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*SF対決*(2009.6.12)



「あたしはきょう目をさまして、起きて、顔を洗ったら、急にこの世のすべてがあたしのためにはっきりして、どう生きなければならないか、わかっているような気がしだしたの」
 〜チェーホフ『三人姉妹』 〜


「考えてみてほしい。ある惑星上で、そしてあるいは全宇宙でたった一つの惑星で、ふつうなら岩石の塊以上に複雑なものをつくらない分子が、おのずと寄り集まって、走ったり、跳ねたり、泳いだり、飛んだり、ものを見たり、音を聞いたり、他の同じような命をもつ複雑な塊を捕らえたり、食べたりすることができるような、信じがたいほどの複雑さをもつ岩石ほどの大きさの塊になるのである。それがときには考え、感じ、さらにまた別の複雑な物質の塊と恋に落ちることさえあるのだ。現在では、この軌跡がどのようにしてもたらされたかについて基本的には理解されているが、それは1859年以降のことにすぎない。1859年以前には、それは実際奇妙に、ただひたすら奇妙に思われていたことだろう。現在ではダーウィンのおかげで、それはせいぜい、「実に奇妙な」だけである」
 〜リチャード=ドーキンス『神は妄想である』 〜


アメリカ合衆国VSロシア。
「ロッキー! ロッキー! ロッキー!」
SF。ロシアのSF。




SF。アメリカのSF。


国境、民族、性別、年齢、その他もろもろの壁を越えて。SFに栄光あれ。
SF作家に幸あれ。


現実は電話帳にでも封印されろ。


おまけ。

悲劇! 
新・自由主義。おまえは商品だ。

 

 



ジョージ=セルと1Q84(2009.6.11)



「受け入れる心になるまでは、音楽も意味のない騒音にすぎない」
 〜ヒンデミット〜


「マーケティング部が、数人のケニア人ランナーをアフリカ初のスキーチームに仕立ててオリンピックに出場させるアイデアを思いつき、すぐさま準備が始まった。(略)
もしこれが失敗しても、1988年のカルガリー・オリンピックに出場したジャマイカの奇妙なボブスレー・チームが、新聞の見出しを独占したときのように、ナイキはこの「人間ドラマ」を報じるメディアに名前を露出させることができる」
 〜ナオミ=クライン『ブランドなんかいらない』〜


「社会がより自由で多様になるとともに、服従を促す作業はますます複雑になり、そして教化のメカニズムが解体することで、ますますその手腕が問われるようになった。学術的な関心はさておこう。自由社会の場合には、自分たちのことについて語り合い、学んだことに従って決定できるのだから、より偉大な人間的優位性がある。そうであるからこそ、〈社会において〉支配的な文化は、常に人間の関心を形式的に扱うよう務め、自分以外の人間をののしるように仕向けるのである」
  〜『チョムスキーの「アナキズム論』〜



村上春樹氏の新刊『1Q84』が、ぶったまげるような売れ行きを見せているのだそうだが、村上氏の作品の何を読んでも(と言ってもぜんぶ読んだわけじゃないけれど)いつも大きく首をかしげる結果になる私としては、このブームには、なにやら得体のしれない、

うっすらとした不吉さのようなものを感じる次第。

いや、すまん。
(^_^;)
つーか、『1Q84』の元ネタの方の、ジョージ=オーウェル『1984年』は、みんな読んでるのかな。
別に読まなくてもいいのかもしんないけど。だがすでに、我が表情は曇りがちだ。私の内部のどこかで、警告音が鳴っている。
不吉だなあ。怖いなあ。と。
まあ、関心を覚えることのできない小説に対して「関心が持てない」などと言ったり書いたりしてもあんまり意味がないわけだが、『ねこねこブログ』さんのところで、ちょっと気になる記述があったので、ご紹介。

村上春樹「1Q84」のヤナーチェク「シンフォニエッタ」はジョージ・セル盤なんですね。イシュトヴァン・ケルテスについて。

未読なので知らないが、どうやら、『1Q84』という小説の中で、ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』という曲がなんらかの役割を果たしているらしく、そこで流れている曲の(おそらくレコードかCD)指揮者がジョージ=セルだという話。
……。えっ? だからどうしたって?
いや、私がジョージ=セルのファンだという、それだけの話です。
(^_^;)
ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』のCDも、バルトークとの組み合わせでうちの家にある。
演奏は、クリープランド管弦楽団。
泥臭さを廃した、聴きようによっては都会的と言ってもいいようなヤナーチェクの『シンフォニエッタ』をどう評価するかはさまざまだろうが、私は大好きだ。
……はあ、村上春樹さんが、ねえ。
(;^_^ A


おまけ。

アメリカ合衆国オバマ大統領、取り消された今日のひと言。

「イスラムは米国の不可欠な一部だ」

と発言したのだそうだ。
私は彼を、ほとんどまったく評価しない(ブッシュ息子さんよりもマシ、というのは確かだろうが、そんなものをありがたがる気にはなれない)。
なので、個人的には、驚きも怒りも何もない。
「あ、やっぱり?」
という感想。
(^_^;)
ただ、彼の人気ぶりには、ここでもやはり、なにやら得体のしれない、

うっすらとした不吉さのようなものを感じる次第。

重ねて、すまん。

おまけ。

「北朝鮮を頼るしかなくなった某国政府の図」

あっちょんぶりけ。

 

 



予言&結果(2009.6.5)



「私たちは過剰な財を享受している。地球はその重みに耐えかねて、ほとんどくずおれんばかりだ。供給可能な財は人類の生存に必要な量を千倍も上回っている。(略)
地球上では、十歳未満の子どもが七秒に一人の割合で餓死している」
 〜ジャン=ジグレール『私物化される世界』〜


「実業家の好きな言葉に、「利益こそが絶対だ」というのがある。言いたがらないのは「勘定は私が持ちます」ってセリフだ。連中が数字といえばそれは利益のことだ。
あんた、資本主義におけるこの教訓を楽しんでるかい?」
  〜マイケル=ムーア〜



このぶんだと、マイケル=ムーアはFBIの心霊捜査官になれるんじゃないでしょうか。
『どこへ行く、日本。』さんのところから、
「ロジャー&ミー』のマイケル・ムーア監督、「GM 崩壊は予言されていた」


========================================
「1980年代初頭、GMが記録的な業績を上げていたころは、メキシコやほかの地域に無数の雇用を移転し、米国人勤労者者数万人の生活を破壊した。この方針が明白に愚かだったのは、大勢の中流家庭の収入を奪った後で、いったい誰がGMの自動車を買うことができると思ったのか、という点だ」
========================================

GMにかぎらず、多国籍企業がより効率良く儲けるには、世界のどこかの工場を閉鎖すればいい。より安い賃金で働く奴隷のような労働者を求めて、工場や農場が世界中を旅して回る。いわゆる自由競争、というやつだ。
そもそも、モノを売って金を儲けようなんて、世の中そんなふうにはできていない。
だから、工場も農場も可能なかぎり整理していく。
地元の工場をひとつ整理すれば、何億という現金ががっぽりと転がり込む。実に奇妙な話だが……つーか、そんなふうにうちあけられてもとても信じられないが、それが現実だ。
まあ、信じられまいが、変だろうが、とにかく結果として金になるんだからいいじゃん。おめでとう。
……だが、企業が整理されていくほど生産能力は落ちるのだ。モノを作る場所もモノを作る人もいないんだからな!
しかも、解雇される人間が増えれば増えるほど、モノを買う人間がいなくなる。
え、なんで? なんでったって、タイムカードを押して会社から一歩外に出たら、労働者は消費者になるんだから。
「オレは、汗水垂らして働く根の暗い労働者なんかじゃけっしてない、クールでスマートな消費者なんだ!」
つってるあんたも私も、やらなきゃなんない仕事をだらだらやらかしてる労働者という役割をしょいこんでる。望もうとどうしようと。

しかし今や労働者は失業者、もしくは失業者予備軍(笑)だ。

幸福な消費生活とはおさらば、さらば。
生産能力という観点からながめれば、ひょろひょろにやせ細ってしまった企業群。そして、モノを買えなくなった消費者。
3、2、1、0

どっかーん!(^-^)/~~(笑)

♪ぱ〜となったら、ぱっぱっぱ♪
♪ぽ〜となったら、ぽっぽっぽ♪
♪暴〜れだしたら、とま〜らない♪
♪火だるま経済が ダ・イ・ハ・タ・ンNNNN〜♪
♪ドヒョ〜!♪

まいどお馴染、不況というやつですね。

(^_^;)

♪どうする〜投機家〜♪
♪ご利用は計画的に。♪

これからどうしようか?
「軍需産業を発展させて、戦争に突入する」というようなアイデアは、根強い人気があるわけですが。
実際のところ、確かに金にはなるわけだ。
「冨だけが貧困を解決できる」なんつーたわごとを信じることができるかたがたには、ちょうどいいアイデアなのかもしれんな。




 

 



言い訳(2009.6.2)



「賢明でありたい、と思わぬこともない
 昔の本には書いてある
   賢明な生き方が。
 世俗の争いをはなれて短い時を
 和やかに送ること
 暴力とは縁を結ばずに清ますこと
 悪には善でむくいること
 欲望はみたすでなく忘れることが
 賢明なのだとか。
 どれひとつ、ぼくにはできぬ
 ほんとうに、ぼくの生きる時代は暗い!」
  〜ベルトルト=ブレヒト〜


「「1つだけ教えて下さい。赤城さんにとって……移植とはいったい何ですか?」
「敗北よ……」」
  〜佐藤秀峰『新・ブラックジャックによろしく』〜


「6時間は絶対安静です。その後は起き上がってもかまいませんが、終日ベッドの上で安静にしていて下さい。VSが安定するまで15分おきに血圧と心尖拍動数をチェックします。食事や飲水は2時間禁止です」
  〜佐藤秀峰『新・ブラックジャックによろしく』〜



佐藤秀峰せんせの最新作『新・ブラックジャックによろしく』6巻を読了。
腎臓を患って、子ども時代のほとんどを病院のベッドで過ごした私としては、他人ごとではない展開。
私が生きていくためだけに、無数の言い訳が必要になってくる人生というものは、我が人生ながら、かなり大変だ。
自己分析、自己評価などというものほどあてにならないものはない、という事実をふまえて言うのだが、私の人としてのベースは、きわめて善人で真面目、と言っていいと思う。だが、善人で真面目な下地がありながら、ペシミスティックで皮肉屋で、悪食で、実にいやらしい人間だ。
自己評価は脇に置いておくとしても、周囲の人間の評価から総合的に判断すれば、私はかなりはっきりとした悲観論者らしい。
言い訳につぐ言い訳の結果、悲観論者になったとは思わない。
ただ、

悲観論者だの悪食だのと言い訳を口にしないではいられない精神的露出僻は、腎臓に抱えた病気の、副次的結果なんだと思う。

(^_^;)
悲観論者、否定的、ネガティブ、根が暗い、皮肉屋、ニヒリスト、軟弱者、これらのレッテルのどれも私という人間の評価としては間違っていないだろうし、場合によっては、敗北主義者、というような言い方や、文化的落後者、というような呼び方でさえ、可能かもしれない。
それならそれでかまわない、と思えないから、言い訳を口にしなければならなくなる。
私がこれまでの人生において勝ち取ってきたこれらの性質(苦笑)は、私なりに、事実というものにこだわってきたからだ。
「事実にこだわったら、悲観論者になるのか?」
「事実にこだわる態度と皮肉はイコールなのか?」
と問われれば、私にとっては、そのとおりだ。残念ながら。
ある種の事実にこだわることは、人類の存亡に関わってくると言えば大袈裟かもしれないが……。
というわけで、私は
1.複雑な思想を持ち、
2.皮肉屋で、
3.何よりも、言い訳の上に言い訳を重ねて生きていく人間だ。
現状としては、夏も来ていないのに、夏バテだ。春には春バテをし、秋バテ、冬バテとある。
五月病があって、六月病があって、七月、八月、九月、十月……。
頑張ろうにも体が動かない。だから頑張らない。
無理しない、戦わない、競わない、なぜなら、できないから。なぜなら、そうする理由がないから。
私は、こうして

反骨の植物的革命家となった。

な、複雑な思想だろ? →生きていくための方便とも言う。

(;^-^ゞ
各方面には、最後の最後まで多大なご迷惑をおかけすることになると思います。
申し訳ありません。
……。
何の話をしていたっけ?
あ、そうそう。
以上が、『新・ブラックジャックによろしく』6巻を読んだ上での、私の新しい言い訳だ。
ちなみに、女性崇拝主義者の私にとっては、今回のムツミ先生にはしびれた。足下にひれ伏したい思いだ。
(^_^;)
さて。
以前紹介した佐藤秀峰せんせのウェッブサイトだが、なんかもう、佐藤せんせ、(本人は否定するんだろうけど)

労働組合の委員長みたいになってきた。

(^_^;)
いろんな意味でサイトの方もすんごい展開。

これってもしかして、漫画生産の社会化?なんつったりしたりして。
(^_^;)
彼のパートーナーさん(奥さん)も漫画を描いているそうなので、興味津々で購入してみました、佐藤智美せんせの『ムショ医』第1巻。
感想をひと言だけ。
佐藤ご夫婦は、なによりもまず、親友同士なんだなあ、と。
おぎゃあと生まれて、死ぬまでの間に、親友を見つけられたひとは幸せですね。

あ、うちの弟が「佐藤秀峰 on Web」に読者登録したみたいです。




 



理性の時代(ドラゴンボール級)(2009.5.31)



「背信は、信仰のうちにあるわけでも、不信仰のうちにあるわけでもない。それは、信じてもいないものを信じていると言明することにあるのだ。それが道徳に及ぼす悪影響は計り知れない。というのも、頭のなかで嘘をつく習慣が社会のなかに生まれるからである。信じてもいないものに対して、専門家として信じているなどと公言するまでに腐敗し、心の貞操を売り渡してしまうならば、人はすぐにも他のあらゆる罪を犯すようになるだろう」
  〜トマス=ペイン『理性の時代』〜


「信じやすい人というのは、奇妙な事柄を信じることに無上の喜びを見いだすものだ。しかも、奇妙であればあるほど受け入れやすいときている。ところがそういう人は、平明でいかにもありそうな事柄は重んじようとしない。というのも、そんなものは誰でも信じることができるからだ」
  〜サミュエル=バトラー『人さまざま』 〜


「ある世代が、知識は処罰の対象になり、安全は無知の中にあることを学ぶとします。次の世代は自分たちが無知であることを知りません。知識とは何なのかを知らないのですから」
   〜アーシュラ=K=ル=グウィン『ヴォイス』〜



映画批評サイト、『破壊屋』さんのところから。

『俺たち幸福実現党!』

うわあ……。
(;´д` )
幸福を求めたり、感動を求めたり、みんな大変だなあ。
あのな、いいこと教えてあげようか?
……幸福よりももっともっと重要なことがあるんよ。

なんだって〜!!

幸福より重要って、よっぽどすんごい秘密なんだろうな、と思うでしょ?
そりゃすごいよ!
答えを知りたい? 知りたいわな。
でもそのまえに、まず、こちらをごらんください、悟りが開けるかもしれません。
悟りが開けたら、答えなんかもう関係なくなるわな。

『実写版ドラゴンボール』!



あわわわわ! パタちゃんの負け〜!

パパンがパン!
誰が殺したクックロビン。

(^_^;)

では、大変長らくお待たせしました。
答え。その1。



答え。その2。


答え。その3。




 

 

 



究極の雑誌☆対決企画(2009.5.29)



「われわれを結束させるものは、われわれの苦悩であります。愛ではありません。愛は心に従うことはなく、追いつめられると憎しみに転ずることがあります。われわれを結ぶ絆は選択を越えたところにある。我々は兄弟なのです。なにかを共有することによってつながる兄弟なのです。われわれは、ひとりひとりが別々に苦しまなくてはならない苦痛を共に味わうことにより、飢えを、貧困を、希望を共有することにより、われわれが兄弟の間柄であることを認知します。われわれがそのことを認知するのも、これより以前にそのことを学ばなくてはならなかったからです。われわれは互いに助けあう以外に救いはないことを知っています。(略)
私たちは、私たちの自由以外になにも持っておりません。あなたがたにさしあげられるものとしてはあなたがたご自身の自由以外になにもありません。私たちには、人と人との間の相互扶助というただひとつの原理がある以外、なにも法律がありません。自由な連携というひとつの原理以外に政府もありません。国家も、国民も、大統領も、首相も、長官も、将軍も、監督も、上司も、銀行家も、地主も、賃金も、慈善団体も、警察も、兵隊も、戦争もない。このほかにもないものづくしです。わたしたちは共有者であって、所有者ではないのです」
 〜アーシュラ=K=ル=グウィン『所有せざる人々』〜


「読書をしない者は、字が読めない者に対し有利ではない」
 〜マーク=トウェイン〜



最近は雑誌が壊滅的に売れないのだそうだ。理由はさまざま語られているが、とりあえず理由のほうはさておいて、雑誌の売り上げを伸ばすための、起死回生のすんごい企画が私にはある。
つーか、どうして誰もやらないんだろう。
ずばり、

「ノーム=チョムスキーVS不破哲三ガチ激論!」

究極のメニューと至高のメニューの対決より100倍おもしろそうじゃん。
「民主主義とは何か?」「メディアプロパガンダへの批判」みたいな軟弱なネタでなくてね。バトルするの、誌上バトル。
「民主集中制」あたりの話題もおもしろいだろうし、やっぱ、「レーニンの評価」なんつーようなバトル必死の話題は、読者として

興味津々。

どうして誰も企画しないんだろう?
『週刊新潮』さんとか『Will』さんとか、どうすか?
(;^_^ A
まあ、個人的には

『MacFan』もしくは『MacPeople』にやってもらいたいなあ。

あ、ちなみに、全然関係ない話題ですが、

宮台真司氏はマックユーザーの面汚しだと思います。

(^_^;)


『デモクラシーナウ』から、

ノームチョムスキー「これからどうなる?選挙、経済、世界

同じく『デモクラシーナウ』から、ホワイトハウスの肝っ玉おばあちゃん記者ヘレン=トーマスの
ホワイトハウスのベテラン記者へレン・トーマスが語るブッシュ政権



おまけ。
『非国民通信』さんから……砲弾ビックブラザー。

==================
酒巻氏には「椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!」という著書があるそうですが、氏が社長を務めるキヤノン電子には当然パソコンがあるわけで、その代りに監視ソフトを常用しているようです。椅子は本当にないそうですね参考)。それ以外に目を惹くのは「5メートルを3.6秒以内に通り過ぎないと警報が鳴る廊下」辺り、まぁいずれ氏のアイデアはどこかの収容所で採用されるのではないでしょうか。こうした環境に人間を閉じこめると、人間はサル以下に堕ちるようですが。
 まぁ、キヤノン製の監視ソフトなど使わずともサーバーのアクセスログなどからインターネット利用状況は割り出せるもので、その辺は解雇理由としてよく用いられるのはご存知のことと思います。普通はクビにしたい人を狙って監視する、目的があって監視するのでしょうけれど、キヤノン電子の場合は監視そのものが目的なのかも知れませんね。椅子に座らせず社員を立たせておくことに快感を覚える社長であるなら、社員を監視することにも喜びを感じるでしょうから。
==================


あーあー。未来世紀ブラジル、インジャパン……なんのこっちゃ!

さすが、会社立国日本。
日本という国は、技術と効率と恐怖の実験場だよ!
つか、あちこちの会社で、椅子が撤廃されてるそうですね! この日本という地域社会の内部では、労働者は文字どおり家畜以下。
労働者なんてやってられるか、消費者になろうぜ!大キャンペン中。
(^_^;)
人間は、どこまでイビルことが可能なのか。
チェケダウ !

「恐怖の連続、それが奴隷の一生だ」(映画『ブレードランナー』)

泥の中を這いずり回るようにして人間になろうと苦闘するアンドロイドと、アンドロイドを“モノ”として処分していく人間の、それぞれの“悲劇”がクロスオーバーするとき……
『ブレードランナー』はそういう映画です。

 


 



引換のキアロスタミ(2009.5.26)



「人間の心の深奥へ光を送ること---これが芸術家の使命である!」
  〜シューマン〜


石鹸と教育は大量殺人ほど急激な変化はないが、長い目でみればそれ以上に殺傷力がある
 〜マーク=トウェイン〜


「「癒し系」という言葉はいつごろ誕生したのだろう? この言葉自体が世界の、或いは人類の絶望的状況の深刻さを逆説する。このアルバムはカラヤン死後にリリースされ、世界的ヒットを飛ばしたオムニバス。これくらいつまらないアルバムも珍しい」
  〜宮下誠『カラヤンがクラシックを殺した』 〜


「新語法の全般的な目的は思想の範囲を縮小するためだということが分からないのかね? 終局的には思想犯罪も文字通り不可能にしてしまうんだ。そうした思想を表現する言葉が存在しなくなるわけだから。必要なあらゆる概念はたった「一語」によって表現され、その意味は厳格に限定されて、その副次的な意味というのはことごとく抹消されたあげく、忘れられてしまうだろう」
   〜ジョージ=オーウェル『1984』〜



ある方から、
「あなたはもっと良い映画を観なければいけない」
と説教をいただいた。
たしかに、この5月は『グラン・トリノ』、『ミルク』、『スラムドッグ$ミリオネア』など話題作がめじろ押しだったのに、

私はどれも観に行っていない。

曲がりなりにも映画好きを名乗っておいて、こりゃないわな、と、自分でも思う。
念押しに、
「良い映画とは、具体的にはどのような映画を観に行けばよいのでしょう?」
と訊ねてみると、
「今なら『グラン・トリノ』」
というお返事だった。監督・主演のクリント=イーストウッドがどういう映画人で、政治的にどういう背景をもっているのかも教えていただいた(知ってるけど)。
で、私は大阪まで出張って、

「最後のアッバス=キアロスタミ特集」を観てきました。

(^_^;)
少なくとも劇場で鑑賞するという意味においては、私は、『グラン・トリノ』、『ミルク』、『スラムドッグ$ミリオネア』などなどの、世間で非常に評価の高い作品群とキアロスタミの作品を引き換えたのだ。
……まあ、これから観に行くかもしれんけど。
(^_^;)
なんというか、キアロスタミの作品はあまりも「決定的」で、私の人生の短い期間に(どう長くみつもっても100年ないだろう)彼の作品に現在進行形で出会えたということ自体が奇蹟であって、まあ、人間の寿命というものを考えれば、私の存命中に、彼を超える映画作品に出会えることはまずあるまい。
それが、常識というものだ。
キアロスタミ監督の作品は、映画というものが持つ物理的限界(時間、光、認知、映写機やスクリーンの機能と役割、その他もろもろ)に達していて、その限度いっぱいのところで、人間の頭の中で起こっていること、起こせること、思考の死角を手玉にとりながら、映画というアクロバット芸を楽々とこなして見せる。
それはもうほとんど、映画とすら呼べない何かだ。
それが映画でないとすれば、いったいなになのか?

人生教師?

(^_^;)
地球人は、地球人が思っているよりも遥かに遠いところに行くことができる。わくわくするほどの高みに! キアロスタミは、それを地球人に伝えるために宇宙のどこか遠い超知的惑星からやってきた宇宙人なのではないだろうか?
(^_^;)
もちろん冗談だけれど、そんな冗談は、考えるだけで愉快だ。
彼は、あらゆる点で地球人を凌駕している。彼は、居眠り運転をするような日々をおくっている地球人をゆすぶり、目覚めさせるのが仕事だ。
彼は地球人の頭から水を浴びせかけて、びしょぬれになった地球人の手を取る。そして地球人の手を開かせ、手のひらを上に向けた状態に固定する。彼はその手の中に指で文字を描く。
「水water」
それは、悟性の炸裂(笑)、とでも言うしか言い様のない、鮮烈な何かだ。

さて。話題かわって。
いつもお世話になっている映画サイト『破壊屋』さんところから。


=====================
映画ライターのわたなべりんたろうさんが映画芸術誌上で、以下のようなことを語った。

いまの観客は何か刺激を受けるとかじゃなくて、これは笑えた、泣けたという確認のために(映画館に)行っている。

いまの観客は映画の中で泣けるシーンがあることを事前に知っていないと映画館に行かない。だから「このキャラが死にますよ!泣けますよ!」とネタバレ宣伝する羽目になる。
=====================

日本人は、とうとう映画を観ることすらできないほどに、骨の髄まで「消費者」になってしまったのか。
私は個人的には、「感動できる映画」「泣ける映画」などというものは、作品の善し悪し以前だと思っている。なぜなら、感動できる映画などというものは

人間共同体に破壊的な作用を及ぼすからだ。わし、マジで言ってるんよ。トンデモだろ?

感動を恐れよ!恐れよデミー!
(^_^;)
まいどまいど、同じことばっかり書いてるけど、今回もまた同じことを書く。
つまりな、「映画の感動」がワシは恐ろしゅうでならんのよ。


映画に感動を求めたりするのって、少なくともナチのプロパガンダ映画を経験した人類としては即刻やめるべきだと思う。

それと、音楽に癒しを求めたりな。
(^_^;)
泣ける映画なんてのは、最悪だ。悪夢だ。エクソシストだ。オーメンだ。
たっぷりと涙だけは流して思考停止! 感動空間のただなかで、気分さえ良ければそれでいい、というムード。
……怖い。
感動が怖くて夜も眠れない。

おまけ。

『暗いニュースリンク』さんから明るいニュース、マイケル=ムーアの最新作が10月2日、全米公開だそうだ。




 

 



SFで変になろう(2009.5.23)



「「みなさま方には、相手として戦わなければならない下層階級がおありだ、ということになりますれば」と、彼は言った。
「わたくしどもの方には、下層階級というものが、ちゃんと控えておりますよ!」
この名言は、満座をどっと笑わせた」
   〜ジョージ=オーウェル『動物農場』〜


「神よ。どうか私を怖じ気づいた人間の監督下に置かないでください」
  〜カート=ヴォネガット『ジェイルバード』〜


「科学を活用したければ、高度な知識を持つ一握りの専門家を育成するだけではだめだ。それどころか、それはむしろ危険でさえある。できるだけ多くの人びとに、科学の発見や、科学的な考え方の基本を理解してもらうことが大切なのだ」
  〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』〜



全体主義を唾棄すべきものとしながら、全体主義に走る奇妙さ。
ビッグブラザー・システム!


村上春樹氏の新作のタイトルは『1Q84』だそうで、どう考えてもこりゃ、ジョージ=オーウェルの不愉快なまでに絶望的なディストピアSF『1984』に引っかけてある内容の小説なのだろう。
私は村上春樹氏のよき読者ではないし、どの作品を読んでも首を大きくかしげることになるので、ジョージ=オーウェルの傑作に泥を塗ることになりはしないかと、心配している。
すまん、村上春樹ファンのみなさまには、本当にすまん。

『1984』映画予告編


なお、全体主義の“仕掛け”の全容をジョージ=オーウェルは見事に解明してみせたわけだが、

その分析があまりに見事だったために、世界中の権力者が支配の参考にしてしまったという苦いオチがついているわけだが。

なんちゅう皮肉、なんちゅう現実。

みんな、もっとSFを読んだほうがいいよ、余計はお世話だけど。
あのな、SFを読むと、恩恵として、どんどん頭が変なるゾ。
(;^_^ A
こんなふうに。

SFでヘンになれ〜! もっとヘンになれ〜!
ほんで、いつか自由に。

おまけ。
Mac版「1984」


 

 



フルーツバスケットをしよう(2009.5.18)



「ある世代が、知識は処罰の対象になり、安全は無知の中にあることを学ぶとします。次の世代は自分たちが無知であることを知りません。知識とは何なのかを知らないのですから」
   〜アーシュラ=K=ル=グウィン『ヴォイス』〜


「想像できますか、アメリカで最も信頼されている人間に、アメリカ人でありながら、猫がくわえてきたなにかのように扱われるところが!」
 〜カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』〜



〈新型インフル〉 「帰ってくるな」「謝れ」…大阪・寝屋川市や学校に中傷殺到(産経新聞)

↑なにこれ。(^_^;)

=============================
「成田から帰ってくるな」「どうしてあんな学校がカナダ留学にいくのか」といった理不尽な電話や、「なぜマスクをしなかったのか」「早く帰国させるべきだった」といった留学中の行動にも批判が寄せられた。「謝れ」「賠償しろ」「バカヤロー」といった罵声を一方的に浴びせるものや、生徒や教員を個人的に中傷する内容の電話もかかっているという。
=============================

インフルエンザにかかったのは自己責任なのだから、日本に帰ってきて国益を損ねるべきではない、……いつものあれですね。

「賠償しろ」って、なんだろね?
「謝れ」って、何を?

ほんと、「普通の国」の「普通の日本人」から一歩でも踏み外したら、大変だア。

今、くしゃみしたら鼻水垂れてきた(笑)けど、これ、もしかしたら宇宙からやってきた新型ウイルスかもしれんし。
(^_^;)
で、誰に何を賠償したらいいんかね?
(^_^;)
あまりにも……。清潔でキラキラとした、美しい国だよね?
排外主義を極めようと、玉葱の皮をむくように、一枚、一枚、非効率なもの、異分子、敵、負担を強いるなんやかや、めんどうくさいあれこれを切り捨てていく。
この怖気たつような「危機の時代」において、社会を国家を民族をわしらは守っていかねばならんのです、つーわけ。
……。「フルーツバスケット」という遊びを知ってる? いわゆるイス取りゲーム。
あれはいつも、遊びに参加する人数よりも一脚だけ椅子が足りなくできている。人数分より一脚だけ足りない椅子を円を書くように並べて、その周囲を、ゲーム参加者はぐるぐると周り続ける。
合図とともに、誰もがいっせいに椅子に座ろうとする。だけど、一脚足りないんだから、だれかがひとりだけあぶれるんだわな。
そうやってひとり脱落する。
すると、椅子をひとつ減らした状態で、またゲーム再開だ。
合図がある。椅子に殺到する。
また一人あぶれる。
やっぱりあぶれる。
どうしてもひとりだけあぶれる。

いつも椅子が一脚だけ足りないようにできているからだ。

で、美しい国民的には、これは自己責任だという。もしくは、“防衛”なのだという。
(^_^;)
そして、奇妙にして面白い現象が起きてくる。
今や、椅子からあぶれた人間が日本じゅうにあふれかえっているというのに……、「負け組」や「社会から脱落した者」が多数派を形成しているというのに、

椅子からあぶれた人間はいつも「ひとり」なんだ。

架空の「全体」に向き合って、あんたは、たったひとり椅子からあぶれたモノグサ、もしくは非日本人、もしくはマヌケ、もしくはうかつに海外で病気をもらってきた非国民、その他もろもろ、でもあんたひとりでそこに突っ立ってる。
なんであんたひとりなんだ? よっぽどのマヌケだったからか? もしくは、よっぽどのモノグサ、もしくはよっぽどの非日本人、もしくはよっぽどのうかつに海外で病気をもらってきた非国民、だって他の連中はちゃんと椅子に座ってるジャンか。
こりゃあ、自己責任と言うしかないよなウワッハハア!
♪ソ、ソ、ソガイで自己責任♪
何の責任なのか。“私たち”から何を防衛しているのか。
いや、そんな難しい話の前に、

なんでそんな、弱い者苛めが好きなの?

私は信じていないが、もしも日本人の美徳というものがあるとすれば、「困っているひとがいたら手を差し伸べる」とか、そういうのとちゃうん?
「あなたは働き者ですか?」「税金を払ってますか?」「町内会の行事にはちゃんと参加していますか?」「性別は?」「国籍は?」「マスクはしていますか?」……うんたらといろいろ訊ねてからじゃないと手を差し伸べたらあかん、でないと美しい国が崩壊するんだってよ、

知るかっ!

なんて醜悪な「美しい国」なんだ。



 



ハダカの金権村(2009.5.16)



「頂点、権力が位置する場所には、盲人が腰を下ろしている。自分の目を少しずつ曇らせてゆくことによってのみ仲間の上に立つことができる、そんなふうに世の中ができているからだ」
  〜シオドア=スタージョン『たとえ世界を失っても』〜


「選挙にあたり、広報やメディアは、政治の「課題」ではなく政治家の「資質」に焦点をあてる。たとえば候補者の外見や性格など、どうでもいいことに、だ。そして政党は、もはや候補者を商品とした流通システムに成り下がっている」
  〜ノーム=チョムスキー『お節介なアメリカ』〜


作家がみんなゼネストに入って、人類の迷いを悟らせるというのを考えてるんだけど、どうだい、参加しないか?」
   〜カート=ヴォネガット『猫のゆりかご』〜



民主党のオザワイチロー氏が、政権交代の連呼をだらだらやらかしたあげく、西松献金疑惑に“足下をすくわれ”、とうとう民主党代表を降りた。
ぶっちゃけ、今回の疑惑の最大の問題点は、献金が違法であったかどうかではなく、「正統的」な支配の枠組みを保持したまま、既存の権力機構を逸脱しないまま、政権交代を実現することを期待された「最大手野党」代表、それがオザワ氏だったということがブンバレしたことにあったわけだが……。

道半ばですっころんだ、と。

(;^-^ゞ
この件で、多く(もしくは一部?)のいわゆる「リベラリスト」「左翼」「社会民主主義者」の方々が“うろ”きている(狼狽しているの意)らしいんだけど、ある意味、滑稽ですね。

「今回の献金疑惑は法に触れるものではない」
とか
「政治には金がかかるのだから、企業献金もしかたがない」
とか、
「陰謀国策捜査だ」
とか
「オザワ氏は説明責任を果たした(←ただの言い訳。しかも一方通行)。これ以上どうしろと?」
とか、 具体的にはそういう主張をする方々。

いや〜、これってぜんぶ、

金権政治の正当化でしかないのでは……なんつったらワシ、大衆蔑視してることになるの?

(^_^;)
オザワ本人はもちろん、逮捕された秘書もまだ「容疑者」でしかない、とか、マジでおっしゃってんかと。
違法でなければ何をしてもいい、というのなら、自公政権とかわんないわけじゃん。
(^_^;)
「自・公」と「民主」、看板は違っても、

特権を容認し、既存権力に無批判に追従してるところはいっこも違ってないのでは……なんつったらワシ、「民主党分断をねらう敵に隙を与える」ことになるん?

(^_^;)
……あのさ、「王様は裸だ!」とみんな、言わんの? それとも、アソウさんは裸だけど、オザワさんは服着てるように見える? ほんとに? まあ、オザワさんが着てるのはコイズミさんのと同じで

あほうには見えん服らしいからなあ。

(^_^;)
王様が王様であるかぎりみんな裸、服を着た王様なんて歴史上いたためしがない、……そんなふうにワシには見えるんだよ。
ええと、……今日、民主党の代表が決まるんだっけ? ハトヤマさん?オカダさん? 基本的にワシ、テレビも観ないし新聞も読まないひとだから、三日後くらいにひとから聞いて結果を知るんだろうな。
(^_^;)
私は、新聞を読んでいる暇があったら、SF小説読むわ。
ほんっ〜とうにくどいけど、みんなもSFに触れたほうがいいよ。
『おでんくん』とか(笑)!

『おでんくん』がSFなわけないわな。
だけど、あのね、いいこと教えてあげようか。
SFに描かれていることって、ぜんぶ本当なんだぜ(笑)。
ほんで、「現実」は虚構なの。
未来が、未来図が見えるう〜!!
(*゜▼゜)ウヒヒヒ
<
考えろ〜! 頭が割れるほど深く考えろ〜!
SF! SF!
いっぽう、「現実」という途方もない虚構、うんざりさせられる欺瞞。
『デモクラシーナウ』から、『世界経済危機で10億人が貧困へ 露呈する自由貿易主義の欺瞞』


 

 



最終映画キアロスタミ!(2009.5.14)




「映画はD=W=グリフィスで始まり、アッバス=キアロスタミで終わる」
   〜ジャン=リュック=ゴダール〜


「キアロスタミは、映画が表現しうる最高水準の芸術性を具現化する」
  〜マーティン=スコセッシ〜


「君はやっぱり現在のこの地球のことを考えているんだね!」
  〜ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』〜


「ひとは基本的に、感情と共感の生き物なのです。他の誰かが傷つけば、自分も傷ついたように感じます。私たちは、安全で、公正で、適切で、哀れみ深い世界を望んでいます。なぜなら、それは生死にかかわることだからです」
   〜メイ=ワン=ホー博士〜



☆お知らせその1
関西在住の映画ファンにお知らせ。

アッバス=キアロスタミの作品群がくる〜!

アッバス=キアロスタミ最後の十日間〜日本最終上映〜

日本最終上映、という言い草が気になって仕方がないが、ともかく行ってきます。
余計なお世話かもしれないが、地球人に生まれたからには、一度はキアロスタミの映画作品を観ておいたほうがいい。
ベートーベンの交響曲やドストエフスキーの長編小説などに匹敵する、偉大な芸術作品だからだ。
……つーか、彼の作品はもはや映画とすら呼べず、とくに『ホームワーク』『close-up』『桜桃の味』といった作品は、ほとんど「海が割れた」とか「水がワインになった」などというようなある種の奇蹟だ。
キアロスタミの映画作品を観たことがないひとは、私が何を言っているか分かるまい。

ワシだって、この目で観てもまだ信じられんくらいなんだからな!

予告編なんか観てもなにもわからないが、『オリーブの林を抜けて』予告編。

ワシは、キアロスタミは実は地球人じゃなくて、宇宙から来た超知性体じゃないかと、マジで疑っている。
地球人とはなんなのか、どこからやって来てどこへ向かっているのか、何を欲し、何に気がついていないかを、これほど深く理解している地球人がいたろうか?
このずば抜けた洞察は、少なくとも、ドストエフスキー以来だろう。

☆お知らせその2
昨年もなんだかんだと映画を鑑賞してきたわけだが、一年間見通した中で、もっともエキサイティングで、もっともよい出来栄えだったと感じた映画作品の日本語予告編を見つけたので、貼っておく。
『敵こそ我が友』

ドキュメンタリーだけど、そんじょそこらのフィクションは太刀打ちできません。
すごい映画だ。
ついでに、昨年度第二位。
『この自由な世界で』ケン=ローチ大先生の作品。


さらについでに、第三位。
『今夜、列車は走る』


おまけ。
『ブタがいた教室』予告編。

人間は基本的に競争ではなく共感の生き物であること、

発見を分かち合うこと、

発見を分かち合うための集団的努力、

建設的な批判精神にもとづく「社会構造を変革したい」という欲求は人間に備わった資質であること、なによりも

直接民主主義の利点

つーようなことを実感として感じることができる、なかなかの映画だと思う。
大人どもと違って、「相互扶助」の精神を体現しきっている子どもたちは、実に立派。
つーか、それが人間本来の姿なんだろうな。

 

 



*耳が遠く
総統は字が読めない*(2009.5.12)




「♪年金! 舛添居ず、知らぬ間データー消えるだぁ? ♪
 ♪アホじゃね〜? ♪
 ♪知ればあんな払わん! ♪」

  〜『空耳アべーロード』〜


「♪宇宙はおれたちをどう思うだろう?♪
 ♪呪うだろう♪」
  〜『空耳アべーロード』〜


「しかもこれから状況はますます悪くなる。いまの会社にどういう福利厚生制度があるにせよ、それはだんだんになくなっていく。年金もなし、社会保障もなし。子どもに老後の面倒を見てもらうことは期待できない。彼らは自分たちの生活で手いっぱいだからだ、まとまった休暇をとろうなんて考えないほうがいい。帰ってきたときには職を失っているかもしれないから。あなたは消耗品なのだ。権利なんて何もないのだ。組合? 何それ?」
 〜マイケル=ムーア『おい、ブッシュ世界を返せ』〜


「人生、自分自身、我々を取り巻く世界について、どれだけ理解していないかに気づいた時に、我々一人一人に英知が宿る」
 〜ソクラテス〜



さすがのワシも、もう絶句。『シートン俗物記』さんところから、
カジュアル核武装・お手軽ファシズム

大日本帝国カンフルエンザかよ!

すくなくとも、ブタのインフルエンザより何万倍も恐ろしいな。
日本という国で集団発症中の排外主義エンザの蔓延ぶりに、

桑田佳祐さんが急性指向性空耳という病気にかかってしまったようで、

youtubeで『桑田佳祐の音楽寅さん 空耳アベーロード』が話題となった。
と、紹介しようとした直前、削除されてしまった。
ダウンロードしておいてよかったよ。
(^_^;)
内容はというと、

この勢いで桑田佳祐氏の耳が悪くなっていくようなら、やがてこの日本で革命が起きるな!

と思わせる内容だったという。
(^_^;)
知らんひとはなんのこっちゃかわからんだろうけど、そのうち有志がまたyoutubeにアップしてくれるかもしらん。
刮目して待て。
まあ。革命が達成されたアカツキには、「空耳アべーロード」はCD音源で発売されることでありましょ。
……。
わしもな、どんどん目も悪くなってきて、映画の字幕も読めなくなってきたんだよ。
元のネタは映画『ヒトラー最後の12日間』。

「総裁は金融危機に大変お怒りのようです」


総統もカジノ資本主義には激怒なさってます。
(^_^;)
ソートーは気づいたのだ。
野蛮で、奇妙で、人間を所有することで機能する社会の腐敗ぶりに。
ひとつの腐敗に気づいて10の腐敗を知る。
そして、千とひとつの疑問がわき上がるのだ。
「ソートーの陰謀論、in 蒟蒻ゼリー!」
総統は格差問題を大変に憂いてらっしゃいます!

(^_^;)
あなたは死ぬまでこのインチキゲームから降りることができない。そういうふうにルールが作られているからだ。

心ある人びとの耳も目も悪くなる一方だ。

(^_^;)
もうな、この日本の内側で私たち「負け組」は、チャップリンの『モダンタイムス』のような働く機械どころじゃない。
働く機械なら現状に比べてまだマシだ。
私たちは、この社会の内部で、負ける機械なんだ!
一生!
死ぬまで!
いつかきっと成功すると信じながら!
頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、頑張れ、……おまえはもうすでに負けている。


 

 



*ウォズ!*(2009.5.10)



「マイクロソフトは完璧な「社員不在の企業」になろうとしているのだ。部門の外部委託、契約工場、フリー労働者のジグソーパズルである。ゲイツはすでに正社員の3分の1を派遣社員に切り替え、CD-ROMやインターネット商品が開発されるインタラクティブ・メディア部門では、労働者の半数は外部の「給与支払い業者」に雇われている。この業者は、プリンターのカートリッジを補充するように、税金のかからない労働者を補給してくれる」
 〜ナオミ=クライン『ブランドなんかいらない』〜


「マイクロソフトの終身派遣社員は、毎日、「シリコン・ゴールド」資本主義の夢に対抗して腕に磨きをかけている。そして彼らは誰よりも、そこには招待状がないと入れないことを知っている。だから、マイクロソフト社の正社員がカルト的なことで有名になっても、終身派遣社員の憎しみは、ほとんどそれとは関係がない。会社に対してどう思うかとジャーナリストに聞かれ、こんなふうに言っている。「ゴミのように扱ってくれますよ」、「ここには2つの階級があるのです。恐れと劣等感と嫌悪感が渦巻いています」」
 〜ナオミ=クライン『ブランドなんかいらない』〜


「彼らは、これが正義の問題だとは思っていません。隣人と共有する自由やプログラムの動きを見て、気に入らないところに変更を加える自由が人々にとって大切だとは思いません。(中略)企業に出かけて行ってはこう言うのです。「ひとびとにこれをさせると、もっと金儲けができますよ」」
 〜リチャード=ストールマン『フリーウェアと自由な社会』〜


「アップルはハードウェア屋ではなく、問題解決の手法を提供している会社だと私は考えいる……。
今残っているのは、私がつけたMacintoshという名前と、私の論文から勝手にとられたQuickDrawという名前だけです」
 〜『マッキントッシュ誕生の真実』ジェフ=ラスキン〜



先日、旧Mac武闘派の私が、ヨドバシカメラまで出張って最新のMacOS搭載機を触ってきた。
どんどんウンコ味に近くなっていく極上カレーのように、操作性がさらにひどい出来栄えになっていた。
それに、フォルダアイコンが運動図なみにきちゃなくなっていた。
味もウンコに近くなってきたなら、見かけもウンコみたいになってきたわけだ。
「なんなんだよ、これは!」
と騒いでいたら、店員が飛んできたので、恥ずかしいので逃げた。
(;^-^ゞ

あのいんちきCEOをスリコギでどついてやりたいよ。

そうやって、すべての人間的価値が貨幣の排泄物になりさがる資本主義の宿命により、Macと運動図の境界がさらにあいまいになってきた今。

スティーヴ=ウォズニアックがMacを勝手に改造して、すんごいものを作りました。

http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/0901/08/news036.html

どはずれて高性能なタブレットMac。

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アップルがこれまで逃していた運動障害からキーボードを使えなかった層にMacを広げる点でも一役買っているため、アップル“半公認”の製品となっており、今ではガジェット好きな人や、グラフィックスデザイナー、モバイルビジネスマンなどの層でもユーザーベースを築きつつあり、アクシオトロンも大型の投資を得て株式の公開を行っている。
==================

なんらかのハンデキャップにより、キーボード操作がむずかしいが、ペンならなんとか操れる、というひとたちのために、ノート型のMacを改造したのだ。

すげえぜ、ウォズ!

http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/0904/24/news040.html

ガオガオ!
……しかし、繰り返すけど、ウォズはやっぱ、すごいよ。


--☆

おまけ。
某映画批評サイトで、映画『子どもの情景』とバフマン=ゴバディの『亀も空を飛ぶ』を比較し辛い点数をつけているところがあった。
いやあ、いくらイラン映画くくりとは言っても『亀も空を飛ぶ』と比べたらかわいそうだよ。

この世の大抵の映画は、『亀も空を飛ぶ』より落ちるんだから。

映画の出来栄えにはそれなりの差があるにしても、それは世界チャンピオンと比較しての話で、それはP=K=ディックの『流れよ我が涙と警官は言った』がドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』よりも落ちる、といった理由で酷評されるようなものだ。
そして、『亀も空を飛ぶ』も『子どもの情景』に共通するのは

「人間本来のあり方にそぐわないもの」を、見事に描き出している点だ。

人間本来のあり方にそぐわないもの。
戦争機械とか、商品とか、自由経済とか、その他もろもろ。
「人間の本来のあり方にそぐわないもの」という冷徹なスチームローラーによる、敗北、死!

「人間の本来のあり方にそぐわないもの」を明晰に描き出せる……「人間の本来のあり方にそぐわないもの」と「人間性そのものの豊かな可能性、善の部分」をきっちりと切り分けて見つめることのできる彼らの啓蒙的価値観、

道徳的行為者としての姿を、私は個人的に高く評価したい。

しかし、繰り返しになるが、『亀も空を飛ぶ』と比較するのは、いくらなんでもアン不フェアだと思う。ハナ=マフマルバフはまだ19歳だ。
……といっても、ハナのお姉さんのサミラ=マフマルバフは18歳で『りんご』という腰が抜けるような傑作をものにしているわけだけど。
おそるべし、マフマルバフ一家。
そして、『子どもの情景』をして、点数が辛くなってしまうイラン映画のレベルの高さ、おそるべし。
自己欺瞞的物語があまりにもはびこりすぎて、それが当然視されてさえいる現代において、倫理と洞察の面で飛び抜けた存在だ。
イラン映画と比較しうるのは、一時期のロシア文学だけだろう。


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