*玲子の新刊のご報告*(2005.1.14)
キーボードのキーをたたいていると、手首が痛くて疲れて仕方がありません。
昔のアップル社なら、手が疲れやすい人や手の不自由な人でも楽にタイピングできるキーボードを作ってくれたのですが、いまは、絶望的な状況です。
(;^-^ゞ
手が疲れやすい人や手の不自由な人でも楽にタイピングできる、ほとんど芸術品とも言えるキーボードも、5万円じゃあ誰も買わんわなあ。
(;^-^ゞ
とある製品のCMでの売り文句が、
「安いがいちばん!」
なんていう世の中ですからね。消費、消費、消費。
キータッチはもちろん、キーボードの傾き具合、果てはキーの色や滑り止めの滑り具合までを、研究と実験を重ねて作ったキーボードも、売れなきゃ会社が傾いてしまうんですね。
目が不自由な人でも操作しやすいアイコンの色遣いの研究、色盲の人でも使えるデスクトップ画面、指の動きの不自由な人が少しでも楽に操作するためのマウスボタン、はては、
パソコンを操作しながらでもめくりやすいマニュアル冊子(解説書)!
あ、愛だ!(;゚ ロ ゚)
思いやり・協同という言葉をはじめて具体的な形にして見せたアップル社でしたが、その美しくもかげがえのない値打ちを、貨幣化することがどうしてもできなかった。
くどいようですが、我々の社会システムにおいては、すべての人間的価値は貨幣の排泄物でしかなく、そうした価値観においては、手が疲れやすい人や手の不自由な人でも楽にタイピングできるキーボードも、消え去る運命だったのでしょう。
愛とはいつもはかないもの(笑)。
いまの林檎社は、ただの一企業として、健全な運営をしておるようです。
しかしそれは、我々自身にとって、まったく不幸なことです。
そう言えば、先日発表された新型Macですが、電源ボタンが背面についているんですよね。
これって、パソコンを起動&終了するたびに、いちいち机を回って、ボタンを押さなきゃいけないんですかね?
アップル社によりますと、
「電源ボタンで起動・終了するのではなく、スリープをご使用になることをおすすめします」
なのだそうです。
でも、パソコンの使い方をいちいちユーザーに押しつける時点で、もはや“パーソナル”コンピューターじゃないですよ。
見た目のデザインの美しさのために、使いやすさやを犠牲にしてしまうとは、これでは本末転倒じゃないでしょうか。
ちょい前のMacは、電源ボタンが本体とは別に、キーボードにもついていたんですよ。
どうして電源ボタンがふたつも? それには、ちゃんと理由があるんです。
人によっては、パソコン本体を机の下や棚の上などに置く人もいるし、また、上体を伸ばすのが物理的に不可能な体の人もいることを考慮してのことなんです。
誰がどういう使い方をするにしろ、キーボード(とモニター)だけはいつもユーザーの目の前、机の上に置かれているはずですから、電源ボタンもキーボードにくっつけてあるんです。
あ、愛だ!(;゚ ロ ゚)パート2
ああ、こう書いているうちにも、涙があふれてきます。
初期のアップルを構成した偉人たちは、単なるプログラムの天才じゃなかった。彼らの夢見る、美しくも愛に満ちた
理想世界が詰め込まれたブラックボックス、
それがMacだったんです。
私が使用しているMacも昔のMacですから、電源ボタンがキーボードについています。確かに、電源ボタンをキーボードにつければ、それだけ余分にコストがかかるのでしょう。……会社運営も大変ですね。
でも、
「削れるものは削って競争力のある商品を作ろう!」
「安いがいちばん!」
と何度言われても、私はこの古い旧型Macが大好きです。
電源ボタンひとつに込められた思いやりに、フォルダアイコンの影の向きに込められた創意工夫に、机に座るたび接することができるんですからね。
そうそう。
話ついでに言ってしまいますが。
ウインド○ズですが、あれは、Macの使いやすさを徹底的に誤解した上に成りたっているオペレーションシステムです……というのが私の意見です。
いえ、別にけなしているわけではないんですよ。
わかりやすいのはアイコンですね。マイク○ソフトのOS開発者たちは、Macの使いやすさの秘密をアイコンの多用にあるのだと誤解したために、ひたすら細かいアイコンを並べることで、なんとか使いやすいパソコンに仕立てあげようとしたようです。
実は、GUIにおけるアイコンの存在は、使いやすい操作体系を実現するための手段のひとつ、もしくは一側面でしかないわけですが、そんな難しいこと、きっと彼らにはわからなかったのだと思います。
アイコンはアイコンであること自体が目的なのではなく、
ひとめでそれが何を意味しているのかが確認できる
ことが重要なんですよね。
Macに使用されるアイコンは“ひとめ”で理解できるようにさまざまな工夫が織込まれておりますし、実はその数も、必要最小限にとどめるための工夫もされております。
100ものアイコンをずらっと並べたって、何が何だかわからんもんね(笑)。
重ねて言っておきますけど、私はウインドウズとMacの宗教論争をしたいわけではなくて、美しかった過去を懐かしんでいるだけですから。
あれほど美しい夢は、そうそう見れるものではないので、本当に悲しいです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
話はがらっと変わりまして、本の泉社さんから、玲子の新刊が2月初旬に発売されます。
児童文学作品ではなくて、エッセイです。
題して
『芳紀66さい・自動車学校てんやわんやのてんまつ記』
です。
黄色い表紙が目印です。
私が表紙と挿し絵を描いております。
アップル社のことをあれこれ書きましたが、うちも会社運営しなきゃならんのよね。
(;^-^ゞガンバレ健全ウンエイ
ご興味のあるかたは手に取って、気に入ったら買っていただければ嬉しいな、と思っております。
*さあ究極の○○○を楽しみましょう、というホラー*(2005.1.13)
アップルの携帯音楽プレーヤーの新製品がでました。
ポータブルMP3プレイヤーiPodの新顔ですね。今度の製品は、
『iPod shuffle』
とかいうそうです。
音楽プレイヤーなんて家電メーカーにまかせて、アップルが果たすべき「新しい生き方のための道具」としてのパーソナルコンピューターづくりに、もっと精を出していただきたいと個人的には思っております。
なんて、我ながら、ものすご、憎まれ口だなあ。
(;^-^ゞ
今度のiPodは、ストラップで首からつるしてジョギングなどにも携帯でき、最長12時間の連続再生が可能、なのだそうです。しかも、
常に曲の順番を入れ替えて再生、
という「意外性」が売りなのだそうです。
これをアップルのサイトで最初に読んだときは、さすがに、
「正気?」
と声に出してしまいました。
(;^-^ゞ マタ、ニクマレグチヲキイテシマッタ
「常に曲の順番を入れ替えて音楽を再生」したからどうしたっていうんですか? 創造性の追求とか、平和的社会の建設とか、思いやりの具体的な形を実現するとか、そういうパーソナルコンピューターの理想となんの関係もない。
ちょっと目新しいということが売りの、悲しい消耗品。
消耗品でしかない代物は、パッとはやったかと思うと、1年も経たない間にすたれてしまうんでしょうが、そのころはまた、メーカーは別の製品を消費者に売りつけるわけで、大量生産を支えるための大量消費社会には、もっとも都合がいい製品なんですね。
iPod shuffleがそうだとは(あえて)言いませんが。
アップルのサイトにおける新製品iPod shuffleの売り文句は、
「冒険がある人生を。」
……あー、あれだ、某国首相のコイズミさんの言う「革命」と一緒で、まったく内容のないイメージ言葉なんですね。
アップルさん。あなたたちが言っていた、人間解放の夢、新しい社会を築くための冒険って、
常に曲の順番を入れ替えて再生、
てなことでしかなかったんですか。
いやあ、どういうわけか、Mac関連のニュースに関しては、私、まったく心の余裕がなくなってしまいます。期待あまって憎さ百倍、ということなんだと思います。
今も、自分でも面白いくらいに頭にきてしまって、さんざ取り乱しております(笑)。
まあ、仕方がないですよね。
ウォズニアックさんもトグナツィーニさんも、アップル社から離れてひさしいし、アップルも単なる一企業ですからね。
協力関係だの思いやりだのと叫ぶような、ビル=ゲイツさんが嘲弄するところの「アカ」のままでは、会社もつぶれてしまうでしょう。
会社は永遠に成長し続けなくてはいけません。むちゃなことはわかってますが、それが我々のルールです。
デジタル技術とインターネットが新しいルールを作る、なんて、結局夢物語でした。
当時のアップル社の技術者が、
「素晴らしいGUIを作るよりも大切なことがある。それは、
ひとびとが力をあわせて、(上下関係でなく)協力関係で仕事をなしとげる
ことだ」
という意味のコメントを確かしていたはずですが、いやあ、赤い、赤いよ!
(;^-^ゞ
本当のところ、人間は、愛だの思いやりだのといった理想を追い求めるには、あまりにも社会的に未成熟な生き物なのかもしれません。
とまあ、こういう結論だと、夢も希望も何もなくなってしまうわけですが。
(;^-^ゞ
預金通帳の残高だとか、会社の株価だとか、一部上場だとか、一等地に本社があるだとか、自家用車が左ハンドルだとか、有名大学だとか、おっぱいのサイズだとか、有名幼稚園だとか、血統書付きのペットだとか、キレル子どもたちとか、自衛隊海外派兵だとか、そういう目に見えるものは社会的に共有できるんだけど、目に見えない理想とかになると、みんなてんでばらばらで、すぐケンカになっちゃう。
例えばたいていの人間(私を含めて)は、愛は快楽&執着のことだと思っているけれど、それでいてみな、愛と執着をイコールで結びつけていることに自分自身で気づいていなかったりするんですよ。
つらつらと考えてみると、これはこれである意味、ものすごいことですよね。
こんなに人間がいるのに、誰も愛を知らないなんて! 貨幣の排泄物としての、消費できるまがい物の愛だけを私たちは手に取ることが出きるわけ(それもウンがよければね)。
私たちの社会システムにおける人間的価値とは、貨幣のひりだすウンコでしかないのは、これは明々白々なのではないでしょうか?
アップル社の新製品の売り文句を読んでみただけで、それははっきりとします。
「さあ、究極のミックスを楽しみましょう。新登場のiPod shuffleは予想外の楽しさを提供する新しいiPodです。次に再生される曲は?
今の気分にはぴったり? 今の雰囲気には最高? とにかく音楽を詰め込んだらヘッドフォンを付けて、iPod shuffleが誘う音楽に」
いかがですか?
私は、どんなホラー映画を観るよりも、この短い文面のほうが怖いですよ。
「今の気分にはぴったり? 今の雰囲気には最高?」というくだりが、とくに怖いです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
『従軍慰安婦制度における日本政府の責任問題』を追及する番組をNHKが制作放送しようとしたところ、自民党の安倍晋三幹事長代理と中川昭一経済産業相が圧力をかけて、放送内容を変えさせた事件が明るみに出ましたね。
番組を担当した長井暁チーフプロデューサーが13日、東京都内で記者会見し
「放送前に番組の作り変えを命じられた。改変は政治的な圧力を背景としたものだと言わざるを得ない」
と、涙ながらに告発したそうです。
具体的には、番組素材となった「女性国際戦犯法廷」が日本国と昭和天皇に責任があるとした部分や、元慰安婦の証言などをカットするよう制作現場へ指示があったそうです。
ははは。
中川氏と言えば、
『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』代表
のあのひとですよね。
日本の前途を市民潜伏型共産主義者どもから守るために、獅子奮迅のお働きです。本当にご苦労様です。
いや、まったく「女性国際戦犯法廷」もアカ、元慰安婦もアカ、抗議する市民団体もアカ、そいつらのいいぐさを国営放送で垂れ流すなんて、日本の未来を考えたら、許せないことですよね!
ヒットラーも、ユダヤ人弾圧に対する国際世論の反発を懸念する幹部たちに、こう申しておりました。
「そんなもの誰が覚えている?」
そうです。なにもかもなかったことにすればいいのです! そのためのテレビ、そのための報道機関です。
倫理観も道徳観もかなぐり捨てた、あなたたちの捨て身のご活躍で、日本は日に日に素敵なファッショ国家へと変貌を遂げつつあります。
ローマは一日にしてならず。思えば長い道のりでした。でも、その旅もあとわずかです。中産階級の総奴隷化の足場は固まりました! ネクラで陰湿な日本式ファシズムの勝利はすぐ目の前です!
*『華氏911』にまた新しい賞が*(2005.1.12)
あー手首が痛い。
私、キーボードを思いっきり、カン!カンカッカカカン!カン!と打つ癖があって、ものすご、疲れるんです。
なんか、いい方法ないでしょうか。手首が疲れないキーボードの打ち方を誰か教えていただけないでしょうか。
(;^-^ゞオシエテ
さて
アメリカの映画ファンがインターネット投票などで年間最高作品を選ぶ
『ピープルズ・チョイス賞』
というのがあるらしいんですが、その発表が9日にありました。
もちろん、大賞はマイケル=ムーア監督の
『華氏911』
が、『スパイダーマン2』などをおさえて受賞。
きゃっほー! と、ヤンキーのように喜んでおります。
ロサンゼルスでの授賞式に出席したムーア監督は
「華氏911のような映画をつくり続けていく」
と語ったそうです。
受賞のもようは、マイケル=ムーア監督のサイトで観賞することが出来ます。
もちろんぜんぶ英語です。
U2のポノのような眼鏡をしてます。せいいっぱい、おしゃれしたのかな。
こちら。
『Welcom
to MichaelMoore.com!』
QuickTime形式のようです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
リンクさせていただいている
『N.TONOSAKI's
Personal Station』
さまの大人気コラム、
『がんばれ!!ゲイツ君』
の新年最新号がアップされておりました。
なんでも、ゲイツさん、
「フリーカルチャー主義者は、『アカ』」
なんて言っているそうですね。
(´▽`;)
どうやら、リナックスOSを使っているひとは、アカということらしいです。
フリーウェアを使っているひとたちも、アカなんですね。
私のようなMacユーザーはどうなのでしょう?
もしかして、
OSはウイン○ウズ。ウェヴブラウザはInternet Explorerを使っていなかったら、アカ
なんでしょうか、ゲイツさん。
(´▽`;)
どひー……。
どうでもいいけど、最近『アカ』色って、誰かを蔑視する便利な言葉として、定着しつつあるなあ。
(´▽`;)
『アカ』って言われたくなければ、おとなしくマイク○ソフト社製品を使わなくてはいかん、と脅されたら、つむじ曲がりの私は、
ぜったい使ってやらねえ。
(*` ´*)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
エイリアンをキーワードに検索をかけたら、面白いサイトを見つけました。
『Angry
Alien Productions』
という英語サイトです。
『エイリアン』『エクソシスト』『ジョーズ』『タイタニック』『シャイニング』などの名画を、30秒のフラッシュアニメーションにしているサイトです。
キャラは全部ウサギ(なぜ?)。
映画を知っているひとは、笑えること請け合い!
(((`∀´)))
こういうセンス、私も欲しいです。
*スウェーデンの『愛の言葉』でお勉強*(2005.1.10)
玲子が無事、上海から帰ってきました。
やっぱり、カニを食ってきたそうです。
ううう、ずるる。
わし、上海ガニでいっぽん詩を書いてるのに、食ったことないよ。
(~Q~)。かに〜
さて。
玲子が帰宅する直前に、スウェーデンの性教育映画
『愛の言葉』
をDVDにて観賞しました。
そんなモノ観て、どうすんだって、ねえ。
(;^-^ゞ
いやね、ご説明しますと、性に興味を持った子どもたちが、大人の目を盗んで観るエッチビデオ&ポルノ雑誌のできに、私、どうも納得がいかないんですよ。
ストーリーはむちゃくちゃだし。
もちろん、この手の作品は、ストーリーのできをうんぬんするんじゃなくて、別の使用目的のためにちゃんと機能しているか、で判断すべきというのはわかりますよ。
(;^-^ゞ
しかし、それにしたって、納得いかないというか、首を大きくかしげちゃうんだよね。
確かに、SEXって具体的な行為だから、技巧や快楽も大切なんだけれど、あの手の代物って、なんか、もう、そればっかりつー感じっしょ? 腹減ったからがつがつメシ食べた、みたいなモノ見せられている気がして。
つーか、SEXの技巧って、ああいうのを言うのかなあ? 私の考えすぎ?
少なくとも、子どもたちがああいうものだけを観て、SEXを理解したつもりになるのは、まずいんじゃないかと。
まずい、とまではいかなくても、あんまり嬉しいことじゃない気がするんですよ。
いっぽう、最近、性教育バッシングが、かってないもりあがりをみせておりますよね。
東京都知事の某氏なんか、
性教育弾圧
という感じで、性教育を徹底して目の敵にしておられる。
イシハラさんって、ほんと、どういうひとなんだろうね。
(^_^;)
マスコミも、ついこのあいだまで「セックスレス夫婦」だの「セックスレスカップル」だの騒いで、
恐怖心をあおって
いたかと思えば、今度は性教育つぶし。ご苦労なことだよね。
ともかく、イシハラさんたちの根強いバッシングのかいあって、いよいよ、子どもたちに正しい知識がゆき渡らなくなる恐れが大きくなってきたわけです。
でも、性病や避妊の知識は、ないがしろにできんよ。
それにSEXって楽しいものだし、なかなか奥深いものでもあるから、子どもたちには正しい知識と技術を会得してもらって、
SEXを心からエンジョイ
していただきたいものです。
子どもたちだけじゃなくて、もちろん、私自身のこともあるしな。
(;^-^ゞ
いろいろとへ理屈は言うものの、私の性知識なんて毛虫みたいなものなので、実はなーんも知らないんですよね。
もう、こうなったら、性教育十段、スウェーデン御大にお出まししていただくしかない、と、DVDを観賞したのであります。
アメリカ人もSEX、SEX言ってるけど、あのひとたちのようなオルガスムス主義って、私みたいなのんびりクンにはちょっと疲れちゃう。
いつでもどこでも絶頂、絶頂って、
神経症ちゃうん?
と思っちゃうのよね。
やはり、SEX界の王道をゆく、スウェーデン御大にお訊きするほうが間違いがないでしょう。
で、観たわけですが、うむ、やはりスウェーデンでした。
子どもたちのためにこういう映画を日本でも作れないかなあと思える内容でした。
この映画は1969年(!)の作品なので、ところどころ古くなっているところもありましたけど。
例えば、映画内で語られるSEXを男女間に限ってしまっている点とかは、正直不満だったですね。
同性愛者だって、SEXを楽しみたいわけだし、楽しんでいただきたいじゃないですか。
私自身は同性にまったく性的欲望を感じない人間ですが、ある意味、それは私という人間の限界とも言えるわけで、それは彼ら(彼女ら)の問題ではなくて、私の側の問題でしかないんですよ。
同性のSEX、同性どうしのパートナーシップって、異性どうしのそれとまったくおなじように尊重されるべきだと私は考えております。
まあ、この件に関しては、さすがのスウェーデンも、時代的限界があったのかなあ、なんて思ったりもします。
あと、気になったのはモザイクね。
これは、日本の映倫の規則の問題で、作品自体にはなんの責任もないんですが。
子どもたちに正しい性知識が行き渡らんのよ、肝心の部分をぬりつぶしちゃあ!
(` ´)
なんという不埒さ。子どもたち、そして、自分たち自身のセックスライフをぜんぜん真面目に考えておらん証拠だよ。
モザイクなんてかけたほうが淫猥だっちゅうの。
スウェーデンのひとたちが、びっくりするほど生真面目に、正面からSEXの研究と性教育に取り組んでいるのとは、とてつもない開きがあると感じました。
映画としては、あまり突っ込んだ話はしておりませんでしたが、むしろ、SEXに真面目にむきあうこと、そして、
SEXは当事者であるあなたたちのもの
である、という素晴らしいメッセージをしっかりと伝えて、エッチ映画として、はじめて納得できる作品でありました。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
話変わって。
ちょっと前の産経新聞の記事から抜粋。
「大野功統防衛庁長官は七日、陸・海自衛隊に国際緊急援助隊派遣法に基づく派遣命令を出すとともに統合幕僚会議に三自衛隊の調整を行うよう指示した。空自のC130輸送機の予備機の要員などを含め派遣規模は約千人となった。大野長官は六日夕、ベーカー駐日米大使と電話で会談し、「津波支援は日米協力のシンボル」との認識を伝えるとともに支援活動は長期化が予想されるため、日米間の情報交換を緊密にすることで一致した。」
あの〜。ものすご気になるんですが、ひとつ訊いていいですか?
「津波支援は日米協力のシンボル」
ってなんですか?
大野功統防衛庁長官にとっての
被災地支援は、日米協力のシンボル
なのですね。
ひー。
未曾有の大惨事のまっただなかだっちゅうのに、あなたの瞳にはアメリカしか目に入らないんですね。
折れんばかりに尻尾を振っているさまが、国民としてものごっつ、つろうございます。
*Macさん21歳*(2005.1.8)
2005年になって気がついたのですが、去年は
Macがハタチを迎えた
記念イヤーだったのですね。
なーんも考えてなかった。
(;^-^ゞ
Macの誕生日が1984年ですから、2004年はちょうど20年目。
ジョージ=オーウェルのデストピアSF小説
『1984』
の国民管理システムをたたき壊すために、赤パンはいた女性がさっそうと登場するテレビコマーシャル。ありましたよね?
今では伝説となったCMとともに、Macはデビューしたのであります。
国民管理システムをたたき壊すのがマッチョマンじゃなくて、女性つーのも、小気味よかった。
Macが登場した当初は、
「こんなものは、女&子どものオモチャだ」
ってさんざんバカにされたわけですが、なに勘違いしてんだか。
だからいいんじゃん。
生きる喜びという意味では、女性と子どものほうが世界をよく知ってますもん。
女&子どものオモチャ、上等。
仕事はやらなくちゃいけないもので、だからダラダラとやらかして、最後に体を壊す……なんて生きかた、蹴りとばしちゃえ!
初期のMacのテレビコマーシャルは、そんな過激なメッセージがてんこ盛りで、いま観ても楽しいです。
現実には、Macの登場もジョージ=オーウェルのデストピアを食い止めることができなかったのが残念ですが。
アメリカ合衆国大統領ブッシュさんは、「Terrorist Threat Integration Center」と呼ばれるデータベースを設置し、すべての連邦政府機関とプライベートセクターから、テロリストと思われる人物に関する情報を収集する計画を推し進めております。
テロリスト撲滅?良いことじゃないの?なんて思うのは早合点。
問題は、テロリストと“思われる人物”とは誰なのかということですよね。
中世ヨーロッパの魔女狩りと同じで、
「おまえ、魔女ちゃうか」
と疑いさえすれば、テロリストと“思われる人物”のすべての情報を収集することが合法なわけです。手続きはたったひとつ、
疑うこと。
これだけ。
「おまえ、マイケル=ムーアの書籍を読んでるだろ? 疑わしい!」
って思いさえすればいい。つーか、思う必要もないんだけどね。
あんたの個人情報をぜんぶ洗い出しますよー、電話もぜんぶ盗聴しますよー、なんて断る必要もないわけで、事実上、
国民の全情報を管理&監視
しほうだいなわけです。テロリスト撲滅の理由でね。
まあ、すべては私の杞憂もしれません。マイク○ソフト社のビル=ゲイツ会長も、オーウェルの『1984年』のような未来は来ないと語ってらっしゃいますしね。
「技術は国家安全も国民のプライバシーも守ることができる」
なのだそうです。
ビル=ゲイツさんのお言葉を擁護するために、元国防事務次官のジョン=ハムレさんもこのように語ってらっしゃいます。
「この国には国内を監視する機関が必要だと思う」
って、やっぱり監視するんけ〜!!!
( ̄ロ ̄lll)
ゲイツ大先生に私ごときが意見するのは僭越しごくでしょうが、「国家安全も国民のプライバシーも守る」のは、
技術じゃなくて、運用する人間
なのではないでしょうか?
技術には合法も非合法もないし、倫理も道徳も関係ありません。
いま世間を騒がせている紙幣の不法コピーだって、技術自体が問題なわけではなくて、その技術を悪用する人間の問題なわけです。
ね、そう思いませんか? ブッシュさん、ゲイツさん。
でもなあ、わしらももうちょっと危機感を持つべきかもなあ。
会長自らが、ユーザーの個人情報監視システムを導入しようとしている会社のパソコンosを、平気で使っている世間の皆さまは、ごっつ、腹が座ってると思う。
ワシは、怖くて怖くて、使ってもいないのにちびりそうになるよ。
*Macのテレビコマーシャル『1984』をモザイク画像にして遊んでみました。使用画像は8000枚! 私も、つくづく暇人だなあ。
*『サイダーハウスルール』のラーチ先生*(2005.1.6)
昨日、うちの玲子が3泊4日の海外旅行に出かけた。
行き先は中国の上海だそうである。
カニがおいしいんだろうなあ。
土産話を皆さんも楽しみにしていてくださいね。
てなことで、鬼のいぬまにネット検索して遊んでいたら、漫画家、ひぐちアサせんせの応援サイトを複数発見。
やっぱり、人気出てきたんだなあ。
え〜、なぬなぬ?
「おおきく振りかぶってオンリー同人誌即売会」〜!!!
おんぎゃあ〜!
えええ、そんなことになっていたの?
人気、爆発しすぎちゃうんですか? ……いや、しすぎってことはないか。
ワシも参加しようかな……。
あ、申し込み終了ですか、そうですか。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
あー、眼が焼けるように痛い。
パソコンのモニターの見過ぎだな。
でも、ここでくじけるわけにはいかない。
「鬼のいぬまに・パート2」ということで、映画
『サイダーハウスルール』
を急いで観賞。
原作はジョン=アーヴィングだ。
監督は、スウェーデン人のラッセ=ハルストレムというひと。
ハリウッド映画ながら、原作が素晴らしかったのと、
『やかまし村の子どもたち』
を撮った監督さんということで期待してみた。
映画は、大河小説である原作のエピソードの抽出の仕方が素晴らしく、きっちり2時間にまとめあげていたのは当然として、孤児院の子どもたちの撮りかたは、ハルストレム監督、やっぱりうまかった。
ちなみに、原作『サイダーハウスルール』は、私の知っているかぎりでは、アーヴィングの最高傑作だと思う(もっとすごいのをそのうち書くかもしれんけど)。
バーバラ=クーニーの
『ルピナスさん』
の映画大人版、と言えば、絵本好きなひとには
「ほー、そういう内容か」
と感心してもらえるのではないか。
作中人物のラーチ先生は、私の理想の人間。
「誰かの役に立て」
これがラーチ先生の口癖だ。狂信的なキリスト教右派の犠牲となっている女性や子どもたちを助け続けることが、ラーチ先生の一生だった。
しかし、話は脱線するけど、宗教ってどうして保守主義と結びつくのかな?
キリストだって、ゴータマさんだって、もともとは革命家だったわけじゃん。
キリストの山上の垂訓なんか読んでみると、あー、このひと、世界最古の社会主義者なんだろな〜、と思うよ。
え、思わないすか?
つーか、博愛と平等のユートピア世界を、はじめて系統だって理論化したのがマルクスさんということなんだろうけれど、内容はキリストの言っていることと変わんないんだよね。
しかし、社会主義国家は、スターリンだの毛沢東だの、あげくのはてはクメールルージュだのを排出し、いまでは血をたっぷり吸い込んだ恐怖政治の代名詞。
キリスト教右派も、博愛と平等のユートピア世界を曲解し、性差別、人種差別を神の名を使って肯定する始末。
21世紀にもなって、ダーウィンの進化論やガリレオの業績を全否定するなんて、信じられますか?
「誰かの役に立て」
これで良いはずなんだけどなあ。
*ビールで映画*(2005.1.5)
わが家の1年は、ドキュメンタリー映画
『チョムスキー 9.11 Power and Terror 』
のDVDを観て、ノーム=チョムスキーさんのお言葉を拝聴することから始まることになっているのですが、今年はお友だちのところに借しだされております。
よって、マイケル=ムーア監督の
『華氏911』
とヴォルフガング=ベッカー監督の
『グッバイ・レーニン!』
の二本立てで幕開け。
そう言えば、ムーア監督の新作映画が着々と作られ始めているそうですね。何でも健康保険関係のドキュメンタリーだとか。今から興味津々なテーマであります。
日本も健康保険制度が改悪されましたね。「狼は生きろ、豚は死ね」つー趣旨の構造改革の一環なわけですが、みんな自分に自信があるのか、我こそ狼なのだと信じて小泉改革を支持するのであります。言っとくけど、大企業の重役クラス以下はみーんなおいしく食べられる豚なんだけどなあ。
そもそも、私は狼おまえ豚、などという考えかたはせつなくていかんよ。
人間って良いなあ、と心底感じることのできる映画を鑑賞して、一年の計としたいものであります。
しかし、マイケル=ムーア監督の作品はどれも素晴らしいのだけれども、日本での扱いかたが、どうもファッションというか、はやりもの的な扱いで、少し気になります。
我々の社会システムにおいては、自由とは“消費の自由”であり、愛とは“快楽”をさすわけで、当然ムーア監督自身も大量に消費される“商品”というあつかいなのですね。
まあ、自戒の意味も込めて、今年も疑り深くいこうと思っております。
二本立てが終わると、休憩タイム。ドイツ無農薬ビールとエビスの黒生をちびっと飲んで、怒濤の後半戦へ。
後半戦も映画を観るのでありまス。
アッバス=キアロスタミ監督の
『ホーム・ワーク』
ケヴィン=ラファティ監督の
『アトミック・カフェ』
の二本立て。
『ホーム・ワーク』はイラン映画。
日本に輸入されてくるイラン映画には、2種類しかないのね。つまり、傑作と、想像を絶する大傑作の2種類しかないの。
『ホーム・ワーク』は大傑作のほう。つーか、地球人が作ったとは思えない程の出来栄えなのであります。サミラ=マフマルバフの
『りんご』
とか、アッバス=キアロスタミ監督の諸作品とか、ほとんど人間わざとは思えない。
遠い星から、
地球を救うためにやってきた超知的生命体
が作った映画なのじゃあるまいか? そう思わせるほどの傑作なのであります。あらゆる部分で、映画を観ている私を凌駕しているのな。
お釈迦様の手の中をくるくる回ってる猿が私なら、お釈迦様がイランの映画監督たち、という図式。私たちがどういう生き物なのか、イランの映画監督たちにはぜんぶわかっているらしいのだ。
さて、次の映画。
『アトミック・カフェ』のケヴィン=ラファティ監督は、あのマイケル=ムーア監督の映画技法のお師匠さん、いな、ご指南役であられるひとだそうです。
DVDのパッケージには、
『冷戦下40〜50年代にかけてのニュースフィルムだけを素材に、ナレーションをいっさい加えずに編集の妙技だけで見せきる、クールかつブラックなエディトリアル・ドキュメンタリー』
と、内容が解説されています。タイトルを直訳すると、
『原爆喫茶』
(;^-^ゞ
映画のテーマは、「核兵器にまつわるアメリカ政府の大衆プロパガンダ」ということですね。
「冷戦下40〜50年代にかけてのニュースフィルムだけを」「ナレーションをいっさい加えずに」眺めていくと、次第に見えてくるものがある、それは、
「国家というものは信用ならない」
という厳然とした事実。
「核兵器の安全性への根拠のない宣伝フィルム」
「共産勢力に対する恐怖心をあおって軍備増強を国民に説得する手口」
「ソ連、中国、北朝鮮、ベトナムに核兵器を使用するよう強固に主張する評論家たち」
それらが、ありありと浮かび上がってくるのは、どのような行動にも目的があるということの証左です。
つまり、国家の言うことをうのみにし、いついかなるときにも国家を支持する国民作りという目的ですね。
とはいえ。
『はだしのゲン』
を読んで育った私には、国家は国民に対してあまりにも無責任、という言葉しかでてきません。
さあ、もう一本、ラース=フォン=トリアー監督の
『ドッグ・ヴィル』
にもチャレンジしようと思ったけど、さすがにグロッキー。
お酒を飲んじゃあ、いけませんね。
残った仕事をちょいちょいとやろうと思ったら、これがちょいちょいどころか、深夜作業になってしまいました。
ぶへ〜。
弟に悪いことしちゃったな。
*明けまして、おめでとうございます*(2005.1.1)
明けまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
(*'‐'*)
例によって、年賀状GIFアニメ作りました。
100キロバイトと、無意味に重いです。
よろしかったら、こちらからどうぞ。
☆☆☆☆☆☆
去年の31日は掃除、掃除で、実は
まだ掃除
してます。
(´▽`;)
本、本、本、本、本、
本が多すぎるんじゃあ〜!!!!!
で、古本屋さんに本を売りに行ったら、その6倍くらいの本を買ってしまって、さらに本地獄。
物理的に本の保管場所がなく、かたづけるためには本を捨てなくては本質的な解決にならないのはわかっているんですが、本を捨てることだけは、できない性分です。
(;^-^ゞ
昨日は、モーツァルトを聴きながら掃除しておりました。ところが、聴いているうちにだんだん、どこぞの大司教のような気分になってきて、
「これ、召使いよ、掃除をせぬか」
って言いだしそうになり、掃除どころじゃなくなってきて困りました。
これはまずいと、途中から選曲を
ユーロビート
に切り替えました。それもガンガン鳴らすのな。
すると、ドーピング状態でむりむり体が動き出すからアラ不思議。
のらくら掃除も、後半でずいぶん巻き返しました。
2004年がいよいよ残り2時間のどんづまりまできたら、俗人と言われようがベートーベンの『第九』を聴いて、総仕上げ。
今、そばくってます。
2005年が私とみなさんにとって、よい年でありますように!
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