*『真の栄誉を隠し持つ人間』の見えないメダル*(2006.2.25)
『サラエヴォ・フットボール・プロジェクト』
という活動があることを知った。
Jリーグチーム、ジェフ市原・千葉のイビツァ=オシム監督も協力をしている活動なのだそうだ。
ウエブサイトをのぞいてみる。
「Sarajevo Football Projectはかつて民族紛争が繰り広げられたサラエボで、多民族少年サッカーチームの運営を通して民族対話の機会を提供する試みです。
2000年4月にセルビア人、ムスリム人、そして日本人のスタッフで立ち上げた「F.K.Krilo」というサッカーチームで、異なる民族の子どもたちがともに練習をすることにより過去にとらわれない新たなきづなを生み出す機会の提供を行っています。」
民族紛争のあったサラエボで、民族混成の少年サッカーチームを作る。
ひとことで言うと、そういう活動だ。
目的は、民族融和のユーゴスラビア主義の理想の再建、ということになるのだろう。
サッカーを通して子どもたちが体験するのは、競争ではなく、協力。
自分と他者との違いを受け止めつつ、子どもたちは周囲の大人の力を借りて、サッカーチームをクリエイトする。他民族で構成されたチームは、サッカーという球技のルールの枠内で、もっとも小さな共同体として機能する。個人の持つ技能、性格、身体的特徴(背が高くてヘディングがウマイとか足が速いとか)、などの要素を共同体の中にうまくとりこみつつ、チームとして建設的に、効率的に機能させるためのさまざまなチャレンジを、子どもたちは行う。
「人生も同じではありませんか?」
と、オシム監督なら言うだろうか?
激しい内戦のあと、民族間に横たわる憎悪と悲しみを、
それでも乗り越えて行こうという途方もない勇気。
過去の過ちを曖昧に流すこと(←例・日本の侵略戦争に関するうやむやさを土台にしたご都合解釈)は許されないけれど、それはそれとして、血を吸った焼けた大地にもういちど家を建てようという不屈のド根性!
彼らこそ、ジットの言う
「真の栄誉を隠し持つ人間」
だと思う。
……。
☆───。
TONOSAKIさんのサイト
『N.TONOSAKI'S
Personal Station』
の人気コラム
「がんばれ!!ゲイツ君」
の最新号で知ったのでありますが、
楽天のカードって無職でも作れるンだってね。
(^_^;) ありがたいのか、どうなのか……。
「ある人が職業欄に、ゴルゴ13よろしく「スナイパー」と書いた所、それでも見事に審査に通ってカードが発行されたとのことです。この調子だと今度から楽天は「ゴルゴ13にも発行します。スナイパー御用達楽天カード」なんて広告でも出したら世界から応募が殺到するかもしれませんよ」
ですって。
(^_^;) 規制緩和の極北だあ……。
ちなみに「日本ではマイクロソフトがラグビーのスポンサー」になっているというのも初めて知った。
へー。
こうなりゃあれだ、ラグビーの舞子呂ソフトに対抗して、林檎社Japanはサッカー、
ジェフユナイテッド市原・千葉のスポンサー
になればどう?
(^_^;)
クマみたいなオシム監督がipodのイヤホンつけて、選手たちと一緒に手足バタバタさせてスウイングするCM作るのさ。
ヘ(ーーヘ)(ノーー)ノヘ(ーーヘ)(ノーー)ノ
↑イヤイヤ踊るオシム監督の顔文字。
まー、今の林檎は、“思いやり”と“革命”の旗印だった20年前とは別もんだし、単なるざれ言デシタ。はい。
*映画『ホテル・ルワンダ』観てきました*(2006.2.22)
どうも体調が優れないのを理由に、
映画『ホテル・ルワンダ』観てまいりました。
(;^_^ A
映画のジャンルで言うと、内戦もの、となるのだろうか。
大阪では公開予定がなかったものの(もともと日本公開の予定もなかった)、多数の映画ファンたちの署名活動などによって、何とか公開されるやいなや、大ヒット作となっている映画である。
むかしむかし、当時のルワンダを植民地として統治していたベルギーが、ルワンダ国民を分裂させようとたくらんだ。
ルワンダ国民が力を合わせてベルギー政府と闘ったならば、これは驚異だ。ルワンダ国民が一致団結せず、互いを憎みあい、傷つけあうように仕向けなくてはならない、と、当時のベルギー政府は考えた。
じゃあ、どうやって憎みあってもらおうか? 彼らが憎みあう理由などない。だったら、理由を作っちゃおう。
ベルギー政府は、むりやり、多数派のフツ族と少数派のツチ族というふたつの民族をでっち上げた。
でっち上げたうえで、かたほうの少数派のツチ族を徹底的に優遇した。階級格差を作ったのである。
勝ち組、負け組というアレですな。
もともと存在しえないはずのルワンダ内部の民族間の憎悪はふくれあがり、いがみ合いがおき、統治者であるベルギー政府は徹底的にそれを利用した。
旧ユーゴスラビアでの民族紛争と同じアレですな。
1962年にルワンダは独立するも、民族間の対立は残った。ベルギー政府ではない別の誰かが、その対立を利用した。
ラジオで、ちょこっと放送したのである。
「数少ないくせに、ツチのやろう、今までデカイ面してやがったよなあ。和平だと? うそこけ! あいつら、心の中ではワシらフツ族をなめくさってんのよ。ツチの言うことを信じるな。気をつけろ。あいつらは、ワシらの寝首をかこうとねらってんゾ」
『デビルマン』で飛鳥了がハルマゲドン放送したのと同じアレですな。
日本でも最近、土着的民族主義を土台とする極端な極右思想がはびこっているわけだが、ルワンダの場合、100日間で100万人虐殺という結果に。
ラジオ放送でこれだから、日本のテレビが今ガンガン垂れ流している
“政府はあっても公共はない広告放送”
の行く末はいかなるものになりますやら。
良い映画を鑑賞して、イヤミ3倍増しな私。
(^_^;)
最近の映画は、さらっとでも歴史を勉強してから観ないといけない映画が多くて、大変だ。
もちろん、何も前に知識がなくてもじゅうぶん楽しめる映画に仕上がっているけれど、前知識があるのとないのとでは、面白さがぜんぜん違ってくる。
この場合の面白さとは、わははは、ああ楽しい、という面白さのことではなくて、噛みごたえ、映画鑑賞の手ごたえの重さ、という意味ね。
理解しておかなければならないのは、世界のどこかで紛争があって、その紛争を食い止めるために、米軍やNATO軍が出動するという図式のうさんくささについて、だ。
ノーム=チョムスキーの新刊『チョムスキー、民意と人権を語る』では、ルワンダと東コンゴについて語られている。
「すさまじいのは東コンゴです。ここ数年だけで4〜500万人が殺され、いまもひと月に3000人以上が殺されているとも伝えられているのですが、
素早く手を打とうとは誰一人として言い出しません」
東コンゴでは、イラクみたいに石油が掘れんからな。
(^_^;)
同著では、コソボをはじめとする旧ユーゴスラビアの紛争についても言及があって、オシム監督ファンにもお奨めの本だ。
ミロシェビッチがコソボでの虐殺に関与していない証拠があるということは、私は初めて知った。ミロシェビッチはむしろ、コソボでの虐殺の報告に、激しく動揺したという。
これも、初めて聞いた。
実に不勉強で、申し訳ないことでっす。
もちろん、ミロシェビッチが悪党であることには間違いはないけれども、だからといって、なんでもかんでも彼におっかぶせて、うやむやにしてよいというわけではないのだ。
実は、旧ユーゴスラビアでの民族間の互いの虐殺行為は、NATO軍、そして米軍の“作戦”だったことが、
NATO最高司令官の口から回顧録として語られている。
マジかよ、おい。
どの場所でも、いつの時代も、ワシらは殺し合いをするように仕向けられているのな。
痛みに耐えてツチ族フツ族。
「〈人道上の使命〉とは単なる口実にすぎず、裏があることが多いのです。そこまで目を光らせなければいけません」
とチョムスキーはおっしゃっている。
映画を観終ると、ヨドバシカメラによってDVDを購入。
ダニス=ダノヴィッチ監督の『ノーマンズ・ランド』
この監督さんは、オムニバズ映画作品『9/11』で見つけて、その映像感覚にほれ込んでおったのだわ。
題材はボスニアとセルビアの紛争。
内容については、私はあれこれ言うまい。
観ていただきたい。
ただ、見逃してはならないのは、いわゆる国連平和維持軍とマスメディアへの強烈な批判。きっちり観ていないと、メッセージを聞き取り逃すので、この点だけは強調して、あとは観てのお楽しみ。
親友どうし、家族、仕事仲間、恋人同士が、とつぜん民族の壁に隔てられ、虐殺が繰り広げられる。
ひとびとが憎みあい、殺し合い、悲しみ、苦しむ。それを、
メディアが徹底的に消費する。
ありとあらゆる人間的価値を貨幣の排泄物と規定する生き方に対する、強烈な批判。
そのつもりで、観てみてくだされい。
*BSEもフグと同じで問題ナッシングだとさ*(2006.2.21)
どうも体調が優れないと思ってたら、どうやら風邪をひいたらしい。
頭痛、発熱、ぼんやり、ぐうたらという症状で、まさか
牛海綿状脳症じゃないだろか
と不安になる。
(;^_^ A
アメリカからの牛肉の輸入を再開したとたんに、BSE危険部位がたんまりこんと出てきたという事件があったし、それどころか、牛の内臓は肉じゃないということで、アメリカ産のものだけチェックを緩めていたという衝撃的なニュースが、新聞の片隅に小さく報道されておりましたからな。
さらに、しかも、さらに、しかもだ。
日本が輸入した牛肉にBSE危険部位がたんまりこんと出てきた事実について、アメリカの解答が素晴らしい。
「問題なっしんぐ」
……。
すでにBSEで脳やられとんのとちゃうか?
( ̄_ ̄|||)
確か、真右衛門センセの漫画で、
「日本人はフグ食うんだから、BSE牛肉も気にせず食え」
と主張するアメリカ人が出てくる4コマがあったけれど、こりゃもう、現実が漫画を超えた瞬間だ。
といういきさつで、BSEの恐怖におびえながらも、病院に行って風邪薬飲んで、これも平和のありがたさ。
イラクでは、風邪薬どころの話じゃないだろう。
メディアが締めだされているはずのイラクだが、このほど、決死隊撮影の極秘テープが国外に持ち出された。
米軍による、子どもリンチ事件。
「やめてくだしゃい」
「助けてくだしゃい」
と泣き叫ぶ子どもたちを棍棒で殴る、蹴る、踏んづけるetc.etc。
ブッシュさんやコイズミさんの無限の正義作戦は、
実にご立派。
こんな連中に投票するワシらは、もっとご立派。
確かに連中は犯罪者だけど、それを支持したワシらもやっぱ……いや、やめとこう。
熱が高くなってきたぜ。
*ちょっと映画上映情報だけ*(2006.2.19)
仕事が人一倍遅いうえに体調が悪くて、わさわさする日々。
いま梅田ではいい映画やってるんだけどな。
ダルデンヌ兄弟の『ある子供』
有志の署名活動により公開決定といういきさつながら、フタを開けてみれば大ヒット中の『ホテル・ルワンダ』
まだ観てないひと、レッツゴーだ。
東京在住のお歴々にはこれもおすすめだ。
『白バラの祈り〜ゾフィー=ショル、最後の日々』
ドイツ映画ね。
東京・シャンテシネというところで上映中。
なに、ゾフィー=ショルを知らないだと?
かく言う私もよう知らないんだけど。
(;^_^ A
『ヒトラー最後の12日間』
のラストで、ヒトラーの秘書のユンゲ女史が自分の罪に気づくくだりがあるじゃろ? おばあちゃんのユンゲさんがとつとつと過去を振り返るシーンな。そこで語られてるのが、ゾフィー=ショルだっぴ。
1943年。ゾフィー=ショルさんという若い女の子がな、自分の良心にしたがうまま、ナチズムに毅然とノーを言ったのよ。
はだしのゲンのお父さんみたいなひとだったわけだ。
いや、むしろ、
小林多喜二ドイッチェランド版か。
実在したひとだしな。
ちなみに、『ヒトラー最後の12日間』は、私はけっこう楽しめた。弟には不評だったけれど。
ベルリンにあるヒトラーの地下指揮所、兼、防空壕「狼の巣」の内側を、ディティールたっぷりに描いていた。
ただ、本当の戦争は、「狼の巣」の外側で行われているのであって、その本当の戦争の部分について、さらりとでもと勉強しておかないと、楽しむのが少し難しい映画かもしれない。
歴史上の人物がいっぱい出でてくるんだけれど。ヒトラーやゲッペルス、ヒムラーは知っていても、モーンケSS少将、ギュンシェSS少佐あたりになると、日本人はフツーに知らなかったりするんじゃないかと。これらの人物の歴史的な役割について、映画の中でくわしい説明もない。
日本人は過去の歴史をきっちり検証してないから、いっぷう変わった戦争映画としてしか受け止めるのが難しいし、そもそもこういう映画が成立しないんだろうな。
とはいえ、ゲッペルス夫人が、我が子を次々と毒殺するシーンは、なんとも言えんものがありました。
結局、被害者は子どもだと。
さてさて。
今年はこのあとも、ものすごい映画がめじろ押しだ。
つーか、
『イノセント・ボイス〜12歳の戦場』
はもう上映始まってるんだっけ?
『ジャーヘッド』
は?
『ピア』を買ってこないと、わからないヨ。
(;^-^ゞ
そろそろ、チョムスキーにマイケル=ムーアに坂本龍一プロフェッサーが大絶賛の
『コーポレーション』
も来るしな。
えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ……。
*数のまやかし、数の人格*(2006.2.11)
川崎二郎厚生労働相が、このたび、日本全国つつうらうらの就職件数の統計数字を出した。その統計結果によると、
「少しずつ正規雇用が増え始めた」
のだそうで。
しかし。
実際に昨年の数字と比較してみると、
正規雇用はちっとも増えてない
のだな。
なんだよ。
これ、どういうことかというと、去年1年間のうち、
11月と12月ぶんだけと比較すれば、正規雇用が増えていることになるんだと。
えーと……。
去年の11月と12月ぶんだけを抜き出して統計数字を出しても、意味ないんじゃあ。
(^_^;)
あー、はいはい、わかってるよ。
あからさまなミスリード、
わざとやってんでしょ、わざと。
足したり引いたり切り捨てたり付け足したりして、「正規雇用が増加」している証拠となる数字を見つけ出すことに成功したわが日本国政府。
♪でたでた ツキが〜♪
ああ、それは2005年11月、そして12月!
♪まあるい まあるい まんまるい〜♪
実体の伴わない数字と大本営発表を抱きしめ、日本国民は今日も“かろうじて”幸せ。
私はと言えば、あんまり幸せじゃないな。
私は、清流でしか生きてゆけないサワガニみたいな人間で、そのぶんコイズミ日本大改革の毒のまわりが他人よりも早いのよ。
グ、グルジイ。
私の弟は、
スウェーデン亡命
のために、とうとう語学の勉強をはじめよった。
(^_^;)
「ヨー」
とか、
「しっける?」
とか、ぶつぶつ言ってる、ずっと。
弟が言うには、スウェーデン語の6は
「セックス」
って発音するんだと。
つづりも
「sex」
そのまんま。
……きゃ! エッチな数字。
でも、もともとsexって、ギリシャ語の6から来ているんだって。弟が言うには。
昔、ギリシャでは、数字にはそれぞれ人格があると信じられていたそうな(弟の蘊蓄)。
「2」は女性、「3」は男性。
「2」と「3」をかけあわすと、……ハイ、わかりました。
6!
sex!
ギリシャ人って、おもろいなあ。
('-'*)
でも、私が子どものころも、古代ギリシャ人とおんなじような事を考えていたよ。
私が考えていたのは、こうだ。
・「0」=たまご (;^-^ゞ
・「1」=赤ちゃん (〃・x・〃)
・「2」=小さいお姉ちゃん (o・・o)
・「3」=小さいお兄ちゃん (・3・)
・「4」=成人お姉ちゃん (川~◇~)
・「5」=成人お兄ちゃん (〃'⊥'〃)
・「6」=おっとりお兄ちゃん ( ・_・`)
・「7」=世渡り上手なお兄ちゃん ( ̄
∇+ ̄)
・「8」=お母さん (
川~o~ )
・「9」=お父さん (;´_`)
・「10」=大魔神 U(▼曲▼)
U
DAHAHAHA!。
いや、だって、そう思ったんだもん、今もちょっと思ってんだもん。
(^_^;)
学校で、先生に
「6たす7はいくらですか?」
と出題されても、
「7は世渡り上手なお兄ちゃんだけど、6は気の小さいお兄ちゃんだから、大丈夫かな、ちゃんとやっていけるかな」と、そういうのがやたら気になって。
(;-_-ゞ
実際、気になるっしょ?
1たす0なんて、答えが1で、赤ちゃんと卵しかいやしない!!
算数の計算どころではない、こりゃ大変だ。
夜も眠れないっ。
……。
えーと、なんだ、今日の日記は、数字の話ということで、な。
スウェーデン語は古代ギリシャ語から来ているのかな、という推測などもしてみたりして。
*上手に株式釣り上げ・ステキなマネーゲーム*(2006.2.9)
TONOSAKIさんとこの人気コラムが更新されておりました。
1月31日に。
(;^-^ゞ
いや、更新日に気づいておったんですよ、ちゃんと。
例のホリエモン騒動にも言及されておりました。
「今まで散々小泉改革の申し子だとか言って持ち上げて、若者向けの客寄せパンダにして利用しておきながら、いざ逮捕されると「小泉改革とは関係ありません」とは、またコイズミ君も凄いですね。」
いや、ごもっともっす。
「少なくとも規制緩和とやらで米国の言うとおりに商法改正して株式分割の規制を撤廃なんてしなければ、株式つり上げの目的で分割を繰り返すなんてマネーゲームもできなかったわけですから、そのくらい認識してくれないとこまったちゃんなんですけれどね(:-P。業績上げるより株価上げることに血眼になるような世の中じゃダメでしょどう考えたって。」
ほんとに、ねえ。
(^_^;)
「業績上げるより株価上げることに血眼になるような世の中じゃダメ」だと私も思うわけですが、今日の朝刊を見て、読んで、びっくりだ。
「小中生に株教育」
「(子どもたちに)10万円渡しマネーゲーム」
( ̄_ ̄|||)
ネット専門の証券会社「マネックス証券」が開校したその名も
「株の学校」
の話。
入校したさいに子どもたちが受け取った10万円は、
「投資体験後の結果の損益はお子様に帰属します」
だそうで。
(^_^;)
「自分にお金があったら、どのように使うか、想像力を養ってもらいたい」
と、「マネックス証券」松本社長の小中学生への挨拶。
授業内容は
「上手なお金の殖やし方」などなど。
ぶっはは。
子どもたちよ、投資家にな〜れ!
人間って、どこまでも根性が腐れるのだなあ、というのが正直な感想ですハイ。
つーか、こういうひとたちって、人間って呼べるのかな。
*月刊『清流』にインタビューされました*(2006.2.3)
さておたちあい。
清流出版さんの月刊誌、主婦たちに贈るこころマガジン
『清流』3月号
が発売されております。
で、そこにですね、溝江玲子以下、ワシと弟の三人そろいぶみ
インタビュー記事が掲載されております。
「第一特集・絵本の世界を楽しむ」と題しましてな。
松井直先生やあまんきみこ先生にまじって、見開き2ページでの大登場だそうであります。
だそうです、というのは、あれだ、
ワシは恥ずかしくてよう見んのよ。
(/ω\) うお〜
顔写真が掲載されておるそうです。
たまらんなあ、恥ずかしいなあ。
『清流』は年間予約購読制らしいので、3月号だけ購入とはできないらしいです。
ちょっと残念ね。
清流出版さんのサイトにリンクをばしておきます。
☆--
ジェフユナイテッド市原・千葉の指揮官、オシム監督のマニアとなることを宣言した私。
インタビュー記事目当てに月刊プレイボーイのバックナンバーを入手。
さっそく読んだ。
そして泣いた。
「私は心のどこかでまだ、友愛と共存を信じていたかった。
サッカーとサラエボの両方への思いの中で気持ちは揺れていましたが、他にもう手の打ちようがないと思った時に身を引くことを決意しました。
戦争の始まる数週間前に、サラエボで代表の最後の親善試合を行いました。あの時は満員のスタジアムでサポーターから近年にないものすごく熱い応援をもらった。今までにない平和なムードに驚くほどでした。今、思えば、それは多民族が平和に共存する国家への最後のラブコールだったのではないかと思います。平和を求めるあの時の人々の柔和な表情を私は忘れることができない。」
( iдi )ううううう
痛みに耐えて構造改革とか言っとったら、いつか日本もこうなんねんで(ショックで関西弁まるだし)。何が勝ち組or負け組じゃアホンダラ。
「私は心のどこかでまだ、友愛と共存を信じていたかった。」
「平和を求めるあの時の人々の柔和な表情を私は忘れることができない。」
どー!(←涙が滝となった音)
「それは多民族が平和に共存する国家への最後のラブコールだったのではないかと思います。」
どどどっどー!!
もう二度と元には戻れんのでしょうか?
オシムさんの故郷は、忽然と消え去って……。
ワシらは、人間に期待しすぎなんでしょうか?
友愛と共存のユーゴスラビア……。
ううう、ううう。
これで泣かずにおれようか。
ホンマ、なんちゅうこっちゃ。
破壊するのは一瞬でできるんだよな。
ボカーン。
それをここ日本では『改革』って呼んでるけど。
ああ、悲しい、悲しすぎる。
おおーん、おろろーん、しくしく。
オシム監督はけっこうなお歳だ。
オシム監督が生きているあいだに、ワシラ人間はもちっと立派な生き物だというサマを見せて差し上げなくてはならぬ。
♪ケンカのあと〜は悲しいな、なんだ〜か胸がいた〜くなる♪
成長よりも友愛、競争よりも共存。猛烈な逆風の中ではあるけれど、もいっぺん、チャレンジしてみんとな。
*映画『歓びを歌にのせて』感想*(2006.2.1)
昨年、梅田ガーデンシネマで『亀も空を飛ぶ』を観たあと、アンケートに答えたら、映画のタダ券が2枚送られてきた。
いや違う。
アンケートに答えたのは弟なので、チケットを受け取ったのは弟だ。
弟は極度の兄コンなので、チケットのかたわれは私のところにやってくることになる。
弟のものは私のもの、私のものは私のもの。
(;^_^ A
梅田ガーデンシネマで今上映中の映画は何かと調べるとケイ=ポラック監督の『歓びを歌にのせて』だった。
もう少し待てば、ダルデンヌ兄弟の『ある子供』が上映ということだったが、ま、いいや。
『歓びを歌にのせて』は、スウェーデン史上三番目の観客動員を記録した映画だそうだ。
ちなみに、第一位はルーカス=ムーディソンの『エヴァとステファンとすてきな家族』だ。あれは人類の宝とすべき傑作だった。2位はおそらく『ショー・ミー・ラブ』だろう。これも見事な青春映画だった。
じゃあ、
スウェーデン観客動員数3番目のこの映画もゴッツ面白いかもしれんじゃないか。
というような軽い気持ちで観てまいりました。
結論から言うと、じゅうぶんに楽しめる映画だった。
とくに聖歌隊のコーラスの場面は、有無を言わさぬ説得力と感動を覚えた。
日常を蒸留しきってしまう力を音楽にたくして、生きてここにあることを全面的に肯定する、そんな説得力だ。
これはもう、素直に感動した。
ただ、それとは別に、映画を何の前知識もなく観ての最初の感想は、『歓びを歌にのせて』というタイトルはちょっと違うのではないかという小さな違和感を感じたのも事実だ。この映画のタイトルは、『愛の技術』または『愛することの正しい方法』とでもするほうが、より適切ではないかと思った(映画のタイトルとしてはちょっと固いけど)。
孤独な天才指揮者ダニエルは、舞台の上で心臓の発作を起こし、倒れる。強いプレッシャーに耐えられなくなった彼は、小さい頃に住んでいたスウェーデンの田舎に戻って、教会のシロウト聖歌隊を指導することになる……と、以上が、もっとも簡単な物語のあらすじだ。
北欧の田舎町に暮らす誰もが問題を抱えている。妻に暴力を振るう夫、男に遊ばれて捨てられた女、いかず後家のさびしい嫉妬心、牧師の猜疑心。
彼らの目的は、愛されることだ。
妻から愛されようとして、妻を殴る。信者から尊敬を得ようとして、他者をおとしめる。もちろん、妻を殴っても、愛されたいという目的を達成することはできない。姑息な手段で他者をおとしめることによって、牧師は町のひとびとの尊敬を失う。
世間でよく見る光景だね。
(^_^;)
手段を間違えれば、結果は惨憺たるもので、映画の中で実に直接的に描かれる。
おそらくこの物語は、愛情表現における教育映画なのだ、と、私は理解した。
天才指揮者ダニエルに指導される素人聖歌隊のメンバーは、小さな田舎町の住人たちだ。
「成人指定」ということだったけれど、むしろ、中高生に観ていただくべき映画ではなかろうか。
幼少時代のダニエルの夢は、
「音楽によってひとびとの心を開きたい」
というものだった。
そして、彼は、最終的に彼の夢をかなえる。そしてそれは、彼が周囲の人々に与えたおくりものであった。彼の音楽的才能、技術、知識、情熱のすべてを、彼は聖歌隊のメンバーに注ぎこんだ。
適切な指導を受けた聖歌隊のメンバーのレベルは格段に上がってゆく。歌う能力は人生に向かってYESと言う言葉を得ること、喜ぶ能力を得ることと同義だと、少なくともこの映画ではなっているから、彼らは歌うことに夢中になる。
「音楽によってひとびとの心を開きたい」というダニエルの望みは、必然として聖歌隊全体の存在意義と入れ替わり、聖歌隊内部、やがてはその外側へと向けて、強烈で敏速な変化をもたらしていく。
「愛を教育する」のがこの映画の目的なら、この変化こそが、愛の方法なのだろう。
ダニエルが受け取るもの。それは、ダニエルが与えたもの。
映画のラストは、ダニエルが周囲に与えたものだけが残り、他は跡かなもなく消え去ってゆく。他にはどうにもなりようもなく、しかし、彼の人生は彼が与えたものによって全面的に肯定されて、エンドロールが流れる。
*理念*(2006.1.31)
木村元彦氏の著作『オシムの言葉』を読んで、オシムファンからオシムマニアへと深化をめざすことになった私。
Googleを使って、色々な情報を集めてこそのマニアである(とうとう私も検索サイトを活用できるようになった!)。
収拾した情報はと申しますと。
イヴィツァ=オシム Ivica Osim
本名・イヴァン=オシム Ivan Osim
生年月日・1941年5月6日
年齢・64歳
出身地・ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(旧ユーゴスラヴィア)
……これくらいじゃあマニアとは呼べませんな。
(;^_^ A
そうしたマニアとしての地道な活動の中、こちらのブログを見つけた。
長束恭行さんが運営する『クロアチア・サッカーニュース』
http://nogomet.cocolog-nifty.com/hrvgo/
「クロアチアのザグレブに在住する長束恭行さんが、撮影した写真と共にクロアチアのサッカー情報を紹介」しているなかから、オシム監督の記事を見つけて楽しんだ。
実に暇人。
(;^-^ゞ
「ジェフ・ユナイテッドは遠く、私は故郷を恋しく思う、ヴァルダルからトリグラフまで」
ヴァルダルというのは、マケドニアのヴァルダル川のことで、トリグラフはスロヴェニアのトリグラフ山のことだそうだ。
オシム監督の恋しく思う故郷が、分裂前のユーゴスラビアを指しているのは明白だ。
理念によって形作られた国。
今は無きユーゴスラビア。
理念によって国家が成立している、という意味においては、アメリカ合衆国と非常に似通った国だったのかもしれない。
能率や効率といったものからほど遠く、さまざまな問題を内部に抱えつつ、むしろ、さまざまな問題を抱えている非効率な地域環境をこそ、健全さのバロメーターととらえるような、そんな社会システム。
より良い結果とは、競争ではなく共同によって生みだされるのだ、と、とりあえず彼らは信じた。信じた、というかぎりは、それは信仰だった。理想は絵に描いた餅ではないけれども、どこまで現実が理想に近づいたかは、掲げた理想とはまた別の話だ。
現実についての話は、私には語る能力も気力もない。
ともかく。
ユーゴスラビア国民は、ある理念をこれこそが社会正義と位置づけ、運用し、実験し、道の半ばでその理念を捨て去った。
理念が消えて、オシム監督の故郷も消え去った。
ヴァルダル川、トリグラフ山、しかしそこには、星の王子様の言う
目に見えないけれどもっとも大切なもの
がきれいさっぱり失われたのではないか。
……とまあ、オシム監督の心の中を、さもわかったように書く資格は私にはない。
オシム監督の言葉の意味は、こういうことなのではないか、という私の推測、憶測を書いた。
私は、ジェフユナイテッドの好成績……出来れば優勝を……願っております。
*『あなたにとどけるものがたり』絶賛発売中*(2006.1.28)
広告。
我が社発行の新刊『あなたにとどけるものがたり』が売れ行き好調でございます。
児童文学のアンソロジーでございます。
ご興味のある方は、こちらから、どぞ。
☆--
インテル入ってるMacが販売されたね。
cpuがpowerPCから切り替わったために、ノートパソコンはpowerbookからMacbookという名前に。
名前がださいのはまあ我慢するとして、
『MacFan』の高見沢俊彦氏連載
『高見沢俊彦のpowerbook主義』はどうなるんだろう、どうなるんでしょうね。
……そして。
やはりというか、やはりというか、やはりというかっ!
旧MacOS環境のサポートは完全切り捨てとなった。
悲劇だっ!!!!!
あの美しい革命精神も、本当の本当にジ・エンド。
ウインドウズ3.1のぱちもんのような、見かけはとびきりの美女だが根性が腐れきった奥さんのような、起動するたびに仕事はイヤイヤやらかすものだと説教されるような、そんなOSが残った。
あー、やだやだ、夢も希望もありゃしない。
暗い、暗い、真っ暗だぜ。
我々の作り上げた社会システムの内部では、ありとあらゆる人間的価値は貨幣のウンコでしかありようがないのだから、Macintosh開発プロジェクトのあの革命も、あの愛も、思いやりも、徹底的に消費されて皮だけの存在となった。
Macという名前を衣服のように着飾る、反逆精神の亡霊が、すべてをウンコに変えてゆく。
腐ったミカンの方程式(後編)、
このバカチンが!(金パチ先生のお説教炸裂)。
Macがひとびとに問うた、新しい社会像とは、なんだったんだあ!
「笑い、遊び、人間が人間を所有しない世界」
これだっぴ。
過激すぎるっぴ。
「その場限りのノリ、成功と勝利、見かけ、大量生産を支えるための大量消費」
黒い魔ソフトとその仲間たちに、林檎ちゃんのお名前も。
まあるい地球から、またひとつ美が消えて、やっぱりウンコだけが残るんだなあ。
日本の国土、貨幣経済システムの摂理。
*エモンのグラデーション*(2006.1.25)
なんとかエモンの逮捕は海外でもニュースになっている模様。
フランスのリベラシオン新聞は、こう申しております。
「日本の大企業経営者や政治家はヤクザを放置しているのに、堀江氏の米国風で無礼な日和見主義は拒絶した」
ぶははう!
まあ、そうだよなあ。
日本のやくざって、町中でマフィアが
【チーム☆アル=カポネ】
てな看板を、どうどうとかがげているようなもんだもんな。
日本を食い散らす権利を失って、なんとかエモンは一挙に転落。
「国破れて山河あり」と昔の人は言ったけれど、コイズミ日本大改革で、山は削られ海は埋め立てられ、空気も水も汚染されて、ついでにエモンも放逐されて、
国食い散らされて企業アリ
(^_^;)
日本経済再編成で、貧富の格差は大きく広がり、その格差のグラデーションをさまざまなエモンが埋め尽くす。
エモン・ファンタジーの時代だ。
なんとかエモン
↓
キラワレモン
↓
クワセモン
↓
トラワレモン
↓
ゼンカモン
↓
モライモン
↓
ヒロイモン
↓
ムイチモン
(^_^;)
エモンたちの阿鼻叫喚。
上は勝ち組から下は負け組まで、エモン式階級制度が人間の順位を決めてゆく。
さあ、マスメディアが新しい音楽を奏でだす。
♪踊れ、踊れ!
猿になってゴーゴー♪(byオーケン)
ここで、クイズです。
なんとかエモンの独占手記を出版するのは、どこの出版社でしょうか?
(´▽`;)
すべては茶番だちゅうことですよ。
いまの日本では、すべての人間的価値は貨幣の排泄物でしかない。
フィリップ=K=ディックのSF小説『ユービック』の世界そのまんま。
ありとあらゆることが--歓びも悲しみも犯罪も創造も恋愛も友情も--社会の空気に触れて、あっというまに貨幣のひりだしたウンコ!!
♪ダンスは
うまく踊れない〜♪
*カモがネギしょって自己責任*(2006.1.24)
テレビ新聞が連日ライブドアの粉飾決算疑惑で騒いでいると思ったら、例のなんとかエモンが逮捕されたという。
「株式転がし」と、そこから調達した資金で買収をくりかえすだけの、いわば実体というものがまったく伴っていないライブドアは、遅かれ早かれいずれこうなる運命だったわけで、私には、驚きもなければ関心もない。
急転直下、とは言えるのだろうけれど、実体経済がないのだから、落ちるときはまさしく垂直に落ちるしかないわけで。
ニュートンの法則だな(笑)。
結局、泡にまみれた成功をむさぼっていても、そこから真っ逆さまに落っこちても、
道化は道化。
そういうことではないでしょうか。
(^_^;)
「敏腕」「経済再編成」「天才経営者」といったイメージをメディアが作り上げ、ひとびとはネット証券に群がり、そしてすべては、紙切れひとつ残さず消えうせる。
お決まりのラストシーン。
勝ち組モデルのラストはいつも茶番だ。
イメージを作ったメディアは責任をとらないし、責任があるとも思っていないだろう。
カモがネギしょって今日も行く。
ライブドア「崩壊」と逮捕、という新しいニュースで、今日の私たちは別のダンスを踊る。
私たちが手に入れるものはたったひとつ、自己責任だけだ。
*今歌おう、君たちを*(2006.1.21)
先日の日記で御紹介した、木村元彦さんの著作、
『悪者見参』
から、引用のし忘れがあったので、今日しるす。
NATOのセルビア空爆のさなか、ベオグラードの市民たちが、空襲の合間に広場に集まって、歌ったという、歌がある。
サッカーチームの応援歌だ。
応援するのは、ユーゴスラビア代表チームだ。
セルビア人も、アルバニア人も、クロアチア人も、誰もがわれらがユーゴスラビア代表チームの一員だった。
「♪さあ
今日がその日だ
太陽が彼らを照らしている
今日はズベズダもパルチザンも試合がない
おれたちを分け隔てる赤のシャツ(ズベズダ)と白黒のシャツ(パルチザン)、
そんなものはどうだっていい
♪今日は、青(代表のチームカラー)のために応援するんだ
……その名はユーゴスラビア、ユーゴスラビア!
さあ、ピクシー、デヤン、クラーリ、ミヤト!
おれたちのために踊って欲しい
おれたちは全員君らの味方だ
ユーゴスラビアよ
今歌おう、君たちを♪」
(翻訳・唐沢晃一)
思想、信条、文化や民族の違いをのり越えて。
代表チームがひとつであるかぎり、おれたちは全員君らの味方、と、劣化ウラン弾の破片が散らばる広場で彼らは歌う。
ピッチの魔法使いストイコビッチ、悪魔の左足サビチェビッチ、ゴールキーパーのクラーリ、世界最高のストライカー・ミヤトビッチ、
おれたちのために踊って欲しい。
……でも、そんな日はもう二度とやって来ない。もう二度と。
クロアチアの過激な民族主義者たちが、セルビア共和国の極右が、マケドニアで暗躍するテロ集団が、それぞれの地域に在住する別の民族に対して、「民族浄化」を行う。
大クロアチア主義、大セルビア主義、大アルバニア主義。
ハイル、ヒトラー!!
火をつけたのは、NATOの空爆だった。
親友のアルバニア人が、妻のモンテネグロ人が、恩師のセルビア人が、今日からは憎むべき敵になる。
それぞれの地域の極右団体が、マスメディアを使って民族間の憎悪を極限までに高める。それをまた米英が利用する。
利用される者たちが、互いを憎み合うように仕向けられる。本当の敵が誰なのか、ひとびとが気づかないように。
「おれたちを分け隔てる、赤のシャツと白黒のシャツ、そんなものはどうだっていい」
ユーゴ人は、今どこにも存在しない。世界のどこにも。
一瞬でかき消えたのだ。ユーゴ人が存在しないのだから、代表チームも存在しない。跡形もなく消え去って、歌だけが残った。
1999年、最後の代表の試合前と後には、ゴラン=ヴィチ作曲の『メセチナ』が流れたそうだ。
「♪もはや太陽は消え 月も隠れた
オレもおまえも存在が消えかけている
ああ もうすべてはなくなったのだ
すべてが闇に覆われていく
オレの愛しいおまえ オレにはわからないんだ
これからオレたち、どうなるんだろう
今 ただ 皓々と月の明かり あるのは月の明かり♪」
(翻訳・木村元彦)
*本を数冊*(2006.1.18)
漫画以外の本を買う。
『将棋世界』
『週刊サッカーダイジェスト』
(笑)
それに、
リチャード=ブローティガンの
『不運な女』
帯には、
「1984年10月、ピストル自殺を遂げたブローティガン。
遺品のなかから一人娘が発見した、最後の小説」
とある。
最終的にピストルで自殺することになる、という事実をふまえて彼の小説を読むと、いつもなんだか、妙に落ち着かないそわそわした気持ちになる。
20年以上も前の出来事なのに、目の前で死なれたようなショックを覚える。
「そうか、やっぱり駄目だったか。何度やり直しても自殺することにるんだよな」
同じ時間を何度も繰り返して、そのたびにあきらめなくちゃならないような、そんな感じ。
「最近顔を見ないと思えば……。やっぱり、死んだか。ヤツのような人間は、生きるのに不向きなんだよ」
リチャード=ブローティガンという子どもっぽいさびしがり屋を、周囲のひとびとがつかのま忘れてしまったために、永遠に見失ってしまったような、そんな罪悪感に襲われるのだ。
『スウェーデンの税金は本当に高いのか』
竹崎 孜・著。
是非とも知りたいことがそのままタイトルになったような本で、迷わず手に入れた。
「スウェーデンの税金は国民生活に徹底して還元されている」
という部分に注目したい。
日本における税システムは、「永遠に成長し続ける市場経済を支えるために、企業と政府役人のぽっぽへと流れていかなくてはならない」という発想に支えられて運営されている。
マッチョな勝利者のための戦利品。企業は国家を支配し、国家は国民を支配し、国民はそれらを下から支え続ける。しかるに、
「満足と安心の年金制度、
公的責任での医療と介護、
保育・教育費はすべて公費。
大企業優遇税制など論外……」
というスウェーデンの文化は、我々の目指すマッチョな文化に比べて
なんと軟弱なのであろう!
国や自治体がこのような態度では、成功も勝利も拡大も期待できまい。
満足と安心は勝利者だけが手に入れることのできる特権であるべきだ、
でないと不公平だろうが!
……と日本のお金持ちたちは言い、我々はテレビジョンに導かれるままに彼らを支持することに決めた。
つまりあれだ。マッチョになることに決めた我々日本国民と、軟弱なスウェーデンのひとびととは、
公平という言葉の指す意味からしてぜんぜん違う
のだな。
特権階級の連中は無限の利益を得るために血のにじむような努力をしている。だから、我々を支配する権利があるのだ、と我々は思う。マッチョ型公平と平等を私たちは支持する。
背ばかり高くてひょろひょろのリチャード=ブローティガンは、何度もピストル自殺することになる。
今度生まれるなら、スウェーデンで。
『悪者見参』
木村元彦・著も読む。
「ユーゴスラビアサッカー戦記」という副題がついている。今は、そんな国はどこにも存在していない。
ユーゴスラビアという多民族国家の、まず社会主義体制がくずれ、平等の社会の指す意味が軟弱なものからマッチョなものへと急激に変化し、過激で土着的な民族主義運動が各民族間に台頭し、暴動が起き、虐殺があり、戦争が始まり……。
アメリカが介入し、爆撃があって、たくさんの墓と、いくつかの国家と、劣化ウラン弾の放射能と、憎悪が残った。それと、
紛争後にコソボに建設された巨大な米軍基地も残った。
(アメリカが世界中で推し進める、いわゆる“基地型植民地政策”な)。
私が知っている事実を言葉にすれば、こういうことだ。しかし、この言葉には、内容というものがない。
そうだ、私は、今はなきユーゴスラビアのサッカーが好きだった。大好きと言えるほどくわしくはないが、ワールドカップでの代表チームのゲームをテレビで追いかけて観るほどには好きだった。
くわえて私は、ユーゴスラビア最後の代表監督、イビチャ=オシムの大ファンだ。
オシム監督が、
「私には、帰るべき家がどこかわからない」
と言うとき、その言葉が持つ本当の重さを、私はまったく知らないのである。
オシム監督が子どものころ、ユーゴスラビアという遠い国で、ある理想が実現していたことさえ、私は知らなかった。
それは確かに完璧ではなかったかもしれないけれども、建前を建前として機能させようとする人間の意志が、地域社会を機能させていた……らしい。
それは、さまざまな民族、多様な文化を地域社会が丸ごと受け入れたうえで、
公平と平等の精神を高い次元で機能させるにはどうすればいいか?
という難問題に立ち向かった末に生まれた、複雑で建設的な社会だ。もちろん、実にさまざまな問題を抱えてはいただろう。しかし、大切なのは、意図だ。我々はどのような社会を目指しているのか……。
♪友だち100人できるかな?
♪100人で食べたいな
♪富士山の上でおにぎりを
♪ぱっくんぱっくん ぱっくんと♪
建前はきれいさっぱり消えてなくなり、本音だけが残った。
帰るべき家がわからないのは、オシム監督だけではあるまい。
『かわいい糸に出会ったら』
という本を最後に購入。
さまざまな糸を使って、編み物をしたり、小物を作ったりするための本なのだが、糸を使った小物作りをしようということではまったくない。
『かわいい糸に出会ったら』というタイトルが素晴らしすぎて、ついつい購入してしまったのだ。
(;^_^ A
かわいい糸に出会ったら、どうする?
ひざ掛けを作ったり、コサージュを作ったり、と夢想する女性。
15、6歳くらいの年齢の女性もいれば、おばあちゃんまで、もちろん男性もいるだろう。
そういうひとびとの心のあり方を夢想して、私は喜ぶのであった。
どのような糸も、それが現実のものであるかぎり、「出会ったら」と頭の中で夢想する人の心の中の糸には、とうていかなわない。
それとまったく同じに、私の頭の中に存在する架空の
“糸に出会うことを夢想するひと”
には、現実の人間はとうていかなわない。
……というようなことを頭の中でこねくりつつ、タイトル買いをしたのであった。
*『パッチギ!』キネマ旬報1位記念*(2006.1.15)
東京在住のみなのしゅうよ。
映画『ホテル・ルワンダ』が渋谷ではじまっておりますぞ。
どういう映画かというと、わしもまだ観てないのでよー知らん。
(^_^;)ごめん。
知らんけど、アメリカで公開されたときからネット上で傑作との噂が流れていた超注目作だ。
なんでも、
アフリカのルワンダで起きた実話版『ゾンビ』
というふれこみは当たらずとも遠からず、という感じの映画らしい。
東京都民よ、ぜひ観ような。
さてさて。
キネマ旬報の映画ベスト10が発表された。
洋画のベスト10はこうだ。
1:ミリオン・ダラー・ベイビー
2:エレニの旅
3:亀も空を飛ぶ
4:ある子供
5:海を飛ぶ夢
6:大統領の理髪師
7:ウイスキー
8:スター・ウォーズ・エピソード3/シスの復讐
9:キングコング
10:ヒトラー最後の12日間
私のおすすめは、『亀が空を飛ぶ』と『ウイスキー』。
しかし、個人的に『亀も空を飛ぶ』が3位というのは納得いかない。『ミリオン・ダラー・ベイビー』の下ということはないだろう、いくらなんでも。
でも、単館細々上映のわりには健闘したとも言えるのか。
『ウイスキー』も7位で健闘。
ダルデンヌ兄弟監督の新作『ある子供』が4位とのことだが、まだ観てません。つーか、関西で上映してません。
ぶー。
邦画のベスト10は以下の通り。
1:パッチギ!
2:ALWAYS 三丁目の夕日
3:いつか読書する日
4:メゾンド・ヒミコ
5:運命じゃない人
6:リンダ リンダ リンダ
7:カナリア
8:男たちの大和/YAMATO
9:空中庭園
10:ゲルマニウムの夜
う〜む。
この10作品の中でワシが観た邦画は、『パッチギ!』だけだった。
(;^-^ゞ
でも、大好きな映画だから、1位になってうれしいよ。
そうそう。
キネマ旬報ベスト1を記念して(かどうかはわからないが)、奈良県映画センターが、
『パッチギ!』の上映を決定。
奈良県在住のみなさま、さあおたちあい。
ときは3月10日。
場所は、やまと城ホール。
上映時間は
1.14:00
2.16:00
3.19:00
前売り観賞券を買うと一般1300円で観賞できるそーです。
お問い合わせ先は 奈良県映画センター 0743-23-1147
ちゅうことだ。
以前、奈良県映画センターのかたが、
「『パッチギ!』のフィルムは高いネン。上映すんの、むずかしいネン」
とおっしゃっていたのを思いだす。
「ええい、大奮発じゃあ!」と上映に踏み切られたのではあるまいか。
ううう。
奈良県在住の地域住民に良い映画を紹介しようという、奈良県映画センターの心意気!
3月10日は、ぜひ『パッチギ!』をご鑑賞してください、と、私からもお願いしておきます。
ヨロシク。
*消費税アップでアルジャジーラTV爆撃計画*(2006.1.14)
国際的団体
「ブッシュ政権が犯した人道に対する罪を問う国際委員会」
は、ブッシュ米国大統領とゴンザレス司法長官を相手に、五項目にわたって告発した。
♪パンパカパーン、ノックは無用、米国無法、国連無力!♪
♪しかし、ここで立ち上がる世界の市民団体♪
♪ドロドロドロドロ♪
項目ワン!
1,イラク、アフガニスタンに対する侵略戦争。
(おおー、昔ナチス今アメリカと言われる無法の侵略行為が真っ先に告発されております)。
♪ドロドロドロドロ♪
項目ツー!
2,拷問と無期限の拘束
(ワシントンには世界の圧制者のために、“国際拷問教室”が開校されております。1960年代から80年代のブラジルやウルグアイの生徒たちは、ワシントンでの教えを見事に生かしたことで非常に悪名が高いですね、ウキャ)。
♪ドロドロドロドロ♪
項目スリー!
3,地球環境の破壊
(地球環境を守ろうと取り決めた京都議定書をアメリカ政府はまったく守りません。ちなみに、日本国も守ってませんね。京都で決めたルールなのに……)。
♪ドロドロドロドロ♪
項目フォー!
4,地球的規模の人々の健康と生殖にかかわる権利への攻撃
(あまり知られていないことですが、アメリカってキリスト教原理主義の国なんですよね。ダーウィンの進化論を小学生に教えるのは禁止だとか。中絶医は暗殺という天罰が下ります)。
♪ドロドロドロドロ♪
項目ファーイブ!
5,ハリケーン・カトリーナ被災への不十分な対応
(勝ち組負け組論の、究極の姿。ハリケーンで街が水没? まずは金持ちになりなさい、助けるのはそれからでっす。世界中どこでもいつでもハウマッチ?)。
以上、五項目でした〜!
これは、昨年6月にトルコのイスタンブールで行われた
「イラク世界民衆法廷」
の判決を受けて、ブッシュ政権の犯したより幅広い罪を米国内で裁こうとしたものとのこと。
こういうのを、本当の
「官」から「民」
って言うんだと思う。
主権在民の建前を、建前としてすっきりと機能させていく。
素晴らしいね。
ここ日本では、「民」とは「国民」をさすのではなくて、民間企業のことだ。
企業の利益追求、効率の追及というモノサシ以外は、驚くほどあっさりと切り捨てられる。
企業が、考えうるかぎり効率良く国民を食い物にすることを、正当化するスローガンとしての「官から民」なんだ。
主権は企業なり
市場経済システムを維持し、さらに肥大化させるために、ひとびとは“人が人であるという無駄”をそぎおとしていく。
“生き抜く”とは、そういうことだ。
人が人であるということが、多くの無駄で成り立っているのをふまえたうえで、それらを奇麗さっぱり捨て去ることが成功の秘訣であり、改革の過程そのものなのだ、とテレビジョンが言う。
生きるとは、闘うこと。無理を極め尽くすこと。消費すること。所有すること。チャレンジすること。今日という日を恐怖で彩ること。そして、明るい未来を約束する改革者に身をゆだねること。
日本からテレビをなくすべきだと、私はかなり真剣に主張する。
マジだよ。
でも、もちろん、実現不可能だ。
コイズミ改革の新しいテーマは
消費税率を二桁台までアップ
だそうで。 (^_^;)
改革に燃えるコイズミチルドレンが元気に走り回る姿をテレビジョンで拝見していた13日の金曜日。
966の郵便局で集配が廃止
される予定、というニュースも流れた。
郵政民営化のあと、966もの局で郵便の集配をしてくれなくなるかも、とのことだ。
「効率的に集配業務を行うための対応」を検討した結果が、これだ。
過疎地でくすぶっている負け組の人たちがどうなっても知りませんよ、とあっさり言ってしまって、実に効率が良い社会システム。
人が人らしくあることの無駄や、より良い社会を生み出す力となる理想論、相手の立場をおもんばかるロスなどをすっぱり切り捨てれば、企業の利益追求の方法は無限にある。
効率的に生き抜くための新しいアイデア。
ちなみに、集配廃止の検討がなされている郵便局は、
北海道141局
東北108局
中国165局
などなど。
過疎地全滅の図。
でも
東京はたった1局。
東京在住の方々は、今までとほとんど変わらず便利な暮らし。
それは、効率的な新しいアイデアを発案しそれを実行している張本人たちが、東京在住だからだ。
勝ち組である自分たち(だけ)が便利さを享受しつつ、考えうるかぎり効率的な集配業務体制を実現させる。
結果として東京では、たった一ケ所の廃止案があるのみとなり、最貧層をふくむ東京在住のあらゆるひとびとが、そのおこぼれをあづかるだろう。
消費税率アップは、そうもいかんけど。
(;^_^ A
貧富の差を広げ、都会と過疎地の差違を広げる、コイズミ大改革進行中。
……。
そうだ、進行中で思いだした。
マスメディアの輝ける良心の星、カタールにあるアルジャジーラTVの爆撃計画をブッシュ米国大統領がブレア英国首相に伝えていた
機密メモが発見されたらしい。
機密メモを持ちだしたのは、元内閣府職員デービッド=キーオーさん。
機密保護法違反で告発されているのだそうだが、おいおい、問題はそっちじゃないだろ!
正当な理由もなく
カタールのテレビ局を爆撃しようとしているあんたらでしょうに!
(^_^;)
おかげさんで、中東の危機意識がまたもや高まり、
イランが核開発再会。
……。
もうあれだな、ほとんど『博士の異常な愛情』状態だな。
しかしよう。
つらつらと考えるに。
これぜんぶ、国民の税金でやっとんだもんな。ほんと、すげい。
イギリスと戦争しながらソ連に手を出したヒトラーもずいぶんめちゃくちゃだと思っていたけど、正直、負けてないね。
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