※お知らせ。
『えんぴつで憲法練習帳 日本国憲法前文 日本国憲法第九条』
増刷となりました
↑弊社の新刊本『えんぴつで憲法練習帳 日本国憲法前文日本国憲法第九条』
最寄りの書店でも御注文可能です。
*ヴォネガット作品の架空予告編*(2008.2.4)
「作家がみんなゼネストに入って、人類の迷いを悟らせるというのを考えてるんだけど、どうだい、参加しないか?」
〜カート=ヴォネガット『猫のゆりかご』〜
「最近は、きみらの書くものしか読まない。きみらだけだよ、いま現実にどんなものすごい変化が起こっているかを語ってくれるのは。きみらのようなキじるしでなくては、人生は宇宙の旅、それも短い旅じゃなく、何十億年もつづく旅だ、なんてことはわからない。きみらのように度胸のいい連中でなければ、未来をほんとうに気にかけたり、機械が人間をどう変えるか、戦争が人間をどう変えるか、大都市が人間をどう変えるか、でっかく単純な思想が人間をどう変えるか、とてつもない誤解や失敗や事故や災害が人間をどう変えるか、なんてことに注目したりはしない。きみらのようにおっちょこちょいな連中でなければ、無限の時間と距離、決して死に絶えることのない神秘、いまわれわれはこのさき何十億年かの旅が天国行きになるか地獄行きになるのか分かれ道にいるという事実。こういうことに心をすりへらしたりはしない」
〜カート=ヴォネガット『ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを』〜
『youtube』にカート=ヴォネガットの映画作品の予告編を見つけた。
これは、若い子らがせっせと作った
架空映画の予告編だ。
かなり良くできていると思うので、ご紹介します。
まずは、『猫のゆりかご』
お次は『スローターハウス5』
うわあ。
ヴォネガットというよりも
ハリウッド制作のスリラーかサスペンスものみたいだ!
実は、ヴォネガットの『スローターハウス5』はハリウッドで
実際に映画化されている。
監督は『明日に向かって撃て!』、『リトルロマンス』のジョージ=ロイ=ヒルだ。
『スローターハウス5』はかなりの名画だが、テレビ放映もされず、DVDも発売されていない。だが、
『youtube』に映画全編がもれなくアップされているのだった。
便利な世の中……もとい、恐ろしい世の中になったものじゃのう。
(^_^;)
リンクは貼りません。「SlaughterhouseFive」で探すと……。
ヴォネガットの小説には、キルゴア=トラウトという架空のSF作家の発表した、売れない短編小説のあらすじが紹介される。そのなかの『踊るアホウ』が、アニメ化されて『youtube』にあがっていたのでこちらもご紹介しておきましょ。
私は、世の中のたいていのことはヴォネガットから学んだんだけど、私は、小さいころから不変のアッポだったので、どんな難しいことでも易しく説明してくれるヴォネガットは本当にありがたい存在だった。
芸術の存在意義について。
「わたしに思いつけるいちばんましな答えは、みずから『坑内カナリア理論』と名づけたものです。
---この理論にしたがえば、芸術家が社会にとって有用なのは、彼らがきわめて敏感であるためです---彼らは敏感すぎるほど敏感である。そのために、もっとも強壮なタイプの人間がまだなんの危険にも気づかない前から、彼らは有毒ガスの発生した炭坑の中のカナリアのように、目をまわしてぶっ倒れるのです」
なるほど。
(゚∀゚)!!
『資本論』から『英語の教科書』まで、最初の一行からチンプンカンプン理解できなかった私にだって、ヴォネガットの小説に書かれている物語は理解できたのである。
すごい!
「こんにちは、赤ちゃん。地球へようこそ。この星は夏は暑くて、冬は寒い。この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。
なあ、赤ちゃん、きみたちがこの星で暮らせるのは、長く見積もっても、せいぜい百年ぐらいさ。 ただ、ぼくの知っている規則が一つだけあるんだ、いいかい――なんてったって、親切じゃなきゃいけないよ」
なるほど。
(゚∀゚)!!
「おじさん、わたしがいちばん頭にくるのは、この人たちがどんなに物知らずかということでもなく、どんなに大酒飲みかということでもないんです。それよりも、この世の中のすてきなものはぜんぶ、自分たちか自分たちの先祖が貧乏人にくれてやったものだとする、この人たちの考え方が気にくわないんです」
なるほど!
(゚∀゚)!!
最後に、『鷹の爪団』の総統のお言葉を御紹介しておきましょう。
この総統、な〜んか微妙にヴォネガットと似てる気がするんですよね〜。
*すべてはMSの絵本なのだ*(2008.2.1)
「コンピュータは誰の命令を受けるべきだろうか」
〜リチャード=ストールマン『フリーソフトウェアと自由な社会』〜
「彼らは、これが正義の問題だとは思っていません。隣人と共有する自由やプログラムの動きを見て、気に入らないところに変更を加える自由が人々にとって大切だとは思いません。(中略)
企業に出かけて行ってはこう言うのです。「ひとびとにこれをさせると、もっと金儲けができますよ」」
〜リチャード=ストールマン『フリーソフトウェアと自由な社会』〜
「この行列のうち、立ち止まって見る価値のあるものは、ぜんぶ見てしまっている」
〜マーク=トウェイン『まぬけのウィルソン』〜
例によって例のごとくに広告代理店の勝利に終った大阪府知事選挙をむなしく振り返りつつ、轢き続き、じゃない、引き続き、明るいお話で進めてまいります、姫林檎日記。
(^_^;)
『N.TONOSAKI's Personal Station』の大人気コラム『がんばれ!!ゲイツくん』最新号からの報告によると、MS社が子どもむけの絵本を出したのだそうだ。
タイトルは、
『ママ、なぜおうちにサーバがあるの?』
(^_^;)
以下、引用。
「いったいこういう内容を、シンデレラとかアンデルセン童話とかの代わりに子供に絵本として読み聞かせる親というのがいるんですかね。いたら腰抜かすどころか日が西から昇るんじゃないかと思うのですが、子供の頃からMSのサーバについて洗脳しておくことで立派なMS信者を多数輩出させようとう魂胆としか思えないような気がします」
「それにしてもこの本、「他の子供達がその家のサーバを見て『変なの』と言うかもしれないね」という下りで、
「どうしてそんなことが判るんだい? その子たちは本当はうらやましいんだよ。ぴかぴか光るサーバーがね!」
と言って諭す場面があるのですが、なんかこう、ここまで突っ込みどころ100%の文章も久々に拝見させて頂きました」
黒い魔ソフトはいつだって私を大笑いさせてくれる、だから好きさ。
= ̄+∇ ̄=)
最近、リチャード=ストールマンの『フリーソフトウェアと自由な社会』という本を少しずつ読み進めているんだけど、そのなかで、
「背信コンピューティング
(treacherous computing)」
という定義が出てきて、思わず大きくうなずくことになった。
ストールマンによると、背信コンピューティングとは
「コンピュータがシステマティックにユーザーに背くようにしようというもの」
で、具体的には、
「コンピュータが汎用コンピュータとして機能しないようにする。すべての操作が明示的な許可を必要とするのである」
なのだそうだ。
旧Macユーザーの私には、
“すべての操作が明示的な許可を必要とする”システムはユーザーの奴隷化に繋がるし、そもそもの目的もユーザーの奴隷化にあるのだ、という主張に完全に同意できる
のだけれど、運動図ユーザーの多くは、もしかしたらよく意味がわからないのじゃないか、などとも思う。
ともかく。
旧Mac武闘派ユーザーの私が、運動図をいじってみたときに感じた直感的かつ肉体的な違和感と、その原因の自己流な解析が、決して間違ってはいなかったと、……まあストールマンさんの本は言ってくれているわけで、……なんかうれしいね。
(;^-^ゞ
「背信コンピューティング」……うまいこと言うなあ。
---☆--
最後に、『暗いニュースリンク』さんの最新コラムを。
『石油・軍需業界が史上最高益を更新の見込み』
普段、テレビ新聞で不安を煽り立てられている私たちには、なんとも奇妙なニュースに思える。
別の惑星の話じゃないのか?って。
つまり、こういうことなのだ。
結局のところすべては、黒い魔ソフトの絵本なのだ。
私たちは教育されており、そしてそのことにあまりにも無自覚だ。
……。
もしも、コンピューター関係で一冊の絵本を作るとしたら、私は、旧Mac版の『ヒューマン・インターフェイス・ガイドライン』それだけを望む。
いま思いついたんだけど。
思えば、アップル社の齧られた林檎のマークは、与えられた楽園からの人間の解放(!)のために、
知性と引き換えに神にすら反逆してみせる「人間魂」の
革命の旗印だった。
……いまでは単なるブランドイメージだけどな。
*「宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」国家編*(2008.1.29)
「個人としての人間は天才である。しかし、集団としての人間は、刺激されるがままに進む、巨大で野蛮な、頭のない怪物となる」
〜チャーリー=チャップリン〜
「映画の真髄は人間の顔です。美しい景色やアクションは二の次だと思います。映画であらゆるものを表現するのは、人間の顔なのです」
〜コスタ=ガブラス・チャップリンを語る〜
「チャップリンの映画と同じ手法を使っていても、それが彼の影響とは限りません。似ているのは共に、映画の哲学ではなく、人生の哲学を求めているところです」
〜キアロスタミ・チャップリンを語る〜
子どもを公立学校に通わせているお母さん、お父さん、その他保護者のみなさん、ちいと読んでみて下され。
学校で行われている、美しい日本人作りについての、ある先生からの報告です。
「教委主催の講演会に行ったら、講師が「つくる会」だった件」
以下引用。
******************************
【講演の中で、エルトゥルル号の遭難とか、有名な“美談”がいくつも紹介されるわけですが、その中に真岡郵便電信局事件の話も出てきました。
第二次大戦末期、樺太にソ連軍が攻め寄せてきた時、最後まで電話交換所に残った女性達が、青酸カリを飲んで自決した事件です。
事件名とか知らなくても、
「みなさん、これが最後です。さようなら……さようなら……」
とかいう台詞は聞いたことある人は多いのでは。
で、八木氏は、自決した9人の女性電話交換手のことを、
「日本人の公共心の高さ、責任に殉じる態度が現れたもの」
とか褒め称えるわけです。
……ところで、これは教育講演会なんですが。
このエピソードを教育にどう生かせと?
「彼女たちの行動こそ、日本人の鑑、責任に殉じる素晴らしい態度である。
お前達も、もし同じような状況に置かれたら……」
置かれたら?
自分の子どもになんと教えて欲しいかは、人によるかも知れませんが。
私としては、子どもたちには
「なんとしても生き残れ。命を大事にしろ」
……って、教えるべきなんじゃないかと思ったり。】
******************************
引用おわり、って、なんだこりゃ!
どひー!
日本の学校教育も、もうおしまいかも。
(^_^;)
こんな排他的で土着的な自国本位の学校教育を中国や北朝鮮でしているとか言ったら、ヤギ氏のような一部の日本人はなんつーんですかね? ぎゃーぎゃー怒るんだろうな。それを自国の教育現場で平気で展開してしまう。
まあ、自分が何をやっているのか、わかってないんだろうな。
想像力が欠落しているというか、自分たちの振りまいている愚鈍さのようなものに気がつかないというか、こちら側の世界しか語れないみっともなさというか。
もうね。言葉もでないよ。
この日本という国では、「知性」の意味すら変質してしまって、国民は
感動を求めて講演を聞いたり映画を観るようなたぐいの人間
となって、それを誰も変だとも思わない。
感動の裏側で、停止する思考。
遠い満州の地で、ソ連軍の捕虜となる前に自決した日本女性たちの感動物語なのか悲劇物語なのか、ともかく彼女たちの運命に大きく心揺すぶられて、揺すぶられたことで強い印象だけが心を占める。
そうした感動のドーピング効果が作りだす受動的な無思考状態が、未来の日本国民特有の資質となっていく、なるべきだ、なりなさい。
……ということらしいです。
「宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」国家編!
♪みんな〜その気〜ぃ〜で〜♪
♪い〜ればいい〜♪
……。
こんなことを言っても誰もうなずかないのかもしれないけれど、「感動」を求める国民は、歴史的に見ても、実に哀れな結末を迎えることになる。
信じない?
じゃあ、これはどうだ?
ワーグナーをかけて、いくぞ〜。
「ハイル
ヒトラー!!!」
「ウォォォォォォオオオオオオ〜!」
身震いするばかりに感動的だ、それだけは言える。
……。
あなたが人間なら……人間になりたいと願うなら、感動なんてものは求めるな。
考えろ、考えるんだ(←映画『バタリアン』)。
--☆---
スカパーで『没後30周年企画 チャップリン特集』をやっていたのだそうだ。
ううう。
アンテナ買う金がなくて、観てね〜!!
llllll(-_-;)llllll
しかも、有名な映画監督たちが、チャップリンについて語るというドキュメンタリーも放送していたのだそうだ。
グフ〜……。
●チャップリンを語るクストリッツァ
代表作『アンダーグラウンド』『ライフ・イズ・ミラクル』など
●チャップリンを語るコスタ=ガブラス
代表作『Z』『戒厳令』『ホロコースト・アドルフ=ヒトラーの洗礼』など
●チャップリンを語るキアロスタミ
代表作『友だちのうちはどこ?』『クローズアップ』など
クストリッツァ! コスタ=ガブラス! キアロスタミ!
ほげえ! 天才が天才を語るつうわけだ。
「モーツァルトを語るベートーベン」とか、「トルストイを語るドストエフスキー」とか、そいうたぐいの企画だよな。
観たい! 観たい! 気になって何も手につかにゃい!
(;^-^ゞ
「スカパーのアンテナをくれ〜」って、バタリアンじゃないんだ。
誰か、ビデオに撮ってませんか?
……こそっと、ダビングしてくらはい。
(^_^;)
*千億の赤字は千億の利益を生むそんな世界*(2008.1.26)
「資本主義的生産様式は、個々の事業所内では節約を強制するが、その無政府的な競争制度では、社会的な生産手段と労働力の際限のない浪費を生み出し、それとともに、こんにちでは、不可欠であるがそれ自体としては不必要な無数の機能を生み出す」
〜マルクス〜
「笑顔は悲しみに濡れた心をなだめてくれる、おじさんの言ったこと覚えておきなよ」
〜カート=ヴォネガット〜
「貸し渋りにあっている中小企業を支援する」として某都知事イシハラさんが強引に設立させた新銀行東京が、
サラ金モドキの高金利で中小企業を苦しめた揚げ句
一千億近くの赤字を出しているという。
この新銀行東京は、イシハラさんが“5年前の知事選挙で公約に掲げ”「東京都」が一千億円を出資し、2005年4月に開業した銀行だ。
さあ、みなさん、ソロバンはじいてくれよ。
しがない中小企業に勤めている大多数の東京都民のためという名目で、都民の税金を一千億円使って2005年に銀行を開業した。
2007年度までに、一千億円近い赤字を出した。
さあ、足すといくらだ?
約2千億円だ。
きやっほう!
ウチの電卓じゃあ桁が大きすぎて表示できないぜ!
しかし、恐ろしいのはこれからだ。たった2年ほどでどうにも立ち行かなくなった銀行を誰が救うのか。なんでも
「東京都丸抱え」になるとかいう話ですよ!
都民の皆さま、ご苦労様です。
♪イシハラ信じ〜 暗くもなるわ〜♪
♪この東京砂漠〜♪
ダダッダダ〜
♪電卓だって〜 さじ投げちゃった〜♪
♪税金投入♪
♪東京砂漠〜♪
ちなみに2004年度予算に賛成したのは、都議会の自ミン党、民シュ党、公メイ党だ。こういう連中が、「福祉のための財源確保」と言うたびに、私は笑い死にしそうになるわけだが……。
こうした現象を、日本では「政治が動く」と表現するのだそうだ。日本の外側では「政党政治の腐敗」と呼ぶわけだけど、日本という国ではアメリカ合衆国と自国以外の世界は実質的に存在しないことになっているので、もちろん
「国際的スタンダード」と胸を張ってもなんら問題ない。
どう?
いい話だろ?
わずか2年のあいだに、2千億近いお金がどこかに流れて、誰かのポッケの中に消えていった。膨らんだポッケをたたきながら、ビジネス書を執筆し、雑誌に写真が掲載され、テレビに出演する。そして彼らは言うのだ、大変だ、お金がなくなった、お金が消えた、財源がない、そうだ消費税をアップしよう、医療の個人負担額をアップしよう、うんたらかんたら。
理屈をつけてどこからか調達されるピン札も、同じルートをたどって新しい背広の大きなポッケに消えていく。
財源の確保とやらだけが終ることなく繰り返される。
消費税を導入するとき、政府はなんて言ったっけ?
「老人福祉税!」
わっはっは! 果たされることのない約束。穴の空いた金庫はどこまでも空っぽのままだ。
そんなありさまだから、近頃の日本国民は救急医療すらまともに受けられない。救急車に乗せられたままあちこちの病院に受け入れを拒否され、搬送先が見つからないままお亡くなりになるというケースが続出しているのだ。
国民対話集会の質問コーナーで出席者から
「なんとかして」と懇願されたマスゾエ厚生労働大臣は、こう答えたそうだ。
「医者は10年後にしか育たない。仮に、いま足りない医者を増やしたら、10年たったら余って医者のホームレスが生まれることになる」
ホー!
突っ込みたいことは山のようにあるが、とにかく、「医者が余る(実際はあぶれたりしないと思うが)と自動的にホームレスになる」という発想がすごい! センス・オブ・ワンダー!!
だいたい、医者が10年後にしか育たないと言ったって、
いわゆる社会的人材というものは、うどん屋の店主から大学教授まで、10年後にしか育たないもんですよ。
こんなので大臣がつとまるって、つくづくすごい国だなあ、日本は。
日本社会の明日を支える人材を、育てる気持ちはありません! そんな人材は、ホームレスにでもなってくれ! と宣言してるのとおんなじなんだよ。この発言は。
「違う!」と言うなら、どう違うのか教えて下さい、ぜひ聞きたい。
かたや、医療費完全無料化に向けて邁進中のベネズエラでは、医者のホームレスが増えるどころか、白内障手術により100万人が視力を回復したという。
それを知ったアメリカや日本の政府は「ベネズエラは医療選択の自由が失われた国」とおかんむりだけど、つまり何を怒っているかというと、お金持ちが貧乏人と同じ医療を受けるなんて不公平だ、と、そうおっしゃっているのです。
眼鏡も着替える時代です、医療もサクセスする世の中です♪
公共の財産を勝者がまるどりし、貨幣化した後に独占する自由とやらを、法律が保障する。それを私たちの国では「人権」と呼ぶことになっている。
医者不足で救急医療を受けられずお亡くなりになるひとびと。
医者を増やそうにも、10年後にホームレスになってしまう人材(笑)。
言うぞ、言うぞとテレビ報道を観ていたら、本当に言ったよ、
「財源確保に消費税アップを視野に!」
わはは!
財源確保だと言いさえすれば何でもとおると思っていて、実際、とおちゃうんだ。
(^_^;)
うすっぺらな本音だけを剥き出しにしながら、「私たちは本音と建前を使い分ける民族です」などと言い放つ、もう人間と呼んでいいのかどうかすらわからないひとびと、それが私、それがあなた。
(^_^;)
「誰かをくいものにすることで機能する社会」「誰かをくいものにすることで掴む幸福」そうした視点から一歩も外にでないまま、「調和のとれた世界」や「建設的な社会」、「繁栄」を論じてもどうにもならない、だけど、独占と自由がイコールで結ばれている世界の内部で生きていくには、尻からメシ食って口から出すしかない。
ありとあらゆる人間的価値を、かったぱしから貨幣の排泄物とみなしたなら、そりゃ、すべてはウンコでしかなくなるんだよ。
……。
さあ、今日はいつになく、笑える話をたくさんしましたね。
「お前の話は暗い!」とよく言われるので、がんばってみました。
(^_^;)
今の日本、笑いのネタにだけはこと欠かない。
みんな、もうきいた?
なんでも、某宮崎県知事が新党結成に動いているんだそうで!
おいら、笑いが止まらなくなったよ!
果たされるはずのない約束を掛け違えたボタンに追い求めて、我ら、いざ、進まん!
*〜映画オールタイムベスト〜*(2008.1.22)
「ゾンビ三原則とは。
1.ゾンビは人間を喰らう 2.食べられた人間もゾンビになる 3.脳を破壊しなければ死なない、以上3点です」
〜井筒和幸・著『こちトラ自腹じゃ』〜
「君は独りだ。ここを通るたびに見てるけど、君の周りには大勢の人がいて、電話や書類でいっぱいだが、しかし何の意味もない。君に会い、君の眼や動作を見ても君は幸福じゃないとわかる。君は何かが必要だ。たぶんそれは、友達だ」
〜映画『タクシードライバー』〜
若者向け映画雑誌『映画秘宝』2月号を今ごろになって読む(世間ではもう3月号が出ているそうだが、奈良県大和郡山市ではようやく2月号が届いたばかりなのだ。←ウソ)。
中学生のころに、ほんの一時期『ROADSHOW』、『SCREEN』という雑誌を購読していたことがあったけれど、映画雑誌を購入するのは、本当に久しぶりだ。
オールタイム・ベストテンという特集記事に興味を引かれて、購入してみた。
衝撃のランキングはこのようになっていた。
1位 『ゾンビ』
2位 『ブレードランナー』
3位 『狂い咲きサンダーロード』
4位 『ワイルドバンチ』
5位 『タクシードライバー』
6位 『マッドマックス2』
7位 『時計仕掛けのオレンジ』
8位 『スター・ウォーズ』
9位 『エイリアン2』
10位『ファントム・オブ・パラダイス』
オールタイムベストが『ゾンビ』!!
想像を絶する展開に、ちょっと感動してしまいました。
(;^_^ A
私が中学生の頃に自分の好みの映画を並べたら、このランキングに近かったかも、などと思うのだ。
とはいえ、6位に『マッドマックス2』、9位に『エイリアン2』とは、血をぜんぶ取り換えても私には想像もできんけどな。
(^_^;)
ちなみに、一位に輝いた、でろでろB級ホラー映画『ゾンビ』は、映画史上に残る大傑作です、これは
本当に本当です!
無人のショッピングモールに、人肉を求めて彷徨う死体(ゾンビ)と、ゾンビから逃げる人間たちが集まってくる。死してなおショッピングモールに足を向ける死体たちの姿は、
消費が第二の属性となった高度資本主義社会への強烈な皮肉なのだ
が、監督のジョージ=ロメロは1978年にこの映画を撮っているのだから、さらに素晴らしい。
人肉を求めて彷徨うゾンビたちはけっして仲間は襲わないのに、ショッピングモールの所有権を巡って銃撃戦を行う人間たちの対比。また、ゾンビを狩って楽しむ人間たちの姿。その姿は、映画を観ている者には、自分たちの向こう側にいる人間をこちら側から殺戮してそれで何の良心の呵責も感じていないという、そんな行為として映るのだ。
ホラー映画ではめずらしい左翼系のお説教の効いた(たいていのホラー映画は、門限を破った若者が電動のこぎりで殺されたり、見知らぬ男と口をきいた処女が吸血鬼に血を吸われたりします)、『バイオハザード』なんか同列に語ることすらできない、異色傑作B級ホラー映画の金字塔だ。
牽強付会とかじゃなくて、本当にそういう映画なんだからね!
いや、最近、私の映画感想を周囲が信じてくれないので、すっごい不安なんすよ。
(^_^;)
話は変わるんだけど、5位にランクインした『タクシードライバー』の説明が、
「都会に漂ううさん臭いリベラル思想に翻弄される田舎者の悲劇。この世に都会と田舎がある限り、永遠に語り継がれるであろう傑作」
ってなってるんですが、
『タクシードライバー』はそんな映画じゃないでしょう
いくらなんでも。
まだ『エクソシスト』ならわかるよ。
『エクソシスト』という映画の簡単あらすじ。罰当たり女優が、夫と別れたり学生運動を題材にした映画に出演したりと、神をも恐れぬ所業に及んだため天罰が下り
なんと娘に悪魔が取り憑く!
罰当たり映画監督は死亡。娘は母親の関心を引くために首を180度回転させたり、自傷行為に及んだり、もう大変。母親である女優がじゅうぶん反省し教会に助けを求めたので、悪魔払い部隊出動。悩める神父さんは自分の命と引き換えに信仰心を取り戻し、娘は正気を取り戻し、
リベラルなんつーのは信仰への反逆だ悪魔の所業だ、聖水〜!
となってめでたしめでたし。……いや、だって本当にそういう映画なんだってば!
『タクシードライバー』は違うよ。
では今度は、『タクシードライバー』の簡単あらすじ。
孤独、被害妄想的な疎外感、自己不全感に苦しんできた若者が、焼けつくような苦痛と妄想の果てに大統領暗殺を企てるも見事失敗、じゃあってんで、
今度は売春宿で銃をぶっ放し大量殺人!
そしたらどういうわけかアメリカ社会は彼を英雄に祭り上げてしまうという、アメリカ映画史上に残る大傑作です。
アメリカンヒーローに昇りつめた主人公の満たされきった表情のなかに潜む狂気! タクシーで街を流しながら悪と腐敗を監視する歪んだヒーローは、アメリカ社会が作る影の中で育った怪物なのだった……って、本当にそういう映画なんです、本当なんです。
(^_^;)
脚本書いたポール=シュレイダーに訊いてもらってもいい、『タクシードライバー』はそういう映画です、田舎と都会の映画じゃありません。
---☆--
雑誌に影響されまして、私の個人的なオールタイムベストを選んでみようと思います。
しかし、いきなり「オールタイムベスト」つっても幅がありすぎて、なんとでもランキングをつけてしまえるから、もうひとつ縛りをつけてみようと思う。
「とにかくラストシーンがすごい映画オールタイムベスト」
これで行って見たいと思う。とにかくラストシーンを基準に選んでます。アッと驚く結末、びっくりのどんでん返し、とにかくラストがすごい映画ベスト10だ。
1位 『クローズアップ』
2位 『チャップリンの独裁者』
3位 『パンと植木鉢』
4位 『ストーカー』(タルコフスキーのほう)
5位 『惑星ソラリス』(タルコフスキーのほう)
6位 『Z』
7位 『桜桃の味』
8位 『タクシードライバー』
9位 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』←ぎゃああ〜
10位『キャリー』
我ながら、こりゃすごいラストだ。
厳選されまくってるなあ!
色々洩れたのもあるけど、どうですか?
書いていて、ひとりでにうきうきしてくるから不思議。
(;^-^ゞ
ついでに、こちらも。
「衝撃ラスト・ドキュメンタリー部門オールタイムベスト5」
1位 『バス174』
2位 『ザ・ビッグ・ワン』
3位 『戒厳令下チリ潜入記』
4位 『ダーウィンの悪夢』
5位 『ゆきゆきて神軍』←どひい!
「衝撃ラスト・アニメ部門オールタイムベスト5」
1位 『コンフリクト』
2位 『王と鳥』
3位 『ジャンピング』
4位 『Oh Me!』
5位 『平成狸合戦ぽんぽこ』
とんでもないだめラスト映画賞は、主人公デッカードがレプリカント(ニセ人間)だったと言い出した『ブレードランナー』監督リドリー=スコットに。
レプリカントを処分すればするほど人間性を失っていくデッカードと、人間になろうともがき苦しむレプリカントがクロスオーバーする映画なんですよ、『ブレードランナー』は!
……リドリー=スコット監督は間違ってます、私が正しいです、本当です。
あ、話はぜんぜん変わりますが、映画秘宝の某氏はP=K=ディックの小説の最高傑作を『ユービック』だと思っているんですね。
なるほど〜。『ユービック』もいいけどワシは『流れよ我が涙と警官は言った』だと思う。だけど、好みの問題なので、私が正しいというわけではありません。
ね? このように私は、自分の説をごり押ししているわけではないでしょ? 私は、1足す1は2なんですよ、と言っているのです。
(;^-^ゞ
---☆--
2007年度のキネマ旬報ベスト・テンが発表されていた。
って、どこまでダラダラ書くんだよ、って。
も、もう終ります。
(^_^;)
2007年 日本映画ベスト・テン
1位 『それでもボクはやってない』
2位 『天然コケッコー』
3位 『しゃべれども しゃべれども』
4位 『サッド ヴァケイション』
5位 『河童のクゥと夏休み』
6位 『サイドカーに犬』
7位 『松ヶ根乱射事件』
8位 『魂萌え!』
9位 『夕凪の街 桜の国』
10位 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』
【2007年 外国映画ベスト・テン】
1位 『長江哀歌(エレジー)』
2位 『善き人のためのソナタ』
3位 『今宵、フィッツジェラルド劇場で』
4位 『クィーン』
5位 『バベル』
6位 『やわらかい手』
7位 『ドリームガールズ』
8位 『ボルベール<帰郷>』
9位 『ゾディアック』
10位 『パンズ・ラビリンス』
だそうです。
『パンズ・ラビリンス』の上に『ゾディアック』つーのは、いくらなんでも無茶だと思うけどねえ。
つーか、『シッコ』、『アフターウエディング』、『あなたになら言える秘密のこと』が、『ゾディアック』の下ということはないはずです。
そして『ゾンビ』は傑作です。
本当です!
*サッカーの話*(2008.1.20)
「作り上げることより崩すことは簡単なんです」
〜木村元彦・著『オシムの言葉』〜
「もしあなたがアーカンソー州の生まれで、キリスト教が正しくイスラム教が間違っていると考えているのであれば、
もしあなたがアフガニスタンに生まれていれば正反対の考え方をすると充分に承知していながらそう考えているのであれば、あなたは子ども時代の教化の犠牲者なのだ」
〜リチャード=ドーキンス〜
暗い、暗いわ〜、サッカーって、とことん暗くなっていく。
(^_^;)
勝利と生き残りをかけて日々を戦うプロスポーツを舞台に、「創造」と「共存」の矛盾する競技空間を展開しようとした
イビツァ=オシム元日本代表監督の生き様も方法論も手腕も、都合よく貨幣の排泄物化されて、彼が病に倒れれば、新しい商品にとってかわられる。
競技もチームも試合も商品でしかないのなら、手際よく消費されて、そのあとはきれいさっぱり忘れ去られるべきだと、まあこれは、
富国強兵政策以降の日本の伝統ですよね。
(^_^;)
「試合はどうなった?」
オシム元日本代表監督が意識を取り戻したときに最初に発したという言葉だ。
なんということだ。
なんということだ、という言葉しか、私には出てこない。
イビツァ=オシム元日本代表監督が病に倒れたほんの10日間ほどで、実にさまざまな出来事があった。
まず、オシム監督の意識が戻らないうちにオシム監督の代表監督の任は解かれた。が、脳梗塞という再発の危険性の高い病気を考えるとそれは仕方がないとして、オシム監督のあとを継ぐ形でジェフ千葉の監督になった息子のアマル=オシム監督はクビ。
(可能であったかどうかは別にして)天才イビツァ=オシム監督のチーム作りのベクトルを維持し、発展させていこうという試みは断絶した。
オシム監督がひとつひとつ積み上げてきたものを「成功」や「成長」のためにすべてご破算にして、ジェフ千葉の高度成長がはじまる!
ワーオ!
ジェレミーさんはうまいことおっしってる。
「ユナイテッドじゃなくなったジェフ」
何もかもがきれいさっぱり失われた、とは言わない。
「簡単には失われたりしない」
と、イビチャ=オシム監督がおっしゃっているからだ。
それでも、ものすごい喪失感。
(^_^;)
「創造」と「共存」の模索。……勝った負けたなどという結果の向こうにある、イビツァ=オシムという巨大な価値を体験しておいて、なおかつ、それを手放せる神経が私にはわからない。地球が丸いと知ってしまったら、普通、ゾウの背中にのっかったお盆だった時代には戻れないんじゃないですかね!
どうよ。
しかし、
旧Mac(OS8.1とかな!)を体験しておきながら、なおかつ運動図に乗り換えるような、感受性と批判精神が欠落しているとしか思えない人もいるからなあ。
(↑旧MacOS武闘派の意見)
世代の断絶、は、日本の近代史における「世代を超えた伝統(笑)」なので、これもまたいたしかたなし!
書いていて、だんだん腹が立ってきた!
まだまだサッカーの話題で行くぞ!
いわゆるサッカーファンのひとたちから、特定の民族、特定の文化との現実の交流体験をその根拠としながら、彼らもしくは彼らの文化が「実際に」劣等&下等な存在であると、熱心に私に説いていただくという出来事があった。
以前の日記でも書いたと思う。
実際の彼ら、もしくは文化に出会った、話した、触れた、観察した。葛藤が生れ、軋轢が起き、苦しめられたり、あきれさせられたり、困らされたり、足を引っ張られたりした。そこから導きだされた結論の、確かな体験からくる正当性というものがあるのだと、まあ、そんなふうにおっしゃられるのだった。
その話を聞いて、私は、特定の民族、特定の文化圏に猜疑の目を向けるようになった……ということには申し訳ないことにまったくならず、むしろ、
「体験主義の限界、もしくは落とし穴」を強く意識するようになったのだった。
まあ、今ごろになってどうしてこんな話を蒸し返すかというと(貴重な意見を述べて下さったかたがた、どうもありがとう! 私の日記は読んでないよね!)、『月刊プレイボーイ』2月号で「世界の見方を変えてくれる50人の言葉」という特集が組まれていて、そこで木村元彦氏が
「体験主義に陥らない精神 奇跡に近い人だと思う」
と見出しを付けて、イビツア=オシム元監督の言葉を引用しておられたからだ。
オシム監督は、“ユーゴ内戦で人生にどのような影響を受けたのか”と木村元彦氏に問われて、このように答えたのだという。
「たしかに影響は受けたかもしれないが……。ただ、言葉にするときは影響を受けていないと言ったほうがいいだろう。そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。
そういう戦争が……。」
体験主義に陥らない精神!
人間は、どうやったら体験主義から逃れることができるのだろう……。
逃れるという言い方は正しくないか。
どうやったら体験主義から自由になれるのか。
(^_^;)
問いかけはできるけれども、答えを得ることは、おそらくできないだろう。もし答えを得たとしても、その答えが私を縛り上げるに違いない。
問いかけて、問いかけて、
そこから得た答えさえも乗り越えて、さらに問いかける。
ド、ド、ドストエフスキーかトルストイ〜♪
(^_^;)
「試合はどうなった?」
こんな単純な問いかけですら、オシム監督が言えば、実に奥が深い問いかけになる。
“2対1で川崎フロンターレが浦和レッズに勝ちました”
そういうことではないのです。
問いに対して、問われた側は、じっくりと時間をかけてとことん思考せよと、オシム監督はおっしゃっているのです、
正しい答えではなく、正しい問いをこそ見つけよと。
いや、私の言っていることは、
本当なんだからね!
……何の話だっけ?
(^_^;)
あ、サッカーは暗いという話だった。
もうね、勝敗しか語れないんだったら、サッカーをやめてじゃんけんでいいと思います。
*ショックなドクトリンかもしれないぃ〜*(2008.1.15)
「考えろ! か〜んがえるんだ!」
〜ホラー映画『バタリアン』〜
「ひとは基本的に、感情と共感の生き物なのです。他の誰かが傷つけば、自分も傷ついたように感じます。私たちは、安全で、公正で、適切で、哀れみ深い世界を望んでいます。なぜなら、それは生死にかかわることだからです」
〜メイ=ワン=ホー博士〜
「人間を、強欲な商品の作り手や消費者、競争的で利己的な存在に過ぎないと考えなければならない道理はありません。人間は多かれ少なかれ、そうではない方向で文明と呼ぶものをつくり上げてきたのです」
〜マーク=キングウェル〜
ナオミ=クラインの著作をもとに作られた短編映画『Shock
Doctrine』の予告編(?)がYou Tubeにアップされていたので、紹介しておきます。
日本語字幕がついていないけど、ともかく観てみてください。
明るい気持ちになれること、請け合いです。
サイトのアドレスは、こちら。
こちらも、上から下まで英語だ! 「THE FILM」に飛ぶと、QuickTimeバージョンもあるぞ!
--☆---
民間調査団体が、このたび成人になられる若者にアンケートを試みたところ、「日本の未来は明るい」と答えたひとはたった9パーセントだったそうで、逆に「日本の未来はおっさき真っ暗」との返答は47パーセントにもおよんだそうだ。
切れやすい若者、凶悪な飲酒運転者、薬物中毒者、カルト教団の信者、イシハラさんの悪意剥き出しに言うところの三国人、放火魔、デーモン族、前科者、レイプ魔、ゲーム脳、ネット中毒、セックスレス、離婚、それから結婚、男、女、同性愛者、異性愛者、デブ、ニキビ、禿げ、フケ症、近眼、田舎育ちに都会育ち、快楽主義者、悲観主義者、極右、極左、その他もろもろ。彼らはあなたのすぐ隣に潜んでいるかもしれず、
次の犠牲者はあなたかもしれない〜。
メディアを通じて飛鳥了が演説し、私たちはその演説を受けて、どこからやってきたのかわからない残酷さへの不安に駆られつつ、真実と正義を要求し始める。
私たちの要求する、「真実」と「正義」。そして「安全」。
切れやすい若者、凶悪な飲酒運転者、薬物中毒者、カルト教団の信者、イシハラさんの悪意剥き出しに言うところの三国人、放火魔、デーモン族、ゲーム脳、ネット中毒、セックスレス、離婚、それから結婚、デブ、ニキビ、フケ症、その他もろもろから、「真実」「正義」そして社会の安全を保障していくならば、自ら規制されたがるひとびとというものが……自分たちの内面世界を少なくとも部分的には、「安全」を約束する誰かにゆだねることを望むひとびとが、「それ」を支える土台として必要になる。
少なくとも手続き上では。……曲がりなりにも民主主義国家だから。
(^_^;)
しかし、誰もが誰かの隣人であることから逃れることができないなら、最終的に規制されるのは、
私たち自身の内面でしかありえない。
結果、秋葉原をぶらぶらしているだけの若者が警察にしょっぴかれてしまうような、きわめて清潔で、きわめて不自由な社会がたちあらわれる。
誤解して欲しくはないのだが、公共の利益のために、ある種の自由は制限されるべきだとも、私は考えておりますよ。
例えば、
「俺は人を殺す自由を行使する!」
などと言われても、そりゃまあ確かにそれも自由かもしれないが、私たちの社会では、今のところ、人を殺す権利を個人が手放し、政府に丸ごと預けている。
殺人の権利を手放すことで、全体的には、より自由で建設的な社会活動が可能になると、私たちは考えているからだ。
異教徒がリンチにあったり、中絶医が惨殺されたり、黒人が木につるされたり、そんな世の中よりも、お互い話し合って共存の道を探るほうが、人類共同体全体の利益につながる、と、……みんな考えているよね?
(^_^;)
私たちは、私たちのために、ある種の自由を手放してきたし、さらに手放す必要があるだろう。地球をこれ以上暖め続けるわけにはいかないからだ。
ただですね、
「他人は敵だ!」などいうイデオロギーを土台にして、規制すべき自由を語って
なんになる?
ありとあらゆる他者の内面を片っ端から疑い(ティーンエイジャー、大和民族以外のアジア人、おたく、大学卒の女性、中卒の男性、血液型、その他いろいろ)、犯罪抑止の有効性とやらとひきかえに、ガラス張りの清潔な監視社会の檻の中へと歩を進める。
いっぽうで、私たちは、国際競争力なる名目で「一部の人間がこの地球の資源を独占する自由」についてのリミッターを外し続けている。
経済学者は「独占する自由」の明るい未来を一言に要約して、言う。
「新自由主義!」
私、笑ったらいいんでしょうか、泣いたらいいんでしょうか?
(^_^;)
確かに、警察国家ほど清潔な社会はないかもしれない。封建制度ほど安定した制度も……少なくても人類は経験したことがないだろう。そして、生きることをおっかながっている私たちは、約束された安全に夢中でしがみついてしまう。
アドルフ某でも、コイズミ某でも誰でもいい。大事なのは「調子のいいこと」を言い続けてくれること。それだけだ。
どこにでもいるフツーの高校生が、突然刃物を手に取って、面識もない商店街の通行人に突然切り掛かるという事件があった。この事件に関するテレビ報道をいくつか観てみたけれど、事件の本質に迫ろうという意欲のある番組は、私の観た限りではひとつもなかった。
なぜ、どうして、という問い掛けに、用意された答えが発表される。
「この危機の時代に、今や他人は敵になったのです!」
愛すべき人々、貢献すべき社会、そしてその枠の外にある、不気味で得体のしれない、大多数の「他者」という存在。
……。
あのね。
月曜日・「あなたの生活は消費とイコールである」
火曜日・「あなたは限度いっぱいにまで幸福でなければならない」
水曜日・「成長し勝利し続けている限り“なんの問題もない”」
木曜日・「隣人を愛せ、社会に貢献せよ、しかし、まぎれこんでいる敵にはたえず注意しろ」
……このように教育された子どもたちが、金曜日の朝をどのように迎えるのか、この10年間ほど、私たちは実験し続けた。
日本はどうなってしまったんだろう、なんて、憂国の思いにかられたりして。
なんか、右翼みたいなこと言っている自分に気づく今日このごろ。
(^_^;)
まあ、ともかく。
おおざっぱかもしれないが、これが、「日本の美しい伝統の復活」の大号令の正体だし、
暗い日本の未来予測の“ねっこ”でもある。
日本の地域文化のもっとも謎めいていて、もっとも良質な部分は、ずいぶん昔に小泉八雲が解明している。本気でご興味のあるかたは、図書館で借りて読んでみてはいかがかだろう。
にしても、メディアが「日本の美しい伝統」という文脈で、小泉八雲を持ちだすことなどけっしてありはしない。おそらく、これからも。
私個人は、日本の伝統とやらにはほとんど関心がないけどね。
暗い見通しの日本。
話は突然変わるけれど、ギッチョさんの映画批評サイト『破壊屋』で、『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』という作品の批評があがっていた。
度し難い傲慢さだけがこのような作品を制作させ、公開させることができる、といういい見本だと思う。
最後に、いつもお世話になっているニュースサイト、『暗いニュース』さんのところに、クリス=ロックの語る大統領選が紹介されていた。
めっさ面白いので、ご紹介しておきます。
*新テロ特措法*(2008.1.13)
「外国人がわれわれを憎むのは、われわれがいわゆる自由と正義を押しつけようとしているからではない。われわれが憎まれているのは、われわれの傲慢さゆえなのだ」
〜カート=ヴォネガット『国のない男』〜
「わたしはこの憲法のために、正義の戦いを戦った。しかし、この国は火星人か宇宙からの侵略者に侵略されてしまったのではないだろうか。ときどき、そうだったらいいなと思わないでもない。しかし実際はそうではない。この国は、薄っぺらな低俗なコメディみたいな「キーストーン・コップス」的手段によって、一気に乗っ取られてしまった」
〜カート=ヴォネガット『国のない男』〜
まだお気づきでないかたがいらっしゃるかもしれないので、お知らせしておこう。
じゃじゃ〜ん!
「戦争法案こと、新テロ特措法が可決されました」
お決まりのパターン、
自民公明の強行議決で。
野党第1党の代表であるオザワさんは、企業から金を受け取っているわ、戦争法案に反対している有権者の顔色も気にしなくてはいけないわで、
動物でも鳥でもなく蝙蝠さんとなってトンズラ。
民主主義とかいう前に、こんなの、議会制度とすら呼べない。
まともに討議しとらんのだから!
新テロ特措法とは、そもそもなんなのか。
今の世界で生きる私たちにとってもっとも大切なことを、もっとも優しい言葉でかたることができたのが、昨年亡くなったカート=ヴォネガットというひとで、彼の言葉を借りると、こういうことだ。
「無防備な家族を大量に殺すことで---旧式の武器を使おうが、大学で発明された最新兵器を使おうが---軍事的あるいは外交的優位を得ようとするのは、あんまり賢いやり方ではない。
そんなやり方で、うまくいくだろうか?」
うまくいく!と答えるひともいるだろう。うまくいかない!と答えるひともいるだろう。私は、うまくいかないと答える人間だ。政府のお役人たちにとっては、うまくいくかどうかは問題ではなくて、企業からの献金額だけが問題だ。
そして私たち有権者ときたら、新テロ特措法について書かれた資料のタイトルさえ、声に出して読み上げることもできない。
「しんテロと、とく、とくしゃ……、とくかりほう?」
読み上げられない私たちは、辞書のかわりにまたまたヴォネガットをひもとく。
彼は言う。
「死よりも悪い運命」
わっはっは!わっはっは! ヴォネガットはいつだってユーモアを忘れない。だから私のような無知で臆病な者だって、手に取れるのだ。
日本の平和憲法は、このようなやりかたで骨抜きにされていき、すでに外堀を埋められた大坂夏の陣状態だ。
*布団にくるまってテレビを観る*(2008.1.10)
「健全な信用に至る道は、懐疑の深い森を通っている」
〜ジョージ=ジーン=ネーサン〜
「権利と義務が不可分であるように、懐疑と自由もまた不可分である」
〜メンソーレ=タム〜
先日、布団からリモコンを差し出してテレビをつけると、『ニッポンがおかしい08 自民VS民主…生活を任せられるのはどっち!?』という番組が映しだされた。
「生活を任せられるのはどっち!?」と問われているのは、当然、私を含めた視聴者だ。ニッポンのここがおかしい、ここがいけない、あれが失われた、あれも消えうせた。無理を極めたような日常の中で、苦しい、つらい、耐えがたい、どうにかならないのか、なんとかしてくれ、明るい未来を調子よく語って欲しい、とまあ、言葉にすれば以上のような世論の空気とやらを番組のなかでもう一度確認したうえで、「どっち!?」と問われる。
なにが、「どっち!?」なのか?
自民、民主、二者択一の「どっち!?」だ。
国民の手の届かない密室で大連立を画策する与党と野党第一党の政党名を左右に等しく並べ、中央に力強くVSと書く。振り返って「生活を任せられるのはどっち?」と問えば、有権者の選択の自由や議会制民主主義の理念が確保されたことになる、と、番組がいわんとしているのは、結局はこういうことだった。「効率的」で「わかりやすい」日本式民主主義制度の内側で、選挙のさいは、
国民が選択の幻想を抱けるように
与党と野党第1党が対立して見せる。選挙が終れば公約を覚えているものはほとんどいない。
「VS」と「連立」という文字が日替わりで新聞紙面を踊る。
確固たる信念がないから、日々感じている居心地の悪さから逃げ出すために、大きな声になびいていく。それが、私たちの言う「自分らしさ」の正体だったりする。
日本の政府にはもはや企業の暴走を止める力はなく、サイコロ遊びの延長のような市場のありさまと財界の都合の前にあらゆる矛盾と無理が積み重なっていく。
ことのすべてがどこか奇妙だ、という声は、少なくてもテレビからは聞こえてこない。おかしい2008年のニッポンに不安を感じ、義憤を覚え、危機感に突き動かされ、テレビの伝えるところの現状とやらに触れ、分析し、理解したうえで、あなたの自由意志はテレビ情報の中から何かを選択してみせる。
「クイズヘキサゴン、生活を任せられるのはどっち? 正解はこちら!」
どうやら有権者とは、ペンチを握りしめたまま、時限爆弾を目の前に脂汗をだらだらと流している、危機一髪の男、もしくは女だということらしい。
ダイナマイトの束と、コチコチと秒を刻んでいる時計。青いコードと赤いコード。さあ、イベントの発生です! 迷いに迷った揚げ句、あなたは青色のコードをペンチで分断する。
爆発は起こらない。やった! あなたは正しい選択をした!
……ふとあなたは、残った赤色のコードに目をやる。そして、何を思ったのか、あなたは赤色のコードもペンチを使って分断してしまう。……それでも爆発は起こらない。
ヘレン=ケラーなら、この瞬間、「water」と叫んだに違いない。
(;^_^ A
時限爆弾そのものが、まがいもの、フェイク、ただのおもちゃだったのだと、あなたはようやく気づく。
メンタマ飛び出るくらいの勢いで時限爆弾の赤色と青色のコードを睨んでいたあなたの、その背後の暗闇で、何かが起きていたのだ。
何かが。
私は布団から起きだして、「どっち」と問うテレビの裏側に顔を突っ込んだ。
ものすげえホコリ! ゴホッゴホッ!!
(^_^;)
マイケル=ムーアが、民主党の大統領選挙候補にエドワーズを推薦しているとのニュースが、サイト『暗いニュース』さんのところにアップされていた。
ムーアもつらいところだ。
二大政党制でアメリカ合衆国の民主主義も議会政治もまともに機能しなくなっているから。
打倒共和党を旗印にするのは、私は間違っていると思っている。日本で言えば、某都知事イシハラさん打倒を旗印に選挙戦を行うことも本質的に間違っていると思う。石腹氏を破って当選した新都知事の中身が、
遺子肚さんとおんなじだったらどうする?
あいつはキミのために死にに行く、
だからキミは靖国に参拝に行け、なんつうような。
(^_^;)
まあ、ムーアは、機能しない民主主義と議会政治をふまえつつ、可能なかぎり誠実であろうとしているとは思う。
つーか、二大政党制なんて、どうしようもないわなあ。湯水のように死に票を出す時点で、「どんな小さな声もおろそかにしない」民主主義の機能を反映できるような選挙システムじゃないからな。
(^_^;)
二大政党制だと政権交代が可能になる、とテレビに出てくる学者は言うが、選挙って政権交代のためにやるもんじゃない。というか
連立にふらふらとなびけるなら、そもそも政権交代も意味ないだろって!
あるべき日本の姿って、どうなの?どう考えているの?って話だ。
まあ、金をもらってテレビ出演しているわけだから、言わなくちゃいけないことは言わないと、な。
(^_^;)
チリでは、アジェンデ元大統領の生誕100年祭があったとかなかったとかいう噂を耳にしたんだけど、ネット情報だからあてにならないし、テレビではまったく報道がない。
私は、平将門の霊は信じないが、アジェンデの霊は信じてる。
いやウソだ。
アジェンデ元大統領が、南米の人々の心に蒔いた種を、信じているんだ。そして私は、正直、こんなにはやく種が芽吹くとは思っていなかった!
もちろん、まだまだ双葉がひらいたような状態だから、どうなるかわからない。でも、アメリカ合衆国が存在するかぎり民主化は不可能だろうと言われていたあの南米の大地に、アジェンデの蒔いた種が芽吹いたのだ。
全世界でお祝いをしなくちゃいけないと思う。
--☆---
体が辛いので、もうねます。
最後に東京在住のみな様に連絡事項。
『進化する映画Xリアリティ』と題して、面白そうなドキュメンタリーとノンフィクション映画がシネセゾン渋谷で上映されているようです。
11日の19:00からは『ゆきゆきて神軍』、12日13:30からは『アトミック・カフェ』、15:30分からは『夜と霧』やるみたいです。
うえ、うえっ。
たまにはこういうの、関西で上映してよ。
お願いしますよ、痛み止めの薬はふたつでじゅうぶんですよ。
*正月はとうに終って*(2008.1.8)
「ある世代が、知識は処罰の対象になり、安全は無知の中にあることを学ぶとします。次の世代は自分たちが無知であることを知りません。知識とは何なのかを知らないのですから」
〜アーシュラ=K=ル=グウィン『ヴォイス』〜
新年早々、幸先の悪い話ですが、体調が悪くて机の前に座ってられません。
(;^_^ A
布団に入って、普段は観ないテレビを観てます。
どんどんバカになってます。
ル=グウィンの新作も読んでます。
こちらは、バカにはなりません。
個人的には、夜中に放送していた『33か国共同制作“民主主義”〜世界10人の監督が描く10の疑問〜』シリーズが面白かったですが、ちょっと、ああだこうだと書く気力がございません。
まあ、体調うんぬんは関係なく、のらくらやっているのは今年も変わらないと思います。
そうそう。
フィンランドの大使館のサイトからたどって、日本の子供たちのためにつくられたインタラクティブな学習支援サイト『楽しく学ぼう!フィンランドのこと』というサイトを見つけた。
「フィンランドでは教育の大切さをつねに意識しています。私たちフィンランド人にとっての教育とは、子供たちが自分から学ぼうとする力や自分で考える力を育てることです。」
なんだそうです。
そのときそのときの都合を優先させるために、国際法の基本すら理解しない国民、外務省(←!)、学者、政治記者が、ウソと間違いと初歩的な誤解を土台に議論する「国連改革」とやらの毒気にすっかりあてられたので、テレビを消して、フィンランドのことを学ぼうと思います。
ル=グウィンの新作ファンタジーを読みながら。
*明けまして2008年*(2008.1.1)
「願わくば私に、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とを授けたまえ」
〜カート=ヴォネガット『スローターハウス5』〜
「所有が孤独の穴埋めになるかどうかの実験は、人類の歴史を通じて最も豊かなこの国で行われてきました。物を所有すれば、少しは助けになりますが、宣伝文句ほどではありません」
〜カート=ヴォネガット『パームサンデー』 〜
「<この惑星の生命維持組織に加えるどんな傷もほとんど永久に治療不能である>という科学的事実を認識しておく必要があるでしょう。この惑星を傷つけておいて、あとからそれを治すふりをする人間は、まさしく偽善者だということになります」
〜カート=ヴォネガット『パームサンデー』 〜
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
シベリウスの交響曲4番をヘルベルト=ケーゲルの指揮で聴いております。
歪んだロック魂ゆえでございます。
(;^-^ゞ ロック魂なら、ロック聴けよ……。
力技で聴かせるケーゲルの百万馬力の説得力で、むすっとしたシベリウスの4番を聴いておりますと、
陰々滅々としたリアリズムに身も引き締まる思いです。
(;^_^ A
スピーカーの前に座っていると、ときおり、シベリウスというよりもショスタコーヴィッチを聴いているかのような錯覚さえ覚えますが、ザ・ケーゲル節、ということで、実にいい感じです。
私は弱い人間だから、元旦からショスタコーヴィッチを聴いたりはできないんですけれどね。
産業革命以降の人類共同体、それから、その内部で生きている人間たち(←先進諸国における、という枕詞が必要なのかもしれないけれど)とは、いったいどのような「シロモノ」だったのか、息が詰まるほどの濃密さで聴かせたのがショスタコーヴィッチで、
私は本当に息が詰まってしまう!
モーツァルトやバッハたちをタイムマシーンに乗せて21世紀に連れてきたとしても、もうあの音楽は二度と作れないはずだ、と、私は思ってますよ。
……。
なんか、ちっとも年始の挨拶になっていないですね。
(^_^;)
こ、今年もよろしくお願いいたします。
あ、もう言ったっけか。
*南米の知性に触れた*(2007.12.30)
「生きとし生けるもののなかに汝自身の宿り住むことを知れ」
〜トルストイ『文読む月日』〜
「コチャバンバ宣言は、欧州による南米征服の500年後に、南米地域統合へと歩を進める画期的なものだった。そのうえ、ベネズエラからアルゼンチンまでの亜大陸という構想は、「どうすれば帝国とテロという悪しき遺産と決別し、もうひとつの未来を作りあげることができるか」について、世界に一つのモデルを提示することができるかもしれない。」
〜ノーム=チョムスキー・2007.1.5〜
「何万ものチリ人の胸に我々が蒔いた種は、必ずや芽吹くことだろう」
〜もうひとつの9.11・アジェンデ最後の演説 〜
メキシコ人映画監督が作った『パンズ・ラビリンス』は、革命の課題、つまり、「搾取構造との対立」、「変節の誘惑」、最大の難関「エセ指導者の求める血の収穫」を描いた作品だったのだけれど、私の周囲の人間(家族を除く)は誰も信じようとしない。
牽強付会だとか何とか。
いたいけな一人の少女が、牧神に血の収穫を求められる。彼女の後ろには銃を持つファシストが! そのとき、少女が示した、もっとも偉大な知性、真実の勇気!
……というふうに解釈しないと、冒頭あたりのバラの寓話も、
最後のモノローグも意味わかんないだろ!
この映画は、ゲバラ式を否定し、アジェンデにこそ捧げられるべき映画なんだ……って、言葉にしたらつまらんよなあ。
「文脈で捉える」なら、こうでしかありえないので、しつこく書いておきます。
話し変わって。
子どものころ観た映画に『戒厳令下チリ潜入記』というドキュメンタリー映画があるのだけど、これ、原作(?)本の著者がガルシア=マルケスだったんだねえ!
今日知った。
(^_^;)
当時の私は、メキシコもコスタリカも南米だと思っているような子どもだったが、あの映画で聞いたアジェンデ大統領の演説は、忘れられない。
……というか、最近、何度も思いだすようになった。
この日本という場所に住んでいれば、何を見ても、何を聞いても、思いださずにはおれない。
2008年は、もう間近だ。
それはそうと、
「Yahoo!動画」というところで、アルゼンチンのアニメ映画『火星人メルカーノ』が
タダで観れる
のだそうだ。
言っておくが、これは傑作SFアニメだ。ベクトルも味もぜんぜん違うけれど、『風の谷のナウシカ』にも匹敵するような出来栄えだと個人的には思う。
キルゴア=トラウトの作品を映画化したら、きっと、こういう映画になったろう。
残酷なバイオレンスシーンもある。けれど、「事実」から目を背けて生きる人間という存在を、思いっきり皮肉って、実に危険な映画に仕上がっている。
自分たちが抱える深刻な問題に、最後の最後まで本気になって取り組むことのできない地球人類をとことん描いて……まあ観て下さい。
南米の歴史を土壌にして、
彼らが共有しひっそりと育んでいる世界観、知性がある。
DVDのパッケージがいやになるくらいどす暗くて誰も見ようとしないが、実は映画史上に残る大傑作『バス174』とともに、これは、南米という地域に芽吹いた、共有された知性だ。
ある時代のロシア文学と民衆の関係を見るかのようだ。
ちなみに、『バス174』
『狼達の午後』より1000倍も充実した映画だ。
『狼達の午後』は名作映画で、ドキュメンタリー映画がそれをしのぐとはとても信じられないでしょうが、本当なのです。
(^_^;)
アメリカ合衆国に最後の砦を持つ巨大な経済システムは、明るく陽気な光をあびつつ、背中に巨大な影を作る。
影は闇と呼べるほどに深く、巨大で、
南米や中南米・北米までもを、ありとあらゆる負のエネルギーごと、すっぽりと覆ってしまっている。影はまるで重量があるかのように、地域全体を押しつぶし、ひしゃげさせ、そのため地域一帯はのっぺりとしたままだ。
それでも、地域が共有する知性は、ほんとのときたま、映画や小説という形をとって、私の前に姿を現す。
タダで!
いま南米という地域全体が指向している方向性は、そこで暮らしているひとびとにあまねく行き渡っている。言葉で書いてしまえばそれっきりだけど、「あまねく行き渡った知性」なんてものを、この目で確認する驚異!
南米に吹いている風。かすかだけれど、いっぷう変わったあの風に吹かれて、しかし私は日本という場所にいる。
「沖縄の日本軍による集団自決強要」は、最終的には教科書からきれいに削除されることになり、これでまたひとつ、日本は美しくなった。
日本の歴史を学ぶこれからの日本の子どもたちが、美しい民族の歴史を何の憂いもなく胸を張って学べることを可能にするために、「沖縄の日本軍による集団自決強要」は、少なくとも教科書からはきれいに削除された。
もちろん、沖縄戦の真実についてこだわるのなら、これは言うまでもなく、一部始終を体験した沖縄県民こそが知っているはずであり、彼らに真実を語ってもらうほかはないはずだ。
しかし、さまざまな“教育的配慮”の果てに、あってはならないものが注意深く除かれることになった。
「美しい日本の伝統と、民族の誇りの復活」という看板で作るちっぽけな影に沖縄という地域をまるごとおおい
「間違いだ」「不正確だ」「議論の余地がある」などと、あくまでも影の外側からああでもない、こうでもないとこねくりまわし、最終的に沖縄県民からすべてを取り上げることに、私たちの政府は成功したようだ。
「美しい日本の復活」という名の「排他主義」をあまねく行き渡らせる上で、沖縄県の歴史の真実は、扱いがやっかいな面倒なシロモノでしかなくなった、ということを本音剥き出しに言及すれば、それが今回の沖縄県民集団自殺強要における政府お役人たちのメディアを通じての発言になるはずだ。
看板は“ちゃちい”と言っても差し支えないようなデキだが、メディアが撒き散らすフラッシュの光のなかで、ぞっとするような真っ黒い影を作り出す。明るく清潔な光がまたたき、そのちょうど裏側では、沖縄県という地域全体が偶像の影の中にすっぽりとおさまって、メディアの注目が集まれば集まるほど、影は濃くなり、やがてそれっきりになる。
いまどき、人間についてのなにかしらの真実、それから美質に触れたいと思うなら、影の中に首を突っ込まなくてはならなくなった。
歴史と経済システムが作る影の部分に。
例えば、アーシュラ=K=ル=グウィンのご両親が残した『イシ』の物語に出てくる、あの気高く美しいひとは、アメリカ建国の歴史が作りだす巨大な影の中から、民族の最後の生き残りとして、私たちの前に姿を現した。
さまざまな人間的美質を覆い隠す、影の中から。
--☆---
日本における、「効率化」という知性。
日本全国津々浦々の病院から入院用のベッドを6割削減する医療改革が来年から始まる。
美しい日本の医療大改革を施行すると、入院治療が必要な
約4万人の病人が病院から放りだされる計算
なんだそうで、
「4万人も入院患者が減った! やった! 日本から病人が減った!」
と、むなしい数字をふりかざし、日本は美しく清潔になっていく。
日本を浄化するための医療改革に先がけて、90歳近くのお年寄りが、体調を悪くして救急車で運ばれたものの、「空きベッドがない」などの理由により、
30以上の病院に断られ、お亡くなりになられたという。
マスゾエさんが、
「医者不足の問題」
と、他人事みたいに発言して、医療の改善を約束する。医療の改善とは、この場合は、病院のベッド6割削減だ。あなたは、自己責任によって健康を回復するか、5年先まで予約がいっぱいになった入院用のベッドを待つか、選択することができる。
テレビが言う「医療の選択が可能になる!」と。
マジかよ!
テレビはこう言っているのと変わらない、つまり、
アウシュビッツでガス室?それとも、ここで銃殺?
どうしてこうまで冷酷になれるのか。
テレビに出てくる、識者とは、いったい何者なのか。
*祝! 500万アクセス*(2007.12.25)
「人々が判断の道具を持つことを学ばずに、希望を追うことだけを学んだとき、政治的な操作の種が蒔かれたことになる」
〜スティーブン=J=グールド〜
「地球もその上に暮らすすべての生き物も、宇宙に浮かんでいたチリとガスから生まれた。われわれも宇宙の一部なのです」
〜カール=セーガン〜
「何にもまして助成に値するのは、科学と文学であります。
どこの国であろうとも、知識こそは、人民の幸福の土台として何より確かなものだからです」
〜ジョージ=ワシントン 議会演説・1790年 〜
体調悪いです。
(;^_^ A
そんなことより。
気がついたら、アクセスカウンターの数字が500万を突破しておりました。
ありがとうございます。
ぽちぽちとアクセスして下さったみなさまのおかげです。
ありがとう。
何も出ませんが。
(;^_^ A
でも、うれしくて、ほんの少しだけ誇らしくもあったので、自分自身に何かプレゼントをしようと、カール=セーガンの本をネットで購入しようと考えた。サイエンス「フィクション」ではなく、宇宙科学のお勉強をしてみようと思ったのだ(何かと理由をつけて飲む理由を作る酔っ払いと同じ心理)。
が、なんと、カール=セーガンの書籍はAmazonでもBK1でも『百億の星と千億の生命』という本以外、
すべて絶版
となっていた。
どひい!
日本は、カール=セーガンの本が一冊しか読めない国なんだ!!
どんな先進国なんだ。
では、と、スティーブン=J=グールドの本を購入しようとしたら、これまた、『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』を残して、絶版。
いつの日にか、「優生思想」「人種主義」が「有効な教育投資のあり方」という形で社会に姿を現す未来を危惧した
グールドさんの本が、一冊しか読めないとは。
カール=セーガンやスティーブン=J=グールドを勉強せずに、大学生は何を勉強してるんだ?
読むなら今だろ! 今が旬だろ!
あ、だから絶版になるのか。
(^_^;)
録画しておいたサッカーの試合でも観ようとテレビをつけたら、「超能力で犯罪捜査なんとか」みたいな番組が流れていた。
テレビが臆面もなく垂れ流すこのような狂信、ニセ科学、無知、ホラ。そうしたなんやかんやによって支えられ、成立している傲慢さ、倫理観の欠如、戦争、貧困、詐欺、人種差別……。
これは社会的悲劇だ!
てなことを、私は感じずにはいられない。
ワシは、細○和○よりもカール=セーガンの本、スティーブン=J=グールドの本が読みたい!
自分自身を啓蒙するために。
……古本屋めぐりだな〜。
『人間の測りまちがい』という本、安く手に入らないかな。
タイトルだけで欲しくなる本だ。
f ^ ^ *)
♪心 やさし〜 ラララ
♪科学の子〜
♪助けておくれよ 鉄腕アトム〜
※もういっかいよく調べたら、スティーブン・J・グールドの本はいっぱいありました。
(;^_^ A
よく調べずに書くのは、科学精神に反しまくり。
まずいよなあ。
『フラミンゴの微笑 進化論の現在』を買って読もうと思います。
ハイ。
|