*デモ隊に発砲殺害する米軍、
自衛隊は滋賀県に市街戦訓練所を計画中。*(2003.5.1)
アメリカ軍のイラク市民への銃撃事件が続いている。
アメリカに出て行って欲しいイラク市民がデモを行い、それに軍が発砲、殺害。
発砲事件に抗議するデモを市民が行い、また発砲、また殺害。
これを繰り返しております。
ちなみに、死者の中には、5歳以下の子どもも含まれている模様。
救出に向かった病院関係者にも発砲するアメリカ軍は、「自衛」を主張。
ハハ……。
ドイツ、フランス、ベルギー、ルクセンブルクの四カ国は、NATOから自立した独自の軍事能力をめざすことを表明。
アメリカの脅威に対する対抗手段ということらしい。
冷戦以後の、新たな対立構造に発展するか?
国連を骨抜きにすると、結局こういうことになる。
無法化に拍車のかかった世界において、国家の定義は、最も大規模な強盗集団とほぼ同義語になりつつあるのか。
日本の自衛隊は、滋賀県に市街戦訓練所を計画中。
「海外派兵に備えるもの」だそうだ。
ドシ〜……。
正気を疑うよ、ホント。
海を越えたどこかの国で市街戦をするために、おれッちは税金払ってるわけなのね。
おお。これから地球上に生まれてくる子どもたちには、同情を禁じえない。
この奇妙な残酷さの中で、生きることはただそれだけでひたすら重荷になっていく。
グットラック!
我が国ではイラクの石油、もとい、民主主義を心配しているあいだに、失業率の猛烈な増加と比例して、自殺率が急上昇。
今や、世界に冠たる一大自殺者国家とあいなった。
もともと貧弱であった雇用対策、生活保護政策がつぎつぎ切り捨てられたために、痛みに耐えきれなくなったのね。
耐えた痛みの先にあるはずの幸福は、兆しが見えるどころか、大不況を通り越して日本経済の実質上の崩壊。
ある意味、見事です。
構造改革の旨い汁を吸えるのは、痛みに耐えてる私たちじゃなかったのね。
おあいにくさま。
かたや、ずさんな経営に終始した銀行や巨大企業が、博打うった揚げ句こっぴどくスっても、絶対ソンをこかないこのしくみ。
公的資金投入って、ありゃなんですか?
資本主義、自由競争市場における、ズルですね。
大企業のどん欲さからはじまった気まぐれ経営のツケは、ぜ〜んぶ私らが支払うのである。
ほい、合言葉は、
「痛みに耐えて構造改革!」
拍手、拍手。
不況だ、リストラだ、構造改革だ、と叫ばれれば、私たちは黙りこくるしかない。
仕事がなければ、私たちは食っていけないから。
だから我々は言う。
「悪いのは税金をむだ遣いする老人福祉だ、たいした病気でもないのに病院に通う病人どもだ、いや日教組だ、公務員だ」
わかりやすいところに、生活苦の原因を求める。
自分の金玉(失礼!)を握っているやつらを告発するのは途方もない困難が予想されるが、老人や、病人など、弱い者をいじめるのはラクチンなので、ついついそっちに流れるのね。
言っているうちに、段々その気になってくるというものだ!
教訓。玉握られたら、もっと弱っちい奴の玉を握りつぶせ!
はあ〜、なんにせよ、どこからこういう荒唐無稽な発想が出てくるのか、私はあっけにとられる。
何かといえば叩かれる公務員だって、何でもかんでも公務員のひとくくりにされちゃたまらんよ。過労死寸前まで頑張っている公務員だって、いっぱいいるんだ。
民間参入なんて、バラ色の政策のように聞かされてきたけれど、今までろくなことなかったろ?
「役所がやると金がかかりすぎる。企業ならもっとうまく(安く)やれるはずだ」
という。
そういう、物事の一面しか見ないではしゃいでいると、とんでもないしっぺ返しを食らうことになるよ(もう食らったか)。
安くなるということは、どこかで何かをケチッているということだ。
そして、医療、教育、治安、水道、電気、交通、郵便、通信等の提供は、何よりもまず安定供給されることが前提でなければならない。
もちろん、品質についても一定以上の水準を保たねばならない。
そして、基本的には全国つつうらうらで、国中同じサービスが受けられるべきだ。
それがまともな社会というもんだ。
何かおかしなことを言ってます、私?
民営化された国鉄は赤字線をどんどん廃止、同じく民営化された電電公社は公衆電話を街角から撤去してまわっている。
介護保険が導入された当初の老人福祉“事業”は、民間企業が我先にと参入した。ところが今、どうよ?
ほとんどの企業が撤退してしまったよ。
なぜか?
老人の世話したって、もうからないことがわかったからだ。
残ったのは、お年寄りにとって、つらいつらい税制だけ。
ほい、合言葉は、
「痛みに耐えて構造改革!」
くせになりそう。
(;^-^ゞ
ハッキリ言っておきましょ。
企業は、金にならないことはやりはしないんだ。
そして福祉は、金もうけじゃないんだ!
個人の話になるけれど、医者が、金もうけのためだけに医者になるんだったらどうよ?
教師が、休みが多いという理由で教師になってるんだったらどうよ。
やでしょ?
診てもらうんだったら、人の命を救いたい!と思っている先生に診てもらいたいし、教師だって、教育に情熱をもって当たっている先生に自分の子どもをあずけたいよね。
福祉事業もおんなじだと思う。
能率や、効率で計れないものもあるんだ。
私たちが今やっているようなことを改革なんて言っちゃだめだ。
日本の片隅の寒村の子どもたちが、ちゃんと教育を受けられたり、お年寄りが安心して医療を受けられたり、電車に乗って町に出かけられて、東京とおんなじ料金で孫の住む町にハガキを送れたりするためだったら、納得して、というより喜んで税金を支払うよ。
それが能力だ。
働き、生きる喜びがある。
*この2年間で何と日経平均株価46パーセントの下落。*(2003.4.30)
日経平均株価がまたもバブル後最安値を更新しましたね。
この2年間で何と46パーセントの下落。
弱肉強食の日本社会構造をめざす、痛みに耐えての『構造改革』の成果のこれが一側面であります。
勝者を作り出すために、まず敗者なる階級を作り出すことになったのね。
狼は生きろ、ブタは死ね。
痛みに耐える階級を作り出すことによって、その改革の恩恵を受ける少数の人々を作り出そうじゃないか、というような国内政策に、どうしてあれだけ多くの国民が夢中になったのか、私、驚くばかりです。
電車で話している若いサラリーマンや学生さんの話を聞いていて不思議なのは、自分たちこそ狼だと心から信じていることね。
民営化賛成、リストラ賛成、能力絶対主義的評価法賛成。
みんな、自分に自信があるんだなあ。
あのね、その私たちの能力とやらを評価するのはいったい誰なのか?
私たちは結局、“能力”をセリにかけられているにすぎないんだ。
いい仕事をして、休まず、身体を壊さず、不平を言わず、しかもタダ同然に働き続けるやつ。
セリに負けた者たちは(そしてセリに勝った者のこれまた多くも)、自動的に敗者となり、改革を支えるために痛みに耐え続ける役を引き受ける。
だろう?
詳しくは、スタインベックの『怒りの葡萄』をごらんください。
私たち全員が狼だとしたら、いったいブタはどこに?
ブタ役は、自分とは関係のない遠いどこかにいる誰かのことだ、ということなのか?
日本中の人々が、赤の他人である無能力者を出し抜こうと構えているというのにね。
いまや我々は、少数の勝者を作り出すために、膨大な数の敗者を必要としているんだ。
痛みに耐えるほうは、これは半端じゃない辛さだ。
歳をとって若いころのように能力を示すことができなくなれば、途端に冷たい仕打ちが待っている。
だれも、助けてはくれない。
介護保険って、あれ、何ですか?
国家は、老人福祉や医療に対する責任を放棄し続けている。
老人は、極めてわかりやすい弱者だ。
そして、その“弱者”を“敗者”と書きかえることを事実上、国民は認めた。
わかりやすさが功を奏し、老人に対する国民のすげない態度、社会の冷淡さは日に日に容赦のないものになりつつある。
すげえ。
しかし、どんな人間だって、かならず歳をとる。身体が動かなくなってきて、あちこちガタが来はじめる。
その時になって、自分が突然、処分に困る邪魔者になってしまっていることに気がつく。
ホラーだ。
正真正銘、本物のホラーだ。
我々は我々の社会を、そんなふうに作ってしまった。
キツイこと言うようだけど、こんな内閣に80パーセント以上の国民が支持を示した時期すらあったんだ。
ちびりそうなくらいの恐怖を感じるよ。
*SFと山上の垂訓*(2003.4.29)
アメリカのイラク戦争の報道が「あまりに愛国的で普遍性を欠いている」とする英BBC放送のグレグ=ダイク局長の発言を日記で紹介したところ、ある方から、愛国者を不当に抑えこむ、おまえは売国奴だ、なるご意見を私にいただきました。
あら〜。
f ^ ^ *)
私が思うに、国を愛する愛さないは個人の自由ですし、抑え込もうなどと考えたことはありませんし、抑え込もうったって、そんな力もありませんよ。
ましてや売国奴なんて、私ごときがどうやって国を売ったりできるというのでしょうか?
私はそんな大物じゃございません。
が、あなたがそんなことを言っているのではないのは私にもわかります。
う〜ん。繰り返しになるけれど、国を愛するのは、かまわないんじゃないでしょうか?
ちなみに私自身は、愛国心など持ちたいなどとは思っておりませんし、日本民族のアイデンティティなんてものも、信じちゃおりません、それだけのことです。
ただ、当然のことながら、日本民族のアイデンティティなんてものを持ち出せば持ち出すほど、個人のアイデンティティは失われていってしまうんじゃないでしょうか?
ねえ?
例えば戦時中の日本は、日本民族のアイデンティティに満ち満ちておったわけでしょう?
しかし、ああいうのって、どうかねえ、と思うんですが。
戦慄すべき没個性、今日のテレビで観る北朝鮮の映像ソックリでございましたわけです。
結局のところ、教育と、環境と、思い込み、というふうに考えたいですね、私は。
おぎゃーと産まれたら、そこは日本だったと。
……。
私、SF小説を読むからかも知れないんだけれど、SFの物語って、国家が問題視されることってまずないんだよね。
国家が解体されたのちの世界、という設定だって、けっこうある。
SF小説で問題にされるのは、いつも社会なのよ。
我々が生きている、この社会。
我々の明日についての深い関心。
例を挙げてみよか?
レイ=ブラッドベリ『華氏451度』、ジェイムズ=ティプトリー=ジュニア『接続された女』、カート=ヴォネガット『タイタンの妖女』、ロバート=シルヴァーバーグ『太陽踊り』、フィリップ=K=ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、シオドア=スタージョン『コズミックレイプ』、アーシュラ=K=ル=グイン『所有せざる人々』、……あの〜、リチャード=アダムス『ウォーターシップダウンのうさぎたち』と、J=R=R=トールキンの『指輪物語』もSFってことにしてもいいですか?
(;^-^ゞ
手塚治虫の『鉄腕アトム』、竹宮恵子の『地球へ…』、楳図かずおの『漂流教室』、松本零士の『銀河鉄道999』っていうのもあるか。
正直なところ、国家って何なのか、私、よくわかんないの。
ま、英BBC放送のグレグ=ダイク局長も、英国では議会から売国奴呼ばわりされているらしいので、なんか、私も、うれしくさえなってまいります。
*************************************************
私のことをアカと、そう呼ばれる方も多いようです。
こんな私的な日記ごときを真剣に読んでいただけて、しかもコミュニケーションまでしていただいて、うれしいかぎりです。
ありがとうございます。
しかし私が、アカですか。
はあ。
私なんて世が世なら(安保闘争時とか)日和見主義の反動チキン野郎と呼ばれておったでしょうに。
21世紀初頭になりますと、アカと呼んでいただけるまでに株をあげることになっておるようですね。
つくづく、政治的中道なんて幻想だなあと思う今日このごろ。
中道って結局のところ、その時その時の中枢権力の主張そのものであって、ようは権力に迎合しているかどうかでその基準が決まるわけなんだな、と。
あ、また過激なことを口走ってしまったYO。
(;^-^ゞ
しかし、アカとか中道とかの話ついでに言うんだけれど、キリスト教右派って何ですか?
キリストの名を語るものが、インターナショナルでなくてどうすんのよ、と思うのは私だけなのだろうか?
教会は昼寝したり井戸端会議したりするとこじゃないはずよ。
キリスト教徒を名乗るなら、聖書の『山上の垂訓』の箇所だけでも、いっかい読んでおいたほうが良いのでは……。
皮肉でなくてね。
いや、ホント、マジで。
*英BBC放送のグレグ=ダイク局長とマイケル=ムーアとイソップ、
つぎに産まれるならアナレスで!*(2003.4.28)
英BBC放送のグレグ=ダイク局長は24日、アメリカのイラク戦争の報道が
「あまりに愛国的で普遍性を欠いている」
と批判した。
「アメリカの放送メディアが戦争中、疑問もなく放送を続けたことにショックを受けた」
そうで、
「愛国主義とジャーナリスムを混同してはならない」
そうです。
さらに、
「政府に対して節を曲げない勇気を持ったニュース報道機関がないことも相まって、政府やホワイトハウス、国防総省をさらにパワフルにしている」
と彼は、指摘した。
ぐえ、日本人にとっても耳の痛い話だなあ。
アメリカの送ってくるニュースをそのまんま垂れ流すだけの日本の主流ジャーナリズムのあり方に、正直ぼうぜんとしてきた純です。
新手の大本営発表。
戦争が事実上終結してから、贖罪を求めるかのように批判報道や事実報道が局部的に流れはじめるのも湾岸戦争の時とおんなじ。
戦争が始まる前に、どうして報道できないのか?
日本ってもしかして、アメリカの潜在的植民地デスカ?
オウ、ワタシ、ムズカシイコト、ワカリマセ〜ン!
むろん、アメリカや日本の政府からの報道規制などがあったとは思えない。
報道機関の、自主規制、自己判断ね。
ぶっちゃけて言うと、報道したくないのね。
グレグ=ダイク局長には、日本に来日していただいて、放送大学あたりで講演してもらったら良いのではないか?
というわけで。
マイケル=ムーア監督のドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』をもう一度観てきた。
繁栄と勝利と、栄光のアメリカ。自由と民主主義のアメリカの背中側がどうなっているのか、見事に切り取ってみせたドキュメンタリー映画だ。
アメリカでも日本でも、ドキュメンタリー映画としては異例のヒット、というか、異常なヒットを記録している。
ある時期からの日本人は、潜在的な意味で、自分たちがいつの日にかアメリカ人になれるときを夢見てきた。
世界といえばイコール、アメリカ政府をさすし、アメリカ政府に刃向かうものはここ日本でも、自動的に世界に刃を向けるものだとされてきた。
我々日本人は、あまりにも世界に無知だ。
アメリカのかかげる理想、建前は確かに素晴らしい。
その点で、「いつの日か我々もアメリカ人(のよう)に」という希望を持つことは、まあ、否定する気はない。
しかし、私たちが無批判に取り込んできたアメリカ文化の本当の姿を、キッチリ理解しておくほうがいい。
働き盛りの夫が、リストラされて、大阪城公園で家族とともに段ボールの家に暮らしてる。もしくは、家族に見捨てられて、ひとりで公園暮らししてる。
こんなやり方をまねして、どうすんの!
浮浪者?
ホームレス?
ストリートピープル?
カタカタ日本語で定義してみせてなんの意味がある?
私、正直言って、ノルウェーとかスウェーデンに産まれたかったです。
話がそれた。
マイケル=ムーアだ。
このひとは、社会問題を眺める角度が本当に素晴らしい。
切り口というのか。
銃犯罪社会という大きくて重々しい問題を、極めてとっぴな、小さな疑問からはじめて、やがて核心へと迫っていく。
小さな疑問とは、例えばこの映画で言えば、ボウリングだ。
はあ?
ボウリングと銃犯罪?
むろんなんの関係もない。
なあ?
しかし、実際のところ、ボウリングと銃犯罪と結びつけるのと同じくらい奇想天外な妄想に我々は取り憑かれて、その恐怖を利用する何者かに躍らされているのだ。
イソップの寓話にそっくりなのがあるよね。
ある日、頭の上にドングリが落ちてきたヒヨコは、空が落ちてくるのだと思い込み、パニックを起こす。
ヒヨコの恐慌を見た他の動物たちもおなじように信じこみ、空が落ちてくると口々に叫び、やがて世界中がパニックになる。
……それをきつねが利用し、最後にはパニックにおちいった動物たちをすべて丸のみしてしまうのである。
イソップは、人間の心理を極めて深く理解しているのに気がつく(ドストエフスキーとタメをはれる?)。
しかし、もう21世紀だ。
変革の時が来た。
これだけたくさんの人たちがマイケル=ムーアの映画を観た。
書籍『アホでマヌケなアメリカ白人』も読んだ。
アメリカへの批判は高まっているが、これは、アメリカに限った話ではない。
国連での平和運動家たちの活動を、日本の大使館が阻止しようとしたなどという話は、ほとんどの日本人は知らないのである(最近の話ですぜ)。
我々はまず、我々自身を知らなければ。
「あまりに愛国的で普遍性を欠いている」私たちの生き方は、人類全体における癌細胞でしかなくなってる。
身についてしまったものを今こそ脱ぎ棄てよう。
SFだSFだ。
別のやり方を身につけるときだ。
マイケル=ムーアやチョムスキーのような(共同体における英雄とも呼べるような)ひとびとは、いつの時代も存在した。
*変革の約束だけが、果たされていないのである。
帰還せよ、アナレスへ!
↑*SF小説『所有せざる人々』ネタ。私のベスト1SF小説デス。読んでみてね。
しかし、現在版切れか?こういう書籍は、人類の財産でしょうが。再版お願いします。
*勇午と神戸とヤサシイワタシ*(2003.4.26)
マンガ雑誌、『月刊アフタヌーン』の発売日を過ぎてしまっていることに気がついた。最近とみに読むのが辛くなってきた『月刊アフタヌーン』だが、今月号は、ひぐちアサ先生の短編作品が掲載されているのだ、買いそこなうわけにはいかない。
ひぐちアサ先生は、いま、最も好きなマンガ家さん。
『ヤサシイワタシ』一本で、私のハートをがっちりつかんでしまったの。
これほどの作品に出会うということは、人生におけるひとつの出来事だ。
ありがたいことです。
この10年で読んだマンガ作品の中では、最上のものだったと、個人的には言い切っておきたい。
これほどに説得力のある言葉を紡ぎだせる人は、なかなかいないはずだ。
今回の作品は、決定的にページ数が足りなかったのと、今までの作品に比べてテーマが軽いというのは事実だったけれど、良さは発揮されていたと思う。
ただ、男性誌とはこう描くものだ、という(おそらく雑誌社からの)指導が透けて見えて、少し心配。
一見言葉足らずな部分とか、読んでいて、「ん?」と引っ掛かる部分に、実は猛烈な良さを発揮する人なのだから、とにかく、わかりやすさなどと、方向ちがいな指導が入らないように願っております(パンチラお色気等の“てこ入れ”は言語道断でっす)。
……余計なお世話を口にして、自分の身を危うくするやつだなあ、わしって。
(;^-^ゞ
とにかく、人間関係の細かい部分にどこまでも力を発揮できる方。
相当に重いテーマでも、自分のものにしてしまう腕力もある。
大好きです。
ラストのオチから物語を作るタイプなので、連載が極めて短い期間になってしまうのが、この先生の損なところなんだよね。
マンガなんて読み捨てで消費されていくもの、という認識がけっこうあるから、連載終了とともに、すぐに忘れ去られてしまうの。
ファンとしては、何とも無念。
『ヤサシイワタシ』全2巻。とくに、テーマ展開が俄然ヘヴィーになる2巻目冒頭から驚愕と感動のラスト、読んでない方は、お試しになってみてくださいまし。
さて。
bk1とamazonでも本を注文して、なんと合計3万円強なり。
木村紺先生の『神戸在住』5巻、あと『ブラックジャックによろしく』というマンガ本の1巻を買った。
どちらも素晴らしかった。
今回購入したマンガは、うれしいことに、どれも当たり(そのかわり絵本が失敗でした)。
『ブラックジャックによろしく』は、『週刊モーニング』に連載中の人気マンガということだ。
熱血研修医の目を通して、日本医学界の問題点と、医療とは何かを問う作品になるらしい。
こういう業界マンガは、元来モーニングが得意とする分野で、過去にも『オフィス北極星』などの傑作がモーニングから産まれたものです。
『神戸在住』は、みなさんご存知、神戸在住の学生、辰木桂の日常を綴った……ふりをしたユートピア・ストーリー。
こっちは、ラストの描きおろし作品が、出色!
こういう作品に出会うと、私は感極まって、すぐ涙ぐんでしまう。
これほどのストーリーを、単行本のページ埋め合わせのための描きおろしで描いてしまうとは、どういうひとなのだろう?
これくらいの話なら、いつでも描ける、というわけなのだろうか?
もう、ホレちゃいます。
(;^-^ゞ
************************************************
『月刊アフタヌーン』の人気連載『勇午』が、休載となってしまった。
おわ!
不死身のネゴシエーター勇午(ユーゴ)が、現在進行形の国際問題に首を突っ込み、局地的にだけれども、なんらかの解決の糸口を見つけてみせるというストーリー展開。
しかし、ニューヨークでのテロ、アメリカのイラク政府転覆とつづく荒れ狂う現実世界に、さすがの勇午もどうにもできなくなったか。
アメリカとその同盟国(日本も入っているよ)の横暴の前には、ネゴシエーター勇午たちの地道な活動など、へのつっぱりにもならないことは、はっきりしているし、無敵のはずの勇午が、マンガの中で、砂を噛むような敗北感を味わって終わりでは、読者は喜ばないからね。
無敵の勇午ですら、太刀打ち不可能なほどの巨大な権力を前にして、我々は、あきらめずに行動していかねばならない。
実質上戦争は終わったとされているが、本当に頑張らなければならないのは、ここからだと思う。
勇午、さあ、立ち上がって!
*リストラを免れた若者たちが、過労死で死んでいってる。*(2003.4.25)
壊れたテレビを一年も我慢して使い続けている。普段はテレビなど観ないので、テレビが壊れたら壊れたで、ほおっておいたのだ。
というわけで開戦以来、青緑色の濃淡で表示されてしまう画像に耐えながら、多くのニュース番組を確認してきた。
たまにはニュース番組も観るもんだね。
これが世界だ、これが戦争だ、これが私たちの暮らしだ、と、ニュースは教えてくれる。
アメリカがイラク政府を転覆したり、イスラエルがパレスチナの難民キャンプを空爆したりという出来事は、実はそれほど珍しい話ではない。
我々はいつでも……じいさんばあさんの時代のさらに千年も二千年も前から……そんなふうに暮らしてきたのだから。
朝起きて出社して、夜遅く帰宅する、毎度おなじみの今日の出来事。
働き盛りの夫が、リストラされて、大阪城公園で家族とともに段ボールの家に暮らしてる。もしくは、家族に見捨てられて、ひとりで公園暮らししてる。
せつねえ。
この月並な冷酷さよ!
かたや、リストラを免れた若者たちが、過労死で死んでいってる(信じられないことだ)。
それもやはり、今日の出来事の一部でしかない。
あまりにもありふれてる我が暮らし!
不況だ、仕事がない、とビビらされ、恐怖心から我々はニュースの一部になる。
同僚が首になり、働き過ぎで死んでゆくのを『敗残者』と理由をつけて見送るのね。
かくして、いよいよ自分の番が回ってくるまで、何もかもが今日の出来事なのだ。
しかし、我々がどのような社会に生きていきたいと願っているのか、どのように暮らしていきたいと願っているのか、その視点はどこにいったのか?
世界中の平和主義者が一斉に立ち上がって、世界中の兵器を破棄してしまえばいい。
こんなもの、人を殺してみせる以外には使い道のない、役たたずでむだづかいな道具なのだ。
子どもじみた、という批判は甘んじて受けよう。しかし、実現不可能とは言わせん。
『幼年期の終わり』というSF小説ではちゃんと実現しているぞ。
それは作り話だ、というかも知れないが、しかし、たかが作り話で実現できたことを、現実にしてしまえばよいだけなのだ。
『幼年期の終わり』では、宇宙人の強制によって、人類は兵器を破棄する。
出でよ、宇宙人!
シャーリー=マクレーンの本でも読んでみよか?
しかし、現実世界の宇宙人は、“いたこ”(チャネラーというらしい)に取り憑いて、
「わくわくすることをしなさい!」
などと、たわいもない戯れ言を口にするばかりで、友だちができないだとか、仕事仲間とうまくいかないなどという、いわば人生相談に精を出しているだけで、まったくたよりない。
どうも、この宇宙人たちは、使えないね。
しかし、宇宙人をたよらなければならないというわけではない。
まず、我々のいう現実なんてものは、幻想でしかないと気がつくべきだ。
我々が存在しなければ、我々の現実も存在しない。
真理だろ?
だから、よーく、考えるべきだ。
むかしむかし、みんなで作り出したあるSF小説のひとつを、我々は我々のいう“現実”に選んだのだ。
……ぜんぜん別の物語だって、ありえるんだぜ。
*チョムスキーの新刊と指輪物語。*(2003.4.21)
ノーム=チョムスキー氏の『メディア・コントロール』というタイトルの本を買って読みはじめた。開戦からこっち、反戦日記を書き始めたのは良いのだが、自分自身の悲観主義に少々押しつぶされ気味になってきたし、書いている人間がそうなら、読んでいる人間は、そうとうにうんざりしてしまうのではないかと思うのだ。それでは申し訳なさ過ぎだものね。
チョムスキー氏の知性、なによりも現実を見据えたうえでの楽天主義に触れて、私自身も元気を分けていただこうと思った。
新書判で660円と、けっこう安いし、読みやすく、わかりやすしで、おすすめです。
チョムスキー氏は、イラクに民主主義国家を作ることをアメリカ政府はけっしてゆるしはしないだろうとおっしゃってる。
民主的な要素が少しでもあれば、人民は、アメリカ出てけ!と叫ぶことになるから。
そら、そだね。
自分たちのことは、自分たちで決めたいもの。
海兵隊の皆様にM16ライフルをチラつかせられながら、民主主義のあり方を逐一教えていただかなければならないというのは、実は、民主主義的とはとうてい言えないんだもんねえ。
20日未明には、イスラエル軍が、戦車約50両、攻撃ヘリ5機などでパレスチナ自治区ガサ南部のラファ難民キャンプに侵攻。
パレスチナ人5人(子どもを含む)が死亡、45人以上が負傷したという。
難民キャンプに侵攻だってさ。
イラクでは、医師たちが「チャイルド・キラー」と呼ぶ爆弾の不発弾が今もあちこちで爆発。
道端に落ちているカラフルな丸いものに子どもたちが触れた途端、爆発して、無数の破片が四方に跳びちり殺傷するという無差別爆弾。クラスター爆弾の別名ですね。
イギリスでは、イラクで大量破壊兵器が発見されないことについて、与党に対する批判が高まっているそうだ。
ナイーヴな話ではないですか。
だまされた、だまされたと言うけれど、最初からわかっていたことじゃないの。
中東における大量破壊兵器を見いだしければ、まずイスラエルの地に赴くべきだ。
それをせずに、どのような真実を見いだそうというのか?
チャイルド・キラーとは、子ども殺し、という意味である。
なぜ、子ども殺し、という名で呼ばれるかというと、子どもたちを殺しているからである。
それを知った兵隊さんたちが、驚いて銃を捨て、そそくさとアメリカに帰ったりするか?
ブー!はずれ。彼らは驚きさえしません。
私たちは、自分たちが何をやっているのか、ちゃんとわかってやっているのだ。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』の第1部をDVDで鑑賞し、イギリス人のえがいたファンタジー大作を堪能した。
我々は、指輪(すべてを束ねる力を持つ)を探す旅をもうやめるべきで、むしろ、フロドたちのように、指輪を捨てる旅に出なければならないはずだ。
しかし、我々人類はホビット(こびと)たちのように純朴でも素朴でもないし、さらに悪いことに、自分たちがガンタルフのように賢明で、エルフたちのような奇跡が可能だと思い上がっているようだ。
*イラクで大量破壊兵器が見つかるとは
本人たちも思わないそうです。*(2003.4.20)
ラムズフェルド米国防長官の今日の発言記となってきた姫林檎日記。
(;^-^ゞ
反ユートピアSF小説を地で行く、陰うつな驚きにみちみちた話ばかりだが、くじけず、さっそくいってみよう。
17日の同長官は、イラクの大量破壊兵器に関して、
「アメリカが何かを発見するとは思わない」
と言明したそうです。
もしもし〜!
大量破壊兵器を「発見するとは思わない」
って、ドエライ爆弾発言を、さらりとなにげにかましておりますう!
すげえなあ。
今度の戦争の理由が、事実上のアメリカでっちあげということを自ら認めたということですか。
少なくとも、今回の大量殺戮と大破壊、国家の転覆は、どうやらえん罪でございましたと彼らは述べたわけだ。
え、ええんですかい、そんなこと言っても。
みんな聞いているのに、どうすんだろうと、こっちが心配になる。
ある警官が銃を持っていると思っているある人物を証拠もなしに射殺、その後「しかし銃を発見するとは思わない」と言ったらどうよ。
その警官は、有罪判決を受けてムショ行きでしょうよ。
ブッシュさんも、ラムズフェルド米国防長官も、ムショ行きが怖くないのかしら。
むろん、彼らが彼ら自身をムショに放り込むことなんてない。なんの心配もいらないのだ。
おめでとう。
もともと、イラクにおける大量破壊兵器保有疑惑は、アメリカがあると言っているだけで、確かな証拠なんてなかったのだ。
アメリカや日本の国内報道が、イラクの大量破壊兵器の存在を前提として政治を語るため、我々もそれが事実であるかのように錯覚していただけのことなのだ。
国連の査察団が調べようとしても、アメリカが拒否、そして戦争。
戦争の理由なんて、アメリカが思うだけでじゅうぶんなのだ。
そして、思うだけで良いのなら、もう、好き勝手どこまででも思えるのである。
いまアメリカは、シリアが大量破壊兵器を所持していると思っている。
私が思うに、国連の査察が必要なのはアメリカ政府である。
しかし、国際法廷で、すでに国家テロの罪で有罪を宣告されているアメリカのさらなるテロ行為を現実に止める方法がない。
ブッシュたちをオナワにかけようとしても、圧倒的な武力によって、彼らが世界を支配しているのだもんね。
「証拠もないのにミサイル打ち込むのはやめましょう、中東やら南米で政府を転覆してあるくのはやめましょう」
と、むなしく法の準拠をうったえるだけしか手が無いのは、なんともむなしい話だよねえ。
*シリア外相の素晴らしい声明。*(2003.4.18)
シリアのシャラ外相はインタビューで
「シリア政府は核、生物、科学のあらゆる大量破壊兵器のない中東地域を国連監視下で実現する条約に調印する用意がある」
と述べた。
シャラ外相は、中東から大量破壊兵器を無くすことは
「アメリカ人やイスラエル人にとっても好ましいこと」
だと主張した。
素晴らしい声明だ。
しかし、“国連監視下と中東地域”という条件をアメリカがのむとはとうてい思えない。
イスラエルは核弾頭を200発保有しているといわれているが、アメリカの同盟国であり、その同盟国の大量破壊兵器所持について国連につつかれるのを喜ばないからだ。
アメリカ政府は、自分の意のままにならない国々の“あると思っている”大量破壊兵器所持疑惑についてだけ問題にしていたいのだ。
中東地域における最も危険な国家は、イスラエルである。
過去の新聞記事から中東地域の紛争事件をざっと掘り起こしてみただけで、それは歴然としているはずだ。
弁護的解釈をほどこそうにもその余地が無いほどに、その弾圧は残酷、冷酷、無差別、そして頻繁である。
パレスチナ人たちは、イスラエルの残虐行為を誰かに止めて欲しいと祈っている。
彼らにとっては、日々が、9/11なのだ。
上空からのヘリでの機銃掃射、ミサイル攻撃、家々を踏みつぶす戦車、石を投げた子どもたちの虐殺、エトセトラ、エトセトラ。
家族を失い、すべてを失ったパレスチナ人たちの憎悪と絶望を、アルカイダ等のテログループがさんざん利用し、彼らは自爆テロに走る。
憎悪の泥沼の悪循環。
しかし、心ある多くのパレスチナ人たちは、この事態を何とか改善したいと望んでいる。
核、生物、科学のあらゆる大量破壊兵器のない中東地域を実現することは、アメリカ人やイスラエル人にとっても好ましいことだとするシリアの主張は、掛け値なしの事実だろう。
私たち日本人にとっても、もちろん好もしい。
しかし、アメリカ人にとって好もしいと思われる政策方針であってすら、アメリカの権力を握っている者たちにはどうでもよいことらしいのだ。
彼らには、介入の口実が必要であり、世界の支配が目的であり、政府に借金させて、自分たちが関係している企業がぼろもうけすることだけを願っている。
政府の借金は、国民の税金で補てんされる。
日本でもおなじみのあのやり方だ。
こんなやり方をしていたら、経済は崩壊し、深刻な不況をまねき(なったよね。私たちのこの暮らしをごらん?)、国家として弱体化するのは明らかだが、彼らはなんら困らないのである。
彼らはけっして二重人格者ではない。
他人の家で強盗殺人の限りを尽くす者どもは、我家においてもまた、基本的には同様の価値観で活動しているということだ。
……まだ、まにあうのか。
まにあわないまでも、なにか、行動すべきなのか。
すでに、我々は、多くの敵を作り出してしまっているのである。
アラブに敵がいる、と我々は言う。
確かに、今では、そうだ。
自らのおこないを振り返ろう。
無実の人々を不当に弾圧し、殺し、生き残った者たちをテロリストにしてきたのだ。
おめでとう。
中東をコアにして、世界が我々を敵視する。
我々は今では、未曾有の悲劇と絶望の大量生産機なのだ。
……。
率直に申しまして、我々を人類の敵と呼ぶのは妥当だと思う。
*「シリアには化学兵器があると思う」のだそうです。*(2003.4.17)
ラムズフェルド米国防長官が数週間前、シリアへの戦争計画の準備を命じたとイギリスのガーディアン紙が報じた。
シリアへの戦争計画の準備〜!!!
どしー!
ホワイトハウスのフライシャー報道官は、
「シリアは、事実、ならず者国家だ」
とのべた。
アメリカの政府高官の言いぶんは、
「シリアには化学兵器があると思う」
からで、フセイン政権のバース党員や軍幹部たちをシリアがかくまっているらしいからだそうだ。
さて、一方的にならず者国家よばわりされたシリアの外務省シャーハン報道官は、こう答えている。
「シリアは化学兵器を持たない。中東地域で唯一、生物・化学兵器や核兵器を所有しているのはイスラエルのみだ」
うわあ、確かに本当のことだけど、こんなこと言うと、アメリカの機嫌は悪くなることは確かですぜ。
アメリカにとっては事実なんてどうでも良いのよ、自分たちに服従するか、死を選ぶかをシリアに問うているのよね。
イラクじゅうを探しているのに、今もって大量破壊兵器は出てこないが、中東の別のところにはちゃんとあるのである。
探している場所を間違っていると、シリアでなくても、主張したいところだろう。
アメリカ流の正義と民主主義の理屈からすれば、アメリカ軍はさっそくイスラエルを爆撃し、占領し、政府を転覆しなけばならないんだけれど、もちろんそんなことはしない。
しかも、アメリカのイラク攻撃に呼応するように、イスラエルのパレスチナ攻撃は激化。
今月八日にイスラエルは、パレスチナ自治区ガサにジェット戦闘機とヘリコプターでミサイル攻撃、7人を殺害50人以上を負傷させた。
翌九日には、銃撃、少年を含む4人を殺害、12人が負傷した。
古新聞をぺらりとめくっただけでこれだけの殺戮行為が行われている。
むごたらしいテロ行為。
開戦当時のイラクどころじゃない、イラクは国連の査察団を受け入れていたし(アメリカが引きあげさせた)、誰かを銃撃していたわけでもミサイル攻撃していたわけでもない。
イスラエルのモファズ国防相のお言葉を聞いていただきたい。
「フセイン政権が崩壊した今、パレスチナは世界が変化したことを理解しなければならない」
すんげえこと言うよね。
どうよ、これ。
民主主義と自由の名において、どうしてアメリカはイスラエル政府を転覆しないのかと問われたら、ブッシュ大統領は何と答えるんだろう。
なにも答えないのだろうな。
あると思っているシリアの大量破壊兵器で頭がいっぱいなのだ、というそぶりで、すべてを推し進めていくのみなのである。
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私の日記を読んだある方からお便りをいただきました。
ありがとうございます、こんな反主流的な日記を読んでいただいて。
あんまりうれしかったので、ご了解をいただいて、その一部を転載させていただきたいと思います。
最近、絵本工房の純さんの日記、毎日のように更新されていますね。
今回の戦争に関しては、私は純さんほど、真剣には考えれていないと思うのですが、一番に思うのが、情報ってほんとに怖いな〜ということです。
ニュースを見ていても、何が正しくて何が間違っているのか、全くわからないし……。たまたま自分が見たニュースの内容だけで、物事を判断するって、すごく危険なことだと、痛感しました。
今日のニュースでは、アメリカはまた別の国を攻めるようなことを言ってますね。
いつまでこの状態は続くのでしょう?
日本も、もうそろそろ、ひとごとだと思うの、やめないといけませんね。
日本にはまだ選挙制度が生きているのだから、私たちも選挙で今の政府のあり方に抗議することが出来ます。
ただ、やはり、報道する側の姿勢が問われていると、私も思います。
キッチリとした情報公開をしていただかないと、こちらも判断のくだしようがありません。日本の報道の偏り方のひどさは、アメリカ人ですら批判的に感じている人たちが多い有り様です。
あ、あと、昨日、純さんのポエムで、「イエス・キリストさまが・・・」
を読んで、ずっと返答考えたんです。
で、私の返答は、
「でも、イエス・キリストさまは、敵なんて作りません」
です。どうでしょう?σ(^_^;
私は、幼稚園がキリスト教の幼稚園だったので、結構、神様の存在って信じているところがあるのです。
でも、それを、人を操る道具に使って欲しくないな〜って思っていて……。
きっとどんな形であれ、人それぞれ心の中で語りかける何かって持っているような気がするんですけど……。
私は、その何かの存在にずいぶん助けられている気がします。
日記のみならず、ポエムまで読んでいただいたのですね。
ありがとうございます。
ポエム『イエス・キリストさまが御味方についてらっしゃいます』の問いかけの返答が返ってくるとは、思ってもいませんでした。
何かといえばキリストを“だし”に使うブッシュ以下アメリカ政府の偉い方々を揶揄したポエムであることは事実です。
「でも、イエス・キリストさまは、敵なんて作りません」
とても素晴らしい答えだと思います。
他にも色んな返答があり得ると思います。
私も何か考えてみますね。
開戦前に盛んに言われた文化衝突論は完全に破綻しています(だから今では彼らですらあまり口にしない理屈)。
そもそも、キリストの生きざまとその教えを、勝利への道だというふうに吹聴してまわるのは、聖書の内容に反しておるように思うのであります。
むしろ、敗北時における彼のふるまいにこそ、学ぶ点が多いと私なんぞは思ったりするのですが。
どうですか?
*だれもだましたりなんかしていないよ*(2003.4.14)
石原慎太郎氏が圧倒的な得票数で圧勝した都知事選挙。
アメリカのイラクへの侵攻にたいして、「米国の行動は容認できる」と発言した人。
人種、女性、障害者への差別発言を繰り返す人物を、投票という民主的手段により、さらなる4年間、東京都民は知事として頂くことになったそうです。
なんと!
私の驚愕は、不当だろうか?
女性蔑視などという価値観が21世紀の日本で成立しうるなどということ自体が、私には到底信じがたいのだが。
しかも、石原氏の数々の差別発言は、我々に隠れてこっそりなされたものではなく、テレビや新聞報道で、堂々、公然となされ続けてきたものだ。
任期期間をつうじて、差別とそれに準じる彼の発言は、けっしてめずらしいものではなかったのだ。
我々は、新聞やテレビでの報道によって、彼のそうした発言を先の任期期間のあいだ、つぶさに確認してきたのである。
では、石原さんに投票した人たちすべてが、彼の人種、女性、障害者への差別発言に賛同しているということなのだろうか?
えええ〜?
*心理学からの報告*
まず我々人間は、信じたくない出来事を心理的に拒絶したり、聞きたくない報告、都合の悪い証拠を、脳が自動的に排斥してしまいがち、だという。
そうした状況下で我々は、あからさまな人種差別発言、女性差別発言、障害者差別発言等すら、聞いたそばから自ら進んで忘れようとすることすらある、という。
もしくは、こうした一連の発言には、なんらかのよんどころなき事情があるのだと自らを納得させようとすることもある、という。
個人的には、きわめて日常的かつ、非常に人間的な態度のひとつだと思う。
以上、報告終わり。
しかし、このたびの選挙結果が、そのような心理によって生み出されたかどうかについては、私はなんら言うべき言葉を持たない。
私もまた、自分の目でこの世界を見ているに過ぎないのだ。
私自身について申せば、東京の都民たちのうちこれほどの数の人たちが人種差別、女性差別、障害者差別を容認しているとは思いたくないという、そういう心理が働いているのは事実だと思う。
ともかく、ブッシュ米大統領、小泉日本首相、石原都知事らの発言を見聞きするにつれ、彼らは、ほとんど嘘をつく必要すら感じていないようだ。
私たちは、だまされてさえいない!
少なくともそのことだけは確認しておきたい。
これから起こるであろう地獄を人類が生き延びたとして、次の世代に向かって
「私たちはだまされていたんだ」
などと言いわけをしないように。
誰もだましていたりしないよ。
*悲しい出来事、ヴォネガットの寓話*(2003.4.13)
悲しい出来事が続いた。
日本では、今回の戦争は事実上終結しているようなムードになっている。
アメリカのライス安全問題担当補佐官は、イラク復興に関して、
「血を流した国が主導的役割を果たすのは当然」
と述べた。
国際法、準則を全面的に無視しておいて、血を流した国って、一体……。
またもや強盗殺人後の山分けばなし、アメリカの世界支配の表明だ。
強盗した財産は強盗した実行犯がいただくべきた、と安全問題担当補佐官に言われて、人々はなるほどと思う。
どうして「この強盗殺人は正当である」という戦慄すべき狂気の前提を、すんなり受け入れるのか?
私には、そこのところがすでにわからない。
悲しい話、続報。
バクダッドでのジャーナリスト殺害事件は、最初、遠距離からの戦車砲の砲撃によるものではないかと言われていたが、ここに来て、至近距離500メートルからの銃撃の可能性が高まってきた。
となると、結論として、この誤爆は誤爆ではなく、アメリカ軍の狙い撃ちということになる。カメラを構えているジャーナリストの姿を、じゅうぶん視認できる距離だからだ。
アメリカ中央軍が認可したものではないニュースソースを流す報道機関に対する、これは教訓ということなのだろうか?
学べ、学べ! 暴力の力強い進軍を!
次にはここ日本での悲しい話。
知り合いの韓国籍、北朝鮮籍の方々から、いわゆる日本民族の人たちからの嫌がらせ、狼藉のたぐいの報告を受けた。
敵国北朝鮮憎しの思いあまって、ついつい韓国籍の方々にまで嫌がらせや挑発の手が伸びてしまっているのだろう。
21世紀の魔女狩りだ。
首都東京都知事からして、韓国の方々への差別発言をおこなっている国ではあるが、日本国籍の市民のすべてがそういう考えではないのだと、たどたどしく、お詫びを申し上げたい。
私自身はある方から「おまえは北朝鮮人以下だ」というお言葉をいただいた。
私は、このような人種理論を前提として、議論をする必要を感じない。
テレビ報道を観た者は北朝鮮政府に恐怖し、その恐怖はあっという間に憎悪へと変質する。
北朝鮮人たちが我々を殺しに来る!
膨大な被害、計り知れない損失。
ノストラダムスではない私であっても、やってくるものが見える。
ファシズム。
アメリカは自分たちこそ正義だと絶対化し、日本人は逆に、何でもかんでも相対化したがる。彼らの好む相対論によると、すべての権力は腐敗し、あらゆる国は自国の国益だけを追い求め、対立する両者にはそれぞれなんらかの事情がある、戦争には犠牲がつきものだから、すべての意見、行動、価値を無意味化、無力化するべきだ、という結論になる。
そうなのか?
私は、どうしても引き下がってはいけない一線というものが、やはりあると思う。
社会の一員として、譲れない一線というものがあるのではないかと思う。
例えば、ナチの人種理論によるユダヤ人虐殺のような事態を、科学的検証もなく、ひらた〜く相対化するようなことは、やはり間違っていると私は言いたい。
社会に対して破壊的な無法行為、非科学性、まやかしの知識、ねつ造された証拠、エトセトラ、エトセトラに関して、けっして譲っていてはいけなかったと、過去形にして、言っておきたい。
昔のテレビドラマで、すっごくいいセリフがあった。
「人間は、きれいごとを押し通す力があるんだ。覚えておけ」
そのままの引用になっていないかも知れないけれど、山田太一さん脚本のドラマだった。
再放送で観たことがある。
あんまり素晴らしいフレーズだったので、当時、手元の紙切れに書き記した。
引用、その2。
昔読んだカート・ヴォネガットの小説『タイタンの妖女』に登場する、水星の洞窟に巣くう架空の原始生物を懐かしく思い出す。
彼らは、音楽を食べて生きている。
ぐにゅぐにゅした原始生物の彼らは、争うことも、傷つけあうこともいっさいない。
確か、「ハーモニウム」という名前だった。
ハーモニウムには単純なテレパシー能力がそなわっていて、 わずか二種類のメッセージを繰り返し伝達しあっている。
その、ふたつのメッセージとは
「ボクハココニイル、ココニイル、ココニイル」
「キミガソコニイテヨカッタ、ヨカッタ、ヨカッタ」
……。
ハーモニウムのような暮らしをするには、ハーモニウムのような生物に生まれつかなければだめなのか?
水星の洞窟までの距離はあまりにも遠すぎるのか。
ハーモニー(調和)を切望しながら、一方であのテレビ報道を観て、空気を切り裂くミサイルの破壊音を何度も耳にして、眼の大きな子どもたちが手足をもがれるのを観て、なおかつ正気でいる。自ら支払う税金で、この子らを殺している!
私は狂わないのか?
……なぜ、もっと感じないのか?
すくなくとも、ひとつのメッセージは発信され続けているはずだのに。
いかれた私の受信機!
「ボクハココニイル、ココニイル、ココニイル」
私は、立ち上がれない。
悲鳴をあげることも出来ない。
*どっこい、クリントンも頑張ってたのね*(2003.4.11)
そういえば、トルコはどうしたろうか?
去年のサッカー・ワールドカップで3位になったトルコ。
90年代にアメリカの支援によってクルド人大虐殺を行ったあのトルコだ。
大虐殺のあるところには、しかし、なぜかいつもアメリカだなあ……。
人道的介入、人道的支援とやらにおっそろしいほど精力的で、目が回りそうだ。
その時の大統領は、人気者のクリントン。
何かとブッシュばかりが悪者扱いだが、どっこい、クリントンも頑張ってたのね。
話を現在に戻そう。
トルコは、米英軍がクエート側から侵攻したどさくさに紛れて、イラク領土に侵攻。イラク領土内のクルド人に対しても行動を起こす寸前、というところまでは、私もニュースで知っているのだが。
ところが、そこで、トルコの一連の行動に、アメリカは露骨に反発。
ええー、アメリカさ〜ん、トルコ領内のクルド人たちは徹底的に虐殺、抹殺することを支援していたのに、イラクではどうしてだめだなんて言うんだろう?
もしかしたら、トルコ領内のクルド人たちはものすごく悪いテロやろうなんだけど、イラク在住のクルド人たちは民主と自由の良いクルド人ということなんだろうか。
……なんでやねン。
実は、アメリカにとって、クルド人なんてどうでも良いことなんだよね。
どこまで行っても、冷酷、残酷というだけなんだ。
今度の戦争でアメリカは、フセイン圧制に苦しめられてきたクルド人民を、対フセイン勢力として世界にアピールしたいというだけなんだ。
ここでトルコにしゃしゃり出られたのでは、話が非常にややこしくなってしまう。
クルド人撲滅に気のはやるトルコ政府は、アメリカ政府のストップのために、民族浄化はしばし、おあずけ。
トルコ政府は、領土的野心はない、と、アメリカに言いわけをしていたけれど、そんなこと最初から知っているよ。
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赤十字国際委員会のバクダットからの報告。
「(アメリカ軍は)動くものは何でも撃っている」
ええ〜?
道路上には被害者が放置されていて、片付けようとするとそれに対しても米軍兵士は発砲する。赤十字のマークがはっきりついている車両に対しても発砲し、負傷者の治療を妨げているそうだ。
しかし、テレビでは、フセインの銅像が倒されるのを観てイラク国民は歓喜し、米英解放軍にたいして腕よ折れよとばかり手を振って、歓迎を意を表していたのに?
赤十字さんの話とは、どえらく違うなあ。
国連イラク人道調整官事務所のタビュー報道官は、アメリカ軍の攻撃が無差別化していることにたいして、重大な懸念を抱いていることを表明した。
おお?
国連の皆様も、つくづく根気があると感心する。
赤十字の車両は撃ってはいけません、一般市民は撃ってはいけませんと、世界中のあちこちで年中言い続けているというのに、アメリカ政府はまったく聞いたためしがない!
自分たちは何をやってもゆるされているのだと本気で思っているのだ。
8日、アメリカ軍のミサイル“誤爆”攻撃を受けた衛星テレビ、アルジャジーラは、アラブ地域で数少ない検閲のない放送局で、これまでもさまざまな重大ニュース、広汎な意見を放送してきたために、長らくアメリカ政府からにらまれてきた。
というのもアルジャジーラテレビはこれまで、彼らの人権記録を包み隠さず公表してきたためなのだ。
パウエル国務長官は昨年、アルジャジーラに「報道をトーンダウンするように説得」するようにカタール首相に圧力を加えた。
こうした一連の流れも、みな偶然なのだろうか?
国際ジャーナリスト連盟は、
「ジャーナリストを標的にしたことは疑いなく、重大かつ深刻な国際法違反」
との声明を発表している。
また、国境なき記者団は
「ジャーナリストを意図的かつ無警告で標的にしたことを疑うとともに非難せざるをえない
」
と声明を発表した。
アメリカ政府がとうとう根負けして、かすかにでも耳を傾ける日は、果たしてやってくるのか。
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