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「サユリ1号」と、「神戸在住」最新号(2002.5.25)

 昨日「神戸在住」の四巻を買って、今日は月刊「アフタヌーン」を買ってしまった純です。
 それと、村上かつら氏の「サユリ1号」一巻
 相変わらずマンガばっかりだ。(^-^;A
 ……。
 村上かつら氏の作品の単行本化って、これが最初だよね?
「サユリ1号」……。
 う〜ん。
 こういうこと、言ってもいいのか……。
「サユリ1号」というタイトルを見て、まず真っ先に、悪い予感がしたのだ。
 こういうタイトルは見ただけで、聞いただけで、純はうんざりしてしまう。
 最近のいわゆる青年漫画誌は、純には読むのが苦痛でならない。
 タイトルで連想する通りそのままの内容の、エグくて、やらしくて、チラと横目で眺めただけで「うわあ」と目をそらしたくなるくらいにグロテスクで、胸の悪くなるお話が多すぎるのだ。
 ごめん、あれこれけなすのは好きじゃない。
 だけど、こんな無残きわまりない代物を私たちが求めているなんてことがあるだろうか?
「文句言うのだったら読むな」と言われるけど、実際、ビックコミックスピリッツもモーニングも、あまりにつらくて、純は読めなくなってしまった。
 私にとっては、じつに悲しい話。
 さて、「サユリ1号」
 中身を読んでみて、少しだけ、ほっとしました(少しだけ、という言い回しに注目してください)。(;^-^ゞ
 読んでみたらちゃんと、女性が悲しいことになる、村上節だ(笑)。
 女性がつらい立場に立たされたり、切ない気持ちに身をやつしたりするお話を作ると、本当にうまいなあ。
 村上かつら氏のお話は、女性がとても大変で、とてもつらくて。その心理が、よく描かれてる。
 だから、
「村上かつらさん自身は男性なのだろうか?女性なのだろうか?」と考えることになる。
 などと言っていると。
 単行本の帯に、くるり(?)の岸田繁さん(?)が推薦文をこう書いてらっしゃる。
『村上かつらさん、質問です。男ですか、女ですか?』
 ねー、思うよねー。(^-^;A
 岸田繁さんは、『高潔な男子』と村上かつら氏の正体をふんでいるようですが。
 私も、女性に対して強く共感している殿方、とにらんでおりまする。
 どうすかね。
「サユリ1号」で、世間も男性説に急激に傾いたと思いますけど。
 しかし私は、「村上かつら短編集」がいちばん読みたい、そんな結論です。

 アフタヌーンの「神戸在住」最新話も読む。
 アンタ、仕事しいへんでエエのか?
 (^-^;A
 心の天使が警告する。
 関西弁で。(^-^;A
 仕事、せなアカンかもしれんなあ。
 (;^_^ A
 しかし、アフタヌーンも、だんだん読むのがつらい雑誌になってきた。
 どうしよう。
 今回の桂ちゃんは、動物園に出かける。
 桂ちゃんは絵描きの卵で、今日はお絵描きの課外授業なのだ。
 桂ちゃんが、クラスの仲間達と、動物園の風景の中を移動してゆく。
 そこに、窪島君という女たらしが現れて……。
 コラ、桂ちゃんにべたべたすな!(笑)。
 まあ、これは冗談だけど。
 ふう。
 私も、こんなふうに、桂ちゃんのように、世界を感じる自分自身を感じつつ、生きることが可能なのだろうか?
 どうやって?
 極意というやつがあるなら、教えていただきたい。
 私は、桂ちゃんの、文房具になりたいよ(笑)。
 桂ちゃんの描く風景の一部に取り込まれて、それがどういう世界なのか、感じてみたいです。






「神戸在住」四巻発売(2002.5.24)

 木村紺先生のマンガ「神戸在住」の四巻が発売されていました。
 掲載雑誌アフタヌーンも毎月買って読んでいるけれど、それはそれってんで、速攻買いました。
「アンタ、金ない金ないって騒ぐなら、マンガは単行本か雑誌かどちらかにしなさいよ」と、我が弟は言う。
 そんなこと出来ません。(;^-^ゞ
 「神戸在住」はリアルタイムで体験しておかないと、後悔することになるもん。
 神戸震災リンハオ編の、雑誌で読んだときの感動は今も忘れない。
 最後の2ページでどれだか泣いたか。
 泣いて泣いて、読み返して泣いて、胸が閉めつかられるようで何度も嗚咽がもれ、そしてまた読み返し、泣いた。
 数時間後には、眼が真っ赤に腫れてしまったです。
 まるで、失恋でもしたみたいだな。
 f ^ ^ *)
 「神戸在住」の震災リンハオ編は、ひぐちアサ先生の「ヤサシイワタシ」のラストと並んで、純が読んだ2001年の最高文学作品であります。
 どちらもマンガ作品であるのが、我ながら考えものだけれど。
(^-^;A
 ちなみに、2002年になって、高屋奈月先生の「フルーツバスケット」なる作品に出会いました。
 これも本当に素晴らしい本です。
 ……これもマンガなんだけれど。(^-^;A
 う〜ん。
 最近、マンガばっかり読んでる。
 鈴木さん(神戸在住の登場人物)のお母さんも
「タカ美ちゃんも まんがばっかし読んどったらアホなんで
 活字も読んどき」*

って言ってるのにね。(^-^;A

 話がそれました。
 単行本と雑誌の両方を買うことの言い訳をしていたのだった。
 (^-^;A
 うーん。
 単行本では、一度に数ヶ月分の「神戸在住」が読めてしまうけれど、それでは、少しもったいないことをしたような気分になるんです。
 一話読んで、感嘆して、それから一ヶ月間、感嘆の余韻にふけり続ける。
 一話ぶんの感動、それだけで十分すぎるから。
 これが、「神戸在住」の正しい読み方です(笑)。(^-^;A
 どうもこうもなく、「神戸在住」が好きな純です。
「神戸在住」を読んでいると、ああ、自分は風景の一部なんだって、気づかせてくれる。
 そして、ぽっと、緊張が解けて、安堵する。
 ああ、ずっと緊張してたんだなあ、と、その時に気づく。
 そんな緊張。
「救われた」
 そんな気持ちさえ、するときがある。
 他のひとのことはわからないけれど、純は、自分のことを風景として眺めるとき、とっても安心できるのです。

 単行本の27ページ。
 バス停でバス待ちしている桂ちゃん(主人公)が、文庫本を読んでいる。
 何を読んでるかなと思ったら、リチャード=アダムスの「ウオーターシップダウンのうさぎたち(下)」だった。
 雑誌で掲載されたときから気づいていたけれど。
 この小説は、純も大好きで、さすが桂ちゃん、趣味が良いね(笑)。
 「ウオーターシップダウンのうさぎたち」を読んで、桂ちゃんがどう思ったか、何を感じたか、ぜひ知りたいなあ。
 教えて、桂ちゃん。


 *「神戸在住」四巻89ページ






民主主義を肯定するものとして(2002.5.20)

 病気だとかなんだとか騒いでおきながら、本屋で絵本を買いあさっていたことを白状してしまった純です。
(^-^;A
 病気なんだもん、本くらい買ってもいいでしょ!などと、意味不明な弁解をほざいている今日この頃。
 さて。
 そんなこんなで今日も本屋に顔を出すと、小林よしのり氏の雑誌が平積みになっておりました。
 タイトルはずばり
「わしズム」
 これって、ファッシズムとかけているんだろうなあ。
 中身を読んでないから何も言えないけれど、この人のこれまでの言動をかんがみれば、読むまでもなく内容は透けて見えるし。
 というか、読みたくない。触れたくないよ。
 しかし、民主主義を肯定する者として、さまざまな意見があるのは認めましょう。
 まかり通らせては、ならないだけ。
 誰も何も言わないのはなぜだろう?
 「あなたがたはオドー主義者ですか?」*
 ……Yes。
 わたしゃ日本人として、世界の人々に顔向けできない気持ちじゃよ。
 つくづく恥ずかしい。
 気持ちささくれだった純は、女性誌の「anan」とか、「olive」「non-no」「Vogue」を長々と立ち読みして遊びました。
 イヤいいわー、女性のファッション誌って、いいわあ。
 こういうのは、いつまで眺めていても飽きることがないですね。
 若い女の子にまぎれて女性誌を立ち読みしているのは、ちょっと恥ずかしいのですけれど。(#^.^#)
 しかし。
 こうした雑誌を定期的に読み続けていると、デザインの美的なセンスが、否が応でも高められることになるだろうな。
 ワシも、「Vogue」定期購読するかな。






素晴らしい猫の様子に魅かれて買った絵本(2002.5.9)

 千日前のジュンク堂で絵本を数冊買ったという話の続き。
 純は、M・B・ゴブスタインの絵本をすでに「二人の雪だるま」「作家」の二冊持っていて、とても気に入っています。
 今回購入したのは「おばあちゃんのはこぶね」という絵本。
 この人の絵本って、文章も絵も極めてシンプルで、一見拍子抜けするほど単純なんだけど、深いんだなあ。
 この「おばあちゃんのはこぶね」も、ラストの1ページに、ぐっとくる。
 時間は人間の外側で流れるのと同時に、人間の内側をも流れていて、さらにその外側に存在するおばあちゃんの心が人生を見渡している、という非常に抽象的なテーマの絵本らしい。
 ジャンージャック=サンペの「恋人たち」は、3300円という値段にずっと買いそびれていたフランスの絵本。
 3300円に怖れをなすなんて。
 マジ、貧乏なんです、私。(´▽`;)ゝ
 「恋人たち」の原題は、a'mes soeurs(アーム・スール)となっていて、訳者あとがきによると、それは、心の通った異性の友、『つれあい』という感じの意味らしいです。
 なんともしっとりとしたタイトルですが、関係の得にくさ、持続しにくさ、理解しあうことの難しさ、というテーマの絵本の、一種の苦さと酸っぱさをタイトルにこめてあるようです。
 どこか寂しげで、心細く頼りなげな恋人たちの表情。
 突き放したような作者と登場人物たちとの距離感が、いかにもフランスという感じで、純は、とても気に入っています。
 あと何買ったっけ?アンネ=エルボーの「おつきさまは よる なにをしているの?」だ。
 純が月の絵本を、少しずつ集めているという話は前にしました。
 実は、猫の絵本も集めてたりします。
 この絵本に出てくるお月さまは、一匹の黒猫を飼っています。
 完全な黒猫じゃなくて、おなかと、手袋をはめたような手足と、右の眼の周りだけがしろぶちになってる。
 この猫の様子が素晴らしくて、それで買った絵本なのです。
 お月さまに頭をなでられる猫、池をのぞき込む猫、お月さまと一緒にベッドで寝ている猫、どの様子も素晴らしい。
 どこまで眺めていても見飽きることがないです。
 現実の猫たちもそうだけど、いろいろな絵本に出演している猫たちの、さまざまな仕草や表情の何と見事なこと!
 猫と絵本は、どうしてこんなに相性が良いのだろう?
 答えが知りたいわけじゃない。
 そんなことをぼんやりと考えて、幸せな絵本のひとときを過ごす、それが純の望みなのです。






フランス女性の満たされない様子に魅かれて買った絵本(2002.5.8)

 えー、Libroで買った「Jamais Le premier soir」という洋書絵本についてのお話の続きでした。
 この絵本、とにかく、全編フランス語で書かれているので、お話の内容がわからない。
 つーか、そもそも、フランス語じゃないかもしれないデス。(^-^;A
 これは、きっとフランス語に違いないと、純が勝手に決め込んでいるだけだから。
 無学なんだもん、しゃああるまい。(;^_^ A
 美人ではないけれど眺め方次第ではなかなかセクシーで、頬にそばかすがあって、おたふく顔の若い女の子が主人公のお話なのは絵を見ればわかります。
 若い彼女が恋をし、友達とテニスで遊び、結婚し、パーティで飲み過ぎ、あるときはひとり湯船につかり、また手紙の文面を考え、言い寄られ、交通違反を犯し、といった出来事が、一ページに一枚の絵というペースで描かれてゆく。
 しかしどうしたわけか、その女の子はどのページでも、何をしていても、居心地が悪そうな、不安と不服が入り交じったような、気がかりな心配事を抱えたままのような、そんな顔つきでいるんです。
 その“どこにいても物足りなさそうな、食い足りなさそうな様子”に魅かれて、この絵本を買ってしまったのでした。
 見ようによっては憮然と形容してもよいような表情で、恋をしたり、ヨット遊びしてたりする彼女が気になって仕方がないんです。
 何とか理解しようと、テキストを上にしたり下にしたりするけど、一語たりともわかんない。
 浮かぬ顔をしているけど、絵としてはとてもしゃれた、いわゆる格好の良い絵になっていて、そこは、やっぱフランスだよね。
 どこか、ロメールの映画をほうふつとさせる雰囲気があるんですよね。
 そこが気に入ったのかも、と、今ふと思いました。
 ……もしかしたらフランスの絵本じゃないかもしれないんだけど。(^-^;A
 もう一度絵本をひっくり返してみたら、いちばんけつっぺたにImprime’ en Franceとかいてあるので、どうやらフランスの本です。
 おさがわせしました。(^-^;A
 しかし、話変わって、洋書って何でこんなに高いんだろ?
 4070円プラス税。
 Caorlo Collodiという人がかいた絵本「PINOCCHIO」も買ってしまった。 ええい、こうなりゃヤケってんで、千日前のジュンク堂にも行ってきました。
 そこで、また絵本を三冊購入。
 アート系シリーズということで、まずはクヴィエタ=パツォウスカーの「紙の町のおはなし」ジャンージャック=サンペ「恋人たち」
 あと、アンネ=エルボー「おつきさまは よる なにをしているの?」M・B・ゴブスタイン「おばあちゃんのはこぶね」を買いました。
 ここでお金が尽きてジ・エンド。
 感想は、また明日。






Libro閉館について(2002.5.7)

 難波にある無印良品の上の階にLibroという本屋があるのですが、のぞいてみると、何と、五月三十一日をもって閉館されるという案内が出ていました。
 もったいないナ。
 このLibroはアート系に強い本屋で、絵本にはちゃんとビニール包装もしてあるし、客の入りも少なくて(笑)、結構お気に入りの本屋だったのだ。
 いや、客の入りが少なかったら、まずいのか……。
 (^-^;A
 いえ、美術書などをのんびり立ち読みするのに適していたのです。
 立ち読みばかりして買わないから、つぶれたんだよね……。
 美術書、高いんだもん。
 ああ、またひとつ本屋がつぶれてしまう。
 千日前のジュンク堂とはまた違った品ぞろえもあったわけだし、美術書が充実している本屋というだけで貴重なんだから、やっぱり寂しい。
 そう言えば、十数年ぶりに梅田の紀伊国屋をのぞいてみたんだけど、あれは何ですか?
 十数年前と比べて、あまりの書籍数の少なさにがく然としました。
 本棚の数そのものが激減していた。
 紀伊国屋って、本屋さんじゃなかったの?
 じゃあ何を売っているのかというと、文房具はまだしも、ヴィデオカセットや、ジャイアンツのグッズまで売ってた。
 ひええ。
 私は阪神ファンじゃないけど、紀伊国屋、大阪のど真ん中で根性あるなあ、と感心してしまった。
 まあ、それはおいておいて。
 たとえばアドビなんかがPDFだのEブックだのと電子書籍を声高に唱えているけれど、ああいう電子製品をいじればいじるほど、逆に、本という形態は素晴らしい発明品だと気づくのです。
 本屋で本を手に取って、表紙を眺め、ペラペラとページをめくり、買い、読む。
 その一連の行為すべてが素晴らしい体験、……少なくとも素晴らしい体験足りえるわけで、パソコンなどのモニタ上でPDF書類をスクロールしながら読むのとは、もちろん比較にならないのであります。
 本という物体の、大きさ、重さ、紙質、そうしたさまざまな制限が、本作りにかかわる人たちすべてのクリエイティビティを刺激し、読みごたえのあるものをつくる要因になっているということもあるのかもしれませんね。
 読む側にとっても、モニタというのはもともと膨大な長文を読むようにはできていない面があって、そうした意味でEブックはつらいものがありますよね。
 本屋に行ったら、「一週間でマスターするPotoshop」だの、「インターネットファーストブック」だのというハウツー本が山と積まれているのが何よりの証拠。
 ヘルプだの、チュートリアルだの、PDFの説明書だのではとうてい頭に入らないから、こういう本をわざわざ買う羽目になるのだからね。
 実際、我が家には、ありとあらゆるアプリケーションの解説本が山とありますよ。(^-^;A
 ヘルプだけで何とか私が(曲がりなりにも)使えるようになったアプリは、ポストペットとインターネットアリーナ、シンプルテキストだけだっ!(;^-^ゞ
 ううん、ただ私がアホなだけのような気もしてきましたが……。

 ……Libroの閉館からだいぶ話がずれた。
 せっかくだから今日は立ち読みだけにせず(罪悪感か?)、Libroのアートコーナーで絵本を二冊買いました。
 一冊は、KIRAZという人のかいた「Jamais Le premier soir」という洋書絵本です。
 う〜ん、もしかしたらJamais Le premier soirという名前の人がかいた「KIRAZ」という絵本なのか……???
 いやちがうな。
 とにもかくにも全編フランス語(だと思う)なので、本を開いても、何が何だかわからない。(^-^;A
 ……とと。
 あ、だいぶ長い日記になっちゃった。
 この続きは明日にしよか?






OSX(ペケ)、窓たちXP(ペケポン)(2002.5.6)

 MacOSで仕事をしてらっしゃるかたがたのMacOSXの評判を、最近訊いてみた純でしたが、このたび、Macのハードウェア専門でお仕事をなさっている方にもお訪ねしてみる機会がありました。
 それが、また。
 ごっつ評判わる〜。(^-^;A
 いわく、
「Apple、いっぺんツブレたったらエエねん!」
 ドシー!!
 そ、そこまで言わんでも。(^-^;A
 でも、私も、OSX憎しの気持は、いっしょ、よ。(;^-^ゞ

 うう〜ん。
 OSXを使うんだったら、Mac使っているメリット無いし、将来のこと考えたら、だんぜんWIN機使ったほうが賢い。
 Macのファインダーがなくなるんだったら、その方がいい。
 だけど、だ、だめなんだああ。
 Macじゃなければ、だめな身体になってしまってる純なの。
 それに、DTPの仕事をするなら、やっぱMacだろうし。
 この環境で、行けるところまで行く所存ではあるのですが、早くも、来年あたり危ないなあ。
 MacとWINって、おんなじパソコンという製品に見えて、実はぜんぜん違うものなんだと、最近思うようになりました。
 ペペロンチーノと狐うどんくらい違う。
 だから私的には、Macがだめになりそうだからホイ、WINというわけに、なかなかいかない。
 Macは自分を増幅する機械だから。
 WIN機を触っていて、三日もすると感触がぜんぜん違うことに気づく。
 だから逆に、自分を増幅してゆく目的で使うのでなければ、WINでも良いわけなんだけど。
 はふー。(;´o`)
 めちゃめちゃ深刻です〜。
 ちなみに、WIN機とOSXって、狐うどんと赤いきつねの関係みたいなものだなあ。
 (^-^;A
 OSXは、WIN3.1のインスタント製品みたいなのよ……。
 ……神よ、これは試練なのか……冗談だったら呪います(笑)。
 あああ。
 せめて、フォントがMSゴシックとMS明朝でなかったら、WINもなんとか触れる気もするのだけど。
 あのフォントがダメで、モニタを2分以上眺めることが出来ない純です。
 しかし。
 マイクロソフトも、なんの嫌がらせで、あんな汚いフォントをわざわざ載せるのだろう?
 だんだん心がささくれだってきて、難癖っぽくなってきた。(^-^;A
 ……。私のこと、狂信的Mac信者だと思う人も多いだろうな。
 うう〜ん。
 否定はせんけど(えっ、しないの?)。(^-^;A
 そういう話じゃなくて。
 自分で言うのも何だけど、私みたいな、清流でしか生きれない川魚にも似た弱い人間が、こうしてギャーギャー騒ぎだしてるというのは、何か危険なことが起きているという証拠なのよ、皆さん。
 何かが、汚染され始めているのよ。
 とってもまずいことになってる。
 世間が気づくころには、私みたいなのはポッカリ水面に腹だしてのたれ死んでいるだろうから、今のうちに騒いでおこうと、そういうわけなのです。






我が家のパフォーマーちゃん(2002.5.1)

 すでに、手狭な我が家には、4台のMacと6台のプリンターが存在しているわけですが、このたび、さらに新顔のMacがやって来ました。
 捨てられるはずだったパフォーマー630とモニター、プリンターを、ある方からいただいてしまったのです。
 Macが5台にプリンターが7台……。
 もはや、天国から一巡りして、Mac&プリンター地獄だ。
 (^-^;A
 しかし、このパフォーマー、内蔵電池が切れてしまっているようです。
 中古関係にお詳しい方にお聞きすると、
「パフォーマーみたいに古い機種になってしまうと、はっきり言って2千円も出して電池を買う値打ちがありません。捨てましょう
とのことでした。
 CPUはpowerPCじゃないし、たったの33メガヘルツ。
 メモリは36メガバイト。
 でも、当時はメモリ高かったんだよお。
 ちゃんと動くし、前の持ち主さんがものすごく大切に使ってらっしゃったのがわかる、そんな品でした。
 そんなMacちゃんを、捨てるなんて、血も涙もない残酷なこと私にゃ到底出来ないだよ〜。
 ( iдi ) ハウー
 つうことで。
 損だろうがアホだろうが、内蔵電池を取り換え、我が家の仕事機MT266の6ギガのハードディスクを取り外して、入れてあげちゃいました。
 もちろんMT266のことだって、忘れませんよ。
 MT266ちゃんには、80ギガ(!!!)のハードディスクを買ってきて、入れてあげたですよ。
 しかし、80ギガって、すごい数字だなあ。
 私が最初に蛙コンピューター(iMacの266ライム)を買ったときには、6ギガが夢の数字でしたもん。
 最近のパソコンてすごいなあと感動していた。
 6ギガなんて、一生使い切ることないと思っていたのに。
 いまじゃあ、ハードディスク残量、危険なくらいひっ迫してる(笑)。(^-^;A
 しかし、そうこうしているうちに、世間じゃあ80ギガのハードディスクだって、ぜんぜん普通になっていたのだ。
 ('ロ')ホー!
 しかも回転数が7200だから、CPUが変わんなくても、アクセススピードがはっきり速くなってるの。
 しかも、静か。
 IBMのハードディスクなんだけど、カリカリ言わないの。
 流体軸受けとか、そういう高級品買ったわけじゃないけど、これは嬉しい。
 よかったね、MT266ちゃん。(*^▽^*)
 私の仕事ぶりは相変わらずノタノタやるのだけれど。
 (^-^;A


 そーそー、ウチの新顔ちゃんの話。
 パフォーマーにはたくさんのアプリケーションがバンドルされていたみたいで、まきがめとか、キッドピクスとか触ってみました。
 おおお〜!
 キッドピクスって、お子さま様のお絵描きソフトなんだけれど、すごく良いですね。
 感動しました。
 子供用だからって馬鹿になんかできない、由緒の正しい素晴らしいアプリだと思いました。
 ある意味、Photoshopなんかよりも良いところあるんじゃないかなあ。
 本当は比べるのは無茶なんだけど。(^-^;A
 でも、キッドピクスの良さって、無視しちゃいかんとは思うのよね。
 最近のアプリって、機能は色々増えたけど、荒くたで、混乱して、魅力のないものに一方でなってきている気がするから。
 アップルがしっかりしてないからこうなるんだよね。(−_−”)
 あと、パフォーマーちゃんには、Illustratorの5なんかがインストールされたままになってました。
 ううーん。
 これってもしかして、触っちゃマズイの?
 いいよね?
 ……どうだろ?
 まあ、いいことにしよう。(^_^;)
 これが、感動的に速いの。
 軽くて、速くて、9.0とは大違い。(;^-^ゞ
 確かに機能の面でだいぶ見劣りはするから、9.0と5.0を同列には語れないけど、これはこれで、なかなか楽しいですよお。
 ユーザー登録の問題があったらいやなので、Illustratorの5、最終的には、泣く泣くポイしてしまいましたが。
 (ρ_;)

 いまのパソコンと比べたら粗大ごみにしかならないパフォーマーちゃん。
 パソコンで何でも出来ると信じられていた、パソコンでなんにでもなれると信じられていた時代の夢と解放感がいっぱいつまっていて、Macユーザーであることの幸せを、またまた噛みしめてしまった純です。
 ('-'*)






現場の理想もやはりクラッシックだった(2002.4.30)

 わが遊絲社では、オリジナルブックという、お客様の名前を入れることのできる絵本を主力商品としておるわけですが、そのオリジナルブックに、新しく「赤ちゃん絵本」が加わることになりました。
 皆さん、買ってね、読んでね、と宣伝をするわけです。
 (*'‐'*)
 恥ずかしいので、宣伝はそこそこにして。
 絵本を作るに当たって、このほど、おつきあいのある印刷所さんとお話したのですが、そのとき、最近のMacについてお話を伺いました。
 というのも、普通のビジネス環境と違って、出版関係のコンピューターは、Macがシェアを握っているのです。
 仕事でバリバリとMacを使ってこられた方々の意見を聞く機会というのは、そうそうあるものではないですからね。
 ちょっと業界話になるのですが、フォント環境がOCFからニューCIDを飛び越えて、オープンタイプに移行してゆく雰囲気が確実にあるのは正直驚きましたし、アドビのインデザイン2.0のお勉強をせねばという気にもなりました。
 で、かんじんのMacですが。
 OSX、評判悪いですね〜。
 この評判の悪さにも正直驚きました。
 オープンタイプを使うなら、OSXとパワーマックG4の組み合わせだと雑誌などの書評でガンガン書いてあるし、現場でもそういうものなのかなあと思っていましたから。
 しかし、評判が極めて悪い。
 私は個人的には、OSXはMacじゃないと思ってきましたが、DTPの仕事で使ってこられた方たちにとっても、OSXは使えないOSだったのですね。
 我が意を得たりという気分です。
 (*^▽^*)ゞ
 そういえば。
「MacPOWER」という月刊誌のなかに、バスケさんというプログラマーさんの連載記事があるのですが、そのコラムでも、OSXのことがケチョケチョにこきおろしてありました。
 こきおろしというか、正しくは、救済を求める叫びですか。(^-^;A
 Macを使ったことのある人間にとっては、アレは地獄なんですね、やっぱり。
 無秩序と、非効率と、入り組んだ複雑さのために、仕事にならない!ということらしいです。
 ストレスにはなるみたいだけど。(^-^;A
 お気持ち、お察しします。
「MacPOWER」の2002/5月号では、とうとうバスケさんは、プログラマーさん達のなかから有志を募って、Macファインダーを自分たちで作ることにしたと宣言しておりました。
 素晴らしいニュースです。
 この半年で聞いたなかでは、もっとも人間的なニュースだ(笑)。
 頑張ってください、バスケさん。
 生きる希望が、望みが、少し出てきました。(^-^;A
 嬉しいです。






S=エイドリゲビシウスって、これまたすごい名前(2002.4.29)

 前々回の日記で、アンデルセンの「雪の女王」の絵本を、絵描きさんがそれぞれ違うバージョンで2冊持っているという話をしました。
 ひとつは、バーナデットの「雪の女王」
 もうひとつがS=エイドリゲビシウスの「スノークイーン」です。
 日本では、バーナデットの方が有名だけど、私は、S=エイドリゲビシウスの絵のほうに惚れてしまいました。
 どういう画風だと言えばいいのかなあ。
 とにかくシュールで、不気味で怖くて、しかも何かを切望するような、せつないニュアンスの絵なの。
 説明されないニュアンスとしての切望は、絵を眺める純の心をざわつかせ、胸をきゅっと締めつける。
 いいね〜、いいわ〜。( ̄ー ̄)
 子どもの頃この絵を見たら怖くて泣いちゃったろうけれど、大人の純は、すっかりまいっちゃいました。
 うう〜ん。
 もう一歩踏み込んでしまえば、グロテスクになってしまう、かといって一歩引いてしまえば、ただの自己満足の絵になってしまう。そんな、ぎりぎりの際どい絵をかく絵描きさんです。
「スノークイーン」の後書きを見てみると、リトアニアという国のメディニシュキというところに生まれたと書いてある。
 それしかわかんない。
 それではとインターネットで調べてみますと、もう一冊日本で翻訳されている絵本があることがわかりました。
「ながいおはなのハンス」という絵本。
 しかし絶版。
 なんつーこった。
 ネットで
「ながいおはなのハンス」の表紙絵を眺めるしかない純。
 さびしい。( iдi )
「ながいおはなのハンス」は、長くて鋭い、まっすぐ延びた鼻を持っていて、絵を見たかぎりは、ピノキオみたいに人形然としています。
 洋服の襟にあいた穴に、長い鼻を通しながら、はにかんで、こちらを覗いてます。
 うう〜ん、どういうお話しなんだろ、読みたい読みたい。
 (^-^;A
 ぽるぷ出版さん、再版、お願いしま〜す。 (*^▽^*)






何も言えなくなる前に言っておきたいこと(2002.4.28)

 フランスの大統領選挙第一回投票で、極右のルペン氏という人が圧倒的多数の票を集めたそうです。
 日本でも、時の首相や例の東京都知事とかに異様な人気が集まったりして、右傾化は世界の流れなんだろうなあ、と感じました。
 この前弟が面白いことを言っていて、
「日本語が乱れてると言われてひさしいよね?例えば『ら』抜き言葉とか。でも、最近では、『な』抜き言葉が横行していると思う」
「???『な』抜き言葉?」
「例えば、『子どもを戦場に行かせるな』『な』とかだよ」
 がははは!
 確かに、『な』抜きだよね。
 横行している。
 しかし。笑ってはみたものの。
 率直に言って、私は恐ろしい。
 私は幸せになりたいの。でも、ひとりで幸福になんかなれないもの。
 みんなで力を合わせないと、幸福にはなれない。
 だから、世界が平和になればいいなあと思ってるし、困っている人がいたら手を差し伸べられる人になりたいと思っているし、自分が困ってたら周りに親切にされたいとも思ってたりします。
 私のために、世界よ平和になれ!(笑)
 (^-^;A
 でも、もうダメだろうなあ、という予感がする。
 そしていよいよ、その予感が、確信に変わろうとしています。
 言い過ぎ?
 いえ、言わせてよ。
 もうすぐ言いたくても言えない時代が来るらしいから。
 (^-^;A

 などと言っていると。
 フランスのサッカーナショナルチームのメンバー達が、先のフランスの大統領選挙第一回投票の結果を受けて、国民に、ルペン誌に投票しないよう呼びかけているのを知りました。
 勇気ある!というか、責任感があるなあ!
「彼の党はファシストだ。彼は今ソフトに語っているが本質はなにも語っていない。攻撃的で排他的だ」
とは主将のデサイー。
「多くの人たち同様、私も何とかしなければならないと思っている
と語ったのは、私が好きなプティ選手。
「五人に一人がルペンに投票したなんて言いながら道を歩けない」
と、ジョルカエフ選手。
 ああ、純も、ぺシミスッテックな気分に浸る前に、彼らみたいに何かすべきことがあるかもと思い直しました。
 で、今日記を書いてる(笑)。(^-^;A
 国際化社会なんて日本の人たちはのんきに言うけど、その日本が世界中からものすごく憎まれているという事実にまったく気づいていないのね。
 特に、アジア諸国から憎まれている。
 そして、怖れられてもいる。
 日本の言う国際化って、結局、欲得という視点から世界を食い物にするということでしかないように純には思えるの。
 日本より力のない国は、援助という名のもとに徹底的に食い物にされちゃう。そして、その国の人たちから、ものすごく憎まれてしまう。
 日本はアメリカにかわいがられているから、アジア諸国の憎悪が私たちのところまでほとんど伝わってこないのよね。
 ねえ、“三国人”発言の都知事さん?
 純は誰からも憎まれたくない。
 ……。
 純もいつか死にます。
 私の周りの人たちもみんな死んじゃうし、日本という国もいつの日にかなくなる。
 人類も滅びるし、地球もただの大きな石の固まりになる日が来るでしょう。
 いつか、太陽の火も消える。
 でも、ね。
 だからって、こんなふうで良いわけはないと思うの。
 いがみ合い、憎しみ合い、ぬすみ、支配し、横取りし、悲しみ、苦しみ、絶望し、ぜんぶ自分が悪いのだと思う。
 もしくは、ぜんぶ周りが悪いのだと思う。
 良くないよ。
 違う生き方が、きっとできると思う。
 もう21世紀なんだから。
 我々の予想では、けったいなおたまじゃくしみたいな宇宙船で、*宇宙の真理を求めて木星に旅立つのは去年だったのだから。
 いつまでも民族主義だとか、宗教戦争とか、これでは、相変わらず空に骨を投げあげている猿のまんまじゃない。
 うう〜ん。
 ブラックだなあ。
「この世にはユーモラスなものがいくつもある」**
 マーク=トウェイン大おじさまでなくとも、そう言いたくなるよね。


*アーサー=C=クラーク原作の映画「2001年宇宙の旅」です。オープニングでお猿さんがたくさん出てきて、骨で殴ったり投げたりするシーンがあるんです。

** マーク=トウェイン大おじさまが言ったとされる軽口。私が聞いたところによると、おじさまはこう言った。
「この世にはユーモラスなものがいくつもある。中でもこういう白人の考え方がそうだ
【オレはそれほど野蛮ではない。他の野蛮人と比べればな】」







「雪の女王」(2002.4.26)

 前回の日記で、アンデルセン嫌いであることを白状した純です。
 しかし、アンデルセンの中でひとつだけ、大好きなお話しがあるんです。
 例外というやつですね。
「雪の女王」というお話し。
 いやあ、アンデルセンが作ったお話しとは思えない素敵な物語だ(笑)。
 ……とことんアンデルセンが嫌いな私。
 でも、この話は大好き。
 雪の女王にさらわれたカイ君を少女ゲルタちゃんが追いかけ、探して、見つけだすお話しなんだけれど、ゲルタちゃんのまっすぐな気質にまず胸を打たれるのです。
 カイとゲルタの愛の物語。
 愛の物語などと、素直に『愛』と口にできるのがすがすがしいです(笑)。
 実は、カイ君の眼と心臓には、割れた鏡の欠片が入っちゃってるんです。
 それも、普通の鏡じゃなくて、悪魔の作った鏡の欠片。
 美しいものが醜く見え、優しい心が冷酷で無感動になってしまうこわい魔力がある欠片。
 それが眼と心臓に入ってしまったので、カイ君はお家に帰れなくなってしまったのです。
 雪の女王は、氷の欠片を組み合わせてある言葉を綴ることができれば、お家へ返してくれると約束してくれます。だけど、カイ君はどうしてもその言葉を綴ることができません。
 その言葉とは『愛』です。
 だけど、とうとうゲルタちゃんはカイ君を見つけます。
 カイ君に駆けつけるゲルタちゃん。
「カイちゃん!私のカイちゃん!とうとうカイちゃんを見つけたわよ!」
 すると、カイ君の眼からポロポロ涙がこぼれて、涙といっしょに鏡の欠片が流れ落ちます。そしてゲルタちゃんの涙が胸元を濡らし、心臓の欠片まで溶かしてしまうのです。
 正気に返ったカイ君。
 ふたりは再会を喜んで、あんまり喜ぶものだから、とうとう氷の欠片までもが悦んで踊りだします。
 そして、踊り疲れた氷の欠片が満足しきって身体を横たえたとき、そこにはあの言葉『愛』が綴られていたのでした。
 私、ここのくだりが大好き!
 あんまり素晴らしくて、これは私が読んでいる絵本*のつけたし部分なのじゃないか、アンデルセンのオリジナルじゃないんじゃないかと疑っているくらいです。
 (^-^;A
 カイ君がいくら頑張っても愛という文字を綴ることができなかったのに、ゲルタちゃんがあらわれたとたん、氷の欠片が踊りだして、ひとりでに『愛』の言葉が綴られてしまうなんて。
 なんて象徴的なんでしょ。
 私たちは、満たされたことのない小さなガラスコップみたいなもので、ひとたらしの水を後生大事に持ち歩き、あっちの方がひとたらし多いだの、あっちの方はひとたらし少ないだのと言いあっているようなものだと、純はときどき思う。
 この「雪の女王」の物語の中で、『愛』はカイ君のものでもゲルタちゃんのものでもないのね。
 『愛』は、もともと小さなガラスコップの中なんかにおさまるようなものじゃなかったのよ。
 大きく、深く、広い海から寄せる力強い大波のように、または、優しく訪れる死のように、ガラスコップごと悦びで押し流してしまうの。
 世界中が、愛で跳んで踊ってる。
 ロマンチックやなあ。 "o(*^▽^*)o"
 絵本として、寓話として、名作中の名作に仕上がっていると純は思います。
 アンデルセンの中で、これだけは認めないわけにはいかない純でした。
 f ^ ^ *)


 私が読んでいる絵本* 「スノー・クイーン」アンデルセン 原作、S=エイドリゲビシウス 絵、今江祥智 訳、西村書店。
 S=エイドリゲビシウスの絵がまたシュールで最高!一度読んでみて。
 バーナデット 絵、ささきたづこ 訳、版の「雪の女王」も持っているけど、そちらには、雪の欠片が踊りだして『愛』の文字を綴るくだりはないんです。







純はアンデルセンが嫌い(2002.4.25)

 純は、小さい頃からアンデルセン童話が好きではありませんでした。
 というか、小さい頃は、絵本というもの自体が好きではなかったのでしたが。
(^-^;A
 子ども時代は、絵本が極めて苦手でした。
 う〜ん。
 絵本と相性が悪いなんて、つらい子ども時代。
 ずっと前の日記にも書きましたけど、「はらぺこあおむし」では、あおむしに家族を食べられてしまう恐怖におののき、「ぐりとぐら」は、カステラを欲しいと言い出せずに仲間はずれにされるのではないかという不安に襲われ、「かぐや姫」では、月からお迎えが来たらどうしようと思ってた。
 なかでも、アンデルセン童話は純にとって最悪でした。
 アンデルセンって、女性に対する悪意が、あるでしょう?
 え?ない?
 いいえ、あるって。
 例えば「人魚姫」ね。
 海で助け出した王子様に恋してしまった人魚は、どうしても忘れることができなくて、魔法で人間になるんだけど、王子様は別の女性と結婚してしまって、さいご人魚は海のあわになっちゃうの。
 人間になる変わりに言葉をなくしてしまった人魚は、海で王子を助けた女の子は自分 だって言うことができなかったのね。
 そんなのあるかなあ。
 自分が人魚姫だって言い出せずに、あわになるなんて、そんなのひどい。
「マッチ売りの少女」も怖いよね。
 マッチ売りしている女の子、最後にはマッチをぜんぶ使い切って、凍えて死んでしまうんだけど、彼女が何したっていうのだろう?
 彼女、けなげにマッチを売っていただけなのに。
 純は、小さい頃から、こういうお話しは認めたくない人間だった。
 悲しいお話、つらい話はのはかまわないけれど、「世の中こんなものさ」とは思わないし。
 私たちが「世の中はこんなもの」と信じて「世の中を」「こんなもの」にしているだけだと思うから。
 こういう種類のお話には、新しい社会のあり方とか、人間関係のあり方への提案力が備わっていないといけないと思うの。
 こういう『提案力』という意味においては、やっぱりアメリカの、特に女性作家のものがずば抜けて素晴らしかったりするデス。
 バーバラー=クーニーの作品、特に「ルピナスさん」は、いかにもアメリカの女性作家が作った絵本という気がして、おすすめ。
 絵本で、こんなことが可能なのかと、最初に読んだときは驚愕しましたです。
 アメリカという国は、自分たちの正義、自分たちの定めた基準以外を認めようとしない(それ以外は悪)という大問題行動を対外的にはする国だけど、自分の内側に目を向けさせれば、とことん真面目に理想を追及する国だと思う。
 少なくとも、文学的にはそうだと思う。
 話がそれました。
 アンデルセンの話。
「すずの兵隊」もひどいよねえ。
 すずの兵隊と紙の踊り子とが、どうして引き裂かれなくちゃいけないのか、純は最後まで理由がわかんないの。
 理由はひとつ。
 アンデルセンの悪意だよ。
 むむう、アンデルセン、こんなことしちゃダメ!
 (*'へ'*) ぷんぷん
 いくら作者だって、登場人物達を悪意によって、こんなふうに扱っていいわけじゃないと思う。
 純はなにも知らないけど、きっとアンデルセンは、悲しい恋愛をしたんだと思う。
 利用されて捨てられたとか、愛し合っているのに引き裂かれたとか、そのどっちもとか。
 そんな恋愛の末に、こんな物語をいくつも書いたんじゃないかなあ。
 勝手な想像ですが。
 まあ、そう考えると納得はできるけど、純はやっぱり好きにはなれないです。
 他にも。
 女性に対する悪意とは関係ないけど、「醜いアヒルの子」もヤだった。
 オチが、『醜いアヒルの子は実は白鳥だった』なんてねえ。
 うう〜ん。
 アヒルの子は、本当は白鳥だったから、めでたしめでたしなのですか?
 純は小さい頃、この話が心底恐ろしかった。
 もしも純が醜いアヒルの子だったら、白鳥なんかに絶対なりたくないと、そう感じていたから。
 白鳥が美しいなんて、そんなことにどれほどの価値があるのか?
 白鳥になって、そのあと、いったいどうするというの?
 純がアヒルの子だったら、白鳥じゃなくて『醜くないアヒル』になりたかったろうと、そう思ったのです。
 まあね。
 子どものころの純はそう思ったですけど、アヒルが現実には白鳥になれない以上に、醜いアヒルの子が醜くないアヒルの子になったりはしないですけど。
 だから、いま純が言った感想は、「醜いアヒルの子」のオチの代替案ではないので、お間違いのないように。
 ただの子どもの感想。
 しかし。
 アンデルセンの「醜いアヒルの子」と、たとえばレオ=レオニの「スイミー」「フレデリック」などの絵本と比較してみただけでも、アメリカ文学の提案力を強く感じる次第です
 ……最後にまた脱線した。(^-^;A






潰瘍性大腸炎で頑張ります(2002.4.18)

 このたび、純が抱えている様々な持病のうち、潰瘍性大腸炎を悪化させてしまいました。
 ぽんぽんの病気ですね。
 トイレでドピーと血抜きしております。
 あ〜あ。
 便器が真っ赤。
 潰瘍性大腸炎って、腸の粘膜がポロポロはがれる病気だそうでして、ぬらぬらした粘膜もいっしょに流れてしまってます。
 あ、貧血。(^-^;A
 でも、女の人って、毎月これなんだなあ。
 大変だなあ。
 えらいなあ。
 今の私は毎日だけど。
 ちょっと、ちがうよね、話。
 ごめんなさい。(^-^;A
 女性って、ほんとすごいなあって思って言ったのよ。
 で。
 症状を抑えるためにステロイド剤というお薬を飲むのですが、これが副作用きつくて。
 猛烈な倦怠感と微熱におそわれちゃう。
 少なくとも純はそうなっちゃう。
 この薬飲んでも平気なひともいるのかなあ。
 おしっこすると、お小水までお薬の色なの。
 とにかく眠いし。
 お薬飲む前より、お薬飲み始めてからの方が、病人、という実感が湧いてくる感じ(笑)。
 (^-^;A
 病気すると、お金ばかりかかって、ほんと、ヤになります。
 だから、みんな、どんどん純に同情してね。
 (^-^;A
 えー。
 というのも、周囲の注目を集めたいがために純がわざと病気になっている、という人がいるの。
 そんなことないもん!と反論しても、図星だからそうやって反論するのだというし。
 そんなこと言ってたら、反論そのものができないじゃない!
 (*'へ'*) ぷんぷん
 むかー。
 でね、本当に純がみんなから注目されたいがために病気になっちゃうのだとしたら、もう、ホームページでドシドシ同情を募集したほうが良いかなと思ったのさ。
 アタマいい(笑)。(*^▽^*)
 しかも、私、とっても素直でしょ?
 目的がはっきりしたならば、あとは行動あるのみね。
 頑張ります(笑)。






赤ちゃん絵本の予告の巻(2002.4.17)

 最近なんだかんだと忙しくしている純です。
 何が忙しいのか?
 色々あるのですが、まずは、うちで新しいオリジナルブックを出すことになったのです。
 女の子、男の子、クリスマス用と来て、今度のはズバリ、赤ちゃん絵本です。
 どうです、すごいでしょう?。
 絵は、牧野和子先生にお願いしました。
 お話しの方は、言わずと知れた我が社の玲子氏(うじ)が担当です。
「カッパのかーやん・シリーズ」以来のコンビですね。
 みなさん。
 よいですえ〜、よいですえ〜、今度の絵本は(も)よいですえ〜。(*^▽^*)
 今回の絵本製作は、純が大きく参加した企画でしたので、苦労もあったけれど、とっても面白かったです。
 絵本のほうは近々、発表できる予定です、お楽しみに。
 しかし、絵本を作るって、本当に、面白いなあ。
 死ぬまでに、一冊くらい、自分の絵本を作ってみたいと思ってしまった純です。
 できるかな?

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