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※お知らせ。
新刊『あなたにとどけるものがたり2』1400円+税



弊社の新刊『あなたにとどけるものがたり2』のお知らせ。
心斎橋大学風の会の作品集第2弾です。





ケン=ローチのDVDボックスが発売決定
(2007.3.20)

我がミヤコ奈良を含む13都道府県での知事選挙が、22日告知・4月8日投票でおこなわれるわけですが、いっせい地方選挙もからんでいるうえに、告知から投票日までの期日が短すぎ、年度末で忙しい労働者諸君は各立候補者の演説会に足を運ぶ時間もないのであった。
であるからして、モソモソごはんを食べながら見るテレビ報道番組、もしくは新聞報道からの情報のみで判断しなくてはならないわけで、ようは

なんかようわからんままテレビ新聞のイメージ誘導で投票させようという陰謀なんじゃないの、エ〜ンヤコ〜ラ

と、美しくも盲目的な民族主義国家ニッポンの過酷な労働歌を新しく歌ってみたりして。
(^_^;)エンヤトット、エンヤトット。
けっしてやってこない明日のために、皆さんふるって投票しよう、投票日は4月8日です、お忘れなく!!
*選挙運動中の政策、公約、調子のいい戯言などなどは都合により予告なく変更されることがあります。投票は自己責任でお願いします*
( ̄ー ̄)ニヤ
「痛みに耐えさせて格差社会構造改革」を高らかに推進する大企業たちが出資しあって作るテレビ報道をアテに、選挙におもむくことのジレンマを、いったい何に例えよー。「納豆ダイエット的しこみとやらせ」のようなこのココロー。
夕闇せまる永田町、保険証も取り上げられたお年寄りの悲しさを〜……。
エンヤトット、エンヤトット。

「国民の血税を大切にしないやつなんて大嫌いだ!」

と思うのなら、テレビの向こう側を見定めなくては、はじまらないのだ。



--☆---


外崎則夫氏のサイト
N.TONOSAKI's Personal Station
の大人気コラム
『がんばれ!!ゲイツくん』最新号
がアップされていたので、またまたご紹介。


「どうも最近ではブーメランというのが政治の世界で大流行しているようで、その師範代にして一子相伝の奥義を持つ某Mのつく政党が最近でも水道費問題などで大活躍のようです。
ま、どこの団体とは言いませんけれど、そもそも行っていることもやっていることも自民党と大して変わらないんだから最初からまともな批判なんてできるわけが無いわけで、ご本人たちも慣れないことは謹んでもらいたいのですが、選挙が近いとにわか野党にならざるを得ないとはなんとも気の毒です。
そういえば先日東京都議会で彼らが「初めて」イシハラ君の予算案に反対したのですが、そのとき「あんたの都政は30点だ」なんて批判を展開した大演説を行った所、逆にイシハラ君に「じゃあなんで今まで予算案に全部賛成してきたんでしょうか」なんて切り返されて何も答えられなかったようです(笑)。まぁ確かにあれじゃ自分らの政治姿勢が30点だと言っているようなものですが、あのジョンイル君にここまで言われたらおしまいですね。まぁコロコロ言うことが変わって何かとお忙しいみたいですが頑張ってください(^^;。 」


どんどん美しくなっていく日本の明日はどっちだ?
(^_^;)



--☆---


聞け、すべての映画ファンよ。
そして地球上で働く全労働者諸君よ。
ケン=ローチ監督の傑作撰DVDボックスが発売されることになったぞ。
やんや、やんや。

( ̄ii ̄)コウフンでハナヂ〜

しかし、18,375円ナリ! 高えよ、ナリ!
(T△T)
Amazonで確認したら25パーびきだけど、それでも13,000円強
げぶげぶ。

「〈収録作品〉
●「麦の穂をゆらす風」プレミアム・エディション(2006年)
●「明日へのチケット」(2005年)
●「ナビゲーター ある鉄道員の物語」(2001年)
●「ブレッド&ローズ」(2000年)
●「マイ・ネーム・イズ・ジョー」(1998年) 」
だと。

うわあ。
『ケス』が入っていないけど、『ブレッド&ローズ』も『麦の穂をゆらす風』も入ってるよ。
つーか、『明日へのチケット』がケン=ローチ監督傑作選でいいのか? アッバス=キアロスタミ、エルマンノ=オルミの名前は、ほっぽいてもいいのか?
(;^-^ゞ
ばら売りもするみたいだけど、結局全作買うから同じなんだよな。
(^_^;)
……ボックスで買うんだろうなあ、ワシ。
というわけだから、ワシも買うから、キミも買いたまえ!
とくに、我が日記に「ヘンリク・ラーション」のキーワードで検索して来訪しているキミ!!

『明日へのチケット』の第三話は必ず観たまえ!

必ずだ。
私はこの映画を劇場で観たのだが、上映が終ったあと、観客が
「よかった!」
「いい映画だった!」
と感涙にむせびながら係員に報告する順番を待って、長蛇の列を作るという情景は、はじめてだった。
ましてやキミは「ヘンリク・ラーション」に並々ならぬ関心を抱いているのだ。観ずにすますわけにはいくまいて。
ばら売りではAmazonの予約で25パーびき、2,993円なりだ。
ラーション!ラーション!

 


PRステッカーの宣伝日記
(2007.3.12)

「九条の会・やまと郡山」のPRステッカーできました。



「戦争はやんない。んだもんだから軍隊はいらね」
という、世界でも類を見ないチョー前衛的な日本国憲法第九条の宣言をもっと活用することと、返す刀で(兵器は持たないんだから刀もいらないんだけど)積極的に世界に輸出して日本だけでなく地球上から戦争をなくしてしまおう、という提案をば、ステッカーに込め……ようとしたら、文字ばっかりのステッカーになるんで困った。
(;^-^ゞ
「痛みに耐えて構造改革」
「美しい日本の伝統の復活」
「強い日本」
……内容のないイメージ言葉を吐き散らしていればいい某国政府がうらやまし。
(^_^;)
販売方法は決まっていません。それどころか、ブツは刷り上がっているのに、値段も決定してません。独特のペースで動いております、金魚の町「九条の会・やまと郡山」。車に貼るなり、ノートに貼るなり、机に貼るなり、おでこに貼るなり、用途はいろいろなんで、いくらになるかわかりませんが、宜しくお願いいたします。



--☆---


ここ数年は邦画黄金時代と言われ、とうとう昨年は、洋画と邦画の興行収入が逆転したと、どこかで読んだ(間違っていたらごめんなさい)。
ところが、黄金時代を謳歌する邦画の、実際の映画の内容ときたら、

テレビ番組もしくは“テレビ番組☆宣伝番組”を映画館で観せられているだけ

という塩梅で、これでは黄金というより邦画バブルと言ったほうがいいんじゃあ……。
(^_^;)
いや、サッカーから映画まで何でもゴネルやつと思われるのは心外だけど、良い、悪い以前に、「映画ですらないでしょ、これ!」
……書いてるとだんだん腹たってきた。
(^_^;)
この、“テレビ番組の宣伝映画”を平然と映画館でやりくさる、という手法はいつから始まったんだろうか。……ほんと、ひどいよ。
というわけで私は、奈良県映画センターさんのところで映画☆『フラガール』を観てきた。客席で一回、映写室で二回。上映のお手伝いをしたお駄賃だ。
シネカノンさんが制作・配給するだけあって、良い映画でした。
あんましそういうところ意識してなかったから気がつかなかったけれど、ケン=ローチの『麦の穂をゆらす風』を配給したのはシネカノンさんだったんだ〜。
ちょっとネタバレすると、フラダンスのフリが手話になっているというのが、良かった。お薦め邦画です、はい。

 


ウバガイ氏の心残り
(2007.3.9)

購入したままページを開いてもいなかった週間サッカー雑誌をほぼ一か月遅れで読んでみると、4名の解説者&ライターによる、「2007・J1リーグ日本一早い展望・座談会」という開幕直前企画が掲載されていて、すでに開幕した今になってその記事を読んでいる私は、

時代のスピードにまったくついていけない人間なのまるだし。

(;^-^ゞ
2007年度のJリーグは、すでに開幕してしまった。発足して15シーズン目になるそうだ。
発足当初のJリーグは、ベースボールやアメリカンフットボールといった、主にアメリカのプロスポーツのリーグ運営のノウハウを参考にしてきたふしがあったのだけれど、餅は餅屋、サッカーは欧州サッカーリーグということで、Jリーグも時を経るにつれて、リーグの構造自体が急速にヨーロッパナイズされはじめた。それはどういうことかというと、アメリカ式のスポーツマンシップ---スタートラインはみんな一緒によーいドンして、そこから一番ねばったやつ、才能を見せたやつ、アイデアを出したやつがゴールインする--や「共存共栄」という建前を捨て、ヨーロッパ式階級制度による、格差カテゴリーによる人々の住みわけと勝利至上主義--敗者には何もやるなどころか、フル○ンになるまでむいてしまえ!--という運営方針に逐次切り替えていくということで、15年という月日を振り返り、楽しくも短い日々だったなあと夕日につぶやく私である、ハァックショイ! あー花粉症で鼻水。
そうした流れの中、昨年は、着実にビッグクラブへの道を歩んでいた浦和レッズがリーグ制覇を果たした。本格的なビッグクラブがリーグ制覇した。野望はアジア制覇、そしてゆくゆくは世界と互するチームというビジョンを示すビッグクラブの誕生は、世界的にも普通(スペインやイタリアなどの歴史ある欧州リーグを含む)のリーグ運営、つまり、リーグ全体の繁栄という視点にたてば、

夢も希望もない未来を予感させるにじゅうぶんな結末だった。

(^_^;)
だけど、ビッグクラブが誕生しないと日本のクラブは世界を目指せないそうなので、私の周りのサッカー好きは
「いでよ、ビッグクラブ」
と日々念じていらっしゃるようだ。
さ〜、またまたいつもの、「ヒンシュクをかう気まんまん発作」がおきてきたぞ〜。
(;^-^ゞ
ところで、一ヶ月前の雑誌の座談会では、某解説者が
「富めるクラブは「悪」じゃない」
と語っていて、私は思わず噴き出してしまったのだが、雑誌はこの解説者の言葉をわざわざ抜きだし、ごついゴチック体で小見出しに使っていたりして、ツボにはまりまくり、笑いすぎてとうとう涙まで出てきた。弟にこの座談会記事を読ませてみると、彼も同じところで笑いだした。だって、何よりも、
「富めるクラブは「悪」じゃない」
と座談会でいいわけせねばならないところが、すでに、富めるクラブは「悪」であるとを何よりも如実に表しているのではないでしょーか。

富めるクラブは「悪」

これは、明々白々な事実ではないでしょうか。
(^_^;)
まじめな話をすれば、富めるビッグクラブは勝利のためには何をしても許される、アジア制覇のためには何をしても許される、というのが悪なんじゃよ。
と叫んでも、後藤健生氏のような識者までもが
「サッカーは自由競争の世界なんだから……」
な〜んておっしゃっていて、私はひとりで勝手に孤立無援。
(;^-^ゞ
自由、自由って、自由であればなんでも良いのか! 消費する自由、独占する自由、貨幣化し商品化する自由というものに、どれほどの建設的意義があるのかと私は問いたい。もちろん、アジア制覇は実現できるのかも知れないけれどな。
判決!
スポーツ的には、レアルもバルセロナもチェルシーも悪、ジャイアンツも悪、ニューヨーク・ヤンキースも悪。
自分がよければいいという排他性、自分だけが正しいのだという独善性を徹底的に憎んでいる私ならではのこの宣言は、

なんと独善的で排他的にヒビクコトカ!

d(-_-)
……こういうひたすら論点を笑わせた過激なことを書いても、書いた本人にしか伝わらないことが多いので、よい子は気をつけましょう。
Jリーグ15年目の開幕戦は、ビッグクラブ浦和レッズが昇格チーム横浜FCに勝利してしまい、ど貧乏クラブ、ヴァンフォーレ甲府が横浜Fマリノスにものの見事に敗北した。
……サッカーって、ほんと、暗いスポーツだ。
去年までジェフ千葉のGMをなさっていた祖母井氏は、今はフランスに行ってしまったけれど、新聞のコラムで


(ジェフ千葉というチームでやり残したことは、)「みんなで助け合って生きていこうとする雰囲気。そのような平和な雰囲気をつくれなかったこと」


と書いてらして、オシム監督といいこの祖母井氏といい、勝敗を超越してこの人たちの創ったクラブは素晴らしかったなあとつくづく思う。……過去形で書いてるけど、今年も応援しますけれどね。
(^_^;)
しかし、今年もっとも優勝して欲しいチームは、ズバリ、ボンホーレ……じゃないヴァンフォーレ甲府だ! J1に残留しているだけで奇蹟と言われるほどの赤貧球団でありながら、度肝を抜くような攻撃的スタイルで観るものに強烈な印象を残す好チームだ。
正義は勝つ! ビッグクラブを打ち負かし、行けよ進めよボンホ……じゃないヴァンフォーレ!

 


電脳漂流☆ノルシュテインさんと出会う
(2007.3.7)

「見かけによらず」という慣用句がこの場合正しいのかそうでないのか、私は東京で暮らしていたころからアキバになじめず、「クローズドなオタク」から一歩たりとも前進できぬまま、結局は都落ちしてしまった身だ。自意識過剰の権化、慢性的ドストエフスキー病。アキバの通りを歩いただけで、自分が好奇の視線から逃れようとするエレファントマンか何かになってしまったかのような錯覚を覚えてしまったわけなのだが、そんな私が恥を忍んで皆さんにお伺いするのだけれど、

この曲はどこで売ってますか?


「愛が科学と結びつかなきゃ それは真理に迫ってないない
だってわたしの理論は正しいもん
数字と機械で それっぽく着飾って
理想と科学の 境界線 せいいっぱい侵犯しましょう」

「理屈じゃ解けない不安な気持ちに 白黒つけてトゥルーと言いたい
心が生み出す妄想科学」


わお!

日本の新しい教育基本法のテーマ曲にピッタリ!

本年度レコード大賞の大本命ではなかろうか。
特に歌詞がよい……というか、歌詞しか知らない。
ジョージ=セルの輸入番CD探していたら出会ってしまったこの歌詞。
インターネットはミラクルだ。
"o(^▽^)o
そう、まさしくミラクル。
実際、絵本とネットの世界だけは24時間気が抜けなくて、たとえばこのような企画が、人知れずひっそりとたちあがっていたりするわけだが、私だってそんなに鼻が利かない人間というわけではないにもかかわらず、しかも、トップぺージのポスターはアニメ界の生ける伝説ユーリ=ノルシュテインが手がけているというのに、ここまでひっそりとしているというのは、いくら何でも不自然じゃないの?
Copyright YURI NORSTHEIN (RUSSIA) 1995とあるように、パチもんなどではない、本物のノルシュテイン先生が参加しているわけだぞ?
『話の話』の狼が赤ん坊を抱き、『霧に中のハリネズミが』のハリネズミが「NO」の看板を高く掲げている。彼等の頭上には原爆が落下しようとしている。後方にはキノコ雲があがっている。なるほど

日本の新聞の文化欄が取り上げたがらないのはよくわかる。

(^_^;)
しかし、こうまでひっそりとしていると、なかなか遭遇できるものではない。

「日本のメディアがムシを決め込むようなネタ」

というキーワードでGoogle検索を行ってはじめて、注目すべきさまざまなサイトや情報に出会うことができるという塩梅だ。
で。またまた皆さんにお伺いしてしまうのだが、

この映画は、いつ関西に入ってくるんですか。


「新聞もテレビも、なぜ同じニュースばかり流すんだろう?“アメリカの良心”ノーム=チョムスキーが解き明かすメディアの仕組み」


広告代理店が代筆したという某新聞社の「ジャーナリスト宣言」を引き合いに出さずにはいられない、心ざわつくあおり文句。春はすぐそこ。
(;^-^ゞ
ちなみに、私の環境では確認できるはずの予告編を観ることが出来ない。古いMacを使っているので最新のFLASHプレイヤーをインストールできないからだ。
今度は古いパソコンユーザーにも優しい予告編を求め電脳空間を彷徨ってみたのだが、

木村元彦さんどうしてシネカノンのサイトにいるの?
(^_^;)
最新刊『蹴る群れ』で、エミール=クストリッツァ監督にインタビューしたとあとがきで書いてらしたから、その関係かしらん? ちゅうか、

クストリッツァ監督にインタビューしたのなら、長靴いっぱい読みたいよ!


「木村 例えば『ライフ・イズ・ミラクル』(2004年)だと、主人公の一人息子がプロサッカー選手をめざしてるという設定で。「俺は絶対パルチザン・ベオグラードに入るぞ!」みたいな台詞をしきりに言うわけですよ。で、ある日首都から手紙が届いて、「やったぞ、ついにオファーが来た!」と喜んだら、実はそれは軍からの召集令状だったという。

李 それで結局、捕虜になっちゃうんですよね。あの作品はユーゴ内戦の勃発前後を思いっきり戯画化していて。そういうサッカーの描き方にも、いかにもクストリッツァらしい皮肉がきいてますね。

木村 そうそう。で、その当時──1992年のパルチザンの監督というのが、実はオシムなんですよ。

李 ああ、そうか。じゃあ、あえて登場人物に「パルチザンに入りたい」と言わせてるのは──。

木村 うん。あれはもう、クストリッツァ監督のオシムに対する、ものすごいオマージュになってるんです。」


ほー。
年代的に合っているのはわかっていたけれど、実際、そうだったのか。
クストリッツァとオシム、対談は、実現不可能なのかなあ……。

 


*「貧富の格差が騒ぎを引き起こす」とオシム監督も言ってました*
(2007.3.4)

目から火が出るような大増税予算案が政府連立与党によって強行採決されて、しかしそれすら想定内の、くもりガラスの向こうは暗い国。
(^_^;)
まあ、老人が満足な医療を受けれなくなり、子どもたちがまともな教育を受けられなくなるいっぽうで、

金持ち連中をさらに金持ちにするという目的を達成するために収める税金

というものほど、むなしいものはないと思う。しかも、この手の連中に投票したことが一度もないと言いきれる私には、今の日本の惨状に関して一切の責任はないというのに、嬉々として投票した皆々様らと同額の税金を納める義務だけが残るというのは、議会制民主主義の盲点というか、民主主義制度の信奉者としては、これはもう、痛恨の至りというしかないであろう。
(´▽`;)
つーか、投票権のない子どもたちがあわれでしかたがない。
(。;_;。)


問わずとも負け組 切ないね
枯れ葉ひとつの重さもない命(とさいふ)
理想の社会像を 失ってから〜

背中を丸めながら
他人の安月給 はぎ取ったね
借金返すつもりならば足りないぞ〜

そうね投票するなら構造改革なの
そんな言葉が頭にうずまくよ
あれは テレビライトのまばゆい光の中で
誓った改革のまぼろし〜

生きるのがおっかない 俺さ〜
調子のいいこと言っていいよ〜
気が晴れるままにバラ色の未来語ってくれ〜

テレビジョンの向こうは暗い国
娯楽と快楽の 電子の箱で
幸せ求める消費者の人波に
心紛らす あなたを見てた〜

そして2年の月日が流れ去り
耐えた末での構造改革を振り返り
リアルな御利益を探すのさ
財産を 失ってから〜


以上、増税記念日ということで、決まってしまったものは、悪法も法だ。愛国精神あふるる私としては、昨日と今日というこの二日間を日本国民が片時も忘れぬように是非とも休日にしていただきたいと強く進言するものである。
(^_^;)
ワーキングプアやるくらいなら、365日ぜんぶ休日にして家で寝ていることにしますから。

--☆---



山之内重美さんが玲子の心斎橋大学講師としてお仕事なさったあと、遊びに来てくれました。
早稲田大学と中央大学で非常勤講師をなさっておられるのだが、ロシアアバンギャルドがうんぬんとか、そういう講義、ワシも受けてみたいのう、と思った。
いや、早稲田大学の学生になればいいんだろうけど、頭のデキというか、お利口さんの度合いから

絶対無理

だからして。
(^_^;)
ロシアの短編アニメをDVDで観賞して夜更かしいたしましたとさ。
エドゥアールド=ナザーロフとアンドレイ=フルジャノーフスキーの両監督作品。
「別の可能性」「批判精神」「わかりにくさ(笑)」そして「ヒトとしてのあたたかさ」が、全作品をつらぬくキーワードのようだ。
面白かったです。



*格差・オブ・ワンダー(2007.2.27)

スポーツニュースを観ようと思って(よせばいいのに)テレビの電源を入れると、例のMacのコマーシャルが流れていた。
実に次元の低いところで運動図と張り合うといううわさどおりの内容であったわけだが、これが名作ぞろいのMacのCMの末裔かと思うと、巨神兵を見上げるクロトワよろしく

「腐ってやがる」

の一語が唇から漏れでたわけだけど、ま、そんなことはどうでもいいよね。
(^_^;)
パソコンにQuickTimeをインストールしているひとは、非公式のこちらのサイトから過去のCMをご堪能下さい。
『1984』『Marlee Matlin』『Pencil Test』は、テレビ史上に残る傑作CMだと思う。とくに『Pencil Test』は、短編アニメとしても秀逸で、子どものころ大切にした絵本のように、私にとっての宝物になっている。
……今となっては本当にどうてもいいけど。
(^_^;)
それよりも驚いたのは、スポーツニュースの合間に流れるCMのほとんどが金貸し屋のものだったことだ。三社ほどの金貸し屋のCMが順番に流れるなんてのは、普段はほとんどテレビを観ない私には小さな衝撃だった。

♪ローン会社選択の自由ラララ♪

親しみやすそうでいて、その実、関係というものをはなから拒絶したビジネストークを駆使する極めて冗舌なそれらのコマーシャルが、私に向かって
「お客様を第一に」
などと語りかけてくる。これが今の日本の内部で定義づけられている「誠実さ」の正体なのだ、と私は思う。例えばタクシーに乗ったら、運転手さんの顔写真ともに「私どもは誠実にうんぬん」と書いてあるシールが目に入る、大量生産されるイメージとしての誠実さ、それが私たちの言う「日本の品格」だ。
CMを含めた今の日本のテレビ番組のありようだけでも、1960年代にSF小説として描いたなら、それは実に奇妙で衝撃的な物語になりえたはずだ、などと私は連続するコマーシャルを眺めながら思った。
あまりに衝撃的すぎて、発禁書になってしまったかも、とすら思う。



--☆---


さて。外崎則夫氏のサイト
N.TONOSAKI's Personal Station
といえば、某ゲイツ氏を熱く応援する(笑)大人気コラム『がんばれ!!ゲイツくん』が有名だけれども、TONOSAKI氏は他にもいろいろなコラムを手がけていらっしゃる。
実体験をもとにした『Non-Fiction STORIES』の新作
ある格差社会の現実
が面白かったので、紹介しちゃいましょう。
……この日記が最近だんだん、『N.TONOSAKI's Personal Station』のコラム紹介日記になってきた感もあるわけだけど、ま、気にしない気にしない。
f ^ ^ *)
アメリカ兵がイラクの少女を強姦した揚げ句、その少女の家族を皆殺しにして、少女も殺して、終身刑を言い渡された」なんて記事にリンク貼っても、元気でないっしょ。あ、リンク貼っちゃったね。
(^_^;)
こちらのブログにも貼っておきます。

「Abeerという貧しい女の子は、米軍にレイプされた初めての少女ではないし、最後の少女ともならないだろう。このレイプが明るみに出され公表されたのはただ、彼女の近親者全員が彼女の傍で殺されたからだ。レイプを話題にするのはイラクではタブーだ。ここでは家族はレイプを通報したりしない。ひそかに復讐をする。ここ3年の間に、米統制化の刑務所の中、あるいはHditha、Samarraなどの都市の包囲の渦中、レイプがあったと囁かれている。「我らがヒーロー」がそんな酷いことをするはずはないと信じている無知なアメリカ人はお話にならない。占領軍がレイプをしているのを誰が聞いたかって???お前たちは国をレイプしたんだ。人間をレイプしないわけがあるか!

ニュースでは、女の子の年齢は約24歳ということになっていたが、その子が住む地区の人々は、たった14歳だったと言っている。14歳。想像してみてほしい。あなたの14歳の妹や14歳の娘を。その子が変質者の一団に強姦されているのを。女の子は殺されて、証拠隠滅のために死体が焼かれた。女の子の両親と5歳年上の姉も殺された。アメリカン・ヒーロー万歳!「解放」の支持者よ、頭を高く上げよ。今日、お前たちの兵士たちのおかげでお前は鼻高々だ。」


……。
どーん。

 


センス・オブ・ワンダーの陽が落ちる(2007.2.21)

私は基本的にテレビも新聞も読まない人間なので知らなかったのだが、心斎橋でお買い物中のおばちゃんの会話を盗み聞いたところによると、参院選比例代表の目玉候補者として自民党が郷ひろみ氏に出馬要請しているとかいうんだけど、えーと、本当なんだろか?

ネットで調べると本当だった。

「同党は昨年にもタレントの藤原紀香さんらに立候補を打診し断られた経緯があり」

と知って、さらにびっくりだ。
(;^_^ A
しかしおばちゃんたちは
「くるくるっと回転して、「ヒロミGO!質問です!」ってビッと決めるんでしょうか?」
「わあ〜。それいいですね〜」
「それ見たい〜」
「ジャパーン! うふふふ!」
と大喜びのご様子。
おばちゃんたちが幸せなのはいいことだ。
それにつけてもジャパーンのおばちゃんたち、いったい

朝飯に何食べたんだろう……。

キノコかなんかかな。

--☆---


さて。
アクセス解析などかましてみると、検索キーワードがTONOSAKI・反日」と言うキーワードを発見して、思わず吹き出してしまったんだけど、その外崎則夫氏のサイト
N.TONOSAKI's Personal Station
の大人気コラム
がんばれ!!ゲイツくん』最新号
がアップされていたので、強力にご紹介しておこう(TONOSAKIさんも大変だなあ)。


「なんでも福岡の市議が揃って豪華海外視察旅行をしたのだけれど、報告書がWikipediaのコピペだったり(誤字までコピペしたのだそうで)、「歴史がよくわかりました」とかいう三行くらいの報告書を出しただけだったり、「ベトナムに行ってみたけど社会主義国だったから参考になりませんでした」とか行く前に分かるだろ!と突っ込みを入れたくなる出張が満載だったとのことです。
さらに任期中のこうした海外視察などの費用として100万円が支給されるようなのですが、民主党の議員などは上限ぎりぎりの999,870円まで使ったとのこと(上記ページでは「芸術的」という表現(笑))。私などはこれを聞いて昔あった「がっちり買いまショー!」の番組を思い浮かべてしまいましたが、しかしこういう海外旅行を議員の特権だと思っている馬鹿政治家が多くて困りますね。そういえば自民党もポルノ小説の領収書で経費申請していたり、公明党も目黒で偽造領収書を使って全員辞職とか馬鹿ばっかりですが、それで財政難で増税なんて言っているからから救いようがありませんね。まぁ選挙にタレントをかついで票を集めることを考えるくらいの低脳揃いですから仕方が無いかもしれませんが。 」


笑っていいのやら、あきれたらいいのやら。
ねえ?
税金で豪華海外旅行市議、ポルノ小説の領収書で経費申請自民党議員、偽造領収書で全員辞職公明党議員って、ずいぶん反日……もとい愛国精神を徹頭徹尾完遂なさって、アイラブにっぽん!の皆さん実にいい感じ。
※姫林檎日記は愛国的政治家の皆さんを盲目的に支持します。ですので反日などというキーワードで当サイトにおとずれることはどうかお控えください。※
(;^-^ゞ
(ほんと、TONOSAKIさんも大変だなあ……)。
今回のコラム主題は『OSは論争すべきではない』というもので、実にごもっともだと思いました。とはいえ、


Mac武闘派

Macひいきの引き倒し派

の私としては、革命精神という文脈において、旧MacOSを支持していくことにかわりはない……というか、人間第一でモノ作れ、つーことなんだな。
まあなんだ、今のMacに「よりよい明日へのビジョン」なんてありはしないわけで、なにもかもが“ふり”にすぎず、運動図と目くそ鼻くそを笑いあうを繰り広げているという、そういうお話(どっちが目くそでどっちが鼻くそかという議論は十分に可能だ)。
(^_^;)
それでも、運動図には今なおセンス・オブ・ワンダーの精神が息づいているので、ある意味すごいと思う。

ユーザーの利益とは真逆のベクトルでだけど。

(^_^;)


「1000回に一回エラーが発生してハードディスクが破壊されるようなのですが、こういうプログラムをよく書けるものだと逆に感心してしまいました。何かMSの底力を見せつけられたような気分です」


……まあ、それでも、ポルノ小説の領収書で経費申請する自民党議員のセンスとワンダーには負けてるけど。
どっちが目くそにしても、呆然と立ち尽くす私の眼前で、今日も涙の陽が落ちる。

いなかっぺ大将のあの振り子のような特大の涙の

ゆるりゆるりと陽が落ちる。



フィンランド学力世界一と日本人の焦燥(2007.2.19)

OECDによる調査の結果2001、2003年と2回続けて学力世界一になったフィンランドの秘密を知ろうと、2月12日の22:10〜23:00にNHK・ BS1で放送された
未来への提言』シリーズ第8回「 元教育大臣 オッリペッカ=ヘイノネン 〜フィンランド学力世界一の秘密〜」
という番組を観たんだけど、教育改革に熱心なアヴェさんはきっとごらんに……なってないだろうなあ。
(^_^;)
1990年代前半、失業率が20%に及ぶほどの危機的な経済状況に陥いったフィンランドは、
「将来への投資として教育に力を入れるべきだ」
と当時29歳のオッリペッカ=ヘイノネンを教育大臣に抜粋、教育改革に踏み切り、
「教育水準向上の根本は機会の平等」を旗印に、

☆中央統制を緩和☆
☆現場に大幅な自治権を認める☆
☆大事なのは管理ではなく、教師、子供のモチベーション☆
☆知識の詰めこみよりも情報を読み解く力を☆
☆お勉強の内容や方法、時間、教材を政府が押しつけるのをやめ、権限の大部分を地方、学校、教師、そして主役の子どもたちに任せる(1クラスの人数も教師と子どもたちが決定する!)☆

などなどの改革を推進。
その結果。わずか十年で学力世界一にのしたのだそうだ。
しかもフィンランドのすごいところは、一部のエリートを排出するのではなく、一人の落ちこぼれも出すことなく高い学習到達目的を達成しているところで、国家予算の教育に占める割合も高く、

小学から大学まで教育費は無料。

給食も無料。

うわあ。
ヘイノネン氏の教育改革のまばゆいばかりの成果にも驚くけれど、いちばんの驚きは、

内容的に日本の教育改革とちくいち正反対なことな。

(^_^;)
いや、マジで「ちくいち」逆なのだ。
驚きというより、日本国民として焦りというか、焦燥を覚えるこの番組。
(^_^;)
アヴェさんひきいる教育再生会議によりますと、「教育水準の向上の鍵は“欠点の矯正”と“全体への追従”」ということでして、

☆政府による中央統制を強化☆
☆現場の教師や子どもたちに裁量をまかせるなど狂気の沙汰☆
☆機会の平等なんて教えてどーする、人生は勝利か敗北かだ☆
☆教師や生徒のモチベーションつっても、勉強っていやいややらかすもんだろ?☆

国家予算の教育に占める割合をなるたけゼロに近づけて、

給食費払えないやつは負け組、さいなら

だもん。
そもそもアヴェさんが目指している教育改革って、イギリス全土を混乱のウズに巻き込んで、

世界的に最も恥ずかしい教育改革と揶揄された「サッチャー教育改革」

だっちゅうんだから、いったい日本をどうしたいのやら。
このひとの愛国心とやらも、実に怪しいと思われてきた今日このごろ。
(^_^;)
教育改革と言って、やることが

タウン・ミーティングのやらせ

日本の伝統と長所を、と言って

日の丸・君が代の強制

じゃあ、権威ばかりをひけらかす国家の自己満足でしかないんじゃないの? いや、日の丸も君が代もいいんだけど、子どもたちが自分たちのなかにその意味や価値を発見するのを手伝うのが教育で、
「日本人だから君が代斉唱!」
じゃあ、ただの盲目的愛国者だ。
「自分で考える力」
「洞察」
「変化や情報が何を意味しているのかを読み解くリテラシー能力」
それこそが教育だとヘイノネン氏は言う。
まー、サッチャー教育改革の下をいくかもしれんね、アヴェ教育改革。
(^_^;)
愚鈍な追従者を社会が大量に必要としている、ということなら、アヴェ式教育も確かに教育なんだナ。
アンチユートピアもSFだ。私たちの望む明日がそういう明日だというなら、ま、それもよかろう。この日本は議会制民主主義システムによって運営されているのであるからして。

当事者でありながら投票権のない日本の子どもたちは実に不幸なんデスガ。

自分たちの食い意地に負けて神様のお食事を食べ散らかした親の所業のあおりを受けて、大変な目にあう千と千尋の神隠しは、フィンランドの子どもたちはあまり身につまされることのないお話なのであった(……『千と千尋の神隠し』を観て、なおかつアヴェ氏を支持するひとって、一体何を考えてるんだろうね)。
日本の子どもたちは、名前を失いつつあり、誰もが千になりつつある。多くの子どもたちが耐えきれないほどの孤独の中で苦しみ、または誰かを苦しめ、多くが命を失い、そうした未来の子どもたちに宮崎駿監督はせいいっぱいの声でこう言った。
「グッドラック」
あれは、そういうお話。
あれは、そういう映画。
フィンランドの子どもたちは身につまされたりはしないだろうけれど、世界一の情報理解力と洞察力があるから、宮崎監督のメッセージを正しく理解するのではないか?とはこれは私の勝手な想像。
おかげさまで日本の子どもたちの学力はどんどん低下し、右肩下がりのデーターとして日本国民全体に突きつけられる。そうした事実に直面した親や子どもたちの不安や恐怖を政府役人は利用し、メディアを使って市民の不安を煽りさまざまな教育商品を売りつけ、最終的に選挙に利用していく。
完全に腐れていて、正直、どもならんのです。教育どころの騒ぎでないのよ。

 


引き裂かれたイレブン(2007.2.14)

ペシミスティックなユートピアン、私たちの英雄、はにかみやな人生の教師☆イビチャ=オシムのドキュメンタリー引き裂かれたイレブンがDVDになって発売されるという。
数年前にNHKBS1で放送されたというオランダのドキュメンタリーらしいのだが、私は未見だ。


「1992年5月22日。詰めかけた大勢の報道陣を前に、イビチャ・オシムは涙した。
「もうこれ以上監督を続けることはできない--」
綺羅星の如きタレントを擁し、80年代後半から90年代初頭にかけてサッカー界を席巻した“東欧のブラジル”旧ユーゴスラビア代表チーム。しかし複雑な国家は、やがて激しい内紛、民族闘争の泥沼に陥っていく・・・。
ボバン、ミヤトビッチ、プロシネチキ、サビチェビッチ、ミハイロビッチら当時の主力選手たち、そして“ユーゴスラビア代表最後の監督”となったイビチャ・オシムが、苦難の時代を振り返り、悲劇のチームの真実を語る。」


吹き替えの声を、銭形警部の納谷悟朗氏が担当することも判明。
「ヤツはとんでもないものを盗んでいきました」のあのひとだ。
(^_^;)
このドキュメンタリーは、ボバンやミヤトビッチやサビチェビッチやミハイロビッチやイビチャ=オシムが、何か得体のしれないヤツにとんでもないものを盗まれていく過程を、重く描くことになるはずで、いわば、盗まれてなお生き延びたひとたちの映像記録だ。
じゃあ、ヤツとはいったい何者なのか、というと、

義賊ルパン三世ではないことは確かだ。

(;^_^ A
いま私の手元に一冊の本があって、タイトルが『戦争広告代理店〜情報操作とボスニア戦争』というのだけれど、帯には
「銃弾よりキャッチコピーを、ミサイルより衝撃の映像を!! 演出された正義、誘導される国際世論。」
という煽り文句がある(著者はNHKディレクターの高木徹氏)。
私たち自身が作りだした奇妙に残酷な経済活動システムについての本だ。

「あなたのハートを奪っていきました」
と銭形警部のとっつあんは報告し、パトカーがけたたましくサイレンを鳴らしつつ走り去っていく。
サッカー選手、そしてサッカー監督のキャリアは確かに輝かしいものだけれども、もちろんイビチャ=オシムというひとはそれ以上の存在だし、例えば、ネット上でこういう報告に出会うたびに、ああ、「日本代表監督」なんてよせばいいのに、とさえ思う。
センセーショナルな記事を求めるメディアにおもちゃにされるだけだもんよ。
それでもイビチャ=オシムは作るひとであり続けるし、彼の息子も日本で仕事をしているし、彼のお弟子さんのペトロヴィッチも広島のサッカーチームで監督をなさっている。
サンフレッチェ広島は、短期間で本当に手強いチームになった。
そのサンフレッチェ広島は、今、オシムの息子の率いるジェフ千葉と同様に、トルコでキャンプを張ってトレーニングゲームに励んでいるそうだ。そのさいのペトロヴィッチ監督のコメントはこういうものだ。


「(対戦相手の)彼らの月給を、みんなは知っているか。 10万円だよ。
彼らは練習の時、2つのボールしか使えない。ウチはどうだ?
彼らは練習着が1着しかない。それを自分たちで洗濯して練習している。みんなはどうだ?
いつもきれいに洗濯されたものが用意され、それを着ているじゃないか?
彼らは、生き残っていくために、こうやって戦っている。
みんなはすべてを持っているが、彼らにはない。
でも、生きるために戦わないといけない。そこに大きな違いがあるんだ。
私は、そういうことを今まで何度も言っていたね。
でも今日、君たちはそれを実感しているはずだ。
必死に、生き残るために戦っている相手に勝利するためには、 彼ら以上に必死で、死に物狂いで戦い、走らないといけない、ということを」


まさかとは思うが勘違いしない前にことわっておくけど、

コイズミさんの言う「痛みに耐えて構造改革」や「勝ち組・負け組論」とは論のベクトルが180度違うんだからね。

師匠のオシムは、試合前のミーティングで
「自分がいい暮らしをしてたら満足というのは、きみたち、間違ってる」
などというある意味トンチンカンな説教をする人物だけど、お弟子さんもキテル!
(^_^;)
「京都で祖国統一じゃあ!」
は映画『パッチギ!』の隠れた名ぜりふだけど、あれだな、このぶんだと

「日本で祖国統一じゃあ!!」

だよ。
♪日本をユーゴにし〜てしまえ♪
21世紀にもなって、民族エゴをむき出しに排他的民族主義を喧伝する某国首相なんてほっぽいて、「人間みんな仲良く」のユーゴ主義を、この日本で。
うーん、悪くない


大型移籍『ブラックジャックによろしく』(2007.2.13)

このたび、アフリカ全土の治安と民主主義を守るために「アフリカ大陸軍を編成する」というアイデアをアメリカ合衆国政府はぶちあげたそうなんだけれど、アメリカってどうしてこう自分のことを棚に上げて、よそんちに口出しするんだろう?と思いつつ、イラクへ派遣した自衛隊員が無事生きて帰還してきたことを

「野球で言えばノーヒットノーランみたいなもんだ」

と言った某国某外務大臣に比べれば、インパクトの面でも「わらかし」の面でももうひとつ力不足を感じる今日このごろ。
最近のアメリカは国力が根っこの部分から低下してるのでないだろうか?
(^_^;)
まあ、アメリカ合衆国の側から言わせれば、アフリカ大陸軍というアイデアはリサイクルの精神なんだよね。
使い捨てはやめよう、ものを大切に使おう、というあれ。
アメリカ合衆国という国は2億7千万人の人口に対し、銃が

2億5千万挺

もころがっているところだから、いわば銃の余りまくり状態で、そういう余った銃をアフリカの子どもたちに特別価格でプレゼントしようということなんだわ。
餓死者続出のアフリカでは、誰もが軍隊に就職したがっているから、中古の武器もけっこう高く売れるのだ。
日本で言ったら、bookoffみたいなもんだ。どこよりも高く買い取ります、だ。

「ボク、武器を売る人、あなた、武器を買う人。なんだ、みんな幸せになったじゃない!」
「きゃぁほう〜!」

幸せってポン酢醤油のある家のことでもなければ武器を売ったり買ったりすることでもないのだと、私の立場ではそりゃ思うけど、市場経済システムの観点ではこれが健全、ということなんだよな。
あ、ポン酢醤油じゃなくて、武器の売り買いのほうね。
(^_^;)
……どうでもいいけど、「アフリカ大陸軍」ってネーミングも何とかしてほしいもんだ。……いや、もとい。アメリカ合衆国には、なんにもしないでいてほしいものだ。

ちょっと似ている“読売巨人軍”と “アフリカ大陸軍”

これも似ている“不正で2部落ちフットボールクラブ・ユヴェントス”“腐性で気疲れマイクロソフト・オフィス”。

残念ながら、イラクから帰ってきた自衛隊の隊員たちとノーヒットノーランはじぇんじぇん似ていない。野球で言えば、そうだな

「江川の巨人軍入団事件」

に似ているかな。
自国の憲法というルールを破ったというところが、実に似ております。


--☆---

週間漫画雑誌『モーニング』の大人気連載作品『ブラックジャックによろしく』が、不自然なまでにぷっつりと「第一部完」してしまって、トンデモ陰謀論者の私は、
「どこからかの圧力で連載が止められてしまった〜!」
とひとり騒いでいたのだが、ふとした拍子でこういう記事を見つけた。

「ライバル漫画雑誌から連載が再開されてるう〜!」

これは、驚いたな〜。
『スピリッツ』か……。


「あるマスコミ関係者は、

「賞までとって作者は講談社に相当な恩義があるはず。それを金額面だけで鞍替え、というのは考えにくい。この作品は、たとえば『精神科編』などでは、社会のタブーにかなり踏み込んでいるから、これまで批判もかなりあったのではないか。この辺を巡って行き違いがあったのかもしれない」
と推測する。」


おれっちも推測しますよ、いや〜。


とにかく、連載が再開されたのは嬉しいことで、単行本が出る日が待ち遠しい。

 


*日本の未来はターミネーターVSロボコップ*(2007.2.5)

柳沢厚生労働相が「女性は子どもを産む機械」だとか言いだして、世間の反発をくらっている今日このごろだけれども、マスメディアの中には

「柳沢さんは、決して「女性は産む機械だ」とは発言していない、非難する人の多くは「女性は産む機械だ」と受け取っているが、柳沢さんが言ったのは「産む装置である子宮の数は決まっている」ということだ」

などという理屈で弁護するものも出てきたりして、だけど、少子化問題を「産む」「産まない」だけで語るということ自体が人間を製品としてしか見てないということなんじゃないかなあ、とぼそっと言ってみる。
まあ、私はきっと、ちょっとした失言をあげつらってヒステリックに騒ぐやからということなんだろうな。
これは皮肉でも何でもなく、ヤナギサワさんは機械(装置だっけ?)から産まれたんだろうし、それから、奥さんだって機械なんだろうし、それどころか海外に目を向ければアメリカ合衆国では

ターミネーターがカリフォルニアの知事やってるのだから

日本の女性が子どもを産む機械だったとしても、何の不思議もないと思う。(カリフォルニアの知事は、『ターミネーター』シリーズの主演のシュワちゃんがやっているんだヨ)。
(^_^;)
アヴェさんは
「政治家たるもの、発言には注意しましょう」
というおふれを出したそうだ。
……まあ、「機械」と言えば失言で、「装置」と言えば微妙で、「産む役目の人」と言ってさえいれば問題ない、という発想は、

だったら「産まなかった女性」はどういうレッテルを貼られるのか

という話で、根本的に女性をバカにしていると思う。
それと、女性が産む装置だとすれば、男性はなんなんだ、とも思う。自販機から缶ジュースをとりだすためのコイン、もしくはコインを入れるひと、というような立場なんだろうか。……これまた、ひどいな。というか、この女性は産む機械論は、男性の存在を完全に無視していて、実に不快だ。
(^_^;)
まあなんだ、このひとたちにとっての少子化対策とは、ぶっちゃけ、


「金をかけずに子どもを増産する方法」


でしかないということなんだよな。
妊娠、出産、育児、教育、人材の社会参加、国力と人工の維持。そうしたこといっさいを徹底的に効率化していくうえで、社会全体が女性を「子ども製造機」とみなすのは、極めて都合がいいことだ、ということなんだろう。
コインを入れたら、ガタゴトと音をたてて、缶ジュースがごろんと落ちてくる。そんなふうに女性は子どもを吐き出し、工業製品としての子どもたちは国を愛し、ひとびとは広告代理店が大量生産する規格品としての“あなただけ”のライフスタイルをむさぼる。そして確かに、社会は安定するだろう。
民主主義制度は、不安定で、非効率で、金がかかり、今日もまたどこからか社会の抱える問題を掘り起こしてくるという、やっかいなシステムだ……と、少なくとも日本という国の舵取りを国民から任されているひとたちは考えている。
徹底して効率的に大量生産し続け、そのシステムを支えるためにとめどなく消費し続けることが生きることなのだ、と考えるのならば、国民が人間である必要などどこにあるというのだろう?
例えば、女性が産む機械であると社会が規定さえすれば、そこに必要なのは機械的なメンテナンスだけということになる。
実に効率的じゃろ?
そしてさらに、もっと効率的で確かな生き方を私たちは探り、実現させていくだろう。
そうして、私たちはきっと、幸福になるのだろう。
だからこそ、選挙のたびにせっせと投票するのだから。
(^_^;)
ともかく、この日本という国の内部において、私たちは、「自分が信じたいことを信じている機械・もしくは装置」で、ますますそうであることを期待されている存在で、それはもちろん、大量生産社会を維持していくためだ。
……まんまP=K=ディックの小説の世界だヨ。
ということで、『youtube』の

ターミネーター対ロボコップ」の映像をご覧下さい。


(^_^;)
がんばれニッポン!がんばれニッポン! 産む装置なんだったら、こういうの産んでもらって、戦争に勝利してもらいたいね!(←チョー問題発言)。


パート2」もあるでよ。

ガスも水道も止められた揚げ句、最後にノタレ死んだあわれなSF作家。
2007年に、女性はとうとう子どもを産む機械になってしまいましたよ、と、彼に教えてあげたい。

--追記--

柳沢厚労相のこの発言を、SF的視点からすぱっと語ってらっしゃるブログを見つけましたので、リンクを張っておきます。
ドイツ表現主義と柳沢"女性は「生む機械」"発言
しかし、ヤナギサワさん個人がこういう難しい考察をしているとは正直思えず、まあ、ひとことに要約すると、
「四の五の言わず産めよう!」
と、こう言ってるにすぎないんだけどね。

 


*落ちる夕日に一粒の涙*(2007.2.2)

先日Macエバンジェリストうんぬんという話を日記に書いたら、ふたつの宗教団体から訪問布教活動のアタックを受けて、病的なくらい自意識過剰な私は、もう少しで
「私の日記を読んでエバンジェリストつながり来たんですか?」
と訊ねてしまうところだった。
(^_^;)
私が勝手にドストエフスキー病と呼んでいる症状で、発作的被害妄想からくる

不治の病です。

(^_^;)
我ながら、

エバンジェリストつながりって、なんなんだろう。

(^_^;)
ともあれ。私は、布教をなさっている方々が純粋であることは認めるし、純粋であることそのものに価値があるとも(本心から)思っているんだけど、信仰というものが持つ盲目的な部分がどうにもなじめなくて、今のところ無神論者で通させていただいている。
教会にキリストがいるわけじゃないし(そもそもこのひと顔が暗いし)、聖書のページに愛があるわけじゃないし、生まれたての赤ん坊がオギャーと泣くかわりに「天上天下唯我独尊」と言ったとか信じられないし、ま、そういうこと。こういう私みたいな人間がいるからこそ、布教と教育に力を入れてらっしゃるでしょうけど。
学校での国旗掲揚&国歌斉唱の問題もそうなんだけど、愛国心だとか、民族主義だとか、神様だとか、信心だとか、教団なり地域なり国なり民族なりの作りだすコミュニティの内部で共有する常識を前面に押し立てて、批判精神の芽をつみとってしまうのには、私は個人的にめっちゃ抵抗がある。
それも教育だ、と言われれば、もちろんそうだ。
ただ、Macエバンジェリストたちが世間に布教したがっていたのは、

「批判精神そのもの」であって、

私はそのことを、とても好もしく思いだす。
今日、『MacPeople』という月刊雑誌の3月号を購入したんだけど、付録に
『なぜメニューバーは上端にあるのか?』
というタイトルの小冊子がついてきた。「アップルGUI言論」というサブタイトルだ。
作者は柴田文彦さん。
このタイトルを目にした途端、私の内部から感傷の大波が溢れ出てきて、思わず息を飲んだ。
「なぜメニューバーは上端にあるのか?」

「さて、Mac OSのメニューは、なぜデスクトップの上辺に固定されたメニューバーから引き出すプルダウンメニューになっているのか。これについて考えてみたことがあるだろうか。ウィンドウズをはじめとして世の中の大半のデスクトップタイプのGUIでは、メニューバーはデスクトップではなく個々のウィンドウの上辺に置かれている。これによって、アプリケーションごとのメニューバーの構造の違いは、そのアプリケーションのウィンドウの中で吸収できる。そして、アプリケーションのメニューは、そのウインドウの内部という独自の空間に収めることが可能で、他のアプリケーションと場所をとりあったりする必要がない。これは設計上、大きなメリットだ。そしてウィンドウズを例に挙げれば、アプリケーションに依存しないメニューは、「スタート」メニューとしてデスクトップの隅の独立した場所に配置する。これは、実にすっきりとまとまる論理的な構造だろう。
しかし、このようなインターフェースは、Mac OSより使いやすいだろうか?使いやすいかどうかと構造が論理的かどうかは、まったく別問題ではないだろうか?Mac OSがデスクトップ上のメニューバーに固執しいているのは、ひとえに使いやすさを維持するために違いないのだ。
Mac OSとウィンドウズを両方とも使ったことのあるユーザーなら、なんとなくMac OSのメニューが使いやすいと感じているはずだ。」

というおおまかな全体論から始まって、ほとんど驚異的といってもいいほどの完成度を誇るMacのメニューバーの構造と操作体系に関する技術的解説がなされている。くわしくはMacPeopleを買っていただくとして、Mac開発プロジェクトに係わっているスタッフたちが「思いやりの社会化」という目的のために、「メニューバーは上端になくてはならない」という発見したという事実を、私は忘れないでおこうと思う。
私が始めて運動図に触れて最初に驚いたのは、もちろん、あの汚らしいデスクトップ画面と不埒なまでのMSフォントのできの悪さ(Macのデフォルトフォントの「Osaka」が傑作中の傑作であることを私は逆説的に知った)だったのだけれど、次の瞬間、メニューバーが存在しないことに愕然としたのだった。
遊びでちょこちょこと触るぶんにはこれでもかまわないが、職場で毎日毎日、数時間もこんなものとつきあっていたら、それはテクノストレスにもなるだろう。
もしかしたら運動図の開発者は人間に対して、私には理解しがたい奇妙な悪意を抱いていて、それでこんな、何かの悪い冗談のようなOSを作ったのではないかと、なかば冗談で当時は語っていたものだったけれど、今では

最新Macも運動図3.1のパチもんみたいになってしまった。

(;∇;)どっひー

「人間はモノではない」
「したがって、人間が人間をモノとして扱うべきではない」
そうした宣言をシンボル化したものが、あの七色の林檎だった。

“あのころ”「MacOS」などという言葉は実は存在せず、誰かが「MacOS」などと言おうものなら、鼻で笑われたろう。
“Macintosh”はハードウェアやサードパーティ製品までを含めた

運動全体の総称

であり、オペレーションシステムだけを切り出してあれこれ語るなど正気とすら思われなかったし、さまざまな電機製品会社が作った、つぶもなにもそろったものではないハードウェアにOSだけをインストールしていく運動図のあり方に
「あれでどうやって“よりよい明日”を実現させていくというのだろう?」
とMacユーザーたちは首をかしげた。
太陽はもう地平線に落ちる寸前で、Mac開発プロジェクトのメンバーたちがいつの間にか批判精神をブランドイメージとして衣服のように着飾る亡霊たちにとってかわり、夕日を見つめる私たちの影ばっかり長くなっていった、そんな時代のこと。当時首をかしげていたMacエバンジェリストたちも、掲げた理想とともに行方不明。性能的にはとても現役を維持できなくなったMacたちが、砂漠の蜃気楼のようにゆらゆらとゆらめいて、それが架空のオアシスのように、こういう小冊子を作らせたり、

私の突発的かつ痙攣的な癇癪の引き金になったりしている。

(^_^;)
Macを返せ、こんにゃろ!
夜のまっただ中で、真っ赤になっている自分の顔を見ないですむのだけがありがたい。
「なぜメニューバーは上端にあるのか?」
それは、私たちが、いいかげん「親切」を学ばなければならないからだ……というのが、おそらくもっとも正確な答えになるだろう。



--☆---


私たちの英雄、イビチャ=オシム日本代表監督のネットインタビュー記事を見つけたので、リンクしときます。


「千葉の監督になって驚いたことの一つが、負けチームにサポーターがブーイングではなく“次はがんばれ”と励ますことだった。どうもこの国には結果だけにとらわれない文化がある、と いうことに気づいた」

「日本の選手にはサッカーをする喜びがまだある。そこは欧州のカネまみれのサッカーより、ずっといいと私は思う」


つまりあれだ。人間的価値は貨幣の排泄物以上のものだってことだ。
またウンコの話かと言われても、おじさん、こういうこと、何度でも言うぞ。

 


何かを思いだす(2007.2.1)

私がMacintosh PowerBook 1400という今では骨董品に近いような古いノートパソコンを何年かぶりに持ち出したのは、年末から年始にかけて二週間ばかり入院したためだった。
今ではMacは私の日常生活の中に大きく食い込んでしまっていて、Macがないと、短い文章ひとつ書けなくなってしまっている。
確かに病室のベッドにはコイン式のテレビもあったが、そんなものを観ても気がめいるばかりで、なにより、Macがなければ私はじっとしているしかなく、

Macに接続されていないと気も休まらない。

CPUは133MHz。メモリーは96MB。ハードディスクは2ギガ。11.3インチカラーディスプレイ。着脱可能なフロッピーディスクドライブ。そしてMacOS8.1。
操作するたびに、ポーンとかわいらしい音をこのノートパソコンは鳴らす。
このPowerBook 1400を日常的に使用していたとき、視覚的な合図をビープ音で代用する機能をオンにしていたのを思いだした。
このビープ音は、実は障害者用のツールだ。
「視聴覚に障害があるひとびとの入出力作業をいかに支援てゆくか」、というひとすじなわではいかない大問題に、正面から誠実に向き合った開発スタッフのその時点での答えが、例えばこのビープ音であり、また、キータッチの驚くばかりのなめらかさだ。私は視聴覚に特別な障害を持っているわけではないけれど、“パーソナルなコンピューターを作り”をめぐっての、発揮された彼らの熱意とその豊かな成果に触れるのは、

旧Macユーザーの特権だと思っている。

ベッドの上にあぐらをかき、PowerBook 1400の起動ボタンを押すと、ジャーンという起動音がして、アイコンパレードなどのイベントが続き、それからMacは静止する。
静止したMacと私は向き合って、PowerBook 1400でも可能な作業にとりかかる。日記を書いたり、原稿を書いたりという作業だ。
お医者さんや看護士さんが、気づいて足を止める。
「おっ、これはMacじゃないですか。ずいぶん古いやつじゃないですか?」
興奮気味の相手に
「そうですよ」
と私は答える。
「ほら、齧られたリンゴのマークも雪の女王のめんたまように青ざめた今のやつじゃなくて、七色なんです」
「はっはっは!」
とお医者さんは笑う。
「これ、なつかしいなあ。なつかしいなあ」
とお医者さんは言った。
看護士さんたちは、たいていバタバタと忙しそうに走り回っているから、去り際に一声だけかけて去っていく。
「Mac」
「Macですね」
「G3の前の!」
「わあ〜」
「どうしたんです、これ?」
そのたびに
「そうです、Macです」
とだけ、私はなんとか答えるのだけれど、看護士さんたちはもはや会話する時間もなく、ただ笑顔で部屋から出ていく。
それは、「より良い明日」を心から信じることの出来た当時の時代の空気をいま一度なつかしんだ、ということであって、私はそのたびごとに、ほんの少しだけ、奇妙な高揚感というか興奮を覚えたのだった。
「あのころはよかったね!」
「なにもかもが希望に輝いて見えたね!」
と言い合うことの、なんと甘美な響き。
(^_^;)

「すべての人間的価値をデジタルによって共有化する」

という途方もないプロジェクトが、内側から腐敗して、溶けて、崩れて、跡形も無くなった今、

Macです、としか語りようもないということも確かにあった。

むかしむかし大昔、キリストさんが「所有するな。何も手に取るな」と言い、それからだいぶたって、マルクスさんがもう一度「所有するな、ただ自分自身を他者に与えろ」と言い、しかし、はっきり言ってそれは

人間の能力を超えた法外な要求だったから、

水の上を散歩しようが死人を生きかえらそうがキリストさんの話を聞いてくれるのは12人しかいなかったし、マルクスさんにいたってはなんとエンゲルスというじいさんひとりきりだった。

フーテンになれ、ドアには鍵をかけるなって言われても、どんな英雄がそれを実行できるというのか。

愛とは決して後悔しないことよ、とは映画の中だから言えるのだ。私は、財布に残った最後の千円札二枚のうちの一枚を、私よりも困っているひとに手渡したりできない。少なくとも、猛烈に躊躇するだろう。
しかし、Macの掲げた革命は違う。
デジタル情報はどこまでも複製可能なのだから、デジタル化可能なすべての人間的価値を、それを必要としているひとたちのために、かたっぱしから複製し配付すればいい。
キリスト生誕から約二千年、人類は木星には到達しなかったが、『美しき青きドナウ』のパイプオルガンの響きとともに、
「みんなもっと仲良く暮そうよ、そのほうが絶対楽しいよ」
と書かれた巨大な旗が、地平線の向こうから立ち昇るときがやってきた、と当時のひとびとは感じた。
Macは道具であると同時に、哲学であり革命のための思想だから、多くの若者がMacを学習した。Macを学んだ若者たちは、自ら進んで、Macを布教し始めた。
ひとびとは彼らをMacエバンジェリストと呼んだし、アップル社自身も熱心にMacのおもに思想面の伝導に努めた。
Mac開発プロジェクトにはせ参じた天才たちをひとつにまとめているのが
「みんなもっと仲良く暮そうよ、そのほうが絶対楽しいよ」
というスローガンなら、愛の社会化には教育は欠かせないとMacにかかわる誰もが感じたのだ。
……そうした情熱やある種の誠実さが、希望という明日への糧となって、未来を明るく照らしていた、そういう時期が、この地球上に確かにあった。が、今では単なる思いでに過ぎなくて、私のベッドの前を通り過ぎるひとたちが、ときおり、ぱっと目を輝かせる。
外崎則夫氏のサイト
『N.TONOSAKI's Personal Station』
の大人気コラム
『がんばれ!!ゲイツくん』最新号で、新しい黒い魔ソフトのOSが何かの悪い冗談のようなシロモノだということをあらためて確認したのだけれど(わかっていたけれどね)、それよりも私は、人間的価値の一切合切を貨幣の排泄物とみなすという業界のありようが人間の心に毒だと、どうして誰も警告しないのかということだ。
誰も、というのはもちろん言い過ぎで、私が言いたかったのは、テレビや新聞といった大手メディアのことだ。
「人間的価値の一切合切を貨幣の排泄物とみなすって、いったいなんのことを言っているのですか?」
なんて言われると、私は途方に暮れる。そんなところから話し始めなくてはならないのか、と。
『幼年期の終わり』『人間以上』『所有せざる人々』、

これらはみんなSF小説のタイトルで、フィクションで、

だけどMac開発プロジェクトは、私たちがこの世に実現させてみせたもっとも美しい革命につけられたコードネームだ。
それがもはや、単なる思い出に過ぎなくなり、ひとの心を毒し続けるとわかっている製品がシェアの9割以上を独占している今でさえなお、起動ボタンを押せば、Macintosh PowerBook 1400はアイコンパレードを始める。それが、私ひとりを喜ばせるせるだけだったとしても。
感傷もまた心地よい。
それに、彼らは間違いなく天才で、反逆者で、神に背いてまでも知恵のリンゴを齧った最初の人間のように、チャレンジしたのだ。
つまりこういうことだ。
「結局すべてがうんこに帰したとしても、ほかにどうしようがありますか?」


しかし……。

「MSでは社内でWikipediaの記事をMS寄りのものにするためのライターを雇ったという話題も最近出ていますが、バグも直さないでそんなことばっかりやっているから悪口が書かれるというのを全く理解しようとしないのはさすがです(^^;。 」


とトノザキさんは書かれておられるが、これは、本当なんだろうか……。
思いつくSFのタイトルは

『暗黒太陽の目覚め』

くらいしか思いつかないけど、本当は

『日本沈没』

あたりがちょうどかもしれないナ。



*イラクでグレートハンティング*(2007.1.26)

町山さんとこのブログで知ったのだが、イージスというイギリスの民間「警備」会社の傭兵が、民間人を無差別射撃して遊んでいるのだそうだ。
すっげえ楽しかったので、その模様をビデオに撮って、ネットで流したのがこのYouTube画像。


「イラクの一般道路をバンで走りながら、後ろを走っている自動車に面白半分にアサルトライフルで射撃する。
後ろの自動車はフラントグラスが飛び散り、クラッシュする。
その車に乗っているのは女性や子どもかもしれないのに、傭兵たちはケラケラ笑っている。
このビデオは傭兵たちが撮影して「おみやげ」にしたので流出した。
音楽にエルビス・プレスリーを入れたのも彼ら。」



なにが国際貢献だよ、今すぐ塩の柱になっちまえ。

つーかよう。
ご立派なおれらがたっぷり税金をつぎ込んで、中東の野蛮人どもにほどこしてみせるという援助、子どものように諭し教育して実現させるという民主主義制度って、

快楽主義型テロリズムの無差別どんぱちなのか。


このっ!
〜!@8@#$$%^*(&)〜★!&☆!
最悪の気分。
何が最悪って、おれっちの納めている税金が、国際貢献という名目の大規模国家テロの資金になっていることだ。

犯罪者にだけはなるなってお母ちゃんから言われているのに!

どーしてくれるんだ。
ついでに、あがりっぱなしの血圧もどーしてくれるんだ。


 


ノルシュテインさんの大アウト宣言リターンズ(2007.1.23)

「談合は必要悪だ」などと堂々と語る人物が圧勝して終った宮崎県知事選挙ですが、100歩譲って談合が必要悪だったとしても、宮崎県民の99パーセントは談合によって損をこかされるばかりで、恩恵なんてまったく受けないんですけれどね。
宮崎県の有権者が何を考えているのか正直、私にはさっぱりだけれど、ま、何かを考えてというよりも、

政治を軽視して政治から軽視されるパターン

というのが本当なんだろうなあ。
ノルシュテインさんは良質の映画を観ろ、もっと勉強しろ、と日本の若いアニメーターに語っていたけれど、映画どころか、14時間労働の果てに、ごはんをモソモソと食べながらなんとか観るシコミとヤラセにまみれたテレビ報道で情報を得て、選挙投票に向かうのが日本国民なのです。
無惨きわまりない、とノルシュテインさんがおっしゃるなら、たしかにそのとおりとしか言い様がない。
勉強うんぬんの前に、誰も芸術を信じてないんだもんさ。
芸術を信じないとはどういうことかというと、

選べる人生---よりよい明日---を誰も信じていないということであって

日常の作りだすでこぼこに、べったりと張り付いたように過ごす「現実」のただ中で、そのときそのときの自分の気分を満たすことだけが生きる意味なんだな。
しかし、気分は絶えず移ろうものだから、満たすそばからあなたの気分は空っぽだになってゆく。
芸術を信じず、SFも読まず、よりよい明日が信じられず、大量生産社会を支えるために誰もが限度いっぱいまで幸福にならなくてはいけないのだとしたら、確かに政治なんて意味を持たないし、

人はただ生きていくだけで冷酷になっていく。

ちがいますか?
ま、偉そうに書いたけれど、私自身アッバス=キアロスタミの『10話』を今もって観ていないようなおそるべき人間で、とても芸術を信じているとはいえない有り様デス。
(;^-^ゞ
映画、映画、名画を観よう。
元アメリカ副大統領のアル=ゴアが、環境破壊の問題を突きつけるドキュメンタリー映画
『不都合な真実』
が巷では話題になっているそうだ。


「キリマンジャロの雪は解け、北極の氷は薄くなり、各地にハリケーンや台風などの災害がもたらされる。
こうした異変はすべて地球の温暖化が原因といわれる。
人々の意識改革に乗り出すべく、環境問題に関するスライド講演を世界中で開き、地球と人類の危機を訴えるアメリカ元副大統領アル・ゴアの姿を描くドキュメンタリー」


ということらしい。大手新聞やテレビニュースでも大きく取り上げられているということだ。
また書籍版もあるらしくて、坂本龍一氏、筑紫哲也氏ら、多くの著名人らがコメントを寄せている。

「問題なのは無知ではない、知っているという思い込みだ。」

というマーク=トゥエインの言葉を引用しつつ、環境汚染のどんづまりにさしかかった人類(その巻き添えを食ったその他の生命体)の危機的状況に警鐘を鳴らすという、趣旨そのものに私はなんら異議はないんだけれど、

どうしてアル=ゴアなんかなあ、とは思う。

『ザ・コーポレーション』という、この何倍もの出来のドキュメンタリー映画を、メディアは黙殺しておいて、アル=ゴアの『不都合な真実』と言われても。
私が言いたいのは、『不都合な真実』が消費者の不安や恐怖心を巧妙にあおりつつ、新聞、雑誌、防災用具などなどの購買意欲を促進し、または

視聴者たちをテレビの前に釘づけにするくらいには「不都合」であったり、「真実」であったりしたとしても、結局は釈迦の手の上の猿ということなんじゃないでしょうか。

ノルシュテインさんに「こんな映画ばかり観ていると海底深く沈むことになるよ」と叱られたので、ワシ、すっごいナーバスになってるのかも。
程度は別にして、こういうベクトルの映画が公開されることは、基本的に歓迎すべきなのかもな。
(^_^;)
しかし。
『ザ・コーポレーション』という映画が明らかにする『不都合な真実』は、新聞社、テレビ局、スポンサー各社にとって“真実不都合”であって、だから、いつまでたっても環境汚染対策はすすまない。
企業の利益追求を制限しないかぎり、地球環境は破壊され続ける。私たちがいっくら、分別ゴミを厳密にしわけしても、自動車通勤を自転車通勤に変更しても、ぜったいに。
テレビや新聞は、スポンサーに向かって、
「工場廃水を第三者機関に調査させろ、放射能汚染物質をナイジェリアの草原に放棄するな、車の排気ガスの規制を強めろ」なんて言うのは、ものすごまずい! ものすごく!

「貧困をなくすには裕福さを制限しなくてはならないなんて、そんなことありません!」

『沈黙の春』は、まさしく沈黙じゃのう。

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*弟に教えてもらったこれからの注目映画。
みんなで力を合わせて、ノルシュテインさんから叱られないようにしよう!
(;^_^ A
ルーカス=ムーディソンの新作がスウェーデンで発表されたようだ。
A Hole in My Heart

こりゃ、『リリア4エヴァー』日本で公開しやがらねえな。と思ったら、六本木で細々と公開していたらしい。
大阪でも上映してくれよ、頼むわほんと。
次。
アッバス=キアロスタミによる脚本をジャファル=パナヒが映像作品に仕上げたという
Crimson Gold

内容
フセインは、ピザ屋の配達で生計を立てる、どこにでもいるような平凡な男。ある日、フセインと友人を泥棒と思い込んだ男が話しかけてきた。見た目で犯罪者扱いされたのかと憤慨する二人。追い討ちをかけるように、街の宝石店では身なりのせいか入店を断られてしまう。ならば、とスーツを着こんで再び出向いても、体よくあしらわれ、フセインは言いようのない屈辱感に襲われる。
ある晩、ピザを届けた豪華マンションで中へ招き入れられ、もてなされたフセインは、ひと時の贅沢を味わう。自分と富裕層との生活差を目の当たりにし、フセインの中で何かが崩れてゆく…。翌朝、銃を手に向かった先は、あの宝石店だった。」


って、天才キアロスタミの久しぶりの骨太もの!!!
いつ公開するの?と弟に訊いたら、
「たぶん、日本では公開しないと思うよ」

ぎゃ〜!!!!!

キアロスタミの映画を上映しないなんて、モーツァルトの音楽が日本でまったく聴けないのとおんなじことじゃん!
芸術を信じない国民性と言ったって、あまりといえばあんまりだ。
言っとくけど、キアロスタミだよ?
呆然……。
次。
マイケル=ムーアの新作がくる〜!
Sicko

内容
「ボウリング・フォー・コロンバイン」では銃問題を、「華氏911」ではブッシュ大統領に切り込んだマイケル・ムーアが、今度は文字通り“医療問題”にメスを入れる! すでに全米の医療関連会社では、マイケル・ムーアの突撃取材対応マニュアルを作成したところもあるほど。本作も全世界騒然の必見ドキュメンタリーとなること間違いなし!」

待ってたぜ!マイケル! 君の映画はただの一度も見逃せないよ(byサリエリ)
次。
バフマン=ゴバディが映画撮ってる!
Half Moon

内容
「『亀も空を飛ぶ』(04)に続くゴバディの最新作。イラクでコンサートを開くために国境を越えようとする老クルド人ミュージシャンの旅を通し、フセイン政権崩壊後のクルド人の現状をパワフルな映像と民俗色豊かな音楽とで描く。」

『亀も空を飛ぶ』は2005年に公開された中で、最高の映画だった。キネマ旬報が『ミリオンダラーなんちゃら』の下に置いたとしても!
次。
『チャドルと生きる』のジャファル=パナヒ監督の新作
オフサイド

内容
「イランではサッカーは国民的スポーツと言っていいほど人気があるが、女性がスタジアムで試合を観戦することは原則的に禁じられている。そんな中、イランのワールドカップ出場がかかったアジア予選の大事な試合に、男装して潜り込もうとする少女達がいた...。」

こういうお話を撮らせたら、イラン映画最高なんだよね。チョー期待。
次。そうだ忘れていた。
佐藤真がカメラをもってサイードを追っかけたという噂の
エドワード・サイード OUT OF PLACE

内容
荒れ狂う濁流のような歴史に呑まれたパレスチナの土地と人々の暮らし。周辺のアラブの国々で難民として暮らすパレスチナの人々。他方、ディアスポラとして長年迫害の歴史を生きてきたユダヤ人達。世界中からイスラエルに帰還してきたそのユダヤ人達が抱える、被害と加害の混在する深い矛盾。
エドワード・サイードの遺志と記憶をめぐる旅は、イスラエル・アラブ双方の知識人たちの証言を道標に、サイードが求め続けた和解と共生の地平を探る。」



すげえ映画が来るね。絶対に忘れちゃ駄目だね。
他には、
恋人たちの失われた革命
とかおもしろそう。
弟のその他のおすすめは、イスラエル映画
フォーギブネス
スペイン映画の
あなたになら言える秘密のこと
だそうです。
日本で公開されるのかな。
そうそう。
コンスタンチン=コスタ=ガブラスがドナルド=E=ウエストレイクのサスペンス小説『斧』を映画化しているという話を聞いたんだけれど、あれどうなったんだろ?

いろいろ映画情報をネットであさって知ったのだが、手塚治虫センセの『どろろ』が実写映画になっているそうだ。
映画ファンとしても漫画ファンとしても胸を痛める私だが、

『ゲゲゲの鬼太郎』も実写映画になってる!

『蟲師』、『吉祥天女』、『鉄コン筋クリート』、『エコエコアザラク』!

いや、確かに、『ロッキー・ザ・ファイナル』だって、たいがいだけどな。
(^_^;)
あと、もういっこだけ言わせて。
ハリウッドが、SF作家フィリップ=K=ディックの
スキャナー・ダークリー

を映画化したらしいんだけれど、正直、かんべんしてほしいよ。
ハリウッドに愛のなんたるかなんて、語れるとは思わない。
ちゅうか、『暗闇のスキャナー』をドラッグ小説としか読んでないような気がぷんぷんするんだよ。
なんせ、ディックの原作で

『トータルリコール』

みたいなマッチョで好戦的な映画を平気で作るから、ハリウッドは。
もちろん、『ブレードランナー』のような傑作もあるから、決めつけはできないけど。
……無理だろ?
チラシ手に入れてきたんだけれど、

「カルト作家フィリップ=K=ディックが自分の体験をふまえて書きつづったアンチ・ドラッグSFの傑作が、最新技術を駆使して、ついに完全映画化!」

って、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を

「テンカン持ち作家ドストエフスキーが体験をふまえて書きつづった、野放図・頭カチコチ・にぶちん三兄弟の日常を、最新技術を駆使して、ついに完全映画化!」

て言うようなもんだろ?

なにがアンチドラッグSFじゃ、P=K=ディックをばかにするナ!



ノルシュテインさんの大アウト宣言(2007.1.22)

NHKで放送されたユーリ=ノルシュテインさんの特集番組をビデオテープに録画していたお友だちがいて、いつ放送された番組なのか、私はテレビを観ない人間なので気がつかなかったのだけれども、おねだりしてそのビデオテープをお借りして、観た。
ユーリ=ノルシュテインさんはロシアのアニメーション作家で、世界中のアニメーション作家たちから神のように尊敬されている生きた伝説で、偉大なロシア文学の継承者でで、本物の芸術家である。
くわしくは、「ユーリ=ノルシュテインの仕事」というサイトを見つけたので、こちらをどうぞ。
ユーリ=ノルシュテインさんはゴーゴリ原作の『外套』というこれまた伝説の大作を製作中で、その製作費用を捻出するために、たびたび日本をおとずれ、若いアニメーターたちを対象に
「ユーリ=ノルシュテイン・ワークショップ」という教室を開いている。番組はその模様を中心に、高畑勲さんやイッセー尾形さんとの対談などをまじえて、ノルシュテインさんのアニメ作りの真髄にせまる---なんてわけには簡単にはいかないが、少なくともノルシュテインさん本人の口からさまざまなことが聞けるという内容になっている。

こういうとき、日本に生まれてトクだなあと痛感するよね!

繰り返すけれど、ノルシュテインさんは、ドストエフスキーやトルストイやチェーホフやゴーゴリといった偉大なロシア文学者の継承者で、それは、文学がひとの心を“本当に変革”するのだと---情緒とは娯楽に対する生理的反応ではなく自発的“行為”なのだと---信じるロシアのひとびとが生んだ地域的奇跡だと思う。
個人的には、高畑勲氏と対談しているときのノルシュテインさんの眼の輝きというか、興奮した態度がとくに印象に残った。このような対談をまとめて、書籍化すればいいのに、と私は思う。
番組では、日本の若者が制作した短編アニメをつぶさにながめて、あきれ返ってゆくノルシュテインさんの姿もある。
ノルシュテインさんはアニメーション作家を志す日本の若者を急遽呼び集めて、ひとこと

「勉強が足らん。決定的に足らん」

と言う。
うわ〜、耳が痛て〜。
(^_^;)

いまやっている、ピカソの展覧会、観たひとはいますか?

ノルシュテインはたずねる。見ました、と手を挙げたのは、一名きり。

チャップリンの『街の灯』を観ましたか? あれは私も何十回と観て勉強しましたが。

日本の若いアニメーターの卵たちは互いの顔を見合わせておずおずするばかり。
じゃあ、『タイタニック』は観ましたか?
これは観ました、とばかりに、いっせいに手が挙がる。全員だ。
わかりました、とノルシュテインさんは言う。

こんな映画ばかり観ていたら、あなたたちもみんな海底深く沈むことになりますよ。

ぎゃふん!!!

思いっきり笑ったけれど、本当は笑えないんだよなあ、ワシも。
(^_^;)
ピカソ展、行ってないもん。
とにもかくにも、ノルシュテインさんの人生はすべてアニメ制作に捧げられていて、そうしたサクリファイスというか献身が地球を一周して、だんだん

ノルシュテインさんがアニメーションにサクリファイスなのか、アニメーションがノルシュテインさんにサクリファイスなのか、もうわかんなくなってくる。



「一体全体、私たちの内部で、考えているものは、何なのだろう? 私たちの中の何が行為をするのだろう? 実に不思議な話だ! 私は音楽を聴いていると---例え、自分で指揮しているときでも---自分が抱いている疑問に対し〔音楽から〕完全にはっきりとし返答が聴こえてくる---私には何もかもはっきりわかり、確信がつく。というより、もともと問題などなかったのだとすっかり納得がゆくのだ」
マーラーが弟子のワルターに送った手紙。

ちなみに、ロシアのお家でのノルシュテインさんは、零下13度の寒空の中で、真っ裸になって

寒中水泳します。

ぎゃー!
人間じゃねえっての!


--☆---


テレビ画面ごしにノルシュテインさんからしこたま怒られたので、あわてていい映画を観ることにした。

セザール賞 最優秀初監督賞
山形国際ドキュメンタリー映画祭 審査員特別賞
ヨーロピアン・フィルム・アワード ベストドキュメンタリー賞
ヴェネツィア国際映画祭 ヨーロッパ・シネマ・レーベル賞
アンジェ映画祭 グランプリ
パリ環境映画祭 グランプリ
べルフォール国際映画祭 観客賞
メキシコシティ現代映画祭 ベストドキュメンタリー賞
フライボルグ国際映画祭 ドキュメンタリー賞
シカゴ国際ドキュメンタリー映画祭 グランプリ
コペンハーゲン国際ドキュメンタリー映画祭 グランプリ
などなどの賞を取った

『ダーウィンの悪夢』
だ。


*タンザニア、ケニア、ウガンダの3カ国に囲まれた、アフリカ最大の湖、ヴィクトリア湖。この湖には、研究者たちから「ダーウィンのはこぶね」とよばれるほど多様なお魚さんたちが生息していた。そこに住むひとびとは、さまざまな在来魚やカニやエビを食って細々と暮らしていた。
*あるとき、イギリス人たちが漁獲量を上げるために

ナイルパーチという肉食魚を35匹放流した。

*ナイルパーチはヴィクトリア胡周辺に経済革命を起こした。先進国からの国際援助により魚肉加工場が建設せれ、一大魚産業が形成され、それ以外の産業は廃止された。
漁師も漁船も増えた。
ちなみに、私たちがスーパーで購入する白身魚のみそ漬けや西京漬けがナイルパーチである。
*ナイルパーチが在来魚を食い尽くした。
絶滅寸前の在来魚ふくめて、湖で捕れる一日500トンのお魚はすべてEUや日本企業が独占すべき所有財産で、タンザニアに深刻な飢饉が起こった。
湖のお魚はもはや公共の財産ではなく、漁師だろうが加工工場に働いていようが、いっさい口にはできない。

わずかな魚の身を奪い合い、ときには殺し合う子どもたちの姿を映画は記録する。

アフリカの人々の公共の財産であるはずの自然資源がわしら

先進諸国の国際援助によって乱開発され

お魚の輸出によって稼いだ外貨は「自然淘汰の原理」に打ち勝った勝ち組が懐に納める。
経済学者が市場の現場に無理矢理持ち込んだ「市場ダーウィン主義」、幸福な「フリーマーケットの夢」、健全なる国際経済の指針たるグローバライゼーションがそろって

大アウト

の宣告を受けつつ、アフリカの経済と生態系を破壊していく現実をわかりやすく教えてくれるすんごい映画。
ちなみに、「市場ダーウィン主義」というのは私が勝手に言ってるんだけど、ダーウィンの適者生存の理論をわざと曲解してみせた一部のひとたちが、仕事がなくて困っている人や病気になって困っているひとたちの財産をはぎ取るときに使う

「狼は生きろ、豚は死ね。は自然の掟だからね」

という言いわけをさす。
ダーウィンの進化論とは、そもそも、
「生命どもは生き延びるために一生懸命、環境に順応しようとしたし、生き延びるために一生懸命、環境を作り替えようとしてきたんだよ〜」
と言っているのであって、

「狼は生きろ、豚は死ねなんて言ってない」

豚さんが死に絶えたら狼さんも食べるものがなくて死んじゃうので、正しくは、

「狼は豚に生かされている」

だ。
監督のフーベルト=ザウパーさんは言う。


「アフリカとヨーロッパの歴史は、分断攻略の歴史です。アフリカは大きく分けて3つの方法で分断され、支配されてきました。1つ目は奴隷貿易。2つ目は植民地化。3つ目がもっとも致命的である、グローバライゼーションです。」


未来への希望などなく、飢えて、わずかな食料のために殺し合う子どもたち。美しく愛国的な日本やまと民族は、この映像を見ても
「無教養で劣等なアフリカン」
と言うのでありましょうか。
民族主義は盲目的なのがとりえで、しかし、映画の良し悪しがわからないというのが致命的なんだな。
(^_^;)
さて、まだまだ勉強せねばな。
いま、弟に「良い映画」をリストアップしてもらっております。
こうご期待(ワシが期待してるんだけど)。




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