだと思ってきた。……笑うなら笑いたまい。
小説の作りがぎくしゃくしてすっごく読みづらいところまでにてるし。
(;^-^ゞ
まあいいや。
You Tubeで予告編をふたつほど見つけましたので、紹介しておく。
http://jp.youtube.com/watch?v=J_hYs1jBy8Y&NR=1
http://jp.youtube.com/watch?v=fT590N74r5o
こんなんみても、なんもわからんけどね。
もういっこ映画の話。
イギリスの映画雑誌トータル・フィルムが、“映画史上の最も偉大な映画監督トップ100”を最新号で発表した、というニュース。
http://eiga.com/buzz/show/8452
1.アルフレッド=ヒッチコック
2.マーティン=スコセッシ
3.スティーブン=スピルバーグ
4.ハワード=ホークス
5.フランシス=フォード=コッポラ
6.オーソン=ウェルズ
7.イングマール=ベルイマン
8.スタンリー=キューブリック
9.ピーター=ジャクソン
10.デビッド=フィンチャー
ベスト10にタルコフスキーの名前がないって……。
つうか、キアロスタミは?
チャップリンはどうした!
もしかして、キアロスタミ観たことないとか、そういうことかな。
ちょっとびっくりだ。
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