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『バツのついたカレンダー』の表紙など作りました(2005.4.15)


高山智津子先生の新刊が、ルック出版さんから刊行されることになりました。
不祥わたくしめが表紙絵と挿し絵などを担当しております。
さておたちあい。
本のタイトルは
『×(バツ)のついたカレンダー』
でございます。
内容は、高山先生の教師時代を中心にした自伝です。
17歳の女学生がいきなり小学校の教諭になってしまう
というプロローグから、一気に読ませる面白さでございます。
表紙は、先生が子どもの洟をチンしてあげるシーンを絵にしました。
本の内容を読んでもらったらわかるけど、この本全体に一貫して流れている心根の美しさのようなものを、洟チンのシーンは端的にあらわしていると思ったから。
心根の美しさは、隠しても自然と香ってくるんですね。
まー、そういう感じを絵にできたらと思いました。
最終的に描けたかどうかはアレですが。
(;^-^ゞ
制作意図はそういう感じです。
言葉で良いことを言ってても、根性が腐ってたらどもならん、よなあ。
皆さんも書店などで手に取っていただけたら、ものすごく嬉しいです。
「この絵がいい!」なんて思ったら、はっきりそう言っていただけるとさらに嬉しかったりします。
思わなかったら何も言わなくて良いです(笑)。
そうそう、お値段は税込み2100円です。
書店で見かけたら、ぜひ手にとって、なかの挿し絵も確認してくださいませね。




*16歳の小説家を見つけたらゆきゆきて神軍*(2005.4.14)

お友だちにお貸りしていた映画DVD
『小説家を見つけたら』
を観賞する。
アメリカはケンタッキー州ルイビル出身の監督が撮ったアメリカ映画に、どれほどのことが可能なのか、不安と期待が入り交じった気持ちで観た。
内容は、貧民街・ブロンクスに住む16歳の高校生、ジャマールの成長物語。
ジャマールは、バスケットをやらせれば天下一品、文学の才能もあり、その実力は16歳にしてアメリカ文学史上屈指。なにをやらせても人並み以上の少年だ。
つーか、スーパーマンだ。
アメリカ社会が信じてやまない、アメリカンドリームという“社会の健全さ”が機能している映画の設定下で、彼の才能は世間に見いだされなくてはならない。
アメリカ合衆国における平等と民主主義。
野心があって、なおかつ、その野心をかなえるための実力なり根性なり才能なりをしっかり持ち合わせているというならば、それは正しく平等に評価されなくてはならない。という文脈での平等と民主だ。
だから、映画もそうなる。引きこもり作家フォレスターが、いちはやく少年の才能を見抜き、彼の文学的才能を開花させるべく尽力する。少年は貧民街の高校から見事、進学エリート学校へと編入する。
おめでとう。
貧民街から抜け出そうにも、秀でた才能もコネもない友人たちは、当然おいてけぼりだ。
おいてけぼりになった彼らはどうなるのか、という部分は映画では描かれない。それは健全なアメリカ成功物語とはまた別な物語なのだ。
才能あふれるジャマールが、いかに成功してゆくか。その道程は、アメリカ社会が信じる健全さそのものだ。
説得力のある理由もないままに彼の成功を邪魔する教師なども出てくる。が、ストーリー展開上の悪役にしかすぎず、そもそも少年は有無を言わさぬスーパーマンとして設定されているので、たいした邪魔だてなど出来ようはずもない。物語をさらに甘く仕上げるために、無意味にジャマールを攻撃しているだけだ。
脚本という神に躍らされるあわれな架空の悪役たち。自由意思を持たぬ彼らは、どれほど不自然であろうと、ほかに行動のしようもないのである。
不自然極まる悪役たちの策謀もむなしく、ジャマールの豊かな才能は世間の知るところとなる。
彼の才能は、貨幣化できるところまでたどり着いた。それが、我々の言う価値だ。
作家フォレスターも引きこもりから脱却し、そのことでジャマールに感謝する。ふたりの関係は師弟関係ではない。上下ではなく横の関係、友人関係だ。
ハッピーエンド。
物語は終わった。
平等と民主の名において、アメリカンドリームという成功物語を社会の中で健全に機能させ続けていくのだ、という決意と情熱を、くったくもてらいもなく描いた物語であった。
少年にはバスケット選手としての抜きんでた才能がある。だから、先発メンバーに選ばれるべきだ。ベンチを暖めるとしたら、それは不健全だ。
少年は豊かな文才がある、だから、作家として認められるべきだ。そうならないとしたら、不健全だ。
という一連の理屈は良くわかる。しかし、人間を生産性や才能だけで推し量ることができないのも事実だろう。
できない、と言っても現実にやっているのか。
だったら「推し量るべきではないと私は考えている」と言い直そう。
ケン=ローチ監督の傑作映画に
『Sweet Sixteen』
がある。カタカナにして『スイート・シックスティーン(16歳)』と読む。
これも、貧民街に住む16歳の少年の物語だ。
アメリカ人たちが大好きな
成功物語から、ファンタジーをぬぐい去ったあとにいったい何が残るのか
を描いた映画だ。
『小説家を見つけたら』とセットで観ることを、強くお奨めする。
『小説家を見つけたら』の小説家とは何か。
小説家としてもっとも大切な気質は、アウトサイダーであることだ。
貧民街出身のジャマールは、『Sweet Sixteen』のような傑作を発表することができるのか? 正直、このままじゃあ、無理だろう。アウトサイダーでない作家など、ただの売文屋だ。
『小説家を見つけたら』という映画を撮ったのは、ガス=ヴァン=サントというひとだ。最近、コロンバイン高校銃乱射事件を題材にした
『エレファント』
を撮って話題になった監督さんだ。
しかし、この調子じゃあ、内容が非常に心配だ。
コロンバイン高校銃乱射事件に興味のある方は、『エレファント』ではなく、マイケル=ムーア監督の
『ボウリング・フォー・コロンバイン』
をお奨めしたい。
これは、本当に傑作です。


もう一本映画を観る。
『ゆきゆきて神軍』
奥谷謙三というおっさんを追いかけて撮り続けた、ドキュメンタリー映画だ。
で、前もって書いておきマス。
私、このおっさんの言うこと、やること、肯定しませんからね。
(;^-^ゞ
まさかとは思うけど、同類と勘違いされたら、かなわん。
(;^-^ゞ
めちゃくちゃな映画だ、とは前評判で聞いていた。
あのマイケル=ムーア監督が、
「僕には撮れない」
と言うほどの作品だからな。
で、観たんだけど、いや、ほんと、この奥谷謙三というおっさん
マジでいっちゃってるよ!!
! ( ̄□ ̄;)
すげえ。
こんな人物、ヴォネガットの小説か、チャップリンの映画のような
コメディのなかだけでしか存在しない
と思ってたよ。
いや、ほんと、すごいな。
太平洋戦争中の日本陸軍、独立工兵第36連隊の数少ない生き残りである奥谷謙三は、ニューギニアで不審な死に方をした仲間たちの真実を探ろうと、昔の上官を訊ねてまわる。
奥谷は、上官に向かって、
あんた、部下を殺して、人肉を食ったろ?
と問い詰める。

知らぬ存ぜぬなどと答えようものなら、

ボコボコに殴る!

ひええ!!
ドキュメンタリー映画ですよ、これ。
ウナギ屋さん(元上官がいる)にアポなし突撃取材して、商売の邪魔だとうるさがられると、

「商売とひとの命、どっちが大事なんだっ!」

と激高して叫びだす。
うあああ。
いかなる戦争も暴力も否定する、と言っておきながら、自分が暴力振るうのはかまわないという矛盾!
殴ろうが、けっとばそうが、牢屋に入ろうが、戦争の真実を明らかにせずにおれるものかという執念。
「あと10年は独房に入ろうと決めたんです」
なんてきっぱり言われたら、問い詰められるほうもこりゃ怖いよなあ。
……このおっさん、戦争の狂気をずっと引きずってるんだな。
この映画に出演しているひと、みんなそう。

今日は誰の肉を食べるのか。
あいつか。
こいつか。
それとも、おれか。

脅されようが(←苦っ)けっして認めないひと。
ぽつりぽつりと口を開くひとびと。
いいわけに終始するひと。
どちらにしても、地獄だよ。
こんな悲惨なこと、もう2度と繰り返しちゃならない。だからこそ、戦争の真実を明らかにしたい、そういう思いが狂気となって、このおっさんを突き動かしてるんだよな。
おっさんのやり方は間違ってると思うけど、気持ちはわかる気がするよ。
イラクの自衛隊派兵は、即刻やめるべき。
平和ぼけでいいんだよ。戦争体験なんてものは、世界からなくすべきだ。
ともかく。
すっげえものを観せてもらいました。
あー、たまげた。

さらに、もう一本。
『16歳の合衆国』
また16歳だ。
そしてアメリカ映画だ。
世界は悲しみに満ちている。幸福なんて自分自身につくウソ。だから、
暗い未来が待っているだろう恋人の弟を殺しました。
という16歳の男の子のストーリー。
あのなあ……。
(´▽`;)
いやねえ、いろいろ主張したいこともあるんだろけど、こんな稚拙な描き方じゃあ、逆効果よ?
「怪物ではない、普通の16歳が殺人を犯すことを描きたかった」
って製作者側の人間は盛んに言ってるけど、これって結局、

「怪物ではない普通の16歳」を怪物化

してることになるんじゃないの?
どうよ?
世界は悲しみに満ちている、というのだって、映画の中で語られる肝心の悲しみが説得力のないもので、これじゃあどうしようもない。
つーか、アメリカのゆがみに意識的に目をそらして何かを語ろうとするから、奇妙に難解でトンチンカンなお話になっちゃうのよ。
父親の育て方が悪かったからこうなった、って、そんなオチのために、16歳の男の子がガールフレンドの弟を刺し殺す、などというショッキングな題材を持ってくる必然性はないよ。
そういう意味じゃあ、
『タクシードライバー』
って、本当に傑作だったんだなあ。
孤独という名の“損ない”と、
成功という社会のビョーキ
を、あれほど鮮烈かつ辛辣に描ききった映画もそうはない。
「ヒーローを必要とする社会が悲劇的なんだっ」
(↑byブレヒト『ガリレオの生涯』より)
……そう言えば、『タクシードライバー』もアメリカ映画だったんだよなあ。
あの頃のハリウッドには、アウトサイダーな気分がまん延しておってなあ。
若手作家がどしどし意欲作を作っておったもんよ。
スコセッシだってリドリー=スコットだって、若いあの頃のほうがいい映画を撮っていた。
よな?
リドリー=スコットの最近作
『G・Iジェーン』
って、ありゃなんだ?
『ブレードランナー』
と同じ監督とは思えんよな。
イラン映画があるから、観る作品に困りはしないけど、ハリウッドの見る影もない有り様に、涙を禁じえませんね。




*たとえ神が許しても*(2005.4.10)

「米軍は、敵の戦闘員に対する虐待、拷問などを公式に認める創案を作成中」という新聞記事を読んだ。
はあ?

「敵性戦闘員」はジュネーブ条約の保護の枠外、
なんだって。
(´▽`;) メチャクチャ……
アメリカ政府に敵対する人物には容赦なく虐待・拷問をしてもいいですよ〜、人権なんてありませんからね〜、ということを公式に書きこんであるわけね。
すげえな。
本物のくそたわけだな。
これからは、生きている人間を戦車でひき殺すのもおおっぴらにできるようになるわけだ。
じゃあ、敵性戦闘員の具体的な該当条件はなにか、というと、「アメリカ政府がそれと認めた者」なんだとよ。
なんだよ、そりゃあ! これじゃあ
一般市民だって子どもだって「アメリカ政府がそれと認めた者」になりうる
わけじゃん。
ファシストども!
世界を征服したつもりになってやがる。


ここ日本じゃあ、自民党・公明党・民主党など
与野党なれ合い組
と、読売新聞などの大手報道機関が平和憲法を改憲しようと大キャンペーンちゅう。
やってくれるよ。
民主党が野党などと、ヘソで茶がわくぜ。
イラク国民の財産である石油は今、泥棒やりほうだい。文句言うやつは、殺したって拷問したっていいんだもんな。
政府としては、いっぱつ自衛隊で大あばれといきたいのだ。
昔、悪の枢軸といったらドイツ、イタリア、日本の3大ファシズム国家だったわけだけど、いまじゃあ、アメリカ、イギリス、そして日本、と世界のひとびとに言われちゃってる。
北朝鮮もひどい、中国もひどい、トルコもひどい、
しかし日本はもっとひどい、悪決定
って、世界中のひとは思ってるんだな。
まあね、仕方がないよ。
「世界最大の武装勢力の一味」
だもん。
そりゃあ、フツーに悪だよね。
悪い国ベスト3の第3位。国民として、ものすご恥ずかしい。
日本の内側で暮らすひとびとにとっての世界とは、実はアメリカ合衆国とイコールだ。私たちが「世界」と言うときは、それは自動的にアメリカ合衆国の意向のことだ。
アメリカの外側には、大小のたくさんの国家がある。そうしたアメリカ合衆国の外側の大多数の方々の意見は、私たちにはほとんど聞こえてこない。
マスコミが、報道しないからな。
世界今昔“悪”物語
の「今」と「昔」の両方でしっかり名を残してる日本。がっかりさせるぜ。


イスラエル軍がパレスチナに突然侵攻して市民を無差別虐殺
したとき、例の帝国マイク○ソフト社は、

「イスラエル国防軍に感謝の意を捧げます」

と書いた看板を、でかでかとテルアビブに飾り立てやがった。
確かに窓は想像を絶するひどい製品だが、ことはそういう問題以前だ。
戦闘ヘリで空から一般市民を爆撃した連中に、

「感謝の意を捧げます」

だと!
なにをどう感謝してるのか、詳しく説明してみろ! 絵に描いて説明しろ!
コノヤロウ。
例え神が許しても、ワシが許さん!
もうな、マイク○ソフト社の製品には一銭も払うもんか。
これまでも払ったことないけど。
(;^-^ゞ
ワードやエクセルを持っていないと、仕事で不便もあるけど、はっきり言って、知るかそんなこと。
仕事ごときで、人間の皮をかぶった悪魔どもに魂まで売れるかあ。
アップル社だってただの企業だけど、かと言って、大同小異だからと、
より大きな破壊行為者
に尻尾をふるわけにはいかん。

「最大にして最重要の課題は、
Windowsの悪夢が終わった後の世界を、正常な姿に戻すことです。
すでにその兆しは現れています。」
人々はMicrosoftの術中に陥ってしまうのか。
その答えは私には分かりません」
「私の価値観はシンプルです。重要なのは、最大多数の人に最高のものを提供することです。音楽が自由に流通する世界--それは人類の宝であり、人々の生活を豊かにするものです。」

アンディー=ハーツフェルド・インタビューより。
OH〜。
アンディー=ハーツフェルドさんも私と同じことを言ってるのな。
著作権やコピーコントロールについての意見も、その意見を支える哲学や世界観もほぼそっくり同じなのな。
なんか、どんどん自信がでてきたぞ(笑)。
音楽が自由に流通する世界--すべての人間的価値をだれもが手にできるデジタルユートピア。あなたがあなたであることの素晴らしい価値を明らかにすること。
それがパーソナルコンピュータの革命だったんだな。
私がいて、あなたがいて、世界がある。
愛は無限だよ。
新しい何かを創造し続ける。
太陽が昇れば、そこはもう夜ではない。
そのとき、資本主義システムは打倒されるのではない。“落ちる”のだ。
世界に朝がおとずれ、そのとき人類は貨幣経済と資本主義が生みだす悪夢から、ようやく目覚めるだろう。
愛と資本主義とは両立しえない。与えることを制限したり、禁止するのが資本主義だもんな。
なにがコピーコントロールじゃ、人類の財産を少数のひとたちの利益のために囲い込むなんて。
愛を手に入れているのに、どうして所有にこだわる? デジタル革命が起きたとき、あなたはこれ以上なく満ち足りているはずだ。そして今、あなたはすべてを周囲に与えることができる。母乳を赤ちゃんに与えるのは、母親の喜びだ。与えることは、あなたの喜びだ。
今こそあなたは、周囲の人々に愛を与える力がある。つい最近までは、単なる夢想だったけどね。
キリストの教えもマルクスの理論も机上の空論だった。
無限に与えろなんて、人間に対する要求が大きすぎる
んだよ。
しかし、もうそれも終わった。与えても与えてもあなたは失わない。デジタル技術が愛を保証する。
……途方もない理想論だ。
この理想論に大まじめに取り組んだからこそ、Mac開発プロジェクトは伝説となった。
レーニンのあほんだらなんて、ほっておけ。
あいつは、卵からヒナを孵すのに、思いっきりトンカチでぶちやがった。
殻は割れたけど、
ヒナは当然死んじまった!
共産主義の看板は、血でまみれた。
暴力で革命を起こそうなどととは、トンチンカンもいいとこだぜ。
スターリンや毛沢東は言わずもがな。タイピングするのも汚れる気分だ。




花見しました(2005.4.9)

雑誌
『Mac people』
はMac雑誌なので、さまざまなMac関連のお店の広告が載っている。
そのMac関係の5月号の商品広告の片隅に、あるMac専門店のつぶやきが掲載されていた。
最近のMac事情に鋭く踏み込んだ、辛辣なコメントであった。
以下、一部引用。

「巷ではiPodがバカ売れしていることはご承知のことと思うが、現行iPodはOS9起動Macでは使用することができない。初期のiPodはFirewireさえ搭載していれば利用できたのだが、
(中略)
技術的にはOS9でもなんら問題なく外付HD、MP3Playerとして利用できるはずなのだが、Appleはそれを利用できなくしている。
メーカーとして新しいOSへの移行が遅々として進まないことが問題なのは理解できるが、ユーザー側には新しいOSに移行できないそれなりの理由があるから移行が進んでいないのが現状である。OSXが商品として世に出てからすでに4年以上が経過しているのだが、ここまで普及が進まない理由は……それはAppleが一番よく理解しているはずだ。」

「もっともな質問だ」
(↑by映画『バタリアン』に出てくる、かわいそうなおじさん)
アップル製品の機能をMacユーザーが利用できないという不思議。窓ユーザーですら利用できるのにだぜ? ウインドウズからの乗り換えキャンペーンなんてしてる暇があったら、古参のユーザーをもちっと大切にしてほしいよ。
iPodを使いたかったら、OSのバージョンアップをしろだと?
マイク○ソフトじみたマネをしくさりおって。
新製品と旧OSとの互換性をむりやりなくしてしまうことで、移行を余儀なくしようというメーカー戦略なわけだ。
悪夢のように不出来なOSを作っておいてな。
ユーザーをなめんなよ?
「窓よりは使いやすいでしょう」
だと?
「そんなものをありがたがれというのか、おまえは!」
あれ以下のシロモノなんて、地球人には作れねえつーの!
アレに触るたびに、私の想像力を遥かに超えるヒドさに絶句する。
よくもまあ、あんなにヒドく作れるもんだ。

「人間はコンピュータよりも柔軟であるため、コンピュータを人間のニーズに合わせてデザインするよりも、人間をコンピュータの制限に合わせるほうが簡単なのです。しかし、その道を選んだときから、
 
私たちはコンピュータによって解放されるのではなく、

コンピュータによる囚人となってしまうのです。
--カーラ=ジェニングス

窓の開発をしてるひとには、カーラさんが何を言わんとしているのかすらわかんないんだろうな。

「将来人間がコンピュータに使われていくようになる。そーゆー奴隷状態からひとびとを解放したかったんだ。」

--ウォズニアック

いままさに、そーゆー状態ですよ、ウォズさん。
思いやりを形にした製品、それがMacだったのに。
Macと、他には、ベルギーのおじさんが作ったT字型の
ジャガイモの皮むき器
な。
このふたつの製品は、思いやりとは何かを学ぶための教育プログラムとしてもじゅうぶん機能する。
手首の悪い奥さんのために、ベルギーの名のないおじさんが工夫を凝らして作ったのがジャガイモの皮むき器だ。
使ってみ?
スルスルと、まーあむきやすいこと。
奥さんに対するおじさんの愛情と思いやりが、ジャガイモの皮をむくたびにひしひしと胸に迫ってくるのな。
心が暖まったところで、今日は奈良民俗公園まで出かけて花見としゃれ込んだ。
むかし公園地域にいらっしゃったというおキツネ様にごあいさつ。村人のお願いごとをいろいろ聞いて下さったのだそうだ。
お名前は
熊五郎さん。
キツネにクマゴロウですか……。
う〜ん。




*Macエバンジェリスト2*(2005.4.8)

春だというのに、身体がだるくて仕方がない。
だから(←?)ひきつづきジェフ=ラスキン氏逝去を嘆く。
人類の未来のために、まだまだ長生きしていてほしかった人物だ。
しかし、運命は人類に微笑まなかったな。

「これはMacintoshでもWindowsでも同じですが、現在のユーザーインターフェイスの設計者は、何か問題が起きると新しい機能を追加することでそれに対処しようとします。しかし、結局その方法ではユーザーインターフェイスはどんどん複雑になっていくのです。
MacOSXのExopseの機能では、[F9][F10][F11]キーを使うようになっていますね。これはユーザーにとって親しみやすい設計ではありません。
アップルはUNIXとハードウェアのメーカーになってしまいました。

柴田文彦・著/Mac Power・編『Macintosh Museum』よりインタビュー抜粋。
ワシとおんなじことを言ってるね、ラスキン。
ちょっと、みんな聞いた〜?
自信ついちゃったよ。
f ^ ^ *)
……。でも。
もう、終わったんだよね。
Macintoshという名の革命は。
なんか、ここにきて実感したよ。

「もうだめだと思うときもありました。でも1982年のある晩、11時くらいだったでしょうか、いつも通り残業をして、外を歩いていたとき、夜空を見上げ、こう思いました。
「ああ、自分は今、とてつもなく重要な変化を起こそうとしているんだ」
われわれはパーソナルコンピュータというロマンを愛していました。」

A・ハーツフェルド・インタビューより抜粋

本当に美しい夢だった。
「なにもかもがなつかしい」
↑(by『宇宙戦艦ヤマト』沖田艦長)。
個人を内側から変革してしまうことで人類を新しい地平へと導こうとした無政府主義者たちの大胆不敵な冒険は、少なくともMacintosh開発プロジェクトという形では、終焉を迎えた。
ジョン=レノンたちが失敗したように。
私たちの子どもたちの未来を考えると、なんとも悲しい結末だ。
しかし、希望のすべてが失われたわけじゃない。
Macという名前はどうでもいいし、アップルという一企業が重要なのでもない。
それに、何もかもがダメだったわけでもない。
残ったものだってあるさ。
どこかの本に書いてあったんだけど、探しても見つからないので、うろ覚えで書く。

「素晴らしいユーザーインターフェイスを開発するよりも大切なことがあります。それは、ひとびとが縦の関係ではなく横の関係で、競争ではなく協力関係で仕事を成し遂げることです」

ラスキンの言葉だったか。
トグナツィーニの言葉だったか。
またいつの日にか、あの気高く美しい夢に出会うことができるはずだ。
私は信じる。
まったく新しい名前で。
コンピューターとは違う分野で。
……感傷にひたりすぎかなあ。




Macエバンジェリスト(2005.4.6)

先月25日発売のパソコン雑誌
『Mac people』5月号
『Mac fan』5月号
を今ごろになって読む。
どちらの雑誌にもジェフ=ラスキン氏逝去のニュースが大きく取り扱われていた。
ラスキンは、Macintosh開発に大きく寄与した人物である。
パーソナルコンピューターのもっとも偉大な革命に関係した人物というわけだ。
その革命が目指した最終的な目標は、

「人間が人間をモノとしてあつかう時代の終焉」

もしくは

「愛の技術の具体化と共有化」

となる。
接続されたあなたを増幅し、強化し、あなたがあなた自身であることを強力にプッシュアップするための道具。
“パーソナル”なコンピューターの実現。
それがMacだった。
♪インタ〜ナショナ〜ル♪
アップル社のロゴは、齧られた林檎である。Macintosh開発者たちは、もう一度神に反逆して、全人類に知恵の実を配ろうとしたのである。
地球上のすべてのイカロスのための翼、それがMacintoshプロジェクトだった。
そんな偉大な革命の精神も、資本主義の枠組みの中でみるみるうちに変質し、内部崩壊していくことになるのだが、その美しい夢の価値はなんら色あせることはない。
夢そのものが、人間性への貢献の業績だ。
ラスキンが永眠して、夢はさらに一歩遠のいた。
今回の雑誌の記事によって、ラスキンがワンボタンマウスの提唱者であったことを、私は初めて知った。
1967年当時、パロアルト研究所のスタッフすら3ボタンマウスの操作をたびたびミスするのを見て、ラスキンはよりシンプルで効率的な方法を開発、提案したのだという。
ラスキンは、
クリック&ドラッグによる選択や、ダブルクリックの利用法の発案者
でもあったそうだ。
ハーツフェルド、アトキンソン、ウォズニアック、そしてラスキン。彼らは本物の天才というだけではなく、まったく新しい方法で人間の本質的な部分に貢献しようとしていた。
革命の夢破れてなお、彼らの業績は今も、パソコンのインターフェイスなどに残っているのである。
ちなみに、Macの純正マウスは今も1ボタンである。
私は、理論的な側面はわからないものの(理論的なことをお知りになりたいかたは、結構詳しく書かれているのでMac Fan5月号を読んでみてくだされ)、マウスのボタンはふたつよりもひとつのほうが使い勝手がよいと知っている。
なぜ知っているか。
触ったことがあるし、そもそも、これしきのことは触るまでもないだろう。

「士郎。口にするまで禁鳥であることがわからぬとは、なにが究極のメニューだ! わはははは!」(by『美味んぼ』の海原雄山)。

ところが、あろうことかMac雑誌までが、
「Macもマウスをデフォルトで2ボタンにすべきだ」
などと主張するひとがいる。
このような記事を書く人間は、本当にMacを使ったことがあるのだろうか?
悪意なのだろうか、誰かから金を貰ってでもいるのだろうか?
(↑トンデモ暴論)。
マウスのボタンはひとつのほうが良いことなど、明白すぎるくらい明白だ。
車のハンドルはふたつよりもひとつのほうが運転しやすい、というほどに決定的
だ。
議論の余地があるということすら、私には認めることができない。
研究者でも開発者でもライターでもない私にだって、これくらいはわかる。
子どもでもわかる。
子どもでもわかることが、パソコンの記事を書く人間にはわからない。
なぜだ?
大人になるにつれて感覚の鋭さをすっかり失ってしまい、新機能や目新しさのようなものにばかり心を奪われてしまうようになった人間の姿、と、辛辣に言わせてもらおう。
星の王子さまにお説教されてしまうような大人たちだ。
「2ボタンマウスでないと、ゲームができない」
などという意見にはあきれた。
ゲームしたければ、ゲーム機を買え!
Macをゲーム機にするひきかえに、2ボタンマウスなどという代物を導入するように主張するなど、
人間に対する背徳行為だっ。
マジで、そうだよ。
Macはテレビを観れないから、テレビを観れるようにしてほしい、というライターもいた。
テレビ観たければ、テレビを買え!
本気で頭にくるよ。
Macに電源を入れてテレビを観るなんて、Macユーザーが公共の場で言うなっての!
1ボタンマウスの素晴らしさをこそ、書いてくれ!
Macのマウスをクリックするたびに、人間解放を目指したひとびとの想いが、指先から身体の中にしみてくる、それを書いてくれ!
いや、ほんと。
でも、いまの最新型Macは、とてつもなくひどいからなあ。
こんな代物がMacと名付けられているのが、なにかの悪い冗談のようだ。
世間でパソコンと言えば、Macじゃなくてあの窓のことだし。
これこそ本当に悪い冗談だ。
これっぽっちも
パーソナルじゃねえじゃねえか!

パーソナル【パーソナル】
 (英personal)
 .〔形動〕個人的なさま。
国語大辞典(新装版)(C)小学館

人間の歴史って、どうしていつもこうなんだろう?
すべての人間的価値を貨幣の排泄物とみなしてしまう資本主義のシステムをどうにかしないかぎり、パーソナルコンピューターの革命も実現は不可能であろう。

「アップルに入った当初の2〜3年間は、例えようもないほど素晴らしい時間を過ごすことができた。だが、会社が大きくなるにつれてアップルの雰囲気はずいぶんと変わってしまった」
『マッキントッシュ伝説1 マッキントッシュ誕生の真実』よりラスキンのインタビュー抜粋。

「40年以上私がやり続けてきたことは、「人間の知的能力の拡張」です。(中略)ひとの思考をもっと効率的に交換することができれば、我々の組織の形態はもっとすすんだものになると考えたわけです。
---つまり政府にその価値がわからなかったというわけですね。」
『マッキントッシュ伝説1 マッキントッシュ誕生の真実』よりエンゲルハートのインタビュー抜粋。

……。

ラスキン逝去の記事で、すっかりせつなくなってしまった。
『Mac fan』に連載されている鈴木みそ先生の漫画、
『てんまでとどけ』
を読む。
わはははは!
これは、笑った。
2ページの漫画でこれだけ笑わせてもらったら、おなかいっぱい。
ラストの戦争反対のメッセージもいい。
Macユーザーは基本的にアウトサイダーの反逆者なんだと、笑いつつも実感した。
腰抜けの私だって、少なくともアウトサイダーではあるだろう。

 



*『山の郵便配達』に『パンと植木鉢』*(2005.4.5)

昨夜は、お友だちにお借りしたままになっていた映画のDVDを観賞した。
なんやかんやで月日だけが流れ、気がつけば一ヶ月も放置したままだった。
本当に申し訳ない。
(^-^;A
タイトルは
『山の郵便配達』
1999年作の中国映画だ。
父親が長年続けてきた郵便配達の仕事を一人息子が引き継ぐことになり、初めてふたりで配達の仕事をする……と、言葉にすればそれだけの、いたって単純なストーリーだ。
中国の山奥の美しい風景をバックに、黙々と歩き続ける父と息子。どうひいき目に見ても道とは呼べない山の中を、ふたりは踏破していく。
場所によっては、彼らは郵便配達人というよりも、
ほとんどロッククライマーだ。
しかしふたりは、これといった気負いもなく、配達の仕事をこなしていく。ハリウッド映画のようなドーピングじみた感動の押し売りは、ここにはない。
父親が郵便配達を引退する。今日までこの仕事は、彼の日常だった。つぎの配達からは、息子の日常となるだろう。
厳しい仕事だ。
黙々と歩き、仕事をこなしていく父親の姿を息子は初めて目にする。日常の出来事としての仕事を、誰のものでもない自分のものとして受け止めきり、肯定し、人生そのものとして昇華しきった父親の姿だ。
ともに郵便を配達し、または回収しながら、仕事を引き継ぐための作業をこなしていくなかで、息子は、人間にとって「必要」とはなにかをも父親から学んでいく。
父親は、山々の村人たちにとって代替不可能な人間だった。地域社会全体において、いてもらわなくては困る人物だった。そして次からは、息子はその仕事を受け継ぐ。
地味で、厳しくて、出世とは無縁な生き方かもしれない。しかし、なんと誇らしい仕事であろう。
それは、生きることの喜びそのものだ。
人間としての真実の価値が、継承されていく。

昨日は、DVDで映画の二本立て。
ずっと映画観てなかったから、楽しくてしょうがない。
二本目はイランの巨匠モフセン=マフマルバフの
『パンと植木鉢』
だ。
結論から言おう。
『パンと植木鉢』は、
映画という名の怪物だ。
私はこの映画を観終わった瞬間、感動を飛び越えて、心底驚愕していた。
ありえない。
ありえない映画だ。
地球人の能力を超えてしまっている。
古代人がナスカの地上絵を描いたことが信じられない以上に、地球人がこのような映画を撮りえたことが私には信じられない。
このような映画を2005年現在までの地球人が撮りえるというのなら、北京原人がジェット機で空を飛び回ってたと言われたって、もはや不思議じゃない。
この映画は未来から来たのか?
いや、1996年作とクレジットされている。
つくづく、ありえない。
しかし、その信じられない映画作品が、ここにある。
これは、とんでもないことなのではないだろうか。
圧巻、名作、傑作、素晴らしい傑作、そんなありきたりの形容では、この映画のすさまじさを表現しきれるものではない。
この映画については、コメントするのはひかえよう。
私の能力を、あらゆる面で飛び越えてしまっている。
理想の読者とは、作り手の意図を見抜く力を持っていなくてはいけないのだから、私は全面的に失格者だ。
コメントする資格すらないレベルだ。
ひがみでも謙遜でもなんでもなく、ひたすら驚愕し続けるのが、“分相応”だ。
マフマルバフに限らず、彼の娘のサミラ、それにキアロスタミらイラン映画監督たちは、ロケットに乗らずとも人間は月の高みにまで達することが可能なのだ、
ということを私に教えてくれた。
彼らが人間だとすればだが。
(^-^;A
無意識的な部分、無自覚的に感覚で突っ走っている部分がこれほどまでに少ない作家たちは、かって地球上に存在しなかったはずだ。
私たちが、真っ暗な部屋で必死に手探りしながら人生の意味を探しているというのに、マフマルバフやその他のイラン映画監督たちは、こうこうと明かりのついた部屋で、極めて自覚的に物語を手玉に取る。
このあたりでやめておこう。
とにかく、ケタ違いだ。

ついでに。
DVD特典としてパッケージされている日本劇場公開時の予告編は、とてつもなく見当違いな作りで、これこそ雲泥の差、としか言いようのない代物であった。
イラン映画監督らは、月から地球を見て
「この星は丸い」
と断言するのだが、地べたに這いつくばって生きている私たちには、彼らの言葉を事実として受け止めることなど、とうていできないのだ。




花粉惑星(2005.4.1)

今日の日記は、神秘の星、

花粉惑星からおおくりしております。

(^-^;A
目がカイカイ、鼻水だばだば。
ぼうとして何も考えられない。
とてもじゃないけど、人間が人間として生きていける星じゃない。
目に見えぬ花粉の暴風にさらされて、私の知性は、もー風前のともしび。
花粉には、人間の脳を溶かしてしまう成分があるらしい。
溶けた脳みそは、鼻水になって流れてしまうんだ。
こうやって日記を書きながらも、どんどん言葉を失っていく。
昼夜を問わず人間に襲いかかる花粉の驚異。窓を閉めても、マスクをしても、ゴーグルをしても、彼らはわずかなすき間から侵入してくる。
私の独自の調査によって、恐るべき事実が判明した。
どうやら、ここ花粉惑星では、植物が人間に復讐を始めたらしいのだ。
地球がここまで病んでしまったその原因は、どうやら人間にあるらしいと、植物たちは気づいてしまったのである。
それで、人間どもから地球の平和を守ろうと、植物たちは
花粉攻撃で人間を撃退
しようとしているのだ。
間違いない。
植物たちは、人類と殺し合いをするのではなく、その巨大で凶悪な脳みそを溶かすことによって、人間を裸の猿化しようとしているのである。
その後は、文字どおりコンクリート砂漠化してしまったこの惑星を、植物たちが長い年月をかけて、ふたたび緑で埋め尽くすのだろう。
地球はかくして、九死に一生を得るのである。
……そんなわけあるかいな。
本気にしたらだめよ。
エイプリルフールだから。




お友だちと楽しくおしゃべり(2005.3.31)

お友だちご夫妻に遊びに来ていただいた。
仕事のアイデアをたくさん持ってきていただいて、素晴らしい作品を作るためである。
と書いておく。
……インターネットは誰がアクセスするかわかんないから、書くことも気を使うのだ。
(^-^;A
例えば。
2大政党などみせかけだけで、
自民党・公明党・民主党の3党首脳消費税の税率アップを狙い、なれあい協議している
という事実を書いたりすると、非国民だのアカだのと見知らぬひとからメールをどっちゃりもらったりするから、大変なのだ。
私に負けないくらい、ヒマなひとたちだなあ。
アカって最高度の侮蔑言葉だと、少なくとも使っている側は思っているんだろうな。私はぬる〜い人間だから、アカでもなんでもいいや、くらいにしか思ってない。ごめんよ、侮蔑を侮蔑ととってあげられなくて。
ちなみに、好きな色は緑色だ。
じっさい、マルクスさんは立派なひとだったよ。
大昔の中国の桃源郷とか、人間が昔から希求してきた理想の平等社会を、はじめて科学的に検証し、理論化してみせたのが、マルクスさんだかんな。
キリストさんに弟子が12人しかいなかったように、マルクスさんも、
お話を聞いてくれるのがエンゲルスさんしかおらんかった
けどね。
たいていの人間は、愛だの自由だのよりも、安定や勝利や所有に興味をもっているからね。しかたないよ。ドイツじゅうで、愛だの自由だのに真剣に興味を持ったのがマルクスさんとエンゲルスさんのふたりきり、という割合なんだよ。
なんて過激なことも、書かないほうがよい。
立て!万国の労働者。
市場経済をけっとばせ。
ということは、多くのひとがこっそり思っているが、口には出せないのである。
残りの時間が少ないと感じている私は、言いたいこと書いてるけどね。
さて。
ご夫妻は、私の仕事のために来ていただいた、という話しだった。
おふたりは、ものすごく仲の良いご夫婦。
ほほえましい。うらやましい。むしろ憎い。
(^-^;A ニクくはないよね。
小説、絵本、漫画、映画、クラッシック音楽と話さなくちゃいけない話題が多すぎて、しゃべってしゃべってしゃべりたおして、あっというまに時間が過ぎた。お友だちがいるって、なんて楽しいんだろう。
ゴマシジミという不思議な生態を持つチョウチョの話しで盛り上がってな。チョウチョの話がトンボの話になって、環境論、進化論、時間論、宇宙論、恋愛論、
昆虫の気持ちになって考える論、
と話題は膨らんでゆくのであった。
時間切れで、『月刊アフタヌーン』のカラスヤサトシ先生の漫画をご紹介しそこねた。
セルの指揮のコダーイ『ハーリ=ヤーノシュ』の話もできなかった。いいCDなんだ、これが。
また近々、ぜひとも遊んでもらわなくてはいけない。
私も、もっと本を読まなくては。
仕事をしている場合じゃない。
(^-^;A
つーことで、ナオミ=クラインの
『貧困と不正を生む資本主義を潰せ』
など読み返す。
いや、もう、そのものずばりなタイトル。
作者のナオミ=クラインさんはカナダの金髪美女。
鼻の先にそばかすがあるけど、それもチャーミング。
「ひと握りの人間が神に近づこうとすれば、私たちみんなが踏みつけにされる」
と彼女は書いている。
資本主義とはなんですか?と問われれば、答えは、
「ひと握りの人間が神に近づこうとすれば、私たちみんなが踏みつけにされる」
となる。
だからこそけっして、資本主義の真実の姿はテレビも新聞も報道しない。真実を知ったら、みんな怒りだすからね。
資本主義と自由主義は本来ぜんぜん別のものだが、私たちはその別のものをイコールで結びつけて考えるように教育されている。
資本主義こそが、自由そのものなのだと。
「ひと握りの人間が神に近づこうとすれば、私たちみんなが踏みつけにされる」という事実を、「勝ち組と負け組」と言い換え、さも、踏みつけられる側が怠惰だったり無計画だったりするかのように信じ込まされる。
「私たちはなにも信じ込まされてなどいない、私たちはいつでも、自由意志で行動している」
という幻想を子どものころから吹き込まれているので、この奴隷状態が自由そのものなのだと私たちは言い張る。

私には自由意志はない、などと認めたがる人間はいないので、ひとびとは頑固に、すべては自分たちの意志の結果なのだといいはる。
資本主義社会における「自由」こそ、最大の幻想だ。
幻想としての「現実」、そして「自由意思」。
なんと奇妙な世界なのだろう。

すべては、ただひたすらに、ひと握りの神のために。



*高遠菜穂子さんによるイラク・ファルージャの報告*(2005.3.27)

忙しくて漫画を読む暇もない、などと泣きごとを言いながら、ぜんぶほっぽって高遠菜穂子さんの講演を聞きに出かけた。
この世には仕事よりも大切なものがあるから、……という台詞はクライアントさんには内緒だ。
うそ、うそ、仕事も大切だよ。仕事ばんざい、仕事大好き。
公開日記だから、本心ばかりも書いてはいられんよ。
え?どっちがウソかって。
私、仕事が三度のメシよりも大好きなのよ、本当に。
がっはっは。わっはっは。
高遠菜穂子さんは、2004年4月にイラクの武装グループに拉致された、あの高遠菜穂子さんだ。
あのときは、海外で犯罪に巻き込まれたというのに、自国の政府に自己責任バッシングで責め立てられてしまってな。あれは本当にかわいそうだった。
拉致された高遠さんたちを国民のほとんどすべてが非難しているかのように、テレビじゃ報道したしね。高遠菜穂子さんも、当時はひどくショックを受けたそうだ。あー、真に受けちゃったんだなあ。実際にあんなアンポンタンなことをほざいていたのは一部ですから、気にしなくていいよ。
ファシストどもは人数は少ないんだが、声がでかい
のよ。
空港まで出かけてやじったり、家族や親戚に嫌がらせ電話したり、と、間違った方向で行動力旺盛だし。
あいつら、自己責任って言うけど、じゃあ何か? 学校で教師が教え子に刺されたら自己責任って責めるんか!
交差点で車に轢かれても自己責任だよな。交通事故に遭った被害者の家に電話かけて、死ねとか馬鹿とか言うんか!  ……あいつらの理屈からすれば、そうなるよね。
結局、自己責任という言葉をもてあそんでいるだけなんだよ。
いま現在の高遠さんは、めげそうになった気持ちをたてなおし、イラクの子どもたちのために就職訓練の機会を与えたり、学校を建設するために、尽力なさっているそうだ。
すげえよ。
これが国際貢献だよ。
これが責任だよ。
で。
高遠菜穂子さんの報告によりますと、イラクのアメリカ軍は、病院を攻撃して、医者、看護士、患者、負傷者、その他、皆殺しにしているそうですな。
なぜ病院を標的にするかというと、
アメリカ軍が民間人を虐殺していることがばれる
から。
「死者1000人、うち民間人700名」
って病院が発表すると、アメリカとしては困るのね。
だから、病院とそのスタッフをつぶしちゃう。
ちなみに、そのときの日本の新聞テレビの報道は、
「イラクの病院を制圧」
あほか。
こんな見出しを書いたやつは、小学校からやり直しじゃ。
アメリカ軍は病院を潰し、アルジャジーラなどのメディアも追いだして、情報が外に漏れないようにしてから、イラクのひとびとをゆっくり確実に虐殺していくのだそうだ。
Macを使ったスライドショーには、モザイクなしの
手足を縛られたまま後頭部を撃ち抜かれた死体の山
が。
あとな、青白く膨れ上がってミカンみたいに皮のめくれた死体。ウジも湧かない死体。
おいおいおい、アメリカ軍!
てめえ、マスタードガス使ったな!!!
マスタードガスとは、ちょー凶悪な毒ガスじゃよ!
ブッシュ、あんた、まじでフセイン以下だな。
アメリカ軍はビデオカメラを持っている者は問答無用で射殺するので、これらの映像はみなイラク国民が決死で撮影したフィルムだ。
実際、高遠菜穂子さんのお友だちの仲間もふたり、ビデオカメラを持っているという理由で射殺された。
ビデオカメラに収められた、トラックで運ばれてくる小さな子どもたちの遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体。
なんじゃあ、こりゃあああああああああ!
自衛隊なんか派兵してる場合じゃないぜ。
オレたち、この地獄絵図の加害者側だぜ、アホンダラ!
くそっ、イラクの人たちは、わしらのこと、ものすご恨んでるんだろうな。
イラクのひとびとを、生きたまま戦車で踏んづけてるんだぜ。
まじかよ!
「助けてくれ〜」
って声が聞こえてくるんだけど、物陰からとびだそうとすると13ミリ機銃で射すくめられて、戦車で踏み殺されるひとを救出できないんだって!
アメリカ軍の戦車兵、オメエラなにやってんだ!!
全員いますぐ地獄へ落ちろ。
もちろん、わしもな。
イラクに侵略軍を派遣している国のいち国民として、自ら地獄ゆきが妥当であることをすすんで認めさせていただきます。
つーか、
イラクのみなさま、ごめんなさい〜!!!
謝ってすむことじゃないよね。
高遠菜穂子さんたちは、こんな状況のイラクに、学校を建設しようとしている。暖い毛布を一枚でも多く、イラクのひとびとに届けようとしてる。
私がねェ、高遠菜穂子さんが素晴らしいと思うのは、彼女、イラクの武装勢力に拉致されたわけでしょ? 日本じゅう大騒ぎになって、
日本のマスコミの誘導
で、拉致された高遠菜穂子さんたちが悪いみたいな話しになって、帰ってきたあともさんざんたたかれたわけじゃん?
あの事件で、イラクのひとたちを恨んでも不思議じゃないとおもうのよ。
だけど、彼女はいまも、イラクで苦しんでいるひとたちを援助するためにがんばってる。イラクとかアメリカとか、そういうんじゃないんだ。
彼女は、困っているひとたちを見捨てられないだけ。
そして、アメリカ人だろうがイラク人だろうが、
引き金に手をかけるひとたちをとめたいだけ
なんだ。
口で言うのは簡単だけど、現実に行動できるのは、すごいよ。




アクセス解析(2005.3.22)

ウェブサイトの管理人はたいてい、お客さんが検索エンジンからどういう単語を検索してやってきたかを知るために、アクセス解析を行なっている。
私はというと、アクセス解析にはこれまでそれほど関心はなかった。しかし、あるとき、
「男性に復讐」
というキーワードで、検索サイトからうちのサイトに来訪されているかたが、けっこういらっしゃることに気がついた。
けっこう、とはどれくらいの頻度かというと、1日に1人はいる。
私の日記に、「男性に復讐」という一文があって、それがヒットしているらしい。
「男性に復讐」で検索をかけた結果、ヒットした私の日記に来訪するかたが、1日に1人はいらっしゃるのだ。
『絵本工房』はオリジナル絵本の販売サイトのはずなのに、「男性に復讐」というキーワードでヒットしてしまう私の日記は、サイトの趣旨を逸脱しすぎなのかもしれない……、という話はわきにおいて(置いたらいかんのだろうけどな)、「男性に復讐」で検索するひとは、やっぱり女性なのだろうか?
男性全般に復讐したいと願っているのは、やはり、反対の性である女性だろう、という推察を先に進めるとして、彼女たちは、男性への復讐心に鬼のように燃えていて、その具体的な方法を探していらっしゃるのだろうか。
人間を性別でわけると、私は男性の側に属する。ということはつまり、私は復讐される身だ。
私は何が好きって、猫と人間の女性が大好きだ。私の幼少のころの将来の夢は、
「花嫁か、猫になること」
であった。私にとっての幸福とは、花嫁、もしくは猫として存在している瞬間だったのだ。
夢は夢で終わる、そういう運命であった。
現実の私は、何の因果か人間の男性であるがゆえに、彼女たちの復讐の対象だ。
せつない。
彼女たちの男性への復讐は、実行に移される日が来るだろうか? それは、どのような規模なのだろうか? もしかして、男性の絶滅作戦までいく?
もしもそのような日が来るのなら、私が生きているうちに来て欲しい、という気持ちはある。
核戦争で滅びるくらいなら、女性たちに滅ぼされたい
もんね(笑)。
納得できるよ。その怒りも。その理由も。
納得できる理由で滅びるなら、まあ、良いほうじゃないか。
ハルマゲドンも悪くないなあ
と思いながら死ねるというもんだ。
ともかく。
世の女性たちが、「男性たちに復讐せずにはおれない」と、もしも本気で感じているのなら、そのXデイの場には居合わせていたい。
彼女たちのスカッとした笑顔
を見てみたいもんね。
ハルマゲドンな気分にあわせて、リムスキー=コルサレフのバレエ音楽『シュヘラザード』をCDで聴いている。
シュヘラザードとは、『千夜一夜物語』のお話を毎夜、王様に語って聞かせた王女様の名前だ。
この世のすべての女性を憎んでいたペルシアのシャフリヤール王は、結婚した女性と初夜を過ごしたあと、次々に殺していた。
しかしシュヘラザードは、千一夜にわたってさまざまな楽しい話を王様に聞かせることで、死刑執行の日を先延ばしすることに成功し、
最終的には王様を手なずけて
もみせたのであった、というのが私の知っているお話。
間違ってたらごめんね、子どものころに読んだ、「世界子どもお話全集」のうろ覚えの解説デス。
(;^-^ゞ
子ども時代の私は、「娘シュヘラザードの機知と愛の無手勝流物語」というふうに、このおとぎ話を読んだわけだけれど、女性の側がこの物語から受けた印象は、また違ったものなのだろうか?
男って、こええよなあ。と、思ったろうか?
中国の女帝なんか、そうとう残酷なことをしていたりするから、男性女性という性別の問題じゃないような気もしているのだけれど、男の私が意見する権利はないだろう。
結婚するたびに女性を殺すんだからな。
この王様と同じことをしたやつには
『青ひげ』という男もいたっけ。
『青ひげ』のように、おとぎ話の世界だけならまだいい。
トルコや一部のイスラム教国などでは、家族による女性の殺害が、いまでも毎年数十件も起きているという。
殺した側は無罪。
なぜなら、殺されたその女性は家族の名誉を何らかの方法で汚したのであり、つまり殺されて当然なのだ。
そうした殺人を「名誉殺人」と呼ぶのだそうだ。
先日も、パキスタンの集団レイプ犯たちが法廷で無罪判決を受け、逆に被害者女性とその家族が命の危機にさらされているというニュースを知った。
彼女が集団レイプ犯たちの名誉を傷つけたため、
村議会によって
レイプが実行されたのである。
ぎょへえ〜!!!
とにかく、シュヘラザードが見事危機をきりぬけたにせよ、王様を手なずけてハッピーエンドじゃ、お話としてアンフェアだ。
私が女性なら、このラストには納得できない。
結婚した相手に殺される。または、殺されるとわかっていて結婚する。千夜一夜物語のひとつひとつの夜が生まれた背景には、このようなのっぴきならない危険な状態があった。
そして、千の夜とは、なんという長さだ。1という数字から始まって、千に到るまで、結婚相手を殺すという残忍さを片時も忘れない男。花嫁は逃げ場もなく、男の残忍さを正面から受け止め続けるしかない。とてつもないプレッシャーと恐怖だろう。
納得できるわけがない。
ラストは、シュヘラザードが王様の右の頬をひっぱたいて、
さらに左の頬をひっぱたく
のがいい。
ぱあん! と小気味よい音がするのだ。
どれほど強くひっぱたいても、男性が女性にふるうそれよりも強くは打てないはずだ。それを考えると、くやしい。口惜しい。私の頭の中のシュヘラザードはそう思う。
腕力に訴えさえすれば、男性は女性を肉体的に屈服させてしまうことができる。男性が殴ると脅しただけで、女性は身の危険という恐怖を感じなくてはならない。
女性が感じる身の危険という恐怖を、女性が男性に理解させること自体、日常においては難しい。男性の側が想像力を働かせないかぎりは。
見知らぬ若い男性が女性の目の前に仁王立ちになっただけで、その女性は小さな恐怖を感じるだろう。これが逆に、男性の目の前に見知らぬ若い女性が立ち尽くしていた場合は、
「え? なに? もしかしてこの女性、
ボクに気があるのかな?」
なんてドギマギしていればいいのだから、なんとも幸せだ。
それでも、王様の頬をひっぱたかないよりは、ひっぱたいたほうがいい。
そして、シュヘラザードが女王になって、女性だけの王国を作ればいい。
女性だけの国。この世の楽園、パラダイスだ。
おとぎ話のパラダイスの片隅でもそもそと生きている男たちを、女性たちはきっかり見捨てて、社会を前へ前へとさらに前進させていくかもしれない。それとも、復讐心断ち切りがたく、男どもを襲って一人残らず抹殺するのかもしれない。
決断するのは女性たちだ。
男なんて相手にせずに、自分たちのパラダイスを作ることを私はお奨めしたいけれど、これも男の言いぶんだ。
「ずいぶん遠回しな命ごいをなさって、みっともないですわよ」
と言われたら、返す言葉はない。




*地下鉄サリン事件から10年(2005.3.21)

10年前の3月20日に、地下鉄サリン事件が起きた。
おかしな言い方だが、今年の3月20日で、事件は10年の区切りを迎えたわけだ。
各マスコミで特集記事が組まれたが、なかでも、奈良新聞に掲載された作家・辺見庸氏の『サリン事件10年の回顧』は、読ませた。

「マネーゲームの勝者など、いうところの「勝ち組」を讚えるこの社会には、上部の指示に逆らってでも貧者や弱者の側に立つ自由な「私」の数は明らかに減ってきている。そして、ファシズムはかっての装いを一変して、あくまでも優しく道理にかなっているかのごとくに日々を振る舞っているのである。」

と、辺見庸氏は看破している。
事件の全貌が明るみに出た当時、マスコミは
「どうしてあんな恐ろしい宗教団体から抜け出そうとしないんだ」
と信者たちを非難した。
全面的に同意だ。
しかしな。
日本の現政府がとんでもなく右傾化し、非人間化しているのは明白なのに、それでも誰も、この国から抜け出そうとしないだろ?
人間って、不思議だよな。
私だって、あいかわらず、日本の地域社会でおまんま食ってるよ。
洗脳されまいと、抵抗はしているつもりだが。
オウムと比べても、断然
洗脳のためのシステムはとてつもなく強力で、巨大
だ。なにせ、国家のプロジェクトだからな。
まあ、規模はともかく、私はこれを洗脳とは呼ばない。
不適切だと思うからだ。
私はこれを、教育と呼ぶ。
日本国民は真実から巧妙に遠ざけられたまま、幻想としての自由をむさぼりつづけてきたし、これからもそうだろう。
すべて、教育の成果だ。
太平洋戦争が無残な敗戦で終わったとき、日本国民は何と言ったか?
「だまされた」
これである。
今回も、きっと、最後の最後に「だまされた」と言うのだろう。
これから我々が体験する途方もない地獄絵図を、生き延びることができたらの話だが。
サリン事件は、これから起きる地獄の、序章だった。
私たちは、サリン事件から学び、地獄を回避することができるだろうか?
私たち大衆はしっかり教育されていて、すぐそこに大崩壊が迫っていることを確かに目にしながら、それでもけっして信じようとしない。
目に見えたものすら、信じないのだ。
教育の力の、すさまじさだ。
しかし、どうしても洗脳という言葉を使いたいというなら、それでもいい。
洗脳された国民、と言葉にすると、なんともいえない自虐的な味わいがあって、これはこれで、いいかもしれない。




*王蟲の怒りは大地の怒りなんじゃ*(2005.3.16)

絵本研究家の高山智津子先生のメル友などさせていただいている。
先生はパソコンを購入したものの、触るのもはじめてでらっしゃったので、キーボードを使って文字を入力する作業に、とくに苦労なさったようだ。

「小さい「ゅ」がタイピングできません。これが入力できないとジユンくんにおたよりできません」

メール第一号はこのような内容であった。
しかし、今ではメールに添付された圧縮ファイルも解凍できるし、ウェブページの印刷などもおひとりでこなしてしまっているようだ。私の名前も「ジユンくん」「ジウンくん」「ジオンくん」から、晴れて「純くん」と、正しく漢字変換されたメールが届いている。
……ここで白状すると、私がひとりでメールを送信できるようになったのは、パソコン購入から半年後、「ポストペット2」購入後のことであった。
(^-^;A
ちなみに、うちの母親は毎日のように、添付ファイルが消えたと騒いでおります。
(;^_^ A Outlookなんか使ってるから……。
そのメル友、高山先生から、このほど、お知らせいただいた絵本がある。
これだ。

なんじゃあ、こりゃあああああああ!!!!!!

私の叫びは、とおく高山先生のお部屋まで届いたという(ウソ)。
しかし、なんじゃ、こりゃ!
『爆弾三勇士』『ラバウル飛行隊』と言っていたころと内容的におんなじ代物じゃんか。どうしてこんなものが。

……悪いうわさを聞いた。地中深く眠っていた60年前の怪物が、トルメキアで掘り起こされたという。巨神兵だ。
「巨神兵! 世界を7日間で滅ぼした、あの!」
「けっして蘇らせてはならん」
(↑by『風の谷のナウシカ』)
ところがびっくり、いつのまにか蘇ってやがんの。
まじですか。
本気で、大東亜共栄圏とかいう悪夢を繰り返すんですか!
『蛍の墓』をもういっぺんやるんですか!
どひー!!
こりゃあ、クシャナ殿下が自走砲に乗って走り出すのも時間の問題だ。決めぜりふもすでにちゃんと決まってるんだよな。
次におまえはこう言う。
「しょせん血塗られた道だ」
ハッ!!
(↑byジョゼフ=ジョースター)

この絵本の宣伝文句によると、
「こんな感動、ほかにはない。むかしこの国に戦争があったころ、たいせつな仲間、きょうだいたちを守るために命をかけた戦車がいた……」
なのだそうだ。
ほかにはない、だと?
戦車が出てきて感動するお話を読みたいのなら、すんごいのがあるぜ。
教えてやるよ。
永井豪センセの漫画『ハレンチ学園』
「ハレンチ大戦争編」
だっ。
アニメでよかったら、ガリー=バルディンの『コンフリクト』という名作もあるで。

うん? なんだって?
日本は民主主義国家なんだから、どんな絵本を出版してもかまわないだろうって?
もちろんさ!
どんな意見を持っても言っても書いてもかまわんのよ。
ワシはワシの意見をのべてるだけさ。
それももうじき、できなくなるらしいけど。
なんでも、自民党の新憲法の草案には、
「表現・結社の自由制限」が盛り込まれている
そうだからな。
「殺さないで〜!!」
(↑by『風の谷のナウシカ』)
だははは、北朝鮮のことをとやかく言う資格がどこにあるっての!
で、あのな。
戦車が大切な仲間や兄弟たちを守ったことなんて一度もないぜ?
60年前の日本じゃなあ、大切な仲間や兄弟たちを“戦車から守る”ために、みんなものすご、苦労したものさ。
で、60年前とそっくり同じことをまた繰り返すの? 戦車から愛するひとを守るために、心あるひとたちが死んでいくの?
1回やったら、もういいじゃん。
2度繰り返すやつはただの馬鹿だよ。
いや、わかってる。
みんな、本気にしてないんだよな。
私は、戦車にふまれて死ぬことに決めたから。
そのときになれば、泣いたり騒いだりするだろうけど、いいんだよ。それくらいのみっともなさは、自分に許す。
英雄じゃないし。
しかし、勝ち組などとぬかす重犯罪者どもには絶対くみしない。
「巨神兵死んじゃった」
「いいんじゃよ。王蟲の怒りは大地の怒り。あんなものにすがって生き延びてなんになろう」
(↑by『風の谷のナウシカ』)
じゃよ。
言っておくけど、ワシだって、ただでは死なんぞ。
少なくとも、マイケル=ムーア監督が生きているかぎりは、私もしぶとく生きる所存だ。
アカデミー賞授賞式の壇上で、
「ブッシュ、おまえはもうおしまいだっ!」
とぶちかました、あの根性みならって、がんばりますよ。




*15年後の彼女*(2005.3.15)

アメリカにいるはずのあのひとから突然お電話をいただいた。お声を聞くのは、おそらく3年ぶりくらいだろう。東京で暮らしていたころに、カリフォルニアからいただいた電話が、彼女とお話した最後だったはずだ。
声を聞いた途端、あのひとだとわかった。わかったのだけれども、私の現在の居所を彼女が知っているはずがないとも思った。東京から転居するとき、その事実を彼女にお伝えしていなかったからだ。……何という馬鹿なことを。
今ごろどうなさっているだろう、と、ときおり思いだしたりしながら、ふとどこかで再会できないものかと、アメリカ合衆国と日本の距離を無視したような願望を今日まで抱いてきた。しかし、抱いていたから実現するというようなたぐいの願いではないのだ。あのひとはアメリカで暮らしており、ご存知なのは、私がかって住んでいた東京のぼろアパートの番号なのだから。
それに、もしかしたら、私の顔も名前もすでにお忘れになっているかもしれない。忘れていても不思議ではないのだ。
受話器から聞こえてくるのは、もう一度聞きたいと思っていた声だから、これは私の妄想が生み出した声かもしれない。
私は半信半疑で
「はい」
などと電話の相手に言った。
あのひとは名字をまず私に告げ、つぎに名前を告げた。声の持ち主と姓名が一致した。
「はい」
と私は言った。
あのひとは今、熊本の実家に帰省されていて、明日アメリカに戻るのだという。
私の名前でインターネット検索し、このウエブサイトから電話番号を知ったのだそうだ。
「ウェッブサイト……あ、ホームページというの?」
いえ、ウェッブサイトが正しいです。
あのひとの声だ。あのひとの声を聞いて、耳が喜んでいる。これほどまでに誰かを好きな自分が嬉しくなってくる。
恋愛感情とか、初恋の思い出とか、そういうことではないのだ。彼女は私の……何と言えばいいのか……女神さまだ。
あのひとと最初に会った瞬間の驚き、あのひとが最初に私に向かって語った言葉の内容、私は今でもすべて覚えている。最初に会った瞬間の驚き、と書いたけれど、それは、私の眼が彼女の姿をとらえた瞬間の驚きのことだ。
「あっ」
とそのとき私は声をあげたかもしれない。
私の眼はそれまで、あのひとのように美しい人間を見たことがなかったのだ。彼女はジーンズとセーターといういでたちだった。彼女が私に向かって語りかけてきた。それはもうまるで、どこか遠い宇宙で輝いていた太陽が、人間に生まれ変わって私に語りかけてきているかのような喜びだった。
あれは、……15年前のできごとだった。
あれから15年の月日が流れたのか。
この電話は、何という電話なのだろう。
まぶしく輝く太陽が、私の居所を探し当てて、わざわざお電話して下さったのだ。
今日という日だけは、神様に感謝してもいい気分だ。
しかし、あのひとには、こんな品のない文体の日記を読まれてしまった。
「読んだんですか!」
受話器を掴んだまま、恥ずかしさに全身が赤色一色に染まってしまったような気さえした。
「元気そうで」
とあのひとは言った。
あの声で。
あのひとの語る言葉ひとつひとつが、魔法のようだ。
アメリカのパソコンにはきっと日本語フォントセットがインストールされていないから、この日記も文字化けするだろう。
そうあってほしい。
あのひとが読んでいると思うと、とてもじゃないけど書き続けられない。
あのひとが元気でいる。アメリカで、英語を日常語として話しながら、元気で暮らしてる。
それで私は、とってもいい気分だ。
あのひとが今日も笑っていられるようなアメリカ、そして日本を、私は願う。




*「民族皆殺し」*(2005.3.14)

大阪民主新報に掲載された、イラクの子どもを救う会・西谷文和さんのレポートを読む。
日記にアップした写真は、皮膚ガンで亡くなったアブドラ君だ。
アメリカ軍が使用した劣化ウラン弾が原因である。
アブドラ君の兄弟は7人で、その
7人ともが小児ガンだ。
アブドラ君を含め、すでに兄弟のうち
4人が死亡した。
劣化ウラン弾使用による放射能汚染で、イラクに暮らす人々は近い将来絶滅するのではないか、と言うひとたちがいる。
絶滅するのだから、7人子どもがいれば、7人とも、ガンにかかる。
(この写真は、大阪民主新報に掲載されたものを無断で掲載している。大阪民主新報さん、まずかったらお知らせ下さい、訴えたりしないでね)
(^-^;A
アブドラ君は、薬もなく、苦しみ抜いた末に死んだのだそうだ。
ガンは、痛いからな。
私たちの自衛隊が、本当にイラクの人々に対して貢献しようとしているというのなら、直ちにアメリカ軍を攻撃し、イラクを解放すべきであろう。
ワシントンを爆撃し、カリフォルニアに上陸、アメリカ軍を武装解除、
アメリカ国民も解放してあげる
と。
これがほんとの聖戦? ブッシュ氏の言う
無限の正義?
(^-^;A
ならないよね、絶対。
石油がほしいだけだもんな。
石油、石油、石油。
国益、国益、国益。
でも、自衛隊の撤退くらいは、せめてしてやろうよ。
わしらも、いちおうは人の子だろう?
この写真見て、どうよ?
よその国の子どもたちにこんなことをするために、わしら、生まれてきたわけじゃないべ?

「肩から大きなカメラを提げて歩かねばならない外国人ジャーナリストは、恰好の標的だ。「さすがに命が危ない」「もし捕まってしまえば自己責任の大合唱にさらされる」と感じたので、自重」

という、西谷さんの一文。
真実を伝えよう、子どもたちを助けようと命をかけて行動しているひとたちを、非国民扱いするよう国民をあおりたてる日本のマスコミ。
皮膚ガンで亡くなったアブドラ君に対する責任についてはひとことも触れずに。
イラクの子どもたちを放射能で汚染しているひとたち--つまりアメリカや日本政府のえらいひとたち--に対して責任を感じるべきだと、新聞とテレビに圧力をかけられる西谷さんたち。人道支援なんかするなというわけだ。
しかし、西谷さんたちは、
イラクの殺されていく子どもたちにこそ、責任を感じてるのだよ!
命がけで、しかも、わしらにさんざん非難されつつね。
誰にでもできる行動じゃない。
新聞、テレビは全力を挙げて、人類のために“自己責任でもって”行動している彼らをバックアップすべきでしょうが!
日本のマスコミは、自己責任という言葉を他者を非難する道具に使ってやがるのな。
責任という言葉を使う資格さえ、ないような連中だ。
西谷さんのようなひとたちを非国民扱いする新聞、テレビは、人類の敵だっ(ここ、デビルマン軍団をひきいて悪魔特捜隊を急襲する不動明ふうにお読み下さい)。
西谷さんたちは、自己責任で行動してる。最初から。
わしらがわざわざしゃしゃり出て説教することじゃないのだ。
なに?
拉致されたら、救出するときに金がかかるだって? 迷惑かけるなだと?
ブチ!!(キレるオタクの擬音化)。
おまえら、金の話しかないのかよ!
自己責任論って、
結局、金か!
ブチ!!ブッチン!!
金なんて、ただの紙切れじゃちゅうねん!
つーか、自己責任論という主張をほんの少しだけ詳しく語りだした途端、お金の話になっちまうとは! アメリカ合衆国のブッシュだって、口先だけでも「正義」だの「民主主義」だのと建前を言うぜ。
本音、本音、髪の先まで金の話。
……どうなっちゃたんだよ!
みんな、どうなっちゃたんだ?
「自己責任」「国際貢献」「改革」「革命」「人道援助」、さまざまな言葉を使っていても、一皮むけば
金、金、金、金、金、金、金、金!
いつからそんなひとになりやした!
産経新聞あたりはひらひらの1枚布すら身にまとわなくなって、完全
オールヌードだぜ!!!
この写真をもう一回見てみてよ。
自己責任とか言いながら、札束数えてほくそ笑んで、それでいいのかよ。
こんな生きかたで満足なの? 本当に?
わけわかんないよ。


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