純の◆姫林檎◆日記(不定期でふ)


 エッセイ……というか、実家で病気療養中男の、ただの出不精Mac日記です。
 いちばん上のものが新しいです。
 思いつきで作ったコンテンツですので、ユーザーヴィリティがはちゃめちゃです。
 すみません、そのうちなにか良い方法を考えますです。(^-^;A

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熊取の小出裕章先生に会ってきた*(2011.11.3)


「現在の肥大化した資本主義社会は、エネルギー危機をはじめとして、まさに大きな危機に直面している。そして、原発は浪費によって支えられてきたこの社会を、一層の浪費によって乗り切ろうというあがきなのである。しかし、浪費が原因で生じた危機を一層の浪費で乗り越えられるはずもなく、いずれ破綻はやってくる。その暁にこの忌まわしい社会が崩壊するとすれば、それは嬉しいことである。しかし、その過程で、多くの弱者が犠牲にされるであろうことを思えば、やはり私たちはいま現在の運動のあり方をしっかりと点検してみる必要がどうしてもあると思うのである」
 〜小出裕章『放射能汚染の現実を超えて』〜


「孤立した個人消費者に公益はない。また主たる情報源が画像で、顔を合わせる公共スペースが地元のモールだけの場合、消費者は相互に熟議できないし、抽象的な説得もできない。民主主義は理性的な熟議を必要とする。とはいえ市民が相互に熟考でき、抽象的な説得ができるのは、言葉を用いる場合に限る。理性的な熟議を欠いても、消費者としての選択は可能である。しかしそこに民主主義は存在しえない。公立図書館はこうした病理にたいして明白な救済を提供する。しかし政府がよりよい顧客サービスの提供を好み、民主主義のための市民教育という責任を捨てたとき、公立図書館もポストモダンの情報経済の魔手に落ちる」
 〜エド=デーンジェロ『公立図書館の玄関に怪獣がいる』〜



40年前以上も前から原発に反対している

小出裕章助教に会いに、熊取の『京都大学原子炉実験所』に行ってまいりました。

うちの溝江玲子が、ラジオ放送『FMわいわい』の協力を得て、お話をたっぷりとうかがいました。
10/31日のことです。
放射能のこと、汚染瓦礫のこと、子どもたちの健康のこと、「原発と憲法9条」についてなど、さまざまなお話をうかがってまいりました。
きわめて厳しい現状に「それでも事実を知らないよりは、やはり知っていた方が良い」と自らに言い聞かせるように言い、力強く「未来はかならずある」「絶望はしない」とおっしゃる姿が印象的でありました。
お話の内容は、一冊の本にまとめて遊絲社から出版予定です。
また、インターネットでも動画配信される予定です。
ラジオ放送もされる予定です。


 

 

 



「除染は事実上不可能」の衝撃*(2011.10.31)


「……たのむよ、ルーシ、ぼくを人間にもどしてくれ。きみの声を聞かせてくれ。生きていること、人間であることの温かみを、味わさせてくれ。おねがいだ!」
 〜コードウェイナー=スミス『スキャナーに生きがいはない』〜


「孤独以上に恐ろしいことが発見されたのである。誤りと残虐の連続だ。
 安定した成長と平和が数千万年続いたのちの、新たな激動にわれわれは失望した。
 いかに学習して進歩したのであろうと、必死になったり、発展の過程においてある段階がくれば、社会/精神もまた個人に分かれていた古代の社会が犯した誤りに相当する行為を演じるようになる。ほかの社会/精神を殺したり、自己の内部の支族の多くの活動を断ち切ったりすることがあった。ほかの精神の充足を阻害することもあった。怒りのようなものを経験することもあったが、肉体の地熱条からは切り離されていた。怒りは冷たく、精緻で、長続きし、恐ろしいほどの説得力をもち、その結果もおぞましいものだった。さらに悪いことに、無関心をも経験することができたのである。」
 〜グレッグ=ベア『ジャッジメント・エンジン』〜



「放射能汚染地区から逃げるのではなく、住民は地域に踏みとどまって、汚染除去、いわゆる「除染」をがんばろう」的な主張には、以前から疑問を感じてはいたのだ。
だが、それは、除染作業についてまわる「被曝の危険性」への危惧から発した疑問だったのだが……。

『子供を守ろうSAVE CHILD』さんから。

【汚染】神戸大学 山内教授「渡利地域における除染の限界」、放置された側溝は天然の濃縮が進行し線量が2倍に上昇していた


「・渡利小学校通学路除染モデル事業が8月24日に実施されたが、報告された測定結果によれば、各地点空間線量は平均して「除染」前の 68%にしか下がっていない。除染作業の実態は側溝に溜まった泥を除去したということであって、コンクリートやアスファルトの汚染はそのままである。道路 に面した住宅のコンクリートブロック塀や土壌の汚染もそのままである。一般に、除染は広い範囲で実施しなければその効果は見込めない。今回の計測において 通学路の直ぐ側の地表で 20 μSv/h に及ぶ土壌の汚染があった。除染というからには天然のバックグラウンド・レベルである 0.05 μSv/h に達するかどうかでその効果が評価されるべきである。「除染」の限界が示されたと見るべきである。」

どひー!!

「「除染」の限界が示されたと見るべきである。」

よく考えてみれば、「壊れた雨どいに放射能汚染物質がたまる」等のニュースが毎日のように流れているのだから、水で洗い流せる、というのは、あまりに楽観的すぎたのだと思い至る。
しかし、これはいよいよ、進退窮まった。
少なくても、前進する方法は見えない。

youtubeから。

たね蒔きジャーナル「除染しても線量が下がらない!?」その1


たね蒔きジャーナル「除染しても線量が下がらない!?」その2

 

 



 



新聞記事の三浦さん*(2011.10.28)


『男の魂に火をつけろ!』さんのところから。

三浦達也さん(43)

うーん、なんといいますか。産経新聞でいう「取材」ってのは、知り合いに電話して自分らに都合の良い話を聞くことなんですかね?

八月までは町の臨時職員だった三浦達也さん(43)も、十月には無職になってしまっていて、世間の風の冷たさが身にしみます。このままだと、いつ「三浦達也さん(44)」になるかで誕生日まで特定されそうな勢いですね。

TBSの『サンデージャポン』は、情報バラエティ番組なので毎回おなじ人に街頭インタビューしてて番組内でもツッコミを浴びていましたが、産経新聞のインタビューも似たようなもんなんですね。」


新聞を読んでも、インタビューされる側の人物の名前、というものにまったく意識を向けたことがなかった。
意識を向けたことがないのだから、こうやって、指摘されることがなければ、永遠に気がつくことがなかったろう。
面白いね。


--☆-

youtubeから。

『「原発いらない福島の女たち〜100人の座り込み〜」中継プロジェクトCM 』



『不道徳な真実』


 

 



良い「1984」をと誰もが言った*(2011.10.24)


「だいたいね、何か発明が生まれたとき、その発明は、資金やツール、環境を提供した人のものだと考えられることが多いんだ。もし君が若い発明家で、世界を変えたいと望んでいるなら、企業なんてところにいちゃダメだ」」
 〜スティーヴ=ウォズニアック『アップルを創った怪物』〜


「富をかき集めるもう一つの源泉は、労働力の超過搾取、とりわけ農村部から移住してきた若年女性労働者に対する超過搾取から生じている。中国の賃金水準はきわめて低く、労働条件の規制は不十分で、専制的かつ搾取的である。そのひどさときたら、マルクスが大昔に、産業革命の初期段階のイギリスにおける工場労働や家内動労の過酷な状況を痛烈に記述する中で集めた叙述をも恥じ入らせるほどである」
 〜デヴィッド=ハーヴェイ『新自由主義』〜



二人いるアップル創立者の片割れ--天才のほうではなくて、詐欺師のほう--スティーブ=ジョブズが亡くなった。
革命の夢をブランドイメージとして衣服のように着飾ってみせた詐欺師、スティーブ=ジョブズの側面を、映画評論家、町山智浩さんが語ります。
TBSラジオ「キラキラ」2011年10月21日放送


スティーブ=ジョブズとライアン=テイトのメールのやり取り、日本語訳。
For someone who loves me because I am me…


「20歳のディランが見たら、今のあなたの会社のことどう思うんだろう? あのiPadに「革命」のかの字も感じるか? 革命とは自由になること言うんだよ。」

まあ、これが会社の限界、ということでもあるだろう。
ウォズニアックがなぜアップルを離れたのか、どうして戻ってこないのか、それは、彼が天才であるのと同時に、ウブで、純粋で、子どもっぽいまでに道徳的だからだ。
旧Mac武闘派の私は、そう言う。

革命Macコマーシャル、広島弁吹き替え。
『Macが出るけえ、なんで 1984 年が "1984" みたいにならんのんかわかるで。』






 

 



ドイツから見た日本*(2011.10.21)


「資本主義よ、お前は「自由な競争」と「繁栄の自由」とで自分の血液型を美化してきたが、本性は欲望の無限大の追求で、しかも儲け第一主義だな。……儲けるためなら毒水を海に垂れ流すことでも何でもやってきたな。いま刑法が処罰の対象とする犯罪は大体190個だが、そのほとんどがお前の生んだものだな。続けるのか、それを。世界中の国家とマスコミ産業の大部分がお前の陣地だから、お前をのさばらせっぱなしだが、このままだとお前の死亡と人類の死亡が重なるだろう。」
 〜むのたけじ『戦争絶滅へ、人間復活へ』〜


「現代に通じる海軍の問題ということはとても理解できる。例えば父は"やましき沈黙"という言葉を生前何度も何度も語っていた。"やましき沈黙"というのは、特に開戦についての話をするときよく使っていた。これではいかんと思いながら、やめることができずについに戦争を始めてしまう、海軍のそういう問題をとても悩んでいた」
 〜『日本海軍400時間の証言---軍司令部・参謀たちが語った敗戦』〜



ドイツのお笑い番組から動画。
4月1日づけだ。

Heute Show 「犯罪会社東電」

日本の正体は、とっくにばれているわけだ。

 


さて、こちらはお笑いではなく、ドイツの本当の報道番組。

ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態」』

日本の正体など、やはり、とうにばれてしまっている。




 

 



ヒーローが解決するあれ*(2011.10.18)


「こんなに大勢の人びとが、自分たちの人生をりっぱな物語にしようとつとめるのは、よくないことかもしれない。結局、物語というのは、西部の酒場によくおいてある機械仕掛けの暴れ馬とおなじように、作り物なのだから。
 そして、国家が物語の登場人物を気どるのは、それ以上によくないことかもしれない。
 たぶん、国連本部や、大小あらゆる種類の議事堂の戸口の上には、こんな文句を掘っておくべきだろう---〈物語を中に持ち込むな〉」
 〜カート=ヴォネガット『デッドアイ・ディック』〜


「剣や杖や何か男根を象徴をするものによる殺害という形で善が悪を退治するという、現在、多量に出回っているいわゆる英雄ファンタジーは、テクノロジーが魔術に取って代わり、希望的観測がかなうようなまやかしの中世的過去の中で安直な欲求充足を与え、不快感を回避すること以外には何も考えていないように思われます」
 〜アーシュラ=K=ル=グウィン『世界の果てでダンス』〜



『男の魂に火をつけろ!』さんのところで、こういう話題が。

アイアムアヒーロー


「近頃は物騒な事件がめっきり減りまして、でもなぜか「治安が悪くなった」と感じる人は増えています。」
そういうわけで、渋谷ではこんな人たちが活動しているとのこと。」


うわあ。
これって、『キック・アス』や『スーパー!』というよりも、

『タクシードライバー』、つか、『時計仕掛けのオレンジ』に近いよね?ヨーヘイくん。



『タクシー・ドライバー』


『タクシー・ドライバー』が公開されたのは、1976年だ。
少なくてもその1976年の時点ではっきりしていたのは、

アメリカンヒーロー像などというものは、それ自体がホラーだということだ。

粗雑さ、マッチョさ、不吉さ、ひとりよがりな正義感、ある種の政治性など、どれをとっても、私をぞっとさせずにはおかない、ホラーだ。
そのホラーは、例えば、広島や長崎に降った黒い雨や、グァンタナモ基地秘密収容所というようなものに結実していく。




 



再建の始まり*(2011.10.8)


「イラクに侵攻した勢力は、このチャンスに乗じてもうひとつ別のショック、すなわち経済的ショックを与えることで、侵攻後白紙状態になったイラクに自由市場民主主義のモデルを創造しようと考えたのである。
 だが実際に侵攻によって作られたのは白紙状態などではなく、瓦礫の山と、生活を破壊されて怒りに燃える人々だった。そして抵抗した人々には、さらなるショックが与えられた。その一部は、かつてゲイル・カストナーに行われた実験に基づくものだった。「われわれは破壊するのは実にうまい。けれどもいつか戦闘ではなく建設のためにここで働く時間が増えれば、それほど喜ばしいことはない」と、イラク戦争の戦闘終結宣言が出されてから一年半後、米陸軍第一機甲師団の司令官ピーター・W・キアレッリ中将は語った。だがそんな日は二度とこなかった。キャメロンと同様、イラクにショックを与える“博士”たちには破壊することはできても、再建することは不可能なのだ」
  〜ナオミ=クライン『ショック・ドクトリン』〜


「「欲の皮の突っ張った銀行家」への非難の話に戻れば、公平に言って、銀行家側に正当な弁明の余地があることを認めざるをえません。銀行家の職務は利益と市場シェアを最大化することであり、実際のところそれは法的義務です。そうしなければ、だれかそうする人間にとって代わられることになる。これは制度的事実です。また、銀行家がシステム全体へのリスク、すなわち自分たちの行う取引が経済全体に害を及ぼす危険性を無視せざるを得ないという、市場の本質的欠陥もまた制度的事実です。こういう行動が経済を破綻させる恐れが高いことを銀行家は重々承知していますが、こうした「外部性」と呼ばれるものは自分たちの関知するところではない。関知できないのです。銀行家が悪人だからではなく、制度的な理由からです。」
 〜ノーム=チョムスキー『アメリカ国民の怒りはどこへ向かっているか』 〜



「他人の財産を略奪したならば、それは元の持ち主にかえさなければならないよ。」
イエス=キリストはそう言ったとか、言わなかったとか。
ウォールストリートではじまったデモは全米各地へと広がり、その広がりは国境を越えて、全世界的な規模へと拡大する様相を示し始めている。

インターナショナルに連れてって!

ウォール街で始まったと言ったけれども、デモから改革の流れは、実は中東から始まっていて、私たち“先進国の市民”は、実は民主主義の可能性と運用について中東のひとびとから学んでいるのかもしれない。
デモ隊の参加者が警察から嫌がらせや逮捕やどさくさまぎれの暴力を受けるのは、日本もアメリカもエジプトも変わらずだ。

『マガジン9条・雨宮処凛がゆく!』から
第205回「デモと広場の自由」のための共同声明・記者会見。の巻

「「日本でデモが少なくなってきたことと、これほど地震が多い国に54基も原発が作られたことには深い関係があります。それは、原発に反対するという意思表示ができなくなってきたということです」
 その背景にあることとして柄谷氏が挙げたのは、労働組合の弱体化や社会党の消滅、そして90年代に新自由主義体制が確立したことなど。そのことと、原発が大量に作られ続けてきたことにはやはり大きな関係があることを指摘し、こう続けたのだった。
 「地震のあと、外国人は日本人の冷静さを賞賛しました。しかし、同時に不可解でもあったはずです。どうして日本人は抗議しないのか、怒らないのか。しかし、3・11の原発震災以降、デモが始まりました。私は単に原発に反対するだけでなく、個々人がその意志をデモで表現することが重要だと思います。その意味でようやく日本人が意思表示を始めたのだと思います。日本でやっとデモが始まったことに希望を見いだしています。」

虫歯の痛みが耐えられないほどまでに高まれば、こりゃ歯医者に駆け込むしかなくなるように、アメリカ、そして日本のわしらしがない市民も、ぞろぞろと路上に繰り出し始めたのだ。


『デモクラシーナウ!』から。
「ウォール街を占拠」2週目に突入 非暴力デモで80人逮捕


スティグリッツもデモに参上したとか。
スティグリッツ 社会保障の縮小と米国の金持優遇税制を批判

「米国では富の格差がますます拡大し、上位1%の金持ちが国民総所得の25%を懐に入れます。過去10年の経済成長は上位2%が独り占めにしています。有り余る資金で金融ギャンブルをやり世界経済を危機に陥れたのも彼らですが、失業者が街にあふれるなか金融業界は空前のボーナスを配っています。しかも税金は払いません。政界に効率のよい投資をして、税制も規制も自分たちに都合のよいものに変えていきました。しかし、そんなことを続けては国全体が傾いてしまいます。」

アメリカのデモは、学生や労働組合も参入し、いよいよ無視できないものとなってきたようだ。

話はここで突然変わるが、アップル社の元CEO、スティーヴ=ジョブズが亡くなったそうだ。
私は、この男が大嫌いで、何が嫌いかというと

「アップル・ブランドの持つ「革命」のイメージを衣服のように着飾りながら、人間解放の事業にいっさい貢献しないし、そもそも解放の意味を理解していなかった」

点にある。
しかし、アップル社の製品iphoneは、中東やアメリカの民主化デモにおける情報共有ツールとして、大いに活用されていると聞く。
まあ、なんというか、この世の不思議というか、皮肉というか、Mac革命原理主義者の私としては、奇妙でどこかぎこちないアルカイックスマイルを浮かべている次第だ。
しかし、気分は悪くない。




 

 

 



私たちの小出さん、私たちの後藤さん*(2011.10.5)


「抑圧的な環境の下で民主主義を確立することはできない。規則に基づいて話さねばならないところで、議論したり投票したりすることは不可能だ。このプレッシャーの下で、多くの抵抗運動が自ら崩壊していった」
  〜『闇からの光芒』マフマルバフ、半生を語る〜


「が、そのうち私は資本主義が糸を引き、革命をコントロールし始めていることに気づいた。これらの作品が描いているのは、この点だ。資本主義と、それが私たちの社会に及ぼす影響についての映画なのだ」
  〜『闇からの光芒』マフマルバフ、半生を語る〜



10月6日の20:30から、ウィキリークスのジュリアン=アサンジとスラヴォイ=ジジェクの対談を『デモクラシーナウ!』がニコニコ生放送にて放送するそうだ。
私はジジェクという人間を根っこのところで信用していないが、しかしこれは見ずにはおれないだろう。
しかし、ジュリアン=アサンジとスラヴォイ=ジジェクの対談なんてのは、NHKあたりが企画すべきではないか。
……。

ごめん、そんなこと絶対ないわな。

国営テレビでジュリアン=アサンジとスラヴォイ=ジジェクの対談が放送されるような国なら、原発が54基も作られたりしないはずだ。


今日の原発動画。
岩井俊二friends after 3.11小出裕章


岩井俊二friends after 3.11 後藤政志


小出先生、ちがった、小出“さん”、涙ぐんでいるのかなあ。
実は、私が涙ぐんだんですけれどもね。


 

 

 

 



あなたのストレステスト*(2011.10.2)


「もう少しで現実になったかもしれないこと、なるべきだったことにこそ、真実は宿るものである。私の人生の半分は改訂作業に明け暮れる。そのまた半分以上は小さい変更にかまけている。作家であるということは、見えるものへの細心の観察力と、見逃した真実へのやはり細心の想像力が、ごり押しにでも合体していることである。そうなったら、あとはもう頑固一徹に言葉を鍛えるしかない」
 〜ジョン=アーヴィング『ピギー・スニードを救う話』〜


「さまざまな理由で、対人関係における道徳的振るまいについてあらゆる種類の規範を提案する人がいるが、その後で、その道徳的規範を世界市場における商品交換の世界に拡張すべきかどうか、またいかにして拡張するのか、というジレンマに直面することになる。「よい」対人関係を主張して自分の隣人を助けることはまことに結構であるが、われわれが知らないし知ることもできないが、われわれに日々のパンを供給するにあたって不可欠な役割を果たしているすべての人々に対して完全に無関心であるならば、その場合の主要な論点は何だろうか? これらの問題は時おりわれわれの注意を引きつけている。たとえば、商品交換の世界の道徳的基準をはっきりさせようとする「フェアトレード」運動や、遠くの他者のための慈善的貢献を動員しようとする反貧困運動によってである。しかし、これらのものでさえ、グローバルな不平等という諸条件---すなわち慈悲深い寄付者にとっての富とその他全員にとっての貧困---を生産し維持する社会的諸関係に異議申し立てをすることにたいてい失敗している」
 〜デヴィッド=ハーヴェイ『資本論入門』〜



今回の原発事故が「人類史上最悪」の環境破壊事故であるかどうかは結論を保留するとして、ベスト(ワースト?)3には確実に入るだろうし、現時点で今世紀最悪なのはこれは間違いない。
これほどの大惨事を引き起こしながら、誰も責任をとらない、とらせようもない、誰に責任をとらせたらいいかを主張するメディアもない、という、奇妙な露骨さだけがむき出しになって、誰も罪に問われることもなく、
「頑張ろう日本」
のかけ声だけが響く。
頑張ろう、頑張れば、頑張るのだ。
日本という地域の内部で生活するいわゆる庶民に対して、上からのしかかるように発揮される残酷さを「頑張れ」のひと言に託しきり、そのひと言ですべてを乗り越えるのだと頑強に言い張っている。
「頑張れ、頑張ろう」
まさしく言い張り、としか言い様のない有り様だ。

無理を極めた日常は、ここに頂点に達した。


東芝で原子炉格納容器の設計をなさっていた後藤政志さんが、保安院からストレステストへ技術的な意見を求められた。
後藤さんに、原子炉ストレステスト委員会に参加の要請!

後藤政志氏 格納容器の機能喪失


たんなるアリバイづくりに利用されるのではないか、という危惧を抱きつつ、それでも「委員会」に参加を決意した後藤さん。
これが後藤さんのお人柄。
例えば、小出先生なら、一国の首相に懇願されても参加しなかったろう。
これはこれで、小出先生のお人柄だけど。

 

 

 



渚にて「渚にて」を*(2011.9.29)


「じっさいにあったかどうかということは、どうでもいいのです。その話がほん
とだということが、かんじんなのです。ある話が、じっさいにも、その話のとお
りおこるかもしれないなら、その話はほんとなのです」
 〜エーリヒ=ケストナー『点子ちゃんとアントン』〜


「いままでは自分が、無限に広がる苦難の海の中の、信じがたい幸運というひと
つの岩にしがみついているように思い描いていた---正気を保つために、その岩
が世界全部なのだと必死で思い込もうとしながら。だがロバートを取り囲んでい
るのは、より悪いものばかりではないのだ。単に未知のものだというだけで。い
ずれロバートは、あらゆる悲劇が最後のひとつにいたるまで、何十億もの世界で
絶対に“繰り返されない”ようにするために、重要な役割を果たしさえするかも
しれない」
 〜グレッグ=イーガン『オクラル』〜



核戦争によって滅びていく人類を描いたネビル=シュートのSF小説の映画化作品。


『渚にて』


今日の小出先生。
9/28 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章


どうして人はもっとSFを読まなかったのか。





 

 



『25時のバカンス』という漫画を読んだ*(2011.9.26)


「乙女さんがどうするのか誰も知らないんだ
僕は乙女さんがこのまま
どこか遠くへ行っちゃうんじゃないかって不安で
会いに来たんだよ」
 〜市川春子『25時のバカンス』〜


「人類とは異常者に密着した概念である。異常者は人類の近くにあって人類に憧れ、常軌を逸した言葉で人類の仲間であることを主張し、矮小な手を人類に向けてさしのべることをやめない。」
 〜シオドア=スタージョン『夢みる宝石』〜



市川春子センセイの新刊漫画『25時のバカンス』が刊行された。
高野文子センセイの後継者、という言い方をしてしまうと、これは両者に失礼なんだろうけれど、ベクトルが高野文子の方向で洗練された、最初から完成された漫画を描く最近期待の漫画家さんが、市川春子センセイだ。
期待とは誰の期待かというと、もちろんいち読者の私の期待ではあるけれども、なによりもまず、編集者の期待が大きいはずだ。
短編漫画を年に数本、ぽつぽつと発表するだけの漫画家さんに対して、おそらくは「長編を書いてもらえないか」と懇願しつつ、次の短編作品を、切実と言っていいような思いで待ちわびているのではないか。
この漫画作品はどうだ!と、どこに対しても誰に対しても胸を張れる、という洗練された独自性がある。
私は今、ナオミ=クラインの『ショックドクトリン』とグレッグ=イーガンのSF『プランク・ダイブ』を平行して読んでいて、そこにまた一冊加わる形で、この漫画を読んだ。
私は同時並行的に本を読むくせがある。
飽きっぽさが、主な理由だろう。
こちらは漫画だから、一日をかければ、最後まで読んでしまえる。
『25時のバカンス』という中編(?)漫画において、市川春子センセイが、(私の想像に過ぎないけれど恐らくは)自分に課したテーマは、エロティシズムだったのではないか。
自分は、エロティシズムというものをどのように表現し得るのか。
そういうテーマに、ひそかに挑戦したのではないか。
もちろん、おっぱいが見えた、とか、スカートの内側を下からのぞき見るようなアングルを画面に持ち込んだ、というような、あまりにも即物的で悪い意味で漫画的な次元での挑戦ではない。

エロティシズムとは、それは謎だ。

という、書き手としての判断を土台にして、「触れなば落ちん」という風情でありながらけっしてこれ以上は接近できない距離感、などなどに、漫画作品の描き手として挑戦した、ということだったのではないか。
別の視点から市川センセイの漫画を読めば、これは驚くほどはっきりしているけれど、描かれている内容自体は、ほとんどどれも同じ内容だということだ。
その部分については、私は個人的にはあまり興味がないのでひとことでさらっと要約してしまうと、それは
「サクリファイス」
というような言葉になる。
これから少しずつ作品が増えていったとき、その評価がどうなるか、つまり読者が馴れ始めたとき、「飽きが来た」などと言って別の消費物に関心が移っていってしまうのか、その点は少しだけ気がかりだ。




 

 

 



*「
2011.911〜9.19」*(2011.9.22)


「大災害に供えて缶詰や飲料水を準備しておく人はいるが、フリードマン一派は大災害に備えて自由市場構想を用意して待っているというわけだ。このシカゴ大学教授の確信するところによれば、いったん危機が発生したら迅速な行動を取ることが何よりも肝心で、事後処理にもたついてあげくに「現状維持の悪政」へと戻ってしまう前に、強引に襲撃をかけて改革を強行することが重要だという。「新たな陣営が大改革を成し遂げるには半年から九ヶ月かかると予測される。その間にもし断固とした行動をとる機会を逸すれば、変革のチャンスは二度とやってこないであろう」。負傷を負わせるなら“一気呵成に”襲いかかれというマキャベリ思想のバリエーションであるこの考え方は、フリードマンの提唱した戦略のなかでももっとも長く後世に影響を及ぼす遺産となった」
 〜ナオミ=クライン『ショック・ドクトリン』〜


「「今までのおばあちゃんの毎日ってのはね 夜な夜なこのクズ入れをさかさにするだろ? そうするとね
全部 思い出せてしまったんだよ その日一日 何をしていたか
部屋のクズ入れにおさまってしまう毎日で
かえるか何かみたいにじっと体温を下げて お迎えを待たなくちゃならないのかねえ」
「ちがう」」
  〜須藤真澄『桜東風』〜


法治国家日本inショックドクトリン。

9.11新宿。
『在特会に抗議しようとした脱原発デモ参加者逮捕の瞬間』


↑この映像を見ても、「警察は職務をまっとうしているだけだよ」などと言う人のなんと多いことか。
職務をまっとうしていたらどうだというのか。

アイヒマンだって職務をまっとうしていただけなんだぜって。

まあ、「アイヒマンってなんですか」って真顔で問い返されたときは、ほんともう、どうしようかと思ったわけですが。
しかし、
「ウジ虫を日本からたたきだせ〜!」
「逮捕じゃなくて射殺しろ〜!」
とか、なんだろね、この人たち。


☆☆
そして一週間が過ぎ。

9.19明治公園。
『「さようなら原発集会」6万人が参加』


ボンクラ大爆発。
おとなしい日本市民も『指輪物語』のエントのように、よっこらせっせと立ち上がらなければならないときがきたようだ。



--☆-

秘密結社鷹の爪団の大家さんから、ひと言。
『大家さんのうったえ 』





 

 

 



*田中三彦氏・最後(なのか?)授業*(2011.9.18)



「「核兵器については、NPT(注・核拡散防止条約のこと)に参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(能力)は常に保持するとともに、これに対する掣肘(せいちゅう)を受けないよう配慮する。又、核兵器の一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発する」

 〜『我が国の外交政策大綱』(外交政策企画委員会、一九六九年)〜


「真理を知らない者はただの馬鹿者です。だが、真理を知っていてそれを虚偽という者は犯罪人だ」
 〜ベルトルト=フレヒト〜


「真の民主主義的授業とは、民主主義の理想を丸暗記させ愛国心を注入することではありません。そんなふうに生徒は学ばないということを私たちは知っています。真の学習は、民主主義の本質とそれが実際に機能する仕方を、自力で発見するよう促されるときに起こるのです」
   〜ノーム=チョムスキー『教育論』〜



人類がかって経験したことのない大惨事となった原発事故。
経済評価、つまりお金の話だけをするのだとしても、この事故による損害は天文学的数字となる。
しかも汚染は半永久的に続くから、壊滅したまま見捨てるしかない、あれもこれも放置するしかない、という状態に追い込まれる土地や資産というものも途方もない規模になる。
その福島原発事故の、この国の政府は当事者だ。
当事者として……、この事故の原因となった原子力発電所を推進してきた責任者として、この国は可能な限りの対応をしなければいけない。
そのような状況にあるこの国が、必死になっての、総力を上げての科学的アプローチの総体を、まとめ的に印象論として語るとすれば、

「この国の“科学”の中身の駄目さ加減というものはいったいどこから来るのか」

というような言葉になる。
池上彰のテレビ番組で

「わかるニュース」などという「答え」だけを得て、

「考える」も「議論する」もなく、インスタントに世界をわかっていく。
科学の専門家と公衆との議論を「勉強はめんどうくさい」などという理由によって避けてしまう。
さまざまな理由で面倒くさいことになる議論を避けたところで行われる、“科学”への信頼。
それは結局、なんのことはない、肩書きや必読書リストといった「権威主義」への信頼でしかない。
その権威主義への信頼を、私たちは科学と呼んで、それで何の疑問も感じないで日常を過ごしてきてしまったのではないか。
「勉強など面倒くさい」「議論など面倒くさい」という市民は、この事故について科学者たちが行なう解説なり説明なりのあまりのひどさに、科学への失望感を更に深め、子どもっぽい反科学主義や陰謀論、オカルティズムにさらに走ることになるのか。
「そうなります」
とは言えないけれども、そうなっても何の不思議もないな、とも思う。
……。
わかる」事よりも大切なことがある。
それは、「問い」だ。



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9月18日に行われた原子力資料情報室第74回公開研究会 『なぜ政府・東京電力は「地震」を事故原因から除外するのか?』
の模様をご紹介。
講師、田中三彦氏。


なぜ政府・東京電力は「地震」を事故原因から除外するのか?

今回は授業形式の研究会だったからか、笑いも多く、田中三彦さんは結構冗談を言う人なのだなと初めて気がついた。


 

 

 



不都合な真実というか市民*(2011.9.15)


「わたしはこの憲法のために、正義の戦いを戦った。しかし、この国は火星人か宇宙人からの侵略者に侵略されてしまったのではないだろうか。ときどき、そうだったらいいなと思わないでもない。しかし実際はそうではない。この国は、薄っぺらな低俗なコメディみたいな「キーストーン・コップス」的手段によって、一気に乗っ取られてしまった」
   〜カート=ヴォネガット『国のない男』〜


「彼の言葉は、現代資本主義のキャッチコピーとしても使えそうだ。「恐怖と無秩序は躍進の新たな一歩を導くきっかけとなります」」
 〜 ナオミ=クライン『ショック・ドクトリン』〜



ひさしぶりの原子力資料情報室の後藤さん出演。
今回は、しょっぱなから怒りマックス。
ボルテージ高し。

2011/9/12 CNIC Ust 後藤政志氏解説


自己の利益追求のために、事実というものを片っ端から真っ黒に塗りつぶしていくというこの国の無残極まりなさに、絶望ではなく怒りを持って反応する後藤政志さんのお人柄を、私は個人的に非常に高く評価している。
しかし、やらせメール問題でも感じたことだが、私たちの社会はいったいどこまで堕落するのか。
「偽装社会」とでも呼ぶしかない途方もない無残さ。
腐敗という表現ではなまぬるいくらいだ。
原発があれほどひどい事故を起こして、それでも原発を推進しようというのだから、喧嘩を売っているのでも汚い言葉を投げつけるつもりでも何でもなく、真面目に正気を疑うしかない。
ともかく。
黒く塗りつぶされてるのだから私たちには詳細はわからないのだけれども、それでもはっきり理解できるのは、企業もしくは企業連合体、そして日本政府にとって、この事実もあの事実もどの事実もきわめて都合が悪いことらしいということだ。
都合が悪いとは、企業、政府という立場に立ったとき「これらの事実は自己の利益追求や力の維持のさまたげになるから、国民に知られたくない」ということだ。
知られたくないことは知らせない、と決意すれば、そんなことはいとも簡単に実現可能だ。
多国籍企業や政府にとっては、それくらいのことは朝飯前だ。
しかし、企業連合体や政府にとって都合の悪い事実は、実は、いま国民がもっとも知りたいと欲している情報のはずだ。
知りたい、切実に知りたい、そのためにだったら何だってする、と感じている市民だって、小さなお子さんをお持ちの方を中心に、かなりの数になるはずだ。
国民が切実に知りたいと考えている事実なのだけれども、原発事故という未曾有の大惨事のさなかにあっても彼らの関心はいうなれば

「国体護持」

というその一点にしかなく、彼らの求める「国体護持」の達成のためには、今では

国民すら不都合な存在となりつつある。

都合が悪い事実は、都合が悪い、という理由によって、端から端まで真っ黒に塗りつぶして国民に提供しまう。
このような行為を、企業もしくは政府という存在が、公的に、正面きって、平然と国民に対して行って、
「それがなにか?」
と開き直ってそれが許される社会に私たちは生きている。
国民が知りたいと欲している事実という事実がことごとく塗りつぶされているのだから、残るのは当然、その場その場の彼らの都合だけとなる。

私たち市民が知りえて、知ったうえで企業連合体や国家と共有可能なのは、国体護持のための、何ひとつ正しくはない単なるご都合だけだ。

あくなき利益追求のみが宇宙の真理であり、社会の発展進歩とは無限地獄的競争のその闘争中にあるのであって、事実など利益追求の都合の前には黒くでもなんでも塗りつぶしてしまえる。また、そうすることがむしろ社会的「美徳」なのだと力説する、と、まあ、少なくとも私たちの社会はそんなふうにできている。
自己のあくなき利益追求という動機にささえられた。ご都合美徳社会の明るい未来。
「国体護持にご協力ください」というネオンの明るい電気仕掛けの看板を見上げて、それでも後藤さんは今日もこんなふうに怒っている。

『未来世紀ブラジル』



 

 

 



最近買った本・マンガ・DVD*(2011.9.12)


「米中央情報局(CIA)の元諜報員で、民間セキュリティー会社カスター・バトルズ社を創設した三十四歳のマイク・バトルズは、ずばりこう言った。「イラクに広がる恐怖と無秩序は、わが社に有利な将来を約束している」。バトルズは、まだ無名で経験もない自分の会社にとって侵攻後のイラクの混乱状態はじつに好都合であり、連邦政府から約一億ドルの契約を受注するチャンスも夢ではない、と嬉々として語っている。彼の言葉は、現代資本主義のキャッチコピーとしても仕えそうだ。「恐怖と無秩序は躍進の新たな一歩を導くきっかけとなります」」
 〜 ナオミ=クライン『ショック・ドクトリン』〜


「壊滅的な出来事が発生した直後、災害処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域にいっせいに群がるこのような衝撃的行為を、私は「惨事便乗型資本主義」と呼ぶことにした」
 〜ナオミ=クライン『ショック・ドクトリン』〜



ナオミ=クラインの『ショックドクトリン』が岩波書店から出版された。
福島での原発事故以降、この国がどうなっていくかは、この国の圧倒的無責任さというものを念頭に置けばこれは、見通しの基本的な暗さ以外はまったく未知数だとしか言い様がないけれども、はっきりしているのは、アーサー=ビナード氏が言うところ

「どさくさに紛れてではなく、どさくさを狙った」火事場泥棒的政策

の実行を、政府はここぞとばかりにねらってくるだろう、ということだ。
ショックドクトリンの時代がやって来る。

『The Shock Doctrine Naomi Klein and Alfonso Cuaron』


いや、もう始まっているのだ。


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スペインの漫画の翻訳本を読んだ。
パコ・ロカというひとが描いた『皺』という漫画だ。
文学的正統さというものを感じさせる、これは傑作だろう。
こういう漫画を、スペイン人は読んでいるのか。
テーマは、愛だ。




最近購入した本リスト。
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・・『ショックドクトリン』
・・『原子力村の大罪』
・・『知性の限界』
・・『生成文法の企て』
・・『本多勝一の戦争論』
・・『いまファンタジーにできること』


・・漫画『皺』
・・漫画『勇午 台湾編2』
・・漫画『特攻の島3』


・DVD『アンチクライスト』
・DVD『サラエボ、希望の街角』


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*市民の手による巨大で不吉な人工壁の記録*(2011.9.9)


「この時点でわたしのアースシーは、てっぺんから、つまり、権力の座から見えるものであるよりは、むしろ下から見えるもの---女や子ども、普通の人たち、つまり弱者の目を通して見えるものでした。この視点の変化のせいで、物語の魅力が失われたと考える人もいます。私はそうは思いません。『ドラゴンフライ---アースシーの五つの物語』の最後の物語はわたしをまっすぐに竜の住みかに導きました」
 〜アーシュラ=K=ル=グウィン『YA文学のヤングアダルト』


「社会生活を理解することは、大部分は、社会現象の持つ意味と理由を発見しようという試みである。王になるのは、神の子どもたちか、あるいは際だって成功した犯罪者の子孫なのか? ビジネス界やエンターテイメント業界のトップの座に君臨する上流界の人間は、そのライフスタイルに匹敵するほどの美徳があったおかげでトップに登り詰めたのだろうか? 貧しい人々は、怠け者の酔っ払いなのか、役に立たない人間なのか、あるいは自分ではどうすることもできない社会環境の犠牲者としてみなされるべきなのだろうか? 都心部というのは、どんな希望も持たない人間が集まってくるところなのだろうか、あるいは、現代社会の恩恵に与れない者たちを捨てるゴミ捨場なのだろうか?」
 〜ニルス=クリスティ『人が人を裁くとき』〜



動画。
『市民(わたしたち)が記録した3・11後・改訂版』
http://www.youtube.com/watch?v=je8yLrtkr8g

福島原発事故と正面から向き合い、不正と戦う意欲と姿勢を持つ市民にとって、この国の政府は、不気味で巨大な、頑として立ちふさがる黒い壁だ。
このビデオはその壁を見上げる市民の側の切実な声の記録であると同時に、この国の政府の圧倒的非情さの記録ということにもなるはずだ。
しかし、この非人間的な不吉さ、冷酷さは、これはただごとではない。
この国の政府が守るべきは国民ではなく、「企業連合体」とでも呼ぶべきような何からしい。


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広瀬隆氏の爆弾発言(35分目あたりくらいで爆発)ありの動画。
『広瀬隆氏講演「福島第一原発事故の真相と日本全土に広がる放射能汚染の恐怖」』
http://www.ustream.tv/recorded/16951973

実際は、爆弾発言予告だけど。
田中三彦さんや後藤さんによる、すごい発表が後日あるようだ。