*雲の上から花火を見おろして*(2002.2.6)
コンビニで「週間サッカーマガジン」を買おうとしていたところ、素敵な曲が流れてきて、ふと足を止めました。
FM放送で、1、2度聴いたことがあるような……。
♪夏の星座に ぶらさがって
うえから 花火 見おろして♪
♪だって 好きなんです
仕方がないんです♪
こう歌っていた(聴き書きなので細かいところは確かではないです)。
純は、歌を聴いた途端、夏の星座から花火を眺めている映像が、しっかり浮かびました。
これ、誰の歌なんだろう?
知っている方がいらっしゃいましたら、面倒ですが、教えていただけたら、とっても嬉しいです。(*^▽^*)
純は、聴いたメロディーを忘れないように、ぶつぶつ口ずさみながら、コンビニをあとにしました。
♪夏の星座に ぶらさがって
うえから 花火 見おろして♪
♪だって 好きなんです
仕方がないんです♪
でも、上機嫌な純の頭の中で、あの人の声が、どこからか聞こえてきました。
「夏の星座はわかったけど、純くん、いつになったら“まとも”になってくれるの?」
うっ。
痛いこと、言うナー。(> o <)
せっかく楽しくしてたのに、純の頭め、メッ!(*'へ'*)
純は、あの人の言う“まとも”には、どうしてもなれませんでした。
なのに、純は、あの歌が好きだとか、この映画が好きだとか、その小説が面白いとか、いつもそんなことばかりに有頂天になって、あの人をいらだたせてばかりいました。
おー、さぶっ!
これって、恨みつらみ言ってることになるのかナー。
純は、夏の星座の上から花火を眺めたりといった、面白いことを発見すると、周りのひともきっと面白いと思うはずだと、決めつけちゃうみたい。
しかし、誰も面白いと言ってくれない。
それだから、純の言うことが友だちに伝わっていない気がして、いつもひとり焦せちゃう。
いまも、そう。
でも、純だけじゃなくて、誰だって、幸福になりたがってる。
みんな、すでに、何かに夢中になってる。
だから、幸福への願いなんて、どんなことに夢中になっているかなんて、いちばん大切なことじゃないのかも知れませんね。
むしろ楽しくないこと、面白くないこと、だらだらとやらなくちゃならないことの方が、何倍も、大切なのかも知れません。
きっと、純の言葉が、友だちに伝わっていなかったわけじゃなかったんだ、と、今の純は思います。
「あなたはだれ?」と問われたら、純は何も答えることが出来ないんです。
なんとも、はや……。(;´_`;)
純が“まとも”だったら、ぜんぶ違ってくるのかも、と思うけれど、純だって、望まなかったわけじゃないし。
純が純じゃなく、別の誰かだったら、言葉に内容が伴うようになってくれるのにね。
う〜ん。
純の足のしたで、花模様に破裂しては消える、色とりどりの花火たち。
純が夢中になっているものに、純自身が飾られていたいのだけれど。
結局のところ、純は、現実から目を背けていたいだけなのかも知れないな。
アー、イカン、イカン。自分の頬をパチンとひっぱたこう。
純くん、浸りすぎ(笑)。(;^_^ A
フラストレーションを、うだうだ公開日記に書いちゃだめー!!!☆/(x_x)
でないと、“後悔”日記になっちゃう(うまい!)。 (^-^;A
……もっと、建設的にならなければ。
書物から、何か引用してみましょう。
問 小鳥のウンチのなかの白いものはなんですか?
答 それも小鳥のウンチです。*
あはは。どうしても自虐的ですねえ。ヾ(´▽`;)ゝ
もういっちょう。
きっとカール大叔父は、猫のひきずってきたなにかのような気分を味わったにちがいない。**
あの人は、最後の電話で、純に言いました。
「純くん、まだあの仕事やっているの?」
あなたは誰かと問われたら、純は、
『まだあの仕事やっているひと』もしくは
『もうあの仕事やってはいないひと』らしいです。
……誰かを失望させてそれで終わりというのは、やはり、残念です。
* ** 巨匠カート=ヴォネガット大先生の「タイムクエイク」朝倉久志氏訳でした。
*「しろいうさぎとくろいうさぎ」*(2002.2.2)
純の弟が7歳の時、お小遣いで買った最初のもの。それは、ガース=ウイリアムズ氏作の「しろいうさぎとくろいうさぎ」という絵本なんだそうです。
つくづく変わっているよ、純の弟の幼少時代は。 ( ̄〜 ̄;)
ふつう男の子なら、ガンダムのプラモとか、ドイツの戦車図鑑とか、チョロQ(ミニカー)とか、そういうのを買わないですか?
純は、最初のお小遣いで「人造人間キャシャーン」というアニメに出てくるフレンダーという犬のプラモを買いました。
ふつうでしょ(?)。
「どうして絵本なんか買ったの?」
と弟に訊ねますと、ひとこと。
「絵が素晴らしかったから」
はあ……。
なんか、すごいなあ、と、軽い劣等感とともに、純は感心してしまいました。
純の子供のころなんて、ロボコンとかドラえもんとか読んで、ウシャ、ウシャ喜んでいるのが関の山だったのにねえ。
さて。
「しろいうさぎとくろいうさぎ」のお話しの内容はと申しますと……本棚をほじっても肝心の絵本が出てこない!
あれえ、家のどこかにあるはずなんだけど。
うろ覚えに覚えている範囲で、お話しますね。(^-^;A
黒うさぎ君と、白うさぎちゃんは大の仲良し。
毎日いっしょに、遊んでいます。
ところがある日。
黒うさぎ君の様子がおかしい。
ちょっとぼんやりして、どこかさみしそうです。
どうしたの?と白うさぎちゃんは訊ねます。
何でもない、と黒うさぎ君は答え、仲良く遊びます。
でもしばらくすると、また、しょんぼりと考え込んでしまいます。
ねえ、隠し事なんかしないで、教えてよ、と白うさぎちゃんは言います。
あのね。と黒うさぎ君。
もじもじしちゃたりして。
ぼく、考えたんだ、と黒うさぎ君。
なあに?と白うさぎちゃん。
黒うさぎ君は意を決して、打ち明けます。
きみとずっと、ずっと、いっしょにいられたら素晴らしいだろうなあって、思うんだ。
白うさぎちゃんは最初ちょっと、びっくりしてしまいます。
だけど、そう黒うさぎ君に打ち明けられてみると、白うさぎちゃんも、黒うさぎ君とずっとずっと一緒にいられたらなあ、と思っている自分に気づきます。
さてさて、そこで、黒うさぎ君と白うさぎちゃんはどうしたのでしょうか?
続きは皆さん、お小遣いで買って読んでみてください(笑)。
しかし、こういう絵本を、7歳の男の子が、自腹で買うものなのか……。
おんなじ環境で育った人間とは、到底思えん。
純ももう少し、格調高い子供でいたかったなあ。 f ^ ^ *)
*映画「ミッシング」と「スモーク・シグナルズ」*(2002.1.30)
アマゾン・コムで在庫切れと言われていた映画のヴィデオ「スモーク・シグナルズ」と「ミッシング」やっと、中古で見つけました。
やったあ!! o(*^▽^*)o~♪
しかし、1982年にカンヌ映画祭グランプリ作品の「ミッシング」が、廃盤になってるって、どうなってるの?
ジャック=レモンが、主演男優賞も獲っているよ。
「キャリー」で有名なシシー=スペイセクも、とてもいい。
DVDでいいから、直ちに復刻しなさい(笑)。
お話しは、チリのクーデターにまつわる、実話。
この実話、というところがおそろしい。
実話とは、本当にあった出来事である、ということだから。
純が中学生の頃、テレビの深夜映画でこの映画を観て、震え上がった覚えがあります。
ところが。
純が大人になってから、友達たちと映画の話になって、この「ミッシング」の話題を持ち出したところ、誰も実話だと信じないの。
ええええ? ヽ(゜〇。)ノ
今では、当のアメリカにおいてさえ、チリの政変は、CIAの陰謀だったことは常識になっているというのに。
それどころか、チリでクーデターがあったことさえ信じないの!
彼らによると、それは、過激派たちのデマなんだって。
……信じるとか信じないとかいう次元の話ではないはずなのですが、そう言われるともう二の句がつけない。
「戒厳令下チリ潜入記」という、見事なドキュメンタリー映画があるんですけれど、これも、過激派たちのやらせ映画ということなのですかねえ。
ときどき純は、不思議の世界に落っこちたアリスの気分になるときがあります。
まあいいや。
もうひとつの映画「スモーク・シグナルズ」も、本当に素晴らしい映画。
恵比寿の映画館で、カップルどもに囲まれて、ひとりでさびしく観た思い出の映画です。
いやね、ひとりで映画を観るのは別によいのよ。
しかしですね、映画館で絢爛と繰り広げられる、カップルたちの触れあいと言いますか、濃密なスキンシップと言いますか……そいつがどうにもたまらなかったのね。
純は、自意識が異常に高い人間ですので、目のやり場に困っちゃうのよ。
いちゃいちゃするなら、家でやって欲しいの!家で!(笑)
(///∇///)
この映画は、ネイティブアメリカン、いわゆるインディアンのかたが原作者で、監督で、脚本で、出演の作品です。
ネイティブアメリカンの方々が作った、ネイティブアメリカンたちの映画、ということですね。
ラストが極めて素晴らしいのですが、喋っちゃうと悦びが半減してしまうので、まだ観てない方々のために、純は黙ってます。
しかし、いちゃいちゃしていたカップルたちも一瞬息をのみ、映画館全体が沸き上がる力強さと美の感覚に包まれたのを、純は今でもはっきり覚えていますよ。
この映画のラストでの呪術的、ないしは度肝を抜くほどの美的効果は、これはもう鑑賞していただくほかはありませんです。
このたび純が購入したヴィデオは、中古品であるためか、ラストの画面が乱れてしまい、その点少し残念です。
この映画は、観賞後のエピソードがあります。
当時映画を見終った純は映画館をでて、JRで新宿まで行き、京王線の始発の座席に座っていました。
すると、膝に置いた手の甲にぽたぽた何かが落ちてきます。
あれ、なんだろ?と思って、手の甲を見ると、濡れてるの。
「あっ、俺、泣いてる!」
気づいて、とてもびっくりしました。
自分が泣いていることに気がつかなかったなんてこと、生まれてはじめての経験でしたから。
うつむいて周りの乗客から顔を隠しながら、「スモークス・スグナルズ」という映画が、純の心に、いったいどんな種類の魔法をかけたのだろうかと、一生懸命考えていました。
落ち着こうと、必死につとめながら。
大人でいながら、理由もわからず人前でポロポロ泣くなんて、本当に、本当に、動揺しました。
むちゃくちゃに、恥ずかしかったよ。 (〃ー〃)
*弟のお説教*(2002.1.25)
この「純の姫林檎日記」も、何とか細々と続いておりますが、実は、「絵本工房」のサイトデザインを担当している弟には、とても評判が悪いのです。
ありま。( ̄□ ̄;)
というのも、純が日記上で、テキストのフォントサイズと文字色を、ところどころで変更して遊ぶでしょう?
例えば、こんなふうに。
これがいけないらしい。
まず、そのぶん可読性が悪くなる。
文字がでこぼこして、色が変わるんだもんね、疲れ目に疲れ脳になっちゃう。
確かに読みづらいかなあ、と、純も言われてはじめて思いました。
「だけど、遊びのコーナーだし、来てくれるみんなも大目に見てくれるんじゃない?」
などと言おうものなら、しこたまお説教を食らいます。
「うちのサイトは、リンク色にピンク色を使っているから、日記にこういう赤系統の色を使うと、紛らわしいんだよ!
しかも。青は、標準のリンク色だから、さらに、混乱を生み出す可能性が高くなる。使いやすいホームページ作りについて、少しはお勉強してくださいね!!!(`‐´≠)」
ドシー!
怒られちゃた。(;^-^ゞ
でもでも、ポエムは、落ち着いてシックなグレイに統一されていて、恰好良いでしょう?(自画自賛)。
ところが、これもダメだと弟は言います。
「テキスト色が灰色ということは、現在選択されているか、もしくは何らかの理由で選択できなくなっているという意味の色と誤解される怖れがあるんです。
そもそも、うちのホームページのルールでは、テキスト色は基本的に黒と、決まっているのに。(ー","
しかも、あんたのコンテンツだけで三色も、テキスト色を使用していることが最悪なのではないのよ。細部であるべきの一コンテンツが、あんただけのルールで運営されていることなのです」
オンギャー!!!
またまた怒られちゃた。(;-_-ゞ
うー、じゃあ、まんがは?
へたっぴだからだめ?
「下手とか上手いとかじゃなくて、何が好きか嫌いか、楽しいかそれとも楽しくないか、で決めたほうが良いと思います。でないと、何やったって面白くないでしょ。チャレンジしようと、思わなくなるでしょ」
あ、ハイ……。
そこで弟。
「いちいちコッチにお伺いを立てないと、何もできないってこと、ないでしょ?……もう、オトナでしょ?」
ムキ〜〜〜!!!!!
なにさ、自分の「素材のコーナー」だって、作った素材を、そのまま放り出してあるだけじゃんか。ねえ?
……あ。
この日記、弟も読んでるんだった。
わー、ごめんなさい、許して〜〜〜。
う〜ん。
純も、純の弟も、Macユーザーを標榜するなら、やっぱユーザービィリティを避けては通れないということらしいです。
またお勉強かあ。(;´▽`)``
いやだなあ(苦笑)。
*「新型iMac」*(2002.1.24)
新型iMacがもうすぐ発売になりますね。
電気スタンドみたいなデザインで、こういう形のが恰好良いということなのかなあ?
純は、正直ピンと来てません。
というか、デザインの前に、考えることいっぱいあるでしょう、と思った純です。
リセットボタンもイジェクトボタンもついてないし、パワーオンキーが、キーボードについていないばかりか、筐体の背面に配置されているなんて、ちょっと、ムッときました。
体の不自由なひとが、Macでお絵描きなさっているのですが、ニューモデルが出るたびに、使いにくくなってきてる。
その人は、ひどく残念がってらっしゃいます。
純も、残念がってます。
Appleに限らないけれど、最近のパソコン業界って、ほんと、ユーザーを馬鹿にしているな、という気がしてなりません。
親切ごかして、パソコンの使い方を、あれこれ押し付けてくる。
逆に言えば、パソコンの使い方に合わせて人間があれこれ振る舞わなきゃならないの。
このままじゃあ、私たち人間は、漫画「銀河鉄道999」みたいに、歯車かネジにされてしまいそうだ。
モノ人間ですよね。
やだやだ。
純の弟は、
「人間は創造する生き物だってよく言われるけど、俺は人間のこと、現実を修正し、加工する生き物だと思うのね」と言います。
「ジョグダイヤルだとか、一発ボタンとか、リモコンスイッチだとか、その場その場の応用力のない便利さだけを追及したって、例えば一発ボタンが20こ並んだら、もう一発でも何でもないでしょ?
ただもう機能をボタンに割り当てた、丸暗記の世界でしょ?
そうしたことすべてが悪いとは思わないけど、現実を修正し、加工していくという人間的な行為に対して、いかにストレスなく、使用者たるその個人に対して誠実か、という側面を忘れちゃいかんのよ。パソコンは、使いやすく、しかも抽象的な道具でなければならないという使命があるのだから」
なんか、むずかしいなあ。(;^_^ A
でもね。
今となっては、すべては、夢よ。
Macがヒューマンでパーソナルなコンピューターだった日があったなんて、あと5年もすれば、言っても誰も信じなくなるでしょう……。
純は、基本的にニヒリストなの。
あっちょんぶりけ(苦笑)。 ( -_-)
LinaxOSあたりで、Macのこころざしをついでくれるとこ、出てこないかなあ。
さて、ここで恒例の、書物からの引用をば。
「マニー、あなた、この計算機は生きているっていうの?」*
エー、もちろん、死んでます。……あらゆる意味で。
ハイ。 ( -_-)
*ロバート=A=ハインライン氏の「月は無慈悲な夜の女王」矢野徹氏訳でした。
*「新幹線にのったつもりで」*(2002.1.23)
「MacPeople」の2月1日号を読んでいたら、記者が、パワーブック(ノートパソコン)を持って新幹線に乗り、DVD映画鑑賞する記事が載っていました。
記者の後ろの座席のカップルが、これまたiBook(Macのモバイル機)で映画鑑賞していたそうな。
へええ。
時代は変わったなあ。
うちじゃあ、DVDどころか、地上波アンテナの状態が悪く衛星放送以外テレビが見れない環境なので、ちょっと驚きました。
ちなみに、MacPepleの記者は「八つ墓村」、カップルはイヤホンを仲良く分け合って「タイタニック」を鑑賞していたそうです。
いちゃいちゃイヤホンをわけっこして観るなら、なに観たって楽しいやなあ。
あー(遠い目)。 ( - . -)
……話題を変えよう。
えー、何を隠そう、純は、新幹線が大好きなんです。
東京、大阪間の3時間くらいが、ちょうどいい塩梅です。
なにがって?
お昼寝の時間に(爆笑)。
本を読んで、お昼寝して、おきてまた本を読んで。
3時間を越えると、腰が痛くなる(笑)。
新幹線で移動しながら読む本は、すいすい脳に入ってゆく気がして、心地良いことこの上なし。
快適です。
ということで、新幹線に乗った気持になって、なんか読んでみようっと。
つうことで、ディーン=R=クーンツ先生のサスペンスとホラーの合の子「戦慄のシャドウファイヤー」でいってみよう。
実は正直なところ、私、この先生の小説、何が面白いのかさっぱりわかんないんです。(^-^;A
いえね、このたぐいの小説はこの世にごまんとあるでしょうけど、一番わかんないのは、どうしてこの先生の本がベストセラーになるのか、それがわかんない。
途方に暮れてしまうんです。
そして、あまりのわからなさに、
『みんな、ディーン=R=クーンツ先生の何に魅かれているのか、それが知りたい』
という欲求が、純のなかで周期的に高まる時期があるんですね。
で、また読んでみた。
疲れた。(^-^;A
この先生の社会正義の定義と、純のそれとは、178度ほどずれていて、純からしてみれば、ナチのプロパガンダと大差なく感じてしまうんですな。
しかも、おそろしく他愛がない。
他愛のなさでは純も負けていないのですが。
うむ、他愛がないという一面では、共通項があるかも知れん。
別の読み方があるのだろうか、と、上にしてみたり、斜めにしてみたり。
まいいや。
飽きちゃった。(;^_^ A
おくちなおし(苦笑)に別のものを読もう。
「自己啓発のための知的勉強方」(^-^;
あ、だめた。
タイトル見ただけで、眠くなってきた。
お昼寝にしようっと(苦笑)。
(∪。∪)。。。zzzZZ
*「愛に綴るキルト」*(2002.1.19)
衛星放送で、「愛に綴るキルト」という映画を観ました。
タイトルがしょぼい、と思いましたが(愛ですぜ愛!)、新聞の紹介欄に
『キルトを作るため祖母の家に集まった女達がさまざまな恋愛や人生を語る』
などと書かれていれば、これはおもしろそうだ!と思わずにおれないじゃないですか。
決め手は、「祖母の家に集まった女達」ですよ。
おばさん、もしくは、おばあさんがたくさんでてきて人生を語る!
そういう映画は、見逃すべきではありません。
しかも。
原作が女性作家。
脚本も女性作家。
監督も女性作家。
となれば、さらに期待は高まります。
……皆さんもうおわかりですね?
純は、女性崇拝主義者なのだ(笑)。 (f*^_^)
そして、想像どおり、映画はとても素敵で、感動的でありました。
さまざまな女性の、さまざまな生き方は、離れ小島のようにぽつりぽつり、ひとつずつ宙をさまよっているわけではない。
物語として語られるとき、それは、めんめんと受け継がれる《女性たちの歴史》の1ページとなってゆくのでした。
彼女たちの人生の歴史が、「愛の住み処」というテーマを掲げたキルトとして製作されます。
これから結婚してゆく若い女への、祝福のメッセージとして、一針一針キルトは綴られるのです。
人生に、これ以上の何を求めます?
幸福と不幸、喜びやら生活苦やら、生きることの割にあわなさ、といったさまざまなことを飛び越えて、祝福の美へと蒸留されてゆく人生模様。
それが、《女性たちの歴史》なのですね。
勉強になりました(笑)。
果たして、男達が《男性たちの歴史》と銘打って映画を作ったら、どういうものができるのだろう?
朝から晩まで苦労話ばかりの、浪花節が聞こえてきそうな、やたら子供っぽいものが出来上るような気がしてくるのですが。
おっとこれじゃあ、男性蔑視主義者ですね。(;^-^ゞ
いかん、いかん。
さて。
映画を見終わって、純はふと思いました。
木村紺先生の「神戸在住」の主人公、桂ちゃんが、おばあちゃんになったら、それはそれはとっても面白い物語になるだろうなあってね。
あ、いや、今でもごっつう面白いんですが。
ちゅうか、別の作品だよね。
(^-^;A
おばあちゃんになった桂ちゃんの世界を夢想して、喜ぶ純でした。
ちょっと、いやらしい(なにがー?)。
キャッ(^^*))((*^^) キャッ
*誘うのは私だけよん*(2002.1.18)
最近純が、外国物の絵本にいれあげているのを見た弟が、国産の絵本にもたくさん傑作があるぞ、と、物置から古い絵本を持ちだしてきました。
なかがわ りょうこ女史、文 なかがわ そうや氏、絵の「おてがみ」です。
うっわ!なつかしいなー!
純のおさがり絵本を弟が読んで、大切に保管しておいてくれているんですよ。
でも、よくこんな古い絵本を捨てずにとってあるよね。
いつも思うけれど、つくづく変わった弟だ。(^-^;A
あらすじは、こねこのにおが、ぷらぷらと遊んでいると、ねこゆうびんやさんが、さくら町のたまこちゃんからの小包みを持ってきました。
におが小包みをあけると、真っ赤な風船がふわふわ。
風船にはカードがついていました。
「あそびにきてね、たまこ」
きゃっほー(とこの奇声は純の叫び)。
におはさっそくたまちゃんちに向かいますが、ふとした拍子に、風船から手を放してしまいます……。
さてどうなるか。
とにかく、なかがわ そうや氏の猫の絵が最高なんです。
純は猫の絵が好きで、猫がでてくる絵本を(ほんの少し)集めたりしているのですが、
この猫は、もっとも好きな猫絵かも知れません。
毎日見ていても、飽きない。
と言いながら、今まですっかり忘れていたのでありますが。(^-^;A
物語は、におとたまこちゃんのデートのはずが、風船とともに思惑とどんどん違う方向へ流れていってしまうのがおかしくて、面白くて。
そう、……面白い。
面白いんだけれど。
……いや、面白いんです。
ただ、子供のころの純は少し無念がっておりました。
何が無念かって?
オチを話しちゃうとマズイので、すじはいいませんが、つまり純は、たまこちゃんを独占したかったのだ(笑)。
たまこちゃんは、におちゃんだけに宛てて手紙を書いたのだから、におちゃんと、ふたりきりで、遊ぶべきだ、と。
(すじを言っていないと、なんのこっちゃですか?)
ともかく。
たまこちゃんと、ふたりきりのときに「今日は、におちゃんだけと遊びたかった」と、そう言ってもらいたかったの。
(///∇///)
子供のクセに、何という独占欲。
我ながら、恐ろしい。(^-^;A
自分のことが、心配になってきちゃう。
「え〜、どうしたらそんなセコイお話しになるかなあ」と弟も私のことを酷評します。
へ〜んだ。(`^´)
純は、わいわいやるタイプじゃないだけだもーん!
誰かと、じっくり付き合うタイプなのだ。
絶対そうなのだっ!(・∩・)
*「これって実話なんですか?」という実話*(2002.1.16)
今から、そう、10年ほど昔、当時付き合っていた女性から、とっても面白い話を打ち明けてもらいました。
彼女は、タヌキが空を飛ぶのを見たことがあるというのです。
「う?タヌキが空を飛ぶ?」Σ( ̄□ ̄;
「そうよ、箒にのって」
彼女は、あっけらかんと言い放ちます。
それって、『となりのトトロ』と『魔女の宅急便』をたして、スパイスに『日本昔話』を少々入れて、コトコト煮てあるんじゃないの?
(^-^;A
彼女は言います。
「私が嘘ついてると思ってるんでしょ」
いや、そんなこと思ってない、ただ、子供のころの記憶が、ごちゃになってるんじゃないのかって思ってるの。
テレビとか、漫画とか、絵本の物語を、現実にあった出来事だったと、思い込んでるんじゃないかなあ。
だって、タヌキが箒にのって、空を飛ぶなんて、いくらなんでもねえ。
私がそう言うのも、もっともでしょ?
(;^_^ A
しかし、彼女は頑として譲らない。
タヌキは空を飛ぶ。
!Σ( ̄□ ̄;)
箒にのって空を飛ぶ。
!Σ( ̄ロ ̄lll)
間違いないわ。
!Σ(〇o〇;) !!
私、もしかして彼女にからかわれてるのかと思いましたが、どうもそういうわけじゃなさそう。
「信じない?」
そう彼女に問いかけられたとき、しかし私は、何だか、とても楽しい気持になってきました。
彼女の手を取って、京都は丸山町あたりを、パタパタ(ドテドテ?)走り出したほどに。
実は、つい一時間前まで、ふたりは喧嘩してまして、彼女の両親をちゃんと説得して欲しいとか〔いっしょになるのを反対されていた〕、定職に就いてくれとか、ずっとお叱りを受けていたところだったんです〔すみません〕。
(^-^;A
だけど、彼女の頭の中では、タヌキが箒にのって空を飛んでいて、それをすっかり受け入れてしまっているのです。
まったく平気な顔をして、むしろ、涼やかな表情で。
それが彼女の世界。
ん?
私は、タヌキが空を飛ぶことは肯定も否定もしないけれど、そう主張する彼女を受け入れることに、やぶさかではありませんでした。
絵本の世界の住人になり、
「タヌキって、空を飛ぶのよ」と打ち明けられて、なんの不都合があるというのでしょうか?
彼女の頭のなかの現実って、とっても興味深い!
嫌みや、皮肉でなく、心からそう思いました。
ある日突然、
「タヌキが空を飛んでいるのを見たことがある」
と告白される、そんな人生で、良かった。(*^^*)
しかし……。
こんな話をキャッ、キャッと嬉しがっても、ふたりそろって変人扱いされて終わりなんですかね?
「素に戻ったとき、恥ずかしくないの?」って、誰かから言われそう。
彼女だって、本当は、私をからかっていただけなのかもよ。
ふうむ。
(ー'`ー;)
さて。
実は、うちの父ちゃんも、四足歩行の陸上動物が空を飛ぶという、にわかには信じがたい話を頑として主張しています。
いわく
「トナカイが橇を引いて空を飛ぶって本当なんだな!」
「はあ?」
なんでも、どこかのテレビのドキュメンタリー番組で、トナカイが空を飛んでいたというのです。
どっしー!ヾ(;´▽`A``
類は友を呼ぶって言うけれど、私の周りって、ほんと、おかしな話ばかり言いだすなあ。
(^-^;A
「間違いない。テレビで、所ジョージも、たけしも、認めていた。成層圏をマッハで飛び去るトナカイ達の姿が写真に写っていたし、レーダーにも映っていた!」
そりゃ、純も子供のころは、川口探検隊とかに夢中になったけれど……。
「衝撃の新事実!って画面の下にスーパーが入る、うさんくさい番組でしょうが」
「いや、まちがいない!テレビでやってた!トナカイは空を飛ぶ!」
父ちゃんは今や完全にムキになって、口角泡を飛ばしながら、私を説得にかかってきます。
「たけしと所ジョージが言ってたんだぞ!いいか、たけしと所ジョージだぞ!おまえもテレビを見ればよかったんだ!トナカイは、空を飛ぶのだ!」
はああ。 ( ̄〜 ̄;)
タヌキが箒で飛んだ話と、似た内容にみえて、こちらのはぜんぜん面白くないよ。
もとネタが、テレビじゃなあ……。
ともかく、父ちゃんの頭の中では、トナカイが橇を引いて、マッハで空気を引き裂きながら、カナダあたりの空を飛んでいるのです。
人間って、ホント、つくづく不思議な生きものじゃよ。
*成人と絵本*(2002.1.14)
最近、大人になった純を楽しませるための絵本を、集めてます。
それは果たして、どのような絵本なのか?
まず、子供頃の純が、どうしても受けつけなかったような種類の絵があります。
純はとっても怖がり屋さんな子供だったので、センダック氏とかツヴェルガー女史とかの絵が、どうもだめだったのね。
まったく損な子供。(^-^;A
名作絵本なのにねえ。
でも、一般市民を襲うショッカーが怖くて、「仮面ライダー」を観ることができないような子供でしたから。
今の純は、高畑勲監督のアニメ「火垂るの墓」以外は、ちゃんと耐えることができるようになりました(笑)。
「火垂るの墓」はね……、「どうしてホタル、すぐ死んでしまうん?」と言うあのセリフ思いだしただけで……、ダメ(泣)。
( iдi ) ハウー。
それから、当時、本を読むのが大の苦手(今も)だった純が、読解力のなさから理解できなかった種類の絵本というものもあります。
たとえば、バーバラ=クーニー女史の「ルピナスさん」みたいな絵本。
子供頃の純には、残念ながら、さっぱりだったと思われます。
子供の純の、限界ですね。
あらすじで、「ある素敵な女性の一生」だと言われても、ピンと来ないですよ。
しかし、大人の純は、この絵本がとても気に入りました。
今の純は、「女性の一生」と言われて、逆に、これは傑作にちがいない、と直感するのです。
そして、その直感は、見事に正しかった。
プロローグは、こうです。
子供のころのルピナスさんが、アメリカ移民のおじいさんに、遠い外国のお話を聞かせてもらうところからお話しは始まります。
「大きくなったら、、わたしもとおくにいく。そして、おばあさんになったら、海のそばの町にすむことにする」
小さなルピナスさんは言います。
するとおじいさんは、もうひとつしなくてはならないことがあるぞ、と言います。
「世の中を、もっとうつくしくするために、なにかしてもらいたいのだよ」
いいわとルピナスさんは約束します。なにをしたらいいか、まだわからないままに。
……どうです?
これは素晴らしいお話しになるにちがいない、と、すでにこの時点で、確信できるでしょう?
女の子達は、小さい頃にこういうお話を読んでも、ちゃんと面白いと感じるのでしょうか?
だとしたら、男の純は、ちょっと劣等感。(^-^;
女の子に生まれてみたかったよ。
純はふと思ったんですけれど、成人式の日に、成人を迎えた若者たちに、この絵本を送ったりしたら良いのではないでしょうか?
うーん、うざったいだけかな?
そもそも大人たちが、世の中をもっと美しくするために、自分に何ができるか考えていないといけないですよね。
逆に大人たちには、ルース=クラウス文、センダック絵「あなはほるもの おっこちるもの」を贈りましょうか?
お互い教育しあいっこするということで。(^-^;A
そう。絵本には、絵本という形をとった、大人がたのしむための絵本、というジャンルがあります。
読者対象を、大人に絞った絵本ですね。
「あなはほるもの おっこちるもの」というタイトルが、良いでしょう?
ちいちゃい子供たちの説明、という副題がついています。
みなさんにとって、穴とは、なんですか?
この絵本に出てくる子供たちにとっては、穴は掘るものなんです。
腕は、抱きあうためのあるもの。
猫は、小猫を産んでくれる動物。
包みは中をのぞくもの。
子供たちが、ひとつひとつ、純に教えてくれます。
……。この絵本を、難波のジュンク堂で見つけたときは、本当に嬉しかった。
サラ=ミッダ女史の「おとなになること」も、素晴らしいオトナ絵本です。
とにかく絵に魅かれて、原書を買おうとしていたのですが、作家の江國香織先生の
翻訳があるのを知って、そちらを購入しました。
「おとなになること それから そのたのわるいこと」というメッセージで始まる絵本。
絵本の中折りには
「おとなの無神経さや、子どものほんとうの心を、皮肉とユーモアをこめて、」とあります。
サラ=ミッダ女史はとっても人気のあるロンドンのイラストレーターさんらしいのですが、不勉強の純は、まったく知りませんでした。
これからは、要チェックです。
*1984*(2002.1.9)
最近テレビで、Appleの伝説のCM「1984」をパクったようなナイキのコマーシャルが流れてますよね。
皆さんは、知ってます?
不自由な全体主義の世界で、子供たちは、機械のような決まりきった生き方(サッカー)をしているという設定。
自分で決断したり判断してはならないと、徹底的に教育された子供たちの眼はどんよりと曇っていて、精気がありません。
そこに、中田英寿選手や、アンリ選手、フィーゴ選手といった淙々たる面々が現れ、子供たちが自由意志に目覚めるといったストーリー。
CMの最後に、「自分、解放」なる言葉が、画面いっぱいに表示されます。
はあ、自分解放ですか……。
ナイキのスポーツ用品を使用して、子供たちよ、自分を解放してくださいって、そういうことね。
どうも、すっきりしないなあ。
あらゆる言葉が、商業ベースに乗せるためのキャッチコピーとして使われちゃってる。
逆に言えば、私たちは言葉をキャッチコピーとしてしか捉えようとしていないんじゃないだろか。
極めて意図的に、無内容なんじゃないだろか。
大量生産されたものを、効率良く大量に消費してゆくには、それがいちばん便利ですから。
1時間テレビをつけて、その間に流れたCMをつぶさに見ていくと、純はぞくっと怖くさえなります。
そのCMが、いったいなんの製品の、どういった機能を売り込もうとしているのかさえわからない。意味不明のノリみたいなので終始してるCMが、やたらに多いから。
他にも。
「痛みに耐えて構造改革」なんて台詞は、言葉はキャッチコピーの体裁でありさえすれば、内容については誰も何も気にしない、とわかっている人間の使う台詞ですよね。
改革と言ってみても、何を、どのような方向で改革するかが大切なのではないでしょうか?
改革とか革命という言葉は、日本ではまったくその内容を失ってしまいました。
辞書の中だけで見つけることの出来る、意味の化石です。
少なくとも純は、ほんの一握りの人たちを喜ばせるために、痛みに耐えたいとは思わんですよ。
人生なんだから、耐えるのはかまわない、あんな非人間的な世界を実現するために、耐える気が無いだけなのです。
……えらく辛口な日記になったですね。(;^_^ A
最後に、書物から引用をば。
わたしは家に向かう。きょうはすごくたのしい時間が過ごせた。まあ聞いてほしい。――われわれはぶらぶらひまをつぶすために、この地上へ生まれてきたのだ。だれかがそれとはちがうことをいっても、信じないように!*
……すばらしい。
自分、解放(大爆笑!)。
(≧∇≦)
*巨匠カート=ヴォネガット大先生の「タイムクエイク」朝倉久志氏訳でした。
*神戸在住テレホンカード*(2002.1.6)
木村紺先生の「神戸在住」グッズを集めているという話を、前にしました。
実はグッズをもうひとつ。
純は、神戸在住テレホンカードを1枚持っていたのでした。
忘れてた。(^-^;A
でもこれ、純の宝物なんですよ。
テレホンカードの上に、漫画が描いてある。
ショート漫画ですね。
主人公の桂ちゃんが、コンパクトカメラを持って、大学校へ行き、お友達たちの写真を撮ってまわる、というお話しが、テレホンカードの小さなスペースに展開されているんです。
そして、桂ちゃんが覗くファインダーごしのお友達たちが、どれも素晴らしい表情なんです。
1まい1まいが傑作写真(実際は漫画だけど)。
桂ちゃんは、大学で絵のお勉強をしてるんですが、きっと、そのせいなんでしょう、構図ぴったり、シャッターチャンスも絶妙。
ああ、確かにこれは鈴木さんだ、これはヒロ子ちゃんだ、と、特徴がよく出てる。
誰もがリラックスして、桂ちゃんのレンズを振り返っているんです。
こういう写真は、なかなか、とれないですよ、って、漫画なんだよねこれ(笑)。
フィックション、フィックション(笑)。(^-^;A
しかし、本当に素晴らしい写真なのよ。
皆さんにお見せできないのが残念です(くどいって)。
テレホンカードのお話しの中で、最後に桂ちゃんはお家に帰り、大切にカメラをしまいます。
それは、もうすでに、桂ちゃんの大切な過去。
心底大事そうにカメラをしまう、桂ちゃんの気持、よくわかります。
大切な過去は、写真のなかに封印されて、お酒みたいに、時間とともに美味しい物語になってゆくことでしょう。
そんな桂ちゃんの一日を、これまた一枚のテレホンカードに封印して、純は楽しむ。
永遠に凍結された桂ちゃんの一日です。
ウシャ、ウシャ、これが笑わずにおれますか。(*^▽^*)
……。話変わるんですが、「ヤサシイワタシ」のひぐちアサ先生は女性ですよね?
こういう話は、男性にはまず描けない、と純は睨んでいるんですが……。
アフタヌーン自体は、男性誌なんですけれども。
どうなんでしょう?
絵本でいえばレオ=レオニ氏の「あおくんときいろちゃん」などは、男性が描いた、という感じですが、
バーバラ=クーニー女史の「ルピナスさん」みたいな話は、男性が描いたの、まず見ないですもん。
どちらも大好きな絵本なんだけど。
違う。
こうまで違うと、猛然と興味が引き立てられる、というくらい違う。
非常に高い確率で、ひぐちアサ先生は、女性だと思います。
なにも賭けたりしませんけどね(笑)。(^-^;A
……、とここまで書いて、アフタヌーンの作者近況欄を読んでみたら、なんか、女性説を肯定するような言説を発見しました。
くそお、もう少し早く日記に書いとけばあ(笑)。
はずれてなかったから、まあ、良いか。(´ー`)
*正夢*(2002.1.3)
正月からぐうたらと、ヴィデオでフランス映画を見てましたら、古いタイプのMacが画面の隅にちょろちょろと出て来ました。
あ、新年そうそう良いもの見たなあ(笑)。
やっぱりMacは、ジュブズ復帰以前のものが断然良いですよね。
と言いながら、iMacを使ってる純だけれど。
最近のAppleは、世界中の人々が個に目覚めるという夢を見なくなってしまった様なのです。
私たちの生き方が間違っていたと、はっきり口に出して言うのは、それだけで、勇気のいること。
そして、今までとは違う生き方のアイデアを提示するのは、さらにむずかしいことです。
伝説のプログラマー、ウォズニアック大先生は言っています。
「将来人間がコンピューターに使われていくようになる。そーゆー奴隷状態から人々を解放したかったんだ」
もちろん、Appleも商売でパソコンを作って売っているに過ぎないのは間違いないのでしょうが。
カート=ヴォネガット先生の小説に、こういうお話しがあります。
ある日突然、世界中のひとびとが、眠りこける病気になっちゃう。
御飯を作りながら、車を走らせながら、眠っている。
ところが、あるひとりの男が、ふと目を覚まします。
そして、隣の人を揺すぶり起こします。
「目をさませ!目をさませ!あんたは自由意志をとりもどしたんだ。しなけりゃならん仕事がある!」
または、
「あんたはひどい病気だった!だが、もうすっかりよくなった。あんたはひどい病気だった!だが、もうすっかりよくなった!」
隣の人が隣の人を、そうやって、起こしてゆく。
そうして、まあるい地球のあちこちから、同じ台詞が聞こえてくるのであった。
あんたは病気だった、でも、もう大丈夫。
人間が見ることの出来る、もっとも美しい夢ではないでしょうか?
でも。
いまでは、Appleが、眠りこけちゃった(笑)。ヾ(ーー )
小さな子供でも、眼や体が不自由な人でも、違和感なくMacが使えるようにとの研究も、今では打ち切られてしまいました。
そのうえMacの命である、デスクトップメタファーまで、自ら切り捨ててしまうとは。
歴史は、これまで、たちの悪い冗談の積み重ねでしかなかった。
きっとこれからも。
……神よ、あんたを許さない(笑)。
そんなものがいるとしたらだけど。
とにかく。
パーソナルではないものを、パソコンとは純は呼びたくないの。
純は、情が深いので(笑)、できれば WIN機に乗り換えたくはないのですが、現在の環境で、はたして、どこまでがんばれるでしょうか。
*新年明けましておめでとうございます*(2002.1.1)
LLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLL
明けまして おめでとう ございます。
本年もよろしく お願い申し上げます。
ヾ(^-^)ゞヾ(._.)〃ヾ(^o^)ゞヾ(._.)〃
LLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLL
最近、純の日記がやたら長くなってきて困ってます(笑)。
何が困るって、WEBサイト閲覧という行為は、基本的に、長文読解に不向きなんです。
もっとはっきり言っちゃうと、WEBサイト閲覧どころか、パソコンのモニター上で、もんもんと長文を読むようには、人間はできていないと思う。
PDFファイルのマニュアル類を読むときの、あの苦痛!
キー!こんなことやってられるか!って、みなさんなりません?
純は、けっこう短気なので、本気で暴れそうになっちゃうんですよ。
わざわざ純の日記を読んでくださるお暇な方……もとい、奇特な方たちに、そんなつらい気持を味あわせてしまっているとしたら。
ねえ?
申し訳ない、じゃあ、すまないですよねえ?
と、そんなわけで、比較的短い日記を書いてみました。(´ー`)
*「神戸在住」読書感想文*(2001.12.27)
純がコーヒーを飲むときに使用しているマグカップは、月刊漫画雑誌アフタヌーンの読者プレゼントでいただいた「神戸在住」マグカップです。
同じくアフタヌーンプレゼント企画の「神戸在住バッチ」も狙っておるのですが、これがなかなか当たらんのですな(笑)。
けっこう、グッズをそろえるのが趣味だったりする純です。(^-^;A
トトロ人形とか、魔女の宅急便タペストリーとか。
色々持っていたりします。
で、木村紺先生の傑作漫画、「神戸在住」……。
神戸に住む大学生辰木桂の、ふとした日常の、ホンワカしたお話し……ということになっていて、芦奈野ひとし先生の「ヨコハマ買い出し紀行」と「癒し系」の二大巨頭などと言われていたりもするみたいですね。
「癒し系」ねえ。
いや、別に、レッテルなんてどうでもいいんですけれど。
純はねえ、「神戸在住」のこと、最高級のファンタジーだと思っているんですよ(ホラ、笑わない、笑わない)。
家庭や、学校での、どこにでもある日常の風景、というのは見かけだけですよ。
「神戸在住」は、実は、現実ともっともかけはなれている世界なんです。
どこにでもある風景、どこにでもある出来事、道ですれ違うありきたりの人物、の様な顔をした、最高度の夢の世界。
理想を通り越して、これは、幻想です。
空想上の、ユートピア。
では、どうして、「神戸在住」がファンタジーたりえるのか。
色んなことが言えると思うけれど(言いたい放題の純であった)、まず、何といってもキャラクターのつくり方が素晴らしいのです。
彼女、もしくは彼たちが、めいいっぱい、そのひと自身である。
「私らしさ」なんて言葉、できれば使いたくないけれど。
しかし、それぞれの登場人物が、代替不能に「らしい」としか言いようがないんですよね。(^-^;A
「らしさ」という言葉を、これほど肯定的に語れる作品は、いくつもないですよ。
それに、さまざまな登場人物たちの、それぞれの距離のとりかたが絶妙なの。
他者に依存しすぎるということが、まったくない。
これは、登場してくるすべての人物に言えるんです。
どんな端役でも、です。
しかし、つっぱっているわけでもない。
他者に依存しすぎるということがないひとは、自然と、自由に振る舞うことができます。
そして、自由に振る舞うひとは、その持っている魅力、人間的な能力を、限度いっぱい発揮してゆくことになります。
とは、極めて純度の高い理論。
ファンタジーの頂点であります。
その理論を、現実の神戸の街で、さも実現しているかのように、ありきたりな道具立てで描いてしまう。
木村紺先生、く〜〜〜〜っ、憎い人(笑)。
神様が純の願い事をひとつだけかなえてくれる、と言うのなら、「神戸在住」の主人公、辰木桂さんに、生まれ変わりたいなあ(って、それ、実在の人物じゃないじゃん!)。
ヾ(^-^;
私の理想の人間像は、この辰木桂ちゃんなんですけれど、そんな話を飲み屋で友だちに言うと、
「理想に近づくための努力をしていないくせに」
と言われてしまいました。
あれは、ちょっと、ショックだった。
「神戸在住」は漫画なんだし、純の日常を振り返ったら、確かに、そんなに立派なこと言える暮らしじゃないんだよねえ。
しょんぼりしちゃった純が、弟になぐさめてもらおうと、その話をしました。
弟は言いました。
「桂ちゃんや、和歌ちゃん、ヒロ子ちゃんたちが無理して背伸びして、桂ちゃんや、和歌ちゃん、ヒロ子ちゃんをやっているとしたら、もうすでに桂ちゃんや、和歌ちゃん、ヒロ子ちゃんじゃあないんだよ」
私、はっと、なりました。
そうだよね、桂ちゃんは、いつも、ありのままの桂ちゃんなんだよね。
少なくとも、変に背伸びしない桂ちゃんが素敵なんだよね。
あー、純は、「神戸在住」の良さを、ちゃんとわかってなかったな。
少し元気になりました。
すると、弟はため息をつき、
「子供のころは猫とか花嫁になりたいとか、いい大人になったらなったで、漫画の主人公になりたいとか、あんたは実現不可能な目標ばかりたてる。問題ですよ」
と、今度は叱られてしまいました。
しゅん。
桂ちゃんの眼には、この世界がどう映っているのか、一度見てみたいと思ったんだもん。(^-^;A
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