*足が痛い*(2009.2.22) 
       
        「懐疑する精神も、不思議さに驚嘆する感性も、鍛え上げなくては使えない技術である。この2つが児童生徒の心の中で仲良く結婚することこそ、公教育の主要な目標とされるべきだろう。そんな慶事が、メディア、とりわけテレビに描き出されるところを見たいものだ」 
         〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』 〜 
         
         
        「戦争に反対する左派も、しばしば自分たちこそ真の愛国者であると主張する。けれども、私自身は愛国者ではないし、愛国者になりたくもない。愛国心が人類の崇高な属性の一つであるなどと、私は考えていない。私はいかなる国や政府にも忠実ではないが、政治的社会的公正や経済的民主主義、人権といった、いくつかの原則に対しては忠実でありたいと思う」 
         〜ウィリアム=ブルム『アメリカの国家犯罪全書』〜 
         
         
        「もっと悪意に満ちた暴力が、契約という形式を通じて圧倒的多数の人々を蹂躙する」 
          〜『チョムスキーの「アナキズム論」』〜 
         
         
         
        俄然と体調不良……。 
        世間の人々からすれば、ワシのやっていることって「ぐうたら」以外のなにものでもないのだろうけれど、とにかく疲れた。 
        気力もないので、脈略も何もなくバラバラと書いていきます。 
        まずは、これ。 
        youtubeをぶらぶらしていたら、すげコワな歌を発見。 
         
         
        (^_^;)うなされそう。 
         
        えー、話題が変わりますが、文体も変わってますが、私、実はナオミ=クラインのファンなんです。 
        ビジュアル的に、チャーミングじゃないですか。 
        (;^-^ゞ 
         
        マイケル=ムーアとは、真逆のベクトルで。 
         
        ナオミ=クラインの『金融救済で暴利をむさぼるのは誰?』 
         
        いや、ムーア先生もチャーミングですよ。実際。 
        ムーア抱き人形があれば、ワシ、買うよ。まじで? まじさ! 
        ムーア監督の次回作の企画は、金融問題らしいです。 
        ムーア監督、日本でも映画撮ってもらえないだろうか。 
        例えば、こういう題材はどうだろう。 
        『他文化・他民族・多国籍社会で「人として」』さんから、 
        『レイシズム、ゼノフォビアと排外主義に毒された文化省』 
        (´▽`;) 
         
        そう言えば、映画評サイト(?)『破壊屋』さんのところで「2008年度最高映画と最低映画」の発表があった。 
        私は個人的に、2008年が「アメリカ映画が圧倒的な年だった」とも思っていないし、「画面の隅々までに演出が行き届いているアメリカ映画の映像は、スクリーンで観ているだけで幸せな気分になれ」ないし、 
         
        「アメリカ映画とアメリカ以外の国の映画では次元が違う域にまで達している」 
         
        というのは、これを逆ベクトルにすると、私のアメリカ映画評価そのものになる。つまり 
         
        一部の例外を除いてアメリカ人って、ほんっとまともな映画が撮れないなあ 
         
        という評価だ。正直、私は、感動のドーピング効果としか呼べないものを上質な文学作品とも映像作品とも呼びたくない人間だから、いわゆる「アメリカ映画」なるものは、頭ごなしに否定されるべきものだ。見上げるほど巨大で手の込んだ、巧妙に映画を観る者の気分を満たしてくれる映像娯楽商品は、私の生活にはまったく不必要だというだけでなく、人生全体を危機にさらすことでもある。 
        その場その場の気分を満たすのために機能する映画館という場所---正義だの、勝利だの、愛だの---にどっぷりと浸ってたっぷりと感動する。しかし、感動すればそれでいいのなら、そのスジの最高峰は、アドルフ=ヒットラーさんの演説だ。 
        ……というような辛辣な評価を、アメリカ映画全体に対して、私個人はくだしているのだが、『破壊屋』さんの映画評は、いつも参考にさせていただいている。 
         
        一位に『シューテム・アップ』を押されているのが『破壊屋』さんらしいが、 
         
        三位にケン=ローチの『この自由な世界で』が食い込んでいる。 
        私もお薦めの映画だよ。イギリスの映画だけど。 
        
       
       
        
       
       
        *私の体という拷問装置の中で*(2009.2.20) 
       
        「ぼくは苦痛に対しては悲鳴と涙でこたえ、卑劣な行為には憤慨でこたえ、いまわしい行為には嫌悪でこたえるのです。そして実にこれこそ生活と呼ばれているものだと思います」 
          〜チェーホフ『六号室』 〜 
         
         
        「苦痛を恐れるなということは、人生そのものを無視せよということになるでしょう。なぜなら人間という存在そのものが飢え、寒さ、屈辱、痛手、死に対するハムレット的な恐怖などの、もろもろの感覚から成りたっているのですから」 
          〜チェーホフ『六号室』 〜 
         
         
         
        つらい! もうだめだ! 
        あー、かんべんしてください、私にとって、私の体は拷問装置だよ! 
        そんなときには、ドリンク剤! 
        
        せつない話だよ。 
        ツーか、個人的には、仕事なんかできなくてもいいから強い人間になりたいよ。 
        (^_^;) 
        あ、ナカガワさん酩酊事件の陰に隠れてしまったヒラリー=クリントン来訪ですが、 
         
        米軍基地のお引越しの代金の6割を日本が持つことに決まった 
         
        んだってね。 
        (^_^;) 
        民主党のオザワさんの対応がまたこれ、従来の自民党政権とほぼおんなじということろが、国民に選ぶ権利“だけ”与える二大政党制の機能を十全に果たしていて、笑ったらいいのか、泣いたらいいのか。 
        (^_^;) 
        寝ます! おやすみ。 
         
        おまけ 
         
        キアロスタミと並んで、映画文化の頂点に立つ芸術家のひとりモフセン=マフマルバフの末娘(すでに奥さんも長女も世界的な映画監督)が、長編映画デビューしました。 
        映画監督一家……。 
        (;^_^ A 
        ハナ=マフマルバフの長編映画『ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた』 
        
         
         
         
       
        
        
        
       
       
        *日本人の心スペシャル*(2009.2.19) 
       
       
      「重要なのはイメージだと。ですから、民主党のなすべきことは、民主主義の遺物をきれいさっぱり投げ捨てて、テレビを通じて候補者を健康増進薬のように売り込むことだ、とウォルドマンは述べています。そうすれば、真の民主主義が実現するというのです。今日では、選挙の争点を上手に「操作」する方法を……」 
         〜ノーム=チョムスキー『チョムスキー、アメリカを叱る』 〜 
         
         
        「ファンタジーを嫌う人間が、科学に対しても同じように退屈や嫌悪感を抱くことがしばしばある。こういう人間は、ホビットも恒星状天体も好きではない。どうも相性が悪いのだ。複雑なこと、遠く隔たったものはどうでもよいのだ。ファンタジーと科学とのあいだになんらかの関係があるとすれば、それはきっと根本的に審美的なものであろう」 
          〜ル=グウィン『夜の言葉』〜 
         
         
         
        私の父は大のテレビ好きなので、たぶんどこかのテレビ番組のコメンテーターの意見を受け止めてのことなのだと思うのだが、 
        「酩酊大臣・某ナカガワ氏と、亡国首相・某アソウ氏がバッシングを受けてかわいそうだ論」を我が家の台所でぶちまけて、母と口論になった。 
         
        夫婦げんか(というほどでもなかったのだが)を聞かされる第三者、という立場ほどうんざりさせられるものはないが、 
         
        父の 
        「(一方的なバッシングを受けている人をかわいそうだと思うのは)日本人の心なのだ、おそらくアソウ氏の支持率はアップするだろう」 
        という意見にはある種の衝撃を受けたので、こうやって日記に書き記している次第。 
         
        日本人の心! 21世紀にもなって? 
         
        ……いや、疑問を「心」の内部で感じているだけで、口に出しはしませんけどね。 
        (;^_^ A 
        つーか、当事者同士のやりとりの文脈を無視して、言葉じりに注目するほうもいけないんですけれどね。 
        (^_^;) 
        まあ、ともかくだ。 
        実際問題「日本人の心」なんて、「血液型心理分析」や「星占い」なみの虚構だよ。 
        日本に限らずそれぞれの地域の固有の文化、というものは、確かにある。 
        そして、個々の地域文化の内部に流れた時間、すなわち歴史、文脈を、「気質」と呼ぶことは、可能だろう。 
        だが、ここで言う「日本人の心」とは、虚構と同義だ。メディア情報の反射物、テレビ番組を反転して映し出す鏡、を「心」と呼んでいるに過ぎない。 
        それでも、虚構だろうが何だろうが、わかりやすい。「日本人の心」なんていう実体のないイメージ言葉は、メディアがもっとも得意とするたわごとだ。メディアが大量に垂れ流して、受け止める側は、喉ごしよく大量に消費する。 
        わしらはとうに、内的歴史なんかもっていない。あるのはテレビ、新聞、ラジオ……メディアが記録し、知覚し、判断する。そこから生まれてくるのが、「日本人」が大好きな“現実世界”だ。 
        おかげさまで、アソウさんを批判しながら、いっぽうで某ハシモト大阪府知事を絶賛するような倒錯したやからがわんさか。 
        (^_^;) 
        思考の連続性というものがまったくなく、そのときそのときの世間の空気というものを反射しているだけ。 
        ……。新聞を読んでいる暇があったら、SF読めよ、SF。 
        ここ日本では、なんでも、コイズミ第2劇場が開幕する予定だとか。 
        『非国民通信』さんから、『さっさと政界を去ってほしいけれど』 
         
        ===================== 
        麻生内閣が森内閣と同じ役割を果たしてしまう気がします。森内閣までの自民党への不満が、自民党を批判する(フリをした)小泉への支持に繋がったように、麻生内閣への不信もまた同様です。小泉が自民党の現閣僚と対立すればするほど、小泉が反自民党の旗手に見えてしまう、現内閣を見限った人々が「それとは違うもの」として小泉を支持する、結果として自民党も支持することに繋がる可能性は否定できません。一度の罹患で免疫の出来る人は今さら小泉など支持しないでしょうけれど、学習能力のない人もいれば、そもそも小泉政権の遺した「結果」に驚くほど無自覚な人もいます。 
        ===================== 
         
        芝居をしている自覚のない人々がくりひろげる猿芝居。 
        (^_^;)これが虚構としての「日本の心劇場」なのだ。 
       
          
       
       
        *民営化と暴力*(2009.2.16) 
       
       
      「餓えた犬は肉しか信じない」 
         〜チェーホフ『桜の園』〜 
         
         
        「国家資本主義が現代に向かって発展していくとともに、経済、政治、イデオロギーの諸装置は、これまで人類が築きあげたあらゆるもののなかで、全体主義的理念にもっとも親和性の高い私的専制権力の諸制度にいよいよ支配されることになった。半世紀前、政治経済学者のロバート・ブレイディはこう書いている。「企業の内部では、あらゆる政策は上位の権力から発せられる。政策を決定しそれを執行するこの権力連合体のもとで、すべての権力は必然的に上意下達され、すべての責任が〈その逆に〉下位から負わされていった。これが『民主的統制』に相反するのはいうまでもない」 
         〜『チョムスキーの「アナキズム論』〜 
         
         
        「愚者は、自分が恥ずかしく思うことをすると、それは自分の義務だと言い張るものだ」 
         〜バーナード=ショウ『シーザーとクレオパトラ』〜 
         
         
         
        チョコ食ってる場合ではなく、そもそも貰うあてもなければ、あげるあてもなく、チョコ買う金もないバレンタインデーが日本の上空を過ぎていった。 
        (^_^;) 
        どうしてこんなことになってしまったのか。 
         
        洗脳・搾取・虎の巻 
         
        
        日本の現状の一側面を端的に表現した、これは名曲なのではなかろうか。 
        (^_^;) 
        第2のコイズミ劇場を待望し続ける、哀れな我々よ。 
        自称救世主にだけはことかかないこのご時世、笛吹けばどこまでも、どこにでもついていく。 
        「ショ、ショ、ショジョジ」のナオミ=クライン、恐怖を利用した「経済改革」その1。 
       
         
        以下、恐怖を利用した「経済改革」その2。 
         
        恐怖を利用した「経済改革」その3。 
         
        恐怖を利用した「経済改革」その4。 
         
        最後に、『裏組曲「近代経済学』 
        
        7分で近代経済のうわっつらがわかちゃうよ。 
       
          
       
       
        *犠牲飛行*(2009.2.14) 
       
       
      「今日も今日とて、罪もない避難民の気の毒な様を見に、みな遊山みたいに出かけるのです。同じ運命が、すぐとは言わないまでも、いずれは自分の身の上を見舞うことを考える者とてありません」 
          〜トルストイ『へルマンとドロテーア』〜 
         
         
        「アメリカの主張するところでは、「公共財」は存在しえない。市場だけが、分配、価格、食料、住居、学校建設、医薬品等々の決定を下す。20億以上の人間が極端な貧困状態にあるって? この状態を除去できるのは経済成長のほかにはなく、これは、貿易と市場を最大限に自由化することによってのみ達成される。それまでは貧しい者たちが自助努力するだろう(!)」 
          〜ジャン=ジグレール『私物化される世界』 〜 
         
         
        「「みなさま方には、相手として戦わなければならない下層階級がおありだ、ということになりますれば」と、彼は言った。 
        「わたくしどもの方には、下層階級というものが、ちゃんと控えておりますよ!」 
        この名言は、満座をどっと笑わせた」 
           〜ジョージ=オーウェル『動物農場』〜 
         
         
         
        珍しくテレビをつけたら、「大阪府黒字転換! ハシモト改革の秘密」とかなんとか言って某大阪府知事をもちあげていて、ぶったまげた。 
        つーか、怒りで目の前が真っ赤に染まった。 
        脳の血管が切れて、死ぬかもな。 
        (^_^;) 
        まあ、あれだ。 
        ハシモトさんは雲の上から下界を見渡すお釈迦様で、地獄でのたうつ人々救済のために雲の上からたらしていたクモの糸をとっぱらっちゃったと。クモの糸にしがみついていた人々はまっさかさまに地獄に落ちたと。すると財政が黒字に転換したと。下から引っ張られて降下するばかりだった雲がちょっと上昇したと。 
        えー。 
         
        こういうのを財政再建って言うの? 
         
        人間が二人いて、林檎がひとつ、さーどうする? 答え→取っ組み合いの喧嘩をして、勝ったものがマルマル手に入れる。負けたほうは地獄に蹴落とされる。 
        確かにわかりやすいシステムだけどな。 
        ( ̄_ ̄|||) 
        この方程式の、なにがおかしい? 大阪府知事と彼を支持する80ウンパーセントの府民は言うだろう。 
        地獄でのたうつ者たちは、地獄に落ちるだけのことをしてきたはずだ。だから、地獄に落ちた者、地獄へと落ちていく者たちがどーなってもかまわない。それは勝利の報酬の排泄物にすぎん。ぷりっとひって、砂をかけて、それきりにしておけばいい。他人の手を借りなければ立っていることすらできないような者たちに、救いの手を差し伸べる必要などない。 
         
        それは“彼らの問題”であり、“大阪府民の問題”ではないはずだ。 
         
        連中が下からクモの糸をひっぱるので、我々の鎮座いたします雲がどんどん降下していく。府民が危ない。大阪という地域全体が危ない。 
        おしゃかさま、たすけて〜。 
        そこであらわれまする府民のヒーロー。 
        大阪の地にやってきた捨て身の改革者が、クモの糸を切断して、府民の皆様方を救います、と。 
         
        (^_^;) 
         
        敗者の責任を追及しよう。 
        ほどこし(←おいおい)を与える必要はなし。 
        墜落寸前の旅客機から荷物をどんどん捨てていくように、雲の上から人々を蹴り落としていく。ヒーローは、涙を流しながら府民に訴える。 
        「墜落するぞ! どんどん落っことせ!」 
        ……なんだ、こりゃ? なんで、みんな黙ってんの? 
        今はまだ、数字に踊っていられるから、まだいい。黒字だ黒字だ〜♪ 
        しかし、このあと、とんでもない激痛が大阪府民を襲うことになるぞ。 
        大阪という飛行機は確かにまだ飛んでいるかもしれないが、中味はからっぽで、ただ飛んでいるだけの存在だ。エンジンすら放り出してしまったから、 
         
        動力は人力だぞ!! 
         
        そのころは、ヒーロー知事は国会議員になってバイナラしてんだろうけどな。 
        (^_^;) 
        「大の虫を生かすために小の虫を見殺す」なんつーようなことを、胸を張って主張できるその根性! しかも、ありがたく思えと! 
        これが「庶民の目線に立った政治」なんだってよ。庶民も庶民だぜ。 
        「上に意見できる、強い相手と闘えるハシモトさんのような政治家をもっと増やしてほしい!」 
        なんつーことを言う人が、周りのにもすっげい多いよ。 
         
        彼が“上”や強い相手と闘ったことって、一度もないじゃん、実際! 
         
        意見したことすらないよ。高校生を泣かしたりとか、そんなんばっかじゃん。 
        (^_^;) 
        あとは、テレビの前のポーズな。 
        (^_^;) 
        社会の内実というものをすっかり見失い、強奪や略奪に「改革」という看板をはりつけ、あとは地域をあげて半ばやけくそに踊り明かす。 
        自己責任でとことん頑張るしかない、国家としても地方としても個人としても他に道はない、明るい未来は無限に続く戦いの更に向こう側にある。現に知事も頑張っている、だからおまえも頑張れ。この世界では勝者だけが生き残るべきなのだから……うんぬん。 
        大阪府民の皆様方よ。地獄でお会いしましょう。 
         
       
        
        
       
       
        *利益の最大化と煙*(2009.2.11) 
       
       
      「学校民営化、さらに民営化全般の支持者たちは、公的領域を民間の手にゆだねることは、現実にはしくじることもあるにせよ、理論的に正しいという。(略)金儲けの動機のおかげで、営利校では教師もより良い指導をし、管理者もより良い管理をし、企業も顧客である父兄、教師、教育委員会が求めたり必要としたりするものを提供する、というわけである。だから、「営利というインセンティブは学校に良い影響を与えられるのです」とフロムは説明する。たとえ、企業が「実際には、決算結果のことだけを考えなければならないにしても」」 
          〜『ザ・コーポレーション』より 
                脚本 ジョエル=ペイガン〜 
         
         
        「この『解放のイメージ』ときたら……。「利用できるわ」! だめだ、だめ、だめ、だめ! まったくナンセンスくだらん!」 
          〜ラース=フォン=トリアー(映画監督)〜 
         
         
         
        郵政民営化なんてことになったら、ハゲタカ大企業が利権をむさぼりまくって、大変なことになるぞって、何度も言ったろうに。 
        “「かんぽの宿」転がし”で世間は大驚愕……って、ものの見事に、なるようになってきましたね。 
        民営化で公共の財産を企業に売り渡したら、「利益の最大化」が行われ、おこぼれを期待する私たちを置き去りにしつつ、社会と内実と呼ぶべき何かが、煙のように消えていった。 
        ほんっと、ばかだな。 
         
        換金できるものはとことん換金し、残ったものはただの不燃ゴミとして処理される。 
         
        民営化によって、お金は確かに生み出されたよ。で、何が残ったの? 
         
        ありとあらゆる人間的価値が「金」という数字になって、ひらひらと舞いながら、どこかへ消えていった。 
         
        そこに何が残ったにせよ、その何かを、わしらの文化の文脈では「サービスの多様性」、と呼ぶらしいんだよ。 
        (^_^;) 
        まあ、あれだ、放火して回って、「たき火の多様性」とか言うようなもんかな〜。 
        (^_^;) 
        「実際に火をつけてみなければ効果はわからないだろう」 
        などと言うやつもいる。 
        で、実際に火をつけてしまう、と。 
         
        ♪もえろよ、もえろ〜♪ 
         
        ホント、みんな、もう少しまじめにならなきゃな。 
        「民営化」という山火事が起きる。……放火だったわけだけど。 
        (^_^;) 
        ごうごうと炎があがって、誰もがきゃっきゃと赤ん坊のように喜ぶ。そりゃあ、ありとあらゆるものが燃えたんだからな! よく燃えた! こんなに燃えるんなら、もっとはやく火をつけるんだったと言う者もいた。 
        燃やせるものは、なんだって燃やした! 労働者たち自身の尻にすら、火をつけた! 
        ええおい? 私たちは、なんと哀れな私たちなのだろう。 
        「サービスの多様性」と強弁したところで、残ったもの、それは、ぶすぶすとくすぶる、 
         
        大小様々なケシズミだ。 
         
        なぜ、これほど大掛かりな放火行為を、みなして支持したりしたのか。 
        何もかもが金になってしまった! 
        そして、消えた! 
        今や、なんにも燃やすものがない! マッチ売りの少女だってマッチを持っていたのに! 
         何もかもが金になった上で、何もかもがとりあげられた。今日からは、私もあなたもケシズミという名の、無価値な商品だ。 
        売れなければ、あなたは無価値だ。「明日からはもう無用だ」と切り捨てられても、やはり無価値だ。 
        無価値なあなたは、最終的には社会の重荷と見なされ、「どうなってもかまわないひと」「どんなに辛い体験をしてもしかたがないひと」としてきれいに切断される。 
        私もあなたも、ケシズミとしての自分を抱えて生きていく。まだ火をおこせるケシズミなのかどうか、あなた自身にも分からない。あなたは、頭からガソリンをかぶって、私にはまだ火がつくのです、と世間に証明しなければならないだろう。 
        ……システムの根本から、完全に狂ってる。 
        (^_^;) 
        火が消えて、地域共同体がすっかり炭化した今ごろ、有権者の怒りが爆発。 
        すると今度は、アソウさんが、「郵政民営化には実は賛成でなかった」とか言い出す始末。 
        『きまぐれな日々』さんから、 
        『麻生太郎は郵政民営化に反対ならコイズミの議席に頼るな』 
         
        口先一つでどうにでもなると思ってるんだな。 
        (^_^;) 
        なんて楽な商売なんだろう。 
       
          
       
       
        *私たち自身のこと*(2009.2.9) 
       
       
      「もっとも大切な問題については答えをいただいていません。つまり、無数の罪のない男女と子供たちの頭上に致命的な爆弾の雨を降らせ、家や学校、病院、生活、そして未来を破壊することを、あなたは支持するのでしょうか?」 
          〜ウィリアム=ブルム〜 
         
         
        「われわれが必要としているのは、最も究極的で最も恐怖にみち、かつ最も恐れを知らない“なぜ”と“次はなにか”という問いなのである」 
         〜ザミャーチン(SF作家)〜 
         
         
        「フィクションは可能性を固持する義務がある。真実にはない」 
          〜マーク=トウェイン〜 
         
         
         
        もう何度も紹介したと思うけど、某大阪知事支持率82%を記念して、『戦争のはらわた』オープニング。(日本語字幕あり) 
          
         
        『bat99の日記』さんの「ナチスすら出てこない日本」という考察。 
         
        度を越した冷酷さを内面化させて、無理を極めきったような日常にへばりついて生きていく。 
         
         
        --☆--- 
         
        先日、『北辰斜めに差すところ』という映画を鑑賞した。 
        予告編動画。 
        http://jp.youtube.com/watch?v=qrXc36FcW7Q 
        三国連太郎、やっぱ、うまいね。 
        f ^ ^ *) 
         
        「戦後の教育改革によって廃止されたエリート教育機関「旧制高等学校」をモチーフに、学校教育のあり方や反戦を問いかける群像ドラマ」 
         
        というのが公式からのあおり文句だ。 
        個人的には細かいディティールに感心させられるところがあった。 
        ただ、そういった個々のディティールは別にして、私がかなりの角度で首をかしげてしまうのは、 
         
        「旧制高等学校の古きよき伝統」を例えば「海兵隊の永遠性」などと呼ばれているようなものと入れ替えても話が通じちゃうなあ 
         
        というところ。 
        (;^-^ゞ 
        事情があって,あんま否定的なことを書くとちょっとマズイのでこれくらいにしておくけど(つーか書かなければいいのになあ)、ひとつの極に右派があって、もうひとつの極に左派があり、その中間地点に中道と呼ばれるものがある、というふうには私は全く考えていない人間なので、このような妙な対称性はかなり居心地が悪い。 
         
        「当たり前」を疑う反逆精神 
         
        SF魂と言ってもいいし、自分自身に問い掛け続ける革命精神と呼んでもいいけれど、そのような方向での精神性が、私の映画評価の基準のひとつだ。 
        ……まあ、これくらいでやめときます。 
        (;^-^ゞ 
         
         
        さて。最後に。 
        タモガミさん講演、満員御礼記念に『戦争のはらわた』エンディング(日本語字幕あり)。 
       
        コメント欄に誰かが 
         
        「 このスタッフロールにおける画像の意味がワカラナイ諸君が増えて いるハズである。 
        さて、何をなすべきか」 
         
        と書いている。 
        そうか、このエンディングロールの、ブレヒトの言葉の意味がわからないというひとたちがいるのか。 
        確かに、確実にいるだろう、と気づく。 
        言葉で解説してしまうとそれっきりになってしまうが、あえてそれをすると、ブレヒトの言う「あの男」がヒトラーだとして、「さかりのついたメス犬」とは 
         
        「あの男」を支持したわしらのことなのだっ! 
         
        「彼を悩ませたメス犬」としての私たち。 
        噛んで含めるように解説してみたが、実にショッキングだね。諸君。 
         
       
          
       
       
        *音楽の音楽*(2009.2.7) 
       
       
      「長らくオーストラリアの手先になって周辺民族を圧迫しつづけてきたハンガリー人は、自分たちがまちがっても、それらの民族と同族とは信じたくないのだ。自らの出生に目をつぶる哀れな人々よ。いつかはその目で真実を見るときがくるだろうに。 
        この時バルトークを支えていた唯一の慰めは「歌にはどのような壁も打ち立てられない」ということだった」 
          〜ひのまどか『バルトーク』〜 
         
         
        「国がこの決定的な右翼化をとげる少し前に、バルトークはエジプトを訪問した。(略) 
        ---イラク、ルーマニア、ウクライナ……たがいに数千キロも離れているこれらの地点の間に、かってどのような交流があったのだろう。だが確実に歌は砂漠を越え、白い峰々を越え、いくつもの海を越えてひとつに結ばれている。これらの経路を発見し研究することは、どんなに重要なことだろう! 単に学問上の問題だけではなく、諸民族の友愛にどれほど役立つことか! 歌をとおして遠い民族との絆が証明されれば、人々は戦いにとりつかれた心を取り戻すだろう。武力や戦力によって勝手に国境線をひくことの愚かさに目覚めるだろう」 
          〜ひのまどか『バルトーク』〜 
         
         
         
        想像してごらん?とジョン=レノンは言った。 
        『Imagine』 
       
         
         
        『Scarborough Fair』 
         
        なぞめいた歌詞。そして。バルトーク。 
         
         
        バルトーク・ピアノ協奏曲3番。 
       
         
         
        オーケストラのための協奏曲 
        
        ブラボー。 
         
       
        
       
       
        *ラプンツェルを見上げて*(2009.2.4) 
       
       
      「私はまことの心をまことの声に出し候より外に、歌のよみかた心得ず候」 
         〜与謝野晶子〜 
         
         
        「私たちの社会の中で女性は人生のあらゆる側面を生きてきました。そしてそれゆえに軽蔑されてきました。人生のあらゆる側面には無力、弱さ、病気、非合理的で取り返しのつかないもの、曖昧で受動的で、抑えがきかなく、動物的で、不浄なものすべて---影の谷間、深み、人生の深さも含まれています」 
         〜アーシュラ=K=ル=グウィン『左ききの卒業式祝辞』〜 
         
         
        「人生を過ごすには最悪の五百万年を通りぬけたところだ。やっと何人かの男が、女性にとっては状況が芳しくないのかもしれないと気がついた」 
          〜カート=ヴォネガット『失恋者更生会』〜 
         
         
         
        いきなりですが、ユーミンの『星空の誘惑』という曲をどうぞ。 
       
        現実のでこぼこに向かって体を張るしか能のない、足の臭い生き物でしかない男と比べて、女性という存在の、なんというかっこよさ……。 
        私は、ユーミンの歌の強い影響を受けて(まあ、小津安二郎の映画とかほかにもいろいろあるんだが)、 
         
        女性崇拝主義者になってしまった 
         
        人間なのだが、youtubeで『ユーミンソング作詞マシン』というタイトルを見つけたので、のぞいてみたらこんなだった。 
      
        なんちゅうか、無粋と知りつつ突っ込んでおくと、こんなんでユーミンになったりはせんわなあ。 
        (^_^;) 
        「場面というものが持つ強力さ」に自覚的なのが、ユーミンの歌の大きな特徴で、単語をいくら並べてみたところで、それはユーミンの詩にはならない(あたりまえだわな)。 
        もうひとつ言うと、「場面」に流れる「時間」にも自覚的だ。自分の作品に徹底的に自覚的だと、自分と自分の作品にある種の距離ができてくる。この距離感が、頭の上から抜けていくような声(笑)とあいまって、なんとも形容しづらい、独特のクールさや、ユーモアを作りだすという仕掛けだ。 
        高性能の一眼レフカメラと、リバーサルフィルムで切り取ったような鮮明な「場面」と、そこに流れる「時間」は、物語そのものだ。 
        ユーミンの『12月の雨』 
       
        日常の退屈な風景を整理しなおし、純度を高め、蒸留しきった「場面」の中で、いくらでも詩が出てくる。 
        『最後の春休み』 
         
        ユーミンの詩の世界の中の、「場面」と「私」の絶妙な距離感は、実は、この日本の社会とそこで暮す女性たちの距離感そのものだと思う。 
        この日本の社会で日常を過ごしながらなおかつ、女性たちが自分自身を守っていこうとするならば、一定の距離ととりつつ生きていくしかない。そのひとの性別が女性というだけで、ちょっとしたことがスキャンダルになりかねない社会だ。 
        そうした社会のありようと距離をとることで自分を防衛していく女性の生き方を、クリエイティブな方向で洗練させていけば、それは、 
         
        男を遠く置き去りにして前に進む女性たちの姿 
         
        にもなりうる。 
        なんというかっこうよさだ。 
         
       
          
       
       
        *「そういうこと、がんばんなさい」とミノさんは言った*(2009.2.1) 
         
       
          
         
      「下にいるひとは下の方に留めておかれるでしょう 
        上にいるひとが上の方に留まっていられるように」 
          〜ベルトルト=ブレヒト『屠場の聖ヨハンナ』〜 
         
         
        「「アンサルでは、女や女の子も市民であって、犬でも奴隷ではないからです」とわたしは言った」 
           〜アーシュラ=K=ル=グウィン『ヴォイス』〜 
         
         
        「作家がみんなゼネストに入って、人類の迷いを悟らせるというのを考えてるんだけど、どうだい、参加しないか?」 
          〜カート=ヴォネガット『猫のゆりかご』〜 
         
         
        産経新聞から。 
         
        ================ 
        全国の製造業で相次ぐ非正規社員の「派遣切り」。雇用対策として、さいたま市が発表した臨時職員100人の採用計画の応募が8人にとどまったことが明らかになったが、新規雇用を打ち出したほかの企業や自治体でも元派遣社員の応募が少数にすぎない実態が分かってきた。「派遣切り救済」と「人手不足解消」の一石二鳥を狙った企業や自治体は肩すかしを食った格好となっている。 
        ================ 
         
        新聞やテレビをうのみにしてるのかも知れないが、私の周囲にもいるよ、 
         
        求人があるのにえり好みしている派遣社員どもはわがままだ、とかなんとか言う人。 
         
        奴隷に毛が生えたような暮しを甘んじない者はわがままだと言い放つ人々の傲慢。 
        (^_^;) 
        この記事をふまえて、『非国民通信』さんからの問いかけ。 
         
        ================ 
        「そもそも「救済雇用」という見出しが、報道する側の見解を表しています。あまりの低賃金ゆえに求職者から人気のない業界が俄に活気づいているようですが、派遣社員時代よりも手取りが下がるのであれば「救済」どころか「転落」でしょう。(略) 
         
         新卒採用なら月給20万円、一方で「派遣切り被災者」を対象とした「救済雇用」の場合は月給12万円、こういう格差があったとします。不当でしょうか? もちろん、不当です。しかし善意がそれを覆い隠します。「あなた方を助けてやるために、特別に仕事を用意してあげたのだ」「無職から救ってやったのに、さらに欲張ろうとするのか」と、そういう見方も出てくるでしょう。「救済」を通じた支配もあり得るのです。」 
        ================ 
         
        『雇う側にはチャンスでも』 
        いや〜。 
        無自覚ゆえなんだろうけど、 
         
        俺たちの残酷さには底がないな! 
         
        (^_^;) 
        このご時世、働かせていただけるだけで、ありがたく思えってさ。 
        (^_^;) 
        仕事を恵んでくださっていると! 
        新宿駅には、雇用のチラシがあちこち貼ってあるそうなんだよ。 
        そこで、また、クビを言い渡されるまであくせく働けと。 
        もしくは、体が壊れるまで働けと。 
        テレビは 
        「そういうこと、がんばんなさい」 
        ってよ。 
        わっはっは。 
         
        ソマリアで海賊やってたほうが割がいいぜ! 
         
        そもそも会社ってなんなんだ? 
        みんなが安心して毎日の労働をこなし、力を合わせることによって大きな成果を挙げることができるように、工夫して、試行錯誤して、どうにかこうにか作り出した組織が、会社じゃなかったの? 
        。・゚・(ノ `)・゚・。 
        例えばワシが、タクシーの運転手をしようと思ったとするじゃん? 
        まず、車がいるわな。 
        それから、お客の電話を受けるための電話もいるわな。 
        電話を受けて、配車を手配するオペレーターさんも必要かもな。 
        もちろん、ひとりでタクシー運転手するのも可能かも知れないけど、これじゃあ、明日の仕事がどうなるかもわかんないよな。 
        だから、みんなで集まって、わしが車を走らせたり、あんたが電話番をしたり、彼女が配車したり、彼が昼寝したり(おいおい)、そうやって 
         
        みんなの仕事をみんなで支えるための組織 
         
        それが、わしらが発明した「会社」という組織じゃなかったんかい。 
        いや、もう、景気とか、市場とか、金融うんちゃらとか、国際競争力とか、雇用の流動性とか、そういう話の前に、このシステムの内部で朝から晩までえっちらおっちら仕事をやらかしても 
         
        ぜんぜん幸せになってないじゃん! 
         
        つーか、生きていけてないじゃん! 
        そんなんだったら、会社なんていらないじゃん! 
        みんなの仕事、みんなの暮しをみんなで支えあう組織になってねえもん。 
        株主の利益なんて知るかっ!!!!! 
        そして、会社よりももっといらないものもある、それは、 
         
        銀行だっ!! 
         
        
        あー、だんだん本気で腹立ってきた。 
        もう、みんなして海賊になるかな、マジで。 
        ゴムゴムのなんとか〜という例の麦わらのひとも 
        「おら、海賊王になるけえ!」 
        って言ってるだろ? 
        ……なんかニュアンスが微妙にちがうかも。 
        (^_^;) 
        ここ数年、少年ジャンプ読んでないから。ちゃい。 
        (;^_^ A 
         
       
        
        
       
       
        *王と鳥とハシモト*(2009.1.29) 
         
       
          
         
      「主よ、彼らを許したまえ。彼らはそのなせることをしらざればなり」 
          〜某宗教開祖の最後の言葉〜 
         
         
        「おじさん、わたしがいちばん頭にくるのは、この人たちがどんなに物知らずかということでもなく、どんなに大酒飲みかということでもないんです。それよりも、この世の中のすてきなものはぜんぶ、自分たちか自分たちの先祖が貧乏人にくれてやったものだとする、この人たちの考え方が気にくわないんです」 
          〜カート=ヴォネガット 
             『ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを』〜 
         
         
        「彼は、この国でわれわれが得意とするたぐいの、見事に包装された“お手軽な答え”のひとつを押しつけようとしているにすぎない。彼は、あなたが自分で非常に速く飛べると思うのなら、そう、速く飛べるのですよ、と言っているだけである。にっこり笑いさえすれば万事うまくいく、世界中が幸せになる。あなたが微笑みを浮かべれば、カンボジアで壊疽で死にかけている男も、バングラディシュで飢える四歳の子も、隣に住むガンを病む女も、みなずっと幸せな気分になり、彼らのほうでもにっこりするだろう、というわけだ。この希望的観測、痛みや敗北や死が存在すると認めることを拒む鈍感さは……」 
           〜アーシュラ=K=ル=グウィン『夜の言葉』〜 
         
         
         
        お知らせ。 
        まずは良いお知らせ。 
        レオ=レオーニの傑作絵本『ニコラスどこにいってたの?』が復刊されたもよう。 
        あすなろ書房さんです。 
         
        次は悪いお知らせ。 
        鬼畜ブログ『郊外のカナリアもさっき死にました』さんところで知った悪いニュース。 
         
        ================= 
        橋下知事就任1年、支持率82%でノック氏上回る 
        1月27日3時4分配信 読売新聞 
        http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090126-00000080-yom-pol 
         
         2月6日で就任1年を迎える大阪府の橋下徹知事への支持などについて、読売新聞社は府内の有権者を対象に電話による世論調査を実施した。 
         
         橋下知事を「支持する」とした回答は82・3%で、「支持しない」の9・5%を大きく上回った。(略)。 
         政党支持別にみると、全体の4割強を占める無党派層で79%となり、府議会で知事与党の自民支持層は92%、公明支持層も9割近い。野党も民主支持層が83%で、共産支持層も5割が支持した。 
        ================= 
         
        過去の失敗からなんにも学ばない地域だなあ、大阪は。 
         
        82パーセントという数字がまたすごい! 
        彼のやってることって、「敵」を想定して、なんもかんもその「敵」のせいにしたあげく、毎日のように罵詈雑言を吐き散らしてるだけなのにな。 
        暴言を吐けば吐くほど「本音でもの言う英雄」扱いされる、で、今や大阪府知事に限らず、日本の政治家どもはチンピラに毛が生えたようなのがわんさか。 
        それを82パーセントもの人が支持。 
        (^_^;) 絶望したらいいのかね。 
        ハンス=ケルゼンの言うように、民主主義は民主主義的手続きをもって自殺することができるわけで、大阪府民がそれを望むんなら、仕方がないわな。 
        しかし、私が真に驚愕したのは、引用の最後のところ。 
        余計なお世話だとは思うんだけど、たまげたな。 
         
        共産党支持層の二人に一人が某ハシモトを支持って、どういうこと? 
         
        !Σ( ̄□ ̄;) 
        思想的無節操さが日本の伝統というのはわかってるけど、いや〜。例えるなら、 
         
        阪神ファンの半数がジャイアンツの優勝を熱望 
         
        みたいな? (;^_^ A 
        まあ、日本の労働組合なんか「リストラ&派遣で効率アップせよ」「軍需産業参入で国際競争を勝ち抜け!」なんちゅうような要求を会社に突きつけたりもするから、このアベコベぶりはやっぱり日本の伝統なのかね。 
        倒錯しまくりだが、これが現実なのよ。現実なのは分かるけど……。赤旗新聞、読んでるのかと。 
        (^_^;) 
        どんな超絶理論がミラクルにねじれてたら、こういう結果が出るのか。 
         
        ……社会主義★右派とか? 
         
        (^_^;) 
        党員と支持者はまた違うんだろうけどね。 
        本当に突然で申し訳ないが、日本国民、とくに大阪府民にお薦めしたいポール=グリモーの傑作アニメ、『王と鳥』 
        ネタバレありなので、未見の人は観ないように。 
         
         
        どうして私たちはいつも失敗するのか。 
        どうしていつも、内部から変質し、あっというまに腐敗してしまうのか。 
        いつも同じ結果、たっぷりと血を吸って。 
        目に見えないものを見抜く力のないままに、簡単に扇動されてしまうだけなのか。 
        王と鳥とは、どういうことなのか。 
        厳然たる事実として目の前に広がる破壊の光景と、どうしようもない憂鬱さのただ中で、ポール=グリモーが示した希望の小さな光とは。 
        傑作です。 
        大阪では『王と鳥』と書いて、『王とハシモト』と読むのです。 
         
       
          
       
       
        *ノルシュテインとロシアアニメ*(2009.1.26) 
         
       
          
         
      「私は「芸術というものはいつも予言してくれるのだ」と思えてなりません。しかし本当の芸術家が語ることを、多くの人は今、耳を傾けません。これは皮肉です。芸術は様々な事や事の本質を、私達の目の前に切り開いて見せてくれるんです」 
         〜『芸術家がこの混迷の時代にものをつくるということ』 
                 ユーリ=ノルシュテイン〜 
         
         
        「水は自由ではありません。この器の中に閉じこめられています。水が自由になりたいというのなら、私はここに水を撒いてもいい。しかし水は流れてしまいます。芸術家は自分自身、もっと色々なことを鋭く感じ、求めようとするために自己点検をし、とても厳しい、不自由な条件を自分に課してゆかなければなりません」 
         〜『芸術家がこの混迷の時代にものをつくるということ』 
                 ユーリ=ノルシュテイン〜 
         
         
        「ルネッサンスは啓蒙時代でしたから、芸術は楽しみや、偽りの慰めになりました。(略) 
        つい最近のナチドイツ時代を思い出してみましょう。この政権の座にあった政治家たちも、たえず芸術について語り、当時の偉大な作家たちの作品を買い上げています。そして彼らは、自分たちは芸術を楽しんでいると言い、その宣伝省のゲッベルスは、ドストエフスキーさえも引用してるんです。彼の好きな作家の一人がドストエフスキーだったのです(!)」 
         〜『芸術家がこの混迷の時代にものをつくるということ』 
                 ユーリ=ノルシュテイン〜 
         
         
         
         
        すごいアニメの話。 
        弟がネット上の 
         
        『ユーリ=ノルシュテインと山村浩二の対談』を見つけてきた。 
         
        知らない人はいないと思うけれど、ノルシユテインは、アニメーション界の大巨人(本当に大きい)、というよりも、アニメーションという技法を駆使する魔法使いのような人だ。 
         
        ☆☆☆☆☆ 
        科学者たちは科学的な分析を通じてそういった真実を発見しますが、一方子供たちはイメージの体系を通じて真実を発見します。そしてそれは科学的な方法と同じくらいに深く行われうるのです。 
        ☆☆☆☆☆ 
         
         
        ☆☆☆☆☆ 
        大人向けのアニメーションが登場した理由についても、説明できると思います。世界とはなにかということを哲学的に説明し理解しようとする芸術家は、ある時期になって、アニメーションがそれに適した手段であることを理解したのだと思います。 
         大人に向けられた、哲学的なバックグラウンドを説明するアニメーションを作ろうとしたとき、政治的システムによる抵抗は確かにありました。そのことを私は隠すつもりはありません。しかし、抵抗のない世界にいる芸術家など存在しません。どの国出身のどの芸術家をみてみても、誰もが何らかのかたちで抵抗を乗り越えています。抵抗を乗り越えることは芸術家にとって自然なことなのです。作家は、自分のアイデアが素晴らしく、正しいものであることを証明しなければいけない。自分のアイデアを守らなければいけない。 
        ☆☆☆☆☆ 
         
        その他もろもろ。 
        未完に終わったプーシキン原作のアニメがあるという。 
        観たかった。音楽はショスタコーヴィチだったらしい。 
        ロシアの人々は伝統的に、芸術が世界を前進させると本気で信じてるからな。 
        ノルシュテインのドキュメンタリー番組映像。 
        
         
         
         
        --☆--- 
         
         
        旧ソ連地域の人々にとっては、芸術は基本、SFなんだという実感。 
        旧ソ連、アニメ界の予言その1。 
         
         
        その2 
       
         
        その3。 
       
        どれもド傑作です。 
         
        21世紀になってからのロシアアニメ。 
        
        伝統は生きております。 
       
         
        
       
       
        *東京へ行ってきた*(2009.1.24) 
         
       
          
         
      「抑圧的な環境の下で民主主義を確立することはできない。規則に基づいて話さねばならないところで、議論したり投票したりすることは不可能だ。このプレッシャーの下で、多くの抵抗運動が自ら崩壊していった」 
          〜『闇からの光芒』マフマルバフ、半生を語る〜 
         
         
        「実際、映画制作の技術的なことを二ケ月で学ぶのは可能だと思う。それよりも、自分が言いたいことを明確に持っていることの方が、より重要だ」 
          〜『闇からの光芒』マフマルバフ、半生を語る〜 
         
         
        「が、そのうち私は資本主義が糸を引き、革命をコントロールし始めていることに気づいた。これらの作品が描いているのは、この点だ。資本主義と、それが私たちの社会に及ぼす影響についての映画なのだ」 
          〜『闇からの光芒』マフマルバフ、半生を語る〜 
         
         
        「必要なだけの宗教的な指導者が現れるより前に、私たちは敬虔であらねばならない。しかし、私たちにとっては、敬虔さでさえ自己増長の一種なのだ」 
          〜『闇からの光芒』マフマルバフ、半生を語る〜 
         
         
        「私たちの文化には、騙したり嘘をついたりする傾向があり、それは人々の時の権力者への恐怖に根差している」 
          〜『闇からの光芒』マフマルバフ、半生を語る〜 
         
         
         
        所用で東京へ行ってきた。京都から新幹線ひかりに乗って、東京へ。新幹線の座席は読書するのにもっとも適した空間だと思う。距離も丁度いい。これ以上坐っていると、腰が痛くなってくるからね。 
        京都から東京に列車が走っている間に、映画監督モフセン=マフマルバフのインタビュー集を読む。上の引用がそう。 
        帰り間際に神田の古書街をうろついたのだが、 
         
        郷愁で胸がきゅんとなった。 
         
        (^_^;) 
        私が生まれる前に出版された本たちのたたずまいを眺めるだけで、ある種の感慨が体の内側からわき上がってくるのだ。 
        その古書街で 
         
        吉田戦車せんせの絶版マンガを購入して帰りの三時間を過ごしたのだった。 
         
        そして、今はまた、奈良の片隅。 
        体調悪し。 
        ここ日本では、イスラエルのガザ地区侵攻について賛否両論が吹き荒れたわけだけど、互いに百万光年も隔たったこの道徳感情の距離について、『Apes! 
        Not Monkeys! はてな別館』さんが簡潔に問題点をまとめてくれております。 
        『道徳感情の複合性』 
        っす。 
        より具体的な、 
        『「白燐弾」をめぐって問題にすべきことは何か』 
         
        もあるよ。 
         
        ========================== 
        イスラエル軍が(あるいはイラクでの米軍が)非難されるリスクを冒して白燐弾を使用するのはなぜか? その答えは、報道されているキル・レシオが如実に物語っている。イスラエル軍が国際社会から批判される可能性を絶無にするためには、市街地に歩兵を送り出して“武器を持ち、かつ戦闘の意思を示した人間”だけを、付随的被害の発生する怖れのない武器で攻撃するよう命じるしかない。もちろん、そんなことをすればイスラエル側の犠牲は飛躍的に増えるだろう。そうした事態を許容できないからこそイスラエル軍は(あるいはイラクでの米軍は)グレーゾーンの=ともあれ言い抜けの余地はある兵器を使うわけだ。これは結局のところ、広島・長崎への原爆投下を正当化する(あるいは南京事件否定論者が軍律裁判抜きでの便衣(米?)兵容疑者殺害を正当化する)ロジックと同根である。一方での“人命尊重”が他方で多数の死者を生みだしているグロテスクさ。もちろん、紛争の両当事者が同じように大量の死者を出せば人道的というわけではないだけに、このグロテスクさをどう考えればよいのかは難しいのだが。 
        ========================== 
         
        結局のところ、世田谷や岸和田の住宅街に爆弾の雨が降ったらどういうことになるか、 
         
        学校や病院やスーパーマーケットや書店や八百屋やあなたのお家がどうなるか、想像してみる、ということができてないんだよなあ。 
         
        ひどい言い草だとは思うけど、おら、怒ってんだよ。 
        一部の例外を除いて、日本の文学、映画は「分かりにくいことの重さ」というものを切り捨ててきたからな。 
        もちろん、想像はどこまでいっても想像だ。溶鉱炉と化した学校から燃える子どもたちを救出するということがどういうことか、わしらには絶対にわからない。 
        机の角に足の指をぶつけた痛みですら、他人にはわからんのだからな。 
        でも、だからこそ、想像するんではないでしょうか? 
        まあ、しかし、 
         
        人間は、見えないものを見る力が宇宙一低いからなあ。 
         
        この地球にどれだけの数の宗教があることか。 
        そのなかでも、この日本の新興宗教団体の多さ! 
        日本の「思想的無節操さ」という風土と、想像力の弱さが相乗効果を起こしてるんだな。 
        宇宙想像学力テスト、最下位。 
        ハシモト大阪府知事がまたぶちきれるな。 
        (^_^;) 
        想像力が養われていないと、批判精神など発揮しようがないもん。 
         
        アメリカ人がいい例。 
         
        「オバマ、オバマ!」のオバマ祭りはいいけれど、ハリウッド映画の見過ぎなんじゃねえの? 
        「チェンジ!」と、これまた短いイメージ言葉を吐き散らして、しかし、 
         
        金融、保険、不動産業界からたんまりと献金を受け取っているオバマに、なにができるかねえ。 
         
        アメリカになにか良い変化が起こるとしたら、それは、オバマにプレッシャーを与え続ける民衆の力だと思うよ。 
        『暗いニュースリンク』さんから、 
        『欺瞞の宣誓:「変革」か、あるいは「終わりの始まり」か 
        』 
         
        ========================== 
        エイブラハム・リンカーンが使った聖書に手をおくという馬鹿げた政治プロパガンダのために40億円以上浪費するオバマ政権。おまけに、会場整理や警備のために、連邦政府はおよそ14億円ほど緊急出費するが、実際に必要とされる費用は67億円を超えるらしい。ブッシュを批判した民主党支持者は恥ずかしくないのだろうか。 
        ========================== 
         
        もう、絵本からはじめたらどうだろうか? 
        絵本を馬鹿にしたらダメだよ。 
        マリー=ホール=エッツの『モーモーまきばのおきゃくさま』を読んでみたまえ。 
        子どもの鋭い感受性を失ってしまった大人たちにはかなり難しかったりして。 
        「なんなのですか、これは?」 
        とか言われたりしてな。 
         
       
        
        
        
       
       
        *科学の流行がどのように変わろうとも*(2009.1.21) 
         
       
          
         
      「科学の流行がどのように変わろうとも、人が物事を行う様子を体系的に観察する技術は、インターフェイス設計という使命において常に中心に位置づけられるだろう。これは単なる技術ではない。これは世界をどう見るかの問題だ」 
         〜『人間のためのコンピューター』よりドン=ノーマン〜 
         
         
        「「どんなハードウェアを使ってカーソルを描画しているの?」と彼が質問した。当時の多くのパーソナルコンピューターは、スプライトと呼ばれる小さなビットマップを描画するための専用ハードウェアを備えていた。彼は僕らもそれと同じようなものを使っていると考えたのだろう。 
        もちろん、Macintoshはそんな特別はハードウェアはまったく使っていなかった」 
         〜アンディ=ハーツフェルド 
             『レボリューション・イン・ザ・バレー』〜 
         
         
        「だいたいね、何か発明が生まれたとき、その発明は、資金やツール、環境を提供した人のものだと考えられることが多いんだ。もし君が若い発明家で、世界を変えたいと望んでいるなら、企業なんてところにいちゃダメだ」 
         〜スティーヴ=ウォズニアック『アップルを作った怪物』〜 
         
         
         
        ジェフ=ラスキンの息子の記事を目当てに購入したMac雑誌『MacPeople』に、漫画家の寺沢武一せんせのインタビュー記事『デジタルマンガ制作の第一人者』が掲載されていた。 
        寺沢武一せんせのインタビューに興味がある人は各自、読んでいただくとして、私が仰天したのはこの部分。 
         
        ================ 
        単行本を開くように漫画を閲覧できるように小型の機器。電子ブックプレイヤーは近いけどマンガに対応しなかったし、生産も終了してしまった。携帯電話でもいいんだけど小さいし……。 
        ================ 
         
        ちょっと待った! 
         
        電子ブックプレイヤーって生産終了してたのか! 
         
        2005年7月の『東京国際ブックフェア』では、 
         
        「電子出版は啓蒙・普及から競争の時代へ」 
         
        なんつって、あおりまくってたのにな。 
        ……。 
        だから言っただろ、駄目だって。 
        (^_^;) 
        まあ、基本的にいいことですよ、こういう規格がつぶれるのは。 
         
        もう少しで、読書すら、わしらから取り上げられるところだった。 
         
        まあ、聞いてくださいや。 
         
        1.(はじまり) 
        メーカーによってフォーマットがバラバラ。その数20種。こっちの製品であっちの電子書籍は読めません。 
        2。(さらに) 
        最新の読書OS「ヴィスタうんたら」を導入しないと、この1万2千色フルカラーRGB☆デジタル☆アイドル写真集☆新刊は読めません。 
        3.(やがて) 
        この最新の読書OSをインストールするには、カメラにもカイロにもなる最新の読書プレイヤー☆ミニが必要です。 
        4.(落日) 
        あんまり儲からなかったので、生産は終了しました。あなたが今までご購入なさったデジタル書籍は、お手持ちのプレイヤーがぶっこわれ次第、ただのゴミになります。 
         
        なめんなよ(笑)。 
         
        真面目な話、「電子ブックの可能性」というものがあるとすれば、「完全無料配布!」「複製OK!」これだ。 
        電子ブックが「電子ブック」であることの性能を活かすこと。 
        でも、そんなことしたら、商売上がったりだよな。 
        いちおう出版社をやってるから、痛いほどわかってるよ。 
        (;^-^ゞ 
        電子書籍に限らずだが、デジタル革命なるものをイメージ言葉ではなく、本気で目指したなら、市場経済システムが根底から瓦解してしまうのだ。 
        ……。 
         
        何をバカなことを、と思ってるだろ? 言ってるワシも荒唐無稽すぎてバカみたいだと思うよ。 
         
        (;^-^ゞ 
        キリストがパンをちぎったら、そのパンがどんどん増えて千人分になり、水もワインになったという。 
        ぎゃ〜! マジかよ! 
         
        困るんですよ、そんな大胆に不正コピーしてもらっちゃあ! これは売りもんなんですぜ! 
         
        キリストが現代に復活すれば、違法コピーで監獄行きになるのは間違いなし。いや、100パーセントだよ。千人分だもんな。 
         
        貨幣経済制度の廃止! 
         
        おそらく、地球人には無理だと思います。 
        キリストも獄門はりつけの上、殺しちゃいましたでしょ? 
        何も所有するな、フーテンであれ、なんて、そんな強くないんだよ、地球人は。 
         
       
          
       
       
        *もしコンピュータが人類を救うとしたら*(2009.1.18) 
         
       
          
         
      「見た瞬間に思ったよ。これが未来のインターフェイスだって。疑問の余地なんかなかった。未来に向けた一方通行のドアみたいなもので、そこを通ったら戻ってくることなんかありえない。それくらい劇的にコンピューターの使い方が変わると思ったんだ」 
         〜スティーヴ=ウォズニアック『アップルを創った怪物』〜 
         
         
        「僕にとって会社というのは家族みたいなものだ。みんなで助け合う地域社会と言ってもいい。会社というのは競争力が大事で、もっとも貧しい社員、もっとも若い社員、あるいは、一番最近採用された人からクビにするんだってよく言われるけど、あれは間違っていると思う」 
         〜スティーヴ=ウォズニアック『アップルを創った怪物』〜 
         
         
        「僕の頭の中では物事とは真実とウソにわかれていた。(略) 
        僕にとって真実に一番近いものは---おやじから受けついだ一番の価値観であり、おやじが僕に教え込んだ価値観である真実に一番近いものは---論理だった。論理こそが大事なんだ。人間をはかる一番大事な物差しは真実であり、エンジニアが行う計算は、真実に則して誠実に生きる人の印と考えたんだ」 
         〜スティーヴ=ウォズニアック『アップルを創った怪物』〜 
         
         
        「多数派は常に間違っている。自分が多数派にまわったと知ったら、それは必ず行いを改めるか、一息入れて反省する時だ」 
         〜マーク=トウェイン〜 
         
         
         
        『MacPeople』というMac雑誌を久しぶりに購入した(もうそろそろ来月号が出るけれど)。 
        ジャフ=ラスキンの息子さんの、エイザ=ラスキンのインタビューが掲載されていることを知ったからだ。 
         
        『「Macintoshの父」エイザ=ラスキンのユーザーインターフェース論』 
         
        ======= 
        私たちは、その技術を使ってコンピューターを真にヒューマンなものにしようと考えてきました。(略) 
        これまでに2つの会社を立ち上げてやってきましたが、優れたユーザーインターフェイスを実現することを目標にしていても、一般企業では最終的に利益を追及しなければなりません。それがモジラでは会社の利益を追及するのではなく、ユーザー体験の向上を最終的な目標として掲げることができます。これは非常に重要なことで、他のどんな会社にも出来ないことだと思います。 
        ======= 
         
        資本主義制度の限界 
         
        というものに、私が決定的にぶち当たったのは、Macintoshに出会ってからのことだ。 
        「パーソナルコンピューターの可能性の追及」、「デジタル情報の共有化」、そんなものは、資本主義のシステム構造上、けっして実現させることは出来ない。 
        デジタル情報というものは、ボタン一発で簡単に複製可能だ。オリジナルと同じものを、どこまでもコピーしていくことが出来る。そして、それを。必要とする全世界の人々に配付することが可能だ。 
        Photoshopだって。 
        映画作品だって。 
        しかしそんなことをすれば、どうなる? 
         
        ありとあらゆる会社が一日でぶっ潰れちまう! 
         
        だから、私たちが血道を上げて開発するのは、コピーの禁止、コピーの制限の技術だ。 
        あれもだめ。これもだめ、だ。 
        これは複製していけませんよ。許されるのは視聴だけですよ。あなたは正規のユーザーですか? あなたのパソコンにこのソフトをインストールするのは一回こっきりで、あとはちくいちメーカーの許しを請うてくださいね。 
         
        ……いったい、ユーザーとは、奴隷なのか? 
         
        ……なにもかもが、ボタン一発で可能だというのに。 
         
        そして、ラスキンの息子が言う、「ユーザー体験の向上」とは何か。乱暴なのを承知で無理気味に要約すれば、 
        「親切とは何かを学ぶこと」だ。 
         
        革 命 精 神 ! 
         
        私がこの目で、現在進行形の革命を見たのは、Mac開発プロジェクトが最初だった(なんとかぎりぎり間にあった口だけど)。 
        アップルという企業のブランド戦略、イメージ戦略を差し引いても、あれは本当に美しい夢だった。 
         
        せいぜい2年ほどの期間は! 
         
         
         
        スティーヴィ=ウォズニアックの自伝がようやく翻訳、出版された。 
        『アップルを創った怪物』 
        というタイトルだ。 
        サブタイトルに 
        『もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝』 
        とある。ひとりいて、さらに、もうひとり、それがウォズニアックだ。 
        “もう”のつかない、最初のひとりは、誰もが知っている、少なくとも誰もが知っていると見なされている。 
        ご存知、スティーヴ=ジョブズという、詐欺師だ。 
        アップルという会社は、ジョブズというカリスマ詐欺師と、ウォズニアックという浮世離れした天才プログラマーがたった二人で立ち上げた。 
        ジョブズという人間が、いかに現代の英雄とみなされ、また自身をそう見なしていても、詐欺師は詐欺師だ。 
        ウォズニアックこそが、私の英雄。 
        注目するに足る人物だ。 
         
         
        もう何年も前の話になるのだけれど、富○通の営業の方に 
         
        「アップル? あそこはだめですよ。Macなんて使っていてはいけません。あそこは良い商品を作りすぎるんです」 
         
        と言われたことがあって、妙に納得した覚えがある。 
        優れた製品、とくに、人間共同体に寄与するような製品を作ろうなどという考え方は、まっとうな企業のビジネスモデルとしては 
         
        大アウト 
         
        だとする富○通の営業の方のご意見は、なるほど、その通りだと、うなづいて見せるしかない。 
        今のアップルの製品は、よく売れている。もちろん、良い製品などというものは、あの会社はまったく作らなくなっているからだ。 
        優れた製品などというものを作っていてはだめだ。そんなものは長くは売れない。 
         
        運動図に代表される、何かの悪い冗談のような製品 
         
        を作って、そこに、どうでもいいような機能をごてごてと継ぎはぎしていけばそれでいい。 
        便利でありさえすれば、他はどうでもいい。そして今日もまたひとつ、製品が便利になりました! 多種多様な商品の、げっぷが出そうなほどに詰め込まれた、最新の“機能”にコントロールされて、やらなくてはならない仕事をだらだらとやらかす。 
        今日も! 
        明日も! 
        ユーザーを製品の奴隷と見なすこと。 
        新機能、便利機能でユーザーから自由を奪うこと。 
        ユーザーに出来ることは何か、ユーザーが許されているのはどこまでなのか、それを決めるのはメーカーだ。 
        連中が売り歩いているのは商品ではなく、ライセンス、というわけ。 
        旧Macのように、システムフォルダの中味をユーザーが簡単にいじくりたおせるような製品は言語道断だ。 
        (^_^;) 
        ユーザーがコントロールできるのは、壁紙、ウェッブブラウザのスキン、アイコンのカスタマイズ……、ぐずる赤ん坊におしゃぶりをしゃぶらせるようなモンだな。 
         
        ウォズニアックは言った。 
        「もしコンピューターが人類を救うとしたら、どんなコンピューターを作る?」 
         
       
       
       
      「もしコンピューターが人類を救うとしたら、どんなコンピューターを作る?」 
       
      
        
          
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