*マネージャーがドラッカー読んでゾンビになった*(2010.5.29)
「彼女がわたしにむかってしたことといえば、こちらがつんぼになるほど、この手の出世物語を聞かせることだけだった。このすばらしい新世界で出世したと彼女が思っている人々とは、つまり強制労働や破壊や殺人の術にたけた者ばかりだった。わたしはそのような分野で働くことが出世したことになるとは思わない」
〜カート=ヴォネガット『母なる夜』〜
「行きすぎた利益により蓄財することで、法外な私的権力をつくりあげるという発想をきっぱりやめなければならない」
〜フランクリン=ルースベルド 1935年頭教書演説〜
ペシミズムではありません、リアリズムです。
『Afternoon Cafe』さんから、
『軍用地求む』
☆=============
「沖縄の基地が生んだ優良投資物件」「確実な収入が見込めます」
沖縄県内の不動産会社のホームページには、軍用地への投資を呼びかける広告が多数掲載されている。県内各所にも「軍用地求む」などと書かれたビラが散見される。県内の不動産関係者は次のように説明する。
「軍用地とは、自衛隊と米軍が基地として使用している土地のこと。県内では、こうした軍用地は資産とみなされており、売買が頻繁に行われているのです」
☆=============
ああ、ハイハイ! 私の自由も、あなたの幸福も、市場と抜け目のない商取引が保障する、という前提で物事が進んでいくこの世界。
センタービルにハイジャック機がつっこんだと聞いて、
「ハウマッチ! ゴールドアップ!」
と狂喜乱舞する、あのパターンですな。
……あのさ。
子どもじみたことを言うようだけどさ。
「おお、こりゃいい、商品化したうえで独占しよう!」という発想しかできない、という時点で、もうどうしようもなくだめだと思うの。
この世に悪というものがあるとすれば、それは、オレたちの腐った「めんたま」それ自体だ。
悲観主義でも大衆蔑視でも冷笑主義でもなくて。ひたすら、明々白々に、どうしようもなくだめだと思うのよ。
「基地が生んだ優良投資物件!」「確実な収入が見込めます!だぜ?
狂っているだけではなくて、とてつもなく残酷なところが、最悪だ。
オバマもだめ、ハトヤマもだめ、そりゃそうさ、最初からわかっていたことだ。
すべての人間的価値を貨幣の排泄物と見なしているのだから、そりゃそうなる。
「ビジネスマンへの至言」とかありがたがって「ピーター=ドラッカーのうんちゃら」を読んでるような我々
が選んだのが、オバマだよ、ハトヤマだよ。
わかりやすい。でもだめだ。
オレたちの、この「めんたま」をどうにかしないかぎり、「ミッドナイトミートトレイン」号は線路の上をしゅっぽしゅっぽと走り続けるわけだ。
繰り返すけれど、悲観主義でも大衆蔑視でも冷笑主義でもないよ。そんな、一人称ののんきな話じゃないんだよ。
悔い改めよハーレクインとチクタクマンは言った。
流れよ話が涙と警官は言った。
では、ここで、「我々はどこまで残酷になれるのか、私には想像もできない」シリーズ。
ほい。
今度は『非国民通信』さんから、
リストラ効果で、東証一部企業の6割が増益!!のニュース。
『ニートの海外日記』さんから
『間違ってるのはあなたではなくて、日本のクソ労働環境、労働観だ』
悪を通り越して、恐怖だよ、ホラーだよ……。
この物語は実在します、げげえ。
「ありえないよ、ゾンビが人間社会を乗っ取るんだぜ!?」
もうすでにそうなってるよ!
おまけ。
マイケル=ムーア『キャピタリズム:マネーは踊る』DVD発売!
*玲子、アーサー=ビナード氏と対談します*(2010.5.22)
「彼らが議論をするのは、議論を好むがゆえであり、自由奔放な精神を可能性の道に疾駆させることを好むがゆえであり、また、疑問にされない事柄に対して疑問を抱くことを好むゆえであった。聡明な少年たち。十六歳ですでに彼らの精神は科学の有する明快さに順応すべく訓練されていたのだ」
〜アーシュラ=K=ル=グウィン『所有せざる人々』〜
「あら、だってあちらはただの皇帝でしょ?」
〜サラ=ベルナール〜
告知。
うちの玲子が、アーサー=ビナード氏と対談します。
あわわわ、知らんもんね〜。
5月30日(日)生駒市中央公民館「奈良県母親大会」にて。
13:00から。
アーサー=ビナード氏のことは著作をとおしてしか知らないのだけれど、言葉の使い方、受け止め方に粗雑さというものがまったくない、つまり、極めて高い次元で世界を理解したり、またその理解をディテールの細部まで他者と共有できるひとだから、玲子で相手役がつとまるのかな〜、と心配です。
私がやたら緊張をしています。
あ、母親大会のお問い合せは、電話0742-24-0224
だそうです。
最近購入した本リスト。
==================
・『日本語ぽこりぽこり』
・『書きあぐねているひとのための小説入門』
・『竜の卵』(SF)
・『オシム勝つ日本』
・『オシムの伝言』
・『オシムの戦術』
・『考えよ!』
・雑誌『MacFan』
・雑誌『将棋世界』
・雑誌『ナンバー』(オシムインタビュー)
・漫画『生活』
・漫画『のだめカンタービレ24』
・漫画『チーズスイートホーム7』
・漫画『勇午 フィリピンODA編2』
・漫画『12月生まれの少年2』
-☆--
福満しげゆきセンセの新刊マンガ『生活』を購読。
『タクシードライバー』と『狼よさらば』と『この自由な世界で』を足して3で割って、軽くオブラートに包んで飲みこみやすくしたようなテイスト。
ちなみに、作者は
「こんなジャンルのマンガは カラスヤサトシさんには 描けないだろう!!」
とおまけマンガの中で胸を張っている。
虚を突かれるとともに、ちょっと感動した。
マンガ作品を描く人にとって、“カラスヤサトシさん”はすでに、ある種の基準なのだ。
おまけ。タクシードライバーサウンドトラック。
ある種の映画の、これは基準です。
*外部性セルフ“公共”サービス*(2010.5.15)
「男は争いあうのが生きがいでしょうけど、私たちは戦場の一部なのよ」
〜ジェイムズ=ティプトリー=ジュニア『男達の知らない女』〜
「ですけれど習慣とは別に、ただもう公平さがあたしのなかでものを言っているような気がしますの」
〜チェーホフ『三人姉妹』〜
観てみたい映画。
『ビルマVJ』
観てみたかった映画。
予告編だけ観てたら、ラッセル=バンクスの感じ。
『フローズン・リバー』
ちょっと忙しいです。忙しいと、映画が観たくなります。
-☆話変わって。
『非国民通信』さんから、
『労働力の値引き販売』
☆☆☆☆☆
ちなみに求人サイトで、履歴書/職務経歴書の添削サービスを受けられるのですが、試しに申し込んでみたところ「自己アピールにはこういう文言を付け加えてみてはいかがでしょう?」とのアドバイスがありました。アドバイザーが提案した文例はというと――“「○○を扱う」夢の実現には、年収ダウンも厭わない覚悟でおります。”とか。これが転職サイトの担当アドバイザーの考える有効なアピールの仕方みたいです。
☆☆☆☆☆
フローズン・リバー!
(^_^;)
*外部性セルフ“公共”サービス*(2010.5.15)
「信じられないくらい巨大な地上の富を人類のために使うことをこそ話題にしようではないか。民衆に必要なものを与えよう。食料、医療、清浄な空気、澄んだ水、木々や草、快適な住まい、数時間の労働、それよりも多いレジャーのための時間、それに値する者がいるかどうかなど問うてはならない。人類はだれでもそういうものを受ける権利を持っているのだ」
〜ハワード=ジン『ソーホーのマルクス』〜
「彼らが子どもを育てる環境は、だいたい未開の原野に戻りかけているような農地である。孫の名前は、初期の白人植民者たちが抱いていた無邪気な帝国主義を思い起こさせる。インディア・アダムスというのだ。
神よ、アメリカの汚れなき原野に生きるインディア・アダムズを守りたまえ!」
〜カート=ヴォネガット『パームサンデー』〜
「新しい公共」革命が始まるのだそうだ。
『大脇道場』さんから、
『「新しい公共」は、防火も民間任せ 「命を守る」政治とは程遠い』
引用開始
☆☆☆☆☆
「新しい公共は実は懐かしい公共である」として、中央の官僚が公を独占するのではなく、「ある種の公共革命を起こしたい。肉付けするのは皆さんだ。同志の皆さんから知恵をいただきたい」と訴え、京都では明治政府に先立ち洛中に64の学校を寄付金を中心にしてつくったこと、小学生の地域での見守り運動、大阪天神橋商店街の落語寄席の常設による町おこし、徳島での葉っぱ産業などを挙げ、官が公共を独占しない形、「新しい公共」によって日本の国の形を変えていきたいとした。
☆☆☆☆☆引用終了
ぶったまげたな! これが新しいのかね、モーツァルト君!
聞いて驚け、見て笑え! 民営化によって人々が決算結果のみを追い求める結果、営利追求の副産物のような形で、市民自身が真に必要としているサービスを提供することができる、という公共革命のお披露目だ。
私には“公共”であることの利点をひっぺがして回っているようにしか思えないんだが、人々が決算結果ばかりを気に病むようになることそのものが、この公共革命の道徳的正当性のキモということになっているようだから、まー、落ちるところまで落ちるしかないのかもしれないな。
しかし、確かにこれは、懐かしい公共ではある。
そうだなあ、どれくらい懐かしいかというと、時間線を遡って
ワイアット=アープらがクライトン兄弟とOK牧場で銃撃戦してた時代くらいかな。
公共スペースのナカミが重湯のようにうっす〜くて、ゴボウのようにひょろひょろして、鮒鮨くらい臭かったそんな時代。
(´▽`;)
むきむき胸板のマッチョマンどもが、行く手を遮るものを蹴散らかす「アイム スパルタカス!」的“公共”。
なつかしー!
利潤追求の神様が大雨を降らせて、犯罪者、怠け者、年寄り、貧乏人らをきれいに選別した上で、どうしようもないやつ、役に立たないやつ、足手まといになるやつをサッパリ洗い流してくれる公共。
ほんで新しい公共サービスとはあれだ、箱船の内側でちまちまと推し進める何かだ。
《無銭乗舟不可》という看板のかかった箱船な。
なんという残虐さ。乗船資格のない人々は大洪水に呑まれるんだぞ?
しかしどういうわけか、これをまた、なるほど納得、その通りだとうなずく市民がいる。
それどころか、
「これの何が残虐だというのですか?」とか、素で問い返されたりしてな。
とにかく、ひどい冗談のような話だよ。
おれたちはもはや、「利潤」という色眼鏡を通してしか世界を解釈出来なくなってしまったいるんだな、未来少年。
自分の色眼鏡を通して色眼鏡を見ても、ダブル色眼鏡になってなんのことかわからない。わからないから、
「これの何が残虐だというのですか?」と、途方に暮れるしかない。
みんな、どうなっちまったんだ?
“公共”の歴史。おさらい。
おまけ。
悪い冗談シリーズ☆アメリカン。
『デモクラシーナウ』から、
『エルサレムの歴史的ムスリム墓地をつぶして「寛容の博物館」?』
これはなんなの?
懐かしくも新しい「寛容」?
(;^_^ A
*ワーグナーでぎゃぼー*(2010.5.12)
「音に血を通わせろ!君たちの血管の中は水か!」
〜アルトゥーロ=トスカニーニ 〜
「ナチで演奏するやつはナチじゃあ! ナチは出てけ」
〜アルトゥーロ=トスカニーニ 〜
23巻が最終巻だったはずのマンガ『のだめカンタービレ』の24巻が出た。
24巻以降は、アンコールオペラ編、というのが始まるらしい。
アンコールオペラ編、というのだから、これから主人公たちはオペラに取り組む。
演目はモーツァルトの『魔笛』だ。
しかし私の弟はバックミュージックに『魔笛』ではなく
ワーグナーをがんがん鳴らして『のだめカンタービレ』24巻を読みはじめた。
なるほど納得だ。たしかに、これはいい。唯我独尊の毒気や無邪気な大言壮語、コビやあざとさといった負の部分も含め、まさに、ワーグナーは野田恵のテーマソングにぴったりだ。
(;^-^ゞ
ちなみに、クラシック音楽の世界を舞台にしたラブコメディ、という言い方が、『のだめカンタービレ』のもっとも簡潔な紹介となるだろうか。
さて24巻の読後の感想だが、個人的には、ヨーロッパに進出して以降の千秋とのだめは、もう少し音楽に献身的であったほうが自身のためにもよいのではないか、というある種の期待と失望感のようなものを感じているが、まあ、ヤボの極みです。つーか、そういうマンガじゃもともとありません。
(;^-^ゞ
トスカニーニに「ナチ野郎!」とののしられた、フルトヴェングラー指揮でどうぞ、ワーグナー。
ぎゃぼー!
おまけ。
町山智浩さんの『ペイエリア在住町山智浩アメリカ日記』からちょっと観てみたい映画。
『バンクシーの”Exit
Through The Gift Shop”』
*悪霊と罪と罰と*(2010.5.9)
「人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある。だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」
〜カート=ヴォネガット『ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを』〜
「とにかく彼女は、この王国が生み出しうる限りでの正気な人間なのだ。それでいて、わたしの観点からすれば、彼女はイカレポンチのような振る舞いをしていた。やはり、トレーニングの力だ! 影響の力だ! その力こそ人にどんなものでも信じ込ませることができるのだ。自分をサンデーの立場においてみなければ、彼女が狂っていないということはわからない。そうだ、そして彼女をわたしの立場においてみなければ、決して教えてやることはできないのだ、相手と同じ教育を受けてこない者にとって人がどんなにたやすくイカレポンチのように思われるかということをだ」
〜マーク=トウェイン『アーサー王宮廷のヤンキー』〜
ドストエフスキーの短編『おかしな男の夢』のアニメ化作品。
監督は、アレクサンドル=ペトロフ。字幕も何にもないけれど、DVD『アレクサンドル=ペトロフ作品集』に字幕付きが収録されているので、前編だけ貼っておきますんで、興味のある方はどうぞ。
ドストエフスキー映像化作品としては、かなり成功しているほうではないか。
前編。
人間、とくに人間の苦悩を描いて、ドストエフスキーの右に出る者はいない。その苦悩のタッチを、このアニメはなかなかよく表現できている。
しかし、このアレクサンドル=ペトロフは、べらぼうに絵がうまいよなあ……。
--☆---
森井友人氏の『亀山郁夫氏の『罪と罰』の解説は信頼できるか?』
ドストエフスキーの諸作品を、「販売のために刊行される見せ物」として“ブラッシュアップ”したのち、市場に流通させる。すると、なんと、文字がびっしりと詰まった古典小説がベストセラーの仲間入りだ!
「書籍を販売してなにがいけないのですか?」
とか、訊かないで欲しい。
わからないと言うなら、もう、それでいいです。
☆話がガラリ変わって。
30ミリ機関砲で民間人を虐殺したことへの謝罪。
アメリカ国籍の中東勤務、いわゆる“中近東諸国・自由と民主主義事業”に従事している多くのラスコーリニコフくんたちの慟哭。
『ある米兵の告発と謝罪』
『罪と罰』を読みたまえ!
悔い改めよハーレクインとチクタクマンは言いたまえ!
*ドストエフスキー喪失*(2010.5.5)
「いささか乱暴なことをいいますけれど、つい最近に、あるひとが「翻訳作品というのは、どうして売れない・読まれないんだろう?」といい、「あの翻訳調というのが理由だろうか? それはたしかに自分にも苦手であるのだが」といったのに対して、私はこう答えたんですね。なぜ、翻訳作品が売れない・読まれないかというと、それは日本人作家による日本語作品よりも、翻訳作品の日本語の方がしっかりしているからだ。日本人作家による作品の売れているものの多くが、実はしっかりしていない日本語で書かれている。そうして、しっかりした日本語を読み取る力のない読者が多すぎるために、しっかりしていない日本語の作品がどんどん読まれる。そこで、亀山訳『カラマーゾフの兄弟』を読みやすいなどといってしまう読者は、亀山郁夫のしっかりしていない日本語に惹かれるわけだ、と。乱暴ですけれど、的外れではないと私は思います」
〜ウェッブサイト『連絡船 木下和郎』より〜
「しかし、結局のところ、本というのはどのようにして書かれるものであろうか。ごく低級なものを除けば、文学は体験の記録によって同時代人の視点に影響を及ぼそうとする試みである」
〜ジョージ=オーウェル『文学の禁圧』〜
先日たまたま、ネット上で見つけた、この記事を見てくれ。
私が今日までまったく知らなかった『カラマーゾフの兄弟』誤訳問題についての記事だ。
『liber studiorum』さんのところから
『大森望と『カラマーゾフの兄弟』誤訳問題』
☆☆☆☆☆☆
上のページで「明らかな誤訳、もしくは不適切訳」として指摘されたのが117箇所。
しかも、そのうち45箇所が増刷時に訂正されていたという恐るべき出来事なんです。
そして、単に誤訳箇所が多いだけでなく、亀山郁夫の作品解釈自体がデタラメなものであることを上のブログの木下和郎さんが、ものすごい分量の文章を費やして指摘しているのです。
☆☆☆☆☆☆
私の胸に去来したのは、
「ああ、やっぱりな」
という思いだった。
亀山郁夫という人物のドストエフスキー解釈が世間で話題になりはじめたのはいつごろからだったろうか。
ニュースにとり上げられ、週刊誌の特集記事となり、毎日出版文化賞特別賞を受賞し、書評家に褒めちぎられ、そしてNHKの特集で報じられたあたりで、私はようやく亀山郁夫氏という人の存在に気がついた。
しかし、亀山郁夫氏の“ぺなぺなと安っぽいフロイト流解釈を土台とした解題”は私にはとうてい受けれがたいもので、こんなものがドストエフスキーの作品論決定版として認知されていることに遅ればせながらに仰天した覚えがある(過去に日記で書いた覚えがある)。
感じたことを感じたままに言うしかない、という立場だが、ハッキリ言って、亀山郁夫氏のドストエフスキー諸作品解釈は出鱈目だ。
しかし、この「亀山郁夫氏のドストエフスキー諸作品解釈は出鱈目」という理解を、私の弟を除いては、今日まで誰とも共有することができなかった。私にとって、もっとも戦慄すべき事実は、この点にある。
「ウンコはカレーではない」ということを説明するのが、なぜこれほど困難なのか。
念を押すように繰り返すけれど、私は、彼の解釈が間違っていると胸を張って断言できる。なぜ断言できるかというと、それだけくっきりハッキリと、でたらめな解釈だからだ。
どうデタメラかについては、何千語もの言葉や文字を必要とするだろうから、他批判検証サイトにおまかせするけれども、とにかく、ひとめで、パッと、瞬間的に、出鱈目であることはわかる。そういうたぐいのことだ。
毎日出版文化賞特別賞を受賞してようが、NHKの番組で能書きを垂れようが、間違っているものは間違っている。しかし、周囲の人々とこの理解を共有することができない。
ドストエフスキーの翻訳小説の字面だけを追いかけているのでないなら、作品の文脈や作者が込めた主張、道理や理路というものと亀山氏の解釈がとても相容れるものではないことくらい、私のようなものにでもわかる。
こんな私でもわかるようなことを、書評家や、作家や、出版社や新聞社や国営テレビ局がわからない。
わからないどころか、、書評家や、作家や、出版社や新聞社や国営テレビ局までが、やんやともてはやす。
よりにもよって、どうしてこういうものがドストエフスキー解釈の決定版として、定着するにいたってしまったのか。
ウンコをカレーと信じているなら、それもいい。たかがカレーの話だ。食べた私が体調を崩せばそれですむ。
しかし、ドストエフスキーはだめだ。
カレーの味を一生知らなくてもどうってこともないが、ドストエフスキーは違う。
彼の諸作品は、人類全体への偉大な贈り物だ。
カレーと信じてウンコを食ってるではとうていすまされない。
『liber studiorum』からリンクを辿って、木下和郎さんのサイトにもゴーしてみた。
☆☆☆☆☆☆
訳者である亀山郁夫にそもそも『カラマーゾフの兄弟』が全然理解できて・読み取れていないので、彼の翻訳が正しいものであるはずがない、ということです。読解力のない亀山郁夫は、登場人物のひとりひとりを理解することができず、彼らの関係が理解できず、彼らが何をやりとりしているかも理解できないまま、この仕事をしました。
私は「ロシア文学の専門家・研究者」(でないとわからない)レヴェルでの亀山郁夫の『カラマーゾフの兄弟』解釈を問題にしているわけじゃありません。私が問題にしているのは、そんな専門家・研究者レヴェルではなく、ごくふつうの、一般の読者としての読み取りのレヴェルなんです。単純に、ごくふつうの、一般の読者として亀山郁夫には『カラマーゾフの兄弟』が読めていません。つまり、「ロシア文学の専門家・研究者」でもないあなたが読んでも容易にわかる・読み取れるはずのことが、訳者亀山郁夫にはわかって・読み取れていない、と私はいっているわけです。亀山郁夫の読解力はあなたよりずっと下なんです。
☆☆☆☆☆☆
そうだ。おっしゃるとおりだ。
亀山氏の読解力は私よりもずっと下だ。
そして、そんな次元の低いところに、ドストエフスキーと彼の作品が貶めれた。
それが残念でならない。これは罪悪だ。許しがたい暴挙だ。
しかし、文学にまったく興味が持てない人、読書体験など生きていく上でどうでもいいことだと感じている人にとっては、こんなことは瑣末なこと、小さな業界内部のゴシップ、単なるあら探し、暇がありあまっているときに考えること、にすぎないのだろう。
私はと言えば、ドストエフスキー的にすっかり度を失って、
「これはいよいよ、大変なことになってしまった」
とつぶやくばかりだ。
おまけ。
リンクを辿ってたどりついた木下和郎さんのサイト『連絡船』から、亀山氏の「大審問官」シーン解釈。
==============
問題は、その「キス」の意味するところとは何か、その「キス」をどのような意味として大審問官は受けとめたのか、という点である。「彼」はその「キス」で、キリストみずからの絶大な力を、表明しようとしていたのか。大審問官の驕りにはいずれ裁きが下る、歴史がいずれ審判を下すという、ある余裕に満ちた預言の代替行為だったのだろうか。それとも、歴史は動かせない、だからあなたの好きなようになさるがよいという、承認と、ことによると「祝福」のキスだったのか。
==============(引用終わり)
なんだこりゃあ!
ひどすぎる、馬鹿げている、狂っている、ゆがんでいる、間違っている。
よりにもよって、世間の人々は、こんなものを「読みやすさ」ゆえにありがたがっているのか!
私たちはとてつもない精神的近視に陥っていて、途方もなく偉大なもの、広大なもの、豊かなものが目に入らぬようになっているのかもしれないね〜。
『カラマーゾフの兄弟』の字面、一字一字しか見いだせなくなっているのでは。
……盲目まであと少しだ、と、感傷にかられて言っておこう。
*今日のD層さん*(2010.4.30)
「その知的水準は、宣伝が目指すべきものの中で最低級のものがわかる程度に調整するべきである。それゆえ獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、純粋な知的高度はますます低くしなければならない」
〜アドルフ=ヒトラー『わが闘争』〜
「わたしの感じではこの奇妙な嘘もじつに素朴に美しく語られているように思われた。しかし、それはこのとき初めて聞いたからで、それでみんなとは違っているのだ。みんなだって初めて聞いたときはきっと楽しかったに違いない」
〜マーク=トウェイン『アーサー王宮廷のヤンキー』〜
ネット上をふらふらと彷徨っていると時々、「B層」とか「B層作戦」というような謎の言葉に出くわすことがこれまでにもあった。が、調べるのが億劫で意味を知らずそのまま読み飛ばしていた。
今日、たまたま『kojitakenの日記』さんのところにおじゃまして、その意味するところを知った。
B層とは?
☆☆☆☆☆☆
B層とは、小泉政権が郵政民営化の広報にあたり作成したチラシの企画資料で、小泉政権支持基盤として想定した、「IQが低く具体的なことはよくわからないが小泉のキャラクターを支持する層」のこと。
具体的には、主婦や団塊以上の世代や教育レベルの低い下流階級を指す。
他にもA層(高IQの勝ち組)、C層(高IQの抵抗勢)、
D層(低IQの改革の痛みを味わっている負け組)が存在する。
☆☆☆☆☆☆
ほげえ!
ウスウスわかってたけど、うわっつらの肯定もありきたりの否定も形ばかりの反論もひっそりとした抵抗も、ことが始まる前から商品流通のレールの上に乗せられてるんだなあ。
(^_^;)
A層B層C層そしてD層用の、それぞれ矛盾するイメージ言葉に、各人バラバラの夢を託し、国民の80パーセントがコイズミ郵政改革を支持したと。
(^_^;)
ちなみに私は、分類するなら「低IQ」の「負け組」の「抵抗勢力」の「Z層」なんだろうな、きっと。
『kojitakenの日記』さんの、元記事にリンクしておきます。
『舛添要一が党名を「ますぞえ新党」にしようとしたコンタンとは』
結局のところ、私たちはなめられてんだよ。
おまけ。
ノーベル賞受賞者のスティグリッツが『ドキュメンタリーナウ』に登場してる。
『オバマ政権の経済金融政策1年目を批評』だそうだ。
同じ内容をワシが言っても「悲観主義のイカレポンチ」となるが、スティグリッツはノーベル賞学者だかんな。
つーか、明々白々な事実を言ったり書いたりしてるだけだと思うんだけどヨー。
いや、ひがんでみせているつもりはないんだけど、私が見ているものを他者に伝えるのがどうしてこんなに難しいのか、納得がいかないし、不思議でならん。
自分がガス漏れ警報器にでもなったような気がするときがある。
「大変です、ガスが漏れてます! 危険です!」
とひっきりなしに騒いでいる警報器。
(;^-^ゞ
「大変です! ガスは無味無臭で、今はあなたがたも体調にこれっぽっちの異変も感じていないだろうが、これは生死に関わる問題です! ガスが漏れています! ガスが漏れています! ガスが漏れていますうううう」
そして卒倒する。
イカレ警報器の悲劇。
おまけ2。
かわいそうに「市民感覚」「市民目線」という四文字熟語がトラウマとなってしまった『kojitakenの日記』さん。
『「市民感覚」なんてちゃんちゃらおかしい。そもそも、いつまでも「検察
vs. 小沢一郎」でもあるまいに』
個人的には、疑惑にまみれたカネの流れの一部始終を国民に対して包み隠すことなく明らかにする責任がオザワ氏にはあるはずだと、強く、激しく感じているが、法的責任と政治責任をごっちゃにはできないし、ましてや、“起訴相当”の理由が「市民感覚」ではとてもじゃないが納得がいかない、という気持は私もある。
それから、「市民感覚」という言葉に対する深い懐疑の念については、さらに共感する。
とはいえ、文脈を確認することもなしに
[「市民感覚」などという言葉に接するだけで虫酸が走る。]
となってしまうというのなら、過剰にすぎる(私のようなヒステリーガス警報器には身に覚えのひとつやふたつやみっつやよっつはありつつ)とも感じる。
ただ、まあ、この国では、あろうことか「市民感覚」が
「シロウト考え上位主義」や「アマチュア感覚他愛なさ主義」
とイコールなのだという解釈が平気でまかりとおっているから、私を含むちまたのガス警報器が悲鳴を上げるのだ。
(^_^;)
曲がりなりにでも民主主義を尊重する人なら、「市民感覚」「市民目線」は我々がめざすべき未来への羅針盤であり、また同時に推進力そのものだとすることに異論はないだろう。が、それが正しさの保証になるわけではない、それは単なる出発点にすぎない、という当たり前のことを、市民自身が理解しておく必要は絶対にある。
最後は、市民が決めるのだ。ゆえに、市民は「シロウト」では許されない。好もうと好まざるとに関わらず、私たちは「プロ市民」になるしかない。これが民主主義社会の大前提だ。
……非常に面倒くさいのだが、これは絶対必要条件だ。
「追記」
『kojitakenの日記』さんが、こちらでこのようにおっしゃってました。
『「感情」を臆面もなく前面に出した「検察審査会」の「反知性」』
☆☆☆☆☆☆
断っておくが、私は「検察審査会」の意義を全否定するものではない。権力のチェックする機能は必要だ。だが、それは愚民による人民裁判であってはならないし、今回のように市民を愚民化しようと企むマスコミ権力に悪用されては(そのように私は今回の議決を位置づけている)ならないと強く思うものである。
小沢一郎への批判、権力に対する批判は、あくまでも事実に基づいて行われるべきであり、「感覚」や「感情」を臆面もなく前面に出す態度は、反知性ここにきわまれりとしか言いようがない。
☆☆☆☆☆☆
はい、納得。
*危険なヴィジョン*(2010.4.27)
「1990年初め、キース・マクヘンリーという若い活動家が繰り返し逮捕された。ほかにも数百人が、同じように逮捕されていた。彼らはいったいどんな罪を犯したとされたのだろう? この活動家たちは、貧しい人々に無料で食料を配っていたのだ。ただ、人に食料を配ってもよいという許可を、当局から受けていなかったのである」
〜ハワード=ジン『学校では教えてくれないアメリカの歴史』〜
「俺たちは途端に無慈悲になるんだ。それどころか、福祉、食料切符、住宅補助を削減しろ! と目の色を変える。ミシガンじゃ、生まれて12週もすれば、もう立ち上がって働け、と知事様はおっしゃる。同じカトリックの知事様がだ!」
〜マイケル=ムーア〜
今さらかもしれないけれど。この国での暮らしって、あれだよね、映画で言うと、『地獄の黙示録』そっくりだよね。
仕事なんてクソだろ!でお馴染の『ニートの海外就職日記』さんから
『日本の「日常生活の質の高さ」の裏にあるモノ』
☆☆☆☆☆☆
結局のところ、日本の神レベルのカスタマーサービスや「日常生活の質の高さ」の裏にあるのは、度を遥かに超えた我慢や忍耐、時には過労自殺や過労死だったりするわけで、そこに思いを巡らせると素直に賛美する気にはとてもなれない。過度の便利さ、快適さとクソ労働環境は表裏一体なんだから。最近話題になってた「餃子の王将」の新人研修の様子もYouTubeで見たけど、あんな宗教じみた儀式を誇らしげに世間に公開してる餃子の王将も、あれを美談に仕立て上げて放送してるメディアも頭のネジが外れてるとしか思えん。「あれくらい普通だろ?」なんて言ってる連中もな。1:05辺りで「笑顔で〜!笑顔!笑顔!」って言ってる常務の顔が怖過ぎるわww。
もうこの国は世界的に見ても充分発展しつくしたと思います。こんなに便利で快適な暮らしを営むことが出来るのに、人々の顔色は悪く疲れきっている。あるいは疲れを隠すように異常にハイテンションになったり…。一体誰の為の公共施設、サービスなんだろうか?
☆☆☆☆☆☆
この国では、大袈裟でも皮肉でも何でもなく、文字通りの意味で市民とは消費者のことであって、その市民が望むものは、すべて市場が提供することになっている。
私たちの期待も要求も市場が応えてくれる。
その見返りとして、私たちは、多様な市場のニーズに借金してでも応えていくだろう。
(^_^;) うん?
なんにせよ、あなたは消費者だ。何かを所有し、または消費しているとき、あなたはあなたそのものだ。
実際のところ、あなたが商品のひとつも購入せずに、どのような居場所をみつけることができるというのか。
せいぜい“蚊帳の外”とでも呼ぶしかないような、そんな居場所しか見いだせないだろう。
後ろ指さされあい共同体の商品購入社会参加券だ。
『Afternoon Cafe』さんから、
『社会保障・福祉に、やっかみ妬みがついてまわる社会』
☆☆☆☆☆☆
私の身近に二人の障害者をかかえている家族があるのですが、最近そこのご主人は職場を変わりました。
病院や施設への送り迎えなどでどうしても休みを多く取らざるを得ず、上司は理解を示してくれていたのですが、同僚から散々嫌みを言われるのに我慢できなくなったのだそうです。
☆☆☆☆☆☆
支えるべき家族の中にふたりの障害者を抱えている個人に対して、さんざん嫌みを言った同僚たちの、
モラルと倫理意識だ。
繰り返すけれど、皮肉でも何でもなく、「倫理意識に突き動かされた」同僚たちの行動が導き出したこれはハッピーエンドだ。
ふたりの障害者を抱えて生きる個人が同僚の嫌みに耐えきれなくなって転職したとき、私たちの小さな“社会正義”が達成された!
美しい日本の公共空間における、これが日常の風景だ。
やっぱり地獄の黙示録(吹き替え)!
ワーオ! まるでモリアオガエル!
--☆---
法人税をゼロにするためならどんな犠牲もいといません改革。
『非国民通信』さんから、
『実現するかはわかりませんが』
なんなんだろうね、これ。
(^_^;)
*新党の中心で指導力を叫ぶけもの*(2010.4.24)
「権力の濫用をいかに予防するかという中心的課題はいつまでも解決されない。ディケンズは私有財産を邪魔な厄介物だと見る視点は持たなかったが、この点についてはわかっていた。「人間が品位をもってふるまえば世界もよくなるであろう」というのは、陳腐に聞こえるが、実は陳腐ではないのだ」
〜ジョージ=オーウェル『チャールズ・ディケンズ』〜
「どうして人々は、生得的な素質である団結と協同という思想にピンと来ないのだろうか? この思想は私には当たり前のことに思えるのだが……ロシアでは全体主義が進行しているようだ」
〜アレクサンダー=バークマン〜
また、新しい政党ができるそうだ。
(^_^;)
誰が離党してどういう新党が誕生するか、メディアは連日の報道だが、どの報道も私の疑問に答えてはいない。
つまり、私の疑問とは、
内閣の支持率が急低下しているという事実があるにも関わらず、野党である自民党からの幹部の離党が後を絶たない、
という現実だ。
これは素朴な問いではあるが、興味深い現象でもあるのではないか。
まあ、こんな泡沫政党の乱立などという無残な現実を前にして何事かを真剣に考える、というのはけっして楽しいものではないから、だから考えない、というのなら、なるほど説得力がある。
(^_^;)
……。結局のところ、彼らは“与党でなければ何もできない”という人たちだったのではないか、と、とりあえず私は考えてみる。
すると、けっして楽しくない気持はさらに深化する。
(^_^;)
よってたつべき理論もなければ、軸となる綱領らしきものもない。それどころか、方針や政策と呼べるほどのなにものもない。そんなナイナイづくしの状態で、ひたすらキャラクターを全面に押し立て、新政党の看板の新しさを売りこむ。
それは、与党である民主党とて、変わらない。
オバマが個人的に善人であろうが、マスゾエが個人的にどれほど情に厚かろうが、ハトヤマがボンボンだろうが、そんなことはどうでもいいことのはずだ。はずなのだが、多くの人たちはそうは考えていない。考えてはいないけれども、結局はキャラクターがどうあろうとも“与党でなければ何もできない”という現実の前に、私たち有権者は
げんなり
しはじめてもいる。
ならば、げんなりすればいい。少なくとも自然な反応だし、「ホンモノの指導力を発揮する指導者」などという「恥知らずの中からもっとも抜きんでた恥知らずを探し求める」愚行を続けるよりは、ずいぶんましなはずだ。
……いやしかし、なぜよりにもよって「指導力」などというものを期待するのかね、私たちは。
おまけ。
『デモクラシーナウ ジャパン』復活おめでとう。
『ブラックウォーターのパキスタン秘密戦争
民間会社の暗殺・拉致計画への参与』
「民間軍事請負会社Xe(旧称ブラックウォーター)が、タリバンやアルカイダと疑われる人物の暗殺や拉致など、パキスタン領内で米軍やCIAの秘密作戦の一端を担っていると、ジェレミー・スケイヒル記者がスクープしました。パキスタン国内で多数の死者を出している米軍無人機による爆撃にも、ブラックウォーターが関与している模様です。この計画は独立性が極めて高く、オバマ政権のトップや軍当局者さえも存在に気付いていない可能性があるといいます。ネイション誌に記事が発表された後、初のテレビ・インタビューをご覧下さい。」
薔薇色未来の「民営化」とは、こういうことだった。
*世論と世相と東京タワー*(2010.4.21)
「公益について理性的な熟議を行うには、消費者としての役割をやめなくてはならない。それには市場を越えた公共スペースを必要とする」
〜エド=デーンジェロ『公立図書館の玄関に怪獣がいる ポストモダンの消費資本主義は、どのようにして民主主義、市民教育、公益を脅かしているのか』〜
「犬は逆上したようにこわがって、そこいらじゅうを駆け回った。するとほかの犬もみんな吠えはじめてその後を追い回し、手当たり次第その辺のものにぶつかってはそれをこわしていった。おかげでなにもかも手のつけられぬ混乱状態となり、まったく耳を聾さんばかりの騒音と騒乱の巷に化した。それを見ると、その場にいた者は男といわず女といわず、みな涙が出るほど笑い興じ、なかには椅子から転げ落ちて、のたうつ者も出た。まるで子どもそっくりだ」
〜マーク=トウェイン『アーサー王宮廷のヤンキー』〜
ハンス=ケルゼンは、
『民主主義は自殺することができる』
と、民主主義のパラドックスを見事に看破したわけだが、まあ、なんだ、いよいよ夜のどん詰まり、覚悟を決めなくてはならないときがやってきたのかもしれん。
『エゾ狂人日記』さんから、
『お目出度い市民』
☆☆☆☆☆☆☆
いっそみんなで不信任にしたらどうか。もちろんそうなれば、竹原は得たりとばかりに議会を解散するだろう。ならば反市長派はもう出馬せず、いっそ市長派だけに市政を任せることだ。それが「民意」なのだから、その「民」に行き着くところまで行って地獄を見てもらえばいい。
☆☆☆☆☆☆☆
この話〜♪ なんだ〜ろ? どういう意味だ?
さあみんな〜♪ 考えよ〜♪
バラード“世論”地獄♪
『非国民通信』さんから、郵政非正規社員10万人の正規化案に、8割反対のアンケート結果についてのご報告。
私はカメイさんのことがダイッキライだが、この点については、まったくの同感だ。
「「同じ仕事をしながら、給料3分の1という劣悪な労働条件で働いている方が正社員になることに、80%以上こえる国民が反対するというのは、私は腰を抜かしたね」」
私も土肝を抜かれたよ!
こういう残酷さがいったいぜんたいどこからやってくるのか、理解に苦しむよ。
もういっこ。
『Apes! Not Monkeys! 本館』さんから、
『研究者の自己否定』
☆☆☆☆☆☆☆
基本的人権に関わる事柄について、世論調査を盾に「決着がついた」などと抜かすのであれば学者なんて要らんよね。
☆☆☆☆☆☆☆
ポピュリズムの極致。
おまけ。
YouTubeで見つけた、10分でわかる日本という国。
*ロシアアニメなぜ泣く*(2010.4.18)
「芸術とはわれわれに真理を悟らせてくれる嘘である」
〜パブロ=ピカソ〜
「悲しみは自分自身を解き放つことができるの。自分の窮屈な皮膚の外に踏み出すのよ。愛していなければ悲しみを感じることはできないわ──悲しみは愛の終局よ、失われた愛だものね。あんたはわかってるのよ、わかってると思うわ。でもあんたはそのことを考えたくないだけなの。それで愛のサイクルが完結するのよ。愛して、失って、悲しみを味わって、去って、そしてまた愛するの」
〜フィリップ=K=ディック『流れよ我が涙、と警官は言った』〜
YouTubeで見つけた、ロシアアニメの短編をご紹介。
アニメファンなら誰でも知っている、息を飲むほどの傑作、有名作、というわけではないのだけれど、なんというか、見事な陶器に似た小振りな蝶々が目の前をはためいていくような、そんな作品三本だ。
ロシア人にとっては日常なのかもしれないが、この日本では、とてもじゃないがこのような短編アニメにはなかなか出会えない。
路傍の花、というものがまったく失われてしまったため、蝶の姿を見かけることができなくなったのだ。
芸術や文学が社会を前進させるなどとは誰も信じていないし、アートやアーティストという言葉もとてつもなく低次元な、例えば、商品と流行仕掛け人、というような意味でしか使われない。
犬よ、なぜ泣く。
アニメーション表現のテクニックの完成度、出来栄えはわきにおくとして、生きるということの問い掛けをこのような涙の中に描ききって、これは素晴らしい。しばし思いにふけって、最後にため息が出る。
これは、何度観賞しても飽きることがない。
おれには口が無いそれでもおれは叫ぶ。
庭に打ち捨てられたいくつものヴァイオリンケース。うわ。これはつらい! これほどのつらさに、この人はどうやって耐えてきたのか。
しかし、この短編アニメを最後まで観ても、なんのことだかさっぱりわからないと不思議がる人は、確実にいるだろう。
観てわからない人は、百万語の説明を受けても、やはりわからない。
きっとあなたは、それでやけっぱちになっているのね。
悲しみが持つ、特有の美的な静けさを幻想的な夜の風景の中に表現して、これは詩だ。
資本主義の生き残りをかけた戦いの中で、ロシアアニメ全体の質は劇的に低下したが、それでもまだ、少なくとも「生きる悲しみ」をこのようなアプローチで描ける水準にはあるらしい。
「あの映画は泣けた!」などという粗雑な物言いをして「生きる悲しみ」とするような、そんな無残な状態からは、まだ距離がある。
*悔い改めよハーレクィン!とチクタクマンはいった*(2010.4.15)
「市民たちの機嫌をとることのほうへすっかり傾いてしまっていて、そうして、自分たちの個人的な利益のために公共のことをおざなりにしながら、まるで子どもたちにでも対するような態度で、市民大衆に付きあい、ただもう彼らの機嫌をとろうと努めるだけで……」
〜ソクラテス〜
「社会がより自由で多様になるとともに、服従を促す作業はますます複雑になり、そして教化のメカニズムが解体することで、ますますその手腕が問われるようになった。学術的な関心はさておこう。自由社会の場合には、自分たちのことについて語り合い、学んだことに従って決定できるのだから、より偉大な人間的優位性がある。そうであるからこそ、〈社会において〉支配的な文化は、常に人間の関心を形式的に扱うよう務め、自分以外の人間をののしるように仕向けるのである」
〜『チョムスキーの「アナキズム論」』〜
『Munchener Brucke』さんのところから
『「たちあがれ日本」よりもっとも警戒すべき第3極新党は「首長新党」である。』
☆☆☆☆☆☆☆
それで有権者が満足してくれる改革を実行してくれれば、多少カルト的で気持悪い右翼的な政策を実行しても、多少は黙認しましょうというのが無党派層の特徴だ。つまり、経済改革を実行し失業率を改善したヒトラーを評価し、多少やり過ぎだと思ってもユダヤ人問題は黙認しようという、ナチスを消極的に支持していた穏健なドイツ人の心理に似ている。
☆☆☆☆☆☆☆
んで、悪い予感はよく当たる、と。
47ニュース『舛添氏が「新党」意欲、連携模索 橋下、東国原知事と』
あ〜、やだやだ。
大衆迎合☆感動☆実感☆お茶の間☆ファシズム国家がどんどん現実味を帯びてきたわけですな。
これがこの国独特の「大衆路線」のベクトルだ。
おめでとう!
教育も啓発もめんどうだから、めんどうなことはぜんぶ抜きにして、ひたすら希望だけを消費する!
パンドラの壺に残った最後の悪魔の名前は、やっぱり「希望」だった。
もう、ものを言う気力もなくなりました。
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日本の未来って、このままでいくときっとこんな感じ。
映画『ラスト・キング・オブ・スコットランド』
きっとこんな感じ。
*最近買った本・マンガ・DVD*(2010.4.12)
「W.W.ノートンの編集長ジェラルド=ハワードによると、出版産業は2つの競合する機能で引き裂かれている。すなわち「読者の教育、啓発、引き揚げという声高で高邁な精神の公共の使命と、消費者に金を使わせようとする、それほど声高ではないが物事の性格からして常に説得力のある商業の使命である。出版業界がエンターテイメントの複合企業体に吸収される以前、均衡は公共の使命に傾いていた。例えばヘンリー・ホルトは商業の使命を非難した。その理由は「道徳の放棄、活動の格下げで目的が低水準になる」という点にあった」
〜エド=デーンジェロ『公立図書館の玄関に怪獣がいる』〜
「エンターテイメントが約束するのは、気分を良くさせてくれること、やっかい事を忘れさせてくれること、そして思考停止させることである。エンターテイメントが深い感情に触れたとしても、それは鑑賞と宣伝活動が組み合わさった表面的な安心感でしかない。こうした安心感は大多数の人が求めているものであり、市場はそれらを供給するが、知的指導者や社会的指導者の立場で、人はもっと自分に問いかけるべきだ」
〜ウイリアム=A=ヘンリー三世〜
NHK番組至上に残る、伝説の科学番組『アインシュタイン・ロマン』がようやくDVD化された。
放送時は全6話だったが、著作権の問題で最終話が削られ、DVD化されたのは5話までだ。
2万円は出費だが、根性で購入。
-☆--
楳図かずお先生の大傑作マンガ『私は真悟』が新装再刊されている。全6巻だ。
連載なかばで体調を崩されたために、構造の緻密さという面では『漂流教室』に劣る部分はあるかもしれないが、それでも傑作であることに変わりはない。
「愛」ついて何かを知りたければ、フィリップ=K=ディックの『流れよ話が涙と警官は言った』か、シオドア=スタージョンの『人間以上』か、この『私は真悟』を読みたまえ。
えっ、『冬のソナタ』? あれは性ホルモンと所有欲と自己憐愍についての物語で、愛とはほとんど何も関係がない。
いや、けなすつもりはないけれど、本当のことなんだからしかたがない。
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マンガ雑誌『月刊アフタヌーン』に連載されていたSF『ベントラー ベントラー』が打ち切りとなった。
慌ただしくも唐突な最終話、という感はいなめないが、事情が事情だ。
もう『ベントラー ベントラー』の続きは存在しない。
一定数以上の読者に支持されるマンガでなければ、連載を続ける意味がない。『ベントラー ベントラー』は読んだ10人が10人とも「面白い」と言うようなマンガではないから、だから打ち切りとなる。
掲載誌とすれば、読者に積極的に支持もされず望まれてもいない物語を雑誌の紙面から抹消していかなければ、読者が離れていく可能性がある。
今の自分よりもほんの少しだけ高い次元で“物事を理解”したり、“物語を楽しん”だりする手間さえ惜しむ人びとのために、インスタントでわかりやすく扇情的物語を供給しなければならない。
だから、上質なSFマンガ『ベントラー ベントラー』は連載を終了だ。
質素ではあるけれど上質なSFマンガを読み続けていたいというようなささやかな望みさえ断たれた。
何事につけ、啓発よりも営利が優先する世界のただ中で、こうなることは最初からわかっていた。
失われつつある文化に対するノスタルジーが私の胸を締めつける。
これは、郷愁だ。
最近購入した本リスト。
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・『世界文学を読みほどく』
・『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』
・『オシムからの旅』
・『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』
・『1984年(新訳版)』
・『不思議のひと触れ(文庫版)』
・『新・幻想と怪奇』
・『英米ホラーの系譜』
・『運命のボタン』
・雑誌『月刊アフタヌーン』
・雑誌『DAYS JAPAN』
・・漫画『ちはやふる8』
・・漫画『勇午 フィリピンODA編1』
・・漫画『いぬばか21』
・・漫画『出前姫』
・・漫画『アラベスク新装版1』
・・漫画『アラベスク新装版2』
・・漫画『テレプシコーラ7』
・・漫画『ぼのぼの33』
・・漫画『私は真悟5』
・・漫画『私は真悟6』
・DVD『アインシュタイン・ロマン全5巻』
・DVD『ウエディング・ベルを鳴らせ!』
・DVD『マギア・ルスカ ロシア・アニメの世界』
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