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国境、性別、時代を超えて
         名のないひとびとの声にこそ
(2006.9.11)

♪今日は何の日〜ぃ、ぷっぷくぷ〜〜♪
9月11日は、旅客機に乗ったテロリストが、乗客もろともニューヨークのワールドトレードセンターに突っ込んだ日だ。
9月11日は、アメリカ合衆国CIAが地元の軍と連携、チリのアジェンデ政権を転覆し、大量殺戮を始めた日〜ぷっぷ〜♪
どちらの9月11日でも、アメリカの大統領はこう言った。

「世界はより安全になった」

ワールドトレードセンターとペンタゴンが、航空燃料でごんごんと燃え上がってから5年。
アメリカの上院情報特別委員会は、イラク戦争における秘密情報をようやく公開した。
その情報書類の中味を、ひとことで言うとこうなる。

「イラク・フセイン政権とアルカイダは、よー考えると、関係ありませんでした。チャイ!」

(^_^;)

チャイって、あーた。
フセインは悪党だけど、それでも彼は、テロの首謀者であるアルカイダとは無関係だった。
この発表が何を意味するか。
対テロ戦争は、その大義名分とともに忽然と消えうせ、テロだけが残ったということだ。
国家的規模による政府転覆、破壊、殺人、石油略奪……。アメリカとイギリスと日本とその他もろもろの国々による、イラクに対する大規模テロだけが残った。
そうした事実は、しかし、CIAの極秘情報を待つまでもなく、当時から常識として一般には知られていた。
アメリカの上院情報特別委員会の報告書など待つ必要などどこにもなかった。だって、

フセインとアルカイダは犬猿の仲だったのだ。

しがない日本の一市民のワシだって、最初から知っていた。
フセインとビン=ラディンは完全に敵同士であったから、当時のイラクには、テログループの暗躍する余地はなかった。それは明白すぎる事実であり、包み隠されてもいずに、私ですらちゃんと知っていたのだ。
私のような漫画しか読まないような人間が、常識として当時から知りえていたありふれた情報に、アメリカの情報機関は、今日になっていきついた。
日本のテレビ、新聞はどうか? 舛添●一氏、久●宏氏、木●太郎氏らはどうか?

彼らの、ぼうぜんとするほどにお粗末な情報収集力が、日本の国益(企業利益)にどれほどの貢献をしたことか。

中東のひとたちなら、子どもでも知っているような情報にいきつくことが、日本のテレビや新聞には、永遠に不可能なのだ。
なぜなら、そうした真実は、国益に反しているからである。
イラクに傀儡政権を樹立し、石油はアメリカやイギリス、日本の企業が独占する。
今の先進諸国は、石油がなければなにひとつ始まらない。だから、イラクの石油をフセインからはく奪し、イラク国民からも取り上げることは、我々にとって最重要課題だった。
国際法が定義するテロ行為は、毎日、こりも終わりもせず、世界のどこかで起きている。

その首謀者は、断トツでアメリカ政府であり、その他の先進諸国だ。

わが日本も、その仲間入りがしたい。だから、日本国憲法を改憲してしまおう。
♪今日は何の日〜ぃ、ぷっぷくぷ〜〜♪
9月11日は、アメリカ合衆国がテロ攻撃を受けた最初の日として、特別な日なのだ。
アメリカ政府が行ったテロ行為は、ありふれたいつものテロでしかない。
例えば、チリのクーデターについて、南米の外側の誰が何を覚えているというのか。
国境、性別、時代を超えて、テレビや新聞がとりあげないひとびとの声にこそ真実がある。……しかし、聞こえない声は存在しないのと一緒なのだとも言える。
世界は今、まっぷたつに別れてしまっていて、ひとつの世界は、もうひとつの世界を無理を極めるようにして支える土台のような役目を話している。そして誰もが、首にシワを作りながら、懸命に上を目指している。

世界のあちら側では、自分たちを踏みつけているソックスにくるまった無数の足の裏を眺めるしか生きる手だてがなく、いっぽう世界こちら側では、誰もがクモの糸を探し求めるばかりで、他には何も見えていないのだ。

今日は何の日、明日は何の日。
地球人類にとって、9月11日はいつだって、ふたつの違った日付なのだ……。




-☆--


このようなブログ記事を発見した。
タイトルも

「政治にサッカー場を利用させてはならない」


「2階スタンドを政治団体に貸し切り。コンコースには選挙を控えた党ののぼりが翻りスタンドからフィールドに向けて議員候補の名前ののぼりが掲げられた」

「目先の売り上げのために、スタジアムを政治家の選挙対策の為に使用させたクラブの、かつて例を見ない暴挙だ」

Jリーグ・横浜F=マリノスのホームゲームで、某政治団体が某政党や某議員名の入ったのぼりを立て、拡声器を使って演説するなどの政治活動を行ったのだそうだ。
スポーツは昔っから政治に利用される運命で、オリンピックはその最たるものだろう。
今さら驚くようなことではない。
驚くようなことではないが、しかし、なんかもう、馬鹿くさくて、あほらしくて。
(^_^;)
このひとたちの言う美しい日本って、ワシ、ぜんぜんわからない。
……ムッソリーニの黒シャツ隊と、やることが不気味なくらい酷似していて、声なき失笑。
黒シャツ隊……すげえなあ。極まれる美。
美しすぎてごはんもノドを通らないよ。
日本は、ほんと、もうだめかもしれん。

 


*アヴェ式歌声喫茶でコガネムシ*(2006.9.9)

「アヴェシンゾウ青年親衛隊」と呼ばれる、美しい日本が大好きな自民党若手議員達が、暑気払いに銀座でぱーっとカラオケを歌ったのだそうです。
えーなになに?
「軍歌をうたいつぐ会」企画による

「8月15日靖国神社参拝後の唱和のための軍歌演習」

ですと?
軍歌! 演習!!
(^_^;)
ゲゲ〜。
銀座の飲み屋さんの入り口に日章旗なんかかかげて、当日は盛り上がりまくりだったそうです。月月火水木金金〜♪

「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところではないといけないんです。」

だそうだ。
カラオケ喫茶も、アヴェ親衛隊のみなさんにかかると、土着的民族主義指向で勇ましさ10倍増し&美しさ激減。

♪若い血潮の予科練の♪
♪七つボタンは桜に錨♪
♪今日も飛ぶ飛ぶ霞が浦にゃ♪
♪でっかい希望の雲が湧く♪

こっちは暑気払いどころか、

おっかなくてサムイボたちまくり。

「伝統と創造の会」みなさんにとっての伝統と創造って、酒飲んで軍歌を歌って、「『祖国に何かあれば後に続きます』と誓う」ことなんだなあ。
実にすげい。
いっそのこと、ワーグナーでもガンガンかけてりゃ良いんじゃなかろうか。
カラオケなんてしけたこと言わずに、『地獄の黙示録』みたいに、バーっと戦闘ヘリ飛ばす演出で。最後にナパーム弾落として、「勝利の匂いだ」って、キルゴア大佐のキメぜりふを言うのだ。
いや、方向性はこれでオッケーでしょ? 軍歌を熱唱している皆さんの脳裏に浮かんでいる絵は、これと似たり寄ったりでしょ?
あ、ワーグナーは日本の伝統音楽ではないか。
しかし、日本の美しい伝統音楽が、軍歌ってのも、どーよ?
(^_^;)
実にビューティフルな美的センス。
美しい日本、民族の誇りをとりもどすぞ〜と。

♪そうだ すすめば 盛りあがる♪
♪凱歌 凱歌あかるい 大アジア♪

しかし、実際の戦争になったら、アヴェさんもその親衛隊も、けっして前線にでないんだな。

せっかくの軍歌好き、祖国好きが実にもったいない。

アヴェさんや親衛隊の皆さん自身、「伝統と創造の会」のメンバーは勿論、その親族だって、けっして戦場には出ていかない。いや、迷彩服着て、空気銃持って

静岡あたりの野っ原でBB弾撃ったりはするんだろうけど。

いや、まじで、戦争ごっこは好きな人いるのだそうです、親衛隊には。
(^_^;)
軍歌数多くあれど、彼らの歌っている歌の内容は、ひとつっきり。子どもも知っている、あの歌だ。

♪コガネムシ〜は 金持ちだ♪
カネ蔵た〜てた 蔵建てた♪

戦争ほど儲かる商売はないから、酒飲みがら思いを馳せるのは、戦争が生みだす巨万の富のことばかり。
ああ、金銀財宝のなんとまばゆいことか。
美しい。
(お金に反射する光が)美しい日本。
眩しい光を放つ(お金を独占しほうだいの)日本。

♪ここはオクニの何百里♪
♪離れて遠き満州の♪
♪赤い夕日に照らされて♪
♪友は野末の石の下…♪

実際の昆虫の黄金虫は、カブトムシやスズメバチにいじめられつつ細々と生きている虫で、どうころんだって蔵なんて建ちようがない。
実はこの歌の中に出てくるコガネムシとは、チャバネゴキブリのことなのだそうだ。
……弟に教えてもらったんだけど。
(;^_^ A
昔々は、家にゴキブリが住み着きようもないほど庶民は貧乏で、爺さん婆さんを山の中に捨てているような有り様だった。しかし、将軍様の城とか、お代官様の屋敷には、食料が蓄えてあるから、チャバネゴキブリが住み着いたわけだ。
昔々は、ゴキブリって、お金持ちの象徴だったんだね。

♪チャバネゴキブリは 金持ちだ♪
カネ蔵た〜てた 蔵建てた♪

う〜んサイコー。

アヴェ式古き良きニッポン復活で、国会議事堂はコックローチでいっぱいだあ!


(^_^;)
まあ、選挙のとき、投票するわしらが悪いんだけどな。
議会制民主主義の最大の欠点は、票はお金で買えてしまうというところにあって、ようは、

目先の金のことしか目に入らないワシらの脳みそ具合が問題なんだよ。

美しい日本でたんまり金儲け。
「平和を願い真の国益を考え靖国参拝を支持する若手国会議員の会」
「日本の領土を守るために行動する議員連盟」
「海外派遣自衛隊を支援する国会議員の会」
エトセトラ、エトセトラ。
ぼーぜん。
「ぎゃー!もうおしまいだあ、戸棚の裏側は、コガネムシの卵でいっぱいだ〜!」
もはや、軍歌以外の音楽なんて、聞こえてきやしない。


♪痩せた年寄りは 責めるように♪
♪私と日本に 目を背ける♪
♪でも……♪
♪その次を教えてよ……♪
♪少しの英語だけが あなたとの掛け橋なら♪
♪淋しすぎるから♪

ユーミン・『スラバヤ通りの妹へ』

どうしても歌が必要だというなら、日本の国歌は、この曲にすればいいと思う。
理想はお金を生み出さないから、美しい日本(の貨幣)大好き青年の会のみなさんたちは、興味を示さないでしょうけど。
……この国、まじ、歴史から何も学ばなかったんだなあ。
政府与党が「美しい国」「民族の勝利」なんて言い出したら、ほんと、ろくなことない。
美しい国の気高き民族の子孫である子どもたちの人生は、まるごと台無し。




*『ボウリング・フォー・コロンバイン』テレビ放送情報*(2006.9.5)

バタバタしているので、とりあえずご報告だけとさせていただくが、NHKのBS2で、マイケル=ムーアの映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』を放送するようだ。日付は9月6日、水曜日の午後8時からだそうだ。

ヨシ!

筋金入りのテレビ陰謀論者である私だが、こういうニュースは、嬉しい裏切り(笑)というべきであろう。
まったく観ないテレビの受信料を、毎月せっせと払っているカイがあるというものだ。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』を放送するのは、できあいの映画をただ放送するというだけのことではあるだろうけれど、

国家的規模の改革オレオレ詐欺の片棒を担ぐよりはぜんぜんまし

だろう。
(^_^;)
アベシンゾウなにがしという人物が、例によって、「美しい日本」などという内容の無いイメージ言葉を吐き散らしている。その言葉のイメージが持つさわやかさや、ぼんやりとした明日への希望のようなものを、テレビがガンガンと視聴者の脳みそにすり込む……、それだけが放送局の仕事ではないのだ。
それに、『ボウリング・フォー・コロンバイン』は傑作中の傑作映画だし、毎度毎度傑作、傑作と馬鹿じゃないかと揶揄されようが、本当に傑作なのだがら傑作としか言い様がないし、実際のところ、“改革詐欺よりまし”どころではない。
チャップリンの『独裁者』が当時そうであったように、21世紀のいま、人類共同体にとってもっともさしせまった問題について語り、または、世界人類を啓蒙しようとしている映画作品のうちのひとつなのだ。
人類共同体ぜんたいの公共の財産を世界企業が食い散らしていく。日本などという小さい枠組みを超えて、地球全生命体の共同の資産、もしくは生命体そのもの、空間、時間、その他ありとあらゆるものを商品化していく、いわゆるグローバリゼーション。
そのような世界企業のさまざまな犯罪的行為を、日本の政府は、「痛みに耐えて」容認する。
なぜ、政府は、企業の横暴をコントロールしないのか。するわけがない。

すべては、途方もない額の政治献金と引き換えだ。

そのような、あきれ返るほど単純で、破壊的なシステム全体を「美しい日本」、「美しい日本人」「誇りある祖国」などと希望に満ちたイメージ言葉で言いくるめて、それを、教育だの啓蒙主義だのと主張するのが、最近の日本の指導者たちのお仕事だ。
そして、その言葉にはまったく内容が無いからこそ、非の打ち所も見つからない。
アドルフ=ヒトラーの公約は、なんだと思う?

「千年王国」だ。

(;^_^ A
ぴっかぴっかの未来、千年ものあいだ続く栄光。
他愛なくて、わかりやすくて、実に馬鹿げたイメージ言葉。
そして、私は、何を隠そう、がちがちの啓蒙主義者である。進んで教育されたいのである。
しかるに、テレビから聞こえてくる言葉は、
「構造改革」「美しい日本」「うまく機能していない戦後民主主義を否定し、そこから日本民族の誇りを取り戻す」エトセトラ、エトセトラ。
すべからく

詐欺師の口車の域を出ていないのであった。

「うまく機能していない戦後民主主義」って、「戦後民主主義」の機能を停止させたのは、他でもないあんたらでしょうに(民意が極限にまで反映されない小選挙区制などを導入したりな)。
(´▽`;)
詐欺師はウソをつくのが商売だ。私たちをだまして、収入を得ている。ウソをついていいのなら、私たちを安心させることは、そう難しいことではない。だから、詐欺師たちはそうする。そして、私たちは今日も、架空の現実の内部でかろうじて幸せなのだった。
複雑で混とんとした時代、とテレビは言う。
ウソだ。いまこそ単純な時代だ。
こっけいなまでに過剰で、わかりやすくて、うすっぺらで、ちっぽけ。
君は孤独で、君のようなことを考えているのは世界中で君ひとりで、君は個性的でなければならず、何かを成し遂げなくてはならず、闘わなくてはならず、消費活動に満たされなくてはならず、不安を感じ、絶えず欲求不満で、なおかつ幸福にならなくてはならない!
宇宙広しと言えども、これほど狂った教育を自分たちの子孫にほどこしている生き物は、まあいないだろう。
こういう馬鹿げた社会システムは、星一徹のちゃぶ台よろしく、おもむろにひっくりかえしてしまえ! しかも、笑顔で(笑いを失ったらいかんよ)。人間どうし手をとりあって……。
長くなったが、

『ボウリング・フォー・コロンバイン』はこういう映画です。

(;^_^ A 本当に長すぎ。
私は、『ボウリング・フォー・コロンバイン』のデラックス版のDVDを

2組も持っている(←なぜ?)のだ

が、この傑作映画をまだいっぺんも観たことがない、という実にかわいそうなひとのために、念入りにお知らせしておく。
と、気がついたらずいぶんな時間、日記に逃避していた。
(^_^;)
部屋を軽く掃除していると(←これも逃避)、古いメモ用紙が出てきた。捨てようと思ったが、何か書いてある。
「コマオ」
「ミヤネオ」
なんだろう?
一瞬だけ考えて、それから思い出した。
韓国のDちゃんが遊びに来たとき、「ありがとう」と「ごめんなさい」の韓国語の発音を真っ先に聞いたのだった。
彼女が発する言葉を、カタカナ表記で、メモしたものだ。
「コマオ」、と私の耳が聞いた言葉は、ありがとう、だ。
「ミヤネオ」は、ごめんなさい、になる。
彼女が滞在中には、たっぷりと「コマオ」もしくは「ミヤネオ」を発することになるだろうと思っており、だからこそ真っ先にたずねたのだが、Dちゃんが日本語ペラペラだったため、

ぜんぶ日本語の「ありがとう」、「ごめんなさい」でことたりてしまった。

というのが、一応オチだ。
(;^-^ゞ
「コマオ」……ありがとう。
「ミヤネオ」……ごめんなさい。
一度でも、韓国語で「コマオ」って言っておけばよかったと、今にふとなって思う(「ミヤネオ」は言わずにすますことができたら、それにこしたことはないだろう)。
日本人相手に「コマオ」って言っても、しゃーないからね。
(;^-^ゞ
そして、「コマオ」は、心からの感謝の気持ちを三文字に込めて、笑顔で言うのが正しいのだ。
そうなのだ。
「ありがとう」「ごめんなさい」が適切な場面で言えて、あとは「さようなら」の意味の重ささえ私たちがキッチリ理解していれば、

美しい日本くらい、いつでもできるよ。

うん。
社会を形成しているのは人間の心だし、結局のところ、モラルってそういうものだろ?
少なくとも、美しい日本、程度のことならば、これでじゅうぶんなはずだ。




*コイズミさんのやり残したこと(もう充分だろう)*(2006.9.4)

思いのほか……というか、思った通り作業がはかどらずにおります。
こういうときに限って、日記が無性に書きたくなるのはどういうわけだろう?
(;^-^ゞ
しかたがない(←?)ので、のだめ印のマングースぬいぐるみの画像をアップします。


まあ、あの“極悪非道☆諸行無常☆公共の概念は風の前の塵に同じ”構造改革旋風を巻き起こしたコイズミさんでも、やり残したことがいっこだけあるそうで、それを聞くと安心できますね。
いやもう、


心の底からよかったなあと。

ちなみに、コイズミさんは、教育改革をやり残したのだそうです。
ありがたいことです。
教育改革をやり残していただいたおかげで、子どもたちはかろうじて命拾い。いや、皮肉でも何でもなくて、もう少しで命を失うところだった。北朝鮮か、中国か、イラクかイランか、はたまたアフリカの聞いたこともない国か、いずこで果てることになったやら。
ありがたや、ありがたや。ナンマイダブ、ナンマイダブ。
日本人だけが幸せになれ(本音は世界中の金持ちだけが幸せになれ)式教育改革なんてやられた日には、日本中の親達は、亡命でもやらかすしか手が無いわけですから。

ちゅうか、これ以上、日本国を荒廃させてどーすんだ、と。
(;^_^ A

えー。
さてと。
またこれから、ねちねちパソコンの前で作業します。
私はこんなにがんばってんだよー!と言いたいので、ここで言ってます。
(^_^;)
……う〜ん。もう5年以上ウシのお肉を食べてないのに、どうにもこうにも頭の回転が鈍くて。
どうしてだろう?
5年前以前は、3日にいっぺんは牛丼食べてたからな。
手遅れだったのかもしれん。
プリオンの大量摂取していたのかも。
あ、そうそう、関係ないけど、『神戸在住』の最終巻はいつでるんでしょうか、誰か知ってます? あふたぬんで連載が終了してからだいぶになるんですけど。
すみません、わたくしごとで。
そう言えば、林檎社が、旧MacOSと古いマシーン(G3ほぼ全滅)のサポートを切り捨てるとか言っておりますね。
あの美しい革命の炎が消えた。私は、あのカリスマ詐欺師CEOを、一生をかけて呪い続けるであろう。
ほんとうにすみません、すみません。わたくしごとで。
今年の夏は、この夏最高の傑作映画との呼び声の高かった『蟻の兵隊』も観にいかず。気がついたらもう9月。
ああ、秋にはどうして木の葉が散るの。
トレビあーん、サルボボーン。……やけくそ。



プリオンの確率(2006.8.29)

BSE(牛海綿状脳症)、いわゆる狂牛病が発病するかどうかは、遺伝子によって決定されるのだそうだ。
例えばアメリカ白人さんなどは、BSE罹患牛の延髄を体内にとりいれたとしても、全体の70パーセントのかたがたは、けっして発病しないのだそうである。
つまり、70パーセントの方々は、感染牛のお肉をいくら食べても大丈夫なのである。
どういう理屈なのかは勉強していないので知らない。ともかく、アメリカ白人さん全員にBSEまみれの血液を輸血しても、アメリカ合衆国の人工が30パーセント減るだけですむらしい(←本当はおおごと)。
ちなみに、一度BSEが発病すると、発病者が一年以内に死亡する確率は

100パーセント

である。
したがって、かっきり30パーセントだけ人工が減る理屈なのである。
……致死率100パーセントとは、完全に、間違いなく死ねるということだ。自殺したいヒトは、アメリカ産の骨付き牛肉を食するがよい。
潜伏期間が長いのが難点だが、発病したが最後、致死率100パーセントなのだから、1年以内にかならずあの世に行ける。全世界のお医者様、学者様たちの保証付きだ。
しかし。
かならずあの世に行けると言っても、遺伝子次第では、狂牛牛の肉を食べようが骨を食べようが、アメリカ白人の70パーセントは発病できない仕組みになっているのだから、狂牛病で自殺を企てるヒトは、計画遂行の前に、まず自分の遺伝子構造を調べておく必要がある。
問題は、遺伝子なのだ。
そこで、われら日本人の自殺志願者としては、にわかに自分たちの遺伝子が気になってくるはずである。
さて。結論から先に言うと、日本の自殺志願者のかたがたには、朗報である。
私たち日本人の遺伝子を調べたところは、アメリカのヤンキーどものような軟弱かつ微妙な感染率ではなくて、国民全体のなんと

97パーセント

が、感染可能な遺伝子を保有しているのだそうだ。

こりゃ、国が滅びるな。


で、今日のニュースだ。

すかいらーく 米国産牛肉を来年以降使用

(;^_^ A
    (;^_^ A
        (;^_^ A
    (;^_^ A
(;^_^ A

米国産牛肉は99.4パーセントは安全だ。安全なので当社も使用する」
って、スカイラークの会長様は実に面白い計算をしているなあ。
つまりこういうことでしょ?

来年以降「すかいらーく」でステーキを食べると、167人に1人の割合で狂牛病になる可能性がある。

どひー。
まあ確かに、ロシアン・ルーレットだって、リボルバー拳銃の弾倉に玉が1発しか入っていないわけで、

83.3パーセントは安全だ

という言い方だって可能なのである。
ちゅうか、よく暴動が起きないよなあ。
(;^-^ゞ
私は、和牛であろうがなかろうが、けっして牛肉を食べない、と心に決めているので、「スカイラーク」がどうあろうが、個人的には関係がない。
しかし、牛肉を食べなかったら脳みそスカスカ狂牛病にならないかというと、そうもいかないのが大問題だ。
今朝服用した腸のカプセル薬。このカプセルには、牛骨粉が使われているかもしれない。
思わず薬を喉に詰まらせて、ぎゅう、こっふん! こっふん! なんちて。
(^_^;)
インスタント食品の味付けに使われているかもしれない。
こないだ指を切ったとき3針縫ったけれども、この糸にも牛骨粉が使われているかもしれない。
チキンスープの素は、実は牛骨粉に化学調味料をまぶしたものかもしれない。
外食で食べたポテトスティックは、牛骨粉がまぶしてあるかもしれない。
健康食品にも牛骨粉、化粧品にも牛骨粉。成分表示にゼラチンと書いてあれば、まず牛骨粉だ。
もうこうなってくると、脳みそスカスカにならずに一生を終えるほうがむずかしい気がしてくる。
痛みに耐えて、構造改革。
社会構造の激烈な変化と、「公共」という概念の喪失。
それが、人間共同体にとっていかに危険なことであるか、この神経症的な日記の中で私は、ビービーと羽虫の群れのような音を立てて告発してきたわけである。
告発! なんという堅苦しいひびき!

「断固拒否する! 断固拒否する!」

しかし。
完全に機能不全に陥った社会のただなかで、あれにあらがい、これを拒否しようとしても、結局は、プリオンを体内にとりいれざるをえないのだった。
会社立国ニッポンにおける、これが平等の定義である。

 


*『カラスヤサトシ』生きる悲しみ*(2006.8.28)

カラスヤサトシせんせの作品が、ようやく一冊の単行本としてまとまった。

カラスヤサトシせんせの漫画を読めるのは、漫画雑誌『月刊アフタヌーン』誌上だけ、本当にそこだけ!

という状況に、ようやく終止符が打たれたのだ。
一冊の単行本、まるまる、カラスヤサトシせんせの漫画作品である。
どのページを開いても、彼の4コマ作品が印刷されている。
1ページに2作品ずつ、見開きで4作品のカラスヤサトシが、目の前に広がる。
『月刊アフタヌーン』読者のページの穴埋め漫画というあつかいで、ほそぼそと続いていたカラスヤサトシせんせの四コマ作品群は、漫画雑誌に「掲載」はされていても「連載」されていたわけではなかったから、彼の漫画作品にはタイトルがない。
しかし、一冊の本として発行されるにあたって、タイトルがないなどということはありえないから、作品の内容を表すようなタイトルが、この単行本のために作りだされた。
付けられたタイトルは、そのまんま。『カラスヤサトシ』
しかし、私は、この日記でも何度も書いてきたように、生きる悲しみ愛好家だし、だからこそ、カラスヤサトシせんせの漫画作品を毎月切り抜いてはスクラップブックに保存したりしていたわけだけれども、かといって、一冊の単行本まるまるカラスヤサトシなどというぜいたくを受け止めきれるほど心が強くないのだった。
ヘミングウェイの短編小説などは、1ページ読んだだけで、辛くて読みすすめることができなくなるようなものがあるが、そういうのとはまた違う。

カラスヤサトシせんせの作品を読むという行為は、恋に似ていて

感覚器官がショックを増幅して心に伝達してしまい、生きる悲しみと歓びに息を殺して耐えるような、そんな塩梅の読書体験になってしまうのだ。
単行本に収録された何十作という作品をいちどきに心に流し込めば、私という容器からもっとも大切なものがあふれて、どこかに流れて永遠に消えてしまうような不安にかられるところなどは、実に恋に似ている。
むろん、感激屋の言うことはあてにならないと昔から相場が決まっているし、それが、4コマ漫画でこれだけ大騒ぎする人間となると、いよいよもって怪しくなる。
(;^-^ゞ
カラスヤサトシせんせは、新しいものを買って袋から出す瞬間がとても悲しくて仕方がないという。
「なぜだかわからないけれど とても悲しい」
という彼の独白には、生きることの本質的な真実が、ずっしりとした重量感とともに、まるごと込められている。
新しいものを買って、いそいそと帰宅し、しかし封を開ける瞬間が悲しくてしかたがない、という言葉の、何というリアルさ! 

心を持って世界と対峙している自分を確認する瞬間の不思議な高揚感。

生きる極意とは結局スポコンにあるのかもしれないけれど、それだけじゃあ悲しいと思う私は欲張りな人間なのだ。
夕焼け空に帰宅するスズメたちのさえずりや、どこかの家庭の夕飯の匂いや、脱ぎっぱなしの子どもの運動靴などという日常のありきたりのシーンのなかに、普段は気がついていない何かが隠されているのではないかと子どもの頃の私はいつも疑っていたし、戸惑いを覚えるほどに圧倒的な悲しみや、不意打ちのせつなさや、この日この瞬間が二度と戻ってこないことへの恐怖、それから、それから、これはやっぱり歓びとしか呼べないものが、人生には隠されているのだと思うのだ。
そんな私は、

《ヒトコマ目》
「私が人生で一番
 驚いたこと
 それはある日 風呂屋に行った
 ときのこと」

という、ある四コマ作品のヒトコマ目を見ただけで、生きる悲しみに心が揺すぶられて、頬を涙で濡らしてしまう。
また、

《ヒトコマ目》
「私はスーパーのオリジナルテーマ曲が好きである
西友のセゾンカードの歌や
いなげやの歌など聞くと
思わず涙ぐむほどに」

などというような書きだしには、まさに胸がかきむしられるような気分になる。
ともあれ。
カラスヤサトシせんせの漫画は、アン=タイラーの小説や、山田太一先生のテレビドラマなどとならぶ、生きる悲しみの一大ブランドである。
毎月ごとハサミで切り抜いて保存してきた彼の漫画作品が、とうとう一冊の真新しい単行本となって、私の手元にある。
一冊まるごとのカラスヤサトシを、まるまる所有する歓び。
まさしく、念願かなって、

ページをめくる悲しみをやりすごすすべもなく

床の上をもんどりうちながら1ページずつ堪能しているところである。
生きる悲しみのなんと素晴らしいことか。
……。
生きる悲しみがまだちゃんとそこにあるから、私は生きていける。
(^_^;)
多発した自動車メーカーの事故も、エレベーターの事故も、ガス給湯器の事故も、プールの給水管に子どもが吸い込まれた事故も、みんな外部の下請け会社の責任だとテレビがいう。
先進諸国の内側のひとびとが大好きな「外部性」というやつだ。
企業が背負うべきリスク、個人が背負うべきひとりぶんの生きる悲しみを、社会的弱者にまるなげしてしまうという、日本構造改革が生んだ新しい社会システムと、その社会システムが生みだした新しい人間の心のありかた。
しかし、生きる悲しみを手放した時点で、

もはやそのひとは人間じゃない。

もちろん、マッチョな【狼は生きろ豚は死ね改革派】からしてみれば、私のようなメソメソだらだら人間こそが、ひととはとうてい呼べないやからなんだろうけれど。
それでもいい。
人間が近づくのを感知してエイリアンの卵が目覚めた(笑)ように、私も『カラスヤサトシ』を愛して、心が動き出してしまったのだ。
ああ、悲しい。
(^_^;)
しかし、この単行本のタイトル、『カラスヤサトシ』はいいとして、

どこにも第1巻と記されていないのはどういうことなんだろう?

(;^-^ゞ



*均衡がくずれてあっちもこっちも*(2006.8.23)

地球上の全生命活動を維持するためのシステムの根幹がぶっこわれたかのような猛暑が続き、アメリカ合衆国だけで数百人規模の死者が出ている模様。ヨーロッパでも大量の死者が出ているらしいし、この日本でも以下同文だ。
すでに夏バテどころではない。
炎天下でぼうっきれ振り回している高校球児たちの健康が気が気でなかったよ。
(;^-^ゞ

外出するたび、鍋の中でゴトゴトとゆでられているゆで卵の気持ちが、すっごくわかる気がする今日このごろだ。夜は夜で熱帯夜で眠れず。
かと思えば、 ヒートアイランド現象で、じゅうたん爆撃のような雷雨。道路がボコボコになるほどの雷から逃れて地下鉄駅に身を潜ませても、今度はプールをひっくり返したような雨に、地下鉄に乗ったまま水死しかねないようありさまだ。

気がつけば、地球は実にハードボイルドな惑星になったんだなあ。

子どもの頃、ゆで殺された石川五右衛門親子の断末魔の声を想像して、数日間続けざまに寝小便をたれた過去を持つ私は、
「もうかんべんしてください」
と、黄色い太陽におがみたくなる。
地球がどうしてここまで暑い星になったかというと、人間が地球の空気を内側からゆでているからだ。結局、自業自得なのだけれど、人間の都合で地球の奥底の何かが壊され、そのことで文句を言うのもこれまた人間で、どこまでいっても全責任は人間にあることになってしまう。
砂漠で暮らすヘビも氷の上で滑っているペンギンも、人間に比べて脳みそがあまりにもちっぽけで、人間に比べて無垢すぎる。その子どもたちも親と同じに、ちっぽけな脳を持つ無垢な生き物だったりする。
ペンギンの子どもはやっぱりペンギンで、その孫もペンギンで、ものすごくゆったりとしたペースで遺伝子を次の世代へと引き継いでいく。
人間のお年よりは、パソコンの操作も携帯電話のかけかたも知らない文化的落後者でしかないけれども、いっぽう、経験豊かな狼は、その積み重ねた年齢ゆえに、群れのリーダー足りえるのだった。
「雨が降れば新天地を目指せ」とプログラミングされたミミズたちは、雨と同時にやわらかい地面から飛びだして、フロンティアをめざす。人間の都合で花壇の1メートル先はコンクリートとアスファルトで完璧に舗装されており、雨が止むと同時に黒々と焦げて死ぬ運命なのだけれど、彼らミミズは、いまだ、「人間の都合の良い地球」に順応する気配がない。
この惑星を人間が猛烈な勢いで灼熱化、砂漠化し、それが原因で種が絶滅の危機に瀕してしまったとしても、クールビーズの無毛の狼の子が産まれたり、防熱皮膚を持ったアルマジロの子が産まれたりはしない。

私の罪悪感を解消するためには、ぜひとも、コンクリを食べるミミズや、無毛の狼や、鉄の皮膚を持つカエルが出現して欲しいのだけれど、

適者生存なんて人間の自己正当化にしかすぎず、進化の不思議はこざかしくもせっかちな人間どもの目に触れることもない。
だいたい、もとはといえば、この地球は泥と石でできていて、私たちはそこからひょこんと生まれてきたにすぎないのだ。
存在の奇跡と気まぐれの連続技の果てに、今日も私は生きている。
そこんとこを考えると、泥と石でできているにしては、よくぞここまでがんばってきたものだと感動したりもするけれど、しょせんは泥と石なのだから、過度な期待はしてはいけない。つーか、できない。
石から産まれた裸んぼのサルみたいなものなのだ。頭にワッカはめて、ぎゅーぎゅー締め上げても、それは締め上げる坊さんのほうが悪いのだ。
通り抜けできると思ってガラス窓に突っ込んだつがいの小鳥が、2羽そろって事故死したら、やっぱり、人間が悪いのだ。
そして、この地球上の生命体において、無垢とはなんと残酷な資質なのであろうか。
なのに私ときたら、前世でどんな悪いことをしたというのか、生存という目的からは完全に間違った進化を遂げた巨大脳を持つ服を着たサルとして、自らせっせと熱している地球の上でアチイ、アチイと文句をたれながら、のたくってる。
クーラーのスイッチを押すと、我が部屋は、5分もすれば外の灼熱がウソのように涼しくなる。もちろん、クーラーのスイッチを入れた途端に室外機のファンが回りだし、我が部屋の快適さとひきかえに、せっせと地球の空気をゆではじめるのだった。
他の生物の皆様には申し訳ないことこの上ない。
というわけで、今日は、クーラーをつけずにMacを起動する。と、室温は堪え難いまでに上昇する。
ああ〜。

--☆---


暑さを吹き飛ばす名コラム。
お待ちかね、N.TONOSAKIさんのサイト『N.TONOSAKI's Personal Station』の人気コラム『がんばれ!!ゲイツ君』の最新号を確認。

タイトルは
『番外編 』だ。
Windows Vistaの最新機能の目玉「音声認識でオペレーション」についてのご報告には笑わせてもらった。
いやあ、涙が出た(笑)。



それにしてもこの暑い中何やらコイズミ君の靖国参拝は盛り上がったようですね(^^;。「心の問題だ!」なんて言っておきながら「公約を守るんだ!」などと言っているようで、お前は心の問題を選挙公約にしているのかと相変わらず突っ込み所が満載の彼ではありますが、コーゾーカイカク!なんてわめくだけで総理大臣が5年間も勤まったような人ですから今さら仕方が無いのかもしれませんね。
ちなみに、来年から税金が大幅に増えることを知っている人ってどのくらいいますでしょうか。私の場合定率減税の廃止やらサラリーマン増税やら消費税アップなどの影響を計算したら年間81万も増税になるようなのですが(もしこれで配偶者がいたら91万の増税のようで)、プレスリーのサングラスをもらうおべんちゃらのツケをこんな所で払わせられるとは開いた口が塞がらないですね。いやはや。


(´▽`;)
いや、ほんと、来年から税金が大幅に増えることを知っている人って、どのくらいいるんだろうか……。
1万や2万というようなちんけな増税じゃないのだ、なんせ、日本構造大改革なんだから。
メディアのアンケートでは、コイズミさんの靖国参拝に7割もの支持があったというけれど……。
選挙のたびに○ピー団や○ピー団体にさんざんお世話になっておりますから、アジア諸国は勿論アメリカからすら非難されても、靖国参拝を取りやめることができないという苦しい事情。
でも、そういう事情を知ってか知らずか、7割の国民が支持だって。
わはは。
(^_^;)
もう、笑えるうちにせいっぱい笑っておこう。

 


*映画『ゲド戦記』に関する原作者のコメント*(2006.8.18)

映画『ゲド戦記』に関する、原作者アーシュラ=K=ル=グウィンのコメントが来た。
映画を観おわったというかたは、目を通してみてはどうだろう?
こちら
映画『ゲド戦記』に対する、控えめながら正直な彼女のコメントは、逐一ごもっともとしか言い様のないものである。奥ゆかしさと単刀直入さの両面をあわせもつ知的なコメントは、感動的とさえ言えるかもしれない。
だが、いっぽうで私はジブリアニメのファンでもあるから、

落胆も2倍2倍

……なんちゅうか、アーシュラ=K=ル=グウィンをこういう形で失望させてしまうことになるとは、残念というか、結果的として

最悪の事態だ。

(T△T)
さて。
もろもろのあれやこれやは、彼女のコメントに目を通していただくとして。
『ゲド戦記』の主要人物たちがほとんど有色人種であることの理由、こだわりについて、原作者自身が語っている箇所を発見した。
映画についてのコメントからは少しはなれるけれど、ちょっと引用してみたい。


私の原作では、ほとんどの登場人物は有色人種であり、白人ならば、周辺的ないささか洗練されていない人々として描かれています。そうすることによって私は、アメリカやヨーロッパの若い読者にたいして精神的な影響があるようにと意図しているのです。ヨーロッパに源をもつファンタジー文学のヒーローは、判で押したように白人ということになっています(特に第一巻が出版された1968年時点ではまぎれもなくそうでした)。そして、肌の黒さは、その人間の邪悪さと結び付けられて表現されるとが多かったのです。
この悪癖に真正面から異を唱えることによってのみ、小説たるもの、この差別を突き崩すとができるのです。以前に私の作品をテレビ化した人々は、「人種差別はしない」とうそぶきながら、 番組に有色人種を1.5人(一人はハーフ)しか登場させませんでした。私の物語を白人化したことにつき、テレビ局に対して私は激怒しましたし、私は彼らを許しません。
この問題は日本では別のものではあるでしょう。私は日本の人種問題について十分には知りませんので、はっきりとした確信は抱けません。しかし、日本のアニメ映画も、この問題におけるきわめて普遍的な悪癖に染まっていることを私は知っています。ほとんどの登場人物が、(私のようなアメリカ・ヨーロッパ人の眼に、という限定つきですが)、白い肌をしています。私は、日本の観客はそうは見ないと言われました。私は私の眼に映るよりも、日本人にはゲドの肌は黒く見えているといわれました。本当でしょうか? 映画のほとんどの登場人物が、私には白人に見えました。日焼けや肌のくすみ具合に、微妙な違いがあるだけに見えたのです。


『ゲド戦記』のTVドラマ版においてゲドが白人であることは、見過ごすことのできない重大な過失だとひとり激高していた私だが、原作者もちゃんと(←?)怒髪天にきていたことがここに判明したわけだ。
それは、原作者のこだわりというよりも、この物語が語られる理由そのものと言ってもいい部分なのだから、当然、変更は許されないはずだと私は思っていたし、今はさらにそう思ってる(原作者が怒ってるんだもの、ファンの私は安心して怒れるさ)。
(^_^;)
ル=グウィンの大人むけの作品群がそうであるように、ファンタジー小説『ゲド戦記』もまた、危険な物語だ。
過度に挑戦的で、“反”ではないにしても“非”社会的で、辛辣で、ストレートで、だからこそ読まれるべき価値のある書物なのだ。


「見る値打ちのある物を、と言ったろうに。わたしはあんたにあんた自身の姿を見せてやったのさ」
     〈ゲド戦記・こわれた腕輪〉

実に危険な作家じゃよ、ル=グウィンは。
(^_^;)
『ゲド戦記』の愛読者であると同時に、排他的民族主義者であることを公言できてしまえるようなひとたちの神経が、私には理解できない。
理解できないが、
「聞こうというなら、黙っていなくてはな。」
とオジオンさまがおっしゃっていたので、今日はもうこれくらいにしておこう。
今日は、ル=グウィンの言葉に耳を傾ける日だ。



*民主主義的手続きによって
ファシスト国家が建設された最近例*
(2006.8.15)

と言えば、ワイマール憲法下におけるドイツのナチス党の政権奪取だったわけだが、ここに新しい例が付け加わることになりそうだ。
今日という日を、戦後61年目と語るのには、もう無理がある。
2006年は、もはや「戦前」と呼ぶのがふさわしい。そんな時代だ。
新しい首相を決める選挙をするという。
テレビや新聞がさんざん騒ぎ立て、国民の関心や期待を限度いっぱいに高めることに成功したなら、対立候補たちが突然に身を引き始める。
新しい首相を、どうぞよろしく。
国民の皆さんには、新しい首相を支持する権利と自由がありますよ。
国会議事堂の内部で、彼らが決定した日本の未来に関するあれやこれやを、私たちはひたすら受動的に、そして楽天的に、引き受けていく。
本当のことをぶっちゃけると、誰が首相をやろうが何も変わらない。


「大統領に要求される資質は指導力ではなく、計算ずくでちゃらんぽらんをやる能力である。だからこそ、選ばれるのは決まってなんであんなやつがと言われる人物であり、人を逆上させると同時に魅きつけもする人物なのだ。大統領の仕事は権力をふるうことではなく、権力から人の目をそらすことだ。」

  『銀河ヒッチハイク・ガイド』ダグラス=アダムス著


この基準に照らし合わせてみれば、コイズミさんって、歴代最高の首相でしたよね!
(^_^;)
実にちゃらんぽらんであった。
私を何度も逆上させ、その他の国民を魅きつけ、公人としてまともな日本語も話せないまま、彼は、権力からひとびとの目をそらし続けることに成功してきた。
劇的なまでにちゃらんぽらんであり続けたから。
例えば、人種差別・排他的なナショナリズムなどなどは、日本国民ひとりひとりが片時も忘れずにその胸に灯し続けるべき道徳の光だ!……なんて、私には正気とはとても思えない。
これは差別ではない、区別なのだ、と私に教えてくれる親切な人もいる。

そんなゲッペルスな!

と笑ったら、思いっきり怒られた。
どうやら本気だったらしい(ごめんなさい、笑ったりして)。
日本人は心が狭くあれ、できうるかぎり大多数が貧乏であれ、見当外れなことばかりを夢中で議論し続けろ、時代を生き残る力を持て……テレビにそう教育されているから、私たちはいつだって見当外れなままだ。
……私の周囲の方々が、「チョン」だの「シナ」だのという差別用語を平気で口にする。
ショックだが、しかたがない。
いつの時代でも、どこの国でも、「戦前」とはこういう手触りなのだ。
草の根ナショナリズムが、日本国民大多数の声だとするなら、民主主義の手続きにのっとって、われら民主主義者、平和とともに潔く滅ぶべし。


「こうして、昔からの知恵を行動に移すこと、あるいはそれを他人に伝えることは危険なことと考えられるようになった。それでもあえてこの仕事を引き受けようという者は、すでに世間から見捨てられた者たちだった。男にしろ、女にしろ、失うものなどほとんどない人たちだった。」

  『ゲド戦記・外伝/『暗黒の書』冒頭より』アーシュラ=Kル=グウィン著


イスラエルでは、レバノン侵攻に反対する市民デモが行われた。
シーア派組織ヒズボラによる反撃ミサイル攻撃によって、イスラエル市民にも多数の死者が出ている現在、反戦運動に対する風当たりは相当なもののはずだ。
大丈夫、チャーリー=チャップリンだって、国賊呼ばわりされてアメリカから追い出されたんだ。
我々人類がこれから起きる地獄を乗り越え生き残ったとしたら、そのとき、何が正しかったか歴史が証明するに違いない。



韓国の女子高生さん来日3日目以降の記録(2006.8.9)

初来日した韓国女子高生。17歳のDちゃんの滞在3日目以降。
本当は一挙に書くべきところを、さまざまな要因により(←なまけ)、日々の雑記のあいまあいまに割り込むような書き方になってしまいました。
各エピソードの日付にアンカーリンクをはりましたので、「韓国の女子高生さん来日の記録」をまとめて読みたい方は、このアンカーリンクをご利用下さい。
こちら。

韓国の女子高生さん(1) (2) (3) (4)

--☆---

3日目は、有志のかたがたのご好意により、奈良の観光地巡りを敢行。
この日は、私はお留守番でしたので、このときの出来事などは、そのうち玲子が何らかの形で報告するかもしれません。しないかもしれません。
(;^_^ A
東大寺あたりを巡った模様だ。
帰宅後のDちゃんは、奈良と韓国の古い文化財の共通点について、熱く語っておりましたが、『今までの日本の教科書では教えてくれなかった日本の歴史』では教えてくれない日本の歴史によると、別段驚くようなことではない。
当時の韓国/朝鮮は、日本国の文化の建設、もしくは整備にいろいろと力をお貸しくださっておったので、当然、似通っているのだ。
こういうことを言うと、
「そういうこと言わないほうが良いですよ」
と心配そうに忠告してくれるひとがいるけど、本当のことなんだから仕方がない。
右翼のひとの朝も左翼のひとの朝もそんなことどうでも関係ないというひとの朝も、太陽は東から昇ってくるように、歴史的事実なんだから認めるしかない。
つーか、奈良と韓国の古い文化財の共通点に気がつくDちゃんは、なかなかなもんだと思うよ。
ハンガリーの民族主義を肯定するために、自国の音楽を追い求めていた青年バルトークが、気がつくとアジアを渡ってチェニジアに行き着いたように、

文化に国境はないんだよね。

それに気がついたバルトークは、
「わしらはアジアからやって来た。その前はアフリカにいたようだ(人間発祥の地がアフリカらしいから、当然なんだよな)」
と発表したんだ。ところがこの発表は、当時のハンガリーのお仲間たち、つまり、民族主義者たちに、さんざんに非難された。

「わしらはヨーロッパ人だ。米食う黄色いサルなどが祖先であるものか!」

と。
ドイツやオーストリアの支配から独立するための、「ハンガリー国民団結の旗印」として、土着的民族主義思想が台頭していたわけだが、その彼らも、ドイツやオーストリアと同じ文脈でアジアやアフリカの人たちを見下していたわけだ。
しかし、いくら民族主義者たちが怒ろうと、傷つこうと、ハンガリーを建国したご先祖さまたちがアジアからやって来たのは真実なのだから、どうしようもない。バルトークは四角四面のマジメ人間だったから、保身のためにウソをつくことが、できなかった。
そしてその、激しいバッシングのさなかで、

バルトークは真の民族主義者となった。

全ての文化は、分かちがたく溶け合っている!
国境線を超えて、人間は動き続け、立ち止まっては旅を再開し、歌を歌いついで来たのだ!

文化とは、ひととひととが手をつなぎあうためにあるもので、けっしてその逆ではない!

彼は、民族の真実について真摯であり続けた。ハンガリーの文化、ハンガリー国民を、それまで以上に愛した。
ナチの同盟国としてソ連に侵攻した自国政府と徒手空拳で戦い、最後は亡命先のアメリカでノタレ死んだ彼と、自国を戦争に巻き込んだ極右民族主義者たちとどちらが愛国的であったか、それは歴史が証明している。
……だいぶ話が脱線した。
(;^-^ゞ
翌日は

大阪の大型書店をはしご。

(;^_^ A

ごめんす。
いや〜、ワシが知ってる面白いとこって、本屋さんと映画館くらいしかないんよ。
(;^_^ A
Dちゃんは、お勉強のコーナーで高校数学の参考書あさり。
さすが現役女子高生。
しかし、日本の参考書群は、彼女を驚かせた。

「ええ〜、簡単な問題ばかり。これ本当に高校の参考書ですか?」

いや〜、どうなんですかね。ワシにはちんぷんかんぷんなので、簡単な問題ばかりと申されても、返答できる立場ではないわけで……。
(^_^;)
Dちゃんに聞いた話では、韓国の高校生たちは、

朝の7時から夜の10時過ぎまで、みっちり学校で授業を受けるそうなので、

日本の高校数学の参考書じゃあ、どないも太刀打ちできないということなのか。
つーか、朝の7時から夜の10時過ぎまでって、ひい、ふう、みい、……15時間も学校にかんづめやん!!
そんなに長時間、学校の空気を吸っていたら、

ワシなら死ぬな!!

(^_^;)
ちゅうか、労働基準法に違反してませんか、コレ。
(^_^;)
お昼ご飯は、某有名お好み焼き店で。
お好み焼きを食べるのは生まれてはじめてだというDちゃん。そりゃそうだよな。
従業員の女性が典型的な大阪のおばちゃんで、いろいろ気さくに話しかけてくる。
「わあ、これと似た食べ物、韓国にもあります!」
というDちゃんの声を耳ざとく聞きつけたおばちゃん、テーブルによってきて、Dちゃんとハングル語で会話をはじめちゃった。
しばらく続く、Dちゃんとおばちゃんの会話。弾みに弾んでいるようだが、ワシにはさっぱりわからず、お好み焼きの上で踊るかつお節をしばし見つめる。
「え〜と、おばちゃん、あちらのかたですか?」
話の区切りがついたところで、私がたずねる。
「え〜、ちゃうちゃう。韓流ドラマにのめり込んで、教室行って覚えてん! どう、私の発音? いけてます?」
「すんごくいけてると思います、発音」
と答えた私。本当は何もわかっていない。
(^_^;)
Dちゃんが、
「いいです。日本人はパッチ音が苦手(え?なんのこと?)なひとが多いですけれど、言葉、うまいです。」
と言う。
おばちゃん、だそうですよ。
それからしばらく、韓流ドラマの有名俳優たちの話題で、“日本語”で、盛り上るおばちゃんとDちゃん。
これまた、私には何のことやらわからず、しばし躍るかつお節を眺める。
ぽつねんとしている私に気がついたDちゃん、
「日本のタレントのお話をしましょうか?」
と話を振ってくれる、やさしいなあ。
「大塚愛? キロロ? 中島美嘉? 誰が好きですか」
……ごめんなさい、

誰だかわかんないです、誰一人として。

(;^-^ゞ
ちゅうか、お好み焼き屋のおばちゃん、

さっきからずっとこのテーブルにはりついてますけど、仕事、いいんですか?

(;^-^ゞ
いいねん、かまへんねん、それが大阪やねん。
「うちの娘がな、タベモン、辛いもんが好きでな……」
「韓国語を教えてくれた先生がいいひとでな。心斎橋のどこそこにあるんやけどな……」
皮肉でも何でもなく、この遠慮を知らない社交性、素晴らしいです。
大阪のおばちゃんを人間国宝に指定して、文化財として世界にアピールしたらいいねん。
Dちゃんとツーショット写真を撮影して、おばちゃんはようやく業務にお戻りになられました。
ちなみに、Dちゃんのお好み焼き評は、
「ええ〜! 日本人は何にでもマヨネーズをかけるんですねえ!」
というものだった。
(^_^;)
いや、マヨネーズは好みなんで、別にかけなくてもいいんだよ、というわけで、彼女はマヨなしで食しました。
美味しかったそうです。
(*^▽^*)
「スライストマトにもキュウリにもマヨネーズをかけて、変わってる……」
と、Dちゃんは日本のマヨかけ文化に最後まで納得がいかないようだったけど。
(^_^;)
ごはんのあとは心斎橋をお買い物めぐり。
いやあ。韓国でも日本でも、

女性のお買い物に付き合うのは男性にとって苦行以外のなにものでもありませんな。

……服なんてどれ着てもいっしょやん、ぶつぶつ。
(^_^;)
帰宅後は、宮崎アニメが大好きなDちゃんのために、連夜のDVD上映。
「ハクかっこいい〜」
「あ〜、ハクかっこいいです〜」
を連発するDちゃん。
『千と千尋の神隠し』をそのような視点から観賞したことはワタクシ、ただの一度もなく、非常に参考になりました。
「愛じゃよ、愛。……私、そんなふうにひとを愛したことないなあ」
とつぶやくDちゃん。これまでつきあった歴代の彼氏の写真をみせてくれました。
しかし、ご両親は内緒だ。
(^_^;)
二本目は『もののけ姫』とさらにディープに。
宮崎駿監督の最高傑作にして最大の問題作だけあって、Dちゃんも絶句状態。
「双方生きる道はないのか……考えます」
としばし考え込んでおりました。
イマジンすることは、いいことですよ。
(*'‐'*)
……Dちゃん滞在中のエピソードは、こんなものかな。
あ、たこ焼き屋でたこ焼きの実演をしてもらったりもあったっけ。
おっちゃんの
「たこ焼きを失敗せず丸く焼けるようになるには10年の修業がいるんや!」
という大見得にひどく感心するDちゃん、という一コマも、ここに記しておく。

「たこ焼きにもマヨネーズなんですかあ!」

という彼女の叫びも。
(^_^;)
そう言えば、『美味しんぼ』で読んだんだけど、ポーランドにギョウザが変化した食べ物があるそうな。
文化交流の証拠だよね。文化の交流があったたということは、ひとの交流があったということだ。
いつの日か、Dちゃんが食したマヨかけ文化が、韓国に花開く日が来るかもしれない。
それが、文化・歴史だと思う。ちゅうか、人間として生まれてきただいご味だよな、これこそ。
私たち人間は一人残らず、由緒正しいアフリカ人の血を受け継いでいるし、世界中の文化の発祥地も、結局そのアフリカのひとたちの文化が出発点なんだ。
気にくわないつったって、明白な科学的事実だ。
バルトークが看破したように、ハンガリー人とかオーストリア人とか、韓国人とか日本人とかアングロサクソンとか黒人とか、ぜんぶ幻想だよ。
そして、幻想を幻想として受け止めたうえではじめて、文化の差異、そこに暮らす他者の存在をまるごと受け止めることができるのだと思う。
まるごと受け止めなくてはいけないものでもあるまい!と言われたら何も言い返せないけどね。ここから先は科学ではなく、価値感だから。
(^_^;)
でも、そのほうが、

たこ焼きのマヨの味も格段に上がるし、ありがたみもぜんぜん違ってくるじゃないか。

な〜んて、Dちゃんがこの数日間を楽しく過ごしてくれたのなら、それでいいのだけれど。
せっかく日本に来てくれたんだからな。
「日本はいかがでしたか?」と、今度、“日本語”でメールしてみよう。
返事は日本語でお願いしよう……。
(;^-^ゞ




--☆---


寝る前に。
サッカー日本代表チーム監督のオシム氏の最新語録が着た。
知的でユーモラスで皮肉たっぷりのコメントはこちら。(J's GOAL)


「私もキャプテンは大事だと思っています。
でもスポンサーの力やマスコミでキャプテンが選ばれるわけではない。
スポンサーやマスコミに都合がいい人がキャプテンになることを希望していることは多いが、時にその見栄えのいいキャプテンは役に立たないこともあります。」

やっぱり、このひとは、すごいや。



*61年目*(2006.8.6)

韓国女子高生さん来日記録の連載中(笑)ですが、またまた脱線日記を書きます。
61年前の今日という日に、ひとこと何か記しておきたかったのです。
1945年8月6日、午前8時15分……。
そう。
人間の頭の上に、はじめて原爆が投下された日です。
日中のテレビ番組で観た原爆特集は、それはそれはひどいものでした。
どのようにひどいかというと、「戦争の悲惨さ」「二度と戦争のない世界」を希求する多数の被爆者にインタビューしておいて、それらを、番組が結論として

過去の侵略戦争の正当化に利用する!

という内容だったわけです。
なんと哀しくも不快な内容でしょう。
しかし、テレビ局に抗議しようとも、誰かと議論しようとも思いません。
彼らは、戦争で金儲けをすることしか考えていないわけで、そういうひとたちを説得することなど不可能なのであります。



 
 「『いいえ』とエル・アライラーはこたえた。
  『腹など立てては』おりません。しかし、愛
  するものたちにあわれを感じるのは、彼らが
  苦しんでいるときだけではないことをまなび
  ました。先達のおくりものによってぶじに生
  きている現在をわきまえない ウサギという
  ものは、自分ではそう思っていなくても、ナ
  メクジよりあわれなものです。」

   リチャード=アダムス〈ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち〉


また、詩人ジョン=ダンは言いました。

 
 「人間以上のものにならなければ、お前は
  蟻以下である。」


エル・アライラーやジョン=ダンの言葉を引用したからと言って、私が人間以上の存在になるというわけではないのですが(笑)、蟻以下なのか、ナメクジよりも哀れな存在なのか、一日をかけて自分に問うてみたいと思います。
少なくとも、“被爆者よりも原爆について語る資格があると思っているテレビのコメンテーター”よりは人間に近くありたいと思うからね。
61年目の8月6日に。


ウエッブサイト・『長崎証言の会』
松尾あつゆき氏・原爆句抄から。

「いまわのきわに―原爆句抄
    ★八月九日 長崎の原子爆弾の日。
     我家に帰り着きたるは深更なり。
 月の下ひっそり倒れかさなっている下か
    ★十日 路傍に妻とニ児を発見す。
     重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)。
 わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ
 すべなし地に置けば子にむらがる蝿
 臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい
    ★長男ついに壕中に死す(中学一年)。
 炎天、子のいまわの水をさがしにゆく
 母のそばまではうでてわろうてこときれて
 この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔
 外には二つ、壕の中にも月さしてくるなきがら
    ★十一日 みずから木を組みて子を焼く。
 とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい
 ほのお、兄をなかによりそうて火になる
    ★十二日 早暁骨を拾う。
 あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で
 あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな
    ★十三日 妻死す(三十六歳)。
 ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへこときれる
    ★十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。
 なにかもかもなくした手に四枚の爆死証明
 夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ
 降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ



「わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ/すべなし地に置けば子にむらがる蝿/臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい」
という状況を、我が身に置き換えるて想像してみることが私にはできない……。
もうひとつサイトをご紹介します。

『戦争を語り継ぐ60年目の証言』より
特別寄稿「枯れない涙」から。

「長崎の上空で閃光が閃めいてから、もう六十年が経過し、私も曲がりなりにもこの六十年を生きてきた。原爆を経験されていかがでしたか?と稀に聞かれることはあっても、その悲惨な出来事を記憶し後の世に伝えて行くべき人々は、時の経過とともに徐々に減少し、後、数十年を経ずして自身の体で身をもって体験し、その体験を語る人々は居なくなってしまうであろう。

昨年、全く突然にリンパ癌を患い三ヶ月余の入院生活と、現在も幾ばくかの不安を抱えながら、月に一度の通院検診を受けているが、これで良いのだろうか?このまま年老いて朽ち果ててしまって良いものだろうかと、漠然とした不安感と共に毎日を無為に過ごしている。そんな時ふっと主治医の先生に告げられた一言「貴方には原爆によるDNAの染色体の突然変異が見られますから」その一言が、今の内に何かを残さなければと言う焦燥感となって時折そして断続的に私を苛んでいた。

(略)

逃げなければ、しかしどこへ、混乱した頭で考える力も無く、呆然とその場に立ち尽くしていると「おおい、誰か助けてくれ!」と言う声、はっと我にかえり、辺りを見渡すと、瓦礫の間から手と頭が見える、腰から下を何かに挟まれて身動きできないらしい。そのすぐ傍に女子挺身隊と思われる少女が二人「誰か、助けて下さい!誰か、助けてください!」と大声で悲鳴をあげている。男の声は「うるさい!皆で叫ぶと分からないじゃないか!静かにしろ! 助けてくれー」と必死な声でなおも叫んでいる。その声に聞き覚えがある

(略)

私の顔を認めた田坂君は「おお、寺田、頼む、助けてくれ、動けない、助けてくれ」と必死な面持ちで私の顔を見上げるのだ。私は彼の両脇に手を差し入れ、引きずり出そうと試みたが全く動かない。じりじりと焦りが込み上げてくる、しかしこのまま放置して自分ひとりで逃げることが出来ようか、建物の下から次々と人々が這い出してくる。「お願いします!ここに人が下敷きになっているんです、助けてください」と、一人ひとりに手を取るようにして頼み込むのだが、ほとんどの人が虚ろな目を向けるだけで放心したように、「お前も早く逃げろ、焼き殺されるぞ」と言いながら「人のことを構うな」と言い捨てて逃げてゆく、「燃え始めたぞ!」と言う叫び声が聞えて来た

(略)

あれから六十年、私は何をしたろうか?原水禁運動、戦争反対のデモ、被爆経験者としての語り部としての活動どれひとつ取っても微力である自分自身の姿を再確認するだけであり、省みて忸怩たるものが有る。それにしても、現在の訳のわからない世界情勢、加えて今日の荒涼たる世相を見ていると、この先わが日本の将来はどうなっていくのだろうかと胸が締め付けられるような思いがするのだ。永遠の戦争放棄を謳った現憲法が今論争の的となっている。戦後に他国から押し付けられた憲法だから改正すべきだと言う意見は、一寸飛躍が過ぎないだろうか」

長々と引用しましたが、以上です。



韓国の女子高生さん来日FMわいわい収録日の記録(2006.8.6)

 

韓国の女子高生さん(1) (2) (3) (4)

初来日した韓国女子高生。17歳のDちゃんの滞在2日目さらに続き。
と言いつつ、ずいぶんと過去のことになってしまって、もはや日記じゃなくなってしまった。
(;^_^ A
ま、気を取り直して。はや回しで記録を残しておこう。
我々がおとずれたFMわいわいのスタジオは、神戸の長田にある。
FMわいわいは、淡路・阪神大地震がきっかけとなって誕生したラジオ放送局なのだそうだ。
FMわいわいの歴史というか誕生秘話をご紹介しよう。
ウエッブサイト神戸・長田のコミュニティ放送局 FMわいわいから。「FMわいわいのあゆみ」より

「神戸市には数多くの外国人が暮らしています。その中でもとりわけ長田区は在日韓国・朝鮮人をはじめベトナム人、中国人、フィリピン人などアジアを中心とした28カ国の外国籍の人達が住んでいます.95年1月17日に兵庫県南部を襲った大地震はこうした外国籍の人達にも多大な被害を及ぼし、数多くの方が亡くなりました。また家屋の倒壊などにより避難生活を余儀なくされた人達がたくさんいました。外国籍の人達は、この緊急時に言葉が通じなくて、必要不可欠な情報を得ることができずとても心細い思いをしていました。
こうした状況の下、震災2週間後の1月30日にJR新長田駅近くの韓国学園の一室から被災した在日同胞に向けて、韓国・朝鮮語及び日本語による震災情報と韓国音楽を放送するミニFM局が開局しました。「FMヨボセヨ」です。これは大阪市生野区の在日韓国・朝鮮人向けFM局「FMサラン」の協力で、韓国学園の先生をはじめボランティア数人が日夜交替で長田で被災した在日同胞を勇気づけようと放送を続けていきました。

 一方、長田区に暮らすベトナム人も、そのほとんどが震災で公園や学校での避難生活を余儀なくされました。言葉の壁により大きな不安を抱えながらの避難所暮らしが続きました。そのベトナム人に必要な情報を伝え励まそうと被災べトナム人救援連絡会議が中心になって、「FMヨボセヨ」と「FMサラン」の協力でカトリック鷹取教会ボランティア救援基地の中にミニFM局を立ち上げたのが4月16日でした。「FMユーメン」です。「FMユーメン」はベトナム語だけでなく、フィリピン人に向けたタガログ語・英語、南米人に向けたスペイン語、そして広く地域住民に向けて日本語と、五つの言語で放送を開始しました。 」以下略

このような経緯で生まれたふたつのFM放送局がひとつになって、今のFMわいわいとなったのだそうである。
淡路・阪神大地震があったとき、私は東京に住んでいて、炎に包まれる長田の街の映像を他人事としてながめていた。
こうした状況の下、震災2週間後の1月30日にJR新長田駅近くの韓国学園の一室から……」「ベトナム人に必要な情報を伝え励まそうと被災べトナム人救援連絡会議が中心になって……」「フィリピン人に向けたタガログ語・英語、南米人に向けたスペイン語、そして広く地域住民に向けて日本語と、五つの言語で放送を開始……」という記述を読んで、
「へえ、そうだったんだ」
と、少しだけ驚いてみせてそれで終わりにしてみせることだって可能だけれど、もっと昔、関東大震災があったとき、わしら日本人はくだらないデマが元で、当時日本に在住していた朝鮮人のひとたちを大量に殺害してしまった過去がある。
極限状態の中で人間性がためされたことなどこれまでの人生でタダの一度もない私としては、その場にいたひとたちへの敬意というか、彼ら彼女らの決断・行動力……それとなんつーか、ひとがひとであることを誇らしく思える瞬間というか、そーゆーものをどうしても感じないわけにはいかないのだ。
すまん、何書いているか自分でもよーわからん。
(;^_^ A
壊滅的な損害を出した長田の街で、震災から2週間後に、ふたつのラジオ放送が始まったこと、こういうことこそ、日本の歴史の教科書の1ページを飾るにふさわしいと思う。
……と、こんなことをつらつらと考えているうちに、収録の時間と相成る。
初めは見学だけの予定だったが、急遽Dちゃんも出演することに。
当然、台本もなんもない。そんなもの気にしない気にしない。会って二言三言ことばを交わして、気があえばもうお友だちなのが関西の風土だ。……ワシみたいな極度の人見知りは、本当に場違いな世界なのさ。Dちゃんはものすご社交的なので、DJのお姉さん金千秋さんと意気投合。これならあとはその場のノリと、金千秋の話術でどうにかなるとの判断がくだされたようだ。
見様見まねでヘッドセット付けて、マイクの前でスタンバイするDちゃん。
私は写真撮影係だ。
こっちからパシャパシャ。
あっちからパシャパシャ。
すぐにやることがなくなって、棚の隅につっこんである備品など写真に撮る。アップル純正のキーボードの

残骸

アップル純正のモニターの

残骸

アップル社“迷”製品列伝の最近作、power Mac G4cubeの

外部電源ケース“らしきもの”

などなどを発見。
なにげに、アップル製品の「青髯の館」と化しているFMわいわい。
(^_^;)
さて。
肝心の放送内容は、たぶん、そのうち放送されると思われますので、そちら待ちで。
なんか、編集作業のアト、2週連続で流れる予定だそうです。
ちょっとだけ白状すると、ワシ、何度か吹きだしてしまってな。マイクが拾っていないか心配であります。
Dちゃんと玲子と金千秋さんの軽妙な会話の中に、ときおり、
「ぶへっ!」
「ぶは!」
などという、踏みつけられた下等霊のようなラップ音が聞こえてきたならば、

それ、私です。

( ̄_ ̄|||)

色々とお楽しみに〜。

……。
収録が終って、スタジオの片隅でちょっと休憩。
どのようないきさつなのか、気がつくと、部屋の一角で

「ミニ★カクテル★バー」が開店

しており、それも、何を飲んでも200円という逆ぼったくりバーというでたらめさ……もとい、ありがたさだ。
(;^_^ A
……つーか、ここ、どこよ。こういうの、アリなのか長田。
(^_^;)
マスター(←でいいんですかね、いや、どうなんだか)や常連客(←……笑笑笑笑笑)は、韓国からやって来たDちゃんを大歓待。
おつまみが出てきたときにはすでに、Dちゃんは、FMわいわい即席カクテルバーの面々の孫状態に。
「韓国から、ひとりで! なんか、やー、えらいなあ」
「なんちゅう高校に行ってるん? へー。ほー」
かと思えば、いきなりな政治談義に熱くなったり。保護者気取りのワシとしてはちょっとどきどきしたけどな。でも、感情的なわだかまりなしで、お互いの意見をぶつけあっていた。……もしかしたら韓国のかたがたと関西人って、ちょっと気質が似ているのかもしれないな。いや、適当に言ってるだけだけど。
(^_^;)
「最近できたあのジャズ喫茶、地域で盛り上げたらなあかん」
「みんなで顔だしたろー」
こういう会話を聞いていると、木村紺センセの漫画『神戸在住』の世界そのままだ。
観光名所を巡るよりも、神戸にいるのだなあという実感が湧いてくる。
Dちゃんにとっては初めての日本だけど、私だって、神戸という地域の外側の人間なのだ、ということをふと実感する。
で、ひとびとの何気ない会話のきれはしに心をとどめたり、はっとしたりするのって、ちょっとした快感だよね。
まあ、そういうことを感じていた私を外側から眺めれば、甘いカクテルを無口にすすってるだけのにこにこと怪しげなヤツでしかなかったでしょうけど。
……というか、ワシ、人見知りなだけじゃなくて自意識過剰なんだよ。
(^_^;)
ネっクラな ワレを意識し エフエム局
あ、一句できた。
(^_^;) 季語はどうした。
と、ともかく、Dちゃんが楽しんでくれたようなので、よかった。
金千秋さん、写真撮影の使命を果たすためとはいえ、お仕事のじゃまをしてすみませんでした。
(;^-^ゞ
って、こんなところに書いても伝わらんか。


以下、続く……かもしれません。


 


*ノストラ級の大予言を発見*(2006.8.5)



ただいま韓国の女子高生さん来日の記録の連載中(←笑)でありますが、ちょっと一日休憩して。
亀田興毅氏のボクシングの世界ライトフライ級チャンピオン決定戦での一連のてんまつを

5月の時点で

完全予想していたブログを発見しました。

試合後の茶の間の騒動ぶりまで予言していて、こりゃすごい。
神懸かりの予言ぶりに感動しましたので、ご紹介します。
(o・・o)/こちら
ついでに、こちらのブログも。
(o・・o)/こちら

それで、あたしは、あらためて、テレビ局の力ってもんを再認識させられたし、たかが民放でも、社運を賭けてヤラセをやれば、黒いものを白って言わせることができるんだってことを知った。」

ねえ……。
(^_^;)
私の身近な人間は、
「T○Sは何やらしてもだめだねえ。八○長やらしてもだめだねえ」
などと申しておりました。
いえ、私が言ってんじゃないですからね、身近な人間ですからね、言ったの。
……弟ですけど。
(^_^;)
自○党、暴○団、広○代理店、テ○ビ局がからんじゃあ、相手選手もこりゃ、最初から勝ち目ゼロだったですね。
……T○Sも、もちっと違うもんに社運を懸けてもらいたいもんです、ねえ。

 


*韓国の女子高生さん来日2日目の記録*(2006.8.3)


韓国の女子高生さん(1) (2) (3) (4)

初来日した韓国女子高生。17歳のDちゃんの滞在2日目。
その日は、玲子のラジオ番組の見学に、神戸にお出かけとなった。
玲子とDちゃんの二人連れデじゅうぶんなはずだったのだが、デジ係りと荷物持ち係として、急遽、徴収された。
早朝に降った小雨に濡れた路面を駅まで歩く。
ちょうど過ごしやすい気温、というわけにはいかず、少々むしむしする。
Dちゃんは、

「暑い〜! 暑い〜! 日本はこんなに暑いんですか」

と繰り返し連呼。
いや、むしろ、今日は過ごしやすいほうだと思うよ。
(^_^;)
通りすぎる住宅の表札や張り紙、店の看板の文字を声に出して読んでゆく。
「イハラ。タカハシ。オグラ。AEONエイカイワキョウシツ……。ニホンキョウサントウ? ……ああ」
字を覚えたての子どもみたい(笑)。
違うのは、漢字も英語も(ハングルも)読めちゃうところ。
JRのホームでは、駅名を読み上げる。
「ヤマト……コイズミ……。

コイズミさん、嫌いです」

一瞬、何のことかわからなかった。
(;^-^ゞ
「コイズミさん、嫌いです。多くの、本当に多くの韓国のひとたちはコイズミさん、きらいです」
彼女の声に周囲のひとたちが振り返る。
ええと。

円滑な人間関係を好む日本人の私としては、彼女の大声にちょっと戸惑ったりして。

(;^-^ゞ
しかし、Dちゃんの心意気に答え、駅のホームで政治談義といきますか。
あのな。
日本人の私もコイズミさんは嫌いだよ。
今の日本では、餓死者が急増しているんだよ、Dちゃん。
例の痛みを耐えまくる構造改革で、企業利益や経営者の収入が激増する一方で、雇用も賃金も改善せず、貧困という社会格差ばかりが拡大。

正直言って、社会的大惨事、エマージェンシーしちゃっているよな。

ワシントン・ポストは7月28日付けで

「日本の経済は回復しつつあるかもしれないが、勝ち組と負け組を生む回復だった」
「悲しいことに最大の負け組は高齢者だった」

と報じた。
生活保護の申請を突っぱねられて、日に日に衰弱していく市民に対して、行政はどのように対応するのか。

電気、ガス、水道のストップ。

そりゃ、餓死者が出るヨナ。
つーか、これって殺人だよな、Dちゃん。
介護疲れで家族を殺害する市民も急増中。
今や日本は、OECD加盟国の中で相対的貧困率が

ケツから2番目のいちだい貧困国になってしまった。←ちなみに、もっとも貧困率の高い国はアメリカ合衆国だ。テレビは語らない真実だ、知らなかったろ。

自殺者は年間4万人。
この大混乱のまっただなかで、首相のコイズミさんは言う。
「こうなったら、さらなる増税に踏み切るしかないな」
「今後10年間は増税!」
(^_^;)
こういう人間をメディアは、親しみを込めて

ライオンハート。

と呼ぶ。
ぶっ。
(^_^;) どうしようもないぜ。
日本という国を国際的にすっかり孤立させてしまった現政府は、自国民に対しても平等に残酷だ。
……と言いわけしてみた。
でも、Dちゃんの追求は容赦がない。
その政権を支えているのは、結局国民ではないのか?というのが彼女の言いぶんだ。
くっ。実に鋭い指摘です。
(^_^;)
そのとき、ホームに日本の女子高生の集団が現れ、日本人側が一方的に不利に陥っていた政治談義はしり切れにトンボした。
「わあ、スカートが短い。あの靴は学校の指定なんですか? 髪を染めてもいいんですね? わあ〜」
いやあ、政治談義はまだしも、

日本の女子高校生のファッションや生態については私は何も語れません。

ええ、何ひとつ。
(^_^;)
まあ、昨今の日本の排他的民族主義の台頭を考えると、韓国人旅行者のコイズミ批判に周囲の人間が“行動”に及ぶ危惧を抱かずにおれなかった私は、正直、ほっとしたわけだけど。
彼女は本当に子どもで、他者というものを心から信じていて、いつでも自由な議論を求めていて、なのに「日本ではかならずしもそうではない」と彼女が悟ってしまうような事態は、避けたいと私はそのとき強く感じていた。

私は日本を愛してはいないけれど、大好きだ。どうして愛していないかというと、もうすでに、私たちは危険なまでに愛国的だからだ。
「日本人なんだから日本の文化や歴史を愛すべきだ」と外側から言われても、猜疑心、不自由さ、身の危険しか感じることしかできない。
でも、日本という国は好きだよ。
Dちゃんも、日本文化を好いてくれているわけだし、そのことも嬉しいよ。
奈良の古い町並みは、韓国/朝鮮の影響を強く受けている。
さまざまな技術提供も受けてきた。
私たちが「愛」国心を持つべきだ、持たなくてはならない、というならば、ひとことだけ私も言いたい。
「文化や歴史」、「愛」の価値は、相手に与えてこそ意味を持つのではないでしょうか。
もう一度言う。

「文化や歴史」、「愛」の価値は、他者に贈呈してはじめて意味を持つのではないでしょうか。

シャキーン。
「奈良」という文字ですら、韓国/朝鮮からの贈り物だ。
愛はいつも気前が良い。ケチんぼの愛など、そもそも愛じゃない。そして今、韓国人のDちゃんが、奈良の町を歩いて、その風景をデジカメで写真に撮りだめていく。


文化、歴史の本当の価値とは、実はこういうところに見いだすべきなのではないでしょうか。

私の弟は、
「文化を守ることも確かに大切なんだけれど、自分たちだけで完結してしまうことが「文化を守る」というのなら、そんなの文化的近親相姦でしかないよ」
と言う。
ごもっとも、と私は思う。
……。
文化論、政治論ばかりくっちゃべって、肝心のFMスタジオに話がたどり着かないな。
(;^-^ゞ

以下、続く……かもしれません。



---☆--

ボクシングの世界ライトフライ級チャンピオン決定戦での判定が、ちまたで物議を醸しておる模様。
小田嶋隆氏のブログから。

「国際社会のみんな。ごめんよ。
オレたちは、今夜、卑怯な国の卑怯な国民だった。
「戦争で負けてからこっち、卑怯なことだけはしないようにと、一生懸命がんばってきたけど、今夜のあれでぶちこわしだ」

スポーツファンは、少しずつ気がつき始めている。
会社大国日本の、異常さを。
しかし、スポーツファンの皆さん。
言っとくけど、拝金主義による

政治・経済のデタラメぶりはこれ以上ですぜ、旦那がた!

広告代理店に蹂躙されているのは、誰なのか?

 


*韓国の女子高生さん来日初日の記録*(2006.8.1)


韓国の女子高生さん(1) (2) (3) (4)

玲子の韓国旅行のさい通訳を引き受けてくれた女子高生さんが、わが家に四日間滞在した。
なんでも、初来日とのことである。
となると、来日して最初に接するのが我が家族なのであるから、責任は重大である。生まれたてのアヒルのひなが最初に目に入った物体を母親と認識してしまうように、我が家のホスピタリティーが、彼女の日本現地観に与える影響は決定的なものがあるはずだ……と考えられるような気がしないでもない。
初日は、玲子が空港に迎えに行っているあいだに、私がお部屋のお掃除という段取り……だったのだが、今さら掃除してもどうにも片づかないと悟ったので、ジュース飲みながら『ザグレブ・短編アニメ集』のDVDを観ているとき、彼女はやってきたのだった。
「おじゃまします! お世話になります!」
すごい。通訳するくらいなんだから当たり前なんだけど、日本語ぺらぺら。しかも社交的。私は極度の人見知り屋さんで、相手が社交的であるというだけでパニックを起こすような人間だ。……つまり、この瞬間、いきなり親しげなお客様を前にして、私の内面は人知れず大変なことになっていたのである。
(TT; )( ;TT) オロオロ
「わあ!すごくたくさんの本! すごいですねえ!」
と感嘆の声をあげて部屋を見回す韓国の女子高生さん。
その後方から鋭い眼光で私をねめつける玲子。
……私に掃除をさせようというのがそもそも間違っているんだい。
来日3時間の時点での、日本についての彼女の感想は

「日本は暑いです!!! もう、韓国ではあり得ない暑さです」

「日本の交通運賃は、電車もバスもタクシーも信じられないくらい高いです」

というものだった。
とくに交通運賃の高さは、貧乏旅行中の学生さんにとっては、極めて深刻なカルチャーショックだったようだ。人前でお財布を開けて、旅費の計算に頭を悩ませておられる。実に無防備。
彼女のお名前は、Dちゃんとしておこう。韓国女子高生、では字数が多く文字ニューリョクが面倒だし(右手の人さし指を負傷中)、味気もないだろうから。
Dちゃんのお歳は17歳だ。(16歳と聞いていたんだけれど、本人に確認すると17歳だそうです)。
「17です。平成元年の生まれです」
などと、年号で返答が返ってくるあたり、かなりの日本通である。
日本語の発音もかなり正確だし(つーか、わしらの日本語の方があやしいかもしれん)、日本語を聞き取る耳もいい。
一度、電車のアナウンスで
「♪車掌は河合です♪」
と放送されたものを、
「あれえ? 自分のことを“かわいい”と言ってますか?」
と聞き取ってしまったことがあったけれど、それ以外は、私が知っている範囲では、完ぺきであった。
ちなみに、お顔はというと、韓国のご学友の申告によれば、

『ドラえもん』の“のび太”にクリソツ

とのことだが、いくらなんでも言い過ぎだろう。

のび太カットですっぴんの上戸彩

と、ワシがフォローしとく(残酷な言葉を平気で投げ合えることと友情の深さがキッチリ比例しているお年ごろ……韓国でも日本でも、こういうところは同じらしい)。
我が家のパソコンを見つけて、使わせて欲しいと言うDちゃん。
ブログかソーシャルネットワークかそういうところに、日本滞在日記をアップしたいのだという。
ところが、OSを起動させたとたんに戸惑う彼女。
「これ、microsoftじゃない……ですね……。apple? アポーですか?」

アップルをアポーだって、一瞬何事かと思った。

(;^-^ゞ
「あああ、アポーです」
と答える私。しかし私の発音は、ジャイアント馬場さんのそれだ。
空港から我が家までの道中、さっそく撮ったデジカメ画像を取り込む。
OSXのジニーアクションに喜ぶ彼女。
「アポーのdesign、かっこいいですね」
Dちゃんは韓国語、日本語、英語のスクリプトを駆使して、作業を進めてゆく。
「このキーボードのキー配列は、ローマ字入力ですか?」
などと、韓国の女子高生でありながら、ローマ字入力にも完全対応だ。しかも、ブラインドタッチのスピードのはやいこと!
韓国語はまるきりわからず、英語もまるきりわからず、ローマ字入力は誤字脱字ブラインドタッチで、
「あ、アポー……」
などとつぶやくしかない私と弟。
「私、そんなに日本語はうまくないです」
「マイコーソフトではないので、よくわからないです」
と謙遜された瞬間の我ら兄弟の心境は、

「年寄り連の焦燥」

としか呼びようのないものであった。
日記を書き終わり、さて、画像をアップしようとしたところ、どうしてもエラーが出る。
「これ、どうしてエラーが出るかわかりますか?」
とDちゃんに訊ねられて覗いたサイトのヘルプ画面は端から端までハングル語だ。
ごめん、むりです、とにべもなくつっぱねて、来日初日からいたいけな韓国の女子高生さんを失望させるわけにはいかない。
あーだ、どーだといじりたおして、ようやく発見したのは、

「Macintoshには対応しておりません。ただし、safariというウエッブ・ブラウザだけはどうにかこうにか作動する場合があります。もしもそれで不具合などが出ましたら、ごめんちゃい」

という内容の一文だった。
文化的マイノリティーの切なくも不自由な立ち位置を身をもって体験できる、Macは本当にすごいコンピューターなんですよ、と、Dちゃんには説明(←いいわけ)したが、切なさと不自由さという部分については理解を示していただけたものの、素晴らしいコンピューターという主張については

まったく同意していただけなかったデス。

(^_^;) くそう。
Dちゃんは両手の小指にだけマニュキアを塗っていた。
韓国の高校の校則はおしなべて厳しく、おしゃれらしいおしゃれは何ひとつ許されないのだそうだけど、それでもこっそりと、小指の先だけ、マニュキアを塗っておしゃれを愉しんでいるのだ。
韓国でも日本でも女の子のおしゃれ心は変わらない。
「全部の指にマニュキアを塗りたいけど」
なんて、全世界で虐げられているすべての女子高生の心の声であろう。
……と言いつつ、彼女はお風呂嫌い(←当社比)で、おしゃべりに夢中になると、ついついお風呂がおっくうになるようだった。
韓国でも日本でも17歳はまだまだ子どもなんだなあ。
彼女をお風呂に追い立てているうちに私のパニックも徐々に収まり、初日は(表面上は)平和のうちに終了した。

以下、続く……かもしれません。




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