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※お知らせ。
『あなたにとどけるものがたり3』

発売になりました


新作の児童文学の短編集です。私も『幸運なあめんぼ』という短編を書いてます。
最寄りの書店でも御注文可能です。






小さな政府が援助します(2008.6.28)



「援助は投資環境の改善にともなって実施されるのであり、投資環境の改善のためには、しばしば聖職者や労働組合の指導者を殺害し、団結しようとする農民を虐殺し、統制に従わない報道機関を力ずくで黙らせる必要があるからだ。その結果、援助とはなはだしい人権侵害とのあいだに第二の相関関係が生じる」
 〜チョムスキー『チョムスキー、民意と人権を語る』〜


「子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」
 〜パブロ=ピカソ〜


「巷に雨の降るごとく、我が心にも雨ぞ降る」
 〜ポール=ヴェルレーヌ〜



「後期高齢者終末医療末期相談支援料を4月に請求した国立病院は一件もなかった
という記事を紹介した……と思ったら、今度はこの制度が

凍結された

とのニュースが。
(´▽`;)
新設された診療報酬が凍結されたのは前例のないことなのだそうだけれども、それが、導入からわずか3ヶ月というのでは……。

ちょっとだけスカッとするニュースですね。

マズゾエさんは、同支援料を継続させたい意向を強くにじませておったそうだけれどね。
(^_^;)
まあ、支援料を請求した国立病院は一件もなかったんだもんな。
看板に「後期高齢者の心身の特性にふさわしい医療が受けられる」と書いて、“患者と話しあって医療を打ち切る”と国から2千円いただくことができる、って、

人道上そんなことできません(脳内病院長談話)。

まあな。さまざまなカテゴリーに人間をふりわけ(人間を75歳以上、以下で分断しているところが味噌、というか醜悪)た上で、最低限の生きる権利を切り刻む。
政府を小さくしないと経済が破綻しちゃうよ〜って、繁栄日本を築き上げてきた偉大な先輩たちに「心身の特性にふさわしい医療(笑)」を受けさせなければどうにもならないような状況なら、もうその国は、

とうに破綻しているよ。

さて。
人間の分断化は、なにもお年寄りばかりが標的ではない。例えば、

子ども。

学校給食をパチって、小さな政府↓
給食費未納に法的措置広がる 「学校給食立ち行かない」
法的措置……なんだそりゃ。
あんたら、なにさま?
義務教育の義務は親、国、自治体にあって、加藤優、お前にあるのは教育を受ける権利だ!って、金パチ先生も言ってたぞ。
そもそも給食費を取るのが間違ってるんだよ、なんのために税金払ってると思っているんだ。

イヤイヤ学校に行っている日本全国の子どもたち全員に、もれなく給食が行き渡るようにです(断言)。

私たちが生活の土台としている日本という国では、最近、えげつないまでの物価高の影響で、全国つつうらうらの学校給食が値上げになったり、値上げの検討をはじめているのだそうだ。
東京都内の状況は、保護者負担の値上げは八区二市二町村、値上げ検討の予定は七区十一市三町村、……へええ〜。
各自治体では、「献立の質を低下させる」「果物を小さくカットする」等々の工夫で対応しているとか。
お金がない中で、頑張ってるんですね。
って、おいまて、こら。

子どもたちはさして美味しくない給食を「美味しくない」とも言えずに残さず食べなくてはいけないうえに、さらに質を低下させて「工夫」とか言うな。

「学校給食が立ち行かない」なら軍事費けずれ。
そして、『(元)登校拒否系』さんとこの主張どおりに、

子どもたちの学校給食にビフテキだしなさい。

『給食費問題という極めて悪質な無法状態について反自由党のイメージガールから一言(画像あり)』

「給食費」「未納」でネット検索かけたら、また『(元)登校拒否系』さんにたどりついてしまった……。


=============================
給食は教育。

 だから教育がタダなんだったら給食もタダ。当然です。

 「ハイビジョンテレビが当たりました! 無料です!」というハガキが送られてきたことはないですか? 喜んで電話したら、リモコンは30万円だと言われます。給食費問題は、これと同じくらいふざけた話です。
=============================

アメリカの海兵隊員にタダ酒ふるまったり、高速道路タダ乗りし放題にしたり、家をタダで建ててやったり、家にタダでプールをつけてやったり、プールをタダで掃除してやったり、そういうのをやめただけで、給食はビフテキになる。
(*`ε´*)
ちゅうか、学校給食が立ち行かないのは、誰のせいだよ……。
かんべんしてくださいよ。
イシハラとハシモトのふたつでじゅうぶんですよ。
「人間」と「レプリカント」も分断化ですよ、デッカードさん。

話はどんどんそれて、本題がわかんなくなったけれど、『(元)登校拒否系』さんところに姿をあらわしたアナーキストの猫さんは、本当に素晴らしいです。
『夏への扉』の猫さんよりも、素晴らしい。
感動です。
本当に胸を打たれるヴィジュアルでした。
インターナショナル!



支援料という名前がついている(2008.6.25)



もっともな質問だ
   〜ホラー映画『バタリアン』〜


自分がほんとうに何者かを示すのは、持っている能力ではなく、 自分がどのような選択をするかということなんじゃよ
   〜J=K=ローリング『ハリー・ポッターと秘密の部屋』〜


生きとし生けるもののなかに汝自身の宿り住むことを知れ
   〜トルストイ『文読む月日』〜



「後期高齢者終末医療末期相談支援料を4月に請求した国立病院は一件もなかった」
そんな記事が、新聞の片隅に小さく載っていた。
最初の私の感想は、こうだ。
……長たらしい見出しだな。
(;^-^ゞ
ともかく、

「後期高齢者終末医療末期相談支援料」ってなんだろう?

さておたちあい。
まず、お医者さんが「こりゃ、治らないかもな。回復しないかもな」と判断した75歳以上のお年寄りの「終末期をめぐる治療方針」について、患者本人やそのご家族と医療機関が話しあう。話しあったら、その内容を書類にする。すると話しあっただけで、国から診療報酬が支払われる、という新しい仕組みだ。
話しあっただけで、診療だ。
ふーん。
患者さんと病院が話しあったら、国から病院にお金が出るのか、別にいいんじゃない?……と、ちょっと待て。

終末期をめぐる治療方針を患者側と医療機関が話しあうって、いったい何を話しあうんだ?

話しあっただけで、「小さな政府」から金が出るって、なんだ?
さあ、みんな、想像力を働かせどころだぜ。

「一休、一休!一休!」
「あわてない、あわてない……歩九歩九歩九(ポクポクポク)、チーン! ひらめいた!」
想像力とは、こういうふうに働かせマス。
(;^-^ゞ

冗談はやめてっ!

……ここに、後期高齢者終末医療末期相談支援料」とまったく関係のない、ひとつの記事がある。全く関係のない記事なのだが、ヒントが隠されている。
『非国民通信』さんの、『恥の意識を失うとは?』から引用。

==============================
イラン南東部で誘拐され、14日に約8ヶ月ぶりに解放された横浜国立大生の中村聡志さんが23日、父親の淳貴さんと一緒に外務省を訪ね、高村外相と面談した。

 外務省によると、高村氏は早期解放のためにイラン政府に何度も働きかけたことを説明。小野寺五典外務副大臣が解決時を含めて計4回テヘラン入りしたことなどを念頭に「日本政府が多大な時間と費用をかけて対応したことを忘れないで欲しい」と伝えた」
==============================

ほー。

「日本政府が多大な時間と費用をかけて対応したことを忘れないで欲しい」

のだそうだ。苦々しい口ぶりが、聞こえてくるようだ。
多大な時間と費用がかかったとしても、事件に巻き込まれた何の罪もない個人を救出することは、その人のみならず、社会全体の利益なのだ---と、私は考えるが高村さんは考えない。
わかる気がするよ、その気持ち。
さあ、想像力を働かせて、あなたもわかっちゃおう。
やだなー、日本は小さな政府なんだかんね。小さな政府、わかります? 見返りがないのに親切になんかしたくねえよ。しゃぶる骨もありゃしねえ。

「すべての人間的価値は貨幣の排泄物」

という道徳律を社会全体で共有して、私もあなたも、出ていく札束の枚数が気になってしかたがない。
さあシュプレヒコールはじめるぞ。
「自己責任! 自己責任!」

「こんだけ札束が飛んでいったのに、結果は、おまえが助かっただけだ」
※ビシッと、責めるような口調で言うのがアクセントのポイントです。
(^_^;)
……。
75歳以上の人々を対象にした、回復の見込みのない医療行為を、まずは「終末期医療」とひと括りにしてみようじゃないか。
そして、飛んでいった札束を数えてみようじゃないか。

「いちま〜い、にま〜い」
※恨みがましく数えるのがアクセントのポイントです。
(^_^;)
……。
さあ、札束を数え終った。
数え終った札束は、消えた札束で、これからも消えてゆく札束の枚数だ。
早急に改善すべき社会的問題点がそこに横たわっていると私たちは感じる。
早急に改善しよう。
75歳以上の「終末期医療」の患者さんたちと医療機関で、話しあってもらおう。
テーマは医療における「自己責任」だ。
話しあったら、文章にして、報告してくれたまえ。
医療機関には

「診療報酬」

を支払おう。
話しあっただけで、診療の報酬だ。よかったじゃないか。
ちなみに、その額は2千円だ。
(^_^;)

「後期高齢者終末医療末期相談支援料」

早急に改善すべき社会的問題が……。

 



暗黙の合意でオフサイド(2008.6.23)



「芸術のおけいこだけでなく、芸術内容を深く掴むことに努めて下さい」
  〜ベートーベン〜


「気がつきなさい子どもたち、目を覚ますんだ。君らが見ているのは幻想だということに。これは、多国籍企業という名のモンスターが作りだしたニセのおとぎ話だ……ハレルヤ!」
  〜ビリー牧師の演説〜


「無実の人間を監禁しないと存続できないようなら、そんな体制はこわれてしまえばいい」
    〜フィリップ=K=ディック『少数報告』〜


「インドネシアの女性は、生理中に2日間無給の休暇を取ることができるという成文化された権利を持っている。大半の女性は、衛生用品や鎮痛剤を買う金を持っていないからである。しかしこのような休暇を取ると、工場で制裁を受ける恐れがあるため、こうした権利を要求する者などほとんどいない」
  〜クラウス=ベルナー/ハンス=バイス『世界ブランド企業黒書』〜



良い映画紹介人(なンだそりゃ)、「弟」が最新良い映画を紹介してくれた。
ドキュメンタリー映画『おいしいコーヒーの真実



予告編を観ているだけで、ワクワクしてくるな!
いつものことながら、ほんと、弟さまさまデス。
あと、町山智浩さんのところで映画『アイアンマン』の紹介があがってまする。

軍産複合体について、表面をさらっと撫でる形で勉強できるアクション映画のようだ。
こちらの映画は私はおそらく観ないけど。
(^_^;)
さて、日記の本編。
「グアンタナモ米軍基地」で検索をかけていたら、ブログ、『(元)登校拒否系』さんにたどりついた。

『反自由党は「ビラ配布→逮捕→有罪」を歓迎する――はてなとmixiと秋葉原グアンタナモ天国の比較自由論』

内面化された奴隷根性

についての鋭い考察ですが、まあ、読んでみて下さい。
私は、

こういう論点を笑わせた過激なことを言うひと、大好き。

( ´艸`)ププ
「どうせわからんよ」
と突っ込みたくなる替え歌が飛び出すところなんか、戦慄さえ覚えるよ。つーか、密かにライバル視。


======================================
本来であれば平和で調和のとれた秩序があるべきなのに、現在の政府のせいでそれが貶められているなどと考えてはいけません。逆です。本来ならばガチンコで敵対しているべきなのに、「自由を保証する」ブルジョア法によってそれが曖昧にされているのです。
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======================================
だから、ビラを撒く平和な活動が不当にも暴力として裁かれたなどと驚いている場合ではありません。
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======================================
今回の判決により、再び好機が訪れました。やっと、共産党の凡庸なビラでもただ撒くだけで暴力になるようになったのです。そのうち、ビラを撒いていたら国家が消滅していた、なんてことになりそうです。
======================================

ぶっはは!
揚げ句の果てに、テラ豚丼ときた日には、論点が笑い過ぎで

こりゃわからんよ!

(^_^;)
しかし、事実は事実として、考察は考察として、コラム全体にかなりの感銘を受けつつも、思想的には隔たりのある箇所もあり、人間って多様だなあ。
(;^-^ゞ
いや、色々と考えさえられたし、自分自身をまず疑うことの大切さも再確認させていただいた。
身に覚えのあることもあるしね。

話が明後日に飛ぶようだけど、以前、奈良県下の会員制某映画鑑賞サークルでジャファル=パナヒ監督の『オフサイド・ガール』という鑑賞したときをふと思い出したよ。
『オフサイド・ガール』


「民主的プロセスを尊重するとは、つまり、こういうこと」

をコミカルに、しかし正面から描いた映画だったの。
ところが(会員は自らを民主的、進歩的、と標榜する方々が多数を占める構成だったのだが)これがどういうわけか、

某映画鑑賞サークル開設以来の大不評だった。

アンケート用紙には

「うるさい」
「やかましい」
「騒々しくて観ていられない」
「調和を乱している!」

こんな感想がどっと押し寄せたのだった。
う〜ぬ。

「市民による自発的な検閲」に抗う

女性たちの姿、行動が、うるさいと。反抗的だと。調和を乱していると。
ええ〜。
「いったいぜんたい、なんだこりゃ、と戦慄した」

というのが、正直なところだ。
某映画鑑賞サークルの会員ひとりひとりに訊ねて回ったわけじゃないけど。
おそらく、訊ねれば
「私は民主的プロセスを重視しているし、検閲には断固反対だ!」
って答えると思うし、このような問いが自分に向かって発せられたこと自体に、憤慨するとさえ思うの。
だからこそ、私は戦慄する。

「驚くほど効果的に沈黙させられている」と言ったのは、誰だったっけ?

ジョージ=オーウェルだったっけ?
チョムスキーだっけ?
なんにせよ、教育の成果だよな。
自由と反自由とスパルタカスに乾杯。



道徳と教育と(2008.6.21)



「日本のファシストが中国を侵略するにいたっては、その背景にあった美辞麗句は涙なくては語れないものになってしまいました。アジアの人々が協力できる地域を創造し、彼らを共産主義の「無法者」から守り、皆が平和と繁栄を享受できるように自らを犠牲にするつもりだったというのです。(略)
ところで、尊敬される知識人としてのありがたい特権のひとつが、発言を裏付ける証拠が必要とされない点だと気づいていましたか」
  〜ノーム=チョムスキー『すばらしきアメリカ帝国』〜


「この時点まで、おれはこの一件を病気か夢みたいなつもりで考えてきたと思う。ところが……」
  〜シオドア=スタージョン『シジジイじゃない』〜


「我々すべてが同じように考えるべきだ、というのはよくない。競馬が成立するのは意見の違いがあるからだ」
  〜マーク=トウェイン〜


「平時にあっては人を殺すのを罰し、戦時にあってはこれを命じる、といったような間違った道徳律のあり得ぬことを考えたら、動員を拒絶すべきだ! 戦争を拒絶するんだ!」
  〜ロジェ=マルタン=デュ=ガール〜



陸上自衛隊信太山駐屯地を訪問した大阪府知事の某ハシモトさんが、府庁職員は自分を律することが必要だとして、自衛隊の体験入隊を検討することを明らかにしたそうであります。

「自衛隊員のあいさつや姿勢などを学ばせたい」

と語ったのだそうであります、アイアイサー!
教育機関としての軍隊か、ああ、なるほど

『フルメタル・ジャケット』ね。

「口からクソたれる前にサーをつけろ!」
「イエッサー!」
だもんなー。関西弁まるだしの大阪府職員も、こりゃ挨拶や姿勢を学びまくりだぜ!
「マクドで茶しばくであります!」
「イエッサー!」
あいさつなら、まかせとけ!
映画『フルメタル・ジャケット』は、若者たちがバリカンでつるつるになるシーンからはじまるんだけど、あれは確かにすごかった。
だって、つるつる坊主頭の若い男たちが整然と並ぶ異様な美世界を堪能できるのは、軍隊を除けば、

禅寺か、はたまたエイリアンの卵くらいだろう。

まさしく「美の祭典」!
いやいや、『フルメタル・ジャケット』じゃなまぬるい!
気に入らないやつは軍隊に入れて性根をたたき直すということなら、

いっそ『人間の条件』かな?

(^_^;)
しかし、某どげんとせんといかん宮崎県知事もそうだけど、軍隊が好きだよなあ、最近の知事は。
思いのままに動く、兵隊が欲しいのかもな。
でもさ、素朴な疑問なんだけど、

軍隊という組織はまったく利益を出さない政府機関なわけでしょ(国体護持、つーからには、国じゃなくて政府機関だよね)

いや、もう、利益どころか、メンタマ飛び出るほどの巨額の税金を湯水のように使う、ド赤字部門なわけじゃない?
「利益にならなくても、別のところに利点を見つけられれば公共機関を存続させる」という価値観を徹底的に否定するのがいまの日本政府の方針だし、大阪府や宮崎県の方針でもあるのだから、研修うんぬんなんて呑気なことを言ってる前に、

自衛隊の大リストラ!

つう話になるのが自然なんじゃないかと。
あ、自衛隊は軍隊じゃないってか。
まあどちらにせよ、
「民間」ならとうに廃止されているんじゃないかなあ。
市場原理でグローバル。
「姿勢では飯は食えん」
「挨拶するなら金をくれ」
なんつって。

ちなみに、軍隊(自衛隊)というところは挨拶のほかに、人の殺しかたなども教えてくれるらしいです。
イエッサー。
こちらは挨拶と違って、他ではなかなか教えてもらえない貴重な技術であります。
ありがたや、ありがたや。

さて、話は変わって。
『紙屋高雪「マンガから聞こえるナショナリズム」[特別寄稿]』
という記事を読んでいて、のけ反った。
以下引用。


======================================
ぼくの住む福岡県の公立小学校の一部で実際に使われている道徳のテストを紹介しよう。

【問】正代さんの住む町は、歴史と伝統のある町で、文化財もたくさんあり、国内、国外からの観光客も少なくありません。また、「ふるさとの町をよくする案」の募集も始まりました。正代さんは、自分も案を出そうと思いました。正代さんは、いつも自分の町に対して、どのような気持ちでいるでしょうか。

ア この町が大好きで、ほこりにしている。
イ この町を特に好きでもないし、あまり守ろうとも思わない。
ウ この町の文化や伝統を、進んで守っていきたい。
エ 特にこの町を好きだとは思わないが、大切にしなくてはならない。

ちなみに各選択肢の配点は、ア=3点、イ=1点、ウ=4点、エ=2点。
昨年度は全国で38万の小中学生がこの業者のテストを受けている。
======================================

(^_^;)

道徳教育って、こういうことなの?
子どもの頃の私なら、この問いにこう答えたろうな。

正代さんがどんな気持ちでいるかは正代さんに聞くしかないと思う。

いや、まじめな話。
(;^-^ゞ
正代さんはこの世界でただ一度きり存在する、かけがえのない正代さんなんじゃないの?
なにが、「ア=3点、イ=1点、ウ=4点、エ=2点」だ。
たわけとる。
正代さんの内面は、正代さんのものだ。
けっして私のようには考えないだろうし、私の気持ちと同じ気持ちではないだろうし、モーツァルトやドストエフスキーやキュリー夫人とも違う。
正代さんが正代さんであるということは、とことんすごいことなんだぜ。

ああ、しかし、挨拶と姿勢をたたき込まんとな!

「愛国心」「郷土愛」を重点的に指導教育して、子どもの頃から挨拶と姿勢をどげんとせんといかんわけだ、日本国民は。
アイアイサー!

道徳教育、夫婦編!

【問い】正代さんは夫に対してどういう気持ちでいるでしょうか?
ア 夫が大好きで、ほこりにしている。
イ 夫を特に好きでもないし、あまり大切にしたいと思わない。
ウ 夫を、進んで大切にしていきたい。
エ 特に夫を好きだとは思わないが、大切にしなくてはならない。
「ア=3点、イ=1点、ウ=4点、エ=2点」
「愛」に点数をつけたり、指導したり、などというアホさ。
対象が誰であろうと、何であろうと、指導教育の名の元に、

正代さんの愛は社会の歯車の動きの中に奪われてしまい、

正代さんの手に残るのは陳腐な形式だけだ。
挨拶と姿勢ね。
(^_^;)
国歌は大きな声で歌いましょう、国旗は掲揚しましょう、婚姻届には判を押しましょう。
こんなのを道徳だのと言ってありがたがる前に、オレらは、もちっと内容というものを

疑ったほうがいいと思うよ。

ちなみに、紙屋さんは

「ナショナリズムの否定ではなく、「健全なナショナリズム」をつくりだすために、『ぼくらの』を読んで考えてみるのである。」

と結んでらっしゃるけれど、私は「健全なナショナリズム」というものをまるっきり信じていない。
バルトークや、前・日本サッカー代表監督オシムさんが言うような、地域主義は信奉しているけれど。
だって、健全、不健全と言うまえに、民族の違いや国境線というもの自体が、まったくの虚構でしかないわけで。
いま南米で起きている(中米にもひろがっているみたい)

国境を越えた支え合いネットワーク「ペトロカリベ」

に、私が注目しているのもそのためだ。
国境、国境、国境。
ナショナリズムつーのは、ほんと、健全であろうがなかろうが、ろくなもんじゃない。
ワシはそう思うよ。



ドゥダメル・パート2(2008.6.18)



「地域社会の責任であると同時に、共同の利益でもあるのです。個人としては「あの子どもが学校に行ったおかげで得をした」とは言えないかもしれませんが、社会にとっては利益になるのです。高齢者の介護についても同様です」
  〜ノーム=チョムスキー『すばらしきアメリカ帝国』〜


「トト、ここはカンザスじゃないみたいよ」
   〜映画『オズの魔法使い』〜


「どれだけ長い時間がかかるかについて知っていたとして、われわれは、1830年代に奴隷廃止論者、1870年代にフェミニストであっただろうか?」
   〜サム=スミス〜


「人間だけが赤面できる動物である。
あるいは、そうする必要のある動物である」
   〜マーク=トウェイン『間抜けのウィルソン』〜



先日紹介した、ベネズエラの天才指揮者・ドゥダメルの演奏は、いかかでしたでしょうか?
ベネズエラのチャベス大統領は、アメリカ軍基地を蹴りだし、「軍事予算」を思い切って30パーセント削減し、そのぶんまるまる

教育費に当てた

そうで。
おかげでベネズエラでは、文化・芸術の爛熟期に突入したのだそうであります。
わーお! 国防軽視ばんざい!

財源がないと言ってお年寄りの医療費をパチり、米軍再編の予算はたんまりこんと計上する、どこかの国とエライ違いだ!

(T△T)

そう言えばキューバは、軍事予算を50パーセント削って、そのぶんまるまる医療制度強化費にあてたそうで。

国際競争力アップを理由に労働者を派遣にし、法人税はどんどん減税にするどこかの国とエライ違いだ!

(T△T)

おまえはこのあと、
「財源確保のために、消費税率アップは致し方ない」
と言う。
「ウッ!」

( -_-)σ (ー.ー; ) うっ!

致し方ない国家、ニッポン!

ではここで、軍事費を削って作り上げたベネズエラの教育システムが生んだ天才・ドゥダメル指揮で、マーラー交響曲第3番の最後の部分をご覧下さい。



「おらあなんのために生まれてきたんだ」「歳を取りたくないよう!」「禅寺へ行け!」
とマーラーがさんざん騒いでのたうちまわったあと、突然思いもかけぬところから、壮大な神のビジョンが明かされる……とまあ、そんなふうに私はこの曲を聴いておるわけですが、ちなみに私は無神論者だ。
(;^_^ A
先日紹介したショスタコーヴィッチは、「虚栄のかがり火」という言葉を念頭に聴いてると、いい感じです。



---☆--


『good2nd』さんのところから、
『日本で暴動起きてるんですけど』

という報告。
たまげたなあ。
『good2nd』さんのいうとおり、

「チベット人住民を不当に逮捕して暴行したと言われる中国の警察と何が違うというのでしょうか?」

(^_^;)
そこんとこは、よーく考えたほうがいいと思うの。
こないだもさあ。
韓国の「アメリカ牛肉輸入反対デモ(♪狂牛病にはなりたくないよぉ〜)」(参加者100万人超え!)のテレビ報道を観た私の父が、

「野蛮で恐ろしいひとびと」

などと言い出して、私はびっくり仰天したわけだけど、いや、なんつーか、メディアの力というか、日本ってトコトン美しくて清潔で致し方ない国だよね。
(^_^;)
私はむしろ、韓国のひとびとの、ある種の楽天性、現実をふまえつつ未来を信じて動き出せる力がうらやましいとさえ思ってるのだけれども。
なので、おとうさま。
「テレビの○○もこう言っていた」
などと私を説得しないで下さいね。
(;^_^ A
そもそも私はテレビ陰謀論者で、テレビが言うことは、かたっぱしからまず疑ってかかる人間ですんで。

 



ドゥダメルのショスタコーヴィッチ(2008.6.14)



「出来る限り善を行い、何者にもまして自由を愛し、王座のもとであろうとも、断じて真理を裏切るまい」
  〜ベートーベン〜


「私は、選挙を通じて政権に就くという私たちの考えがどのようにして生まれたかを、百万もの場所で百万回も説明した」
  〜ベネズエラ大統領・チャベス ('-'*)


「貧困の問題に取り組むことを本当に決意しているのかどうか、すべての国民に問いたい。巨額の収入を再配分することなしには貧困問題の解決はできないからだ」
  〜アルゼンチン大統領・フェルナンデス 08.6.9 ('-'*)


「周りの国に勝手なことを言われ、何かむしゃくしゃしている時に、おもしろいことねえか、お祭りいっちょうやったろうじゃないか、オリンピックだぞ」
  〜某東京都知事 06.3 (^_^;)


「さあ、楽しい音楽の時間デス」
  〜二ノ宮知子『のだめカンタービレ』〜



結局、だらだらと日記は書くのである。
(;^-^ゞ
まあそれは置いておいて。
アメリカ合衆国の支配を離れ、独自の発展の道を歩みはじめている中南米地域の先頭を行くベネズエラの音楽教育システムが生んだ天才指揮者、

グスターヴォ=ドゥダメル


の映像をyoutubeに見つけた。曲目は『ショスタコーヴィチ交響曲第10番』
第2楽章。




次は第4楽章。



パワーとキレを合わせ持っているのに注目。ガンガン鳴らしているのに音が綺麗なのも、いいと思う。そして

この説得力!

ちなみに、この曲を作曲したのは、20世紀という時代と正面から向き合い、そしてその先を見通した偉大な音楽家ふたりのうちのひとり(もうひとりはバルトーク)、ショスタコーヴィチの名曲です。
ぜひ、再生してご堪能下さい。
チャペスの教育&文化に重視する姿勢と、政策が生んだ大きな成果だ。
企業が利潤を追求したら世の中はバラ色になる、と信じている私ら日本人が頼みの綱とする「民間」何を生みだしたろう?

船場○兆のおかみ?

ワ○ミの社長

(^_^;)
最後にもういっちょう。





--☆


日本で一番アクセス数があると言われている某個人ブログで、死刑反対派の(私のような)人たちに対して「人の痛みが分からない人たち」とした上で、

「レイプのために殺人まで犯したような凶悪犯罪の場合は、裁判などせずに、その場で射殺すべきだと思ってる。」

という記述があって、さすがにそれはないだろうと思った。
よそんちのブログに文句をつけるつもりはないけれど。
これじゃあ、方法論という点で、

KKK団と変わらない。

司法の頭を超えて社会正義の鉄建を下す。

「こんな事件にまで、またアホな弁護士軍団が組織されて、精神鑑定だ何だとバカバカしい時間稼ぎをして、何年もかけて裁判をやり、莫大な税金を使って被害者やご遺族を苦しめ続けるな!ってことくらいで、他には何も言うことはない。今回の犯人は、自分が死にたくて、それでも死に切れなくて、ヤケクソになって凶行に走った「自殺願望者」なんだから、こんなヤツに税金なんか使わないで、お望み通りにサッサと死刑にしてやればいい。」

日本の司法はダメダメの極地なのはそうだけど、だからって、司法制度をこんなふうに軽視する、というのは、違うと思う。

映画『ダーティーハリー』じゃあるまいし。

(^_^;)

自分たちは「裁く側」の人間で、犯罪は自分たちの外側からやって来る。

と考えているのなら、そんな世の中、おらあ暮らしたくないな。
『狼よさらば』という映画、観たことある? チャールズ=ブロンソン主演の。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD1313/comment.html
今回の秋葉原の事件で、『非国民通信』さんの意見が私のものとほぼぴったり重なるので、ご紹介しておきます。

Hallowed Be Thy Name

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もし自分の身内が被害にあったならば、犯人が厳罰に処されることを何よりも願う、それが当たり前だと信じ切っている人々は、実際の被害者にもそれを求めます。そこでもし被害者が厳罰を訴えなければ忘れ去られ、被害者が彼らの「当然」に同調すれば錦の御旗として祭り上げられる、これが死刑愛好家の言う「被害者の人権を重視」した結果です。本当は自分が「悪い奴」を罰したくてウズウズしているのに、その欲望を被害者の口を通して語らせようとしている、不誠実であり、卑劣です。
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かなりするどい考察だと思います。
『キャッチ22』と重ねるようにして光市事件判決を読み解くのは『(元)登校拒否系』さん。

メンヘルCatch-22――光市母子殺害事件、不当判決についての雑感

社会的にも文化的にも社会適応がまったくなっていない上に、どうしようもないバカである自分自身を自覚している私は、正気なんだろうか、どうなんだろう?



ずっと以前のことだった(2008.6.11)



「人々が相互に配慮しあうという考え方に根ざした計画を取り除こうとしているのです。互いに思いやりをもち連帯しなければいけない、街の反対側で暮らす障害のある未亡人がちゃんと食事ができているかどうか心配だ、という考えを、私たちは頭から消し去らなくてはならないというのです」
  〜ノーム=チョムスキー『すばらしきアメリカ帝国』〜


「枕に顔をうずめて、胸もはりさけるほど泣いた。「いったいわたしはどうなってしまったんだろう? 気をつけないと、そのうち何か大変なことをしでかしそうだわ」彼女はそう思った。やがて壁のほうに顔を向けて、やはりワインズバーグにも、孤独に生きて孤独に死ななければならぬ人間はたくさんいるんだという事実に、無理矢理自分を立ち向かわせようとした」
  〜アンダソン『ワインズバーグ・オハイオ』〜


「頂点、権力が位置する場所には、盲人が腰を下ろしている。自分の目を少しずつ曇らせてゆくことによってのみ仲間の上に立つことができる、そんなふうに世の中ができているからだ」
  〜シオドア=スタージョン『たとえ世界を失っても』〜


「あそこへ送り返さないでくれ! 力をあわせよう。ひょっとしたら最後には絶対的現実の底へ突入するかもしれん!」
  〜ダニエル=F=ガロイ『模造世界』〜



寝込んで本を読むのも辛く、ぼうとテレビをつけていたら……。

私が映画『タクシードライバー』を深夜テレビで観たのは、『ワインズバーグ・オハイオ』という薄っぺらい小説を読むずいぶん前のことだ。
確か、中学に上がったばかりの頃だった。

気をつけろとは誰も警告しなかった。

それ以前には西部劇かサスペンス映画しか観たことのないような私だったのに!
周囲の大人たちは、たかが映画だとたかをくくっていたのだ。母親は、魅かれたならなんでも観ろ、というふうだったし、父親は逆に映画や小説には全く興味のないタイプの人だったから、注意も警告もしようがなかったろう。
病院のベッドの清潔なシーツの上で暮らしている日々をのぞけば、私はいっかんしていじめられっ子で、友だちはいなかった。テレビ番組の何を観て、どの本を読めば安全なのか、同年代から知ることもできなかったわけだ。
だいいち、当時の同級生たちに危険について何がわかっていたろうか? “それ”が身に降りかかって、ぜんぶ終ってしまってさえ、何も気がつかない。たいていそんなものだ。私だってそうだった。
そうやって私も何もわからぬままに……。
シオドア=スタージョンのSF小説『コズミックレイプ』を読んだのは二十歳そこそこだった。事態はさらに深刻化した。そのずっと以前にヴォネガットの諸作品にも出会っていた。当時刊行されていたすべてのヴォネガットの作品を読んでいた。ラッセル=バンクスの『大陸漂流』、アーシュラ=K=ル=グウィンの『所有せざる人々』に出会うのは、もうちょっとあとだ。『ワインズバーグ・オハイオ』はたぶん、読んでいた。
あるとき、東京で
「こんな本は読むんじゃない」
と言われたことはあった。こんな本とは、フィリップ=K=ディックの『流れよ我が涙と警官は言った』だった。親切心というよりも、鼻で笑われるような調子だった。笑われたので反発して読んだ、というのはウソで、そのときすでに、私はディックの他の作品『高い城の男』『火星のタイムスリップ』などを愛読していた。しかし、

「こんな本は読むんじゃない!」

ともっと本気で言われていたら、どうなっていただろう?
それに、テレビの深夜放送で『タクシードライバー』を観なかったら? 大阪の旭屋書店でヴォネガットの『タイタンの妖女』を手に取らなければ?
もちろん、何も変わらなかったかもしれない。
実際、変わらなかった。ほとんど何も違わなかった。
なぜなら、先日、秋葉原で、無差別通り魔殺人事件が起きたからだ。
7年前、池田小学校児童無差別殺人事件があった日に。
ほとんど3日に一度くらいの頻度で凶悪かつ猟奇的な事件が起きるこの現代日本で、今度は秋葉原で無差別通り魔殺人事件が起きた。
『ワインズバーグ・オハイオ』のアリスが、思い切ったことをやってしまった! 『タクシードライバー』のトラヴィスも。また今日も! またここで!

「格差」と「孤独」

この大きな社会的病理と向き合わないかぎり、第2、第3、第4、第5、第10、第11、第12、第21、第22、第48、第49、第54、第55、第56、第60……のトラヴィスが引き金を引き続ける、と私が作品のメッセージの本質を正しく理解したのは、映画『タクシードライバー』のラストシーンを深夜テレビで観終った瞬間だった。
フィクションでありながら、あまりにも明白すぎる事実がそこにはあった。事実というよりも、むしろ常識の範疇に入るだろう。
だから事態はすでにとりかえしがつかなくなっていた。

マイケル=ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』は、フィクションに対する現実の応答であり、確認だった。

そのとき、世界はすでに21世紀に突入していた。
気づけば、

「みんなもっと仲良く助け合って暮らそうよ、そのほうがきっと楽しいよ!」

そんなヴォネガットの過激思想に私は染まりきってしまっており、抜け出せそうにもなかった。
理論もなければ組織化もされていない、やけっぱちで凶暴で孤独な、絶望無差別猟奇事件をテレビで確認しながら、これらの奇妙な残酷さがどこからやって来るのか、私は知っている。
だれも「この本は読むな」と言わなかったからだ。高校教師は、そのかわりに、毎朝新聞を読めと言っていた。しかし私は遂行せず……。
メディアや教育機関が望む“私”にも、それに、私自身がのぞむ“私”にもなれなくなってしまった。もう、とりかえしはつかない。

事件が起きた、人が死んだ、さあ大変だ、家族の独占手記だ、犯人の当日の足取りはどうだった、恋人はいたか、学生時代の成績は、友だちはいたか、ゲーム脳か、切れやすい若者か、裏サイトの恐怖、病院に通っていたのか、不安で道も歩けない、恐ろしい時代、心神喪失という逃げ道を許すな、沸き上がる義憤、警察は何をしていた、弁護士を糾弾しろ、学校が悪い、親が悪い、無関心な周辺町内会も問題だ、教育勅語を復活させてはどうか、天変地異だ、予言だ、血液型性格判断だ、衝撃の事実はコマーシャルあけだ、携帯が防犯グッズに、新しい情報、生の声、本紙だけに語られた真実!

事件に関係するありとあらゆるディティールを商品化して、骨の髄まで消費する、しかし言っとくけど7人の人間が死んだんだぞ!

しかし、わかりやすい、と言えば、確かにわかりやすく、だから、メディアを通じて喉越しよくどんどんと流れるようにわかってゆく。
わかったうえで、私たちは

厳罰主義や、市民相互監視社会の強化や、流れ作業のように続く死刑執行で対応することになるのだろうか。

なるほど、わかる。わかりやすい。共有されやすい。つまり、誰もが納得できる。
「死刑になりたかった」
「誰でもよかった」
「勝ち組はみんな死ねばいい」
そのような動機を持つ犯罪に対して、厳罰や市民の監視や死刑執行は

火にガソリンをぶっかけていることにならないだろうか?

しかし、一方で、収まりのつかない世論の怒りがあり、私たちにはゆっくり検証し考える時間がない。新しい事件、新しいニュースが流れ込んできて、そちらに対処しなくてはならないからだ。
事件を、恐怖を、不安を、生々しいショックを、規格化し方向づけたなら、許されざる犯罪への義憤や興味を商品化してゆこう。私たちは、

差し出された商品を吟味する暇すらないままに

新鮮なうちに消費し尽くす。
平面的に綺麗にならされて、すべてはテレビのナレーションで説明でき、紙面を読めばわかる。そんなふうに、紙のようにぺなぺなと漂う犯人像や若者社会の空気とやらを、さまざまな専門家やタレントたちが分析し、その分析結果を持って、もう一度震え上がって断罪して切り刻んで納得して新しい事件が起きて古い事件に飽きて……。
差し出された商品を吟味する暇もない、という状態に「常識」と名づければ、それがいま私が日々を過ごす地域社会の土台そのものだ。

要約すれば、「いつのまにか従順」で、しかも「致命的に不真面目」なのだ。

安全じゃない。
私の身に起こったこと。
なにもかもがまるで、サナギのまま石のように固く黒くなったカブトムシみたいに、ぽつんと、じゅぶんな大人になるのをただ待つだけの存在になってしまったみたいだ。
(^_^;)
事件が起きても、事件が起きても、事件が起きても、

どうして誰も真面目に犯罪防止を考えないんだろう?

私に関して言えば、『タクシードライバー』を観たときから、安全じゃなかった。
『ワインズバーグ・オハイオ』に出会うより、『コズミックレイプ』に出会うより、ずっと前のことだった。
危険にさらされて、私は自分の身に起きたことについて問う。

どうしてみんな、ひとを救いたいと本気で考えないんだろう?

私に関して言えば、『ワインズバーグ・オハイオ』に出会うより、『コズミックレイプ』に出会うより、ずっと前のことだった……。

 



*当然神話(2008.6.8)



「俺が聞かされた話はどれも似たようなものだった。違いといえば、解雇通知をもらって自殺したのがお兄さんか、年金基金がお釈迦になって命綱が切れたのがお母さんか、ってくらいのもんだ。こういうたぐいの話はいやになるほど聞かされたので、話の頭だけを聞けば最後までわかるようになっちまったくらいだ」
  〜マイケル=ムーア〜


「多くの街の本当に貧しい界隈に私たちが住み、働いていて、みすぼらしい小屋に住んでいる人々と親しくなった時に、驚いたことがあります。
それは、彼らが、飢えで死にかけていたり、裸で着るものがないときでさえも、彼らが第一に求めるのは、パンや衣服ではないということです」
  〜マザー=テレサ〜


いかなる敗北も当然の結果であり、ひとえに劣った主体の自ら招いた弱さのせいにされる。ネオリベラリズムの根本原理---利潤最大化、無制限かつ無規制の競争、商品交換の普遍化、土着文化の根絶---」
  〜ジャン=ジグレール『私物化される世界』〜


「働くことが楽しみなら、暮らしは素晴らしくなる!」
  〜ゴーリキー『どん底』〜



「大阪維新」(下品なネーミングだなあ……)でおなじみの某大阪府知事や、某行革大臣の発言、それを持ち上げるテレビのコメンテーターの話を聞いていてつくづく思うんだけれども、彼らはどうして「民間」と「公務員」を対立軸で語るんすかね?
報われない職場で過労死する公務員もいれば、形ばかりの店長職で一日23時間労働の残業費なしの過酷労働を強いる民間ファーストフード店や、裁判所から有罪を宣告されてなお有毒廃棄物を垂れ流し続ける国際民間大企業だってあるわけだ。
事実でしょ?
かたや、民間企業に勤めているしがないサラリーマン。
かたや、したっぱ公務員。
同じ労働者、

「こういうのはお前たちの仲間だろう」
「じぇんじぇん」
(↑缶コーヒー「ボス」の古いCMふうに読んで下さい)

ボスコーヒーのCM



先日、比較的民主的と考えられている某氏が、業績が悪化したんだから「民間なら給与カットは当然」って、テレビで言ってた。

ええ〜。
そんな当然が大手を振ってまかりとおるのが日本社会なら、おらあ、パプアニューギニアに亡命するわ。
そもそも、大阪府の経済破綻って、公務員の給料が高いからなんですかね?
別のところからだだ洩れしているのに、関係ない蛇口を閉めてもしゃーないんじゃないかね。
そういうとこ、ちゃんと検証して「当然」とか言ってんのかな?
民間の「当然」って、例えばこういうことでしょ?
『10年働くソルジャーが欲しい重鎮のホンネ』


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「だからこそとでも言いますか、IT業界の進化は工業化という形で進行し、「サルでもできる単純業務」と「責任重圧で死にそうな複雑業務」への両極化が進んでいるわけです。」
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(^_^;)

行革大臣とやらが、

赤字の公共福祉施設に向かって、ふたこと目には「民間では」「民間なら」と利潤追求をせまり、それを国民は支持する。
なんか、もっともらしく見えるヨナ。
(^_^;)
しかし、例えば、精神や身体に何らかのハンデキャップのある人たちや、老人介護、救急医療制度などなどにまつわる福祉事業などは、どうころんでも

赤字にしかなりようがないわけなんだ。

そしていっぽう「民間」企業という存在は、そのシステムの構造上、

絶対に利益をあげなければならない存在なわけだ。

行革大臣は「民間」は利益をあげてるじゃないか!と怒ってみせる。
逆に言えば、

利益にならないことには、いっさい手を出さない、それが「民間」なのよね。

老人介護税を導入し、「民間」が参入することで、老人福祉事業のサービスは無限に向上する、と言われていたけれど、実際はどうなった?
年寄りの世話なんかしていても、手間ばっかりで金にならないや、と気がついた「民間」はつぎつぎと手を引き、残ったのは税金だけ!
……「民間」が利益を出すのは、あたりまえだろ。
お金の面で損をしても、別の利点があれば存続させることができた、「公共」福祉事業ならね。しかし、「民間」は利潤絶対だからな。
「民間」と「私たち」をイコール結びつけることで、「民間神話」が成立しうる。
まあ、「民間」だろうが「公務員」だろうが、働きがいのない場所ですよ、この日本という地域は。
「職場にやって来ていきなり10年間は泥のように働け」と言われて、「業績が思わしくない」と判断されたら「賃金カットされて当然」って、

スパルタカスならとうの昔に暴動起こしてるよ!

仕事なんて、やらなくちゃいけないからダラダラやらかせばいいんだよ。
いや、私が言ってるんじゃなくて、日本という国の内部では、そういうことになってるんだよ。
「当然」らしいんだよ。
なんでもかんでも自己責任だから。自分の暮らしを守るのは、自分だけだから。
給料ぶんだけ働いて、他はなんもせん!
これでいこう。
「日本国内自分競争力」を高めて、生き残ろうな、みんな。
つーわけで、私は。
今日からしばらく、軽く寝込むことにします。
(;^-^ゞ
いや、あんまり働いていないんだけど、疲れちゃって。
もう辛いので、しばらく電池を抜いて動きを止めます。
ではでは。



役に立たないものだけ持ってきて(2008.6.4)



「前方へまっ直ぐ射ち出すために造られて、
 触ればひんやりと現実の感じがする鉄はごめんだ
 おれには美しい役に立たないものだけ持ってきてくれ」
 〜カール=サンドバーグ『戦争詩篇』〜


「経済を操作し、民主主義を破壊し、主権国家を転覆し、化学兵器や生物兵器で攻撃し、核汚染を引き起こし……あらゆるよからぬことを、しばしばメディアの眼前で行ってきながら、そして言葉と行動の間に大きな矛盾をきたしながら、世界の大衆からも社会意識を備えた人からも、断固たる批判を受けず、蛇蝎のごとく忌み嫌われることがないのはどうしてだろう?」
 〜ウィリアム=ブルム『アメリカの国家犯罪全書』〜


「あらゆる考えに心を開く一方で、証拠には厳しい水準を求めることが人々の第二の本性となったなら---どんなにすばらしいことだろう」
 〜カール=セーガン『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』〜



good2ndさんのところで、クラスター爆弾禁止条約に日本政府が同意(←しぶしぶ)したことについて新聞各紙を比較して下さっているので、リンクしておきます。
クラスター爆弾禁止条約への同意を歓迎する
しかし、産経新聞さんの

「日本侵攻阻止の切り札・クラスター爆弾が「即時全面禁止」になれば…」

つうのも、すごいねえ。
(^_^;)
それでいいなら、開戦の正当な理由とされた、イラクの大量破壊兵器だって、

「祖国防衛の切り札」

だったでしょうに。
ただ、自衛隊が保有しているクラスター爆弾と決定的に違うのは、

イラクに大量破壊兵器はなかった!ということだよね。

♪存在しない大量破壊兵器 なんくせつけられ
♪イラクは火の海ぃさ〜
♪湖上の煙〜
♪“ピンポイント爆撃”の 誤射に襲われ
♪逃げ出すことばかり考えてるぅ〜
♪湖上の煙〜

「だから最初から大量破壊兵器はないって言ってんのにぃ〜」(←フセインの幽霊の嘆き)。
(^_^;)

「クラスター爆弾は大量破壊兵器じゃありません!保有しても大丈夫!」

と言うかもしれないけれど、少なくとも無差別殺人兵器ではあるだろうし、そもそも、存在しないイラクの大量破壊兵器にいちゃもんつけたその口が言うか。
なんという傲慢!
大量破壊兵器だとか、そうじゃないだとか、言葉を玩んでマインドを腐らせるのが明治以降の日本の伝統なのかもしれないけど、よくないな〜、よくないよ、こういうの。

爆竹以上の破壊力のある爆弾はぜんぶ禁止!!

スッキリこう決めればいいんじゃないのでしょうか?
クラスター爆弾も手りゅう弾も爆弾は禁止!
大量破壊兵器の定義に悩まなくていいから、楽だろ?
クラスター爆弾が日本侵攻阻止の切り札、とおっしゃる新聞社には、あるロシア短編アニメをお薦めしよう。
ガリー=バルディンの古典的名作『conflict』!




侵攻阻止の切り札で、阿鼻叫喚地獄絵図。

(^_^;)
本当にまじめな話、これは、生死にかかわる問題なんだからな。
新聞読んでいる暇があったら、みんな、SFを観ろよ、SFを読めな。


--☆---



「未来なんてあるわけない」

というサブタイトルが素敵なブログ『非国民通信』さんから、『他人の犠牲を善行にみせるには』という記事をご紹介。
コイズミさんの「日本構造改革」から橋下某の「大阪を元気に!改革」まで、およそ今の日本で行われている改革論の本質をズバリと言い当てて、かなりはっとさせられた。
以下引用。

===================================
色々なところで、ものの順序が入れ替わることがあります。主客転倒とも言いましょうか。例えば、あの光市母子殺害事件の判決にもそれが見られました、従来は「他に方法がない場合に限り死刑にする」のが順序でしたが、それが「死刑を回避する理由がない限り死刑にする」との宣言があったわけです。あの裁判での最大の転換はここにあるように思ったわけですが、往々にしてこの入れ替わりは自覚されないまま行われてしまうものです。
===================================


===================================
「助かる人を最大にする」ために犠牲になれと迫る、これは純然たる脅迫ですが、より多くの人を助けるという大義名分がそれを正当化します。そしてこの脅迫が発生したとき、トリアージの考え方を内面化している人々は「助けられない人を捨てる」ことを善行として讃え、その脅迫に抗う人々を「助かる人を最大にする」ために殺そうとするわけです。
===================================


===================================
「助けられない人を捨て」れば「助かる人を最大に」出来るとの盲信もまた根深く、この場合は選別すること自体が目的となり、選別することこそが正義にすらなります。かくして(結果としてそうなったのではなく)積極的な判断の結果として国民なり住民なりに負担や犠牲を強いれば強いるほど、「助かる人を最大にする」英雄として祭り上げられる、それが小泉であったり、橋下であるわけです。
===================================

日本国を救うために、「あれを犠牲にしよう!」「これを切り捨てることに成功した!」と喜ぶ、奇妙なひとびと。

目的がずれてござる!

と指摘するテレビや大手新聞社もなく……。
日本全体が、国を挙げての発狂状態で、わしは、もう知らん。
(^_^;)

『殺人教時代』という記事もかなり面白かったので、こちらにもリンクを。
だああ。

神様って無差別大量破壊兵器だったんだな!

===================================
露骨な大企業優遇、弱者切り捨ての政策を掲げる政党や候補を低賃金層が支持するなど、こうした自虐的な選択が多数派を占めているが故に、多数派である貧困層には厳しく少数派である財界人には優しい、そんな政治が続いているわけでもあります。
===================================

まあ、キリストを殺せと言い放った民衆みたいなもので、自分たちが何をやっているか、わしらはぜんぜんわかっていないということなんだろうな。
ぶるる。
これからは、サタンを信仰しよっと。
エコエコアザラク、エコエコザメラク……。


 


 

ロード・オブ・ザ・市場経済(2008.6.1)



「今の私は物書きで、講師だ。今後も、自由と解放の課題を推し進めていくつもりだ。私が死ぬその日まで、やっていくんだ」
  〜マイク=グラベル政界引退『暗いニュースリンク』より〜


「テレビは非常に教育的なものだと思う。誰かがテレビをつけると私はいつも別の部屋にいって本を読むからだ」
  〜グルーチョ=マルクス〜


「この小説には、性格らしい性格をもつ人物はほとんど現れないし、劇的な対決も皆無に近い。というのは、ここに登場する人々の大部分が病んでおり、また得体の知れぬ巨大な力に翻弄される無気力な人形にすぎないからである」
  〜カート=ヴォネガット『スローターハウス5』〜


『ドラえもん』ののび太によると、人間はもっともっと積極的に昼寝するべきなんだそうだ。
なぜなら、

「寝ている間は人間は戦争できないから!」

……納得しちゃったよ。
(^_^;)
最近の私は、眠って眠って、眠りまくっているが、かなり植物的な形で人類の平和に貢献しているのだった……えっ、そんなのダメ?
(;^-^ゞ
目を覚ましていても、ろくな話はない。
テレビと大手新聞によると、「国民皆保険制度を維持するため」「老人福祉を充実するため」のお金がどこにもないのだそうで、
もはや、

「消費税アップしかない!」

んだそうだ。
ホ〜。
ケシカランゆるせんと政府を批判しているように見えて、いつのまにか増税の話になっとるテレビ、新聞。
恐いわ〜、マジ恐いわ〜。
そもそも消費税って、老人福祉を充実するために始めた税制なんだけど、消費税が導入されてから今日まで、わしらが国に収めた消費税は、だいたいのところ

189兆円。

ホギャア!

この財源泥棒が!

(^_^;)
さて、見直し案も出て、ごちゃごちゃしてわけわからんようになってきた後期高齢者医療の中身を、わかりやすく解説してくれているブログを見つけたので、ご紹介。

『後期高齢者医療がよくわからない』
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/34


====================
ルールというのは、それを「悪用」するやりかたを考えてみると、理解が深まる

削れる薬は全て削る。検査はもちろんやらない。「検査してください」なんて頼まれたら、「うちではできない」なんて突っぱねて、「検査をよろしくお願いします」なんて、 近くの大きな病院に、検査だけをお願いする。
====================

ひでえ。
(^_^;)
まあ、私は、代替案としてあげてらっしゃる「シンガポール方式がいい」とも思わんのだけれどね。
「正しさは市場に決めてもらったほうがいい」とも思わない。
つーか、

ぜんぶ市場におまかせした結果としての、この大混乱なわけなんだよな!

サブプライム・ローンから小麦値上げまで、市場におまかせして何もかもが大崩壊してしまったよね。
それに、「貨幣がもたらす秩序」というのもピンと来ない。
それは、私は、貨幣経済制度は必要悪と思っているような人間だからさ。
(^_^;)
たしかに、全市民をまとめて管理するのには「貨幣」は便利だろうし、それを秩序といえばそうなんだろうけど。
でもな〜。
この世界の価値をかたっぱしから貨幣化し商品化するってのは、無理があるんだよ。
そろそろわしら人類も、『指輪物語』のフロドの旦那みたいに、世界を統べる指輪をポイしなければならないときが来たんじゃないかと思う。
指輪の名前それは、

「利潤追求」

これですわ。
そして、市場経済システムは、どこまでも利潤だけを追求していくシステムなんだからして、現実にポイされるのは、市場経済システムそのものだと……。
だけど、この強大な力を、手放せないんだよねえ。わしらは。
「ゴグリ、ゴグリ、いとしいしとよ」
なんつって。
(^_^;)


--☆---



マイク=グラベルが選挙活動の継続を断念したとのニュースが。
「オバマ」と書いた箱にも「ヒラリー」と書いた箱にも、または、「マケイン」の箱にも、中には「ハズレ」しか入っていないんだけど、パッケージが豪華だからみんなそっちになびくんだよなあ。
(^_^;)
テレビと新聞で世界を知り、投票におもむかなければならないわしら有権者は

いつまでたってもマイク=グラベルにたどりつけない。

「今の私は物書きで、講師だ。今後も、自由と解放の課題を推し進めていくつもりだ。私が死ぬその日まで、やっていくんだ。」

(^_^;)
グラベルさん!あなたに神のお恵みを!




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